ある青年Instagram
bit.ly/2DRuRcT

ある青年が徳仁の昔の登山画像をUPしています、それにコメントさせて頂きました。限りなく合成だと思いますが断言まではできません。宜しければインスタのコメントをご覧下さい。アタック帰還後にさらに説明してみます。アナログ絵262、絵としては完成してますが文章を付随させたいのでUPはもう少々お待ち下さい(祈)†

※あ、強姦殺人魔に伏字をせずにコメントしちゃいました。ある青年、ゴメンナサイ。。。

※イヤァー以前から考えてた事ですがWordPress固定ページ「山画像」みたいなのを作ろうかと思い始めちゃいますね。とはいえ霊性発現だいぶ前から撮り続けている山画像は膨大な量にのぼり、とても全てをご紹介するのはムリで、それで今までやらなかったんですね。とにかく山画像はとてつもない量があるのです(祈)†

5つの塔から成る大学の構内は常時様々な活動に溢れていますが“せわしさ”はありません。中央水路へ通じる数々の小水路を幾艘もの舟が往き来して、次々と渡航者を舟着場へ下ろしています。

『ベールの彼方の生活④』その水辺近くまで延びているテラスや上り段には幾千ともつかぬ参列者が群がっており、新しい一団がその明るいにぎわいを増しています。いずれもある大きな顕現を期待してやって来るからです。参加者はそれぞれ個人としての招待にあずかった人ばかりです。

『ベールの彼方の生活④』その地域の者なら誰でも参加できるのではありません。ある一定の霊格以上の者に限られています。招待者が全員集合したところで天使の塔から旋律が流れてきました。続いて何が起きるのであろうかと一斉に注目しています。ではそのあとの顕現の様子を順を追って叙述しましょう。

『ベールの彼方の生活④』音楽がボリュームを増すにつれて、その塔を包む大気が一種の霞を帯び始めました。しかし輪郭が変わって見えるほどではありません。そして塔は次第に透明度を増し、それが上下に揺れて見えるのです。つまり色彩に富んだ液晶ガラスのように、外側へ盛り上がったかと思うと→

『ベールの彼方の生活④』→内側へのめり込んでいくのです。やがて吾々の耳にその音楽よりさらに大きな歌声が聞こえてきました。それは絶対神とその顕現であるキリストへの讃歌(テデウム)でした。そのキリストの1つの側面がこれより顕現されるのです。【そのテデウムの歌詞を教えて頂けませんか】

『ベールの彼方の生活④』いえ、それは不可能です。その内容だけを可能な限り地上の言語に移しかえてみましょう。こうです―「遠き彼方より御声に聞き入っております私どもは、メロディの源であるキリストこそあなたであると理解しております。あなたの“みことば”を聞いて無窮が」→

『ベールの彼方の生活④』→「美をもたらしたのでございます。あなたの直接の表現であらせられるキリストの目にあなたのお顔を拝している私どもは、あなたは本来無形なる存在であり、その御心より形態を生じ、美がむき出しのままである事を好まず、光を緯(よこ)糸とし影を経(たて)糸として」→

『ベールの彼方の生活④』→「編まれた衣にて包まれていると理解しております。あなたの御胸の鼓動を感じ取っております私どもは、美がそのように包まれているのはあなたが愛の全てであり、あなたの愛でないものは存在しないからでございます。あなたのその美を私どもはキリストの美によって」→

『ベールの彼方の生活④』→「知り得るのみであり、そのキリストはあなたが私どもに与え給うたのと同じ形態をまとって顕現される事でございましょう。私どもはあなたを讃えて頭(こうべ)を垂れます。私どもはあなたのものであり、あなたを生命と存在の源として永遠におすがり致します。」→

『ベールの彼方の生活④』→「この顕現せる生命の背後に恵み深き光輝が隠されております。キリストの顕現とその安らぎを待ち望む私どもにお与え下さるのは、御身みずからの事に、ほーかーなーりーまーせーぬー」最後の歌詞はゆっくりと下り調子で歌われ、そして終わった。

『ベールの彼方の生活④』そして吾々は頭を垂れたまま待機していました。次に聞こえたのは“ようこそ”という主の御声でした。その声に吾々が一斉に顔を上げると、主は天使の塔の入り口の前に立っておられます。その前には長いそして広い階段が水際まで続いています。その階段上には→

『ベールの彼方の生活④』→無数の天使がひざまずいています。その塔に所属する天使の一団です。総勢幾千もの数です。主は塔へ通じる大きなアーチ道から遠く離れた位置におひとりだけ立っておられます。が、その背後には階段上の天使よりさらに霊格の高い天使の別の一群が立ち並んでいます。

