※文中に当時の僕のコメントが挿入されていますが、削除するのが面倒ですので(汗)ご参考までにそのまま掲載させて頂きます。
『シルバーバーチの霊訓②』
“新聞界の法王”の異名をもつ世界的ジャーナリスト、ハンネン・スワッハー氏がシルバーバーチの交霊会の様子を次のように紹介している【自分を人のために役立てる事―これが繰返し説かれ強調されてきたシルバーバーチの教訓の“粋”である】―
『シルバーバーチの霊訓②』
―【それを折ある毎に新たな譬えで説き、別の言葉で表現し、深い洞察力と眼識の光で照らし出して見せてくれる。我々レギュラーメンバーにとっては何年ものあいだ繰返し聞かされて来た事であるが、招待された新参者にとっては一種の啓示である】―
『シルバーバーチの霊訓②』
―【数日前、招待した三人は皆シルバーバーチの霊言に興味を抱く新参者である。そのうちの一人は爵位をもつ家柄の夫人でありながら庶民層への施しの必要性を説く仕事に身を投じて来られた。交霊会の当初からシルバーバーチが夫人の心を読取っている事を思い知らされた―】
『シルバーバーチの霊訓②』
あなたは私どもの説く教説の真実性をかねがね痛感しておられましたね(とシルバーバーチが語り始めた)あなたはこれまで宗教の名のもとに与えられて来た説教には不満を抱いておられました。これまで得た知識に加えてぜひスピリチュアリズムの知識が必要だと痛感されました。
『シルバーバーチの霊訓②』
そして何年か前に、残りの生涯をご自分より不幸な人々のために捧げようと密かに決意なさいました。「おっしゃる通りです」と夫人が続けると、続けてシルバーバーチは、しばしば困難に遭遇するその仕事についてこう述べて勇気づけた。
『シルバーバーチの霊訓②』
あなたが片時も一人ぽっちでいることはない事はご存知でしょう。人のために尽そうとされるその願望は自動的に私どもの世界で同じ願望を抱く博愛心に燃える霊を惹き寄せます。なぜなら双方に理解力における親和性があるからです。
『シルバーバーチの霊訓②』
永遠に変らぬものは“愛”です。人のために尽したいという願望から発する真実の愛です。私どもは肩書きも党派も教義も宗派も興味ありません。その人がその日常生活において何を為しているかにしか興味はないのです。
皆さん、何よりも大切な霊的知識を得ましょう。因果律の働きを理解しましょう。こういう地上生活を送ったら霊界に行ってこういう状況になる、という事を得心していれば…自分勝手・無責任な生活を送っていると下層界へ落ちて悲惨な状況になると知っていれば、絶対に日常生活を律するはずなんです(祈)
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『シルバーバーチの霊訓②』
私どもにとっては“人のために尽す事”が宗教の全てなのです。人のために生きる者こそ最も神に近い存在なのです。そこに魂の存在価値があるのであり、人のためという願望を抱く者は自動的に霊界で同じ願望を抱いている霊を惹き寄せます。
『シルバーバーチの霊訓②』
その人間を介して自分を役立てたいと思う霊が寄って来るのです。霊界には地上で人類解放のために生涯を捧げた霊が無数におります。その気高い使命は墓場で終ったのではありません。霊の世界へ来てからの体験によってむしろその使命感を一層強烈に感じるようになります。
『シルバーバーチの霊訓②』
霊界から地上世界を見ると悲劇と悪行が目に余ります。強欲と利己主義と略奪が横行し改めねばならない事が無数にある事が分ります。そこでそんな地上を少しでも良くし美しくするために自分を役立てるための媒体として同じ願望を抱く人間を求めるのです。
『シルバーバーチの霊訓②』
これが人のために役立てるという事の仕組み、自分を無にして霊力に委ねるのです。霊力を取り留めのないもののように想像してはいけません。実体があり直接的にあなたの心に触れる事ができ、それがあなたを通じてさらに他人へ働きかけより大きな悟りを開く助けとなります。
『シルバーバーチの霊訓②』
【ここで夫人が良い講演をするにはどうしたらよいかを尋ねた―】精神統一をなさる事です。時には煩雑なこの世の喧騒を離れて魂の静寂の中へお入りになる事です。静かで受身的で受容性のある心の状態こそ霊にとって最も近づき易い時です。
『シルバーバーチの霊訓②』
静寂の時こそ背後霊が働きかける絶好機なのです。片時も静寂を知らぬような魂は騒音のラッシュの中に置かれており、それが背後霊との通信を妨げ、近づく事を不可能にします。ですから少しの間でいいのです。精神を静かに統一するよう工夫する事です。
『シルバーバーチの霊訓②』
すると次第に役に立つ良い考えが浮かんで来るようになります。背後霊のオーラとあなたのオーラとが融合する機会が多いほどそれだけ高度なインスピレーションが入ってきます。どれほど多くの愛があなたの周りを包んでいるか、それが判って頂けないのが残念です。
『シルバーバーチの霊訓②』
その様子を言葉でお伝えするのは容易ではありません。人間は目に見え耳に聞こえるものによって現実を判断します。お粗末な手段であるとはいえ止むを得ない事です。しかし本当は目に見えないところに同じ志を抱く霊が待機し堕落せる者を立ち上がらせ、心弱き者を元気づけ―
『シルバーバーチの霊訓②』
―困窮せる者を救い、病人を癒し、肉親に先立たれた人を慰め、道に迷える者、疲れ果て煩悶する者たちに知識と叡智と悟りを授けんとしてその好機を窺っております。あなたには為すべき事があります。そしていずれおやりになる事でしょう。
本の内容を撃てば撃つほど僕がする事になってしまった霊的知識普及の使命の「重大性」を認識せずにいられません。霊的知識が地上に根づく事がいかに急務かつ重要である事か。イエス様の怒涛の連続顕現の意味、そしてご意志をひしひしと感じるのです。僕はこんな器じゃないけどやるしかないんです(祈)
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『シルバーバーチの霊訓②』
【もう一人の招待客は出版業を営む男性で、ヨーロッパ中に洪水の如く良書を行き亘らせる事が夢である。というのは知的水準の高い良書という良書がヒトラー政権のナチ党員によって焼却されてしまい、今その失われた知識を求める声がしきりに聞かれるからである】―
『シルバーバーチの霊訓②』
―【シルバーバーチはこの男性に対し、これまでも霊が陰から援助して来ている事実を語り、のっぴきならぬ状態に差し掛かるたびに霊の救いの手が差しのべられてきた事実を指摘した。そして書物を出版する仕事はただの商売と呼ぶ人がいるかも知れないが、】―
『シルバーバーチの霊訓②』
―【立派に神の計画の一翼を担っている事、そして彼の動機の崇高さ故に何物も阻止し得ない事を説いてからこう語る―】私には人生に疲れ切った人間の数々―生活は暗く、あたかも霧と靄の中で暮しているような人間、肉体的、知的、霊的にがんじがらめにされた人間が見えます。
『シルバーバーチの霊訓②』
そこで私どもはその束縛から解き放すための援助の手を差しのべようと願っているのです。あなたには今心で願っておられる事を成就するチャンスがあります。恐れる事なく立ち塞がる困難に惑わされる事なく、あなたがこれまで三度は試みられた事を今一度試みて頂きたい。
『シルバーバーチの霊訓②』
真一文字に突き進みなさい。障害と思える事も近づいて行けば雲散霧消します。忘れないで下さい。あなたに生命を賦与した力、息吹を与えたエネルギー、あなたに意識を与えた生命力は、この宇宙を創造し極大極小を問わず全存在に生命を与えたのと全く同じものなのです。
『シルバーバーチの霊訓②』
心に唯一の目的を抱いて真一文字に進む事です。そうすれば必ずその力があなたを支えてくれます。
シルバーバーチ霊が多大な犠牲を払って地上人類にもたらしてくれた“ダイヤモンドの輝き”に譬えられる珠玉の霊的真理。僕たちはその美しい霊言の数々に触れる事で、大切な知識を得るチャンスを与えて頂いたのです。人類の宝とも言える霊界通信の書籍は、すぐ手の届くところにあるのです☆(祈)
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『シルバーバーチの霊訓②』
【三人目の招待客は先程の出版業者の秘書で、いきなりシルバーバーチにお褒めの言葉を頂戴して赤面した。見通しの真っ暗な時、出版による文化の普及がもはや絶望的と思えた時期にこの女性が社長を励まし続けてきた。これも人のためである。シルバーバーチは語りかけた】―
『シルバーバーチの霊訓②』
―あなたも細胞の寄せ集め以上のものを宿しておられるお一人です。黄金の心、純金の心、最高の金でできた心をお持ちです。これまで精錬と純化を重ねて今まさに最高の光沢をもって輝いております。そこに憎しみの念など一かけらもなく愛と哀れみの情が溢れております。
『シルバーバーチの霊訓②』
そのあなたに私が申上げる事は、まっしぐらにその道を進む事、それだけです。生命、愛、記憶、意識―こうしたものは墓場を超えて存続し、この世的な取越苦労、病気、苦痛から解放された霊が新たなエネルギーと生命力をもって心機一転あなた方を援助してくれます。
『シルバーバーチの霊訓②』
あなたのこれからの人生にも期待できる事が大いにあります。自信をもって邁進なさる事です。【その秘書が「私は本当に無力なのです」と述べると―】ご自分で思っておられるほど無力ではありません。女性は男性に比べて知性より情緒に支配されるため弱い面があります。
『シルバーバーチの霊訓②』
しかしそれは決して悪い事ではありません。それだけ感受性が強いという事だからです。男性より繊細な属性を具えており、それだけ私たち霊界の者からの働きかけに敏感であり、影響を受けやすいという事になります。
『シルバーバーチの霊訓②』
その点男性はあまり情緒性がありません。その生活は心より頭によって支配されております。精妙な生命力の働きに女性ほど敏感でなく、ために情緒の自然な発露としての喜びの多くが感識できないのです。
『シルバーバーチの霊訓②』
むろん女性が情緒的である事にもマイナス面はあります。心の痛みを男性よりも強く感じてしまう事です。しかしそれも身体にはない魂の属性の一つである事に変りありません。
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『シルバーバーチの霊訓②』
【交霊会を閉じる前にシルバーバーチはいま自分のそばにキア・ハーディ(英国の政治家で労働党の創設者の一人)が立っていたと言い、本日彼が来た理由は招待客の一人で最初に紹介した夫人がキア・ハーディの熱烈なファンであったからだと説明した。そしてこう語った―】
『シルバーバーチの霊訓②』
ハーディ氏は偉大な霊の一人です。氏には庶民一般に対する思いやりがあります。氏はこれまで社会事情の推移を残念に思っていないと言っておられます。というのは庶民の権利獲得の闘争は永くそして漸新的なものである事を覚悟しておられるからです。
『シルバーバーチの霊訓②』
氏は庶民が一段また一段と生得の権利の獲得を目指して梯子を昇っていく様子を見つめております。それを阻止できる者はないと氏は信じております。庶民の幸福を妨げようとする運動は決して永続きしません。
『シルバーバーチの霊訓②』
なぜならいかなる人間も、いかなる階級も、いかなる教義も、神の子を騙してその生得の権利を奪う事は許されないからです。一時的には神の計画を邪魔する事はできます。しかし霊的な力は人間の力より大きく、正義のために闘う者は必ずや勝利を収めます。
『シルバーバーチの霊訓②』
ハーディ氏もその正義の福音を信じておられるのです。ここで私たち全てが大いなる目的のための道具である事を銘記しましょう。【そう述べてから締めくくりの言葉に入った―】常に崇高なる目的のために我々を使用せんとする偉大なる力の存在を忘れぬように致しましょう。
『シルバーバーチの霊訓②』
常に神と一体であるように生活に規律を与え、神の心を我が心と致しましょう。そうすれば我々が神の意図された通りに努力している事を自覚するでしょう。神の御恵みの多からん事を。
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『シルバーバーチの霊訓②』
【かくして人のために尽くさんと心掛けている人々が心を新たにし勇気を新たにして会を後にする。以上がハンネン・スワッハーによるある日の交霊会の描写である。“人のため”という教えはシルバーバーチが繰返し説いているテーマであり、別の交霊会でもこう語っている―】
『シルバーバーチの霊訓②』
私たちが説く全教説の基調は“人のために己を役立てる”という言葉に尽きます。地上世界のガンとも言うべき利己主義に対して私たちは永遠の宣戦を布告します。戦争を生み流血を呼び、混乱を招き破壊へ陥れる、かの物質万能主義を一掃しようと心を砕いております。
『シルバーバーチの霊訓②』
私たちの説く福音は互助と協調と寛容と同情の精神です。お互いがお互いのために尽し合う。持てる者が持たざる者、足らざる者に分け与える。真理を悟った者が暗闇にいる者を啓発するために真理という名の財産を譲る。そうあって欲しいのです。
『シルバーバーチの霊訓②』
地上にはその精神が欠けております。人間の一人一人が持ちつ持たれつの関係にある事、全ての人間に同じ神性が流れている事、故に神の目には全てが平等である事、霊的本性において完全に平等であるとの観念を広める必要があります。
『シルバーバーチの霊訓②』
性格において生長において、進化においてそして悟りにおいて、一歩先んじている者が後れている者に分け与えるという行為の中に偉大さがあるのです。霊的な仕事に携わる人たち、己の霊的才能を真理探究のために捧げる霊媒は、自己を滅却する事によって―
『シルバーバーチの霊訓②』
―実は自分が救われている事を知るでしょう。なぜならその人たちは人間はかくあるべきという摂理に則った行為をしているからです。それは取引だの報酬だのといった類のものではなく、多くを与える者ほど多くを授かるという因果律の働きの結果に他なりません。
『シルバーバーチの霊訓②』
こうして今あなた方と共に遂行している仕事においても、お互い一人一人が欠かせない役割を担っております。今私たちはいわば霊的戦争の兵籍に入り、あらゆる進歩の敵―
『シルバーバーチの霊訓②』
