-----6章01
『母と子の心霊教室』【第6章 心霊現象(しんれいげんしょう)のいろいろ その1】みなさんは、お母さんのお使いをよくしますか。よくする?それは偉(えら)いですね。お使いをすると、お母さんはとてもよろこんで、おこづかいをくださることもあるでしょう。
『母と子の心霊教室』では、お使いに行って買う物をまちがえたり、お金を落としたりしたことはありませんか。それもある?それはきっとあわてたか、ほかのことを考えていたからでしょう。なぜそれがわかるって?じつは私も子どものころ、そんな失敗をしたことがあるのです。
『母と子の心霊教室』【1 著者(ちょしゃ)の失敗】それは私がまだ5つの時でした。ある朝お母さんが「チャールズ、いい子だから紅茶(こうちゃ)を100グラム買ってきてちょうだい。帰ったらおこづかいをあげますよ」といって、代金を紙に包んで渡(わた)してくれました。
『母と子の心霊教室』私は、はい、と元気よく返事をして走って出かけました。そして走りながら口の中で、紅茶(こうちゃ)100グラム、紅茶(こうちゃ)100グラム、とくりかえして、買いものをまちがえないようにしました。ところがです。
『母と子の心霊教室』いよいよお店にきてみるとお客がいっぱいきていて、すぐには買えないのです。私はじゅんばんを待ちながらも、紅茶(こうちゃ)100グラム、紅茶(こうちゃ)100グラムとくりかえしていたのですが、ふと見ると、お店の台の上に→
『母と子の心霊教室』→鳥かごが置いてあって、この中に美しいオオムが1羽います。わあ、きれいだなあ、と思っていると、そのオオムが「おはよう。なにがいりますか」といいました。じょうずだなあと思って感心していると、やっとお店のおじさんが私に向かって→
『母と子の心霊教室』→「やあ、ぼっちゃん、なにがいるの?」と聞きました。「あのね…」さあたいへんです。そのあとが出ないのです。そうです。オオムに気をとられているうちに、紅茶(こうちゃ)100グラムという文句を忘れてしまったのです。
『母と子の心霊教室』人間が物を覚(おぼ)えたり忘(わす)れたりするのは不思議なことですね。みなさんも宿題をいっしょうけんめい暗記して、よし、これでぜったい覚(おぼ)えたぞと思ったのに、つぎの日学校で先生にあてられたときはすっかり忘(わす)れていた、→
『母と子の心霊教室』→という経験があるでしょう。いったい記憶(きおく)するということはどういうことなのでしょう。そしてまた、それを忘(わす)れるというのはどういうことなのでしょう。それをこれから勉強しましょう。
-----
-----6章02
『母と子の心霊教室』【2 記憶(きおく)には3つの段階(だんかい)がある】みなさんが物ごとを覚えようとするとき、どんなことが生じているでしょうか。みなさんの身近なことから考えてみましょう。まず最初に、これから覚(おぼ)えようとするものについて“知り”ます。
『母と子の心霊教室』知る方法にはいろいろあります。“聞いて知る”場合もありますし(人の話など)、“見て知る”場合もありますし(人の顔とか文字など)、“鼻でかいで”知る場合もありますし(花の香(かお)りなど)、“手でさわって”知る場合もあります(熱いとか冷たいとか)
『母と子の心霊教室』つぎに、そうして知ったものは、ちょうど黒板に書いたように、みなさんの頭の中に書きこまれます。なんどもくり返せば、それだけはっきりとします。ではなぜ、いっしょうけんめい覚(おぼ)えたものを忘(わす)れることがあるのでしょうか。
『母と子の心霊教室』それはつぎの段階(だんかい)を知ればわかります。すなわち、いちど頭の中に書きこまれたものは、そのあとから入ってくる新しい知識に押(お)しやられて、こんどはその奥にある“記憶(きおく)の押(お)し入れ”の中にしまいこまれるのです。
『母と子の心霊教室』けっして消えてしまうのではありません。ただ、ずっと奥(おく)の方へ押(お)しやられたために“思い出しにくく”なり、それを“忘れた”といっているにすぎないのです。ですから、その記憶(きおく)の押(お)し入れから何回も出し入れしていれば、→
『母と子の心霊教室』→だんだん思いだすのがはやくなり、しまいには、みなさんがしゃべっている言葉のように、思いだそうとしなくても自然に出てくるようになります。記憶(きおく)の押(お)し入れには、良いものでも悪いものでも入りますし、どれだけ入れても→
『母と子の心霊教室』→いっぱいになることはありません。が、皆さんは、机の中に何でもかんでも放りこんだために、あとでなにを入れたかわからなくなり、大さわぎをしながら探(さが)しものをした経験はありませんか?記憶(きおく)も同じことです
『母と子の心霊教室』いちどになにもかも覚(おぼ)えようとすると、そのときは覚えたつもりでも、あとで思いだそうとすると、なにもかもがごっちゃになって、はっきり思い出せなくなります。勉強するときはひとつひとつじゅんじょよく記憶(きおく)するようにしましょう。
-----
-----6章03
『母と子の心霊教室』【3 潜在意識(せんざいいしき)のはたらき】ところで、私はいま“記憶(きおく)の押し入れ”という変な言葉を使いましたが、もちろんこれは私がこしらえた言葉です。心霊学(しんれいがく)には別の専門語(せんもんご)があります。
『母と子の心霊教室』それを潜在(せんざい)意識といいます。潜在(せんざい)意識にはいろいろとたいせつなはたらきがあります。その第1は、みなさんがふだんはたらいてくれていることを知らずにいる器官、たとえば胃とか心臓(しんぞう)とか肝臓(かんぞう)などの→
『母と子の心霊教室』→はたらきを受けもっています。ご承知のように、心臓(しんぞう)や肝臓(かんぞう)は昼と夜の区別なく、休みなくはたらいてくれております。すると潜在(せんざい)意識は、みなさんが生きているあいだは、いっときも休むことなく→
『母と子の心霊教室』→はたらきつづけることになります。つぎに、いま述べたように、みなさんが知ったものを貯(たくわ)えておく役目もします。さっき例としてあげたような、人の話だとか、文字だとか、花の香(かお)りだとかいったものだけではありません。
『母と子の心霊教室』歩き方だとか、自転車の乗り方だとか、泳ぎ方なども、やはり潜在(せんざい)意識が覚(おぼ)えてくれているからこそ、できることなのです。「え、歩き方まで?」―みなさんはきっとそう思われるかもしれませんが、では、みなさんの中で、→
『母と子の心霊教室』→生まれてすぐから歩いたという人がひとりでもいますか?もちろんいないでしょう。だれだって最初はハイハイからはじまり、つぎに立つことができるようになり、それからお母さんに手を取ってもらったりしながら、ヨチヨチ歩きができるようになったのです。
『母と子の心霊教室』それが今では、どこかへ行こうと思っただけで自然に足が出ます。それはけっきょく、赤ちゃんのときに覚(おぼ)えた歩き方を、潜在(せんざい)意識が記憶(きおく)していてくれて、しかも毎日のように使っているからなのです。
『母と子の心霊教室』さて、潜在(せんざい)意識にはこれ以外にもうひとつ、それも私たち心霊学(しんれいがく)を学ぶ者にとっていちばんたいせつなはたらきがあります。それは、いろいろな心霊(しんれい)現象をおこすことです。では、どんな現象をおこすのでしょうか。
-----
-----6章04
『母と子の心霊教室』【4 テレパシー現象(げんしょう)】このあいだ私は、ふとある友だちのことを思いだして「もうずいぶんながいこと会っていないけど、どうしてるかなあ。よし、ひさしぶりに手紙をだそうか」そうおもって、さっそく手紙を書き送りました。
『母と子の心霊教室』ところがです。その翌朝(よくあさ)になって、その友だちから1通の手紙が届(とど)いたのです。読んでみると、やはりその友だちも、私がその友だちのことを思いだしたのとほとんどおなじころに、私のことを思いだして手紙を書いているのです。
『母と子の心霊教室』おもしろいことがあるものだなあ、と私は不思議に思ったのですが、きっとその友だちも同じように不思議に思ったことでしょう。それからこんなこともあります。それは、自分がいいだそうとしたことをそばの人が先にいう場合です。
『母と子の心霊教室』反対に、そばの人がいおうとしたことを自分が先にいう場合もあります。これはいったいどういうわけなのでしょうか。そのわけはじつは簡単(かんたん)なのです。
『母と子の心霊教室』一方の人が考えていることを、他方の人の潜在(せんざい)意識がキャッチして、それを相手より先に脳(のう)へ伝えたのです。そうです、記憶(きおく)するときと正反対の作用がおきたのです。テレビと同じです。
『母と子の心霊教室』潜在(せんざい)意識というアンテナが、他人の考えをキャッチして、それを脳(のう)という受像器へ伝えるわけです。こういう現象をテレパシーと呼んでいます。
『母と子の心霊教室』ところで、右にあげた例は、ふたつとも現在地上に生きている人間どうしのテレパシーですが。これが地上の人間とエーテル界の霊(れい)とのあいだで、おきることもあるのです。このあいだ、ある有名な小説家が、私につぎのような話をしてくれました。
『母と子の心霊教室』ある日その小説家はサンフランシスコへ行くことになったのですが、その地名を頭にうかべたとたん、その土地の○○通りにある××ホテルへいけば、子どものころの女友だちに会えるような感じがしたというのです。
『母と子の心霊教室』心霊学(しんれいがく)について何も知らないその小説家は、そのことをあまり気にかけなかったのですが、まあ、ためしに行ってみようかと思ってそのホテルを訪(たず)ねてみたところ、驚(おどろ)いたことに、その直感どおり子どものころいっしょに遊んだ→
『母と子の心霊教室』→女友だちのひとりがそのホテルに泊(とま)っていたというのです。その女性はもう白髪(しらが)のおばあさんになっていました。もちろん小説家は、その友だちが白髪(しらが)になっていることなどは、予想もしませんでしたし、女性の方も、→
『母と子の心霊教室』→その小説家が訪(たず)ねてくることなど、夢(ゆめ)にも思いませんでした。
『母と子の心霊教室』するとこれは、小説家と女性との間のテレパシーではなくて、誰かエーテル界にいる霊(れい)―たぶんふたりをよく知っているもうひとりの友だち―が教えたにちがいありません。これもやはりテレパシー現象です。
-----
-----6章05
『母と子の心霊教室』【5 霊言現象(れいげんげんしょう)】第5章で霊媒(れいばい)のY夫人のからだを、支配霊(しはいれい)のブラウン・オウルが使った話をしましたが、じつをいえば、あの場合も、ブラウン・オウルは直接Y夫人のからだを動かしたのではなく、→
『母と子の心霊教室』→Y夫人の潜在(せんざい)意識をはたらかせたといった方が正しいのです。他人の潜在(せんざい)意識を使うことはたいへんむずかしいことです。慣れないうちは霊(れい)のいいたいことが、霊媒(れいばい)の潜在(せんざい)意識の中の記憶(きおく)と→
『母と子の心霊教室』→ごっちゃになって、思うように伝えられないものです。しかしなん回もくりかえしていくうちに、ちょうどみなさんが、大きくなるにつれて言葉を話すのがじょうずになってきたのとおなじように、霊(れい)の方も霊媒(れいばい)の潜在(せんざい)意識の→
『母と子の心霊教室』→使い方がじょうずになり、しまいには、あのブラウン・オウルのように、冗談(じょうだん)までいえるようになります。そのような段階(だんかい)までくると、霊媒(れいばい)の意識は完全に消えてしまいます。これを専門語(せんもんご)で→
『母と子の心霊教室』→トランス(入神状態(にゅうしんじょうたい))といいますが、トランス状態にある霊媒(れいばい)は、霊(れい)がなにをしゃべり、どんなことをしたかを知らないのがふつうです。
『母と子の心霊教室』ときには霊媒(れいばい)のぜんぜん知らない外国語でしゃべることさえあります。このように、トランス状態の霊媒(れいばい)を通じて霊(れい)が話をするのを霊言(れいげん)現象といいます。
-----
-----6章06
『母と子の心霊教室』【6 自動書記現象(じどうしょきげんしょう)】霊(れい)が地上の人間に通信を送る方法にはいろいろあります。霊言(れいげん)現象もそのひとつですが、これを、文字によって伝える方法もあります。自動書記現象というのがそれです。
『母と子の心霊教室』自動書記では、霊媒(れいばい)はただエンピツを持って目を閉(と)じ、気持ちを静かにして何も考えない状態にしていればよいのです。するといきなり手が動きはじめて、用意された紙の上につぎつぎと文章が書かれていきます。
『母と子の心霊教室』そして最後のところに、○○より、というサイン(署名(しょめい))が記(しる)されますが、その名前の字体や文章全体の書体をみると、その通信者の生前のものとそっくりなのです。また、その通信の内容は霊媒(れいばい)の知らないことがほとんどで、→
『母と子の心霊教室』→ときには霊言(れいげん)現象の場合と同じように、霊媒(れいばい)の知らない外国語で書かれることもあります。それから、書かれるものは文章ばかりとはかぎりません。美しい絵がえがかれることもあります。
『母と子の心霊教室』その絵の中には、専門(せんもん)の画家も驚(おどろ)くほど立派(りっぱ)なものが少なくないのですが、おもしろいことに、霊媒(れいばい)自身は絵が大きらいでいちどもえがいたことがないというようなこともあります。
『母と子の心霊教室』いずれにせよ、自動書記現象の場合も、霊(れい)が直接霊媒(れいばい)の手を使っているのではなく、やはり潜在(せんざい)意識を操作(そうさ)して書いているのです。自動書記通信が、書物となって出版されたものが数多くありますが、→
『母と子の心霊教室』→中でも有名なものに『霊訓(れいくん)』というのがあります。これは、ステイントン・モーゼスという英国の牧師さんの手によって書かれたもので、紀元前5世紀のユダヤの予言者だった霊(れい)を最高指揮者(しきしゃ)とする、→
『母と子の心霊教室』→ぜんぶで49名からなる霊団(れいだん)から送られたものでした。その内容はひじょうに程度の高い霊的(れいてき)真理や道徳、人間の生き方などが書かれていて“スピリチュアリズムのバイブル(聖書(せいしょ))”と呼ばれて100年以上たったいまでも、→
『母と子の心霊教室』→世界中の人びとに愛読されております。では参考までに、モーゼス牧師がそれをどのような状態で書いたか、ということを知っていただくために、「まえがき」の1節を紹介(しょうかい)してみましょう。
『母と子の心霊教室』「私はいちども自分から自動書記をはじめたことはなく、いつも急に書きたくなって、あわててえんぴつをにぎりました。ひまだからと思って机に向かっても、何の通信も来ないのです。むしろ自動書記のことを少しも考えていないときなどに、」→
『母と子の心霊教室』→「ふと書きたい気持ちがわいてきて、それから急いで用紙とエンピツを用意して机に向かいました。それはたいてい朝のことで、書き始めると1時間くらいつづきました。私は早起きです。そして身支度(みじたく)が終わるとまっ先に神さまにお祈(いの)りををするのですが」→
『母と子の心霊教室』→「書きたいという衝動(しょうどう)はたいていそのときにわいてきました。だからといって、お祈(いの)りをしながら、もうそろそろ通信がくるかな、などということはけっして考えませんでした。」
『母と子の心霊教室』「書いているあいだによくほかの心霊(しんれい)現象もおきましたが、私の健康状態が悪くなるとそれも出なくなり、そのうち自動書記通信も来なくなってしまいました。」
『母と子の心霊教室』この1節を読んだだけで、自動書記というものがけっして霊媒(れいばい)がわざとやっているものでないことが、よくわかっていただけると思います。
-----
-----6章07
『母と子の心霊教室』【7 サイコメトリ現象(げんしょう)】私がいまこの本を書いている机の上には、バラの花がたくさん生(い)けてあるのですが、おもしろいことに、私が外出して友だちなどに会うと「わあ、君の服はバラの香りがするね」といって、→
『母と子の心霊教室』→まるで犬のように鼻をクンクン鳴らします。そのわけはわかりますね。そうです。ながいあいだバラのそばで仕事をしているうちに、その香(かお)りが私の衣服にしみこんだわけです。
『母と子の心霊教室』ところでみなさんは、品物を手に持つだけでその持ち主のことをなんでもいいあてる人がいることを知ってますか?ハンカチでも帽子(ぼうし)でも腕時計(うでどけい)でも、あるいはシャツの切れはしでもいいのです。
『母と子の心霊教室』とにかく、その人がいちどでも使ったことのあるものを手に持つのです。するとその人は、この品物の持ち主は年令がいくつで、どんな性格の人で、現在どこにいる、あるいはもう死んでいる、といったことをスラスラと述べます。
『母と子の心霊教室』なぜわかるのでしょう。それは、私たちがいちど物体にさわると、あるいは身につけると、ちょうどバラの香(かお)りが私の衣服にしみこんだように、私たちの潜在(せんざい)意識にあることが、ぜんぶその物体にしみこんでしまうのです。
『母と子の心霊教室』それを霊能者(れいのうしゃ)が読みとるわけです。こうした現象をサイコメトリといいます。では潜在(せんざい)意識にないこと、たとえばその持ち主がもう死んでいるとか、現在どこそこに行ってる、といったことはどうやって知るのでしょう。
『母と子の心霊教室』それは霊能者(れいのうしゃ)の背後霊(はいごれい)が教えるのです。かりに持ち主が死んでいる場合、その人がいまエーテル界でどんな生活をしているかまでわかることがありますが、こんな場合は、きっと本人がその霊能者(れいのうしゃ)に→
『母と子の心霊教室』→知らせているのでしょう。死んだわが子や友だちが今どうしているかが知りたくて、その人の生前の持ち物をもってサイコメトリの霊能者(れいのうしゃ)をたずねる人がたくさんおります。
-----
-----6章08
『母と子の心霊教室』【8 今すぐ霊能者(れいのうしゃ)になろうと思ってはいけない】以上の説明でおわかりのように、心霊(しんれい)現象と潜在(せんざい)意識とは切っても切れない深い関係があります。また潜在(せんざい)意識の使い方ひとつで、→
『母と子の心霊教室』→いろいろな心霊(しんれい)現象が生じること、そして、それぞれの心霊(しんれい)現象には、かならずエーテル界の霊(れい)が協力していることもわかっていただけたことと思います。
『母と子の心霊教室』ところで、みなさんの中には、自分もはやく霊能者(れいのうしゃ)になりたいと思っている人がいませんか?きっとおおぜいの人がそう思っていることでしょう。ですが、ほんとうのことをいうと、私がこの本で説明する心霊(しんれい)知識だけでは、→
『母と子の心霊教室』→とてもとても十分とはいえないのです。第5章で紹介(しょうかい)したような霊能(れいのう)養成会に参加できるようになるまでには、もっともっと心霊(しんれい)現象について勉強しなくてはいけません。
『母と子の心霊教室』もしかしたら、みなさんの中にも、すでに霊視(れいし)能力や霊聴(れいちょう)能力を持っている人がいるかもしれません。それはひじょうにありがたいことですが、しかし、そういう人でも、これからもっともっと心霊学(しんれいがく)を勉強して、→
『母と子の心霊教室』→その能力をさらに立派(りっぱ)なものとし、同時にその正しい使い方を知らなくてはなりません。潜在(せんざい)意識は人間の誰(だれ)もが生まれたときから備えているものです。その中にはこれまで説明したような心霊(しんれい)能力が→
『母と子の心霊教室』→宿されているのです。ただ、ふだんは居眠(いねむ)りをしているだけです。もちろんエーテル界へいけば、それらがぜんぶ使えるようになりますが、みなさんは、死んでからのことよりも、地上に生きているうちに使うことを考えようではありませんか。
『母と子の心霊教室』そのためには、まず、正しい真理をできるだけたくさん学ぶことが必要なのです。
-----
-----6章注釈
『母と子の心霊教室』【注釈(ちゅうしゃく) スピリチュアリズムについて ―訳者(やくしゃ)】ひと口にいえば、心霊学(しんれいがく)を基礎(きそ)として発達した人生観、人間観、宇宙観(うちゅうかん)をスピリチュアリズムと呼んでいます。
『母と子の心霊教室』もともと心霊学(しんれいがく)あるいは心霊(しんれい)研究というのは、厳密(げんみつ)にいえば心霊(しんれい)現象の科学的研究、およびその研究結果のことをさし、その知識を発展させ、応用したものがスピリチュアリズムです。
『母と子の心霊教室』自動書記現象を例にとって説明すれば、霊媒(れいばい)の手がひとりでに動いて文章が書かれるという現象は、どういう原理によるのかを科学的に検討(けんとう)するのが心霊(しんれい)研究で、それから先、つまりその通信をほんものと信じて、そこから教訓を読みとり、→
『母と子の心霊教室』→それを自分の人生観の中にとり入れていくのは、心霊学(しんれいがく)の範囲(はんい)を超(こ)えてスピリチュアリズムとなります。人間には科学的探究心(たんきゅうしん)のほかに、道徳的向上心もあれば哲学的(てつがくてき)思考力もあり、→
『母と子の心霊教室』→宗教的(しゅうきょうてき)信仰心(しんこうしん)もあります。そのため、どうしても心霊学(しんれいがく)だけでは満足できなくて、それぞれの分野で解釈(かいしゃく)・発展させずにはいられません。これは理屈(りくつ)ではなく人間のありのままの姿(すがた)なのです。