『ベールの彼方の生活④』主の降臨に付き添ってきた天使団です。今や天使の塔は躍動する大きな炎の如く輝き、大気を朱に染めてそれがさらに水面に反映し、灼熱に燃え上がるようにさえ思えるのです。

『ベールの彼方の生活④』その時です。主がまず片足をお上げになり、続いてもう一方の足をお上げになって宙に立たれました。塔の頂上を見上げると、その先端に載っている王冠状のものが変化し始めているのが分かります。あたかも美しい生き物のように見えます。レース状の線状細工がみな躍動しており→

『ベールの彼方の生活④』→さらによく見ると、そのヤシの葉状の冠には数々の天使の群れが宝石を散りばめたように光って見えます。ある群れは葉に沿って列をなして座し、ある群れは基底の環状部に曲線をなして立ち、またある群れは宝石の飾り鋲に寄りかかっています。王冠を構成している→

『ベールの彼方の生活④』→あらゆる部分が天使の集団であり、宝石の1つ1つがセラピム(※)の一団であり、炎のごとく輝き燃え上がっているのでした。(※キリスト教で最高神に直接仕える第1級の天使―訳者)やがてその塔の頂上部分がゆっくりと塔から離れて主ならびに付き添いの天使団が→

『ベールの彼方の生活④』→立ち並ぶ位置の上空高く上昇し、それからゆっくりと下降してテラスに着地しました。内部にはすでに千の単位で数えるほどの天使がいます。そして吾々も水路を横切ってその内部へ入るよう命じられました。(その大塔は湖の中央に聳えている―訳者)私が階段の→

『ベールの彼方の生活④』→頂上まで来て見下ろすと、滔々とした人の流れが、喜びの極みの風情で、新しくしつらえた宮殿の中へ入っていくのが見えました。私もその流れに加わって何の恐れの情もなく中へ入りました。全てが静寂、全てが安らぎと喜びに溢れておりました。入ってみると、→

『ベールの彼方の生活④』→その王冠の内側は広く広大なホールとなっており、天井が実に高く、下から上まで宝石と宝玉に輝いておりました。透し細工に光のみなぎった薄もやが充満し、それがそのままホールの照明となっておりました。壁は少し垂直に伸びてからアーチを描いて→

『ベールの彼方の生活④』→穹陵(きゅうりょう、西洋建築における天井の1形式)となり、その稜線がサファイア色をした大きな宝玉のところで合流しています。壁の材質は透明なクリスタルで、外側の天界の様子を映し出す性質をしており、どの天使が飛来しどの天使が去って行ったかが、→

『ベールの彼方の生活④』→いながらにして分かるようになっています。この王冠はテラスへ下降してくる間にそのように模様替えされたに相違ありません。ふだんは完全に青空天井になっておりますから。【出席者は全部で何名だったのでしょうか。】私には分かりません。でも主のお供をした霊は→

『ベールの彼方の生活④』→少なくとも1500名を数えたに相違ありません。そして吾々招待を受けた者はその6倍を下りませんでした。それに塔の直属の霊がおよそ3000名はいました。大変な集会だったのです。このたびの顕現はその大学における科学に関する指導の一環として行われたものです。

『ベールの彼方の生活④』それがどんなものであるかは既にお話しました。それまで吾々は研究を重ね、資料を豊富に蓄積しておりました。そこへ主が訪れてそうした知識がそれより上の境涯へ進化して行きながら獲得される神についての知識といかに調和したものであるかをお示しになられたのです。

『ベールの彼方の生活④』【もう少し詳しくお話願えませんか。今のでは大ざっぱすぎます。】そうでしょう。私もそれを残念に思っているのですが、といってこれ以上わかりやすくといっても私には出来そうにありません。でも何とか努力してみましょう。冗漫な前置きは抜きにして→

『ベールの彼方の生活④』→一気に本論へ入りましょう。あのとき主は神のことばがそのまま顕現したのでした。既に(第2巻で述べたので)ご承知の通り、宇宙創造の当初、神の生命のエネルギーが乳状の星雲となり、それが攪拌されて物質となり、その、その物質から無数の星が形成されるに至った時の→

『ベールの彼方の生活④』→媒介役となったのが、他ならぬ“ことば”でした。ことばこそ創造の実行者だったのです。すなわち神がそのことばを通して思惟し、その思念がことばを通過しながら物質という形態をとったという事です。(※Wordは聖書などで“ことば”と訳されているので)→

『ベールの彼方の生活④』→(一応それに倣ったがシルバーバーチのいう宇宙の摂理、自然法則の事である―訳者)この問題は永い間の吾々の研究課題でした。主が降臨されて宇宙の創造における父なる神の仕事との関連においてのことばの意味について吾々が学んだ事に、さらに深い事を説明なさったのは→

