ペーパーバック、電子書籍ともに、あとは「販売を開始する」をクリックするだけの状態まで持ってくる事ができました。その状態にするまでの一連のプロセスもテキストとして保存してあります。これを他の書籍でもおこない、販売前待機状態の書籍をガンガン揃えていきます。

そしてGW後になると思いますがおーふぁん的なモノも再開させ、ストレスが尋常ではないので本当にやるのがイヤですがそこを何とか精神力で突破して、こちらも承認を得るまでの一連のプロセスを習得して今後の作業の効率化を図ります。

「モーゼスの霊訓上」スキャン続行中ですが、霊団のやっている事に対してさらに疑問を抱くようになっています。とにかくもう何にもしないつもり、僕を閉じ込める事そのものが完全に目的化している、そう思えてならない、当初の仕事が完全にどっかに吹き飛んでいるとしか思えない。究極に首をかしげます。

「インペレーターの霊訓」ペーパーバックの校正刷り、到着までもう少しかかります。この調子で「ベールの彼方の生活」「シルバーバーチの霊訓」「イエスの少年時代」「イエスの成年時代」「イエスの弟子達」等々、主要な書籍群をガンガン販売前待機状態にしていきます。霊団がやる気ゼロでも僕は絶対に作業を止めない。何もせずただボケっと暮らすなんてできる訳ないだろ(祈)†

「とにかく説明できません」もう霊団のインスピレーションを書く事ができません(祈)†■2022年4月13日UP■
「とにかく説明できません」もう霊団のインスピレーションを書く事ができません(祈)†
これほどの理不尽が存在する事を知った。人の長年の努力を無に帰して平然としていられる人間がいる事を知った。そもそも「宇宙一のバカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の邪悪の正体、奴隷の女の子たちの悲劇の惨状を僕に怒涛に教えてきたのはコイツら(霊団)です。教えてきておいて全く実現させるつもりがない、奴隷の女の子たちを全く助けてあげるつもりがない、僕の人生を10年もの長きにわたって完璧に破壊し尽くしておいて悪びれる様子もないどころか、まるで僕が悪いかのような事を言ってくる。責任を取るつもりも全くない。…落ち着きましょう…続きを読む→
「愛の表現、怒るな」霊団の軽薄極まる言葉です。とにかくこの人生の責任取れ(祈)†■2022年4月27日UP■
「愛の表現、怒るな」霊団の軽薄極まる言葉です。とにかくこの人生の責任取れ(祈)†
「宇宙一のバカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁は、自身の大犯罪を隠し通さなければ本当に逮捕になってしまうため、いつまでもどこまでもウソ洗脳ニュースをメディアに流し続けて国民をダマし続けなければならない。つまり「明仁、文仁、徳仁、悠仁にはウソをつき続けなければならない理由、動機、必要性がある」僕、たきざわ彰人には、これほど長い年月にわたって画家の夢Dreamworkを捨てさせられてブログでウソの内容を書き続けるなどという行為をしなければならない必要性が全くない。そもそも僕の人生の目的は全く別のところにある。「僕にはウソを公言する理由、動機、必要性がない」そんな事しても別に何にもならない…続きを読む→
「あなたはどちらさま?」超鮮明な女性の顕現がありました、自動書記と関連があるようです(祈)†■2024年3月6日UP■
「あなたはどちらさま?」超鮮明な女性の顕現がありました、自動書記と関連があるようです(祈)†
まず僕はいつものようにインスピレーションに備えてトランスを維持しています。(目は閉じた状態)すると突然僕の左肩に誰かが手を置きます。ちょうど僕のうしろから肩を叩かれて呼び止められたような格好です。で、僕は左後方に振り向きます。するとそこには全く知らない女性が満面の笑顔で立っています。ヨーロッパ系の女性のような感じでした。カラーリングの基調はゴールドで超鮮明な容姿でした。(香世子さんではありません、それだけは間違いありません)はい、今のこのお話は肉体のお話ではありません。この時、僕はふとんの中で目を閉じ、身体(肉体)はピクリとも動かしていません。しかしハッキリ左肩を叩かれ、左後方を振り向き、超鮮明な女性の笑顔を見たのです。全ては霊体でのお話です。※僕がその女性に向かって「あなたはどちらさま?」と言ったという事ですよ。そしてこの女性の件があった時、僕はトランスを維持しながら「自動書記の嘆願の祈り」を心の中で唱え続けていました。その僕の祈りを受けて女性が満面の笑顔で肩を叩いてきたのです。これはまるで「あたしが自動書記やるわよ」と言っているかのようなシチュエーションとなります…続きを読む→