『母と子の心霊教室』その自然の結果として生まれたのがスピリチュアリズムなのです。したがって、スピリチュアリズムでは、心霊学(しんれいがく)を科学的基盤(きばん)として、それまでとはまったく観点の異(こと)なる道徳観と、→
『母と子の心霊教室』→この世とあの世にまたがる雄大(ゆうだい)な哲学思想(てつがくしそう)、そして、神とか仏、来世といった、これまで“信仰(しんこう)”の領域(りょういき)で扱(あつか)われていたものを“事実”として扱(あつか)う現実的な宗教性(しゅうきょうせい)が→
『母と子の心霊教室』→一体となっております。それは、大自然をあるがままに認(みと)め、真理が教えるままに従(したが)っているのですから一宗一派(いっしゅういっぱ)にかたよることもなく、個人的な主義・主張の入る余地もありません。
『母と子の心霊教室』ですから、ほんとうはスピリチュアリズムという名称をつけるのはおかしいのですが、他と区別するために、やむをえずそう呼(よ)んでいるのです。
-----
『母と子の心霊教室』全文掲載 第6章 心霊現象(しんれいげんしょう)のいろいろ その1
『母と子の心霊教室』全文掲載 第5章 ホームサークル(家庭交霊会(かていこうれいかい))ではどんなことが行われるのだろう
-----5章01
『母と子の心霊教室』【第5章 ホームサークル(家庭交霊会(かていこうれいかい))ではどんなことが行われるのだろう】第3章で私は、おおぜいの人を集めて行う公開交霊会(こうれいかい)について説明しました。
『母と子の心霊教室』こんどは、一般の家庭で少数の知人・友人が集まって行う小さな交霊会(こうれいかい)、すなわち家庭交霊会(かていこうれいかい)について学ぶことにしましょう。それにはまず私が、はじめて交霊会に招かれたときの体験談をするのがいちばんよさそうです。
『母と子の心霊教室』【1 著者(ちょしゃ)の体験】これは私がまだ心霊学(しんれいがく)について、あまりよく知らなかったころのことですが、ある日、私のいちばんの仲良(なかよ)しが訪(たず)ねてきて、帽子(ぼうし)をとって腰(こし)かけるなり、→
『母と子の心霊教室』→いきなりこんなことをいったのです。「あのね、チャールズ、実はブラウン・オウルがぜひ君に来てほしいとのことなんだけど…」「え、誰(だれ)だって?」聞いたこともない名前なので私はびっくりして聞き返しました。
『母と子の心霊教室』すると友だちは平気な顔で「ブラウン・オウルだよ」と答えます。「ブラウン・オウル?いったいそれはどんな人間だい。まるでインディアンみたいな名前だな」
『母と子の心霊教室』「そのとおり、インディアンなんだ。そのインディアンがこの僕(ぼく)に、あすの晩(ばん)の交霊会(こうれいかい)に、ぜひ君をつれてくるようにというんだ」そう聞いて私も少しずつ事情がわかってきました。
『母と子の心霊教室』というのは、そのころ時おりその友だちが、私たちのもうひとりの友だちで、霊媒(れいばい)をしているY(ワイ)夫人の支配霊(しはいれい)の話をすることがあったのです。
『母と子の心霊教室』ははあ、Y(ワイ)夫人の支配霊(しはいれい)のことだなと思った私は、よし、ひとつこの機会に交霊会(こうれいかい)というものがどんなものか、この目でたしかめてやろうと考えて、よろこんでその招待をうけることにしました。
『母と子の心霊教室』「あすの晩(ばん)の7時、僕(ぼく)の家だよ」友だちはそういってから、さらに「時間におくれないように頼(たの)むよ。霊(れい)を待たせるのも失礼だからね」とつけ加えました。さて翌日(よくじつ)の晩(ばん)です。
『母と子の心霊教室』私はいわれたとおり7時かっきりに友だちの家を訪(おとず)れました。心の中は、いったいどんなことが起きるのだろう、という興味と不安とでいっぱいでした。
『母と子の心霊教室』というのも、そのころの私は、霊(れい)というものは恐(おそ)ろしいものとばかり思いこんでいたのです。部屋に案内されてみると、すでに4人の女性と3人の男性が私を待っておりました。私を入れた8人は、まもなく2階の小さな部屋に通されました。
『母と子の心霊教室』こじんまりとした気持ちのいい部屋です。たしか壁(かべ)には絵が1、2枚かかっており、花びんにはきれいな花がたくさん生(い)けてありました。そこは交霊会専門(こうれいかいせんもん)の部屋だそうで、ほかのことにはぜったい使わないとのことでした。
『母と子の心霊教室』やがて、私たちはまるく輪(わ・サークル)になって腰(こし)かけました。そのうちのひとつのイスのそばには電蓄(でんちく)が置いてあり、そのすぐそばに小さな机が置いてあって、レコードが用意してあります。
『母と子の心霊教室』窓(まど)のカーテンがぜんぶ下ろされて、光が入らないようにしてありました。また、もうひとつのイスの近くに電灯のスイッチがあります。あとで聞いたことですが、席はいつも決まっているとのことでした。
『母と子の心霊教室』また、いったん出席することがきまった人は、交霊会(こうれいかい)の日はどんなことがあっても出席し、時間もぜったい厳守(げんしゅ)しなければならないことになっていることも聞かされました。そうしないと霊(れい)との仕事はうまくいかないのだそうです。
『母と子の心霊教室』しかし、なんといってもいちばんたいせつなことは、出席者一同が仲良(なかよ)く和気あいあいとした雰囲気(ふんいき)になることでしょう。もしも、出席者のあいだで不愉快(ふゆかい)なことが起きると、それだけで交霊会(こうれいかい)が失敗に→
『母と子の心霊教室』→終わってしまうこともあるのです。このことは公開交霊会(こうかいこうれいかい)の説明のところでも述べたはずです。さて私たちは図のように、男、女、男、女の順で腰(こし)かけました。そして、みんなが落ち着いたところで、司会者が立ってこうのべました。
『母と子の心霊教室』「病気で苦しんでいる人たちが1日も早く回復し、また、今日の交霊会(こうれいかい)に、立派(りっぱ)な霊(れい)がたくさん集まってくださるよう黙(もく)とういたしましょう」その言葉にしたがって全員が黙(もく)とうをささげ、つづいて静かに聖歌をうたいおわると、→
『母と子の心霊教室』→こんどは隣(となり)どうしが手をつなぎあって、電蓄(でんちく)から流れる静かな音楽に耳を傾(かたむ)けました。しばらくすると「よろしいですか」という司会者の声がして、赤の豆電球がともされ、それと同時に、ほかの電灯が消され、→
『母と子の心霊教室』→私たちは握(にぎ)りあっていた手を放しました。私の目がようやく赤色の光に慣れてきたころ、ひとりの婦人が「霊(れい)の姿(すがた)が見えます」といって、その姿(すがた)かっこうを説明しはじめました。説明がおわると別の人が「霊(れい)が話しかけております」→
『母と子の心霊教室』→といって、その霊(れい)の言葉をつぎつぎと告(つ)げました。それはその会のひとりにあてたもので、近ごろその人の胃腸(いちょう)が弱っているから、食べ物によく気をつけるように、という内容のものでした。
『母と子の心霊教室』これでおわかりのように、その会の人はひとりひとりがなんらかの霊的能力(れいてきのうりょく)をもっておりました。もちろん第3章で説明した、公開交霊会(こうかいこうれいかい)の霊媒(れいばい)ほどの霊能者(れいのうしゃ)ではありません。
『母と子の心霊教室』どうやらそのサークルは、そういう専門(せんもん)の霊媒(れいばい)になるための実習をしている人たちで、いわば霊媒(れいばい)の卵の集まりらしいということが少しずつわかってきました。
-----
-----5章02
『母と子の心霊教室』【2 ブラウン・オウル霊(れい)の出現】ところが、つづいて妙(みょう)なことが起きました。さっき私がY(ワイ)夫人といっておいた人が、まるで居眠(いねむ)りでもしているみたいに、ぐったりとイスによりかかり、しかもほかの人たちは、→
『母と子の心霊教室』→そのようすをさも興味ぶかそうにながめながら、何かが起きるのを待っているみたいなのです。何も知らない私が、いったいY夫人はどうなったのだろうと心配していると、さらに不思議なことが起こりました。
『母と子の心霊教室』それは、今までぐったりとしていたY夫人が、突然からだを起こし、きちんと姿勢(しせい)を正して、目をつぶったまま、にっこりとほほえみながら、出席者全員を見まわしたのです。そのようすは、ふだんのY夫人とはすっかり変わっておりました。
『母と子の心霊教室』もちろん目や鼻や口はふだんと同じ形をしていますが、その表情からうける感じや動きが、ふだんの夫人とはちがって、まるで男のようなのです。やがてその口が動いてこうあいさつしました。「ようこそ、みなさん、ブラウン・オウルです」
『母と子の心霊教室』その声はY夫人とは似ても似つかぬ荒あらしい低い声でした。しかし出席者は少しも驚(おどろ)いたようすも見せず、反対に、まるで仲(なか)のいいお友だちにでも話しかけるような口調(くちょう)で、「こんばんは、ブラウン・オウルさん」とあいさつしました。
『母と子の心霊教室』それもそのはずです。あとで聞いてみるとブラウン・オウルは、私の推測(すいそく)どおり、Y夫人の支配霊(しはいれい)で、週に1度、こうして出てきて出席者の霊能(れいのう)養成の指導にあたっているのでした。
-----
-----5章03
『母と子の心霊教室』【3 霊媒(れいばい)と支配霊(しはいれい)】ではY夫人はいったいどうなっているのでしょうか。だれしも不安に思いますね。が、心配いりません。そのわけを知っていただくために、ここでもういちど、第1章の5、死とは何だろう、という項目(こうもく)を→
『母と子の心霊教室』→読んでみてください。その中で私は、人間が眠(ねむ)ると肉体とエーテル体とが離(はな)れること、そして、ふつうの人は離(はな)れているあいだの体験をおぼえていないが、霊能者(れいのうしゃ)はそれをはっきりと思いだすことができる→
『母と子の心霊教室』→ということを述べました。このことから考えていただけば、霊媒(れいばい)つまりY夫人の状態がおわかりになるはずです。Y夫人の意識は肉体からエーテル体へと移ってしまい、その留守中にブラウン・オウルという霊(れい)が、その肉体を使って→
『母と子の心霊教室』→話をしているというわけです。Y夫人は女性ですが、ブラウン・オウルは男性ですから、声や態度が男性的になるのです。あとで聞かされた話によりますと、ブラウン・オウルはいまからほぼ100年前に地上を去ったインディアンだそうです。
『母と子の心霊教室』ふたたび交霊会(こうれいかい)の話にもどりましょう。Y夫人のからだに宿ったブラウン・オウルは、やがて席を立って、ゆっくりと部屋を回りながら、出席者の一人ひとりに話しかけました。「こわいだろうなぁ」みなさんはきっとそう思うでしょう。
『母と子の心霊教室』私も最初は気味(きみ)悪く思いました。しかし話をしてみると、ブラウン・オウルはとてもおもしろい人で、冗談(じょうだん)をいって笑わせることもあるのです。考えてみると、これもあたりまえのことです。
『母と子の心霊教室』なぜかといえば、これまでなんども述べたように、人間が死ぬということは肉体を捨(す)てるだけのことで、性格は急には変わらないのです。ブラウン・オウルは、きっと地上でも愉快(ゆかい)な人だったにちがいありません。
『母と子の心霊教室』では、ブラウン・オウルはただそうやって話し合ったり、冗談(じょうだん)をいったりするだけかというと、けっしてそうではなく、話し合っているうちにいろいろとたいせつな教えをのべましたし、→
『母と子の心霊教室』→ほかの霊(れい)が出て話すときに手助けをしたり、またその会を邪魔(じゃま)しようとする悪い霊(れい)を追い払(はら)う役目もしていたようです。
-----
-----5章04
『母と子の心霊教室』【4 霊能(れいのう)があるから偉(えら)いのではない】さて、ブラウン・オウルはいよいよ私のところへ来ました。そして“やあ”と、いかにも親しい友だちに会ったときのようなあいさつをしてから、およそつぎのようなことをいいました。
『母と子の心霊教室』「今夜あなたをお連れするように頼(たの)んだのは、この私です。そのわけは、あなたが近ごろ人間は死んだらどうなるのかをしきりに知りたがっておられることが、この私にわかったからです。」
『母と子の心霊教室』「それに、もしこの部屋に集まっている同志が賛成してくれれば、ぜひあなたにもこのサークルのメンバーになっていただきたいという、私の希望もあったのです」
『母と子の心霊教室』ブラウン・オウルが“同志”と呼んだのは、イスに腰(こし)かけている地上のメンバーのことだけではなく、エーテル界の協力者も含(ふく)まれているようでした。私はブラウン・オウルが大好きになってしまいました。
『母と子の心霊教室』正直にいって、そのころの私は、霊視(れいし)能力も霊聴(れいちょう)能力もありませんでした。いまもありません。しかし聞くところによれば、別にそういう霊能(れいのう)をもっていなくても、ただ私が出席しているだけで、霊(れい)がわの仕事の→
『母と子の心霊教室』→助けになるのだそうです。私が出席したような会を霊能養成会(れいのうようせいかい)ともいいますが、こうした会は世界中に数え切れないほどあって、みんないっしょうけんめい霊能(れいのう)を開発しようと努力しています。
『母と子の心霊教室』しかし、どこの会でも、メンバーのすべての人が霊能(れいのう)を発揮(はっき)するようになるとはかぎらないのです。専門(せんもん)の霊媒(れいばい)となって、公開交霊会(こうかいこうれいかい)などが催(もよお)せるようになる人は→
『母と子の心霊教室』→ごくまれにしかいません。しかし、霊能(れいのう)を発揮(はっき)することばかりが偉(えら)いのではありません。
『母と子の心霊教室』まじめに努力していれば、たとえ霊能(れいのう)は出なくとも、自分では気づかないうちに立派(りっぱ)に神さまのお役に立っていることがあるのです。これはひじょうにたいせつなことですから、忘(わす)れないようにいたしましょう。
-----
-----5章05
『母と子の心霊教室』【5 なぜ赤い電灯を使うのだろう】ところで、その会がはじまるときに、電灯を赤色にかえたのはなぜでしょう?なぜふつうの電灯ではいけないのでしょうか。私も最初それがわかりませんでした。
『母と子の心霊教室』が、いろいろと勉強しているうちに、なるほどと思うようになりました。わかってみるとなんでもないことなのです。みなさんは写真の現像(げんぞう)が暗室で行われるのを知っているでしょう。それと同じ理由なのです。
『母と子の心霊教室』つまり白い光線が入ると現象が出にくくなるのです。まっ暗にしなければならないこともあります。が、それはめったにないことですし、むしろふつうの明るさで行うことの方が多いくらいです。公開交霊会などはそのいちばん良い例でしょう。
-----
-----5章06
『母と子の心霊教室』【6 交霊会(こうれいかい)のおわり】さて、その夜の交霊会(こうれいかい)がそろそろおわりに近づいたころ、ブラウン・オウルは出席者全員に向かって、勇気と知恵をあたえてくれる話をしてくれました。そして最後に神さまに向かって→
『母と子の心霊教室』→「このつぎまたここに集まる日まで一同が無事でありますように」とお祈(いの)りしました。それでお別れになったのですが、私はなんだか仲(なか)のよいお友だちと別れるような気がして、少しさびしい気がしました。
『母と子の心霊教室』ブラウン・オウルが別れを告げて2、3分ほどして、そのからだが目を開きましたが、こんどはたしかにY夫人です。夫人は目が覚(さ)めるなり「ああ、もどりましたね」とひとりごとのようにつぶやき、→
『母と子の心霊教室』→「いままで常夏(とこなつ)の国へ行っておりました。とても美しい世界で、なんだか私は地上へ帰るのが残念に思えましたよ」と語られたことでした。
-----
-----5章注釈
『母と子の心霊教室』【注釈(ちゅうしゃく)シルバーバーチ交霊会(こうれいかい)について ―訳者(やくしゃ)】このブラウン・オウル交霊会(こうれいかい)によく似たサークルは、英米にはたくさんありますが、その中でも世界的に名を知られているものに→
『母と子の心霊教室』→「シルバーバーチ交霊会(こうれいかい)」というのがります。モーリス・バーバネルという霊媒(れいばい)を使って、シルバーバーチと名のる古代霊(こだいれい)(3千年前に地上で生活したといいます)が、支配霊(しはいれい)として高等な霊的真理(れいてきしんり)を→
『母と子の心霊教室』→説いてきました。1920年代にはじまって1970年代まで、ほぼ50年もつづきました。その教訓が『シルバーバーチの霊訓(れいくん)』となって発行されていますが、その中に、シルバーバーチ霊(れい)と子どもとの対話がいくつか載(の)っています。
『母と子の心霊教室』それを本書のおしまいのところに紹介(しょうかい)しておきますので、ぜひ読んでください。
-----
『母と子の心霊教室』全文掲載 第4章 「背後霊(はいごれい)」とはなんだろう、そしてどんなことをしてくれるのだろう
-----4章01
『母と子の心霊教室』第4章「背後霊(はいごれい)」とはなんだろう、そしてどんなことをしてくれるのだろう みなさんは、遠い見知らぬ国の探検(たんけん)物語や冒険談(ぼうけんだん)はすきですか。もちろんだいすきですね。
『母と子の心霊教室』もうこれまでに、勇敢(ゆうかん)な開拓者(かいたくしゃ)や探検家(たんけんか)の物語を、いくつも読んでおられることでしょう。それでは、みなさんといっしょに、これからひとつの探検(たんけん)物語を作ってみることにしましょう。
『母と子の心霊教室』【1 見知らぬ国の探検(たんけん)物語】まず最初は、ひとりの探検家(たんけんか)が遠い国へ行く決心をして、その準備にとりかかるところからはじまります。ひじょうに寒いところかもしれないと予想すれば、毛のついた洋服、大きな靴(くつ)などを用意し→
『母と子の心霊教室』→反対にひじょうに暑いところかもしれないと予想すれば、なるべく軽いものを用意します、それから、その国の人がひじょうに友好的(ゆうこうてき)で、すぐにお友だちになれる人種である場合を予想して、なにか贈(おく)り物を用意しなければなりませんし→
『母と子の心霊教室』→反対に、人食い人種のような恐(おそ)ろしい人種である場合を予想して、武器も用意しなければなりません。さあ、すっかり準備を整(ととの)えた探検家(たんけんか)は、いよいよ出発します。
『母と子の心霊教室』そして、それからしばらくは、その探検家(たんけんか)の音(おと)さたがすっかりとだえてしまいます。それから何ヶ月、あるいは何年もたち、そろそろみんなが忘(わす)れかけたころ、その探検家(たんけんか)が元気な姿(すがた)でひょっこり→
『母と子の心霊教室』→帰ってきて、その見知らぬ国のすばらしい風物や、そこに住んでいる人々について、いろいろと珍(めずら)しい話をして聞かせます。聞いてみると、その国は自分たちの国とひじょうによく似た国であることもあるでしょうし、→
『母と子の心霊教室』→高い山やジャングルばかりの野蛮国(やばんこく)であるかもしれません。また、そこに住んでいる人たちは、とても勉強ずきであるかもしれませんし、反対に、文字も知らない民族であるかもしれません。肌の色はどうでしょうか。
『母と子の心霊教室』赤いかもしれませんし黒いかもしれません。黄色いかもしれません。言葉や習慣などはまったくといってよいほどちがっていることでしょう。さて、それからさらに何年かたちました。その探検家(たんけんか)の話を聞いて、ぜひ自分も行ってみたいという人が→
『母と子の心霊教室』→つぎつぎとあらわれ、いつの間にかその遠い国に植民地ができるほどになりました。そうなると当然、そのふたつの国のあいだで貿易もはじまりますし、つづいて郵便(ゆうびん)の制度もできて、おたがいに文通しあうようになるでしょう。
『母と子の心霊教室』ではここで、みなさん自身がその国へいく決心をしたと仮定してみましょう。みなさんもたぶん、さっきの探検家(たんけんか)のように、新しい環境(かんきょう)にあわせていろいろと準備を整(ととの)えることでしょう。
『母と子の心霊教室』その準備のことは、だれに相談するのがいちばんいいでしょうか。もちろんいちどその国へ行ったことのある人にきまっていますね。その人からいろいろと注意をうけて、みなさんは元気よく出発し、何日かのちに、いよいよその国に到着(とうちゃく)して→
『母と子の心霊教室』→新しい生活をはじめます。そして、さっそく母国のお父さんお母さん、あるいはお友だちなどにあてて、今、こんな暮らしをしています、と書き送ることでしょう。
『母と子の心霊教室』それを受けとった両親やお友だちは、みなさんが元気で生活していることを知って、とてもよろこぶことでしょう。
-----
-----4章02
『母と子の心霊教室』【2 幽霊(ゆうれい)も私たちのお友だち】さて、私がなぜ、こんな探検(たんけん)物語などをしたかおわかりでしょうか。じつは、これと同じようなことが地上にいる私たちと、エーテル界へ行った人たちとの関係についてもいえるからです。
『母と子の心霊教室』第2章で私は、エーテル界とはどんなところかを説明しました。その説明を読まれた方の中には“いったいそのようなことをどうやって知ったのだろう?誰かエーテル界からもどってきた人でもいるのだろうか”と思った人がいるかもしれません。
『母と子の心霊教室』じつはそういう人がいるのです。死後の世界の話をするために、地上へ帰ってきた霊(れい)はたくさんいるのです。“常夏(とこなつ)の国”からも、あるいはそれよりもっともっと高い世界からも、話をもち帰ってくれているのです。
