ブルーアイランド
ブルーアイランド スピリチュアリズムが明かす死後の世界
エステル・ステッド編
A・コナン・ドイル序
近藤千雄訳
The Blue Island
Experiences of a New Arrival Beyond the Veil.
Communicated by W.T. Stead.
Compiled by Estelle W. Stead.
初版 1922年
復刻版 1970年(第5版)
Hutchinson & Co.
London England.
【目次】
序文(ドイル卿から寄せられた喜びと激励の書簡)
エステル・ステッド様(ステッド氏長女)
ご尊父からの通信をパンフレットで拝見して、とても興味深く、かつ意義深いものとの感想を持ちました。どういう状況下で取得されたのか、また、通信の内容にどの程度まで霊媒の潜在意識が影響を及ぼしているか、その辺のことについての細かい判断はいたしかねますが、文章の世界に長く関わってきたひとりとして申し上げれば、明快な文体、当意即妙の比喩などには、生前のステッド氏の特徴が実によく出ております。
こうした死後の世界に関する通信を扱う際に必ず直面する問題として、通信によって言っていることが食い違う場合があげられます。しかし、他方、これまた否定できない事実として、述べられていることが完全に一致している場合の方がはるかに多いということも指摘したいのです。
常に念頭に置いておかねばならないのは、一口に死後の世界といっても、無限の複雑さと奥行きがあるということです。イエスが「私の父の国には多くの住処(すみか)がある」と言っているのはそのことです。
考えてみますと、この小さな地球上の生活についても、ふたりが同じことを述べることは、まず有り得ないでしょう。都会に住んでいる人と大平原で生きている人とでは、その生活環境についての叙述には、私がこれまで読んできた霊界についての叙述のいかなる食い違いよりも大きな違いが生じることでしょう。
これまで私は、主として、そうした霊界から届けられたメッセージに関心を向けてきました。私は物質的な心霊現象にはあまり興味を抱きませんでした。そして多分、私ほどかずかずの霊界通信 – 印刷されたものからタイプで打ったものや手書きのものまでを読んだ者は、ちょっといないのではないでしょうか。
そのうちの多くは、それを取得した本人ですら、それが一体何なのか、どういうメカニズムで得られたものなのかが分からないまま、私に送られてきたものなのです。子供を通じて得られたものもありました。
それらに共通して言えることは、死後の世界の環境は地上世界と非常によく似ていること、潜在している能力や心に秘めた望みが自由に、何の束縛もなしに発揮されていくことを述べていることです。
生活環境について異口同音(いくどうおん)に語られているのは、足元が地球の地面と同じようにしっかりしていること、見かける花も動物も地上でよく見かけたものばかりであること、住居も、娯楽も、仕事もあるということです。
いずれにしても、キリスト教が説いている、大ざっぱで、面白くなさそうな天国(※)とは大違いです。
※ – 黄金の玉座に座すキリスト神のまわりでイエスと共に永遠に讃美歌をうたいつづけるという – 訳者。
正直に申せば、私がこれまでに読んだものの中には、ステッド氏のいう“ブルーアイランド”に相当する界層(※)に言及したものは見当たりません。ただ、ブルー(青)というのは癒やす作用をもつ色彩で、アイランド(島)といっても多分ひとつの界層なのでしょうから、本館につながった控えの間、といったところなのでしょう。
※ – 普通は“サマーランド”とか“パラダイス”と呼ぶことが多い。仏教でいう“極楽”に相当するとみてよかろう。本格的な霊界生活に備えて地上時代のアカを落とすための境涯である – 訳者。
睡眠とか栄養の補給といった生理的問題は、各自の魂の進化の程度による – 程度が低いほど生理的にも似ている、ということではないかと信じております。理由が何であれ、死の直後の環境が地上と非常によく似ているという事実を知ることは、人類にとって計り知れない意義がありましょう。
死への恐怖を取り払ってくれるのみならず、ご尊父のように突如として他界した場合に、あらかじめそうと知っていれば、戸惑わずに済むわけです。地上時代に間違った信仰を植えつけられていると、意識の切り換えや環境への適応のために、不愉快な体験を余儀なくさせられることになるのです。
ご本の幸運を祈っております。
1922年9月
父からの通信が届けられるまでの経緯
エステル・ステッド
1912年4月15日、“不沈”をうたい文句に建造されたばかりの英国の豪華客船“タイタニック号”が、皮肉にもその処女航海において北大西洋上で氷山と激突、2000余名の乗客のうち1500余名の生命とともに海の藻屑と消えました(詳しくは一章末解説参照)。そのころ私は、シェークスピア劇団を引き連れて興演旅行に出ている最中で、父・ウィリアム・ステッドもその犠牲者の中に入っておりました。
実は、団員のひとりにウッドマンという、霊感の鋭い男性がいて、その悲劇的な事故の起きる少し前の日曜日の午後、みんなで紅茶を飲みながら談笑している最中に、彼がその事故とおぼしきことを口にしていたのです。
船の名前も父の名前も言いませんでしたが、犠牲者の中に私と非常に近しい年輩の男性がいる、と述べていました。時間的にみて、その事故が起きたのはその後のことでしたから、ウッドマン氏は“これから起きる出来事”を予知していたことになるわけです。
そのことを殊さら紹介するのは、父の霊とウッドマン氏とのつながりは、すでにその時点から始まっており、本書に収められたメッセージを父が届けることができたのも、ほかならぬウッドマン氏の霊的能力(自動書記)のお蔭であり、そうしたいきさつは読者の皆さんにとっても興味ぶかいことであろうと考えるからです。
大惨事が起きてから2週間後のことです。多才な霊媒として有名なE・リート女史による交霊会(※)において、父が顔だけを物質化して出現する(※※)のを見ました。そして語る声も聞きました。その声は、タイタニック号に乗船する直前に私に別れを告げた時の声と同じように、はっきりとしておりました。父との話は30分以上にも及びました。
※ – 文字どおり“霊と交わる会”のことで、数人から十数人で家庭内で行なうのを家庭交霊会(ホームサークル)、大きな会場で数十人とか数百人を相手に行なう場合を公開交霊会(デモンストレーション)という。
デモンストレーションは主として霊視能力と霊聴能力で行なわれるが、ホームサークルでは霊の生前の声が聞かれたり、次の註にあるように、生前そのままの容貌や容姿全体が出現することがある – 訳者。
※※ – これを物質化現象という。霊媒の身体から抽出される神経細胞の一種に、霊界の特殊成分を混合して作られるエクトプラズムという半物質を霊体にまとうことによって姿を見せる現象。
顔とか手足だけの部分的現象と、全身がそっくり出現する全部的現象とがある。全部的現象で有名なのは、英国の物理化学者ウィリアム・クルックス博士が少女霊媒フローレンス・クックを使って自室で行なった実験に出現した、ケーティ・キングと名のる霊で、博士はそれを44枚の写真に収めて公表し、大センセーションを巻き起こした。人類史に残る画期的な事件だった。
これについては巻末の“訳者あとがき”で改めて取り上げるが、博士の報告書(リポート)によると、肌ざわりや話しぶり、動作などすべてが人間と少しも変わらず、手を取ってみると温かくて脈拍まで打っていたという。こうした事実は将来の研究テーマであろう。
エクトプラズムという用語はフランスのノーベル賞生理学者シャルル・リシェ博士が、“抽出された”という意味のギリシャ語エクトスと、原形質を意味するプラズマとで合成したもの – 訳者。
これを突拍子もない話と思われる方が多いでしょう。が、紛れもない事実なのです。出席していた何人もの人が証言してくれております。私はそれを記事にして雑誌に掲載していただきましたが、その時の出席者全員が署名入りで証人となってくれました。
その日から、10年後の今日まで、私は父と絶えず連絡を取り合っております。何度も語り合っておりますし、通信も受け取っております。その内容は、父が死後もずっと私たちの生活に関わっている確固たる証拠にあふれております。
はっきり申し上げて、タイタニック号とともに肉体を失って霊界入りした10年前よりも、むしろ現在の方が心のつながりは強くなっております。もちろん死の直後は、その姿が見えなくなったということだけで大きな悲しみを覚えておりましたが、その後は別離の情はカケラも感じなくなっております。
さて、1917年に、兵役期間を終えたウッドマン氏が私たちのもとに帰ってきました。そして、程なくして彼のもとに親友の戦死の報が届けられると、それまであまり関心を持たなかった死後の世界との交信に強い関心を寄せるようになりました。ぜひともその親友の霊との交信をしようと一生けんめいになったのです。いつの時代にも、愛する者の死は大きな探求への刺激となるようです。
間もなく、その友人の存続と、交信の可能性を示唆する確固たる証拠が得られました。最初の証拠が得られたのは、V・ピーターズ氏による交霊会においてであり、ひき続き、かの有名なオズボーン・レナード夫人、さらには霊媒能力をもつ友人を通じて、次々と証拠が得られました。
ピーターズ氏による交霊会には私も列席しておりました。その時は私の父も出現しました。ウッドマン氏の友人の霊が言うには、最初の交信の試みが成功したのは私の父がいて手助けしてくれたから(※)とのことでした。
※霊界から地上界へ通信(メッセージ)を届けるには、大きく分けて、“書く”方法 – 自動書記 – と“語る”方法 – 霊言・直接談話 – の2種類があるが、いずれの場合もさきの物質化現象の訳注で紹介したエクトプラズムが最大のエネルギー源となる。
といって、それを利用すれば誰にでも通信ができるかというと、これにも要領(コツ)があって、そう簡単にはいかないようである。
そこで、ピーターズ氏の友人の場合のように、他界して間もない霊が通信を送る場合は、ステッド氏のような霊に手助けしてもらうか、前出のレナード霊媒の支配霊フィーダのような、そういうことに馴れている霊に代弁または通訳してもらうかの、いずれかになる。
もちろんこれは“まじめな霊”の場合の話である。それ以外にイタズラ霊がそれらしく演技して適当にごまかす場合もあるから、用心が肝要である – 訳者。
そういう体験のすぐあとからウッドマン氏は自分に自動書記能力があることを発見し、彼を通じて、父をはじめ何人かの霊が通信を送れるようになりました。父はいつも私が同席してくれることを望みました。私がいないと、そうでなくても難しい通信がさらに難しくなるとのことで、私が不在の時は滅多に通信してこようとしませんでした。
その理由をこう説明してきました。父と私との間には波動的に非常に共鳴する要素があり、互いに緊密な連絡が取りやすいので、通信に必要なエネルギーを私から摂取するのだというのです。つまり私は父とウッドマン氏とをつなぐ連結役となっているわけです。
といって、私はただウッドマン氏のすぐ側に腰かけているだけで、何もしません。が、部屋にいる私たちふたりを包むような光輝をよく見かけます。そんな時、ウッドマン氏の右腕に1本の強烈な光線が射しているのが見えます。父自身の姿が見えることもあります。姿が見えない時でも、自動書記をしている間は父の存在をひしひしと感じます。
そうした要領で受け取った父からのメッセージは相当な量にのぼります。1918年には毎週1回、きちんと交霊会を開いた時期があり、第1次大戦がまだ終結していないこともあって、最前線の様子や、これからどう展開するかについての通信を得ておりました。
通常のニュース報道よりも何日も前に“予報”を受けていたことがしばしばありました。1度だけですが、来週の新聞の見出しはこう出る、と父が言ってよこし、事実その通りになったこともありました。
父とウッドマン氏との関係について、興味ぶかいと同時に、大切でもある事実をここで述べておきます。
父は、生前、ウッドマン氏とは1度しか会ったことがありません。それも父がタイタニック号で英国を発つ少し前に私がウッドマン氏を紹介した時で、その時も、二言か三言、言葉を交わしただけでした。
したがってウッドマン氏は、父のことを個人的には何も知りませんし、ましてや、父の著作や評論活動に関与したことは、まるでありません。にもかかわらず、ウッドマン氏が受け取ったメッセージの文体や用語が父のそれにそっくりなのです。
さらに面白いのは、文章を綴る時のクセまで父にそっくりだということです。ウッドマン氏は自動書記の最中は目を閉じており、ハンカチで押さえることもよくありました。部屋は薄暗くしてあり、すぐ側で見ている私にもその文章が読めないことがありましたが、用紙から文字がはみ出してしまうことは絶対にありませんでした。
明らかに父は、自分で書いたものをもう1度読み返しているようで、“i”の点や“t”の横棒をきちんと書き直しておりました。これは父の生前からのクセで、いったん書き終えた記事をもう1度読み返しながら、“i”の点や“t”の横棒を書き直していたものです。そのクセを知っているのは、私を含むごくわずかな人に限られており、ウッドマン氏が知っている可能性はまったくありませんでした。
そうした要領で受け取った長文のメッセージのうちのふたつが、すでにパンフレットになって公表されています。ふたつとも休戦記念日(11月11日)に父から送られてきたもので、ひとつは1920年に、もうひとつは翌21年に受け取ったものです。1920年のメッセージは予告なしに、いきなり届けられました。
記念日を前にした日曜日に、母と私、それにウッドマン氏を含む2、3の知人ばかりで紅茶を飲みながら、世間話に花を咲かせておりました。そこへ突然、父が入って来たのを私は感じ取りました。そして、書き送りたいメッセージがあるから用意をしてほしい、と頼んでいるように思えました。ひどくせっつかれる感じがしました。
しかし、その日は無理でしたので、明日の夜に、という約束をしました。ウッドマン氏はその夜の9時ごろ来てくれました。暖炉のそばでふたりで談笑していたところ、やがて父が入ってくるのを感じ取りました。そこで私たちもすぐさま自動書記の用意をしました。
生前の父はいつもそうで、ある大事な用事を思いつくと、もうそれ以外のことは一切考えず、それひとつに集中して、まわりの者を急かせるのです。ふたりの用意が整うと、いきなりウッドマン氏の手が動きはじめ、次のように綴りました。
「今、まとまった長文のメッセージを用意してきているのだが、そちらに異存がなければ、このまま続けて書き送らせてほしい」
そう述べたあと、一呼吸置いてから、猛スピードで書きはじめ、ほぼ30分ほどで書き上げました。そして私に、それを読み返して必要なところに句読点を入れてほしい、と指示してきました。
そう書き終えると、他のことは一言も述べずに、父はさっさと居なくなりました。私たちふたりにとってその30分間はまるで台風が通過したみたいでしたが、それだけの価値はありました。
翌日そのメッセージを印刷してセノタフ(※)を訪れた人に配布しました。翌1921年のメッセージも同じ要領で届けられ、ふたつともパンフレットに綴じて、休戦記念日の式典に参加した方全員に配りました。
※ – ロンドンにある第1次大戦戦歿(せんぼつ)者の記念碑。毎年、休戦記念日にその記念碑の前で式典が取り行なわれる – 訳者。
父が、本書に収められた通信を送りたいという意思表示をしてきたのは、その1921年のメッセージが送られてきてから間もなくのことでした。これは相当な分量になると直感した私たちは、そのつもりであることを第三者の霊媒を通して伝えてほしい、と要請しました。
父はそれを、レナード夫人の交霊会で出席者のひとりに伝えることによって約束を果たしました。一連の長文の通信を送りたいので、そのつもりで臨んでほしい – 内容は自分の霊界入りの様子と、その後の体験となる、ということでした。
ウッドマン氏も私も忙しい身で、こうした霊的なことに割ける時間は限られているために、ふたりの都合がうまく噛み合わないことがしばしばでした。そのため、父からのメッセージを受け取り終るまでに数か月を要しました。
受け取る要領はさきに述べたのと同じです。初めから本書の目次どおりに届けられたわけではありません。が、全体としての構成に関しては明確な指示が届けられておりました。
本書を書く意図に関しては、父自身が“まえがき”の中で述べておりますので、改めて述べる必要はないでしょう。ただ、父の当初の予定では、もっと長文のものを念頭に置いていたようです。
が、書いていくうちに、あまり長くない方が多くの人に読んでいただけるし、価格も安くて済むだろうと考えるようになったみたいです。いかにも父らしい考えであることは、父を知る人ならお認めになることでしょう。
以上、私は本書を構成している通信がどういう経緯で入手されたのか、そして又、それが間違いなく私の父ウィリアム・ステッドから届けられたものであることを確信する根拠は何かについて、簡略に述べさせていただきました。あとは読者の皆さんが本文をお読みいただいて判断していただければ、それで結構です。
きっと多くの方が、本書をただならぬものとお感じになるであろうことを、私は確信しております。願わくは、死後はどうなるかについて、従来のただの信仰とは異なる現実味のあるものに目覚められ、みずからの手でさらに確固たる証拠を求める努力をなさるようになっていただけば、本書に関わった3人、すなわち父とウッドマン氏と私にとって、それにまさる満足はございません。
1922年9月
まえがき
オカルト的なものや霊的なもの、要するに未知の力の働きに初めて接した人は、大いにうろたえるものです。大自然の神秘は本来は探求のよろこびを与えてくれるものであり、神秘的であること自体が探求と研究の刺激となり、未知なるものを征服し、それまでに知られていない、あるいは証明されていない分野についての知識を得たいと思わせるのが普通です。
しかしこのことは、どうやら死後の生命にまつわる神秘を扱う際には当てはまらないようです。どこか、“恐怖心”というものが付きまとうもののようです。大ていは地上時代に知り合っていた人、あるいは愛し合っていた人の霊に対する“心情的”なものにすぎないのでしょうが、それに“信仰的”なものが加わると、その霊にとって有害となるのではないかとの恐れが伴うのです(※)。
※ – キリスト教では死後は“最後の審判日“まで墓地で眠っているとの信仰があり、それゆえ、霊と交信することはその霊の安眠を妨げることになると考えて、交霊会を邪道であると主張する – 訳者。
見方によっては、そうした心情は一概にいけないこととも言えません。利己心がないことの証拠であると言えます。そういう理由から交霊を控える人は、向上の可能性を秘めている人と見ることもできます。そういう謙虚な心の持ち主が本格的に真理の探求に乗り出せば、大いなる援助を受けて飛躍的に進歩します。
他方、神秘的直観によって神との直接の接触を求められるとする思想に染まった人は、そんな死者の殻にすぎないものと接触することを気味悪がります。さらには、未熟で無教養であるがゆえの無知“が恐怖心を生んでいる場合もあります。学校教育を受けていないという意味ではありません。霊的なものを理解する感性に欠けているという意味です。
その種の人たちに対して深甚なる同情を禁じ得ないのですが、私の場合は地上時代からそういう人々を気の毒に思い、死後の世界の実相について啓発したいと努力してまいりました。物的生活のさまざまな制約から思うにまかせませんでしたが、このブルーアイランドに来てからも、引き続き啓発の仕事にたずさわっており、その仕事の量と行動範囲は地上時代の比ではありません(※)。
※ – 死んで霊の世界へ行けばみんな霊的実在に見覚めると思うのは大間違いである。いちばん不思議なのは、死んだことに気づかずに地上時代と同じ生活の場をうろつきまわり、家族も含めて誰も自分のことをかまってくれないので、自分の方が失語症にでもなったのかと思い込んでいる者すらいることである。
たとえ死んだことに気づいても、地上との悪縁が断ち切れずに、実質的に地上的波動の世界に生きている者もいる。たとえば死刑囚などが復讐心を抱きつづけている場合などである。
その他には、さきの“註”で指摘したように、地上時代の間違った信仰が足枷(あしかせ)となって、向上進化を妨げられている場合や、知性が強烈すぎて、自分の想像した宇宙観、一種の想念の世界に閉じ込もったきり、何百年も何千年も過している者もいるという。これをある通信では“知的牢獄”と呼んでいる。
ステッドが“引き続き啓発の仕事にたずさわっている”と述べているのは、そうした霊界での“落第生”を相手にした仕事のことである – 訳者。
私はまずまずの成功をおさめたと申してよいかと思っております。と言っても、多くは理解(さとり)へ導く霊的知識の階段の、やっと途中まで来た程度です。
私は今“幸せへ導く”と書こうとして、“幸せ”を“理解”に置きかえました。幸せというものの捉え方は人によってまちまちだからです。地上の人たちが用いている意味での幸せは、人生の存在理由(レーゾンデートル)とは言えません。
幸せになるために地上に存在しているのではないということです。幸せとは、成し遂げた仕事、達成した進歩、人のために尽くしたサービスに対する報いとして味わうものです。それを生み出すのが“理解”なのです。
今も述べた通り、こちらへ来てからの私の仕事はまずまずの成果をあげておりますが、このたびの企画は、こちらへ来てから新たに手にした霊的知識を、私の体験をまじえて皆さんにお届けすれば、私が人類のためを思って手がけてきた仕事をさらに1歩押し進めることになると信じた上でのことです。
パケスこれから私がお届けするものに興味をもってくださる方は多いことでしょうが、さらに多くの方にとっては、何の意味もなさないかも知れません。でも、私が課題として持ち出すものは、その気になれば、ある程度まで自分でその真実性を吟味することができるものにしたいと考えております。霊的直観力によって判断できるという意味です。
読むに値するメッセージ – 神がその無限なる愛によって、私をその通路となることをお許しになった言葉であることを直観なさるはずです。本書は、生命の神秘に関する“私の考え”を述べたものではありません。私が説明したものにすぎません。
全体としてキリスト教的色彩は免れないと思います。が、その解釈は、一般に受け入れられている伝統的キリスト教とは異なります。たとえばキリスト教では罪を悔いてイエスへの忠誠を誓えば、死後ただちに天国へ召されると説きますが、これはとんでもない間違いです。
“死”はひとつの部屋から別の部屋へ移る通路にすぎません。ふたつの部屋は装飾も家具の配置もひじょうによく似通っております。そこが大事な点で、皆さんにぜひ理解していただきたいことです。この世もあの世も、同じ神の支配下にあるのです。同じ神が全界層を経綸(けいりん)しておられるのです。
第1章はやはり、肉体を離れてこちらへ到着する時の様子から始めることになるでしょう。今も言った通り、本書で述べられることは、多くの人から関心を寄せられることでしょう。そして、これが精神的な救いになる方も、少数ながらいらっしゃるでしょう。
この企画に関与する者たち(※)が意図している目標は、実はその少数の人たちなのです。あまり学問的になりすぎないように心掛けるつもりです。すべて、健全な常識でもって判断すれば納得がいくものばかりです。真実なるものは、無きものにしようとしてもムダです。
※ – この言い方から判断して、やはり相当数から成る霊団が結成されていたものと察せられる。ステッドがその中心的支配霊だったのであろう – 訳者。
全体を通じて私は簡潔ということをモットーにしました。煩(わずら)わしい内容をこまごまと解説したものは敬遠する人でも、簡潔で短かいものなら読んでくださるだろうという、ただそれだけの理由からです。
最後に申し上げておきたいのは、興味をもたれる方も無関心の方も、つまりスピリチュアリズムと呼ばれている大問題の真実性を信じている人も、疑問に思っている人も、ともに今なお地上に存在する身の上であり、従ってそれ相当の義務を背負っているということです。