『ベールの彼方の生活④』→上層界における同種の、しかしさらに深い研究につなげていくためでした。残念ながらこれ以上の事は伝達しかねます。【このたび主がお出でになられた時の容姿を説明して頂けませんか。】主は大ホールの中空に立っておられ、最後まで床へ下りられませんでした。→

『ベールの彼方の生活④』→最初私はそれがなぜだか分かりませんでした。が、顕現が進行するにつれて、その位置がこのたびの主の意図に最も相応しい事が分ってきました。視覚を使って教育するためだけではありません。中空に立たれたのは、その時の主の意図が自然にそのような作用をしたのです。→

『ベールの彼方の生活④』→そしてお話をされている間も少しずつ上昇して、最後は床と天井の中間あたりに位置しておられました。それはその界層における力学のせいなのです。そう望まれたのではなく、科学的法則のせいだったのです。

『ベールの彼方の生活④』さらに、冠の外側に群がっていた天使が今は内側の壁とドームの双方に、あたかも生きた宝石の如く綴れ織り(タペストリ)模様に群がって飾っているのでした。

『ベールの彼方の生活④』さて貴殿は主の容姿を知りたがっておられる。衣装は膝までのチュニックだけでした。澄んだ緑色をしており、腕には何も―衣服も宝石も―付けておられませんでした。宝石はただ1つだけ身につけておられました。胴のベルトが留め金でとめてあり、その留め金が→

『ベールの彼方の生活④』→鮮血の輝くような赤色をした宝石でした。腰の中央に位置しており、その事は、よく考えて頂くと大きな意味があります。と言うのは、主は父なる神と決して断絶する事はありませんが、この界層における仕事に携わるために下りてこられるという事は確かに一種の→

『ベールの彼方の生活④』→分離を意味します。造化の活動のために自ら出陣し、そのために父より顔を背けざるを得ません。意念を“霊”より“物質”へと放射しなければならないのです。その秘密が宝石の位置に秘められているのです。この事は語るつもりはなかったのですが、貴殿の精神の中に→

『ベールの彼方の生活④』→その質問が見えたものですから、ついでに添えておきます。マントは付けておられませんでした。膝から下は何も付けておられませんでした。両手両足とお顔は若さ溢れる元気盛りのプリンスのそれでした。頭髪にも何も付けておられず、中央で左右に分けておられ、→

『ベールの彼方の生活④』→茶色の巻き毛が首のあたりまで下がっておりました。いえ、目の色は表現できません―貴殿の知らない色ばかりです。それにしても貴殿の精神は主についての質問でいっぱいですね。これでも精一杯お答えしてあげてるつもりです。

『ベールの彼方の生活④』【主についてのお話を読むといつもその時のお姿はどうだったのかが知りたくなります。私にとっても他の人たちにとっても、それが主をいっそう深く理解する手掛かりになると思うからです。主そのものをです。】お気持ちはよく分かります。しかし残念ながら→

『ベールの彼方の生活④』→貴殿が地上界にいるかぎり主の真相はほとんど理解し得ないでしょう。現在の吾々の位置に立たれてもなお、そう多くを知る事はできません。それほど主は偉大なのです。それほど地上のキリスト教界が説くような窮屈な神学からはほど遠いものなのです。

『ベールの彼方の生活④』キリスト者は主を勝手に捉えて小さな用語や文句の中に閉じこめようとしてきました。主はそんなもので表現できるものではないのです。天界においてすら融通無碍であり、物的宇宙に至っては主の館の床に落ちている“ほこり1つ”ほどにしか相当しません。

『ベールの彼方の生活④』にもかかわらずキリスト者の中には主にその小さなほこりの中においてすら自由を与えようとしない人がいます。この話はこれ以上進めるのは止めましょう。【それにしても、アーネルさん、あなたは地上では何を信仰しておられたのでしょうか。今お書きになられた事を】→

『ベールの彼方の生活④』→【私は信じます。が、あなたは地上におられた時もそう信じておられたのですか。】恥ずかしながら信じていませんでした。と言うのも、当時は今日に較べてもなお用語に囚われていたのです。しかし正直のところ私は神の愛について当時の人たちには許しがたい広い視野から→

『ベールの彼方の生活④』→説いていました。それが私に災いをもたらす事になりました。殺されこそしませんでしたが、悪しざまに言われ大いに孤独を味わわされました。今日の貴殿よりも孤独な事がありました。貴殿は当時の私よりは味方が多くいます。貴殿ほど進歩的ではありませんでしたが、→

『ベールの彼方の生活④』→当時の暗い時代にあっては、私はかなり進んでいた方です。現代は太陽が地平線を暖め始めております。当時はまさに冬の時代でした。【それはいつの時代で、どこだったのでしょう?】イタリアでした。美しいフローレンスでした。いつだったかは憶えていません。