『母と子の心霊教室』その人たちは、ちょうどさっきの探検家(たんけんか)が見知らぬ国の話をして聞かせたように、自分がいま住んでいる高い世界の風物や、そこに住む人々の生活のようすなどについて、いろいろとおもしろい話をしてくれております。
『母と子の心霊教室』私が第2章で説明したことは、それらの話をまとめたものなのです。ところで、みなさんは“幽霊(ゆうれい)”の話を聞いたことはありませんか。西洋ではクリスマスの夜などによく聞かされます。が、その中に出てくる幽霊(ゆうれい)はきまって“恐(おそ)ろしいもの”と→
『母と子の心霊教室』→されているようです。たとえば気味(きみ)悪い音をたてておどかしたり、そっと顔をなでて気絶(きぜつ)させたりします。でも、それはほんとうではありません。ほんとうでないというのは、この世に幽霊(ゆうれい)などいないという意味ではありません。実際にいるのです。
『母と子の心霊教室』私は実際に幽霊(ゆうれい)と話をしたことさえあるのです。しかし、私が話をした幽霊(ゆうれい)は、ふつうの幽霊話(ゆうれいばなし)に出てくるような気味(きみ)悪いものではありませんでしたし、悪いこともしませんでした。
『母と子の心霊教室』ゴースト(幽霊(ゆうれい))という英語を字引きで調べてみると、これはドイツ語のガイストという言葉からきたもので、もとはスピリット(霊魂(れいこん))という意味なのだそうです。
『母と子の心霊教室』またゴーストにあたるフランス語を調べてみますと、もとは“旅などから帰ってきた人”という意味だったと説明してあります。すると幽霊(ゆうれい)とは“帰ってきた霊魂(れいこん)”ということになります。
『母と子の心霊教室』しかも、これまでの私の説明でおわかりと思いますが、私たちは死んであの世へいってから霊(れい)になるのではなく、いま、こうして生きているときから立派(りっぱ)に霊(れい)なのです。つまり私たちは“肉体に宿った”霊(れい)という訳です。
『母と子の心霊教室』そうすると幽霊(ゆうれい)とは“帰ってきた人”ということになってしまうのです。では“どこから”帰ってくるのでしょう?もちろん死後の世界から、つまりエーテル界からです。エーテル界には地上で生活したことのある人がおおぜいいます。
『母と子の心霊教室』ですから、その人たちが帰ってきて死後の世界の話をしても少しもおかしくないのです。もしも、変だとか気味(きみ)が悪いと思う人がいたら、それは、ニュージーランドの旅から帰った人の話を、変だとか気味(きみ)が悪いと思うのと同じことだ、ということを知ってください。
『母と子の心霊教室』もちろん、その人たちは幽霊話(ゆうれいばなし)に出てくるような、気味(きみ)悪い姿(すがた)で帰ってくるのではありません。では霊(れい)はどのようにして地上にもどってくるのでしょうか。それについては第3章でも少しばかりのべましたが、→
『母と子の心霊教室』→詳(くわ)しいことはつぎの第5章で説明することにして、ここではその霊(れい)の世界、すなわちエーテル界はけっして遠いところにあるのではなく、私たちのすぐ身のまわりにあるということを思い返していただきたいのです。
『母と子の心霊教室』また、その世界が私たちの目に見えない理由も、すでにみなさんにはわかっていただけたはずです。
-----
-----4章03
『母と子の心霊教室』【3 背後霊(はいごれい)とはなんだろう】では、もどってきた霊(れい)は、私たちのためにどんなことをしてくれるのでしょうか。霊(れい)はいろんなことをしてくれます。いちばん多いのは、人間が気づかずにいることで、→
『母と子の心霊教室』→たいせつなことや危険なことを教えてくれることです。みなさんはなにかの本で、主人公がひじょうに困(こま)ったり危険(きけん)な状態になったときにエンゼル(天使)の声が聞こえて、いい考えを授けてくれた、というような話を読んだことがあるに→
『母と子の心霊教室』→ちがいありません。このエンゼルという言葉はドイツ語からきたもので“使いの者”という意味です。するとみなさんがお母さんのお使いにいくときは、みなさんもエンゼルになっているわけです。
『母と子の心霊教室』このように、霊(れい)は私たちになにかを知らせるために、神さまの使いとして地上へもどってくることがあるのです。ところで、人間は死んでエーテル界に目覚(めざ)めると、はじめのうち、だれでも迷うものです。
『母と子の心霊教室』すると、どこからか天使があらわれて、親切に案内してくれたり、わからないことがあると教えてくれたりします。天使のやさしさに感激(かんげき)した霊(れい)は、そのお返しとして、地上に残した自分の家族や友だちなどの指導をしてあげようと決心します。
『母と子の心霊教室』そう決心した霊(れい)は、地上の人が仕事をしているときはもちろんのこと、休んでいるときでも、夜寝(ね)ているときでも、かならずそばにいて、いろいろと面倒(めんどう)をみてくれます。
『母と子の心霊教室』困(こま)ったことがあれば、その解決方法を教えてくれますし、誤(あやま)ったことをしそうになると、それを阻止(そし)して正しい方向へ導いてくれます。
『母と子の心霊教室』このように、いつもそばにいて面倒(めんどう)をみてくれる霊(れい)のことを“背後霊(はいごれい)”といい、これが地上にもどってくる霊(れい)の大きな仕事なのです。
『母と子の心霊教室』背後霊(はいごれい)にはふつう先祖の霊(れい)がなることが多いのですが、先祖とはまったく関係のない霊(れい)がなることもあります。ときには外国人がついていることもあり、そこに“きまり”はありません。
『母と子の心霊教室』背後霊(はいごれい)はいつもいっしょうけんめい、みなさんの世話をしてくれております。ですから、みなさんの方でも、勝手なことやわがままなことをしないで、まじめな生活を送らないといけません。
『母と子の心霊教室』まじめに生きていれば、きっと背後霊(はいごれい)はいい考えをさずけてくれます。みなさんはとてもいい考えを思いついた、といって自慢(じまん)することがありますが、あれはじつは背後霊(はいごれい)が教えてくれている場合が多いのです。
『母と子の心霊教室』困(こま)ったとき、危険(きけん)なときのいい思いつきは、たいてい背後霊(はいごれい)によるものと思っていいでしょう。さて、こうした仕事のほかに、交霊会(こうれいかい)に出てきて、人生や宇宙(うちゅう)についての話をしたり、→
『母と子の心霊教室』→心霊治療(しんれいちりょう)といって、霊能者(れいのうしゃ)の手を借りて、ふつうのお医者さんが治せない重い病気を治してあげる仕事もあります。
『母と子の心霊教室』バイブル(聖書(せいしょ))を読むと、イエスさまが重い病人や目の見えない人をいっぺんに治した話がでていますが、それと同じようなことが、いまでも世界中いたるところで行われているのです。
-----
-----4章04
『母と子の心霊教室』【4 私たちは霊(れい)といっしょに暮(く)らしている】以上のことからわかるように、私たちはいつも霊(れい)といっしょに暮(く)らしているといってもいいのです。立派(りっぱ)な行いをしたからといっていばったり、→
『母と子の心霊教室』→すばらしい発明や発見をしたからといってうぬぼれたりしてはいけません。そういったことはみな背後霊(はいごれい)の指導があったからこそ立派(りっぱ)なものとなり、すばらしいものとなったことを忘(わす)れてはなりません。
『母と子の心霊教室』だからといって、死んでエーテル界へいった人が、みんな心がけのよい人ばかりであるとはかぎりません。暮(く)らしがらくになることはたしかですが、心だけはいっぺんに変わるものではないからです。
『母と子の心霊教室』地上で悪いことばかりしていた人は相変(あいか)わらず悪い考えをもっていますし、不親切だった人間やはり不親切です。怠(なま)け者は相変(あいか)わらず怠(なま)けてばかりいます。
『母と子の心霊教室』私たちはそういう悪霊(あくれい)の影響(えいきょう)をうけることもあるのです。では、そういう悪い影響(えいきょう)をうけないようにするには、どうすればよいのでしょうか。それはさっきものべたように、→
『母と子の心霊教室』→まじめな日常生活を送り、真理をひとつでも多く知り、いつも人のためになるよう心がけるのがいちばんなのです。
-----
-----4章注釈
『母と子の心霊教室』【注釈(ちゅうしゃく) 守護霊(しゅごれい)について ―訳者(やくしゃ)】原著者(げんちょしゃ)は、エーテル界から人間の世話をしてくれている霊(れい)のことを、背後霊(はいごれい・スピリット)という言葉だけで説明しておりますが、→
『母と子の心霊教室』→ほんとうは、その中心となってはたらいている霊(れい)に守護霊(しゅごれい・ガーディアン)というのがいます。その守護霊(しゅごれい)の監督(かんとく)のもとで、直接の指導にあたっているのが指導霊(しどうれい・ガイド)→
『母と子の心霊教室』→または支配霊(しはいれい・コントロール)で、守護霊(しゅごれい)と指導霊(しどうれい)ないし支配霊(しはいれい)のすべてをひっくるめて背後霊(はいごれい)というのです。
『母と子の心霊教室』指導霊(しどうれい)には先祖霊(せんぞれい)が多いのですが、そのほかに、守護霊(しゅごれい)にたのまれて特殊(とくしゅ)な技術をもった霊(れい)、たとえば音楽家や芸術家がついたり、子どもからおとなへと成長するあいだに入れ替(か)わったり→
『母と子の心霊教室』→することもあります。しかし、守護霊(しゅごれい)は“魂(たましい)の親”ともいうべき存在(そんざい)で、本人とは切っても切れない霊的(れいてき)な関係で結ばれておりますから、生涯(しょうがい)入れ替(か)わることがないのはもちろんのこと、→
『母と子の心霊教室』→死んでからのちもずっと親密(しんみつ)な関係にあります。さらにくわしくいえば、私たちに血のつながった先祖が代々つづいているように、霊的(れいてき)な先祖というのがあるのです。守護霊(しゅごれい)はその霊的先祖(れいてきせんぞ)のひとりで→
『母と子の心霊教室』→その守護霊(しゅごれい)にも守護霊(しゅごれい)がおり、その守護霊(しゅごれい)にもまた守護霊(しゅごれい)がおり、こうしてたどっていくと、たいへんな数の霊的(れいてき)な家族がいることになります。
『母と子の心霊教室』これをスピリチュアリズムではグループソウル(類魂(るいこん))と呼(よ)んでいます。類魂(るいこん)の中には、地上で日本人だった人もいれば、アメリカ人だった人、イギリス人だった人、ドイツ人だった人、中国人だった人、アフリカ人だった人などなど→
『母と子の心霊教室』→地上のあらゆる人種が考えられます。それだけではありません。地球以外の、別の天体で生活した体験をもつ人もいるかもしれません。こうして魂(たましい)は、ありとあらゆる種類の体験を積むことになっているのです。
『母と子の心霊教室』これではじめて、人類はみな同胞(どうほう)であるという言葉の意味が理解できますし、宇宙人(うちゅうじん)もまた、人類の同胞(どうほう)であるということにもなるのです。
-----
『母と子の心霊教室』全文掲載 第3章 「霊媒(れいばい)」とはなんだろう、そしてどんなことをするのだろう
-----3章01
『母と子の心霊教室』第3章「霊媒(れいばい)」とはなんだろう、そしてどんなことをするのだろう【1 霊媒(れいばい)はエーテル界との連絡(れんらく)係】ついこのあいだのことです。私がこの本を書いておりますと、玄関(げんかん)のドアをせわしくノックする音がします。
『母と子の心霊教室』誰だろうと思いながら急いで出てみると、すぐ隣(となり)の家の方で、私に電話がかかったことを知らせにきてくださったのでした。私の家には電話がないので、いつもお隣(となり)の電話を使わせていただいているのです。
『母と子の心霊教室』私は「どうも、いつもご親切にありがとうございます」と礼をいって、急いでお隣(となり)までいきました。さて受話器をとって「もしもし、パーマーですが、どちらさまでしょうか」というと、驚(おどろ)いたことに、その相手はもう何十年も会っていない→
『母と子の心霊教室』→昔の友だちでした。私ははじめそれが信じられませんでした。すると友だちは、私たちがまだ子どものころ夏休みに2人で野山へ遊びにいったときのことや、いたずらをしてしかられたことなどを話してくれました。その話は私たちふたりしか知らないことばかりです。
『母と子の心霊教室』それでようやく、その人がまちがいなく昔の友だちであるとわかり、それからしばらく、ふたりでいろいろと語りあったのでした。さて、みなさんは、私がなぜこんな話をするのだろう、と思われるかもしれませんが、じつはこれとひじょうによく似たことが、→
『母と子の心霊教室』→エーテル界の友だちと私たち地上の人間とのあいだにも起きるのです。それは、霊媒(れいばい)と呼(よ)ばれている人のからだを使って、エーテル界の人が私たちに話しかけてくることがあることを説明するためなのです。
『母と子の心霊教室』第2章のおしまいのところで、人間には肉体をもっていながらエーテル体をはたらかせて、エーテル界を見物したり、そこに住む人たちと話をしたりすることのできる人がいて、そういう人を霊能者(れいのうしゃ)というと書きましたが、→
『母と子の心霊教室』→その霊能者(れいのうしゃ)と呼(よ)ばれる人の中でも、その能力を自分のためでなく他人(ひと)のために使うことを専門(せんもん)にしている人をミーディアム(霊媒(れいばい))と呼(よ)びます。
『母と子の心霊教室』ミーディアムのもとの意味は「あいだに立つ人」ということです。さっきの話でいえば「受話器」の役目にあたります。人間のすべてが霊能者(れいのうしゃ)になってしまえば、とうぜん霊媒(れいばい)という役目をする人はいらなくなってしまいます。
『母と子の心霊教室』それはちょうど、全部の家に電話がつけば、私のように隣(となり)の家の電話を借りなくてすむのと同じです。ですが、いまのところ霊媒(れいばい)と呼(よ)ばれる人はそうたくさんいません。
『母と子の心霊教室』ですから、エーテル界の人と話をしたい人は、私がお隣(となり)の電話を借りにいくように、霊媒(れいばい)のところへいって連絡(れんらく)をたのまなくてはなりません。
-----
-----3章02
『母と子の心霊教室』【2 交霊会(こうれいかい)とはなんだろう】ところで、みなさんはきっと経験したことがあると思いますが、電話の相手が遠いところへ出張しているお父さんであったり、どこかへ旅行中のお兄さんだったりすると、わぁ、お父さんだ、わぁ、お兄さんだといって→
『母と子の心霊教室』→家中の者が、みんなひと言(こと)ずつでも話してみたくなるものです。つまり、ひとつの電話でおおぜいの人が話をするわけですが、それと同じように、ひとりの霊媒(れいばい)を通じて、おおぜいの人がエーテル界にいる自分の肉親や知人と話をするために、→
『母と子の心霊教室』→曜日をきめて霊媒(れいばい)の家に集まることがあります。そのような会を「交霊会(こうれいかい)」といいます。さて、いよいよ霊(れい)を呼(よ)びだしても、ここにたいへんむずかしいことがおこります。
『母と子の心霊教室』それは、その霊(れい)がほんとうに、自分で名のっているとおりの霊(れい)であるかどうか、ということです。なにしろ私たちの目に見えないのですから困(こま)ります。みなさんだったら、どうやって確かめますか。
『母と子の心霊教室』いちばん良い方法は、子どものころの話とか、ふたりしか知らない秘密(ひみつ)の話などをしてみることです。そうです。さっきの私の昔の友だちのように、ふたりでどこかへ遊びに行ったことや、いたずらをしてしかられた話などをしてみるとよいのです。
『母と子の心霊教室』もし相手がそれに対して、まちがいなく相(あい)づちを打つことができたら、もう安心して○○さんだと信じてよいでしょう。アメリカやイギリス、ヨーロッパなどには、こうした交霊会(こうれいかい)を毎週のように開いているところがたくさんあります。
『母と子の心霊教室』ときには公会堂のような大きな建物を使って、何百人、何千人もの人を相手にして催(もよお)すこともあります。このような大きな交霊会(こうれいかい)を、デモンストレーション(公開交霊会(こうかいこうれいかい))と呼(よ)んでおります。
『母と子の心霊教室』では、その公開交霊会(こうかいこうれいかい)を例にして、交霊会(こうれいかい)というものがどのようにして行われるかを紹介(しょうかい)しましょう。
-----
-----3章03
『母と子の心霊教室』【3 交霊会(こうれいかい)はこうして行われる】まず出席者全員が起立して、どうか今日の会が成功しますようにと神さまにお祈(いの)りをし、つづいて静かに合唱します。歌いおわると司会者がこんなことをいいます。
『母と子の心霊教室』「ただ今より、ここにおります霊媒(れいばい)の○○さんが霊視(れいし)能力を使って、エーテル界の方々と話をされます。みなさんはやさしい愛の心で、霊媒(れいばい)の成功を祈(いの)ってあげてください」
『母と子の心霊教室』この言葉はひじょうにたいせつなことをいっております。どういうことかといいますと、もしも、その会場にひとりでもよこしまな心をもった人がいて、霊媒(れいばい)を憎(にく)んだりしたら、その憎(にく)む心が、ちょうど電波にいたずらをして→
『母と子の心霊教室』→ラジオに雑音を入れるのと同じように、霊媒(れいばい)の能力の邪魔(じゃま)をして、ひどいときは会を中止しなければならなくなることさえあるのです。みなさんは交霊会(こうれいかい)に出席したときは、やさしい静かな気持ちで、→
『母と子の心霊教室』→霊媒(れいばい)の言葉に耳を傾(かたむ)けることがたいせつです。さて司会者の挨拶(あいさつ)がおわると、いよいよ霊媒(れいばい)が立ち上がって交霊(こうれい)をはじめます。まず霊媒(れいばい)がこういいます。
『母と子の心霊教室』「うしろから2番目の列のいちばん端(はし)におられる男の方、はいそうです。いま手を上げられた方です。あなたのすぐ横に、飛行服を着た若い男性の霊(れい)が立っておられます。年齢は20歳から22歳くらいでしょうか。」
『母と子の心霊教室』「背丈(せたけ)は高いほうで、髪(かみ)の色は黒、目は茶色です。髪をまん中で分けておられ、右のほおに小さなホクロがあります。耳のすぐ近くです」こんな具合に霊媒(れいばい)は霊眼(れいがん)(エーテル体の目)に映(うつ)ったままをのべてから→
『母と子の心霊教室』→こんどはその霊(れい)と交信をして返事をひとつひとつ伝えていきます。「この方はあなたの息子さんで、名前をシリルとおっしゃるそうです」「そのとおりです」とお父さんが答えます。「フランスで戦死されたそうです」「はい、まちがいありません」
『母と子の心霊教室』「お父さんは近ごろシリルさんのことを思いだして、たいへん悲しんでおられるそうですが、シリルさんは悲しんでくれては困(こま)るとおっしゃってますよ。今も元気で立派(りっぱ)に生きつづけていることを知ってほしいそうです。」
『母と子の心霊教室』「きのうの晩、お父さんはシリルさんの写真をだして見られたそうですね、それから、いまお父さんが使っておられる腕時計(うでどけい)はシリルさんのものだそうですが、シリルさんの弟さんが使える年令になったら、ゆずってあげてほしいとのことです」
『母と子の心霊教室』「はい、私はきのうの晩シリルの写真を見ました。この時計はシリルのものです。望みどおりシリルの弟が使えるようになったらゆずりましょう」こうして、地上のお父さんとエーテル界の息子さんとが、感激(かんげき)のひとときを過ごすわけです。
-----
-----3章04
『母と子の心霊教室』【4 霊視(れいし)能力と霊聴(れいちょう)能力】右の話の中でひとつだけ不思議に思われるところがありませんか。シリルさんが飛行服を着ていたことです。シリルさんは、今でも飛行服を着ているのでしょうか。説明しましょう。
『母と子の心霊教室』ほんとうはもう飛行服なんか着ていないのです。ですが、さっきもいったとおり、自分が息子であることを知らせるためには、お父さんしか知らない昔のことを示すのがいちばん確かなのです。そこでシリルさんは、自分が戦死したときの姿(すがた)と→
『母と子の心霊教室』→同じ姿(すがた)をよそおって霊媒(れいばい)に見せたわけです。人間はだれでも死んだときの服装(ふくそう)をいちばんよくおぼえているものです。それでエーテル界からあらわれるときは、たいてい死んだときの服装(ふくそう)をしているものです。
『母と子の心霊教室』ときには、ただ自分のことを知ってもらうだけでなく、地上の未来のできごとを知らせてくれて、もしそれが危険なことであれば、どうすればよいかを教えてくれることもあります。こうしたことを“予言”といいますが、その予言を聞いたり、→
『母と子の心霊教室』→出てきた霊(れい)の姿(すがた)を見たりすることは、ふつうの目や耳ではできないことです。そこで、こういった能力にはそれぞれ特別な呼び方があります。霊(れい)の姿(すがた)が見える能力を「霊視(れいし)能力」、→
『母と子の心霊教室』→霊(れい)の言葉が聞こえる能力を「霊聴(れいちょう)能力」といいます。霊媒(れいばい)がエーテル界の事情をさぐるときは、たいていこのふたつの能力を使います。
『母と子の心霊教室』昔は、死んだらきっとこうなるだろう、いや、そうではなく、こうなるだろう、というふうに、いろいろと考えてみるだけでしたから、昔の人の死後の世界の話には、まちがったことや“あいまい”なことが少なくありませんでした。
