1913年12月9日 火曜日
私の望み通り今宵も要請に応じてくれた。ささやかではあるが、これより貴殿をはじめとして他の多くの者にとって有益と思えるものを述べる私の努力を、貴殿は十分に受け止め得るものと信ずる。
たとえ貴殿は知らなくても、貴殿にそれを可能ならしめる霊力が吾々にあり、それを利用して思念を貴殿の前に順序よく披瀝して行く。いたずらに自分の無力を意識して挫けることになってはならない。
貴殿にとってこれ以上は無理と思える段階に至れば、私の方からそれを指摘しよう。そして吾々も暫時ノートを閉じて他の仕事に関わるとしよう。
では今夜も貴殿の精神をお借りして引き続き第10界の生活について今少し述べようと思う。ただ、いつものように吾々の界より下層の世界の事情によってある程度叙述の方法に束縛が加えられ、さらには折角の映像も所詮は地上の言語と比喩の範囲に狭(せば)められてしまうことを銘記されたい。
それは已むを得ないことなのである。それは恰(あたか)も1リットルの器に10リットルの水は入らず、鉛の小箱に光を閉じ込めることが出来ぬのと同じ道理なのである。
前回のべた大聖堂は礼拝のためのみではない。学習のためにも使用されることがある。ここはこの界の高等学院であり、下級クラスを全て終了した者のみが最後の仕上げの学習を行う。
他にもこの界域の各所にさまざまな種類の学校や研究所があり、それぞれに独自の知識を教え、数こそ少ないがその幾つかを総合的に教える学校もある。この都市にはそれが3つある。
そこへは“地方校”とでも呼ぶべき学校での教育を終えた者が入学し、各学校で学んだ知識の相対的価値を学び、それを総合的に理解して行く。この組織は全世界を通じて一貫しており、界を上がる毎に高等となって行く。
つまり低級界より上級界へ向けて段階的に進級していく組織になっており、1つ進級することはそれだけ霊力が増し、且つその恩恵に浴することが出来るようになったことを意味する。
教育を担当する者はその大部分が1つ上の界の霊格を具えた者で、目標を達成すれば本来の界へ戻り、教えを受けた者がそのあとを継ぐ。その間も何度となく本来の上級界へ戻っては霊力を補給する。かくて彼らは霊格の低い者には耐え難い栄光に耐えるだけの霊力を備えるのである。
それとは別に、旧交を温めるために高級界の霊が低級界へ訪れることもよくあることである。その際、低級界の環境条件に合わせて程度を下げなければならないが、それを不快に思う者はまずいない。そうしなければ折角の勇気づけの愛の言葉も伝えられないからである。
そうした界より地上界へ降りて人間と交信する際にも、同じく人間界の条件に合わさねばならない。大なり小なりそうしなければならない。天界における上層界と下層界との関係にも同じ原理が支配しているのである。
が同じ地上の人間でも、貴殿の如く交信の容易な者もあれば困難なるものもあり、それが霊性の発達程度に左右されているのであるが、その点も霊界においても同じことが言える。
例えば第3界の住民の中には自分の界の上に第4界、第5界、あるいはもっと上の界が存在することを自覚している者もおれば、自覚しない者もいる。それは霊覚の発達程度による。
自覚しない者に上級界の者がその姿を見せ言葉を聞かせんとすれば、出来るだけ完璧にその界の環境に合わさねばならない。現に彼らはよくそれを行っている。
もとより、以上は概略を述べたに過ぎない。がこれで、一見したところ複雑に思えるものも実際には秩序ある配慮が為されていることが判るであろう。地上の聖者と他界した高級霊との交わりを支配する原理は霊界においても同じであり、さらに上級界へ行っても同じである。
故に第10界の吾々と、さらに上層界の神霊との交わりの様子を想像したければ、その原理に基いて推理すればよいのであり、地上において肉体をまとっている貴殿にもそれなりの正しい認識が得られるであろう。
– 判りました。前回の話に出た第10界の都市と田園風景をもう少し説明していただけませんか。
よかろう。だがその前に“第10界”という呼び方について一言述べておこう。吾々がそのように呼ぶのは便宜上のことであって、実際にはいずれの界も他の界と重なり合っている。
ただ第10界には自ずからその界だけの色濃い要素があり、それをもって“第10界”と呼んでいるまでで、他の界と判然と区切られているのではない。天界の全界層が一体となって融合しているのである。
それ故にこそ上の界へ行きたいと切に望めば、いかなる霊にも叶えられるのである。同時に、例えば第7界まで進化した者は、それまで辿ってきた6つの界層へは自由に往き来する要領を心得ている。
