まず、やはりどうにもそちらに入っていく気になれず、エレナさんの宇宙書籍2冊目の注文をキャンセルして(キャンセルが間に合わなくて書籍が到着してしまう可能性もありますが)ホワイトイーグル霊の書籍の英語版を注文しました。訳者の訳文がどうにも気に入らないので自分でGoogle翻訳にかけてみようと思ったのです。

で、霊団がインスピレーションを降らせてきていますが、猛烈にムカついてクロッキーにメモしませんでした。それについて次回長文ブログで説明する事はないと思います。触れる気にさえならない。霊性発現してからの僕の人生を表現する言葉ははただひとつ「人生破壊」それのみです。

コイツら(霊団)の仕事はただブチ壊す、それだけ、それ以外何もやらない、構築というモノを一切やらない、頭にきて頭にきてどうしようもありません。何が何でも現在の最悪の状態から脱出するつもりでいますが、もう手段が完全に断たれているのでたぶん脱出できずに一生閉じ込められる事になるのでしょう。

そんな状態にさせられてどうやって霊団に信頼心を置けというのでしょうか。猛烈な不信感に襲われています。僕は帰幽後も最悪の状態になるのだそうです。お前らがちょっかい出してこなければ僕は普通に暮らしていられたんだよ。お前らのせいで僕の人生は物質界でも霊界でもグチャグチャだ。

スキャン続行してますがどうにもこの訳文が好きになれません。ホワイトイーグル霊の英語原本の到着を待ってみましょう。僕の人生はこの一語に尽きます「僕の人生を返せ」(祈)†

「地球圏霊界は強姦殺人魔を守り通す狂気の国」僕は帰幽後、地球圏を離れます(祈)†■2023年8月16日UP■
「地球圏霊界は強姦殺人魔を守り通す狂気の国」僕は帰幽後、地球圏を離れます(祈)†
この11年、霊団は「人生破壊」以外に何もやりませんでした。口だけをピーチクパーチク動かし、実際の行動は何ひとつ起こしませんでした。人の人生をブチ壊すだけブチ壊しておいて、その補填らしきものは一切なくホッポラカシ。あげくの果てに自分たちで言い出して僕にやらせた仕事を全力でやめさせようとしてくる始末。一体何がどうなってるんだよあんたたちの頭の中は。永遠に理解できない「※地球圏霊界は強姦殺人魔を守り通す狂気の国」霊関連書籍にはこのような記述は一切ありませんが、僕は自身の長きにわたる霊的体験から、絶対の自信をもってこの言葉を公言させて頂きます。地球圏霊界、おかしい、全てがおかしい。全宇宙最低ランクにもほどがある。いくら何でも最悪すぎる。僕は帰幽後、まず実現は不可能と思われますが、一応希望としては地球圏霊界と完全に縁を切るつもりでいます。少なくとも霊団とは縁を切ります。これは絶対です…続きを読む→
霊団はもう何もやる気がないそうですが、僕はうしろに戻るつもりはない前進あるのみ(祈)†■2023年7月19日UP■
霊団はもう何もやる気がないそうですが、僕はうしろに戻るつもりはない前進あるのみ(祈)†
物質界に邪悪がはびこる、その根本原因は「霊的知識の無知」にあります。人間に死はなく、肉体の死後も霊的表現媒体(幽体、霊体等)をまとって霊界で永遠に生き続けるという霊的真理を知らず、物質界での人生のみが人間の人生だと考える事が全ての邪悪の出発点なのです。物質界で大量強姦殺人の人生を送ると帰幽後に霊界でどれほどの地獄をやらされるか、その「霊界と物質界の因果関係」もっと言うと【神の因果律】を全く理解していないから平然と犯罪をおこなう事ができるのです。神の因果律から逃れる方法はこの全宇宙に存在しません。なぜなら「宇宙は神の身体」だからです。僕たちは現時点で神の中に存在しているのですから、神の法則の効果範囲外に出るなどという事は有り得ないのです。自分のおこないが自分の帰幽後の人生にどれほど致命的欠陥、悲劇をもたらすかを知っていれば、おのずと自分のおこないに責任感が生じ、愚かな言動にブレーキがかかるはずなのです。邪悪なおこないをしている人間たちというのは「何も知らない人間」という事なのです。だから霊的知識の普及が急務なのです…続きを読む→
「悔し涙を拭う必要はありません」これは帰幽後に悲しみが喜びに変わるという意味です(祈)†■2023年6月21日UP■
「悔し涙を拭う必要はありません」これは帰幽後に悲しみが喜びに変わるという意味です(祈)†
次第にあの土地の光輝と雰囲気が馴染まなくなり、やむなく光輝の薄い地域へと下がって行った。そこで必死に努力してどうにか善性が邪性に勝(まさ)るまでになった。その奮闘は熾烈にしてしかも延々と続き、同時に耐え難く辛き屈辱の体験でもあった。しかし彼は勇気ある魂の持ち主で、ついに己れに克(か)った。その時点において2人の付き添いに召されて再び初めの明るい界層へと戻った。そこで私は前に迎えた時と同じ木蔭で彼に面会した。その時は遥かに思慮深さを増し、穏やかで、安易に人を軽蔑することもなくなっていた。私が静かに見つめると彼も私の方へ目をやり、すぐに最初の出会いの時のことを思い出して羞恥心と悔悟の念に思わず頭を下げた。私をあざ笑ったことをえらく後悔していたようであった。やがてゆっくりと私の方へ歩み寄り、すぐ前まで来て跪き、両手で目をおおった。鳴咽(おえつ)で肩を震わせているのが判った。私はその頭に手を置いて祝福し、慰めの言葉を述べてその場を去ったのであった。こうしたことはよくあることである。†…続きを読む→

WordPress霊関連書籍ヘッダーホワイトイーグル自己を癒す道

ホワイト・イーグルの霊示
自己を癒す道
付・静寂の心
桑原啓善訳“HEAL THYSELF”
“THE QUIET MIND”
WHITE EAGLE
“Who is White Eagle?”
Grace Cooke
“Who is White Eagle?”
Jenny Dent
The White Eagle Publishing Trust(c)
New Lands, Brewells Lane, Rake
Liss, Hampshire, England.訳者序

『自己を癒す道』は、昭和39年に私がその一部を抄訳し、当時の心霊研究者達の研究資料として配布しました。それはホワイト・イーグルという優れた霊界通信の存在を日本の識者に紹介するためでした。ところが意外や、この通信を読んで病気が治ったとか、魂が救われたという人が続出して、また医師の中には、これを患者に読ませて顕著な治療効果を上げている人もあって評判となり、初めのガリ版刷りが次々増刷されて人手に渡っていきました。そこで今回、これを全訳して翻訳し直し、広く人々に読んで貰えるようにした次第です。病気の多くが心因によるものであることは、今日医学でも認められてきました。ノイローゼやうつ病など神経性のものだけでなく、胃潰瘍や心臓病や肝臓などの内臓疾患にも心因があると指摘されています。

実はそれだけでなく、まだ医学では知られていないが、癌に至るまで精神的なものが原因となっていることが多いのです。まさに病気とは「気を病む」ことから起こっています。特に現代のストレス社会では、そのために病んで、その原因が除去されないために、不治、慢性、または死に至る人も多いわけです。

それで、その原因を霊的なものに求めて、霊術者や霊媒や、病気治しを売り物にする宗教に救いを求める人が増えています。事実、病気の大部分には霊がかかわっています。

医学では認められていないが、病気の裏を返せば、成仏していない近親者の霊や、怨念をもったいわゆる因縁霊が、感応・憑依していることが実に多いのです。ですから、これを除けば病気はたちどころによくなります。近時の医学が認める心因のもうひとつ奥に、実は霊魂の感応や憑依があるということです。

ただひとつ、読者の方々に重大な認識をもって頂きたいことがあります。心因といい霊の憑依といい、その原因は自己の魂にあるということです。心が迷っているためにストレスが起こり、良くない霊魂を招き寄せているということです。

病気の原因は心の迷いが真因です。自分の心の迷いを晴らさずに、ストレスは解消しにくいし、霊魂はかりに他力的に除霊してもまた戻ってきます。実は、病気とは自己の心の迷いから起こり、心の迷いを晴らした時に消える、そういうものです。

つまり、人間とは魂の進歩のために病気をし、魂が進歩した時に病気が消える、そういうもののようです。すなわち、病気とは魂の進歩のためのステップ、人間とは魂の進歩のために地上に生をうけているということです。この生命の真義が分かる時、病気は消えるのです。

ホワイト・イーグルは右の真実を、人間とは何かとか、生命とは何かとか、どんな気持を持ったら魂の進歩があるのかと、優しく真実の言葉で語ってくれています。これが優れた治病の書であるということは、優れた魂を癒す書であるということです。

さて、人間の病気とは、身体を病む、そのことだけではありません。事業がうまくいかない、家庭がうまくいかない、事故にあう、これらも同じく病気です。なぜかというと、心の迷いにその真因があり、それが原因となってそういう形をとりながら現れているからです。

病気と事業不振と家庭不和と事故は、いわば症状の違いだけなのです。もちろん、自分の魂の欠陥(心がけの欠点)が引き金となり、身体に影を落としたら病気、対人関係を損なえば家庭不和や事業不振、この間に心の欠陥によって招き寄せた霊魂の働きが加わって、さまざまに違ってくるのです。

事故はこの霊魂の作用が直接現れたものです。このように人生のさまざまな不幸は、自己の魂から起こった病気です。従って、ホワイト・イーグルの「自己を癒す道」とは、病気だけでなく、人生百般の病気を癒す処方箋であること、ご理解いただけましょうか。

余計なことかもしれませんが、人類の上に起こる戦争、公害、生態系破壊、経済の不振等々、これは人類が病んでいる病気です。人類の現在もつ総体的な魂の欠陥から、これらが起こっています。

本当の平和とか、搾取や差別のないみんなが繁栄する社会というのは、人類の魂の治癒がない限り決して起こらないのです。ですから、ホワイト・イーグルの「自己を癒す道」とは人類を癒す道でもあります。

ホワイト・イーグル・ロッジは来たるべきアクエリアス黄金時代への道を開く使命をもって存在しているようです。そのために、ホワイト・イーグルとその霊媒グレース・クックは、過去幾多の再生を繰り返しつつ今日に備えてきたようです。

これは「白色同胞団」すなわち、人類の魂の進化を司どっていると考えられる神庁、その計画の一環のようです。ですから、本書『自己を癒す道』に限らず、イーグルの教えは、シルバー・バーチや、S・モーゼスの『霊訓』などとひとつの、新時代の啓示運動と受け取って下さい。

なかんずく、本書に収めた『静寂の心』は、ホワイト・イーグルの言葉の中から、その珠玉を集めたものです。これも魂を癒す大きな支えとなることと信じます。

巻末の「ホワイト・イーグルとは誰か」は、読者のイーグルに対する理解を深めるために付け加えました。ジェニー・デントとは、イーグル霊の受信霊媒グレース・クック女史のお孫さんで、現在ロッジの仕事にたずさわっています。

なお同じく巻末の「霊界通信ということ」は、私が抄訳のパンフレット『自己を癒す道』を出した時、<付録>として末尾に付け加えられたものです。脇長生氏とは私の心霊研究の師であり、当時「心霊科学研究会」の主幹でした。

昨今、あやしげな霊界通信が出まわり、超能力ブームなどの波に乗って、けっこう売れています。危険です。いわゆる偽キリストの横行は、人の魂を癒すどころか、魂を狂わせ魂を奪い取ります。このとき、正しい霊界通信とそうでないものを見分ける指針として、再びこれを収録しました。

『ホワイト・イーグル』、『シルバー・バーチ』、S・モーゼスの『霊訓』、アラン・カーデックの『霊の書』、これら不滅の神庁の押印のある近代の啓示と、そうでない瓦礫とを厳に識別されるよう、老婆心から申し添えます。

ホワイト・イーグルの霊示 自己を癒す道

目次

訳者序
〔自己を癒す道〕
はじめに
第1章 生命を与えるものは霊
第2章 内在の霊を顕現せよ
第3章 創造的な念
第4章 神法と苦痛の解消
第5章 自覚と啓発
第6章 高級の自我
〔静寂の心〕
原著の序文
1、大師の魂は不動
2、大師は優しく愛に満ち親切
3、大師は寛容
4、大師は静寂、平静、そして不動心
5、大師は偉大な奉仕家
6、大師の言葉と行為には英知がある
7、大師は力と光の塔
8、大師は怒ることがない
9、大師は神の善と、狂いなき計画を信じて、忍耐している
ホワイト・イーグルとは誰か グレース・クック
ホワイト・イーグルとは誰か ジェニー・デント
霊界通信ということ 脇長生