『母と子の心霊教室』が、近ごろでは、エーテル体の目と耳、すなわち霊視力(れいしりょく)や霊聴力(れいちょうりょく)を使って、実際に死後の世界を見聞きできる霊能者(れいのうしゃ)が多くなりましたから、死後の世界はほんとうにあるのか、→
『母と子の心霊教室』→死んだらどうなるのかといったことは、もはや“疑問”ではなくて、あたりまえの“事実”として認(みと)めなくてはならなくなりました。人間はけっして死なないのです。
『母と子の心霊教室』肉体は滅(ほろ)びても、精神(こころ)、すなわちほんとうの自分はエーテル体に宿って、新しい生活をはじめるのです。その新しい生活をするエーテル界のずっとずっと上の方には、宇宙(うちゅう)全体を治めておられる神さまの世界があるのです。
-----
-----3章注釈
『母と子の心霊教室』【注釈(ちゅうしゃく) 死後の世界の区分(くわ)けについて ―訳者(やくしゃ)】死後の世界の分け方は、世界の心霊家(しんれいか)の間でもおおざっぱに分ける人と、細かく分ける人とがいて、その数は、一致(いっち)しておりません。
『母と子の心霊教室』が、日本では3つに分けるのが通例のようですし、それがいちばん妥当(だとう)でもあるように思われます。その理由は、エーテル体にも3つの種類があることが霊視(れいし)能力によって認(みと)められていますし、英国のキルナーという化学者が、→
『母と子の心霊教室』→特殊(とくしゅ)な装置(そうち)によって、これを科学的に説明することに成功しているからです。地上という物質界には、肉体という物質界の条件に似合ったからだが用意されていることから推察(すいさつ)して、それぞれのエーテル体にも→
『母と子の心霊教室』→それにふさわしい世界があるはずだということになるわけです。日本ではふつうこれを幽界(ゆうかい)、霊界(れいかい)、神界(しんかい)と呼び、それぞれの世界で使用するからだを幽体(ゆうたい)、霊体(れいたい)、神体(しんたい)と呼んでいます。
『母と子の心霊教室』幽界(ゆうかい)というのは地上を去ったばかりで、まだ自分の置かれた新しい環境(かんきょう)に慣れきれず、地上にいたときと同じ考えや感情、欲望(よくぼう)などに支配されている世界です。
『母と子の心霊教室』そうしたいわば“地上のくせ”からぬけ出て新しい境遇(きょうぐう)に目覚(めざ)め、同時に、宇宙(うちゅう)生活の目的と意義とを自覚(じかく)して、はつらつとした生活を営(いとな)んでいる世界が霊界(れいかい)です。
『母と子の心霊教室』そして、さらに向上進化を重ねて、宇宙(うちゅう)のすべての真相に通じ、いわば、宇宙(うちゅう)の司法・行政ともいうべき仕事にたずさわる世界を神界といいます。第3章のおしまいのところでのべているのは、この神界のことです。
『母と子の心霊教室』ただし、前にも説明した通り、用語というのは使用する人により、また読む人によっても意味が異(こと)なるものですから、ここでも、幽(ゆう)とか霊(れい)とか神(しん)とかの用語にこだわることなく、→
『母と子の心霊教室』→死後の世界はだいたい右に説明したような発達段階をへながら向上進化していくところなのだ、といった程度に理解していただけばよいと思います。
-----
『母と子の心霊教室』全文掲載 第2章 「エーテル界」とはどんなところだろう
-----2章01
『母と子の心霊教室』【第2章 「エーテル界」とはどんなところだろう】第1章では人間がどのようにできあがっているかということ、それからもうひとつ、「死ぬ」ということはどのようなものか、ということを学びました。人間は肉体とエーテル体と精神の3つからできています。
『母と子の心霊教室』では肉体を捨(す)てた人々がいくエーテル界とはいったいどんな世界なのでしょうか。第2章ではそれを勉強することにしましょう。【1 目覚(めざ)め】みなさんもよく知っているとおり、人間はいろんな死に方をします。
『母と子の心霊教室』ある人はながいながい病気のすえ、苦しみながら息をひきとります。ちょっと考えると気の毒な気がしますね。でもよく考えてごらんなさい。病気をしていたのはエーテル体ではなくて肉体なのです。エーテル体はけっして病気をしません。けがもしません。
『母と子の心霊教室』病気をしたり足が不自由になったりするのは肉体だけです。その肉体を捨(す)ててしまうのですから、気の毒ではなく、ほんとうはしあわせなはずです。
『母と子の心霊教室』みなさんだって歯がズキズキ痛(いた)むようなときは、眠(ねむ)っているときがいちばんらくだと思うでしょう。それは、エーテル体と精神とが肉体から離(はな)れるからです。苦しみながら死んでいく人が必ずしも気の毒ではないことが、→
『母と子の心霊教室』→これでわかるでしょう。もうひとつの死に方は交通事故や戦争などでアッという間に死んでしまう場合です。こういう死に方を即死(そくし)といいますね。即死(そくし)した人は病気した人とちがって、はじめのうち自分が死んだことに気づかず、→
『母と子の心霊教室』→まだ地上にいるような気持ちで、あちらこちらをウロウロすることがあります。しかし病死した人も即死(そくし)した人も、はじめのうちはしばらくゆっくりと休んで、無理なことをしないように気をつけなければなりません。
『母と子の心霊教室』それはちょうど、病気が治ったばかりの人が無理なことをしてはならないのと同じことです。ですからエーテル界にはそういう人たちのために病院のような建物が設けられております。病院といっても地上の病院とはだいぶちがいます。
『母と子の心霊教室』お医者さんも看護婦(かんごふ)さんもいますが、けっして注射(ちゅうしゃ)をしたり薬を飲ませたりするのではなく、これからの生活に使うエーテル体と精神とをつよくがっちりとしてあげるのです。
-----
-----2章02
『母と子の心霊教室』【2 サマーランド(常夏(とこなつ)の国)】このような休憩(きゅうけい)と準備をする世界を、サマーランド“常夏(とこなつ)の国”と呼(よ)んでいます。みなさんの中で、夏がきらいだという人はいないでしょう。
『母と子の心霊教室』野山は青々と茂(しげ)り、空には入道雲(にゅうどうぐも)が出て、みんな海水浴に行ったり遠足をしたりして1日中遊びまわります。常夏(とこなつ)の国では1年中そのような季節がつづくのです。
『母と子の心霊教室』いえ、実際に常夏(とこなつ)の国へ行ってきた人の話では、地上の夏よりもっともっとすばらしいのだそうです。緑の野原、美しい森、さわやかなせせらぎ、青々とした湖。野山へ出ると、地上では見られないような美しい花が咲き乱(みだ)れております。
『母と子の心霊教室』もちろん、家もあれば庭もあり、高いビルもあります。図書館もあります。音楽会や絵の展覧会(てんらんかい)を開くための大きなホールもあります。その上、エーテル体はおなかがすいたり、寒くて冷えたりすることがありませんので、→
『母と子の心霊教室』→みんな元気いっぱい、仲良(なかよ)くしあわせに暮(く)らしております。
-----
-----2章03
『母と子の心霊教室』【3 エーテル界の学校】今から約100年ほど前に、アメリカのアンドリュー・ジャクソン・デービス(口絵写真)という人がエーテル界を見物して、そのようすをたくさんの書物に著(あらわ)しました。
『母と子の心霊教室』その中でデービス先生はエーテル界の学校のことを、だいたいつぎのように説明しております。エーテル界の学校は美しい庭園にかこまれていて、地上の学校と同じようにおおぜいの生徒がいくつかの組にわかれて勉強しています。
『母と子の心霊教室』みんな子どものときに地上を去った人ばかりです。もちろん各組には担任(たんにん)の先生がついておられます。また、それぞれの組にはその組を示す旗があり、生徒はみんな自分の組の目じるしになるバッジをつけております。
『母と子の心霊教室』その旗の色とバッジを見れば、この人はどの組の生徒で、どんなことを学んでいる人だということがわかるようになっているのです。たとえば紫色の旗を立てた組があります。そして、生徒は“海”をあらわすバッジをつけております。
『母と子の心霊教室』この組は神が人類の“父”であり、人間はみな兄弟であることを学んでいるのです。またある組は青色の旗を立て“灯台”をあらわしたバッジをつけております。この組では正しいことと悪いことの区別を学び、また神が自然の中でどのようにあらわれているかを→
『母と子の心霊教室』→勉強します。また音楽にあわせてダンスをしたり、遠くまでハイキングにいったり、あるいはゲーム遊びをしたり…。しかし、そうしているあいだにもいろんなことを勉強します。
『母と子の心霊教室』たとえば、ダンスをする時の一人ひとりの動き方は、1年中の星座(せいざ)の動き方にあわせたりして、ダンスを楽しみながら天体の動きを学ぶわけです。
『母と子の心霊教室』デービス先生はまた、ある学校の生徒がよその学校を訪問(ほうもん)するために、野を越(こ)え山を越(こ)えて、楽しそうに歌を歌いながら元気よく行進している光景も見たと書いておられます。楽しくなるではありませんか。
-----
-----2章04
『母と子の心霊教室』【4 デービス先生の心霊(しんれい)学園】エーテル界の学校のすばらしさに感心したデービス先生は、友だちをまじえて、ぜひ地上にも同じような学校を建てようと考えました。それにはつぎのような理由がありました。
『母と子の心霊教室』ひとつはキリスト教の日曜学校の子供たちが牧師さんの説くことを暗記するだけで、自分で考えることをしないこと。第2は、その牧師さんの説教の中には、心霊学(しんれいがく)からみてまちがっていることがたくさんあり、→
『母と子の心霊教室』→子どもたちがおとなになってから信仰心(しんこうしん)をなくしてしまう原因になっていること。そして第3番目には、真理を学んで心をつよく美しくするだけでなく、からだも丈夫(じょうぶ)にしなくてはならないこと。
『母と子の心霊教室』こうした考えは今のみなさんにはあたりまえのように思えるかもしれませんが、そのあたりまえのことが100年もまえにはとんでもないことのように思われたのです。当時は牧師さんの教えをよく守り、よく勉強することがいちばん立派(りっぱ)なことと→
『母と子の心霊教室』→されていたからです。しかし、デービス先生たちはこれを実行に移しました。そしてこれに「心霊(しんれい)学園」という名前をつけました。この「学園」という言葉はギリシャのアリストテレスという偉(えら)い哲学者(てつがくしゃ)が、→
『母と子の心霊教室』→アテネの町はずれの森の中に建てた学校につけたものです。心霊(しんれい)学園は日曜ごとに開かれ、先生も生徒もいっしょうけんめいでした。生徒たちは、おもに地上生活とエーテル界の生活についての真理を学び、→
『母と子の心霊教室』→また何ごとも自分自身で考え、人が言ったことや書物に書いてあることを、そのまま暗記するようなことは絶対にしませんでした。
『母と子の心霊教室』今ではアメリカやイギリスにはたくさんの心霊(しんれい)学園ができておりますが、どれもデービス先生の建てたものにならったものです。
-----
-----2章05
『母と子の心霊教室』【5 考えたことがそのまま実現する】ふたたびエーテル界の話にもどりましょう。地上では生きていくためにはお金がいりますね。お金を得るためにはいっしょうけんめいはたらかねばなりません、ところが、エーテル界ではその必要がまったくないのです。
『母と子の心霊教室』たとえば、画家が絵をえがく場面を想像してみてください。まず、これからえがこうとする絵を頭の中で想像するでしょう。想像したら、こんどはそれをえがくのに必要な絵具を用意するでしょう。それから何日も何ヶ月もかかって画用紙の上にかきあげていきます。
『母と子の心霊教室』そのあいだには絵具が足りなくなることもあるでしょう。気に入らなくて最初からかきなおすこともあるでしょう。ところがエーテル界では、頭にうかべたことがそのまま目の前に実現するのです。絵具を用意する必要もありませんし、時間をかける必要もありません。
『母と子の心霊教室』必要なのは、“実現させようとする意思”、それだけなのです。この意思さえあれば、どんなものでもこしらえることができるのです。そういうとみなさんは、ではアイスクリームもチョコレートも自分で作れるのかな、と考えることでしょう。作れますとも。
『母と子の心霊教室』お菓子(かし)だけでなく服でも靴(くつ)でも、すきなものがすぐに作れます。ですが、エーテル界には「必要なもの」と「必要でないもの」があるのです。そのわけはみなさんにもわかるでしょう。そうです。肉体の性質とエーテル体の性質がまったく異なっているからです。
『母と子の心霊教室』第1に、エーテル体はおなかがすくようなことがありませんから、どんなにおいしい料理をこしらえても、それを食べる必要がないのですからつまりません。それに、あまりおいしいものばかり見ていると、いつの間にか少しもほしいと思わなくなってくるのです。
『母と子の心霊教室』つぎに、エーテル体は寒さを感じませんから、きちんとした服装(ふくそう)をしていればよく、オーバーなどを作る必要はありません。ずっと前のことですが、私はチョコレート工場を見学したことがあります。そのときに聞いたことですが、そこの工員さんはほしいだけ、→
『母と子の心霊教室』→チョコレートを食べてよいことになっているのだそうです。「いいなあ」「うらやましいなあ」みなさんはきっとそう思うでしょう。ところがそこの工員さんたちは、チョコレートなんかひとかけらもほしくありません、といっておりました。毎日毎日見ているからです。
『母と子の心霊教室』私もみなさんに負けないくらいチョコレートがすきですが、3時間もかかって工場を見学しているうちに、少しもほしいと思わなくなってしまいました。常夏(とこなつ)の国でも同じなのです。
『母と子の心霊教室』すきなものがいくらでも作れるようになると、いつの間にかそれがほしくなくなってくるのです。すると別のものがほしくなります。こうして自分のすききらいがつぎつぎに変わっていき、あとでふり返ってみると、地上にいたときとはぜんぜんちがった人間になっているものです。
-----
-----2章06
『母と子の心霊教室』【6 エーテル界の仕事】みなさんは大きくなったら、なにになりたいですか。学校の先生?飛行機のパイロット?それとも病院の看護婦(かんごふ)さん?それぞれ「ああいう人になりたい」とか「こういう仕事がしたい」とか、いろいろ希望があることでしょう。
『母と子の心霊教室』ですが、みんながみんな自分の思った通りの仕事につけるとは限らないようです。画家になりたくても絵だけでは生活できないので、しかたなしに銀行につとめたり、音楽家になりたいと思っていた人が、家の都合(つごう)で洋服屋さんになったりすることもあります。
『母と子の心霊教室』こういうことは、地上のように、食べなくては生きていけない世界ではしかたのないことです。では、だれひとり仕事をしなくなってしまうのではないかしら、と考える人がいることでしょう。ところが実際はそうではないのです。
『母と子の心霊教室』エーテル界の人はみんな自分がいちばんすきだと思う仕事に、いっしょうけんめい熱中しております。絵のすきな人は絵を、音楽のすきな人は音楽を、いっしんに勉強しております。
『母と子の心霊教室』遊んでいる人などひとりもいません。どんなに忙(いそが)しくても、みんな自分のすきな仕事をしているのですから、少しもいやな顔をしません。みんなしあわせそうです。
-----
-----2章07
『母と子の心霊教室』【7 ポチもミケもいる】みなさんの中には動物を飼(か)っている人がおおぜいいることでしょう。そういう人たちはきっと「犬(いぬ)や猫(ねこ)はどうなるのかなあ」と心配しているにちがいありません。でも安心してください。
『母と子の心霊教室』常夏(とこなつ)の国に住んでいる人に聞いてみますと、犬(いぬ)や猫(ねこ)もちゃんと生き続けているということです。ですが、それは人間にかわいがられているものに限るのだそうです。
『母と子の心霊教室』ということは、みなさんがかわいがってやりさえすれば、いつまでもその動物といっしょに暮(く)らすことができるということなのです。うれしいことですね。
-----
-----2章08
『母と子の心霊教室』【8 悪い人もいる】ところで、みなさんの中には「悪い人たちはどうなるのだろう。悪いことをした人も今までのお話のように幸福な暮(く)らしがゆるされるのだろうか。もしそうだとしたら、それは不公平なことだ」と不服をいう人がいるかもしれません。
『母と子の心霊教室』おっしゃるとおりです。私が今まで述べたことは、地上で善い行いをした人たちのことばかりでした。では、地上で悪いことをした人は、死んでからどうなるかということをつぎにお話いたしましょう。
『母と子の心霊教室』じつは、エーテル界というのは、目に見えない死後の世界のことを、ひと口にそういっているだけで、ほんとうはエーテル界にもたくさんの世界があるのです。地上の学校にも幼稚園(ようちえん)から小学校、中学校、高等学校そして大学というふうに→
『母と子の心霊教室』→たくさんあるでしょう。それと同じことです。地上生活はその中の幼稚園(ようちえん)のようなものです。地上を去って最初にいく世界を「幽界(ゆうかい)」といいますが、ここはエーテル界の小学校のようなところです。
『母と子の心霊教室』さっき説明した常夏(とこなつ)の国というのは、その幽界(ゆうかい)のそのまた1部分のことなのです。さて、みなさんの中には、よく勉強する人と、なまけてばかりいる人とがいるでしょう。そして、小学校で熱心に勉強していた人は、中学校へ上がっても先生から教わることが→
『母と子の心霊教室』→スラスラとよくわかりますが、なまけてばかりいた人はとても困(こま)ります。よくわからないのでますます勉強がいやになり、楽しいはずの学校が少しも楽しいところではなくなってしまいます。これと同じように、地上で悪いことばかりしていた人は幽界(ゆうかい)へ行った→
『母と子の心霊教室』→時にひじょうに困(こま)ります。地上でお友だちだった人からものけ者にされるし、新しいお友だちもできません。そのうちひとりぼっちで暗いところで暮(く)らすようになっていくのです。
-----
-----2章09
『母と子の心霊教室』【9 自分がまいた種は自分が刈(か)りとる】では、悪いことをした人は、いつまでも暗いところで暮(く)らさねばならないのかというと、けっしてそうではありません。みなさんだっていまの成績が悪くても、これから熱心に勉強すれば、→
『母と子の心霊教室』→高等学校にだって大学にだって行けるはずです。それと同じように自分の行いや心がけを反省して、これからは正しい人間になろうと一心に努力すれば、神様はいつでも救いの手を差しのべてくださり、明るく美しい世界へつれて行ってくださるのです。
『母と子の心霊教室』「だったら、悪いことをしても神様にお願いして、上の世界へつれていっていただけばいい」と考える人がいるかもしれません。しかし、それは絶対に許されないことなのです。そのわけをつぎに説明しましょう。
『母と子の心霊教室』たとえば、いま私がチョコレートを口の中に入れたとしましょう。チョコレートはすぐにとろけて、あの甘(あま)いおいしい味がします。が、それは私の舌に「甘(あま)いなあ」「おいしいなあ」と感じるはたらきがそなわっているからであって、→
『母と子の心霊教室』→けっして私が善いことをしたごほうびではありません。また熱いストーブに手を触(ふ)れたらやけどをするにきまっていますが、これは私がなにか悪いことをした罰(ばつ)ではないでしょう。さわってはいけないものにさわった、そのまちがった行いによる→
『母と子の心霊教室』→結果がそうなったにすぎません。心がけの悪い人が暗いところへいって、ひとりでさびしく暮(く)らすのも同じことです。人間にはしてよいことと、してはいけないことがあって、いけないことをすると自然に苦しい状態になるのです。
『母と子の心霊教室』けっして神様が怒(おこ)って罰(ばつ)をあたえているのではありません。反対に、いつも善い行いをしておれば、心がますます美しく清くなって、いっそう幸福な境遇(きょうぐう)になります。
『母と子の心霊教室』むかしのことわざに「自分のまいた種は自分で狩(か)りとらねばならない」というのがありますが、これは真理であるだけでなく、とても大切なことを教えております。
-----
-----2章10
『母と子の心霊教室』【10 エーテル界はすぐそばにある】ところで、エーテル界といっている死後の世界は、いったいどこにあるのでしょうか。昔の人は、死んだ人は遠い西の果てにいくと考えたものですが、心霊学(しんれいがく)によって、→
『母と子の心霊教室』→それがまちがいであることがわかりました。であは、どこにあるのでしょう?驚(おどろ)いてはいけません。じつはエーテル界は私たちのすぐ身のまわりにあるのです。そうです。私たちの地球と同じ場所にあるのです。
『母と子の心霊教室』むろん死後の世界の方が、地球よりずっと広くて大きいのですから、正確にいえば、エーテル界の中に地球が包まれているといった方がよいでしょう。これだけ説明すれば、死ぬということがただ肉体を捨(す)てるだけのことであることがよくわかったでしょう。
『母と子の心霊教室』ちょうど潜水夫(せんすいふ)があの重い潜水服(せんすいふく)を脱(ぬ)ぐのと同じだと思えばよろしい。けっして遠くへ行ってしまうのではありません。そうすると、死んだおじいさんやおばあさん、お父さんやお母さん、それから兄弟やお友だちなどは、→
『母と子の心霊教室』→いまもみなさんのすぐ身のまわりにいて元気に生活していることになるわけです。このことがまだよくわからない人がいるかもしれませんので、これをもっと別の方法で説明してみましょう。
