コナン・ドイルが近代医学を修めて眼科医として開業したころは、折しも米国で勃興したスピリチュアリズムの潮流が英国へ流入して、第一線の科学者や知識人も黙視していられないほどに話題が沸騰していた。が、唯物的人間観で埋めつくされていた当時のドイルの頭には、霊的なものの入る余地はまったくなかった。

が、百の理論も1個の事実には敵わない。そのうち自分が主治医をしていた海軍将校に招かれて交霊会に出席し、物品引寄(アポーツ)という、物理法則を完全に無視した現象を目(ま)のあたりにして、それまでの唯物観に亀裂が生じた。ドイルにとっての人生の大転換はその時に始まり、スピリチュアリズムを真剣に勉強するようになっていった。

私事で恐縮であるが、私にとってのスピリチュアリズムとの出会いは18歳の時、高校3年生になりたての頃だった。

死とは何だろう、今なぜ自分はここにいるのだろうと、ひとり前に人生に疑問を抱き、当時人気の高かった『三太郎の日記』や『哲学入門』などを読みあさっていた時期に、本文の訳註でも述べたが、私の生涯を決定づけることになる間部詮敦(まなべあきあつ)という霊能者との出会いがあり、その直後にこんどは津田江山という、当時いちばん脂の乗り切っていた物理霊媒による実験会が福山市で開かれて、母の理解もあって、出席することができた。

百聞は一見に如(し)かず、とは言い古された諺であるが、やはり真理である。そのたった1回の心霊実験会での体験で、私は人間の能力をはるかに超えた目に見えない知的存在の実在を骨の髄まで思い知らされた。これまで世界の心霊現象に関する記録を読んできて、津田江山氏の能力は世界的にも遜色のないものだったことを知って、自分の幸運を感謝しているところである。

以来40年近い人生の中で、死後の実在を真剣に疑ったことは1度もない。20代にはふと疑念が頭をもたげかけたことがあったが、その実験会のことを思い起こすと、その疑念も立ちどころに消えた。それほど実験で見た心霊現象の印象が強烈だったのである。

しかし、今と同じ個性と意識をたずさえて死後にも存在し続けることは間違いない事実であるとしても、それで自分とは何か、人間とは何かという命題がすべて解決するわけではない。“生”と“死”の哲学が“生”のみの哲学となるだけのことである。

この“人間とは何か”という命題にはふたつのアプローチの仕方があるように思う。ひとつは、人間の構成要素はどうなっているのかという視点、もうひとつは、自我という意識の本体は何か、そしてどこにあるのか、という視点である。

このうち最初の構成要素の問題は訳註でイラストを掲げておいたのでご覧いただいたことと思う。スピリチュアリズムではこれが定説となっており、スピリチュアリズム以外の分野でも、霊視能力者は同じような説、いわゆる“四魂説”を説いている。私は、これはもはや間違いない確定的事実であると断定してよいと考えている。

が、誤解しないでいただきたいのは、この4つともあくまでも“媒体”であって“自我”そのものではないということである。では、その“自我”、こうして意識している“自分”とはいったい何なのであろうか。

生まれ出た時、われわれは泣くことと乳房に吸いつくこと以外、自力では何ひとつできなかった。それがやがて笑うようになり、寝返りをうつようになり、ハイハイができるようになり、お座わりができるようになり、やがてつかまり立ちができるようになって、親は大騒ぎをする。

大騒ぎして喜ぶということは、それが大変な日数と努力を要する、お目出たい、有り難いことであることを物語っている。確かに、不幸にして順調にそうは行かない子もいるのである。しかも、そうした一連の成長過程の何ひとつとして、親が教えたものはない – みな自然発生的にそうなった。一体その原動力となっているのは何なのであろうか。

さらにその後、まさに驚異といえる人間特有の才能が芽生えてくる。ことばが話せるようになる。文字が読めるようになる。数がかぞえられるようになる。絵をかき、歌をうたい、詩に感動し、恋を知り、理性に目覚める。

その反対の感情として、人を憎んだり怨んだり、怒ったり悲しんだりすることは、精神衛生上からいうと“不健康”なことかも知れないが、最初は目に見えないほど小さな精子と卵子の結合体にすぎなかったことを思うと、私にはそれも素晴らしいことに思えてくるのである。

一体どこからそういう意念や情念が湧いてくるのであろうか。自分の意識では抑え切れないことがあるところを見ると、どうやら今の意識そのものではなさそうである。

実はスピリチュアリズムとの出会いがあって間もないころに私は、日本におけるスピリチュアリズムの草分け的存在である浅野和三郎の著書で日本の古い資料を現代風にアレンジした『幽魂問答』というのを読み、それが“自我”に関する疑問にいろいろとヒントを与えてくれているような気がして、40年余り私の心の隅にひっかかっていた。それが4年前の昭和63年の春ごろから再び脳裏をかすめるようになった。


宮崎大門『幽顕問答』(表紙)

それまでの40年余り、スピリチュアリズム関係の著書を枚挙にいとまがないほど読んできて、私自身は、さきほども述べたように、“生と死”から“生”のみの生命観へと転換し、それを当たり前のように理幽解していたのであるが、なぜか『幽魂問答』だけは趣(おもむき)が違うような思いがしてならなかった。

それは多分、主人公の加賀武士の霊が由緒正しい大名の家柄で、武士道精神の固まりのような凜々(りり)しい青年であり、それが“数百年”もの歳月をかけて宿願を果たしたという、尋常な時間感覚を超えたドラマチックな物語だったからかも知れない。

ともかく私はそれを書棚の奥から引っぱり出して、もう1度読み直した。80ページばかりの短いもので、あっさりと読み通したが、読み終えて、ふと、浅野氏は何をネタにしてこれを書いたのだろうか – どこかに原典があって、それをアレンジしたに違いないから、その原典はどこかにあるに相違ないと思い、日本心霊科学協会をはじめとして、日本の心霊関係の機関に電話で問い合わせたが、そういうものはないし、もしあったらウチの方が欲しいくらいだといった返事ばかりだった。

そこで、そのドラマの舞台となった福岡県内の主な古書店に片っ端から電話で聞き合わせてみたが、見たことも聞いたこともないという返事ばかりなので、意を決して、五月の連休を利用して福岡の県立・市立両図書館を訪ねてみた。

そして、幸い郷土史家の協力もあって、それが、A3判ぐらいの和紙44枚をふたつ折にして綴じた、宮崎大門(おおかど)記『幽顕問答』であることが分かった。福岡県文化会館・太田資料No.281として保管されているもので、県立図書館の特別の厚意で全ページをコピーさせていただいた。

見出しは〈天保十年丁亥八月廿四夕陰靈出現發端之事〉となっていて、漢字とカタカナで綴られ、ところどころに小さい文字で“註”が施されている。

一種の憑依現象で、発端から一件落着までの時間は、延べにして20時間ほどにすぎないが、事の成り行き上“さにわ”の役をすることになった宮崎大門という宮司がよほど直観力の鋭い人だったらしく、最初からこれはただならぬ現象であると見抜いて細かくメモを取り、漢方医の吉富養貞にもメモを取らせておいて、帰宅してから徹夜でそれをつき合わせて整理し、清書したものだという。

概略を述べると、話は天保10年、西暦1839年のことで、米国におけるハイズビル事件の約10年前、ペリーが黒船来航する10数年前のことである。その7月4日のことであるが、筑前(福岡)の酒造家・岡崎伝四郎の若主人・市次郎が急に熱病にかかり、寝ついたきり2か月たっても一向に回復せず、からだはやせ衰える一方で、餓鬼のようになってしまった。

何人もの医者に診てもらったがまったく効果が見られないので、伝四郎は近くの神社の宮司で修法家の宮崎大門に依頼して、神道流の加持祈禱をしてもらうことにした。

その大門が訪れた時は、市次郎はもはや重態におちいっていて、数人の医者と家族・親戚、それに近所の人たち3、40人が集まって心配そうに見守っていた。

大門は急いで加特に取りかかることにして、まず祝詞を上げて祈念したあと、大刀を振りかざして呪文を唱えながら振り下ろすことを何度か繰り返すうちに、重態だったはずの市次郎がむっくと起き上がって布団の上に正座し、眼光鋭い眼差(まなざ)しで、大門が大刀を右へ振れば右へ左へ振れば左へと、油断なくその切っ先を見つめ、まばたきひとつしない。

その時の様子を大門は傍註で、《この時の趣はなかなか短筆にては書き取り難し。その座に居合わせたる3、40人の人々、それを見てよく知るところなり。面色みな青ざめ、身の毛もよだちしと、のちに言えり》(漢字・仮名づかいなどは修正。以下同じ)

と解説している。2か月近くも病床にあって髷(まげ)も解け、ざんばら髪となった上にひげも伸び放題だったので、そのものすごい形相が目に浮かぶようである。

さて大門の加持が終ると、市次郎は両手をひざの上にきちんと置いて一礼し、ついに口を開いてこう述べた。

「これほどまで懇(ねんご)ろに正しき道筋を立てて申される上は、もはや何をか包み隠さん。元は加賀の武士にて、故あって父とともにこの地に至り、無念のことありて割腹せし者の霊なり。これまで当家に祟(たた)りしが、いまだ時を得ずにまいった次第。一筋の願望あってのことでござる」いまだ時を得ずにまいった次第。一筋の願望あってのことでござる」

そこで大門が、何の目的あってこの地に来(きた)り、いかなる無念のことあってのことかと尋ねると、「余は父を慕いてはるばるこの地に来りし者なるが、父はこの地にて船を雇い、単身、肥前国(佐賀)唐津へ赴きたり。別れ際に父は余に向い、“汝は是非ともこのまま本国(加賀)へ帰れ。1歩たりとも余についてくることはならぬ”と言い放てり。このことには深きわけありて、今あからさまには告げ難し。さらに余が強いて乗船を乞うとも、父はさらに許さず、“どうしても帰国せぬとならば、もはや吾が子にあらず”と申せり。

