今日の僕はずっと(イヤいつもですが)「最後の1秒まで脱出をあきらめない、死んでも出てやるぞ」とずっと唱え続けていました。その僕の思念を受けて霊団がずっとキャーキャーうるさかったですが、先ほど脱出にまつわる“あるメール”を送信しました。

ただの問い合わせでありこれで何かが決まる訳ではありませんが、どうしてもこの先ずっと(たぶん一生)イヤでどうしようもないところに閉じ込められるのが、どうしても、どうしても耐えられないので、何とかして“ある脱出アイデア”を実行する糸口をつかもうと思っているのです。

もう霊団がうるさい。そこまで強硬に僕の脱出を阻止したからって、その先に何の使命遂行の前進があるんだよ。この脱出アイデアが実行に移されればたぶん間違いなく作業時間が今より増える事になる。霊関連書籍テキスト化、使命遂行の諸作業、アナログ絵描画、等々の作業時間を今より増やす事ができ、さらにトレイルムービー復活の可能性も見えてきます。

さらに、今の生活では出版社設立など夢のまた夢ですが、そのアイデアが有効であればそれさえ現実味を帯びてくるのです。イイ事尽くめじゃあないですか、なぁーにをギャーギャー騒ぐ必要があるんだよ。シャレじゃなく本当にこの霊団とか名乗っている連中は「僕に何もさせない」事が目的なんじゃないかと勘ぐってしまいます。

本っっっ当~にもう…イヤでイヤでどうしようもないんですよ閉じ込められるのが。もうムリ絶対耐えられない。死んでも脱出してみせる、霊団に何と言われようと絶対最後まであきらめないぞ。フラー26に戻ります。汎用モード選択範囲65%切り終わってます。脱出以外の人生なんて絶対にない(祈)†

■アナログ絵357「フラー26キャラ“ハチちゃん”設定資料」UP。ブンブンブン♪(祈)†■2023年12月16日UP■
■アナログ絵357「フラー26キャラ“ハチちゃん”設定資料」UP。ブンブンブン♪(祈)†
今回のハチちゃんも「インナーフレーム」での変形となります。前回のフラー06ver2.0のハチちゃんは腕に変形させる事を優先してハチちゃんらしい外見とは言えませんでしたので、今回のフラー26のハチちゃんは「ハチちゃんらしさ」にこだわりました。そのぶん腕に変形させるのが難しく、インナーフレームを駆使してかなり強引に変形させたという感じです。実は当初、フラー25のちょうちょちゃんと同じように3段変形させるつもりでいたのですが、何しろハチちゃんは1匹1匹が小さいですので「どう考えてもムリだ」という結論に早々に到達し、あきらめて通常の変形としました。イヤ、小さくはありません、このハチちゃん1匹の頭からお尻まで全長、オトナの身長くらい、イヤもっとあるかも知れません。子供なら3人くらい背中に乗せてブンブン飛べる大きさです。まぁフラーのキャラはどうしてもそういう「キモイサイズ感」になってしまいます…続きを読む→
「実はもうハラールの準備が」意味不明の言い訳で自身の罪を回避しようとしているのです(祈)†■2024年3月13日UP■
「実はもうハラールの準備が」意味不明の言い訳で自身の罪を回避しようとしているのです(祈)†
皆さま、真実を見つめる眼をお持ちになって下さい。それは【視点外し】と言います。ごまかしです。ペテンです。ウソです。コイツらがどのような言い訳をしてきたとしてもそれをもって大量強姦殺人の大罪が軽減されるという事は絶対にありません。コイツらの言い分に耳を傾けてはなりません。コイツらが何と言ってきてもその視点外しに踊らされる事なく「真実一点」を凝視して下さい。その真実とは「明仁、文仁、徳仁、悠仁が大量強姦殺人魔である」という真実です。その真実から眼をそらせようとするコイツらの作戦にまんまと引っかからないで下さい。そもそも根本的にお考え下さい。大量強姦殺人魔に弁明の機会を与える事自体がまずおかしいのです。発言そのものを許してはなりません、問答無用で独房に入れなければなりません。発言させるならまず逮捕して身柄をしっかり拘束した上で監視下でしゃべらせるべきであって、自由の状態でコイツらが語る内容には一切情報としての価値はないとみるべきです。自身の大罪をゴマかし通そうとしてくるに決まっているからです、それ以外の事を言う訳がないでしょう…続きを読む→

霊界通信の信憑性の拠り所

前章ではキリスト教を例に挙げて、スピリチュアリズムの啓示によって改革を迫られるに相違ないと思われる教義を指摘したが、これは伝統的宗教のすべてに及ぶべき、きわめて範囲の広い、しかも問題点の多いテーマである。ここではこれ以上広げないで、新しい啓示によって明らかとなった死後の実相に迫ってみたい。

このテーマになると資料は豊富である。しかも、スピリットからの通信に矛盾点もあまり見出せない。メッセージは世界のすべての国ないし民族において“お告げ(メッセージ)”という形で太古から入手されてきている。問題は、それがどこまで正確かということである。

その判断の拠り所として、太古から引き継がれてきた死後の世界の概念と比較してみて、細かい点でまったく相反する事柄について新しい啓示がことごとく一致しており、そこに一貫性が認められる場合は、それを真実と受け取ってよいと私は考える。

たとえば、私が個人的に受け取った15ないし20種類のスピリット・メッセージがことごとく同じことを言っているのに、それがすべて間違っているということは、ちょっと考えられないことである。

メッセージの中には地上時代のことに言及したものも多く、それが人間個性や記憶の証拠とされることが多いが、そうしたスピリットが、過去の地上世界のことは本当のことを言い、現在の霊界のことはウソを言うということも、とても考えられないことである。

死の直後

死の直後について私がまず間違いないと見ているのは、次の諸点である。“死ぬ”という現象には痛みは伴わず、いたって簡単である。そして、そのあとで、想像もしなかった安らぎと自由を覚える。やがて肉体とそっくりの霊的身体をまとっていることに気づく。

しかも、地上時代の病気も障害も、完全に消えている。その身体で、脱け殻の肉体の側に立っていたり、浮揚していたりする。そして、霊体と肉体の双方が意識される。それは、その時点ではまだ物的波動の世界にいるからで、その後急速に物的波動が薄れて霊的波動を強く意識するようになる。

いわゆる“臨終”の際に遠くにいる肉親や縁者に姿を見せたりするのは、その時点ではまだ霊体に物的波動が残っているからである。エドマンド・ガーニー氏(1)の調査によると、その種の現象の250件のうち134件が死亡直後に発生していることがわかっている。物的要素が強いだけ、それだけ人間の霊視力に映じやすいということが考えられる。

しかし右の数字は、蒐集された体験のほぼ半分ということであって、地上で次々と他界していっている厖大な死者の数に比べれば、稀れなケースでしかない。大部分の死者は、私が想像するに、思いも寄らなかった環境の変化に戸惑い、家族のことなどを考えている余裕はないであろう。

さらには、自分の死の知らせで集まっている人たちに語りかけても、身体が触れても、何の反応もないことに驚く。霊的身体と物的身体との波長の懸隔があまりに大きいからである。

光のスペクトルには人間の視覚に映じないものが無数にあり、音のスペクトルにも人間の聴覚に反応しないものが無数にあるということまで分かっている。その未知の分野についての研究がさらに進めば、いずれは霊的な領域へとたどり着くという考えは、あながち空論とは言えないのではないかと思うのであるが、いかがであろうか。

それはさておいて、死者がたどるそのあとの行程を見てみよう。やがて気がついてみると、自分の亡骸(なきがら)の置かれた部屋に集まっている肉親・知人のほかに、どこかで見たことのある人たちで、しかも確か他界してしまっているはずの人たちがいることに気づく。

それが亡霊といった感じではなく、生身の人間と少しも変らない生き生きとした感じで近寄ってきて、手を握ったり頰に口づけをしたりして、ようこそと歓迎してくれる。

その中に、見覚えはないのだが、際立って光輝にあふれた人物がいて、側に立って“私のあとについて来なさい”と言って出て行く。ついて行くと、ドアから出て行くのではない。驚いたことに、壁や天井を突き抜けて行ってしまう。こうして新しい生活が始まるというのである。

以上の点に関してはどの通信も首尾一貫していて、一点のあいまいさも見られない。誰しも信じずにはいられないものである。しかも、世界のどの宗教が説いていることとも異なっている。先輩たちは光り輝く天使にもなっていないし、呪われた小悪魔にもなっていない。

人相や容貌だけでなく、強さも弱さも、賢さも愚かさもたずさえた生前のその人そのままである。予想もしなかった体験に、いかに軽薄な人間も、あるいはいかに愚かしい人間も、畏敬の念に打たれて、いっぺんに慎み深い心境になってしまうのではないかと想像される。

事実、一時的にはそういうことになるかも知れない。が、時がたつにつれてその感激が薄らいで、かつての本性がふたたび頭をもたげてくるものらしい。それは、交霊会に出てくるスピリットの言動から十分に窺い知ることができる。

ここで話が少し後戻りするが、そうした新しい環境での生活が始まる前に、スピリットは一種の睡眠状態を体験するらしい。睡眠時間の長さはさまざまで、ほんのうたた寝ほどの短時間の場合もあれば、何週間も何か月もかかる場合もある。(2)

ロッジ卿のご子息のレーモンドは6日間(地上の日数にして6日に相当する時間)だったという。私がスピリットから聞いたものにも、この程度の期間のものが多いようであるが、意外なのは、スピリチュアリズムの先駆者であるフレデリック・マイヤースが、かなりの期間、無意識状態のままだったことである。

私の推察では、睡眠期間は地上時代の精神的体験や信仰上の先入観念が大きく作用するもののようである。つまりこの悪影響を取り除くための期間であって、その意味では、期間が長いということはそれだけの睡眠が必要ということになる。したがって幼児はほとんど睡眠を取る必要はないのではあるまいか。

これは私の推測にすぎないが、いずれにせよ、死の直後とそのあとの新しい環境での生活との間には、大なり小なり“忘却”の期間があるということは、すべての通信が一致して述べていることである。

“地獄”という名の場所は存在しない

さて、その睡眠から目覚めたばかりのスピリットは、生まれたばかりの赤ん坊と同じで、いたって脆弱(ぜいじゃく)である。が、地上の赤ん坊と違ってスピリットは急速に元気を取り戻し、新しい生活を始める。ここでわれわれの頭をよぎるのは、天国と地獄の問題である。