改革、改善、改良、人道主義、善意、奉仕の精神を阻止せんとする勢力と対抗した闘いにおいて霊界の軍団の指揮下に置かれております。私たちの仕事は何世紀にもわたって無視されてきた霊的真理を人類に理解させる事です。
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『シルバーバーチの霊訓②』
一部の人間だけに霊力の証を提供するだけでは満足できません。その豊かな霊的“宝”驚異的な霊力がひとりでも多くの人間に行きわたる事を望んでいます。無数の人間が普段の生活において真理と知識と叡智の恩恵に浴せるように、というのが私どもの願いなのです。
『シルバーバーチの霊訓②』
神からの霊的遺産として当然味わうべき生命の優美さ、豊かさを全く知らない人間の数の多さに愕然とさせられます。餓死の一歩手前でようやく生きている人々、地上生活の最低限の必需品さえ恵まれずにいる人々を座視する訳にはまいりません。
『シルバーバーチの霊訓②』
地球の富の分配の不公平さを見て平然とはしておれないのです。それは大変な仕事です。そしてあなた方はその実現への最短距離に位置しておられます。あなた方は新しい時代に入りつつあります。人類の新しい時代の夜明です。
『シルバーバーチの霊訓②』
その恩恵の全てに浴したければ、真理の受入れを邪魔してきた愚かな教義をかなぐり棄て無知の牢獄から脱け出て、自らの自由意志で歩み神が意図された通りに生きる事です。獲得した知識は着実に実生活に活かしていくように心掛けましょう。
『シルバーバーチの霊訓②』
その知識全体に行き亘る霊的理念に沿って生活を律しましょう。人間の勝手な考えや言葉や行為で色付けせずその理念に忠実に生き、その行為を見た全ての人からなるほど神のメッセンジャー(使者)であり霊界からの朗報の運搬人であると認めてもらえるようになりましょう。
『シルバーバーチの霊訓②』
そう努力する事がまた、より大きな叡智、より大きな愛を受けるに相応しい資質を身につける事になり、また宇宙間の全生命の宿命を担いつつ一切を懐に包んでいるところの、その驚異的な霊力とのいっそう緊密な繋がりを獲る事になるのです。
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『シルバーバーチの霊訓②』
【別の交霊会でシルバーバーチは「お金は盗まれる事があっても知識は絶対に盗まれません。叡智も盗まれません。そうした貴重な真理は一たん身についたら永遠にあなたのものとなります」と述べている。続いてシルバーバーチはリラックスする事の効用を次のように説く―】
『シルバーバーチの霊訓②』
リラックスと言っても、足を暖炉の上にでも置いて椅子にふんぞり返る事とは違います。身体の活動を中止し、静かに休息して内なる自我を取戻し、その霊力が本来の威厳と力とを発揮し潜在力が目を覚ます機会を与える事です。
『シルバーバーチの霊訓②』
あなた方の世界にはそういう機会がありませんね。目覚めている間にする事と言えばただ忙しくあっちへ走りこっちへ走り、その場限りの他愛ない楽しみを求めて“あたら”貴重な時間を費やしています。
『シルバーバーチの霊訓②』
そうした物的生活に心を奪われている魂のすぐ奥には永遠に錆びる事も色褪せる事もない貴重な知識と叡智と真理の宝が、あなた方によって存分に使用される事を待受けているのです。一度手に入れたら永遠にあなた方の所有物となるのです。
『シルバーバーチの霊訓②』
【ここでかつてのメンバーの一人で理由あってしばらく欠席し、この度何年ぶりかで再びレギュラーとなった人が、シルバーバーチが以前と少しも変らず雄弁で魅力的で説くところも一貫して変っていない事を述べると―】
『シルバーバーチの霊訓②』
おっしゃる通り私はかつてと同じ霊であり説くところの真理も同じ真理です。ただそれを説く対象である地上の人間はかつてと同じではありません。常に変りつつあり、叡智の声に耳を傾け霊の力を受入れる者が次第に増えつつあります。真理は大いに進歩を遂げました。
『シルバーバーチの霊訓②』
【そう述べながらもシルバーバーチは真理普及の立役者は自分ではないと主張してこう述べる―】私の力でそうなったのではありません。そんな大それた事は私は申しません。
『シルバーバーチの霊訓②』
無論私も私なりに貢献しているでしょうが、それは無数の霊が参画している大いなる献身的事業のホンの小さな一部にすぎません。これまで成遂げた進歩は確かに驚異的なものがありますが、もっと大きな進歩が遂げられんとしております。何事も最初が肝心なのです。
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『シルバーバーチの霊訓②』
【さてシルバーバーチは自分が霊界のマウスピースに過ぎない事をよく強調する―】私はこうした形で私にできる仕事の限界を十分承知しておりますが同時に自分の力の強さと豊富さに自信をもっております。自分が偉いと思っているというのではありません。
『シルバーバーチの霊訓②』
私自身はいつも謙虚な気持、本当の意味で謙虚なのです。というのは私自身はただの道具にすぎない―私をこの地上に派遣した神界のスピリット、全てのエネルギーとインスピレーションを授けて下さる高級霊の道具にすぎないからです。
『シルバーバーチの霊訓②』
が私はその援助の全てを得て思う存分に仕事をさせてもらえる。その意味で私は自信に満ちていると言ってるのです。私一人では全く取るに足らぬ存在です。がそのつまらぬ存在もこうして霊団をバックにすると自信をもって語る事ができます。
『シルバーバーチの霊訓②』
霊団が指図する事を安心して語っておればよいのです。威力と威厳にあふれたスピリットの集団なのです。進化の道程を遥かに高く登った光り輝く存在です。人類全体の進化の指導に当っている、真の意味で霊格の高いスピリットなのです。
『シルバーバーチの霊訓②』
【閉会に当りシルバーバーチは次のように語った―】私たちは深刻さの中に笑いの要素をもたらしました。他界した古き知友との再会を実現させました。死によって隔てられていた絆を取戻した事を嬉しく思います。人のために己を捧げる者は必ず報われます。
『シルバーバーチの霊訓②』
この集会には真剣な目的が託されている事を忘れてはなりません。人類の行く手に待つ危険な落し穴を教えてあげる重大な任務を帯びているのです。人生に疲れ迷う人々の心を軽やかにし精神を目覚めさせ指導と助言となるべき霊的な光を顕現してあげようと努力しているのです。
『シルバーバーチの霊訓②』
困難と懐疑と絶望の中にある者には魂の避難場所を提供してあげる事ができます。人間の歩むべき道つまり内在する崇高な精神を存分に発現させる方法を教える事ができます。
『シルバーバーチの霊訓②』
そして何にもまして、全ての光と全ての愛の大根源より発せられる荘厳な神的エネルギーの存在を自覚せしめます。それは決して遥か彼方の手の届かない場所にあるのではありません。全ての人間の魂に内在しているのです。
『シルバーバーチの霊訓②』
それは実にこの大宇宙を造り上げたエネルギーであり、自然界のすみずみまで流れているエネルギーであり、その存在を自覚する者が見棄てられる事は絶対にありません。
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『シルバーバーチの霊訓』2巻 1章 人のために役立つことを
■2013年1月22日にUPしたブログ「レッドインディアンの女性」
今回のブログの内容に入る前に、現在の僕の「帰幽」に関する現状を軽く羅列します。まずこれを理解してもらわないと、今回のブログの内容も理解してもらえないだろう、との判断からです。
まず、予定通りに事が運んでいれば、僕は12月16日で旅立っているはずでした。つまり年を越さなかった、という事です。ではなぜ僕は年を越してしまったのか?それは邪霊による、向上する僕に対しての「ねたみ攻撃」が原因と思われます。実際、16日が近づくにつれて相当激しく攻撃を身に浴びていましたから。その攻撃が、僕の背後霊団の手に負えないレベルに到達してしまい、やむなく僕の帰幽を延期した…という事だと思います。
そして16日以降、今まで浴させてもらっていた霊的影響力が引き揚げられ、つまり、僕を霊的に隔離状態にして身の安全を確保し、その間に守護霊様(ひょっとしたら守護霊様よりさらに霊格が上の方)主催による会議が霊界にて行われ、そこで僕の帰幽計画が新たに練り直され、邪霊の影響を排除して首尾よく僕を帰幽させるための、いわば守護団(邪霊掃討隊)が結成され、その守護団の保護のもと、いよいよ僕は旅立つ…という経緯な訳です。おおざっぱな説明ですが、この内容でほぼ的を得ているものと思われます。
僕はもうありとあらゆる素敵な経験をさせてもらっているので、ひとつひとつの現象についていちいち疑問的考えを抱くのが正直めんどくさい、というところまできています。たくさんの方々に会いました。法悦状態にも浴させて頂きました。これだけして頂いているのに「やっぱりあれは気のせいなのでは?」などと考える事は、それはもう僕の中では向こうの方々に対する失礼、無礼にあたるのです。なのでもう疑問的文章にして書きたくありません。ただ、明らかに下(つまり下層界)から降ってきたと思われるものは論外ですが。
さて現在、僕に関する帰幽計画が発動中ですが、そんな中、数日前に再びシャープドリーム(幽体離脱)にてある方と面会を果たしました。今回も今まで同様、まったく知らない、地上生活において会った事もない方でした。そしてその面会の様子は、一瞬見えた、といったレベルではなく、ずっと出演しっぱなしの状態で登場してくださったのです。
※確認の意味も込めてここでひとつ基本的な事を書きます。僕が「シャープドリーム」と言っているのは、要するに僕が睡眠時に幽体離脱して、無意識状態の僕を指導霊(たぶん二人)が幽界まで運んでくれて、そこで覚醒して幽体にて様々な方と面会し、その幽体が肉体に戻されたあと、その記憶が脳内の他の雑多な記憶と混ざって薄くならないように保護してくれて、そのおかげで目が覚めたあとの僕は、幽界での面会の様子をはっきりと脳内で反芻できる…こういう事なのです。
…では話を戻します。それはとてもがっしりした骨太な体格の、健康そのものと言った感じの女性で、全身が赤茶の肌をしており、荒野の生活で鍛え上げられたような、鋼のような力強さが全身からほとばしる、みなぎりまくっている様子の女性でした。そして、赤茶の薄いくちびるに微笑みを浮かべるその顔が、僕の心に、脳裏に、もう強烈に印象付けられたのでした。僕はその女性を見て、瞬間的に!完全に!確信しました。間違いなくこの女性は「レッドインディアン」であると。
その女性はこんな感じの方でした。その全身から漂う“威厳”ともいえる雰囲気は、とても線画では描き切れないのです。(あと、ちょっと“セクシー”でもありました照。こんな事書いたら怒られちゃうかな謝)↓
インディアンの方々は総じて霊覚が発達しており、我々のような物質文明下で暮らす、いわば霊能に関して目が閉じているのがデフォルトのような者達とは違って、生まれながらに霊覚者で、デフォルトで霊能を発揮する方がたくさんいる、僕はそのように勉強しています。つまり「ちょっとだけ霊覚者」の僕にとっては、まさにレッドインディアンの方々は羨望の眼差しで見つめる「憧れの的」な訳です☆
帰幽計画が進行中のこのタイミングで、あれほど“思いっきり鮮明な映像で”出会う事ができたんです。他にどんなファクターが考えられますか?もうその可能性をあれこれあげつらってうんぬんするつもりもありません。きっと間違いありません。このレッドインディアンの女性は、僕の守護団のリーダーだと思います!そうに違いないのです!
きっと僕の守護霊様にお願いされて、そしてもしかしたら守護霊様よりさらに霊格の高い方に「やってみないか?」と誘われて、快く協力をしてくださったのではないか、そう思うんです。この話を引き受けるにあたり、当然“僕”という人間についてあらかた調べたはずです。そして僕の人間性について理解したうえで、守護団のリーダーとして本来の住処である遥か高い境涯からこの陰鬱極まる地上圏へ降下してきて下さったはずなのです。これを感謝しないで何を感謝するというのですか?
そして、シャープドリームにてこのレッドインディアンの女性と面会を果たした次の日の夜、久しぶりにあらゆる夢が次から次へと“怒涛”のように降ってくる状態を体験しました。しかし今回は以前の“怒涛”の時のように、上から下から降ってくるのではなく、ほぼ上からのみ降ってくる状態でした。(つまり邪霊及び地縛霊の影響は受けていなかったという事です)あらゆる夢、あらゆる人との出会い、あらゆるインスピレーション、あらゆるメロディが次から次へと降ってくるのです。
僕はその“怒涛”っぷりに圧倒されながらも、内心は喜びいっぱいでその影響を身に浴びていました。そして間もなく目覚ましのアラームが鳴りそうな気配の中、まるでその瞬間を狙ったかのように、僕の目の前に(もちろんこの時、目は閉じてます)ディスプレイが現れ、「悪」という文字が表示され、さらに何人もの若い男の顔が次々とスライドショーのように映し出されていったのです。その映像を見て僕は瞬間的に理解しました。「ちょ、待っ…これって“ブラックリスト”じゃねーか!」と。
つまりこうです。幽体離脱後の僕の幽体を安全な境涯に確保しておいて(だから次々と怒涛のようにあらゆるものが降ってきたと予想します)その間に、裏でレッドインディアンの女性率いる守護団と、邪霊集団との壮絶な闘いが繰り広げられていたのではないかと思うのです。そして当然守護団は勝利を収め(もちろん現場はそんな甘い状況ではなかったと思いますが汗)僕に「ねたみ攻撃」をしていた張本人たち(邪霊)を目覚める前の僕にリスト化して見せてくれた…。今回の“怒涛”の間に、こういう状況が展開されていたものと思います。
ここでみなさん、考えてみてください。12月16日に僕は出発するはずでした。しかしできませんでした。それは、邪霊の影響が僕の背後霊団では手に負えないレベルになってしまったからです。しかしこの「レッドインディアンの女性」が僕の前に現れたら、たった1晩で悪の元凶、邪霊集団どもを丸々しょっぴいてくれちゃって、さらにブラックリストにして見せてくれちゃった訳です。たった1日で。。。これがどういう事かおわかりでしょうか?