かくまで厳しく言われては、子たる身の腸(はらわた)に徹して、その言に従うこととなれり。さりとて、本国へは帰り難き仔細あり。父が出船せしのち、取り残されたる吾が身はひとり思いを巡らせど、義に詰まり理に逼(せま)りて、ついに切腹して果て、以来数百年の間、ただ無念の月日を送りたり。吾が死骸は切腹したるまま土中に埋もれ、人知れず朽ち果てたり…」

そう述べた時には目に涙すら浮かべて、世にも悲しげな表情だったという。“国元へ帰り難き仔細”というのは、あとで武士みずから明かしたところによると、この武士の家は加賀の殿様から三振りの刀を下賜されたほどの誉(ほま)れ高い家柄だったのが、あるお家騒動で父親が濡れ衣を着せられ、殿の怒りを買って国外追放となったという。

その出国に際して当時17歳だったその武士も、ぜひお供をしたいと思い、再三そう申し出たのであるが、父親は断固としてそれを拒(こば)み、お前は我が家のたったひとりの男児なのだから居残っ家を再興してほしいと頼み、母親にもその旨を言い含めて出立したのだった。

が、その後も父を慕う思いを抑え切れないその武士は、ついに母親の制止を振り切って、伝家の宝刀を携えて出国し、諸国を訪ね歩いて、6年ぶりに父に再会した。右の話はその時のことである。そのあと大門と武士との間で次のような問答が続いている。

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泉熊太郎の霊を祀る祠(階段の上)

大門「何のためにそれほどまで人(市次郎)を悩ましむるや」

「ひとつの願望あり。その事を果たさんとてなり」

大門「ひとつの願望とは何のことぞ。切腹したる時は何歳なりしや。姓名は何と名のられしぞ」

「余の願望は一基の石碑を建てていただくことにて、その一事さえ叶えてくださらば今夕にも当家を立ち退く所存なり。その一念を抱きつつ時と人とを得ぬまま、ついに数百年の歳月をへて、今ようやくその機に臨むことを得たり。切腹したるは22歳の7月4日。次の姓名の一儀にいたりては、何分にも今さらあからさまに明かし難し」

大門「姓名を名のらずして石碑の一儀をたやすく受け合うわけには参らぬ。姓も名もなしに敢えてその事をなすは、道にあらず。よって、そこもとの望みは承諾できぬ」

「武士たる者、故ありて密かに国を退(ひ)きては、姓名を明かさぬが道なり。さりながら、名のらずしてはその一儀受け合い難しとの御意(ぎょい)、一応もっともなり。受け合わずばこれまで人を悩ましたること、その甲斐なし。

されど、石碑建立(こんりゅう)の一儀を叶えてくださらば、さきに申せしごとく即刻引き上げ、市次郎も平癒に及び、以後は人を悩まさず、また当家への祟りも止むべし。祟りを止め当人平癒しさえすれば、明かし難き姓名を明かさでもよろしきにあらずや。かくまで懇ろに取り計らっていただくからには、申してもよき事ならば何故に包み隠しましょうぞ。武士道に外(はず)ればこそ隠すなり」

大門「そこもとの申す筋合は一応もっともなれど、姓名を刻まぬ石碑を建立するは神道の方式に適わず。よってそれに背きてまで石碑を建つわけには参らぬ」

「是非にも姓名を明かさざれば受け合えぬとのことか…今となりては如何にせん。姓名を偽るはいと易けれど、吾が本意(ほい)にあらず。実名を明かさでは、また道にあらず。君に仕えし姓名を私事(わたくしごと)の願いのために明かさではならざる身となり果てたるは、さても吾が身ながら口惜(くちお)しき次第なり。打ち開けざれば願望ならず、願望ならざればこれまで人を悩ましたる事みな徒労となるなり…」

と言って大きく嘆息する。そして、しばし俯(うつむ)いていたが、やがて内心ついに観念したとみえ、近くの者に、「紙と硯(すずり)とを貸せよ」と言い、それを受け取ると静かに墨をすり、紙面に〈泉熊太郎〉と書き、それを手にして、「石碑は高さ一尺二寸にして、正面には七月四日と書けばよろし。この姓名は決して他に漏らすまじきぞ」

と言い、改めて筆をとって石碑の形まで書き記し、さらに〈七月四日〉と書き添えた。

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宮崎大門筆の“高峰大神”と熊太郎筆の“七月四日”が刻まれている

もっとも、最終的には写真でごらんの通りの大きなものとなり、祠(ほこら)までしつらえてもらっている。そして150年ほどたった今でも、7月4日には近隣の人々が集まってささやかな供養をしているという。

写真は私自身が現地を訪れて撮影したものである。武士特有の気概が全編にみなぎる、日本人にとって実に興味津々たる心霊譚で、その意味でも、世界に類を見ない貴重な資料であるといえる。同時に、焦点を“自我の本体”に置いて読むと、きわめて示唆に富む事実をいくつか見出すことができる稀有な資料であるとも言える。

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熊太郎自筆の「誓約書」

そのひとつは、加賀の武士と名のる霊の書いた毛筆の文字が、衰弱しきった重態の市次郎にはとても書けないほどの筆勢あふれる達筆であると同時に、近代では見かけない古書体も混じっていることである。ここに紹介したのは“2度と憑依はいたしません”という約束を書いた“誓約書”で、これを宮崎はこう書き下している。

《此の度大門御剣を以て拙者立ち退く様、心苦仕る趣に相見、天保十年八月二十四日夜、御剣を奉拝、此の上の仕合せ過分に存じ、同夕此の家を立ち退き、以来此の家(に限らず、人を悩まし候儀、急度相慎み候)》

この事実は、毛筆で書くという一種の技術的ないし芸術的才能は“脳”にあるのではないことを物語ってはいないだろうか。

次に、熊太郎が6年にわたって父を求めて尋ね歩き、ようやく芸州(広島)で出会うまでの道中のことは一切述べられていないが、それからのち、父親が夜のうちにこっそりと宿を出て小倉へ向かったことを知って、すぐにそのあとを追い、3か月後に小倉で再び父の姿を見つけるが、非情にも父親は息子に一瞥もくれずに、こんどは唐津へ向けて舟で行ってしまう。

この時点で熊太郎は絶望的になり、死に場所を求めて博多湾沿いの村をいくつか通りすぎるのであるが、大門の問いに対して、熊太郎はその村々の名をきちんと答えている。ということは、数百年たった今もその地名を記憶していたことになる。

私も念のためにそのいくつかを確認してまわったが、村のたたずまいや岸辺の風景は熊太郎の叙述とはかなり異なり、村が町になり、小さな港町が交通の要衝となったりしてはいるが、地名そのものは今もそのまま残っている。このことから、“記憶”も脳にあるのではないということが言えるのではなかろうか。

これに関連したことで実に興味ぶかいのは、在世中のおよその時代をつき止めようとして大門が出した質問に対する返答が、やはり市次郎の記憶では有り得ないことを物語っていることである。次がそれである。

大門「そこもとの在世中のことは極秘になされたき意向をくみて尋ねることを控えるが、当時の都(みやこ)は大和なるや山城なるや、はたまた近江なるや」

「すでに山城に定まりて後なり。延暦(えんりゃく)よりはるか隔ちたり」

大門「ご当代になりて後か」

「ご当代?」

大門「家康公ご治世の後か」

「家康公?さようなことはいまだ聞き申さず」

大門「頼朝公前後か」

「そのことはこれ以上お尋ねくださるな。年号と君父のことは決して語らずと、先夕申せしにあらずや」

脳が肉体の中枢器官であることに疑問の余地はないとしても、その奥に何かが存在して脳を操っていることになりそうである。それを宗教的には“霊(スピリット)”とか“魂(ソウル)”と呼び、心理学では“精神(マインド)”と呼んでいる。

これまではそれも脳の派生物として捉えようとしてきたが、右のいくつかの事実から明らかなように、脳や肉体とはまったく別個の意識体 – 本来の自我が存在するらしいのである。

もうひとつ指摘したい事実は – これは全編を通じて一貫して見られる特徴であるが – 熊太郎は“武士”であることに誇りを持ち、いずれは大名になる家柄であることを意識していた精神構造が随所に窺われることである。

たとえば、当時の加賀の殿様の名前を何度訊ねられても、自分のような恥さらしの人間の口から言うのは畏れ多いという一種の“主君への忠義”から、最後まで口を割らなかった。

現代人の常識からすれば、そもそも父親を国外追放処分にしたのはほかならぬ殿なのであるから、その殿に対して今さら忠義立てする必要はないのではないかと言いたくなるが、そこが武士道の世界なのであろう。

姿格好は病気でやせ細った市次郎でありながら、それが端座して、3、40人の者を前にして死後の世界についての人間の無知と誤解を諭(さと)す時などは、まるで大名が家臣の者たちに言って聞かせるような風情があり、家の者が湯茶などを差し出す時は思わず平伏してしまい、父親の伝四郎も、日頃息子に使用していた言葉がどうしても出なかったという。

こうした事実から、われわれが日頃の生活の中で身につけている精神上の性格や習性、教養、嗜(たしな)み、物の言い方なども、肉体が滅んだあともそっくりそのまま残っていることになりそうである。

ところで、この武士は自分が生きていた年代のことは“武士たる者の忠義”として最後まで明かさなかったが、問答の様子から判断して、どうやら源頼朝の時代(12世紀後半)より少しのちらしいことが推察される。

となると、少なくとも5、600年は経っていることになるが、本人が言うには、その間ずっと割腹自殺した場所にいて、時おり霊界を訪れたり地上界をのぞいたりしながらも、ひたすら石碑建立の願望の達成のために、岡崎家の親族・縁者に働きかけていたという。