いやしくも理性をそなえた方ならば私の意見に同意なさると思うが、私はこれで地獄説は完全に脱落すると考える。

全知全能の創造者という概念にとっても冒瀆的な、この不快きわまる概念は、もともと誇張的になりがちな東洋的語句から生まれ出たもので、ちょうど野生の動物が探険家の“焚き火”に怯(おび)えたように、野蛮な時代の人間を脅(おど)しておとなしくさせるには有効だったかも知れない。

が、どうやら“地獄”という場所は存在しないことが明らかとなった。しかし、罰の概念、浄化のための戒めを受けるという意味での煉獄ならば存在するというのが、一致した意見である。

たしかに、邪を正すための罰がなければ、宇宙に“公正”は存在しないことになろう。たとえば邪悪な僧侶の代名詞のように言われているラスプーチンが、僧侶の鑑のように言われているダミアン神父と同じ運命をたどるということは、とても考えられない。善因善果・悪因悪果の法則は厳然として存在するはずである。

ただ、“善”と“悪”のふたつの概念だけですべてを片づけてはなるまい。“霊性”の発達程度を基準にして考えれば、発達の遅れたスピリットはそれを促進するのに相応しい環境に落着く。それは低い界層かも知れないが、未熟なスピリットには相応しい。

それが、体験と上層界のスピリットによる援助と教育とによって、霊性の発達とともに上層界へと進んでいく、ということであろう。高級霊にとってはそれが重要な仕事のひとつであるという。それをジュリア・エイムズは次のようにうまく表現している – “天国の最大のよろこびは、地獄を空(から)にすることである”と。

「物質界再降下」させられるような事を言われています。絶対ヤダ断固拒否(祈)†■2022年10月19日UP■
「物質界再降下」させられるような事を言われています。絶対ヤダ断固拒否(祈)†
奴隷の女の子を「処刑遊び」と称して四肢切断、強姦殺人しまくり死肉を食べまくっている「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁が「私は病人です」と言ってきたとして、それとコイツらの大罪と何の関係があるのですか、という事です。幼い女の子を500人1000人、強姦殺人した人間が、病気になるとその大量強姦殺人罪が帳消しになるのですか。皆さま【神】は僕たち人間全員に「理性、良心」という絶対に狂う事のない判定装置を組み込んでおられます。皆さまの理性、良心はどのような回答を導き出しますか。あえて断言しますが、メディアが流してくる情報は99%ウソです。明仁、文仁、徳仁、悠仁が大粒の涙を流して「私は病人です、許して下さい」と演技映像を流してきたとして、皆さまはそのウソ泣き演技にコロッとダマされるおめでたい国民ではないはずです…続きを読む→
「ポリーチェ POLICE に命令」ポリーチェは強姦殺人魔の命令に忠実に従う子分です(祈)†■2023年2月1日UP■
「ポリーチェ POLICE に命令」ポリーチェは強姦殺人魔の命令に忠実に従う子分です(祈)†
皆さまの心は真実を知っているのです。それを「洗脳」で分からなくさせられているのです。ゴマかされているのです、曇らされているのです。そのモヤを振り払えばたちまち真実が見えてきます。ベールはたった1枚です「洗脳」という名のベールです。それさえめくればすぐ目の前に真実が顔を出します。「ポリーチェ POLICE に命令」という「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の思念のインスピレーションを霊団が降らせてきましたが、これがいかにふざけた意味であるか、どうか想像力を働かせて頂きたいと思います。大量強姦殺人魔、人類最大の犯罪者がポリーチェ POLICE に命令する、ポリーチェがその大犯罪者の命令に忠実に従い、スナイパーチームとなって僕のように真実を公言する人間を暗殺する。【神】が経綸するこの全宇宙に、これ以上のふざけた事があるでしょうかイヤない…続きを読む→
「これから闇の中へ出発します」明仁、文仁、徳仁、悠仁が地獄に赴くという意味です(祈)†■2023年6月7日UP■
「これから闇の中へ出発します」明仁、文仁、徳仁、悠仁が地獄に赴くという意味です(祈)†
実情はそれどころではない。人間は霊界へ来たからとて地上時代といささかも変わるものではない。その好み、その偏執、その習性、その嫌悪をそのまま携えてくるのである。変わるのは肉体を棄てたということのみである。低俗なる趣味と不純なる習性をもつ魂は、肉体を棄てたからとて、その本性が変わるものではない。それは誠実にして純真なる向上心に燃える魂が死とともに俗悪なる魂に一変することがあり得ぬのと同じである。汝らがその事実を知らぬことこそわれらにとって驚異というべきである。考えてもみるがよい。純粋にして高潔なる魂が汝らの視界から消えるとともに一気に堕落することが想像できようか。しかるに汝らは、神を憎み善に背を向けて肉欲に溺れた罪深き魂も、懺悔1つにて清められて天国へ召されると説く。前者があり得ぬごとく後者も絶対にあり得ぬ。魂の成長は1日1日、一刻一刻の歩みによって築かれていくのである…続きを読む→

インスピレーション枯渇、というより皆無、全く何にも降ってきません。これじゃ霊性発現前の状態じゃネィか。霊力に感応しても何の役にも立ってネィ。もうホントにこの人生ヤダ。“ある脱出アイデア”実行してしまおうか、んんん、数字的に苦しいけど、もうこんな最悪な状態に閉じ込められるのは耐えられない。

ちなみに友人が情報提供してくれた件ですが、悠仁が東大の不正入学の反対署名を7000名以上受けて東大をあきらめて筑波大に不正入学を決めたとの事です。試験も受けてない、名前を記入しただけだそうです。どのみち不正入学という事です。

霊団がこの件でインスピレーション降らせてくれば僕はガンガンブログに書くのですがひとことも言ってこないので書けません。僕を使命遂行そのものから遠ざけようとしているのです。霊団が強調してくるのは過去このようなブログも書きましたが↓

「怒られる」とずっと霊団から言われ続けているのです。本末転倒の究極形(祈)†■2022年6月8日UP■
「怒られる」とずっと霊団から言われ続けているのです。本末転倒の究極形(祈)†
物質界での行いがそのまま帰幽後の霊界における境涯を決定します。善い行いをした者は幸福な美しい境涯(上層界)に、私利私欲に走り他人を傷つけた者は暗黒の惨めな境涯(下層界)に赴きます。「神の因果律」の働きにより機械的自動的にそうなるのです。物質界における邪悪発生の原因は「人間は肉体が死んだらそれで終わり」と思っている事に全て起因します。肉体の死後も霊界で人生が継続される事、物質界での行いの賞罰が寸分の狂いもなく自分に降ってくる、自分の行いに全て自分で責任を取らされるという霊的知識の基本中の基本を全く理解していない事から物質界の邪悪が発生しているのです。奴隷の女の子を強姦殺人し続け、国民に延々とウソニュースを流し続け、国民の宝物を搾取し続けたその先に、どれほどの地獄が待ち受けているか。それを全く理解していない事が全ての原因なのです…続きを読む→

文仁がとにかく僕、たきざわ彰人に怒りまくっているそうなのですが、怒ってるのは僕たち国民の方だろ、こんな寝言に配慮して使命遂行を後退させるとは一体霊団の優先順位はどうなっているのか。つまり僕の身をキケンに晒さないようにしていると言いたいのでしょうが猛烈に釈然としません。

さぁ明日もスノーシューアタック前の準備に忙しいです。フラー26カラーリング、ガシガシ選択範囲を切ってます、早くケリをつけないとテキストの作業に戻れないので急いでいるつもりなのですがなかなか進みません。何が悲しくて強姦殺人魔のご機嫌をとって我々国民が不愉快を耐え忍ばねばならないのでしょうか。霊団、仕事しろ。僕は帰幽カモンって言ってるだろ。やるべき事をキッチリやれよ(祈)†

今年のスノーシューシーズンは予想より1~2週間早くやってきました。ですのであわてて諸準備をしています。そんな中、ロードランで汗を流して「やっぱ明日にしよっかな」と心が折れそうになりましたが、明日は明日でやる事があるので今日中に「タイヤチェーン装着テスト」と「スノーシュー装着確認」をやらねばなりません。

タイヤチェーン装着、案の定1回目は失敗して2回目で装着できました。明るい時間帯、気温が高い、この状況ですから1回失敗しても何の問題もありませんが、装着本番時は真っ暗闇の人っ子ひとりいない樹林帯、-10℃の中で装着せねばならないのです。もしその状況で1回失敗したら、その間に指がたちまち凍りつきます。

ヘタしたら2回目の装着ができなくて一旦車内に避難して指をヒーターで温めて再トライとか、そんな事やっていたらスタートタイムが遅くなってしまいます。そして結局うまく装着できなかったなんて事になったら、その日のスノーシューアタックをあきらめて引き返すしかなくなります。

キビシイ状況の中で速攻でタイヤチェーンを装着、脱着できるかどうかはモノスンゴイ重要な問題なのです。スノーシューシーズンが始まる前に毎年必ずタイヤチェーン装着テストをおこないます、これは自分の命にかかわる重大なテストと言っていいのです。

そしてスノーシューを足に装着するテストも一応おこないました。コチラもとりあえず問題なしですが、これもスタート直前に「アリ、アリ、うまく履けない」なんて事になったら大問題になりますので、ベルトの具合とかを事前に確認しておかないといけないのです。これも超重要です。

何とか両方とも問題なくテストを終える事ができました。あー汗かいた疲。明日はウェアの最終確認をやらないといけません。先日入手した新規のフリースがかなり問題ありそうなので、ヘタしたらこのフリースを使用せずに雪山に行く可能性もあります、何のために“ある脱出アイデア”の実行を遅らせてまで入手したというのか。

現地のライブカメラを見てますが、雪はちゃんと降っているようです、積もり方はまだイマイチですが十分スノーシューで切り裂いて行けそうです。昨シーズンのリベンジで今年は気合の入り方が違います。気合入りすぎておかしな空回りにならないように逆に気楽に構えるくらいの方がイイかも知れません。