そうです。つまりこの「レッドインディアンの女性」が、とってっつっもっなっいっ!!!我々人間などの想像力を遥か遥かに超える高い能力、霊力の持ち主だという事に間違いないのです!メッチャメチャ霊格の高い方のはずです!そんな!そんなすごい方が!僕ひとりのためにわざわざ地上圏に降りてきて闘ってくれたんですよ!僕ひとりのために!この意味がわかりますか!?もう光栄としか言いようがないのです!なんという愛!なんという愛!この感謝…どう伝えていいのかわかりません!(祈)
僕は一度も海外旅行をした事がありません。英語も話せません。グローバルな経験もまるっきりない、もちろんアメリカ北西部の山岳地帯になど行った事もない、思いっきりズブの“にっぽんじん”な訳です。そんな僕が、国籍も言語もすっ飛ばしてこうしてレッドインディアンの女性と“ガッツリ”お会いできちゃうなんて…♪ 霊の世界ってなんて素敵なんでしょう☆この霊的状況をひとたび味わったら、もうウェブとかメールとか、地上の手段などは正直まどろっこしいんです(考)
この、遥か高い境涯からわざわざ降下してきてくれたと思われる、素敵なレッドインディアンの女性のおかげで、邪魔者はすっかり排除されました。もう僕の帰幽を妨げるものどもはいません。なんて素晴らしい状況なのでしょう☆あとは出発の日を信じて、僕が小知を働かせて計画変更になってしまうような妙な行動を起こさず(汗)静かに、おとなしく、じっと待つのです。信深く、心を落ち着けて、ただじっと待つのです。あっち行ったりこっち行ったりせず、普段どおりの生活をしつつ、ぐっとこらえて待つのです。守護団の方々の働きをむげにするようなアホな行動に走る訳にはいかないのです(祈)
あぁぁ、早くそちらに行けますように。今回のレッドインディアンの女性はもちろんの事、会って直接感謝したい人がイパーイ!イパーイ!いるのです☆レッドインディアンの女性…お会いできて本当に光栄です。そして邪霊を排除して頂いて本当にありがとうございました!(感謝☆)今回の僕の帰幽計画立案に関わったであろう霊界の方々の、そのあまりの愛の深さに、僕は…心も魂も感動で打ち震えるのです。僕はそちらに行ったらしっかり勉強して仕事して、みなさんに恩返しできるようになりたいです(祈)
ちょっと予想…この女性、ひょっとして、もしかして…「暗黒界暴動鎮圧隊」のリーダーだったりして☆もしそうなら…部下にしてください!!!(願)
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※幽体離脱にてこの女酋長の方と出会った時の“ど迫力”ぶりは今でも忘れられません。アナログ絵でも何度も描いてます。
■2013年5月1日にUPしたブログ「イエス様、怒涛の連続顕現の“意味”と“その後”」
順調に事が運んでいれば、僕は2012年12月16日(日)をもって帰幽完了していたはずなのです。イヤでイヤで仕方ないこの地上を離れて素敵な生活の場へ行けるのを最高に楽しみにしていたのです。しかし僕の帰幽はその後も何度も何度も延期となってしまうのでした。
そして12月16日の帰幽延期のあとしばらくして、12月20日頃から、僕は「撃って出る」と称して、僕が今まで守護霊様の導きに従って果てしなく読みまくってきた霊関連の書籍の内容を抜粋してツイッター上にUPしまくるという無謀な行為に出ました。なぜ撃って出たのか、理由は自分でもよく分りません。でもきっと、黙ってる訳にはいかない、そんなような気持だったのかも知れません。
帰幽を今か今かと心待ちにしながら、これが僕の地上における最後の仕事だという認識のもとに、毎日ひたすら本の内容を抜粋し続け、霊的知識のタネを蒔きまくりました。来る日も来る日もテキストを撃ちまくっていたのです。そんなある日、僕は守護霊様から「ミスター・アルファ星」というインスピレーションを受取らせて頂きました。
何度も何度も帰幽が延期される中、悶々としながらもひたすら本の内容の抜粋を続けた事が、どうたら僕の予想を超えて成果が出ていたようなのです。「ミスター・アルファ星」の意味はきっと、僕が蒔いた霊的知識の光が徐々にWeb経由で人々へ広がっている事を意味しているのではないか…そんなふうに思ったりするのでした。
そんな中ついに、3月20日(祝)に帰幽できる、しかも帰幽方法が「交通事故」から「山」に変更になるという守護霊様からの超鮮明メッセージ映像を受取らせて頂き、僕の心は躍ったのですが、その後イエス様の「何ともいえない表情」での顕現があり、(この時の様子はブログ“何とも言えない表情のイエス様”をご覧下さい)僕はそのご意志を読み取り、そして従い、自ら帰幽延期を宣言したのでした。
つまりそれほど、イエス様まで顕現してくださって僕に帰幽を踏みとどまらせようとするほど、僕が果てしなく行ってきた「撃って出る」行為が成果を挙げていたのだと思われるのです。僕が蒔きまくった霊的知識のタネが、少しずつ人々の心に根づいて、あちこちで花を咲かせているのかも知れない、そんな気がしたのでした。
そして帰幽延期を自ら宣言して約1ヶ月、既に指導霊の男性から「4月23日に山で帰幽完了」というメッセージを受取っていて、僕はその日を心待ちにしつつ、ラストスパートとばかりにテキストを撃って撃って撃ちまくっていました。しかし、4月23日が近づくにつれてまたしても状況が変化し始めました。何と、連日連夜、毎晩のようにイエス様が僕に顕現してくださるようになったのです。
とにかく何度も×100 イエス様が顕現してくださるのです。そこに笑顔はありません。何かを訴えかけるようなイエス様の眼差し(時にまばたきもありました)がひたすら僕に向けられ続けるのでした。そこに強烈なメッセージを感じるのは当然の話なのです。そしてそのイエス様の「ご意志」は、僕は大体分っていました。それが僕の願望と正反対のものである事も分っていました。それは…
イエス様は僕に、地上に残って霊的知識のタネをもっと蒔いて欲しい、霊的真理普及活動の使命を担ってもらいたい…連日連夜の怒涛の!怒涛の!!怒涛の!!!連続顕現に込められたイエス様の強烈な「ご意志」は、そうであるに違いない事を僕はほぼ確信していました。しかし…僕は帰幽したくてしたくてたまらなかったのです。これ以上地上に残るのがどうしてもイヤだったのです。
悩みました。数日間、最高レベルに悩みました。僕はどうしても4月23日で帰幽完了して、霊界にて思念描画に突入して紫外色赤外色に触れたかったのです。本当にどうしても地上に残りたくありませんでした。しかし、こうも考えました。イエス様にここまで!ここまで!して頂いて、それで為すべきを為さずに向うに帰ったら、ぼくは間違いなく100%後悔するだろう…と。
そしてその日も再びイエス様が怒涛に連続顕現してくださるのです。僕は心の中で泣きながらその顕現を浴び続けていました。そして起床後、顕現の様子、そしてその前後の霊的現象を思い浮かべながらごはんを食べている時、何て言うか、急に、本当に急に、「あぁぁもう残ります!地上に残ります!帰幽は諦めます!ご意志に従います!」と、半ば衝動的に声に出して宣言してしまったのでした。
その時の自分の精神状態をうまく反芻できません。でもきっと、もうそうする以外に選択肢はなかったんだろうと思います。永遠に比べてほんの一瞬の地上生活、その一瞬の苦難を耐える事もできなくて、幼稚に泣いて向うに帰ってどんな顔でイエス様にお会いすればいいのか…向うに帰ればちゃんと絵に戻れるんだから、もう覚悟を決めて地上の仕事をやるしかない…そんな心境だったんじゃないかって思うんです。
…とまあそんな感じで(滝汗)僕はまたしても自分の願望とまるっきり!まるっきり!正反対の決断をして、天界のイエス様に向って声に出して宣言してしまったのでした。そしてその後、4月23日に予定通り山にアタックに行きましたが、もちろんそこでの帰幽はなく、何事もなく無事にゴールしてしまうのでした(悲涙)これにて、僕が最高に!最高に!待ち望んでいた「帰幽(肉体を脱ぎ捨てて本来の場所、霊界へ帰る事)」の可能性は完全に消失してしまったのでした…(祈)
そして現在、僕が新たに担う事となってしまった、僕にはあまりにも重い責任である、霊的知識普及の使命に関する計画が霊界の方々によって着々と練られている模様で(そう連想させる数々のインスピレーションを既に受取っています)現在待ち期間、いわゆるタイムラグ発生中です。実はその使命に関する「会議」に、僕も幽体離脱にて参加させて頂いてます。最も、その会議の内容はこの物的脳髄などではまるっきり反芻できませんが。(※僕の霊体には記憶されてます。帰幽すればその記憶が蘇る、という訳です)
どういう形で使命遂行となるのかまだ判断できませんが、間もなく僕を取り巻く状況が少しずつ変化し始めるものと思われます。霊的知識普及の使命遂行に当り、僕の才能である「絵」の能力を活かす事ができるのか、果たして絵に戻れるのか、そこがやはり気になるところですが、僕が背負ってしまった「使命」があまりに大きく重すぎるので、何かもうそんな個人的な願望など言ってられないような気分でもあり、そんな複雑な心境を抱えつつ、とにかく今は心静かに待つという状況です。
ちなみにイエス様の怒涛の連続顕現の時、その顕現と平行してさまざまなインスピレーションも流星のように僕に降りまくっていました。実はその中に、(たぶん)7名からなる霊団が新たに僕に協力して下さる事になった、というメッセージがあったのですが、その霊団のリーダーと思われる方が、100%確定ではありませんが(でもこの予想でほぼ間違いないと思ってます)誰でも知っている、ある歴史上の天才画家の方だったのです。
そのお方が誰であるか、現時点ではまだ僕の使命遂行の状況が混沌としてますので、僕の独断で霊界の方々にご迷惑をおかけする訳には行きませんので公表は控えます。ただ逆説的に、それほどのお方、かの天才画家の方が僕に協力してくださるのなら、当然僕は絵に戻るのではないか、そんな予測もできたりもする訳です。いつか、遠い未来にそのお方が誰であるかを公表できる日が来るかも知れません。まぁ、これほど思いっきり公言しまくっている僕の性格上、いつかは言う事になると思いますが(汗笑)
この地上において、僕の過去ブログやツイッターの内容をじっくりしっかり読み込んで、僕の置かれた状況を正確に認識している人はほぼ皆無と思われますが(悲)それでもこうしてデータとして書き残す事によって、いつか、どこかで何らかの役に立ったら、それだけで僕の労力も無駄にならなかったと思える、きっとそう思える日が来ると信じ、こうしてひたすら長文ブログをUPするのでした…(祈)
■2013年3月19日にUPしたブログ「何とも言えない表情のイエス様」
僕は去年7月頃に「あのお方(軽々しく名を呼んではいけません)」のお顔を拝させて頂くという光栄な状況に浴させて頂いています。その時の詳しい状況は過去ブログ「具体的な解説をしちゃいます。」の中の「■05 お優しそうな満面の笑顔の男性」の項で紹介していますので、ぜひそちらをご覧頂くとして、数日前に何と再びあのお方、もうお名前を書かせて頂きますがイエス様のお顔を拝させて頂いたのでした。
前回、去年7月の時は「満面の笑顔」にて登場してくださったのですが、今回のお顔の顕現はその時とは全く状況が違いました。それは今僕を取り巻く“帰幽”にまつわる状況をかんがみての事だと思われるのです。
初期の帰幽のメッセージを受取ってから何ともう9ヵ月半が過ぎています。帰幽を今か今かと心待ちにしている僕にとっては、これはもう絶望的な待ち期間で、正直心が折れる寸前、忍耐の限界値をはるかはるか超えた苦しい状態な訳です。背後霊団側ももちろんその僕の心を理解しているので「あるある!あるよ!」みたいな感じで僕に様々なメッセージ、さらには「ジャック・ウェバーの霊現象」と同一の「寝袋離脱現象」まで演出して頂き(詳しくはブログ「“たきざわ彰人”版 ジャック・ウェバーの霊現象」をご覧下さい)いよいよ帰幽が近づいている事をひしひしと感じつつ、何とか絶望的待ち期間を耐え続けていた訳です。
そして僕はこの“待ち期間”の間に「撃って出る」と称して、僕が今まで果てしなく読んで勉強してきたたくさんの書籍の内容をツイッター内で“抜粋”しまくるという無謀な行為に出ました。この撃って出る行為が僕にどういう影響を及ぼすのかはあらかじめ知っていました。シルバーバーチ霊が書籍の中で何度も言っているからです「霊能者、霊覚者は苦しみにおいてほぼ同じ人生を辿る」と言った感じに。
しかし、僕は間もなく帰幽する、そう思っていたので、攻撃を身に浴びるのも覚悟の上であえて撃って出た訳です。帰幽前の、地上における最後の仕事にしよう、そう決意しての事だったのです。そして僕は自分が「霊覚者」であるとツイッター、ブログ等のプロフィールでわざと公表し、霊的知識のタネをこれでもかこれでもかと蒔きまくり始めたのです。そして僕の周りを取り巻く状況もタネ蒔きに比例して変化していったのです。
それは全て予想範囲内の事でした。そうなる事は分っていたのです。僕の言う事が理解できない人々からのあからさまな軽蔑と嘲笑が次第に僕に浴びせられ始めたのです。ついに頭がおかしくなったとか、薬をやってるとか、カゲでそういう事を言われ始めたのです。それはそれは悲しかったです。今まで僕に好意的な態度で接してくれていた女性が180度回転して正反対の言葉を僕に浴びせ始めた事も本当に悲しい出来事でした。でも僕の周りの人々のそういう反応も全て想定範囲内、こうなる事は百も承知、はなから覚悟の上で撃って出たのです。
僕が今の理解レベルに到達するまで、それは長く苦しい道のりでした。何年もかかって書籍を読み続け、果てしなく山にアタックを繰り返して心身を鍛えまくり、作品制作においても徹底的に描きまくっていたのです。説明しても分ってもらえないでしょうが「何もここまで描かなくても、もっと簡単に描けるでしょ」と突っ込まれそうな部分まで、僕は徹底的に描きまくり、自分に対して高い作業負荷をかけ、それこそ連日連夜「フルパワー発動」をかけて描いて描いて描きまくっていたのです。どうしても!どうしても!自分の作品が描きたかったからです。
そんな高負荷な作業が流星のように降って来る生活を繰り返しているうち、ある日「霊性の発現」となった訳です。僕が現在の霊的知識の理解、及び霊的現象の体験に至るまで、大ざっぱな説明ですがこういう経緯があった訳です。それを、よう分らん僕のような男に二言三言ああですよこうですよと言われたからといって周りの人がすぐ「ああそうですね、よく分ります」とはならないのは容易に想像して頂けると思います。まさにシルバーバーチ霊の言う通り、霊的知識の理解は魂に受け入れ準備が整わなければできない、その言葉の通りなのです。
しかし、僕は抜粋をやめませんでした。撃って出る行為をひたすら続けました。僕に向けられる軽蔑と嘲笑もエスカレートし、針のむしろに立たされていきましたが、それでもなお僕はタネを蒔いて蒔いて蒔きまくりました。もうすぐ帰幽できる、あとちょっとの辛抱だ、耐えてこのまま進むんだ、僕は自分にそう言い聞かせて何とか苦しい状況をこらえていました。たきざわ彰人としての作品を描きまくっていた時から僕は何度もこう公言してきました「一歩も退く気はない」と。今こそそれを実践する時だ、そう言って自分で自分を鼓舞していたのです。
しかし…明けても暮れても帰幽しないのです。僕は地上に取り残され、その間も撃って出る行為はひたすら続けたので、僕の周りの状況は当然さらに悪化の一途を辿って行く訳です。帰幽すると思ったからこそ僕は撃って出たのに、延々と帰幽が延期され、そしてついに僕は耐え難き総攻撃を身に浴びる事となり、居場所を失い孤立の極致を迎えたのでした。
僕は忍耐の限界に達し、逃げるように八ヶ岳に向かっていました。もう山しか行く場所がなかったのです。そしてひとり暗黒の森をヘッドライトでトボトボ進み続け、その後拓けた笹原のような場所で日の出となり、太陽に向かって「もう僕は地上に居場所がありません。お願いです、早く帰幽させてください。そちらに行かせてください」と切望するのでした。こんな事を書くのは恥ずかしいですが、僕は八ヶ岳を歩きながら、心の中で子供のように叫んで泣いていました。
しかし森の中を進みながら、あきらかに「戻りなさい」と言われてる感覚が何度も走るのでした。僕は呼吸を荒げながらも、いつでもメッセージを受取れるように精神を集中し続けていました。法悦に近い霊力も何度か弱く降ってきました。そして「守護霊様は僕がこういう形で帰幽する事を望んではいないのではないか…」次第にそういう思いが僕の心を駆け巡り、拭い去る事ができなくなっていくのでした。
帰りの運転中もメッセージらしきものがあり、やはり守護霊様は「戻りなさい」と言っていると改めて感じるのでした。しかしやはり、僕はどうしても総攻撃を身に浴びて身の置き場所を失った所に再び戻る気がせず、弱い心、小我を優先してしまい「僕はもう戻りません」と守護霊様に対して心の中で宣言してしまうのでした。
そしてその夜です。睡眠中に、守護霊様からと思われる超鮮明映像のメッセージを受取ったのでした。その内容の詳細説明は省略させて頂きます。要点だけ述べると、僕はずっと「交通事故で帰幽する」というメッセージを受取り続けてきましたが、その夜のメッセージでは帰幽方法が「交通事故」から「山」に変更されていて、しかも電光石火でいとも簡単に帰幽完了する…そんな内容だったのです。
今までどれだけ願っても望んでも、どうしても帰幽できなかったのに、その夜のメッセージの内容が拍子抜けするほど簡単に帰幽できるかのようなものだったので「あれ?こんな簡単に変更、実行できるならなぜ今までしてくれなかったの?」というシンプルな疑問が浮かぶのでした。そして一つの仮説が僕の中に浮かんでくるのでした。「交通事故」という帰幽方法をあくまで言い続けたのは、僕に地上で頑張らせるためだと。もし簡単な帰幽方法を告げていたら僕は努力をやめてただぼーっと待ち続けていたかも知れない…と。