-----
-----2章11
『母と子の心霊教室』【11 物体にはすきまがいっぱいある】私がいまこの本を書くために使っている机はカシの木でできております。持ち上げようとするとたいへん重いですし、たたいてみるととても固くて手が痛(いた)いほどです。
『母と子の心霊教室』ところが、物質のことを専門(せんもん)に研究している物理学者の話によりますと、物体は分子(ぶんし)という非常に小さな粒子(りゅうし)でできており、その分子(ぶんし)は原子(げんし)というさらに小さな粒子(りゅうし)からできているのだそうです(図を見て下さい)。
『母と子の心霊教室』両方とも、どんなに性能のよい顕微鏡(けんびきょう)によっても見ることができないほど小さなもので、このほんのページだけでも、何百万個という分子(ぶんし)と原子(げんし)とでできているということです。
『母と子の心霊教室』では、みなさんはその原子(げんし)はいったい何からできていると思いますか。私も知って驚(おどろ)いたのですが、原子(げんし)は、電子(でんし)というさらにさらに小さな粒子(りゅうし)と原子核(げんしかく)とによってできていて、→
『母と子の心霊教室』→しかも、その電子は原子核(げんしかく)のまわりを休みなく回っているのです。さて、図を見てください。電子(でんし)と電子(でんし)とのあいだにはなにもありませんね。じつはそこがたいせつなところなのです。
『母と子の心霊教室』どのようにたいせつなのか、それを知っていただくためにつぎのような実験をしてみてください。みなさんは紅茶(こうちゃ)はすきですか。コーヒーの方がすきですか。いや、それはどちらでもよろしい。→
『母と子の心霊教室』→どちらにしてもみなさんは砂糖(さとう)を入れて飲みますね。よろしい、では、コーヒーでも紅茶(こうちゃ)でもいいですから、今日はとくに正確に分量をはかってカップに入れてください。つぎに、いつものように砂糖(さとう)を入れます。
『母と子の心霊教室』そして、その砂糖(さとう)が完全に溶(と)けてなくなるまでスプーンでよく混ぜてください。さて、舌の先でちょっとなめてみてください。甘(あま)いでしょう。そのはずです。砂糖(さとう)が入っているのですから。
『母と子の心霊教室』ではつぎにもう1度カップの分量をはかってみてください。どうです。増えていますか、それとも減っていますか。おそらく増えても減ってもいないはずです。ではいったい、砂糖(さとう)はどこへ行ってしまったのでしょう。
『母と子の心霊教室』たしかにカップの中に入れたのですから、カップの中のどこかにあるはずです。どこでしょう?そうなのです。いま説明したように、物体にはすきまがいっぱいあります。水も物体ですから、ちょっと見るとすきまはなさそうでも、実際にはすきまだらけで、→
『母と子の心霊教室』→むしろすきまの方が多いくらいなのです。そこで砂糖(さとう)は、そのすきまの中に入ってしまったのだということになります。けっして手品のように消えてなくなったのではありません。
『母と子の心霊教室』これでエーテル界が地球と同じ場所に存在(そんざい)できるわけがよくわかったでしょう。
-----
-----2章12
『母と子の心霊教室』【12 バイブレーションの話】みなさんはなにによって物を見ますか?「目です」―きっとそう答えるでしょう。なるほど目がなくてはなにも見ることができませんね。では、目があればかならず物が見えるのでしょうか。そうはいいきれませんね。
『母と子の心霊教室』だって、まっ暗いところではなにも見えないではありませんか。すると物が見えるためにはなにか別のものが必要であることになりますが、それは、いったいなんでしょうか。それは“光”です。光がなかったら、どんなに視力のいい目をしていてもなにも見えません。
『母と子の心霊教室』では、光とはいったいどんなものなのでしょう?みなさんの家には振(ふ)り子(こ)のついた時計がありませんか。あったら振り子の動くようすをよく観察してごらんなさい。右と左にいったりきたりして、休みなく動いていますね。
『母と子の心霊教室』また、もしピアノがあれば、あの大きなふたを開けて、キー(鍵盤(けんばん))をたたくと弦(げん)がどのように動くかを調べてごらんなさい。上下にはげしく動いているのがわかるでしょう。
『母と子の心霊教室』もっと気をつけてみると、高い音ほどはげしく振動(しんどう)していることにも気づくことでしょう。このような振動(しんどう)をバイブレーションといいます。つまり、ピアノの音はバイブレーションによって生じているのです。
『母と子の心霊教室』それと同じで、光もバイブレーションから生じているのです。つまり光も振動(しんどう)しているのです。ではつぎに、音はどのようにして聞こえるのでしょうか。それは、私たちの耳に音のバイブレーションを感じとる器官がそなわっているからです。
『母と子の心霊教室』そして音のバイブレーションには、はげしいものからゆるやかなものまでいく種類もあるのですが、私たちの耳はその1部分しか感じとることができません。
『母と子の心霊教室』あまりはげしく振動(しんどう)する高い音や、反対にあまりゆるやかすぎる低い音は聞こえないようになっているのです。これと同じことが光にもいえます。すなわち、光にも細かく振動(しんどう)するものから大きく振動(しんどう)するものまで→
『母と子の心霊教室』→いくとおりもあって私たちの目に映(うつ)るのはそのごく1部だけなのです(図を見てください)。振動(しんどう)の波の大きすぎる光の中には、人間の目には映(うつ)らずに、皮膚(ひふ)にぬくみを感じさせるものもあります。
『母と子の心霊教室』これは光線といわずに熱線といいます。そのほかレントゲン写真に使うX線(エックスせん)とか、ラジオや電話、あるいは電報などに使われる無線(電磁波(でんじは))というのもあります。さて、ここでラジオのことを考えてみましょう。
『母と子の心霊教室』みなさんがダイヤルをまわすと、いろんな放送局の放送が入ってきますが、スイッチを切ると、それきりなにも聞こえなくなります。では、聞こえないときは放送局が放送をやめているのでしょうか。そうではありませんね。
『母と子の心霊教室』放送局は放送を続けているのですが、みなさんのラジオがそれを受信するのを中止しているにすぎません。その証拠(しょうこ)に、もう一度スイッチを入れると、また放送が聞こえてきます。人間はちょうどこのラジオのようなものです。
『母と子の心霊教室』この地球上で生活している間は目・耳・鼻・皮膚(ひふ)・舌の5つの器官に感じられるものばかりを受信していますが、肉体を捨(す)ててエーテル界へ行くと、こんどはエーテル体に感じられるものばかりを受信するようになります。
『母と子の心霊教室』ですから、エーテル界にいる霊(れい)の姿(すがた)を見ようと思えば、肉体から出てエーテル界まで行かなければならないわけです。これで、ふだん私たちの目に死んだ人の姿(すがた)が見えないわけがわかったでしょう。
『母と子の心霊教室』また、目に見えないからそんなものは存在しない、と考えるのはまちがいであることもわかったでしょう。しかし、中には肉体をもっていながら、エーテル体をはたらかせてエーテル界を見物したり、その世界の人たちと話をしたりすることができる人がいます。
『母と子の心霊教室』はじめに紹介(しょうかい)したデービス先生もそのひとりですが、そのような人を“霊能者(れいのうしゃ)”とか、“霊媒(れいばい)”と呼(よ)んでいます。第3章では、そういった人たちについてくわしく説明することにしましょう。
-----
-----2章注釈
『母と子の心霊教室』【注釈(ちゅうしゃく) 心霊(しんれい)用語について―訳者(やくしゃ)】心霊学(しんれいがく)というのは、いまからおよそ140年前に、米国で発生した心霊(しんれい)現象がきっかけとなって発達してきたものです。
『母と子の心霊教室』そして現在までのところその用語は、古い神話や伝説の中で使われていたものに、新しい意味を加えて使用しているのです。そのために、古い用語についての先入観念(せんにゅうかんねん)が、正しい理解を邪魔(じゃま)することがあり、→
『母と子の心霊教室』→そのいちばんよい例が“霊(スピリット)”という言葉です。心霊学(しんれいがく)で霊(れい)といったときは、個性をそなえた実際の存在(そんざい)を意味しますが、一般の人は影(かげ)も形もないものとして受けとめる傾向があります。
『母と子の心霊教室』先祖の○○霊(れい)の供養(くよう)を欠かさない人が、心霊学(しんれいがく)でいう霊(れい)については、そんなものは存在(そんざい)しないといったりする、奇妙(きみょう)なことが生じるわけです。
『母と子の心霊教室』本書ではそうした点を考慮(こうりょ)して、死後の世界のことを「エーテル界」と呼(よ)び、そこで使用するからだのことを「エーテル体」と呼(よ)びました。英米でもそのように配慮(はいりょ)している人がいます。
『母と子の心霊教室』エーテルというのはetherealといい、“霊妙(れいみょう)な”とか、“天上的な”といった意味があります。じつをいうと、エーテル界には段階的に下から上へといくつもあり、それに応じてエーテル体にもいく種類かがあるわけです。
『母と子の心霊教室』そしてそれぞれに個別の呼(よ)び方をしているのですが、いまのべたとおり、その用語にはとかく先入観念(せんにゅうかんねん)がつきまといがちですし、本書は文字どおりの入門書である点を考えて、→
『母と子の心霊教室』→とくにやむを得ない場合をのぞいて、なるべく「エーテル界」「エーテル体」を使用しています。
-----
『母と子の心霊教室』全文掲載 第1章 「人間」とはなんだろう
-----1章01
『母と子の心霊教室』第1章「人間」とはなんだろう【1 真理を学ぼう】みなさんの住んでいる地球上には、よくわからないことがたくさんあります。その証拠に、みなさんはよく「あれは何?どうしてそうなるの?」という質問をしてお父さんやお母さんを困らせることがあるでしょう。
『母と子の心霊教室』あまりつぎつぎとむずかしい質問をすると「これこれ、いい加減にしないか。お父さんは今いそがしいんだよ」といって逃げていく、ずるいお父さんもいることでしょう。ですが、ほんとうはそのお父さんやお母さんも、子どものころはみなさんと同じようにたくさんの質問をして→
『母と子の心霊教室』→おじいさんやおばあさんを困らせたことがあるのです。では、そのように物を知りたがるのは、みなさんたち少年少女だけでしょうか。けっしてそうではありません。おとなも子どもも、男も女もみんな、わからないことを聞いたり研究したりすることがだいすきです。
『母と子の心霊教室』そして、毎日わからないことをいっしんに研究している人を「科学者」といいます。科学者にもいろいろあります。空の星のことを研究している人、植物のことを研究している人、人間のからだの構造を調べている人、ほかにもまだまだたくさんいます。
『母と子の心霊教室』こういう人たちは望遠鏡(ぼうえんきょう)や顕微鏡(けんびきょう)を使って、星や植物やからだについての正しい知識、つまり真理を学ぼうとしているのです。なぜ真理を学ぶのでしょう。
『母と子の心霊教室』それは、真理を知れば知るほど生活がゆたかになり、人間がしあわせになるからです。では真理を研究しているのは科学者だけでしょうか。けっしてそうではありません。美しい絵や楽しい音楽をつくっている人たち、この人たちもやはり絵や音楽についての真理を勉強しているのです。
『母と子の心霊教室』けっきょくみなさんのまわりにあるもの全部―机の上の本やえんぴつ、みなさんが着ている衣服、台所にあるガスやマッチ、壁にかかっている絵、これらはみな、真理を研究した人びとのおかげなのです。
-----
-----1章02
『母と子の心霊教室』【2 いちばんむずかしい問題】むかし、ある有名な詩人が「人間がまっ先に研究しなければならないものは“人間”である」といいました。少し変に思われますが、よく考えてみると、なるほどそうだと思います。
『母と子の心霊教室』人間については、昔から多くの偉(えら)い人たちがいろいろと研究してきましたが、これほどおもしろくて、これほどむずかし問題はありません。みなさんも人間について考えてみたことがあるでしょう。ない?そんなはずはありません。
『母と子の心霊教室』その証拠(しょうこ)に、みなさんはこんな疑問(ぎもん)をもったことはありませんか。「いったい、自分はどこから来たのだろう?」「ぼくのからだが、知らないうちにだんだん大きくなっていくのはなぜだろう?」
『母と子の心霊教室』「わたしとポチやミケとは、どんなところがちがっているのかしら?」「ポチやミケは、なぜ言葉が話せないのだろう?」「死んだらぼくたちはどうなるのだろう?」こういう問題は花や魚の研究よりずっとおもしろそうですね。
『母と子の心霊教室』ですがまた、ずっとむずかしそうでもあります。では、これからみなさんといっしょに、人間について少しずつ勉強していきましょう。
-----
-----1章03
『母と子の心霊教室』【3 生きているものは変化する】みなさんはすでに学校で、私たち人間のからだの成長のしかたや、血液・胃・筋肉などのはたらきについていろいろと教わっているはずです。
『母と子の心霊教室』ところが不思議なことに、人間のからだは1日ごとに、いえ1秒ごとにすりへり、すりへると思うと、すぐそのあとから新しいものができているのです。皮膚(ひふ)や頭の毛などは、ほとんど休みなしに死んだり生まれかわったりしております。
『母と子の心霊教室』しかし、いちばんながい部分になると、すっかり新しくなるまでに7年もかかります。そうすると私たちのからだは7年ごとに、まったく新しいからだに生まれかわっていることになります。
『母と子の心霊教室』このようにつぎからつぎへと変化していくことは、それが生きていることの証拠(しょうこ)なのです。死んだものは変化しません。たとえば、カシの木を植えると、しだいに背が高くなり、枝(えだ)もぐんぐん太くなっていき、毎年春になれば新しい葉をつけます。
『母と子の心霊教室』ところが、ためしにその枝(えだ)を切りとって、それでおもちゃのポストでもこしらえてごらんなさい。いつまでたってもポストの大きさは変わりません。それはポストに、カシの木を“生きさせて”いた生命(いのち)というものがないからです。
『母と子の心霊教室』生きているものはつねに変化します。植物・魚・虫・小鳥、どれをみても必ず変化しています。では植物を例にとって、それがどのように変化していくかをいっしょに見てみましょう。
『母と子の心霊教室』まず私たちがタネをまくと、そのタネから芽が出て、明るい方に向かってぐんぐんのびながら枝(えだ)をだし葉をつけます。やがて花が咲(さ)き、実(み)をつけます。
『母と子の心霊教室』その実(み)の中には前と同じタネが入っていて、それをまくと、ふたたび同じように芽をだし、同じように生長して、またおなじ実をつけます。植物は昔からこういう生活を数え切れないほどくり返しているのです。
『母と子の心霊教室』こんどは蝶(ちょう)の生活を見てみましょう。図を見て下さい。蝶(ちょう)の生活は卵からはじまります。その卵は植物の葉について、やがて幼虫(ようちゅう)がかえります。これをみなさんは“毛虫”と呼(よ)んでおります。
『母と子の心霊教室』しばらくすると、その幼虫(ようちゅう)は、自分の身体に糸のようなものをグルグルと巻(ま)きつけて、図3に見るような、まるい袋(ふくろ)をこしらえます。これをマユといい、毛虫の寝床(ねどこ)のようなものです。
-----
『母と子の心霊教室』その寝床(ねどこ)の中から、いよいよあの美しい蝶(ちょう)が出てきて、花から花へと飛びまわり、そのうち、どこかの植物の葉に卵を生みつけます。するとその卵からふたたび幼虫(ようちゅう)が生まれて、同じような順序をたどりながら最後にまた蝶(ちょう)になります。
『母と子の心霊教室』これが蝶(ちょう)の生活です。おもしろいことに、よく研究してみると人間にも蝶(ちょう)と同じような変化があるのです。私たち人間はお母さんのからだから生まれます。そのときは話すことも歩くこともできません。
『母と子の心霊教室』それが少しずつ歩けるようになり言葉も話せるようになって、ついには、地球上でいちばんすぐれた動物となります。もちろん大きくなっていくうちには、さっき説明したように、私たちのからだはつぎからつぎへと変化しています。しかし、その変化はいつまでも続くのではありません。
『母と子の心霊教室』いつかは、もうこれ以上新しくなれないという時期がやってきます。ところがありがたいことには、私たち人間は肉体だけでできているのではないのです。ためしにお母さんにたのんで、お母さんがまだみなさんぐらいの少女だったころの写真を見せていただきなさい。
『母と子の心霊教室』それをひと目みたみなさんはきっと「へー、これがお母さん?」といって、そのちがいに驚(おどろ)くことでしょう。顔・手・足、なにもかも今のお母さんとはずいぶんちがっております。
『母と子の心霊教室』なのに、お母さんはやっぱりお母さんであり、からだはすっかり変わっていても、どこかに少女のころと少しも変わっていないところがあることに気がつくでしょう。
『母と子の心霊教室』そうすると私たちは目に見える肉体のほかに、いつまでも変化しない“別のもの”があるにちがいないということになります。それはいったいどんなものでしょうか。
-----
-----1章04
『母と子の心霊教室』【4 人間は3つの要素からできている】じつは、心霊学(しんれいがく)が教えるところによると、人間には肉体のほかに「エーテル体」と「精神」のふたつの要素があるのです。肉体については学校で教わっているはずですから、→
『母と子の心霊教室』→ここではエーテル体と精神のふたつについて説明しましょう。まずエーテル体はふつうの眼(め)では見ることができませんが、肉体とそっくりの形をしていて、いつも肉体といっしょに動きます。
『母と子の心霊教室』生まれたときも肉体とおなじ大きさで、肉体が成長するにつれてエーテル体もいっしょに大きくなります。ただエーテル体には肉体にまねのできないふたつの大きな特徴(とくちょう)があります。第1は、けっして年をとらないことです。
『母と子の心霊教室』すなわち、肉体は年をとるとしだいに元気がなくなってきますが、エーテル体はいったん形ができあがるとけっして年をとらず、いつまでも若々しく元気にあふれています。第2の特徴(とくちょう)は、いつも完全であることです。
『母と子の心霊教室』すなわち、肉体はけがをすると傷(きず)あとができたり、事故のために足を折るとそのまま一生涯(いっしょうがい)不自由になってしまいますが、エーテル体はけっしてそういうことがないのです。さてこのふたつの特徴(とくちょう)をよく考えてみましょう。
『母と子の心霊教室』エーテル体はけっして年をとらない。いつまでも元気である。けがもしない。片足がなくなってもエーテル体の足はちゃんと残っている。そうすると人間は、たとえ肉体がほろびて地上からいなくなっても、今度はそのエーテル体を使って→
『母と子の心霊教室』→どこかで生活しているはずだ、ということにならないでしょうか。事実そうなのです。肉体はなくなってもエーテル体はけっしてほろびません。ですから地上でからだに障害(しょうがい)のあった人も、死んでつぎの世界へいくと完全なからだに→
『母と子の心霊教室』→もどることができますし、生まれつき目が不自由だった人も、立派(りっぱ)に物が見えるようになります。ほろびた肉体はそのまま土にもどってしまい、やがては植物の栄養分となって、ふたたび生きもののからだになっていきます。
『母と子の心霊教室』さっき私は、お母さんの子どものころの写真を見ると、顔やからだはすっかり変わっているのにどこかに少しも変わっていないものがあるといいましたが、ではその変わっていないものというのは、いったいなんでしょうか。
『母と子の心霊教室』それがじつは「精神」なのです。精神のはたらきにはいろいろあります。物事を考えたり、覚えたり、真理を研究したり、知恵(ちえ)をしぼったりすることは、みな精神のはたらきです。精神がなかったら手足を動かすこともできません。
『母と子の心霊教室』「生きているものは変化する」といいましたが、つぎつぎと新しくなっていくのも精神のはたらきがあるからなのです。そうすると精神は非常にたいせつなものだということになりますね。そうです。人間がもっているものの中で精神がいちばんたいせつなのです。
『母と子の心霊教室』その精神は私たちが地上にいるあいだ、つまり肉体を使って生きているあいだは脳(のう)と神経によって肉体を動かし、いろんな生活をします。
『母と子の心霊教室』しかし、さっきもいったとおり、肉体はいつか使えなくなるときがきます。そうすると精神は肉体を捨(す)てて、こんどはエーテル体を使って生活するようになるのです。
-----
-----1章05
『母と子の心霊教室』【5 「死」とはなんだろう】それでは地上にいるあいだはずっと肉体の中にいるのかというと、そうではありません。私たちがこころよい眠(ねむ)りにつくとエーテル体は肉体から離(はな)れます。
『母と子の心霊教室』その離(はな)れる距離(きょり)は近いときもあれば遠いときもありますが、どんなに遠く離(はな)れても、かならず銀色をした「生命の糸」によってつながれております。
『母と子の心霊教室』そのふたつのからだ、すなわち肉体とエーテル体とが一体となったときに目が覚めるのです。肉体から離(はな)れているあいだ、エーテル体は地上の遠いところへ見物に出かけたり、エーテル界(エーテル体で生活するつぎの世界)を訪(おとず)れたりしますが→