<本書はアクエリアス黄金時代実現の使命を帯びて活動する古代霊ホワイト・イーグルの霊示を、50年にわたりグレース・クック女史が受信しつづけた中の珠玉の2冊を収録したものです。>

自己を癒す道

はじめに

本書は病気治療の根本を解き明かしてくれます。これは年月をかけて検証され、明らかとされた治癒の道です。およそ半世紀の間、ホワイト・イーグル霊はグレース・クック女史を通じて、肉体および精神の治癒を行ってきました。また、治癒法の教示を行ってきました。

私どもはその間、無数の奇跡を目にしております。それは肉体の治癒だけではありません。人間の生き方が変化するのです。ですから、私どもは、病者がその指示に従うなら、その人の人生が一変することを承知しております。

皆さんが、この教示が伝えられた場所を想像なされたら、この教示の精神の中に、とりわけ本書が目的としている教示との一体化の中に、皆さんは入りやすくなりましょう。

静かな寺院を想像なさいませ。清らかな白壁と簡素なたたずまい。青い紫の壁を背にそびえる真白な祭壇。明るく燃えるろうそくの火と花々。そうして、アイオナ島の聖ヨハネ十字架の、かしの木の複製。かの祭壇の上の白鷹(ホワイト・イーグル)の象徴をご覧下さい。その翼に光がそそぎ、祭壇に光はあふれます。

ホワイト・イーグル霊がおもむろに口を開き、教示を伝え始めますと、私どもは言うに言われぬある種の力がそこに臨在しているのを感じます。それに耳を傾けていますと、悩みも取越し苦労も、身体の病いも消えていきます。

精神が生き生きともえ立つようで、しばらくの間、至高の世界に息づきます。おそろしい愛の洪水が私どもを包みとっているのです – それが愛、癒しの力です。

第1章 生命を与えるものは霊

I

我らは愛と希望の通信を伝えるために、霊界から下って来ました。人々はさまざまの苦しみにうちひしがれています。ある者は肉体の痛みと苦しみに、ある者は心の懊悩(おうのう)に。あるいは恐怖と怒りと取越苦労のために、魂までも傷めている者もいます。

しかし、これは試練です、天界に入るための、美と喜びの国に入るまでの準備であり教訓です。我らはこのように伝え、人の心に慰めと生命を吹き込むために下って来たのです。我らは人をとりこにしている失意、恐怖、苦難を知らぬではありません。我ら霊の目からすれば、皆さんはテストを受けているのです。

いや、我らとて肉体が常に思うようにはいかぬこと、健全ではないことを存じています。物質界の生活とはままならぬものです。我らが地上の事に不感性だなどとはお考え下さるな。波長を人に合わせさえすれば、その心が読めます。

悩みも苦しみも手に取るように分かります。しかしながら、我らは皆さんにこう告げたい。皆さんの内部には肉体を支配できる生命があります。努力さえすれば、その生命が発現できるのです、その道を伝えるために我らは来ました。

II

人間の全人生は神法によって支配されています。肉体をまとっていれば、苦痛もありましょう。しかし、勇気をもってこれを耐えて下さい。決してこれに敵対する気持でなく、それから学び取る態度で処理して下さい。

苦難は試練です。それは神が与えられたのではありません。天地の間には、因果の理法というものがあります。人は毎日種霊を播きます。今日の貴方は、自分の播いた種の結果です。神を恨んでも人を恨んでも益のないことです。

しかし、神はこの思いをいやすために、人にひとつの道を与えておいでになります。主キリストはこの道を次のように申しました。「お互いに愛しなさい」と。愛することは神法を全うする道です。

愛は法です。生命です。人がこの法を働かせさえすれば、人生は一変し、すべてが良くなります。貴方が人を愛するなら、貴方はキリスト神霊と直接つながり、闇が消えます。

III

我らは、皆さんが肉体の中にあっても、そのくびきから解き放してあげたい、生命の輝きの中に出させてあげたい。

だが、誤ってはいけませんぞ。地上の生活とは価値あるものです。かけがえのない経験です。ですから、自然の法に調和して生きるようにして、肉体を健康にしておかねばならないのです。心弱くして法を破れば、人は苦しみを受けます。

肉体は神からもらったものです。敬意と配慮をもって大事に取り扱わねばなりません。何ごとも愛することは、人を完全へと進化させます。ですから、貴方の肉体を愛しなさい。過労はいけません。緊張しすぎてもいけません。食い過ぎも怠けすぎもいけません。

肉体は内在の神性の乗り物です。これあればこそ、他者への奉仕が可能なのです。人は自己の肉体を大切にする厳粛な義務を負っています。優しく賢明にいたわり、浄化させる責務を負っています。これこそ内在の神のお社ですからね。

背を向けて知らぬ顔をしていいものではありません。肉体の中には、光のエネルギーと闇のエネルギーとが作用しています。もし、人が愛によってその意志を働かせれば、人は細胞の一粒ずつにまで、神の光を顕現することが可能です。

貴方は霊です。本当の貴方である意識とは、霊なのです。この自覚を、瞑想と祈りで、しっかり植え付けていけば、貴方の霊は肉体原子を支配するようになり、肉体は生命で光り輝きましょう。肉体の微細な部分までが、本当の貴方である霊の統御に服します。

IV

物質の世界しか見えない状態で生きている間は、箱の中にいるようなものです。
暗い窓から物を見ているようなものです。このため疲れもするし、また救いや心の安らぎが欲しくなります。それで、皆さんは大地の限界を越えたくなり、霊界をのぞいてみたくなるわけです。霊界は遠くにあるわけじゃありません。そこが貴方の故郷、貴方が肉体に宿るために出て来た家です。

我らはその霊界から、許しを受けて皆さんのもとへ来ています。皆さんの気力を高め、心に安心を、肉体に活力を与えるエネルギーを皆さんにお届けするためにです。

しかし、我らが皆さんにエネルギーを持って来る、それだけでは駄目です。皆さんの方で、真実の生命を理解し実現しようと努力してくれなければ。皆さんは目に見えない生命や、見えない力を信じておいでだ。この力こそ痛みを癒し、苦痛をやわらげ、不調和も悩みも治してくれます。

しかし、これには通り道が必要なのです。皆さんの方で、この聖なる治癒力が入っていけるように、肉体も心も魂も準備して貰わねばならないのです。人によっては、自分が霊であるという根本真理も理解しないで、ただ治して貰いたいという人が沢山います。本人の魂の協同がなければ、肉体の根治はありえない、これが神法です。

病気を治したければ、まず自分の務めを果たさねばなりません。病気とは魂が教訓を学ぶためにあるのです。このことをまず知ることです。何のために病気や不幸があるのか、この目的をわきまえることが本人の務めです。ですから、よく心にとめて頂きたい。

本人のカルマ(宿業)はそれが何であろうと、本来善です。神法が仕組んだ本人の霊性進化のためのチャンスです。病気はどんな病気でも、原因はひとつです。これを癒す力は同じものです。

神はいろいろの方法で奇蹟を行い給う。いろいろの道を通って病気を癒し、生命を回復し、目を開き、人格を啓発し、ついには人の魂に神の栄光を顕し給う。

V

人間とは肉体ではない。肉体とは貴方がまとっている衣服にすぎません。時が来れば、人は着物を脱ぐように肉体を去ります。本当の自我とは内部にあります。肉体をまとっているだけではありません。もっと別の媒体もまとっています。エーテル体、情緒体、精神体などです。

人はこの外衣を次々と脱いでいきます。そうしてこれら諸媒体の最も核心に、光明であり至純にして聖なる、神の子が鎮座しています。それはまだ芽にすぎませんが、育てば、完全人・神人となるものです。

それは至純の霊です、全き愛です。人がこの内在の霊に目を向ける時、神の治癒の手2が流れ入る口が開かれます。これはいろいろな形で現れます。痛みが奇蹟的に消えてしまうことがあるかもしれません。ですが、それは肝心なことではないのです。病気とは魂の不調和が原因で起こります。

ですから、肉体を癒すには、魂に手を加えねばならないわけです。場合によっては、肉体の方にはほんの少しほころびの手当てをするとか、一時的な援助の手を加えるだけにしておきます。霊癒とは肉体に働きかけるだけではありません。魂もその人の生命をも癒すものです。

こうして、神の手が、霊癒のエネルギーが、徐々に病者の肉体と魂に滲透していきますと、病者は真善美を選び、寛容と忍耐と信をもつようになります。これは唯、神の治療力を心から信じる魂にのみ、徐々に現れてくる効果です。

VI

霊は肉体、すなわち物質の波動を変えることが出来ます。人の心は霊が流入する受容器です。霊とは言葉をかえれば愛です。人間は決してこう考えてはいけません、自分は人間だから、神の至聖の愛に感応することは出来ないと。人は人です。しかし神です。イエスは人間でした、しかし、内在の神性で光り輝くことができました。

イエスを通じて現れた神はこう言われました、「われは復活なり、生命なり」と。もし、人がこの世の生命であるキリスト(太陽神霊である神)を求めるなら、そこに病気の根治があるのです。

神はいのちです、生命力です、生命を与える霊です。神は人間の心と魂を通じて、そのエーテル体の中に流入なされます。エーテル体は光の媒体と呼ばれることがありますが、これは、生命力が肉体へ入っていく通路です。決して俗心によって、この媒体を曇らしてはなりません。エーテル体は人間の霊衣なのですから。

人が真実に人を愛することを学ぶようになれば、エーテル体は光明の媒体となり、肉の衣をえ通して光り輝き、肉体に生命と健康をもたらします。また、その肉体を通して – つまり貴方を通じて – 貴方が接するすべての人の魂に生命と力を与えます。それはまた貴方に返ってきて貴方に祝福をもたらします。

聖なる生命と絶えず接触を求めなさい。祈りと瞑想を通じて、内的世界を知ろうとしなさい、霊の美しく喜ばしい生を求めなさい。愛なる神、黄金の光に近づきなさい。つつしんでその賦与する守護を受けとりなさい。

試しに書籍冒頭部分にhtmlタグを挿入してみました。英文の修正より日本語修正の方がだいぶラクですね。ただ、翻訳能力もない僕がこういう事を言ってはいけないのですが、この訳者の方の訳文は個人的にあまりタイプではなく、せっかくのホワイトイーグル霊の言葉がやや歪められている印象があってそこが残念です。

で、絶望感が払拭できないお話ですが、復刊させてみたところで脱出が全くできない、使命遂行をやめて物的作業に集中すれば脱出できる可能性が少しありますが、それをやってしまうと霊性発現した意味、霊的知識をここまでお勉強してきた意味が完全に吹き飛んでしまいますのでさすがにそれもできない。

使命遂行を続行させつつ脱出を完了させようとして、それができなくて怒り憎しみ、絶望感に襲われている訳ですが、復刊ではなく自分で本を書く事を視野に入れているものの、使命遂行ど真ん中の内容の書籍では流通させられない(販売禁止にさせられるという事)さぁどうする、となる訳です。

設計図が既に完成していてすぐ書き始められる原稿は「自伝」なのですが、これがどうにも撃つ気になれなくて困っています。先日霊団が降らせてきたアイデアも実行するつもりでいるのですが、これはやろうと思ったら相当の時間がかかるアイデアで、要するに霊団が僕を閉じ込めるために降らせたアイデアである事は明白ですので、それを思うとシャクにさわるのですが、一応準備だけはしているといった感じ。

んー脱出困ったな、まさか本当にこのまま全く脱出できずに一生閉じ込められるなんて事になるんじゃないだろうな。それは死んでも永遠に認めないぞ。全く脱出方法が皆無の状態にさせられているけどそれでも全く脱出をあきらめないぞ。何が何でも脱出方法を構築してみせるぞ。

今のところ次回長文ブログネタとなるインスピレーションは枯渇状態です。また寸前ドッカーンインスピレーションやってくる可能性がありますが、そうでなければ先週先々週と説明できなかった内容について今度こそ撃つつもりでいます。またダメにさせられる可能性大ですが一応撃つつもりです。