そしてもう一つ、そのメッセージの裏側に、守護霊様の僕に対する“あきらめ”の感情が混じっているような気がしたのです。今までの壮絶かつ絶望的な帰幽待ちの状況があまりにも軽々しく一変するのを見て、まるで「あなたの頑張りもここまでのようだから、もうやめにしましょう…」守護霊様にそんなふうに言われた気がしたのでした。
僕は守護霊様の期待を裏切ってしまったのかも知れないという思いと、でも帰幽できるならその方がいいという二つの思いのはざまで揺れていました。どうしても帰幽したくてたまらない僕は、出発できるならもう何でもいい…そこまで考えていたのです。そんな気持ちが心に渦巻きながらも僕は寝袋の中で目を閉じ続け、必死にどうすべきか考えを巡らせていました。そしてその時、ついにあのお方、そう、イエス様のお顔が再び僕の前に顕現してくださったのです。
ゆっくり、そしてハッキリお顔のイメージが僕の眼前で整えられ、広がっていきました。(もちろんこの時目は閉じてます)そのお顔を見て僕はすぐにイエス様だと分りました。しかし、その表情に「笑顔」はありませんでした…。本当に何と言えばいいのでしょう、そのイエス様のお顔は「何とも言えない表情」まるで、何かを訴えかけんとするような、そんな表情だったのです…。
僕はその後起床し、再びテキストを打ち始めました。本の内容をカタカタ打ちながら、今までのありとあらゆる出来事を頭の中でひたすら反芻し続けていました。そしてしばらくして一つの考えが頭を支配していくのでした。僕が帰幽するのは間違いない。でも僕がこうして“撃って出た”事が、僕が想像している以上に効果をあげていて、僕の蒔いたタネを受取って書籍を手にした人が結構いるのではないか…と。事実そう思える兆候がいくつかあったのです。
守護霊様による、あきらかに帰幽を先送りしていると思われるその動き。そして八ヶ岳での「戻りなさい」というメッセージ。それは、「ここで抜粋をやめるのは惜しい、もう少し続ければさらに霊的知識の入口に立つ人が増える、あなたはその手助けができるのですよ…」そういう事なのではないか…と。
そしてこの考えを決定づけたのが、やはりイエス様のあの「何ともいえない表情」だったのです。お顔の顕現の時、お言葉は発せられませんでした。しかし、「キミがもう少し地上で頑張ったら、もっとたくさんの人が霊的知識に目覚め、その人達を救う事になるんだよ…ここでやめてしまっていいのかい…」そんなふうに言われたような、何となくそんな気がしたのでした。
そしてもうひとつ、前回、去年7月の顕現の時、イエス様のお顔に“ヒゲ”はありませんでした。ブログ内でも2回ほどイエス様のお顔の線画をUPさせて頂いてますが、それを見て頂ければ良く分かると思います。しかし今回の顕現ではお顔に“ヒゲ”を生やしておられました。その時はその意味が分らず「あれ?」としか感じられなかったのですが、今にして思えばそれはイエス様の「地上時代のお顔」なのだと理解しました。つまり「もう少し地上で頑張りなさい」という事を暗示していたのではないか、そんな気もしたのでした。
…と、こういう理解に到達してからもしばらく悩み続けました。僕は本当に帰幽したくて×100 たまらなかったからです。テキストを打ち続けながら僕はひたすら悶々と考え続けました。 僕がもう少し地上に残って“撃って出る”行為を続ける事が、イエス様及び守護霊様の“ご意志”なのだとしたら…しかしそのご意志に従う事は、僕が最高に望み続けている帰幽をさらに遅らせるという、僕にとって痛恨の選択でもある。悩みました。しばらくの間、最高レベルに悩みました…。そしてこの間、ずっと僕に法悦の霊力が降り続けていたのでした。
そして、考えに考え抜いて、ようやく、本当にようやく、心を決める事ができたのです。イエス様、そして守護霊様のご意志に従い、イヤでイヤでしょうがないけど(涙)もう少し地上に残って撃って出ると。霊的知識のタネをあともう少し、蒔いて蒔いて蒔きまくってやると。(って、今でも本心では迷い続けてますが滝汗)
…ってな訳で、僕は帰幽したくて×1億 たまらないのに、イエス様と守護霊様のご意志に従い、もう少し地上に残るというまるっきり正反対の選択をしてしまった訳です(滝汗)正直まだ心は揺れてますが、永遠の時に比べてたかだか数ヶ月の辛抱ならしなければいけないと、今まで勉強してきた知識に照らし合わせて無理やり自分を納得させてる状況です(悲)
でもこうするしかありません。考えるほどにそう思います。守護霊様、背後霊団の方々、そしてイエス様が、このしょぼい画家の僕に、ここまで!ここまで!!ここまで!!!してくださっているのです!!!究極!究極!!究極!!!光栄な事なのです☆この皆さんの心、“愛”を、僕のアホな小我の判断でむげになどできる訳がないんです。今は苦しくても導きに従う事が最終的に僕のためになる、そう思うからこそ僕にこれほど強烈にメッセージを届けてくださっているのです(祈)
おまけに…過去ブログ「あのお方(軽々しく名を呼んではいけません)」でも紹介していますが、イエス様の地上時代の生涯を克明に紹介した霊界通信「クレオファスの書」を僕は何度も読み返しました。そこには少年時代、青年時代を通しての様々な苦悩の体験談が綴られているのです。その内容と比較すれば、今僕が味わっている苦悩など蚊が刺したようなものだ…そう思えるようでなければいけません。ちなみに「クレオファスの書」は日本語訳では以下の3冊があります↓
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■霊界通信 イエスの少年時代 貧窮の中の小さな王者
G.カミンズ著 山本貞彰訳
■霊界通信 イエスの成年時代 神と人間のはざまで
G.カミンズ著 山本貞彰訳
■霊界通信 イエスの弟子達 パウロ回心の前後
G.カミンズ著 山本貞彰訳
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しかし、あぁぁ何で“撃って出ちゃった”んだろうなぁ、って。こんな事しなければとっくに帰幽できてたはずなのに(汗笑)って、後悔はしてませんけど。苦しい事ばかりでしたが短い間に貴重な経験をさせて頂きましたから。今回は地上にもう少し残るという選択をしましたが、このまま延々と延期っていうのは本当にやめてくださいね!イエス様、守護霊様、僕は帰幽したくて×1兆 仕方ないんです(滝汗)これは本当にお願いします!(本気祈)
■2012年9月29日にUPしたブログ「具体的な解説をしちゃいます。」
※超長文テキスト、不思議で難解な内容となっておりますが、勇気を持って最後まで読んでくださる方がもしいたとしたら、ここに最大級の感謝の念をささげます。
ここ数ヶ月の間、僕は本当に様々な経験をさせてもらえました。驚きと同時に光栄であり、読書にふけって知識を得るほどに、僕の中でおぼろげだったものが次々と確信へ変わっていくのが分かりました。
前回ブログの通り、僕は現在「カウントダウン中」ですが、こんなロングカウントダウンだとは思っていなかったものですから(汗笑)もうブログ更新はないだろうなと思い、書くのを途中でやめていたんです。
でも、当初の予想をはるかに上回って時間が余っているので(汗)…思い切って僕が経験した様々な現象の中から主なものをピックアップして、可能な限り詳細に解説しちゃおうかなって思います。
この、物質に骨の髄までどっぷり浸りきっている現代の日本において、僕のような体験をする人は相当稀なのではないかと思うんです。でも、僕だけではなくみなさんのすぐ近くにも存在するのです。以下の内容はほとんどの方に理解してもらえないでしょうが、こうして書き残すことによって誰かの何らかのきっかけにさえなってくれれば…僕はもうそれでいいです。
-----僕が体験した主な現象たち-----
■01 超喜悦超恍惚状態
■02 霊聴によるメッセージ
■03 車中泊で見たイメージたち
■04 目覚めたら体が180度回転していた
■05 お優しそうな満面の笑顔の男性
※上記以外の細々とした現象も軽く紹介しています
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■01 超喜悦超恍惚状態
旧PCがクラッシュして、新仕事PC「シルキー」を購入するにあたり、僕はそれまでも生活、作品制作両面において十分苦しい状況でしたが、逃げることなく更なる試練の道を自ら選択し、想像を絶する困苦の中に突入して連日連夜フルパワー発動を続け、41作を描きまくっていました。
そんな時、ついにこの数ヶ月体験することになる一連の事象が顕現され始めたのです。「…あれ?」机に向かっている時、僕は何かを感じました。何かはわからないのですが、何となくフレンドリーな感覚に包まれているような気がしたのです。
僕はその時点で多少なりとも本を読み、ある程度の知識を得ていたので、今僕のまわりに数人の方が来てくださっているのかも知れないと思い始めました。と、次の瞬間、今までの苦しかった出来事が1秒もしないうちに一気に心に駆け巡り、どっと涙が溢れ出ました。本当に一瞬でした。心に直接、優しく触れられたような、そんな感覚でした。
その後も作業を続けていると、突然体が地震のようにガクガク震えだしました。そして急に手先足先が冷たくなり、体のあちこちでカチッ、カチッとコードを接続するような感覚が走りました。痛みはまったくありません。きっと指導霊の方々が僕の体に対して何らかの作業をしてくれていたのだと思います。
事実それ以降は、僕がtwitterで何度も書いている通り、毎日のように法悦、喜悦状態に包まれるようになりました。もちろん最初は恐れや戸惑いもありました。でもそれ以上に、ずっと孤独の真っ只中で作品を描き続けていた僕にとっては、こんな状態にしてもらえて嬉しいという感情の方が強かったんだと思います。
そして数日後、僕は守護霊、指導霊の方々に対する信頼を示す意味を込めて、心の中で「僕のチャンネルはフルオープンです!」と宣言しました。すると僕の全身は今まで感じたことのない超喜悦超恍惚状態に包まれました!それは言葉で何と表現すればいいでしょう。無重力状態、そして無限の貯蔵庫との連絡路が開通した状態…とでも言えばいいのでしょうか。
鼻が「キィィィィン!」って、全身が「フワァァァァ!」ってなるんです。そんな、言語を絶するとてつもない状態にさせてもらえるようになったのです。
その超喜悦超恍惚状態があまりにもすごすぎるので、こんなすごい状態が何ヶ月も続く訳がない、だから僕の旅立ちはすぐ目の前に迫っている…当時はそう思っていました。しかし、現実に数ヶ月が経過し、波が強まったり弱まったりはしましたが、現在に至るまでずっと包んでもらっている状況です。(現在は以前よりだいぶ弱まりました。僕の辛抱が足りず、物質から抜けきれていないからかも知れません)
ちなみにその喜悦状態の時、ある部屋で数人が地デジテレビを見ている前を通り過ぎた事があるのですが、僕が近づくとテレビがプツッと消え真っ黒になり、僕が通り過ぎて遠くなると再び映像が流れ出した…という事がありました。
また、喜悦状態のまま車を運転している時、工事中で片側交互通行の場所に差し掛かり、僕の車は作業員に止められました。と次の瞬間、作業員が無線機を手にしながら「あれ?無線おかしいよ、聞こえないよ、おーい!どうなってんの?」と叫び出し、ちょっとした騒ぎになりました。
この、テレビと無線の件、きっと僕の状況と関係があったんだと思います。何か目に見えない力が電波を遮断していたのではないか…そんな気がします。
またある時、その日も僕はものすんごいふわっふわの状態だったのですが、知人がペットボトルの水を飲みながら僕のすぐ横に来たら、急にびっくりした表情になって「おぉぉ!何か、ふわふわする…」って言ったこともありました。僕はその様子を苦笑いで見つめ、心の中で「守護霊様、ふわふわするそうですよ笑」と思ったものでした。
■02 霊聴によるメッセージ
僕は既に7月下旬あたりで、夢やインスピレーションやノビタキちゃんの一件などから、僕に示されていたひとつのメッセージの意味を理解していました。そして僕にはどういうシチュエーションが考えられるかを予測し、自分らしい最後として「山で滑落する」と勝手に思い込んでいたのです。そして滑落の危険がある山域をわざと選んでアタックしたりしていたのです。
岩場や崖を進みながら「ここで滑るのかなぁ、今日なのかなぁ」などと思いながら、まさか故意に滑る訳にもいかないので(汗笑)注意して危険ゾーンを突破し、結局何もなく無事にゴールしてしまいました。そして翌週もさらに、わざと危険な山域にアタックしたのですが、そこでも結局滑落することはなく、ガッカリしながら樹林帯を下って帰る途中でした。
突然右耳に違和感を感じ、しばらくして「…カチッ☆」と右耳に何らかのスイッチが入ったのが分かりました。それから、明らかに右方向から人の声が聞こえてくるのです。大きな部屋に大勢の人がいて、あちこちから話し声が聞こえる…そんな聞こえ方でした。
もちろん僕は何度も右を振り向く訳です。でもそこは誰もいない樹林帯、シングルトラックの前にも後にも誰もいません。でも明らかに右から人の声がするのです。「これはくるな、何かくるな、お待ちしております…(祈)」僕はそんな受身の気持ちでその声に耳を済ませつつ、結局メッセージらしきものがないままゴール。帰りの車を運転していた時でした。
ある場所で信号待ちをしていると、右から思いっきり会話が聞こえたのです。
「(女性)…やっぱり交通事故よねぇ…」
「(男性)…そうだねぇ…」
…と。
首が折れそうな勢いで右に振り向きました!(笑)車の窓を開けて走っていたので、外の人の声かと思ったのです。でもそこには誰もいません。遠くにシャッターの閉まった店があるだけです。その瞬間、これはメッセージだと理解し「滑落じゃないんだ…交通事故なんだ…はい、了解しました(祈)」と心の中で納得したのでした。と次の瞬間、右耳はフッと通常の状態に戻りました。
■03 車中泊で見たイメージたち
7月下旬、僕はすっかり滑落と思い込んでいて、危険な岩場がある山域にアタックするため、前日夜から車の中で眠っていました。
車内で6時間くらい眠ったでしょうか、間もなく目覚ましのアラームが鳴るのではないか、そんな予感の中、僕は睡眠と覚醒の中間のような状態を意識的に保って、イメージが降ってくるのに備えていました。そして間もなく、期待を大幅に上回る様々なイメージを見ることになりました。
まず白く輝く光の十字架が無数に現れ、夜空の星の瞬きのように光輝を放っては消えるという状態が続きました。「こんなにいっぱい…僕にこんな…いいんですか?(心の中でのセリフです、目は閉じてます)」なにしろ僕は完全無宗教。今まで生きてきて“そういう本”を読んだこともなければ“そういう場所”に行ったこともないのです。
光栄な気持ちでその全天の瞬きを見続けていると、今度は無数の十字架に混じって、羽ばたく鳥のイメージがいくつも浮かび、飛んでは消えていきました。「おぉ!鳥チャン、ステキ☆」などと思っているとさらに、今度は「数字(1、2、3)」が浮かんでは消えていきました。実は僕は数字が大嫌いなのです(ここで言う数字は「お金」のことです、ずっと悩まされてきましたから(汗)僕はお金のことを比喩的に数字と呼んでいたのです)。その大嫌いな数字が現れては次々消えていくのです。
「数字が消えていく!もう数字に悩まされずにすむってことですよねコレ!うおぉぉ感動的~!」その間も光の十字架は無数に現れては消え、しばらくその状態が続き、うっとりと眺めていました。そしてついに決定的なイメージが降ってきました。
突然画面が切り替わり、束ねた「電源コード」を手で持っている、その手がアップで写された映像になりました。次の瞬間、その電源コードを「ポイッ!」と捨てたのです。僕はその映像が意味するところを、何ていうか、瞬間的に判断する事ができたんです。
僕の絵画作品はデジタルです。作品のデータは複数のメディアで厳重に保存しています。当然のことです。しかし、どう保存しようと電気がなければデータなんて「無」です。僕の作品なんて一瞬で無に帰す訳です。
でも向こうでは、地上で起こるすべての事象が詳細に記録、保存されていて、しかも紛失することも、古くなってほこりをかぶることも、劣化することもない、僕はそのように勉強していました。
つまり、あの「電源コード、ポイッ!」の映像は「物質に魂を囚われるな」というシンプルかつ根源的、そして重大な意味を持つメッセージだったのではないか…そう思ったのです。「君の作品はこっちにすべてあるし、こっちにくれば今の君では想像もつかない作品が描けるんだから何も心配ないんだよ…」僕はそう言われたような気がしたのでした。
そして、再び全天の十字架の瞬きの映像に切り替わり、徐々にそのシーンがフェードアウトして、タイミングぴったりに目覚ましのアラームが聞こえ始め、さっきまでの映像と現実との線引きがないような、滑らかで自然な移行で目を覚ましました。まるで「さぁ、アタックに行ってらっしゃい…」そう言われたかのような目覚め方でした。
■04 目覚めたら体が180度回転していた
電源コード、ポイッ!のイメージを見た次の日でした。僕はいつもどおり部屋で眠り、目覚ましのアラーム音で目を覚ましました。僕はいつも左耳付近に携帯を置いていて、そこからアラームが流れるのですが、その日はアラームが足元から聞こえてきたのです。
「…ありゃ?」と思って上体を起こすと、布団の上で僕の体が180度回転していたのです。つまり枕と携帯が足元にあった訳です。これはもしや、と思い、早速状況を見回しました。見ると布団にはねじれたしわなど一切なくきれいな状態で、かけ布団もきれいにおなかにかかっていました。
その状況を見て僕は瞬間的に理解しました。これは自分で寝返りをして反対になったのではなく、指導霊の方が僕に憑依して、立ち上がって回れ右をしてもう一回寝たのだと。しかも、本当なら枕のない状態で寝ていたので首が痛くなるはずなのに、起きた時は全く首に痛みがなかった、つまり、僕が目覚める寸前にそれらの現象が展開された…僕はそう予測しました。
この時点で僕は既に、様々な現象を体験済みだったので、この憑依しての180度反転にも特に驚きはありませんでした。もうなんでもありの心境だったのです。全然驚かなかった自分にむしろ驚きましたが(笑)
