こんな事やっている場合ではないのですが以前から「マヨをやめられればイイ事がたくさんある」と思っていて何とかならないかとテストしていましたが、これまではプレーンヨーグルトをベースにして制作して1度もうまく作れずにいました。

今回は初めて「絹豆腐」を使用してマヨ代替物を作ってみました。水抜きして酢、塩等々を入れて泡だて器でシャカシャカ。オリーブオイルを入れていません。で、食べてみてやっぱり何か足りない気がしますがプレーンヨーグルトの時よりは許せる感じになりました。

マヨに含まれる卵黄をやめられれば「完全植物食達成」となり、さらに現在の食事で唯一取っている油がマヨの油だけですので、マヨをやめられればノンオイル生活に突入できるという事で、それでしつこくテストしている訳です。作ったディップを指ですくってペロリ、まぁ許せる感じ。回数を重ねて味を整えて行けば使えるようになるかも知れません。

で、霊団が回りくどい事を言ってきました。何が何でも僕を閉じ込めるつもり、それを納得させようとしてご機嫌取りみたいな事をやってくるんですよ。本当に、本当に、何なんだよこの人生は。イライライライライライラムカムカムカムカムカムカ、もぉぉぉぉぉやだ。

表紙カラーリング25%完成中。「モーゼスの霊訓 中」テキスト見直し40%完成中。そしてシルバーバーチ霊の書籍のテキストも揃えていきます。あるアイデアを駆使して復刊を実現させられる可能性が0.0001%あるかも知れませんので。

絵を描いていても気分が晴れないほど絶望感が深い。僕が絵を描いていて心が落ち着かないのは相当に異常事態。こんな人生いつまでもは続けられない、しかし霊団は完全に閉じ込めるつもりでいる。僕は帰幽後、何が何でも地球圏霊界と縁を切ってみせる。もうヤダこんなやつら(祈)†

■2021年5月10日UP■
「プチパレットいい」人身売買組織「パレット」を縮小継続させようとする思念と思われます(祈)†
プチパレットいい、という聞き捨てならないインスピレーションを降らせてきました。つまり「宇宙一のバカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁が死刑になって消滅して以降も、コイツら以外の邪悪な人間たちがパレットから幼い女の子を購入して強姦殺人遊びを続けられるように画策しているという意味で間違いないでしょう。で、皆さまももちろん疑問に感じておられる事と思うのですが、この「パレット(仮の名前ですよ)」という「少女誘拐人身売買組織」は僕たちの想像をはるかはるか超える長い世紀にわたって女の子の誘拐と殺人を繰り返しています。しかしその組織の存在が全く明るみになりません、表沙汰になりませんよね。その少女誘拐の実行役の人間も全く逮捕されません。「パレットなんて組織は最初からありませんよ」とでも言いたいくらいに全く闇の中に隠されています。「少しは話題になってもおかしくないと思うんだけど、何で全くニュースにも出てこないの?」…続きを読む→
■2021年9月8日UP■
「丸10年だよ」僕の人生を完全に破壊した霊団の言葉です。軽々しく言いやがって人の気も知らずに(祈)†
丸10年だよ、皆さまどうかこの言葉を簡単にサラッと流し読まないで頂きたいのですが、これは僕の人生が霊団主導で10年間破壊され続けたという意味で、僕がこの10年に味わわされてきた最低最悪の出来事の数々を霊団が一言でコロッと片付けてきた、という意味になるのです。この僕の10年にわたる積年の恨み、どうやったら皆さまに理解して頂けるでしょう。そして、奮闘を忘れていません、これも「アキトくんの10年間のガンバリは我々は忘れていない、しっかり心に刻み付けているよ」という霊団の言葉なのですが、僕は霊団の事をいつも何と言っていますか「口だけ霊団」ですね。これぞ口だけの上っ面の軽薄発言そのものであり、さも同情的な事を言っておいて実質僕に現状の苦しい状態を続けさせようという霊団のごまかしの言葉となります。ムカムカ×1億 さらに…続きを読む→
「主なブログ」年度別ページ切り出し完了中。自分を助けるための作業となります(祈)†■2021年12月16日UP■
「主なブログ」年度別ページ切り出し完了中。自分を助けるための作業となります(祈)†
この作業、ずっとやらなきゃやらなきゃと思っていて全然着手できなかったもので(スンゴイ億劫だったため)ようやくこのようにまとめる事ができました。アナログ絵の固定ページを分割したのと基本的に仕組みは一緒です。トップページを設けてそこから個別ページに飛ばすようにする事によって更新作業を簡略化させて使命遂行の殺人的忙しさから自分を守るのが目的です…続きを読む→