たぶん明日、宇宙書籍1冊目が到着予定、訳文がコワイですが細かい事を言っていられない。お勉強をしつつあらゆる可能性を模索する材料にするのです。この絶望感はいつになったら、どうやったら僕の心から消えるのか(祈)†

「言う事を聞きなさい」んーイエス様のお言葉のようにも聞こえる、耳がイタイ(祈)†■2023年11月15日UP■
「言う事を聞きなさい」んーイエス様のお言葉のようにも聞こえる、耳がイタイ(祈)†
肉体は自動的に朽ち果てるようにできていますから、その肉体をまとっての人生で幸福を得ようと考える事がそもそも本末転倒であり近視眼の極致であり、歳をとる事もなく傷つく事もない永遠の若さを保っている霊体をまとっての霊界人生の方に真実の幸福があるのは至極当然の事であり、その霊界生活に備えて物質界で自分を鍛えなければならないのです。「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁、コイツらはその「物質界の学び」を全てキャンセルしてワガママ放題で生活し、仕事もせず奴隷の女の子を四肢切断、強姦殺人しまくって遊んでいます。つまり物質界で学ぶべき事を一切学ばずに帰幽する、霊界生活に何の備えもできていない人間という事になるのです。何の備えもできていませんからもちろん霊界生活に順応もできません、高級霊の方々から仕事を言いつけられる事もありません資格がないのですから。全く役立たずの人間、何の使い道もありませんから当然暗黒の底の底に落ちてそこで反省させられる訳です。それも物質界での苦しい期間をはるかに超える長い年月にわたって暗黒の中で悶絶する事になるので…続きを読む→
「全て自分の成長のためなんだよ」霊団が僕をある場所に閉じ込めるという意味です(祈)†■2023年9月20日UP■
「全て自分の成長のためなんだよ」霊団が僕をある場所に閉じ込めるという意味です(祈)†
友人の守護霊は今ごろほくそ笑んでいるはずです。僕の守護霊様は今ごろ僕の霊団への反逆を見て困っている事と思われますが。人間とは霊界で永遠に生き続ける存在です。人間に死はありません。物質界とは修行のためにホンの一時期だけ降下させられるトレーニングセンターです。肉体は神の摂理で自動的に朽ち果てるようになっており、僕たちの本体(霊)はそれを脱いですみやかに霊的表現媒体に着替えて(幽体、霊体)霊界生活に突入します。この事実からも物質界が僕たちの永遠の住処でない事は明白です。そのホンの一時の束の間の場所についてお勉強する事と、永遠の住処である霊界についてお勉強する事と、どちらがプライオリティが上でしょうか。どちらが賢明かつ自分の霊的進歩向上に役立つでしょうか。そういう視点で自分の人生を考えられる人間こそ賢者と言えるのではないでしょうか…続きを読む→
「急がば回れ」回り道して結果に到達するのはもちろん帰幽後、物質界生活中ではありません(祈)†■2023年8月30日UP■
「急がば回れ」回り道して結果に到達するのはもちろん帰幽後、物質界生活中ではありません(祈)†
我々(霊団)はもちろん物質界の邪悪をこのまま放置するつもりはないが、過去2000年の長きにわたり、真実を公言してきた霊覚者たちは、ことごとく殉教の死を遂げさせられてきた。(※100の光の霊団の構成メンバーは、この殉教の死を遂げた人間が多数含まれていると聞かされています)そして現代の物質界に至っては霊力に感応する人間がほぼ皆無という絶望的状態に至っている、その中にあってアキトくんという霊の道具は、我々の悲願を成就させるための貴重な霊的チャンネルという位置付けとなる。そのアキトくんという道具を我々はみすみす失う訳にはいかないのだ。キミだけの問題ではない、100の光の霊団のメンバーとして仕事をしている、過去キミと同じような仕事をして道半ばで殺された多くの同志の積年の悲願も込められているのだ。アキトくんの怒りも分からないではないが、我々はキミの肉眼では見通せない全体像を見た上で導いている。最終的には全て佳きように計らわれる事は霊的知識としてキミは理解しているはずだ…続きを読む→

1919年2月26日 水曜日

– その“尊き大事業”というのは何でしょうか。(訳者注 – 前回の通信との間に1週間の空白があるのに、いかにもすぐ続いているような言い方をしているのは多分その前に前回の通信についての簡単なやりとりがあったか、それともオーエンがそのように書き改めたかのいずれかであろう)

それについてこれから述べようと思っていたところです。貴殿も今夜は書き留める事ができます。この話題はここ何世紀かの出来事を理解して頂く上で大切な意味をもっております。

まず注目して頂きたいのは、その大事業は例の“天使の塔”で計画されたものではないという事です。これまでお話した界層よりさらに高い境涯において幾世紀も前からもくろまれていた事でした。

いつの世紀においても、その頭初に神界において審議会が催されると聞いております。まず過去が生み出す結果が計算されて披露されます。遠い過去の事は簡潔な図表の形で改めて披露され、比較的新しい世紀の事は詳しく披露されます。

前世紀までの2、3年の事は全項目が披露されます。それらがその時点で地上で進行中の出来事との関連性において検討されます。それから同族惑星の聴聞会を催し、さらに地球と同族惑星とを一緒にした聴聞会を催します。

それから審議会が開かれ、来るべき世紀に適用された場合に他の天体の経綸に当たっている天使群の行動と調和するような行動計画に関する結論が下されます。悠揚せまらぬ雰囲気の中に行われるとの事です。

– “同族惑星”という用語について説明してください。

これは発達の程度においても進化の方向においても地球によく似通った惑星の事です。つまり地球によく似た自由意志に基づく経路をたどり、知性と霊性において現段階の地球に極めて近い段階に達している天体の事です。

空間距離において地球に非常に近接していると同時に、知的ならびに霊的性向においても近いという事です。

– その天体の名前をいくつか挙げていただけますか。

挙げようと思えば挙げられますが、やめておきます。誰でも知っている事を知ったかぶりをして…などと言われるのはいやですから。貴殿の精神の中にそれにピッタリの成句(フレーズ)が見えます – to play to the gallery(大向うを喜ばせる、俗受けをねらう)。最もそれだけが理由ではありません。

同じ太陽“域”の中にありながら人間の肉眼に映じない天体もあるからです。それもその中に数えないといけません。さらには太陽域の1番端にあって事実上は他の恒星の引力作用を受けていながら、程度においては地球と同族になるものも、少ないながらあります。それから太陽“域”の中 –

– 太陽“系”の事ですか。

太陽系、そうです – その中にあってしかも成分が(肉眼に映じなくても)物質の範疇(はんちゅう)に入るものが2つあります。現在の地上の天文学ではまだ問題とされておりませんが、いずれ話題になるでしょう。しかしこんな予言はここでは関係ありません。

そうした審査結果がふるいに掛けられてから、いわば地球号の次の航海のための海図が用意され、ともづなが解かれて外洋へと船出します。

– それらの審議会においてキリストはいかなる位置を占めておられるのでしょうか。

“それら”ではなく“その”と単数形で書いて下さい。審議会はたった1つだけです。が会合は世紀ごとに催されます。出席者は絶対不同という訳ではありませんが、変わるとしても2、3エオン(※)の間にわずかな変動があるだけです。創造界の神格の高い天使ばかりです。その主催霊がキリストという訳です。(※EON 地質学的時代区分の最大の期間で、億単位で数える – 訳者)

– 王(キング)ですか。

そう書いてはなりますまい。違います。その審議会が開かれる界層より下の階層においては王ですが、その審議会においては“主宰霊”です。これは私が得た知識から述べているにすぎません。実際に見た訳ではなく、私および同じ界の仲間が上層界を通して得たものです。これでお分かりでしょうか。もっと話を進めましょうか。

– どうも有難うございました。私なりに分かったように思います。

それは結構な事です。そう聞いてうれしく思います。それというのも、私はもとより、私より幾らか上の界層の者でも、その審議会の実際の様子は象徴的にしか理解されていないのです。私も同じ手法でそれを貴殿に伝え、貴殿はそれに満足しておられる。結構に思います。

では先を続けさせて頂きます。以上でお分かりの通り、審議会の主宰霊たるキリスト自らが進んでその大事業を引き受けられたのです。それは私と共にこの仕事に携わっている者たちの目から見れば、そうあってしかるべき事でした。

すなわち、いかなる決断になるにせよ最後の責任を負うべき立場の者が自ら実践し目的を成就すべきであり、それをキリストがおやりになられたという事です。今日キリストはその任務を帯びて地上人類の真只中におられ、地球へ降下された後、既にその半ばを成就されて、方向を上へ転じて父の古里へと向かわれています。

この程度の事で驚かれてはなりません。もっと細かい事をお話する予定でおります。以上の事は雄牛に突き刺した矢印と思って下さい。抜き取らずにおきましょう。途中の多くの脇道にまぎれ込まずに無事にゴールへ導くための目印となるでしょう。

脇道にもいろいろと興味ぶかい事があり、勉強にもなり美しくもあるのですが、今の吾々にはそれは関係ありません。私がお伝えしたいのは地球に関わる大事業の事です。他の天体への影響の事は脇に置いて、地球の事に話題をしぼりましょう。少なくとも地球を主体に話を進めましょう。

ただ1つだけ例外があります。貴殿は地球以外の天体について知りたがっておられる様子なので、そのうちの火星について述べておきましょう。最近この孤独な天体に多くの関心が寄せられて、科学者よりも一般市民の間で大変な関心の的となっております。そうですね?

– そうです。ま、そう言っても構わないでしょう。

その原因は反射作用にあります。まず火星の住民の方から働きかけがあったのです。地球へ向けて厖大な思念を送り、地球人類がそれに反応を示した – という程度を超えて、もっと深い関係にあります。

そうした相互関係が生じる原因は地球人類と火星人類との近親関係にあります。天文学者の中には火星の住民の事を親しみを込めて火星人(マーシャン)と呼んでいる人がいますが、火星人がそれを聞いたら可笑(おか)しく思うかも知れません。

吾々もちょっぴり苦笑を誘われそうな愉快さを覚えます。火星人を研究している者は知性の点で地球人よりはるかに進んでいるように言います。そうでしょう?

– そうです。おっしゃる通りです。そう言ってます。

それは間違いです。火星人の方が地球人より進んでいる面もあります。しかし少なからぬ面において地球人より後れています。私も訪れてみた事があるのです。間違いありません。

いずれ地上の科学もその点について正確に捉える事になるでしょう。その時はより誇りに思って然るべきでしょう。吾々がしばしば明言を控え余計なおしゃべりを慎むのはそのためです。同じ理由でここでも控えましょう。

– 火星を訪れた事があるとおっしゃいましたが…

火星圏の者も吾々のところへ来たり地球を訪れたりしております。こうした事を吾々は効率よく行っております。私は例の塔においてキリストの霊団に志願した1人です。

他にもいくつかの霊団が編成されその後もさらに追加されました。幾百万とも知れぬ大軍の全てが各自の役目について特訓を受けた者ばかりです。その訓練に倣って今度は自ら組織した霊団を特訓します。各自に任務を与えます。私にとっては地球以外の天体上の住民について、その現状と進歩の様子を知っておく事が任務の遂行上不可欠だったのです。

大学を言うなれば“次々と転校”したのもそのためでした。とても勉強になりました。その1つが“聖なる山”の大聖堂であり、もう1つは“5つの塔の大学”であり、火星もその1つでした。

– あなたの任務は何だったのか、よろしかったら教えて下さい。

“何だったのか”と過去形をお使いになられました。私の任務は現在までつながっております。今夜、ここで、こうして貴殿と共にそれに携わっております。その進展のためのご援助に対してお礼申し上げます。

