チョトこのタイミングでの詳細説明はできません。泣きっ面にハチ、骨折り損のくたびれ儲け、理不尽の究極形の事を霊団に言われています。もっとも霊的知識に照らして考察すれば「後なるものが先に」という意味になるのでしょうが、にしてもヒドすぎる。とても一言では説明できません。

とにかくもう何もしない、僕の事も放任、放置、好きにやらせておくのだそうです。あんたたちがやり始めた仕事だろ、恐るべき言い分だな。「モーゼスの霊訓 下」スキャン60%完成中。

土日を挟んでいるので復刊事務作業のメールの返信は来ません。霊団に完全にホッポラカシにされているのでもうこれをやるしかない状態です。本気でDreamworkに戻りたい衝動に駆られる。仕事の本体がまるっきりやる気ゼロなんだからもう僕本来の作業に戻ってもいいんじゃないかという気がしてなりません。

到底納得、承諾できません。こんなアフォみたいな物質界人生を無意味にダラダラやらされてたまるか。トリカブトちゃんが咲くよう毎日祈ってます。このトリカブトちゃんを有効活用してみせる。こんな人生は絶対に有り得ない(祈)†

自伝の設計図を改めて見たりするのですが「こんなもの撃ってどうするんだよ」と、自分の人生について全然テキスト撃つ気になれません。しかし10~17冊しか復刊できないとなれば、書かない訳にはいかないと思ったりもするのですが(確か以前霊団も“書け”と言ってきたような気がする)

しかし何しろ物質界そのものに興味がないものですから、霊的知識を残す事はぜひやりたいと思うのですが自分の履歴を物質界に残す事に全然興味がなく、最終校正で書籍の内容を読み返していると「コッチは本にしたいけど僕の書く文章なんて誰も読みゃーしない」と思ったりするのです。

しかし、しかし、帰幽前に最低1冊は書き残した方がイイのかも知れない、んー、考えつつ「イエスの少年時代」キンドルファイヤーを使用しての最終校正に入ってます。これが終わったら復刊者コメントを撃って完成させ、AmazonにUP、即、校正刷りを注文します。それを同梱してあるところに手紙を出すのです。

それが終わったら「ベールの彼方の生活」1~4巻のAffinityPublisherデータをAmazon用に作り替える作業に入ります。脱出できないのに作業だけは殺人的にたくさんある。本当にこの絶望感をどう解消したらいいんだろう。

霊的知識的に考えれば「神に運命を委ねる」という事になるのですが、今の僕がそれをやると一生最悪の状況に閉じ込められる事が決定してしまうため、どうにもその心境になれません。

全て佳きように計らってくれる、それを信じ切っていればいい、それが霊的使命遂行者の取るべき態度だと分かっているのですが、それは霊団にとって“佳きよう”であって僕的には最悪にさせられる事が目に見えているのでどうにも身を委ねる気になれません困りました。

もうひとつ困った事が発生しています。新規に入手したレインパンツが山での使用わずか2回で破損しました。こんな強度ではたとえ交換してもらえたとしても使い続ける事はできませんのでメーカーに返金を申し込みました。が、使用済みパンツですのでたぶんムリでしょう。性能的、金額的に気に入っていただけにショックがデカいです。

ハァァ絶望感が加速していく…しかし「イエスの少年時代」最終校正を急ぎましょう(祈)†

■アナログ絵365~373、書籍復刊関連で描いた線画をまとめて一気にUPです(祈)†■2024年5月11日UP■
■アナログ絵365~373、書籍復刊関連で描いた線画をまとめて一気にUPです(祈)†
絶版状態の霊関連書籍復刊に向けた一連の作業の中で、書籍内で使用する画像の許諾がまず得られないだろうという事で(70年問題をクリアしている画像もありますが著作権とは別に肖像権というモノもありまして)安全策で全て自分で絵を描く事とし、このように一気に「似顔絵的な線画」を描きました。上記に描きました絵で「モーゼスの霊訓 上中下」「インペレーターの霊訓」「ベールの彼方の生活 全4巻」の8冊分の絵をカバーした事になりますが、まぁさらに追加で何か描く事もあるかも知れません。復刊に向けた作業の進捗ですが、当初は70冊以上の霊関連書籍全て復刊させると意気込んでいましたが、それが45冊程度に減り、さらに原著者の著作権70年問題等もあって、近々ですぐ復刊できそうな書籍は10冊程度となってしまっています。そしてあと数年待てば70年問題が解決される書籍が数冊ありますので、その時期を待ってそれらを復刊させる、それでも14~17冊ぐらいしか復刊できそうもありません…続きを読む→

