霊団がものすごく強調した降らせ方で「ありがとう」と言ってきましたが、何の事を言っているのかサッパリ分かりません。まるで間もなく帰幽するかのような言い回しですが、それならそれで構わないですが物質界に残されている限りは脱出を目指して努力を続けるのみです。もう人生目標がそれしかない。

今日到着した書籍、まだ全然読めていませんが、ひとつ確実に分かる事は「本というものはビックリするくらい売れないものなんだ」という事ですね。僕が現在所持しているシルバーバーチの霊訓1巻の奥付には14刷と書いてあります。そんなに増版しているのに出版社はなくなっている。それが現実です。

しかしもう脱出方法がこれしかないのです。これまでありとあらゆる事をしてきました。Dreamworkに戻ろうとした事も何度もありました(お花ちゃんの絵を描いてそれで脱出しようとした事もありました)それら全ての可能性が断たれて最後に復刊が残ったのです。とにかくやるんだ。

ペーパーバック、電子書籍のデータをガンガン作りまくるのです。OCR変換テキストの見直しも徹底的に続行させます。テキストが揃っていなければその先の作業ができませんので必須中の必須です。何とか出版社というカタチで書籍を出したいですが、今はどうしようもないAmazonで出すしかない。書籍データをガンガン揃えていく(祈)†

「なぜ地獄行きを命じたか」現在閉じ込められている状況がやはり地獄なのだそうです(祈)†■2024年2月21日UP■
「なぜ地獄行きを命じたか」現在閉じ込められている状況がやはり地獄なのだそうです(祈)†
しかし僕の心が完全に霊団に対する怒り憎しみに包まれてしまっていて(絶対ムリと分かっていますが)地球圏を離れたいと切望するほどになっています。つまり僕は帰幽後に地球圏の仕事をやるのに適さない人間になってしまったという事になり、それで霊団がしょっちゅう「ゴメンね」とか「残念だ」とか言ってくるのではないか、という予測もあったりなかったり。ただ、仮にこの最後の予測が正解だったとしても、僕をそうさせたのは他でもないあんたたちだろ。守護霊様の管轄内で生活していた時は僕は現在のような精神状態には全くならなかった。Dreamwork一直線で迷いなど全くなく、山に行き続けてはシカちゃん鳥ちゃんに話しかけるような人間でしたので(純粋だったという事)100の光の霊団も守護霊様と同じような導き方をしていれば僕をこんな精神状態にしてしまう事もなかったはずなのです。100の光の霊団、特に支配霊バーバネル氏に僕が言いたい事は「守護霊様を見習えよ」という事です。霊性発現前は全てがうまくいっていた。そして超速的に霊性発現に到達した。守護霊様の導きは空前絶後の大成功だったと僕は思うのです。…続きを読む→
■アナログ絵359「ベールの彼方の生活1巻」復刊書籍表紙UP。描き上げても復刊できない(祈)†■2024年1月27日UP■
■アナログ絵359「ベールの彼方の生活1巻」復刊書籍表紙UP。描き上げても復刊できない(祈)†
ご母堂の言葉で僕が特に気に入っているのは「悲劇をただの不幸と受け止める事がいかに狭い量見であるか」(29ページ)という部分で、僕は霊性発現とともに使命遂行人生に突入させられ、人生を完全に破壊されて最悪の状態に閉じ込められ続けている関係で霊団を心の底から激しく憎んでおり、本当の本気で反逆しまくっていますが、その破壊された人生も「その悲しみをテコ台として正しく活用すれば禍転じて福となし、神の計画を推進する事になる」の言葉のように、最終的には全て佳きようにおさまるのでしょう。使命遂行を最後までやり切れば、の話ですが。あともうひとつ、ご母堂の言葉で僕の胸に突き刺さるものとして「確固たる来世観をもっておれば決断力を与え勇気ある態度に出る事を可能にします。」(72ページ)というものもあります。これはオーエン氏が教会長老から弾圧を受けて弱気になっていた事を受けて「勇気をもってこの使命に邁進(まいしん)しなさい」と、言わば母が息子の“おケツをひっぱたいた”という事だと思うのですが、イヤー僕もこういう母に恵まれたかったですね。っとと、僕には“真実の母”守護霊様がいましたね。僕の性格は守護霊様のデザインであり、現在このような使命遂行人生が送れるのも(苦しい事イヤな事ばかりで全然うれしくも何ともありませんが)守護霊様が“導きのプロ”だったおかげです…続きを読む→