れわれ生身の人間の時間感覚からすると、いい加減うんざりしそうなものだと言いたくなるこれは、肉体の生理的リズムと太陽の動きを基準にした地上の時間感覚がそう思わせるだけで、霊の世界には地上でいう時間は存在しないらしいのである。

さきにも述べたように、われわれは生まれ出た時から、否、母親の体内にいた時から地球という物理法則に支配された環境で生きていくための訓練をし、それが当たり前のこととなるまで体得してきている。従って、その感覚にそぐわないことは信じられないようになっている。

かといって、ではわれわれは人体のしくみ、たとえば“見える”とか“聞こえる”という現象のメカニズムが自分で理解できているかというと、一般の人間はおろか、専門に研究している人にとっても不思議なことだらけで、なぜそうなるのかとなるとひとつも分かっていないのが正直なところであろう。それでいてちゃんと“見え”、ちゃんと“聞こえて”いる。そこがまた不思議である。

そう考えてくると、人間がこの肉体以外に目に見えない身体をそなえていて、死後はその身体で生活すること、しかも地上で身につけた精神的なものは何ひとつ失われることがないこと、それどころか、思いもよらなかった能力や感覚が現われて、地上生活にくらべたら夢のような世界が展開していることを知る、といった事実を前にして、これを頭から否定すべき根拠はどこにもないことになる。

とは言うものの、やはり死後の世界の存在は容易には信じ難いことも事実である。そこで私は、こう考えたらよいのではないかという、ひとつの見方を提案してみたい。

私は原子エネルギーについては、自分の身体のしくみについて知らないのと同じくらい、専門的なことはまるで知らないし、その道の書物を読んでも理解できないのであるが、常識的な捉え方として、原子が物質を構成する極微の粒子であること、そしてその中心にある核を分裂させたり融合させたりすることによって、途方もないエネルギーを発生させることができる、といった程度に理解して間違いないであろう。

こうした図式を人間の“自我”ないし“意識体”についても当てはめてみてはどうであろうか。肉体のほかに幽体・霊体・本体という目に見えない身体があることはまず間違いない事実であるとしても、それらもあくまで自我が使用する媒体であって、自我そのものではない。

自我の本体は肉眼では見えないし、いかなる計量器でも捉えることはできない。が、それが地上生活のすべてを支配すると同時に、物的環境による制約を受け、われわれはそれを当たり前のこととして、慣れ切っている。

それが1848年のハイズビル事件以来、数多くの霊媒と学者による科学的な研究によって、人生の終りと思っていた墓場の向こうにも想像を絶した世界が広がっていて、肉体から脱け出た自我は、肉体という物的制約によって発現を抑えられていた霊的能力や感覚を発揮して、今もなお、その広大無辺の世界で躍動に満ちた生活を送っていることが分かってきた。

物質を分析しながらつき進んでいったら原子という目に見えない基本粒子に行きつき、その核に莫大なエネルギーが潜在していることを知った人類は、こんどは脳のしくみの奥に目に見えない自我の本体があって、それにも無限の可能性が秘められていることを知るところまで来た、ということである。

本書で紹介されたものはスピリチュアリズムのごく一部 – 大ざっぱなスケッチにすぎない。

が、願わくは読者が、ドイルほどの知性と教養と名声をそなえた人物が、存在の不思議を意識しはじめた青年時代から40年余りをかけて調査・探求した結果、“死後の世界”は間違いなく実在する – しかもそこは地上よりはるかに素晴らしい世界である、ということを確信するに至ったその経過を取りあえず紹介した“序説(プロローグ)”として、本書を、人間とは、自分とは、人生とはという古今の大問題を真剣にお考えいただく縁(よすが)としてくだされば、書物としては古いものではあっても、紹介しただけの価値があったと、訳者としてうれしく思う次第である。

平成4年1月

近藤千雄

※表紙テキスト

“電話のベルが鳴る仕掛けは他愛もないが、それが途方もない重大な知らせの到来を告げてくれることがある。心霊現象は電話のベルにすぎなかったのだ” – ドイルはそう述べて、大切なのは現象そのものではなく、それが示唆している死後の世界の実在と、それを土台とした霊的人生思想、すなわち近代スピリチュアリズムであると主張する。

霊性を失った既成宗教ではもはや、悩める魂も、病める地球も救えないと断ずるドイルが、その破天荒の処方箋を本書で提示する…

訳者

※裏表紙テキスト

スピリチュアリズムの夜明け

山本貞彰(元牧師 スピリチュアリズム研究家)

これはコナン・ドイルの真相について我が国で初めて紹介される画期的な著作である。著者ドイルが他界して60年以上も経過しているのに、本来の彼の姿がよく知られていないことに驚かされる。

ドイルはかなり若い頃からスピリチュアリズム(地球浄化の原理)に接近し、40年近い研究と検証を重ねた結果を本書に著した。これによって多くの読者は、ドイルがいかに霊的洞察力に秀でた人物であったかを識ることができるであろう。

この度、我が国に於けるスピリチュアリズム研究の第一人者、近藤千雄氏の手によって翻訳され、ドイルの真の心が伝えられることは実に意義深いことである。

世におもねる心霊関係図書が氾濫し、マスコミが人々の好奇心をあおる中で、スピリチュアリズムの正道を地道に歩まれてきた孤高の訳者の努力が日の目を見ることに快哉を叫ぶものである。本書によって、我が国にスピリチュアリズムの夜明けが到来する有力な契機となってほしいと心から念じる次第である。

※著者紹介テキスト

アーサー・コナン・ドイル(1859~1930)

エジンバラ大学医学部卒。26歳で医学博士号を取得。32歳で眼科医院を開業するがその年のうちに廃業。“ホームズ”シリーズで生計を立てながら心霊現象に関心を抱き、死後の生命を確信。晩年には世界各地でスピリチュアリズム思想を講演。スピリチュアリズム関係の著書としては本書に収められた2編のほかに、大著『スピリチュアリズムの歴史』を含む10数冊がある。

※訳者紹介テキスト

近藤千雄(こんどうかずお)

昭和10年生。高校時代にスピリチュアリズム思想を知り心霊実験会にも出席して、死後の世界の実在を確信。明治学院大学英文科に在学中から原典を読み、その翻訳を決意して4年次で“翻訳論”を専攻。これまで2度渡英して著名霊媒・心霊治療家と親交を深める。訳書44冊、編著書3冊。英語教室経営。

「この道の方が正しかった」強姦殺人魔を滅ぼさない、人生破壊が正解という意味、断じて許せぬ(祈)†■2023年11月29日UP■
「この道の方が正しかった」強姦殺人魔を滅ぼさない、人生破壊が正解という意味、断じて許せぬ(祈)†
間もなく僕が公言している内容を一般の方々が恐怖に縮こまる事もなく暗殺の危機におびえる事もなく当たり前のように公言する時代がやってきます。なぜなら人々を永遠に脅迫で押さえつける事は絶対にできないからです。最終的には正義が必ず勝利を収めるようになっているのです。なぜなら僕たちの心には【神】がプレゼントして下さった「理性、良心」が具わっているからです。その理性、良心がイヤでも人々を正しい行動に駆り立て、遅かれ早かれ邪悪は滅ぼされるのです、単なる時間の問題です。ただ僕の希望としては「いつか皆さまも「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の邪悪の正体を公言するようになる」のではなく、できれば今すぐに公言して頂きたい気持ちです。僕の使命遂行をご覧の方々の多くが「たきざわ彰人ガンバレ、強姦殺人魔をやっつけてくれ」と他力本願的に思っておられるかも知れませんが、イエイエ僕という人間には全く何のチカラもありません。社会は個人が集まってできています。ひとりひとりが行動を起こす事によって大きなムーブメントになっていきます…続きを読む→
「小さな思い出」この苦しみも帰幽後に笑って懐かしむようになるという意味です(祈)†■2024年1月10日UP■
「小さな思い出」この苦しみも帰幽後に笑って懐かしむようになるという意味です(祈)†
僕は物的情報は専門外ですので詳細説明は控えますが、あの大震災もこの大震災もコイツらがやった事であり、罪もない大勢の国民を無差別殺害しているのです。(地球深部探査船ちきゅう号という船を使って人工地震を引き起こしているのです、詳細はぜひググって頂きたいです。第2次世界大戦時の関東大震災も、アメリカの手による人工地震です)「行動には動機がある」明仁、文仁、徳仁、悠仁が人工地震を引き起こして無関係の国民を大量殺害している理由は、使命遂行開始ごく初期の頃に霊団が降らせてきたインスピレーション「人生イコールS〇X」これに帰着します。全ては「処刑遊び」と称して奴隷の女の子を強姦殺人する遊びを続けるためにおこなっている事なのです。イヤ他にもっと理由がある事と思いますが、物事というのは突き詰めていくとシンプルに行き着くというのが僕の持論です。コイツらの行動の動機の根源を辿るとS〇Xに行き着く、自分の日々のS〇Xを守るために国民を殺しまくっているという事になるのです。…続きを読む→

まだ変更があるでしょうが一応5社に絞りました。完成した書籍をAmazon校正刷りで本のカタチにしてその5社に「この本を出版して頂けませんか」とお願いするつもりです。さらにまだ1冊目も書いていないのに2冊目のアイデアもほぼ固まりました。もっとも変更があるでしょうけど。

ずっとやらなきゃと思っていた事です、もうやるしかない、突っ走るしかない。2サイトでの脱出アイデアが頓挫してしまった事は残念でしたが、今までの僕のテキストの撃ち方を考え直すイイ機会になりました。ずっと「小見出し書き出し」というモノをやっていたのもそれに関係がありまして、トコトン読みやすさにこだわった書き方をしようと思っての事なのです。

とにかく長文を避けて小見出しでバンバン切っていく、絵をガンガン挿入する、今の僕に考えられる限りの「読みやすさ」を追求した書籍にしてみるつもりです。書き進めていくうちに細かい変更が発生するでしょうけども。