日々の生活があり、為すべき仕事があります。死後の世界がいく明るく美しいからといって、現実の生活を疎(おろそ)かにしてはなりません。心の片隅に明日の楽しみを宿しながら今日を生きるというのが、正しい生き方でしょう。
又、スピリチュアリズムの現象面は必ずしも万人向きではないということも忘れないでいただきたいと思います。霊界通信というものを、心霊現象を基盤とした上で理解することができないタイプの人が多いのです。霊の教えということだけで有り難く読むだけで、その真実性の根拠としての現象には関心をもたないのです。
そういうタイプの人にとっては書物と他人の体験から得る知識だけで十分であり、むしろそれ以上深入りしない方が賢明でしょう。その意味でもスピリチュアリズムは万人に押しつけるべきものではないわけです。
ウィリアム・ステッド
1章 タイタニック号の沈没直後
地上時代の、それもずいぶん昔の話ですが、私は以心伝心(テレパシー)の可能性を論証した新刊書『生者の幻像』(※)の紹介記事を見てさっそく買い求め、何度も何度も読み返して、その真実性を認めざるを得なくなりました。
その率直で実例に即した解釈に、非常な感銘を受けたものです。それが私にとって、スピリチュアリズムという途方もなく大きな課題に積極的な関心を抱くことになる最初の動機でした。
その時以来、スピリチュアリズムの真実性を証明し、その知識を広めるために、私は出来るかぎりの努力をしてまいりました。スピリチュアリズムについては、すでにご存知の方も多いことでしょう。
まったく馴染(なじ)みのない方でも、その気になれば、知るための資料ならいくらでも入手できます(※※)。そこで、地上時代の私のスピリチュアリズムとの関わり合いについては省略して、このブルーアイランドに来てからの地上世界との関わり合いについて述べることにしましょう。
※ – Phantasms of the Living(未翻訳)。これは、古典学者で心理学者のフレデリック・マイヤースと、郵政省の役人で作家のフランク・ポドモア、それに音楽家で医学者のエドマンド・ガーニーの3人の共同研究をまとめたもので、直接執筆したのはガーニー。
タイトルからは、生者と生者との間の想念の伝達が実在することを論証したかの印象を受けるが、伏線として、生者と死者との間の思念の伝達の可能性の証明にもなっていた。
その証拠に、マイヤースの晩年の大著『人間の個性とその死後存続』Human Personality and Its Survival of Bodily Death(未翻訳)の第7章が Phantasms of the Dead すなわち“死者の幻像”となっている。なお、テレパシー(以心伝心)やスーパーノーマル(超常)といった用語はマイヤースの造語である – 訳者。
※※ – 日本にスピリチュアリズムを紹介した草分けは浅野和三郎であるが、その後の新しい資料を豊富に使用して私が総合的にまとめた『人生は霊的巡礼の旅』(ハート出版)が、入門書としては最適であろう – 訳者。
地上時代にスピリチュアリズムとの出会いによって驚くと同時に感動したのと同じように、私は、今度はこちらへ来てみて、地上時代に得た霊的知識が重要な点において100パーセント正確であることを知って、驚き、かつ感動しました。そうと知った時の満足はまた格別でした。学んでいた通りなので、驚きと喜びを同時に感じたものでした。
と言うのも、根本的には絶対的な確信があったとはいえ、細かい点で不安に思うことが幾つかあったのです。それだけに、実際にこちらへ来てみて、それが“まさか”と思えるほど、私の予想を裏切って現実であることを知り、満足したわけです。どこか矛盾しているように思われる方がいるかも知れません。確かに矛盾しているのです。
と申すのも、私の地上時代の不安は、もしかしたら霊の世界には地上とはまったく異なる存在原理があって、地上界へ届けられる霊界の事情は、人間に理解できるように表現されているのであって、あるがままを正確に叙述したものではないのではないかという推察に根ざしていたのです。ところが現実は、地上とそっくりでした。
私が地上を去って霊界入りする時の様子については、ここではあまり述べたくありません。すでに、いろんな場所で何度も述べております。死の瞬間は、当然のことながら、大変な混乱状態となりました。が、それが治まってからは、死後の後遺症のようなものは、2度と体験しておりません。が、その死の瞬間のことは述べる気になれません。
何よりも私が驚いたのは、あの混乱状態の中にありながら、他の溺死(できし)者の霊を私が救出する側のひとりであったことです。私自身も本当は大変な状態にあったはずなのに、他の霊に救いの手を差しのべることができたという、その絶妙の転換は、率直に言って、まったくの驚きでした。
その時の事情が事情でしたから、なぜだろう?何のために?といったことを考える余裕はありませんでした。そんな疑問が顔をのぞかせたのは、少し後のことです。
落ち着く暇もなく、私をさらに驚かせたのは、とっくの昔に他界したはずの知人・友人が私を迎えてくれたことです。死んだことに気づく最初の原因となったのはそのことでした。そうと知って、どきっとしました。
次の瞬間、私は、自分で自分を点検しておりました。一瞬のうろたえはありました。が、それはホンの一瞬のことです。すぐに落ち着きを取り戻すと、死後の様子が地上で学んでいた通りであることを知って、何ともいえない嬉しい気持になりました。ジャーナリストの癖で、一瞬、今ここに電話があれば!と、どんなに思ったことでしょう。その日の夕刊に特集記事を送ってやりたい気分でした。
以上が、他界直後の私の意識的反応です。それからその反動ともいうべき変化が生じました。茫然自失の心境になり、やがて地上の我が家のことが気になりはじめました。その時点では、タイタニック号沈没のニュースはまだ入っていなかったはずです。
ニュースを聞いたら家族の者はどう思うだろうか。その時の私の心境は、自分はこうして無事生き続けているのに、そのことを知らせてやるための電話が故障して使いものにならないという、じれったさでいっぱいの状態に似ていました。
そのとき私は沈没の現場に来ておりました。他界後のことを長々と述べてきましたが、時間的にはまだ何分も経っていなかったのです(※)。地球のすぐ近くにいましたから、その現場のシーンがありありと見えるのです。
沈没していく船体、ボートで逃げる船客そのシーンが私を自然と行動に移らせたのです。救ってあげなくては!そう思った次の瞬間には、私は茫然自失の状態から覚めて、水没して肉体から離れていく人たちを手引きする役をしておりました。
※ – 地上での時間は太陽と地球との関係から割り出された単位を基準にしていて、地上界特有のものであり、普遍性も実在性もないのであるが、われわれは知らず知らず、それを普遍的なもの、実在するものと錯覚している。ために、時間というものが存在しない、時の経過もない、ただ成長と進化と環境の変化しかない霊界との間に、人間には信じられないような食い違いが生じることがある。たとえば、次のような体験をどう理解なさるであろうか。
日本のある心理学者から聞いた話であるが、ある男性が車にはねられて2、3メートル先に飛ばされた。その、はねられて2、3メートル先の地面に落ちるまでの一瞬の間に、それまでの何十年かの人生がビデオで見るように、眼前に展開したという。「本人がそう言うのですから、間違いなく見たのでしょう」と、その心理学者は言っていた。
もうひとつ、これは英国人の体験話であるが、ガケから足を踏みはずして2、30メートル下に転げ落ちた。もう死ぬ!と思った次の瞬間に、それまでの人生での主な対人関係を思い出した。あれは自分が悪かった、いや、これは絶対に間違っていない、と、そのひとつひとつについて判断を下したという。
いずれも、その一瞬の間だけ肉体から離れて、霊的感覚でそれを見たのである。モーツァルトは、演奏すると1時間以上もかかるシンフォニーを一瞬のうちに聞いて、それを記憶していたという。こういうのをインスピレーションというのであろう – 訳者。
自分でも何が何だかさっぱり分からないのですが、私は必死になって手引きして、大きな乗り物とおぼしきものに案内してあげました。やがて、すべてが終了しました。まるで得体の知れない乗り物が出発するのを待っている感じでした。言わば、悲劇が完了するのを待っていたようなものです。ボートで逃れた者はもちろん生きて救われました。が、溺死した者も相変らず生きているのです。
そこから妙なことが起こりました。その得体の知れない乗り物 – というよりは、われわれが落ち着いた場所全体が、いずことも知れぬ方向へゆっくりと移動を始めたのです。
そこに集まっている人たちの情景は、それはそれは痛ましいかぎりでした。死んだことに気づいた者は、あとに残した家族のことと、自分はこれからどうなるかが不安のようでした。このまま神(ゴッド)の前へ連れて行かれて裁きを受けるのだろうか – どんな裁きが下されるのだろうかと、おびえた表情をしておりました。
精神的ショックで、茫然としている者もいました。何が起きたのかも分からず、無表情でじっとしています。精神がマヒしているのです。こうして、新しい土地での評決を待つ不思議な一団がそこに集まっておりました。
事故はほんの数分間の出来事でした。あっという間に大変な数(1500余名)の乗客が海に投げ出されて溺死し、波間に漂っておりました。が、その死体から脱け出た霊が次々と宙空へと引き上げられていったのです。生きているのです。中にはすこぶる元気なのもいました。
死んだことに気づきながらも、貴重品が惜しくて手に取ろうとするのに、どうしても摑めなくて、かんしゃくを起こしている者もいました。地上で大切にしていたものを失いたくなくて必死になっているのでした。
もちろん、タイタニック号が氷山と激突した時のシーンはあまりいいものではありませんでしたが、否応なしに肉体から救い出されて戸惑う霊たちの気の毒なシーンは、その比ではありませんでした。胸がしめつけられる思いのする、見るにしのびない光景でした。
その霊たちが全て救出されてひとつの場所に集められ、用意万端が整ったところで、新しい土地(ブルーアイランド)へ向けて、その場全体が動き出したのです。
奇妙といえば、こんな奇妙な旅も初めてでした。上空へ向けて垂直に、物凄いスピードで上昇していくのです。まるで巨大なプラットホームの上にいる感じでした。それが強烈な力とスピードで引き上げられていくのですが、少しも不安な気持がしないのです。まったく安定しているのです。
その旅がどのくらいかかったか、又、地球からどれくらいの距離まで飛んだのかは分かりません。が、到着した時の気分の素敵だったこと!うっとうしい空模様の国から、明るく澄み切った空の国へ来たみたいでした。全てが明るく、全てが美しいのです。
近づきつつある時からその美しさを垣間(かいま)見ることができましたので、霊的理解力の鋭い人は、たぶん急逝した者が連れて行かれる国なのだろうなどと言っておりました。神経的にまいっている新参者が、精神的なバランスを取り戻すのに適した場所なのです。
いよいよ到着するころまでには、みんな一種の自信のようなものを抱くようになっておりました。環境のすべてに実体があること、しっくりとした現実感があること。今しがたまで生活していた地上の環境と少しも変らないことを知ったからです。違うのは、全てが地上とは比較にならないくらい明るく美しいことでした。
しかも、それぞれに、かつて地上で友人だった者、親戚だった者が出迎えてくれました。そして、そこでタイタニック号の犠牲者は別れ別れになり、各自、霊界での生活体験の長い霊に付き添われて、それぞれの道を歩みはじめたのでした。
注釈 – 他界直後の体験、すなわち死後の目覚めの様子を綴った霊界通信を数多く翻訳してきた私も、これほど劇的な内容のものは初めてである。死に方が異なれば死後の目覚めも異なった形を取るのは当然であるが、大惨事でおびただしい数の犠牲者が出た場合は、地上でも救出活動が大々的に行なわれるように、霊界においても“見えざる力”によって大規模な救出活動が行なわれることが、これでよくわかる。
これに関連した話で興味深い記録を紹介しておく。ステッドはそれから4
年後の1916年に、米国の精神科医カール・ウィックランド博士が行なっていた招霊実験会に出現している。招霊というのは文字どおり“霊を招いて”霊媒に乗り移らせ、その発声器官を使ってしゃべってもらう一種の霊言現象である。
ステッドは、事故以来ずっと、自分が死んだことに気づかずに迷い続けている霊を覚醒させる仕事にたずさわっていたが、どうしても手に負えない時はこの招霊の手段を取ることがあった。以下は博士の記録の一部である。
まずステッドが出て簡単な事情を説明したあと、別の霊がまるで海に投げ出されて必死に助けを求めているような状態で出現した。
霊「助けてくれ!助けてくれ!」
博「どちらから来られましたか」
霊「今ここを出て行った人が、ここに入れと言うものですから来ました」
博「海の中にいたのですか」
霊「溺(おぼ)れたのです。でも、また息を吹き返しました。今の方の姿は見えないのですが、声だけは聞こえました。“ここに入りなさい。そのあといっしょに行きましょう”と言ったのです。ですが、どこにいるのか分かりません。目が見えなくなってしまった!何も見えない!海の水で目をやられたのかも知れませんが、とにかく見えません」
博「それは霊的な暗闇のせいですよ。死後にも生命があることを知らずに肉体から離れた人は、暗黒の中に置かれるのです。無知が生む暗黒です」
霊「今、少し見えるようになりました。少し見えかけては、すぐまたドアが閉められたみたいに真っ暗になるのです。妻と子供のそばにいたこともあるのですが、ふたりとも私の存在に気がつきませんでした。今はドアが開いて寒い戸外に閉め出されたみたいな感じです。わが家に帰っても孤独です。何かが起きたようには感じてますが、どうしてよいのか分かりません」
博「ご自分が置かれている状況がお分かりにならないのですか」
霊「一体、私に何が起きたのでしょうか。この暗闇は何が原因なのでしょうか。どうしたら脱け出せるのでしょうか。自分のことがこんなに思うようにならないのも初めてです。いい感じになるのは、ほんのいっときです。今、誰かの話し声が聞こえます。おや、さっきの方が見えました。ステッドさんとおっしゃってましたね?」
博「そうです。あなたが来られる前にステッドさんがその身体(霊媒)で挨拶されたのです。あなたをここへご案内したのはステッドさんですよ。ここに集まっている者は、あなたのように暗闇の中にいる霊に目を覚まさせてあげる仕事をしているのです」
霊「ひどい暗闇です。もう、ずいぶん長い間この中にいます」
博「いいですか、“死”というものは存在しないのです。地上で始まった生命は肉体の死後も続くのです。そして、その霊の世界では、人のために役立つことをしないと幸せになれないのです」
霊「たしかに私の生活は感心しなかったと思います。自分のためにだけ生きておりました。楽しいことばかり求めて、お金を使い放題使っておりました。このところ、自分が過した生活ばかり見せられております。見終ると真っ暗になります。それはそれはひどい闇です。過去の生活のひとつひとつの行為が目の前に展開し、逃げ出そうとしてもダメなのです。ひっきりなしにつきまとって、なぜこんなことをしたのかと責め立てます。たしかに、今思うと、わがままな選択ばかりしていたことが分かります。ですが、後悔先に立たずで…」
博「地上で自分本位の生活ばかりしていた人は、大てい霊界へ行ってから暗闇の中に置かれます。あなたはこれから霊界のすばらしい側面を勉強して、人のために役立つことをすることが、霊の世界の大原則であることを理解しないといけません。その時に味わう幸せが“天国”なのです。天国とは精神に生じる状態のひとつなのです」
霊「なぜそういうことを地上で教えてくれないのでしょうか」
博「そんな話を、地上の人間が信じるでしょうか。人類は、一握りの人を除いて、大体において霊的なものを求めず、ほかのこと、楽しいこととお金になることばかり求めます。霊的真理は求めようとしないものです」
霊「何となく奇妙な感じがじわじわと迫ってくるみたいです。おや、母さん!母さんじゃないの!ぼくはもう大人なのに、何だか子供に戻ったみたいな感じがする。ずいぶん探したんだけど、ぼくはずっと暗闇の中で生活していて…なぜこんなに見えないのでしょう?この目、治ると思いますか、母さん?このままずっと見えないままですかね?母さんの姿は見えるのに、それでも盲目になったような感じがするのは変だと思わない?」
博「あなたは肉体が無くなって、今は霊的な身体に宿っているのです。だから、その霊体の目が開けば霊界の美しいものが見えるようになるのです」
霊「あそこにステッドさんがいるのが見えます。同じ船に乗り合わせた方です。なのにステッドさんは暗闇にいるように見えませんが…」
博「あの方は地上にいた時から霊界のことや、こうして地上へ戻ってこれることを、ちゃんと知っておられたのです。人生というのは学校のようなものです。この地上にいる間に死後の世界のことを出来るだけたくさん知っておかないといけないのです。霊界へ行ってから辺りを明るく照らす光になってくれるのは、生命の問題について地上で学んだ知識だけなのです」
霊「そういうことをなぜ誰も教えてくれなかったのでしょうか」
博「では、もし誰かがあなたにそんな話をしていたら、あなたはそれを信じたと思いますか」
霊「私がつき合った人の中には、そういう知識をもった人はいませんでした」
博「今年は何年だと思いますか」
霊「1912年です」
博「実は1916年なのです」
霊「では今まで私はどこに行ってたのでしょう?お腹は空くし、寒くて仕方がありませんでした。お金はたっぷりあったのです。ところが最近は、それを使おうと思っても手に取れないのです。時には暗い部屋に閉じ込められることもあります。その中で見せられるのは、過去の生活ばかりなのです。
私は決して悪いことはしておりません。ですが、いわゆる上流階級の人間がどんなものかは、あなたも多分ご存知と思います。私はこれまで“貧しい”ということがどういうものかを知りませんでした。今回のことは私にとってまったく新しい体験でした。なぜ世の中は、死ぬ前にそれを思い知らされるようになっていないのでしょうか。地上で思い知れば、私のように、今になってこんな苦しい思いをせずに済むでしょうに…」
博「お母さんやお友だちといっしょに行って、その方たちが教えてくださることをよく理解してください。そうすればずっとラクになります」
霊「ステッドさんの姿がはっきり見えます。あの方とはタイタニック号で知り合ったのですが、お話を聞いていて、私には用のない人だなと思っておりました。年齢もかなり行っておられたようでしたので、霊的なことを趣味でやっておられるくらいに考えたのです。人間、年を取ると、ひとつやふたつの趣味をもつものですからね。
私にはそんなことに興味をもっている余裕はなかったのです。お金と、お付き合いのことしか関心がありませんでした。貧しい階級の人に会う機会がありませんでしたし、会う気にもなりませんでした。今はすっかり考え方が変わりました。ところが、こちらはお金に用のない世界です。
母が私を待ってくれています。いっしょに行きたいと思います。何年も会っていないものですから、うれしいです。母が言ってます – これまでの私は気の狂った人間みたいに、まったく言うことを聞かないで、手の施しようがなかったのだそうです」
博「お名前を伺いたいのですが」
霊「ジョン・J・Aと申します。皆さん方とのご縁をうれしく思います。お心遣いに深く感謝いたします。今やっと、これまで思いもよらなかったものが見えるようになり、聞こえるようになり、そして理解できるようになりました。母たちが迎えにやってきました。あのきれいな門を通り抜ければ、きっと私にとっての天国へ行けるのでしょう。
改めて皆さんにお礼を申し上げます。いつの日か、もう1度戻ってこれることを期待しております。さようなら」
C.Wickland : Thirty Years Among the Deadより(ハート出版にて近刊予定)
史上最大の船舶事故はこうして起きた
飛行機による旅客輸送がまだ夢物語だった1900年前後は、客船による輸送でヨーロッパの各社がスピードを競い合っていた。
中でも人気の高かったのは北大西洋横断航路だったが、英国のホワイト・スター社はスピードから豪華さへと方針を切りかえた。その第1号がタイタニック号だった。全長260メートル、幅28メートル、総トン数4万6000トン、1等船室と2等船室には専用のエレベーターが付いており、レストラン、体育室、プールといった最新の設備で豪華さをきわめていた。
その処女航海は1912年4月10日、サウサンプトン港を出発してニューヨークへ向かった。乗船者数2201名(2208名という説もある)。1等船室には上流階級、大富豪、高官、著名人などが、2等船室には中流階級の一般人が、そして3等船室には新大陸に夢を託した移民たちが乗っていた。
その時期はグリーンランドなどからの氷山が南下してくるので、北大西洋航路のいちばん危険な季節とされていた。案の定、14日の午前9時に近くを航行していた船から最初の流氷警報が届けられていた。が、なぜか – これが今なおナゾのひとつとされているのであるが – タイタニック号は全速に近い22ノット(時速41キロ)で航行を続けている。
その日午後9時40分にふたつ目の警報が入り、さらに11時30分に3つ目の、そして最後の警報が入っているが、無線士は乗客から依頼されたメッセージの打電に忙殺されて、それを見ていなかったという。
しかも、ささいなことのようで致命的原因となった事実として、マストの見張り番が双眼鏡をサウサンプトン港で積み忘れていたために、肉眼でしか見られなかったことが挙げられる。氷山に気づいた時、距離はわずか400メートルしかなく、あっという間(37秒)に右舷前半部の船腹が氷山と接触、7メートル下を100メートルも切り裂かれながら進行して、やっと止まった。午後11時40分頃のことだった。
“不沈”をうたわれ、またそう信じ込んでいたためであろうか、船長が沈没の危険に気づいて遭難信号を出すよう指令したのは、30分以上もたった午前0時15分だったという。その間、乗客のほとんどが事故にすら気づいていなかったという。
午前1時ごろから沈みはじめたタイタニックは、完全に水中に姿を消すまでに1時間以上もかかっている。救助されたのは救命ボート14隻、カッター2隻、救命いかだ2個による711名で、初めからあきらめて救命胴着を夜会服に着がえて船と運命をともにした人もいたという。楽団が最後まで演奏をつづけた話は有名な語り草となっている。
(参考資料「ニュートン」4月号(教育社)、「エンサイクロペディア・アメリカーナ」その他。)
タイタニック号の宣伝用パンフレット
The New White Star Liner,
R.M.S.“TITANIC”
is the largest vessel in the world.
It is not only in size but also in the luxury of her appointments that the“Titanie”takes first place among the big steamers of the world. By the provision of VINOLIA OTTO TOILET SOAP for her first-class passengers the“Titanic”also leads as offering a higher standard of Toilet Luxury and comfort at sea.
VINOLIA OTTO TOILET SOAP
is perfect for sensitive skins and delicate complexions. Its rich, cleansing lather soothes and softens, and for regular Toilet use there is no soap more delightful.
VINOLIA COMPANY LTD..
STATE ROOM, R.M.S.TANIC
LONDON AND PARIS.