脱出できない、何をどう努力しても全く閉じ込められて1歩も脱出につながらない、恐るべき絶望感に襲われながらも手だけは動かし続けています。この表紙を描き上げて書籍データを完成させて復刊までこぎつけても、それでも全く脱出できる見込みがない。この絶望感を克服する方法が全く見つかりませんが「感情と手は別レイヤー」ですからAffinityPhotoの作業だけはガシガシおこなうのです。

とにかくAmazonの校正刷りまでもっていきましょう、そのカタチにすればそこからまた別の作戦も展開できます。書籍同梱手紙作戦とかもできますので、やるしかない、書くしかない、しかし脱出できない。この人生完璧におかしい。

そして復刊事務作業で“ある事”をやらないといけないのですがそれがスゴクイヤで、今日はどうしてもやる気が起きなかったので明日以降に気持ちを切り替えてやってみるつもりです。

この事務作業、ホントにいつまでもは続けられない、誰かにやってもらうか、それとも復刊をやめるか、そのどちらかにしない限り心がもたないと思う。イヤさ具合がハンパない。フツーに体調がおかしくなってますので。

僕というキャラは絵を描いている時(集中している時)はだいたいイヤな事が脳内から消えてスッキリしている事が多いのですが、今回の表紙の作業はユウウツさが抜けきれない状態での作業が続いています。それくらい絶望感がタダ事ではないとういう事なのですが、それで絵のクオリティを落とす訳にもいきませんのでまずはカラーリングに集中しましょう。

えー、霊団が「ホンモノ」と言っていた著者の宇宙書籍を1冊だけ注文しています。が、僕が欲しがっている情報「帰幽後に地球圏霊界を離れる方法」はもちろん掲載されていません。そして入手したもののやはり読み進めていく中でその内容に相当に首を傾げる事と思います。最後まで読めず途中で投げ出す可能性大と予測。

「美しくない」という疑念が僕の中で払拭できません、どうにも釈然としません。もしかしたらこの宇宙書籍の内容に関して別枠で長文ブログを書くかも知れません。チョト思う事があるものですから。どうも低級霊の仕業のような気がしてならないのです。いろいろおかしな部分があるのです。まぁ読んでみて確認しましょう。

まずは表紙カラーリングに集中中。復刊事務作業のイヤさ加減最大級に増幅中。絶望感払拭率0%継続中。この絶望感から逃れる方法が全く見つからない(祈)†
■2020年11月28日UP■
明仁、文仁、徳仁が逮捕されるかも知れない幽体離脱時映像を霊団が降らせてきました(祈)†
この3人は悠仁を除く明仁、文仁、徳仁の3人であると考えるのが最もスマートでしょう。年老いた3人は言い訳するヒマもないといった感じで速攻で手錠をかけられ連行されていくのでした。で、霊体の僕を含め10人程度がいたその部屋にポリーチェ(POLICE)4人ほどが来たのですが、もちろん僕は逮捕、連行されませんでした。逮捕どころか僕は脅迫罪の訴えをポリーチェに反故(ほご)にされているのですから僕の方からポリーチェを訴えるのが筋というもので、霊団が降らせた映像では一応そのようになっていました…続きを読む→
■2020年9月2日UP■
潜入爆破計画がバレバレで完全失敗という幽体離脱時映像を拝しました、霊団ナニコレ(祈)†
えー両方とも隠密裏に何かをしようとして最初から全部バレているという内容でしたが、僕はコソコソ隠れてなどいません公言の限りを尽くしています。ですのでこの映像は「宇宙一のバカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁が裏から手を回して僕を爆破しようとしているが、その計画はアナログ絵123にありますように霊団に全てバレバレであるという意味ではないでしょうか…続きを読む→
■2019年11月20日UP■
「ボスと最後の闘い」僕が最終決戦地に突入する幽体離脱時の映像…この通りになってもらわねば困ります(祈)†
世話役の女性として「香世子さん」がいて、女装した僕は小声で「香世子さん、僕ですよ僕」と話しかけるのですが香世子さんは怪訝(けげん)な表情で見つめ返してきて僕の女装に気付いていない様子でした。(気付かない訳はありませんよ、香世子さんは霊団の依頼を受けて出演しているのですから、僕の女装が高度だったという事を演技しているのですよ…続きを読む→

