最悪、とにかく最悪、なぜ僕はこんな最悪な気持ちで日々を過ごさねばならないのでしょうか、なぜ何ひとつ自分の思い通りにならないのでしょうか。人の人生ブチ壊してココまでやらせているんだから最低限ある程度の結果に辿り着くところまで仕事をやり切れよ、んんん、まずはインスピレーションをこのように羅列してみますが↓
昨日の山でのムービー撮影妨害が本当に霊団の仕業なんじゃないかという気がしてなりません。(2サイトを脱出につなげさせないようにしているという意味)かつてこれほどの絶望感を味わった事は記憶になく、帰幽前からすでに地獄に落とされているような感覚に陥るほどです。フゥゥ何とか説明に入ってみましょう。
場所変わった方がイイよ 融通は利かなそうですね 落第だ
「場所変わった方がイイよ」 僕は現在霊団によって閉じ込められているイヤでどうしようもないところから脱出しようと、何年も前からあらゆるところに面接に行っていますが信じられない事にいまだに成功率0%、その場所から1歩も出られない状態が続いています。
しかし霊団がそれとは正反対の事を言ってきています。さんざん閉じ込めておいて場所変われとはどういう事でしょうか。僕はあまりにも面接が失敗続きなので、もうその方法で脱出する事をあきらめ、2サイトを立ち上げて自力脱出を考えているのですが(今のところ脱出できそうな見込み全く無し)「場所変われ」と言ってくるという事は2サイトをヤメレと言っているという意味ではないでしょうか。何がそんなに問題なのかが全く分からないのですが。
「融通は利かなそうですね」 これは僕の反逆の事を言っているのですが、多少言い訳が入っているでしょうが僕としては反論したい気持ちで「僕がココまでかたくなに反逆し続けているのはあんたたちのイジメが度を越しているからなんだよ、僕の事を「融通が利かない」と言うなら、僕をそうさせたのはあんたたちなんだよ」と言いたくて仕方ありません。
「落第だ」 確かに僕は霊団の導きに反逆していますが、ココまで完全にダメ出しを喰らうともう絶望感しかありませんね。僕だって謙虚を貫きたいですよ。しかしココまでヒドイ人生をやらされれば誰だって「何とか人生を修正しよう」と考えるに決まっているのではないでしょうか。僕は別に当たり前の事をやっているだけであって責められるいわれはないと思うのです。
↑目次へ↑
自己満足 哀れな事に
「自己満足」 これも僕の反逆の事を言っているのですが、だぁかぁらぁ、あんたたち(霊団)は人生破壊をやりすぎなんだよ。霊的仕事を遂行するには滅私、謙虚が要請されます、僕はそれを知識として十分理解しているつもりですので普通ならその獲得した知識に基づいて使命遂行できるはずなのですが、あまりにも霊団のやり口がヒドすぎるのでもうとても受け入れられなくなっているのです。
常識的に仕事を進めてくれれば僕だってココまで反逆する事はなかったはずです。元々そんな意思はない状態から使命遂行が開始されたんだから。僕はちゃんと仕事をやり切るつもり、一応「イエス様の怒涛の連続顕現」でイエス様と約束したという前提がありますから、その責任分は果たし切るつもりでいるのです。とにかく導きの破滅度がヒドすぎるのです。
「哀れな事に」 コレもヒドイ、なぜココまで言われなければならないのかというインスピレーションで、要するに僕が霊団の導きに反逆した末に帰幽すると残念な未来が待ち受けていると警告してきているのです。コレについてはインペレーター霊が書籍の中で説明して下さっていますので僕も知識として理解しています。
現在の僕は言わば「霊界側から選ばれて特別な仕事を仰せつかった人間」というポジションになりますが、その仕事を見事果たし切れば帰幽後に栄光ある未来が待ち受けていますが、道を踏み外した者は2度と回復不能と言えるほど哀れの極みの状態にさせられるとインペレーター霊が仰っています。
今の僕がまさにその哀れの極みの状態なのだそうで、このまま反逆を続ければ僕の帰幽後の未来は絶望の極みという事になるのですが、そう聞かされてもなお僕は現在の状況に閉じ込められるのが許せないので脱出の努力を続けます。脱出が完了するまで絶対にあきらめるつもりはないのです。それくらいイヤがっているという事なのです。
本人がこれほどまでイヤがっている事を強制しなければ霊的仕事を遂行できない、その時点で霊界側が作成した計画は失敗だったという事にならないでしょうか。それでも僕が責められなければならないのでしょうか、どうも釈然としないモノが残るのですが。
■2024年10月2日UP■「考えたらダメです厳禁」これは「小知を働かせてはならぬ」と同じ意味と思われます(祈)† 僕は何しろ霊団に本気の全力で反逆していますので、時々霊団をあからさまに軽蔑、侮蔑するような思念を心に燃やしたりします。それが宜しくない事は霊的知識的にも、これまでの経験上からも十分承知しているのですが、とにかく閉じ込められるのが頭にきて頭にきてどうしようもなくてそういう宜しくない事を考えたりするのです。(その僕の思念はもちろん霊団に伝わっているという事ですよ)で、霊団が「もっと我々を軽蔑しなさい」といった趣旨の事を言ってきていますが、これはもちろんその言葉の通りの意味ではなく逆説的な意味で言っているのでしょう。えっと、例えばですが、僕が帰幽後に向上したい一心で霊団におべっかを使うとしましょう。しかし霊界に“ウソ”というモノは存在しません。霊団には僕が本心ではないおべっかを言っている事が一目瞭然であり、僕はそれを知識として知っていますので、無意味なウソをつく事はせず、宜しくないと分かっていながらも霊団に対し罵詈雑言の思念をぶつける事があるのです。ウソの思念を並べ立てるよりその方がよほど正直だと思うからです…続きを読む→ ↑目次へ↑
ダニエル 役に立とう 直進しろ★