2章 ブルーアイランドに到着
前章では死の直後の様子と、ブルーアイランドへ連れてこられる道中のことを、少しばかり述べました。本章ではブルーアイランドに到着した時の最初の印象と体験を2、3述べてみたいと思います。
最初に述べておきたいのは、これから述べる体験が、タイタニック号が沈没してからどれくらいたってからのことなのか、感覚的によく分からないということです。時間的には連続していて断絶はないように思えるのですが、どうもその辺がはっきりしません。
さて、私にはふたりの案内役が付き添ってくれました。地上時代の友人と、もうひとりは実の父親でした。父は私と生活を共にし、援助と案内の役をしてくれました。何だ私には外国へ来て親しい仲間と出会ったという感じがする程度で、死後の再会という感じはしませんでした。それがその時の正直な心境です。
つい今しがた体験したばかりの忌まわしいシーンは、もう遠い過去へ押しやられていました。死の真相がわかってしまうと、そういう体験の怖さもどこかへ消えてしまいました。
つい昨夜のことなのに、まるで50年も前のことのように思えました。お蔭でこの新しい土地での楽しさが、地上に残した者との別れの悲しさによって半減されるということにならずに済みました。
タイタニック号の犠牲者の全員がそうだとは申しません。少なからざる人々が不幸な状態に置かれたことでしょう。が、それも、ふたつの世界の関係(つながり)について何の知識も持たないからにほかなりません。
そういう人たちは、ふたつの世界の間で一体どういうことが起こりうるのかを知らなかったわけです。それを知っていた私のような者にとっては、旅行先に到着して便りを書く前に、“ちょっとそこいらを見物してくるか”といった気楽な気分でした。悲しい気分など、まったくありませんでした。
さて、これから述べるブルーアイランドにおける私の最初の体験は、少し細かい点まで述べようかと考えおります。有り難いことに、私には地上時代のユーモアのセンスが今もあります。ですから、私の話を読まれて、その突拍子のなさに可笑(おか)しさを覚える方がいても、私は少しもかまいません。むしろ苦笑を禁じ得ないものを見出してくださるほうが有り難いくらいです。
そういう印象をもってくだされば、こちらへ来た時に“なるほど”と思って得心なさることでしょう。ですから、にが笑いをなさっても、私は「結構ですよ、どうぞお笑いください。私は別に腹は立ちませんので…」と申し上げましょう。
父と私、それに友人の3人で、さっそく見物に出かけました。その時ふと気づいたのですが、私は地上時代のお気に入りの普段着を身につけておりました。一体どうやって地上から持ち運んだのだろうかと、不思議でなりませんでした。
そう言えば父も、地上で私が見慣れていた服装をしておりました。何もかもが、そして見かける全ての人が、ごく自然 – 地上とそっくりなのです。
出かけてしばらくして一服すると、自然、話が地上と霊界の知己のこと – 私にとっては私より先に他界した知り合いたち、父たちにとっては後に残した人たち – のその後の消息のことになりました。互いに情報を交換しあい、とくに私の場合は、この世界を支配している摂理についての教えを受けました。
もうひとつ私にとって印象ぶかかったのは、その土地全体が青味(ブルー)がかっていることでした。英国は何色かと問われると返答に困りますが、強いて言えば、緑がかった灰色とでも表現できましょうか…が、この土地には歴然として色彩があります。文句なしにブルーなのです。
明るい色合いの濃いブルーです。住民や住居や樹木までがブルーという意味ではありませんが、全体から発せられる印象が“ブルーの国”なのです。
そのことを父に訊ねてみました。(余談ですが、父は地上にいた時よりも動作がきびきびしていて、若返って見えます。父子というよりは兄弟のような感じすらしました。)すると父は、この界層を包む光の中にブルーの光線が圧倒的に多く含まれているためにそう見えるのであって、ここは精神的な回復を得るのに絶好の土地なのだ、という説明をしました。
“まさか!”と思われる方が多いことでしょう。しかし、よく考えてみられるとよろしい。地上にも、このあたりはかくかくしかじかの病気によろしいと言われる土地があるではありませんか。地上界と死後の世界の違いを、あまり大げさに考えてはなりません。わずかに1歩だけ上の段階 – それもごく小幅の差しかありません。
そうやって1歩1歩、向上と進化を重ねていくのです。人間がそうであれば、その人間が生活する環境もそうです。死の直後の世界は、地上界を申し分のないものに仕上げたものにすぎないと考えてください。
さて、ブルーアイランドを見物しているわれわれ3人は、そこに生活する他の人々と比べて、どちらかというと珍しいタイプに属していたと言ってよいでしょう。そこにはありとあらゆる状態に置かれた、ありとあらゆる肌色をした、ありとあらゆる人種の、大小さまざまな人間がいました。その人たちが自由闊達に動き回っているのです。
ただし、ここで生活している人たちは、自分のことを第一に考えた行動をしています。自我を確立することに専念しているのです。地上では自分中心主義はいけないことですが、ここでは“そうでないと”いけないのです。本人にとっても、全体にとっても、そうでないといけないのです。そうしないと進歩、というよりは精神的回復が望めないからです。
そうやって各自が自分の精神的確立に専念することによって、結果的にブルーアイランド全体に平穏が行きわたることになります。他人のことは一切かまわないのです。自分のためだけを考えて、他の存在をほとんど意識していないのです。
そこで見かけた人の中に、私の知っている人は多くはいませんでした。最初に私を出迎えてくれた人たちも、いつの間にか姿を消して(※)、父と友人だけになっておりました。そうと知っても別にさびしくは感じませんでした。むしろそのことが、旧交を温めていないで新しい環境へ関心を向けさせることになりました。
※ – このブルーアイランドは“中間境”とでもいうべき界層で、ここを卒業して“本土”というべき界層へ入っていくと、地上とは比較にならない、活潑な活動の世界が待っているというのが、信頼のおける霊界通信が一致して述べているところである。
ステッドも後半の通信でそのことに言及しているが、そうなると地上との縁が薄れるのかというと決してそうではなく、むしろ上層界の事情にも下層界の事情にも、“通じる範囲”が広がるという。
そんな次第で、かつて地上で縁故のあった人間が他界する時は、すぐにそれを察知して、その中間境まで出迎えに降りてきてくれる。それは、ただ懐かしいからという情緒的な要素もないわけではないが、死んだことを自覚させる目的も兼ねているので、一見してそれと知れるように、死んだ時の風貌(ふうぼう)や服装を身につけているのが通例である。が、用事が終ると、それぞれの本来の所属界へと帰っていく。
そうした霊にとって残念なのは、せっかく出迎えてやっても、本人が地上的なしがらみや間違った信仰、極度の悲しみや憎しみを抱いたりしていると、その存在に気づいてくれないことだという。その種の人間がいわゆる“地縛霊”となっていき、地上の縁ある人たちに良からぬ影響を及ぼすことになるのである – 訳者。
当時私がいたところには海もありました。その海岸に沿って3人で散歩をしたこともありました。右手に大きな建造物があり、左手に海がありました。地上でいうリゾートとは趣きが違いますが、とても穏やかな素敵な景勝地です。全てが明るく輝いており、例によって大気のブルーが際立っておりました。
どれだけ歩いたかは記憶にありませんが、その間、私にとってのこの新しい世界の事情について、あるいは地上に残した家族のこと、そして、こうして立派に生き続けている事実をどうすれば知らせてやることができるかについて、語り合いました。よほどの距離を歩いたことは間違いありません。
かりに地球上の人類のすべて、気候のすべて、景色のすべて、建物のすべて、そして動物のすべてを英国くらいの広さの地域に集めた図を想像してみてください。その時の私が置かれていた土地のおよその見当がつくものと思います。
皆さんは霊界というと非現実的で夢のような世界を想像なさるに相違ありません。が、そうではないのです。皆さんが外国へ行くのとまったく同じです。地上と同じように実体があるのです。おまけに、比較にならないくらい興味のつきない世界です。
が、あまり細かい点まで深入りせずに、その新しい土地の概略を述べるに留めたいと思います。
やがて私たちは、途方もなく大きな建物の前に来ました。円形をしていて、大きなドーム状の天井がついています。全体がドームといってもよいかも知れません。太くて円い柱の上に巨大なドームが乗っかっているのです。中をのぞいてみると、これまた、こんな素敵なブルーもあるのかと思えるようなブルーで彩られておりました。
おとぎの国の建物を想像しないでください。地上で見かける建物と少しも変りません。ただ、その美しさが違うというだけです。想像上のものではありません。断じて違います。全体がブルーの色彩を帯びていて、その中にいるとエネルギーが増すような感じがしました。
例によって私は、すぐにペンを走らせたい衝動に駆られました。そんな時くらいは詩人の心になり切って、じっくりと味わいたいのですが、私はやはり実務肌のジャーナリストのようです。すぐにペンを握って書きたくなるのです。
そこにしばらく滞在して、それから軽い食事をとりました。私が地上でよく食べていたものに似ている感じがしました。ただし、肉類は見当たりませんでした。
このように、ここでは何ひとつとして違和感を与えるものがないのです。地上にあったものでこちらで見かけないものは、ひとつもありませんでした。ただ奇異に思えるのは、食事は必ずしも取る必要がないように思えたことです。
目の前に置いてあるのです。そして軽くいただくのですが、どうやらそれは必要性からではなくて、地上の習慣の名残(なご)りにすぎなかったようです。エネルギーならば、大気中から十分に摂取できるみたいでした。それは多分、ブルーの色彩のせいではないかと考えました。
次章で紹介する建造物に関する知識は、そこに滞在中に父から説明してもらったものです。
3章 ブルーアイランドの建造物
前章で述べた、3人で過したドーム状の建物でのひとときを、地上でいう“昼食時(ランチタイム)”としてみれば、あんなに長時間のランチタイムは初めてだし、文句なしに楽しいものでした。
その間に、とても多くのことを、とくに父から学びました。学んだといっても固苦しいものではなく、雑談の中で教わったのですが、私にとっては大いに役に立ち、興味しんしんというところでした。
父の説明によれば、あの建物は一種の休養施設で、地上からの新来者がよく集まるところだそうです。地上界の生活条件に近いものがいろいろと揃っていて、外観も地上の建物に似ているので、よく使用されるということです。同じ目的をもった建物は他にもたくさんあります。別の用途を兼ねたものもあります。
それらは、外観はひとつひとつ異なります。似たものはありません。が、今、その違いをひとつひとつ述べる必要もないでしょう。要するに“大きなビル”と考えればよろしい。
博物館を想像されてもよろしい。美術館を想像されてもよろしい。巨大なホテルを想像されてもよろしい。大体そんなものに近いと思ってください。おとぎ話に出てくる夢のような宮殿を想像してはいけません。きわめて地上的で、変ったところはひとつもありません。
このブルーアイランドにはそうした建物が実にたくさんあるのです。中心部に集中しているのではなく、全体にまんべんなく建っております。そして、ありとあらゆる精神的活動に対する配慮がなされているようです。
というのも、この世界の第1の目的は、地上を去ってやってくる者が地上の縁者との別離を悲しんだり、無念に思ったり、後悔したりする気持を鎮めることにあり、当分の間は本人がいちばんやりたいと思うこと、気晴らしになることを、存分にやらせることになっているのです。
元気づけるための、あらゆる種類のアトラクションが用意されております。地上時代に好きだったことなら何でも – 精神的なものでも身体的なものでも – 死後も引き続いて楽しむことができます。目的はただひとつ – 精神的視野を一定のレベルまで高めるためです。
書物を通しての勉強、音楽の実習、各種のスポーツ…何でもできます。信じていただけないかも知れませんが、乗馬もできますし、海で泳ぐこともできます。狩りのような、生命を奪うスポーツは別として、どんなスポーツ競技でも楽しむことができるのです。
もっとも、こちらでは地上でいう“殺す”ということは不可能です。狩りと同じことをしようと思えばできないことはありませんが、再び死んでしまうということはありませんから、この場合の“死”は単なる“みせかけ”にすぎないことになります。
これでお分かりと思いますが、そうした建物は新来者の好みの多様性に応じて用意されているわけです。身も心も運動競技に打ち込んでいた人間が、こちらへ来てから何もすることがないというのは可哀そうです。こちらでは疲労というものが生じませんから、思う存分それぞれに楽しむことができます。
が、やがて、そればっかりの生活に不満を抱きはじめます。そして、他に何かを求めはじめます。といって、いきなり止めてしまうわけではありません。興味が少しずつ薄らいでいくということです。
それと違って、たとえば音楽に打ち込んだ人生を送った者は、こちらへ来てからその才能が飛躍的に伸びて、ますます興味が深まります。その理由は、音楽というのは本来霊界のものだからです。ブルーアイランドに設置されている音楽施設で学べば、才能も知識も、地上では信じられないほど伸びます。
さらには“本の虫”もいます。これも、このブルーアイランドでわくわくするような体験をします。地上では失われてしまっている記録が、こちらでは何でも存在します。それがみな手に入るのです。
ビジネスひとすじに生きた者にも、その才能を生かす場が用意されております。地上で想像できるいかなるものをも超えた、興味しんしんたる仕事を体験することができるのです。
前にも述べた通り、これには理由があります。こちらへ来たての者は、多かれ少なかれ悲しみや無念の情を抱いております。それが時として魂の障害となって進歩を遅らせます。と言って、進歩は外部から強いられる性質のものではありません。内部から向上心が湧くまではどうしようもありません。
そこで、取りあえずその悲しみや無念の情が消えるまで、当人がやりたいと思うことが何でも好きなだけやれるようにとの、神の配慮があるのです。地上時代にいちばん好きだったことに興じる場が必ずどこかに用意されていて、存分にそれに打ち興じるチャンスが与えられるのです。それが実は進歩への地固めなのです。
が、純粋に地上界に属する趣味は、やがて衰えはじめます。一種の反動であり、それがゆっくりと進行します – こちらでも物事は段階的に進行し、決して魔法のように一気に変化することはありません。
その反動が出始めると、興味が次第に精神的なものへと移っていきます。もともと精神的なものに興味を抱いていた人は、引き続きその興味を維持し、拡大し、能力が飛躍的に伸びます。地上的な性格の趣味しか持たなかった人は、いずれは変化の時期が訪れます。
このように、ブルーアイランドにいる間は、多かれ少なかれ地上生活との関連性が残っております。最初は、ただ面白いこと、愉快なことに自分を忘れているだけですが、やがて霊的向上のための純化作用が始まります。
たとえば、後に残した家族といっしょの生活がしたければ、それも許されます。自分の存在に気づいてくれなくても、みんなといっしょにいて、その雰囲気に浸っていたいのです。
が、そのうち、そんな自分に何となく反撥を覚えるようになります。そうなったらしめたものです。その時こそ、いよいよ地上的ないしは肉体的本能からの脱却作用が始まったことを意味します。それまでに要する時間と、どういう過程をへるかは、ひとりひとり異なります。
以上、私はブルーアイランドの建造物を個別的に、つまりAは何のため、Bは何のためといった具体的な解説をせずに、大ざっぱにその概念だけを伝えましたが、これでブルーアイランドがどんなところで、どういう存在価値をもっているかがお分かりいただけたものと思います。
地上的なものへの執着が消えていく過程もはっきりしたことでしょう。それに要する期間は、当人の個性あるいは気質によって長かったり短かかったりします。
たとえばかつて運動選手だった場合、こちらへ来ても相変らず運動が好きで、からだを動かすことをしたがります。一時的には地上時代よりも夢中になります。疲れというものを感じないからです。が、やがて変化が生じはじめます。
嫌いになるのではありません。同じくからだを動かすのでも、霊界における場所から場所への移動の様式に関する研究に興味が移っていきます。こちらでは、移動するのにもいろいろな方法があるのですが、いずれも地上とはまったく趣きが異なります。
そうしたことを研究していくうちに、死後の新しい環境に馴染んできて、そこが地上とは異なる世界であることに得心がいきます。精神が拡大して、霊的感性が芽生えてくるからです。地上時代と同じものに興味をもつということにも、そうした効用があるのです。これをあらゆるタイプの人間に当てはめてみてください。
注釈 – ステッドが他界したのは1912年であるが、それからほぼ10年後に、英国のモーリス・バーバネルという霊言霊媒を通じて、シルバーバーチと名のる古代霊(3000年前に地上で生活したことがあるという)が毎週1回の割で出現し、ほぼ60年間にわたって語り続けた。
それが『シルバーバーチの霊訓』全12巻(潮文社)となって日本にも紹介されており、原書の方は今なお新しく編集されたものが出版されつつあるが、その中の1冊に次のような問答が出ている。
– 最近私(司会者)はルドルフ・シュタイナーの本を読んだのですが、その中で彼は“死者に向かって読んで聞かせる”という供養の仕方を説いております。この“読んで聞かせる”ことの効用についてご教示を仰ぎたいのですが…
「そうすることで一体どうなると言っているのでしょうか」
– 弟子たちが他界した親戚縁者に向けて毎日ある教えを読んで聞かせるというのです。それを聞くことで、その霊たちがよい影響を受けると考えているようです。
「別に害はないでしょうが、大して益になるとも思えません。こちらの世界には受け入れる用意できた人なら誰でも知識が得られるように、たくさんの施設が用意してあります。受け入れる素地ができていなければ受け入れることはできません。それを、そちらでしようとこちらでしようと、同じことです」
私はこの一節を訳しながらいろいろと考えさせられた。というのも、私の恩師だった間部詮敦(まなべあきあつ)という霊能者は“供養”の大切さを説き、実践し、そしてそれなりの効果をあげていたからである。
また、実質的には供養といえるのではないかと思える方式で“迷える霊”を救うことを30年以上も続けた精神科医が英国にいた。第1章の注釈で紹介したカール・ウィックランドで、精神病は霊の憑依(ひょうい)であるとして、自ら考案した特殊装置で患者に静電気を掛ける。
するとその電流が霊にはカミナリに当たったような反応をするらしく、いたたまれなくなって患者の身体から離れる。そこをすかさず背後霊団が捕えて、こんどは霊媒であるウィックランド夫人に乗り移らせる。
霊は生身の人間に乗りっているという自覚なしにウィックランド博士と対話を交わし、次第に自分の置かれている実情に目覚めていく。これを“招霊実験”という。
博士によるこうした迷える霊との対話の基本にあるのは、一刻も早く霊的実相に目覚めさせて、迷いから救ってあげると同時に患者も正常に戻してあげたいという、祈りにも似た誠意である。
私はそこにこそ供養の真髄があると思うのである。飲食(おんじき)を供えて読経するばかりが供養ではない。それを喜ぶ霊もいないわけではないが、それで事足れりとするのは霊的真理を知らないからである。ウィックランド博士の次の一文はきわめて示唆的である。
《しかし、この問題の解決は、そうした一般心理学ならびに異常心理学の探求だけでなく、第一の前提として人間の二重性物質と霊、肉体的と霊的の認識がなくては十全とはなりえない。
精神病は断じて恥辱の烙印(らくいん)ではない。この病気に対する態度は“嫌悪”ではなくして“理解”であるべきであり、見える世界と見えざる世界との緊密な相互関係の認識であらねばならない。
スピリットの憑依というのは現実にあること – 自然法則の倒錯現象 – であり、十分に証明しうるものである。これは、スピリットを患者から霊媒に乗り移らせ、精神異常とされているものを一時的に転移させることによって、何百回も立証済みのことであり、かくして精神病の原因が無知で邪悪なスピリットであることが確認され、そのスピリットの地上時代の身元も証明しうるものである》
霊界側で大量に救出されている霊の数と比較すれば、ウィックランド博士のような霊的原理を理解した人によって救われている霊の数は、ほんの一握りにすぎないかも知れない。
が、その霊たちは、そうした指導者のお世話にならないかぎり実在に目覚めるチャンスがないことも事実である。放置しておけば、憑依されている人間が他界するまで、そのままの状態が続くことになる。
その間の、その患者の不幸と親・兄弟姉妹・親戚が背負わされる十字架はどれほど重いことであろう。ウィックランド博士が「精神病は断じて恥辱の烙印ではない」と言い切るその背景には、恥辱の烙印を押されたような暗い心のまま生涯を送る人が多いという現実がある。
今現在、日本で実際に精神病の霊的治療に当たっている霊能者が何人いるか、その正確な数は分からないが、私が直接存じ上げている方としては、八王子の住職・萩原玄明氏がいる。
その方の治療法については『死者は生きている』『精神病は病気ではない』(ともにハート出版)をお読みいただくことにして、萩原氏もやはり供養の大切さを力説する。そしてその基本は死者(先祖霊)を思いやる心であると説いている。
英国の世界的物理学者で哲学者でもあったオリバー・ロッジ卿は、第1次大戦でレーモンドという名の長男を失うが、そのレーモンドが、ロッジ卿が出席していた交霊会に(声で)出現して動かし難い証拠を見せつけ、以来ロッジ卿は完全に死後の世界の実在を確信するようになる。
オリバー・ロッジ(1851~1940)
息子レーモンド 第1次大戦で戦死
その経緯を Raymond – Life and Death と題する大部の著書(人間と歴史社から『レイモンド』の題で野尻抱影による部分訳が出ている)で綴っているが、レーモンドが語っている言葉の中でも次の一節は地上の遺族にいろいろと考えさせるものを秘めていないだろうか。
《わが子が死んでしまったとは思いたくないのが人情なのに、実際にはそう思っているような態度に出る親が多いのです。うちの親はなぜ何の問いかけもしてくれないのだろうという切実な思いを聞かされると、ボクの心も千々に乱れます》
結論として、さきのシルバーバーチの言葉は、形式的な読経や集団での祈願で救われる程度の霊なら、放っといてもいずれは目覚める時期が来る – その意味では毒にも薬にもならないということであろう。ウィックランド博士による招霊実験の価値はシルバーバーチも認めており、晩年には博士を招待して心からの労(ねぎら)いの言葉を述べている。
先祖の霊を思いやる心、これこそが供養の真髄であることは、洋の東西を問わず真理であると私は信じている – 訳者。
4章 ブルーアイランドの生活
簡略すぎたかも知れませんが、ひと通りブルーアイランドの存在目的と外観を紹介しましたので、こんどは、そこの住民の生活について述べて、ブルーアイランドの全体像をイメージしていただこうと思います。
死後の世界のことになると人間はすぐに「そこではどんな生活が営まれているのですか」という問いを発します。これは実に自然な疑問ではありますが、これほど捉えどころのない質問もありません。どれほど捉えどころがないかを理解していただくために、ひとつ私から質問をしてみましょう。
仮にあなたが地上の人間でなく、地上生活について何ひとつ知識を持ち合わせないまま、いきなり大都会のど真ん中に連れてこられたとしましょう。車が行き交い、ビルの谷間を人間が忙しそうに歩いております。全てが初めて見るものばかりです。
「何という光景だろう!彼らは一体何をしているのだろうか?」 – あなたはきっとそう思うに相違ありません。その疑問にもしもあなたが答えるとしたら、どう説明なさるでしょうか。
「みんな、それぞれの仕事があるのです。パンを焼く人、車を運転する人、会社で事務を取る人…いろいろです」 – こんな答えでは地上生活を説明したことにはなりません。それは地上生活の断片を拾って並べただけのことで、それだけで地上生活を理解することはできません。私が今直面している難しさも、それと同じです。
ある者は海辺でしゃがみ込んだまま、じっと沖を見つめています、とか、恋人と離ればなれになった悲しさに泣いてばかりいる人がいます、とか、アルコール中毒の後遺症で、ただ、ぼけっとしている者もいます、とか、今だにチャペルの鐘を鳴らし続けている者がいます、といったことを並べても意味がありません。
それをもってブルーアイランドの生活であると考えてもらっては困ります。無数にある生活模様の断片 – 全体のごく一部にすぎません。そこで私は、そういった断片を拾っていくことはせずに、この世界の特徴を総括的に述べてみたいと思います。
みなさんがもしも今のままの姿でブルーアイランドを見物に訪れたら、たぶん、“面白味のなさ”を第一に感じることでしょう。総体的に地上環境とひじょうによく似ているからです。地上に帰ってきて「どうでした?」と聞かれたら、多分こうおっしゃるでしょう。
「いやはや、この地上と実によく似たところですよ。ただ、いろんな人種がごっちゃに生活している点が違うといえば違いますけどね…」
その通りなのです。ここでは、かつての地上生活とまったく同じ生活の連続といってもよいでしょう。まず、よく休養します。睡眠の習慣が残っているので、実際に眠ります。また、眠った方がいいのです(※)。夜というものはありませんが、地上にいた時と同じ要領で、睡眠を取ります。少なくとも、こちらへ来て間もない頃はそうです。
※ – 生まれたばかりの赤ん坊は乳を飲む時以外はひたすら眠るばかりであるが、実際にはその間に着々と物質界という環境に適応するための準備が進行している。それと同じで、他界直後は、肉体から独立した霊的身体が霊的環境に適応する準備のために睡眠状態に入るのが普通のようである。
“普通”というのは、戦争や事故などによる急激な死に方をした場合には、張りつめた意識のまま、さ迷い続けることがあるからである。そのうち死の自覚が芽生えると、急に眠気を催すようになるという – 訳者。
また、地上の人間と同じように、各地を訪ね歩いたり、探険したり、動物や植物の生命を研究したりします。かつての友人・知人を探し求めたり、訪ねたりもします。気晴らしの娯楽もあります。新しい分野の知識を求めて図書館などで勉強することもあります。
生活のパターンは地上生活とよく似ています。違うところと言えば、地上生活は地球の自転をはじめとする環境の力によって制約されていますが、こちらでは当人の精神的欲求によって決まるという点です。
衣服も実質的には同じです。が、さっきも述べた通り、ありとあらゆる人種が集まっていますから、全体として見た時に、地上では見かけたことのない種々雑多な様相を呈しております。異様といえば異様ですが、興味深くもあり、いろいろと勉強になります。
前にも申し上げたように、この界層は地球圏に属し、地上時代の感覚や習性はそのまま残っておりますので、一見したところ地上時代そのままの容姿をしております。新しい知識を少しは仕入れておりますが、地上時代のものはほとんど、あるいはひとつも捨てていないのです。
そうした習性を捨てていく過程は実にゆっくりとしています。こちらでの生活を重ねるにつれて、それまで後生大事にしていたものが何の意味もないことに気づくようになるばかりでなく、やがて邪魔くさいものに思えてきます。その段階に至って初めて、その習性にまつわる意識が消えるわけです。