霊関連書籍のテキスト化が止まってしまっています、それが悲しいですがまずは原稿を撃ちはじめます。何とかカタチにしてみましょう(祈)†

「神に委ねてみませんか」これが実は到底承服できない最低最悪の意味なのです(祈)†■2022年8月24日UP■
「神に委ねてみませんか」これが実は到底承服できない最低最悪の意味なのです(祈)†
僕も神に反逆するほどバカではありません。ぜひ皆さまにも「インペレーターの霊訓」をお読み頂きたいですが、霊的知識を獲得しておきながら神の意に反する行いをした者がどういう状態にさせられるかをインペレーター霊が語っておられます。僕はその知識がありますのでそこまでバカな事をするつもりはありません。ただとにかく「物事には限度というモノがある」これを強調して終わりとさせて頂きます。キビシすぎ、苦難、試練を降らせすぎ、僕ひとりに何もかもやらせすぎ、本気でいい加減にしてくれ、という事です…続きを読む→
「神は苦しみを用意して下さいました」んー試練にも限度があると思うのですが(祈)†■2023年3月29日UP■
「神は苦しみを用意して下さいました」んー試練にも限度があると思うのですが(祈)†
解決しなければならない問題もなく、挑むべき闘争もなく、征服すべき困難もない生活には、魂の奥に秘められた神性が開発されるチャンスはありません。悲しみも苦しみも、神性の開発のためにこそあるのです。「あなたにはもう縁のない話だからそう簡単に言えるのだ」 – こうおっしゃる方があるかも知れません。しかし私は実際にそれを体験してきたのです。何百年でなく何千年という歳月を生きてきたのです。その長い旅路を振り返った時、私はただただ宇宙を支配する神の摂理の見事さに感嘆するばかりです。1つとして偶然というものが無いのです。偶発事故というものが無いのです。すべてが不変絶対の法則によって統制されているのです。霊的な意識が芽生え、真の自我に目覚めた時、何もかも一目瞭然と分るようになります。私は宇宙を創造した力に満腔の信頼を置きます。あなた方は一体何を恐れ、また何故に神の力を信じようとしないのです。宇宙を支配する全能なる神になぜ身を委(ゆだ)ねないのです。あらゆる恐怖心、あらゆる心配の念を捨て去って神の御胸に飛び込むのです。神の心を我が心とするのです…続きを読む→
「死刑台確定」これ以上最悪のインスピレーションがあるでしょうか、永遠に許さぬ(祈)†■2023年8月2日UP■
「死刑台確定」これ以上最悪のインスピレーションがあるでしょうか、永遠に許さぬ(祈)†
あなたは自分の心を偽っています。霊界には「ウソ」というものが存在しません。ありのままの自分の姿が衆目に晒され、その人の霊体、オーラを見ればその人がどういう人物なのかが一目瞭然で分かるのだそうです。物質界でウソをつき通して偽善者のフリをし続ける事ができたとしても、その物質界生活時のウソを帰幽後の霊界人生で恥辱という名のもとに存分に清算させられるのです。そしてたぶん物質界に再降下させられる事になるでしょう。物質界人生を正直に生きる事と、物質界での失敗の清算で何度もやり直しをさせられるのと、どっちが効率的進歩向上の道だと思いますか。正直に生きた者が最後は必ず勝利者となります。なぜならこの全宇宙が【神の絶対的公平、公正】によって経綸されているからです。ですので僕はたとえこの使命遂行の先に死刑台が待ち受けているとしても、僕が画家時代から大好きだったシルバーバーチ霊の言葉の通り「真一文字に突き進みます」そして帰幽します。皆さまはその時「正直者がバカを見る」とお思いになる事でしょうが、それは永遠の人生の中のホンの一瞬である物質界の事しか見つめる事ができない近視眼的視点から導き出される回答です…続きを読む→

イヤ、本当は自分で出版社を立ち上げたいんですよ、しかし何もかもひとりでこなすというのがどう考えてもムリだと思うので、僕はテキストと絵に集中して、それ以外の作業(流通、営業等)はおまかせできないかと思ってアチコチ見て回っているのですが、何しろ数が多すぎてとても判断できません。

これはまいりましたね、チョトこの作業は止めて自分の作業に集中しましょう。さっそく自伝書籍の原稿撃ちに入ってますが、霊関連書籍のテキスト化の作業が止まってしまっています(現在「The Scripts of Cleophas」作業中)使命遂行的にはこちらを優先せねばならないのですが、それでは脱出できないんですよ。

イヤ、自伝書いても脱出できない事は分かってますよ、しかしわずかでも可能性のある方向にパワーを向けないといけないんですよ今の僕は。本当はアナログ絵ストーリーも描きたいのですがそちらも止まっています。アレをやるとアレが止まる、同時にアレとコレはできないのです。僕はアレもコレも一気にやりたいのです。本当にもどかしい。

んんん、しかしこの自伝は、いつかは書かないといけないと思っていたモノですから、遅かれ早かれ着手していたはずで、もうここまで来たんだから一気にUPさせるべきと思います。2サイトでの脱出が事実上消滅したんだからそれ以外の方法に訴えるしかない。もうやるしかないんだ。

霊団に閉じ込められているあの場所にいる時の、あの無意味な時間をキャンセルしたい、あの何も生み出さない無の時間をクリエイティブの時間に転換したいのです。本当に閉じ込められている事が頭にきてどうしようもないのです。ま、これは物質界に籍を置く限り永遠のテーマなんでしょうけど。

あーもどかしい、しかし手だけは止めるな、何とか作業だけは続行しましょう。先ほど霊団があるダメ出し的な事を言ってきましたが、あぁそうですか、コッチは忙しんだよ。オメィらも口だけ動かしてネィでなんかやれよ、と言いたくて仕方ありません(祈)†
■2021年6月2日UP■
超久々に霊団最接近の「ブゥン!ブゥン!」という振動音を霊聴に聞きましたが、その意味は…(祈)†
霊団が犠牲を払って地上圏に降下するのには“理由”があります(祈)†だいぶ前にこのようなブログを書いた事がありますが、ここで説明している「ブゥン!ブゥン!」という、霊団が僕の肉体に最接近した時に聞こえる高速振動音を今日再び霊聴に聞きました。ずっとそれが霊聴に響き続けていたせいで寝不足にさせられて正直カチンと来ていますが、この霊団最接近の意味は過去ブログでも「祝福」か「慰め」だと書いていますが、今回は間違いなく悪い方の意味だと予測します…続きを読む→
「誰もいないカラッポ」帰幽後の僕が閉じ込められるところです、これはおもしろい(祈)†■2022年2月16日UP■
「誰もいないカラッポ」帰幽後の僕が閉じ込められるところです、これはおもしろい(祈)†
僕が閉じ込められる境涯に幽体離脱時に霊体にて訪れています。まぁまぁ明るい境涯でしたのでそんなに下層界という感じではなかったものの、ある団地の5階から7階へ引っ越しするのですが、その団地全体にひとりの人間もいません。7階の部屋の中ももぬけのから。そこが僕と2羽の住む部屋です。部屋のベランダから外の景色を見ます。どれだけ見まわしてもひとりの人間の姿も見えません。僕とユキ、ピー以外は全く誰もいない、そういうところに僕は帰幽後閉じ込められて生活する事になるのだそうです霊団によると。離脱中の霊体の僕は鼻で笑いました。「フフッ、10年の努力の結果がこれですか。コイツァーおもしろい。3人で仲良く楽しく暮らしていきますよ」と思念を抱くと…続きを読む→
「とにかく説明できません」もう霊団のインスピレーションを書く事ができません(祈)†■2022年4月13日UP■
「とにかく説明できません」もう霊団のインスピレーションを書く事ができません(祈)†
これほどの理不尽が存在する事を知った。人の長年の努力を無に帰して平然としていられる人間がいる事を知った。そもそも「宇宙一のバカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の邪悪の正体、奴隷の女の子たちの悲劇の惨状を僕に怒涛に教えてきたのはコイツら(霊団)です。教えてきておいて全く実現させるつもりがない、奴隷の女の子たちを全く助けてあげるつもりがない、僕の人生を10年もの長きにわたって完璧に破壊し尽くしておいて悪びれる様子もないどころか、まるで僕が悪いかのような事を言ってくる。責任を取るつもりも全くない。…落ち着きましょう…続きを読む→

そろそろ各宗教団体は、それぞれの内部の頑固者や派閥第一主義者を説得して、すっかり隔絶してしまった一般の人心に訴える存在となるにはどうすべきかを深刻に考えるべき時期に来ているのではなかろうか。

一般の人たちのレベルで手をつなぎ合うだけでなく、彼らをリードするだけのものを持ち合わせていると私は思うのである。ただし、そのためには、まず第1に、その体制から見苦しいものや障害物を取り除く決意を固めねばならない。

第2に、理性が問いかける問題に正面から対処し、神学上の教義に対して自然な反撥を覚える人類の知性の要求に応じる用意をしなくてはならない。

そして最後に、これまで解説してきた通りの、霊界からの新しい啓示の波に乗って届けられる真理と霊力とを我がものとして行かねばならない。人類は一部の賢(さか)しらぶった人種の言説に幻惑されて、その真理をいかにつむじの曲った態度で受け止めてきたことであろうか。

以上の3つの点についてキリスト教会が真剣に取り組めば、リーダーシップを取るにふさわしい資格をもって人心を指導することになると同時に、それはすなわち、長いあいだ不当に扱ってきた“主”の教えそのものに、もう1度立ち返ることになるであろう。

訳註

【1】日本では知られていないようであるが、1886年に History of the First Council of Nice(第1回ニケーア公会議の歴史)というのが出版され、識者の間で大変な反響を呼んだ。私が入手したのはその第7版であるが、それによると、325年に開かれたその会議は足かけ4か月にも及び、新しい宗教をこしらえるための福音書の改ざんと教義の創作が進められた。