ハイ、ご覧の皆さまには申し訳ありません、もう完全に精神的にテンパってまして、絶望感がスゴクてとても長文を撃つ気になれません、と言いつつ何とか撃ち続けているのですが。今回は「直進しろ★ 」 のインスピレーションをブログタイトルに冠しました。
「ダニエル」 コレなんですが、以前からたびたび霊団が言ってくるインスピレーションで、僕という霊媒を使用して新規の霊言を降らせるという事がもし本当にあるとして(サークルメンバー問題解決の糸口が全くないんだからその日はやってこないと僕は思っていますが…)その降らせる霊言を語る高級霊がダニエル氏、という事を霊団は言っているようなのです。
霊団の口からはたびたび高級霊の名前が出てきますが僕は正直言って冷めて見ていまして、そういうモノに心おどらされているようではいけない、メッセージの真偽を冷静に判断しなければいけないと思っているのですが、まずは「ダニエル」についてコチラの抜粋をご覧下さい↓
「インペレーターの霊訓」より抜粋
「地上でダニエルの名で知られた霊は大変な高級霊が降誕したもので、強力な霊媒的素質を具えておりました。時として偉大なる霊が地上へ降誕、ないしは再生することがあります。が、これは例外に属することで、一般的によくあることではありません」
(注) – ダニエルは紀元前6世紀のヘブライの霊覚者で、旧約聖者にそのダニエルについての書がある。彼もメルキゼデクに始まってイエスに至る系譜の中の1人で、たぶんインペレーター霊団の1人であろう。☆
『ライオンの穴の中のダニエル』1615年頃 ルーベンス もし霊団の言うとおりダニエル氏から霊言が降ってくる、などという事が本当にあるなら、それはぜひとも降らせて書籍化すべきだと思うのですが、僕を現状に閉じ込めたままその仕事をやろうとしてるのがおかしい、まず脱出を完了させて、それから霊媒発動だろう、順番がおかしいだろうと思うのです。
それにまず根本的に霊団が言ってくる言葉を僕は信用できていません。これまでもエリヤ氏とかモーセ氏とか霊団は言ってきてますが、僕などというお子ちゃまにそのような高級霊の方が付いて下さる訳がネィだろう。
この「ダニエル」というインスピレーションは昨日山を登攀中に霊団が降らせてきたインスピレーションですが、僕は内心冷め切ってそれを聞いていたのでした。そんな事はどうでもイイ、まず脱出を完了させてくれ、それからでないとそんな話は聞く気にもなれない。僕はそう思ったのでした。
「役に立とう」 これは霊的知識的にごもっともなインスピレーションであり僕もぜひそういう人間でありたいと思うのですが、いくらなんでも自己犠牲の度合いがヒドすぎて、この閉じ込めの状態を維持したまま役に立つ仕事をしなさいと言われても「その前に環境を何とかしてくれ」と言わずにはいられないのです。
どう役に立つか、ですが、もちろん現在物質界で生活しておられる方々に「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の邪悪の正体について理解してもらう、および、霊的知識を正しく獲得してもらうという活動を通して役に立つ、という意味だと思いますが、霊団が言っているのはもうひとつの意味の方ではないかと思うのです。
それは先ほど「ダニエル」のインスピレーションも紹介しましたが、要するに僕という霊の道具を介して高級霊の方々が仕事をしようとしておられる、それを無に帰す事は許されないから何が何でも我々の導きに従いなさい、という意味が含まれていると僕は感じたのです。
僕ももしダニエル氏はじめ高級霊の方が僕という霊の道具を介して仕事をしようとしておられるのであれば、物質界に籍を置く人間としてこれ以上の光栄はないと思いますので、ぜひとも最大限の協力体制で臨みたいと思っているのですが、何しろ閉じ込めがヒドすぎるので僕の心が怒り憎しみに包まれており、すっかり謙虚が失われているのです。
「役に立とう」えぇ、僕もぜひそうありたいと思ってますよ。しかしその前にとにかくこの閉じ込めの導きの方向性を何とかしてもらえませんかね。いくら何でもヒドすぎるんですよ。僕は霊性発現前は謙虚を十分に維持していた、それが霊性発現後は怒りが先行して謙虚がどこかに行ってしまったのです。それを取り戻すためにも脱出を完了させてもらわねばなりません。しかし霊団は全くその気がないようなのです、次のインスピレーションでそれが分かります。
「直進しろ★ 」 ハイ、本当にヒドイインスピレーション、これは「脅し」以外の何ものでもないと思うのですが、霊団はこのように言ってきているのです。つまり現在僕を最悪の状況に閉じ込めていますが、その最悪のところから1歩も出ないまま生活しろと言っているのです。コイツら(霊団)は地獄の使者か、と思うくらいヒドイ言葉です。
まず、霊団が僕を閉じ込め続けようとする、その必死さが異常なのですが、そこまでするのにはもちろん理由があるはずであり、いくつか思い当たるところがあるのですが、まずひとつめとして、僕を閉じ込め続けるその場所で僕という霊媒を機能させて新規の霊言を降らせようとしている、という可能性が上げられます。
霊団が僕を霊媒として使用するためには「エクトプラズム」がある一定量以上必要です。エクトプラズムとは人間から抽出される霊質、物質、どちらにも感応する中間物質のようなモノと考えればイイでしょうか。イヤ、この説明は違うかも知れない。えー、現時点で入手できる霊関連書籍の中でエクトプラズムについてもっとも詳細に解説されている書籍は「霊性を開く」だと思いますので、その中から「エクトプラズム」の項目を抜粋してみようと思います↓
「霊性を開く」より抜粋 第15講 エクトプラズム
エクトプラズムは物理的心霊現象を解明する最後のカギと言われる。そのほとんど全部が多かれ小なかれエクトプラズムによって演出されていると見られるからである。