絶版状態の霊関連書籍復刊に向けた一連の作業の中で、書籍内で使用する画像の許諾がまず得られないだろうという事で(70年問題をクリアしている画像もありますが著作権とは別に肖像権というモノもありまして)安全策で全て自分で絵を描く事とし、このように一気に「似顔絵的な線画」を描きました。

アナログ絵351~最新の絵はコチラ
wp.me/Pa9cvW-6UG

アナログ絵365は「ベールの彼方の生活 4巻」の表紙のボツ絵で、巻末の「復刊者コメント」の中でその経緯についてお話させて頂いています。(まだ復刊していませんがコチラにUPしてあります↓)

■アナログ絵362「ベールの彼方の生活4巻」表紙UP。全4巻書籍データ化完了中(祈)†■2024年3月23日UP■
■アナログ絵362「ベールの彼方の生活4巻」表紙UP。全4巻書籍データ化完了中(祈)†
オマケ – はい、今回の4巻は著者であり霊感書記霊媒であるオーエン氏の絵を描かせて頂きましたが、実は当初は別の表紙にするつもりだったのです。しかしその表紙の線画を描きながら「コリャどう考えてもマズいよなぁ」という事でボツにしたのです。そのボツの線画をせっかくですのでUPしてみましょうコチラです↓事実に反した絵という事が1発でお分かり頂けると思うのですがいかがでしょうか。霊体の僕がイエス様に怒られて泣いて逃げようとしてます。なぜこういう絵を描こうと思ったのかというと、僕なりに「霊的使命遂行のキビシさ」を表現しようと思っての事だったのですが、にしてもこれは宜しくないだろう、という事でボツにしたのです。何しろ僕は本気の本気で霊団に反逆しまくっていますので、その反逆をイエス様が怒っているという表現だったのですが、これは事実ではありません。高級霊であればあるほど、アタリがやわらかくなるはずです。心の中で僕の反逆に呆れ返っていたとしてもこのような叱責はしないはずです。僕の未熟をそっと悟らせるような手法を取ってくるはずです…続きを読む→

上記に描きました絵で「モーゼスの霊訓 上中下」「インペレーターの霊訓」「ベールの彼方の生活 全4巻」の8冊分の絵をカバーした事になりますが、まぁさらに追加で何か描く事もあるかも知れません。

復刊に向けた作業の進捗ですが、当初は70冊以上の霊関連書籍全て復刊させると意気込んでいましたが、それが45冊程度に減り、さらに原著者の著作権70年問題等もあって、近々ですぐ復刊できそうな書籍は10冊程度となってしまっています。

そしてあと数年待てば70年問題が解決される書籍が数冊ありますので、その時期を待ってそれらを復刊させる、それでも14~17冊ぐらいしか復刊できそうもありません。それもおーふぁん的なモノの承認が得られればの話です。その承認が得られなければ17冊でなく0冊という事になってしまいます。

とにかく猛烈な絶望感が襲ってきていまして、この心をどう修正すべきか頭を抱えているところですが、今のところ解決策は全く見出せていません。ただがむしゃらに手を動かすぐらいしか思いつきません。どれだけガンバっても全く脱出につながらないのが精神的にキツすぎる、壊滅的。

しかしこれだけ絶望的状況に立たされても全く脱出をあきらめるつもりがないんです。それくらい閉じ込められるのがイヤなんです。何としても脱出だけは完了させます。なぜなら霊団がもう使命遂行をまるっきりやる気がないからです。