アーネル†

「他人のために」僕という霊媒から新規の霊言が降れば人々のお役にも立てると思いますが(祈)†■2024年2月14日UP■
「他人のために」僕という霊媒から新規の霊言が降れば人々のお役にも立てると思いますが(祈)†
これまで物質界で犠牲の使命遂行をおこなってきた無数の霊覚者たちも、全体から見た時に無限分の1といえる極小の活動をしていたと言えます。ひとりの人間が永遠の中の一瞬である物質界生活中にできる仕事量など、宇宙の永遠の営みの中のホンの些細な出来事でしかありませんが、それをひとりひとりがおこなって積み重ねていく以外に地球圏全体を霊的に向上させる方法はないのかも知れません。恐ろしく気の遠くなる話ですが。で、霊団が僕にやらせようとしているのが「霊媒として機能して新規の霊言を物質界にもたらす事」のようなのですが(「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を滅亡させる事、奴隷の女の子を救出する事じゃネィのかよ、だったら霊性発現以降のこの11年は一体何だったんだよ、と言いたくて仕方ありませんが)確かに霊言を降らせてそれを拡散させる事ができれば、多くの方々のお役に立つ事ができるのでしょう。僕もぜひその状況になって欲しいと思っています。拡散の準備ならすっかり整っています。書籍復刊のための作業を経てAffinityPublisherへの苦手意識もだいぶ克服されており、書籍をガンガン作るスキルがかなり身に付いてきていますので、霊言さえ降れば、それを余す事なく書籍化して皆さまにお読み頂ける状態にする事ができます…続きを読む→
「7ヶ月で死刑」これが霊団が僕を最悪の中に閉じ込め続ける最大の理由のようです(祈)†■2024年2月7日UP■
「7ヶ月で死刑」これが霊団が僕を最悪の中に閉じ込め続ける最大の理由のようです(祈)†
コイツらが僕を憎もうが憎むまいが、奴隷の女の子を信じられない人数、強姦殺人しまくって遊んできたコイツらは「神の因果律」によって自動的機械的に帰幽後、暗黒の底の底に落ちていく事になります。そこに僕の裁量などありません。自分のおこないによって自分を地獄に落としている、ただそれだけの事です。「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁、コイツらは自分たちが1番偉いと本気で信じ込んでいます、この宇宙、上には上がいる事を全く理解できません、物質界生活中、生まれてから死ぬまでワガママ放題、自分の全人生をウソで塗り固め、国民を虐げて私腹を肥やし続けてきた奴らですから人格が全く形成されていません、幼稚極まるガキという事です。そんな奴らが反省などできる訳がありませんからいつまでもどこまでも暗黒の底の底でのたうち回りながら僕に対する憎しみを燃やし続ける事になるでしょう。しかしその憎しみの念は上層界で進歩向上の生活を送る僕には全く届きません。霊界は思念フィルタリングという機能がありますので下層界の邪念は上層界に届かないのです。(※「ベールの彼方の生活2巻」7章 天界の高地 3 霊界の情報処理センター 参照)…続きを読む→
「死ぬぞ」僕が日本の中心に行くと100%殺されるそうですが、ならなぜこの仕事をやらせた(祈)†■2024年1月31日UP■
「死ぬぞ」僕が日本の中心に行くと100%殺されるそうですが、ならなぜこの仕事をやらせた(祈)†
物質界の問題を僕という道具を介して解決しようなどとはサラサラ考えていないのではないか。事実放置してますし。僕の帰幽後の状況がよくなるために苦難を与え続けている、まぁそれは了解としても、あんたたちのやっている事はどう考えてもおかしいんじゃないのか。邪悪に目をつぶりすぎている、奴隷の女の子を見殺しにしすぎている。どうやってもその部分は納得できない。で、僕にその問題を解決する能力がないというなら最初からやらせなければよかっただろ。霊界の人間は物質界の人間の心の中が丸見えだ。僕というキャラがどれだけの力量でどういう仕事はできてどういう事が不得手なのか、僕本人よりあんたたちの方が把握しているはずだ。だったら僕という道具を使用して物質界の邪悪を滅ぼせるか滅ぼせないか事前に分かってたはずだ。つまり最初から何もしないつもりだったんじゃないのか、だから今、僕を閉じ込める事にのみ全力を集中させて僕に何もできないようにしているんじゃないのか、油断していたら僕自身の努力で事態が前進してしまうかも知れないのでそうならないように全力で僕を封じ込めようとしている、そういう事なんじゃないのか。あんたたちは一体何がしたくて生きてるんだよ。霊界の仕事って一体何なんだよ…続きを読む→

普段やっているOCR変換された日本語文章の見直しも時間がかかる苦しい作業ですが、この英語テキストも時間がかかる、慣れないので精神的にキツイ。しかしOCR変換テキストのまま翻訳させるとアチコチ不具合が出てしまいますので、翻訳をより正確にするために体裁を整えるという作業を挟まないといけません。これだけやっても全く脱出できない。イヤー地獄だ。

そして僕的には正直どうなのかなぁ、あまりそっち方向に入っていかない方がイイのではないかという思いもありつつも「イヤもうお勉強するしかない、何かしらの糸口をつかまなければ」という事で、入手しないつもりだった宇宙書籍をやはり注文してしまいました。

それを受けて霊団が宜しくない事を言ってきています。そう言ってくるという事はつまりそういう事か、という感じの事で、長文ブログのタイミングでたぶん説明すると思います。僕のこの動きが気に入らないんだったら自動書記やればいいだろ、と思うのですが。なぜお勉強して文句言われなければならないのか。

復刊が事実上消滅していますので自分で本を書くつもりですが、これが言うのとやるのとでは大違い。で、以前から書いていますように僕は大問題がありまして、僕の使命遂行の内容をそのまま書籍化しても100%流通できないという事です。流通させるためには自分で出版社を立ち上げるしかないのですが、僕は法人を立ち上げるのはとてもムリという事が分かってしまいましたので、現状流通方法がありません。

しかしそれでも使命遂行ど真ん中の書籍つまり「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の邪悪の正体を公言し、奴隷の女の子の存在を紹介する書籍を書き残して、あとは僕の物質界生活中は流通できなくても後世に委ねる、僕亡き後に広まるかも知れませんので、という事も考えたりします。つまり結局脱出につながらないという事になり、それで絶望感がスゴイのです。

なぜこんな人生を送らねばならないんだ、ただ絵を描きたかっただけの男なのに。永遠に釈然としない。なぜこれほど心の底からイヤがっているところに延々閉じ込められなければならないのか。シルバーバーチ霊が「罰はない」と仰っていますが、これは罰としか思えない。何に対する罰なのかがまるで意味不明(祈)†

「いま目の前にある観念と混同してはいけません」霊的視点で物事を見ろという事です(祈)†■2024年5月1日UP■
「いま目の前にある観念と混同してはいけません」霊的視点で物事を見ろという事です(祈)†
そしてイエス様ですが、実の母を含めた家族全員からつまはじきにされ、ついにエルサレムにひとりで出稼ぎに出される寸前まで行きますが、そこでヘリが3年後にやってくるという約束を前倒しして2年でイエス様のもとにやってきて間一髪のところで助けてくれます。少年イエス様は家族から完全に離れてヘリとともに砂漠の流浪民族のもとに赴き、そこで成人します。このヘリとの生活の中で心霊治療能力等の霊能が完全の域を極めていきます。幼少期から成人するまでひたすら苦難、嫉妬、迫害の連続という事です。僕は霊能とは全く関係ない漫画家の人生を何の迷いもなく選び、そこから挫折と苦悩が始まりますが、僕が漫画界で味わった苦しみなどはイエス様が幼少期から受け続けた苦悩の1万分の1にも満たないでしょう。そして成人してからのイエス様は行く先々で病人を治しまくって「メシヤだ」と噂されて大騒ぎになりますが、慕ってくる人も多かったですが敵も多く、最後は皆さまご存じの通り嫉妬に駆られたバカども(律法学者、ローマの権力者等)によって磔刑(はりつけ)にされて殺されます…続きを読む→
「実はもうハラールの準備が」意味不明の言い訳で自身の罪を回避しようとしているのです(祈)†■2024年3月13日UP■
「実はもうハラールの準備が」意味不明の言い訳で自身の罪を回避しようとしているのです(祈)†
皆さま、真実を見つめる眼をお持ちになって下さい。それは【視点外し】と言います。ごまかしです。ペテンです。ウソです。コイツらがどのような言い訳をしてきたとしてもそれをもって大量強姦殺人の大罪が軽減されるという事は絶対にありません。コイツらの言い分に耳を傾けてはなりません。コイツらが何と言ってきてもその視点外しに踊らされる事なく「真実一点」を凝視して下さい。その真実とは「明仁、文仁、徳仁、悠仁が大量強姦殺人魔である」という真実です。その真実から眼をそらせようとするコイツらの作戦にまんまと引っかからないで下さい。そもそも根本的にお考え下さい。大量強姦殺人魔に弁明の機会を与える事自体がまずおかしいのです。発言そのものを許してはなりません、問答無用で独房に入れなければなりません。発言させるならまず逮捕して身柄をしっかり拘束した上で監視下でしゃべらせるべきであって、自由の状態でコイツらが語る内容には一切情報としての価値はないとみるべきです。自身の大罪をゴマかし通そうとしてくるに決まっているからです、それ以外の事を言う訳がないでしょう…続きを読む→
「地上にいる時間はもうそんなに長くない」だったらやるべき事をやり切れよ(祈)†■2024年2月28日UP■
「地上にいる時間はもうそんなに長くない」だったらやるべき事をやり切れよ(祈)†
例えば守護霊は自分が守護を命ぜられた人間が物質界降下の目的を達成できずに(カルマの解消、罪障消滅等)下層界に落ちる事になったら、守護霊側もその責任を負う事になるのだそうです。今回の僕という霊の道具を使用しての霊的使命遂行の霊団(100の光の霊団)も、ここまで事態を悪化させるに至った責任を霊界側で取らされる事になるのかも知れません。そしてそれはもちろん僕にも当てはまり、僕も帰幽後にキビシイ状態にさせられるのは明白です。(反逆の責任を取らされるという事)で、僕はその覚悟で反逆していますから自業自得という事でヨシとして、とにかく仕事は前進させてくれよ。全部とは言わない、何なら少しでもいいよ。とにかく肉眼に映じる結果を出してくれよ。僕は復刊というカタチで肉眼に映じるアウトプットをしようとしている。それの何が悪いって言うんだよ。僕という霊媒が機能しないんだからこうするより他にどうしようもないだろ。僕が単純に思う事は「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁をもっと霊的に攻撃しろよ、という事です。霊障の嵐をコイツらに降らせて震え上がらせるなど理想的だと思うのですが、そういう事も一切やろうとしない。僕の事は「愛の試練、霊障イペルマルシェ」でチクチクいじりまわしてきやがるくせに…続きを読む→

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I APPEAL UNTO CAESAR

Works of Geraldine Cummins

The Cleophas Series

THE SCRIPTS OF CLEOPHAS
PAUL IN ATHENS
THE GREAT DAYS OF EPHESUS
WHEN NERO WAS DICTATOR
AFTER PENTECOST
—–
THE CHILDHOOD OF JESUS
THE MANHOOD OF JESUS
THE RESURRECTION OF CHRIST
THE ROAD TO IMMORTALITY
BEYOND HUMAN PERSONALITY
THEY SURVIVE
TRAVELLERS IN ETERNITY
PERCEPTIVE HEALING

Irish Novels

THE LAND THEY LOVED
FIRES OF BELTANE

I Appeal Unto Caesar
(THE SCRIPTS OF CLEOPHAS)
BY
GERALDINE CUMMINS

FOREWORD BY
THE REV. B. A. LESTER, B.A. (OXON)