“見られる”と控え目な言い方をしたのは、エクトプラズムの本質あるいは正体がまだ解明されていないからである。物質的現象などで実際に肉眼に映じるのは実はエクトプラズムそのものではないのである。
そこで本講ではエクトプラズムの本質を直接論じることは避けて、まず今日エクトプラズムの研究家として最も権威のあるJ・ライト氏から提供していただいたエクトプラズムに関する諸事実を簡条書きにしてみよう。
本質を解明するにはまずあらゆる研究結果を総合的に検討することが先決だからである。そしてそのあと、ライト氏の研究成果から筆者が学び取ったことをまとめてみたいと思う。
ライト氏の研究成果
1、エクトプラズムそのものを五感で実際に感じ取った人はいない。エクトプラズムの現象はエクトプラズムそのものではない。
2、エクトプラズムは“物体”というよりは現象の“一過程”である。
3、その過程はエーテル界(霊の世界)で行なわれる。従ってそれを地上の言語で説明するのはきわめて困難である。
4、重さと大きさを有し力の作用を受けるものを“物”と呼ぶが、もしもエクトプラズムがその3条件を有していることが判明した時は、これを“物”と呼んでよい。
5、実験中、霊媒の身体のある要素が分解して半物質体を構成する。コナン・ドイルはこれを“物質と物質との中間宿”と呼んでいる。
6、その半物質体はわれわれがふつう言うところの物質とは性質を異にする。
7、霊媒の体内で分解された半物質体は、ガス体となって身体の“穴”(耳、鼻、喉等)から体外へ出る。
8、“穴”だから出やすいのではない。そこの粘膜が表皮より通過しやすいからである。
9、粘膜を通過して体外へ出るとすぐ、ガス体から粘着性の液状体に変化する。
10、その液状体は物質としての要素をいくつか具えているが、引力との関係になると現段階では確答は出せない。なぜなら上下左右の運動が自由自在だからである。われわれが腕を高く上げて力を抜くと、腕は引力の作用をうけて下に落ちる。もしもこの液状体を“物”とするならば、これは正に“生き物”である。
11、その色も今のところ確答は出来ない。なぜなら、色はそれに当てる光線(ライト)によって変化するからである。
12、これまで写真に写った色を見ても、まばゆいほど白いものから真っ黒いものまであって一定しない。
13、但し、その出る場所と色との間には顕著な傾向が見られる。すなわち、頭部から出るものは“白”、太陽神経叢のあたりから出るものは“薄黒”、ヒップの周辺から出るものはほぼ“黒”に近いといった具合である。
14、マージャリー(米国の女性霊媒)の実験会に出て来たウォルター霊の“手”はほとんど真っ黒であった。
15、液状体は出る場所と同じ組織形態を取る傾向がある。すると色もその出る場所の組織と同じ色になる傾向があるのかも知れない。いずれにせよ写真に写った色が照明の性質のみによるものでないことだけは明確である。
16、それ自体が発光性の生き物なのかも知れない。というのは、ホタルの例でわかるように、発光性の生物は自分で自由に光度を変えることが出来るからである。白い衣服をまとって出て来た物質化霊の白さは、単なる白色の物体にはとても見ることの出来ないものである。列席者のワイシャツの白さなどは比べものにならない。
17、物質化現象のときに限って床に水が散っていることがある。半物質体が霊媒の身体から出る際に多量の水分を含んでいると推察される。床に散っている時はそれが多すぎた時であろう。
18、霊媒の体内で分解され、ガス体となって体外へ出た直後と、それが使用され始めた時とでは、その硬度に差がある。たとえば物体を浮揚させる場合、その物体に近づくにつれて硬度が増していく。
19、長く伸びて中間が肉眼に映じないほど希薄になっていても、そこで途切れているのではない。かならず何ものかによって補充されているのであるが、その何ものかは固体でもなければ液体でもなく、ガス体でもない。ガス体よりも一段やわらかい何ものかである。にもかかわらずガスのように形が崩れることはなく、その安定性はまるで管にきっちりと詰められた液体のようである。が、実際は管に詰められているのではなく、ただその何ものかだけである。
20、その“何ものか”こそ、われわれが究めんとしているエクトプラズムである。これまで説明したものは“物質化されたエクトプラズム”の現象であってエクトプラズムそのものではない。
21、物質化霊の身体や衣服に触ってみると、ふつうの人間と少しも変わったところがない。にもかかわらず、体重を計ってみると想像の1/5であったり1/6であったりする。この事実によって物質化霊の中身が何か異質のもので出来ていることを知ることが出来る。
22、右に述べた“何ものか”と同じものが物質化霊の形体を支えているものと推察されるが、われわれは以下この“何ものか”をエクトプラズミック・フォースと呼ぶことにする。
23、エクトプラズミック・フォースは電気の良導体である。
24、赤外線を当てるとその70パーセントまで反射する。
25、バリウム・シアン化白金を塗ったスクリーンを背後に置くと影が映る。
26、あらゆる金属を貫通し反応を示さない。
27、絶縁体には反応を示す。(以上は物理化学的考察)
28、生物学的に考察すると、物質化現象は“出産”の過程と同一である。すなわち霊媒が物質化する霊に形体を提供する現象である。
29、すべての出産または発生の過程が暗闇の中で行なわれるように物質化現象も暗室の中で行なわれる。科学者の説によれば地球の大気層がもう少し希薄だったら地球上に生命が発生することはおそらく不可能だった筈だという。ということは、生命の発生にとって光線が有害であることを物語るものである。われわれが現在太陽光線に耐え得るのは皮膚の細胞に光線に対する抵抗力が具わっているからである。いずれにせよ、心霊現象が暗室で行なわれることは異常でもなければ変態でもない。あくまで自然の理法にかなっている。