何もかも全てひとりでこなさなければならない僕は圧倒的殺人的に時間が足りません。表紙のタイトルロゴ、AffinityPhotoのアドオンを使用して制作していますが、コリャ1日仕事だよ。この作業だけで1日が終わってしまう。何とか完成というところまでもってきましたがホントにこの復刊の作業、先が思いやられます。しかしやめる訳にはいかない理由があるのです。

書籍まっ直ぐに本を売るトランスビュー

で、こちらの書籍も以前から入手しなければと思っていたモノなのですが高くて手が出せずにいました。しかし一気に安くなったので「今だ!」という事で思い切って入手。僕は出版社設立つまり法人化はとてもできない、ISBN取得もできない、Amazonでやって行くしかない状況となっていますので、この「トランスビュー」の書籍は必要ないといえばないのですが、イヤ、知っておくべきだという事で手に入れたのです。

本の内容については後日(書かないかも)で、先ほど自動書記テスト中に霊団が本当に人格を疑う事を言ってきています。コイツらの性格の悪さは世界一だな。そう言われて止まる訳ネィだろ。書籍復刊にまつわる霊団とのバトルの詳細についても後日(コチラは次回長文ブログでたぶん触れる事になるでしょう)

ペーパーバック、電子書籍のデータを先行先行でガンガンAmazonにUPしておいて待機状態にしておくのです。次の書籍は日本最安の印刷会社を使用しての印刷テストではなくAmazonの校正刷りという事になるでしょう。

霊団が言ってくるムカつくインスピレーションから逆説的に分かる事として「書籍データを作り続ければ、やめなければ脱出できる」という事を確信するに至っています。続けていれば脱出できます、やめれば脱出できません、そういう事だと思います。

以前「ティラノビルダーナンチャラカンチャラ」を使用して読書アプリを制作しようとしていた時、あの時の制作は順調だったのに霊団に止めさせられたのです。それもホントにムカついています。Dreamworkしかり、ティラノしかり、霊団は何かっつーとやめさせてくるのですが、もうその手には乗らず、何と言われようと復刊の作業を続ければ、今度の今度こそ結果らしい結果に到達できると確信しています。

脱出できる、書籍データを作り続けていれば必ず脱出できる、何が何でも続行させるんだ。もう霊団の手には乗らないぞ。Dreamworkの二の舞はもうまっぴらゴメンだ。死んでも脱出してみせる。表紙制作続行中。表紙のクオリティは大事(祈)†