1918年1月25日 金曜日

吾々はついに光の橋にたどり着きました。上り傾斜になっているその橋を暗黒側の端から登って光明界側の端まで来ると、そこでしばし休憩して、それまでの仕事の成果を振り返っておりました。そこへ吾々の界からの使者がやってきて、吾々の使命の進行過程での神庁における配慮の様子を語ってくれました。

と言うのも、第10界を離れて以来このかた、神庁においては片時も吾々との霊的接触をゆるめることはなかったのです。彼はその具体的な例として吾々が重大な事態に立ち至り火急の援助と導きを必要とした時に神庁において打たれた手段の幾つかを語ってくれました。

そのうちの幾つかは吾々にもその時点ではっきりと分かっていたものや何となく感づいていたものもありましたが、大部分はその時の抜きさしならぬ状態の中で全神経を集中していたために、外部から援助されている事実すら気づいておりませんでした。

それというのも、そうした暗黒界においてはその界層特有の環境条件に身体の波長を合わせるために、霊的な感覚がある程度制限されるのはやむを得ないことなのです。

その点は地上界に身を置く貴殿も同じです。たとえ吾々による手助けに気づかれなくても貴殿はいつも見守られており、必要なときには然るべき援助を授かっておられます。

さて途中の界でのことは省略して、一気に第10界に帰ってからの話に入りましょう。第10界を取り囲むように連なる丘の上で吾々は一団の出迎えを受けました。みんな大よろこびで吾々の帰還を待ちわびており、吾々のみやげ話を熱心に聞きたがりました。

そこで吾々はいっしょに歩を進めながらそれを語って聞かせているうちに、いよいよ“聖なる山”の大聖堂の前に広がる大平原にたどり着き、そこを通り抜けて“聖なる山”を登り、聖堂の袖廊(ポーチ)まで来ました。

そこから奥へ招き入れられ、中央の大ホールへ来てみると、そこに大群集が集まっており、跪(ひざまず)いて姿なき大霊への讃仰の祈りを捧げているところでした。吾々はそこを通り抜けて最後部で待機したのですが、吾々の動きに一瞥(べつ)すらくれる者は1人もいませんでした。

地上の人間は真の静寂を知りません。地上には完全な静寂というものがないのです。音の無い場所というものがありません。第10界のあの大聖堂での讃仰の祈りの時はまさしく静寂そのもので、崇厳さと畏敬の念に満ちておりました。

かりに貴殿がはるか上空へ地上を離れれば、次第に地上の騒音から遠ざかることができるであろう。が、それでもなお空気との摩擦があり、微(かす)かとはいえ一種の音によって完全な静寂は破られるであろう。さらに大気圏を離れても、惑星間の引力作用による潜在的な音の要素がエーテルに響いている。

太陽系を離れて別の太陽系との間の虚空まで行けば、幾百万光年の彼方の地球はもはや見ることも感知することもできず、ほとんどその存在は知られなくなることであろう。

しかしエーテルが存在する。たとえ貴殿の耳には何の音も届かなくても、エーテルを応接間に譬(たと)えれば空気はその控えの間のような存在であるから、音と隣り合わせていることになり、両者は言わば親戚関係にあることになる。