その第1回目の裁決で1800名の司教のうち1500名が反対したことに激怒した、時の皇帝コンスタンチヌスは、衛兵を呼び入れて反対派を連れ出させ、親皇帝派300名のみで“満場一致”で裁決し、ここに“その血をもって罪を洗い流し給う”イエスを救世主とする“キリスト教”なる宗教が誕生した。

それ以後コンスタンチヌスは、ローマ帝国の国威による弾圧と拷問によってローマ教会に絶対的権威をもたせ、それを盾に、世界史に悪名高い“暗黒時代”を招来することになる。

この真相が明らかになったのは、その会議で追放処分にされた司教たちの日記や書簡、告発しようとしてまとめた文書などが歴史家の手によって偶然発掘されたのがきっかけである。

歴史家ダドレーはそれを“告発”という形ではなく“史実”として淡々と綴っているが、冒頭の“コンスタンチヌスの生涯”の最後に引用してある、英国の大思想家ジョン・スチュアート・ミルの言葉は、ダドレーも含めて、西洋の有識者の気持を代弁しているとみてよさそうである。ミルは『自由論』の中でこう述べている。

《ローマ皇帝の中で最初のクリスチャンとなったのがマーカス・アウレリウスでなくコンスタンチヌスだったことは、全歴史の中の最大の悲劇である。もしもキリスト教がローマの国教となったのがコンスタンチヌスの治世下ではなく、マーカス・アウレリウスの治世下であったなら、全世界のキリスト教がどれほど違ったものになっていただろうと思うと、胸の痛む思いがする》

なお、ダドレーの書は山本貞彰氏によって全訳が進められている。

「あなたはどちらさま?」超鮮明な女性の顕現がありました、自動書記と関連があるようです(祈)†■2024年3月6日UP■
「あなたはどちらさま?」超鮮明な女性の顕現がありました、自動書記と関連があるようです(祈)†
まず僕はいつものようにインスピレーションに備えてトランスを維持しています。(目は閉じた状態)すると突然僕の左肩に誰かが手を置きます。ちょうど僕のうしろから肩を叩かれて呼び止められたような格好です。で、僕は左後方に振り向きます。するとそこには全く知らない女性が満面の笑顔で立っています。ヨーロッパ系の女性のような感じでした。カラーリングの基調はゴールドで超鮮明な容姿でした。(香世子さんではありません、それだけは間違いありません)はい、今のこのお話は肉体のお話ではありません。この時、僕はふとんの中で目を閉じ、身体(肉体)はピクリとも動かしていません。しかしハッキリ左肩を叩かれ、左後方を振り向き、超鮮明な女性の笑顔を見たのです。全ては霊体でのお話です。※僕がその女性に向かって「あなたはどちらさま?」と言ったという事ですよ。そしてこの女性の件があった時、僕はトランスを維持しながら「自動書記の嘆願の祈り」を心の中で唱え続けていました。その僕の祈りを受けて女性が満面の笑顔で肩を叩いてきたのです。これはまるで「あたしが自動書記やるわよ」と言っているかのようなシチュエーションとなります…続きを読む→
「言う事聞かないと危ないよ」霊団は僕を危機から保護しているという事なのですが(祈)†■2022年10月26日UP■
「言う事聞かないと危ないよ」霊団は僕を危機から保護しているという事なのですが(祈)†
守護霊様の導きがウマすぎて霊界側の予定に全く入っていなかった少年が霊性発現に到達してしまった。予定外の霊の道具が物質界に出現して霊界側はアラアラ、どぉしましょう、この道具に何の仕事をさせましょう、となって霊界側で緊急会議まで行われた(僕は幽体離脱にてその会議に出席しています、もっともその内容は全く反芻できませんでしたが)そして「イエス様ハンドリング」と題した霊的使命遂行が開始され「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の邪悪の正体、奴隷の女の子たちの悲劇の惨状について霊団が果てしなく教えてきて僕は現在の理解に到達する事になる。SNS等で徹底的にヒドイ目に遭わされながらも僕は情報拡散を続け、現時点では「天皇一族が強姦殺人魔」という認識はゴマかし切れないレベルまで日本全土に浸透するに至っている…続きを読む→
「そう、バカだよ」これはもちろん僕の事、悔しいですが反論できません(祈)†■2025年3月19日UP■
「そう、バカだよ」これはもちろん僕の事、悔しいですが反論できません(祈)†
これまでの歴史で、現在の僕のように真実を公言してきた「勇者」の方々は、ことごとく暗殺されてきました。以前僕は「スナイパーチーム」とブログで書いていました。これは強姦殺人魔、天皇一族の命令を受けて真実を公言する人間を暗殺する事を仕事としているポリーチェ(POLICE)の事で、このスナイパーチームが多くの勇者を暗殺してきたのです。国民の安全を守るはずのポリーチェ(POLICE)が強姦殺人魔の忠実な子分であり、国民の暗殺を生業(なりわい)としている(していた、と過去形で言いたいのですが…僕も何度も暗殺の危機に直面してきました)これ以上の邪悪があるでしょうか。物質界がいかに腐りきっているか、いかにウソと洗脳に塗り固められているか、それを思い知らされます。しかし国民もヴァカではありません。分かっている人は分かっているのです、そして真実に目覚める人の割合が時代の進展とともにどんどん増えていて、もう邪悪の人間たちにも洗脳しきれなくなっているという意味で霊団がこのインスピレーションを降らせてきた…続きを読む→

目次全項目への小見出し書き出し99%完成中、もうイイかな、ココまでやればもう本文を撃ちはじめてもイイかなというところまで来ました。シナリオの書籍でのお勉強も、だいたいこれくらいでイイかなというところまでは進みました。

さぁ書き上げてみたところで誰にも読んでもらえないであろう書籍をいよいよ撃ちはじめますか。この書籍を完成させても間違いなく脱出にはつながらないものと思われますが、本はずっと作りたいと思っていましたので、このタイミングを逃さず一気に作業しちゃいましょう。

しかしこんな事は僕だって書きたくないのですが、僕が殺されたあとにこの自伝が意味を持つようになる可能性もあります。物質界生活中は全く見向きもされなかったが帰幽後に注目を浴びる事になった人物というのは結構います。

僕はそもそも物質界に戻ってくるつもりが皆無であり、現時点で物質界に何の興味もありませんから、別に物質界で僕の名が騒がれようが騒がれまいが知った事ではありません。

が、最低限「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の邪悪の正体の拡散、洗脳の打破はやっておかないといけないと思いますので、そういう意味でも書籍を書き残す事でいつかどこかで役に立つかも知れない、という事でやってみましょう。

たぶん100枚近くになると予測される、書籍内に挿入する絵も順次描いています。一応9月初頭あたりをUP期限に設定していますが、作業負荷が猛烈すぎてチョトどう考えてもそこには間に合いそうもありません。しかし手だけは動かしていきましょう。もうやるしかないんだ(祈)†

「ハァァよかったぁ、ってなります」耐え抜けば帰幽後にそのようになるという意味です(祈)†■2024年7月10日UP■
「ハァァよかったぁ、ってなります」耐え抜けば帰幽後にそのようになるという意味です(祈)†
僕は至ってまともな事を言っているだけだと思っていますが、帰幽後に僕に下される判断はそういうモノではないのでしょう、かなりキビシイ状態にさせられるのでしょう。それは了解してます、全てこの身に受けるつもりです。が、それでもなおあんたたちの導きに方向性はヒドすぎる、到底許容できないと思っているのです。「もうのむ訳にはいかない」「これしかないんだと」僕が強硬姿勢なら霊団も強硬姿勢で、もうアキトくんのワガママに折れる訳にはいかない、アキトくんの肉眼には全体像が映っていないから、この道の先にどれだけの悲劇が待ち受けているかを理解できない。我々の霊眼はアキトくんの未来の悲劇が見える。今はアキトくんは理解できなくてもいつかは必ず理解できる時が来るから、アキトくんがどんなに嫌がっているとしてももうこの道を進ませるしかないんだと、霊団がそのように言ってきてます。【い】【い】【か】【げ】【ん】【に】【し】【て】【く】【れ】【!】確か人間には「自由意思」というモノがあったはず。霊団はその自由意思を完全に無視する事を決定したとでもいうのか。それは霊界の決まりに完全に反する事なのではないか。そんな事が許されていいのか。ただ、裏返すとそれくらい僕の置かれている状況が危機的という事なのかも知れませんが…続きを読む→
「味わいなさい」今の場所よりもっとヒドイ目を味わいなさいという意味、だからなぜ(祈)†■2024年11月6日UP■
「味わいなさい」今の場所よりもっとヒドイ目を味わいなさいという意味、だからなぜ(祈)†
僕は霊的知識が頭に入っていますからエリヤ氏、モーセ氏の偉大さも知っていますし、このふたりに使われるという事がどれほどの霊的栄光であるかも理解しています。しかしあの最悪の場所にいる方々がそれを理解出来る訳がないじゃないですか、そもそも霊的知識が頭に入っていないのですから。つまりサークルメンバーにはなり得ないという事です。なのに全力で僕を閉じ込めようとしてくる、そこが矛盾しているので僕は「これはイジメだ」と公言するまでになっているのです。エリヤ氏、モーセ氏という大偉人が僕という霊の道具を介して霊言を降らせようとしている、それが実現したらもちろん素晴らしい事であり僕もそうなったら嬉しいのですが「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の事はやはりホッポラカシか。物質界の邪悪には一切手を触れず、強姦殺人され続けている奴隷の女の子はひとりたりとも助けようとせず、僕という霊媒を介して人類を救う霊言を語る。幼い女の子ひとり救おうともしない人間が人類を救うと豪語する、皆さま、何かがおかしいと思いませんか。僕がこの霊団の話を信じない根本にはこういう想いがあるのです…続きを読む→

