「天使と妖精」より→「我らは皆さんを愛する。愛するが故に我らは皆さんの課題や困苦を取り除いてはあげません。そうする事は皆さんに親切でも良い事でもないからです。我らはただ皆さんのそばに立ち、力と愛を与えます、皆さんが徐々に試行錯誤で学習をしていくその間にです」
「天使と妖精」より→「もし皆さんが光の道を踏んで、霊の教えに耳を傾けて、うまく苦難の処理ができれば、その結果として皆さんの魂は喜びを受け取りましょう。もし我らが皆さんの課題や困苦を取り除いてあげたら、得られようのなかったその喜びをです」
「天使と妖精」より→「直感も心も常に世俗的な思いにとらえられないようになさい。霊的な精神が低俗な精神を支配するようにしなさい。生活も生活上の出来事もそういうふうでありなされ。それは「世間ばなれする」そういう意味とはまったく違う」
「天使と妖精」より→「祈りとは自己を博大な愛の精神と一つに完全に同調させる事です。その愛の上にありなされ。そこに生き、それを思い、自分の事などまた世俗の思いなどはもちなさるな。我は空しいものです。我からは永続する力も、叡智も、愛も生まれる事はありません」
「天使と妖精」より→「後ろを振り返りなさるな。過ちをくよくよ嘆きなさるな。どんなにそれが痛いものでも一つ一つの経験に感謝をお持ちなされ。そのおかげで貴方は物事が一つ分かるようになったのだから」
「天使と妖精」より→「目も心も物質世界の上方に据えて置きなされ。我らは止むを得ずこういう言い方をする、しかしながら同時に我らは霊と物質が一つである事をしかと心得ております。皆さんはまだそこまでいっておりません。人間は霊を発揮して生きねばならぬものです」
「天使と妖精」より→「人間とは形をとった霊なのです。しかもその形とは霊から構成されているものです。従って人間の外的な生活とは本人の霊性発揮の程度いかんの表現なのです。いやまたその生活の姿、肉体が表現するすべては、純潔完全な創造主の生命と光の表現でもあるのです」
「天使と妖精」より→「もし皆さんが鍛錬をして、つまらぬ事は捨て置いて、大事な霊の観点を守って生きられれば、必要とする真正の援助と指導が得られましょう。あまり物的些事に首を突っ込まぬ事です。でないと無限供給の源から切り離されます」
「天使と妖精」より→「低級な心、俗界の考え方、それに引き込まれないように毅然とする度に、自らの高我の光にしっかり応える度に、貴方は霊性を強化しつつあります。さらにはまた地上の光明の力を増大させつつあります」
「天使と妖精」より→「病気、孤独、苦難、これらは自分の魂が招き寄せたものです。人には中々この事は理解しがたい事ですが、それはその通りなのです。自分の苦難を人のせいにしなさるな。常に内部に目を向けて、自分の心の内に神の愛を求めなさい」
「天使と妖精」より→「勇気を持ちなさい。いつもそばに守護天使と守護霊がおられる事を忘れなさるな。たえず平和と交流を得させんと貴方を助けておられるのです。貴方が霊的に向上する努力をすれば、守護霊は大変喜ばれます」
「レッドマンのこころ」より→「法的制度、雄弁さ、堅固さ、戦術においてイロコワ族の右に出る人種はいない。彼らの社会制度のもとでは犯罪とか違反とかいうものが極端に少ないので、これまで“刑法”などというものを持つに至らなかったと言われる」
「レッドマンのこころ」より→「いかなる場合でも、またいかなる犠牲を払ってでも、イロコワ族は恐れる事なく、そして躊躇する事なく本当の事をしゃべる」
「レッドマンのこころ」より→「インディアンほどケチ臭さを見せない人種を私は知りません。宗教的儀式、戦闘的儀式、祝宴、祭り、葬儀において、貧しい者や困っている者、未亡人や孤児の事を優先的に考慮するのみならず、その貧しさや困窮の状態をいくらかでも軽減してあげようとします」
「レッドマンのこころ」より→「のびのびと自由闊達に飛ぶワシのごとく生まれついている北米インディアンは抑圧というものが我慢ならず、不正を黙って見過ごす事ができない。彼らはウソつきを軽蔑する。あれほど太っ腹な人種を私は知らない。ダンス、祭りの際にも必ず未亡人と孤児を最優先させる」