30、あまり経験を積んでいない霊媒による実験では、現象が起きる直前に冷たい風が漂うことがある。これは、現象を起こすために室内のどこかでエネルギーの転換作業が行なわれていることを示す。
31、部分的物質化現象にかぎって極度に温度が下がる(4℃程度まで)ことがあるが、これは霊媒の力不足を補うために室内からもエネルギーを吸収するためではないかと推察される。
32、物質化されたものは、その大小・形態・種類の如何を問わず、かならず“へそのお”状の紐によって霊媒とつながっている。
33、暗室は母胎の子宮に相当する。キャビネット内での準備は子宮内での胎児の発育に似ており、なるべく時間をかけることが望ましい。赤外線の発見によってキャビネットのカーテンにあまり神経質になる必要がなくなった。
34、人間の出産に危険と恐怖とが伴うのと同様に、物質化霊がいよいよ出現する際にも非常な危険と恐怖(物質化霊自身の)とが伴うもので、列席者はそのことをよく心得て、勝手なことをせぬよう気をつける必要がある。危険を感知すると物質化霊はすぐ消えてしまう。
35、人間の物質化現象はいわば“再創造”であって、決して“新たに創造する”のではない。従ってギリシャ神話などに出てくるような、半分が人間で半分が馬といった架空のものを創造することは出来ない。
36、物質化現象において物質化霊の生前の指紋を取ることが出来た。
37、この指紋作製の事実によって物質化現象の基本原理が明らかになった。すなわち物質化現象とは霊魂の形体と同じものを拵えるのではなく、霊魂の形体そのものの内部および外部にエクトプラズムが充填される現象である。
38、霊魂の形体といっても、その霊魂の現在の形体ではなく、死に際して地球圏に残した“型”または“殻”である。その古い型の中に現在の霊魂が入ってエクトプラズムをまとうわけである。何十年あるいは何百年も前に死んだ子供がその頃のままの姿で出てくるのは右の原理に基づいている。
39、が、その原理にも例外がある。死産、流産、発育不全等のため“地上生活を体験せず”に他界した霊魂の場合である。この場合はその後エーテル界で発育した現在の身体のまま出てくる。
40、心霊現象はエーテル界と物質界との協同作業であるが、物理的法則が無視または超越されるようなことは絶対にない。たとえば物質化霊の体重が50ポンドである場合には霊媒の体重がきっちり50ポンド減っているといったごとくである。
41、また物体が浮揚した場合にはかならずそれを支えているもの、あるいは吊り下げているものが存在する。その場合、浮揚した物体の重量は霊媒にかかってくる。物体が30ポンドであれば霊媒の体重が30ポンド増している。(列席者に分散されることもある。 – 訳者)
42、物質化霊の体重が霊媒より重い時は、列席者その他から抽出して補わねばならない。
43、液状体は無定形の状態の時でも、すぐに組織化せんとする傾向を秘めている。
44、液状体が霊媒の身体のむき出しの裸の部分に出来た時はセロハンのように透明なシーツを構成する傾向がある。
45、反対に全身にきっちりと衣服をまとっている場合、あるいは液状体が衣服の内側に出来たときは、その液状体はチーズクロス(目の粗い薄地の綿布)のようになり、その形体も感触も霊媒の衣服に似る傾向がある。
46、液状体が霊媒から離れた場所で構成された場合は、その液状体の組成および感触はその部屋にある織物(カーテン、ジュウタン等)に似る傾向がある。極端な場合はその織物の修繕箇所がそのまま現われることがある。
47、聖書にはわずかなパンが幾千個にも増え、数匹の魚が幾千匹にもなったという話が出ているが、右の事実によって、これと同じことが実験室内で起きることが理解される。たとえば列席者のハンカチの同一のものを拵えようと思えば、そのハンカチを“鋳型”にして液状体の上にプリントすればよい。ビールスの繁殖もこれと同じようにプリンティングによって簡単に出来る(心霊実験におけるビールスの繁殖は分裂によるのではない)。これによって聖書の奇跡が物品引寄現象でないことがわかる。もしもその奇跡の原料となった数個のパンが小麦粉であったなら、増えたパンも小麦粉で出来ていたはずである。同じように、最初の数匹の魚がタラであったら、増えた魚もタラだったはずである。
48、シーツに透明なものと繊維質のものとがあるのにはわけがある。透明なシーツは現象の過程を列席者に見せるためであり、繊維質のシーツは物質化霊の“出産”に際して、それを保護するために使用される。いかなる生命の誕生にも保護嚢(のう)はつきものである。
49、以上によってエクトプラズムの素材が室内の装飾品からも摂取されることが明らかとなったが、それ以外に列席者の身体からも抽出されることがある。何度も列席したことのある人が極度の疲労を覚えた経験があるのはそのためである。
50、仮に赤い花を室内に生けておけば物質化霊の衣服にその花とそっくりの色が現われる。女の人に赤い服を着てもらっても同じことが見られる。
51、寝間着のまま立ち会えばその寝間着とそっくりの柄が出る。背広で出席すればその背広と同じ色が出る。
52、インディアンの酋長が出る時は色とりどりの布切れをたくさん用意しておくとよい。そういうことをすると“擬装”の嫌疑をかけられるかも知れないが、物質化するためにはそれ相当の原料がいるのであり、しかもその原料はなるべく近くにあることを要するのである。
53、右の3項はエーテル化現象には適用できない。エーテル化現象は物質化現象とは別である。エーテル化現象については74で説明する。