使命遂行にまつわるお話がなくてスミマセン。チョトテンパってるものですから。次回長文ブログネタとなるインスピレーションはもちろん枯渇中。もう降ってこないのが当たり前のようになってます。使命遂行そのものがいつ終わってもおかしくない。が、僕は霊関連書籍のテキスト化を続行します(祈)†
■2020年12月23日UP■
「ポリーチェ(POLICE)は全く何の役にも立っていません」について説明してみましょう(祈)†
ザクヤーとは風俗業で、幼い女の子をたくさんザクヤーハーレム内に閉じ込めて営業し資金源としながら(有名人が多数利用しているのです)女の子たちをオトナになる前に殺し続けています。「宇宙一のバカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁とほぼ同じ大犯罪をやっているのですが全く逮捕されないのはなぜか。それはザクヤーとポリーチェが「親友」だからです。「強姦殺人遊びでつながった大親友」という事になります…続きを読む→
「身の安全」とにかく僕の身に危機が迫っていて霊団はそれを回避させるつもりのようですが(祈)†■2023年10月11日UP■
「身の安全」とにかく僕の身に危機が迫っていて霊団はそれを回避させるつもりのようですが(祈)†
どんな死に方をしても霊体には一切ダメージはありません。飛行機事故だろうと爆死だろうと溺死だろうと。そもそも肉体と霊体では振動数が違いますので。しかし、いわゆる自然ではない急激な死に方をすると、もともと人間は肉体からそういう急激な離れ方をしないようになっているので、帰幽後に霊体(幽体)の調整が必要になり、場合によってはそれが長くかかる事があるそうです。つまり日航ジャンボ機墜落テロで500人もの国民が「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁(美智子)の手によって殺されましたが、それと同じようにこの強姦殺人魔どもは僕、たきざわ彰人の事もだまし討ちで飛行機に乗せて墜落死させようと画策している事は十分に考えられる事です。そうなった時、僕は肉体から自然ではない急激な離れ方をする事になり(かといって霊体になんのダメージもありませんが)調整が長くかかってしまって霊団が僕の帰幽後にやらせようとしている指導霊の仕事に支障が出てしまうから結果殺されるとしてもそういう急激な殺され方にはならないようにしている、という事かも知れません…続きを読む→
「考えたらダメです厳禁」これは「小知を働かせてはならぬ」と同じ意味と思われます(祈)†■2024年10月2日UP■
「考えたらダメです厳禁」これは「小知を働かせてはならぬ」と同じ意味と思われます(祈)†
僕は何しろ霊団に本気の全力で反逆していますので、時々霊団をあからさまに軽蔑、侮蔑するような思念を心に燃やしたりします。それが宜しくない事は霊的知識的にも、これまでの経験上からも十分承知しているのですが、とにかく閉じ込められるのが頭にきて頭にきてどうしようもなくてそういう宜しくない事を考えたりするのです。(その僕の思念はもちろん霊団に伝わっているという事ですよ)で、霊団が「もっと我々を軽蔑しなさい」といった趣旨の事を言ってきていますが、これはもちろんその言葉の通りの意味ではなく逆説的な意味で言っているのでしょう。えっと、例えばですが、僕が帰幽後に向上したい一心で霊団におべっかを使うとしましょう。しかし霊界に“ウソ”というモノは存在しません。霊団には僕が本心ではないおべっかを言っている事が一目瞭然であり、僕はそれを知識として知っていますので、無意味なウソをつく事はせず、宜しくないと分かっていながらも霊団に対し罵詈雑言の思念をぶつける事があるのです。ウソの思念を並べ立てるよりその方がよほど正直だと思うからです…続きを読む→

では、ここでキリスト教を例にして、ぜひとも修正すべき教義をいくつか挙げて検討してみよう。

キリスト教徒には申しわけないが、ズバリ言って、教会がその体質をよほど思いきって改めないかぎり、キリスト教は地上から姿を消すことになろう。真実にはこちらから適応するしかない – さもなければ自分が滅びる、というのが存在の大原則である。

ところが教会は科学的常識の発達をよそに、一向に体質を改めようとせず、そのうち信者が半減して日曜集会もガラガラとなり、残ったのは女性ばかり。ついには、都会でも田舎でも、有識者層と極貧層から完全に見放されるに至っている。

なぜそうなってしまったのか、ここでその原因を検討してみよう。これはキリスト教のすべての宗派に共通した傾向であるから、そこに何か共通した深い原因があるはずなのである。

大衆が教会に背を向けていく最大の理由は、正直いって、牧師の説くことを信じなくなったということである。理性と良識が等しく反撥するからである。イエスによる身代りの犠牲そのものの概念が納得できないし、そんなことで宥(なだ)めすかされる神の概念がさらに納得がいかないのである。

さらに、“罪の贖(あがな)い”だの“小羊の血によって潔められる”などといった表現が理解できない。“人類の堕落”だの“原罪”だのを口にする以上は、そのいわれについての説明が学問的にきちんとできていなければならない。

それができずにいるうちに、進化論の発達によって、穴居生活や漂流生活をしていた時代、さらにさかのぼって“類人猿”から“類猿人”へと進化してきた、はるか遠い時代について学び、連綿とした途方もない規模の生命の進化のあとを振り返ってみると、人類は一度も“堕落”などしていない – ひたすら1歩1歩、向上進化を続けてきている事実が明らかとなった。

となると、いったい贖罪(しょくざい)だの救いだの原罪だの、その他、キリスト教の謎めいた思想の大部分はどうなるのか、ということになる。神学大系の中ではいかようにも理屈づけはできようが、“事実”ということからは懸け離れている – そこに問題がある。

また、イエスの死についても大ゲサに扱いすぎている。信仰のために死ぬことは別に珍しいことではない。どの宗教にも殉教者というのがいるものだ。いつの時代にも信念のために死んでいった人がいる。今この時点(第1次大戦中)でも、祖国イギリスのために何万という若者がフランスで死んでいる。

したがってバイブルの中のイエスの死は、たしかに美しくはあるが、それが革命のための、他に類のない特別な出来事であったかのような、必要以上の重大性を謳(うた)いすぎているように思えるのである。

私に言わせれば、死よりも、むしろイエスの“生きざま”の素晴らしさについての言及が少なすぎると思う。イエスの偉大さと本当の教訓は、その日常生活にあったと思う。バイブルという限られた記録の中で見るかぎりでも、イエスの取った態度に見苦しいものは何ひとつない。

人への思いやり、やさしい慈悲心、ゆとりのある中庸性、穏やかな勇気、つねに進歩的で新しいものを受け入れていく態度、それでいて自分が改めさせようとしている旧式の考えに対しても必ずしも辛辣(しんらつ)ではなかった点など…。

もちろん、時としてあまりに頑迷で量見の狭い聖職者に対しては、激しい不快感を露(あら)わにしたことはある。とくに宗教の本質を説き、教理や儀式にこだわることの非を説いているところなどは共感を覚える。

イエスほどの逞(たくま)しい良識と人間の弱みへの同情心をそなえた人物は、まずいない。このように、キリスト教の本当の核心はイエスの死ではなく、生きざまの中で見せたその“素晴らしい非凡さ”でなければならないと私は考えるのである。

イエスの実像

では次に、その点について霊界通信はどう述べているかを見てみよう。高級霊が述べていることも、必ずしも完全に一致しているわけではない。が、数多くのスピリットからの通信を検討した結果、およそ次のようなことが言えそうである。

この地上を去って霊界入りしたスピリットよりさらに霊格の高いスピリットが存在する。それにもいくつかの界層がある。古い宗教用語を用いれば“天使(エンゼル)”である。その界層をのぼりつめたところに最高級のスピリットが存在する。絶対神ではない。絶対的存在ならば無限の普遍的存在であるから、1個の存在として認識することはできない。

その最高級霊はそれ以下の存在よりは絶対神に近い存在であるから、それだけ絶対神の属性を顕現していることになる。それが“キリストのスピリット(9)”である。

地球の守護の任をあずかる存在で、その高級霊が今日とあまり変らない邪悪に満ちた時代 – 腐敗と悪行で堕落しきった時代に、この地上に肉体をもって降誕した。目的は人間としての理想の生き方の範を示すためだった。そして、大きな足跡を残して地上を後にし、本来の所属界へと戻っていった。

以上が霊界から届けられた情報によるキリストの実像である。“贖罪”とか“救い”とかの概念はみじんもない。あるのは、われわれ凡人にも実行可能な、納得のいく生活教訓である。これなら私も信じられる。

もしもこうしたキリスト教観が一般に受け入れられ、さらに、次々と霊界から届けられている“新しい啓示”によって確信が得られ、さらに“しるし”によって確認が得られれば、キリスト教会をひとつにまとめる教義が生まれ、それは科学とも握手し、いかなる攻撃にも対処できる、無窮の未来までも永続する信仰体系が確立されるであろう。

理性と信仰がついに和解し、うなされ続けた悪夢から解放され、霊的な安らぎに満たされることになるであろう。もとより私は、それが一気呵成の征服や無謀な革命のような過程で成就されるとは考えていない。

永遠の地獄説のような幼稚な考えが薄れていくにつれて、徐々に参透していく性質のものであろう。が、それには、人間の魂が艱難によって培われ均(な)らされるということが先決であって、その時はじめて真理の種子が植えられ、それが霊的な実りをもたらすのであろう。

私はスピリチュアリズムの知識に照らしながら新約聖書を改めて読み直してみて、キリストの教えの肝心なところが、初期キリスト教時代にすでに失われてしまっていて、その後のキリスト教徒が、今日に至るまで、それについて何も知らずにいることを知り、深く考えさせられた。

現代に伝えられているキリスト教思想においては、スピリチュアリズムが扱っている“死”の真相を教える現象は大して意味をもたないようである。が、スピリチュアリズムの勃興以来、霊媒現象を通して得られたものによって死後の実相を垣間見た者にとっては、死の問題は完全にクリアされたといってよい。

心霊現象の原理は今も昔も同じ

バイブルの中には現代でいう浮揚現象、一陣の風、霊的能力、超常現象といったものが実に多く出ている。それを読んでいると、最も重大な中心的課題である死後の生命の存続と死者(スピリット)との交信は、当時から間違いなく知られていたのだと思う。

また“ここの者たちは信じる心を持たないから不思議現象は起こさなかった”という言葉に見られるキリストの考えは、心霊現象の研究によって分かった心霊法則と完全に一致してはいないだろうか。

