—–二章3
『ベールの彼方の生活①』
【意念の力 一九一三年十月二日 木曜日】“イスラエルの民に申すがよい―ひたすらに前進せよ、と”(※)これが私たちが今あなたに申上げたいメッセージです。ひるんではいけません。行く道はきっと明るく照らしてくださいます。
『ベールの彼方の生活①』
全能なる神と主イエスを固く信じる者には何一つ恐れるものはありません。(※モーセが神のお告げに従ってイスラエルの民を引連れてエジプトを脱出する時、ひるみかける民を励ました言葉であるが、―
『ベールの彼方の生活①』
―この頃オーエン氏は国教会長老から弾圧を受け内心動揺を来していた事が推察される―訳者)私たちが今さらこのような事を書くのは、あなたの心にまだ何かしら疑念が漂っているからです。私たちの存在を感じ取っておられる事は私たちにも判っております。
『ベールの彼方の生活①』
ですが前回に述べたような話が余りに“おとぎ話”じみて信じられないようですね。では申しますが実を言えばこうした天界の不思議さ美しさは、地上のいかなるおとぎ話も足もとにもよれないくらい“もっともっと不思議”で美しいのです。
『ベールの彼方の生活①』
それにおとぎ話の中に出て来る風景や建物は、こちらで見られるものと似ていない事もないのです。まだほんの僅かしか見物しておりませんが、その僅かな見聞から判断しても、地上の人間の想像力から生まれるものなどは、―
『ベールの彼方の生活①』
―その不自由な肉体をかなぐり棄ててこの天界の光の中に立った時に待受けている栄光に比べれば全く物の数ではない事を確信しております。さて今夜お話したいのは、これまでとは少し趣が異なり、私たち新米を教え楽しませるために見せてくださった現象的な事ではなくして―
『ベールの彼方の生活①』
―こちらの事物の本質に関わる事です。今あたりを広々と見下ろす高い山の頂上に立ったとしましょう。そこから見晴らす光景はどこか地上とは違うのです。例えば、まず空気の透み切り具合と距離感が地上とどこか違う事に気づきます。
『ベールの彼方の生活①』
“遠い”と言っても地上での遠さとは違うのです。と言うのは、その頂上から地平線の近く、あるいはさらにその向うのある地点へ行きたいと思えば、わざわざ山を下りなくとも“そう念ずるだけで”行けるのです。
『ベールの彼方の生活①』
速く行けるか遅いかは意念の性質と霊格次第です。また今おかれている境涯の霊的性質より一段と精妙な大気―とでも呼ぶより仕方ないでしょう―に包まれた地域へ突入できるか否かも、その人の意念と霊格次第なのです。
霊力を受信するのは頭蓋のちょうど中間に位置している器官「松果体」です。僕がいつも霊力が降ってきて鼻がキィィンってなるのは松果体と鼻の位置が近い事に原因があると予測してます。僕たち人間全員に神の火花、霊的なタネが植えられてるのです。それを開発するのが地上生活の目的なのです(祈)
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『ベールの彼方の生活①』
高級界からお出でになる天使のお姿が私たちに必ずしも見えないのはそのためです。見え方も人によって異なります。みんなが同じお姿を拝するのは、私たちの視覚に合ったように容姿を整えられた時だけです。
『ベールの彼方の生活①』
もしその方の後について行く、つまりその方の本来の世界へ向って行きますと途中で疲労を覚え、ついて行けなくなって来ます。霊力次第でもっと先まで行ける者もおりますが。さらにその頂上に立ってみますと天空が不透明に見えるのですが、―
『ベールの彼方の生活①』
―それは天空そのものの問題ではなくて霊的な光の性質つまり下の景色から距離が大きくなるにつれて強度を増して行く性質をもつ霊的な光の問題である事が判ります。ですから霊力次第で遠くまで見通してそこに存在する生命や景色が見える人もおれば見えない人もいる訳です。
『ベールの彼方の生活①』
また見渡せば一面に住居やビルが建ち並んでいるのが見えます。そのうちの幾つかは私が説明した通りです。しかしビルと言っても単なる建物、単なる仕事場、あるいは研究所というのではありません。
『ベールの彼方の生活①』