何の物的結果にも到達させずただ閉じ込め続けようとしているのです。それは断固拒否する。帰幽1秒前まで脱出の努力を続ける、絶対にあきらめない、あきらめたら生きている意味がなくなる。とはいえどう脱出したらいいのか、この精神状態、どう克服するか、さぁ困った(祈)†
■アナログ絵363「インペレーターの霊訓」表紙のカラーリングをやり直しました(祈)†■2024年3月24日UP■
■アナログ絵363「インペレーターの霊訓」表紙のカラーリングをやり直しました(祈)†
インペレーター霊の霊視スケッチを元にして僕なりに描いた絵とはいえ、このインペレーター霊はほぼ僕の創作となります。実際とは違うという事を改めて強調させて頂きます。詳細についてはアナログ絵358の時に説明していますのでそちらをご覧下さい(復刊者コメントもUPしてあります)せっかくこのように塗り直しましたので電子書籍のみ、などと言わずペーパーバックでもこちらの表紙を使用しましょう。で、この「インペレーターの霊訓」は副題「続・霊訓」とありますように、この書籍の前に本編ともいうべき「霊訓」があります。もちろんそちらも復刊させるつもりでいるのですが「霊訓」はまた別のハードルがありまして、復刊実現はさらに難しい事が予測されます。しかし「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁は滅亡させるつもりはない、奴隷の女の子たちはひとりたりとも助けてあげるつもりがない、僕という霊媒から新規の霊言を降らせるつもりも全く無い(自動書記テスト、現在も続行中なのですが全く霊言が綴られる事はありません)この状況であと僕がやれる事は、もう「絶版状態の霊関連書籍の復刊」これしかないのです…続きを読む→
■アナログ絵361「ベールの彼方の生活3巻」復刊書籍表紙UP。ヨハネ氏です(祈)†■2024年2月29日UP■
■アナログ絵361「ベールの彼方の生活3巻」復刊書籍表紙UP。ヨハネ氏です(祈)†
まず「5章 生前と死後 2 一牧師の場合(127ページ)」ですが、物質界で牧師をしていた男がネインという女性の忠告を受けて1界(これはかなりの下層界です)に赴くというお話ですが、皆さまはこのお話を「あぁ、霊的な事を正しく理解していない牧師の没落ストーリーだな」といった感じに読まれる事と思います。確かにその通りなのですが、どうかもう1レイヤー2レイヤー深いところまでお読み頂きたいのです。このネインという女性はわずか2、3歳で夭折した牧師の妹で、男はこの妹を大変可愛がっていたそうですが、霊格が低いこの男はその成人した姿の女性を自分の可愛がっていた妹だと気づく事ができません。しかし1界で辛酸を味わい尽くし霊的向上を果たした暁にはこの男の霊の眼が開かれ、ネインが自分の妹だと気づく日が(男の様子からするとそれは相当先の話になりそうですが)来ます。必ず来ます。その時にこの男は「あぁ!あれほど愛した妹の事が分からずにいたなんて、自分は何という愚か者だったのだ!」みたいな感じになって大いに涙を流して反省し、そこからこの男の「向上ストーリー」が一気に加速する事になります…続きを読む→
■アナログ絵360「ベールの彼方の生活2巻」復刊書籍表紙UP。どうしても復刊できない(祈)†■2024年2月14日UP■
■アナログ絵360「ベールの彼方の生活2巻」復刊書籍表紙UP。どうしても復刊できない(祈)†
「ヨーロッパの妖精物語と東洋の魔法の物語」こちらは現代の人間にも広く知られているモチーフですよね。RPGゲーム等でよくみられる「剣と魔法のファンタジー」の世界観です。ファイ〇ルファン〇ジー等で多くの方がこのモチーフに親しんでいますが、この世界観も元はといえば過去の霊能者が見せてきた霊現象が元ネタなのだそうです。その霊能者の最大の人物がもちろん聖書に登場するイエス様、という事になります。RPGゲーム等で遊んでいる方がたくさんいらっしゃる事と思いますが、その時に頭のホンのかたすみにでも「あぁ、この剣と魔法の世界観は霊現象が元ネタなんだよなぁ」と思い出してもらえると、そして少しでも霊的なモノに興味を持ってもらえると僕的にはうれしいのですがどうでしょう。もっとも、歪められ具合がタダ事ではありません、長い世紀にわたって霊的な事を理解していない人間たちの手によって実際の霊的事象とは似ても似つかない物的商売臭の漂う世界観に完全に書き換えられてしまっており、もはや全く別物と言った方がいいのでしょう。「人間は本来が霊であり肉体はタダの衣服に過ぎない」という霊的真理などは完全に抜け落ちて形骸すら残っていません。だからこそ絶版状態の霊関連書籍の復刊が急務だと僕は思っているのですが……続きを読む→
■アナログ絵359「ベールの彼方の生活1巻」復刊書籍表紙UP。描き上げても復刊できない(祈)†■2024年1月27日UP■
■アナログ絵359「ベールの彼方の生活1巻」復刊書籍表紙UP。描き上げても復刊できない(祈)†
ご母堂の言葉で僕が特に気に入っているのは「悲劇をただの不幸と受け止める事がいかに狭い量見であるか」(29ページ)という部分で、僕は霊性発現とともに使命遂行人生に突入させられ、人生を完全に破壊されて最悪の状態に閉じ込められ続けている関係で霊団を心の底から激しく憎んでおり、本当の本気で反逆しまくっていますが、その破壊された人生も「その悲しみをテコ台として正しく活用すれば禍転じて福となし、神の計画を推進する事になる」の言葉のように、最終的には全て佳きようにおさまるのでしょう。使命遂行を最後までやり切れば、の話ですが。あともうひとつ、ご母堂の言葉で僕の胸に突き刺さるものとして「確固たる来世観をもっておれば決断力を与え勇気ある態度に出る事を可能にします。」(72ページ)というものもあります。これはオーエン氏が教会長老から弾圧を受けて弱気になっていた事を受けて「勇気をもってこの使命に邁進(まいしん)しなさい」と、言わば母が息子の“おケツをひっぱたいた”という事だと思うのですが、イヤー僕もこういう母に恵まれたかったですね。っとと、僕には“真実の母”守護霊様がいましたね。僕の性格は守護霊様のデザインであり、現在このような使命遂行人生が送れるのも(苦しい事イヤな事ばかりで全然うれしくも何ともありませんが)守護霊様が“導きのプロ”だったおかげです…続きを読む→