「日本の出版社一覧」というモノがありまして、すごくイッパイあって面食らっているところですが、こんなにたくさん出版社があるなら1ヶ所くらい僕の書いた原稿を書籍化してくれるところがあるのではないかという希望を持ったりしています。こんなにあるのに全部断られるとかチョト考えにくいですし。

当初は全て自分でやるつもりでいたのですが、そうなるとAmazonか同人か、という事になってしまうので(ISBNを賦与した状態で出版できない)やはり出版社探しをした方がイイかなと今のところは考えてます。まだ分かりません、原稿が実際に書き上がったとして、そこから別の展開になるかも知れませんし。

まずは書き上げる事に集中しないと話が始まりません。それも可能な限りクオリティを高く維持して書く必要があります。とにかくお勉強をしています、それで霊関連書籍のテキスト化の作業が止まってしまっています。何かをやるためには何かを捨てないとできない、両方同時にはできませんのでどうしてもこうなってしまいます。

ハァァ、チョト疲れましたので一旦止めます。作業してもしても全く結果が見えてこない、本当にこの人生は地獄かと思います。あの場所から離れる、たったそれだけの事を実現させるためになぜこれほど猛烈なパワーを浪費しなければならないのか。永久に理解不能なのです(祈)†

「そう、バカだよ」これはもちろん僕の事、悔しいですが反論できません(祈)†■2025年3月19日UP■
「そう、バカだよ」これはもちろん僕の事、悔しいですが反論できません(祈)†
これまでの歴史で、現在の僕のように真実を公言してきた「勇者」の方々は、ことごとく暗殺されてきました。以前僕は「スナイパーチーム」とブログで書いていました。これは強姦殺人魔、天皇一族の命令を受けて真実を公言する人間を暗殺する事を仕事としているポリーチェ(POLICE)の事で、このスナイパーチームが多くの勇者を暗殺してきたのです。国民の安全を守るはずのポリーチェ(POLICE)が強姦殺人魔の忠実な子分であり、国民の暗殺を生業(なりわい)としている(していた、と過去形で言いたいのですが…僕も何度も暗殺の危機に直面してきました)これ以上の邪悪があるでしょうか。物質界がいかに腐りきっているか、いかにウソと洗脳に塗り固められているか、それを思い知らされます。しかし国民もヴァカではありません。分かっている人は分かっているのです、そして真実に目覚める人の割合が時代の進展とともにどんどん増えていて、もう邪悪の人間たちにも洗脳しきれなくなっているという意味で霊団がこのインスピレーションを降らせてきた…続きを読む→

250319そう、バカだよ

この最悪人生は一体どこまで続くんだ。いつまで閉じ込められなければならないんだ。あとどれだけ努力したら脱出できるんだ。こんな人生をやらされなければならないカルマが僕にあるというのか。そんな覚えは全くない。まずはインスピレーションを羅列してみますが↓

コイツら(霊団)は一体何を言ってるんだろうなぁ、と首を傾げるインスピレーションが複数あります。削除してもよかったのですがかろうじて残しました。本当にこの毎週の長文撃ちが苦痛になってしまっていますが、そこを何とか撃ってみましょう。

細かい点については考えない事 困ったモノを目標にします

「細かい点については考えない事」これは霊団が僕に向けて言っている言葉ですよ、これではまるで「何も考えるなアフォになれ」とでも言っているかのようです。イヤ僕はちゃんとものを考える能力はあります、アフォになるつもりはありません。

が、霊的知識にはそういう考え方がありまして、物的脳髄で理屈をこねくり回さずに直感に従ってサクサク動く人間の方が進歩が早いという事があるようです。理論が先行する人間は、自分の中に自分独自の理念を形成してそれが加齢とともに硬直化して、帰幽後に正しい認識を阻害するという事がよくあるそうです。

「知的牢獄」などという言葉も書かれたりしていますが、要するに自分の間違いを素直に認める謙虚さ、新しい概念を抵抗なく受け入れる柔軟さ、そういうモノを持ち合わせている人間の方が帰幽後の進歩向上が早いという事があるそうです。

現在の僕は「脱出脱出」と、頭の中がそれ一辺倒になって硬直化していますので「あまり頭でっかちになって考えるな」という事を言っているものと思われまあう。まぁ言っている事は分かりますが閉じ込められる事を容認するつもりはないんですよ。

「困ったモノを目標にします」コレなんですが、霊団はずっと一貫して「僕が「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁に殺されるから、そっち行くな」と言い続けていて、僕を何が何でも閉じ込めている理由のひとつに、その危機に直面させないためという見方もあるのですが、このインスピレーションは、まるでその殺される場所に僕を行かせる、と聞こえるのです。

僕は帰幽カモンだから別にそれでもイイけど、あんたたちはそれでイイのか。僕という霊の道具を使用して仕事を開始して12年(間もなく13年)ハッキシ言ってまるっきり何の結果にも到達してネィじゃネィか。霊界の仕事ってのはそんないい加減でも評価されるものなのか。何ともお気楽な仕事だな。

霊団は途中から「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の邪悪の正体および奴隷の女の子に関する情報を全く降らせなくなり、僕という霊媒を使用して新規の霊言を降らせる事ばかりを言ってくるようになりましたが、それと関係あるのかも知れません。

僕という霊媒が機能しない最大の要因が以前から書いています「サークルメンバー問題」で、もしかしたら霊団の言うように僕という霊媒自体は機能するのかも知れませんが、サークルメンバー候補の人間が全くいないために(エクトプラズム供給源がないという事)一向に僕という霊媒から新規の霊言が降ってくる事はありません。

霊団が言ってくる「困ったモノを目標にします(つまり殺されるところに行け、という意味)」は、僕を閉じ込める事に限界を感じて、サークルメンバーのために仕方なく危険なところに僕を飛び込ませるという意味でしょうか。

ま、僕はコイツらの事を「口だけ霊団」と公言していますように、この12年、口だけピーチクパーチク動かして僕の霊聴に「間もなくああなる、こうなる」と言い続けてきましたが、ひとつたりともその通りになった事がありませんので僕の心は完全に冷め切っているのです。そんな事にはならないでしょう。

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やめる気満々 もう信用できない ハイ16 手こずった ムズカシイ

「やめる気満々」これは霊団が僕の心境をこのように表現しているという意味ですが、ひとつ誤解しないで頂きたいのは、僕は現在閉じ込められている場所は心の底からイヤがっていますので何が何でも脱出してみせると思っていますが、使命遂行をやめるつもりは毛頭ないという事です。

で、霊界にウソは存在しません、僕の本心は霊団が把握していますから、霊団の言う「やめる気満々」とは、僕が現在閉じ込められているところから離れる気満々、という意味でしょう。確かにその通りです。そのつもりです。

「もう信用できない」これは霊団の僕に対する心境のようですが、僕はこの言葉をそっくりそのまま霊団に返したい気分です。僕は少なくとも霊性発現初期の頃は霊団を信用していましたよ(こんなヒドイ奴らだとは知らなかったので)

信用できない状態にしたのは他でもないあんたたちだろ、本人(僕)の意思を徹底的に無視して閉じ込め続けるからココまで反逆される事になってるんだろ。僕を信用できないという前に信用されるような導きをしろよ、と言いたくて仕方ないのですが。

「ハイ16」コレもなんだかなぁ、というインスピレーションで、大昔に描いた「アナログ絵16」の事を言っているようなのですが↓

アナログ絵16

こんな大昔に描いた絵をまだほじくり返してくるか、とアゴが外れる思いですが、この絵は要するに僕が帰幽するという意味で、つまり流れで言うと「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁に僕が殺されるという事のようです。

僕という霊媒を使用するんじゃなかったのかよ、それとも、僕を日本の中心に行かせれば、たとえ短期間でもサークルメンバー問題が解消されて新規の霊言を降らせる事ができる、できないよりは短期であっても降らせた方がイイと、そういう判断で殺される事が決定しているところにあえて飛び込ませるつもり、という意味か。

新規の霊言を降らせる事は僕も大賛成だけど、殺される事が100%確実のところに僕を飛び込ませるのは賢い人間のする事ではないと思うよ。他にも道はあるだろう。そこまでして僕を閉じ込めなければならないのはおかしいと思う。

「手こずった」「ムズカシイ」コレも霊団が僕を導く手法に関するインスピレーションのようなのですが、僕がへそ曲がりで導くのに苦心しているという風に聞こえますね。そいつぁー申し訳ありませんでしたね。

手こずったって過去形で言ってくるってドォユゥ事だ?もう仕事が終わったかのような言い回しだな。僕という道具に見切りをつけて新たな人間を見出したってか。まぁこんな反逆まみれの人間は使い物にならないだろうからもっと謙虚な人間を見つけるのは当然の成り行きでしょうね。

「進歩に重大な障害をもたらす」これが霊団が僕を閉じ込める理由です、永遠に許さぬ(祈)†■2024年4月17日UP■
「進歩に重大な障害をもたらす」これが霊団が僕を閉じ込める理由です、永遠に許さぬ(祈)†
訳者、近藤千雄先生が著書の中で何度も書いておられる事ですが、そもそも「守護霊」という言葉が間違いなのだそうです。この言葉はさも「人間を守ってくれる」かのような印象を与える言葉ですが、実際の守護霊の役割は全く逆で、守護を任された人間の罪障消滅をキッチリ完了させるために試練に立ち向かわせるのが仕事であり、守るどころか苦しめるのが仕事と言ってもいいくらいなのです。そういう意味では「守護霊」という名称より「監督霊」と言った方が正しいと近藤先生は仰っていました。僕も自分の体験からそのように思います。僕の守護霊様は僕が自発的に試練に立ち向かうようにウマく、本当にウマく仕向けました。そして僕は画家の試練Dreamworkと、山での修行というダブルの試練を自分に課す生活に突入し(イヤイヤやらされたのではなく自分の意思でノリノリで始めたのです)急速に向上を果たして一気に霊性発現にまで到達したのです。僕は守護霊様の事を「導きのプロ」と公言していますが、とにかく守護霊様は「やり方がウマすぎた」大大大Dai成功だった、という事です。それで霊団はムカついているが守護霊様は尊敬し永遠の恭順を誓うと言っているのです…続きを読む→