まずトリカブトちゃんのタネを蒔いたところから小さい葉っぱちゃんが出てきました。これがトリカブトちゃんの新芽なのかどうかが分かりません。何しろトリカブトちゃんの若芽など生まれて1度も見た事がありませんからね。

実はタネを蒔いて以来ずっと蒔いた土のところが毎日のようにいじりまわされている形跡があり、明らかに足跡のようなものがあり、ずっと首をかしげていたら、ある時ネコちゃんがジーっと僕の方を見てきて「オメィか」と思ったりしたのでした。

ネコちゃんにだいぶいじられていたので咲かないかも知れないと思っていたのですが、もし咲いてくれるようならそこから「トリカブトちゃん作戦本格始動」となります。植物界最強と言われる毒を抽出します。それを保管する小ビンがコチラ↓

240503トリカブトちゃん小ビン

既に入手済、やる気満々という事です。もっとも強力な毒が含まれていると言われている根の部分を液体化して小ビンで保存、霊団に対して「これ以上ヒドイ導きをしやがったらいつでもやってやるぞ」という物質界最強のけん制をおこなうための切り札、エースとなります。飲みゃーしませんよ、けん制ですけん制。

どうも霊団がネコちゃんを使って何か細工したような気配感があるのが気になりますが(ネコちゃんを操るくらいワケないでしょうからね)実はもうトリカブトちゃんの毒を無効化してたりなんかして、それはそれで逆にスゴイ。もし咲くようなら定期的にご報告させて頂きます。

で「インペレーターの霊訓」の電子書籍データをAmazonにアップロードする作業をおこなっています。コチラもペーパーバック同様、一連の手順をテキスト化して今後の作業の効率化を図ります。ブリード問題だけが解決できませんでしたがとりあえずしょうがない、もう行くしかない。

「モーゼスの霊訓上」スキャン&OCR変換55%完成中。スキャンしながら読み進めたりするのですが、その内容と霊団の動きに矛盾点がある。もっともこの書籍の内容と僕の霊的状況は関係ありませんので参考にしすぎるのは禁物ですが、どうも首をかしげるものがある。

霊団が少し降らせてきているインスピレーションも首をかしげる内容で、長文ブログのタイミングでお話させて頂きます。あと「コナンドイルの心霊学」こちらも急きょ入手しました↓

既に選書版を入手済み、OCR変換まで終わっているのですが、こちら選書版は間違いなく復刊できないと思いますので、わずかな復刊の可能性にかけて潮文社版を入手したという流れです。

「シルバーバーチの霊訓3巻」テキスト見直し80%完了中。終わり次第4巻に突入、イヤ他の書籍でもイイ、なんでもいいからとにかくテキストを揃えます。霊団はもう完全に僕にダメ出しをしてます、そう言われてどうしろというのか。僕は現時点の自分にできる最大限の作業をやっている、これ以上努力できない限界点までやっている。詳細はのちほど(祈)†
■2021年8月13日UP■
「死体切断はもったいないから」明仁、文仁、徳仁、悠仁が奴隷の女の子を四肢切断する理由です(祈)†
ブタ(奴隷の女の子)は死んだけど、この死体はまだオモチャとして遊べる、このまま捨てたり焼いたりしたらもったいない、最後の最後まで遊び倒さないといけない。世界中でこの遊びができるのは俺たちぐらいのもんだ、ホラ悠仁、お前もブタの胴体を切って遊べ、人間を殺すのは楽しいだろ、これが俺たちの仕事だぞ。これからも国民を殺しまくって遊ぶんだぞ。イーッヒッヒッヒッヒッヒ♪つまり奴隷の女の子たちの人生、人権、性格、夢、そして生命、それら全てをオモチャにして遊ぶ事ができるのは世界で俺たちぐらいのものだ、ただ殺すだけじゃもったいない、女の子が生きている間も、泣き叫んで助けを懇願している時も、四肢切断した後も、強姦殺人する時も、女の子が死んで死体となった後も、その死体を切り刻む時も「処刑遊び」の全シチュエーションをバッチリ撮影して記録に残し、最後の最後まで徹底的に遊び倒さないといけない…続きを読む→
■2021年10月6日UP■
「イエス様、間違っているが気に入って活用している」この意味について説明してみましょう(祈)†
キリスト教は「ひとりの人間を超人的ポジションに祭り上げて肝心の霊的知識をなおざりにする」という人類最大の愚行を犯しました。その間違いを僕たち人類は2度と繰り返してはならない、今回霊団が降らせてきたイエス様に関する幽体離脱時映像には、そういうイエス様、もっと言えば霊界全体の積年の悲願が込められているのではないかと思ったりもするのでした。イエス様は【神】ではありません。イエス様はずば抜けて霊格の高いひとりの霊能者だったという事です。【神】とはこの全宇宙を経綸する自然法則の事であり、断じてひとりの人間ではありません。ましてや「宇宙一のバカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁が【神が人間になった】などという事は天地がひっくり返っても全宇宙が爆発して滅んでも死んでも絶対に有り得ません…続きを読む→
「地球を1周」天皇一族の邪悪の正体はもう絶対に隠ぺい不可能という意味です(祈)†■2022年2月2日UP■
「地球を1周」天皇一族の邪悪の正体はもう絶対に隠ぺい不可能という意味です(祈)†
意味は単純明快、皆さまもお分かりの事と思います。こういう感じ「宇宙一のバカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の邪悪の正体に関する認識が完全に地球を1周した。今や世界中の人間が天皇などと自称するコイツらの真の悪の姿を正しく理解した。もはや古代の洗脳手法は通用しない。もうウソをつき通す事もゴマかし通す事もすっとぼけ続ける事も絶対に不可能。こういう意味で間違いないでしょう。そしてその理解から導き出される皆さまの当然の感情が「やめるべし」のインスピレーションという事になるでしょう。意味はもちろん「宇宙一のバカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を有罪と認定し、逮捕、死刑に追い込んで滅亡させるという事になります…続きを読む→