■2020年7月1日UP■
TrailMovie 天皇は『日本悪魔教の教祖』という僕の思念に霊団が超鮮明な波長を降らせてきました(祈)†
今日AM0:30頃でした、僕の「天皇は日本悪魔教の教祖だ」という思念に合わせて霊団がすごく高くて鮮明なピィィィンという波長を降らせてきました。その波長を受けて急きょブログを書かせて頂きます。霊団が僕の霊聴に響かせてくる「波長」は「肯定」の意味です「そうよ♪」という事ですので、日本の天皇一族は「皇族」などと名乗っていますが要するに「宗教」であり、自分の事を「天皇」などと名乗っていますが要するに「教祖」であるという僕の考えに霊団がオケーを出した、という事になります。そして今回の波長は、3月9日に霊団が降らせた「オウム麻原」のメッセージとも大いに関係があります。その幽体離脱時に拝したオウム麻原のアニメ(なぜアニメ?)についてツイートもしていますので、まずはそちらをご覧頂きたいと思います…続きを読む→
「イエスからの贈り物」これは帰幽後のお話で物質界人生は最悪という意味なのです(祈)†■2022年7月6日UP■
「イエスからの贈り物」これは帰幽後のお話で物質界人生は最悪という意味なのです(祈)†
これはまるでイエス様からの、アキトくん、ここまでよくやった、おつかれさま、という終了宣言のように聞こえます。そんな事でいいんですか、あなたたちのやる気はそんなもんですか、しょせんあなたたちは霊界上層界の人間であり、最低界である物質界がどうなろうと知った事ではないという事ですか。物質界と霊界上層界はつながっていて、物質界の無知が霊界に反映されるようになってしまって「このままでは大変な事になる、何としても大胆な手段を講じて物質界に霊的知識を普及しなければ」という事になってスピリチュアリズムを勃興させたのではないのですか…続きを読む→
「魂の成長のためなんだよ」霊団が僕に苦難をやらせる理由です、もう聞き飽きた(祈)†■2024年3月20日UP■
「魂の成長のためなんだよ」霊団が僕に苦難をやらせる理由です、もう聞き飽きた(祈)†
「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁に鉄槌を喰らわせる事もしなければ奴隷の女の子たちを助けてあげる事もせず、ただ半笑いで僕が苦しむところを見ているだけで終わらせるつもりなんじゃないだろうな。で、次世代降下チーム(霊界側で同じ時代に同じ地域に降下するチームがあらかじめ結成されるという事)が、僕が一生かけて蒔いたタネを活用してそこでようやく物質界の諸問題が解決されるとか(つまり僕の帰幽後のお話、今から50年後、100年後とか)そういうストーリーか。僕は前座か。本当に損な役回りだな。フゥゥ、僕なりに霊的知識を果てしなくお勉強していますが、確かに偉大な功績を残した先駆者の方々というのは、物質界では認められず帰幽後に霊界にて真の評価を下され、向上を果たし上層界に召されていると理解しています。※つまり逆に物質界で偉人とされて歴史に名を残している人物というのは霊界では全く評価されておらず暗黒の底に落ちているという事です。戦争勝利将軍とか、慈善家とか、富豪とか、そういうたぐいの人間です。「後なるものが先に」これは偉大な真理なのですが、物質界ではこの意味が全く理解されていません…続きを読む→

1913年12月17日 水曜日

前回に引き続き、遠き国よりはるばる海を渡ってきた一団についての話題を続けよう。はるばる長い道のりを辿ったのは、新しい界に定住するに当っての魂の準備が必要だったからである。

さて、いよいよ一団は海岸へ降り立った。そして物見の塔の如くそそり立つ高い岬の下に集合した。それから一団の長(おさ)が吾々のリーダーを探し求め、やがて見つかってみると顔見知りであった。以前に会ったことのある間柄であった。2人は温かい愛の祝福の言葉で挨拶し合った。

2人は暫し語り合っていたが、やがて吾々のリーダーが歩み出て新しく来た兄弟たちへおよそ次のような意味の挨拶を述べられた。「私の友であり、兄弟であり、唯一の父なる神のもとにおいては互いに子供であり、それぞれの魂の光によってその神を崇拝しておられる皆さんに、私より心からの歓迎の意を表したいと思います。

この新たな国を求めて皆さんははるばるとお出でになられましたが、これからこの国の美しさを見出されれば、それも無駄でなかったことを確信されることでしょう。私は一介の神の僕に過ぎず、こうしてお出でになられた皆さんがこの国の生活環境に慣れられるようにとの配慮から、私どもがお出迎えに上がった次第です。