たとえばタバコを吸う習性が無くなるのは、タバコが手に入らないからではなく、タバコを吸うのはいけないことだと思うからでもなく、吸いたいという欲求が無くなるからです。
食べるという習慣も同じです。そのほか何でもそうです。無くても何とも思わなくなるのです。我慢するのではありません。欲しければ手に入ります。現に、欲望が消えてしまわないうちは、みんな食べたり飲んだり吸ったりしています。
こちらへ来てしばらくは、思想も行動もまったくの自由が許されます。何を考えようと何をしようと、すべて許されます。“禁じられたこと”というのは何ひとつありません。制約があるとすれば、それは当人の持つ能力や資質の限界です。その範囲内ならば完全な自由が許されています。
しかし、やがて霊性が芽生えて、知識欲と自己啓発の願望が出はじめた段階から、そういう無条件の自由は無くなります。ちょうど鉄くずが磁石に引きつけられるごとくに、求めている知識、あるいは自己啓発にとって最も適した機能をそなえた建物へと引き寄せられていきます。
その時点から本格的な“教育”が始まるわけです。どうしてもそこへ通わざるを得なくなるのです。ひとつの分野が終了すると、次の分野へと進みます。
“通わざるを得なくなる”という言い方をしましたが、それは外部からの力で“強制される”という意味ではありません。内部からの知識欲・啓発欲がそうさせるのです。無理やりに知識を身につけさせられるということは絶対にありません。あくまでも自由意志が主体になっているのです。
だからこそ地上時代から精神による身体のコントロールが大切なのです。こちらの世界では精神が絶対的に威力を発揮しますので、他界直後の幸福度は地上から持ち越した精神の質が決定的な影響をもつわけです。
満足感を味わうのも、不満を味わうのも、地上で送った生活次第 – 形成された性格の質はどうか、好機を活用したか逸したか、動機は正しかったか、援助をいかに活用したか、視野は広かったか狭かったか、身体的エネルギーを正しく活用したか浪費したか…そうしたことが総合的に作用するのです。
単純な図式で示せば、身体を支配する精神の質と、精神を支配する身体の質との対照です。地上では精神も大切ですし、身体も大切です。が、こちらへ来れば、精神だけが大切となります。ですから、死の直後の幸福感の度合は、地上で培(つちか)った精神の質によって自動的に決まるのです。
そういう次第ですから、“死後はどんな生活をするのですか”という質問をなさる時は、どなたかご自分の親しい人が外国へ長期の旅行に出かけた場合に、“今ごろあいつはどうしているかな”と思われるのと同じであることを思い起こしてください。誰しもきっと“ま、元気にやってるだろうさ”と思うに違いありません。われわれも同じです。ブルーアイランドで元気にやっております。
5章 良心の声
この地上生活において、やって良いことといけないことについては、賛否両論がよく闘わされます。やりたくても控えねばならないことがあるかと思うと、思い切りよく実行に移さないといけないこともある…一体なぜでしょうか。
“そんなこうるさいことに拘泥(こだ)わっていたら商売は上がったりさ” – そんなことを言う人もいるでしょう。大っぴらには言わなくても、内輪ではそう言っているに相違ありません。なぜいけないのかが理解できないわけです。
しかし、理由はちゃんとあるのです。しかもそれは、常識的に考えれば容易に理解できることなのです。いささか固苦しくなりますが、私はこれを因果律の問題として位置づけたいのです。
宇宙の創造機構は、人間の想像を絶した緻密(ちみつ)さをもって計画されました。その究極の目的は、各個に自由闊達な発達と進化をもたらすことです。そのための摂理は厳然としています。不変絶対です。
各自は、良心という本能によって、今自分の行なっていることが摂理に適っているか反しているかを直感しております。交通取り締りのお巡りさんのような人から教わる必要はないのです。
もちろん、自分自身を欺(あざむ)いて“これでいいんだ”と主張することはできます。しかし、そう主張しながらも、心の奥では本当はいけないのだという意識を打ち消すことができずにいます。
私は敢(あ)えて申し上げます – この事実に例外はない、と。つまり良心は必ず知っているということです。ところが大体の人間は、知らないことにしたがるものなのです。これは深刻な意義をもつ問題であることを認識してください。
この種の問題を大抵の人は“善悪”の観点からではなく“損得”の勘定によって判断しております。動機の善悪の区別がつかないわけではありません。ちゃんと識別できるのです。
そして、事実、本能的には正確な判断を下しているのです。ところが厄介なことに、人間は習性や損得勘定、社交上の面子(めんつ)から、因果律がめぐりめぐって生み出す結果を考慮せずに、目先の結果にこだわってしまいます。
実に残念なことです。が、死後の世界との関連からいうと、“残念”では済まされない、可哀そうな、あるいは気の毒な事態となっていくのです。不快な思い、辛い苦しみのタネを蒔いていることになるのです。火炎地獄などというものは存在しません。精神的苦悶という、みずからこしらえた地獄が待ちうけているのです。
人間の自我、ないしは霊は、精神の中に存在しています。言い換えると、霊が脳という器官を通して意識活動を始めた時から、徐々に精神が構成されてまいります。その脳は、生理学的に解剖しただけでも、科学者にとって“最後の秘境”ともいうべき驚異の世界ですが、これを自我の道具として観察した時、いっそう微妙で複雑で、謎は深まるばかりです。
たとえば、精神はあらゆる思考と行動の原動力であるという事実までは理解できます。が、その思考と行動の全てが精神に“書き込まれている”、つまり記憶されているそのメカニズムはどうなっているのかとなると、到底理解できないでしょう。
仮にあなたがどこかの店で“付け”で買い物をします。すると何日かして請求書が届きます。それを払い込みます。するとあなたは、その時点でその買い物と支払いに関する一切のことを忘れます。
ところが、その店には全ての記録がいつまでも残っています。精神の記憶も同じです。あなたの意識にはのぼらなくても、内容のいかんにかかわらず、全てが記憶されているのです。
その勘定の決済日が死後に訪れるというわけです。支払いを済ませば、帳簿の方はそれで用事がなくなり、安心です。が、記録そのものは、その後もずっと残り続けます。
さて、ここでしっかりと銘記していただきたいのは、精神とその産物、すなわち思念は、地上に存在するあらゆるものを始動させ創造していく原動力だということです。物的なものも、元はといえば精神的なものに発しております。それはもう説明するまでもないでしょう。聳(そび)え立つビルも、最初は思念として設計者の頭の中に存在を得ていたのです。
思念は、分類すればいろいろなタイプに分けることができるでしょう。昼の食事は何にしようかといった他愛ないものも、やはり思念のひとつでしょう。が、価値あるものを生み出していく建設的な思念と、反対に害を及ぼす破壊的な思念とがあります。大切なのは後者の方です。
ただし、食事だの、衣服だのといった純粋に個人的なものも、確かに他愛ないものではあっても、それが建設的な思念を妨げるほどになると、破壊的な性格を帯びるようになります。
地上生活でなめさせられる辛酸の大半は、自分自身の間違った思考が原因です。もちろん、生まれ落ちた境遇がひとりひとり異なることは私も百も承知の上でそう述べております。両親から不幸と不遇を引き継いで生きる人は、恵まれた条件のもとに生をうける人よりも生活が辛く、楽しみが少ないにきまっています。
しかし、そうした地位や生活条件の相違におかまいなく、思念の摂理は平等に働きます。どちらが有利ともいえないのです。それを分かり易く説明してみましょう。生まれながらにして過酷な生活環境に育った人間は、物の考え方にひとつの型 – レコード盤に刻まれた溝のようなものが出来あがっております。
他人から物的援助を受けるようなことはあっても、そういう固定した物の考えを変えさせるような精神的援助は、まず期待できません。気の毒ではあっても、その人は生涯その不利な条件を引きずって生きなければなりません。
それは、別の角度から見れば、人生についてまったく無知 – そういう生き方以外の人生については何も知らずに終ります。過酷な生活環境を改善する余裕などあろうはずもなく、ひねくれた感情の積み重ねがますます環境を悪化させていきます。
では物的に恵まれた環境に生をうけた人間はどうかといえば、物的な悩みや苦しみいということが、やはり結果的には前者と同じ精神的退廃をもたらします。同じ“わだち”の上をだらしなく歩き続けるだけで、精神は沈滞の一途をたどります。かくして、両者とも死後の境遇をみずからこしらえていくのです。
しかし、この両者はその影響の及ぶ対象が自分自身だからまだしも救われるのです。これが他人へ迷惑が及ぶ思念の使い方をするタイプになると、死後の報いはもっと深刻です。
たとえば悪知恵のよく働くタイプの人間がいます。他人への迷惑などまるで考えずに、自分の利害を素早く計算して、事を推し進めます。こうしたタイプの人は、破壊的思念の中でも特に影響力の強い思念を出していることになります。
思念の悪用の最たるものであり、こちらへ来てから支払わされる代償は、前者のタイプに比べて、はるかに重くなります。なぜならば、放射した貪欲な思念が強固な壁をこしらえており、それをみずからの力で片づけなければならないからです。
いかなる種類のものであろうと、あなたが1度その心に宿しそして放出したものは、精神世界に関するかぎり、すでにひとつの既成事実となっております。つまりその考えに基づいて行動を起こす起こさないに関係なく、精神的にはあなたの一部を築いているということです。
湧いては消えていく取り留めもない雑念は別です。これは大して影響力はありません。私が言っているのは、あなたの個性が反映している明確な考えのことです。それは、いったん心に抱いたら、精神世界に関するかぎり実行したのと同じことであり、良いにつけ悪いにつけ、その報いをこちらへ来てから受けることになります。
そう言うと、心に思ったことをそんなに一々良心に照らしてコントロールしていたら身がもたないよ、とおっしゃる方がいるかも知れません。それは私も同感です。が、100パーセントはできなくても、私が述べたことを事実と受け留めてくだされば、その後のあなたの精神活動に、これまでとは違った厳しい目を向けるようになることでしょう。精神活動こそ大事なのです。
良心を欺いたことを自覚することは、他人にそれを知られることよりも、さらに辛いものです。静かに良心の声に耳を傾けてみられるがよろしい。
6章 初めての地上界との交信
本章では私が初めて地上界との交信を試みた時のことを述べてみましょう。
それが地上の暦で何月何日のことだったかは定かでありません。霊界からの通信で時間と空間の問題で今ひとつ納得のいかない点があることは、私もよく承知しております。
しかし、こちらへ来てみてよく分かったことですが、正確に地上の時間にして“いつ”ということを告げるのは、事実上不可能なのです。時間がズレたからといって、それを全面的に私たちの能力のせいにするのは軽率です。そのことについて少しばかり述べておきましょう。
地上の時間は何分・何時間・何日といった区切り方をします。が、それは時計の目盛りを規準にした表現であって、そのほかにも、生活上の習慣で判断していることがあることにお気づきのはずです。
たとえば夜明けの明るさで、夏なら何時ごろ、冬なら何時ごろといった見当がつきます。夕方も同じです。この暗さなら、もう何時を過ぎているはずだ、といった判断をすることがあります。さらに疲れぐあいとか空腹感によっても、大体の時刻は時計を見なくても見当がつきます。
さて、こちらでは疲れるとかお腹が空くといったことがありません。日が暮れるという現象も生じません。いつも明るく、いつも元気で、はつらつとしています。従って地上の時間の区切り方でこちらの生活を区切ることは不可能なのです。
各自それぞれに区切ることはしております。が、地上の間隔とはまったく異なるのです。それゆえ、ある事が“いつ起きた”とか、“いつ起きる”といったことを正確に述べることができないのです。
そういうわけで、私が初めて地上界と交信を試みたのが地上の暦で正確に何月何日だったかがよく分からないのです。不思議なことに、気分的には何だか最初からここの住民だったような気持なのです。家族や友人のことを忘れてしまったわけではありません。思い出しても、哀惜の情はみじんも感じないのです。
なぜだかは定かでありませんが、多分、こちらへ来てみて地上で私が説いていた死後の事実に間違いがなかったことを知って大いに意を強くし、この調子ならみんなも自分のことを安心してくれているだろうと考えたからでしょう。
さて、私が交信を試みたのは、ブルーアイランドの建物の中でのことでした。そこは1度父に案内されてから、よく通っていたところでした。交信だけを目的とした建物ではありません。他にもいろいろと機能があり、私はしばしば利用し、そこで働いている人たちに何かとお世話になっておりました。
その人たちはみな親切で同情心は厚いのですが、態度はきわめて事務的です。涙を流して訴える人がいて、気の毒には思っていても、親身になって慰めるといった態度に表わすことはありません。驚くほど組織的で事務的です。何百人あるいは何千人もの人が仕事に携わっております。
地上時代から死後の存在を信じていた人も信じていなかった人も、地上に残した人との交信がしたくなるとそこを訪れるのですが、地上の人間と同じで、そんなことが本当にできるのか、半信半疑の者もいれば、ただの好奇心からやってくる者もいるようです。そういう人はもちろん自己満足しか得られません。成功のカギを握るのは、魂の奥底からの欲求です。
私の順番が来て案内されたところは、こんなことで間に合うのだろうかと思うほど簡素な部屋でした。さぞかし地上の通信機関のように複雑な道具や器械があって、電気の配線のようなものが張りめぐらされているのだろうと想像していたのですが、そんなものは一切なく、ただ“人間的要素”があるだけでした。
その部屋で私は、ひとりの男性からインタビューを受けました。責任ある地位の方であることは一見して分かりましたが、といって天使のような存在ではありません。私と大して変らない人間味をそなえておりました。対話はずいぶん長い時間にわたりました。その中で彼は、地上界との交信がどういう具合にして行なわれるかについて教えてくれました。
その話によると、彼の責任のもとに、外交員のような役目をする人たちの組織ができていて、常に地上圏近くに滞在し、霊的通路として役立ちそうな人間、あるいはそれを望んでいる人間を探し求めているというのです。
彼らにはそういう人間を“探知する能力”があるらしいのです。そういう人間のリストをこしらえて、その所在位置と能力の程度を調べ上げておきます。そして、新しく他界してきた者が交信を要望した時に対応するというわけです。
それ以来私はたびたびそこを訪れて、いろいろな方法で交信を試みました。うまく行った時もあり、まったく通じなかった時もあります。が、私は地上にいた時からこの種のことに関心を寄せていたせいもあって、必要な援助がそのつど得られるので助かります。
では、私が初めてメッセージを伝達することに成功した時のことをお話してみましょう。その時までは、地上と交信するメカニズムについての講義を受けておりました。それからいよいよ第1回目の試みとなったわけです。
私にはひとりの案内人、その道の専門家が付き添ってくれました。案内された場所はモスリンで出来たように見える壁で囲まれた部屋でした。つまり部屋は部屋でも、われわれにとっては有っても無きがごとくで、透(す)けて見えますし、何の抵抗もなく通過してしまいます。
私ひとりだったら躊躇(ちゅうちょ)したかも知れませんが、付き添いの人の後について難なく通り抜けました。
その部屋にはふたりないし3人の人がいて、タイタニック号の沈没事故を恐ろしげに語り合っており、その犠牲者の霊が戻ってくる可能性も話題にのぼっていたようです。その人たちはそこで定期的に交霊会を催しているのでした。
交霊会が始まると私は、付き添いの人の指導でまず、思念を具象化して出席者の目に姿を見せることから始めました。そのためには私が生身でその人たちの中央に立っている状態を想像し、さらにそれに照明が当てられたという観念を抱き、それをじっと維持しなくてはなりません。
自分の容姿を細かく、じっくりと思い浮かべて、その映像が彼らの目の前に実在して、彼らがそれに気づくようにと、その念を私の精神に焼き付けるのです。
やはり最初は2、3度失敗しました。が、ついに成功しました。もっとも、顔だけでした。ウィリアム・ステッドであることを知ってもらうために、まず顔だけを念じたのです。
さらにメッセージを送ることにも成功しました。やり方はまったく同じです。出席者の中でもいちばん霊感の鋭い人のすぐ側に立って、短い文章を思い浮かべ、それを1字1字強く念じることを繰り返すのです。すると、その人の口から同じ言葉が発せられるのが聞こえました。その瞬間、あ、うまく行った、と思いました。
その出席者の中に私の家族はいませんでした。もしいたら、たぶん不成功に終っていたことでしょう。というのは、私の方はともかくとして、家族の者はその時はまが私の悲劇的な死の悲しみに暮れていましたから、その感情が邪魔をしていたと思われるのです。
その時の私はまったく冷静でした。それはひとつのテストケースとして行なったからです。つまり自分の意志を地上の人間に直接的に伝えることができるものかどうかを試してみる程度の気持で行なったのがよかったのでしょう。
注釈 – ここでステッドが行なった通信方法は、数ある方法の中のひとつにすぎない。シルバーバーチ霊が行なったように霊界の霊媒を使用する場合もあるし、物質化現象の場合は霊界の化学者が手伝う。
また直接談話現象でもエクトプラズムで発声器官をこしらえるので化学者の参加が必要である。自動書記現象になるとまた勝手が違うし、直接書記、つまり人間の手も使用せずに書く場合は、さらに複雑となるであろう。
7章 思念の力
地上の人間にとっては、死後の存続の確実な証拠というと、生前の姿をまとって出て来てくれることのようです。今こうして私がお届けしているような精神的ないし主観的な通信は、たとえどんなに説得力のあるものであっても、“証拠”としては受け入れ難いようです。
そこで、ほとんどの人が物質化現象にばかり関心がいって、本当はもっと真実味があり、外部の要素 – 霊媒の意識・列席者の猜疑(さいぎ)心や偏見 – による影響を受けることが少ない、“思念による交霊”を軽視してしまいがちです。
が、実は、この思念伝達という手段は、その可能性を信じている人が想像しているよりも、はるかに実感があるものなのです。
生前から親密な間柄だった者のことを強く念じると、その念は生き生きとして活力のあるエネルギーとなり、電波とまったく同じように宙を飛び、間違いなくその霊に届きます。
たとえば地上のAという人物がBという他界した人物のことを念じたとします。するとBは瞬時にその念を感じ取ります。こちらへ来ると、感覚が地上時代よりもはるかに鋭敏になっておりますから、そちらから送られた思念は電流ならぬ思念流となって、直接的に感知され、そこに親密な連絡関係が出来あがります。
こちらへ来て間もないころは何も出来ませんが、こちらの事情に慣れてくると、BはAにその回答のようなものを印象づけることが出来るようになります。AはそれをBからのものとは、まず思わないでしょう。たぶん自分の考えか、一種の妄想くらいにしか思わないでしょう。
が、そういう形で届けられている情報は、実際は大変な量にのぼっています。霊の実在を信じている人だけに限りません。誰でも、どこにいても、意念を集中して地上時代に親交のあった人のことを念じると、必ずその霊に通じて、その場へやってきてくれます。人間の方は気づかないかも知れませんが、ちゃんと側に来てくれております。
この事実から地上の皆さんにご忠告申し上げたいのは、そういう具合に人間が心で念じたことは“全て”相手に通じておりますから、想念の持ち方に気をつけてほしいということです。想念にもいろいろあります。その全てがこちらへ届き、善きにつけ悪しきにつけ影響を及ぼします。
霊の方はその全ての影響をもろに受けるわけではありません。意図的に逃れることは出来ますが、逃れることが出来ない者がいます。それは、ほかでもない、その想念を発した地上の本人です。想念は必ず本人に戻ってくるものだからです。
今私は、全ての想念が届くと申しましたが、これには但し書きが必要です。“心をよぎった思い”の全てが届くわけではありません。とくに強く念じた思い、片時も頭から離れないもの、という意味です。
摂理の観点からいえば、心に宿したことは大きいことも小さいことも、それなりの反応はあるはずです。が、影響力という点からいえば、たとえば怨みに思うことがあったとしても、それが抑え難い大きなものに増幅しないかぎり、大して重大な影響は及ぼしません。
ですから、私が“全ての想念”という時は、思いやりの念にしろ邪悪なものにしろ、一心に集中している場合のことを言っているのであって、日常のあれやこれやの“よしなしごと”のことではありません。
が、そういう前提があるにしても、心に宿した想念が何らかの形で他に影響を及ぼし、最終的には自分に戻ってくるという話は、容易に信じ難い人が多いことでしょう。しかし、事実なのです。
実は皆さんは、同じ影響を人間どうしでも受け合っているのです。たとえば、相手がひどく落ち込んでいる場合とか、逆にうれしいことがあって興奮ぎみである場合には、あなたも同じ気分に引き込まれるはずです。それは、言うまでもなく精神的波動のせいであり、沈んだ波動と高揚した波動がその人から出ているわけです。
強さという点では、両者は同じです。しかし、その作用の仕方が異なります。強烈な想念の作用も同じと思ってください。それを向けられた当事者は、そうとは意識しないかも知れません。
が、無意識のうちに、大なり小なり、その影響を受けているばかりでなく、大切なのは、想念そのものは、それを発した人の精神に強く印象づけられていて、表面上の意識では忘れていても、事実上、末永く残って影響を及ぼしていることです。
死んでこのブルーアイランドに来ると、その全記録を点検させられます。ガウンを着た裁判官がするのではありません。自分自身の霊的自我が行なうのです。霊的自我はそうした思念的体験を細大もらさず鮮明に思い出すものです。そして、その思念の質に応じて、無念に思ったり、うれしく思ったり、絶望的になったり、満足したりするのです。
その内容次第で、もう1度地上へ戻って(※)無分別な心と行為が引き起こした罪を、大きい小さいにかかわらず、全てを償いたいという気持になるのも、その時です。
※ – ここでの意味は、必ずしも再生することではなく、その償いが叶えられる可能性のある地上の人間の背後霊のひとりとして働く場合もある。あるいは、交霊会を通じて地上の当事者に詫びの気持を伝えることもある。
1920年から週1回、60年間にわたって、モーリス・バーパネルという霊言霊媒を通じて霊的教訓を語り続けたシルバーバーチと名のる霊が支配する交霊会で、次のような興味ぶかいことがあった。
前にも1度シルバーバーチを通じてその交霊会のメンバーのひとりに、地上時代にかけた迷惑について詫びを述べたことのある霊が、その日にまた同じことについての詫びを改めて届けてきた。そのことについてシルバーバーチがそのメンバーにこう語った。
「あなたが“もういいのに”と思われる気持は私にもよく理解できます。でも、彼には詫びの気持を述べずにはいられない事情があるのです。懺悔(ざんげ)をするということは、あなたに対してというよりは、彼自身にとって意味があるのです。
他界した者が地上時代の行為について懺悔の気持を何らかの形で届けたいと思うようになるということは、本当の自我に目覚めつつあることの証拠です。あなたにとってはもう過ぎたことであり、忘れていらしたかも知れません。
が、その行為、ないしは事実は、霊的自我に刻み込まれていて、霊性が成長し、それについての正しい評価が下されるまでは、絶対に消えることはありません」
私が皆さんに、地上生活において精神を整え悪感情を抑制するようにとご忠告申し上げるのは、そのためです。地上生活ではそれがいちばん肝要であり、意義ある人生を送るための最高の叡知なのです。厄介なことに人間は、地上にいる間はそのことを悟ってくれません。そう言い聞かされて、内心ではそうに違いないと思いつつも、それが現実の生活に生かされていません。
皆さんのひとりひとりが発電所であると思ってください。他人にかける迷惑、善意の行為、死後の後悔のタネとなる行ない…どれもこれも自分自身から出ています。そうした行為と想念のすべてが総合されて、死後に置かれる環境をこしらえつつあるのです。
寸分の誤差もありません。高等な思念(良心)に忠実に従ったか、低級な悪想念に流されたか、肉体的欲望に負けたか、そうしたものが総合されて、自然の摂理が判決を下すのです。
地上時代のあなたは、肉体と精神と霊(自我)の3つの要素から成ります。死はそのうちの肉体を滅ぼしますから、霊界では精神と霊だけとなります(※)。ですから、地上時代から精神を主体にした生活を心がけておくことが大切なわけです。
むろん、常に選択の自由は残されていますから、やりたいことを好き放題やって、借りは死後に清算するよ、とおっしゃるのなら、それはそれで結構です。今までどおりの生活をお続けになるがよろしい。しかし、いったんこちらへ来たら、もうそれ以上は待ってくれません。このブルーアイランドできれいに清算しなくてはなりません。
人体の構成
Ruth Welch; Expanding Your Psychic Consciousness より
MAN’SBODES
MENTAL 本体
ASTRAL 霊体
ETHERIC 幽体
PHYSICAL 肉体
(※) – 実際には霊的身体、つまり精神と霊の活動の媒体がいくつかあり、挿画(イラスト)のように大きく3種類に分けるのがほぼ定説となっている。肉体と異なるのは一定した形態がなく、しかも意念の作用でいかようにも変形する性質があることである。
肉体が食欲と性欲を基本的本能としているように、幽体は情緒を、霊体は知性を、本体は叡知を基本的本能としている。地上生活ではその全てが脳を通して意識されるが、肉体が滅んだあとは幽体を通して発揮される。その界層を幽界と呼ぶ。
幽体が昇華されるにつれて意識の中枢が霊体へと移り、霊界で生活するようになる。さらにその上には本体を使って生活する神界がある。
しかし、その生活形態が人間に理解できるのは幽界までで、それ以上になると言語による説明が不可能となるらしい。ここに描かれているのは、円満に、そして完全に発達した場合を平面的に図式化したものであって、実際にはひとりひとりが霊性の発達程度に応じた形体をしているらしい。
なお、3つの身体は図のように“層”を成しているのではなく、肉体の中にも他の3つの媒体が融合して存在している。
各種の霊界通信が一致して述べているのは、人間にとって当たり前に思える地上生活の方が、死後の世界から見るといちばん不思議で奇妙に思えるということである。この種のテーマを理解する際に大切なのは、現在の自分の存在とその生活形態を当たり前と思う固定観念をまず棄て去ることである – 訳者。
神は地球を、人間が楽しめる魅力ある環境にしてくださいました。が、それは、間をわざと悪の道に誘っておいて、後で懲(こ)らしめようという魂胆からではありません。いかなる人間でも等しく満喫できるように、豊富な美と、それを味わう機能を与えてくださっています。
精神が肉体をコントロールしているかぎりは、美は美であり続けます。肉体の欲望が先行し精神が堕落しはじめると、厄介なことが待ちうけるようになります。苦しみと後悔が山積みにされて待っております。