(訳者注 – サクラメントというのはキリスト教の儀式の中でもとくに大切にされている儀式で、“秘跡”と訳されることが多いが、各派によって異なるのでここでは原語のまま用いた。)

1917年12月4日 火曜日

貴殿は受け取った観念を文章に綴ってくれればそれでよろしい。そしてそれが吾々の霊団からのものであることに疑念を抱かれる必要はまったくありません。と言うのも、一方において吾々は貴殿が筆記されている間は貴殿の身柄をしっかりと確保し、他方において吾々の通信を横取りして自分たちの通信に使用せんとする狡賢(ずるがしこ)い霊の集団を排除すべく努力しているからである。

それが可能なのも、カスリーンを通じて実際に貴殿との通信を始めるずっと以前から貴殿について準備し、また吾々の側の準備をも着々と積み重ねてきたからです。

さて今夜はキリスト教の聖なる儀式の問題について語ってみたい。キリスト教界において今なお行われており、キリストを主と仰ぐ者にとって大いに関心をもつべきものだからです。中でも聖体拝領の儀式(マタイ26)はキリストを主と仰ぐ者にとって生涯にわたる意味を秘めている。

これには数々の意味が含まれているので、これより少しばかり述べてみたい。まず、その由来について。現存する聖典から推察されるように、キリストの生涯については過去幾世紀にもわたって伝えられてきたものよりも記録されずに終ったものの方がはるかに多い。大ざっぱに読んでもそれが推察できるであろう。

しかも残っている記録も、本質においては相通じるものがあっても、細かい点になると曖昧なところが多い。残っている記録は数多くあったものの中のごく一部にすぎないことを知らねばならない。他の記録は完全に地上から消滅したか、まだどこかに残っていて、いつの日か陽の目を見ることになるかも知れない。

が、こちらの世界にはその全記録が保存されており、吾々もこの度それを勉強したところです。これから述べることはそれを根拠にしています。

(訳者注 – その一例が自動書記霊媒カミンズ女史を通じて書き記された The Scripts of Cleophas で、聖書の欠落した部分やその後の歴史を物語る通信が見事な散文体で書かれている。これは第1級の聖書研究家やキリスト教の聖職者によって“正真正銘”の折紙がつけられている)

そのとき主イエスは肉体を具えた存在から肉体なき存在への変化を目前にしていた。死期の迫ったことを知ったイエスは、12人の弟子との会合の中で、自分の死後もこの弟子たち並びに自分の教えに従う者との霊的交わりを強化し、自分を生命力の源とさせるための、思い出と霊交の儀式を行ったのです。