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そう、バカだよ 大失敗 取っていくつもり 全文を言い渡す

250319そう、バカだよ250319大失敗

ハイ、もうこの毎週の長文撃ちが苦しくてどうしようもありません、もう続けられませんって言いながら結局やらされています。今回は「そう、バカだよのインスピレーションをブログタイトルに冠しました。

「大失敗」これはそのままの意味「霊団が僕を導く手法に失敗した」という事でしょう。僕もそう思います。あなたたち(霊団)は失敗した。いくらなんでもきびしくしすぎたんですよ。

イヤ、もちろん100%霊団が悪いなどとは言いませんよ。僕の側にも大いに問題があったと思います、そしてその良くなかった部分を帰幽後に後悔と恥辱の名のもとに清算させられる事になるのです。「神の因果律」は寸分の狂いもなく機能します、絶対に逃れる術はありませんので。

あともうひとつ、先ほどから書いていますように、霊団が僕を「殺されると分かっているところに行かさざるを得なくなった」事を失敗と言っているのかも知れません。そんな事になりやしネィよ、とフツーに思うのですが。

「取っていくつもり」コレもまるで僕が100%殺されるところに飛び込ませるつもり、と聞こえなくもないインスピレーションで、霊団は一体何を考えているのかと首を傾げずにはいられません。霊団が何を取るつもりなのかはココでは説明しません。そんな事になりやしませんので説明する必要もないでしょう。

「全文を言い渡す」コレもまるで僕が日本の中心に飛び込んで、そこで死刑宣告を突きつけられるかのような言い回しに聞こえますよね。そんな事になりやしませんが、もしそうなるなら殺される前に思いっきり騒ぎを起こして国民の注目を集める事をします。

ただ無抵抗に殺されるのではなく、洗脳を少しでも撃ち破って真実に目覚める国民の数をひとりでも増やして、それから殺されるつもりです。もっともそんな事にはならないと思いますが。今までの霊団の動きを見れば当然そういう結論になります「口だけ霊団」ですからね。

が、もし、もし、そんな事になったら僕の物的生命の最後の炎の大爆発をやりますよ。タダでは殺されません徹底的に大暴れしてやりますよ。(情報拡散という意味ですよ)このままダラダラ閉じ込められるくらいならいっそその方がスッキリする、なんて考えもあるかも知れませんけどね。

「そう、バカだよハイ、コレなんですが、ふたつの意味が考えられます↓

僕は大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の事を「宇宙一のバカ」と公言してはばかりませんが、霊団もその僕の意見に賛同している(もしくは国民の多くがこの強姦殺人魔どもの事をバカだと思っている、と言っているのかも知れません)
霊団が僕、たきざわ彰人の事を「霊的知識を獲得しておきながら霊の導きに従おうとしない愚か者」と言っている

えー、僕的にはたぶん後者の意味だろうと思っていますが、両方説明してみましょう。

まず前者ですが、これは僕たち日本国民だけに限らず物質界全土、地球という惑星全土の「洗脳」の深刻さを現す大問題だと思います。この物質界はメディアを駆使しての「洗脳」が完全にはびこりまくっており、残念ながらほとんどの人間がその洗脳にやられながら、自分が洗脳されている事に全く気付かず一生を終えています。

僕はコレまで何千回、何万回同じ事を言い続けてきたでしょう。皆さま、天皇、皇族などと自称している明仁、文仁、徳仁、悠仁は「強姦殺人魔」です。奴隷の女の子を邸内でたくさん食肉扱いで飼っていて「処刑遊び」と称して日常的に四肢切断、強姦殺人して死肉を食べて遊んでいるのです。

その大量強姦殺人魔(殺人犯)の事を僕たちは「洗脳」によって「善人」と信じ込まされているのです。この真実に目覚めている人間が何と少ない事でしょう。長い年月、長い世紀にわたって手を変え品を変え徹底的に洗脳が続けられてきた結果なのです。

これまでの歴史で、現在の僕のように真実を公言してきた「勇者」の方々は、ことごとく暗殺されてきました。以前僕は「スナイパーチーム」とブログで書いていました。これは強姦殺人魔、天皇一族の命令を受けて真実を公言する人間を暗殺する事を仕事としているポリーチェ(POLICE)の事で、このスナイパーチームが多くの勇者を暗殺してきたのです。

国民の安全を守るはずのポリーチェ(POLICE)が強姦殺人魔の忠実な子分であり、国民の暗殺を生業(なりわい)としている(していた、と過去形で言いたいのですが…僕も何度も暗殺の危機に直面してきました)これ以上の邪悪があるでしょうか。物質界がいかに腐りきっているか、いかにウソと洗脳に塗り固められているか、それを思い知らされます。
「ポリーチェ POLICE に命令」ポリーチェは強姦殺人魔の命令に忠実に従う子分です(祈)†■2023年2月1日UP■
「ポリーチェ POLICE に命令」ポリーチェは強姦殺人魔の命令に忠実に従う子分です(祈)†
皆さまの心は真実を知っているのです。それを「洗脳」で分からなくさせられているのです。ゴマかされているのです、曇らされているのです。そのモヤを振り払えばたちまち真実が見えてきます。ベールはたった1枚です「洗脳」という名のベールです。それさえめくればすぐ目の前に真実が顔を出します。「ポリーチェ POLICE に命令」という「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の思念のインスピレーションを霊団が降らせてきましたが、これがいかにふざけた意味であるか、どうか想像力を働かせて頂きたいと思います。大量強姦殺人魔、人類最大の犯罪者がポリーチェ POLICE に命令する、ポリーチェがその大犯罪者の命令に忠実に従い、スナイパーチームとなって僕のように真実を公言する人間を暗殺する。【神】が経綸するこの全宇宙に、これ以上のふざけた事があるでしょうかイヤない…続きを読む→

しかし国民もヴァカではありません。分かっている人は分かっているのです、そして真実に目覚める人の割合が時代の進展とともにどんどん増えていて、もう邪悪の人間たちにも洗脳しきれなくなっているという意味で霊団がこのインスピレーションを降らせてきた、という意味だと少しは光を見たような気になれて心も明るくなれるのですが。

で、僕は後者の意味だと思っていまして、要するに霊団が僕の事を「導いに従おうとしない愚か者」と言っているのだと思います。悲しいですがこれは霊団の言っている通りで、僕は反逆の代償として帰幽後に相当キビシイ状態に突入させられる事になります。

まず帰幽後、指導霊に付き添われてムービーを見せられます。僕の反逆による数々の失敗を全部ムービーで見せられて「この時はもっとこうすればよかった、こうしなかった事で使命遂行がこういう風に停滞した」などと数々のダメ出しを喰らい、霊体の僕はペコペコ反省の態度を示しつつも心では釈然としないモノがくすぶっていてやや首を傾げています。

皆さまにもどうか霊的知識を正しくお勉強して頂きたいですが「神の因果律」はどうしようもないくらい完璧に機能します。寸分の狂いもなく良いおこないには褒章が、宜しくないおこないには反省が与えられます。コレは機械的自動的にそうなります。絶対に回避不能という事です。

※帰幽直後の「中間境」での様子を詳細に紹介した書籍としては「ブルーアイランド」が読みやすくてスバラシイと思いますので、ぜひお勉強して頂きたいと思います↓

つまり僕は、霊団の導きに謙虚に従っていればこうこうこういう感じに仕事を達成できたのに、反逆の意思を曲げなかった事で使命遂行が道半ばのまま帰幽する事になってしまった。その「できたはずなのにできなかった使命遂行」の不足分を苦しみの中に支払わされる事になるのです。これが絶対に回避不能、100%僕に降ってくるモノです。

たきざわさん、あなたはそこまで知識を獲得しているのに反逆をやめようとしないのはなぜですか?知識と矛盾しませんか?えぇえぇ、全くおっしゃる通り、返す言葉もございません。霊団に愚か者と言われても全く反論できません。が、お子ちゃまの戯言(ざれごと)になりますが僕にも言い分はあるのです。

とにかくどうしても閉じ込められるのがイヤなのです。何としても現在のところから脱出したいのです。この反逆(脱出)の先にキビシイものが待ち受けていると霊的知識として知っていてもなお脱出を決行しようとする、つまりそれほど現状に閉じ込められる事をイヤがっているという事なのです。

僕は使命遂行はちゃんとやり切るつもりなのです。反逆者の僕にはこういう事を語る資格はないものの一応イエス様との約束(怒涛の連続顕現)がありますので、その約束分だけでもしっかり達成しようという気持ちはあるのです。

ただ、とにかく、閉じ込めるのだけはやめてくれ、脱出を完成させて、それから使命遂行を前進させてくれ、という思いなのです。脱出さえ達成されればいいのであって、日本の中心に行きたいなどとは僕は言ってません。とはいえ、殺される運命の奴隷の女の子たちがかわいそう、できるモノなら助けてあげたいと、もちろん思っていますが。

