『シルバーバーチの霊訓③』
【何の罪もないのに無邪気な赤ん坊が遺伝性疾患や性病その他の病を背負ってこの世に生まれてきます。これは公平とは思えません。子供には何の罪もないのですから。この問題をどうお考えでしょうか―】不公平を口にされるのは問題を肉体の問題としてだけ、―
『シルバーバーチの霊訓③』
―つまり物質界のみの問題としてお考えになり、無限の生命の観点からお考えにならないからです。霊そのものは性病なんかには罹りません。霊は不具になったり奇形になったりはしません。両親の遺伝的特質や後天的性格を受継ぐ事はありません。
『シルバーバーチの霊訓③』
それは霊が自我を表現する媒体であるところの肉体に影響を及ぼす事はあっても霊そのものを変える事はありません。確かに地上的観点から、つまり物質的観点からのみ人生を見れば病弱な身体を持って生まれた人は健全な身体を持って生まれた人よりも、―
『シルバーバーチの霊訓③』
―物的には不幸の要素が多いと言えますが、その意見は霊には当てはまりません。身体が病的だから霊も気の毒で、身体が健全だから霊も豊かであるという方程式は成り立ちません。
『シルバーバーチの霊訓③』
実際にはむしろ宿命的な進化のための備えとして多くの痛みや苦しみを味わう事によって霊が豊かになるという事の方が正しいのです。【ではこの世をより良くしようとする衝動はどこから出て来るのでしょうか―】
『シルバーバーチの霊訓③』
帰するところ神がその無限の創造事業への参加者としての人間に与えた自由意志から出ています。【物的な苦痛によって霊が進歩するのであれば何故その苦痛を無くする必要があるのでしょうか―】私はそのような説き方はしておりません。
『シルバーバーチの霊訓③』
私がその事実を引合いに出したのは人生には寸分の狂いもなしに埋合せの原理が働いている事を指摘するためです。ここに二人の人間がいて一人は五体満足でもう一人はどこかに障害があるとした場合、後者は死後も永遠にその障害を抱えていく訳ではないと言っているのです。
『シルバーバーチの霊訓③』
要するに肉体の健康状態がそのまま霊の状態を表すのではない事をお教えしようとしているまでです。霊には霊としての辿るべき進化の道程があります。その霊がいかなる身体に宿っても必ず埋合せと償いの法則が付いてまわります。
『シルバーバーチの霊訓③』
【でもやはり身体は何の障害もない状態で生まれるのが望ましいのではないでしょうか―】もちろんです。(同じ意味で)地上にスラム街が無い方が良いに決まっています。しかしそのスラム街をこしらえるのも地上天国をこしらえるのも結局は同じ自由意志の問題に帰着します。
『シルバーバーチの霊訓③』
人間に自由意志がある以上、それを正しく使う事もあれば過って使う事があるのは当然です。【でも不幸が霊のためになると知ったら地上をより良くしようとする意欲を殺がれる人もいるのではないでしょうか―】地上の出来事で埋合せのないものは何一つありません。
『シルバーバーチの霊訓③』
もし神の働きが妨害されて当然報われるべき行為が報われずに終る事があるとすれば、これは神の公正を嘲笑う深刻な事態となります。
『シルバーバーチの霊訓③』
私が指摘しているのは埋合せの原理が厳として存在する事、そして進化の法則に逆らった行為を犯しながら神の摂理とは別の結果が出るようにいくら望んでみたところで、神の計画は少しもごまかされないという事です。
『シルバーバーチの霊訓③』
しかし同時に次の事実も知っておく必要があります。即ち、例え現代の地上の不幸の原因がすっかり取除かれたとしても人間はまた自らの自由意志によって自らの複雑な文明の中からさらに新たな不幸を生じさせる原因を生み出していくという事です。
『シルバーバーチの霊訓③』
所詮、人生は完全へ向けての無限の階段の連続です。一段一段、自らの力で向上して行かねばなりません。しかもいつかは最後の一段に辿り着くと思ってはいけません。(訳者注―質問と答に少しズレが見られるが、この後もう一度同じ内容の質問が出る)
皆さん、地上のどんな学問、思想より何より何より大切な霊的知識を得ましょう。向うの事は向うへ行ってから、では遅いのです。今すぐ学べる教材は揃っているのです。殆どの人間が霊的知識に全くの無知で他界し、下層界は無知な霊で一杯なのです。僕たちはそうならないよう学ばねばなりません(祈)
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『シルバーバーチの霊訓③』
【肉体の病気は霊的な進化を促進するかも知れませんが同時にその逆も有得る、つまり性格を損ねる事もあるでしょう―】損ねる事もありますし損ねない事もあります。どちらのケースもあります。病気になるのは摂理に反した事をするからです。
『シルバーバーチの霊訓③』
【ではあなたは“病気”または“病気に相当するもの”は絶対不可欠のものとおっしゃる訳ですね―】いえ私は病気にそうとうするものとは言っておりません。何らかの“苦”に相当するものです。
『シルバーバーチの霊訓③』
人間に自由意志がある以上、選択の仕方によって楽しい体験となったり苦しい体験となったりするのは当然でしょう。【それは分ります。苦しみを味わわなければ幸福も味わえないからです―】
『シルバーバーチの霊訓③』
【―が、どうも私には、もしあなたがおっしゃるように、こういう事があれば必ずこういう埋合せがあるというのが事実であれば、世の中を良くしようとして努力する必要はなさそうに思えるのですが…】人間に選択の自由があるのに他にどうあって欲しいとおっしゃるのですか。
『シルバーバーチの霊訓③』
【私はこの度の戦争の事はさて措いて今日の世界は三百年前よりはずっと幸せな世の中になっていると思うのです。世界中の殆どの国が戦争はあっても、やはり幸せな世の中となっております―】おっしゃる通りですが、それが私の言う事とどう矛盾するのでしょう。
『シルバーバーチの霊訓③』
【我々人間は(取り立てて人のためと説かれなくても)常に世の中を良くしてきているという事です―】でもそれは世の中を良くしたいという願望に燃えた人がいたからこそですよ。魂に宿された神性が自然な発露を求めた人たちです。神の一部だからこそです。
『シルバーバーチの霊訓③』
仮に今日要求した事が明日、法の改正によって叶えられても明日はまた不満が出ます。進化を求めてじっとしていられない魂が不満を覚えるのです。それは自然の成行きです。魂が無意識のうちにより完全へ近づこうとするからです。
悪魔は人間が発明したものであり、存在しません。良い事は神のもので悪い事は悪魔のもの、ではなく良い事も悪い事も神のものなんです。悲哀、苦悩、試練が降ってきてもそれは罰ではなく神から与えられたものなんです。それを乗越えてこそ霊界で素敵な境涯に辿り着く資格を得る事ができるのです(祈)
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