『母と子の心霊教室』→そのときのことを目が覚めてからはっきり思い出すことはめったにありません。しかし、ある人はいつでも自分のすきなときに肉体からぬけ出て、自分の思う場所へ旅行し、しかもそのときのことをあとで肉体にもどったときにはっきりと思い出すことができます。
『母と子の心霊教室』こういう人を「霊能者(れいのうしゃ)」といい、そういう現象を「幽体離脱現象(ゆうたいりだつげんしょう)」といいますが、これについてはあとでくわしく説明しましょう。では、もしその生命の糸が切れてしまったらどうなるでしょう。
『母と子の心霊教室』もちろん2度と肉体にもどれなくなってしまいます。「死んでしまった」というのは、生命の糸が切れてしまったことなのです。ですから「死」とはエーテル体が肉体を捨(す)てて、そのままつぎの世界で新しい生活をはじめる、→
『母と子の心霊教室』→その出発点ということができるのです。ここでもういちど、蝶(ちょう)の生活を思い出してください。毛虫はいよいよ蝶(ちょう)になる前は小さなマユの中にいますね。その毛虫をみなさんはまさか、かわいそうだとは思わないでしょう。
『母と子の心霊教室』なぜなら、なるほどマユの中はきゅうくつですが、もうすぐあの美しい蝶(ちょう)になって、広々とした花畑を飛びまわることができるのですから…。
『母と子の心霊教室』人間が死ぬということは、ちょうどこの蝶(ちょう)のように肉体というきゅうくつなマユからぬけ出るのと同じことなのです。別のたとえでいえば、夜に寝(ね)て翌朝(よくあさ)別の世界に目を覚ますのと同じようなものだと思えばよいでしょう。
『母と子の心霊教室』すると死ぬのが恐(おそ)ろしいという人は寝(ね)るのがこわい人ということになってしまいませんか。おかしいですね。そうです。死とはけっして恐(おそ)ろしいものでも悲しいものでもないのです。
『母と子の心霊教室』その反対にとてもしあわせな、すばらしいものなのです。なぜなら、こんどは地上よりはるかに自由で美しい世界で生活するのですから…。ところで、死んだらすぐに地獄(じごく)か極楽(ごくらく)へいくと説く人がいますが、これはまちがっています。
『母と子の心霊教室』私たちはただ肉体のかわりにエーテル体を使って新しい生活をはじめるだけです。その世界は地上よりずっと明るくて、気持ちのよい世界です。が、けっして遊んでばかりいる世界でもありません。さらに新しい真理を学びながら、いちだんと心の清らかな人間になるように努力するのです。
『母と子の心霊教室』かりにお友だちが亡(な)くなったとしましょう。きっと、みなさんは悲しくてならないでしょう。残念でならないでしょう。ですがけっしてそのお友だちのことを“かわいそう”だと思ってはいけません。
『母と子の心霊教室』なぜならば、お友だちはこの宇宙(うちゅう)から消えてしまったのではなく、今いったように、地上よりいちだん高い世界で、新しい生活を始めながら、いつかはみなさんも同じ世界に来ることを楽しみに待っているのですから…。これは非常にたいせつなことなのです。
-----
-----1章注釈
『母と子の心霊教室』【注釈―この世でうけた生命(いのち)はたいせつに―訳者(やくしゃ)】“浜までは海女(あま)も蓑(みの)きるしぐれかな”という俳句(はいく)があります。海女(あま)というのは海にもぐって魚貝や海草などをとる女の人のことですが、→
『母と子の心霊教室』→その海女さんの1人がこれから海へ向かって出かけようとしたら雨が降(ふ)りはじめました。すると、どうせ海にもぐってぬれてしまうのに、浜まではきちんと蓑(みの)を着ていった、というのです。これはなんでもないことのようで、とてもたいせつな事を教えております。
『母と子の心霊教室』この本を読んで、死後の世界のすばらしさを知ったみなさんの中にもし“だったら地上で苦しい思いをしないで、さっさと死んだほうがいいのではなかろうか”と考える人がいたら、それはたいへんなまちがいです。
『母と子の心霊教室』この本の付録で紹介(しょうかい)するシルバーバーチという3千年も前にこの世を去った霊(れい)が、そのながい霊界(れいかい)生活で知ったいちばんたいせつなことは、地上生活には地上でしか学べないたいせつなことがあり、それをきちんと身につけないで死ぬと、→
『母と子の心霊教室』→その足らないところを埋めあわせるために、霊界(れいかい)でいろいろとやっかいなことが起き、人によってはもう1度地上へ生まれてこなければならないこともあると述べております。
『母と子の心霊教室』仏教のお経(きょう)の中にも「人間としてこの世に生まれてくるのはとてもむずかしいことなのに、自分たちはいまこうして生まれてきているではないか。また、正しい真理を知ることもなかなかむずかしいことなのに、今こうして学んでいるではないか。」
『母と子の心霊教室』「もしもこの世でしっかりと身につけなかったら、いったいいつ身につけるのだ。いまのうちにしっかりと修養(しゅうよう)しようではないか」と説いているところがあります。みなさんもぜひ、そういう心がまえでたくましく生きていただきたいと思います。
-----
『母と子の心霊教室』全文掲載 訳者まえがき
-----訳者まえがき
『母と子の心霊教室』訳者(やくしゃ)まえがき 今から25年も前のことですが、私は英国から送られてきたこの本の原書を手にして、これはぜひとも翻訳(ほんやく)して、日本の少年少女のみなさんに読んでいただきたいと思いました。訳(やく)はその年のうちにできていたのですが、→
『母と子の心霊教室』→それがこのたびようやく単行本として出版していただけることになり、私は今うれしい気持ちでいっぱいです。出版までに、なぜそんなにながくかかったかといいますと、当時はまだ心霊(しんれい)知識が普及(ふきゅう)していなくて、→
『母と子の心霊教室』→少年少女向けの心霊書(しんれいしょ)をだすには早すぎたということです。それでその年はガリ版ずりにして、スピリチュアリスト(心霊仲間(しんれいなかま))のあいだだけで読んでもらい、それから数年後に、日本心霊(しんれい)科学協会の月刊誌(げっかんし)→
『母と子の心霊教室』→「心霊(しんれい)研究」に10回にわたって連載(れんさい)していただき、そして今回、それに全面的に改訳(かいやく)をほどこしたものを出版していただくことになったわけです。
『母と子の心霊教室』では、この本の出版をお願いすることになったのは、もうすでに正しい心霊(しんれい)知識が普及(ふきゅう)してきたからかというと、残念ながらそうではないのです。
『母と子の心霊教室』最近たしかに心霊的(しんれいてき)なことが、テレビや雑誌(ざっし)などでさかんに報じられるようになりましたが、困ったことに、正しい心霊(しんれい)知識よりも間違った心霊知識、あるいは危険(きけん)な心霊知識の方が多いように思えるのです。
『母と子の心霊教室』しかも、意外に多くの青少年が心霊的(しんれいてき)なものに関心があることもわかってきて、このままでは、日本の青少年がまちがった先入観(せんにゅうかん)を植え付けられてしまうのではないかと→
『母と子の心霊教室』→心配し、その正しい基礎(きそ)知識を教えてくれるものとして、この本を出版する必要性を痛感(つうかん)したのです。何ごとも基本が大事です。心霊的(しんれいてき)な基礎(きそ)知識を学ぶ本として、このパーマー先生の本は最高だと信じます。
-----
『母と子の心霊教室』先生は英国のパブリックスクールでながいあいだ教えられ、最後は校長先生までなさった方です。私はこの本を手に入れてから、翻訳(ほんやく)の許可(きょか)をいただくための手紙を書いたのがきっかけとなって、その後パーマー先生と数え切れないほど文通を交わしました。
『母と子の心霊教室』「日本語版に寄せて」を書いてくださったのもそのころのことでした。「日本は自然の美しい国だと知人から聞いて、私もぜひいちどこの世に生きているうちに行ってみたいと思っているのですが、ずいぶんお金もかかりそうですし、それに私もだいぶ年なので…」
『母と子の心霊教室』と、いかにも質素を第一とした、スピリチュアリストらしい手紙をいただいたこともありましたが、それから間もなく、今から10数年前に亡くなられました。しかし、先生の青少年への希望は、この本の中に、立派に生き続けていると思います。
『母と子の心霊教室』私は翻訳(ほんやく)にあたって、その中に書かれている心霊(しんれい)知識といっしょに、先生の青少年への温かい愛情を伝えたいと思って、訳(やく)し方にいろいろと工夫をこらしました。
『母と子の心霊教室』ところで、心霊学(しんれいがく)のことはこれがはじめてという方にとっては、信じられないことや理解できないことが多いことと思います。そこで理解のむずかしそうなところは、私が“注釈(ちゅうしゃく)”という形で初心者向けに解説をほどこしておきました。
『母と子の心霊教室』それから、こうしたことが信じられないという方には、私からつぎのことを申しあげたいと思います。人類はこれまでさまざまな“信じられないこと”を発見してきました。地動説(ちどうせつ)がそうですし、原子(げんし)エネルギーがそうですし、→
『母と子の心霊教室』→宇宙(うちゅう)ロケットがそうですし、電子工学(でんしこうがく)の分野にいたっては日進月歩(にっしんげっぽ)の勢いで発明・発見がなされております。みなさんは別に驚きは感じないかもしれませんが、それはそうしたことが常識となった生活環境の中にいるからです。
『母と子の心霊教室』しかし私たちの生活環境(せいかつかんきょう)は、よく考えてみると、大宇宙(だいうちゅう)から微生物(びせいぶつ)にいたるまで不思議なことだらけなのです。その中でもいちばんの謎(なぞ)はじつは“人間そのもの”なのです。
-----
『母と子の心霊教室』人間については、はっきりとわかったことはなにひとつないといってもいいのです。たとえば、なぜ人間は物ごとを“考える”のか。なぜ“よろこび”、なぜ“悲しむ”のか。夜“寝て”朝なぜひとりでに“目が覚める”のか。
『母と子の心霊教室』その人体ができあがるいちばん最初は、目に見えないほど小さな細胞(さいぼう)でした。それが大きくなって科学を研究し、芸術を鑑賞(かんしょう)し、文学を語りスポーツを楽しむという、じつにさまざまな活動をするようになる、→
『母と子の心霊教室』→その知性と才能とエネルギーはいったいどこから生まれてくるのか、みな謎(なぞ)ばかりなのです。そうした謎(なぞ)について、ああでもない、こうでもないと思いあぐねていたときに、それを見事に説き明かしてくれる新しい思想が生まれました。スピリチュアリズムがそれです。
『母と子の心霊教室』そのくわしい内容は、これからパーマーさんが説明してくださいますが、それを読むにあたってのたいせつな心構えについてひとこと述べておきます。
『母と子の心霊教室』地動説(ちどうせつ)を最初にとなえたコペルニクスは、それまでの天文学者がみな地球を中心に考えていたのを、心の中で自分を太陽へと運んでいき、太陽に立って各天体の動きを観察したら、すべてがあっさりと解決したといいます。
『母と子の心霊教室』そこから地動説(ちどうせつ)が生まれたのです。つまり太陽が地球のまわりを回っているのではなくて、地球が太陽のまわりを回っていることがわかったのです。これは、当時の人にはとても理解がむずかしかったはずです。
『母と子の心霊教室』その証拠(しょうこ)に、その地動説を支持したガリレイが宗教裁判(しゅうきょうさいばん)にかけられ、その説を改めるように強迫(きょうはく)された話は、みなさんもよくごぞんじでしょう。さて、これまでの人間の科学は、物質科学の1分野として扱われてきました。
『母と子の心霊教室』つまり人間は物質であって、それから精神が生まれるのだと考えてきました。が、スピリチュアリズムによってそれはまちがいであり、人間はもともと“霊(れい)”であって、その霊(れい)が肉体を道具として地上生活を送っているのだと考えるようになりました。
『母と子の心霊教室』そう考えてみると、すべてがなるほどと納得(なっとく)がいくのです。いってみれば、現代人はコペルニクスと同じ発想の転換(てんかん)が必要となってきたわけです。今までのような物質中心の物の考え方をしていては、スピリチュアリズムは理解できないでしょう。
『母と子の心霊教室』私は高校生のときにスピリチュアリズムを知ってから、30年にわたってこの思想を勉強してきました。数え切れないほどの原書を読み、そのうちの重要なものを翻訳(ほんやく)してきましたが、青少年向けの心霊書(しんれいしょ)としてはこれが最初で、→
『母と子の心霊教室』→しかも最高のものであると信じます。本書によって、みなさんが正しい心霊(しんれい)知識を身につけ、今後ますます多くなっていくことが予想される心霊(しんれい)情報を、正しく判断できるようになってくださることを望んでやみません。
『母と子の心霊教室』それがこの本を書かれたパーマー先生の願いでもあるのです。 1986年5月 近藤千雄(こんどうかずお)
-----
-----原著者のあいさつ
『母と子の心霊教室』【日本語版に寄せて―原著者(げんちょしゃ)のあいさつ】私は英国のある学校の校長先生です。ながいあいだ8才から18才までの少年少女を教えてきましたので、みなさんが“物を知ることがたいへんすきであること”、そしてまた、よくわからないことは→
『母と子の心霊教室』→“何でも聞いてみようとすること”もよく知っております。また私は“人間とは何か”ということを研究する「心霊学(しんれいがく)」について、おとなの人たちにたびたび教えてまいりました。
『母と子の心霊教室』ところがたいへん残念なことに、おとなのための心霊(しんれい)の本はたくさんあるのに、みなさんのような少年少女のための心霊(しんれい)の本がほとんどといってよいほどないのです。これではいけないと思って書いたのがこの本です。
『母と子の心霊教室』ほんとうのことをいうと、私がこの本を書き始めた時は、英国の少年少女のことばかり考えておりました。まさかこの本が、遠い日本のみなさんにまで読んでいただくことになるとは、夢(ゆめ)にも思わなかったからです。
『母と子の心霊教室』ですが、英国の子どものためになるものは、きっと日本のみなさんにもためになるにちがいありません。おしまいにひとつだけお願いがあります。それは、ひと通りこの本を読みおわったら、こんどはこの本に書いてあることを基礎(きそ)として、自分自身でどしどし勉強して→
『母と子の心霊教室』→いただきたいということです。この本に書かれたことは、人間についての知識のほんの一部にすぎません。私にも、書きたいと思いながら書けなかったことが山ほどあるのです。どうかみなさんも自分で本を読んだり実験したりして、人間についてなるべく多くのことを学んでください。
『母と子の心霊教室』そうすれば「死ぬ」ということがつぎの世界への入り口であること、また、今でもその世界のお友だちがみなさんを助けてくれていることが、ますますはっきりとわかってくることでしょう。 1960年4月 チャールズ・パーマー
-----
■2014年1月10日にUPしたブログ「Dreamwork(ドリームワーク)について」
過去ブログ「みなさまへ。」でも書きましたが、僕は幼少の頃から現在に至るまで、ずっとひとつの衝動に突き動かされてきました。それは“自分の作品を描きたい”という、魂の深奥から湧き上がる根源的なメッセージでした。
デザインの職場を転々としながら、僕は仕事に追われて一向に自分の作品が描けない事に猛烈なフラストレーションを感じて日々を過していました。しかし、自分の作品ばかり描いて仕事をせずにいては生活が成り立ちません。デザイン系の仕事は大抵都内で、通勤時間がどうしても往復3~4時間掛ってしまいます。さらにこの手の仕事は残業がとても多く、帰宅した時は疲れ切っていて、そこから「よし!自分の作品を描くぞ!」とはどうしてもならず、明日のためにお酒を飲んで寝る…こんな生活サイクルなのでどうしても自分の作品を描く時間を捻出できないのでした。
しかし魂の深奥から湧き上がる“自分の作品が描きたい”というメッセージをどうやっても拭い去る事ができず、いつしか僕は、自分の作品を描くために仕事、生活、その他のあらゆるものを犠牲にして作品制作に没入する、という夢を抱き始めたのです。その夢の事を僕は「Dreamwork(ドリームワーク)」と呼んでいました。
僕はこのブログにて、自分が日々浴させて頂いている霊的現象について徹底的に公言しまくっていますが、今回は視点を変えて、僕の霊性発現前の生活の様子について書いてみようと思います。僕のブログ、ツイッターを見て下さっている方々の中に「どうやったら霊性発現できるのだろう?どうやったらインスピレーションを受取ったり霊の声を聞けるようになるのだろう?」という疑問を抱いている方がおられるかも知れません。僕が霊性発現に至った直接の原因であるこのドリームワークについて知る事で、そのヒントを得られるかも知れません。
上記に書いた通り、僕は自分の内部からの声に次第にあらがえなくなっていき、その頃得ていた幾ばくかの霊的知識に照らし合わせて「僕は自分の作品を描くために地上に降下したんだ、だからこんな描きたい衝動が続くんだ、これこそ僕の道なんだ」次第にそう思うようになっていったのです。しかし自分の作品を描くためには“制作時間”を生み出さねばなりません。デザインの仕事を続ける限り制作時間を生み出す事が不可能であるのは上記に説明した通りで、僕は何とか他の方法がないものかずっと考えていました。
仕事もちゃんとやって生活の糧を得つつ自分の作品を描く時間も確保する…これは相当に高いハードルでした。この時期、現実の生活とドリームワークとの間で心が揺れまくりながら、あらゆる職場に面接に行きました。しかし仕事は一向に決まりませんでした。が不思議な事に、面接に落ちるたびに僕は心のどこかでホッとしているのでした。「ここに就職してもまた以前のように自分の作品が描けないフラストレーションに苛まれる」という考えがあったからだと思います。
そして考えに考えた結果、僕は一大決心をしました。仕事もして生活資金を得つつ、作品の制作時間も確保する方法はもうこれしかないと思ったのです。それは地元の、通勤時間の掛らない、しかも残業が発生しない仕事を選び、勤務時間は生活が成り立つギリギリの短さにして、それ以外の時間を全て作品の制作に当てる…という決断でした。僕の地元に、こういうデザインの仕事はありません。つまり、僕は自分の作品を描くためにデザインの仕事を捨てたのです。これはずっとデザインの世界で生きてきた僕にとって、まさに“崖からダイブする”に等しい破天荒極まる決断だったのです。
仕事を選ぶにあたり僕が考慮した点はただふたつ。家から近い事と残業せずにすむ事。そういう視点で探してたどり着いた仕事は、デザインの要素が1ミリたりとも無い、クリエイティビティを発揮する要素が1ミリたりとも無い、今まで僕が果てしなく学び続けてきたPhotoshop、Illustrator等のデザインのスキルを全く必要としない、僕にとって究極に“無意味”な仕事でした。
こんな事を書くのはどうかとも思いますが、僕は過去、ある職場で「グッドデザイン賞」を受賞した事もあります。グッドデザイン賞とは、日本のデザイン界で最高の賞、そんな認識でいいと思います。そんな、グッドデザイン賞をとった僕が、こんな場所でこんなデザインと何の関係もない仕事をしている…。この時、僕の心にわずかに残されていたプライドが音を立てて崩れ去っていったのでした。
その、ドリームワークのためにやむなく選択した、デザインと何の関係もない仕事、その職場で着る白い服の事を僕はずっと「囚人服」と呼んでいました。そしてその職場で働く時間の事を僕はずっと「刑期」と呼んでいました。そう呼んでしまうくらい、その職場での仕事がイヤでイヤで仕方ありませんでした。正直に書きますが、デザインの職場にいた時と比べて、収入はほぼ半減しました。その職場で働き始めた当初は、僕にその仕事に対する愛着がゼロだった事、デザインの仕事への未練等もあってミスの連続で、叱られてばかりいました。
しかし僕はグッと…グッとこらえてひたすら低姿勢を貫きました。全てはドリームワークのため、自分の作品を心のまま思いっきり描くため。僕はデザインの仕事を捨ててこんなデザインと何の関係もない仕事に移ってまでも、どうしても!どうしても!!どうしても!!!自分の作品が描きたかったのです。来る日も来る日も僕は心の中で唱え続けました「何としても自分の作品を描くんだ、そのためには何が何でもこらえろ」と…。
そんな収入不足の厳しい生活が続く中、何とかその時使用していた“旧PC”よりも高性能のPCを購入し、そのPCでいよいよ自分の作品、1作目を描き始めたいともがいていたのですが、描く時間を減らして勤務時間を増やす事がどうしてもイヤで、僕は待ち切れず遂に性能の劣る“旧PC”でドリームワークを強行スタートする決断を下したのでした。そしてこの時と時期を同じくして“山を愛する画家・たきざわ彰人”としてのブログとツイッターを開設したのでした。
こうしてかなり強引に作品制作をスタートさせましたが、それ以前から果てしなく行っていた“山へのアタック”が、自分の作品のクオリティ向上に大いに意味を持つようになっていきました。作品数を増やすためには“アイデアストック”が必要です。そのアイデアは全て山にアタック中に撮ったデジカメの画像や、苦しさの中で考えた事、また、この時期も少し読んでいた「シルバーバーチの霊訓」の内容が深く関わっていたのです。僕の絵には“ストーリー”が付随しています。そのストーリーは霊訓の内容を僕なりに咀嚼して考えたものがとても多かったのです。