また、病気の女性がキリストの身体に触れた時、“今わたしに誰か触わりましたね?わたしのからだから徳力が脱け出て行きました”と言ったというが、この“徳力”なるものは現代の心霊治療家が“霊力”と呼んでいるものと同じであろう。さらに、“まずそのスピリットの本性を試せよ”という戒めは、安直に霊能者を頼りにする無知な人間に対する絶好のアドバイスといえるであろう。(10)

こうした問題は私が扱うには大きすぎるが、ただはっきり言えることは、今キリスト教会内でも過激にスピリチュアリズムを批判している一派が否定しているそうした事実こそ、実は本来のキリスト教の中心的な教えであらねばならないということである。

このテーマについてもっと詳しく知りたい方はウォーレス博士の『ナザレのイエス(11)』をお読みになることをお薦めする。小冊子ではあるが、実に価値ある1冊で、絶版になっていなければ幸である。

その中でウォーレス博士は、キリストの奇跡がすべてスピリチュアリズムでいうところの心霊的法則の範囲内におさまるものであることを、説得力をもって論証している。右に挙げたものがその一例である。

その他にも数多くの例が細かく論証されているが、その中でも私が最高に得心がいったのは、キリストがペテロとヤコブとヨハネの3人を“変容の丘”へ連れて行ったのは3人を霊媒として使用するためで、高い山を選んだのは清浄な雰囲気を求めてのことだったということである。

3人が眠気を催したのも、イエスの容姿が変化したのも、光の雲が現われたのも、みな心霊実験会で生じているのと同じ現象ばかりである。

“われわれは3つの幕屋を建てましょう”というペテロのセリフの中の“幕屋”とはキャビネットに相当する。あれだけの現象を起こすには3人もの霊媒が必要だったのである。このように、すべてが心霊科学によって説明がつく。

その他、たとえばパウロのいう“キリストの弟子としての資質”というのも、霊視や予知能力、霊的治癒能力、物理現象のための霊媒能力を含む、強力な霊的能力のことを言ったのである。

初期のキリスト教会にはスピリチュアリズムと少しも変らない“しるしと不思議”があふれていた。しかも、“聖職者の便益以外の目的には使用してはならない”などという旧約聖書の“禁”をものともしていなかったようである。

訳註

【1】霊界から地上界へ通信が届けられる方法には大きく分けて次の3つがある。

(1)スピリットが“語る”場合 –

【霊言現象】スピリットが霊媒に乗り移ってしゃべる場合で、日本で“お告げ”とか“口寄せ”と呼ばれているものがこの部類に入る。交霊会の場合は主として中心的支配霊がしゃべり、その支配霊の許しを得て親族の者や知人などがしゃべるという形を取るので、騙される心配がない。

このほかに“招霊会”といって、人間に害を及ぼしているスピリット(日本では“因縁霊(いんねんれい)”と呼ぶことが多い)を霊媒の背後霊団が強制的に乗り移らせて司会者が“諭(さと)す”ことを目的とする会もある。

【直接談話現象】霊媒から出るエクトプラズムという特殊物質で人間の発声器官と同じものをこしらえて、スピリットがしゃべるもので、霊媒から離れた空中から直接声がするのでそう呼ばれている。

(2)スピリットが“書く”場合 –

【自動書記現象】通信霊が霊媒に乗り移って、われわれと同じ要領で綴る場合で、“おふでさき”と呼ばれているものはこれに属する。スピリットが高級になると直接乗り移らずに、テレビその他のリモコン操作と同じように霊波によって操る場合と、インスピレーション式に思想波だけを送り、それを霊媒がキャッチして綴る場合とがある。これを霊感書記と呼ぶ。

【直接書記現象】紙と鉛筆を用意しておくと、いきなり文章が綴られるもので、絵画や記号、暗号などの場合もある。大変なエネルギーを要するので、長文のものは書かれない。

(3)幽体離脱(体外遊離)による旅行体験記の場合 –

霊的身体で体験したことや教わったことを肉体に戻ってから自分で綴るもので、次元の異なる世界の事情を、脳を中枢とした意識でどこまで正確に再現できるかが問題である。

【2】英国の著名なジャーナリストでスピリチュアリズムにも熱心だったウィリアム・ステッドの自動書記によって、生前の仕事仲間だったジュリア・エイムズから届けられた通信が After Death – or Letters from Julia(死後 – ジュリアからの便り)として出版され、反響を呼んだ。

【3】Stainton Moses(1839~1892)

OCRコナンドイルの心霊学選書084-085img
S.モーゼス

キリスト教神学の中でも最も厳格といわれるオックスフォード大学神学部の出身で、最初の赴任地であるマン島での司牧生活は、牧師の鑑としてその土地の語り草になっているほどであるが、30歳ごろから体調を崩し、S・T・スピーア博士の病院に入院した。

病気の回復が思わしくなく入院加療が永びいているうちに、スピーア家との家族ぐるみの縁が濃くなり、スピリチュアリズムに関心のあったスピーア夫人に誘われて交霊会に出席するうちに、モーゼス自身の身のまわりに驚異的な現象が起きはじめた。

物体が部屋から部屋へと飛んで移動することがたびたびあり、そのうちモーゼス自身が宙を運ばれて、ソファの上に放り投げられるという現象が起きた。楽器類は何ひとつ置いていない部屋で音楽が演奏されることも一再ではなかった。

モーゼス自身はそうした現象が大嫌いで、それを死者のスピリットとする考えを拒否し続けていたが、1871年、32歳の頃から右腕がひとりでに動いて文章を綴るようになり(自動書記現象)、やがて左手でも書くようになり、さらには両足でも書けるようになった。

両手両足で同時に綴ったものが、つないでみると一貫した意味のある見事な文章を構成していることを何度も確かめている。ただ、内容そのものは大した意味のないものばかりだった。が、そのうちキリスト教の信仰と真っ向から対立する内容のものが、整然とした形で現われはじめた。

キリスト教を唯一絶対のものと信じていたモーゼスは、そのことに反撥して“一体あなたは何者なのか”との問いを綴ると、“大神の使者として、地上に流布している神の概念を正し、新しい霊的真理を説くために来た”といった趣旨の返答が綴られた。

そうした形で始まった問答は回を追うごとにキリスト教の根幹にかかわる問題へと発展し、“問答”が“議論”の様相を呈し、さらには“論争”へと発展し、動揺したモーゼスは体調を崩し、スピリットの側はモーゼスのあまりの頑固さに手を焼いて“総引き揚げ”の最後通告を突きつけるといった迫真の展開を見せる。

通信はひとりではなく、インペレーター(仮名)と名のる、紀元前に地上生活をしたという古代霊を中心とした、総勢49名から成る大霊団が組織されていたという。

モーゼスは最終的にはスピリチュアリズムを全面的に受け入れることになるが、それは必ずしも“教え”に納得したというだけのものではなかった。最も大切な点は、インペレーターからの通信を受け取る時の強烈にして崇高な雰囲気によって啓発されたことにゼある。そこが肝心である。

霊的な通信を読む際に大切なのは、そこに何が書いてあるかではなく、それをどういう態度ないし雰囲気で説いているかである。“良いことを言ってる”だけでは意味がない。第一、新しい霊的真理を“いい”とか“間違ってる”とかの判断は人間にはできない。

“いいことを言ってる”というだけなら、何もスピリットの言ってることに限られたことではない。人間の書いたものでも、いいことを言ってるものは幾らでもある。イエスが“まずスピリットを試せよ”と述べたのは、そのことだったのである。

さてモーゼスは、延べにして10年にわたる自動書記通信を Spirit Teachings と題して「ライト」という月刊誌に連載し、それが1冊にまとめられて1883年に出版された。連載中から反響を呼び、単行本となってから今日に至るまで、1世紀以上にわたってロングセラーを続け、今なお“スピリチュアリズムのバイブル”と呼ばれて愛読されている。

内容はきわめて重厚で、中心的通信霊が紀元前の人物であることもあって表現に古風な傾向が見られる。それを忠実に日本語に反映させた翻訳が国書刊行会から『霊訓』と題して出ている。それを現代風に平易にアレンジしたものとしては、太陽出版から『モーゼスの霊訓』(上)(中)(下)3巻として刊行されている。

なお、モーゼスの死後、スピーア夫人が“追補”の形で編纂したものに More Spirit Teachings という小冊子があり、これには霊言通信も含まれていて興味ぶかい。日本語訳は『インペレーターの霊訓』と題されて潮文社から出ている。(いずれも近藤千雄訳)

【4】霊媒が入神(トランス)状態に入って意識を引っ込め、代ってスピリットがその言語中枢を使用して語る現象のこと。

入神と睡眠との違いは、睡眠の場合は本人のスピリット自体が肉体から離れてしまい、身体は電源を切られた機械のようになって機能を停止してしまうのに対して、入神の場合は、霊媒のスピリットは肉体にとどまったまま意識をオーラの中に引っ込めて、無意識状態のままバッテリーのような役割を果たしている。

霊媒の場合は自我を引っ込める機能を先天的にそなえているために、その切り換えがうまく行くが、これが通常の人間の場合に別のスピリットが何らかの原因で憑依して、ひとつの意識中枢をふたりのスピリットが使用するような状態になると、支離滅裂なことを言うようになる。

これを心理学や精神医学では二重人格症ないし多重人格症といい、原因はスピリットの侵入にあるのであるから、霊的に処理する、つまりそのスピリットを排除する、ないしは出ていってもらうしかない。

これを心霊学では“除霊”という。米国の精神科医のカール・ウィックランド博士は19世紀末から20世紀初頭にかけての30余年間、ウィックランド夫人を霊媒として、この除霊によって数多くの精神疾患を奇跡的に治療し、その記録を Thirty Years Among the Dead と題する1冊の大著にまとめている。

【5】同じくスピリットが語る現象であるが、エクトプラズムという特殊物質によって人間の声帯と同じものをこしらえて語る現象で、霊媒から遠く離れた位置から声がするので、スピリットが直接しゃべっているような印象をうける。メガホンの中に声帯をこしらえて、列席者のひとりひとりに声をかけてまわることもある。

【6】英国の数学者で“デ・モーガンの法則”で知られる Augustus De Morgan の夫人。デ・モーガン教授自身も熱心な心霊研究家で、From Matter to Spirit – the Results of Ten Years’ Experiences in Spirit Manifestations(物質から霊へ – 10年にわたる霊現象の研究成果)という著書がある。未翻訳。