1917年12月12日 水曜日

吾々のことを想像なさる時、はるか遠くにいると思ってはなりません。すぐ近くにいます。貴殿は直接書いているのがカスリーンであるから吾々はどこか遠く離れたところから彼女へ思念を送っていると考えておられるようですが、そうではない。

霊的身体を調節しながら降下してる難しさを克服した今、貴殿のすぐ近くに来るために思念を統一することは容易です。天界においても同じですが、地上にも霊格の格差というものがあります。吾々にとっては、動物的次元からさほど霊的に進化していない人類に近づくことは敢えて不可能とは言わないにしても、きわめて困難なことです。

一方、吾々に憧憬の念を抱いてくれている人に対しては、吾々としても精一杯努力してその人が背のびできる最高の段階で折合うようにする。貴殿の場合もそうです。これで少しは貴殿の気休めになるかと思うのですが如何でしょう。

– 初めの説明は私もそう理解しておりました。しかし、あとの方の説明が事実だとするとカスリーンは必要ないことになりませんか。

そのことに関しては以前に少なくとも部分的には説明したつもりですが、ここで少しばかり付け加えておきましょう。貴殿に知っておいていただきたい事実が2、3あります。すなわちまず霊団の大半がかなり古い時代の人間であるのに較(くら)べてカスリーンは貴殿の時代に近いことがあげられます。

そのため平常時においては吾々より貴殿の霊的状態に近く、吾々は貴殿の内的自我とは接触できても、言語能力とか指の運動能力を司る部分つまり肉体の脳への働きかけとなるとカスリーンの方が容易ということになります。

また吾々の思念を言語に転換する際にも彼女が中継してうまくやってくれます。もっとも、それはそれとして、貴殿と吾々とは完全に調和状態で接触していることは事実です。

– 質問があるのですが…

どうぞ – ただ一言ご注意申し上げるが、貴殿は知識が旺盛なあまり先を急ぎすぎる嫌いがあります。1つ尋ねて、それが片づいてなお余裕のある時にさらに次の質問をお受けしましょう。

– どうも。キリストの地上への降下の問題についてですが、肉体に宿るべく父の住処(すみか)を離れたあと地上へ至るまでの途中の界層の1つ1つで環境条件に波長を合わせていく必要があったと思われます。キリストほどの高い境涯から降りてくるには余ほどの“時”を閲(けみ)する必要があったと思うのですが…。

吾々が教わったかぎりにおいて言えば、キリストは地球がまだ形体をもつに至る以前、すなわら非物質的存在の時から存在していた。そして、いよいよ物質が存在しはじめたとき宇宙神は、物的宇宙をいま貴殿らが知るところの整然とした星座とするために、キリストをその霊力の行使の主宰霊 Master Spirit とされた。