54、物質化霊の口から自分の声が聞こえたり、隣に座っている人の声が聞こえたりすることがある。この事実によって、声もコピーすることが出来ることがわかる。
55、また列席者の指紋もコピーすることが出来る。
56、出現した物質化霊といちばん密接な関係にあるのは、言うまでもなく霊媒である。
57、物質化霊と霊媒とは文字どおり一心同体である。言ってみれば霊媒の身体が膨張して、その一部を霊魂が占領している状態と思えばよい。
58、このように物質化現象は典型的な“霊媒現象”である。すなわち霊媒の身体と精神とを利用することによって生じる現象である。霊媒というひとつの機構を霊媒自身と出現霊とが共同で使用していると言ってもよい。このことは、霊媒の口からアルコール、玉ねぎ、ハッカ、タバコ等の臭いがする時は、物質化霊の口からも同じ臭いがすることによって知れる。また物質化霊の指紋が霊媒または、列席者のうちでいちばん多量にエクトプラズムを貸している人のものに似ていることもある。
59、物質化霊が汚れた場所や黒色の顔料にさわって手を汚すと、霊媒の身体のどこか、とくにその汚れた部分と同じところ、あるいはその近くに、同じ汚れが現われる。
60、また右の原理と同じで、物質化霊に与える危害は霊媒あるいは立会人に及ぶ。その逆も同じである。それ故、許可なくして物質化霊あるいは霊媒、又はその物質化霊と関係ありと見た立会人に触れてはならない。(その立会人からもエクトプラズムが抽出されている場合 – 訳者)
61、物質化霊に触れること、ないしはその身体の一部、たとえば頭髪を切り取ることを許された場合にも、その場かぎりの模造品といった気持ちで手荒な取り扱いをすることは禁物である。58で説明した如く、たとえ形の上では摸造品であっても、実質的には霊媒と密接不離、まさに一心同体の関係にあるのであるから、物質化霊の髪を切り取ることは霊媒の髪を切り取ることと同じ気持ちで丁重に扱わねばならない。衣服の一部を切り取る時も同じことである。
62、切り取ったその一部はエクトプラズムそのものではない。エクトプラズミック・フォースという不可思議な力によって支えられた物質にすぎない。従って重さと大きさを有し、力学的作用にも反応を示す。
63、切り取ったものを顕微鏡で細かく調べてみると、組織的には身体から取ったもの(頭髪等)は霊媒の表皮組織に酷似しており、衣服から取ったものは室内にある繊維製品(とくに霊媒の衣服、カーテン等)の組織と全く同一であった。又、性質的には窒素化合物の性質を有し、フィラメントは単一であった。
64、物質化霊の体重は概して霊媒より軽いのが通例であるが、時には霊媒の体重をはるかにオーバーすることがある。これまでの最高記録としては約135キロというのがあった。こうした場合はきまって列席者の数も多い。この事実によっても、その原料が列席者からも相当抽出されていることが知れる。
65、物質化霊はまた霊媒には到底出しきれないような“ばか力”を出すことが出来る。そのような時は物質化霊以外の力が加わっているとみることは妥当であるが、ただそれだけ、つまり外部から他の力が加わっただけと断定するのは早計である。なぜなら試しに扇風機を使用して物質化像に強烈な風を当ててみたところ、その物質化霊が軽衣服の上に掛けていた一見しなやかな布が微動だにしなかった事実があるからである。これによって液状体の内部には特殊なエネルギー組織があるものと推察される。
66、霊媒およびその周辺に存在しないもの(色など)は物質化霊に現われないことはすでに述べたが、たとえ存在しても現われないことがあるのは、心理的要因も含めて、何らかの理由があるものと推察される。
67、霊媒が白人である場合、出現する霊が有色人種であってもメラニン色素がないのが普通である。
68、アポーツはドラマチックな効果の演出のため、又は証拠品として引寄せられることがあるが、霊媒現象にとって不可欠の現象とは言い難い。引寄せられたものは用が済めば消えて無くなることがある。
69、アポーツの事実は、現在まだ地上にいる人間が直接談話に出る事実によって立証できる。人間には人体とそっくりの複体(ダブル)というものがあり、声の主は肉体から脱け出て(幽体脱離現象)複体の姿で実験室を訪れ、霊媒から抽出した液状体を複体の咽喉(のど)の型にはめ込んで話す。
70、物質化霊が鏡像(反射像)の形で出現することがある。すなわち地上で右ききだった人が左ききとなって出現し、頭髪を左に分けていた人が右に分けて出てくる、といった現象である。指紋が逆に映る場合もある。指紋の場合は単に平面的に反対になっているだけでなく、凹凸(おうとつ)まで逆になっていることもある。この鏡像現象の内面機構は今後に残された重要な課題である。
71、時として口に入れても入りそうな縮小物質化像が練り粉のようなエクトプラズムの中に出現することがある。それほど小さいにもかかわらず一切の形体と機能を具えており、決していい加減な模造品ではない。日本には樫の木を縮小して保存する技術があるが、人間が死に際し残す“殻”も、それと同じ原理で縮小されて保存されるのではないかという説もある。ともかく、これは物質化現象の解明のカギを握るものも思われる。
72、以上は純粋の物質化現象 Materialization についての研究であったが、このほかにも物質化現象の部類に属するものが3つある。すなわち変貌現象 Transfiguration、擬装現象 Simulacrum、そして前にも述べたエーテル化現象 Etherealizationである。
73、変貌現象 – これは液状体が霊媒の顔面から滲み出て来て、それが次第にある霊魂の顔立ちに変わっていく現象である。ある霊魂とは霊媒に憑依している霊魂のことである。液状体が滲み出て来た時の様子は、ちょうど霊媒の顔を練り粉で塗りつぶしたみたいである。そのお化けのような顔が変化して憑依霊の顔立ちがすっかり出来あがると、キャビネットから出て来る。