Special Edition for
PSYCHIC BOOK CLUB
48-49 OLD BAILEY, LONDON, E.C.4

First Published 1950

PRINTED IN GREAT BRITAIN
BY CHARLES CLARKE (HAYWARDS HEATH) LIMITED

CONTENTS

CHAPTER

  • FOREWORD BY THE REV. B. A. LESTER, B.A. (OXON).
  1. (ACTS XXI). ST. PAUL SAILS FROM PAMPHYLIA, DISEMBARKS AT TYRE, WHERE HE MEETS. MARK. MARK BRINGS HIM A MESSAGE FROM PETER URGING HIM NOT TO GO UP TO JERUSALEM BECAUSE OF THE ANTAGONISM OF THE HIGH PRIEST.
  2. AGABUS PROPHESIES. UNDETERRED BY HIS WARNING PAUL DECLARES HE WILL GO UP TO JERUSALEM WITH THE GIFTS FROM THE GENTILE CHURCHES FOR THE BRETHREN.
  3. THE TALE OF “THE BRAWLING VIRGIN.”
  4. PAUL’S JOURNEY TO JERUSALEM. HIS MEETING WITH JAMES, THE HEAD OF THE CHURCH.
  5. PAUL COMMENDS THE PROJECT OF MARK TO WRITE THE LIFE OF JESUS.
  6. PAUL IN THE GARDEN OF GETHSEMANE.
  7. THE PURIFICATION OF THE SAINT OF TARSUS IN THE TEMPLE.
  8. PAUL IS ATTACKED BY HIS ENEMIES. ROMAN SOLDIERS RESCUE HIM FROM THE MOB.
  9. PAUL IS BROUGHT BEFORE THE CHIEF CAPTAIN LYSIAS IN THE CASTLE.
  10. PAUL APPEARS BEFORE THE HIGH PRIEST AND THE COUNCIL OF THE ELDERS.
  11. PAUL’S SISTER’S SON ADAIAM WARNS HIM OF THE YOUNG MEN’S PLOT TO ASSASSINATE HIM.
  12. ANANIAS, THE HIGH PRIEST, THREATENS JAMES. JAMES REFUSES TO EXPEL PAUL FROM “THE SECT OF THE NAZARENES.”
  13. HOW ADAIAM GAVE HIS LIFE FOR PAUL.
  14. PAUL IS BROUGHT FROM JERUSALEM TO CAESAREA. HE ENTERS THE TOWN RIDING BETWEEN TWO SOLDIERS, HIS HANDS BOUND BY A CHAIN TO THEM.
  15. THE ROMAN GOVERNOR FELIX DEMANDS THAT THE HIGH PRIEST SHOULD COME TO CAESAREA TO MAKE HIS ACCUSATIONS AGAINST THE PRISONER PAUL.
  16. PAUL’S TRIAL. FELIX SILENCES ANANIAS AND ORDERS THAT THE PRISONER SHALL BE KEPT IN PRISON WHILE THE MATTER IS FURTHER INVESTIGATED.
  17. THE RISE FROM SLAVERY TO POWER OF FELIX AND HIS BROTHER PALLAS.
  18. SIMON MAGNUS DEMONSTRATES HIS MAGICAL POWERS TO FELIX AND QUEEN DRUSILLA. FELIX PERSUADES HER TO REFUSE TO RETURN TO HER HUSBAND, KING AZIZUS.
  19. FELIX IS HAUNTED BY VISIONS OF THE VICTIMS HE HAS CAUSED TO BE MURDERED IN HIS RISE TO POWER.
  20. THE CHRONICLE OF MARY, THE MOTHER OF JESUS.
  21. MARY VISITS PAUL IN THE PALACE AND CURES HIM OF HIS FEVER.
  22. PAUL IS CONSULTED BY FELIX AND DRUSILLA. PAUL CURES THE GOVERNOR’S “DISTEMPER OF SOUL.”
  23. THE YOUTHS, WHO HAD TAKEN AN OATH TO SLAY PAUL, SEEK TO ASSASSINATE HIS GENTILE DISCIPLES, SOPATER AND PHILOMENUS.
  24. THE FEUD BETWEEN GREEKS AND JEWS IN CESAREA. THE GREEKS PLUNDER THE HOUSES OF INNOCENT JEWS AND SLAY THEM IN REVENGE FOR THE MURDER OF PHILOMENUS.
  25. SIMON THE MAGE HAS URGED FELIX TO GIVE PAUL UP TO HIS ENEMIES IN JERUSALEM, FOR THEY HAVE THE EAR OF CESAR AND WILL CAUSE THE GOVERNOR’S DOWNFALL. FELIX COMPROMISES, DOES NOT SET PAUL FREE, NOR DOES HE SURRENDER HIM TO THE HIGH PRIEST AT JERUSALEM.
  26. FELIX IS RECALLED TO ROME. THE END OF FELIX AND DRUSILLA.
  27. PAUL’S TRIAL IN CAESAREA BEFORF FESTUS, THE NEW GOVERNOR. HE CLAIMS HIS RIGHT AS A ROMAN CITIZEN TO BE JUDGED BY CAESAR.
  28. FOR EIGHT SEASONS PAUL HAS BEEN IN CHAINS IN HEROD’S PALACE. HIS VISION OF AN ANGEL.
  29. HEROD AND BERENICE HIS SISTER COME TO CESAREA. PAUL TESTIFIES BEFORE THEM AND FESTUS.
  30. HEROD SEES PAUL PRIVATELY. THE KING IS AMAZED AT THE SAINT’S UNWORLDLY REJECTION OF THE HANDSOME OFFER MADE TO HIM.
  31. IN THE COMPANY OF LUKE AND IN THE CHARGE OF JULIUS, THE CENTURION, PAUL TRAVELS IN A SHIP TO SIDON.
  32. ADVENTURES ON THE VOYAGE AFTER DEPARTURE FROM SIDON. THE CAPTAIN REJECTS PAUL’S ADVICE TO SEEK THE SHELTER OF FAIR HAVENS.
  33. “THE DRAGON OF NIGHT THAT BESTRODE MOUNT IDA.” THE STORM.
  34. THE CREW PLAN A REVOLT. PAUL’S ELOQUENCE SUBDUES THEM AND PREVENTS THE MURDER OF CENTURION AND SHIPMASTER.
  35. THE MADNESS OF DESPAIRING MEN. PAUL BECOMES LEADER AND CAPTAIN, AND THEY OBEY HIM. THE SHIPWRECK.
  36. MELITA. THE ISLANDERS HAIL PAUL AS THE SEA GOD. HE CONVINCES THEM HE IS THE MESSENGER OF A MIGHTY GOD. CHAINED TO A SOLDIER HE TRAVELS IN A VESSEL TO ITALY. HE APPROACHES ROME AND BELIEVES THAT NOW WILL COME THE FULFILMENT OR DESTRUCTION OF ALL HIS DREAMS.
  • APPENDIX 1.THE WORK AND JOURNEYINGS OF JOHN, THOMAS, ANDREW, SIMON MATTHIAS, THADDEUS AND OTHER DISCIPLES.
  • APPENDIX 2.SON OF MAN AND SON OF GOD.
  • APPENDIX 3.THE CHRONICLE OF MARY. NOTES BY THE REV. B. A. LESTER, B.A.

FOREWORD

BY THE REV. B. A. LESTER, B.A. (OXON)

THE story that is told in these pages is a remarkable one and lets us into the heart of one of the most critical and dramatic moments in the growth of the early Christian Church.

We are given a view as it were from a near angle into that drama of Christian development with which the record of St. Luke is concerned in the Acts of the Apostles, and the intensity of which so frequently and poignantly reveals itself in the letters of the Apostolic Champion and hero, St. Paul.

For Christians of today, Christianity is a World Religion- The Gospel of the Redemption, not of a race or a nation, but of Mankind. This is taken as a fundamental assumption. Rightly so, for it is implicit in the teaching of Christ. But our thankful appreciation of this universality is all the greater as we come to realise the length and painfulness of the struggle through which the fiercely nationalist zeal of disciples whose early hopes were expressed in the words “Lord, wilt Thou at this time restore the Kingdom to Israel,“ was at last translated and spiritualised into a great and catholic hope for Man and the sense of a citizenship through Christ in whom there is neither Jew nor Gentile, Greek nor Barbarian, Bond nor Free-the

“Urbs Sion unica, mansio mystica, condita coelo” of the rhythm of Bernard of Cluny.

In this drama there is perhaps no more cardinal moment than that in which the Apostle of the Gentiles, by appealing to Caesar, transfers the centre of interest-and of controversy- from the fanatically nationalist courts of Jerusalem to the very heart of the civilised world.

Let me say here that this book, “I Appeal Unto Caesar,” contains a story within a story, and readers will, I hope, be led to read also “The Scripts of Cleophas,” “Paul in Athens,” “The Great Days of Ephesus” and “When Nero was Dictator.” For those that do so the Acts of the Apostles and St. Paul’s Epistles will open themselves as never before and they will turn to them with a new interest and a more vivid sense of real and human drama.

The language in which the story is told is simple and clear. At times it rises to the heights of poetry and the imagery strikes the mind like a flash of lightning, as when the tossing ship in the storm-stricken Mediterranean, is seen as a “Stag of the Sea”- nor is a touch of humour absent as when the High Priest is portrayed as of monstrous girth “As the Girth of Jonah’s Whale !” And throughout there is a sense of drama-a drama of poignant human life with something felt to be working behind it and through it that is more than human.

It has been given to Miss Cummins-for whose long, faithful and exacting work readers will feel more and more grateful the more carefully they study it-to pen for us this story. But its ultimate origin and composition are not hers. There are spheres of technical and historical research involved, wherein the story moves at ease, which-gifted as she is-she has not chosen herself to explore. She has penned the work but not composed it, nor yet has it been dictated to her by earthly voice. That which has guided her hand makes no claim to be infallible or divine but does claim to have drawn upon a certain “Tree of Memory” wherein the sayings and doings of the past have left their trace.

We are perfectly free to criticise and check up with the aid of all historical and scientific research available, all that is here told us-and any student of the Acts who reads such a fascinating work of historical and topographical research as Professor W. M. Ramsey’s “St. Paul the Traveller and the Roman Citizen” will be amazed at the way in which the story in Miss Cummins’s scripts. “rings true,” expands and explains. “How these things can be” scientific psychology is not at present in a position to say, nor is there any guarantee that science alone, without the help of some further mode of understanding, will ever be.

“There are more things in Heaven and Earth” than are dreamt of in contemporary philosophy. And, if it can be argued that, while that may well be so as regards the “Things in Heaven,” it is to be desired that, at least, the “Things on Earth” should confine themselves to the strict paths of decent normality, and that where the veil parts evil may come in, I would confidently reply that, as regards this book, there is no evil here. We are bidden in the Scriptures to “try the Spirits” and we are given excellent criteria by which to try them.

In this story we are helped by a vivid sketch of a dramatic moment in the life and work of the Great Apostle of the Gentiles to a deeper realization of his difficulties and to a deeper sharing of his faith. We turn back to the scriptures with a renewed interest in that vivid drama through which the Spirit of God was cleaving the way for the message of Christ to the uttermost parts of the Earth. Such is not the guidance of “Carrion Spirits of the Abyss.”

In the stormy world of today where philosophies of a dialectic materialism that admits no God, and passionate nationalisms that have no spiritual vision beyond their own borders would seem to be the sole contending forces, the story in these pages may help to re-awaken in the minds of some the eternal message of The City of God.

I would commend the book with the words of the old Welsh writer, Ellis Wynn, who thus prefaced his strange story of the “Visions of the Sleeping Bard”-“A ddarlleno ystyried”. “Whoso readeth, let him consider.”

NOTE

As in the case of the other volumes of The Cleophas Scripts, this present book is claimed to have been dictated to Geraldine Cummins by “The Messenger of Cleophas.” It was written in my presence and the manner of writing was precisely the same as that which has been previously described.

Chronologically, this book follows The Great Days of Ephesus and precedes When Nero was Dictator. For various reasons it has hitherto been withheld from the public. But since the publication of The Childhood of Jesus and The Manhood of Jesus, it seems now to fall into place seeing that an account is given herein of the wanderings of the Mother of Jesus after the death of her Son on the Cross.

In his Foreword Mr. Lester refers to Professor W. M. Ramsey’s “fascinating work, St. Paul the Traveller and the Roman Citizen.”I can assure readers that Miss Cummins has not read this book, nor has she ever visited south-eastern Europe.