そしてこの現象の意味するところも、瞬間的に何となく理解できました。「電源コード、ポイッ!」と似たような意味を感じ取りました。きっと「間もなく正反対の生活に突入しますよ。心の準備をしなさい…」と、そんな意味が込められていたのではないか…そう思っています。
■05 お優しそうな満面の笑顔の男性
7月中旬、ノビタキちゃんの件で泣きまくっていた時のことです。泣きすぎて顔全体がしょっぱい状態の中、それまで描いていた43作をボツにして、ノビタキちゃんをモチーフにした新たな43作を描くべく準備に追われ、僕は疲れきって机に突っ伏していました。
ちょうど睡眠と覚醒の中間のようなふわふわ浮いた状態の時でした。一瞬見えたんです。超お優しそうな満面の笑顔の男性…。くせのある長髪をまんなか分けして、肩に小鳥がとまってそうな、森の守護者のような雰囲気を醸し出した、時代や民族を超越したようなお顔立ちの方でした。
僕の心に一瞬ある方の名前が浮かびましたが、まさか、そんな事あるはずが…地上において顕現なさるなんて、しかも僕なんかに…等々考えをめぐらし、その時は「きっと守護霊様のお顔だ」と思ったのです。(こんな言い方したら守護霊様に失礼になっちゃうかも…スイマセン謝)
さらにその数日後にも、睡眠と覚醒の中間で再びお顔を拝する機会を得ました。その時も“ものすんごい”笑顔で登場してくれました。そんな事があってから、僕はすっかり親しみや気安さを覚えるようになり、失礼ながらも「また見たいなぁ」などと考えていたのです。
しかしさらにその数日後、3回目のお顔の顕現の時、なんと邪魔が入ってきたのです。お顔のイメージが浮かんできたことに僕が喜んでいると、明らかに外部からと思われる力によってお顔のイメージがグニャっと歪まされ、それに対抗するように再びお顔のイメージを整えようとするのですが、再びグニャリとさせられてしまうのです。
結局3回目のお顔はハッキリと見ることができませんでした。さらにその後、僕の中にステンドグラスのイメージが降ってきたのです。そのイメージを見て、瞬間的に「旧宗教的雰囲気」を感じ取ったのです。「これは明らかに妨害、攻撃だ」と直感しました。
ただ、その攻撃が逆説的に僕にある理解をもたらしました。つまり“ステンドグラスで飾られた建物にいたであろう地縛霊”に妨害を受けてお顔が歪まされてしまうということは、やはり“あのお方”であるという証拠なのではないか…と。これがもし僕の知人の顔だったらわざわざこんな妨害をする必要はありません。そこに“妬み”のような動機を何となく感じ取ったのでした。
んな訳で、予測でしかありませんが、僕が見させていただいたあの“超お優しそうな満面の笑顔の男性”は、きっと、みなさんも良くご存知の“あのお方”なのではないかと思うんです。そう思うと本当に光栄の極みです(感謝祈)
※そのお顔のイメージがあまりにも鮮烈だったので、思わず線画を描いちゃいました(照)こんな感じの方でした。。。(謝)
※霊性発現直後、いきなりイエス様のお顔の顕現に拝させて頂き、まだイエス様であると完全に確信が持てないまま初めて描いたイエス様のアナログ絵でした(祈)
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また上記の体験以外にも、明らかに離脱して向こうで見聞きしたであろうものを超鮮明な夢として見て、その中に様々なメッセージやイメージを感じ取ったこともありました。僕の夢に数回登場している地上では面識のない女性に「旅に出なきゃいかんのですよ!」と説教されたり(笑)その2ヵ月後にはその女性と「よろしく!」って言ってガッチリ握手もしました(照)
さらに「○○○くん(僕の本名)」と僕を少年時代のあだ名で呼ぶ鮮明でやわらかな女性の声が聞こえたり、(あの人かなぁと思いつつも確認できず悲)地縛霊からの陳腐かつ拗ねたような嫌がらせ、時には悪意を感じる極めて不快な夢を見させられたり等々…本当にいろいろありました。
僕が旅立ちのメッセージを理解するまで、何度も夢を見たりインスピレーションが降ってきたりしました。そして僕が理解するとそれまでの夢がピタリとやみました。また、滑落と思い込んでいた時も、霊聴によってメッセージを受け取り、僕が間違いに気付き納得すると、それ以降霊聴がピタリとやみました。そして現在、旅立ちを一切疑わず信じきっているからなのでしょう、なにも降ってこなくなりました。法悦状態は弱いながらも続いていますが。
今回の経験で僕は、守護霊からのインスピレーションは常に降ってきているが、それを受け取れるかどうかはその人の霊的成長しだい。さらに受け取れるようになったとしても、それをどう解釈するかは本人の心の持ちようしだい、ということを知りました。あくまでも本人が気付き、考えて答を見出していかなければならないんです。導きは常にあります。でもそれを正しく判断するのは僕たちの努力と理解力、そしてなによりも“向上心”しだいなのです。
降ってきたイメージについてもうひとつ。地縛霊からのものか高級霊からのものかを見分ける“基準”を僕なりに記述しますと、地縛霊からのイメージは陳腐でこの世的で美しさに欠けるものがほとんど、物質を脱していない、という印象が強かったです。反面、高級霊からのイメージはシルクのようで幻想的で美麗、地上のどんな高性能ディスプレイでも表現できない高精細な美しさがあるのです。
ある時、白い紙に青い文字が書かれた手紙のようなものを見た事があるのですが、たった一枚の紙なのになめらかで内側から白く発光しているようで何とも言えない美しさがあり、しかも高精細なのです。皆様がもしこのような体験をする事がありましたら、こういう判断基準で上から降ってきたのか下から降ってきたのかを考えてみてはいかがでしょうか(祈)
…と、ここまで読んでくださったみなさまに、僕がまもなく旅立つことを信じきるに至った経緯を少しでも理解してもらえたらうれしいです。僕の文章力が足りなくて理解してもらえなかったとしても、僕たちの身の回りには物質を超えたこれらの現象が常に存在している、それだけでも得心していただきたいと願っています。
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9月30日(日)長野電鉄長野駅搬出にあたって再び高速道路を走ります。今の僕には、もう旅立ちのタイミングはこの時以外考えられません(懇願)もし作品を携えて帰りたくもない家に帰ってきちゃったら、10月からどう生きればいいのか、正直途方にくれちゃいます(笑)思わず44作描き始めちゃうかも知れません(滝汗)ま、そんなことにはならないと思いますが(笑)
僕は既に向こうで自分が描くであろう作品の脳内シミュレーションも始めています。向こうではきっと、あんな不可能も、こんな不可能も克服して、今の僕では想像もできない作品がきっと描けるはず…自分の到達した境涯の表現範囲内において…。その前提の下にアイデアを出しては楽しんでいます。
A1なんてサイズをぶっ飛ばして、超巨大キャンバス、自在可変キャンバスで描けるはず。1秒たりとも同じ色彩を留めない、躍動した極彩色の羽毛を全身にまとった鳥が描けるはず。フォトショでは1ピクセル以下の描画はできませんが、向こうではもちろんそれより細かく描画できるはず、そして鑑賞者の霊眼もその微細表現を0.0001ピクセルであっても正確に見る事ができるはず。
鑑賞者が絵に近づくと、どこからともなく心地良い音楽が流れ、絵の中の鳥が目をぱちくりさせ、鑑賞者の心に直接あいさつできるはず。鑑賞者の心象に感応して、絵の中の様々なオブジェクト(花、木、山等)が千変万化の色彩表現を展開できるはず。さらにBGMが切り替わってエキストラキャラ(小動物、妖精等)が登場し、歌ったり踊ったりケンカしたりできるはず。そして遠くの山の稜線には、スピードハイク中の作者がごく微小な影として見えるはず(照笑)
そんな「絵画」を超えた「作品」をきっと織り成せるはず…。そして向こうの実情を知るほど、ここに記述した内容が赤面するほど陳腐だったと反省する日がくるはず…。いや、きっと来てほしい…。
きっと、きっと僕はもっと描ける。そんな想像を膨らませながらエックスデーを待っている、今の僕の状況です。
超長文ブログ、ここまで読んでくださったみなさま、心から…ありがとうございました(感謝祈)
たきざわ彰人、発進(…できますように祈)☆☆☆
■2012年7月27日にUPしたブログ「小鳥に見つめられて」
今回も例によって山にアタックしてきましたが、そこで一言では言い表せない出来事に遭遇しました。
僕はいつもトレイルを進みながら、野鳥の美しい鳴き声が近くから聞こえると「鳥チャン、ステキ♪」などとつぶやきつつ進むのですが(僕のアタック中のデフォルト風景です恥)そんな中、いきなり地面に小鳥がいるのを発見。えー♪こんな近くで野鳥を見られるなんてラッキー☆などと思い、逃げられないようにそーっと見ていると…逃げる様子が全くなく、よたよたしながら羽を膨らませている…あれ?様子がおかしいぞ…何か、明らかに苦しそうだぞ!!
よく観察してみると、さっきから全く鳴いていない。くちばしに何らかのダメージがあるもよう。これではエサも食べられないのでは…。そんな事を考える僕を、小鳥は目を細めながらじっと見てくるんです。小鳥に見つめられて、僕はドキッとしました。実はこの件には伏線があるのです。
ここ1ヶ月ほどの間に、実は2回「野鳥が逃げずにまっすぐ僕の方を見つめて鳴いてくる」という出来事が起きています。あまりに不自然だったのでよくおぼえているんです。さらに、僕の以前の飼い鳥だった白文鳥の「ユキ」も、若い時の艶のある羽で、真っ赤なくちばしを輝かせながら、ものすごく鮮明な映像で数回夢に登場しています。単なる夢と言ってしまえばそれまでですが。
今回もそれなのか?などと思っていると、何と小鳥の方から僕の手に乗らんばかりの勢いで近付いてきたのです。「野鳥」が自分に危害を加えるかも知れない人間に自ら近付いてくるなんて、よっぽどの事だったに違いありません。その苦しそうな表情を見て、よっぽど痛くて心細くて寂しかったから近付いてきたのではないか…そんな考えが瞬間的に頭をよぎり、僕は一気に…もう…(涙)
っと、そこにハイカーの鈴の音。僕は反射的に小鳥と距離を置き、道の反対側に移動して荷物をチェックする真似をしてハイカーの注意を自分に向けさせました。どうやらその作戦は成功したようで、ハイカーは小鳥のいる方を見向きもせず通り過ぎていきました。
ここは鳥獣保護区。野生動物に手出しは厳禁です。でもこのまま放っておいたらこの小鳥はどうなってしまうのか。せめて人の目に付かない場所に移動させてあげたい。僕はそう思い、ハイカーが遠くに行ったのを確認してから、両手で小鳥をそっと包み込むようにして、ルートを外れ森の中へ入っていき、緑が深くて目立たないポイントまで来たのを確認してからゆっくり小鳥を放しました。
「何もしてあげられなくてごめんなさい…」
そう言って僕が立ち去ろうとした時、小鳥はじっと、ただじっと僕をまっすぐに見つめ続けていました。
こんなに…こんなに見つめられたら…僕は…(涙考)
小動物が傷つく、こんな事は自然界で当たり前に行われている営みです。別に感傷に浸る必要などないんです。頭では解っています。でも、伏線絡みでこうも続くと、そこに潜む意味を考えずにはいられません。
小鳥の、あの傷ついた様子では、たぶん今夜は…(悲)この、駆け巡る感情は何なのでしょうか…(考)ただひとつ、これだけはハッキリ言えます。あの時、小鳥が僕をまっすぐに、本当にまっすぐに見つめてきたあの眼差しを…僕はこれからも忘れる事はないと思います…(祈)
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※この野鳥「ノビタキ」をモチーフにした43作「小さな瞳」が、画家としての最後のデジタル作品となりました。
■dreamwork043「小さな瞳」
小さな瞳が見つめる銀河は、想像を超えた光と花の境涯…
「ボクが、こんなきれいな空を飛んでもいいの?」
全天の花々が一斉に光輝を放ち、もじもじする小鳥を迎え入れる…
小鳥は照れながらも、この美しい土地での暮らしを思い、胸が高鳴った…
『母と子の心霊教室』全文掲載 注釈 イエス・キリストについて―訳者
-----注釈
『母と子の心霊教室』【注釈(ちゅうしゃく)イエス・キリストについて―訳者(やくしゃ)】このシルバーバーチの霊言集(れいげんしゅう)もふくめて、スピリチュアリズムには“信頼(しんらい)できる霊界(れいかい)通信”という、折り紙をつけられたものが→
『母と子の心霊教室』→10種類ほどありますが、そのいずれにおいても“イエス・キリストは、いったいどういう人物だったのか”について、同じようなこと、それも、これまでキリスト教で説かれてきたものとはまったくちがうことが説かれております。
『母と子の心霊教室』スピリチュアリズムがキリスト教界からきらわれる原因はそこにあるのですが、その内容をまとめるとおよそつぎのようになります。イエスは神のとくべつのひとり子ではなく、他のすべての人間と少しも変わらないひとりの人間であった。
『母と子の心霊教室』いいかえれば、イエスが神の子であるというのと同じ意味において、人間のすべてが神の子であるというのです。ただ、イエスはなみはずれた人格をそなえていた上に、強力な霊的(れいてき)能力をもっていて、病気治療(ちりょう)をはじめとして、→
『母と子の心霊教室』→奇跡的(きせきてき)な現象(げんしょう)をつぎつぎと起こしてみせることができました。そのために、特別の人間であるように思われたまでのことでした。死後イエスは向上の一途(いっと)をたどり、ますます高い霊格(れいかく)と大きな霊力(れいりょく)→
『母と子の心霊教室』→を身につけて、いま地上人類のために大霊団(だいれいだん)を組織して、活発に指揮命令(しきめいれい)をくだしているということです。が、じつはこれは地上的な観点からのべたことであって、霊的(れいてき)な観点に立っていえば、→
『母と子の心霊教室』→イエスはもともとたいへん霊格(れいかく)の高い天使的存在で、地球の守護神から使命をさずかって地上へ誕生(たんんじょう)したということらしいのです。そのイエスが“天にましますわれらが父”と呼んだ神さまは、じつは地球の守護神なのです。
『母と子の心霊教室』つまり、人類ぜんぶの親にあたるのです。民族によって言語がちがうために、その呼び方もまちまちで、それを後生の人が、名前がちがえば中身もちがうと思いこみ、自分の国のものが正しいのだと主張しあってきました。が、心霊学(しんれいがく)のおかげで→
『母と子の心霊教室』→正しい霊界(れいかい)通信の見分け方が確立されてみると、けっきょくは同じことをいっていたことがわかってきました。将来(しょうらい)は、きっと全世界に通用する霊的(れいてき)な教えがまとめられることでしょう。
『母と子の心霊教室』いまのところ、それをとりあえずスピリチュアリズムと呼んでおりますが、そうなったときは、その名称もいらなくなることでしょう。
『母と子の心霊教室』シルバーバーチをはじめとする多くの霊(れい)はじつは、そうした世界共通の霊的(れいてき)真理の普及のために、活躍(かつやく)していることを知っていただきたいと思います。
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『母と子の心霊教室』全文掲載 付録 古代霊(こだいれい)シルバーバーチ、子どもと語る
-----付録01
『母と子の心霊教室』<付録>古代霊(こだいれい)シルバーバーチ、子どもと語る シルバーバーチというのは、1920年代後半から50年余りにわたって霊媒(れいばい)モーリス・バーバネルの口を借りて→
『母と子の心霊教室』→教訓を語りつづけた古代霊(こだいれい)のことで、紀元前1000年ごろ地上で生活したそうです。もちろん仮の名です。本名を教えてくださいと、これまで何度もお願いしたのですが、そのたびにこういうのでした。
『母と子の心霊教室』「それを知ってどうしようというのでしょう?人間は名前や肩書(かたが)きにこだわるからいけないのです。もしも私が、歴史上有名な人物だとわかったら、私がこれまで述べてきたことがいっそうありがたいものに思えるのでしょうけど、」→
『母と子の心霊教室』→「それはひじょうにまちがった考えです。私が地上で王様であったとしても、あるいは平凡(へいぼん)な人間であったとしても、そんなことはどうでもよいことです。私が述べていることがなるほどと思われたら、それを真理として信じてください。」
『母と子の心霊教室』「そんなことがあるものかと思われるなら、どうぞ信じないでください。それでいいのです」名前のせんさくはその後しだいにされなくなり、ついに最後まで明かされずにおわりました。そして1981年7月の霊媒(れいばい)の死をもって、→
『母と子の心霊教室』→シルバーバーチの声もついに聞かれなくなってしまいました。しかし、残された霊言(れいげん)は12巻の書物となって出版され、日本でも翻訳(ほんやく)されています。その中からシルバーバーチが子どもと語っている部分を紹介(しょうかい)しましょう。
『母と子の心霊教室』【ジョン少年との対話】11歳のジョン君にとってはそれが最初の交霊会(こうれいかい)でした。おさないときに妹を失い、こんどは父親を事故で失って、母親とふたりきりになりましたが、母親がシルバーバーチを通じて聞いたふたりからのメッセージを、→
『母と子の心霊教室』→いつもジョン君に聞かせていたので、11歳の少年ではあっても、すでに死後の世界の存在(そんざい)を自然に信じるようになっていました。まずシルバーバーチの方から、お父さんと妹が今ここに来てますよといい、ふたりともジョン君とおなじように、→
『母と子の心霊教室』→わくわくした気持ちで待ってますよ、というと【ジョン】「僕は妹のことをよく知らないのです」【シルバーバーチ】「でも、妹の方はジョン君のことをよく知っておりますよ」【ジョン】「僕がまだ小さかったときに見たきりだと思います」