74、擬装現象 – これは出現しようとする霊媒が前もって自分とほぼ似た形体を拵えておき、あとでその形体の中に入って自分の霊体に合わせる現象である。ちょうどわれわれがコートを着るのと同じようなものだと思えばよい。コートを着るとわれわれはまず襟を合わせ、しわになったところを手ではたいたりして体裁をつくろう。それと同じように、ほぼ出来あがった形体の中に侵入した霊魂は、出来るだけ生前の自分に似せようとして内側からも外側からも細工を施し、まずまずの体裁が整ったところでキャビネットから出てくる。それ故その物質化像はあくまで“自分に似せて作ったもの”であり、平面的に似ているだけで立体感がないことが多い。それが“作られる”ものである以上は、それを“作る”技師が背後で働いているに違いない。
75、エーテル化現象 – これは一口に言えば透き通って見える物質化像のことである。その内面機構は他の3種よりよほど単純なものと思われる。と言うのは、前の3種の物質化現象に見られる物質化像の原料はかならずその室内に発見されるのに反し、エーテル化現象ではアメリカン・インディアンのあの派手な装束やインド人の宝石のついたターバンのような、実験室内に原料のないものまでまとっていることがあるからである。エーテル化像はめったにしゃべらない。たとえしゃべっても、口が動いているのが判るだけで、声は全然と言ってよいほど聞こえない。物質化の程度が希薄で声帯の粘膜がないためである。
76、以上がエクトプラズムに関する今日までの研究結果である。五感と知能とを駆使して得た人間的努力の産物である。霊界人から教わったものは殆どない。結果(現象)から原因(内面機構(メカニズム))を探るほかはないからである。
77、同時に霊界人もメカニズムがよくわからないままやっていることもあるようである。それはちょうどわれわれが腕が上がるメカニズムを知らないまま上げ下げしているのも同じである。また食べたものがどういう具合に消化されるのか、なぜ物が見えるのか、なぜ聞こえるのかもよくわからないまま生活している。物質と霊質との関係はわれわれだけでなく霊界にもよくわからないことがあるのであろう。ただ霊質の方が物質にまさる威力を秘めていることだけは確かである。が、確かなのはそこまでである。
(“Ectoplasm”by J. G. E. Wright)
ライト氏の研究が教えるもの
以上でわれわれは今日までに明らかにされたエクトプラズムに関する最大限度の資料を手にしたことになる。今日の段階において、これだけの資料は他では得られないことを断言しておきたい。
さてその資料を一読して受ける第1の印象は、エクトプラズムというのは単なる物質ではなく、それ自体が立派に生きているもの、つまり“生物”の一種であり、しかもその生物は意念や記憶の力によって自由自在に操ることができるものだということである。
他の細かい点は別として、まずこの事実だけは誰もが感じ、またそう認めねばならない確定的事実であると言えよう。われわれの今後の研究は右の事実つまりエクトプラズムは生きているということを第一の前提としなくてはならない。
エクトプラズムが単なる物質とは違うことから、心霊学者の中にはこれをサイコプラズム Psychoplasm と呼ぶ人がいる。(psycho には霊または精神の意味がある)その1人が第13講のトランスの説明の中でも紹介したハリー・ボディントン氏で、次のように解説している。
《われわれを取り巻いている自然界はすべて、物質の範疇を超えたある不思議な力(フォース)が凝縮したものである。有機体である人間もやはり同じである。
人間においてはその力は神経組織の中に収められていて、われわれが食するものを肉体の一部となし同時にその体躯を支えるエネルギーに転換し、精神的には感性や思想、あるいは表現機能の発達を促す。
その意味ではわれわれの体内で常に物質化現象が起きていることになり、人間は居ながらにして立派な物質化霊なのである。その力をサイコプラズムという》
ここまで来るとエクトプラズムの研究は単に実験室における物質化現象の解明にとどまらず、物質そのもの、人体、あるいは生命の誕生などの本質の解明にまで手を伸ばしかけている。いや、すでに一歩踏み込んでいる。
たとえば人間の出産について考えてみると、もしもボディントン氏の言うように人間がいながらにして物質化霊であるなら、その物質化霊である人間の中から心霊実験と同じ原理でさらに新しい物質化霊が生まれても少しも不思議ではないわけである。
これは正(まさ)しく自然界の因果律、すなわち原因が結果を生みその結果が新しい原因となって次の結果を生んでいくという不変の摂理を教える絶好の例である。自然はことごとく心霊現象なのである。心霊現象は決して摩訶不思議な異常現象ではないのである。ここまで来ればもはや心霊現象すなわち自然現象と断定して差しつかえない。
かくしてエクトプラズムの研究は図らずも生命の謎を教えてくれた。しかし生命の謎といっても、それは大海の一滴にも相当しないであろう。その奥にさらにどんな謎がどれだけ山積しているかは、正に神のみぞ知るである。
れわれ地上の人間としてはあくまで謙虚に、忠実に、与えられた知識、開かれた窓を通して、1歩1歩たゆまぬ研究の歩を進めていくほかはないのである。
ハイ、長い抜粋で申し訳ありませんが省略する訳にもいきませんので1章そのまま掲載させて頂きました。で、そのエクトプラズム供給源として僕がずっと言い続けている「サークルメンバー問題」というのがありまして、要するに僕以外の人間からもエクトプラズムを抽出しなければ僕という霊媒を使用して霊言を降らせる事はできないという事になるのですが、そのエクトプラズム抽出者となるサークルメンバーは誰でもイイかというと、そうではないのです。