ここで前回に述べた霊交の3つの型を思い出していただきたい。最高界より流れくるところの脈動する生命力は、その鋭敏さゆえに、主の王国全体(*)に張りめぐらされている特殊な組織への針の先でつついたほどの衝撃さえ中心的始源まで波及し、即時に反応が返ってくることが理解していただけよう。

その反応と緻密性(ちみつせい)と即時性を具体的に説明せんとしても、地上にはそれを譬(たと)えるべきものが何1つ見当りません。ここではせめて“運動する粒子はその速度が速ければ速いほどそれに加えられる外的刺激による反応が大きい”という法則を思い出していただくに留めておきましょう。

(*最高界といい王国というも地球的規模における話。イエスは普遍的キリスト神の地球的表現すなわち地球の守護神の部分的表現である。6章でその詳しい説明が出る – 訳者)

父なる神より湧き出た生命の流れがまず主に至り、主の霊性を加味されて御国のすみずみにまで放散されるのは、その組織があるからこそです。その組織への衝撃が例の“主の祈り”(マタイ・6)とともにパンとぶどう酒による儀式によって与えられる。

すると会衆の前に並べられた品々にその生命の流れが注がれ、主の生命と融合し、主みずから述べられた如くに、それが主の聖体とおん血に変わる。貴殿らが使用する祈りは“祈願”であると同時に主の生命を受け入れることへの会衆の“同意”を意味します。

何となれば、同意なくしてはいかなる恩恵といえども人間に押しつけることは許されないからです。その同意はかならずしも声に出す必要はない。要は“心”です。それが地球へ向けて流れくる主の生命力の流れに遭遇し、オリーブ山を越えてサレムへ来られるイエスを迎えに集まった者たちと同じように、そこで合流し主の流れの即時的反応を受けて再び元の会衆へ戻ってくる。

こうして与えられる恵みは3つの形を取る。まず第1は霊と霊との交わり、すなわち祈願する者と主との交わりです。第2はその霊を包むところの身体すなわち霊体の健康と活力の増進です。そして第3がその2種類の作用の自然な結果、つまり内的活力と肉体との融合です。

これを吾々はキリストの総身(*)の活性化と呼びます。すなわち根源からの生命の流れと合流し、1人ひとりが活力を得ることによってキリスト自身も活力を増進していくのです。(*顕幽にわたる地球規模の自然界そのものをさす。第6章で詳しく解説 – 訳者)

この聖体拝領の儀式にはもう1つの意味が秘められています。が、その説明は簡略なものに留めざるを得ません。何となれば、いかに努力してみたところで、その真相の全てを伝えることは無理だからです。

吾々にも吾々の言語があるのですが(*)、それでは貴殿の方が理解できず、さりとて地上の言語ではまったく用を為さない。その真相は地上の言語の痕跡(こんせき)を留めない上層界にわたることであり、最高界に近い崇高な界層の言語でしか伝え得ないものです。

(*死後の世界では言語は使用されないと言われるが、音声による形態の言語は無いという意味であって、地上の各民族によって言語が異なるごとく、各界層によってその表現形式の異なる言語があるようである – 訳者)

聖書にあるごとくパンとぶどう酒という2つのありふれた品物はイエスの聖体とおん血に変わる。従ってそれはその言葉(マタイ26・26~29)を発したイエスの一部となったことになります。

このことに関してこれまで、一体なぜ肉と骨と血でできた身体をまとっているイエスにそれが出来たのかという疑問があったようですが、実は人間は1人の例外もなく、生涯を通じてひっきりなしに、外部の物体と霊的に反応し合っている。身にまとったものには、その人の個性が沁(し)みこむ。

手を触れるものにも住まう家にも個性が伝わり、それは永遠に消えることがない。そういう性質を生まれながらにして具えているのです。(心霊学でいうサイコメトリ現象がそれを証明している – 訳者)

イエスは、ユダヤとガリラヤにおいて病める人や不自由な者をその生命力で癒したごとく、また弟子たちに霊力を吹き込みその生命力で鼓舞したごとく、そのパンとぶどう酒に生命力の流れを注ぎ、かくしてそれは真実の意味においてイエスの身体(からだ)となり血となったのです。

今日とて同じです。イエスは晩餐(ばんさん)が終ればあとは十字架にかけられるのを最後に、すべてが終りとなる身であった。そのような身の上の者が自分とからだと血を永遠のものとして授けるはずはありません。そうではない。

