2020年4月9日

【イエス様の“怒涛の連続顕現”の意味について今、改めて思う事】蛮族の滅亡を1日でも早めるため、連続でブログを書かせて頂きます。山を愛する霊覚者、たきざわ彰人です。今回は、プロフィールにずっと書き続けている、イエス様の【怒涛の連続顕現】について改めて説明してみようと思います。
まずは2013年に書いたこちらのブログを参考にして頂きたいと思います→
ブログ「何とも言えない表情のイエス様」
ブログ「イエス様、怒涛の連続顕現の“意味”と“その後”」
はい。過去ブログでも説明していますように、僕は地上の試練をパスして帰幽が決まっていた男です。そして僕自身もMAXに帰幽を待ち望んでいました。今もそうです。地上に残り続けるのが本当にイヤなのです。一刻も早く帰幽して6界に赴きたくて→
→たまらないのです。しかし、イエス様に何とも言えない表情で果てしなくお願いをされてしまい、僕は泣く泣く地上に残り続ける事をイエス様に向けて実際に声に出して宣言してしまった…という事なのです。で、この怒涛の連続顕現の意味ですが、もちろん僕に霊的知識普及の使命を遂行してもらいたい→
→というイエス様のご意思の顕現だった訳ですが、今、蛮族にまつわる状況を改めて思う時、あの怒涛の連続顕現の中には「蛮族と闘ってもらいたい」というイエス様のご意思も含まれていたのではないか…だんだんそんな気がしてきたのです。というのもあの時、本当に1週間近く全力で!全力で!→
→イエス様が様々な顔の角度で、何かを訴えかけるような悲痛な表情で!とにかくひたすら顕現して下さった“必死さ”を思い返す時、イエス様はじめ高級霊の方々が長らく心を痛めておられた「蛮族の蛮行」を地上から無くすための「霊の道具」となって欲しいという願望も含まれていたのではないか?
現在の僕の状況を思う時、自然とそんな気持ちが湧いてくるのでした。そしてそう思う根拠としてもうひとつ、僕のキャラクターがあります。僕は生まれながらにして霊能を発揮する霊能者ではなく、山での果てしない修行と、画家の試練ドリームワークによって霊性発現を果たした男です。
その山での修業ですが、僕は常に日の出3~4時間前にスタートして、暗黒の樹林帯をガンガン登っていく「ナイトアタック」という手法を取っています。ブログ「Dreamwork(ドリームワーク)についてar7.blog.fc2.com/blog-entry-737.html」の中でも触れていますが、→
→このナイトアタック、曇りだったり新月だったりすると本当に全く光源がない、完全な漆黒の闇となります。その暗黒の山の中をヘッドライト、ハンドライトで単独で切り裂いて進む訳ですが、これを果てしなく繰り返した事によって僕の心の中から「恐怖心」が消えました。
つまり強靭な精神力が身についたという事です。えー、イエス様は、僕のその「精神力」に目をつけられたのではないか、そんな風に思うのです。つまりこういう事です。
僕より有能な霊能者はいるでしょう。僕より優れた霊媒もいるでしょう。しかし、蛮族男子と正面切って闘う事のできる精神力、つまり【勇気】を具えた霊覚者は地球上に僕ひとり、という事だったのではないかと…。それでイエス様は怒涛の連続顕現を行って僕を何が何でも地上に残した、→
→あのイエス様の何とも言えない表情の中にはそういう意味も含まれていたのではないか…そんな気がだいぶしてきました。そして2013年のあの時、イエス様は蛮族の事を何も言いませんでした。しかし心の中には「キミに蛮族を倒してもらいたい」という願望があったのだと思うのです。
しかしその時は言わずにいた。あの時点で僕が蛮族の事を聞かされていたら100%拒絶していたでしょうからね。ショックが強すぎるのであの時点では言わず、そして僕に【教化】と【強化】を施しながら少しづつ蛮族に関する情報、奴隷の女の子たちの事を僕に教えていき、段階的に心の準備をさせて、→
→いよいよ現在のような状況へと導いてこられた、そういう事だと思うのです。はい。僕のブログ、ツイッターでの【蛮族滅亡】の活動をご覧の皆さまは、本当に、本当に驚かれている事と思いますが(いま波長が降りました!そうだという事です笑)イエス様は、僕が現在のような活動、悪の大中心である→
→蛮族男子をど真ん中で攻撃し続ける精神力【勇気】がある事を2013年の時点で見抜いておられた。しかし本当に完全勝利するためにはあと1歩、精神力が足りなかった。それを補う追加試練として【隔離フィールド内の聖戦】および【愛の試練(霊障イペルマルシェ)】を僕に降らせ、→
→短期間で徹底的に僕の精神力に磨きをかけた…そして現在の【蛮族滅亡】完全ケテイの状況になっている、という事だと思うのです。皆さま、いかがですか?僕のブログをお読みになって、アナログ絵をご覧になって、間もなく蛮族が滅亡する事を心から納得して頂けると思うのです。
この【蛮族の滅亡】は僕がやったのではありません。僕という道具を使用してイエス様が実行なさったのです。そして僕は【イエス様とキスt.co/PmYr98X6GA】という、これ以上は有得ないだろうと思われる究極の“愛のメッセージ”を賜る事ができたのです。
心境は複雑ですが究極に光栄であり、本当にイエス様のご意思に従って地上に残ってよかったなぁ、と思っています。さぁ、1日も早く蛮族の滅亡を完了させ、僕が地上に残された本題である【交霊会】を全力で行い、使命を果たし切って胸を張って帰幽したいと心の底から望んでいます。
2012年から僕はずっとこの言葉を公言し続けていましたよね?イエス様のご意思をもちろんど真ん中で遂行させて頂きますが、僕、たきざわ彰人の基本姿勢はあくまでもコレです☆使命を果たし切って【帰幽カモン!!!】(祈)†