ある一定以上の霊的知識の理解、および正しい心の持ち主でサークルメンバーは構成されていなければなりません。心の粗野な人物がサークルメンバーの中にひとりでもいると、抽出されるエクトプラズムも性質が粗野となり、霊団が僕を使用して発生させる霊現象も粗野となり、信頼性が疑わしいモノとなってしまいます。
霊団が僕を現在の最悪のところに閉じ込めている理由が、この「サークルメンバー問題解決」という事だと普通は思うでしょう。イヤしかし、あの場所にサークルメンバー候補になり得る人間はいないと僕は断言します。絶対にあの場所で僕が霊媒として発動する事はないと言い切ってイイでしょう。で、それは僕より霊団がいちばん分かっているはずなのです。
ですので僕は、霊団が僕を何が何でも現在の最悪のところに閉じ込めようとしている理由が「サークルメンバー問題」ではないと考えるのです。では何か。それが「僕の心の問題」ではないかと思っているのです。
霊団が何年も前からしつこく僕という霊媒を使用する旨のインスピレーションを降らせ続けていますから、その部分はたぶん真実なのでしょう。しかし霊団があの最悪の場所からサークルメンバーを選び出そうと考えているというのは非現実的です。ですのでたぶん霊団がサークルメンバーとして使用するつもりでいる人間は他のところにいて、そちらの準備はもう整っているのではないか、という予測をしたりもするのです。
準備ができているのなら、あとは僕をそこに移動させればすぐにでも新規の霊言を降らせられるじゃネィか、と思うのですが霊団はそれを一向にやろうとしない、なぜなのか。それが「僕の心の水準がまだ霊団が設定している段階にまで到達していない、そのレベルまで道具(僕)のレベルを上げてからでないと霊言を降らせる事はできない」という事なのではないか、と思ったりしているのです。
スピリチュアリズム勃興から現在まで、膨大な霊的知識が物質界にもたらされてきました、それらを読み返すだけでも十分すぎるほど霊的知識を獲得する事ができます。そして今、霊団が僕という霊媒を使用して新規の霊言を降らせるとして、以前のスピリチュアリズム勃興時代と同レベルの霊言を降らせるというのはチョト考えにくいと普通思うのではないでしょうか。
僕という霊媒を機能させるのであれば、スピリチュアリズム勃興時よりも1歩2歩進んだ内容を降らせようと考えるのがもっとも自然ではないでしょうか。その進んだ内容の霊言を降らせるためには霊媒の精神状態、霊格も進んでいなければならないのは言うまでもありません。精神的に未熟な霊媒から高等な霊言を降らせる事ができるでしょうか、できる訳がありません。「霊訓」を降らせた霊媒モーゼス氏を見ればそれは1発で分かります。モーゼス氏は高潔の極みのような人物でした。だからこそあれほどの高等な霊言を降らせる事ができたのです。
で、霊団がどこまで考えているのかは知りませんが、僕という霊媒を使用するにあたり、考えられる限り僕の精神状態を鍛えて霊格を高めて、降らせる霊言のレベルを上げようとしているのではないか、と考えれば霊団が異常なまでに僕を閉じ込めようとしている理由がギリ分からなくもない、という事になるのですが、やらされている僕はたまったモノではありません。
エリヤ氏とかモーセ氏とかダニエル氏とか、霊団は有り得ない御名を連発して降らせてきますが、もしそれらインスピレーションが真実だった場合、それら高級霊の方々が語る内容を受信し物質界に拡散する道具としての僕は相当に洗練されていなければならないというのは容易に想像できます。
逆に言えばエリヤ氏、モーセ氏、ダニエル氏ほどの高級霊が物質界に霊言を降らせようとしているとすれば、それにふさわしい霊媒を慎重の上にも慎重に選別し、選別し終わってもなおレベルが足りないはずですからそこからさらに鍛錬が始まって、エリヤ氏、モーセ氏、ダニエル氏等のそうそうたる方々が語る内容を濁さず歪めずに物質界に降らせる事のできる精神的レベルにまで到達させようとするはずです。
霊団はこのような事をひとことも言ってきませんが、霊団の僕を最悪の中に閉じ込め続けようとするその必死さが異常すぎるので、僕は常々「行動には動機がある」と公言していますように、その霊団の必死さには当然理由があるはずですので、その理由がそういう事なのではないか、などと予測したりするのです。あくまでも僕の個人的予測です。
この理由であれば、現在僕が霊団主導でやらされているヒドイ試練もギリ分からなくもないという事になるのですが、だからと言ってこの閉じ込められた状態を容認する事にはなりません。あくまでも僕は脱出の努力を続けます。と、口では強がりを言うのですが実際は、2サイトの投稿をどれだけ続けてもまず脱出は実現できないだろうという考えたくもない予測に到達しつつある状態です。
恐るべき、恐るべき絶望感が襲ってきます。これほど精神的に追い詰められたのは長い人生の中でほとんど記憶にないかも知れません。イヤしかし、僕にはあきらめるという選択肢はありません。こんなヒドイ事をする奴らが高尚な霊言を降らせてくる訳がない、そう思っていますので僕は帰幽1秒前まで脱出の努力を続ける覚悟です。どんなに脅されても死んでもあきらめないよ(祈)†
↑目次へ↑