ところがこの第10界までくると、そのエーテルを10倍も精妙化したような大気が存在する。ここでの静寂はそれに浸る者への影響の観点から言えば消極的なものではなく、むしろ能動的な“1つの存在”を有している。つまり“音が無い”という意味での静寂ではなく、静寂という実体があるのである。

それも一種のバイブレーションをもつ存在である。がその周波はきわめて緻密で、音の皆無の状態と同じなのである。私にはこれ以上の説明はできかねます。肉体という鈍重な物質に宿っている貴殿には、吾々があの大ホールへ入った時に体験した状態は、その万分の1といえども想像できるものではありません。

最後部の座席で待機していると、前回吾々を見送ってくださった方が中央の通路を通って近づいてこられ、私の手を取って祭壇へと案内してくださった。その祭壇は例の玉座のある拝謁の間にあり、吾々が暗黒界への使命を給わったのもその部屋でした。

使命を終えて再びその部屋へ戻ってきた時の吾々は、あの暗黒界での辛酸をなめさせられて、いささかやつれぎみでした。顔の表情から数々の闘争のあとが窺(うかが)われました。というのも、私が貴殿にお話したのはほんの一部であって、決してあれがすべてではなかったのです。

善と悪との絶え間ない戦いをくぐり抜けてきた戦士のようなものでした。しかしその傷あともシワもいずれは霊格の一部として融合し、一段と品格を高めてくれることでしょう。吾らが主イエスも身をもってその模範を垂れ、聖なる美への道をお示しになられたのです。

実に、身にまとわれる衣にも犠牲の教訓が読み取れるほどの主の美しさは、地上の言語はおろか天界の言葉をもってしても、私には表現することはできません。

吾々一団は祭壇から少し離れた位置で足を止め、同じように跪(ひざまず)いて存在の根源すなわち絶対神への祈りを捧げた。むろん絶対神は顕現の形でしかその姿をお見せになることはないし、それも滅多にあることではない。それもほとんどが主イエスの形態で現れる。

その理由は地上人類の1人として降誕されたその体験ゆえに、その段階での吾々にとってより交わりを得やすいからです。やがて合図を感受して全員が頭を上げて祭壇へ目をやった。

合図といってもただ吾が身の内と外にある存在感を感じ取ったにすぎない。見ると祭壇の左手に主のお姿があった。主は2度と同じ姿をお見せになることはない。どこかに新らしいもの吾々の心を捉え教訓を物語る何ものかを備えておられる。

その頭部の上方に7人の尊い天使のお姿が1列に並んで見える。胸で両手を交叉させ、立ったまま黙しておられる。目は閉じてはいないが、瞼が下がり主の少し後方の床へ目線を落としているようであった。身には各種の色合いの混じったゴースの衣をまとっておられる。

外から色づけしたものではない。意識的に表現するのでなしに、自然にその色合いが出ているのである。地上にそれと同じ色合いを見つけることはできないが、そのほかにも地上のバイオレット、ゴールド、淡いクリムソン – ピンクとはちがいます。

今の貴殿には理解できないでしょうが、そのうち分かります – それにブルー等々が混じっている。ほぼそれに近いという程度ですが、実に美しいものです。ゴースの衣をまとっているとはいえ、身体そのものから出る美しさは譬えようもありません。

その至純さもまた譬えようもなく神々しく、それが衣に反映して放つ光輝は、それによって外から飾るのではなく、それがその存在の一部となり切って神々しさを引き立てている。

それぞれの頭部には光のベルトが輝いており、その生き生きとした様子は、心が讃仰へ、あるいは愛へ、あるいは慈悲心へと変わるごとに輝きが変化するほどでした。

7人の天使の心は完全なる調和と落着きを保っているために、わずかな心の動きでもすぐさま光のベルトに反応を示し、同時にブルーの衣を通してクリムソンのきらめきが、そしてバイオレットの衣を通してゴールドのきらめきが放たれるのでした。