『母と子の心霊教室』【シルバーバーチ】「いいえ、その小さいときから今のように大きくなるまで、ずっと見守っております。ジョン君には見えなくても、妹の方からはジョン君がよく見えるのです。」
『母と子の心霊教室』「おなじくふたつの目をしていても、ジョン君の目とはまったくちがうのです。壁(かべ)やドアを突き通して見ることができるのです」【ジョン】「そうらしいですね。僕知ってます」
『母と子の心霊教室』【シルバーバーチ】「ジョン君のような目をもっていなくても、よく見えるのです。霊(れい)の目で見るのです。霊(れい)の目で見ると、はるか遠い遠い先まで見えるのです」
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-----付録02
『母と子の心霊教室』【霊(れい)に年令はない】【ジョン】「今、妹はいくつになったのですか」【シルバーバーチ】「それはとてもむずかしい質問ですね。なぜむずかしいかを説明しましょう。私たち霊(れい)の成長のしかたは、ジョン君とはちがうのです。」
『母と子の心霊教室』「誕生日(たんじょうび)というものがないのです。年がひとつ増えた、2歳になったというようないい方はしないのです。そういう成長のしかたではなくて、霊的(れいてき)に成長するのです。いいかえれば、パーフェクト(完全)へ向けて成長するのです」
『母と子の心霊教室』【ジョン】「パーフェクトというのはなんですか」【シルバーバーチ】「パーフェクトというのは魂(たましい)の中のすべてのものが発揮(はっき)されて、欠点も弱点もない、1点非のうちどころのない状態です。それがパーフェクトです。」
『母と子の心霊教室』【ジョン】「いいかえればピースですか」(訳者(やくしゃ)注―ここではなんの悩みも心配もないという意味)【シルバーバーチ】「そうです。パーフェクトになればピースが得られます。しかし、じつをいうと“これがパーフェクトです”といえるものは」→
『母と子の心霊教室』→「存在しないのです。どこまでいっても、それは永遠につづく過程のひとつの段階にすぎないのです。いつまでもつづくのです。おわりというものがないのです」
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-----付録03
『母と子の心霊教室』【死は悲しいことではない】【ジョン】「でも、パーフェクトに手が届(とど)いたら、それでおわりとなるはずです」【シルバーバーチ】「パーフェクトには手が届(とど)かないのです。いつまでもつづくのです。これはジョン君には想像できないでしょうね」
『母と子の心霊教室』「でも、ほんとにそうなのです。霊的(れいてき)なことには、はじまりもおわりもないのです。ずっと存在(そんざい)してきて、休みなく向上していくのです。ジョン君の妹も大きくなっていますが、地上のようにからだが大きくなったのではなくて、」→
『母と子の心霊教室』→「精神と霊(れい)が大きくなったのです。成熟(せいじゅく)したのです。内部にあったものが開発されたのです。発達したのです。でもからだのことではありません。いくつになったかは地上の年令の数え方でしかいえません。」
『母と子の心霊教室』「そのことよりもジョン君に知ってほしいことは、もうわかってきたでしょうけど、妹とお父さんはいつもジョン君のそばにいてくれてるということです。これは、まだまだ知らない人が多いたいせつな秘密(ひみつ)です。いつもいっしょにいてくれるのです」
『母と子の心霊教室』「ジョン君を愛し、力になってあげたいと思っているからです。こんなことは人に話しても誰(だれ)も信じてくれませんよね?みんな目に見えないものは存在(そんざい)しないと思っているからです。このことを理解しないために地上では多くの悲しみが」→
『母と子の心霊教室』→「生じております。理解すれば“死”を悲しまなくなります。死ぬことは悲劇(ひげき)ではないからです。あとに残された家族にとっては悲劇(ひげき)となることがありますが、死んだ本人にとっては少しも悲しいことではありません」
『母と子の心霊教室』「新しい世界への誕生(たんじょう)なのです。まったく新しい生活の場へ向上していくことなのです。ジョン君もそのことをしっかりと理解してくださいね。妹のことは小さいときに見たことがあるからよく知ってるでしょ?」
『母と子の心霊教室』【ジョン】「いま、この目で見てみたいです」【シルバーバーチ】「目を閉じれば見えることがあると思いますよ」【ジョン】「この部屋にいる人が見えるようにですか」【シルバーバーチ】「まったく同じではありません。さっきもいったように」→
『母と子の心霊教室』→「“霊(れい)の目”で見るのです。霊(れい)の世界のものは肉眼では見えません。同じように霊(れい)の世界の音は肉体の耳では聞こえません。今お父さんがとてもうれしいとおっしゃってますよ。」
『母と子の心霊教室』「もちろん、お父さんはジョン君のことをなんでも知っています。いつも面倒(めんどう)をみていて、ジョン君が正しい道からそれないように導いてくれているのですから」
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-----付録04
『母と子の心霊教室』【考えることにも色彩(しきさい)がある】【ジョン】「僕に代わって、礼をいってくださいね」【シルバーバーチ】「今の言葉はちゃんとお父さんに聞こえてますよ。ジョン君にはまだちょっと理解はむりかもしれませんね」
『母と子の心霊教室』「でも、ジョン君がしゃべること、考えてることもみなお父さんにはわかるのです。フラッシュとなってお父さんのところに届(とど)くのです」【ジョン】「どんなフラッシュですか」【シルバーバーチ】「ジョン君がなにかを考えるたびに小さな光が出るのです」
『母と子の心霊教室』【ジョン】「どんな光ですか。地上の光とおなじですか。僕たちの目には見えないのでしょうけど、マッチをすったときに出るフラッシュのようなものですか」【シルバーバーチ】「いえ、いえ、そんなんじゃなくて小さな色のついた明かりです」
『母と子の心霊教室』「ローソクの明かりに似ています。でも、いろんな色があるのです。考えの中身によってみな色がちがうのです。地上の人間の思念は、そのように色彩(しきさい)となって私たちのところに届(とど)くのです。」
『母と子の心霊教室』「私たちには人間が色彩(しきさい)のかたまりとして映(うつ)ります。いろんな色彩(しきさい)をもったひとつのかたまりです。訓練のできた人なら、その色彩(しきさい)のひとつひとつの意味を読みとることができます」
『母と子の心霊教室』「ということは、隠(かく)しごとはできないということです。その色彩(しきさい)が人間の考えていること、欲しがっているもの、そのほかなにもかも教えてくれます」
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-----付録05
『母と子の心霊教室』【スピリチュアリズムはなぜたいせつか】【ジョン】「スピリチュアリズムを知ると、どんな得(とく)をするのでしょうか」【シルバーバーチ】「知識はすべてたいせつです。なにかを知れば、知らないでいるときよりその分だけ得をします。」
『母と子の心霊教室』「知らないでいることは、暗やみの中を歩くことです。知るということは、光の中を歩くことです。ジョン君はどっちの道を歩きたいですか」【ジョン】「光の中です」【シルバーバーチ】「でしたら、少しでも多くのことを知らなくてはいけません」
『母と子の心霊教室』「知識はたいせつな財産です。なぜならば、知識から生きるための知恵(ちえ)が生まれるからです。知識が少ないということは持ち物が少ないということです。わかりますね?ジョン君はいま地球という世界に住んでいます」
『母と子の心霊教室』「自分では地球という世界は広いと思っていても、宇宙(うちゅう)全体から見ればほんのひとかけらほどの小さな世界です。その地球上に生まれたということは、その地球上の知識をできるだけ多く知りなさいということです」
『母と子の心霊教室』「それはつぎの世界での生活に備えるためです。そこでスピリチュアリズムのことですが、人生の目的を知るということはとてもたいせつなことなのです。なぜなら、それを知らずにいることは、なんのために生きているかを知らずに生きていることになるからです」
『母と子の心霊教室』「そうでしょ?ジョン君のお母さんは前よりずっと幸せです。亡(な)くなられたお父さんや妹のことについて正しい知識を得たからです。そう思いませんか?」【ジョン】「そう思います。前よりも助けられてることが多いみたいです」
『母と子の心霊教室』【シルバーバーチ】「ほら、ジョン君の質問に対する答えがそこにあるでしょ?さてつぎの質問は?」
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-----付録06
『母と子の心霊教室』【原子爆弾(げんしばくだん)は善か悪か】(付録の原書の出版は1952年)【ジョン】「地上の人間が発明するものについて、霊(れい)の世界の人たちはどう思っていますか。たとえば原爆(げんばく)のことなんかについて」
『母と子の心霊教室』【シルバーバーチ】「これは大きな質問をされましたね。地上の人たちがどう考えているかは知りませんが、私が考えていることを正直に申しましょう。地上の科学者は、戦争のために実験と研究にはっぱをかけられ、その結果として原子エネルギーという」→
『母と子の心霊教室』→「秘密(ひみつ)を発見しました。そしてそれを爆弾(ばくだん)に使用しました。しかしほんとうは、人類が精神的・霊的(れいてき)にもっと成長して、それを正しく扱(あつか)えるようになってから発見すべきだったのです」
『母と子の心霊教室』「もうあと100年か200年のちに発見しておれば、地上人類はいまより進歩していて、その危険(きけん)な秘密(ひみつ)の扱(あつか)い方に手落ちがなかったでしょう。いまの人類は、まだまだ“うっかり”の危険性(きけんせい)があります」
『母と子の心霊教室』「原子エネルギーは益にも害にもなるものを秘(ひ)めているからです。ですから、ジョン君の質問に対する答えは、地上人類が精神的・霊的(れいてき)にどこまで成長するかにかかっています。わかりますか?」
『母と子の心霊教室』【ジョン】「最後におっしゃったことがよくわかりません」【シルバーバーチ】「では、説明のしかたを変えてみましょう。原子エネルギーの発見は、時期が早すぎたということです。人類全体としては、まだ自分たちが発見したものについて、」→
『母と子の心霊教室』→「正しく理解する用意ができていなかったために、それが破壊(はかい)の目的のために利用されてしまったのです。もしも十分な理解ができていたら、有意義(ゆういぎ)な目的のために利用されたことでしょう」
『母と子の心霊教室』「さて、最初の質問にもどりますが、もしも、地上の科学者のすべてが、霊的(れいてき)なことについての正しい知識をもっていれば、そうした問題で悩(なや)むこともなかったことでしょう。出てくる答えはきまっているからです」
『母と子の心霊教室』「霊的(れいてき)な理解力ができていれば、その発見のもつ価値を認識し、その応用は人類の福祉(ふくし)のためという答えしか出てこないからです」
『母と子の心霊教室』【ジョン】「それがほんとにどんなものであるかがわかったら正しい道に使うはずです」【シルバーバーチ】「そのとおりです。自分の発明したもののとり扱(あつか)いに悩(なや)むということは、まだ霊的(れいてき)理解力ができていないということです」
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-----付録07
『母と子の心霊教室』【霊(れい)と幽霊(ゆうれい)のちがい】【ジョン】「幽霊(ゆうれい)と霊(れい)とは、どうちがうのですか」【シルバーバーチ】「これはとてもいい質問ですよ。幽霊(ゆうれい)も霊(れい)の1種です。」→
『母と子の心霊教室』→「が、霊(れい)が幽霊(ゆうれい)になってくれては困るのです。地上の人たちが幽霊(ゆうれい)と呼(よ)んでいるのは、地上生活がとてもみじめだったため、いつまでも、地上の雰囲気(ふんいき)からぬけ出られないでいる霊(れい)が」→
『母と子の心霊教室』→「姿(すがた)を見せた場合か、それとも、よほどのことがあって、つよい憎(にく)しみや恨(うら)みを抱(いだ)いたその念が、死後もずっと残っていて、それがなにかの拍子(ひょうし)にその霊(れい)の姿(すがた)となって見える場合の、」→
『母と子の心霊教室』→「いずれかです。幽霊(ゆうれい)さわぎの原因は、たいてい最初に述べた霊(れい)、つまり地上世界からぬけ出られない霊(れい)のしわざである場合が多いようです。」
『母と子の心霊教室』「死んで地上を去っているのに、地上で送った生活、自分の欲望(よくぼう)しか考えなかった生活が、その霊(れい)を地上にしばりつけるのです」【ジョン】「もう、質問はありません」
『母と子の心霊教室』【シルバーバーチ】「以上の私の解答に、ジョン君は何点をつけてくれますか」【ジョン】「僕自身、その答えがわからなかったんですから…」【シルバーバーチ】「私の答えが、正しいかまちがっているかが、ジョン君にはわからない―よろしい!」
『母と子の心霊教室』「わからなくても少しもかまいません。たいせつなのはつぎのことです。ジョン君は地上の身近な人たちによる愛情で包まれているだけでなく、私たち霊(れい)の世界の者からの、大きな愛情によっても包まれているということです」
『母と子の心霊教室』「目には見えなくても、ちゃんと存在(そんざい)しています。触(さわ)ってみることができなくても、ちゃんと存在しています。なにか困(こま)ったことがあったら、静かにして、私かお父さんか妹か、だれでもいいですから心の中で念じてください。」
『母と子の心霊教室』「きっとその念が通じて援助にまいります」(S・フィリップス編(へん)『シルバーバーチの霊訓⑥』より抜粋(ばっすい))
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-----付録08
『母と子の心霊教室』【ふたりの幼児(ようじ)と語る】交霊会(こうれいかい)の正式のメンバーではないけど、シルバーバーチの“お友だち”として毎年クリスマスが近づくと招待されて、シルバーバーチと楽しいお話をさせてもらっている子どもがいます。
『母と子の心霊教室』ルース(女児)とポール(男児)のふたりです。この日もふたりがいっしょに招かれていました。まず、シルバーバーチがつぎのようなお祈(いの)りをしました。
『母と子の心霊教室』「神よ。なにとぞ私たちにあなたの愛、あなたの叡智(えいち)、あなたの慈悲(じひ)を知る力を授(さず)けたまえ。素朴(そぼく)さと無邪気(むじゃき)さをもってあなたに近づき、童子(どうじ)のごとき心をもつ者のみに示される真理を」→
『母と子の心霊教室』→「悟(さと)らしめたまわんことを。あなたは不変にしてしかも変転きわまりない大自然の栄光(えいこう)の中のみならず、童子(どうじ)の無邪気(むじゃき)さの中にも顕現(けんげん)しておられるからでございます」
『母と子の心霊教室』それからふたりに向かって、あたかも父親のような慈愛(じあい)に満ちた口調(くちょう)で、目にこそ見えなくてもたびたびふたりの家を訪(おとず)れていることをのべてから、さらにこうのべました。
『母と子の心霊教室』「私はあなたたちと遊んでいるのですよ。妖精(ようせい)や天使といっしょに、そしてとくにあなたたちに霊(れい)の世界のすばらしさを教えようとしている人たちといっしょに、あなたたちのお家(うち)を訪(おとず)れているのですよ」
『母と子の心霊教室』すると、最近になって、霊視(れいし)能力が出はじめたルースが、ときどき寝室(しんしつ)で見かける“光”はなんですかとたずねました。ポールもルースといっしょにいるときに同じものを見かけることがあるのです。
『母と子の心霊教室』シルバーバーチは、それが妖精(ようせい)と天使が見せてくれているものであることを説明してから、ルースに向かって「あの光はその妖精(ようせい)たちがたずさえてくる“守護(しゅご)の光”で、あなたたちをとりまいております」と述べ、→
『母と子の心霊教室』→こんどはポールに向かって「霊(れい)の世界には、地上で遊ぶチャンスがあたえられないうちに連(つ)れてこられた子どもが、それはそれはおおぜいいるのです。そういう子どもたちを、あなたたちと遊ばせるために連れもどすことがあります」
『母と子の心霊教室』「あなたたちとの遊びを通して、まだいちども体験したことのないものを得ることができるのです」ルースがシルバーバーチに、こうして霊界(れいかい)からお話をしにもどってきてくださることにお礼をいうと、→
『母と子の心霊教室』→【シルバーバーチ】「いえ、いえ、あなたたちこそ、私の話を聞きにきてくれてありがとう。こうしてお話をしにくることによって私は、みなさんが私のお話から得られる以上のものをいただいているのです。おふたりの心には、私のほんとうの住処(すみか)」→
『母と子の心霊教室』→「である高い境涯(きょうがい)の純粋(じゅんすい)さが反映(はんえい)しております。その純粋(じゅんすい)さは、地上近くで仕事をしている霊(れい)にとって、とてもたいせつなものなのです」
『母と子の心霊教室』「それをおふたりの心の中に見つけて、いつも慰(なぐさ)められております」【ルース】「霊界(れいかい)のお友だちに会いにもどられるのは楽しいですか」【シルバーバーチ】「もちろん楽しいですとも。ルースちゃんだって、」→
『母と子の心霊教室』→「もしお家(うち)から遠く離(はな)れて暮(く)らして、ながいことお父さんお母さんに会わずにいたら、いよいよお家へ帰ることになったと聞かされたときは、うれしくないですか。私はもうすぐ、私のほんとうの家に帰って、そこでおおぜいの」→
