既存の画像を自伝に挿入する箇所も多数あります。その画像の再書き出しも大変(祈)†

線画はほぼ描き終えています、追加はあるかも知れませんが。それとは別に、これまでの使命遂行で描き続けてきたアナログ絵、山で撮影した画像等を自伝に挿入する箇所もいくつもあります。それらの準備ができていない事を発見してしまい、慌てて準備しているところです。結構時間かかる、まいったな。

AffinityPublisher、久々なので操作法を忘れている部分が多々あります、復刊の時に制作したファイルを見返して思い出しながら作業するしかありません。

久々に友人からメールを頂いているのですが、何しろすべての作業を僕はひとりでこなさねばなりませんので時間が取れず返信できずにいます。この友人は唯一、霊的お話が通じた方であり、別の場所に行った事で友人もまわりに霊的な話をする人間がいなくなり、霊関連書籍も読まなくなって霊的な事が頭からすっかり消えているのではないかと思います。

んんん、それは非常にもったいない。ぜひ霊関連書籍を継続してお読み頂きたい、まだまだイパーイ本はありますよ、と言いたいですがコレばっかりは本人に興味がなければどうしようもありませんからね。

僕としても霊関連書籍のテキスト化の作業が、自伝制作によってストップしてしまっている事が非常に心苦しいです。約100冊の霊関連書籍を、数年かけて苦労の末に入手しました。ほとんどが絶版で、中には日本で入手不可能で海外から入手した書籍も複数あります。

それら書籍はホンのお遊び、酔狂で集めたのではありません。現時点で手に入れられる正真正銘とされる霊的知識を全てテキストデータ化するという壮大な目的があってそこまでやっているのです。

読もうとしても本自体が入手困難、そういう書籍を僕のWordPressで全文お読み頂けるようにしたいのです。僕が物質界に残されてできる最大の霊的知識普及の作業がそれだと思っているので、何としてもやり切る覚悟なのですが、脱出脱出と騒いだ事によってテキスト化の作業が止まってしまっています。それが苦しいです。

かと言って自伝の作業を止める気にもなりません。脱出をあきらめる事は死んでもできません。脱出を達成しつつテキスト化の作業も進める、コレは物理的に不可能と思われますが、イヤ、もうそれでもやるしかないんだ。閉じ込められながら霊団を憎んで生きるのはもうまっぴらゴメンなんだよ。

何としても脱出を達成しつつテキスト化も進めてみせる。絶対脱出のための作業はやめないぞ。コレをやめたら生きる意味が全て吹き飛ぶ(祈)†

「行為のひとつひとつに責任を取らされます」僕の人生はやはりカルマの解消なのでは(祈)†■2023年5月3日UP■
「行為のひとつひとつに責任を取らされます」僕の人生はやはりカルマの解消なのでは(祈)†
イエスは死を超越した真一文字の使命を遂行していたのであり、磔刑(はりつけ)はその使命の中における1つの出来事に過ぎない。それが生み出す悲しみは地上の人間が理解しているような“喜び”の対照としての悲しみではなく、むしろ喜びの一要素でもある。なぜならテコの原理と同じで、その悲しみをテコ台として正しく活用すれば禍転じて福となし、神の計画を推進する事になるという事でした。悲劇をただの不幸と受止める事がいかに狭い量見であるかは、そうした悲しみの真の“価値”を理解して初めて判る事です。さてイエスは今まさに未曾有の悲劇を弟子たちにもたらさんとしておりました。もし弟子たちがその真意を理解してくれなければ、この世的なただの悲劇として終わり、弟子たちに託す使命が成就されません。そこでイエスは言いました「汝らの悲しみもやがて喜びと変わらん」と。そして遂にそうなりました…続きを読む→
霊団はもう何もやる気がないそうですが、僕はうしろに戻るつもりはない前進あるのみ(祈)†■2023年7月19日UP■
霊団はもう何もやる気がないそうですが、僕はうしろに戻るつもりはない前進あるのみ(祈)†
物質界に邪悪がはびこる、その根本原因は「霊的知識の無知」にあります。人間に死はなく、肉体の死後も霊的表現媒体(幽体、霊体等)をまとって霊界で永遠に生き続けるという霊的真理を知らず、物質界での人生のみが人間の人生だと考える事が全ての邪悪の出発点なのです。物質界で大量強姦殺人の人生を送ると帰幽後に霊界でどれほどの地獄をやらされるか、その「霊界と物質界の因果関係」もっと言うと【神の因果律】を全く理解していないから平然と犯罪をおこなう事ができるのです。神の因果律から逃れる方法はこの全宇宙に存在しません。なぜなら「宇宙は神の身体」だからです。僕たちは現時点で神の中に存在しているのですから、神の法則の効果範囲外に出るなどという事は有り得ないのです。自分のおこないが自分の帰幽後の人生にどれほど致命的欠陥、悲劇をもたらすかを知っていれば、おのずと自分のおこないに責任感が生じ、愚かな言動にブレーキがかかるはずなのです。邪悪なおこないをしている人間たちというのは「何も知らない人間」という事なのです。だから霊的知識の普及が急務なのです…続きを読む→

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Posted by たきざわ彰人(霊覚者)祈†