ま、霊団がハッキリキッパリ「奴隷の女の子たちを見殺しにする」と言ってきていますので、本当にムカつきますが奴隷の女の子たちを僕の物質界生活中に救出してあげる事は叶わないのでしょう。
「奴隷の女の子、助けるつもりは全くありません」霊団を永遠に許す事はありません(祈)†■2022年9月28日UP■
「奴隷の女の子、助けるつもりは全くありません」霊団を永遠に許す事はありません(祈)†
奴隷の女の子たちを助けてあげてしまったら、その人間の「罪障消滅」を遅らせる事になり、永遠の視点で考えた時、必ずしもその人間を助けてあげる事にはならないのだ。これは霊的知識としては理解しても、どうにもこうにも釈然としません。奴隷の女の子の存在を知らされずにいたのであれば「知らなかったのだから助けてあげられるはずもなかった」と言い訳もできますが、僕は霊団に奴隷の女の子の存在を徹底的に教えられてここまで使命遂行してきたのです。知らずに犯す罪より知っていて犯す罪の方が何倍も重い、と霊的知識にあります。奴隷の女の子たちが今こうしている間も「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁に四肢切断、強姦殺人され続けている事を知っていながら、助けようともせずその悪行を黙って見ているという霊団の考えには、何をどう頭をひっくり返しても賛同する訳にはいきません…続きを読む→

殺された女の子たちは帰幽後にその埋め合わせがありますので心配いらないという事なのですが、それが殺される事を容認するという意味にはならないと思うのですが。殺すという行為そのものを阻止しなければ意味がないでしょ。

本当に、僕の未来は真っ暗です。もう夢も希望もありません。しかし脱出だけは完成させます。どうしてもあの場所に閉じ込められる事を受け入れられません。しかし威力は霊団の方が断然上ですから一生あの最悪のところに閉じ込められる事になるのかも知れません。

そうなれば僕の霊団に対する反逆心は決定的なモノとなり、ますます僕は苦しい状況に追い込まれる事になります。地球圏霊界と縁を切るなどと言っていますがもちろんそんなモノも叶えられるはずがありません、その資格に到達していないのですから。

帰幽後、長い年月をかけて(霊界に時間の概念はありませんが、長いという意味)自分の心の持ち方の間違いをトコトン思い知らされる苦しみを味わわされる事になるのです。もうイヤだ、何のためにガンバっているのか分からない(祈)†

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「殴られた」霊団に拳で顔面を殴られました。僕がイヤなら出ていってくれ(祈)†■2025年3月12日UP■
「殴られた」霊団に拳で顔面を殴られました。僕がイヤなら出ていってくれ(祈)†
除霊などできないんですけどね。しかし何とかこの霊団とか名乗っている奴らを僕の人生から排除できないかと、かなり本気で考えています。もう完全に縁を切りたい。自分の人生を何としても取り戻したい。もうこの最悪人生をこれ以上続ける自信がありません。何としてもまずは脱出を完了させ、それから胸を張って次のステップに進みたいです。もうムリ、もうムリ、これ以上閉じ込められるのは死んでも許せない。僕を殴ったヤツ、霊団は消せないとしても少なくともお前だけは消えろ。本気でいなくなれ。僕が気に入らないんだったらココにいる必要はないはずだ、イヤな仕事をガマンしてやる事はない、自由にどこへでも消えてくれ。それでお互いハッピーなんだから問題なしだろ※いま「除霊」でググってますが、霊性発現初期の頃に除霊に行った神社がまた出てきます。お金だけ取られて何の効果もなかった神社です。イヤ、あきらめずにモチョト調べてみようかな…続きを読む→
「あなたは私の誇りよ」この守護霊様の言葉だけがかろうじて良い意味となりますが…(祈)†■2025年3月5日UP■
「あなたは私の誇りよ」この守護霊様の言葉だけがかろうじて良い意味となりますが…(祈)†
霊性発現(2012年6月)した時点で守護霊様の計画は達成されていたという事なのかも知れない、それで守護霊様がいったん僕の守護の任から外れて、僕を計画外の(より高度な)領域へ到達させるための新たな霊団が組織された。つまり僕が現在やらされている霊的使命遂行は完全に計画外の「サービス残業」なんだから、うまく遂行できなくてもムリもない、元々そんな器の人間ではなかったのだから。といった感じで、僕という人間の程度を知り尽くしている守護霊様ならではの言葉なのではないか…なんて予測したりもするのです。この守護霊様の言葉の中にはもちろん「よくガンバりました」というお褒めの意味も含まれていますが、もちろん「もっとガンバれば今のあなたには想像もつかない高い境涯まで到達できたのに残念でした、しかしそれが現在のあなたという人間の限界点である事を私は十分理解しているので十分合格点」という意味も含まれていると僕は思ったのでした。守護霊様の期待に完全なカタチで答える事ができない自分を情けなく思いますが…続きを読む→
「もう再生はない」物質界再降下させられずに済むなら助かりますが、僕の場合は…(祈)†■2025年2月26日UP■
「もう再生はない」物質界再降下させられずに済むなら助かりますが、僕の場合は…(祈)†
物質界に再降下させられずに済むのはこれ以上なくうれしい事なのですが、残念ながら僕の場合は「反逆の代償」という負の要素がありまして、間違いなく帰幽後に反逆の責任を苦悶と恥辱というカタチで取らされる事になります。この全宇宙は「神の身体」であり【神の因果律】の効果範囲外の世界というモノはこの全宇宙に存在しませんので、人間はひとりの例外もなく自分のおこないに100%自分で責任を取らねばなりません。その言わば「借金返済」ともいうべき人生の負債をすっかり払い終わらなければ上層界に赴く事はできません。僕はそれを知識として知っているのに反逆をやめようとしないのですから、愚かとしか言いようがないのですが、僕にも小我なりに「強行に反逆しなければならない理由」というモノがあっての事なのです。もちろんその小我の理由が愚か、つまり悟れていないという事になるのですが……続きを読む→
「死ぬなコリャ」なんだ?殺されるところに行かせるつもりか?もうあきらめたか?(祈)†■2025年2月19日UP■
「死ぬなコリャ」なんだ?殺されるところに行かせるつもりか?もうあきらめたか?(祈)†
何しろ反逆の度がヒドイですし、シャレじゃなく本気で地球圏霊界を離れたいと切望していますから、そんな人間が帰幽後も仕事の核を担う存在として重宝される訳がありませんよね。「ポイッ」ってされるに決まってます。僕は帰幽後、アブラハムのように誰からも顧(かえり)みられない相当残念な状態になるのではないでしょうか。だったら、どうせ最悪人生が待ってるんだったら殺されても何でもイイからやるべき事をやった方がイイんじゃネィのか、と思ったりもするのです。僕などという反逆者を帰幽後も仕事の道具の中核として使う事はないだろう、なら、今までどの霊能者に頼んでもやってくれなかった仕事をドッカーンとやらせて一気に帰幽させて、あとはどうとでも好きにしなさい、キミの仕事は終わったよ、みたいにすればイイんじゃネィのか、と思ったりもするのです。もう最悪、物質界生活時も最悪、帰幽後の霊界生活も最悪、もう夢も希望もないという感じです。本当に返す返すも霊的仕事を遂行するというのは、これほどまで不愉快をやらされるものなのかと驚きを隠せません。イジメの度がヒドすぎる…続きを読む→

伊豆低山アタック030プロセス実行

テキスト75%撃ち終わっている感じですが心は完全にうわの空で、全然別の事ばかり考えているので撃つ内容に集中できません。長文にはならなそうですがとにかく撃ってます。文章を書く事を生業にしている方々はみんなこういう感じなのかも知れませんね。

僕は画家として一生を送る事を固く心に決めていた男であり、こういう人生を送ろうなどとは夢にも思っていなかったので、テキスト撃ちながら常に心の中で「???」という気持ちが渦巻くのです。何がどうなってるんだろうなぁと、永遠に疑問が湧くのです。

脱出を死んでもあきらめるつもりはありませんが、まずは本を1冊出す事に集中しましょう。いつかは書かないといけないとずっと思っていたモノです。遅かれ早かれどこかのタイミングで書かなければならなかったモノですので、何とか完成までもっていきましょう。くじけたりなんかして。有り得る。間もなくプロセス実行。間もなくプロセス実行(祈)†

まずは昨日の海とグラデーションの撮影画像をUPですが、撮影には満足しているのですが霊団にやらされているこの人生が最悪すぎて、この美しい景色を見ても心が晴れません。まさか本当にこのまま一生閉じ込めるつもりなんじゃないだろうな。

今回はインスピレーション量は少なめです、何とか説明して自伝書籍の作業に戻るつもりです。考えたくない、この先もずっと自分の意に反して閉じ込められる人生になるなどとは考えられない。脱出する以外の事は考えられない。どうしても認められない。

この美しい海と空のグラデーションを眺めても霊団に対する怒り憎しみが消えません。相当の重症と言えるでしょう。重症という言い方だとまるで僕が悪いみたいな言い回しになりますね。んんん、何とか撃ちはじめてみましょう(祈)†

標高1000m以下のある山域に赴いていたのですが、スタートして2時間後あたりから予報に反して雪が激しく降り始め「チョチョチョ、これドォユゥ事ですか?」と思いつつ進むのですが、ドンドン雪が強くなるので仕方なく元来た道を引き返しました。

すると今度は雪がどんどん弱くなり、ついにはやんで撮影日和の空に変わりました。一時は今日の撮影がまるまる失敗に終わるかと思いましたが、危ういところでしっかり撮影する事ができてホッとしてます。イヤー山をナメてはいけないという事を改めて思い知らされました。

その撮影画像は明日UPさせて頂きますが、明日の長文ブログをボイコットしたい気持ちでイッパイですが、かろうじてインスピレーションは降ってますので撃たない訳にはいかなそうです。もうホントにこの人生がイヤです。いつまでやらされるんだよ。

本当に毎週この長文を撃つのが苦痛でどうしようもないのです。完全にトラウマの状態であり、それが霊団への怒り憎しみをさらに増幅させているのです。苦しみばかりを降らせてきて全く何の結果にも到達させようとしない、閉じ込める事以外何も考えていない、猛烈に頭にくるのです。

さぁちょっとだけでも作業して、それから明日に備えましょう。本当にこのまま一生閉じ込められるというのか。本当にそこまで本人の意思を無視するつもりなのか。そこまでやったら僕の心がどうなるか分かるはずだ。それを分かっててやってるとしたら…チョト一旦止めましょう(祈)†