『母と子の心霊教室』→「私の愛する霊(れい)、私を愛してくれてる霊(れい)、私にこの使命をさずけてくださった霊(れい)と会うことになっております。ですが、それは、人生の旅を理解するための知識を必要としている、地上のさらにおおぜいの人たちのお役に立つための」→
『母と子の心霊教室』→「力をいただくためです」【ルース】「私も、妖精(ようせい)が見られるのが楽しみです」【シルバーバーチ】「そういう楽しみをさずかったことを感謝しなくてはいけませんよ。なにも感じない人がたくさんいるのですから」
『母と子の心霊教室』ここでふたりが霊媒(れいばい)のひざに座(すわ)って、シルバーバーチに口づけをさせてほしいといいました。それがおわってから、こんどは霊界(れいかい)についてなにか楽しい話をしてくださいと頼(たの)みました。すると―
『母と子の心霊教室』【シルバーバーチ】霊界(れいかい)にも広い広い動物の王国があることをごぞんじでしょうか。そこでは動物界のあらゆる種類のものが―動物も小鳥も―襲(おそ)ったり恐(おそ)ろしがったりすることなく、仲(なか)よくいっしょに暮らしております。
『母と子の心霊教室』ライオンが子羊(こひつじ)とならんで寝(ね)そべっても、けんかもせず、“えじき”になることもありません。美しい花園もたくさんあります。そこに咲(さ)いている花ばなはそれぞれの種類に似合った色彩(しきさい)、濃(こ)さ、形をしています。
『母と子の心霊教室』地上では見られない色がたくさんあります。また美しい湖、山、大きな川に小さな川、豪華(ごうか)な羽毛(うもう)と、目の覚めるような色彩(しきさい)をした小鳥がたくさんいます。昆虫(こんちゅう)もきれいな種類のものがたくさんおります。
『母と子の心霊教室』地上で見かけるものよりは変異(へんい)しています。(物質界での)さなぎの段階(だんかい)を通過して、ほんとうの美しい姿(すがた)をみせているのです。【ポール】「地上で、もしも子羊(こひつじ)がライオンのそばに寝そべったら、」→
『母と子の心霊教室』→「まるごと食べられてしまいます」【シルバーバーチ】「地上の話ではありませんよ。こちらの世界のお話ですから大丈夫(だいじょうぶ)です」【ルース】「シルバーバーチさんのお家(うち)はきれいでしょうね」
『母と子の心霊教室』【シルバーバーチ】「それはそれは美しくて、とても言葉ではいいあらわせません。絵かきさんがえがこうとしても、ぜんぶの色あいを出す絵の具が地上にはありません。音楽でその美しさを表現しようにも、地上の楽器では出せない音階があります」
『母と子の心霊教室』「“マーセルおじさん”―シルバーバーチの肖像画(しょうぞうが)をえがいた心霊(しんれい)画家のマーセル・ポンサン氏で、その日も出席していた―に聞いてごらんなさい。あの人は絵かきさんです」
『母と子の心霊教室』「ときおりインスピレーションで見た霊界(れいかい)の美しさをえがく絵の具がないとおっしゃるはずですよ」【ルース】「寝ているあいだに霊界(れいかい)へ行くことがあるそうですけど、そのときのことを覚(おぼ)えてないのですけど…」
『母と子の心霊教室』【シルバーバーチ】「大きな精神で体験したことが、人間の小さな脳(のう)に入りきれないからです」【ポール】「シルバーバーチさんは英語がじょうずですね」【シルバーバーチ】「そのことをありがたいと思っております」
『母と子の心霊教室』「こうなるまでにながい時間がかかりました。ポール君がおしゃべりできるようになるのと、ほぼ同じくらいの年数がいりました。この“ぎこちない”地上の言葉をしゃべるようになるために、ずいぶん練習しました。私の世界ではそんな面倒(めんどう)がいりません」
『母と子の心霊教室』「言語はしゃべらないのです。こちらはこころの世界です。あるがままが知れてしまうのです」【ポール】「ウソをついても、知られないようにすることができますか」【シルバーバーチ】「ウソというものが存在(そんざい)できないのです」
『母と子の心霊教室』「神のおきてをごまかすことはできないからです。あるがままの姿(すがた)が映(うつ)しだされるのです。見せかけも、ごまかしも、ぜんぶはぎとられてしまい、そのままの姿(すがた)がみんなに見られるのです」
『母と子の心霊教室』「でも、それをこわがるのは、自分のことしか考えない人たちだけです」【ルース】「霊(れい)や妖精(ようせい)がいることを信じることができて、うれしいです。いつまでも信じていたいと思います」【シルバーバーチ】「そうですとも」
『母と子の心霊教室』「その信仰(しんこう)を忘(わす)れてはいけませんよ。人に笑(わら)われても気にしてはいけませんよ。こんなすてきな信仰(しんこう)がもてて幸せだなあと、それだけを思っていればよろしい。それを笑う人はなにも知らないのですから」
『母と子の心霊教室』【ポール】「僕たちは、どのようにして物事を思い出すのでしょうか」【シルバーバーチ】「ひとつのことを知ると、それは“記憶(きおく)の部屋”にしまわれます。そして、その知識が必要になると、知りたいという欲求(よっきゅう)が“てこ”になって」→
『母と子の心霊教室』→「(タイプライターのキーのように)その知識を引き出します。すると記憶(きおく)がよみがえってきて、使用される野を待ちます。使用されるとまた記憶(きおく)の部屋へもどされます。いちど学んだことはけっして失われません」
『母と子の心霊教室』「いったん覚(おぼ)えたことはけっして忘(わす)れません」【ルース】「じゃ、あたしたちが考えていることが、ぜんぶそちらからわかるのですか」【シルバーバーチ】「親しい間柄(あいだがら)の霊(れい)にはわかります」
『母と子の心霊教室』「人間の心の中は開いた本のようなものです。親しい人にはみな読みとれます。親しくない人にはわかりません。近づけないからです」続いて話題が、シルバーバーチの、インディアンとしての地上時代の生活に移りました。
『母と子の心霊教室』まず山のふところでの“水”に左右された生活のようすを語りました。その生活は素朴(そぼく)で、現代文明にありがちな問題や、せかせかしたところがなかったこと、日がくれると子どもの霊(れい)がやってきて“よい子はもう寝る時間ですよ”と→
『母と子の心霊教室』→告げてくれたこと、寝入ると、霊(れい)の世界へ遊びにいったことなどを話して聞かせました。そして最後にこうのべました。「では、もうひとつだけお話してお別れすることにいたしましょう」
『母と子の心霊教室』「私は間もなく地上を離(はな)れて、いくつもの界を通過して、私のほんとうの住まいのある境涯(きょうがい)へいき、そこで、何千年ものあいだ知りあっている人たちとお会いします。地上のためにはたらいている人たちばかりです」
『母と子の心霊教室』「しかも、たびたび苦しい思いをさせられています。私はこれからそこへいって、かつて身につけた霊力(れいりょく)をとりもどしてきます。そこへいって、私はこれから先の計画を教えていただき、これまでに、私がおおせつかった仕事をちゃんと」→
『母と子の心霊教室』→「やりとげているかどうか、どこまで成功し、どこが失敗したか、それをつぎの機会にやりなおすことができるかどうかをお聞きします。それからみんなでそろって大集会に出席して、そこで、あなたたちがイエスさま(後注)と呼んでいる方とお会いします」
『母と子の心霊教室』「するとイエスさまは、美しさと優(やさ)しさと理解と同情にあふれたお言葉をかけてくださいます。そのときの私たちは、神さまのマントで包まれます。愛の衣(ころも)で包まれます。そして神さまの尊(とうと)い力で身をかためて、」→
『母と子の心霊教室』→「一人ひとりに授(さず)けられた新しい使命に向かって出発します。おふたりのような子どもから“シルバーバーチさんが大すき”といわれると、私はいつも“ああよかった”と思います。なぜなら、私たちの仕事は愛を得てはじめてなしとげられるものであり」→
『母と子の心霊教室』→「愛の反応(はんのう)を見いだして、はじめて仕事がうまくいっていることを知るからです。どうか、その天界の光が、みなさんの毎日の生活に反映(はんえい)されることを祈ります。神の恵(めぐ)みが、いつもみなさんとともにあることを祈(いの)ります」
『母と子の心霊教室』「ここにおいでのみなさんはいままさに、神が託(たく)された霊団(れいだん)の保護のもとにいらっしゃいます」こうしてふたりの子どもにとって、その年で最高の1日が終わったのでした。(A・W・オースティン編『シルバーバーチの霊訓⑤』より抜粋)
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『母と子の心霊教室』全文掲載 第10章 おしまいに
-----10章01
『母と子の心霊教室』第10章 おしまいに 1848年3月31日―みなさんはこの日がどんな日か覚(おぼ)えていますか?そうです。アメリカのハイズビル村で、フォックス姉妹が不思議な物音の正体をつきとめた日です。
『母と子の心霊教室』そのことがきっかけとなって心霊(しんれい)研究がさかんになり、心霊学(しんれいがく)が生まれたことはすでにのべました。さらにまた、心霊学(しんれいがく)を土台として、→
『母と子の心霊教室』→人間の正しい生き方についての考えや教訓が生まれ、これをスピリチュアリズムと呼(よ)んでいることも学びました。前章において、その内容の1部をみなさんにわかる範囲(はんい)で説明しました。
『母と子の心霊教室』【1 心霊現象(しんれいげんしょう)はむかしからあった】ところで世の中には、このスピリチュアリズムを、新しい宗教(しゅうきょう)だという人がいます。これはまちがっています。なぜかというと、スピリチュアリズムと同じ考えや信仰(しんこう)、→
『母と子の心霊教室』→あるいは心霊(しんれい)現象そのものが、人間の歴史が記録に残るようになるずっと前から存在しており、心霊学(しんれいがく)がこれに科学的な説明をほどこしたにすぎないからです。
『母と子の心霊教室』今日でも、アフリカの土人の間では、いちばんすぐれた霊能(れいのう)をもった者が、尊敬(そんけい)されて酋長(しゅうちょう)になっていますが、どの民族でも最初のころはみなそうだったのです。
『母と子の心霊教室』歴史を調べてみると、心霊(しんれい)現象がずいぶん古くからあったことがわかります。たとえば、いまから3000年ほど前の、中国やエジプトの遺跡(いせき)から掘り出されたものをみますと、心霊治療(しんれいちりょう)を施(ほどこ)している→
『母と子の心霊教室』→ようすをえがいた絵がたくさんあります。
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-----10章02
『母と子の心霊教室』【2 偉大(いだい)な指導者はみな霊能者(れいのうしゃ)だった】また、みなさんもよく知っているギリシャの大哲学者(てつがくしゃ)ソクラテスは、大切な仕事をするときは、かならず背後霊(はいごれい)の指示にしたがっていたそうです。
『母と子の心霊教室』ソクラテスがあまり霊(れい)の話や死後の世界のことを口にするので、悪魔(あくま)の使いだとされて裁判(さいばん)にまでかけられ、最後は毒を飲まされて死んだのでした。いよいよ毒を飲むとき、ソクラテスはまわりの者にこういったそうです。
『母と子の心霊教室』「やってはならないことを私がしかけると、いつも霊(れい)の声がして止めてくれるのだが、いまはなんの声も聞こえない。どうやら私も死ぬ時期がきたらしいから、よろこんで飲ませていただくことにしよう」と。
『母と子の心霊教室』ソクラテスはよほどすぐれた霊能者(れいのうしゃ)だったようですね。おなじころ、ギリシャのデルポイという都に“アポロの神託所(しんたくじょ)”というのがあったことも、見逃(みのが)せないたいせつな史実です。
『母と子の心霊教室』なにか大事なことが起きると、政治をあずかる人びとが、どうすべきかを神さまから聞くために、アポロという神さまをまつっているデルポイの神殿に参拝(さんぱい)して、霊媒(れいばい)を通じてのお告げ(霊言)を聞きました。
『母と子の心霊教室』この事実は、やはりこの時代にも、スピリチュアリズムとおなじ考えや信仰(しんこう)があったことを物語っております。
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-----10章03
『母と子の心霊教室』【3 無知ほどこわいものはない】さらに時代が新しくなると、よくごぞんじのイエス・キリストという大宗教家(しゅうきょうか)があらわれます。バイブル(聖書)にはイエスが語った言葉といっしょに、イエス自身が見せた奇跡的(きせきてき)な→
『母と子の心霊教室』→現象や病気なおしの話がのっています。これをキリスト教の信者は、イエスが神の特別の子だからできたのだと信じているのですが、じつはぜんぶ心霊(しんれい)現象だったわけです。その証拠(しょうこ)に、イエス自身こういっているではありませんか。
『母と子の心霊教室』「私にできることは、あなたたちにもできるのです。いえ、私以上のことができるのです」このイエスの言葉どおり、いまでは世界中の霊能者(れいのうしゃ)がイエスにおとらぬ、→
『母と子の心霊教室』→すばらしい現象を見せています。けっきょくイエスは特別の神の子ではなく、ひとりのすぐれた霊能者(れいのうしゃ)だったわけです。そのイエスは、ごぞんじのとおり“はりつけ”にされて死にました。ソクラテスは毒を飲まされて死にましたが、→
『母と子の心霊教室』→これと同じように、心霊(しんれい)能力をもった者が、悪魔(あくま)の使いだとされて殺されたり、いじめられたりした話はほかにもたくさんあります。フランスのジャンヌ・ダルクの話もよく知っているでしょう。
『母と子の心霊教室』イギリスとの戦いで、霊(れい)の指示にしたがって、みごとにイギリス軍を破った少女の話です。ジャンヌ・ダルクもソクラテスと同じく霊聴力(れいちょうりょく)をもっていたのです。ところが、のちにイギリス軍に捕(と)らえられたとき、→
『母と子の心霊教室』→魔法使(まほうつか)いだとされて、火あぶりの刑によって殺されてしまったのです。なんというひどいこと、いや、なんとまちがったことをしたことでしょう。真理を知らないということがどんなに恐ろしいことか、こうしたわずか2、3の例でも→
『母と子の心霊教室』→よくわかっていただけたと思います。
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-----10章04
『母と子の心霊教室』【4 最後のおねがい】もちろん現在でも、スピリチュアリズムのことをなにも知らない人が、まだまだおおぜいいます。ずっと前のことですが、私にもこんな体験がありました。それは、私が事故にあって入院していたときのことですが、→
『母と子の心霊教室』→ベッドでスピリチュアリズムの新聞を読んでいると、隣(となり)のベッドに寝(ね)ていた人が、「あの、ちょっとお聞きするのですが、あなたはスピリチュアリズムを信じておられる方ですか」と聞きます。
『母と子の心霊教室』その聞き方が、いかにも珍(めずら)しいことを聞くような感じなので、「ええ、そうですが、それがどうかしましたか?」と、逆に聞き返しました。するとその人は、「いや、いや、ただあなたがそれを読んでおられるので、きっとそうだろうと思っただけなんです」→
『母と子の心霊教室』→「そういう方がこの世にいることは、以前から耳にしていたのですが、実際にお目にかかったのはあなたが最初なんです」といって、じろじろ私の顔を眺(なが)めます。そこで私も言ってやりました。
『母と子の心霊教室』「そうですか、ではどうぞ、お気のすむまで見つめてくださいよ」どうやらその人は、私がスピリチュアリズムを信じているから珍(めずら)しがったのではなくて、スピリチュアリズムを信じている人も、ふつうの人と少しも変わらないことを知って→
『母と子の心霊教室』→感心したようすでした。そうです、その人はそれまで、スピリチュアリズムを信じるような人間は、よほど変わった人間だろうと思っていたわけなのです。どうかみなさんも、これから先のながいながい人生で、とりかえしのつかない過(あやま)ちを→
『母と子の心霊教室』→おかすことなく、清く正しく美しく、しかも死後の生活に役立つような、意義ある地上生活を送るために、正しい知識すなわち真理をひとつでも多く身につけ、それを人にもわけてあげてください。
『母と子の心霊教室』それが私の最後の、そしていちばん大きなお願いなのです。 おわり
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『母と子の心霊教室』全文掲載 第9章 スピリチュアリズムの教え
-----9章01
『母と子の心霊教室』第9章 スピリチュアリズムの教え 以上で、私は心霊(しんれい)能力がどんなもので、それがどんな現象を起こすかを説明いたしました。こうした能力は、ふつうの能力といろんな点で異(こと)なっているので“異常能力”と呼ばれることがあり、→
『母と子の心霊教室』→それがひき起こす現象を“異常現象”と呼ぶことがあります。しかし、これまでの私の説明でもおわかりのとおり、心霊(しんれい)能力というのは、人間が生まれながらにそなえているもので、ただそれを、実際に使いこなす人が少ないというに→
『母と子の心霊教室』→すぎないのですから、ほんとうは自然なものなのです。こうした分野を専門(せんもん)に研究することを心霊(しんれい)研究といい、その結果をまとめたものを心霊学(しんれいがく)ということは、もうみなさんごぞんじですね。
『母と子の心霊教室』ところがです。ほんとうのことをいうと、その心霊学(しんれいがく)を知っただけでは、心霊(しんれい)能力や心霊(しんれい)現象のもつ意味をぜんぶ知りつくしたことにはならないのです。では、どこまでいけばよいのでしょうか?