かくて上層界から引きも切らず高級霊が降りて来る一方で、その界の者もまた下層界へいつでも降りて行くことが出来るのであり、そのたびに目標とする界層の条件に合わせることになる。又その界におりながら自己の霊力を下層界へ向けて送り届けることも出来る。
これは吾々も間断なく行っていることであって、すでに連絡の取れた地上の人間へ向けて支配力と援助とを放射している。貴殿を援助するのに必ずしも第10界を離れるわけではない。もっとも、必要とあらば離れることもある。
– 今はどこにいらっしゃいますか。第10界ですか、それともこの地上ですか。
今は貴殿のすぐ近くから呼びかけている。私にとってはレンガやモルタルは意に介さないのであるが、貴殿の肉体的条件と、貴殿の方から私の方へ歩み寄る能力が欠けているために、どうしても私の方から近づくほかはないのである。
そこでこうして貴殿のすぐそばまで近づき、声の届く距離に立つことになる。こうでもしなければ私の思念を望みどおりには綴ってもらえないであろう。では、私の界の風景についての問いに答えるとしよう。最初に述べた事情を念頭に置いて聞いてもらいたい。では述べるとしよう。
都市は山の麓に広がっている。城壁と湖の間には多くの豪邸が立ち並び、その敷地は左右に広がり、ほとんどが湖のすぐ近くまで広がっている。その湖を舟で一直線に進み対岸へ上がると、そこには樹木が生い繁り、その多くはこの界にしか見られないものである。
その森にも幾筋かの小道があり、すぐ目の前の山道を辿って奥へ入ってゆくと空地に出る。その空地に彫像が立っている。女性の像で天上を見上げて立っている。両手を両脇へ下げ、飾りのない長いローブを着流している。この像は古くからそこに建てられ、幾世紀にも亘って上方を見上げて来た。
が、どうやら貴殿は力を使い果たしたようだ。この話題は一応これにて打ち切り、機会があればまた改めて述べるとしよう。その像の如く常に上方へ目を向けるがよい。その目に光の洗礼が施され、その界の栄光の幾つかを垣間みることができるであろう。†
■2021年2月10日UP■僕がこの8年間、霊団から強制的に見させられている最悪映像について説明してみます(祈)†行動には動機がある、と公言し続けていますね。霊団はもちろん僕が刑務所映像を嫌がっている事を把握しています。しかし僕にこれだけ憎まれても見せ続けてくるのには理由、動機があるという事になります。その動機こそ他でもない「宇宙一のバカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を死刑に追い込み奴隷の女の子たちを救出するため、もっと言えば、物質界に長らくはびこる邪悪、この「大量強姦殺人容認システム」とも言うべき仕組みを完全に破壊する、つまり、この大願悲願を成就させるためには霊の道具(アキトくん)にブログを書かせ続けねばならない(あと情報拡散もやらせねばならない)我々はインスピレーション(つまりブログネタ)は降らせる事ができる、が仕事の舞台は物質界なので、物質界に残した道具(アキトくん)がブログを書く時間を確保せねばならない、アキトくんがこの仕事を嫌がっているのは承知しているが、アキトくんがデザインの仕事に戻ってしまったら(ブログDreamworkでも説明していますようにデザインの仕事は大抵都内で通勤時間が往復3時間以上かかり、さらにデザインの仕事は残業が多いので)ブログを書く時間が消滅してしまう…続きを読む→ ■2021年1月17日UP■■アナログ絵316UP、ピーチピチ(佳子)の真実の母親「吉井園(よしいその)さん」です(祈)†皆さまお分かりの事と思いますがピーチピチ(佳子)は文仁、紀子の娘ではありません「吉井園さんの娘」です。吉井園さんとピーチピチがあまりにもそっくりだったため(母娘なんだから似てて当然なのに)文仁が自分の赤ちゃんドロボーが国民に露呈するのを恐れて吉井園さんを強姦殺人したのです。文仁がピーチピチ(佳子)を盗んだ理由は「S〇X」です。この文仁こそ三千余年の人類創世の歴史始まって以来の究極無二のバカであり、天皇一族の滅亡の直接原因は他でもないコイツなのです。正真正銘のS〇Xバカなのです。はい、まずは絵の中に説明テキストを掲載しましたように、吉井園(よしいその)さんはピーチピチ(佳子)の真実の母親です。現在の「イエス様ハンドリング」霊的使命遂行ごく初期の頃に吉井園さんについて触れた事がありますが…続きを読む→