『ベールの彼方の生活④』が神が物事を刷新し始めた時代で、人々はそれまでになかった大胆な発想をするようになり、教会が一方の眉をひそめ国家がもう一方の眉をひそめたものです。そして―そうでした。私は人生半ばにして他界し、それ以上の敵意を受けずに済みました。

『ベールの彼方の生活④』【何をなさっていたのでしょう。牧師ですか?】いえ、いえ、牧師ではありません。音楽と絵画を教えておりました。当時はよく1人の先生が両方を教えたものです。【ルネッサンスの初期の事ですね?】吾々の間ではそういう呼び方はしませんでした。

『ベールの彼方の生活④』でも、その時代に相当しましょう。そうです!今日と同じように神がその頃から物事を刷新し始めたのです。(それが何を意味するかがこれからあとの通信の主なテーマとなる―訳者)そして神がそのための手を差しのべるという事は、それに応えて人間もそれに→

『ベールの彼方の生活④』→協力しなければならない事になります。大いに苦しみも伴います。が刷新の仕事は人間ひとり苦しむのではありません。主のベルトのルビーの宝石を思い出して、主がいつもお供をして下さっていると信じて勇気を出して頂きたいのです。 アーネル†

UPは山へのアタック帰還後ですね。急ぎましょう。今日の幽体離脱時の映像は鮮明でした。ブログ書く必要があります(祈)†

イヤーキビシイ作業ですが間もなくスキャン、そして明日のUPを目指します。早く描き上げてブログに戻らないといけません。っと、その前に山にアタックがありますね。インスピレーションは降ってます(祈)†

第10界の森林地帯の真っ直中に広大な空地があります。周囲を林に囲まれたその土地から四方へ数多くの道が伸びており、その道からさらに枝分かれして第10界の隅々まで連絡が取れております。

『ベールの彼方の生活④』その連絡網は、瞑想と他の界層との通信を求めてその空地へ集まってくる人々によく利用されています。その一帯を支配する静穏の美しいこと。茂る樹木、咲き乱れる花々、そこここを流れる小川、点在する池、群がる小鳥や動物たちが、修養を心がける者たちを自然に引きつけ、→

『ベールの彼方の生活④』→その静穏の雰囲気に浸らせます。が、これから述べるのはその中心にある空地の事です。空地といっても地上ならさしずめ平野と呼ばれそうな広大な広さがあります。そこには庭園あり、噴水あり、寺院あり、建物あり。それらがみな研究と分析・調査の目的に使用されています。→

『ベールの彼方の生活④』→そこは一種の大学ですが、その性格は“美の都市”とでも呼ぶにふさわしいものを具えております。というのは、そこでは美と知識とが全く同等の意図をもつに至っているかに思えるのです。形は長円形をしています。その片方の端には森の縁から巾の広い背の高いポーチが→

『ベールの彼方の生活④』→突き出ており、その両側に木が立ち並び、その樹木の上空に建物の翼廊が姿を見せています。その翼廊の壁の高い位置にバルコニーが付いていて、そこから空地全体を見晴らす事ができます。建物の残りの部分はすっぽり森林に包まれており、塔とドームだけがポーチより→

『ベールの彼方の生活④』→遙かに高く聳え立っております。それが無かったら森林の中に一群の建造物が存在する事に誰も気づかないでしょう。それほど周囲に樹木が密生しているのです。

『ベールの彼方の生活④』塔は5つあります。うち4つは型は違っていても大きさは同じで、その4つにかぶさるようにドームが付いています。残りの1つは巨大なものです。あくまでも高く聳え、その先端が美しいデザインの帽子のようになっています。あたかも天界のヤシの木のようで、その葉で→

『ベールの彼方の生活④』→王冠の形に線条細工が施され、それに宝石が散りばめてあり、さらにその上は銀河に似たものが同じく宝石をふんだんに散りばめて広がっております。これら4つの塔とドームと大塔には神秘的な意味が込められており、その意味は例の大聖堂を通過した者でなければ→

『ベールの彼方の生活④』→完全な理解はできません。それが大きな儀式の際に理解力に応じた分だけが明かされる。その幾つかは“顕現”の形で説明される事もあります。そのうちの1つをこれからお話するつもりですが、その前にそこの建物そのものについてもう少し述べておきましょう。

『ベールの彼方の生活④』ポーチの前方に左右に広がる池があり、その池に至る道は段々になっています。大学の本館はその水面から聳え立っており(※)、周辺の庭園と群立する他の小館とは橋でつながっており、その大部分に天蓋が付いています。ドームのあるホールは観察に使用されています。

『ベールの彼方の生活④』観察といっても大聖堂の翼廊での観察とは趣が異なり、援助を送ったり連絡を維持するためではなく、他の界層の研究が目的です。そこでの研究は精細を極めており、1つの体系の中で類別されています。それというのも、天界においては他の界との関連性によって→