【7】Dark Ages

歴史上ではローマ・カトリック教会による知的弾圧、つまりキリスト教の教義にそぐわないものを徹底的に抑圧していった時代のことをいうが、その原因をさかのぼると325年の第1回ニケーア公会議において、コンスタンチヌス大帝の強引な独断によって“キリスト教”というものをでっち上げ、イエスの説いたものを大幅に改ざんし、その上に次々と新しくこしらえた教義を築き上げ、いわゆる“神学”なるものを作り上げたことにある。

宗教を政治の具に使用し、それに従わないものをことごとく抹殺し、それがのちに十字軍による暴虐、さらに陰惨きわまる“魔女狩り”へと発展していく。その後遺症は西洋文化に今なお色濃く残っている。スピリチュアリズムというのは、暗黒時代に失われた人類の霊性を取り戻すための地球規模の大事業なのである。

【8】このドイルの意見はスピリチュアリズムの真髄を理解した“卓見”というべきである。この時期までにドイルが目を通していた本格的な霊界通信はモーゼスの『霊訓』だけであるが、それから数年後には G・V・オーエンの The Life Beyond the Veil(拙訳『霊界通信・ベールの彼方の生活』全4巻・潮文社)が出て、スピリチュアリズムが紀元前から計画されたグローバルな地球浄化活動の一環であることを明かしている。

さらに、同じころから霊媒モーリス・バーバネルを通じて語り始めた古代霊シルバーバーチが、まったく同じ趣旨のことを述べている。この三者に共通しているのは、地球浄化の計画は、地上で“ナザレのイエス”と呼ばれた人物のスピリットが本来の所属界(地球神界)に戻ってから霊団を組織して、神界→霊界→幽界と押し進めてきたもので、それがいよいよ地球圏にたどりついたのが19世紀半ばのハイズビル事件だったとする点である。

当初は現象的なものが圧倒的に多かったが、次第に思想的なものへと移行し、さらにはハリー・エドワーズに代表されるように、霊的治療という形での霊力のデモンストレーションが主流となりつつある。

スピリチュアリズムというのは、地球人類の意識をスピリチュアライズ(霊的に改革)するための活動を総合したものをいい、組織をもったり信条を誓ったりする性質のものではない。ドイルの言うとおり、あくまで個々人の理解力によって人生に適用していくべきものである。

【9】The Christ Spirit

元来、“キリスト”という用語はヘブライ語“メシア”のギリシャ語訳“クリストス”から来たもので、その本来の意味は“油を注がれた人”、つまり偉大な人格をそなえた人物、ということだった。

流浪の民ユダヤ人は、イエスの驚異的な能力、いわゆる“しるしと不思議”を見て、この人こそわれわれが求めていた神の申し子だと信じて Jesus the Christ と呼んだ。そこから救世主の概念も生まれたのであるが、このパターンは太古においてはどの民族にもあったことである。

しかし、この“ナザレのイエス”にかぎって、それだけでは済まされない特殊な事情があったことが、新しい啓示によって明らかになってきた。つまりイエスは“スピリチュアリズム”という名称を旗印とする地球浄化の大事業の最高責任者で、本来の所属界は地球神界であり、その計画の推進にそなえて文字どおり“身”をもって地上界に降誕し、物的波動の環境での体験を積んで本来の所属界へ戻った。

33年の生涯はいわば“下見”と“霊力の増強”というふたつの目的があったと考えられる。その意味からも“はりつけ”による死をことさら意味ありげに説くのはおかしいのである。どういう死に方でもよかった。現に、イエスは実は十字架上では死なずに、その後何年かを生き延びたという説がいくつもあるのである。

大切なのは、大工の家に生をうけたイエスは、地球神界でも最高位に位置する大天使が自己を滅却し、波動を極度に下げて物的身体に宿ったもので、霊格は途方もなく高かったが、やはり一人間だったということである。

地上に降誕した高級霊の中でも、イエスほどの高い霊格をそなえたスピリットはそれ以前にもそれ以降にもいないし、これからも出ないというのが、高等霊界通信の一致した言い分である。

ドイルのいう“キリストのスピリット”とは、イエスの本来の霊的影響力のことであって、教会で見かけるような人間的形体をそなえた人物像を想像してはならない。

【10】“スピリットからの通信”と銘うったものを目の前にした時の人間の取るべき態度は、果たしてそれが“銘柄”どおりに純粋な霊的産物であるかを“疑ってかかる”ことである

その理由のひとつは、ただの霊媒の潜在意識から出たものにすぎないものが多いからである。通信の純粋さは、どこまで霊媒の潜在意識を排除できたかということにほかならない。いくら高級なスピリットからのものでも、人間の意識中枢を通過する以上は、100パーセントの純度はまず有り得ないことで、高級なスピリットほどそのことを正直に認めている。

ある交霊会で、入神した霊媒がいつもの霊言らしくないことをまくしたてるので、列席者が怪訝(けげん)に思っていると、続いて「実は今のべたことは私の考えではなく、この霊媒のものでして、潜在意識に強く残っていて邪魔になるので、一気に吐き出させました」と語った。

油断ならないものに、純度は百パーセントに近いのだが、乗り移っているのが極めて悪質な低級霊で、歴史上の著名人や神話上の神々の名を騙(かた)って、いかにもそれらしい態度を装って語る場合である。

こういう場合は、本当は失礼に当たるような質問をわざと投げかけてみることである。低級霊ならそのうち腹を立てて去ってしまう。高級霊はいかに試されても“絶対に”腹を立てない。

もうひとつ油断がならないのは、自称霊能者、つまり自分では霊能者であると自負していても、実際は一種の自己暗示にかかっているおめでたい人間が、大人物になったつもりで語る場合で、きまって大言壮語をする。それでいて読む人に少しも感動を与えない。最近は“語る”こともしないで、“ただ書いただけ”の霊言も多いようである。

では最終的に何を基準にして判断を下すかということになるが、実は具体的な基準になるものはないのである。霊言の現場に立ち合った時の雰囲気、印刷されたものであればそれを読んだ時の印象で、“直観的に”判断するしかない。現役の霊能者であれば招霊の“実演”を要請すべきであろう。

【11】Dr.A.Wallace: Jesus of Nazareth(絶版)

バイブルをスピリチュアリズム的に解釈した霊界通信は少なくないが、キリスト教牧師が手がけたものとして、モーリス・エリオットの次の二著が最も詳しい。新約を扱ったものが The Psychic Life of Jesus で、日本語訳は同じくキリスト教の元牧師・山本貞彰氏による『聖書(バイブル)の実像』(太陽出版)が出ている。旧約を扱ったものは When Prophets Spoke で、日本語訳はまだ出ていないが、同氏によって進められていると聞く。

一方、現行のバイブルから離れて、イエスの生誕から生い立ち、修行時代、そして伝道時代について同時代のスピリットが送ってきた通信として最も興味深いのは、ジェラルディン・カミンズ女史の自動書記通信 The Childhood of Jesus, The Manhood of Jesus の二著で、いずれも山本貞彰氏による日本語訳が「霊界通信・イエスの少年時代』『霊界通信・イエスの成年時代』として潮文社から出ている。

【12】Cabinet

心霊実験を行なう際に霊媒を隔離しておく場所のことで、同時にそこは、霊界の技術者が現象を演出するため準備をする“控え室”のような役割も果たす。といって特別なものをしつらえるのではなく、部屋の片隅をカーテンで仕切っただけの三角形のものだったり、壁を背にして四角形に仕切ったものなど、さまざまで、霊媒によってはそういうものを必要としないこともある。

キャビネットの必要が生じた最大の理由は、現象に使用されるエクトプラズムが“光”を嫌う性質があるからであるが、霊媒によってはキャビネットを必要としないばかりでなく、白色光の電灯で部屋を明るくしてもよいこともある。ただし、赤色電灯ないし燐光ランプのような弱い光にした方が、現象が“長もち”することは事実である。

「死んだ人間にできるだけ真実を教えようとします」僕が霊界の仕事をしているという意味です(祈)†■2023年10月4日UP■
「死んだ人間にできるだけ真実を教えようとします」僕が霊界の仕事をしているという意味です(祈)†
【神】が経綸するこの全宇宙には目的があり、それは「進化」の一語に尽きると思います。全天体、全存在(生命)が進化を目的として永遠とも思える霊的向上の旅を続けています。霊的進化のゴールと言える至福の境涯ニルバーナは存在せず、神の御胸に向けての永遠の進化の旅が続くのですが、僕たちが現在在籍している地球圏は神が経綸する全宇宙の中のほぼ最低ランクの存在の場であり全く進化が足りません。イエス様を最高指揮官とした地球圏経綸の任に当たる天使の方々は、物質界の知的暗黒時代(特に中世ヨーロッパ)を打破して霊的知識を普及させるべく「スピリチュアリズム」を勃興させました。これまでの地球圏霊界でこれほど大々的な計画が実行に移された事はないそうです。イエス様がそこまでしなければならなかった理由は、物質界で学ぶべき事を何も学ばずに無知のまま帰幽して下層界にたむろする、シルバーバーチ霊の言葉を借りれば「難破貨物」ともいうべき低級霊があふれかえってそれがいよいよ上層界にまで悪影響を及ぼし始めてきた事が一因だそうです…続きを読む→
「ヒューマノイド同士で争ってる場合じゃない」イヤ、宇宙方向に舵を切らない方がイイと思うんだけど…(祈)†■2024年6月26日UP■
「ヒューマノイド同士で争ってる場合じゃない」イヤ、宇宙方向に舵を切らない方がイイと思うんだけど…(祈)†
「宇宙には現時点の地球人類が想像も及ばないほどの脅威(邪悪)が待ち受けている、その問題に対処できるようになるまで人類が進歩向上するのはまだずっと先の話だ。まず自分たちの問題を自分たちで解決できるようにならなければ宇宙に進出する資格はない」といった感じの意味ではないでしょうか。自分たちの惑星の問題すら解決できない未熟な状態で物的手段のみを駆使して宇宙に進出すれば(新スタートレックでいうヴォーグのような)自分たちが克服できない巨悪に遭遇するハメになり、5世紀も10世紀も後戻りさせられる事になる。霊団はそういう警告を発しているのではないでしょうか。これは僕も宇宙書籍を読んでみて大賛成です。まず大前提として自分が霊的存在であり生命が永遠である事、物質界人生の賞罰が霊界で清算される事、物的事象は低次元の現象であり、僕たちはより高次元のモノに目を向けねばならないという事、僕たち地球人類がまず到達しなければならない目標は宇宙進出ではなく「ベールの彼方の生活」にあるように「イエス様の顕現」であるという事…続きを読む→