祭壇のわきに立たれるキリストの容姿は7人の天使に比べて一だんと鮮明度が強烈で、容貌も細部までよく見ることができました。頭部には2重の冠をつけておられる。1つの冠の内側にもう1つ見える。外側の大きい方は紫色をしており、内側の小さい方はクリムソンの混った白色をしている。

その2つが幾本かの黄色の棒でつながれ、その間に実に可愛らしいサファイアの宝石が散りばめられ、冠全体から放たれる光輝が頭上で1つの固まりとなっています。身体全体がきらめく銀色の光に包まれ、クリムソンパープル(深紅と紫の混じったもの) – この色は地上には存在しません – のマントを羽織っておられる。

胴体の中ほどに金属性のベルトを締めておられ、銀と銅の中間の色をしている。私はいま主の容姿を私にできるかぎりに叙述しております。ときに地上の用語を妙な組み合わせで使わざるを得ませんが、それでも私の慮伝えたいこととは程遠いことばかりです。

胸もとにはルビーの首飾りがあり、それがマントを両肩のところで留めております。右手に色彩豊かな棒状のアラバスター(石膏の一種)を持ち、その先端を祭壇にそっと置いている。左手は腰のあたりに当てがい、親指をベルトの中に入れておられる。そのせいでそのあたりのマントが片側へ広がっている。そのお姿の優美さは仁愛に満ちたお顔と完全に調和しておりました。

– そのお顔は地上の絵画に見る例のお顔と似ていますか。

似ていますが、ほんの少しだけです。ただし、主のお顔は顕現のつど、どこかが少しずつ異なっていることを知っておかれたい。本質的には少しも変わりません。この度もそのお顔から受けた印象は王者のそれでした。悲哀(かなしみ)の人でありながら全体には王者の風格がみなぎっておりました。

その中に吾々は神の御国に到達された方のしるしを読み取りました。そこへ到達されるまでの葛藤の痕跡は、その成就とともに訪れる“のどかさ”の中に吸収されつくしておりました。

貴殿は今その時の主のお顔に地上の肖像画に見えるような“あごひげ”が付いていただろうかと思っておられますが、私が見かけたかぎりでは、ありません。実は私は主があごひげを付けておられるのを見かけたことがないのです。すでにに50回ないし60回はご尊顔を拝しているのですが…

もっともそれは否定する理由にはなりません。主があごひげを付けてはならない理由はありません。時にはお付けになって出られるのかも知れません。ただ私は見たことがないというまでです。それ以上のことは言えません。

さて吾々が主を見つめ、それから頭上の天使に目をやっていると、やおら主がお言葉を述べられた。貴殿にはその大ホールの全会衆へ向けて述べられたお言葉の意味は理解しかねるであろうから割愛するとして、いよいよ吾々帰還したばかりの15人に向けてとくに語られたお言葉は – 語るといっても貴殿らが語るのとは異なるのですが – およそ次のようなものでした。

「さて、暗黒の飛地(とびち)より帰られたそなたたち。実はその後私も同じ土地へ赴いていたことを知られたい。群より離れた彼の地の小羊たちには私の姿は幽(かす)かにしか、それも稀にしか見えないことであろうが、私は父がお造りになられた世界の最僻地までも赴き、そこから上層界へと向かいつつ、そなたたちと同じように彼の地の者たちに語りかけてきた。

数多くの者が私の声に目を覚まし、その顔を光明界へと向けてくれた。が、私に背を向けて暗黒界をさらに深く入り行く者もいた。彼らは私がそこに存在することそのことから受ける知覚に耐えかねたのである。その時はことさらに私の影響力が増幅されていた。今もそのまま残っていることと思う。

そなたたちはそのとき私に背を向けた者たちがその後たどりついた場所までは踏み込んでおられない。が、私は今なおその地で彼らと共にあり、いつの日かは彼らもこの地において私と共にあることになろう。