『母と子の心霊教室』それは、心霊学(しんれいがく)を土台として、人間の正しい心の持ち方や生き方について考え、それを実際の生活において実行し、身につけていかなくてはならないのです。ほんとうはそれが目的なのです。
『母と子の心霊教室』そうした教訓をまとめたものを、スピリチュアリズムといいます。では、スピリチュアリズムはどんな教えを説いているのでしょうか?この章では、その中でもとくにみなさんにとってたいせつと思われるものを取りあげて説明しておきましょう。
『母と子の心霊教室』【1 心のもち方にも責任がある】第6章のはじめのところで、記憶(きおく)について説明し、さらに、精神には意識的なものと、無意識のものがあることをのべました。意識的なものを顕在(けんざい)意識といい、無意識なものを潜在(せんざい)意識と→
『母と子の心霊教室』→いうのですが、記憶(きおく)は潜在(せんざい)意識がうけもつ仕事です。さて、この記憶(きおく)というのは、ひじょうにたいせつなことを教えています。まず第1に、潜在(せんざい)意識は、いったん記憶(きおく)したものは→
『母と子の心霊教室』→けっして忘(わす)れませんから、ながいあいだたつうちに、その記憶が性格に影響(えいきょう)をおよぼしてきます。正しい知識と清潔な考えをもった人は、すなおで、人にすかれる性格となり、→
『母と子の心霊教室』→まちがった知識や悪い知恵をはたらかせている人は、おとなになってから人にきらわれるような性格の持ち主になってしまうものです。もちろん、そうした性格はオーラにあらわれますから、霊能(れいのう)のある人が見ると、この人はどういう人だということが→
『母と子の心霊教室』→すぐにわかります。ところで、私は第6章でサイコメトリという能力を説明しました。あの能力をよく考えてみますと、潜在(せんざい)意識に宿されたものは、今も述べたように、性格に影響(えいきょう)をおよぼすだけでなく、→
『母と子の心霊教室』→その人がさわったものにまで、影響(えいきょう)をあたえていることがわかります。これが、私たちが注目しなくてはならない第2の教訓です。私たちの心の動きはちょうどラジオの電波のようなものです。
『母と子の心霊教室』放送局から放送された電波が宇宙(うちゅう)全体に広がっていくように、私たちが心に思ったことは、思想波となって宇宙(うちゅう)に広がります。すると当然、私たちの心の動きは自分自身だけでなく、他人にもなんらかの影響(えいきょう)を→
『母と子の心霊教室』→あたえていることになり、同時に他人からの思想波の影響(えいきょう)もうけていることになります。昔からいわれることわざに、“朱(しゅ)に交(まじ)われば赤くなる”というのがありますが、これは、悪い友だちとつき合っていると、→
『母と子の心霊教室』→自分も悪い人間になってしまうから、良い友だちを選びなさいと教えているのです。これはたしかに正しいことにちがいないのですが、なにか物足りないもの、あるいは生(なま)ぬるいものを感じないでしょうか。
『母と子の心霊教室』というのは、もう1歩ふかく考えてみますと、私たちは確かに悪い影響(えいきょう)もうけますが、良い影響(えいきょう)をあたえることもできるのです。
『母と子の心霊教室』たとえきらいな友だちとつきあっても、その人の悪い影響(えいきょう)に負けないで、自分の方から良い思念を出してその人を良い方に感化するように努力してはどうでしょうか。心霊学(しんれいがく)を学んだみなさんは、ぜひそこまで行ってほしいものです。
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-----9章02
『母と子の心霊教室』【2 自分から出たものは自分にもどってくる】みなさんはブーメランという道具を知っていますか?オーストラリアの土人が鳥などの狩猟(しゅりょう)や遊びに使う器具で、くの字型にまがった簡単な棒切(ぼうき)れなのですが、おもしろいことに、→
『母と子の心霊教室』→これを空に向けて高く放り投げると、ぐるぐる回りながらまた自分のところにもどってくるのです。こんな話をするのは、じつは、私たち人間の心もこれとまったく同じ動き方をするからです。
『母と子の心霊教室』すなわち、いつも明るい心で、人によろこばれるような事をしていると、かならず、その人にうれしいことや楽しいことが訪(おとず)れます。
『母と子の心霊教室』反対に、いつも暗いことばかり考え、人を憎(にく)んだりねたんだりしていると、かならず、その人にいやなことやおもしろくないことが訪(おとず)れるものなのです。
『母と子の心霊教室』善い行いは良い結果を生み、悪い行いは悪い結果を生む―これは人間の力では絶対に変えることのできない摂理(せつり)(きまり)なのです。どんなに神さまにお祈(いの)りしてもむだです。どんな信仰心(しんこうしん)をもっていても関係ありません。
『母と子の心霊教室』かならずそうなるのです。その結果はすぐつぎの瞬間(しゅんかん)に出るとはかぎりません。いろんな事情で早かったりおそかったりしますが、きっと訪(おとず)れることにまちがいないのです。
『母と子の心霊教室』それは、ブーメランがもどる速さはちがっていても、かならずもどってくるのと同じことです。
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-----9章03
『母と子の心霊教室』【3 言葉も行いも“心”がたいせつ】なにごとも心が第1です。たとえば絵をえがく場合を考えてごらんなさい。まず最初に、なにをえがこうかと考えて、だいたいの構図を心にうかべてから絵筆をとります。最初の構図がよければ立派(りっぱ)な絵ができあがり→
『母と子の心霊教室』→構図がよくないと、どんなに上等の絵筆を使っても、よい絵はできません。もちろん、構図がよくてもえがき方がわるければよい絵はできませんから、よい絵をえがくためにはえがき方の練習も必要ですが、しかしどんなにえがき方が上手でも、→
『母と子の心霊教室』→最初の構図がよくなければ、けっしてよい絵はできません。これと同じことが、ふだんの生活にもいえるのです。毎日をきちんとした考えのもとに生活している人は、性格もきちょうめんで悪い誘惑(ゆうわく)にも負けませんが、→
『母と子の心霊教室』→なんの計画もなしにダラダラとした生活を送っている人は、だらしのない人間となり、悪い誘惑(ゆうわく)にもすぐ負けてしまいます。また、ひとつの仕事をする際に、かならず成功してみせるぞという信念でのぞむ人は成功しますが、→
『母と子の心霊教室』→どうでもよいと思ったり他人に頼(たよ)ったりする人は、けっして成功するものではありません。こんなことも考えられます。たとえば、他人といっしょに仕事をするときに、自分勝手(じぶんかって)なことをしたり、欲(よく)を起こしたり、→
『母と子の心霊教室』→やる気がなくて自分のうけもちをおろそかにしたりすると、自分ひとりだけでなく、いっしょに仕事をしている人みんなに迷惑(めいわく)をかけることになります。これで、なにごともまず心がけがたいせつであることがおわかりでしょう。
『母と子の心霊教室』昔から“人間は心に抱(いだ)く考えと同じような性質の人間になっていく”といわれます。つまり、いつも美しいことを考えている人は美しい人間となり、悪いことばかり考えている人は悪い人間になってしまうというのです。
『母と子の心霊教室』これは心霊学(しんれいがく)からみてもそのとおりであるといえます。
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-----9章04
『母と子の心霊教室』【4 お祈(いの)りも“まごころ”がたいせつ】みなさんは、神さまに手をあわせてお祈(いの)りをしたことがありますかあ?きっとあるにちがいありません。いや、中には毎朝・毎晩お祈(いの)りをしている感心な人もいるかもしれません。
『母と子の心霊教室』では、とくにそういう感心な人にお聞きしたいのですが、いったいお祈(いの)りはなんのためにするのでしょうか?いや、その前に、はたしてお祈(いの)りはほんとうに神さまに通じるのでしょうか。
『母と子の心霊教室』もちろん、さっき述べたように、私たちの考えたことは、思想波となって宇宙(うちゅう)へ広がるのですから、きっと、神さまのお耳に達しているにちがいありません。しかしお祈(いの)りといっても、ただ言葉を口にするだけでは思想波は出ませんから、→
『母と子の心霊教室』→神さまには通じないことになります。いまも述べたように、言葉や行いは心から生まれるのであって、言葉や行いから心が生まれるのではないのです。また私たちは、うっかりすると、お祈(いの)りとは神さまにお願いごとをするものだ、と考えがちです。
『母と子の心霊教室』もちろん人間はだれしも困(こま)ったときは神さまにお願いしたくなるものです。そして、それがほんとうにその人にとって“ためになる”ことであれば、神さまはきっとお聞き入れくださることでしょう。しかし、ほんとうのお祈(いの)りはもう少しちがいます。
『母と子の心霊教室』みなさんには、まだ少しむずかしすぎるかもしれませんが、ひと口にいうと、私たちの心の奥(おく)にある“まごころを力づよくだそうとする努力”がほんとうの祈(いの)りなのです。この世で、まごころほどつよいものはありません。
『母と子の心霊教室』みなさんが物ごとに一心になると、そのまごころが電波のようにエーテル界までいきわたり、それを感知した霊(れい)(ことに背後霊)は、みなさんが成功するようにいろんな手助けをしてくれます。それがほんとうに祈(いの)りがかなえられたというのです。
『母と子の心霊教室』なんの努力もせずにただ、ああしてください、こうしてくださいと祈(いの)っても、神さま、すなわちエーテル界の高級霊(こうきゅうれい)や背後霊(はいごれい)は見向きもしてくれません。
『母と子の心霊教室』それからまた、たとえ祈(いの)りがかなえられる場合でも、かならずしも“すぐに”とはかぎりません。あるときは何ヶ月も何年ものちにかなえられることがあります。そしてまた、そのかなえられ方も、かならずしもその人が期待しているとおりの→
『母と子の心霊教室』→ものではない、ということも知っておく必要があります。こうしたこと、つまり祈(いの)りのかなえられ方や時期などは、神さまがその人にとっていちばんよいように考えてくださるものです。
『母と子の心霊教室』ですからみなさんは、自分にあたえられた仕事や勉強にまごころをこめて精をだし、あとはぜんぶ神さまにおまかせすることです。それが私たち人間のいちばん正しい生き方なのです。
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-----9章05
『母と子の心霊教室』【5 人類はみな神の子であり兄弟である】神とはいったい何でしょうか?世界中には数多くの宗教(しゅうきょう)があります。そして、どの宗教(しゅうきょう)も神について説いていますが、どれもこれも、みな自分の宗教(しゅうきょう)の説く神こそ→
『母と子の心霊教室』→ほんとうの神であるといいはっております。おかしいとは思いませんか?スピリチュアリズムでは、霊(れい)からの通信、すなわち霊言(れいげん)現象とか自動書記によって得られたものを総合的に検討(けんとう)して、神についておよそつぎのように→
『母と子の心霊教室』→説いております。“神とは宇宙(うちゅう)の全生命の源(みなもと)である。神なくしてなにひとつ存在(そんざい)できない。いいかえれば、神は宇宙(うちゅう)の生みの親のようなものである。”→
『母と子の心霊教室』→“もちろん、人間はひとりの例外もなく神の分霊(ぶんれい)を受けて生まれている。したがって人類はみな兄弟であり姉妹である。だから人類はおたがいに助け合い愛しあわなくてはいけない。”→
『母と子の心霊教室』→“いや、人類どうしだけではない。この世の生命あるものすべてをたいせつにしなくてはいけない。”じつをいえば、こうした教えは、スピリチュアリズムがはじめて説いたものではありません。
『母と子の心霊教室』歴史に名を残している偉大な宗教家(しゅうきょうか)や哲学者(てつがくしゃ)たとえば、イエス・釈迦(しゃか)・マホメット・老子(ろうし)・プラトンといった人びとも、その言葉はちがっていても、内容においてはスピリチュアリズムと→
『母と子の心霊教室』→まったくおなじようなことを説いていたのです。それを、のちの人たちが、意味を取りちがえて解釈(かいしゃく)したために、いろんな説ができてしまったのです。神は人間のすべてに、そして宇宙(うちゅう)全体にやどっているのです。
『母と子の心霊教室』黒人と白人の区別もありません。人間と動物の差別もありません。ですから、人間はおたがいに愛しあい助けあい、動物でも植物でも、生命あるものすべてをかわいがってやらねばならないのです。
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-----9章注釈
『母と子の心霊教室』【注釈(ちゅうしゃく)“神”と“神さま”のちがいについて―訳者(やくしゃ)】本書で私は、神と神さまとふた通りに使いわけておりますが、これは、ぜひ区別して理解していただかねばなりません。
『母と子の心霊教室』神を論(ろん)ずる際に、とかくおかしがちな誤(あやま)りは、神というものが人間のような姿(すがた)かたちをしていて、どこか高いところから、人間をじっと見つめているかのごとく、想像することです。
『母と子の心霊教室』神とは、そんな人間的なものではなくて、宇宙(うちゅう)全体を支配している、絶対的な法則(摂理)をさします。たんに物理的な法則をさすのではなく、人間の行為、言葉、心の動きなどの、人間生活すべてにわたって支配しているもので、→
『母と子の心霊教室』→したがってこの意味における神は、祈(いの)りの対象とはなりえません。本書の最初は「真理を学ぼう」という題ではじまっていますが、これはいいかえれば「神を知ろう」ということになります。
『母と子の心霊教室』つぎに“神さま”と訳(やく)したのは、人間からみて祈(いの)りの対象とするにふさわしい霊(れい)のことです。たとえば一地方、一国家、あるいは海、山、川などの守護神(しゅごしん)がそれで、一人ひとりに個性があり、無数に存在します。
『母と子の心霊教室』日本の古典で“八百万(やおよろず)の神々”と呼(よ)んでいるのはこの部類に属します。たいせつなのは、こうした神々も“神の摂理(せつり)”の支配をうける点においては、人間と少しも変わらないということです。
『母と子の心霊教室』なお、日本では在世中の功績をたたえて“神さま”としてまつる風習があります。明治天皇をまつる明治神宮、乃木(のぎ)大将をまつる乃木(のぎ)神社など、数え切れないほどありますが、→
『母と子の心霊教室』→このたぐいは、右の2種類とは別に扱(あつか)わなければならないでしょう。
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