僕は自分の作品を描くにあたって、絶対に“手抜き”をしませんでした。旧PCの性能の限界、そして自分のその時点での想像力、表現力の限界の限界までしぼり出して絵を描くと固く心に誓っていました。それはそうです。自分の心の声に従うためにあらゆるものを犠牲にしてドリームワークに突入したのに、ここで横着して適当な絵でも描こうものならドリームワークの“意味”そのものが吹き飛んでしまいます。なので1枚描きあげるのにとても時間がかかりました。
でも僕はようやく自分の作品を心のまま、思うままに描ける事に大きな喜びを感じていたのです。デザインの職場でどんなに頑張って仕事をしても、仕事での制作物は全て会社のものであり、最終的には全て手放さねばなりません。僕はそれで過去、大いに悔しい思いをした事があり、そんな経験も手伝って、苦しい生活を送りながらも、自分の作品に没頭できる事に幸せを感じていたのです。そして1作、1作と描きあげるほどに僕の絵のクオリティも確実に上がっていくのが実感でき(あくまで個人的所感ですが)ますます僕は燃えるように絵に没頭していったのでした。
“絵”と比例して、山へのアタックも加速度的に過酷さを増していきました。何しろ毎週必ず山に行って限界まで身体をしぼり続けていましたので当然体力がつく訳です。とにかく一度も休みませんでした。1年は52週間ですので年52回アタックしていた訳です。僕のスタミナ、そして足まわりはどんどん強化されていきました。
そして僕は常に、日の出3時間くらい前に登山道入口を出発して、真っ暗闇、暗黒の森の中をヘッドライト、ハンドライトで照らしながら単独でガンガン上り(僕は常に単独行です)日の出前、最も気温が低い時間帯に、その日のコースの中で最も標高の高いポイントに到達して、朝日と共に稜線上を駆け回り、ほぼノンストップで8~10時間登下降を繰返してゴールする…こういうアタックの手法だったのです。現在ももちろん続けています。
スタートから最初の3時間の暗黒の時間帯、ナイトアタックと僕は呼んでいますが、シルバーバーチ霊も言っています「光と闇は表裏一体」と。闇を知らずして光にはたどり着けない、そんな考えから闇の中を進み始めたのですが、もちろん最初は恐怖感でいっぱいで、毎週ふるえながらのアタックでした。しかし、しかし、自分でも驚いたのですが、果てしなく繰返すほどに僕の心の中から“恐怖心”がどんどん消えていき、しまいには“闇がないと退屈”と思えるほどになったのです。
この“恐怖心”が心の中から消えた事で、絵の描き方も変わっていきました。普通ならやらないような作業負荷の高い描画法、それに挑戦する勇気みたいなものが沸いてきて、僕の作品の描き方はさらにさらに細かく、徹底的に細部にまでこだわった表現へと変わっていったのでした。「そんなめんどくさい大変な描き方なんかしなくても、もっと簡単な方法があるでしょ?」僕がしていた描き方は、まさにこういう風に突っ込まれそうな描き方だったのです。
しかし、ナイトアタックにより恐怖心を克服し、作業負荷の高い描画法で描く勇気を得たおかげで、作品のクオリティはさらにさらに上がっていき、苦しい生活と苦しい作業負荷にもだえつつも、心は「僕はここまで描けるようになっている!」と喜びに打ち震えたのでした。
ちなみに僕は山で数回“ひらめき”とも言えるような体験をしています。その時はもちろん現在のように霊性発現していませんので、詳しくは理解できなかったのですが、今にして考えれば、それは間違いなく守護霊様からのインスピレーションであったと理解できるのです。その“ひらめき”のうちのひとつを過去ブログ「幼稚な反逆の果てに」でも紹介しています。もしよければ読み返してみて頂きたいと思います。
ナイトアタックと同じく僕が重要視しているものが“雪山アタック”です。ドリームワーク突入前、2009~2010シーズンに人生初の雪山アタックをスノーシューにて敢行しました。そしてここで僕の霊的知識の理解に大きな助けとなる“習慣”が生れました。アタック前日の夕方頃に登山道入口に到着して、車内で寝袋に入りながら3時間ぐらい「シルバーバーチの霊訓」をじっくりしっかり読み、その後眠り、日の出3時間前にスタートする、という“車中泊”です。
この車中泊を毎週行った事で、普段は仕事に追われてなかなか読み進められない「シルバーバーチの霊訓」を、週に1回必ず“どっぷり”読む時間を作れるようになったのです。この車中泊の習慣は本当に大きかったと思います。前日の夜に読んだ内容を反芻しながら山の中をハイスピードで息あがりまくりでアタックしていたのです。苦しみの中でシルバーバーチ霊の言葉に何度背中を押された事か。特に僕が気に入っていた言葉は『真一文字に突き進みなさい』でした。この言葉はドリームワーク突入後の作品制作の苦しさからも何度も僕を救ってくれました。
※ちなみに、この雪山アタックで1度遭難しかけた事があります。過去のmixiアカウントでその時の様子を日記に書きました。そのテキストを保管してありますので、せっかくですのでここに原文のまま紹介してみたいと思います。これをお読み頂ければ、僕がどんなアタックをしていたのか、その雰囲気を感じて頂けるのではと思います↓
-----
ヘブン↑ヘル↓ヘブン↑ 2010年01月18日15:12
※まず、最初にご報告します。今回(日曜日)のアタックで、危うく遭難しかけました。。。日記は長文になってます、スミマセン…m( _ _ )m
家庭内の事情で、殆ど仮眠できずに向かった今回(日曜日)のアタック。いつものようにロープウェイ山麓駅でスタート前の仮眠をしようとしたのですが、なんという超低温((( ;゚Д゚)))車内にも関わらず震えが止まらない。あまりの寒さに「今日はこのまま帰ろうか」という考えまでよぎる始末(苦)結局睡眠不足のままスタート…しようとしたら、イキナリハイドレーションが凍ってる!!(本気驚)車内は一体何℃だったんだ!! (´д`)急遽ヒーターでチューブを温め、ムリヤリスタート☆
ただ、いざスタートしてみれば今日の天候がモチベーションをトコトン上げてくれました( ゚д゚)♪美しい、本当に美しい朝焼け…(麗)今シーズン一番の画像が撮れるかも知れないと、寒さを無視して上り続け、山頂駅を越え、北横岳に向かう。(画像01→画像ではなかなか伝わらないかもしれませんが、今回の朝焼けの美しさは感動モノでした( ;∀;)☆)
木の枝に積もったパウダースノーがダイヤモンドダスト気味にサラサラ舞い落ちる中、北横岳山頂に到着。ココに至るまでの道のりも、山頂での光も本当に美しい…(画像02→雲ひとつないドピーカン☆寒さに負けて帰らなくて良かったヽ(´ー`)ノ)しばし山頂の景観を堪能♪「何コノ美しい惑星♪」などと思いながらさらにその先を目指します。
しかし、ココからでした。北横岳以降、踏み跡が一切無くなり、新雪を切り裂いてラッセル気味に下るトレイルが延々と続く事になります。今週末はずっと天気が良かったので、土曜のうちにハイカーの方々によって踏み跡が付けられて、安心して進めるのではとの思いから今回日曜スタートにしたのですが、出会う人なし、踏み跡一切なし、ズブズブの新雪で、時々見つけるリボンのみがルート確認手段という状態がずっと続きます。。。「ヤヴァイかなぁ、切り込みすぎかなぁ、引き返すなら今かなぁ…考」などと自問自答(゚Д゚;)
そうやって悩んでるうちに岩場へ突入。何度か足が岩と岩の間に“ズボッ”と入る。雪の下の岩の状況は全く分からない。岩の隙間に体ごと入ってしまうかもという恐怖を抱えつつ、「モチツケ!!」と自分に言い聞かせてハイドレーションで給水しようとしたら、チューブ全体が凍ってコンクリートみたいになっている。・゚・(ノд`)・゚・。ココまで凍ってしまってはもう修復不可能。凍結防止のあらゆる手段を講じても、それを越える低温が襲いかかって来る。もうどうしようもないのだろうか。性能の限界なのだろうかと、アレコレ考えつつ給水無しのまま先へ進む。。。
今まで何とかリボンを頼りに進んできたものの、あるポイントでついにルートがわからなくなってしまう。地図によれば、ココから小屋まで距離は僅かのはず。高台から林の向こうを覗くと、拓けた双子池と小屋が僅かに確認できる。道は発見できない、でももう目と鼻の先に小屋がある。何とか先に進みたかったのですが、道がわからないんじゃしょうがない。コレは引き返し時だなと判断し、今まで自分が付けてきた踏み跡を辿って戻ると決めました。
しかし、新雪の急斜面を上ろうとした途端状況が一変。。。足を上げても上げても雪が崩れて体が下に落とされてしまう。しばらく格闘しましたが、全く上れない。「上って帰るのは不可能」…コノ事実を突き付けられ、次第に私は冷静さを失っていきます。「あとちょっとなんだ、もう下るしかない!」とコンパスを取り出し、高台から小屋の方向を確認、眼前に広がる林を一直線に下る事を決断しました。
誰もいない、何も頼るものもない、360度の白の中に異質なオレンジがひとつ。「ドクッ、ドクッ」と、自分の心臓の音が聞こえる。コレカラ道なき林の中を突っ切る、上っては帰れない、ココを下るしかないと、思考がどんどん狭められていきます。これが「パニック」というものなのだろうか?人々はこういう状況に陥ってケガをしたり遭難したりするのだろうか?
「遭難」という言葉が頭に浮かんだ瞬間、全身に電気が走って雪の上にしりもちをついてしまう。
でももう行くしかない。今まで感じた事のない恐怖を無視し、コンパスを片手に林の中にアタックしていきます。今自分が下っているルートは、間違いなく普段人が通るルートではないとわかる景観。雪に埋まり、つんのめりながら双子池と小屋のある方向へ一直線に下って行きますが、途中コンパスを新雪の中に落として見失ってしまう。「ハァ、ハァ…」しかし何故か雪をほじくってコンパスを探そうとしない自分。「距離は大した事ない、大丈夫だ、コッチに下るんだ」と、そのまま下り始める。頭の片隅で「ヤッパリ自分はパニック状態に陥っている」と再認識。
途中何度も腰や胸まで埋まり、スノーシューが枝か何かに引っかかって抜けなくなり、無理に引き抜こうとしてふくらはぎが攣りそうになる。こんなとこで足にダメージを負う訳にはいかない。距離は短い、時間もまだ午前中でたっぷりある、なにより好天で無風。道こそ見失っているものの、そんなに慌てる必要はない。頭では分かっているんです。なのに息アガリマクリでバタバタと下ってしまう。
セルフコントロールができないままもがくように下って行くうち、林の隙間から僅かに雪原のような双子池のシルエットが見え隠れ。「落ち着け、慌てるなオレ!!」呪文のように自分に言い聞かせながら、何とか林を下りきり、無事双子池に脱出できました。。・゚・(ノД`)・゚・。短い距離と時間ではあったものの、白の世界でひとり道を見失う恐怖がどれほどのものなのか、そして山でのパニックというものも人生で初めて知る事となりました。その後、ヘロヘロの体でやっと林道につながる分岐に到着…これでもう道迷いの心配はない (((´・ω・`) (画像03→林道分岐にて「ダメー!」のポーズ泣)
その後、雪崩の跡が残る林道を進みながら、モウヒタスラ大反省会。。。今回は本当にこの天候に助けられたなぁと。。。もし先週のようなホワイトアウト状態で道を見失っていたら、違う結末だったかも知れない…(´Д`ノ)ノ怖 せっかくの美しい白と青の間を、コンナ気持ちで通らなければいけないなんて。。。もっと楽しい気持ちで今日を送るつもりだったのに。。。北横岳以降の判断の甘さをタダタダ反省しきりでした。
そんな時、たまたま出会ったスノーシューのハイカーの方に「どちらまでですか?」と何の気なしに声をかけたら、その男性は口をパクパクさせながら手を振っている。ん?コレはもしや?と思い「聾の方ですか?」と手話で返すと、その男性はびっくりした様子で「手話できるんですか?」と返してきてくれて、そこからものすごい久しぶりに手話を使って会話する事に☆
手話を使わなくなって久しいのでかなり忘れてる部分がありましたが(;´∀`)車で日帰りで来てますとか、今日は上の方で最高の写真が撮れますよとか、そんな事を話しマシター(〃▽〃)キャー♪ヤッパ手話は楽しいなぁと、以前勉強していた時の気持ちが蘇り「手話技能検定3級」を取った事も無駄ではなかったと改めて思う事が出来ました☆別れ際に、聾の男性が何度も「手話ありがとう」と言ってくれて、さっきまでの沈んだ気持ちが少し晴れたような気がしました♪こちらこそホントにありがとうございました!!ノ(´д`*)♪イヤシカシ、スノーシューと手話がリンクするとは夢にも思わなかった(照考)
偶然の聾の男性との出会いのおかげでやっと気持ちも元気になってきて、山頂駅からの下りで少し走ったりして、美しいトレイルを堪能する心の余裕も生まれ、1日の間に数日分の経験をしたような気だるさに包まれつつ、無事に、ホントに無事に(汗)山麓駅にゴールしました。。。ノ(´д`*)マイッタ
ハァ…もう、何とも一言では言いきれませんし、ホントは自重すべきなのでしょうが、それでもやっぱりまた行くと思います。。。モチロン今まで以上に細心の注意を払って(-Д-) コレに勝る「学び」はないと思うから…(祈)
長々と読んで下さった方、ありがとうございました☆(゚∀゚)☆
長文失礼致しました(*_ _)/
-----
…はい。現在の僕とかなり文章の書き方が違いますが(照汗)僕はこんな無謀なアタックを果てしなく×100繰返していたのです。車中泊にて「シルバーバーチの霊訓」を毎週読みながら。それにしてもこの時の僕は、未来の自分がこんな霊的状況に突入するとは夢にも思っていなかったのです。ただがむしゃらに山へのアタックを繰返して自分の心と身体を鍛え、ドリームワークに突入する方法を日々模索していたのでした。
さて話はドリームワーク突入後に戻ります。果てしない山へのアタックと、高負荷の作品描画によって、僕の日常生活における苦悩は加速度的に上昇していきます。しかし上記にも書きました『真一文字に突き進みなさい』僕はこの言葉をそのまま実行していたのです。何が何でも!何が何でも!徹底的に!自分の作品をクオリティにこだわって描きまくっていたのです。デザインの職場にはもう戻らない、自分の作品を何としても描き続ける、と。そしていつしか、僕の心の中に新たな“夢”が生れたのです。
それは、長野県民になって北・南アルプスを攻めまくりながら画家として生涯を送る、そして100歳ぐらいまで生きて生涯1000作品を描く…というものでした。イヤでイヤで仕方ない、デザインと何の関係もないあの職場の囚人服を脱ぎ捨て、刑期を満了して、山の麓で画家として作品のクオリティを日々追求しながら暮らす…きっと最高に苦しい日々だろうけど、でもこんな風になれたらどんなに素晴しいだろう…こんな事を考えながら来る日も来る日も旧PCに向って描きまくっていたのでした。
車中泊を含んだ山へのアタックはさらにさらに続きました。身体の面ではスタミナ及び足まわりが以前の自分では考えられないほど強靭になり、どんな急斜面でもガンガン上れるようになっていきました。そしてどれだけ激しくアタックしても翌日に足が全く筋肉痛にならず、ヒザも全くノーダメージでした。2012年7月頃が僕の身体のピークだったと思います。現在はそのピークからだいぶ落ちてしまってはいますが。
そして心の面でも強靭さが増していき、高負荷の作業を恐れる事なくさらにさらに高精細な作品制作へと突入していったのです。そしてこの時さらに、僕の作品は01~37作までは“A4”サイズなのですが、思い切って作品サイズを“A2”まで上げる計画も立てていました。A2はA4の4倍の大きさです。描画の負荷も4倍になります。A4のキャンバスで描いている現在でさえこれほど厳しい状況なのに、僕はさらなる壮絶な作業負荷を自分にかけようとしていたのでした。
そしてそして、自分の絵を描くので精一杯の状況の中でも“車中泊”のおかげで毎週「シルバーバーチの霊訓」を読み続ける事ができた僕の霊的知識の理解度は段階的に上昇していき、読み始めた当初の「ふぅん、そんな事もあるんだ」ぐらいの理解から「霊が本来の自分で肉体は自分ではない」という霊的真理の初期的段階の理解に到達しつつありました。1冊ずつ、少しずつ買い足していった「シルバーバーチの霊訓」の書籍が、この頃ようやく1~11巻まで揃い(12巻はこの時は買うつもりはありませんでしたが霊性発現後に購入しました)霊的知識の理解がさらにさらに進んでいったのでした。
しかし、生活は一向に改善しません、苦しみは増すばかり。それはそうです。絵を描く時間を確保するために勤務時間を最小限に抑えていましたので、収入が増えるはずがないのです。作品制作においても、僕は一切妥協せずに自分に対して高い作業負荷をかけ続けていましたので、1作品仕上げるのにもとても時間が掛るようになってしまいました。そこで、これ以上作品のリリーススピードを落とさないために、日常生活のあらゆるものを“切り捨てる”事で強引に絵を描く時間を確保し始めたのです。
例えば、日常生活のあらゆる事象に“プライオリティ”をつけ、これは生活に絶対必要(食事等)これはなくても生活は可能(テレビを見る等)といった具合に分け、プライオリティの低いものは一切やらない、いわば“切り捨てる”訳です。すると切り捨てた分の時間が捻出できますのでそれを作品制作にあてる、といった感じで、生活全体を見直して切り捨てられるファクターは徹底的にやらない、そしてそのぶん描く、という事までやっていたのです。
33~37作を描いていたあたりは、A4からA2キャンバスに移行したくて悶々としながら旧PCで作業していました。A4キャンバスで作品を描いている現状で既に旧PCの性能の限界値にきており、どう考えても旧PCでA2作品を描く事は不可能でした。しかしA2作品を描くための、より高性能の新仕事PC「シルキー」を購入するためには絵を描く時間を犠牲にして、あのイヤでイヤで仕方ない仕事の勤務時間を増やさねばなりません。その完全に板ばさみの状況に、ある日、僕は職場で思いっきり“キレた”のでした。
…と言っても暴れたとか大声を張り上げたとかではなく、あくまでも“心の中”でのお話です。僕はこの時点ではもちろん霊性発現していなかったので自分の背後霊団の事を全く認識していませんでした。しかし車中泊によって「シルバーバーチの霊訓」の知識がかなり頭に入っていましたので、きっと自分にもいるんだろう、ぐらいには思っていたのです。そしてその背後霊団に向って僕は心の中で思いっきり叫んだのでした「もうパワー(霊力)だけ送ってくれ!使い方はコッチで決める!」って感じで。
苦しみが増すばかりで一向に改善しない描画環境に、僕はこんな感じで幼稚にキレてしまったのでした。そしてその日の仕事が終って帰宅し、旧PCの電源を入れたら…モニタはずっとブラックアウト…旧PCは一向に立ち上がりません。その後もいろいろ試しましたが結局“旧PC”は2度と立ち上がる事はありませんでした。
このクラッシュのタイミング…僕は背筋がゾクゾクしていました。旧PCは自分の背後霊団の手によって起動不能にされたのではないか?その考えを心から拭う事ができませんでした。車中泊のおかげで、霊の力でこの程度の物理現象を起こす事などたやすい、という事も知識として知っていましたので、旧PCは霊団の霊力によってクラッシュしたのでは…そう感じたのでした。
眠りについた旧PCを見つめながら、僕はこれからどう動くべきか考えていました。すると次々とアイデアが浮かんできて、僕はネット用ミニノートPCを引っ張り出してあれこれ調べ始めました。僕が旧PCクラッシュを受けてとった次の行動とは…新仕事PC「シルキー」をローン購入するために現在の週5日の勤務を週6日として、1日の休みにも必ず山にアタックする…というものだったのです。あんな幼稚に“キレて”しまうほど過酷極まる現状なのに、僕はさらなるさらなる激しい試練を自分に課す事を決断したのでした。
この決断をした事によって僕の生活は完全に休みなしの過酷の極致の状況に突入したのです。しかし僕はドリームワークに突入して以降、ツイッターでいつもいつもこう書いていました。「1歩も退く気はない」と。なのでこの時も「何としても自分の作品を描き続ける」という心の底からの願望を曲げる事はしなかったのです。それ以降の生活は、もう…目も回る状況、毎日が火の車、といった感じで、作品制作と仕事と雑務に追われまくって1秒たりともじっとしていない、まさに記憶も飛ぶような生活を送っていたのでした。
この「シルキー」を購入する計画を決めた週の奥多摩山塊アタックの時、僕は初めて自分の背後霊団に向って、真っ暗な空を見上げながら声に出して「旧PCクラッシュ、むしろありがとうございました」と宣言したのでした。この時が初めて自分の背後霊団をありありと認識した瞬間でした。といってもまだ霊力を感識するまでには至っていませんでしたが。
そして今にして思えば、この旧PCクラッシュを受けてどの方向に動くかという“分岐”が、僕の背後霊団が仕掛けた霊性発現に向けての“最終選択肢”であったのだと認識するに至ったのでした。そしてその選択肢で僕は正しい選択をした…という事なのでした。
そしてそして、週6で仕事して1日の休みに山にアタックし、描画ペースも落とさないという生活を怒涛のように送っていたこの時期から、僕の体質が明らかに以前と変わり始めるのが分りました。それ以前から肉はあまり食べない生活だったのですが、かろうじて鶏ムネ肉だけは食べていたのです。しかしある時、その鶏肉を口に入れた時、何とも表現しようのない“不快な味”を感じたのです。それがきっかけで肉類が完全に食べられなくなったのでした。魚についても同様の“不快な味”の体験をして食べられなくなり、僕は何て言うか、自動的といった感じで野菜中心の食事に変化していったのでした。