E. B. GIBBES.

ハァ、ハァ、ハァ、山に行き続けるために鍛えないといけない、という事でロードランを先週から復活させましたが今週もやりました。スゴイキツイ、しかしだからこそやらないと。明日がコワイ。

さぁどうしたもんでしょうか、こういう作業はやった事がありませんのでまずはテストで書籍冒頭部分を抜粋してみましたが、イヤーこれはくじけるかも知れない。ちなみにこの書籍はパウロの伝道記ですよ。山本貞彰氏が翻訳しなかった書籍となり、この書籍の日本語版は存在しません。

もう復刊の作業自体が完全にボツの状態になってしまっていますので(ボツの真相について長文ブログ内で書き残すつもりですが)書籍テキスト化の作業自体が無意味に思える事もありますが、イヤそれを言っちゃいけない、霊的知識普及および自分自身のお勉強という事で十分意味があります。

「I Appeal Unto Caesar」OCR変換まで完了中、これからGoogle翻訳に入るという段階、「シルバーバーチの霊訓 4巻」テキスト見直し30%完成中。宇宙書籍1冊注文中ですが、復刊がなくなった僕はもう自分で本を書くしかない状況ですので、書籍執筆お勉強用として宇宙書籍をもう少し入手した方がイイと思い始めています。

キャラデザほぼ終了中、ネームを描き上げて原稿用紙に線画を描き始めますが、とにかくあの作業もこの作業も全く脱出につながらないこの恐るべき絶望感。しかし帰幽1秒前まで僕は脱出をあきらめない、それくらいイヤがっている、絶対に閉じ込められ続けるのは拒否するという事です。何としても脱出の糸口をつかんでみせる、死んでもあきらめない(祈)†

「既に授かりたるも同然と信じよ」新規の霊言が降ってくるという事だとイイのですが(祈)†■2024年5月29日UP■
「既に授かりたるも同然と信じよ」新規の霊言が降ってくるという事だとイイのですが(祈)†
僕の活動内容は徹頭徹尾霊的内容であり、インスピレーションに基いて怒涛の勢いでブログを更新し続けています、その教会とは情報量が圧倒的絶対的に違いますので、霊的能力のない牧師が僕のWordPressを見たら少なからず恐怖を感じるかも知れませんね。そういう意味で「奪われてしまう」と霊団が降らせてきたのかも知れません。「岩におじさんの顔が」コレなんですが昨日のスーパーレインアタック(山行)の時に、ふと道の岩に目をやった時に、その岩に知らないおじさんの顔が見えたのです。しかもかなりハッキリ見る事ができました。僕はサイキックではありませんので自分の意思で見たいモノを霊視したりする事はできません。今回の映像ももちろん霊団が見せてきたものとなります。で、今週の動きから推察するに、このおじさんもたぶんキリスト教関係者ではないかと予測します。もう帰幽している元牧師とか、そういう感じかも知れません、もしかしたら訳者、山本貞彰氏だったりなんかして。山本氏の画像がありませんので容姿を知りませんが、そういう可能性もなくもないです。山本氏が僕の復刊に向けた作業に対して感謝の念を抱いて下さっているという意味かも知れません…続きを読む→
「目指す事は安全」僕がこれほどムカつかされるのは身の安全のためという事のようですが(祈)†■2024年5月22日UP■
「目指す事は安全」僕がこれほどムカつかされるのは身の安全のためという事のようですが(祈)†
実は何もやる気がないのではないか。この12年の霊団の動きを見ればおのずとそういう回答が導き出されるのではないか。僕は霊団の事を「口だけ霊団」と公言していますが、この言葉は実は大正解なのではないか。本当にこの霊団とか名乗っている奴らは最後まで口だけピーチクパーチク動かして何もやらずにボケっと見てるだけで終わらせるつもりなんじゃないのか。要するに「アキトくんの場合はインスピレーションで事足りているのでわざわざ低次元の霊媒現象をやらなくても我々の目的をだいたいにおいて達成している」という事なのかも知れません。インスピレーションが霊界側にとってもっとも自然な交信方法という事は霊的知識をお勉強して頂ければ分かります。霊媒現象というのは霊力に感応しない物質界の人間に霊的な事を理解させるために霊界側が物的次元まで波長を下げる犠牲的仕事ですが、物質界の人間がインスピレーションを受け取れるようになってくれれば、そしてさらにそのインスピレーションによる導きに従ってくれれば、霊界側はその犠牲的仕事をせずに済み、思念の送信だけで目的達成できますからこんな簡単な事はない、という事になります…続きを読む→

1919年2月20日 木曜日

やがて青色のマントが気化するごとくに大気の中へ融け入ってしまいました。見ると主は相変わらず玉座の中に座しておられましたが、装束が変わっていました。両肩には同じ青色をしたケープ(外衣)を掛けておられ、それが両脇まで下り、その内側には黄金の長下着を付けておられるのが見えました。

座しておられるためにそれが膝の下まで垂れていました。それが黄金色の混った緑色の幅の広いベルトで締められており、縁取りはルビー色でした。冠帯は相変わらず頭部に付いていましたが、その内側には一群の星がきらめいてそれが主の周りに様々な色彩を漂わせておりました。

主は右手に“光沢のない”白の王冠を持っておられます。主の周りにあるもので光沢のないものとしては、それが唯一のものでした。それだけに一層吾々の目につくのでした。やがて主が腰をお上げになり、その王冠をすぐ前のあがり段に置かれ、吾々の方へ向いてお立ちになりました。それから次のようなお言葉を述べられました。

「そなたたちはたった今、私の王国の中をのぞかれ、これより先の事をご覧になられた。が、そなたたちのごとくその内部の美しさを見る事を得ぬ者もいる事を忘れてはならぬ。かの飛地にいる者たちは私の事を朧(おぼ)ろげにしか思う事ができぬ。まだ十分に意識が目覚めていないからである。ラメルよ、この者たちにこの遠く離れた者たちの現在の身の上と来るべき宿命について聞かせてあげよ」

すると、あがり段の両脇で静かに待機していた天使群の中のお1人が玉座のあがり段の1番下に立たれた。白装束をまとい、左肩から腰部へかけて銀のたすきを掛けておられました。

その方が主にうながされて語られたのですが、そのお声は1つの音声ではなく無数の和音(コード)でできているような響きがありました。共鳴度が高く、周りの空中に鳴り響き、上空高くあがって1つひとつの音がゴースの弦に触れて反響しているみたいでした。

1つ又1つと空中の弦が音を響かせていき、やがて、あたかも無数のハープがハーモニーを奏でるかの如くに、虚空全体が妙(たえ)なる震動に満ちるのでした。

その震動の中にあって、この方のお言葉は少しも鮮明度が失われず、ますます調子を上げ、描写性が増し、その意味する事柄の本性との一体性を増し、ますます具体性と実質性に富み、あたかも無地のキャンバスに黒の絵の具で描きそれに色彩を加えるような感じでした。従ってその言葉に生命がこもっており、ただの音声だけではありませんでした。こう語られたのです。 –

「主の顕現がはるか彼方の栄光の境涯にのみ行われているかに思えたとて、それは一向にかまわぬ事。主は同時にここにも坐(ま)します。われらは主の子孫。主の生命の中に生きるものなればなり。

われらがその光乏しき土地の者にとりて主がわれらに対するが如く懸け離れて見えたとて、それもかまわぬ事。彼らはわれらの同胞であり、われらも彼らの同胞なればなり。

彼らが生命の在り処(ありか)を知らぬとて – それにより生きて、しかも道を見失ったとて、いささかもかまわぬ事。手探りでそれを求め、やっとそのひとかけらを手にする。しかし少なくともその事において彼らの努力は正しく、分からぬながらもわれらの方へ向けて両手を差しのべる。

それでも暗闇の中で彼らは転びあるいは脇道へと迷い込む。向上の道が妨げられる。その中にあって少しでも先の見える者は何も見えずに迷える者が再び戻ってくるのを待ち、ゆっくりとした足取りで、しかし一団となりて、共に進む。

その道程がいかに長かろうと、それは一向にかまわぬ事。われらも彼らの到着を待ち、相互愛の中に大いなる祝福を得、互いに与え与えられつつ、手を取り合って向上しようぞ。途中にて躓(つまず)こうと、われらへ向けて歩を進める彼らを待たん。あくまでも待ち続けん。

あるいはわれらがキリストがかの昔、栄光の装束を脱ぎ棄てられ、みすぼらしく粗末な衣服をまとわれて、迷える子羊を求めて降りられ、地上に慰めの真理をもたらされた如くに、われらも下界へ赴きて彼らを手引きしようぞ。

主をしてそうなさしめた力が最高界の力であった事は驚異なり。われらのこの宇宙よりさらに大なる規模の宇宙に舞う存在とて、謙虚なるその神の子に敬意を表し深く頭を垂れ給うた。

なんとなれば、すでに叡智に富める彼らですら、宇宙を創造させる力が愛に他ならぬ事 – 全宇宙が愛に満ち愛によりて構成されている事を改めて、またいちだんと深く、思い知らされる事になったゆえである。

ゆえに、神が全てを超越した存在であっても一向にかまわぬ事。われらにはその子キリストが在(ま)しませばなり。

われらよりはるかに下界に神の子羊がいても一向にかまわぬ事。キリストはその子羊のもとにも赴かれたるなり。

彼らがたとえ手足は弱く視力はおぼろげであろうと一向にかまわぬ。キリストが彼らの力であり、道を大きく誤る事なく、あるいはまた完全に道を見失う事のなきよう、キリストが彼らへの灯火(ランプ)となる事であろう。

また、たとえ今はわれらが有難くも知る事を得たより高き光明界の存在を彼らが知らずとも、いつの日かわれらと共に喜びを分かち、われらも彼らと喜びを分かつ日が到来しよう – いつの日かきっと。

が、果たしてわれらのうちの誰が、このたびの戦いのために差し向けられる力を背に、かの冠を引き受けるのであろう。自らの頭に置く事を申し出る者はどなたであろうか。それは光沢を欠き肩に重くのしかかる事を覚悟せねばならぬが。信念強固にして一途なる者はここに立ち、その冠を受け取るがよい。

今こそ光沢を欠くが、それは一向にかまわぬ事。いずれ大事業の完遂の暁には、内に秘められた光により燦然と輝く事であろう」

語り終わると一場を沈黙が支配しました。ただ音楽のみが、いかにも自ら志願する者が出るまで終わるのを渋るが如くに、物欲しげに優しく吾々の周りに漂い続けるのでした。

その時です。誰1人として進み出てその大事業を買って出る者がいないと見て、キリスト自らが階段を下りてその冠を取り上げ、自らの頭(こうべ)に置かれたのです。それは深く眉のすぐ上まで被さりました。それほど重いという事を示しておりました。

そうです、今もその冠はキリストの頭上にあります。しかし、かつて見られなかった光沢が少し見え始めております。そこで主が吾々にこう述べられました –

「さて友よ、そなたたちの中で私について来てくれる者はいるであろうか」その御声に吾々全員がひざまずき、主の祝福を受けたのでした。

アーネル†

「物質界での評価を見て我慢がなりません」強姦殺人魔の洗脳を撃ち破らねばなりません(祈)†■2023年9月6日UP■
「物質界での評価を見て我慢がなりません」強姦殺人魔の洗脳を撃ち破らねばなりません(祈)†
イヤ、コイツらは暗黒の底どころかインペレーター霊の仰る「個的存在消滅」も十分あり得ると思います。その、暗黒決定の人間が、物質界という閉じた世界の中で威厳がどうとか、自分が偉いとか言っている事がどれほど愚かな事か。宇宙全体から見た時に自分という存在がいかに陳腐で取るに足らない存在であるかという事を何も分かっていない。まさに「無知ほどこわいものはない」なのです。こんなたとえをしたらミミズちゃんに申し訳ないですが、泥の中でうごめいているミミズちゃんの中の1匹が、他のミミズちゃんに向かって「俺はお前たちより偉いんだ」と言って自慢しています。その泥の中で起こっている出来事を人間は何も知らずその泥土をまたいで歩き去っていきます。「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の言っている事はまさにこのミミズ1匹の言葉と同じなのです。上(霊界上層界)が何も見えていない愚か者という事です…続きを読む→
「誰のせいでもない」そいつぁーおかしいだろう、あんたたち(霊団)が主原因だろう(祈)†■2023年6月14日UP■
「誰のせいでもない」そいつぁーおかしいだろう、あんたたち(霊団)が主原因だろう(祈)†
現在の苦難を耐え抜かなければその罪障消滅が達成されず、キミはまた物質界に再降下しなければならなくなるんだよ。我々はキミのためを思ってキミをその苦しみの中に閉じ込めているんだよ。罪障消滅が達成されなかったらキミがまた苦しい思いをする事になるんだよ。これで終わりにするためにその苦しみに耐えるんだ。という意味で霊団が僕を脅し続けているのかも知れません。イヤ、僕のこれまでの人生をよくよく振り返ってみた時に、僕はそういう理由で物質界に降下した人間じゃないと思う。幼少の頃から絵を描き続け、マンガ家も経験し、Dreamworkに突入して死ぬまで絵を描き続ける事を固く固く決断していた。僕はそういう罪障消滅目的の人間ではないと思う、そうだったら絵の才能を賦与されていないと思う。僕に関してはそれはちょっと違うと思う。現在の僕の状況は霊性発現によって「後説」で賜ってしまった追加試練だと思う。守護霊様の管轄内で生活していた時はこんな状況には全くならなかった。「100の光の霊団」の管轄に切り替わってから僕の人生が一気におかしくなった…続きを読む→
「2度も神に仕えて働いた」これが強姦殺人魔を滅ぼすつもりがないという意味なのです(祈)†■2023年4月12日UP■
「2度も神に仕えて働いた」これが強姦殺人魔を滅ぼすつもりがないという意味なのです(祈)†
そうそう、シルバーバーチ霊は「苦を苦と思わない段階まで霊格が向上すれば、苦難を味わわされても喜びしか湧き上がってこない」みたいな事を仰っています。さらに「ベールの彼方の生活」にも、上層界の天使たちが下層界の仕事に携わって大いに苦しい状態にさせられているのに笑顔になっているという記述があります。これは帰幽して十分に向上を果たし、俯瞰の視点で全体を眺められるポジションに立つ事ができて初めて到達できる精神状態だと思います。物質界生活中にこの精神状態に到達するのは、頭で知識としては理解する事ができても心の底から納得してそういう心境に到達するのはまず不可能と思われます。中にはそういう聖者のような方もいらっしゃるのかも知れませんが僕はデザインの人間ですのでそれはないです…続きを読む→