節約と言って意地を張って、それで風邪をひいて重症化したりしたら完全に本末転倒、スノーシューもできなくなってしまいます。何のために筋トレを続けてきたのか分からなくなってしまいますので、気温が上がるまではあきらめて暖房を使うようにしましょう。やっぱりムリなんですね…。

で、霊団が先ほど重要な事を言ってきているのですが、これはブログに書けない性質のインスピレーションで、チョト皆さまにお伝えする訳にはいかないかも知れません。この通りだとしたら使命遂行が前進するという意味なのですが、いえ、実はコレ、使命遂行開始初期の頃にも言われていた事なのです。

その頃にそう言われて全くその通りにならず12年が過ぎ、今になってまた言ってきたという事で、聞かされる僕としてはシラケるのですが、その通りであってくれと願うしかありません。

X(Twitter)でお世話になっている方にコメントを頂きましたが、僕は物的ニュースを全く見ないのでこのコメントの意味がよく分からないのですが「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁が窮地に立たされているという意味でしょうか。だと有り難いのですが。

明日はロードランともうひとつ「タイヤチェーン装着テスト」をおこないます。これは絶対必須の作業で、毎年必ずおこなっているものです、今年もやらないといけません。現地で-10℃の中、チェーンをうまく装着できなかったらたちまち指が凍って完全にパニクってしまいますので。

フラー26カラーリング、メチャ時間かかってますが日々少しずつ進めるしかない。作業続行中。口だけ霊団が何か言ってくる、言ったからにはその通りにしてくれ(祈)†

「奴隷の女の子、助けるつもりは全くありません」霊団を永遠に許す事はありません(祈)†■2022年9月28日UP■
「奴隷の女の子、助けるつもりは全くありません」霊団を永遠に許す事はありません(祈)†
奴隷の女の子たちを助けてあげてしまったら、その人間の「罪障消滅」を遅らせる事になり、永遠の視点で考えた時、必ずしもその人間を助けてあげる事にはならないのだ。これは霊的知識としては理解しても、どうにもこうにも釈然としません。奴隷の女の子の存在を知らされずにいたのであれば「知らなかったのだから助けてあげられるはずもなかった」と言い訳もできますが、僕は霊団に奴隷の女の子の存在を徹底的に教えられてここまで使命遂行してきたのです。知らずに犯す罪より知っていて犯す罪の方が何倍も重い、と霊的知識にあります。奴隷の女の子たちが今こうしている間も「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁に四肢切断、強姦殺人され続けている事を知っていながら、助けようともせずその悪行を黙って見ているという霊団の考えには、何をどう頭をひっくり返しても賛同する訳にはいきません…続きを読む→
「無限なるものを有限なるもので判断してはいけません」苦しみが続くという意味です(祈)†■2022年11月23日UP■
「無限なるものを有限なるもので判断してはいけません」苦しみが続くという意味です(祈)†
僕たち人間は霊的身体(幽体、霊体等)をまとって霊界で生活している状態が通常であり、霊界で進歩向上を果たすための人生勉強の場、もっと言うと苦しい、悲しい、ヒドイ目に遭わされて心を魂を鍛える場として物質界は存在し、現在の自分に足りないものを自覚して自ら志願して苦難の人生を体験するために物質界というトレーニングセンターに降下してきているのです。物質というものは本来が腐食性のものであり、物質そのものには存在はありません。霊という生命力によって形態を維持しているだけのものであり、霊が引っ込めばたちまち分解して地球を構成する元の成分(土くれ)に帰っていきます。死体が腐敗していくのを見ればそれが一目瞭然でしょう。しかしそれは衣服が腐っているだけで本人は霊的身体に着替えて意気揚々としているのです…続きを読む→

えっと、フリースの中でもっとも保温力が高いとされるモノを入手しているのですが、モッコモコで超身体が膨らむため、他のウェアと干渉してアウターの内側に着れない可能性が出てきました。入手レイヤーの選択に失敗した可能性があります。それはマズイ、困る。何とか根性で使用しないと。

フラー26カラーリング大苦戦中で全然進んでいませんが、先ほど霊団が「もうダメだ」と言ってきました。これはたぶん僕がもう霊的使命遂行者として使えない状態になってしまったという意味だと思われます。

まぁそう言われても仕方ないでしょう。これだけ人生を破壊されて僕の怒り憎しみは燃え上がるばかり、モチベーションも落ちまくってますからね。ただし僕は霊団に見切りをつけられても霊関連書籍のテキスト化の作業は続行させるつもりでいるのです。書籍をテキスト化するイコール「より深くお勉強できる」という事になりますので、自分の興味関心のために続けるつもりでいるのです。

テストしていたモコモコフリース、言うほどあったかくないなぁ、身体を動かしていないからそう思えるのかなぁ、明日のロードランの時にテスト着用してみましょう。このフリースがダメで別のレイヤーを追加購入するハメになったりしたらさらに“ある脱出アイデア”の実行が遅らされてしまう。霊団の策略なんじゃネィのかと勘ぐってしまいます。

だいぶ気温が下がってきてますが僕はまだこの冬、1度も暖房を使用していません。これも電気代節約でおこなっているのですが、今日はさすがにムリという事で急きょ暖房をつけました。

エマージェンシーブランケットの代わりで入手したシンサレート(毛布)は大活躍してます。この冬はこれで乗り切るつもり、可能な限り暖房は使わない。かといって風邪ひいたら元も子もありませんのでそこは気を付けないと。雪山アタックに行けなくなる本末転倒になってしまいますので。

レイヤー問題、フラー26、テキストとの格闘、霊団のやる気ゼロの態度、問題山積ですが僕は僕レベルでやれる事に集中するよりどうしようもありません。まずはフラー26にケリをつけてテキストの見直しに戻ります。カラーリング大苦戦中、これは時間がかかります(祈)†

「もっと早くコナンドイル氏がいるうちに始めていれば」拡散力という意味では?(祈)†■2022年2月23日UP■
「もっと早くコナンドイル氏がいるうちに始めていれば」拡散力という意味では?(祈)†
ご覧の皆さまには、作品シャーロック・ホームズを今後ご覧になる時、原作者アーサー・コナン・ドイル氏が「スピリチュアリズムのパウロ」と呼ばれるほど霊的知識の普及に尽力、貢献した人物であった事、作品ホームズはドイル氏の人物像の1側面であって全体像ではないという事を頭に入れた状態で作品をご覧頂きたいと思います。そして願わくばドイル氏執筆の霊関連書籍にも目を通して頂きたいと切に願うものです…続きを読む→
「守護霊様が大ピンチ」何も知らない人間が守護霊様を侮辱するのだそうです(祈)†■2022年4月20日UP■
「守護霊様が大ピンチ」何も知らない人間が守護霊様を侮辱するのだそうです(祈)†
あなたの愛する男性、女性は性格の優しい、正しい行いをする、あなたにとって愛すべき人物だとします。あなたはそれを長い年月にわたって共に生活してきた事によって知っており、その人物を愛するに至っています。また、あなたが師と仰ぎ尊敬する人物の、これまで歩んできた苦難の道のり、獲得してきた知識と叡智の深さ、経験から導き出される慈愛の態度を、これまでのお付き合いによって認識しており、あなたはその師に対して深い尊敬の念を覚えるに至っています。しかし、あなたの愛する人物、あなたが師と仰ぎ尊敬する人物の人格、性格、人となり、これまでの苦難の道程を全く理解していない赤の他人が、何も知らない分際であてずっぽうで「こいつはこういう最低の人間だ、こいつは頭の悪い、おかしな奴だ」と言いふらしたとしましょう。皆さまはそれをどのように受け止められますか…続きを読む→
「どっちが勝つ?」このような近視眼の判断をしないよう神の因果律を正しく理解しましょう(祈)†■2022年6月29日UP■
「どっちが勝つ?」このような近視眼の判断をしないよう神の因果律を正しく理解しましょう(祈)†
神を侮るべからず。己の蒔きしものは己が刈り取るべし(ガラテア6・7)神の摂理は絶対にごまかされません。傍若無人の人生を送った人間が死に際の改心でいっぺんに立派な霊になれるとお思いですか。魂の奥深くまで染込んだ汚れが、それくらいの事で一度に洗い落とせると思われますか。無欲と滅私の奉仕的生活を送ってきた人間と、わがままで心の修養を一切おろそかにしてきた人間とを同列に並べて論じられるとお考えですか。“すみませんでした”の一言で全てが赦されるとしたら果たして神は公正であると言えるでしょうか…続きを読む→

啓示の基盤としての心霊現象

前章はいくぶん個人的色彩の濃いものとなったが、ともかくもこれで問題の核心に迫る準備ができたことになる。

一連の“新しい啓示”が人類に届けられているらしいことは、前章で重ねて述べてきたことである。では、それは一体どこから届けられているのか。主として自動書記(1)という、人間の手を媒体として、死者のスピリットと名のる先輩たちが綴るという形で、霊界から届けられている。

その中でも、ジュリア・エイムズ(2)やステイントン・モーゼス(3)のものが有名である。とくにモーゼスの場合は、非常に高級なスピリットからのものとされている。

さらに、そうした“綴られたもの”のほかに“語られたもの”つまり、入神した霊媒の口を媒体として届けられたメッセージ(4)もある。時には霊媒の口も使わずに、直接空中から声がする(5)こともある。海軍司令長官だったアズボン・ムーア氏の著書『スピリットの声』に数多くの例が紹介されている。

このほかに、前章で紹介した、私を入れて3人で行なったテーブル通信のような、家庭交霊会(ホーム・サークル)において入手されたものや、デ・モーガン夫人(6)によって紹介されたものに見られるような、子供の手によって綴られたものもある。

さて、ここで当然予測される反論にぶち当たる – それが霊界からのものだということを、何を根拠として断定するのか、ということである。霊媒が勝手に書いているのではないという根拠はどこにあるのか – かりに意図的ではないにしても、潜在意識によって無意識のうちに綴ったという可能性をどう否定するのか、という反論である。