『ベールの彼方の生活④』→常に情況が変化しているからです。ですから、こうした界層についての知識の探求には際限がありません。(※霊界の情況は地上の情況になぞらえて描写されるのが常であるが、地上圏から遠ざかるにつれてそれも困難となる。この部分もその1つで、一応文章のままに)→

『ベールの彼方の生活④』→(訳しておいたが、これでは地上の人間には具体的なイメージが湧いて来ないであろう。が、私の勝手な想像的解釈も許されないので、やむを得ずこのままに留めておいた―訳者)4つの小塔にはそれぞれ幾つかの建物が付属しています。それぞれに名称がありますが、→

『ベールの彼方の生活④』→地上の言語では表現できないので、取りあえずここでは“眠れる生命の塔”―鉱物を扱う部門、“夢見る生命の塔”―植物を扱う部門、“目覚める生命の塔”―動物を扱う部門、そして“自我意識の塔”―人間を扱う部門、と呼んでおいて下さい。大塔は“天使的生命の塔”です。

『ベールの彼方の生活④』ここはさきの4つの生命形態を見下ろす立場にあり、その頂点に君臨している訳です。その階段へ向けて全生命が向上進化しつつあるのです。それらの塔全体を管理しているのが“ドームの館”で、各塔での研究と分析調査の仕事に必要な知識はそこから得ます。

『ベールの彼方の生活④』つまりその館の中で創造・生産されるものを各分野に活用しています。4つの小塔は1つ1つデザインが異なり、平地から4つを一望するとすぐに、全体としていかなる創造の序列になっているかが知れます。そういう目的をもってデザインされているのです。

『ベールの彼方の生活④』内部で行われる仕事によって各塔にそれ特有の性格がみなぎり、それが滲み出て外形をこしらえているのです。大塔は見るからに美しい姿をしております。その色彩は地上に見出す事はできません。が、取りあえず黄金のアラバスターとでも表現しておきましょう。

『ベールの彼方の生活④』それにパールを散りばめた様子を想像して頂ければ、およその見当がつくでしょう。それは言うなれば液晶宝石の巨大にして華麗な噴水塔という感じです。水が噴き出る代わりに囁くようなハーモニーが溢れ出て、近づく者に恍惚状態(エクスタシー)に近い感動を→

『ベールの彼方の生活④』→覚えさせずにはおきません。周辺の水がまた美しいのです。花園をうねりながら流れるせせらぎもあれば大きな池もあり、その水面に5つの塔やドーム、あるいは他の美しい建物が映っており、静かな、落着いた美しさを見せています。その感じを貴殿に分かりやすく表現すれば→

『ベールの彼方の生活④』→揺りかごの中の天使の子供のようです。では、これより貴殿を大塔の中にご案内して、その特徴を2、3ご紹介しましょう。この塔は何かの建物の上にあるのではなく、基礎からいきなり聳え立っております。その内部に立って見上げたら、貴殿は唖然とされるでしょう。

『ベールの彼方の生活④』階が1つもなく、屋根のようなものもなく、ただ虚空へ向けて壁(四方にあります)が山の絶壁のように上へ上へと伸びているだけです。そしてその頂上は星辰の世界のど真ん中へ突き刺さっているかの如くです。その遙か遙か遠くにその塔の先端の縁が、あたかも塔そのものから→

『ベールの彼方の生活④』→離れてさらにその上にあるかのように見えます。それほど高いのです。その壁がまた決してのっぺりとしたものではないのです。四方の壁が二重になっていて、間が仕切ってあり、各種のホールや天使の住居となっております。外部を見ると通路あり、バルコニーあり、→

『ベールの彼方の生活④』→張り出し窓あり、さらには住居から住居へと橋がループ条につながっております。壁の上に対角線状に見えるものは、そこの部屋から部屋へ、あるいは楽しみのための施設から別の施設へとつなぐ階段です。庭園もあります。塔の側壁から棚状に突き出た広大な敷地に→

『ベールの彼方の生活④』→しつらえてあります。この方尖塔は実に高くそして広大なので、そうした付属の施設―中へ入ってみるとそれぞれに結構大きなものなのですが―少しも上空を見上げた時の妨げにならず、また1番先端の輪郭を歪める事もありません。また、よく見ると→

『ベールの彼方の生活④』→光が上昇しながら各部屋を通過していく際に変化したり溶け合ったり、輝きを増すかと思えば消滅していったりしております。例えば塔の吹き抜けに面したある住居のところでは真夏の太陽に照らされている如くに輝き、別の住居のところでは沈みゆく夕日が庭を照らし、→