書籍全ページスキャン完了中、OCR変換も90%完了中、Google翻訳に入りますが、これは未知の作業、この2年間猛烈に書籍のテキスト化をやってきましたが翻訳はやった事がありません。そして僕は英語の能力が全くありませんので、機械翻訳の文章が正しいのか間違っているのかを判断できません。

しかししょうがない、僕は僕にできる作業をやるしかありません、もしかしたら英語のエキスパートの方に見直しをして頂く機会も発生するかも知れませんしその日は永遠に来ないのかも知れません。止まらず「ホワイトイーグル自己を癒す道」のスキャンにも入ります。

で「I Appeal Unto Caesar」最後のページに小さな丸い平たいゴミがはさまっていてスキャンのジャマなので捨てたのですが「アリ?チョトマテヨ…」と思ってゴミ箱から拾い直し「コレってもしかして何かのタネなんじゃないのか?」と思い、思わず土に埋めてみました。見知らぬ海外の植物がニョキニョキ生えてきたらミラクルですが。

で、帰幽後に地球圏霊界を離れる方法が知りたくて宇宙方向の書籍に手を出していますがエレナさんの2冊目にどうにも手を出す気になれず、それとは別の書籍を(安かったので)注文しました。これは近藤先生が忌避しておられた作家で、僕も先生にならってその作者の書籍は1冊も持っていなかったのですが、もうしょうがない、反逆のためだ、読むしかない、という事で思い切ってみました。到着したらご報告させて頂きます。

さぁ翻訳で挫ける可能性が大。ムリかも知れません。キャラデザ85%完成中、ネームを書いてアナログ絵377の線画も描き始めるつもりです。全ての作業が脱出につながらないという絶望の極致の状態。どうやったらこの最悪の状況を脱する事ができるんだ(祈)†

「小さな思い出」この苦しみも帰幽後に笑って懐かしむようになるという意味です(祈)†■2024年1月10日UP■
「小さな思い出」この苦しみも帰幽後に笑って懐かしむようになるという意味です(祈)†
僕は物的情報は専門外ですので詳細説明は控えますが、あの大震災もこの大震災もコイツらがやった事であり、罪もない大勢の国民を無差別殺害しているのです。(地球深部探査船ちきゅう号という船を使って人工地震を引き起こしているのです、詳細はぜひググって頂きたいです。第2次世界大戦時の関東大震災も、アメリカの手による人工地震です)「行動には動機がある」明仁、文仁、徳仁、悠仁が人工地震を引き起こして無関係の国民を大量殺害している理由は、使命遂行開始ごく初期の頃に霊団が降らせてきたインスピレーション「人生イコールS〇X」これに帰着します。全ては「処刑遊び」と称して奴隷の女の子を強姦殺人する遊びを続けるためにおこなっている事なのです。イヤ他にもっと理由がある事と思いますが、物事というのは突き詰めていくとシンプルに行き着くというのが僕の持論です。コイツらの行動の動機の根源を辿るとS〇Xに行き着く、自分の日々のS〇Xを守るために国民を殺しまくっているという事になるのです。…続きを読む→
■2024年1月17日UP■
「出して頂いて」書籍復刊が実現するかのような事を言ってきてます。腕が痛い(祈)†
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「最後まで完成してる」僕から降らせる霊言の原稿が霊界側で既に完成しているそうです(祈)†■2024年1月3日UP■
「最後まで完成してる」僕から降らせる霊言の原稿が霊界側で既に完成しているそうです(祈)†
「霊的知識普及のための客寄せパンダ」というもので、霊団は試練の境涯である物質界から苦難の元凶(「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁)を取り除く事はしない。取り除いてしまったら物質界の存在意義(刑務所としての機能)が果たせなくなってしまうので邪悪は残し続けるが、霊的知識拡散のための「客寄せパンダ」としてこの強姦殺人魔どもを最大活用した、という事なのではないか。さらに言うと「神の因果律」の一環として、明仁、文仁、徳仁、悠仁、コイツらに徹底的に恥をかかせるという目的も含まれていたのではないかと僕は思っているのです。僕はこのバカヤロウどもはインペレーター霊の仰る「個的存在消滅」でイイと思っていますが霊界上層界の方々はそうは思っていなくて、何とかコイツらに反省させて進歩向上の糸口をつかませようとしているのかも知れない、それで大恥をかかせて心変わりをさせようとしているのかも知れない、なんて思ってみたりもするのです。そんなムダな努力する必要ネィだろ、コイツら(明仁、文仁、徳仁、悠仁)は絶対反省なんかできネィよ、人間失格なんだよ、霊の海に埋没して存在消滅すればイイんだよ(地獄より下という事)と僕は思うのですが上層界の方々は憐れみをもって眺めますのでそういう視点なのかも知れない…続きを読む→

この書籍を翻訳しても全く脱出につながらない、この絶望感と闘いながらスキャンとOCR変換をおこなっています。そしてGoogle翻訳が相当の地獄になりそうです。しっかり翻訳するには結局英文を全部見て修正しないと翻訳文がおかしな事になりますから、見慣れない英文と格闘するハメになり、チョト途中で挫ける可能性もあります。

で、このように英語書籍を入手出来たら「あるところにメールしよう」と2年も前から考えていた事がありました。この書籍の機械翻訳をもし無事に終えられるようであれば、あるメールを出してそこから新たな展開…になりやしないでしょうが僕は0.0001%の可能性にも賭けないといけない状態なので、なんとかメールを出すところまでこぎつけたいですが。

そうそう、Amazonの校正刷り書籍を2冊同梱してあるところに手紙を出して1ヶ月近く経過したでしょうか、全く何の返信もありません、間違いなく無視されるでしょう。これも絶望感増幅装置。いい加減にして欲しいですよホント。

クロッキーに向かってキャラデザをおこなっています、このキャラデザも全く脱出につながらない、恐るべき絶望感で心が満たされています。こんな状態でモチベーションが続かネィよ、と思いながらも僕がいつも公言している言葉に「感情と手は別レイヤー」というモノがありますから、とにかく描くだけは描いています。

本当にどうすればこの絶望感を心から取り去る事ができるんだ。これ以上何をどう努力したら脱出できるんだ。これほど心の底からイヤがっているのに完全に閉じ込められる、こんな人生は有り得ない、絶対に認めない。しかし脱出方法が皆無の状態。どうしようもない、完全に霊団の手のひらの上で踊らされている状態です。

まさか本当にこのまま一生閉じ込められて物質界人生を終えるんじゃネィだろうな。そんな事になってみろ、永遠に憎み続けるぞ。地球圏霊界を離れる方法などまるで書いてないけど万にひとつの可能性にかけて宇宙書籍を追加入手する事も検討中(祈)†
「ちょっとでも匂わせる事言ったらたちまち死刑」つまりもう何もしないという意味です(祈)†■2024年4月3日UP■
「ちょっとでも匂わせる事言ったらたちまち死刑」つまりもう何もしないという意味です(祈)†
僕に情報拡散をさせてきっかけを作るところまでは許されたが、それ以上の干渉は許されていないという事なのではないか。で「今回では達成されません」というインスピレーションもありますように「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の邪悪の正体に関する情報拡散は進み、人々の洗脳は相当に破られて真実の理解が浸透するが、僕の物質界生活中に邪悪の滅亡までは到達しない。その実現は僕の帰幽後に別の使命遂行者によっておこなわれるか、もしくは特定の人物によるものではなく人々の認識の広まりによって自動的にそういう風になっていくとか、そういう事を霊界側は考えているのかも知れません。平たく言うと「無血解決」1滴も血を流さずに邪悪を滅ぼすという事です。僕の物質界生活中に「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を滅ぼそうとすると僕なり誰かなりの血が流されてしまうので霊界側はそこまでゴリ押ししようとしない。何しろ霊界には時間の概念がありませんので僕だろうが次の使命遂行者だろうがそんなモノは大した問題ではないはずです。が、僕から言わせてもらえればその生ぬるい考えがムカつくんだよ。決める時にバシッと決めろよ…続きを読む→
「あなたはどちらさま?」超鮮明な女性の顕現がありました、自動書記と関連があるようです(祈)†■2024年3月6日UP■
「あなたはどちらさま?」超鮮明な女性の顕現がありました、自動書記と関連があるようです(祈)†
まず僕はいつものようにインスピレーションに備えてトランスを維持しています。(目は閉じた状態)すると突然僕の左肩に誰かが手を置きます。ちょうど僕のうしろから肩を叩かれて呼び止められたような格好です。で、僕は左後方に振り向きます。するとそこには全く知らない女性が満面の笑顔で立っています。ヨーロッパ系の女性のような感じでした。カラーリングの基調はゴールドで超鮮明な容姿でした。(香世子さんではありません、それだけは間違いありません)はい、今のこのお話は肉体のお話ではありません。この時、僕はふとんの中で目を閉じ、身体(肉体)はピクリとも動かしていません。しかしハッキリ左肩を叩かれ、左後方を振り向き、超鮮明な女性の笑顔を見たのです。全ては霊体でのお話です。※僕がその女性に向かって「あなたはどちらさま?」と言ったという事ですよ。そしてこの女性の件があった時、僕はトランスを維持しながら「自動書記の嘆願の祈り」を心の中で唱え続けていました。その僕の祈りを受けて女性が満面の笑顔で肩を叩いてきたのです。これはまるで「あたしが自動書記やるわよ」と言っているかのようなシチュエーションとなります…続きを読む→

1919年2月19日 水曜日

今夜貴殿と共にいるのは、1年前に王冠状の大ホールにおける儀式についての通信を送っていた霊団の者です。ご記憶と思いますが、あの時は貴殿のエネルギーの消耗が激しかったために中止のやむなきに至りました。このたび再度あの時のテーマを取り上げて、今ここでその続きを述べたいと思います。

キリストと神への讃仰のために玉座に近づいたのは人類を担当する天使群でした。すると玉座の背後から使者が進み出て、幾つもの部門に大別されたその大群へ向けて言葉をかけられた。

天使とはいえその部門ごとに霊的発達程度は様々で、おのずから上下の差がありました。その部門の1つひとつに順々に声をかけて、これから先の進化へ向けて指導と激励の言葉をお与えになられたのでした。以上が前回までの要約です。

では儀式の次の段階に進みましょう。創造の主宰霊たるキリストが坐(ま)す玉座の周りに一郡の霧状の雲が出現しました。その中で無数の色彩がヨコ糸とタテ糸のように交錯している様子は見るからに美しい光景でした。

やがてその雲の、玉座の真後ろになる辺りから光輝が扇状に放射され、高くそして幅広く伸びていきます。主はその中央の下方に位置しておられます。その光は青と緑と琥珀色をしており、キリスト界の物的部門 – 地球や惑星や恒星をこれから構成していく基本成分から成る(天界の)現象界 – から生産されるエネルギーが放散されているのでした。

やがてその雲状のものが活発な動きを見せながら凝縮してマントの形態を整えたのを見ると、色彩の配置も美事な調和関係をみせたものになっておりました。それが恍惚たる風情(ふぜい)の中に座する主宰霊キリストに掛けられ身体にまとわれると、それがまた一段と美しく映えるのでした。

