【7/27】シルバー・バーチの霊訓 1巻 5章 霊的交信の難しさ

肉眼で見る事ができず、手で触れてみる事も出来ない私たち霊界の者が物質の世界と接触をもつ事は容易な事ではありません。人間側が善良な心と自発的協調性と受容的態度と不動の信念を保持してくれている限り、両者を結ぶ霊的回路が開かれた状態にあり、その人はあらゆる面において、つまり霊的に精神的に物質的に、より良い方向へと自動的に進んでまいります。多くの人になかなか分かって頂けないのは、そしてまた人間が望むように事が運ばないのは、その援助を届けるための回路が開かれていないという事です。本人自らが回路を開いてくれない限り他に手段がないのです。霊力が物質に働きかけるためには、それが感応して物質界に顕現するために何らかの連鎖関係がなくてはなりません。分かってみれば何でもない当たり前の事です。それには成就できないものは何1つ無い事を知って頂きたいのです。

暗闇にいる人に光を見出させてあげ、苦しみに疲れた人に力を与え、悲しみの淵にいる人を慰め、病に苦しむ人を治し、無力な動物への虐待行為を阻止する事ができれば、それがたった1人の人間、1匹の動物であっても、その人の地上生活は十分価値があった事になります。価値あるものを求める闘いに嫌気がさすようではいけません。これはあらゆる闘いの中でも特に偉大な闘いです。唯物主義と利己主義 – 地上世界を蝕み、何のために生まれて来たかを自覚せぬ大勢の人々を暗闇へと堕落させている、この2つのガンに対する永遠の闘いです。

善のための努力が徒労に終る事は決してありません。人のためになろうとする試みが無駄に終る事はありません。善行に嫌気がさすような事があってはなりません。成果が表れない事に失望してはなりません。人のために役立とうとする志向は自動的にこちらの世界からの援助を呼び寄せます。決して1人であがいているのではありません。いかなる状況のもとであろうと、周りには光り輝く大勢の霊が援助の態勢で取り囲んでおります。裏切る事のないその霊の力に満腔の信頼を置き、それを頼りとする事です。物質の世界にはこれだけは安全というものは何1つありません。真の安全は人間の目に映じぬ世界 – 地上のいかなる器具をもってしても測る事のできない永遠の実在の世界にしかありません。

人間にとっての真の安全は霊の力であり、神が宇宙に顕現していく手段であるところの荘厳なるエネルギーです。他の全てのものが形を変え、あるものは灰に帰し、またあるものは塵と砕けても、霊的存在のみは不変・不易であり不動の基盤として存在し続けます。全てを物的感覚によって推し量る世界に生きているあなた方にとって、その霊的実在の本質を理解する事が極めて困難である事は私もよく承知しております。捉えようとしてもなかなか捉えられないものです。ですが、私のこうした説教によって、たとえ不十分ながらも、霊こそが永遠の実在でありそれ以外は重要でない事をお伝えする事ができ、流砂のような移り変りの激しい物的存在ではなく、不変の霊的真理を心の支えとして生きようとする志を抱いてくださる事になれば、及ばずながら私なりの使命を達成しつつある事になりましょう。

「メッセージだけを見て欲しい」霊団が物質界の邪悪に目をつぶろうとしているのです(祈)†■2023年3月15日UP■
「メッセージだけを見て欲しい」霊団が物質界の邪悪に目をつぶろうとしているのです(祈)†
しかしそれは「順番が逆だろ」まず奴隷の女の子たちを助けてあげて、それから交霊会だろ、と僕は思うのです。というのも、奴隷の女の子たちを完全に見殺しにした状態で僕という霊媒を霊団が使用して霊言を降らせたとしましょう。その降ってきた内容がさながら「シルバーバーチの霊訓」を彷彿とさせるような高尚な内容だったとしましょう。その霊団が降らせてきた内容が、人類を救うとか、世界を救うとか、人間は国家も肌の色も関係なく全員が神から神性の火花を賜って個的存在を与えられた、神を共通の親とした霊的兄弟、霊的大家族であり、戦争で敵国の兵士を撃ち殺す事は自分の家族を殺す事と同義であり愚かな事であり、したがって全世界が助け合っていかなければならないとか、そういう心を撃つ美しい内容だったとしましょう…続きを読む→
「2度も神に仕えて働いた」これが強姦殺人魔を滅ぼすつもりがないという意味なのです(祈)†■2023年4月12日UP■
「2度も神に仕えて働いた」これが強姦殺人魔を滅ぼすつもりがないという意味なのです(祈)†
そうそう、シルバーバーチ霊は「苦を苦と思わない段階まで霊格が向上すれば、苦難を味わわされても喜びしか湧き上がってこない」みたいな事を仰っています。さらに「ベールの彼方の生活」にも、上層界の天使たちが下層界の仕事に携わって大いに苦しい状態にさせられているのに笑顔になっているという記述があります。これは帰幽して十分に向上を果たし、俯瞰の視点で全体を眺められるポジションに立つ事ができて初めて到達できる精神状態だと思います。物質界生活中にこの精神状態に到達するのは、頭で知識としては理解する事ができても心の底から納得してそういう心境に到達するのはまず不可能と思われます。中にはそういう聖者のような方もいらっしゃるのかも知れませんが僕はデザインの人間ですのでそれはないです…続きを読む→

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Posted by たきざわ彰人(霊覚者)祈†