『ベールの彼方の生活④』→夕焼空を背景にして緑の木々やあずま屋が美しく輝いて見えます。さらに別のところでは春のさわやかな朝の日の出の様相、さよう、そんな感じを呈しております。小鳥がさえずり、小川がさざ波を立てて草原へ流れていきます。この驚異の世界にも“流れる水”は存在するのです。

『ベールの彼方の生活④』音楽も流れています。あの部屋から1曲、この部屋から1曲と聞こえてきます。時には数ヶ所から同時に聞こえてくる事もありますが、塔の広さのせいでお互いに他のメロディの邪魔になる事はありません。

『ベールの彼方の生活④』さて、以上お話しした事―全体のほんのひとかけらほどでしかありませんが―を読まれて貴殿はもしかしたら、その大塔の中がひどく活気のないところのように思えて、建立の動機に疑問をもたれるかも知れません。が、先ほど私が各塔に名付けた名称を思い出して頂けば→

『ベールの彼方の生活④』→決してそうではない事が分かって頂けるでしょう。この大塔は4つの小塔を指揮・監督する機能を有し、そのためのエネルギーを例のドームから抽き出すのです。そこには極めて霊格の高い天使が強烈な霊力と巾広い経験を携えて往き来し、かつて自らが辿った道を→

『ベールの彼方の生活④』→いま歩みつつある者たちの援助に当たります。すなわち測り知れぬ過去において自分が行った事を、4つの小塔とドームの館に住む者が永遠の時の流れの中の今という時点において励んでいるという事です。進化の循環(サイクル)の中で、先輩の種族が去って新しい種族が→

『ベールの彼方の生活④』→今そこに住まっているのです。これでお気づきと思いますが、そこでの仕事がいかに高度なものであるとはいえ、そこはあくまでも第10界であり、従ってあくまでも物事の育成の場であって創造の界ではないのです。でも、創造へ向かいつつある事に間違いはなく、→

『ベールの彼方の生活④』→第10界では最高の位置にある施設の1つです。【アーネルさんご自身もその大学を卒業されたのですか。】しました。4つの塔を全部通過するコースを終えました。それが普通のコースです。【ドームの館もですか。】学徒として入った事はありません。

『ベールの彼方の生活④』別の形で同じ事を終了しておりましたから。実は私は4番目の塔を終えたのちに大塔直属の天使のおひとりに仕える身となったのです。大聖堂へ行けるまでに修行できたのもその方のお陰です。例の暗黒界への旅の間にずっと力をお貸し下さったのもその方で、その事は→

『ベールの彼方の生活④』→旅から帰って初めて知りました。その方はそうした援助の仕事を他の者にもしておられました。それがその方の本来の仕事だったのです。(※)神の祝福を。 アーネル†

『ベールの彼方の生活④』(※過去形になっているのは現在は別の仕事に携わっているからであろう。“その方”について何も述べていないが、同じ霊系の1人、つまり類魂の1人であるに違いなく、こうした関係は地上に限らず上級界へ行っても同じである事が分かる―訳者)

霊団は僕の「出発」を強調してきます。絵の方も急ぎましょう(祈)†

2020年7月13日

アナログ絵262、3ページ中1ページ完成中。で、昨日霊団が降らせたインスピレーションですが「逃がさないよ」これが強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の思念である訳がありませんね。コイツらは逃亡しまくってます。僕、たきざわ彰人から逃げまくってます。なのでこの「逃がさないよ」は霊団が明仁、文仁、徳仁、悠仁に対して言っているセリフという事になります。そして「勝ちですから」これも明仁、文仁、徳仁、悠仁のセリフの訳がありませんね。勝ちと言うなら僕をもっと攻撃していいはずですよね。

もっとも裏から手は回してきていますが。「暗殺」 wp.me/Pa9cvW-1vQ 「放火」 wp.me/Pa9cvW-1WG 参照。この強姦殺人魔どもが勝ちだというなら「これが実はおもしろい」 wp.me/pa9cvW-1wQ こちらのように僕をトコトンコケにしてくるはずですが、明仁、文仁、徳仁、悠仁は僕の名前を一切公言せずすっとぼけ続けています。これだけ強姦殺人魔だと言われ続けているのに一言も反論しない、皆さま、究極に理性が反駁(はんばく)しますね。本当の事だから言えないんですよ、そんな事公言しようものなら一気に火が付き国民の洗脳が破られちゃいますからね。なのでこの「勝ちですから」も霊団が明仁、文仁、徳仁、悠仁に対して言っているセリフという事になります。で、いつもの事ですが霊団、あなた方は霊界上層界から霊眼で地上を見下ろしてそのように仰るのでしょうがココは物質界です!物的に「勝ち」の状況を招来してからこういうセリフを言ってもらっていいですか。早くコイツらにトドメを刺しなさいよ。いつもいつも同じ事言わせるんじゃないわよホントにもぅ(祈)†

www.youtube.com/watch?v=QqJPejYHS_I&t=56s

twitter.com/cecoboku47/status/1124448172816850944

キリストについての地上的概念の解体作業はこうして進行していきましたが、これはすでに述べた物質科学の進歩ともある種の関連性があります。とは言え、それとこれとはその過程が異なりました。