全体の色調は青です。深く濃い青ですが、それでいて明るいのです。縁取りは黄金色、その内側がボーダー(内べり)となっていて、それが舗道に広がり、上がり段にまで垂れております。ボーダーの部分が特に幅が広く、金と銀と緑の色調をしており、さらに内側へ向けて深紅と琥珀の2本の太い筋が走っております。

時おり永い間隔を置いてその青のマントの上に逆(さか)さまになった王冠(そのわけをあとでオーエン氏自身が尋ねる – 訳者)に似たものが現れます。冠の縁にパールの襟飾りが付いており、それが幾種類もの色彩を放っております。

パールグレー(淡灰色)ではなくて – 何と言えばよいのでしょうか。内部からの輝きがキリストの頭部のあたりに漂っております。といって、それによってお顔が霞むことなく、後光となってお顔を浮き出させておりました。

その後光に照らされた全体像を遠くより眺めると、お顔そのものがその光の出る“核”のように見えるのでした。しかし実際はそうではありません。“そう見えた”というまでの事です。頭部には王冠はなく、ただ白と赤の冠帯がつけられており、それが頭髪を両耳の後ろで留めております。前にお話した“祈りの冠帯(ダイアデム)”にどこか似ておりました。

– このたびは色彩を細かく説明なさっておられますが、それぞれにどんな意味があるのでしょうか。

吾々の目に映った色彩はグループ毎に実に美しく且つそれなりの意図のもとに配置されていたのですが、その意図を細かく説明する事は不可能です。が、大体の意味を、それも貴殿に理解できる範囲で述べてみましょう。

後光のように広がっていた光輝は物質界を象徴し、それを背景としてキリストの姿を明確に映し出し、その慈悲深い側面を浮き上がらせる意図がありました。頭部の冠帯は地上の人類ならびにすでに地上を去って霊界入りした人類の洗練浄化された精髄の象徴でした。

– 赤色と白色をしていたとおっしゃいましたが、それにも意味があったのでしょうか。

ありました。人類が強圧性と貪欲性と身勝手さの境涯から脱して、全てが一体となって調和し融合して1つの無色の光としての存在となっていく事を赤から白への転換として象徴していたのです。その光は完璧な白さをしていると同時に強烈な威力も秘めております。

外部から見る者には冷ややかさと静けさをもった雪のような白さの帯として映じますが、外側から見ると白い光は冷たく見えます。内側から見る者には愛と安らぎの輝きとして見えます。

– あなたもその内側へ入られた訳ですか。

いいえ、完全に内側まで入った事はありません。その神殿のほんの入口のところまでです。それも、勇気を奮いおこし意念を総結集して、ようやくそこまで近づけたのでした。しかもその時1回きりで、それもお許しを得た上での事でした。

自分で神殿の扉を開けたのではありません。創造界のキリストに仕える大天使のお1人が開けて下さったのでした。私の背後へ回って、私があまりの美しさに失神しないように配慮して下さったのです。

すなわち私の片方の肩の上から手を伸ばしてその方のマントで私の身体を覆い、扉をほんの少しだけ押し開けて、少しの間その状態を保って下さいました。かくして私は、目をかざされ身体を包み隠された状態の中でその内側の光輝を見、そして感じ取ったのでした。

それだけでも私は、キリストがその創造エネルギーを行使しつくし計画の全てを完了なされた暁に人類がどうなるかを十分に悟り知る事ができました。すなわち今はそのお顔を吾々低級なる霊の方へお向けになっておられる。吾々の背後には地上人類が控えている。吾々はその地上人類の前衛です。

が、計画完了の暁にはお顔を反対の方へ向けられ、無数の霊を従えて父の玉座へと向かわれ、そこで真の意味で全存在と一体になられる。その時には冠帯の赤は白と融合し、白も少しは温みを増している事でしょう。

さて、貴殿の質問で私は話をそらせて冠帯について語る事になってしまいましたが、例の青のマントについては次のように述べておきましょう。すなわち物質の精髄を背景としてキリスト及びマント、そして玉座の姿かたちを浮き上がらせた事。

冠帯は現時点の地上人類とこれ以後の天界への向上の可能性とを融合せしめ、一方マントは全創造物が父より出でて外部へと進化する時に通過したキリストの身体を覆っている事。

そのマントの中に物質と有機体を動かし機能させ活力を賦与しているところの全エネルギーが融合している、といったところです。その中には貴殿のご存じのものも幾つかあります。電気にエーテル。これは自動性はなくてもそれ自身のエネルギーを有しております。

それから磁気。そして推進力に富んだ光線のエネルギー。もっと高級なものもあります。それら全てがキリストのマントの中で融合してお姿を覆いつつ、しかもお姿と玉座の輪郭を際立たせているのです。

– “逆さま”の王冠は何を意味しているのでしょうか。なぜ“逆さま”になっているのでしょうか。

キリストは王冠の代りに例の赤と白の冠帯を付けておられました。そのうち冠帯が白一色となりキリストの純粋無垢の白さの中に融合してしまった時には王冠をお付けになられる事でしょう。

その時マントが上げられ広げられ天界へ向けて浮上し、今度はそのマントが反転してキリストとその玉座の背景として広がり、それまでの光輝による模様はもはや見られなくなる事でしょう。

又その時すなわち最終的な完成の暁に今1度お立ちになって総点検された時には、頭上と周囲に無数の王冠が、“逆さま”ではなく正しい形で見られる事でしょう。デザインは様々でしょう。が、それぞれの在るべき位置にあって、以後キリストがその救える勇敢なる大軍の先頭に立って率いて行く、その栄光への方向を指し示す事でしょう。

アーネル†

訳者注 – 王冠がなぜ逆さまかについては答えられていないが、それがどうであれ、霊界の情景描写は次元が異なるので本来は全く説明不可能のはずである。アーネル霊も“とても出来ない”と再三断りつつも何とか描写しようとする。すると当然、地上的なものになぞらえて地上的な言語で表現しなければならない。

しかもオーエンがキリスト教の概念しか持ち合わせていないためにそのなぞらえるものも用語も従来のキリスト教の色彩を帯びる事になる。例えば最後の部分で“最終的な完成の暁”とした部分は in that far Great Day となっていて、これを慣用的な訳語で表現すれば“かの遠い未来の最後の審判日”となるところである。

が“最後の審判日”の真意が直訳的に誤解されている今日では、それをそのまま用いたのでは読者の混乱を招くので私なりの配慮をした。マント、玉座等々についても地上のものと同じものを想像してはならない事は言うまでもないが、さりとて他に言い表しようがないので、そのまま用いた。

「4000文字を一気に書く」自動書記、やるならやって下さい、書籍化の準備は整ってます(祈)†■2024年5月8日UP■
「4000文字を一気に書く」自動書記、やるならやって下さい、書籍化の準備は整ってます(祈)†
初期の頃に「隔離フィールド」という霊現象が僕の身に起こりました。どの霊関連書籍にも全く同様の記述がない、全く未知の霊現象のためやむなく自分でこのように命名した霊現象となります。この隔離フィールドの詳細説明は諸事情で割愛させて頂きますが、実はこの隔離フィールド時に「地縛霊、低級霊のジャマを一切無視する修行」のような事をずっとやらされていたのです。半強制的に地縛どもの声を霊聴に流されて、寝ている時以外はずっとその地縛どもにムカつく事を言われ続けながら生活する、という状態を延々やらされていたのです(ちょうどセブンで仕事を始めた頃です)それはもう最初は大変な精神的苦痛を味わわされました。しかしその修行の成果もあって、低級な声のほとんどを無視する事ができるようになっています。2度とあの「隔離フィールド」の状態にさせられるのはゴメンですが、僕がもし自動書記霊媒として機能するようになったら、あの時と似たような状態にさせられるから覚悟しておきなさいと霊団が言っているのかも知れません…続きを読む→
「進歩に重大な障害をもたらす」これが霊団が僕を閉じ込める理由です、永遠に許さぬ(祈)†■2024年4月17日UP■
「進歩に重大な障害をもたらす」これが霊団が僕を閉じ込める理由です、永遠に許さぬ(祈)†
訳者、近藤千雄先生が著書の中で何度も書いておられる事ですが、そもそも「守護霊」という言葉が間違いなのだそうです。この言葉はさも「人間を守ってくれる」かのような印象を与える言葉ですが、実際の守護霊の役割は全く逆で、守護を任された人間の罪障消滅をキッチリ完了させるために試練に立ち向かわせるのが仕事であり、守るどころか苦しめるのが仕事と言ってもいいくらいなのです。そういう意味では「守護霊」という名称より「監督霊」と言った方が正しいと近藤先生は仰っていました。僕も自分の体験からそのように思います。僕の守護霊様は僕が自発的に試練に立ち向かうようにウマく、本当にウマく仕向けました。そして僕は画家の試練Dreamworkと、山での修行というダブルの試練を自分に課す生活に突入し(イヤイヤやらされたのではなく自分の意思でノリノリで始めたのです)急速に向上を果たして一気に霊性発現にまで到達したのです。僕は守護霊様の事を「導きのプロ」と公言していますが、とにかく守護霊様は「やり方がウマすぎた」大大大Dai成功だった、という事です。それで霊団はムカついているが守護霊様は尊敬し永遠の恭順を誓うと言っているのです…続きを読む→
「デビルストッピング」強姦殺人魔(悪魔)が停止中という意味か?分からないなぁ(祈)†■2024年4月10日UP■
「デビルストッピング」強姦殺人魔(悪魔)が停止中という意味か?分からないなぁ(祈)†
物質界生活中に邪悪な人間の手によって苦しめられ、大いに試練を味わわされた僕たち善良な国民は帰幽後、明るい境涯に赴き、大いに自由を堪能する事になります。そして物質界生活中に奴隷の女の子を強姦殺人し続けた明仁、文仁、徳仁、悠仁は、魂も凍る暗黒の底の底に落ちて千年万年にわたる正真正銘の地獄を味わわされる事になります。そういう意味では「神の公正」がこの宇宙に厳然と働いており、それに身を委ねている限り何も恐れる事も心配する事もないという理屈になるのですが、結局物質界が最悪の場所である事は変えようとしないという事ですか、その部分だけがどうにも納得いかない。確かに霊的知識によれば真の安寧(あんねい)は霊界にこそあり、物質界生活中に幸福を求める事自体が本末転倒であり、物質界でどれだけ頑張るかによって帰幽後の霊界での幸福度が決定するという意味では、霊界での幸せを求めて物質界人生を耐え抜く事が重要と言えるのですが…続きを読む→

アナログ絵377としてストーリーを描こうとして、新規の登場人物のキャラデザをおこなったりしていますがこのストーリーを描いても全く脱出と関係ない、最悪のところに閉じ込められる状況をなんら打開できない。この絶望感は一体何なのか。これほど心の底からイヤがっているのになぜ1歩も出られないのか。こんな事は有り得ない。

絵を描いても心が晴れないというのは僕にとって経験がありません。こんな事は人生初です。霊団を憎むこの気持ちはもう永遠に消える事はないでしょう。宇宙書籍を読み進めて正直どうなのかなぁと思っているのですが、しかし帰幽後に地球圏を離れる方法がどうしても知りたいので2冊目を入手してしまうかも知れません。もっとも100%僕が知りたい情報など載っていませんが。

あと、一応自分で本を書く準備も進めています。しかしこのアイデアは実行するとなるととんでもない時間がかかりそうで、要するに霊団が「こういう本を書け」と言っているのではなくて時間稼ぎで言ってきただけのアイデアなんですよ。その本の作業をしている間は閉じ込めが完了しますので霊団にとって目的を成就している事になります。その魂胆が分かるので猛烈にムカつくんですよ。

「I Appeal Unto Caesar」作業続行中ですがこれも絶望感がハンパない。が、もし全文翻訳完了させる事ができたら、多少表現に問題があるとしても僕にはそれを修正する能力がありませんからその機械翻訳文をそのままWordPressに掲載し、さらに英語原文もUPさせるつもりでいます。海外の方がご覧になるかも知れませんので。

9110に相談しようか悩み中。いえ、霊団の事を相談しようとしてるんじゃないですよ。物質界にそんな事相談できる人間がいる訳がないですからね。霊団への怒り憎しみは消えるはずもなく。作業だけは続行中(祈)†