これまでの永い修養の道ですでに悟られたことと思いますが、あなた方が曽て抱いておられた信仰は、神の偉大なる愛と祝福を太陽に譬えれば、その一条の光ほどのものに過ぎませんでした。

その後の教育と成長の過程の中でそのことを、あるいはそれ以上のことを理解されましたが、1つだけあなた方特有の信仰形体を残しておられる – あの船上の祭壇です。

ただ、今見ると、あの台座に取り付けられた独特の意匠が消えて失くなっており、また、いつも祈願の時に焚(た)かれる香(こう)の煙が見えなかったところを見ますと、どうやら私には祭壇が象徴としての意義をほとんど、あるいは全く失ってしまったように思えます。

これからもあの祭壇を携えて行かれるか、それともあのまま船上に置いて元の国へ持って帰ってもらい、まだ理解力があなた方に及ばない他の信者に譲られるか、それはあなた方の選択にお任せします。では今すぐご相談なさって、どうされるかをお聞かせ頂きたい。」

相談にたいして時間は掛からなかった。そしてその中の1人が代表してこう述べた。「申しあげます。あなたのおっしゃる通りです。曽ては吾々の神を知り祈願する上で役に立ちましたが、今はもう私どもには意味を持ちません。

いろいろと教えを受け、また自分自身の瞑想によって、今では神は1つであり人間は生まれや民族の別なくその神の子であることを悟っております。愛着もあり、所持しても邪魔になるものでもないとは言え、自と他を分け隔てることになる象徴を置いておくのはもはや意味のない段階に至ったと判断いたします。

そこであの祭壇は送り返したいと思います。まだまだ曽ての自分の宗教を捨て切れずにいる者が居りますので。そこで皆さまのお許しをいただければ是非これよりお伴させて頂き、この一段と光輝あふれる世界および、これより更に上の界における同胞関係について学ばせて頂きたいものです。」

「よくぞ申された。是非そうあって頂きたいものです。他にも選択の余地はあるのでしょうが、私も今おっしゃった方法が1ばんよろしいように思います。では皆さん、私についてお出でなさい。これよりあの門の向こうにある平野、そして更にその先にあるあなた方の新たなお国へご案内いたしましょう。」

そうおっしゃってから一団の中へ入り、1人1人の額に口づけをされた。すると1人1人の表情と衣装が光輝を増し、吾々の程度に近づいたように私の目に映った。

そこへさらに例の女性ばかりの一団の長(おさ)が降りて来て、吾々のリーダーと同じことをされた。女性の一団は吾々と邂逅(かいこう)を心から喜び、吾々もまた喜び、近づく別れを互いに惜しんだ。

吾々が門の方へ歩み始めると長が途中まで同行し、いよいよ吾々が門をくぐり抜けると、その女性の一団による讃美歌が聞こえて来た。それは吾々への別れの挨拶でもあった。吾々は一路内陸へ向けて盆地を進んだ。さて貴殿は例の祭壇とリーダーの話が気になることであろう。

– 遮(さえぎ)って申し訳ありませんが、あなたはなぜそのリーダーの名前をお出しにならないのですか。

是非にというのであれば英語の文字で綴れる形でお教えしよう。が、その本来のお名前の通りにはいかない。実は、それを告げることを許されていないのである。取り敢えずハローレン Harolen とでも呼んでおこう。3つの音節から成っている。本当のお名前がそうなのである。これでよかろうと思う。では話を進めよう。

一隊が盆地を過ぎ、川を渡り、その国の奥深く入り行くあいだ、ハローレン様はずっとその新参の一団のことに関わっておられた。その間の景色は私はまだ述べていないであろう。私がハローレン様と初めてお逢いしたのはそのずっと先だったからである。

その辺りまで来てハローレン様がひとりと見られたので、私は近づいてその一団のこと、並びに海辺で話された信仰の話についてお尋ねした。すると、一団は地上では古代ペルシャ人の崇拝した火と太陽の神を信仰した者たちであるとのことであった。