『ベールの彼方の生活④』しかし行き着くところ、吾々の目標とするところは同じです。関連性があるといったのは一般的に物的側面を高揚し、純粋な霊的側面を排除しようとする傾向です。この傾向は物質科学においては内部から出て今では物的領域を押し破り、霊的領域へと進入しつつあります。

『ベールの彼方の生活④』一方キリスト観においては外部から働きかけ、樹皮をはぎ取り、果肉をえぐり取り、わずかながら種子のみが残されておりました。しかしその種子にこそ生命が宿っており、いつかは芽を出して美事な果実を豊富に生み出す事でしょう。しかし人間の心はいつの時代にあっても→

『ベールの彼方の生活④』→ひとつの尺度をもって一概に全世界の人間に当てはめて評価すべきものではありません。そこには自由意志を考慮に入れる必要があります。ですからキリストの神性についての誤った概念を一挙にはぎ取る事は普遍的必要性とは言えません。イエスはただの人間にすぎなかった→

『ベールの彼方の生活④』→という事を教えたがために、宇宙を経綸するキリストそのものへの信仰までも全部失ってしまいかねない人種もいると吾々は考えました。そこで、信仰そのものは残しつつも信仰の中身を改める事にしました。でも、いずれそのうちイエスがただの人間だったとの説を耳にします。

『ベールの彼方の生活④』そして心を動揺させます。しかし事の真相を究明するだけの勇気に欠けるために、その問題を脇へ置いてあたかも難破船から放り出された人間が破片にしがみついて救助を求める如くに、教会の権威にしがみつきます。一方、大胆さが過ぎて、これで“キリストの謎”が全て解けたと→

『ベールの彼方の生活④』→豪語する者もいます。彼らは“キリストは人間だった。ただの人間にすぎなかった”というのが解答であると言います。しかし貴殿もよく注意されたい。かく述べる吾々も、この深刻な問題について究明してきたのです。教えを乞うた天使も霊格高きお方ばかりであり、→

『ベールの彼方の生活④』→叡智に長けておられます。なのになお吾々は、その問題について最終的解決を見出しておらず、高級界の天使でさえ、吾々に比べれば遙かに多くの事を知っておられながら、まだ全ては知り尽くされていないとおっしゃるほどです。地上の神学の大家たちは→

『ベールの彼方の生活④』→絶対神についてまでもその本性と属性とを事細かにあげつらい、しかも断定的に述べていますが、吾々よりさらに高き界層の天使ですら、絶対神はおろかキリストについても、そういう畏れ多い事は致しません。それはそうでしょう。親羊は陽気にたわむれる子羊のように→

『ベールの彼方の生活④』→威勢よく突っ走る事は致しません。が、子羊よりは威厳と同時に叡智を具えております。さて信仰だけは剥奪せずにおく方がいい人種がいるとはいえ、その種の人間からはキリストの名誉回復は望めません。それは大胆不敵な人たち、思い切って真実を直視し驚きの体験をした→

『ベールの彼方の生活④』→人たちから生まれるのです。前者からもある程度は望めますが、大部分は少なくとも偏見を混じえずに“キリスト人間説”を読んだ人から生まれるのです。むろんそれぞれに例外はあります。私は今一般論として述べているまでです。実は私はこの問題を出すのに躊躇して→

『ベールの彼方の生活④』→おりました。キリスト教徒にとっては根幹に関わる重大性をもっていると見られるからです。他ならぬ“救世主”が表面的には不敬とも思える扱われ方をするのを聞いて心を痛める人が多い事でしょう。それはキリストに対する愛があればこそです。それだけに私は躊躇する→

『ベールの彼方の生活④』→のですが、しかしそれを敢えて申し上げるのも、やむにやまれぬ気持からです。願わくはキリストについての知識がその愛ほどに大きくあってくれれば有難いのですが…。と言うのも、彼らのキリストに対する帰依の気持は、キリスト本来のものではない単なる想像的産物に→

『ベールの彼方の生活④』→すぎないモヤの中から生まれているからです。いかに真摯であろうと、あくまでも想像的産物である事に変わりはなく、それを作り上げたキリスト教界への帰依の心はそれだけ価値が薄められ容積が大いに減らされる事になります。

『ベールの彼方の生活④』その信仰の念もキリストに届く事は届きます。しかしその信仰心には恐怖心が混じっており、それが効果を弱めます。それだけに、願わくはキリストへの愛をもってその恐怖心を棄て去り、たとえ些細な点において誤っていようと、キリストの真実について考えようとする者を、→