さて、私の忠実なる使者であるそなたたちは、よくぞ私の計画を推進なされた。私は私の本来の住処(すみか)よりそなたたちの仕事ぶりを注視していた。名誉の負傷なくして帰ることを得なかったことであろう。私も同じように傷を負いました。

彼の地の者をこの光明界へと誘(いざな)わんとするそなたたちの誠意ある意図は必ずしも妥当なる信任を得なかったが、それは私も同じである。余計なお世話と言われたこともある。そなたたちは彼の荒涼たる大地に住める同胞の苦悶の様子を見て、さぞ心を痛めたことであろう。

そして又、時には、これで果して神は父と呼ばれるべき存在であり得るのかとさえ思えたこともあろう。とくに彼らの苦しみを我が苦しみとして受けとめ我が身を滅ぼさんばかりになった時はなおのことだったであろう。

しかし我が親愛なる使者に申し上げよう。私も又、他のことと同様このたびのことにおいても、人間的苦悩の深奥を極める体験をさせられました。父が私から顔を背けられた時に私も暗黒の苦しみを味わったのです」

(訳者注 – 最後の一文は多分はりつけにされた時のことを指すのであろう。その直前イエスは窮地を救ってくれるよう父なる神に祈った – “父よ、御心ならば、何とぞこの苦しみの杯(さかずき)を取り除き給え。が、どうぞ私の願いでなく御心のままになされんことを”と。そして有名な最後の一句“エリ、エリ、レマ、サバクタニ” – 神よ、神よ、何ゆえに私を見捨て給うや – を唱えて息を引き取った)

主は静かに、穏やかに、そして抑揚の少ない調子で話されました。しかも話しておられるうちに、その目の表情がはるか遠くの眺望の中へ霧のごとく融け入るようにみえました。

それはあたかも今そうして話をされている最中も7人の神々(こうごう)しき天使と共に、そこの大聖堂にいるのではなく、彼の暗黒の地においてその土地の者たちと苦しみを共にされているごとく思えました。

しかしそのお言葉に苦の情感は感じられませんでした。感じたのは主みずから語られた邪悪への哀れみと支配力の尊厳でした。さて再び主のお言葉に戻って、私に可能なかぎり地上の言語に直してみましょう。

「そこで私はそなたたちが父の優しさと恩寵を求めて祈る際に身につけるべきものとして、このたびの旅と尽力と苦難のしるしを授けよう」

主が言われたのは新たに授かった宝石のことで、それが吾々の“礼拝の冠帯(ダイアデム)”に付け加えられたのです。主はそれから左手を高く上げられ、その手で、跪いている全会衆の頭上をゆっくりと円を画くように回され、そして最後の言葉を述べられました。

「私はこれにて去り、あとは私の代理の者が、そなたたちがこれより先この界において為すべき所用を申しつけることになろう。その仕事には私がいつでも援助すべく待機しているであろう。壮大なる計画のもとに行われる仕事だからです。急いで着手してはなりません。

が着手したら総力をあげて忍耐づよく取り組み、知識と力とにおいてそなたたちに優る上層界の者による修正を必要とせぬよう、首尾よく仕上げてもらいたい。必要なときは私を呼ぶがよい。それなりの援助はいたそう。が必要以上に求めてはならぬ。

その仕事は下層界の向上のためであると同時に、そなたたち自身の向上のためでもある。そのことを銘記して、これまでに身につけた力を精一杯駆使して成就されよ。

ただ、しかし、私の援助を求めることを怠ったがために支障をきたすことがあってはならぬ。そなたたちの力にて見事に成し遂げるということの方が、いたずらに仕事を進行せしめることよりも大切である。何となれば、その仕事は私の父のためであり、そして私のためでもあるからである」

そう述べられてから祝福と祈りをこめて再び手を上げられ、非常にゆっくりとした口調で“神ぞ在(ま)します”と言われました。

そう述べているうちに主と七人の天使は本来の界へ戻るべくゆっくりと視界から姿を消され、吾々一同は静寂の中に残されました。が、その静寂の中に主の存在感がなおも感じ取られ、その静寂に包まれて吾は、その静寂そのものが主の御声であり、吾々のために語りかけてくださっていることを知りました。そうと気づいて吾々は一瞬ためらいを覚えましたが、ためらいつつも再びそれに耳を傾けて礼拝したのでした。