ここで私自身の判断によって、そのことから当然帰結される教訓を付け加えておかねばならない。人間が地上生活を終えてこちらへ来た当初は、地上にいた時とそっくりそのままであることを知らねばならない。いかなる宗教であれ、信仰厚き者はその宗教の教義に則(のっと)った信仰と生活様式とをそのまま続けるのが常である。

が、霊的成長とともに“識別”の意識が芽生え、1界また1界と向上するうちに籾殻(もみがら)が一握りずつ捨て去られて行く。が、その中にあっても、いつまでも旧態依然として脱け切らない者も居れば、さっさと先へ進み行く者もある。そうして、その先へ進んだ者たちが後進の指導のために戻って来ることにもなる。

こうして人間は旧い時代から新しい時代へ、暗い境涯から明るい境涯へ、低い界から高い界へと進みつつ、1歩1歩、普遍的宇宙神の観念へと近づいてゆく。同じ宗教の仲間と生活を共にしてはいても、すでに他の宗派の思想・信仰への寛恕の精神に目覚め、自分もまた他の宗派から快く迎えられる。

かくしてそこに様々な信仰形態の者の間での絶え間ない交流が生まれ、大きくふくらんで行くことになる。が、しかし、全ての宗派の者が完全に融合する日はまだ遠い先のことであろう。あのペルシャ人たちも古いペルシャ信仰に由来する特殊な物の見方を留めていた。今後もなお久しく留めていることであろう。

が、それで良いのである。何となれば、各人には各人特有の個性があり、それが全体の公益を増すことにもなるからである。例の一行は海上での航海中にさらに一歩向上した。と言うよりは、すでにある段階を超えて進歩したことを自ら自覚するに至ったと言うべきであろう。

私が彼らの船上での祈りの言葉とその流儀に何か妙なひびきを感じ取りながらも、それが内的なものでなく形の上のものに過ぎなかったのはそのためである。だからこそ、ハローレン様から選択を迫られたとき潔(いさぎよ)く祭壇を棄て、普遍的な神の子として広い同胞精神へ向けて歩を進めたのであった。

こうして人間は、死後、地上では何ものにも替え難い重要なものと思えた枝葉末節を1つ1つかなぐり棄ててゆく。裏返して言えば、愛と同胞精神の真奥(しんおう)に近づいて行くのである。どうやら貴殿は戸惑っているように見受けられる。

精神と自我とがしっくりいっていないのが私に見て取れるし、肌で感じ取ることも出来る。そのようなことではいけない。よく聞いてほしい。いかなるものにせよ、真なるもの、善なるもののみが残る。そして真ならざるもの、善ならざるもののみが棄て去られて行く。貴殿が仕える主イエスは“真理”そのものである。

が、その真理の全てが啓示されたわけではない。それは地上で肉体に宿り数々の束縛を余儀なくされている者には有りえないことである。が、イエスも述べているように、いつの日か貴殿も真理の全てに誘(いざな)われることであろう。

それは地上を超えた天界において1界また1界と昇って行く過程の中で成就される。そのうちの幾つかがこうして貴殿に語り伝えられているところである。それが果たしていかなる究極を迎えるか、崇高な叡智と愛と力がどこまで広がって行くかは、この私にも判らない。

ただこの私 – 地上で貴殿と同じくキリスト神とナザレイエスを信じつつ忠実な僕(しもべ)としての生涯を送り、いま貴殿には叶えられない形での敬虔な崇拝を捧げる私には、次のことだけは断言できる。

すなわち、そのイエスなる存在はこの私にとっても未だ、遥か遥か彼方の遠い存在であるということである。今もしその聖なるイエスの真実の輝きを目のあたりにしたら、私は視力を奪われてしまうことであろうが、これまでに私が見ることができたのは黄昏時(たそがれどき)の薄明りていどのものに過ぎない。