『ベールの彼方の生活④』→キリストはいささかも不快に思われる事はないとの確信が持てるまでに、キリストへの愛に燃えて頂きたいのです。吾々もキリストへの愛に燃えております。しかも恐れる事はありません。なぜなら吾々は所詮キリストの全てを理解する力はない事、謙虚さと誠意をもって臨めば→

『ベールの彼方の生活④』→キリストについての真実をいくら求めようと、それによる災いも懲罰も有り得ぬ事を知っているからです。同じ事を貴殿にも望みたいのです。そしてキリストはキリスト教徒が想像するより遙かに大いなる威厳を具えた方であると同時に、その完全なる愛は人間の想像を→

『ベールの彼方の生活④』→遙かに超えたものである事を確信なさるがよろしい。【キリストは地上に数回にわたって降誕しておられるという説があります。たとえば(ヒンズー教の)クリシュナや(仏教の)ブッダなどがそれだというのですが、本当でしょうか】事実ではありません。

『ベールの彼方の生活④』そんなに、あれやこれやに生まれ変わってはおりません。その事を詮索する前に、キリストと呼ばれている存在の本性と真実について理解すべきです。とは言え、それは吾々にとっても、吾々より上の界の者にとっても未だに謎であると、さきほど述べました。そういう次第ですから→

『ベールの彼方の生活④』→せめて私の知る限りのことをお伝えしようとすると、どうしても自家撞着(パラドックス)に陥ってしまうのです。ガリラヤのイエスとして顕現しそのイエスを通して父を顕現したキリストがブッダを通して顕現したキリストと同一人物であるとの説は真実ではありません。

『ベールの彼方の生活④』またキリストという存在が唯一でなく数多く存在するというのも真実ではありません。イエス・キリストは父の1つの側面の顕現であり、ブッダ・キリストはまた別の側面の顕現です。しかも両者は唯一のキリストの異なれる側面でもあるのです。

『ベールの彼方の生活④』人間も1人1人が造物主の異なれる側面の顕現です。しかし全ての人間が共通したものを有しております。同じようにイエス・キリストとブッダ・キリストとは別個の存在でありながら共通性を有しております。しかし顕現の大きさから言うとイエス・キリストの方が→

『ベールの彼方の生活④』→ブッダ・キリストに優ります。が、真のキリストの顕現である点においては同じです。この2つの名前つまりイエス・キリストとブッダ・キリストを持ち出したのはたまたまそうしたまでの事で、他にもキリストの側面的顕現が数多く存在し、その全てに右に述べた事が→

『ベールの彼方の生活④』→当てはまります。貴殿が神の心を見出さんとして天界へ目を向けるのは結構です。しかしたとえばこのキリストの真相の問題などで思案に余った時は、バイブルを開いてその素朴な記録の中に“兄貴として”また“友人として”の主イエスを見出されるがよろしい。

『ベールの彼方の生活④』その孤独な男らしさの中に崇拝の対象とするに足る神性を見出す事でしょう。差し当たってそれを地上生活の目標としてイエスと同等の完璧さを成就する事ができれば、こちらへ来られた時に主はさらにその先を歩んでおられる事を知る事になります。天界へ目を馳せ憧憬を抱くのは→

『ベールの彼方の生活④』→結構ですが、その時にも、すぐ身の回りも驚異に満ち慰めとなるべき優しさにあふれている事を忘れてはなりません。ある夏の事です。2人の女の子が家の前で遊んでおりました。家の中には祖母(ばあ)ちゃんがローソクの光で2人の長靴下を繕っておりました。

『ベールの彼方の生活④』そのうち片方の子が夜空を指さして言いました。「あの星はあたしのものよ。ほかのよりも大きくて明るいわ。メアリ、あなたはどれにする?」するとメアリが言いました。「あたしはあの赤いのにするわ。あれも大きいし、色も素敵よ。ほかの星のように冷たい感じが」→

『ベールの彼方の生活④』→「しないもの」こうして2人は言い合いを始めました。どっちも譲ろうとしません。それでついに2人はばあちゃんを外に呼び出して、どれが一番素敵だと思うかと尋ねました。ばあちゃんならきっとどれかに決めてくれると思ったのです。ところがばあちゃんは→

『ベールの彼方の生活④』→夜空を見上げようともせず、相変わらず繕いを続けながらこう言いました。「そんな暇はありませんよ。お前たちの長靴下の繕いで忙しいんだよ。それに、そんな必要もありませんよ。あたしはあたしの一番好きな星に腰かけてるんだもの」→

『ベールの彼方の生活④』→「これがあたしには一番重宝してるよ」 アーネル†