「霊界にはたどり着く」当たり前だろ、霊団がもう使命遂行やる気ゼロという意味です(祈)†■2022年12月14日UP■
「霊界にはたどり着く」当たり前だろ、霊団がもう使命遂行やる気ゼロという意味です(祈)†
僕は間違いなく「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁に殺される→霊団はその危機を回避させようとして明仁、文仁、徳仁、悠仁および奴隷の女の子の情報を僕に降らせないようになっている(イヤ少しは降らせてきていますが)→僕の使命遂行の力点を明仁、文仁、徳仁、悠仁の滅亡および奴隷の女の子の救出から交霊会開催へと転換させようとしている→しかしサークルメンバー問題が解決しないので僕の霊媒発動はない→邪悪は滅ぼそうとしない、奴隷の女の子は助けようとしない、交霊会はできない、全く目標に到達せずただ苦難ばかりを延々とやらされる状況に突入しているために、僕の霊団への怒りが制御不能に達する→交霊会ができない不足分を「絶版書籍の復刊」の作業で補いつつ、霊団に破壊された生活を何とか少しでも改善させようと僕は「反逆」を開始するが、一向に反逆は完成しない…続きを読む→
「何とも言えぬ光景だった」上層界から使命遂行を眺めての感想ですが、過去形で言うな(祈)†■2023年6月28日UP■
「何とも言えぬ光景だった」上層界から使命遂行を眺めての感想ですが、過去形で言うな(祈)†
「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁が地獄に落ちるのは自己責任、アキトくんには何の責任もないし、キミが物質界生活中にこの者たちを滅ぼさなくても自動的に肉体が朽ちて帰幽して地獄に落ちるのだからどちらでも結果は同じである。奴隷の女の子たちに関しても自ら犯した過去の大罪の罪障消滅を目的として物質界に降下した人間なのだから、苦難の人生をやらされるのが当たり前(自己責任)それを助けてあげたら本人のためにならない、アキトくんの気持ちは分からないでもないが帰幽して我々(イエス様)と同じ視点から眺められるようになれば納得できるであろう。つまり「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を物質界生活中に滅ぼせなくてもそれは別にアキトくんの努力不足ではなく、奴隷の女の子を助けてあげられない事もキミのせいじゃない。我々(イエス様)は絶対的有利なポジションに立っているので、その人間たちをアキトくんの霊的進歩向上に大いに活用させてもらった…続きを読む→
「進化とはなかよしの事」深いインスピレーションですが僕には耳が痛いですね(祈)†■2023年10月18日UP■
「進化とはなかよしの事」深いインスピレーションですが僕には耳が痛いですね(祈)†
「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の邪悪の正体の情報拡散だけは徹底的に僕にやらせて、僕の次の世代の使命遂行者が仕事をやりやすいように畑だけは耕しておくが、滅ぼす事は僕の代ではやらない。霊団はタダ僕にその苦しいタネ蒔きを続けさせて霊的に向上させて帰幽させる事だけを考えていたのではないか。交霊会やるやるとずっと言い続けてまるっきりやろうともしない、サークルメンバー問題も全く解決させようともせず交霊会をおこなう環境など全然整っていないのに、ただ口だけ延々とやるやる言い続けてくる。これもどう考えてもおかしい。バーバネル氏が支配霊というのもおかしい。物質界生活中に僕にできるだけ霊的知識を獲得させておくために交霊会交霊会言い続けてお勉強させるのが真の目的だったのではないか。つまり僕の仕事の本当の舞台は霊界であって、帰幽後にイエス様(さすがに直で仕事を賜る事はないと思いますが間接的にはあるかも知れません)から言いつけられる仕事をおこなう事の出来る霊的知識および霊格を物質界生活中に身につけさせるためにムチャクチャな試練を浴びせられているという事なのではないか…続きを読む→