2020年4月11日

この絵の通りには情報を得ていませんが、これまでの情報を総合すれば自ずとこういう絵に辿り着く、という事で描かせて頂きました。日本の中心で、この信じられないレベルの蛮行が長い年月にわたって果てしなく続けられてきたのです。皆さま、いかがお感じになられますか?(祈)†

2020年5月1日

イエスの少年時代書籍img
『イエスの少年時代』【絶好の訳者を得て 近藤千雄】ジェラルディン・カミンズといえば日本ではマイヤースの通信『永遠の大道』と『個人的存在の彼方』で知られている。この2編がスピリチュアリズム思想に飛躍的な発展をもたらした重大な霊界通信である事に異論を唱える者はいないが、→
『イエスの少年時代』→カミンズの評価が日本ではとかくこの2編のみで行われる事に私は密かに不満を覚えていた。と言うのは、カミンズの自動書記通信にはその2編の他にキリスト教の根幹に関わる重大な通信が幾編か存在するからである。
『イエスの少年時代』イエスの少年時代を扱ったThe Childhood of Jesus、同じくイエスの青年時代を扱ったThe Manhood of Jesus、バイブルの「使徒行伝」と「ロマ書」の欠落部分を埋めるといわれる年代記Scripts of Cleophas、→
『イエスの少年時代』→同じく「使徒行伝」のパウロのその後の足跡を綴ったとされるI Appeal Unto Caesar、そして同じくパウロの晩年、暴君ネロの時代を描いたWhen Nero was Dictatorである。
『イエスの少年時代』私がこれらを重大な資料と見なす理由は、その通信内容をスピリチュアリズムに全く関心のない、否、むしろ内心は否定したく思っていたはずの第1級の聖書研究家や神学博士が徹底的に吟味して、これに“正真正銘”の折紙をつけている事である。
『イエスの少年時代』さて私もこれまで英国の霊界通信をいくつか翻訳してきた。当然の事ながらそれらはキリスト教的色彩が濃い。幸い私はキリスト教系の大学の英文科に学び、キリスト教について“常識的”な知識は具えていたので何とか訳す事ができたが深い専門知識を必要とする通信は、→
『イエスの少年時代』→正直言って全く歯が立たなかった。そして原書は空しく書棚の片隅で眠り続けていた。そんな時、昭和60年11月半ばの事であったが、私の訳書の1読者から1通の封書が届いた。20数年に亘ってキリスト教聖公会で司牧された経歴を述べ、さらに今スピリチュアリズム思想に→
『イエスの少年時代』→出会ってキリスト教に対する観点が大きく変わりつつある旨を述べ、その上で今後の自分の進むべき道について私の助言を求めてこられたのだった。それが本書の訳者、山本貞彰氏である。その後山本氏と文通を何度か交わしているうちに私は、この人こそカミンズのキリスト教→
『イエスの少年時代』→関係の通信を訳すべきだという直感を得て、まず本書の原書を進呈してみた。私の直感は間違っていなかった。氏はその通信の内容上の重大性と同時に、その文学的な美しさに魅せられ、さっそく翻訳を思いたたれ、そしてこの度ついに完訳された。