が、存在はしても、当時まだ物的宇宙に形態がなかったごとくキリストの霊みずからも形態を具えていなかった。そして宇宙が物的形態を賦与(ふよ)された時にまず霊的形態を具え、それから物的形態を具えるに至った。

当時の天地創造の全現象の背後にキリストの霊が控え、無限の時を閲して混沌(カオス)より整然たる宇宙(コスモス)へと発展するその道程はすべてキリストの霊を通して行われたのであった。

それは混沌たる状態を超越するある強大な存在による外部からの働きかけなくしては不可能であった。何となれば、秩序に欠けるものから秩序を生ずるということは、新たな要素を加えずしては有り得ないからである。かくして宇宙はキリスト界とカオスとの接触の産物にほかならない。

カオスとは物質が未知の可能性を秘めた状態である。コスモスとは物質がその潜在力を発現した状態である。とは言え、その顕現されたものは“静”の状態を“動”の状態へと転じさせた、その原動的エネルギーの現象的結果にすぎない。動とはつまるところ潜在的意念の活動の総計である。

意念はその潜在的状態から顕現へと転換する過程においては、その創造力として働く意念の性質に相応しい動の形を取る。かくして万物の創造主はキリストの意念を通してその創造活動を悠久の時の流れの中で行使し続け、ついにコスモスを生んだのである。

さて以上の説明によって吾々が抱いている概念をいくらかでも明確にすることができたとすれば、キリストが物質的宇宙の創造の当初より存在していたこと、それ故に地球が徐々に物質性を帯び、形態を整え、ついには顕著な年代的特徴を刻んでいくに至るその全過程において存在し続けていたことが解るであろう。

言いかえれば地球それ自体が創造原理を宿し、それに物的表現を与えていったということである。そのことは地球そのものから鉱物と植物と動物という生命形態が生まれてきた事実によって知れる。そこで、友よ、結局いかなることになると思われるか。ほかでもない。地球ならびに物的全宇宙はキリストの身体にほかならないということです。

– 地上に誕生したあのキリストですか。

父と一体なるキリスト、そして一体なるが故に父の個性の一部であったところのキリストです。ナザレ人イエスは父の思念の直接の表現体であり、地球人類救済のためのキリストとして肉体をまとったのです。友よ、貴殿の心に動揺が見られるが、どうか思念の翼を少しばかり広げていただきたい。

太陽系の他の惑星上には“人類とは異なる知的存在が”生活を営んでいる。他の太陽系の惑星上にも“また別の存在”が生活を営んでいる。さらに他の星雲にも“神”および“そのキリスト”との間に人類と同じつながりをもつ存在がいて、人類と同じように霊的交わりをもつことができる。

が彼らの形態は人類とは異なり、思念の伝達も、人類が言語と呼んでいる方法とは異なる。それでいて創造神とそのキリストとの関係は人類の場合と同じなのです。彼らにとってもキリストは“彼らなりの形態”をもって顕現する必要があったのであり、今なお必要です。

が、それはナザレ人イエスと同じ人間的形態をまとって現われるのではありません。それでは彼らには奇異に思われるでしょう。否、それ以上に、意味がないでしょう。彼らには彼らなりの形態をとり、交信方法も彼ら独自のものがあり、彼らなりの合理的プロセスを活用している。

こうしたことは、地動説を虚空にかなぐり棄てながらも精神的には相も変らずまるでミイラの如く物的観念によってぐるぐる巻きにされている者にとっては、およそ納得のいかないことでしょう。彼らはその小さい世界観から1歩も出ることができず、創造神にとって重大な意義をもつ天体がこの地球以外にも存在することが得心できないのです。

そこで吾々はこう表現しておきましょう – ガリラヤに来たキリストは宇宙的キリストの地球的顕現にすぎない。が、真のキリストであるという点では同じである、と。

では結論を述べるとしよう。もっとも、以上のべた程度では無窺の宇宙の美事な韻律が綴った荘厳にして華麗なる物語、星雲の誕生と結婚、そしてそこから生まれた無数の恒星の物語のほんの1章節ほどにも満たないでしょう。

要するにキリストは、エネルギーが霊的原動力の活性化によって降下 – 物質化と呼んでもよい – していく過程の中で降下していったということです。鉱物もキリストの生命の具現です。何となればあらゆる物質がキリストの生命から生まれているからです。