精神の働きはこちらへ来ても同じです。同じ原理に従って働きます。思考力は肉体のあるなしには関係ありません。ですから、そのうち地上に残した愛する人たちとの精神的なつながりをもち、そして大きく影響を及ぼすようになるのは、さして難しいことではありません。もっとも、地上の当人はそうとは気づかないことが多いのですが…
この事実のもつ意味をよくお考えいただきたい。他界した家族や知人・友人があなたのもとを訪れることがあるということ、思念こそ実質的な影響をもっているということ、霊との関係はもとより、同じ地上の人間との関係でも、それをうまく結びつけるのも、ぶち壊してしまうのも、呼び寄せるのも、あるいは追い払ってしまうのも、この思念の力であるということです。
霊界と地上のふたつの世界を結ぶのは、思念です。が、それには規律と鍛練が必要です。頭にひらめいたものが全て霊の世界から届けられたと思ってはいけませんが、同時に、スポーツマンが身体を鍛えるように精神を鍛えれば、いざという時には、霊界からも地上界からも、大いなる叡知と援助を祈り求め、そして受けることができるのです。
8章 霊界から要求したい条件
死後の世界の実在という、これほどの重要性と興味に満ちたテーマには、当然のことながら真偽を確かめたいと思われることが、山ほどあることでしょう。ひとりひとりにその人なりの疑問点があり、今の今までそうとは知らなかった点について質(ただ)してみたいと考えるのは、無理もないことでしょう。
本章では、その中でもよく問題にされる点についてお答えしたいと思います。地上時代にもずいぶん多くの質問を受けましたが、こうしてベールのこちら側へ来てみて、自信をもってお答えすることが出来るようになりました。
まず第一に断言できることは、死の過程を経ることによって、“すぐに”神の一部となるわけではないということです。霊の世界へ来たことを歓迎して生命の秘密の全てを明かしてもらえるわけではありません。私はもとよりのこと、誰ひとりとして宇宙に関する全知識を細大もらさず授かるわけではありません。
たとえば、あなたのお孫さんが“次にいつ”新しい靴をねだってくるかは、私には予言できません。皆さんよりはホンの少し先が見えるというだけでして、全知識・全真理を手にするカギを授かることなど、とんでもない話です。
ひとりひとりが自分の努力によってひとつひとつ真理を手にしていく – ドアをひとつ開けると、その先にまた次のドアがある、その先にまた次のドアが…というふうに、1歩ずつ進むしかないのです。しかし同時に、私の方が皆さんよりは真理の始源に1歩近づいたことによって、はるかに多くのことを知ることが出来たこと、そして、皆さんにはまだ体験できないことを体験していることは事実です。
さて、最初に取り上げたいのは、“環境条件(コンディション)”という用語と、その本当の意味です。いろんな種類の心霊現象に関連して、その環境条件が実に大ざっぱに取り上げられています。
成功につけ失敗につけ、あるいは妙な結果が生じた場合にも、すべてを環境条件のせいにして、実験会を催す場所(部屋)をどこにするか、装飾をどうするかにこだわるようになります。確かに、それが正解である場合もありますが、的はずれの場合もあります。大ていは的はずれです。
いい現象を得るための主要因、何よりも大切な要素は、部屋そのものではなくて、列席者の精神状態です。窓のカーテンやカーペット、芳香などに凝るよりも、列席者が素直さにおいて一体となること、そして身体的にも健康であることです。
心の姿勢が何よりも大切です。経験の浅い霊媒や列席者はとかくそうした点を軽く見がちです。もちろん部屋を明るく飾り、花を置き、賛美歌を斉唱して雰囲気を盛り上げることも大切です。が、それが主要素ではありません。
地上人類にとって神の最大の恩恵のひとつであるはずの霊界通信を“次元が低い”といって軽蔑し、それを交霊会の会場のせいにする人がよくいます。今も言った通り、コンディションを良くしようと工夫したことが無意味だったり、かえって障害になったりすることがあるのですが、同時に、確かに大切な条件もあるのです。
何事にも適切な条件というものがあることは、改めて指摘するまでもないと思います。ごく単純な例を挙げれば、おいしい紅茶を入れるには、紅茶そのものの質も問題ですが、水の質にも条件がありますし、温度にも条件があります。それを無視すると、“おいしい”紅茶はいただけません。
もうひとつ例を挙げれば、美しい花を咲かせるには、まずタネの保存の仕方に適切な条件がありますし、気候にも地質にも季節にも条件があります。さらに、タネを植えたら、それが要求する手入れを施してやらねばなりません。
われわれ霊界の側にも、“要求したい条件”(※)があるのです。これほど大切な仕事が未経験の人たちによって、そう簡単に思う通りに操られるわけはないでしょう。勝手な要求を出されても、応じるわけにはいかないのです。地上の生命活動には、何事にも条件というものがあります。地上の学者が勝手に要求する条件には、無意味なもの、あるいは、むしろ有害なものすらあります。
※ – この問題についてシルバーバーチ霊は次のように述べている。
「あなた方が愛し、またあなた方を愛してくれた人々は、死後もあなた方を見捨てることはありません。言わば、愛情の届く距離を半径とした円の範囲内で、常に見守っております。時には近くもなり、時には遠くもなりましょう。が、決して去ってしまうことはありません。
その人たちの念があなた方を動かしています。必要な時は強力に作用することもありますが、反対にあなた方が恐怖感や悩み、心配の念などで壁をこしらえてしまい、外部から近づけなくしていることがあります。
悲しみに涙を流せば、その涙が霊たちを遠ざけてしまいます。穏やかな心、やすらかな気持、希望と信念に満ちた明るい雰囲気に包まれている時は、そこにきっと多くの霊が集まっております。
私たち霊界の者は、できるだけ人間との接触を求めて近づこうとするのですが、どれだけ接近できるかは、その人間の雰囲気、成長の度合、進化の程度にかかっています。霊的なものにまったく反応しない人間とは接触できません。霊的自覚、悟り、霊的活気のある人とはすぐに接触が取れ、一体関係が保てます。
スピリチュアリズムを知っているか否かは関係ありません。霊的なことが理解できる人であれば、それでいいのです。とにかく冷静で受容的な心を保つことです。取り越し苦労、悩み、心配の念がいちばんいけません。そうしたものがモヤをこしらえて、私たちを近づけなくしてしまうのです」
理性に逆らって物事を推し進めても、成功は得られません。ところが、現実にはずいぶん無理な要求をしておられます。だから失敗が多いのです。まるでフィルムを入れずに写真を撮ろうとするようなもので、撮れるはずがないのに、写っていないと言って、心霊現象の全てを詐術だと決めつけます。
何事にも条件というものがあります。背後霊が何かをさせようとして、あるいはさせまいとして、いろいろと工面したのに、ついに思うようにならなかったりするのも必要な条件が欠けているからです。
例を挙げてみましょう。たとえば霊界の父親が地上の息子のやりかけている行為 – 自殺とか殺人 – に気づいて、それを阻止しようとします。もしも実行に移したらとんでもないことになるので、父親は必死になってその思念を打ち砕こうとします。しかし、そんな時の息子の精神状態は、もはや異常です。いくら父親でも、そういう条件下では救うことができないのです。
次に、こちらでの生活行動はどうなのかという疑問についてお答えしましょう。行動は自由自在です。肉体のような束縛は何ひとつなく、完全に自由です。さらに私の場合は、準備コースを卒業しましたので、どこへでも自由に行けるようになりました。
地上時代に家族関係だった者のいる所、知人や友人だった者のいる所、そういう地上的な縁の人は誰ひとりいない所など、どこへでも出向いて、教えを受けたり教えてあげたりすることが出来るようになりました。ただし、まだブルーアイランドでの話です。まだ次の界層に定住するところまでは進化しておりません。
今も述べた通り、どんな地域にでも自由に行けますから、地上界とも絶えず連絡を取っております。地上界の人が私のことを思ってくれると、その念が届きます。誰から送られたものかがすぐに分かりますから、必要とあればその人のもとを訪れてみることもあります。
もっとも、誰からのものでも届くというわけではありません。たまたま私の書物を読んだとか、私のことが話題になったからといって、それが全部私に伝わるわけではありません。やはり地上時代に縁のあった人に限られます。そういう人の念は、まるで電話で聞くように、よく分かります。そして、直ちに行ってみることも出来ます。
こういう具合にして、私たちは地上の人たちを援助することができます。その人の日常の行動や考えをよく分析して、その人にとって今何がいちばん大切であるかを判断した上で働きかけます。
ですが、さっきも述べたように、いかに親密な間柄であっても、その時の条件しだいで不可能なことがあります。地上でも、アドバイスを与えることはできても無理強いはできないように、こちらでも、影響力を行使できるとはいっても、思いのままにできるわけではありません。
こちらへ来てしまえば、もう、別離というものはありません。自分より上の界層の人とも、同等の人とも、下の界層の人とも、あるいは今なお地上にいる人とも、別れ別れになってしまうことは有り得ないのです。親和力と愛情のあるところに、別離とか断絶などという事態は生じません。
肉体の死によってこちらへ来ると、地上の遺族は当然のことながら嘆き悲しみます。が、そのうち – 長い短いの差はあっても – 他界者についての記憶が薄らいでいきます。次第に思い出すことが少なくなり、脳裏から消えていきます。しかし、その人たちもやがてこちらへ来ます。
すると、記憶を奥へ押しやっていた俗世的な雑念が取り払われるにつれて、かつての古い愛情の絆の存在に気づきます。昔のまま無傷で残っている場合もあれば、汚されている場合もあります。しかし、致命的な損傷を受けていることはありません。
こちらへ来てから、地上の遺族への未練が強すぎると、かえって寂しい思いをさせられることがあります。というのは、遺族たちはまさか故人が死後も生き続けているとは思わず、この宇宙から消えてしまったものと考えています。ところが、故人の目には地上の生活の様子が見えますから、足繁く帰っては、何とかして自分の存在を知らせようとします。
が、遺族たちは知らん顔をしています。そのことが故人にとっては寂しさと悲しみを増す結果となり、次第に遺族への関心が薄れていき、遺族が死んでこちらへ来るまで待つしかないと考えるに至ります。
霊界通信が話題にのぼると、あれほど思い思われていた間柄なのに何の音沙汰もないことを理由に、そんなものがあるはずがないと一蹴(いっしゅう)する人がいますが、実際には、しきりに働きかけているのです(※)。
地上でも、互いにあまり関心のない者どうしはお付き合いはしないものです。話し合っても退屈したり気疲れするような人は、しだいに敬遠するようになります。こちらへ来ると、それがごく自然な形でそうなるのです。
各自が発する波動が相手を選別するのです。それを支配する最大の力は“愛”です。夫婦愛・親子愛・兄弟愛・友愛 – それが本物であれば、互いに引き合い引かれ合って、幸福感を覚えます。片方が、あるいは双方が愛を失えば、互いに接触の機会がなくなります。
地上を去ってこちらへ来ると、愛の絆によって、同じ波動をもつ人たちのところへ落ち着きます。が、地上時代に愛の絆があったからといって、必ずしも霊界へそれが持ち越されるとは限りません。
初めのうちは会う機会を与えられるかも知れませんが、愛の力の強さが偏りすぎている時は、しだいに引かれ合うことが少なくなり、やがて断絶が生じます。
※ – シルバーバーチがこんなことを言っている。
「皆さんは、いったん霊の世界へ来てから地上界へ戻り、何とかして働きかけたいと思いながら、それが叶えられずにいる人たちの気持がどんなものか、考えてみたことがありますか。
地上界を去ってこちらへ来て視野が変り、人生を初めて正しい視野で捉えるようになって、そのよろこびを何とかして地上の愛する人たちに教えてあげたいと一生けんめいになっている霊が、大勢いることをご存知ですか。
ところが人間は、そういう人たちの働きかけに全く鈍感なのです。見ることはおろか、聞くこともできません。愚かにも五感だけが実在の全てであると思い込み、その粗末で気の利かない5つの感覚で捉えている世界以外には何も存在しないと考えています。
私たちがこちらで見かける光景は、死後も立派に生き続けていることを知らせてあげようと、あの手この手と、あらゆる手段を試みるのに、どうしても気づいてくれないことを知ってがっかりとした表情を浮かべている人たちです。呼びかけても聞いてもらえず、目の前に立ちはだかっても見てもらえず、思念を送っても感じてもらえません。
悲しみに暮れている人たちばかりではありません。楽しく暮らしている明るい家庭においてもそうです。そこで私たちは、重苦しい気持をひきずりながら、その人たちに近づいて、人間側が交霊会にでも出席してくれるようになるまでは、どう努力しても無駄ですよ、と告げるしかないのです」
9章 自由と摂理
以上で私は、初めてこのブルーアイランドに到着した時のこと、その新しい環境から受けた第一印象、そして地上への最初の帰還…、そういったことについて話すことによって、専門的で学問的な原理・原則といった形でなしに、死後は大体こうなっているという図式のようなものを示したつもりです。
それは決して私だけの個人的体験ではなく、すべての人類 – 黒人にも白人にも黄色人種にも当てはまることでして、そこに差別や区別は一切ありません。ひとつの摂理が全人類を支配しているのです。こちらの世界も、すべてが摂理によって秩序が保たれているのです。
では、話をさらに進めましょう。ブルーアイランドについては改めて詳しく述べる機会もあろうかと思いますが、取り敢えずここではこの程度に留めて、もう1歩進んだ界層、地上的感覚からほとんど脱しきった段階の世界のことについて語ってみましょう。
いったん地上的感覚から脱し切ってしまうと、ほとんど意のままにと言ってもよいくらいに、現在所属している界層とのつながりを断つことなく、どの界層にでも行けますし、地上界へ戻ることもできます。
地上の人間の指導をしながらこちらの生活も維持するわけですが、そのことによって自分本来の仕事や個性の発達が阻害されることはありません(※)。こちらでは個性の研究と確立が何よりも優先されるのです。
※ – このことは俗に守護霊(ガーディアン)と呼ばれている存在と人間との関係についても当てはまる。
守護霊というのは魂の先祖ともいうべき、同じ霊系に属する集団 – これをスピリチュアリズムでは類魂(グループソウル)と呼ぶ – の中の一柱で、再生する必要のない段階まで進化した者が、その類魂の中心霊 – これを日本では守護神と呼ぶことがある – に指名されてその任に当たるのであるが、人間がとかく想像しがちなように、ただじっと見つめていて災難に遭わないように守っているようなものではなく、所属する界層での生活を維持しながら、責任を託された人間の面倒もみるという形を取る。
守護霊になるほどの霊格を身につけた霊になると、同時に何箇所にでも存在できるようになるという。11章参照 – 訳者。
ブルーアイランドで学ぶことは、誰しも同じですが、自我と生命の神秘です。お蔭で神による創造の御業(みわざ)の途方もない大きさを認識することができました。地上とブルーアイランドだけの話ではありません。
こちらへ来て成長し、地上時代の性向や性癖が消えていくにつれて興味の対象が変っていき、存在の実相について知りたいという欲求が湧いてきます。誰もがその過程をたどります。私もそうでした。そして、学べば学ぶほど、さらに多くを学ぶ能力が伸びるのです。
この世界の素晴らしさに魅せられた私も、その後、これと同じような世界が他にも幾つか存在することを知りました。初めは地上の人間にとって死後の世界の存在が信じられないのと同じように、それが信じられませんでした。が、そのうちそこへ実際に連れて行ってもらえる時が来ました。
それがどういう位置にあるかは今でも見当がつきませんが、とにかくその時の道中での感じは、星の世界を突き抜けていくみたいでした。ブルーアイランドを飛び立って虚空(こくう)を突き抜け、どこかの星へ到着した感じでした。
そこで生活しているのもやはり、かつて地上で生活したことのある人たちで、ある一定のレベルまで進化を遂げた人たちです。ブルーアイランドに較べて生命形態が高度で、幸せの観念も洗練され、行動形態はパワーに溢れておりますが、逆に、いつまでたっても向上心の芽生えない者、必要な力の供給を受け後押しされてもなお、自我のコントロールのできない者たちが送り込まれている界層もあります。
そのいずれの界層にあっても、自由意志が与えられております。自分の運命を決めていく上において、各自が行為の主体であるということです。肉体の死後に限られた話ではありません。地上にあるうちから、そして死後も、永遠にそうです。もちろん一定の摂理の枠というものはあります。
たとえば、家庭においては、父親と母親とが日々の生活の枠組みというものをこしらえ、その枠内で、子供たちが自由に学び、遊び暮らすのと同じで、地上の人類にも、従うべき一定の摂理の範囲内で自由に生きることが許されております。
生命は本来は自由なのです。ところが地上では理解力の不足と判断の間違いから、何となく自由というものが存在しないかのような考えが行きわたっております。でも本当は自由なのです。
親は、他界後も地上の子供の面倒を見ようとするものです。この動機は、愛です。愛さえあれば、摂理に従って可能なかぎりの援助をいたします。霊界と物質界とは、皆さんが想像しておられる以上に緊密な関係にあるのです。
物的な豊かさをもたらすこともできます。魔法のように金銭を呼び寄せるという意味ではありません。ビジネスの手段・方法について、最も効果的なアイディアを教えてあげます。霊的真理の理解に関連したことで指導できるように、商売や事業のことでも指導できるのです。
ただし、それも厳しい霊的摂理の枠内でのみ許されていることです。たとえば商売上のやり方でふたつに意見が分かれているとします。われわれ霊界の者には、道義的に見てそのふたつのどっちが正しいかがよく分かります。
その場合、われわれは躊躇なしに正しい方を選ぶように指導します。損得の計算はしません。その結果として仮に損をした場合、あるいは痛手をこうむるような事態になった場合は、あとで別の手段でその埋め合わせをします。
もしも損得の計算にこだわって、いけないと知りつつも儲かる方向へ後押しした場合は、たとえ金銭的には豊かになっても、指導したわれわれ、およびわれわれの誘いに乗った当事者の双方が、あとで大きな報いを受けることになります。地上生活中に受けるとは限りません。霊界へ来てから受けるかも知れません。が、絶対に免れることはできません。自動的にそうなるのです。
霊界から地上の人間に影響力を行使する場合の細かいプロセスについては、ここでは述べません。地上の人間どうしが影響を与え合うのと、結果的にはほぼ同じといってよいでしょう。が、そのプロセスはまったく異なります。
いずれにせよ、皆さんもいつの日かこちらへ来てそれを身をもって体験することになるわけですから、今ここで述べる必要はないでしょう。
10章 予知現象の原理
俗に“虫の知らせ”といわれている現象にはいろいろと俗説があるようですが、ほとんど全てがテレパシー、すなわち、精神と精神との直接的感応の現象です。これにもいろいろなタイプがあります。
いちばん多いのが、身内や友人の死の予感ですが、これもテレパシーです。そういうと、死んだ本人は自分の死を予知していたわけではないのに…とおっしゃる方がいるかもしれません。確かにその通りで、突発事故で死んだのだから、その事故より何日も前に本人が何月何日に死ぬことがテレパシーで予知できるはずがない、というわけです。
説明しましょう。これには、事故死するB氏の背後霊団が関与しているのです。霊団はB氏の生活のパターンを細かく観察していて、このまま進むと死の危険に遭遇するというところまで予見します。そして、それを避けるための最大限の努力をします。
それが効を奏する場合もありますが、因果律の働きの必然の結果まで変えることは、絶対にできません。運命は自分で築いていくのです。背後霊といえども本人に代って思い通りに細工を施すことは許されないのです。
さて、B氏の場合、それが効を奏さずに、いよいよ死期が迫ったとします。その頃には霊団の必死の働きかけの波動がB氏の身辺に渦巻いております。本人は何も気づいていませんが、それを霊感の鋭い友人のA氏が感知します。ビジョンとして見ることもあり、夢として見ることもあります。その際、地上的な“距離”は何の障害にもなりません。
では、予言が外れることがあるのは何が原因かということになりますが、これは、今述べた背後霊による必死の働きかけが効を奏して、それらを回避できた場合が考えられます。このように、予感とか虫の知らせには必ず霊界からの働きかけがあることを忘れてはなりません。
注釈 – スピリチュアリズムの重要な発見のひとつとして、物質界の諸相 – 人間生活から自然界の営みに至るまで – の全てに、見えざる知的存在による働きかけがあるという事実が挙げられよう。
自然界の生成発展には自然霊(ネーチャースピリット)が関与しており、高級な守護天使の監督のもとに妖精(フェアリー)と呼ばれる、知性的には進化のレベルの低い原始霊(エレメンタリー)が直接的に働いている。
その組織を日本古来の思想の天津神(あまつかみ)・国津神(くにつかみ)の観点から考究していくのも、将来の興味深いテーマであるが、ここでは人間界の営みだけにしぼり、それにも霊的(スピリチュアル)と心霊的(サイキック)の2種類が入り混じっていることを指摘しておきたい。
人間に五感以外に“第六感”などと呼ばれる直感的能力があることは、昔から知られている。最近では“超能力”と呼ぶことが多いが、これは五感の延長上にあるもので、これを英語ではサイキックと呼ぶ。
日本語では取りあえず“心霊的”という用語を当てているが、これが進化論的にみて必ずしも高度なものでないことは、動物や鳥類、昆虫などの方が人間より発達している事実からも窺(うかが)われる。
多分、人類もかつては動物と同じ程度に発達していたのが、知性と、それに伴う文明の発達によって退化したと考えるのが正しいであろう。計算器を使うと暗算能力が低下するのと同じパターンをたどったと私は見ている。
これに対して、背後霊が、日常生活の中で因果律の働きを計算に入れながら、本人の魂の成長にとって最も効率のよい指導をする、こういう関係をスピリチュアルといい、日本語では“霊的”という用語を当てている。
背後霊団の中の中心的存在はもちろん守護霊である。これは、肉体上の親が遺伝子という血縁によって結ばれているのとは違って、親和性という霊的な血縁によって結ばれた集団 – これを英語ではグループソウルといい“類魂”と訳されている – のひとりで、かなりの進化を遂げてはいるが、物質界との業(カルマ)が完全に消滅しきっていない段階にある。
そういう霊が守護霊に任命され、地上の類魂の面倒を見ることになる。
ここで注意しなければならないのは、守護霊(ガーディアン)という用語は人間側が勝手に当てているだけで、“守護(ガード)”という文字につられて何でも“守ってくれる”霊であると想像してはならないことである。
ステッドが指摘しているように、守護霊自身にもカルマがあり、地上の人間にもカルマがある。それが独自に作用することもあれば、互いに連動して作用することもある。
その辺は、因果律が機械的・自動的・絶対的に働き、情緒的な要素の入る余地はないらしいのである。確かに、人間界の悲劇を見ていると、それも納得がいく。
本章はいたって短いが、いろいろと示唆に富んだ、貴重な通信である。
11章 実相の世界
私の案内もいよいよブルーアイランドでの最後の日々のことと、次に赴(おもむ)いた世界に定住していく様子のことになりました。
ブルーアイランドはあくまでも過渡的な世界です。新参者が霊的環境に馴染むことを目的として用意されたもので、準備が整うと、本格的な霊の世界、実在の世界へと進んで行きます。そこには、地上での生活期間など比較にならない永続的な生活が待っております。
そこから、ブルーアイランドに戻ってくることは可能です。現に、多くの霊が、新しく霊界入りする知り合いや家族を迎えに降りてきて、案内したり面倒をみてあげたりしております。が、あくまでも一時的な訪問であり、そこにいつまでも滞在するようなことはありません。
こうした行ったり来たりの“場所の移動”(※)は、地上とはまったく異なります。その詳しい説明はともかくとして、本格的な霊界への移住は、地上からブルーアイランドに初めて来た時と同じように、大集団で行なわれました。
顔ぶれは同じではありません。同行を許されない者も沢山いました。代って、知らない人の方が大勢いました。移動する時の感じは、来た時と同じく物凄いスピードで空中を飛行しているようでした。
※ – ジョージ・オーエンの霊感書記通信『ベールの彼方の生活』の第3巻に、通信霊をリーダーとする15人の霊団が暗黒界へ赴き、大量の霊を救出する話が出ている。その霊の集団はその後ひとまずコロニーを建設して、そこで更正のための生活を営むことになる。そして4巻の冒頭にコロニーのその後に関する話題があり、その中に次のような一節がある。
《その後もそのコロニーは向上しつつあります。そして増加する光輝の強さに比例して少しずつその位置が光明界へと移動しております。これは天界における霊的状態と場所との相互関係の原理に触れる事柄で、貴殿には理解が困難、否、不可能かも知れません。それで、これ以上は深入りしないことにします》
この一節を呼んで私がすぐに思い浮かべたのは、私自身が睡眠直前に時たま体験する現象で、ステッドが最初にブルーアイランドに運ばれて行った時と、本格的な霊界へ向上して行った時に“物凄いスピードで虚空を上昇して行った”という体験と同じではないかと考えている。私の判断ではそれは、実際にはそんなに遠い距離を飛んでいるのではなく、霊的感性の特殊な反応ではないかと見ている。
例えて言えば、車の運転のシミュレーションのようなもので、身体は一定の位置に座っていながら、感覚的には物凄いスピードを出して運転しているかのように錯覚している。ステッドの体験はもちろん“錯覚”ではなく、霊性が次の環境に備えて何らかの変化をしているのであろうが、位置を移動しているのではなく、高次元的な変化が3次元的な変化として認識されているだけなのではなかろうか – 訳者。
到着した場所の印象は、ブルーアイランドのあの鮮明な青々とした印象に比べると、取り立てて形容するほどのものではありませんでした。色彩にさほど目覚ましいものがなく、住民は一定のパターンにはまっているという感じでした。
一見すると地上界に戻ってきたような印象で、何となく私には当たり前と思えるような環境のように思えました。他の者に訊ねてみると、同じような返事でした。それもそのはずで、各自にとってそこが、地上時代に培った霊的成長と民族の資質に似合った場所なのでした。摂理の働きで自動的にそういうふうに収まるのです。
あなたも、いや、地上の人間すべてが、いつかは必ずこの界層に来るのです。そしてここでも、霊的成長のための学習と仕事を続ける一方で、残り少なくなった地上時代の習慣と考えをさらに抑制し、あるいは棄てていく努力を続けます。生活形態そのものは地上時代と同じですが、対人関係は緊密度を増していきます。
家屋は地上と同じく自分の好みのものを所有し、気心の合った人たちと、見晴らしのいい丘の上などに集まって生活しています。まるで宮殿のような豪華な家に住んでいる人もいます。興味深いのは、そういう人たちは大抵地上でひどい貧乏暮らしをしていた人たちであることです。そういう暮らしを夢見ていたわけです。
死後のブルーアイランドでの調整期間に、進化を促進するには、そういう潜在的願望を満たしておくことが必要との判断がなされて、豪華で安楽な生活が許されたと考えればいいわけです。