これはまさに的を射た批判であり、われわれはひとつひとつの通信に厳格にこの懐疑的態度で臨まねばならない。というのは、もしもそうした“小さな予言者”たちが何の証拠性もないまま自分のメッセージだけを押しつけるようなことを野放しにしていたら、われわれはまたしても、かの押しつけ信仰の暗黒時代(7)へと逆戻りしてしまうからである。

そこで、右の批判に対する回答は、真実性を検証できない通信を受け入れる前に、検証できる種類の証拠を要求するということになる。古代においても、霊界からの通信を取り次ぐ霊能者に対して、必ず何らかの“しるし”を要求した。これは実に理にかなった要求であって、今日でもそうあるべきである。

かりに、どこか高い界層からやってきたというスピリットがその界層での生活を私に語ってくれても、なるほどと得心させてくれる何らかの“しるし”を提供してくれなければ、私はそれをそのままクズかごの中へ放り投げてしまうであろう。そんなものに関わり合っているには、人生はあまりに短すぎるのだ。

が、もしもステイントン・モーゼスの『霊訓』に見られるように、神の使者と名のる一団からの教説が届けられる一方で、モーゼス自身の身のまわりに実に多種多様の心霊現象が起きていれば – モーゼスは英国が生んだ最高の霊能者のひとりである – 私もそれを真剣な気持で検討するであろう。

また、ジュリア・エイムズの場合のように、地上時代の同僚のステッドも知らなかった話を持ち出して、検証の結果それが事実であることが判明した場合は、それ以外の検証できない部分も信じてよいという考えにも、一理を認めてよいであろう。

さらにまた、レーモンドが英国には存在しない写真の話を持ち出して、検証の結果それが説明どおりであることが判明し、また、霊界の中継役を通して地上時代のこまごまとした話をし、身内の者ですら確認しなければ分からないようなことが事実その通りだったことが判明すれば、その時の、レーモンドのいる界層の生活状況や体験の話も、まず本当であろうと推定しても、あながち不用意とはいえないのではなかろうか。

以上はほんの一例を挙げただけで、他にも多種多様なケースがある。が、私が指摘したいのは、下はテーブルラップという物理的現象から、上は高級霊による霊言に至るまでの精神的現象も、すべてがひとつにつながったクサリのようなもので、その最低部分に相当する物理的現象が人類の手に届けられたそもそもの意義は、まともに理性を働かせれば、その最先端で待っている高尚な霊界通信にまで至る、その“しるし”として用意されたものだった、ということである。

したがって一見他愛もないかに思える現象でも小バカにしてはならないということである。テーブルが傾いて、コツコツと床を鳴らすだけ、あるいはタンバリンやメガホンが部屋中を飛び交うだけといった現象が、金儲けのために悪用されたりトリックでやる者がいたりしても、それでもって全てと思ってはいけない。

ニュートンはリンゴが落ちるのを見て万有引力を発見した。ワットは蒸気でヤカンの蓋がカタカタいっているのを見て、蒸気機関を発明した。ガルバーニは解剖したカエルの脚だけがピクピクと引きつるのを見て、静電気の発見に至る一連の実験を思いついた。

同じように、ハイズビルの怪現象騒ぎが、その後20年間にわたって第1級の学者の頭脳をとりこにするほどの研究分野を切り開き、さらに人類史上かつてなかったほどの大きな発展をもたらすに違いないと私が確信している、死後の世界についての情報をもたらすことになった。

宗教の共通の基盤としてのスピリチュアリズム

私が深く敬意を払っている先生方、とりわけウィリアム・バレット教授は、心霊研究は宗教とはまったく縁のないものであると主張している。確かにその通りであると私も思う。研究家としては立派でありながら人間的には感心しない人もいることを考えれば、当然のことである。

ところが、その研究成果と、それから導かれる推論、そしてそれが教えている教訓は、魂の死後存続の事実、その世界の様子、そしてまた、それがこの世の所業によってどう影響されるかについての情報なのである。

このことをもってしてもなお宗教とは無縁、というのであれば、私は正直いってどこが無縁なのかが理解できない。私にとって、それはまさに宗教そのもの – 宗教の真髄なのである。

といって、スピリチュアリズムがいずれ新しい宗教としての体系をもつに至るという意味ではない。私個人の意見としては、そういうことには絶対ならないと信じている。言うまでもなく、現在の地上人類は宗教的にはバラバラである。

私はむしろそれを一体化させるもの – キリスト教系の宗教であろうと非キリスト教系の宗教であろうと、ありとあらゆる宗教が、さまざまなタイプの人間の心に訴える固有の体系を確立する – その必要があればのことであって、必ずしもその必要はないと思うが – そのための共通の基盤としての統合的要素であると見なしたい。(8)

南方の民族は北方の民族よりも“厳格さの少ないもの”を求める傾向があるし、西方の民族は東方の民族よりも“せんさく好き”である。すべてを一列平等に並べて考えてはならない。が、霊的教訓によって確認の得られた宗教的大前提が広く受け入れられることになれば、宗教界の調和と一体化へ向けて、大きな1歩を踏み出すことになる。

そこで、問題は、これまで人類に影響を及ぼしてきた伝統的な宗教と人生思想にこの新しい啓示がどう影響を及ぼすかということである。

それに対する回答は、致命的な打撃を受けるのはひとつしかない – 唯物思想である、ということになる。こう述べる時の私には、唯物論者への敵意のようなものはみじんもない。れっきとした思想体系をもつ一派としてみるかぎりは、真摯であり道義をわきまえた人たちであると私は信じている。

しかし、スピリットが物質を離れて存在するという事実が確立された以上、唯物思想の根底が無くなったことになり、必然的にその思想体系は崩れ去ることになるであろう。

その他の思想に関していえば、霊界からもたらされた教えを受け入れれば、伝統的なキリスト教思想は大幅に書き改めねばならなくなることは必定である。それは、両者が正面衝突するという意味ではなく、本来の意味を正しく解説し発展させるという方向での修正である。

良識ある人間が理性的に考えて明らかにおかしいと思える誤りを正すことになるが、同時に、死後の存続の事実という宗教の絶対的基盤を、改めて確認し現実的なものとしてくれる。罪悪にはそれ相当の罰が伴うことはその通りだが、永遠の火刑だの地獄だのといったものは存在しないことも明らかにされるであろう。

また、西洋で“天使(エンゼル)”と呼んでいる高級霊と、その高級霊による整然とした支配体制が確かに存在し、それが無限の高さにまで伸び、論理的にいえばその頂点に全知全能の神が存在するということになる。無上の幸福の境涯としての天国が存在する一方、試練の境涯というものが存在するが、呪われた者が堕ちる地獄というものは存在しない。

かくしてこの新しい啓示は、最も重大な教えに関するかぎり、古い信仰を破壊するものではなく、あらゆる宗教における真摯な求道者にとっては、悪魔にそそのかされた油断のならない敵ではなく、むしろ強力な味方として大歓迎されてしかるべきものなのである。

■2019年8月5日UP■
たった今霊団が「19」と降らせてきました。これは使命遂行前のブログ「青いグミと赤いグミ」の事を言っているのです(祈)†
が、そんな中、数人、本当に数人ですが、グミの身体を「青色」から「赤色」に変色させて、プニュプニュした腕を小鳥みたいに一生懸命パタパタと羽ばたかせ、風に立ち向かうように少しずつ少しずつロケットブースターから上昇して行く者たち、数人の「赤いグミ」たちがいました…続きを読む→
■2021年1月23日UP■
「僕は死ぬ」文仁が僕を暗殺する気満々という思念を霊団が降らせてきています。簡単にやられるかよ(祈)†
三千余年の人類創世の歴史始まって以来の究極無二のバカ、文仁は僕を殺したくて殺したくて仕方がないのです。コイツは2014~2015年、僕がセブンにいた時から僕の事を「コロス」と脅し続けています。その脅しを受けて僕は2015年5月、ポリーチェPOLICEに「脅迫罪」いわゆる刑事事件の訴えを起こしてそれを反故(ほご)※つまり無きモノにされています。「宇宙一のバカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁、コイツらのコミュニケーションスキルは「脅す」「殺す」「すっとぼける」これだけだと僕はずっと公言し続けていますが、それを証明するインスピレーションとも言えます…続きを読む→
■2021年8月4日UP■
「彼らも悪しざまに言われました」シルバーバーチ霊の言葉をタイトルに冠させて頂きました(祈)†
彼らは地上世界にいずれ実現される神のプランを読取り、その日のために物質界の子等の魂を高揚させるべく一身を擲(なげう)ったのでした。彼らも悪しざまに言われました。援助の手を差しのべんとしたその相手から反駁され嘲笑されました。しかしその仕事は生き続けました。それはちょうど、今日世界各地の小さな部屋で行われている、このサークルのような交霊会の仕事が、そのメンバーの名が忘れ去られたのちも末永く生き続けるのと同じです。強大な霊の力が再び地上世界へ注ぎ込まれはじめたのです。いかなる地上の勢力をもってしてもその潮流をせき止める事はできません…続きを読む→

これまで30機以上フラーをデザインし続けてきてラクにカラーリングできた機体は1機もありませんから今回もそうなるだろうと思ってましたが、案の定アッチに塗ったりコッチに塗ったりの状態が続いていてなかなか進みません。しかしそこを突破するしかない、何とか続行させましょう。

霊団がまたおかしな事を言ってきてまして、たぶんこれは次回長文ブログでも説明しない、イヤできない内容だと思いますが、この霊団とか名乗ってる連中はこうやっていつも口だけピーチクパーチク動かしてきますが実際は何も起きないという状態が12年以上続いている訳で、それに対する僕の怒りのレベルをぜひ皆さまにご想像頂きたいのです。タダごとではないんですよ。

-7℃でかなりキビシかった事を受けて泣く泣く保温用のレイヤーを追加入手、本日到着しましたが、コレを山で使用して-20℃に耐えられる事を祈るしかありません。もしこのレイヤーでもダメならさらに追加入手するハメになり、ますます“ある脱出アイデア”実行が遠のいてしまいます。体脂肪というのは保温に必要なものだとよく分かりました。(以前より7kg痩せていますので)

節約を数ヶ月怒涛におこなっていますが、ようやく数字として成果が表れるようになってきました。僕はもうコンビニは一切使用していません、ごく近所のお店でパンと生鮮食料品を買うだけの状態です。死ぬ気になればできるもんです。物質界に残されている限りこの節約は続行しましょう。さぁフラー26カラーリング続行中(祈)†