バラもそうです。ユリもそうです。あらゆる植物がキリストの生命を宿しており、一見ただの物質でありながら美しさと素晴らしさを見せるのはその生命ゆえであり、そうした植物的生命も理性へ向けて進化しているのです。

しかし植物に宿っているかぎりその生命は、たとえ最高に進化しても合目的的活動の片鱗を見せるに留まるでしょう。キリスト的生命はまた地上の動物にも顕現しています。動物も人間と同じくキリスト的生命の進化したものだからです。キリストの意念の最高の表現が人間であった。

それがやがて不可視の世界から可視の世界へと顕現した。つまり人間を創造したキリストみずからが人間となったのです。つまり人間に存在を与え存続させているキリストがその思念を物質に吹き込み、それがナザレ人イエスとなって顕現したのです。それゆえ創造神より人類創造のための主宰権を委託されたキリストみずからが、その創造せる人間の子となったということです。

(質問に対する答えは)以上で十分であろう。さらに質問があれば、それは次の機会まで待っていただくことにしましょう。神とそのキリストは – その共同作業が人間を生んだのですが – 貴殿がその親子関係と宿命を理解し、さらに他の者にも理解させんとする努力を多とされることでしょう。

「太陽の方を向きなさい」これは帰幽後の話で物質界生活中は最悪という意味です(祈)†■2022年3月2日UP■
「太陽の方を向きなさい」これは帰幽後の話で物質界生活中は最悪という意味です(祈)†
ある意味「暗殺よりヒドイ」と僕は思っていまして、何をどう頭をひっくり返しても許容できない事を霊団に言われているのです。信じられない、本当に最悪、こんな人生死んでも有り得ない、霊団はそういう状況に僕を突入させる事を完全に決定したと意味を受け取れる内容であり、到底承諾できません。その苦しみを身に浴びる事によって「宇宙一のバカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の死刑、滅亡の実現につながり、奴隷の女の子たちの救出につながるという事であれば、まだ耐える意味を見出す事もできると思うのですが、霊界側はもう完全に女の子たちを見殺しにする事を決定した様子で「目標に到達できないのに苦しみだけ続行させられるとはどういう事だ」という考えがイヤでも出てきてしまうのです…続きを読む→
「神に委ねてみませんか」これが実は到底承服できない最低最悪の意味なのです(祈)†■2022年8月24日UP■
「神に委ねてみませんか」これが実は到底承服できない最低最悪の意味なのです(祈)†
僕も神に反逆するほどバカではありません。ぜひ皆さまにも「インペレーターの霊訓」をお読み頂きたいですが、霊的知識を獲得しておきながら神の意に反する行いをした者がどういう状態にさせられるかをインペレーター霊が語っておられます。僕はその知識がありますのでそこまでバカな事をするつもりはありません。ただとにかく「物事には限度というモノがある」これを強調して終わりとさせて頂きます。キビシすぎ、苦難、試練を降らせすぎ、僕ひとりに何もかもやらせすぎ、本気でいい加減にしてくれ、という事です…続きを読む→
「神は苦しみを用意して下さいました」んー試練にも限度があると思うのですが(祈)†■2023年3月29日UP■
「神は苦しみを用意して下さいました」んー試練にも限度があると思うのですが(祈)†
解決しなければならない問題もなく、挑むべき闘争もなく、征服すべき困難もない生活には、魂の奥に秘められた神性が開発されるチャンスはありません。悲しみも苦しみも、神性の開発のためにこそあるのです。「あなたにはもう縁のない話だからそう簡単に言えるのだ」 – こうおっしゃる方があるかも知れません。しかし私は実際にそれを体験してきたのです。何百年でなく何千年という歳月を生きてきたのです。その長い旅路を振り返った時、私はただただ宇宙を支配する神の摂理の見事さに感嘆するばかりです。1つとして偶然というものが無いのです。偶発事故というものが無いのです。すべてが不変絶対の法則によって統制されているのです。霊的な意識が芽生え、真の自我に目覚めた時、何もかも一目瞭然と分るようになります。私は宇宙を創造した力に満腔の信頼を置きます。あなた方は一体何を恐れ、また何故に神の力を信じようとしないのです。宇宙を支配する全能なる神になぜ身を委(ゆだ)ねないのです。あらゆる恐怖心、あらゆる心配の念を捨て去って神の御胸に飛び込むのです。神の心を我が心とするのです…続きを読む→