しかし、その結果として、意図された通りの成果が見られない – 豪奢(ごうしゃ)な生活に甘んじてしまって進化が促進されない場合は、豪邸は没収され、改めて別の調整手段が講じられます。ひとりひとりにそれなりの手段が講じられます。それまでの生活を維持したければ、それなりの努力をするほかはありません。
この界層まで来ると、食べること、飲むこと、寝ることへの願望はもう消えてしまっております。荒けずりではあっても、物的なものから脱し切って、純粋な霊としての生活が始まりかけております。が、まだまだ錬成が必要です。
そこで、この界層にも学問的と修養のための施設が用意されています。ありとあらゆる情報と知識が用意されています。向学心、ないしは向上心さえあれば、どの施設でも利用することが許されます。
と言って、知識の詰め込みばかりをするわけではありません。生活のパターンは地上生活によく似ております。やはり“仕事”が中心です。ただ、身体的にも精神的にもはるかに自由で、行動範囲が拡大しています。地上でしか必要でない仕事、霊的自我の成長にとって何の足しにもならない仕事は、もう忘れ去られております。
それがどういう仕事であったとしても、今はもう関係ありません。階級差などは全くありません。かつて想像もしなかったほどの広大な視野が開けております。進歩を促進するのも妨げるのも、学問的知識と霊的知識をどれだけ獲得し、どこまで理解するかに掛かっております。
ここはまさに“自由の天地”です。幸福感と笑顔にあふれた世界です。人間と人間との真実の愛が生み出す幸福の世界です。その幸福の度合は、地上時代の精神生活の中で培われているのです。それを具体的に説明してみましょう。
この本格的な霊の世界に定住するようになって間もなく、品性卑(いや)しからぬ指導霊によるインタビューを受けます。地上時代の言動の全記録を総点検しながら、その方と是非を論じ合います。理由と動機とその結果が分析されます。
ごまかしは利きません。大きい出来事も、小さい内緒事も、すべてが映像として残っており、何ひとつ見逃されることはありません。行為に出たものだけではなく、心に宿したことも、ちゃんと残っております。
ひとりずつインタビューされます。そして償うべきこと – 思慮を欠いた判断、不親切な行為、人を傷つけた言葉など、直接の影響を及ぼしたことに対する裁断(※)が下されます。
※ – 指導霊が一方的に下すのではなくて、本人が納得ずくでそれを認めるということで、裁判のような情景を浮かべてはならない。人に迷惑を掛けたものの中には、すでに地上時代に何らかの形で償われているものもあり、それが改めて問われることはないという。
太古にあっては、こうした事実が寓話(ぐうわ)の形で語られたが、その後、宗教または信仰が組織的に拡大し、政治の道具とされるようになると、“悪魔”や“閻魔(えんま)”を創作し、恐怖心でもって信者を拘束(こうそく)するようになって行った。
このインタビューを現代風に表現すれば、長期の旅行に出るに先立って、人間ドックで健康を総合的に検査してもらって、治療すべきところを指摘してもらうようなものと考えればよいであろう。
その治療法ないし矯正(きょうせい)法は、このあと語られるように、誰かの背後霊となる場合もあるし、中にはもう1度生まれ変るという手段を取ることになる場合もあるらしい。が、ステッドはそこまでは深入りした話はしていない – 訳者。
そのあと、そうした“過去の過(あやま)ち”を償うための計画表が作成されます。それは当然のことながら地上界と密接につながっており、その償いにとって都合のよい、つまり効果的に償えるタイプの人生を歩む人間の背後霊のひとり(指導霊)として影響力を行使することになります。
決してラクな仕事ではありません。何しろ当人の意識にあるのは、自分が犯した過去の過ちであり、それが魂の足枷となって向上を妨げているのです。しかし、それを首尾よく解消してしまうと、“晴れて”この自由の界層での定住が許されるわけです。
定住といっても、ここでの生活形態は各自の気質、個性、地上生活での体験の違いによって、千差万別です。実にさまざまなタイプの人間がいて、際立った対照を見せている場合もあります。地上時代と同じ仕事 – 知的および精神約タイプ – を続けている人も少なくありません。
地上のように生きるための日々の糧(かて)を得るためにあくせくする必要がなく、ただひたすら、霊的な浄化と向上を目指しての生活に勤(いそ)しむのです。ただし、気晴らしに地上時代の趣味をいじくることはあります。
家に閉じ込もって何かを勉強したり研究したりするわけではありません。生活に一定のプログラムが組まれていて、その中に適当にいくつかの空白の時間が設けられています。その時間を利用して、地上の有縁の人を伺ってみることもあります。
単なる興味や情愛に動かされる場合もあれば、祈りの念を感じ取って援助に訪れる場合もあります。訪れてみると、精神的な悩みであることもあれば、病気や金銭上の悩みの場合もありますが、とにかく、われわれに許される範囲で精一杯の努力をいたします。
こちらの世界にもあらゆる種類のレクレーションがあることは、ブルーアイランドについての通信の中で述べた通りです。地上時代の趣味とか、クセになってしまった興味は、霊性の進化にとって実害がないかぎりは何でも許されます。
これでお分かりになったと思いますが、死後の世界はいたって自然であり、納得のいくことばかりです。地上時代に培った愛情はそのまま残っております。純粋なものほど強烈さを失っておりません。家族愛も友情も変っていません。
もっとも、地上では金銭等の物的な利害が障害となって不愉快な関係になってしまうことがありますがこちらへ来て、そうした物的な要素が消滅してしまうと、再び親密な関係を取り戻します。奥底にある愛は消えずに残っているのです。
死がもたらす変化の中でも最大のものは、視野の拡大とそれに伴う心の広さです。理解力が増し、洞察力が深まって、かつてのさまざまな難問や誤解が立ちどころに解けてしまいます。そして、ブルーアイランドからこの実在界へと歩を進めると – つまり地上生活にまつわる因縁を解消し、借金を払い終ると、本当の意味での自由の身となって、望み通りのことが許されます。
が、この世界での目的は、あくまでも“向上進化”です。それに悖(もと)るようなことをし始めると、たちまち自由が束縛されます。進歩を強要されるというのではありません。
何をやってもいいのですが、地上時代の低俗な煩悩(ぼんのう)に動かされるようなことがあると、自動的に霊性が低下し、自由が束縛されるということです。高い世界にはそれなりの摂理があります。それを熟知し、それに則(のっと)った生活を営まねばなりません。
行動はまったく自由であり、地上界へ戻ってみることもできます。動きの速さはまさに電光石火で、“ふたつの場所に同時に存在する”のと同じくらいに行動することができます。
この実在界では、いかなる存在との間にも親和力を感じます。地上で人間どうしで感じる親近感よりはるかに親密です。その親和力がこの世界全体に光輝を生み出しています。
地上のように光線となって放たれているのではありません。この世界の大気に相当する雰囲気そのものが、明るい活性力をもった生命力にあふれているのです。
ここでの生命活動は壮麗という形容がふさわしいでしょう。大胆になるといってもよいでしょう。幸福感に満ちあふれております。しかし、そうした恩恵に浴することができるのは、地上で分別ある“まともな”生活を送った人間に限られます。無分別な生活、自己中心の欲望に駆られた人生を送った者は、死後、困難と苦悶と悲哀とが待ちうけております。
げに、“蒔いたタネは自分で刈り取らねばならない”のです。
12章 “無限”への旅の始まり
あの悲劇的な海難事故で地上を去って以来、地上の時間にしてかなりの年数になりますが、その間、こうした形で絶え間なくかつての自分の生活の場、そして愛する者が今なお生活している地上界との連絡を取り続けていても、もう1度地上へ再生して生活してみたいと思ったことは1度もありません。とくにブルーアイランドを卒業してこの実在界へ来てからはそうです。
ただ、今の私には地上時代にはなかった新しい視力がありますから、地上に残した縁ある人々のしていることを見ていて、その間違いが明確に見て取れます。そんな時には、今すぐにでも地上に生まれ出て直接諭(さと)してやりたい気持に駆られることはあります。
が、そういう場合を除けば、地上生活をもう1度味わってみたいと思うことは、まずありません。それよりも、こちらでの見学や見物の旅、仕事、研究の方がよほど興味があります。それによって得た知識は、地上時代の知識とは比べものになりません。その中から皆さんにぜひ伝えたいと思うものを、こうしてお届けしているわけです。
そういう個人的な関係とは別に、国家としてのその後の発達や内外の動向にも、別の関心を抱き続けております。地上に縁の濃い人がいるかぎりは、愛国心というものも消えることはありません。
が、その人たちもいつかは地上を去ってこちらへ来ます。すると次第に、そして自然に、地上への関心が薄れ、その分だけこちらの世界への関心が増し、愛国心は新しい他界者へと譲ってまいります。こうして受け継がれていくわけです。
ブルーアイランドに来てからの足跡をたどってみると、その間の自分の進歩にはまずまずの満足感を覚えます。あのような事故でこちらへ来たことは、私にとって大変ショッキングなことでした。あの年(1912)が明けた時、2か月後に自分の死期が迫っているとは夢にも思いませんでした。
また、そうなってもらっては困る時期でもありました。やりたいことが山ほどあったからです。そのうちのいくつかは、こちらへ来てからでも成就することが出来ましたし、今なお手掛けているものもあります。
こちらへ来てまず心掛けたことは、新しい環境への適応でした。何もかもが新しいのです。動作も意志の伝達も、みな違います。こちらでは言語を使ってしゃべることは、あまりありません。それよりもっと表現力に富んだ、直接的な方法があるのです。精神と精神とが直接的に感応し合うのです。もっとも、地上と同じように、ことばで話し合うことも、しようと思えばできます。
その他にも、そちらとこちらの生活形態には勝手の違うことが沢山ありますが、その中でもいちばん有り難く思うことは、精神活動が物的な事情によって制約されることがないことです。地上では何らかの願望 – お金が欲しい、仕事を成功させたい、楽しいことがしたい、もっと知りたい、等々 – を心に宿しても、いざ実践しようとすると、いろいろと制約があって、思うにまかせません。
その点こちらでは、理に適(かな)ったものであれば何でも存分に叶えられます。真理や知識を得たいと思えば、信じられないほど即座に手に入ります。しかし、それだけに動機が間違っていれば、その報いも即座に降りかかってきて、その償いをしなければならなくなります。こちらでは動機がすべてなのです。
あなたの今の霊性そのままが死後のあなたの姿と環境に反映します。死後にまとう霊的身体は、その地上生活の中でこしらえているのです。仕事の中身と思念の性質がこしらえるのです。
一見したところ、こちらの世界は地上界と実によく似ております。鉱物も植物も動物も、その他ありとあらゆる形の生命が存在します。人間が可愛がっている動物、飼い馴らした動物はもちろん、野生の動物もいます。が、野生のものは、それぞれの特定の生息地があって、そこに群がっております。
こう言うと「じゃあ、地上界の写しのようなものですね」とおっしゃる人がいることでしょう。確かに、一見するとそう思いたくなりますが、実はその逆でして、地上界がこちらの世界の写しなのです。
地上界は鍛練を目的として設けられた世界です。物的な富を蓄えて贅(ぜい)をつくして満足するのも結構ですが、それだけで終ってはいけません。自分の本当の個性を見きわめ、自制しながら発達させることを怠ってはなりません。地上特有の楽しさと喜びを味わうのは結構ですが、それに溺れて自分を失ってはなりません。
さきほども述べた通り、他界後の私自身の進歩ぶりには満足しておりますが、自分個人から離れて、大局的見地から見ても、満足すべき成果があったと考えております。つまり地上界との交信にも大きな進歩があったということです。
その成果は、皮肉にも、世界各地における戦争で肉体を失った若い兵士がこちらへ持ち込んだ物的エネルギーに負うところが大でした。英国だけの話ではありません。世界規模で言えることです。若い霊が、そのエネルギーと決断力を霊界へ持ち込んでくれたお蔭で、ふたつの世界の間で障害となっていたものが数多く取り除かれたのです。
その間に多くの霊によって届けられた霊的知識には互いに矛盾するものもあるようですが、それをもって真理でないと決めつける理由にはなりません。真理というものは時として意外性をもち、立場上、受け入れては都合が悪いこともあります。が、真理はあくまでも頑固であり、いつかは必ず受け入れられなければならないものです。
譬え話をしましょう。今、海を見下ろす断崖絶壁に立っていると想像してください。星の降るような夜で、海には何艘(そう)もの船が岸につながれています。その船の灯りがチラチラと見えています。見上げると満天の星が見えます。
が、海の船との距離と、空の星との距離は比べものになりません。その船の灯りがあなたがた人間で、崖から見下ろしているのが霊界の私たちです。そのうち夜ければ、あなたがたの目に私たちの姿が見えるでしょう。その程度の距離でしかないのです。
後に残した者のことを思い、何とか意志を通じさせようと必死になっている者もいれば、じっくり待つ覚悟を決めている者もいます。が、満天の星のように、私たちの上にも果てしない霊の世界が広がっているのです。その距離の何と遠いことでしょう。私たちもまだ旅に出たばかりなのです。何ひとつ忘れてはいません。愛も少しも失っておりません。
13章 個人的存在の彼方へ
地上での一生もそうでしたが、こちらへ来てからの生活も順調で、健全で、興味の尽きることがありません。
“霊”の話になると、とかく万能の魔力を秘めているかに想像されがちですが、私は相変らず平凡な真理探求者にすぎません。“死“は私を少しも変えておりません。唯一の変化は、行動が比較にならないほど迅速(じんそく)になったことです。私は大いに若返りました。この事実だけは、時がたつにつれて、ますます明確になってまいります。
死後の世界の問題に関心をもつ人は、その見解の相違はともかくとして、死後にも生命があるとする点は同じでも、では一体われわれは何のために存在しているのか、究極の世界ではどうなるのか、といった疑問を抱くことでしょう。
これは実に厄介な問題です。なぜ厄介か。われわれの理解力・洞察力に限界があるからです。人間はもとよりですが、霊的存在となった私たちも、全知全能ではないということです。こちらへ来て、それがよく分かりました。
地上でのあなたの心の姿勢がこちらでの意識レベルを決することは、これまで何度も説明してきましたが、同じことがこちらへ来てからも言えます。つまり現在の私の界層での心の姿勢が、やがて赴く界層での境遇を決するのです。
上昇するかも知れいし、下降するかも知れない。幸福感が増すかも知れないし、減るかも知れない。そしてまた、そこでの私の心の姿勢によって、さらに次の段階での境遇が決まるという具合なのです。
幸いにして向上の一途をたどったとしましょう。霊性が進化するほど、内部の霊的属性ないしは資質がますます発揮されて、いわば自給自足の生活の範囲が広がります。そうして向上していくうちに、ブルーアイランドで体験したのと同じ体験、すなわち、過去を総合的に検討させられる段階に至ります。
ひとりでするのではありません。ブルーアイランドの時も高級霊が付き添ってアドバイスをしてくれましたが、こんどは、さらに高級な霊 – 神性を身につけた存在の立ち会いのもとに行なわれ、厳しい査定を受けます。
その結果、もしかしたら、もう1度地上に再生して苦難の体験をした方がよいとの判断が下されるかも知れません。あるいは、まずまずの査定を受けて、さらに向上の道を進むことを許されるかも知れません。
生まれ変りの手続きはこの段階に至って行なわれるのです(※)。その段階に至った頃には、かつての地上生活、いわゆる前世の細かいことは忘れているのが普通です。
その段階に至るまでにどの程度の期間を要するかは、一概には言えません。が、一般的に言って、ブルーアイランドを卒業したあと、実相の世界の生活を体験しながらそこに至る期間は、地上生活よりも長いのが普通です。界層が高まるほど、そこでの滞在期間は長くなります。
※ – 本書の通信霊のステッドと同じく地上でスピリチュアリズムに関心をもち、その真実性を信じて他界した後に通信を送ってきた霊に、ほぼ同時代のフレデリック・マイヤースがいる。地上時代に古典学を修めた詩人だけあって、その通信内容に学究的な香りがある。
私が霊界通信によって魂を揺さぶられた最初の体験をしたのが、このマイヤースの通信を読んだ時で、浅野和三郎の抄訳『永遠の大道』と『個人的存在の彼方(かなた)』だった。(今でも潮文社から復刻板が出ている。)
この2著は互いに補足し合う形になっていて、全体としてひとつと見るべきものであるが、ここでステッドが言及している再生について、別の角度から同じことを述べている。この抜粋を紹介すると長文になりすぎるので、私が簡潔に要点をまとめると –
マイヤースの説の根幹をなすものは“類魂説”である。肉体に代々の親(先祖)がいるように、魂にも代々の親がいる。その魂の先祖が集まって類魂団を構成している。九章の冒頭の訳註でも述べたように、守護霊というのはその中のひとりが指名を受けて責任を請け負ったものである。
さて、その類魂団を構成する霊の数は50の場合もあれば100の場合もあり、それ以上の場合もある。それらが次々と物質界(地球ばかりとは限らない)に誕生してその体験を持ち帰る。
死後しばらくの間(ブルーアイランドでの滞在期間)はその反省が主な課題となるが、その後さらに向上していくにつれて類魂の存在に気づくようになり、しかも、他の類魂の地上その他での生活体験からも自分の成長を促進するものを摂取することができるようになる。それを可能にさせるものこそが“愛”であるという。
その時の協調関係は筆舌に絶する喜悦に満ちたものとなるらしい。かつて地上で英国の学校の教師だった者、アメリカ人の商人だった者、日本人の僧侶(そうりょ)だった者もいれば、難民の子として餓死(がし)した者、過ちを犯して獄につながれたことのある者もいるかも知れない。
が、今はもうそれによる魂の傷も癒え、償いも済ませて、全てが貴重な体験として仕舞い込まれていて、折にふれ、他の類魂の成長の精神的養分に供される。が、そうした協調関係による霊性の向上を続けていくうちに、どうしても、もう1度物質界での試練を必要とすることを明確に自覚する段階に至ることがある。
それがステッドのいう再生の選択の時期である。そこに付き添ってアドバイスを与えてくれる高級霊というのは、類魂の中の先輩のひとりである。
その再生がいかなる原理のもとに行なわれるかは、少なくとも私が知るかぎりでは、細かく教えてくれた通信は入手されていない。シルバーバーチ霊は「人間に教えてはならないことがいろいろとある」と述べているが、再生の原理もその秘密のひとつなのであろう。知っても知らなくても、別にどうということのないものであることは確かである。
また、巷間(こうかん)、チャネリングとかいって、前回の地上生活、いわゆる“前世”を読み取ったり、催眠術で本人に語らせたりする試みがなされているようであるが、霊ないしは自我の本性ついての理解がまだまだ幼稚な今の段階で、証拠もなく益もなく、むしろ危険に満ちたことを試みるのは控えるべきだというのが、私個人の見解である – 訳者。
さて、再生の必要なしとの査定が下され、さらに1歩“進級”することを許された霊が突入して行く世界は、それまでの“個”としての存在から“無”の存在となります。個性が消滅するという意味ではありません。個性は無くなりません。が、その影響力が他の“ひとり”ではなく他の“全て”に及ぶことになるということです。つまり、普遍的絶対愛の世界です。
以上はただ概略を述べただけです。進化の旅のおよその旅程を述べただけです。たとえ詳しく述べたところで、地上の人間にはとても理解できませんし、正直言って、私自身にも完全な理解はできません。何度も述べましたように、私もまだ物質界を旅立ってほんの少し霊界を見物したばかりです。ただ、実相の世界の美しさは十分に味わいました。それをお伝えしたくて戻ってきたわけです。
皆さんより1歩高い位置に立ち、皆さんには見えないものがありありと見えている者から、その絶対無の世界を説明すれば、皆さんが50パーセントないしは60パーセント、もしかしたら100パーセント満足するところを、そこまで到達した霊は600パーセントの満足感を得ていると表現してもよいくらいです。
これは、満足度を数値で示しただけです。その実感は説明しようがありません。無理して説明すれば「やれやれ、そんなのはご免こうむるよ。オレはこのままで結構だ」などとおっしゃる方がいるかも知れません。
病気で療養中の人にはオートバイよりも車椅子の方が喜ばれるでしょう。が、元気盛りの若者にはオートバイの方がいいに決まっています。それと同じです。虚相のすべてから解放された絶対的な実相の世界では、人間の想像を絶した創造の営みが続けられているのです。
それは、虚相の世界にいる、かつての身内の友人を置き去りにして、自分だけ無上の幸福感に浸るというのではありません。前にも述べましたように、この宇宙間に“別離”というものは生じないのです。果てしなく向上して行きながらも、物質界との接触が途切れることはありません。
個人的存在の次元を超えて“無”の世界へ入っても、かつての縁のあった者とのつながりが途切れるわけではありません。向上するほど愛の扉が広く開かれ、受け入れる間口が無限に広がり、ついには全てを受け入れる絶対愛の域に到達するのです。
おしまいに
スピリチュアリズムという用語は、残念ながらいろいろと誤解されており、中にはただの占いか好事家(こうずか)の道楽くらいに考え、そういうものに関わるのは危険である – 反キリスト的な悪魔の仕業(しわざ)に違いないと決めつけます。
しかし、そう考える人たちは不幸にしてスピリチュアリズムのニセモノばかりを見せられ、ホンモノを知らずに間違った先入観から拒否反応を起こしているに過ぎません。
こうした態度は、ホンモノを知っている人にとっては残念でもあり、不愉快でならないことでしょう。が、これが現実であり、無視できない勢力をもっております。今回の通信のしめくくりとして、その誤解を解き、スピリチュアリズムの真髄を述べておきたいと思います。
スピリチュアリズムは反キリスト派による策謀ではありません。スピリチュアリズムの教えの中にはキリストが説いた教えの全てが含まれております。ご承知のように、キリストは愛と寛容と助け合いの精神を第一に説きました。“黄金律(ゴールデンルール)”というのがそれです。
「何ごとも、人にせられんと思うことは、人にもそのごとくせよ」そのほか、いろいろに表現されておりますが、スピリチュアリズムもまったく同じです。
キリストの弟子の中に不実な男がいたから、あるいはその後のキリスト教会の聖職者の中にも罪深い者が少なくないからといって、それだけでキリスト教を全面的にダメだと決めつけてしまう人はいないでしょう。
キリストの教えが宗教倫理として最高のものであることは万人の認めるところです。スピリチュアリズムの霊的思想も、キリストの教えと同じ基盤の上に立っているのです。それもそのはずです、地球圏を支配しているのはキリストの霊(※)であり、それが摂理となって作用しているからです。
世界の宗教はその摂理を異なった角度から見て、それぞれの教理としているわけです。ある宗教で奨励していることを別の宗教では禁じていたりするのは、見る角度が異なるからです。そのどちらを取るかは、各自の判断力ないしは理解力によって違ってくるわけです。その段階においてはそれでいいのです。
真理の全てを網羅している宗教はありません。どの宗教も一面しか説いておりません。そうした中にあって、より高いものを説いている宗教と低いものを説いている宗教、より多くの真理を摂り入れている宗教と少ない宗教とがあるわけです。
しかし、すべての道は究極的にはひとつの頂上につながっています。狭くて窮屈な道もあれば、脇道もあります。広くてゆったりとした道もあります。そして天下の公道ともいうべき幹線道路(ハイウェイ)があります。スピリチュアリズムは神のハイウェイなのです。
※ – キリストという霊的存在について最も詳しく説いているのは、キリスト教牧師のジョージ・オーエンの自動書記通信『ベールの彼方の生活』の第4巻で、その中で“イエス・キリスト”と並んで“ブッダ・キリスト”という表現が出てくる。その一節を紹介すると –
「ガリラヤのイエスとして顕現し、そのイエスを通して父を顕現したキリストが、ブッダを通して顕現したキリストと同ひとり物であるとの説は、真実ではありません。
またキリストという存在がひとつでなく数多く存在するというのも、真実ではありません。イエス・キリストは父のひとつの側面の顕現であり、ブッダ・キリストはまた別の側面の顕現です。しかも両者は唯一のキリストの異なれる側面でもあるのです。
人間もひとりひとりが創造主の異なれる側面の顕現です。しかし、すべての人間が共通したものを有しております。同じように、イエス・キリストとブッダ・キリストとは別個の存在でありながら、共通性を有しております。
しかし、顕現の大きさからいうと、イエスの方がブッダに優ります。他にもキリストの側面的顕現が数多く存在し、そのすべてに右に述べたことが当てはまります」
またシルバーバーチも「イエス・キリストをどう位置づけるべきか」の質問に答えて、こう述べている。
「この問題の取り扱いには私もいささか慎重にならざるを得ません。なるべくなら人の心を傷つけたり気を悪くさせたくはないからです。が、私の知るかぎりを、そして、私が代表している霊団が理解しているかぎりの真実を有りのままに述べましょう。
それにはまずイエスにまつわる数多くの間違った伝説を排除しなければなりません。それがあまりに永いあいだ事実とごたまぜにされてきたために、真実と虚偽との見分けがつかなくなっているのです。
まず歴史的事実から申し上げましょう。インスピレーションというものは、いつの時代にも変らぬ、顕と幽とをつなぐ通路です。人類の自我意識が芽生えはじめた当初から、人類の宿命の成就へ向けて大衆を指導する者への指導と援助とがインスピレーションの形で届けられてまいりました。
地上の歴史には予言者・聖人・指導者・先駆者・改革者・夢想家・賢者等々と呼ばれる大人物が数多く存在しますが、その全てが、内在する霊的な天賦の才を活用していたのです。
それによって、それぞれの時代に不滅の光輝を付加してまいりました。霊の威力に反応して精神的高揚を体験し、その人を通じて無限の宝庫からの叡知が地上へ注がれたのです。
その一連の系譜の最後を飾ったのがイエスと呼ばれた人物です。ユダヤ人を両親として生まれ、天賦(てんぷ)の霊能に素朴な弁舌を兼ねそなえ、ユダヤの大衆の中での使命を果たすことによって、人類の永い歴史に不滅の金字塔を残しました。地上の人間はイエスの真実の使命についてほとんど理解しておりません。わずかながら伝えられている記録も汚染されております。
数々の出来事も、必ずしも有りのままに記述されておりません。増え続けるイエスの信奉者を権力者の都合のよい方向へ誘導するために、教会や国家の政策上の必要性に合わせた捏造(ねつぞう)と改竄(かいざん)が施され、神話と民話を適当に取り入れることをしました。
イエスは(神ではなく)人間でした。物理的心霊現象を支配している霊的法則に精通した、大霊能者でした。今日でいう精神的心霊現象にも精通していました。
イエスには使命がありました。それは当時の民衆が陥っていた物質中心の生き方の間違いを説き、真理と悟りを求める生活へ立ち戻らせ、霊的法則の存在を教え、自己に内在する永遠の霊的資質についての理解を深めさせることでした。