『イエスの少年時代』キリスト教界からすっかり身を引かれた今、氏はそのシリーズの翻訳を畢生の事業と心に決めておられる。私は氏はそれを最大の使命として生まれて来られた方だと信じている。これまでのキリスト教との縁もその布石だったに違いないのである。
『イエスの少年時代』日本はキリスト教国ではないとは言え、その信仰が大勢の日本人の人生に多大の影響を及ぼしている事は紛れもない事実である。私は在来の1宗教としてのキリスト教は忌避するが、キリストの説いた基本的真理はスピリチュアリズムと相通じるものであり、正しく理解すれば→
『イエスの少年時代』→日本にも無くてはならぬ存在価値を持つものと信じている。イエスならびにその使徒たちの時代に関するこうした一連の霊界通信が“正真正銘”であるという事は、キリストをはじめとしてその使途たちが死後もなお存在し続け、ほぼ20世紀後の今、→
『イエスの少年時代』→カミンズという秀れた通信回路を得て地上へ情報を送ってくれたという事を意味する。願わくばキリスト教関係者がその事実を事実として素直に直視して、キリストの教えの真髄を理解する一助とされる事を切望してやまない。
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—–【序文 エリック・パーカー】
『イエスの少年時代』【序文 エリック・パーカー】この本は、とても美しい物語です。私はこれを何と表現したらよいか分りませんが“幻の書”とでも言っておきましょう。腕の悪い大工というイエスの見方は、おそらく伝統的考え方には見当りませんし、ヘリという浮浪者と旅をする事や、→
『イエスの少年時代』→砂漠の部族に関しては、私が他の書物でお目にかかった事がなく、初めて知った事であります。著者は、パレスチナ地方に関してかなり詳しく熟知しておられるようですが、私には、設定されている舞台が一種の霊界と呼べるところで語られているようにも思えるのです。
『イエスの少年時代』それにしても登場人物は、強烈な個性を持った人間として生きぬき、仲違いをする男女として描かれ、私たちと同じような行動様式が示されています。中心的人物、イエスについて私が最初に感じた事は、実に“愛すべき人間”という事であり、→
『イエスの少年時代』→実はこの事が物語の美しさを作り出す泉となっているのです。文体も又不思議な程美しく、話法も平易であるため、この作品は広範囲の大衆の心をとらえるのではないかと信じるものであります。
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—–【主な登場人物】
『イエスの少年時代』【主な登場人物】ゼリータ…マリヤの祖母 マリヤ・クローパス…ヨセフの実姉 キレアス…ゼリータの従兄弟 ベナーデル…ナザレの律法学者 ヘリ…異邦人、エジプトの人 シケム…神殿づきのパリサイ人 ハレイム…ナザレの魚問屋 ハブノー…流浪の部族の長
『イエスの少年時代』【主な登場人物】※イエスの弟妹・トマス・ヤコブ・セツ、ユダ(双生児)・レア(妹) ※クローパス家の息子・ヤコブ・ヨセフ・シモン・ユダ
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