■2025年1月29日UP■「ようやく春が訪れます」霊界側の積年の悲願がようやく成就されるという意味ですが(祈)† 現在の霊団はアフォじゃネィかというくらい僕をイジメにイジメ抜こうとしてきますが、この宇宙に偶然はありませんのでもちろんこれにも意味がありまして、物質圏に降下しての霊的知識普及の仕事は苦難と忍耐のレベルがタダ事ではなく、並大抵の忍耐力では務まらないのだそうです。深海(6000mとか8000mとか)で潜水服を着て活動しているダイバーが、もうひとりのダイバーに潜水服越しに話しかける、霊界の人間が物質界の人間に語りかける事はそれくらいむずかしく忍耐がいる事なのだそうです。何しろ異なる次元間にあんなシチメンドクサイ橋、こんなシチメンドクサイ橋をかけて波長の下降操作をやらねばなりませんので、それが不愉快でならないのでしょう。つまり現在霊団が僕をイジメまくっているのは、帰幽直後からその潜水服をやらせるためなのではないかと、つまり猛烈にストレスのかかる仕事をやらせるために僕の精神力を鍛え続けていると、そういう意味なのではないかとイヤな予測をしているのです。本気の全力でお断りしたいんですけども。その対価として祝福だの何だのと言ってくるのではないか、と考えると少しこのインスピレーションの意味も納得できたりできなかったり…続きを読む→ ■2025年1月22日UP■「従ってもらう」恐ろしいインスピレーション、反逆を無に帰せられる可能性(祈)† 霊団がそのつど僕に書かせてきたブログひとつひとつはしょーもないものだったと思いますが、霊団は大局を見て僕にそれらブログを書かせてきたのであり、その大目的は他でもない、イエス様を総指揮官とした「スピリチュアリズム普及の大事業」の推進に他なりません。ごく初期の頃の無料ブログ時代には「ピーチピチ(佳子)骨肉腫で帰幽イイわぁぁぁ♪」というブログを霊団によって書かされた事もありました。そのブログをお読みになった多くの方々は「おぉぉ!これは正真正銘のヴァカが現れたな、このたきざわ彰人とかいうヤツは完全に頭がイッちゃってるな」と思った事でしょう。そのブログも、それ以外のブログも全て霊団が降らせるインスピレーションに基づいて書いた(書かされた)モノであり、僕だってテキスト撃ちながら「コレは何なんだろうなぁ」と思っていたのですよ。しかしインスピレーションに従わなければ霊性発現した意味が無くなってしまいますので「なんだかなぁ」と思いつつもあのようなブログを連発して書いていたのです。しかしそれらアフォブログのおかげというべきか、僕、たきざわ彰人の存在および「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の邪悪の正体は年を追うごとに日本国民に知れ渡っていきました。全ては大計画「イエス様のご意志遂行、スピリチュアリズム普及」のためだったのです…続きを読む→ ■2025年1月15日UP■「済まされないと思うよ」ふたつの意味があります、どのみち最悪の意味となります(祈)† 皆さまはこの「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を「洗脳」によって善人だと勘違いさせられ、この大犯罪者どもを陛下だの殿下だの、さまだのと呼んで頭を下げ、血税をプレゼントしてコイツらの強姦殺人ライフをサポートしてあげている事になるのです。その事に気付いている人がこの日本に一体何人いるでしょうか。使命遂行開始ごく初期の頃、僕は真実を理解していない、洗脳に完全にやられてしまっている多くの人間たちからさんざん攻撃を浴びせられてきました。ブログやSNSに僕を侮辱する内容の書き込みが何度も届き、車の運転中に突然ドアをバンバン叩かれて罵声を浴びせられた事もあります。セブン(イレブン)にいた時も僕を侮辱する目的でふたり組の男が入店し、半暴力沙汰になって僕がALSOK(アルソック)を呼んだ事までありました。皆さまはあと何千回何万回この事実を聞かされれば洗脳を撃ち破る事ができますか。皆さまはそんなに強姦殺人魔が好きですか。正しいおこないをする僕のような人間が憎いですか。「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁と、僕、たきざわ彰人、どちらが帰幽後、至福の境涯に赴くと思わますか。この全宇宙を経綸する【神】は、大量強姦殺人魔と僕、どちらに祝福をお与えになると思われますか。どちらのおこないを佳しとすると思われますか。こんな当たり前の事をいちいち説明しないと分かりませんか。そろそろいい加減に洗脳から目覚めて頂かないと困ります…続きを読む→ ■2025年1月8日UP■「死ぬ決定だからな死ぬ死ぬ死ぬ」それと僕を閉じ込める事とは関連がネィだろう(祈)† そもそも僕は「帰幽カモン」です。物質界に1秒も残されていたくないのです、一刻も早く帰幽して霊界生活に突入したいのです。なのでやるべき仕事をキッチリやり切ってとっとと帰幽できれば別にそれでいいのです。必要以上に物質界に残り続けようとか、肉体の寿命を延ばして長生きしようとか、そういう事は全く考えていないのです。物質界に残り続ける事は不幸以外の何ものでもありませんからね。霊的知識をどうかお勉強して下さい。ですので僕の本音としては「僕の物的生命の生き死になんかどうでもイイから物質界の邪悪をこのタイミングで滅ぼせよ。それを達成して帰幽できれば僕は全然それでイイんだよ」という事になるのですが、霊団はそうは考えていないようなのです。んーまぁ、霊団が僕を守ろうとしている事はなんとなく分かるので、そこをあまり責めてはいけないのかも知れませんが、霊団がやっている事はただダラダラ事態を引き延ばしているだけ、実際は何もやってない、という事になるのでそこが頭にくるのです。そして僕がいちばんムカつくのは、僕が「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁に殺されるのを防御する事と、僕を最悪のところに閉じ込める事とは何の関連性もネィだろう、ただ殺されないようにするだけだったら閉じ込める必要はネィだろう、という事です…続きを読む→