では、バイブルの記録はどの程度まで真実なのかとお聞きになることでしょう。福音書の中には真実の記述もあるにはあります。たとえば、イエスがパレスチナで生活したのは本当です。
低い階級の家に生まれた名もなき青年が、聖霊(背後霊団)の力ゆえに威厳をもって訓(おし)えを説いたことも事実です。病人を霊的に治癒したことも事実です。心の邪(よこしま)な人間に取り憑(つ)いていた霊を追い出した話も本当です。
しかし同時に、そうしたことが全て、霊的な自然法則に従って行なわれたものであることも事実です。自然法則を無視して発生したものはひとつもありません。何人(なんぴと)といえども自然法則から逸脱することは絶対にできないからです。
イエスは当時の聖職者階級から、自分たちと取って代わろうとする者、職権を犯す不届き者、社会の権威をないがしろにし、悪魔の声としか思えない教説を説く者として、敵視される身となりました。そして、彼らの奸計(かんけい)によってご存知の通りの最期を遂げ、天界へ帰ったあと、すぐに物質化して姿を現わし、伝道中から見せていたのと同じ霊的法則を証明してみせました。
憶病で小胆な弟子たちは、てっきり死んでしまったと思っていた師の蘇(よみがえ)りを見て、勇気を新たにしました。そのあとはご存知の通りです。一時はイエスの説いた心理が広がり始めますが、またぞろ聖職権を振り回す者たちによって、その真理が虚偽の下敷きとなって埋もれてしまいました。
その後、霊力は散発的に顕現するだけとなりました。イエスの説いた真理はほぼ完全に埋もれてしまい、古い神話と民話が混入し、その中から、のちに2000年近くにわたって説かれる“新しいキリスト教”が生まれました。
それはもはやイエスの教えではありません。その背後には、イエスが伝道中に見せた霊力はありません。主教たちは病気治療をしません。肉親を失った者を慰める言葉を知りません。憑依霊を除霊する霊能を持ち合わせません。彼らはもはや霊の道具ではないのです。
以上、いたって大ざっぱながらキリスト教誕生の経緯を述べたのは、イエス・キリストを私がどう位置づけるかというご質問にお答えする上で必要だったからです。ある人は神(ゴッド)と同じ位(くらい)に置き、ゴッドとはすなわちイエス・キリストであると主張します。
それは、宇宙の創造主、大自然を生み出した想像を絶するエネルギーと、2000年前にパレスチナで30年ばかりの短い生涯を送った1個の人間とを区別しないことになり、これは明らかに間違いです。相も変らず古い民話や太古からの神話を後生大事にしている人の考えです。
ではどう評価したらいいのか。人間としての生き方の偉大な模範、偉大なる師、人間でありながら神のごとき存在、ということです。霊力のすごさを見せつけると同時に、人生の大原則 – 愛と思いやりと奉仕という基本原理を強調しました。それはいつの時代にも神の使徒によって強調されてきていることです。
もしもイエスを神に祭り上げ、近づき難い存在とし、イエスの為せる業は実は人間ではなく神がやったのだということにしてしまうならば、それはイエスの使命そのものを全面的に否定することであり、結局はイエス自身への不忠を働くことになるのです。イエスの遺した偉大な徳、偉大な教訓は、人間としての模範的な生きざまです。
霊的に見れば、イエスは地上人類の指導者の長い霊的系譜の最後を飾る人物、それまでのどの霊覚者にもまして大きな霊力を顕現させた存在です。だからといって私どもは、イエスという人物を“崇拝の対象”とするつもりはありません。イエスが地上に遺した功績を誇りに思うだけです。
イエスはその後も私たちの世界に存在し続けております。イエスから直々(じきじき)の激励にあずかることもあります。ナザレのイエスが手がけた仕事の延長ともいうべきこの大事業(スピリチュアリズム)の総指揮に当たっておられるのが、ほかならぬイエスであることも知っております。そして、当時のイエスと同じように、当時の聖職者と同じ精神構造の人たちからの敵対行為に遭遇しております。
しかし、スピリチュアリズムは証明可能な真理に立脚している以上、きっと成功するでしょうし、また、ぜひとも成功させなければなりません。
イエスを真実の視点で捉えなくてはなりません。すなわちイエスも一人間であり、霊の道具であり、神の僕(しもべ)であったということです。あなたもイエスの為せる業のすべてを、あるいはそれ以上のことを、為そうと思えば為し得るのです。そうすることによって、真理の光と悟りの道へ人類を導いてきた幾多の霊覚者と同じ霊力を発揮することになるのです」
訳者あとがき – W・ステッドとスピリチュアリズム
ウィリアム・ステッドはスピリチュアリズムの勃興期(ぼっこうき)に活躍したジャーナリストであると同時に、みずからも貴重な自動書記通信を残した霊能者でもあった。
ステッドは1849年の生まれである。奇しくもその前年が“スピリチュアリズム元年”と呼ばれている。そのわけは、1848年3月31日に霊界と地上界の間で初めて暗号通信が成功したからである。スピリチュアリズムの理解のためにも、ここでこの経緯を詳しく紹介しておきたい。
○スピリチュアリズムの発端
ニューヨーク州西部の都市ロチェスターの片田舎にハイズビルという村があり、そこの一軒家にフォックスという、夫婦と末娘ふたりの家族が引っ越してきた(長女はすでに嫁ぎ男兄弟は3人とも独立していた)。1847年12月のことである。
前の住人のウィークマン氏の話によると、どうも気味悪い音がしてしょうがないので家を売りに出したという。が、フォックス家が移り住んでしばらくは、これといって不気味な音に悩まされるということはなかった。ただ、ネズミの仕業かと思える程度の音はよく聞かれ、何となく騒々しい家だという印象は抱いたという。
それが明くる年から次第に激しさを増し3月に入ってからは、夜になると何かを叩くような音や手でノックするような音、さらには家具を移動させているような騒々しい音が聞こえるようになった。そうした音は日増しに激しさを増し、真夜中にびっくりして起きるようになった。フォックス夫妻はそのつどランプをつけて家中をまわって点検したが、何ひとつ変ったことは見つからない。
たとえば、ドアを叩くような音がする時はそのすぐ側に立って身構え、次に音がすると同時に開けてみるのだが、何も見当たらない。そのうち、ついに問題の31日がやってきた。
その日は雪の降る寒い日で、風も強くて窓がガタガタいっていた。毎晩の出来事に業を煮やしていた両親は、ふたりの子供を自分たちの寝室で寝かせることにして、ベッドを運び込んだ。そして、何が起きても騒がないように言いつけて寝た。すると間もなく子供が「また変な音が…」と叫んだ。
「放っときなさい!」と母親が叱るように言ってフトンをかぶった。とたんに、また大きな音がした。子供は怖がってベッドの上に起き上がってしまった。その時、母親が「窓が外れてるのじゃないかしら?」と言うので、フォックス氏が起きて窓のところへ行き、トントン、トントンと叩いて、窓の具合を確かめた。
その時である。末娘のケートが「お父さんが窓を叩くたびに天井から音がするよ」と言ってから、その音のする方角を向いて「これ、鬼さん、あたしのする通りにしてごらん」と言って、親指と人差し指でパチンパチンと鳴らしてみた。すると同じ回数だけ音が返ってきた。
うれしくなったケートは「母さん、ホラ!」と言って、もう1度指を鳴らすと、すぐまた音が返ってきた。何べんやっても返ってくる。そこでこんどは姉のマーガレットが「こんどはあたしのする通りにしてごらん」と言って両手で4回叩くと、すぐさま4つ音が返ってきた。
古来、霊騒動とか騒霊現象と呼ばれているものは西洋ではポルタガイストと呼ばれ、今も昔も話題に事欠かないが、このケートのとっさの機転で、それがスピリチュアリズムという大発見へと一大飛躍をとげることになった。つまり地上界と死後の世界との間で一種のモールス信号による通信が成功したのである。
コナン・ドイルはこれを海底ケーブルを使っての大陸間の電話の開通になぞらえ、テストエンジニアの間で最初に交わされた言葉は、ただ確認し合うだけの簡単なものだったであろうが、その後、国家間の重大なメッセージが交わされるようになっていったのと同じで、このケートと“鬼さん”との交信が、その後、死後の世界の情報がふんだんに流れ込む最初の懸け橋となった、と述べている。
たしかに、その時の対話は他愛もないものだった。ふたりの娘のしていることを傍(はた)で見ていた母親がその“鬼さん”に向かって「じゃ、10回鳴らしてみて?」と言うと、きちんと10回音がした。
「娘のマーガレットの歳は?」と聞くと12回音がした。「じゃ、ケートは?」と聞くと、9回鳴った。答えているのは何者だろうか…母親は不思議でならない。自分の思念がこだましているだけではなかろうかと思ったが、次の問答がその疑念を打ち消した。
「あたしが生んだ子供は何人?」と聞くと7つ音がした。「もう1度答えてみて?」と言うと、やはり7回音が返ってきた。そこでもうひとついい質問に気づいた。
「7人とも今も生きてるかしら?」これには何の応答もない。そこで「何人生き残ってるの?」と聞くと、6つ音がした。「死んだのは何人?」と聞くと、ひとつだけ返ってきた。たしかに7人生んでひとり死んでいた。
そこで、こんどは質問をその“正体”へと向けた。「あなたは人間なの?」 – 返事がない。そこで「霊なの?」と聞くと、そうだと言わんばかりのラップがした。
「近所の人たちを呼んできてもいいかしら?」と聞くと、いいと言わんばかりのラップがした。そこでフォックス氏が隣の家の奥さんを呼んできた。来た時は“まさか…”と言わんばかりの笑いを浮かべていたが、間もなく真顔に変った。出した質問に対する返答が瞬間的でしかも正確だったからである。
そして家族の人数を尋ねた時は、驚きがその極に達した。“3人”と答えると思っていたら“4人”と答えた。実は幼い女の子を亡くしたばかりで、それを思い出して、その奥さんはその場に泣き崩れたという。
このあと、話題はさらに発展して、その霊の地上時代の身元は行商人で、4、5年前にこの家に行商に来た際に、当時の住人に殺害されて金を奪われ、死体はこの家の地下室に埋められたという事実まで述べた。
そうしたセンセーショナルな話題に発展したことで、この怪奇現象は“ハイズビル【事件】”とか“フォックス家【事件】”などと呼ばれるようになって行くが、スピリチュアリズムの観点からすると、この事件のもつ意義は、殺人事件の発覚に至る以前にすでに十分に果たされていた。
つまり、地上界と死後の世界との間で交信が可能であることを証明してくれた点に、この事件の大切な意義があったのである。
付記 – 平成4年6月下旬に私は、米国のナイアガラ瀑布の近くにあるリリーデールという、自然環境に恵まれたスピリチュアリズムのキャンプ地を訪れた。ここで毎年9月までいろいろな霊的な行事が行なわれるのであるが、私が訪れた時はこれから参加者が続々と集まってくるという時期で、まだ本格的なにぎやかさは見られなかった。
もっとも、私がそこを訪れた最大の目的は、霊的行事に参加することよりも、フォックス家の家族が住んでいた例の家屋がそっくりリリーデールに運ばれて、他のいくつかの資料とともに展示してあるとの話だったので、それをこの目で確かめることにあったのであるが、その家屋は数年前に火事で焼失したとのことで、その跡地にはご覧の通りの銅板の記念碑が残っているだけだった。それにはこう綴られていた。
《フォックス家を記念して –
フォックス家はマーガレットが11歳、ケーティが9歳の時にこの家に住んでいて、1848年3月31日、人類史上はじめて人間個性の死後存続の証拠を霊界から受け取った。そしてそれがスピリチュアリズムの発端となった。
この家屋は1916年5月にベンジャミン・F・バートレットによって買い取られ、ハイズビルからここに運ばれてきたものである》
○心霊研究と交霊会の始まり
それというのも、この事件がきっかけとなって全米でフォックス姉妹のような霊的媒介者(ミディアム)(のちに日本では“霊媒”と呼ぶようになった)と思われる人物が科学者や知職人による研究の対象とされるようになり、交霊会という、霊界との交流の場が各地で開かれるようになっていったからである。
米国におけるそうした動向の中で特筆すべき人物はニューヨーク州の最高裁判事、ジョン・エドマンズであろう。州議会の議長を歴任したこともある屈指の著名文化人であり、有力な次期大統領候補のひとりであったために、スピリチュアリズムの真実性を支持する意見を新聞紙上で発表した時は、裁判官ともあろう者が何たること、といった非難を浴びた。
上/エドマンズ判事(1816~1874)
下/リリーデールにあるフォックス家の記念碑。
この奥に家屋があった。
その主な原因は、当時は死後に関わる信仰はキリスト教が絶対であり、教会は死者と語り合う交霊会なるものを禁じていたからである。が、真実性を確信しきっていたエドマンズ判事は、どちらを選ぶかの決断を迫られて、いさぎよく判事職を辞任し、余生をスピリチュアリズム思想の普及のために捧げている。<ニューヨーク・トリビュー>紙に発表した論文から一部を紹介すると –
《私がこの道の研究を始めたのは1851年1月のことで、それから2年後の53年4月になってようやく、霊界との通信の実在に得心がいった。その正味2年と2か月に及ぶ期間中に、私は実に何百種類にも及ぶ心霊現象を観察し、それを細かく、かつ注意深く記録した。
交霊会に出席する時は必ず筆記道具を持参して可能なかぎりメモし、帰るとすぐ、その会で起きたことを始めから終りまできちんと整理するのが習わしで、その記録の細密さは、私がかつて本職の判事として担当したどの裁判の記録にも劣らぬほどのものだった。
その調子で記録した交霊会は数にして200回近く、費した用紙は実に1600ページにも及んでいる。むろん同一霊媒ばかりでなく、なるべく多くの霊媒の交霊会に出席したが、その折々の事情もまた多様で、ふたつとして似たような条件の会は体験しなかった。1回1回に何か新しいものがあり、前回とは違っていた。出席者も違っており、現象も主観的なものと客観的なものが入り混じっていた。
私なりに幻覚を防ぐべく最大限の手段を講じた。というのも、その時からすでに私や同志たちの心の底には、現在こうして生きているわれわれが他界した過去の人物と交信するということがもしも本当だとすれば、これはなんと素晴らしいことではないかという、わくわくするほどの想いが渦巻いていたからである。
それだけに私は、そうした期待によって理性的判断が歪(ゆが)められてはならないと思い、その予防にも苦心した。それがために、時には極度に懐疑的になることもあった。来世の存在についての確信が揺らぐこともたびたびあったが、そんな時でも私は、どうしようもないほど確定的な事実は別として、疑える点は徹底的に疑ってかかることを恐れなかった。
したがって勢い、次の交霊会が開かれる時までには、私の胸中に、どうしても突き止めたい疑問点がいくつか宿されていることが多かった。ところが不思議なことに、次の交霊会でその疑問点に真っ向から答えるかの如(ごと)き現象がよく起きて、その疑問を立ちどころに打ち消してくれることがあった。
それで万事すっきりしたのであるが、例によって私は、その日の記録をきちんと整理し、それを数日間、何度も読み返しては前回の記録と比較検討し、なんとかして霊魂説以外の解釈は有り得ないものかと、ありったけの知恵をしぼってみたものである。そんな次第であるから、次の交霊会には必ず新しい疑問と研究課題とを持ち込むことになったのである。
こうした態度は当然、詐術やペテンに対する警戒心を生む。私もそのために有りとあらゆる手段を講じたものであるが、今その頃のことを思い出すと、いささか苦笑を禁じ得ないものがある。
が、ともかくも、そうした“しつこい”までの私の懐疑的態度が生み出すひとつひとつの疑問が見事に解決されていったということは、私の研究過程において特筆大書に値する大切な事柄であると思うのである》
◯“救済”を目的とした“招霊実験”
エドマンズ判事がそうした不遇な立場に追いつめられたもうひとつの理由は、著名な学者や純粋に科学畑の人たちによる本格的な研究が、まだ世間の注目を集めるほどには盛んでなかったことが挙げられそうである。が、そうした数少ない学者のひとりとして、後世に記念碑的な業績を遺してくれた人物として、カール・ウィックランド博士を忘れてはならないであろう。
博士は精神科医であるが、早くから霊の実在を信じ、同時に、精神病の原因は低級霊の憑依であるとの観点から、その憑依霊を一時的に霊媒(博士夫人)に乗り移らせて、博士との対話を通じて霊的真理を理解させ、患者から離して向上の道へと導くことを30年余りも行なって Thirty Years Among the Dead という大著を出版した。
これはマーシーバンド(慈愛団)という、その仕事のために結成された高級霊団があって初めて出来たことで、将来のスピリチュアリズムの在るべき姿を教えてくれていると言えよう。では、右の書から一部を紹介する。
《一般に陰うつな怖さをもって見つめられている“死”は、きわめて自然的にあっさりと推移するので、多くの人間が肉体から離れたのちもその移行に気づかず、また、霊界についての知識も何ひとつ持ち合わせていないので、彼らは、それまでとはまったく別の生活環境に置かれていることに気づかない。
肉体の感覚器官を取り上げられているので、物質界の光を見ることもできず、また、より高い人生目的の理解も欠いているので、彼らは霊的に盲目であり、バイブルで“外なる暗黒”と呼ばれている薄暗い境涯にいて、地上圏に属する領域をさ迷っている。
死は、罪多き人間を聖人にするものでもなければ、愚か者を賢人にするものでもない。本性は生前と同じであり、地上時代と変らぬ欲望・習慣・信条・間違った教義・死後に関する無知や不信をそのまま携えて霊界入りするのである。
そして、地上時代の精神状態がそのまま具現化した容姿をして、幾百ものスピリットがしばし地上圏にとどまり、多くの場合、地上生活を送った場所にいて、地上時代と同じ習慣や趣味を固持しているのである。
霊界の高い界層にまで進化したスピリットたちは、こうした地縛霊を導こうと、常に心を砕いているのであるが、死後についての誤った先入観のために、自分より先に霊界入りしている者が姿を見せても、それを死者の亡霊と思って恐れ、たとえ友人が会いに来ても実在の人物と認めようとせず、こうして自分の置かれている身の上を正しく理解することができずにいるのである。
深い睡眠状態にある者も多く、途方に暮れ、困惑した状態にある者もる。その迷いの心は得体の知れない闇の恐怖につきまとわれ、また良心の呵責(かしゃく)を覚えはじめた者は、地上生活中の行為を思い出して、苦痛と悔恨の中で悶えている。
他方には、利己的で邪悪な性向に動かされて、その欲望のはけ口を見出そうとし適当な人間を探しまわっている者もいる。彼らは、そうした破壊的な欲望から脱して魂が悟りと光明を呼び求め、高級なスピリットによる救いの手が差しのべられるまで、その状態の中にとどまっている。
彼らには生前の性癖や欲望を満たすための道具(肉体)はもうない。そこで、多くの者は、生者から放射される磁気的な光輝に引きつけられ、意識的に、あるいは無意識的に、その磁気オーラに取りついて、それを、欲望を満たすための道具とするのである。
こうして憑依した霊は、その人間に自分の想念を押しつけ、自分の感情を移入させて当人の意志の力を弱めさせ、しばしばその行動まで支配して、大きな困難や精神的混乱や苦痛を生ぜしめるのである。
昔から“悪魔(デビル)”の仕業とされていたのは実はこうした地縛霊のことだったのである。実質的には人間自身に由来するものであり、利己主義や間違った教義、無知などによる副産物であり、何も知らないまま霊界へ送り込まれて、無知という名の牢につながれているのである。
世の中の不可解な出来事や不幸の原因は、実はこれら地縛霊の影響にあるのである。清らかな生活や正しい動機、高い知性が必ずしも憑依からの防御を約束してくれるものではない。唯一の防衛手段は、こうした問題についての正しい知識と理解である。
地縛霊の侵入を受ける側、つまり憑依される人間の条件は多様である。生来の感受性、神経の耗弱(こうじゃく)、急激なショックなどによることが多い。肉体の不調も憑依を招きやすい。
生命力が低下すると抵抗力が弱まり、霊の侵入が容易になるのである。その際、憑依される人間も憑依する霊の方も、互いに相手の存在を意識していないものである。
霊が憑依するとその人間の性格が一変し、人格が変ったように見え、多重人格症ないしは人格分裂症、単純な精神異常からあらゆるタイプのディメンチア・ヒステリ、てんかん、憂うつ症、戦争痴呆(ちほう)症、病的盗癖、白痴的行為、狂信、自殺狂、そのほか、記憶喪失症、神経衰弱、渇酒症、不道徳行為、獣的行為、凶暴といった犯罪行為を起こさせる。
地上人類は、高尚な人生目的、つまり何のために生きているかを理解しない無数の死者の想念に取り囲まれていると思ってよいであろう。そう認識すれば、ふとした出来心、激情、奇妙な予感、陰うつな気分、イライラ、不可解な衝動、不合理なカンシャク玉の爆発、コントロールできない、あることへの異常な熱中、その他の無数の精神的奇行などの原因が分かるであろう》
(同じ憑依でも、高級霊が人間の言語中枢を使って教訓的なことを語り、終ると当人は通常の状態に戻る場合がある。これを霊言現象という。これを車の運転にたとえれば、助手席に勝手に入り込んだ者がハンドルを奪おうとして運転手とケンカになり、車が暴走するのが前者で、運転手が助手席にさがって運転を任せるのが後者である)
○ヨーロッパにおけるスピリチュアリズム
さて、スピリチュアリズムがヨーロッパへ飛び火してからは、英国では化学者で物理学者のウィリアム・クルックス、博物学者のアルフレッド・ウォーレス、物理学者で哲学者のオリバー・ロッジ、古典学者のフレデリック・マイヤース、フランスではノーベル賞受賞者のシャルル・リシェ、天文学者のカミーユ・フラマリオン、ドイツでは精神科医のシュレンク・ノッチングといった学問畑の著名人が、専門分野を一時お預けにして本格的に調査・研究し、その結果、“ひとりの例外もなく”、肯定的結論、すなわち霊魂説を打ち出している。
その研究成果をいちいち紹介している暇はないが、その代表的人物として、冒頭のエステル・ステッド女史の「父からの通信が届けられるまでの経緯」の中で訳註として紹介したウィリアム・クルックス博士について、もう少し詳しく紹介しておきたい。
英国におけるスピリチュアリズムの動向を象徴する存在であり、他の研究家も、大なり小なり、この人の影響を受けていない人はいないと言えるほど、大きな業績を残しているからである。
英国の有名な学術組織である王立協会(ロイヤルソサエティ)(英国学士院とも)の会員に選ばれることは大変な名誉とされているが、クルックスはその早くからの業績のゆえに29歳の若さで選ばれている(1863)。
続いて75年にはロイヤル・ゴールドメダルを、88年にはデイヴィー・メダルを、97年にはサーの称号を、1904年にはコプリー・メダルを、そして10年にはメリット勲位を受けている。歴任した役職を見ても、王立協会をはじめとして化学協会、電気技師協会、英国学術協会などの会長を勤めており、まさに英国科学界の重鎮だった。
それだけに、博士が心霊現象を独自に研究してみるという意向を公表した時のジャーナリズム界の反応は“大歓迎”一色で「クルックス博士が研究してくだされば、もう大丈夫だ」と、その成果に期待した。が、彼らが期待した成果とは、心霊現象や交霊はみんなマヤカシであるとの断定であって、まさかその実在を肯定することになるとは想像しなかった。
が、まる1年後に博士が王立協会に提出した報告書は、それを全面的に肯定する内容になっていた。そして案の定、協会はそれを協会の機関誌に掲載することを拒否した。“案の定”といったのは、クルックスは1年の研究期間中に、協会の役員の立ち会いを再三求めていたのに、ストークス会長をはじめとして、みんなそれを忌避していたからである。
そこでクルックスは、自分が編集主幹をしていた季刊誌<科学ジャーナル> Quarterly Journal of Science の7月号に掲載した。そして、これが科学界とジャーナリズム界に大反響を巻き起こした。とくにジャーナリズム界は、その期待が裏切られただけに、実に都合のいい、幼稚な言い訳をしている –
「これは、もう1度、誰かほかの人にやってもらわないと…」と。むろん科学者の中にも頭から毛嫌いする人が少なくなかった。しかし同時に「あのクルックス博士がまさか騙(だま)されるはずはない。何かがあるはずだ…」という信念から、みずから研究に着手した者も少なからずいた。その典型的な例がフランスのリシェ博士である。
リシェはノーベル賞を受賞した世界的な生理学者である。のちに「心霊研究30年」Thirty Years of Psychical Research(1923、未翻訳)を出版するまでに至るその端緒をつけたのも、クルックスの研究報告書「スピリチュアリズムの現象の研究」Researches in the Phenomena of Spiritualism(未翻訳)で、中でもキング霊の完全物質化像の写真だった。(新潮社の拙訳『コナン・ドイルの心霊学』に2枚、ハート出版の拙著『人生は霊的巡礼の旅』に1枚掲載。)
リシェはその時のことをこう述べている。
《当時の科学的常識を絶対と思っていた私は、クルックス博士の見解を自分で実験して本当かどうかを確かめてみようなどという考えを抱く余裕など、カケラもなかった。人間というのは、人のやったことは頭から嘲(あざ)笑うだけで平気でいられるものだ。
恥ずかしい話だが、私もそのひとりだった。博士が写真を公表して、霊が物質化してその姿を写真に撮らせたこと、しかもその物質化像にも脈拍があったという報告を読んだ時、いかに尊敬申し上げてる高名な物理化学者とはいえ、私は声に出して笑ってしまった》
が、そのリシェも、その後の体験で、それまでの学問的常識では説明のつかない超感覚的能力や異常心理(多重人格症)の存在に気づき、少しずつ霊的なものへの関心が強まり、1892年にイタリア人女性霊媒ユーサピア・パラディーノによる心霊実験会に“ミラノ委員会”の一員として出席して、驚異的現象を目(ま)のあたりにして圧倒された。その時のことを次のように述べている。
《ミラノでユーサピアの現象を見るまでの私は、クルックス博士はとんでもない過を犯されたと確信していた。ジュリアン・オショロビッツ博士も同じだった。が、その時はじめて私は真実に目が覚めた。そして、胸をかきむしられる思いで、オショロビッツ博士と同じくこう叫んだ – “パーテル・ペッカビ”(神よ、私が間違っておりました)と》
ベルギー国王レオポルド3世の王妃で交通事故で死亡したアストリッドがコペンハーゲンでの交霊会に出現。M.リリェブラード牧師が3つのカメラでフラッシュ撮影したもの。交霊会は赤色光で行われた。霊媒はアイナー・ニールセン。
上の写真の拡大写真
ベルギーの切手に使われているアストリッド王妃のポートレート。
Mourice Barbanell; This is Spiritualism より
クルックスが撮影したものに優るとも劣らない物質化霊の写真を紹介しておく。これは出現した霊がかつての王妃だったこともあって鮮烈な印象を与えた。列席者が息を呑んで見つめている雰囲気がよく出ている。クルックスの写真と同じく世界中で多くの物理霊媒が輩出した19世紀後半から20世紀初頭にかけての時代のものである。
○“現象”の研究から“メッセージ”の研究へ
このように、物質化現象は“目に見える”という、五感に訴える性格のためにハデな話題を呼んだが、実は同じころから、霊言現象や自動書記現象による霊からのメッセージ、いわゆる霊界通信が着々と入手されていた。
中でも英国においては、キリスト教の牧師、またはその夫人を通して、皮肉にもキリスト教の教義と真っ向から対立する通信が入手され、本人のみならず、キリスト教界に動揺をもたらした。