「レッドマンのこころ」より→「私は何度も遠征隊を率いてインディアンと闘ったが、そのたびにわが身を恥じ、わが政府を恥じ、わが軍の旗に恥ずかしい思いをしたものです。正しいのはいつも彼らインディアンであり、間違っているのはいつも我々アメリカ軍だったからです」
「レッドマンのこころ」より→「彼ら(インディアン)が協約を破った事は一度もありません。我々(アメリカ軍)が協約をきちんと履行した事も一度もなかったのです」
「レッドマンのこころ」より→「レッドマンが我々の文明よりも高度なものを生み出していた事に疑いの余地はない。唯一の弱点をあげるとすれば金属を活用する技術をもたなかった事である。美的感覚、倫理、道徳、社会文化においてインディアンはその征服者たちを凌駕していた」
「レッドマンのこころ」より→「ヨーロッパとはまったく異なる、しかもより効率のよい政治形体を発達させていた事は、アメリカ・インディアンの誇りとすべき事である。その政治は民衆の福祉の向上を至上目的としていた」
「シルバーバーチの霊訓」より→「肉眼そのものに“見る”能力はなく、光線を感知する媒体にすぎないのです。カメラのレンズと同じで、自分ではどういう役目をしているのか知らないまま自動的に機能しているのです。“見えた”という認識は精神がその印象を脳から受け取った時に生じるのです」
「シルバーバーチの霊訓」より→「全ての物体に霊的複製品があります。地上で書かれたものが複製されて納めてある図書館があります。必要が生じるとそこへ行って調べものをして知識を得ます。音楽も絵画もあります地上にあるものは全てこちらにもあります」
「シルバーバーチの霊訓」より→「地上と霊界の違いは、地上では様々な発達段階の人が一緒に生活できる事です。こちらでは同じレベルまで発達した者としか会えません。霊的身体は霊格が高くなるほど成熟していきます。霊界での成長は(老化に向かう事ではなく)成熟するという事です」
「シルバーバーチの霊訓」より→「私が地上を離れて上層界へ帰ると“神庁”に所属する存在と出会う事がある話をした事がありますが、そうした霊もみな個性を具えた存在です。個体性を失ってはいません。不完全の要素が減り完全無欠の要素の占める部分が多くなった段階にまで進化しているのです」
「シルバーバーチの霊訓」より→「霊はその個性に応じて自我を発揮するための何らかの形体が必要です。霊それ自体には個的形体はありません。霊とは生命ですがその生命が顕現するには人間なり動物なりの形体をとる必要があります。霊は何らかの形体をとらない事には存在が認識されません」
「シルバーバーチの霊訓」より→「霊界には地上のいかなる楽器にも出せない音色があり、絵画でもあなた方には想像もつかない色彩と美があります。それが感識、描写できる人は地上にはいません。地上の人にとって大インスピレーションと思えるものでも実際はごくごく小さなかけらにすぎません」
「シルバーバーチの霊訓」より→「睡眠中は肉体を離れて一時的に“死ぬ”訳です。そうする事によって徐々に霊界生活に慣れていきます。そうしないといよいよ本当の死が訪れた時に何の事か理解できず、新しい生活環境に順応するのに長い時間を要する事になります」
「シルバーバーチの霊訓」より→「思念は見る事も聞く事も重さや大きさを計る事もできない。物理的な計量方法がないわけです。なのにあなたの行為の全てに思念が責任を負っています。思念の方が行為に先行しているからです。思念なくして行為は生まれません」
「シルバーバーチの霊訓」より→「私たちの世界では考えた事が霊的実在として具現化し、それにはあなた方にとって物質の世界が実感があるように私たちにとって実感があります。要は相対上の問題で、あなた方にとって物質に実感があるように私たちにとっては思念に実感があるという事です」