その一つ一つの構造からはその建物の性格は愚か、それを建築した人およびそこに住まう人の性格も読取れない事でしょう。永遠に朽ちる事なく存在している事は確かです。が地上の建物がいつまでも陰気に立ち残っているのとは違います。
『ベールの彼方の生活①』
常に発展し、装飾を改め、必要に応じて色彩、形、素材を変えて行きます。取壊して再び建直すという手間はいりません。建っているままの状態で手直しをします。時の経過による影響は出てきません。崩れたり朽ちたりいたしません。
『ベールの彼方の生活①』
その耐久性はひとえに建築主の意念に掛っており、意念を維持している限り立っており、意念次第で形が変えられます。もう一つ気がつく事は、小鳥が遠くから飛んできて、完璧な正確さで目標物にとまる事です。こちらにも伝書バトのように訓練された鳥がおります。
『ベールの彼方の生活①』
でも地上とは躾け方が違います。第一こちらの鳥は撃落とされたりいじめられたりしませんから人間を怖がりません。そこで鳥を一つの通信手段として使用する事があります。もちろん不可欠の手段という訳ではありません。他にもっと迅速で能率的な通信方法があるのですから。
『ベールの彼方の生活①』
ですが必需品でなくても美しいからというだけで装飾品として身につける事があるのと同じで、小鳥を愛玩動物として通信に使用する訳です。そんなのがしょっ中飛交っており、とても可愛くて愛すべき動物です。小鳥も仕事をちゃんとわきまえていて喜んでやっております。
『ベールの彼方の生活①』
面白い話を聞きました。ある時そんな鳥の一羽が仲間を追い抜こうとして、ついスピードを出しすぎて地球の圏内に入り込んでしまいました。それを霊視能力のある人間が見つけて発砲しました。
『ベールの彼方の生活①』
驚いた小鳥は―銃の音に驚いたのではありません。撃とうとした時の意念を感じ取ったのです―ここは自分のいるところではない事に気づき慌てて逃げ帰りました。感じ取ったのは“殺そうという欲念”でした。
『ベールの彼方の生活①』
それを不気味に思った小鳥はその体験を仲間に話して聞かせようとするのですが、うまく話せません。それはそうです。何しろそんな邪念はこちらの小鳥は知らないのですから。こちらでの小鳥の生活を地上の小鳥に話しても分ってもらえないのと同じです。
『ベールの彼方の生活①』
そして仲間がこう言いました―君が話せないなら、もう一度地球へ戻ってその男を見つけ、どう話して聞かせたらいいか尋ねて来たらどうか、と。そう言われて小鳥はその通りにしました。するとその人間―農夫でした―が“ピジンパイ”と言えば分って貰えるだろうと答えました。
『ベールの彼方の生活①』
小鳥はその返事を携えて帰ってきましたが、さてその言葉をどう訳せばよいのかが判らず、第一その意味も分らなかったので自分の判断で次のような意味の事を伝えました。
『ベールの彼方の生活①』
すなわち、これから地球を訪れる者はそこが本当に自分にとって適切な界であるかどうかをよく確かめてからにしなさい、と。この話が教えんとしているのはこういう事です。与えられた仕事は、自分で納得がいき仲間も納得する範囲で努力すべき事―
『ベールの彼方の生活①』
―熱心のあまり自分の立場あるいは“領域”を確かめずに仲間を出抜いてはならない。さもないと自分では“進んでる”つもりでいて実はスタートした界より下の界層へ堕落し、そこの最高の者さえ自分本来の界の最低の者より進歩が遅れており、―
『ベールの彼方の生活①』
―仲間として連れだって行く相手としては面白くないといった結果になるという事です。これなどは軽い小話程度に聞いて頂けば結構です。が、これで私たちも時には笑い転げる事もある事、バカげた冗談を言ったり、真面目なつもりで間の抜けた事をしたりする事もある事、―
『ベールの彼方の生活①』
―そして地上を去ってこちらへ来ても取り立てて成長していない面もある事がお判り頂ける事でしょう。では、さようなら。常に愉しい心を失わないようにね。
皆さん、本を読みましょう。知識を得ましょう。無知の暗闇を突き破りましょう。僕たちは大切な事を悟るために地上という修行場に降下して来ているのです。霊界こそ僕たちの本来の住処であり、地上は霊界の光によってできた影にすぎません。どうか、どうか皆さんにも霊的知識を得て頂きたいのです(祈)