その筆頭がステイントン・モーゼスで、オックスフォード大学出身の気鋭の牧師として将来が嘱望されていた。が、30歳前ごろから身辺にさまざまな異常現象が起き始めた。テーブルが持ち上がる。新聞紙が部屋から部屋へ運ばれる。誰もいない部屋で楽器がひとりでに演奏する。そのうち自分の身体まで宙に持ち上げられ、応接間のソファに放り投げられる…等々が毎日のように起きる。
さらに、やがてそうした現象に代って、手がひとりでに動いて文章を綴るようになった。初めのうちは格別の内容のものではなかったが、そのうちキリスト教の教義と対立する内容のものが綴られるようになった。
反撥を覚えたモーゼスが「あなたは一体何者ですか?」という質問を書くと「われわれは神の使者として、新しい啓示を授けに参ったものである」といった主旨の返答が綴られる。
「それはバイブルの福音書と矛盾しております」と書き返すと「真理が矛盾するということは有り得ないことである。矛盾が生じたのは人間が勝手に改ざんしたからである」といった主旨のことが、実に丹念に、そして物凄いスピードで綴られ、しかも一字一句の書き損じもないのだった。
その改ざんの筆頭に挙げられたのが“三位(さんみ)一体説”、つまり神とイエスと聖霊は一体であるという説で、そんなことはイエスは一言も説いていないという。イエスも人の子であった – ただ並はずれた人格と霊的能力をそなえていたまでである、という。
次に指摘された教義が“贖罪(しょくざい)説”、つまり人間は罪深き存在であり、イエスへの信仰を誓うこと以外にその罪から逃れる道はないというもので、それも間違いであるという。人間はすべて神の分霊であり、犯した罪はみずから償う – 他のいかなる者も、あるいはいかなる信仰も、それを代りに償うことはできないという。
さらに間違いと指摘された教義は“最後の審判説”、つまり地球の最後の日に人類の全てが呼び集められて、天国へ召される者と地獄へ送られる者が選り分けられるというのであるが、これも人間の作り話であるという。人間はひとりの例外もなく – 聖人君子も大罪人も – 肉体の死後は霊の世界へと進み、そこで新たな生活へ入る。
落ち着く先は、各自が地上で身につけた霊格ないし霊性に似合った界層であって、そこで全ての決着がつくわけではない – 進化向上の道は永遠に続く、と説く。地上世界は幼稚園のようなもので、人間は多かれ少なかれ、大なり小なりの罪を犯すものだが、2度と取り返しのつかないほどのものはないという。
こうしたキリスト教の根幹にかかわる教説に猛烈な反撥を覚えたモーゼスは、教会の同僚たちの応援も受けながら、執拗な反論を書き連ねた。『モーゼスの霊訓』(拙訳・太陽出版)のタイトルで邦訳されている Spirit Teachings は、断続的にほぼ10年も続いた自動書記通信の中から、モーゼスのプライベートなことに関するものを除き、一般的な信仰や人生思想に関するものだけを編纂(へんさん)したものであるが、そうした深刻な思想上の議論が白熱化した時には、モーゼスは体調を崩し、傷心を癒やすための旅にまで出ている。
が、霊団の中でもインペレーターと名のる中心的指導霊の悠揚迫らぬ威厳に満ちた雰囲気に圧倒されて、ついにキリスト教のドグマを棄てて、スピリチュアリズムの説を受け入れるに至っている。
同じくキリスト教の牧師が入手した自動書記通信に『ベールの彼方の生活』The Life Beyond the Veil(全4巻・潮文社)がある。これは、ジョージ・オーエンという牧師がインスピレーション的に受け取ったものを綴ったもので、第1巻が母親、第2巻が守護霊、第3、4巻が守護霊とほぼ同じ霊格をそなえた高級霊からの通信である。
それをオーエンは25年の歳月をかけて納得がいくまで検証した上で新聞紙上に連載しはじめた。すると案の定キリスト教会の長老から「撤回せよ」との通達を受けた。が、確信に満ちていたオーエンはそれを拒否した。が、執拗に撤回を迫られたオーエンは、みずから牧師職を辞して、スピリチュアリズムの普及に余生を捧げている。
全4巻の中でも圧巻は第4巻で、スピリチュアリズムの名のもとに説かれている霊的思想は、その淵源(えんげん)をさかのぼると、ほかならぬイエス・キリストに行き着くという、実にスケールの大きい、しかも途方もなく次元の高い話が展開する。
それによると、そもそもイエスなる人物は地球の政庁である神界の高級霊つまり大天使の一柱で、旧約聖書に出てくるメルキゼデクに始まった高級霊による地上降誕の系譜の最後を飾る人物として、誕生したのだという。このことは右の『霊訓』のインペレーター霊をはじめとする、高等な霊界通信の通信霊が異口同音に述べていることである。
そのイエスは、バイブルにある通りの刑死を遂げる。が、本来の所属界に戻ったイエスは、人類の霊的救済のための地球規模の計画を立てて、霊界の大軍勢を引き連れて地球圏へ向かう。霊界の上層界から中層界、そして下層界へと下降して行く時の叙述は圧巻で、これを読むだけでイエス・キリストと呼ばれている人物の見方が一変するであろう。
かくして、ついに地球圏へたどり着いた霊団がまず最初に手掛けたのが、ほかでもない、ハイズビル村における騒霊現象(ポルタガイスト)だった。似たような霊現象なら歴史上いくらでもあった。目を見張るような現象を起こしてみせた霊能者も少なくなかった。
にもかかわらず、そのほとんどが、いつしか忘れ去られていった。その中にあって、なぜハイズビル現象だけがあれほど大きな波紋を呼んで、世界的規模のスピリチュアリズム運動となって発展していったのか – それは、その背後に地球規模の計画があったからである。
オーエンの霊界通信は“主”とか“キリスト”といった文字がゴシック体(英文では大文字)で何度も出てくるので、キリスト教に馴染みの薄い方には取っつき難い感じを与えるかも知れないが、それを地球神界の神霊の一柱と置き替えて理解すればよいわけである。
このほかにも、チャールズ・トウィーデールやモーリス・エリオットなど、奥さんが霊的能力をもっていたことがきっかけでスピリチュアリズムを全面的に受け入れていったキリスト教牧師がいるが、ここでは割愛する。
トウィーデールの News from the Next World(他界からの便り)は断片的ながら拙著『古代霊は語る』で紹介してあり(潮文社)、エリオットの The Psychic Life of Jesus は『イエスの実像』のタイトルで太陽出版から山本貞彰の邦訳が出ている。
○ステッド、マイヤース、コナン・ドイル
さて、こうした一連の霊界通信の中にあって、私が特異な視点から見ているものに、この地上にあってスピリチュアリズムの普及に尽力して他界したあと霊界で地上時代の自分の知識を点検し、正しかったこと、間違っていたこと、思いも寄らなかった新しい事実に接して、それを地上へ届けてくれた通信がある。そのひとつが、ほかならぬこのステッドの通信である。
ステッドは1849年、すなわちハイズビル事件の翌年に生まれて、1912年63歳で他界している。スピリチュアリズム思想との最初の出会いは詳(つまび)らかでないが、霊的な話を公にしたのは、みずから創刊した「評論の評論」 Review of Reviews のクリスマス特集号(1891・12)に掲載した“本当にあった幽霊話”という記事が最初である。
興味深いのは、同じ年に前年の12月に他界した文筆仲間のジュリア・エイムズという女性が、ステッドの腕を使って自動書記通信を送り始めていることである。それが数年間にわたって続き、1897年に『ジュリアからの便り – 他界者が自動書記によって送ってきた中間境からの光明』と題して、心霊誌「ボーダーランド」で公表し、大反響を呼んだ。
それが翌年に『死後 – ジュリアからの便り』のタイトルで単行本となって出版された。ちなみに“ボーダーランド”というのは“中間境”のことで、それを本書では“ブルーアイランド”と呼んでいるわけである。
ステッドはもともと社会改革派のジャーナリストで、「評論の評論」も政治・経済・倫理・道徳の批判を主な目的としていた。筆だけでなく行動に出ることも少なくなかったようで、警察に逮捕されたこともある。
そんなステッドであったから、スピリチュアリズムの弁護と、いつまでも煮え切らないSPR(心霊研究協会)に対する批判は強烈で、たとえば1909年の講演会では自分を海で溺れかかっている難破船の乗組員にたとえ、SPRを救助隊にたとえて、面白おかしく、しかし皮肉たっぷりに、こんなことを言っている。
救助に来てくれた船の上から「お前は誰だ?名前を言え!」と叫ぶので「ステッドです。W・T・ステッドといいます。海で溺れかかっているところです。ロープを投げてください!早くお願いします!」と叫ぶ。すると、すぐにロープを投げてくれると思いきや、さらに、こう訊ねる。「お前がステッドであることを証明できるのか?生まれはどこだ?お前の祖父の名前を言ってみろ!」と。
これはSPRが“科学的物証”にこだわりすぎていることを揶揄(やゆ)したもので、80年後の現在のSPRにも同じことが言えるであろう。
そもそもSPRが設立された目的は、心霊現象は霊の仕業であるとする“霊魂説”を直観的に洞察していた人たち – オリバー・ロッジ、フレデリック・マイヤース、ステイントン・モーゼスなど – が中心となって、それを科学的に立証する方法を研究することにあった。
つまり自分たちはそう確信していても、一般の人にそれをどう証明してみせればよいかという観点に立っていたわけで、そのために敢えて、霊魂説に懐疑的な科学者の参加も歓迎したのだった。
しかし、洞察力を欠いた研究に発展が伴わないことは、これまでの科学の飛躍的進歩が直感的な“ひらめき”による発想の転換から生み出されてきている事実が証明している。
コペルニクスは、ある時ふと、自分を地球上から太陽へと運んで、太陽から地球を眺めてみることを思いついた。それが地動説を生むきっかけとなったという。SPRの会長までつとめたことのあるオリバー・ロッジはこんな厳しいことを述べている。
《SPRという組織は、事実の秘匿のための協会、何でも詐欺扱いにしてしまうための協会、霊能者のやる気を失くさせるための協会、光明と真理の世界が人類のために懸命に働きかけている、その生きた証拠とされている啓示を、ことごとく否定するための協会、と呼ばれてきている》(The Survival of Man 1909)
さてステッドはタイタニック号で遭難するのであるが、あたかもそのことを予感していたかのように、早くから彼の書いたものに大西洋の氷山と客船にまつわる話が出ている。
最も象徴的なのは「評論の評論」のクリスマス号(1893。タイタニック号事件は1912)に掲載された小説「古き世界より新しき世界へ」が大西洋の氷山の危険性を扱ったもので、客船マジェスティック号が氷山に衝突して沈没するという、タイタニック号の事故とそっくりの物語で、しかもその客船の船長の名前までがタイタニック号の船長と同じキャプテン・スミスとなっていた。
それからほぼ20年後にステッドの乗ったタイタニック号が現実に氷山と激突して沈没するのであるが、国教会の大執事で、早くからスピリチュアリズムに理解のあったトーマス・コリー氏は、その事故を予知してステッドに手紙で知らせた。するとステッドから次の様な返事が届いた。
《願わくば閣下が予感しておられる不幸がすべて杞憂(きゆう)であってほしいものです。がお手紙は大切に保管し、幸いにして帰国できましたら、すぐにもご報告申し上げる所存です…》
ステッドのニューヨーク行きはカーネギーホールでの世界平和に関する講演のためであったが、予定では、その帰りに当時の第一級の直接談話霊媒リート女史を英国へ連れて行くことになっていた。リート女史もそのつもりで準備をして待っていた。
が、ステッドが立ち寄ってくれるはずの当日、つまり事故の翌々日の夜、交霊会でリート女史の支配霊が出て事故のことを詳細に伝え、死亡した著名人の名前をいくつか挙げた。その中にステッドの名前も入っていた。
次に、フレデリック・マイヤースは生前「人間の個性とその死後存続」という厖大(ぼうだい)な著作を残している。といっても、マイヤースの在世中に出版されたのではなかった。草稿は出来あがっていたが、“まえがき”を書き終らないうちに、出張先で病死している。
同時代のウィリアム・クルックスは主として物理的現象を研究し、物質化霊の撮影にも成功して、死後の存続についての動かし難い証拠を残してくれているが、マイヤースはそれとは対象的に、精神的な超常現象ばかりを蒐集(しゅうしゅう)して、そこから死後の個性存続を確信した。
が、右の書では、“霊魂説”を正面きって主張するまでに至っておらず、その可能性を示唆するに留めている。その厖大な量の体験集は、今日でも資料的価値を失っていない。
さて、ステッドが他界後3日目にはリート女史の交霊会で“声”で出現して、かろうじてではあったがそのアイデンティティを示しているのとは対照的に、マイヤースは“自分でも不思議に思える”ほど死後の睡眠が長かった。が、目覚めてからの活躍はさすがはマイヤースと思わせるものがあった。
自分の地上時代の調査と学習の成果と、先輩霊から教わったことをまとめて、ジェラルディーン・カミンズ女史を通して自動書記通信を送ってきた。それが『永遠の大道』と『個人的存在の彼方』の2巻となって出版された。浅野和三郎の抄訳が合本となって潮文社から復刻されている。
この通信の中で衝撃的だったのは第13章の訳註でも紹介した“類魂説”と呼ばれている、“霊的家族”の存在を指摘した説で、物質界に生をうけた同じ霊系の複数の魂が、それぞれの境涯での体験を積みながら、最後は、その体験の全てを互いに分かち合う至福の境涯へと至るという内的宇宙の旅は、雄大さの中に宇宙的ロマンを感じさせるものがあり、スピリチュアリズムに飛躍的な発展をもたらした。
私はこの霊界通信を大学生時代に読み、魂の奥底からあふれ出る喜びに身を震わせながら、感涙にむせんだのを覚えている。“四海同胞”とか“人類はみな兄弟”といった文句はいかにもカッコいいが、その根拠は?と問われると、何もない。
肉体的に見るかぎり、民族どころか、ひとりひとりがみな違うのだ。輸血や臓器移植に“拒絶反応”という厄介な問題が伴うという事実が、それを明確に物語っていると言えよう。
が、これを類魂説でみると、自分と同じ霊系の“魂の兄弟姉妹”が地上のさまざまな民族に生をうけていることになる。今現在だけではない。かつても自分とは異なる民族に属していた先輩がいるし、将来も後輩たちがどの民族に生まれるか分からない。本当の意味での同胞精神は、こうした霊的原理の理解から生まれるのではなかろうか。
それはともかくとして、ここで私が詳しく取り上げたいのは、その霊的進化の道程、つまり死後の界層の全体像である。ステッドはこの通信ではきわめて断片的にしか扱っておらず、簡略的すぎる憾(うら)みは拭(ぬぐ)えない。
その点マイヤースはかなり具体的に叙述してくれている。といっても、物的世界の表現手段である言語では説明できない側面があるので、ある限度以上のことは直観的な洞察力による理解にまつしかないであろう。
マイヤース自身、カミンズの記憶の層にある語彙だけでは不十分とみて、カミンズに必要な分野の書物を読むように指示するなどして、万全を期している。それでも、上層界、そして超越界の叙述は抽象的な表現が多くなっている。
さてその区分けであるが、マイヤースは地上界を第1界とし、ステッドのいうブルーアイランドに相当する界層を第3界、その中間境を第2界としている。そして第4界が地球圏の範囲における最高界で、第5界からステッドのいう実相界となり、第6界が形体に宿った存在の最高界で、第7界が超越界、すなわち“無”の世界へと突入する。
絶対神と一体となり、無限・永遠・絶対といった用語で表現されているものが完全に理解できる境涯であるという。そこがいわゆる“創造界”で、「個人的存在の彼方』の中で「創造された者が創造者の側にまわる – そこに生命と宿命の秘密が存在する」という名文句で結んでいる。
コナン・ドイルが死後まとめて送ってきた死後の界層のイラスト
Ivan Cooke; The Return of Arthur Conan Doyle より
超越界(人間的理知では知り得ない)
Celestial 神界
3 ニルバーナ・涅槃
2 宇宙的存在としての普遍的愛の活動
1 宇宙の造化活動への参加の初期
再生の手続が行なわれる
Mental 霊界
3 形体なき存在への準備。神界へ上がる資質の不足する者は再生する。
2 直覚的悟りの世界
1 知的理解の世界
第二の死・無意識状態を体験する。
実相の世界
Astral 幽界
3 何ごとも思うがままに叶えられる世界(サマーランド・ブルーアイランド・極楽)
2 邪悪性はないが低級な煩悩から脱け切れない者が集まっている。
1 邪悪で自己中心的な欲望しか持たない。
地球
虚相の世界
ここで図を見ていただきたい。これはコナン・ドイルが1930年に他界して、半年後の1931年1月から2年間にわたって、女性霊媒グレイス・クックを通じて届けてきた霊言通信 The Return of Conan Doyle(コナン・ドイルが帰ってきた – 未翻訳)の中に出ているイラストに、私がドイルの解説とステッドやマイヤースの通信を参考にしながら加筆修正したものである。
ご覧の通り、死後の世界を大きく3つに分け、それぞれに3つの境涯があるとしている。ステッドのいうブルーアイランドはここではサマーランドと呼ばれており、そのあとに“第二の死”が来るとしているのが目新しい特徴であるが、これは一種の無意識状態に入る程度のことである。
その長さは地上の時間にして数秒の人もいれば数分の人、数時間の人、数日の人、とまちまちで、長い人は何年も続くことがあるという。
これをマイヤースの分け方と対照してみると、マイヤースのいう第2界から第4界までがドイルのいう ASTRAL(アストラル)(幽界)で、第5界が MENTAL(メンタル)(霊界)、第6界が CELESTIAL(セレスチャル)(神界)、そして第7界が超越界ということになろう。
浅野和三郎が提唱した幽界・霊界・神界がぴったりと当てはまるところに興味がある。四魂説(幽体・霊体・神体または本体)と併(あわ)せて、今後の定説となっていくものと考えてよいであろう。
それはともかくとして、こうした高次元の世界の図解を見る際に忘れてならないのは、これは内的世界を平面図で表現したものであって、高層ビルのように階段状に層をなしているわけではないということである。
地球自体が回転しているという事実からもそれは有り得ないことで、“上”とか“下”とか“向上”とか“下降”という言い方は、あくまでも霊的意識の開発、ないしは覚醒を表現していると理解していただきたい。
さて、3人目のコナン・ドイルについては改めて紹介するまでもないであろう。名探偵シャーロック・ホームズの生みの親であり、“ホームズ・シリーズ”は今なお世界的なベストセラーを続けている。
最近、テレビ映画でご覧になった方も多いであろう。コナン・ドイルという名前は知らなくてもシャーロック・ホームズは知っているという人もいるようである。が、原作者がコナン・ドイルであることを知っている人でも、そのドイルが心霊現象と霊界通信の研究をライフワークとしていたことを知る人は少ない。
実はドイル自身は、どうせ書くなら純文学を、という気持が強かったのが、最初の「緋色の研究」が売れに売れて、読者と出版社から次々と要望が寄せられるので、やむを得ず推理小説を書き続けたというのが真相らしく、本人は大衆小説家になってしまったことを嘆いていたという。
しかし、ホームズ・シリーズによる高収入と知名度が、その後英国はもとより世界各地での講演会の開催や、ウィリアム・クルックス、オリバー・ロッジといった当時の高名な学者との交流を可能にする上で大いに力になったことは否めない事実であろう。
そして、スピリチュアリズムの真実性についての確信が不動のものとなった1918年に、それまでの成果を「新しい啓示」、翌19年には「重大なるメッセージ」にまとめて出版したのを皮切りに、公然とした普及活動に入った。
当然、そうしたドイルを非難する声も上がった。が、ドイルにはそれに対応するだけの準備は十分にできていた。彼はこう反論している。
《霊の実在に関して肯定的な意見を述べる者に対して必ず向けられる“軽信性”の批判については、私は厳粛な気持でこう申し上げたい。私のこれまでの心霊研究家としての長い経験の中で、重大なる点で大きな過ちを犯したこと、あるいは“正真正銘”の折り紙をつけた現象が後でニセモノと判明したことは1度もない。軽々しく信じてしまう人間が、確固たる結論に到達するのに20年もの長きにわたって読書と実験を重ねるものだろうか》
○古代霊シルバーバーチの出現
以上、きわめて大ざっぱではあるが、ハイズビル事件をきっかけとして生まれたスピリチュアリズムの発展のあとをたどり、その貢献者として顕著な活躍をした人物を幾人か紹介した。
むろん蔭の貢献者も大勢いることを忘れてはならない。マイヤースなどは、どちらかというと地道な働きをした部類に入るであろう。そのマイヤースを、先頭切ってスピリチュアリズムの普及活動をしたステッドとドイルといっしょに紹介したのは、死後における地上界への働きかけが積極的だった点において同じだったからである。
が、だからといって、その他の先駆者、たとえばクルックスやロッジが死後は何もしていないのかというと、決してそうではない。それがシルバーバーチと名のる古代霊の出現で次第に明らかとなった。
1920年ごろ、すなわちドイルが公然とした普及活動を開始したころに、同じくロンドンの青年実業家モーリス・バーバネルが、時おり無意識状態でインディアン訛(なま)りの英語でしゃべるという現象が起きるようになった。
最初のうちはたまたまバーバネルの家に集まっていた3、4人の知人が聞くだけだったが、そのうち当時の英国のジャーナリズム界の御意見番的存在だったハンネン・スワッファーという作家が訪れている時にその現象が起き、スワッファーはその霊言の質の高さを直観して、毎週1回、自宅で定期的に“霊言を聞く会”を催すことにした。会の名称もハンネン・スワッファー・ホームサークル”とし、金曜日の夜と決めた。
その霊は“シルバーバーチ”と名のったが、これは日本語の“白樺”を総称する植物名で、地上時代の本名ではない。自分は地上でインディアンだったと述べるだけで、その他のことは何も教えてくれない。
ただひたすら霊的教訓を述べるばかりだったが、そのうち、実は“私”といっているのはインディアンではなく、3000年前に地上生活を送ったことのある別個の存在で、地上界と直接のコンタクトを取れない界層まで向上し、このたび、地球の霊的浄化のための大事業への参加を要請されて、こうして霊的真理を説く仕事に携わっている – インディアンは“霊界の霊媒”であって、私自身はインディアンではない、という事情を明かした。
以来、“地上の霊媒”であるバーバネルが他界する1981年までの60年間、サークルのレギュラーメンバーにゲストを加えた10人前後の出席者に語ることを続けた。組織を作らず、規約を設けず、参加費用も取らず、スワッファーの自宅と、スワッファの他界後はバーバネルのアパートの応接室で行ない、バーバネルの他界後はサークルも解散している。
が、その間に語られた霊的教訓は昨年(1991年)までに16冊に編纂されて残っている。第1期はバーバネルが主幹をしていたサイキック・ニューズ社の数人のスタッフが各自の視点から編纂した11冊で、潮文社から『シルバーバーチの霊訓』として拙訳(総集編を加えて全12巻)が出ている。
第2期はバーバネルの後を継いだ主幹のトニー・オーツセンが独自に編纂したもので、これも拙訳が『愛の摂理』『愛の力』『愛の絆』の題で太陽出版から出ている。他にも未翻訳のものが2冊あり、最近のオーツセンからの便りによると、シルバーバーチの本だけは、たとえ自分が退社しても、出版を続けていく計画に変りはないと断言しているので、今後が楽しみである。(ハート出版にて近々出版予定)
さて、これまでその翻訳にたずさわってきた私が気づいたことは – それをお読みくださっている読者もきっと気づいてくださっていることと思うが – シルバーバーチが参加している地球の霊的浄化のための大事業というのが、オーエンの『ベールの彼方の生活』の中で明かされている“霊の大軍による浄化作戦”、そして『モーゼスの霊訓』の中で“組織的な霊界からの働きかけ”と言っているものとが動機と目的において一致しているところから、同じものを指しているということである。その動機とは何か?
長い人類の歴史 – 巨視的に見ればほんの短期間かも知れないが – における数々の愚行や悲劇や戦乱が生み出した悪想念は地球の大気圏を厚く被(おお)っているという。
そして、それが低級な邪霊や悪霊の跋扈(ばっこ)を容易にし、それが生み出す人心の荒(すさ)みが地球環境を破壊し、このまま放置しておけば地上界が人間の住処(すみか)としての存在意義を失うことになるとの憂慮が天上界において支配的になったことである。
大事業の目的は言うまでもなく地球圏を清掃し浄化することであるが、そのための手段としてまず人類が久しく忘れ去っている“霊性”の自覚、つまり人間も本来は霊的存在であるとの認識をもたせる必要がある。
そのためには、何はともあれ、霊的事実と霊的摂理の存在を正しく知らしめなければならない。その仕事の最高責任者として選ばれたのがシルバーバーチ霊だった、ということである。
責任を委託されたシルバーバーチは、その伝達機関(霊媒)として最も適切な人物としてモーリス・バーバネルを選び、その霊が母胎に宿った瞬間から、その成長に関与したという。
そして18歳になった時点でいきなりトランス状態に誘って、その精神と言語機能の操作をしてみた。最初のころは英語もあまり上手でなく、雰囲気にもどこかイライラしたところがあったという。が、私の想像ではそれは多分に霊界の霊媒であるインディアンの反応だったことであろう。
さて、私がシルバーバーチの霊言を読み、そして翻訳してきて気づいた、もうひとつの事実は、シルバーバーチが「私たちは…」と言う時の“私たち”の中には、地上時代にスピリチュアリズムの研究と普及にたずさわった人物が大勢いるということだった。本人が出てきて名のったわけではない。シルバーバーチがそれとなく示唆しているのである。
「私が、こんどはあなたがしゃべりなさいと言うと、“いや、いいです、いいです”と言ってうしろへ引っ込んでしまうのです」と、ユーモラスに語っているところもある。
そうした中にあってステッドやマイヤースやドイルなどが独自にまとまった通信を送ってきたということは、やはりそれなりの意味があるのであろう。その中でもこのステッドの通信は、本人も言っているとおり、いたって簡潔にまとめられているので、霊界通信というものに初めて接する方には格好のものであると確信する。
いずれドイルのものもマイヤースのものも全訳して紹介したいと考えているが、本書が入門書としての役目を果たしてくれることを期待している。
平成4年10月
近藤千雄
表紙テキスト
ブルーアイランド
THE BLUE ISLAND
Experiences of a New Arrival Beyond the Veil
スピリチュアリズムが明かす死後の世界
A・コナン・ドイル序
エステル・ステッド編
近藤千雄訳
1912年4月15日、世界最大の豪華客船“タイタニック号”とともに北大西洋に沈んだ評論家、ウィリアム・ステッドから送られてきた死後の体験記。
折り返しテキスト
「あなたがた人間は、永遠なる生命の旅路の途中で、今ほんのいっときを地上で過ごしている、霊的巡礼者です」
シルバーバーチ
●訳者プロフィール
近藤千雄(こんどうかずお)
昭和10年生まれ。高校時代からスピリチュアリズム交霊会にも度々立ち合って、死後の個性の存続を確信。明治学院大学英文科在学中からスピリチュアリズムの原典に親しみ、その翻訳を決意して4年次で“翻訳論”を専攻。これまでに再三英米の著名な心霊家や霊能者、さらにはスピリチュアリズムの発祥の地を訪ねて、オーソドックスな心霊知識の移入と、日本での普及につとめている。これまでの訳書44冊、編著書4冊。英語教室経営。