その美しさは私も知らないではない。現実に拝しているからである。が、私に叶えられるかぎりにおいて見たというに過ぎず、その全てではない。それでさえ、その美しさ、その美事さはとても言葉には尽くせない。その主イエスに、私は心からの献身と喜びをもって仕え、そして崇敬する。

故に貴殿はイエスへの忠誠心にいささかの危惧も無用である。吾々と異る信仰を抱く者へ敬意を表わしたからといって、イエスの価値をいささかも減じることにはならない。

なぜなら、全ての人類はたとえキリスト教を信じないでも神の子羊であることにおいては同じだからである。イエスも人の子として生まれ、今なお人の子であり、故に吾ら全ての人間の兄弟でもあるのである。アーメン†

■2021年8月13日UP■
「死体切断はもったいないから」明仁、文仁、徳仁、悠仁が奴隷の女の子を四肢切断する理由です(祈)†
ブタ(奴隷の女の子)は死んだけど、この死体はまだオモチャとして遊べる、このまま捨てたり焼いたりしたらもったいない、最後の最後まで遊び倒さないといけない。世界中でこの遊びができるのは俺たちぐらいのもんだ、ホラ悠仁、お前もブタの胴体を切って遊べ、人間を殺すのは楽しいだろ、これが俺たちの仕事だぞ。これからも国民を殺しまくって遊ぶんだぞ。イーッヒッヒッヒッヒッヒ♪つまり奴隷の女の子たちの人生、人権、性格、夢、そして生命、それら全てをオモチャにして遊ぶ事ができるのは世界で俺たちぐらいのものだ、ただ殺すだけじゃもったいない、女の子が生きている間も、泣き叫んで助けを懇願している時も、四肢切断した後も、強姦殺人する時も、女の子が死んで死体となった後も、その死体を切り刻む時も「処刑遊び」の全シチュエーションをバッチリ撮影して記録に残し、最後の最後まで徹底的に遊び倒さないといけない…続きを読む→
■2021年4月14日UP■
「ホントのホントに自殺するぞ」明仁、文仁、徳仁、悠仁がとにかく逃亡するという意味です(祈)†
何度も同じ事を書くのが本当に苦しいですがそれでも書かねばならないでしょう。皆さまに重ねて重ねて警告を投げさせて頂きますが「宇宙一のバカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁が本当に自殺したとして、皆さまは「あぁかわいそう」などと言って哀れんだり涙を流したりするという人類史上最も愚かな行為をしないよう僕、たきざわ彰人から強く強く警告を発します。皆さま自分に置き換えて考えるようにして下さい。あなたには目に入れても痛くないほどかわいがっている笑顔のカワイイ娘がいます。その娘が「自分は善人で天才で国民から好かれている」とのたまわるバカ男に誘拐され四肢切断、強姦殺人されてしまいます。その後、その強姦殺人犯のバカ男が逮捕、死刑を恐れて自殺したと聞かされます。あなたはどのようなリアクションをしますか…続きを読む→
■2021年1月24日UP■
「全然隠し通せてない」明仁、文仁、徳仁、悠仁の邪悪の正体が徹底的に知れ渡っているという意味です(祈)†
コイツらがこれまで国民をダマすために駆使してきた「メディアに【ウソ】【洗脳】【自演乙(じえんおつ)】ニュースを徹底的に流しまくって善人を装う」「娯楽性の強い全然関係ないニュースばかりをテレビに流して国民の頭の中から自分たちの邪悪の正体に関する興味を無くさせる【視点外し】」これら邪悪の手法が【イエス様ハンドリング】によって完全に破壊された、と言っていいでしょう。物質が下、霊が上です。物的情報が下位、霊的情報が上位です。「視点外し」より「イエス様ハンドリング」の方が上である事が完全に証明されたという意味でいいでしょう。が、霊的知識を正しく理解してみればこれは別に当たり前の事なのです。どういう事かと言いますと…続きを読む→