「我々の言葉を信じなさい」帰幽後に全ての埋め合わせがおこなわれるという意味です(祈)†■2023年3月8日UP■
「我々の言葉を信じなさい」帰幽後に全ての埋め合わせがおこなわれるという意味です(祈)†
2000年前のイエス様が物質界に降下しておこなった仕事はもちろん「霊的知識普及」であり「神のご意志遂行」であり、それが現在も「スピリチュアリズム普及」というカタチで継続しているのです。このスピリチュアリズム普及の霊界での総指揮官はイエス様です。どうか霊関連書籍でお勉強して頂きたいです。そのイエス様が、一体何がどうなっているのか僕などというよく分からない画家に「怒涛の連続顕現」で霊的仕事を猛烈にお願いしてきたのです。僕は激しく拒絶しましたが1週間近くイエス様に何とも言えない表情で怒涛にお願いされ続けて僕は根負けしてしまい、この使命遂行をやる“ハメに”なってしまったのです。それから10年(霊性発現が2012年6月、隔離フィールド発動(事実上の使命遂行開始合図)が2014年7月ですから正確にはほぼ9年という事になるでしょうか)僕はずっとそのイエス様と約束した仕事を続けてきたのです…続きを読む→
■2021年5月26日UP■
霊団が「奴隷の女の子たち」を救出する気が全くない事を霊的見地から説明してみます(祈)†
物質界に霊的知識を普及させる大業は遅々として進まないと僕は考えます。このやり方では物質界の霊能者がついてこないからです。ただ苦しみばかりを押し付けられて「埋め合わせは帰幽後に存分に」と繰り返し聞かされても「つまり物質界生活中はずっとこのままって意味じゃねーか、やってられるかそんなもん」となるからです。物質界生活中に多少まぁまぁな埋め合わせが発生するような仕組みに切り替えない限り、あの霊能者もこの霊能者も霊の導きに背を向け続ける事になると思います。頭にきて頭にきてしょうがないからです。僕は霊的知識がしっかり頭に入っていてまぁまぁの理解レベルに到達している人間ですから、本当はその知識を駆使して自分の人生を達観できなければならないはずなのですが、1年2年だったらそういう考え方もできるでしょうが、僕は霊性発現してから9年も経過しています。これほど長い年月にわたって苦悶のど真ん中をやらされれば、上っ面だけの理想論など吹き飛びます…続きを読む→
「十戒」DVD主要シーンをキャプりました。もっと霊的シーン満載であって欲しかった(祈)†■2024年8月29日UP■
「十戒」DVD主要シーンをキャプりました。もっと霊的シーン満載であって欲しかった(祈)†
やはり「海割り」のシーンは何度見ても爽快ですね。この紀元前12世紀のモーセ氏が僕の「100の光の霊団」に協力して下さっているなどという事がどうして信じられるでしょう。霊団にそのような事を言われてもまるで絵空事のように聞こえます。よほど強烈な霊現象か何かでもこの眼で見ない限りそんな事は信じられるはずもありません。しかし霊団は「私を信じて欲しい」と言ってきてます。このインスピレーションがモーセ氏の思念という根拠はどこにもありませんので、まずは静観しておきましょう。これまでの霊団の動きからして、何もなく素通りしていくに決まってますので。ひとつたりとも言った通りになった事がありませんからね。しかし久々にムービーの作業をやってみて、やはりムービーは大事だなぁと改めて思ったりもします。僕はYouTubeにムービーをUPしても100%消されますから「消されると分かっているモノに対してパワーはかけられない」という気持ちが働いてトレイルムービーを作り続けられなくなったという経緯がありますが、このようにWordPress上にUPする事も一応できます…続きを見る→

以前、霊関連書籍のテキスト化の作業を手伝ってくれた友人が「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁に関する物的情報提供をして下さってます。僕は何しろ物的情報に弱いですのでこういう事を教えてくれるのは有り難いですね。こういう内容でした(内容を掲載したら友人に怒られちゃうかも知れませんが、短文なので許してもらっちゃおうかな…)↓

不正入学

強姦殺人魔の悠仁が筑波大学に名前だけ書いて不正合格した速報が流れてきました。

現在32人の記事の考察をした人の中で不正に気付いたのは1人だけ。

不正の悪事が広まり逮捕に繋がって行くことを願います。

昨日の長文ブログでも少し書かせて頂きましたように、僕たち日本国民が問題にしなければいけないのは悠仁が大学に入学できるかどうかではなく、コイツらはそもそも大量強姦殺人魔であり今すぐ逮捕しなければならないという事です。僕がずっと公言し続けている「視点外し」にあたるニュースだと思います。

もっともこういうニュースをガンガン拡散させて強姦殺人魔、天皇一族の邪悪の正体に気付くキッカケを国民に提供するという意義は大いにあると思いますので、やらないよりはやった方が絶対イイと思うのですが、問題は霊団が僕にこういう情報を全く降らせてこない、もう全然やる気がないという事なのです。むしろ友人の方がやる気があるように思えてきます。コレって大問題でしょ。

物質界の洗脳度合いは尋常ではなく、メディアに流されてくる「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁に関するニュースはほぼ全てウソと言い切ってイイと思います。コイツらは何しろ人生イコール全てウソですからね。生まれてから死ぬまでずっとウソをつき通す奴らです。

んー、この強姦殺人魔どもに対してもっと攻撃したいところなのですが、とにかく霊団からヤメレヤメレ言われていまして、理不尽感がハンパないですが一旦止めます。奴隷の女の子を信じられない人数、四肢切断、強姦殺人しまくっている最悪の犯罪者を全く逮捕できないという、この物質界の狂いっぷりにアゴが外れます。

こんな当たり前の事も実現できないなんて、地球という存在の場は【神】が経綸するこの全宇宙の中のほぼ最低ランクの存在の場である事を改めて認識させられて、一刻も早くこの最低界から抜け出したい衝動に駆られます。僕が公言している「物質界は地球圏霊界の刑務所」という言葉はまぁまぁ的を得ているのではないかと思ったりもします。

霊団が「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の邪悪の正体を僕に怒涛に教えてきて僕にこの活動をやらせたんですよ。やらせておいて今はもうやるな、離れろみたいな事を言ってくるのです。それってあんたたちの計画が頓挫したって事でイイんだよね。

責任の所在は本当にどうなってるんだよ。あんたたちのそのチャランポランな仕事のツケが全て僕の人生破壊となっていて、僕は全く身に覚えのないヒドイ状態にさせられているんだよ。これで怒りを覚えない方がおかしいんだよ。

あーもっと撃ちたい。しかし一旦止めて作業に戻りましょう。フラー26カラーリング続行中、これは時間がかかりそうです。そしてホワイトイーグル霊の英語書籍をひとつ注文しました。英国からの発送なので僕の手元に届くのは年明けかも知れません。“ある脱出アイデア”まだ実行できません。しかし節約の効果は徐々に表れてきていますので間もなくできるはずです。まずはココまで(祈)†
■2020年4月22日UP■
TrailMovie「もうダメに決まってるよ」「くっそー」昨日のブログの内容を念押しするようなメセを霊団が降らせています(祈)†
僕が暗殺、という事ならそれを回避させるメセの降らせ方をしてくるはずです。霊団は僕という道具を使用して達成したい悲願がある訳ですから、僕(霊媒、霊の道具)に「暗殺されるに決まってるよ」などとあきらめのメセを降らせる訳がありません。そんな簡単にイエス様のご意志遂行をあきらめるようなメンバーなら僕の方から「指導霊変更」を申し出ます。そんな貧弱な精神力の指導霊(つまり霊団メンバー)なら必要ありません…動画を見る→
■2020年10月7日UP■
TrailMovie「昨日がラストチャンスだった」ピーチピチ(佳子)の心情と思われる悲しめラブソングを聴きましたが…(祈)†
ピーチピチ(佳子)は彼氏が自分とケコーンするためのシチュ作りをしてくれると信じていたようなのですが、何しろピーチピチのケコーン相手としてメディアに登場しようものなら徹底的に叩かれる事になりますし、そして僕にも「コイツも間もなく強姦殺人魔仲間になって明仁、文仁、徳仁、悠仁と一緒に奴隷の女の子を殺して遊ぶ人間となります」「ピーチピチと彼氏が仲良く笑顔で写っている画像を見ても皆さま絶対にダマされないで下さいこの男は間もなく強姦殺人魔になる男です」みたいなヘッダー画像を作られて拡散させられる事になりますので、その試練に耐えるだけの精神力がピーチピチの彼氏にはなく、ピーチピチとケコーンとなれば最大級の自己犠牲が待ち受けてもいるでしょうからそこまで自分の人生の覚悟を決められなかった、それでおねいやんの男と同様に「ビビって逃げちゃった」…動画を見る→
「死ぬぞ」僕が日本の中心に行くと100%殺されるそうですが、ならなぜこの仕事をやらせた(祈)†■2024年1月31日UP■
「死ぬぞ」僕が日本の中心に行くと100%殺されるそうですが、ならなぜこの仕事をやらせた(祈)†
物質界の問題を僕という道具を介して解決しようなどとはサラサラ考えていないのではないか。事実放置してますし。僕の帰幽後の状況がよくなるために苦難を与え続けている、まぁそれは了解としても、あんたたちのやっている事はどう考えてもおかしいんじゃないのか。邪悪に目をつぶりすぎている、奴隷の女の子を見殺しにしすぎている。どうやってもその部分は納得できない。で、僕にその問題を解決する能力がないというなら最初からやらせなければよかっただろ。霊界の人間は物質界の人間の心の中が丸見えだ。僕というキャラがどれだけの力量でどういう仕事はできてどういう事が不得手なのか、僕本人よりあんたたちの方が把握しているはずだ。だったら僕という道具を使用して物質界の邪悪を滅ぼせるか滅ぼせないか事前に分かってたはずだ。つまり最初から何もしないつもりだったんじゃないのか、だから今、僕を閉じ込める事にのみ全力を集中させて僕に何もできないようにしているんじゃないのか、油断していたら僕自身の努力で事態が前進してしまうかも知れないのでそうならないように全力で僕を封じ込めようとしている、そういう事なんじゃないのか。あんたたちは一体何がしたくて生きてるんだよ。霊界の仕事って一体何なんだよ…続きを読む→