その時のパンとぶどう酒、12人の弟子たち、並びにそこに参集せる者たちへ注がれたのは、その時のイエスが束の間の地上生活のためにまとい、やがて使い古した衣服のごとく棄てられる肉体と血ではなかった。また、始源から流れくる生命力の流れの通路となったイエスの霊体でもなかった。

それはイエスの霊そのもの、今も昔も変らぬ永遠なるキリストの生命そのものであり、それは肉体があろうと無かろうと同じことであった。なぜなら霊力や霊的エネルギーに関するかぎり、そうした形式は問題ではないからです。表現形式はどうあろうと、表現されるもの自体は少しも変わりません。

それ故、最後の晩餐(ばんさん)においてパンとぶどう酒が主の願いと意図のもとに生命力の貯蔵庫となり、その意味において主の聖体とおん血となったと言うのは正しいわけです。

そして又、イエスのからだがこの世から消えたからといって、そのことは主の働きかけを阻止するどころか、むしろ1つの媒体がなくなったことによって、より一層容易にそして直接的に働きかけることが可能となったと言えます。

少なくとも肉体が無いということは、主より流れ出る生命力がパンとぶどう酒に注がれることを妨げることにはなりません。

それゆえ司祭が会衆の同意のもとに、パンとぶどう酒を食卓に並べ置き高き天界に在す主の犠牲を祈願する時、それは実質において主の御胸に手を置き、高き天使の在す天上界へ目を向け、父なる神の顔を見つめ、人類のためにその子イエスの愛と認識を嘆願していることになるのです。

もしその司祭が素直にして幼子(おさなご)のごとき心の持ち主であるならば、今日でさえその手の下に主の御胸の静かなる生命の鼓動を感じ取ることができるでしょう。その生命力による援助のもとに、その祈りの念は聖にして純なる天界へと送り届けられ、“主の祈り”そのものとして嘉納されることになるのです。

■2020年8月1日UP■
「死んでも謝るよ」明仁、文仁、徳仁、悠仁が自身の大罪を許してもらえると思っている思念です(祈)†
霊団は「死んでも謝るよ」と明仁、文仁、徳仁、悠仁の思念を降らせました。抵抗する術を知らない幼い女の子を徹底的に強姦殺人しまくっている「悪魔」が許される世界というのは、物質界にも、僕たち人間の本来の生活の場である霊界にも、地球圏霊界を突破した無限の宇宙に広がる無限の生活の場においても一切ありません…続きを読む→
■2020年12月19日UP■
「一旦メディコ」明仁、文仁、徳仁、悠仁が入院という形の逃亡を本当に実行する可能性があります(祈)†
「視点外し」にやられないで下さいという意味です。僕たち日本国民は今こそ「宇宙一のバカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁をDNA1片たりとも残さずに完全に死刑にして滅ぼし切らねばならないという事、これ以上このバカヤロウどもの洗脳にやられ続け目を閉じ続けない事、奴隷の女の子の強姦殺人を「血税を盗まれる」というカタチで手伝わされている、この理不尽に絶対に決着をつける事。2度とこの「人類の恥」「人間のクズ」の事を陛下だの殿下だのと呼ばない事、このバカヤロウどもに絶対に敬語を使わない事、絶対に頭を下げない事、コイツらのパレードに参加して沿道で笑顔で手を振らない事、僕たちが取る態度はただひとつ…続きを読む→
■2021年1月9日UP■
「あー何とかしたい」明仁、文仁、徳仁、悠仁を何とか死刑にしたいという皆さまの思念です(祈)†
コイツらふざけすぎだ絶対許せない、日本の邪悪は全てコイツらから始まってるんだ、なぜこの世界最大級の犯罪者に金を払い続けなきゃいけないんだ、大量強姦殺人魔は死刑以外に有り得ない。いかがですか皆さま、こういう感情が湧いてきませんか。【神】が僕たち人間全員に与えて下さったプレゼントは決して判断を誤りません。常に人間として正しい回答いわゆる「善なる指標」を皆さまの心にひらめかせてくれるものです。判断に困った、迷った時こそ「自分の心に聞いてみる」のです。そうすれば【理性・良心】から正しい回答が降ってくるはずなのです。僕たち人間の心はそういう風にできているからです。「宇宙一のバカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁に完全に牛耳られている洗脳の旗手、各種マスコミが流してくる「視点外し、ウソインチキ洗脳ニュース」等々それらの情報にポンポコホイホイあっけなくダマされ続けて生活するのを僕たち日本国民はいい加減にやめねばならないところに来ています…続きを読む→