ホワイト・イーグル霊の霊言、M・H・テスター氏やM・バーバネル氏の書籍の中にもこの“食事”について言及している部分があります。僕は意図せずホワイト・イーグル霊の語る食生活に突入していった…という事なのです。ドリームワークを開始して果てしなく山へアタックし、自分の作品を描きまくるという生活を送る事によって、僕の霊体が次第に変化していった結果なのだと思います。
そしてある時ぶっ倒れました。ま、当然ですね。完全に休みなしでしたから。仕事を早退させてもらって、ごはんも食べず丸1日ぐっすりたっぷり眠りました。それでケロッと全快しました。そして週5日に戻しました。そして新仕事PC「シルキー」を購入し、ついにA2作品の描画に突入していったのです。ちなみに、シルキーを購入するまでの、PCが無かった期間にアナログ絵の38、39作を描きました。描くのを中断したくなかったんですね。
さあ、そしてついにココからです。A2作品の描画に突入してからが凄かったのです。まずA2の最初の作品、40作は失敗作でした。それはA2キャンバスの上でA4の作品と同じ描き方をしてしまったからです。つまりA4の絵を拡大してキメが粗くなったような、全体が薄まったような、そんな描き方をしてしまったのです。要するにA2の広大なキャンバスに“恐れ”をなして、負荷の少ない手抜きな描き方をしてしまったのです。これではA2キャンバスに突入した意味が無い、A4の4倍の作業負荷を恐れる事なく広大なキャンバスを細かく描き進めなければならない事を思い知らされたのでした。
そしてついに描き始めた41作。過去ブログでも少し書きましたが、この41作、そして42作、この2作品は僕のアイデアストックに一切なかった作品で、ほぼ全てインスピレーションに従って描いたのです。A4の4倍の作業負荷に身を浸しながら描き続けている時、突然「あ、こういう風に塗ったらいいんじゃないか」って急にひらめいたり、突然ペンツールの新しい使い方を発見したり、朝、目覚める直前にイメージが降ってきて「あ、そう描けばいいのか」と理解したり、ストーリーの内容が自然と頭に浮かんだり…41作42作描画時はひたすらこんな感じだったのです。
今にして思えばあの時既に守護霊様からのインスピレーションを複数受取らせて頂いていたのだと、霊性発現後になって改めて理解したのです。そして実は41作42作の“ストーリー”も、守護霊様から僕にあてて送られたメッセージであった事が後になって分ったのでした。要約すると、41作は「間もなく帰幽しますよ」42作は「霊団の導きに謙虚な心で応えなさい」というメッセージだったのです。
そんな、インスピレーションを浴びまくる状況の中で描き上げたこの2作品は、今までのA4作品とは完全に次元の違う作品として仕上がったのでした。広大なA2キャンバスのどの部分を見ても決して1色でベタ塗りしたような手抜きな場所はない、僕は細かいところまで徹底的に!徹底的に!描き進めたのでした。この2作品を描き上げた時の僕の疲労感及び満足感は人生最大のものでした。「1歩も退く気はない」この言葉を常に心に唱えつつ、僕はさらに作品数を増やすべく猛烈に43作の作業に没頭するのでした。
そして2012年7月頃からです。「シルバーバーチの霊訓」1巻~11巻を車中泊にてかなり読み進み、そろそろ「ベールの彼方の生活」に突入してもよいのでは?と思い始め、そして「ベールの彼方の生活」1巻を購入して車内で読み始めたあたりから、不思議な事が複数起こりました。朝焼けの森林限界の岩場を進んでいる時、野鳥が逃げずにまっすぐ僕の方を向いてさえずってくる、という事が2回あり、僕が以前飼っていた白文鳥のユキが超鮮明映像で何度も夢に登場するようになり、そして2012年7月のブログ「小鳥に見つめられて」にて書いた出来事が起こったのです。
その「小鳥に見つめられて」のなかで出会ったのは“ノビタキ”という野鳥の若いオスで、羽毛のカラーリングが、僕が山へアタックする時に着ているウェアのカラーリングとピタリ一致するのです(オレンジ&ブラックです)つまり、僕も間もなくそのノビタキちゃんと同じ状況になりますよ、つまり“帰幽”を告げるメッセージであったと理解するに至ったのでした。そして過去ブログ「みなさまへ。」さらに「こうなったからには…書いちゃいます。」と続いていく訳です。
…はい。僕の“ドリームワーク”と称した生活の様子、いかがだったでしょうか。僕はこんな感じで自分の心の底からの声に従い、猛烈に山にアタックを繰返して心身を鍛えながら、自分の絵を描いて描いて描きまくっていたのです。その結果「霊性の発現」となった訳です。「皆さんも僕と同じようにしてみては?」とはもちろん言いませんが、誰にも地上に降下した“目的”が必ずあって、それを遂行するための“才能”が賦与されています。なので皆さんにもぜひ自分の心の底、魂の深奥から湧き上がる“声”に耳を傾けて頂きたいと思うのです。誰の中にもきっとなにかあるはずです。
今回のブログ、過去に例を見ないほどの超超超長文となってしまいましたが、僕の本心としてはこれでもまだ書き足りない、僕がドリームワークに懸けた“想い”を全然伝え切れていない、まだまだ書きたい事がいっぱいある…そんな心境です。でもさすがにここまでにします(滝汗)
それにしても僕は上記に紹介したように、とにかく“描いて描いて描きまくりたい”男なのですが、それが現在は全く絵を描かせてもらえずに本来の自分と違う事を延々しなければならないという、最高に矛盾した状況に突入しちゃってる訳です。最高に描きたいのに1ミリも描けない…この気持を皆さんにホンの少しでも理解して頂けたら、僕はすごく嬉しいです(祈)
■霊界通信 『イエスの弟子達 パウロ回心の前後』 序文
『イエスの弟子達』【序文】これは、紀元1世紀頃クリスチャンに改宗したクレオパスと名乗る霊から送られた通信をジェラルディン・カミンズ女史が書き綴ったものである。本書は3巻よりなるクレオパスの書と称する膨大な原稿群の最初の部分が収録されており、それ自体殆ど独立した完璧なものである。
『イエスの弟子達』カミンズ女史は、アイルランド、コーク州に住む故アシュレイ教授の娘で、スポーツ界と文学界にその名が知られている人物でもある。彼女はアイルランドでホッケーの選手でありテニスをよくする運動家である。
『イエスの弟子達』同時に彼女はアイルランドの農民の生活を描いた『彼らが愛した大地』(マクミラン社、1919年発行)の著者であり、更にスーザン・R・デイ女史と2人で著した2つの演劇『破壊された信仰』(ダブリン市、アベイ劇場にて上演された)及び『狐と鵞鳥』→
『イエスの弟子達』→(ロンドン、コート劇場にて上演)の劇作家でもある。カミンズ女史はまた演劇関係の新聞論説に貢献し、文壇で話題となる小説や演劇の書評を掲載した。本書の内容から察するに、さぞかし哲学、宗教に造詣深いと思われるであろうが、多読家の女史は、バーナード・ショウ、→
『イエスの弟子達』→ゴールズワージー、ウィリアム・イェーツなど現代作家の作品だけに限られ、神学、神知学、キリスト教関係のものは一切読んだ事がないという事を銘記して頂きたい。本書『クレオパスの書』の一語一語が綴られるにあたって、生き証人として、E・B・ギブス女史が立ち会った。
『イエスの弟子達』彼女は、音楽、園芸、旅行に関心をもち、既にニュージーランド、北米、南米、インド、ギリシャ、日本、スイス等を旅行していたが、エジプトやパレスチナには行った事はない。ギブス女史は1923年の初め頃カミンズ女史と知り合った。
『イエスの弟子達』しかも初代教会の歴史には全く関心がなく、更に教会に行った事もなく、ましてや入信などとは全く無関係であった。ギブス女史立ち合いのもとに霊感書記が開始されたのは1923年の12月で、この時にはカミンズ女史の書記能力は極めて低く、せいぜい15分くらいで→
『イエスの弟子達』→力つきてしまう程度だった。暫くすると次第に時間が延長されて、邪魔が入らなければ2時間ぶっ通す事ができるようになった。2年後の1925年12月になって、2時間20分(140分)となった。普段のカミンズ女史は、書き直しが多く、2日間でやっと600から700語を→
『イエスの弟子達』→生み出す程度だった。自動書記が始まると、女史は左手で両目を被い、肘を机の上に置き、右手で鉛筆を握り、フールスキャップ判(日本のB4)用紙の束の上にもっていく。暫く入神状態が続き急速に鉛筆が走り出すと、実に明瞭な書体で1字の誤りもなく知的な原稿が出来上がる。
『イエスの弟子達』そばに居る者が書き終わる毎に原稿をめくって新しい用紙にする。次第に休む事なく正確に書き綴られていく。普段の女史の書記能力と較べてみて遥かに早い速度で記述されているのがわかる。1926年2月16日には1時間38分もの間全く休みなしで、2230語が記述され、→
『イエスの弟子達』→同年3月16日には4人の立ち合い人の目の前で、1時間5分の間に1750語が記述された(平均1時間に1615語)。ある時などは、詰め書きで2600語が1つの訂正もなく記述された事もある。書く速さや執筆時間は、肉体的精神的条件によってまちまちである。
『イエスの弟子達』通常は、邪魔が入らない限り、おおよそ1時間半を少し超えるくらいである。編纂者一同は、カミンズ女史と、彼女の記述に協力したギブス女史の私心のない誠実な人間性を大いに買っていた。そもそもこの記述は、ドイツのオーガスチン女子修道院に所属する→
『イエスの弟子達』→アンナ・カタリーナ・エメリック修女が啓示を受け、ローマ・カトリック教会が神聖なものとして広く容認した『主イエス・キリストの謙遜な生涯と苛酷な受難、及び聖母マリヤ』という霊感書記と比較される事が多い。1833年にその内容が出版されて以来、ドイツ語による→
『イエスの弟子達』→出版物が多く発行され、英語、イタリア語、スペイン語などにも翻訳された。著名なカトリック系神学者や聖職者は、記された内容が真に事実に基づいているか、そして啓示として主張し得るかどうかについて詳細に吟味した結果、これは全く疑う余地のない真正な啓示の書である→
『イエスの弟子達』→という判断を下した。このような決断によって、本書への認識も一段と強化された。本書の至るところに散見されている内容は、実に正確である事が実証された。その幾つかの例を後に挙げてみよう。とにかく我々編纂陣は、エメリック修女によるドイツ語の啓示書が優れた神学者に→
『イエスの弟子達』→よって真正なる事を証明されたのと全く同じもの、あるいはそれ以上のものがカミンズ女史によって生み出されたものと思っている。ある観点では、本書の方が更に強力な実証力を持っているであろう。エメリック修女が受けた幻は、詩人クレメント・ブレンターノによって記述された。
『イエスの弟子達』その方法はまず表題だけを記述し、あとから回想しながら物語を埋めるというやり方であった。彼が書き終えてから修女に読んで聞かせるのではあるが、この方法では啓示の内容が多少歪められる可能性をもっている。本書の場合、このような媒介人物によって歪められる事はない。
『イエスの弟子達』カミンズ女史も編纂者も全く口をはさむ事がないからである。更に本書は記述されたメッセージである。従って実に厳格な検査や調査を加える事ができるメリットをもっている。編纂者は本書に特別な権威を与えようなどとは考えていない。更に又原本そのものについて論評するつもりもない
『イエスの弟子達』確かにモートン・プリンス博士とその一派が言っているように、カミンズ女史の潜在意識に関する調査の問題はあるが、前述したように女史の受けた教育や関心事を知れば殆ど問題にはならないと思う。求められているものは、写本が正確であるかという一点である。
『イエスの弟子達』記述内容は「使者(メッセンジャー)」と称する霊によって送られてきたものであり、「使者」はあくまでも著者ではない。カミンズ女史にただ忠実に受け取って欲しいと願っているだけである。時々彼は他人が送ってよこす言葉を書きとめる書記役を果たす場合があり、→
『イエスの弟子達』→送信する時に捻じ曲げられやしないかと文句を言う事もある。しかし送信される言葉は直訳的なものではなく、むしろ言葉を媒介とする思想であり、作者の記憶の中に蓄えられたイメージである。「もし霊の手によって綴られたものであれば、それはまさに古代の出来事に関して」→
『イエスの弟子達』→「真実を伝えるものである」と本文の中で語られている如くである。通信の全ては、1人のクレオパス霊(クローパスとも言う)の指令によって送られてきたものであるが、この霊は、人間界からは遥かに遠い高次元の方であると言われている。
『イエスの弟子達』事実この霊界通信ではクレオパス霊の指示によって7人の書記が動員されていると言われている。彼らの働きによってクレオパス霊の用いる古代語の清らかさや誠実味が余す事なく現代思想によって表現されている。使者は、他の写本の殆どが消滅してしまった初代教会から始められて→
『イエスの弟子達』→いると述べている。それと同時に彼はクレオパス霊が1つの記録だけではなく、色々な記録を自分で1本にまとめあげたものから引用しているとも言っている。使者が質問を始めると、クレオパス霊は、あらゆる知識がつまっている記憶の樹から必要なものを引き出してきて書記に与え→
『イエスの弟子達』→書記は使者にそれを伝え、使者は女史の思考の中に入っていく。女史の思考の海に漂っている多くの言葉を集めて物語を綴っていく。それはまるでよく磨かれた鏡のように、反射されていく。しかし女史の中に使いたい言葉が見出せない時は、とても困る事になる。
『イエスの弟子達』彼女の記憶の中にない単語や固有名詞などを伝える事はとても難しい事である。時としてこのような困難にぶつかる事がある。後になって、使者からの通信により興味ある情報がよせられた。即ちこの記録のオリジナル(原文)はキリスト降誕後60年乃至70年間の出来事が→
『イエスの弟子達』→集められているとの事である。記録の作者はキリストの弟子達を直接目撃した人々であって、その大部分はエペソかアンテオケ執筆されており、主としてギリシャ語で記されている。所々にアラム語やヘブライ語も使われている。
『イエスの弟子達』いずれにしても、使者によって寄せられた一連の事実に関して編纂者が判断の基準を示さねばならない。使者が言うには、在世中に特殊な専門知識を身につけ、殊に東洋の言葉に造詣が深かったそうであるが、現在自分の考えを伝達するためにいわゆる人間の固い頭脳なるものを→
『イエスの弟子達』→利用する事は滅多にないとの事である。彼は非常に多くの旅をし、南の島々に住む野蛮人を対象に説教をし、ローマにもしばしば行った事があると言っている。唯一の問題は、彼があまり地上の諸条件を知らないように思われる点である。
『イエスの弟子達』例えば、印刷の技術が発明されている事を知らないので、書記がたくさんのコピーを書かねばならないとか、書記が書いたものに多くの誤字がないかを注意深く見守るようにと心配をしているのである。しかし彼について最も賞賛に値する事は、彼が次のように語っている点であろう。
『イエスの弟子達』「我々は師なるキリストを仰いで生きぬいた兄弟のように、悲しみ、危機、驚異、清純の生涯をもう一度やり直すべきである」と。本書に収録されている記録について究極的にどんな説明が加えられようとも、これは実に興味津々たる内容がもりこまれ、示唆に富む記録である。
『イエスの弟子達』本書の接し方について読者は提供されている内容の証拠性よりも、内面的確信と対決されん事を勧める。ある方々は、これが超現実(霊界)からの通信であると見なすであろうし、又ある方々は、殊に現代心理学の立場から、純粋に人間自身の産物であり、無意識に働いている→
『イエスの弟子達』→テレパシーのようなものによるものと考えるであろう。いずれにしてもこの記録の最初の部分を発刊するにあたり、編纂者一同は本書が多くの異なった興味を提供し、あらゆる観点から調査研究されるであろうと確信するものである。
『イエスの弟子達』本書は、原稿に忠実に印刷されているが、まれに本文が不必要な古語が多すぎてフレーズが乱れている場合は手直しされている。あるいは又、内容そのものに直接関係のない、くどい文章や前述されたものの繰り返しなどは削除してあるが、多少なりとも本文の意味と関係しているものや、→
『イエスの弟子達』→通信そのものについては一切手を触れず、そのままの文体を保存するように努めている。本書の内容についていくつかの説明を添えておく。→この記録は、新約聖書中の『使徒行伝』及びパウロの手紙を補うものとして記されている。
『イエスの弟子達』具体的には初代教会の様々な情況が語られ、更にキリストの死んだ直後からパウロがアテネに向かってペレヤを出発した頃までの弟子たちの情況が記されている。(新約聖書 使徒行伝17・15参照)本書の中で新約聖書が別に存在している事をほのめかしているが、本書はそれとは→
『イエスの弟子達』→ほとんど関係がないようである。少なくとも使者と称する霊は、在世中に聖書なるものが存在している事を知らなかった。彼は「私は、この部分に関する聖書の記述は全く知らない」と言っている。本書はまさに我々が知っている新約聖書の足りないところを補いかつ説明する材料を→
『イエスの弟子達』→含んでいるだけでなく、聖書では得られない情報をふんだんに提供してくれるのである。パウロの劇的回心(ユダヤ教からイエスに帰依する事)の経験について新約聖書では余り多くを記していないので、パウロの生涯を研究する者にとっては、実に興味深い資料を本書から得られる→
『イエスの弟子達』→と同時に使徒行伝9章<回心の記述>について非常に丁寧に記述された本書の記録とを比較研究する事ができる。新約聖書について銘記すべき事は、使徒行伝の最初の12章の内容が9年にわたる経緯を語るのに、たった30日分の記録しかのっていない事である。
『イエスの弟子達』これは新約聖書の編集者が明らかに膨大な聖書の歴史的資料を漏らしている事になる。本書の記録がもし本当に信頼し得るものであるならば、それは使徒時代に関する知識について、非常に重大な貢献をしている事になる。もしも媒介者としてのカミンズ女史の生涯と精神構造を以って→
『イエスの弟子達』→説明しようとするならば、本書を記述した人間の推測力について何と理解したらよいのであろうか。小アジアのアンテオケに在住するユダヤ人社会の首長の名称について、すぐれた研究によると「アルコン」というタイトルが正しい事が分かってきた。
『イエスの弟子達』クレオパスが当時の記録を語っている頃の首長のタイトルは、紀元11年、ローマ皇帝によって町全体の機構改革が実施され、「エスナルク」から「アルコン」(archon)に変わったばかりであった。従って当時の記録に、殊に、パレスチナ地方に住む人による記録に「エスナルク」と→
『イエスの弟子達』→載っていても許さるべきミスであると言える。それなのに、その当時として比較的新しい名称の変更「アルコン」が本書に記されているという事は、これ以外の多くの細かい部分についても、この道の権威者を驚かせる程の正確な知識を伝える一例である。
『イエスの弟子達』このような細部にわたる正確な知識以上にすぐれている事は、当時の時代的情況を示唆する鋭い洞察力である。12使徒(イエスの弟子)の性格についても、それぞれの人間性を深く理解し、暖かい眼を以て描き出している。ユダの事に至っては、現代作家も面目を失う程の→
『イエスの弟子達』→明晰なタッチで描かれている。ごく一般にユダは、貪欲からイエスを裏切ったと言われている。福音書の関係記事(マタイ伝26・14、15。マルコ伝14・10、11。ルカ伝22・3―6。ヨハネ伝13・2、27、30。使徒行伝1・16―25)をよく吟味してみれば、→
『イエスの弟子達』→この考え方が全く正しいものではない事がわかる。貪欲説は後世の推定であって、貪欲であった理由は1つも説明されてはいない。事実、何が彼を裏切りに追いやったのか説明する事は実に難しい事である。しかしクレオパスの記録が示しているように、→
『イエスの弟子達』→野心が断たれた失望感が理由であるとすれば納得がいくのである。何もユダに限らず、リーダー格の3人の使徒(ペテロ、ヤコブ、ヨハネ)もユダに劣らず野心家であったようである。ペテロはイエスの1番弟子たる事を求め、更にゼベダイ家の兄弟ヤコブとヨハネは、神の王国の→
『イエスの弟子達』→栄光を求めイエスの右と左に座を占めようと願い出た。(マルコ伝10・35―37)これを見ても解るように、ユダだけが野心的であったとは言えない。この記録は確かに聖書の内容を補い、役立つ説明を与えてくれるが、聖書を制定した教会の基準によって作られた訳ではない。
『イエスの弟子達』率直な読者の中には、魔術の存在や魔術の物語が出てくる事に驚かされ、聖書に示されている聖霊の働きではないと反対する者もいるかも知れない。しかしこの記録自体は、高邁な霊的、哲学的レベルから記されたものではない。時として、反感をかうような世俗的レベルを露呈する→
『イエスの弟子達』→事もある。使者は次のように言っている。「キリストのメッセージは、無学な人々に送られたものである。即ち大衆のためのものである。だから私が運ぶこの記録に当時のパリサイ人やサドカイ人は耳をかさなかっただろう」本書の全ての物語はクレオパス霊の素朴な喜びを特徴づける→
『イエスの弟子達』→奇跡の物語である。彼にとってキリスト教は偉大な霊の力の働きによって出現したものとみている。しかも同志を容認しない者を殺してしまう程の力が「同志」の掌中にあり、彼らだけが呪術を用いる事ができた。従って、純粋な霊性については余り問われず、→
『イエスの弟子達』→総ての敵を粉砕してしまう突発的な力の方が優先していた。このような魔術は、もちろん非常に低次な宗教的展開と言える。このような現象は、正典として認められている新約聖書の中にも、使徒たちの行為として収録されている。
『イエスの弟子達』使徒たちの本来の仕事は、純粋な霊的真理を多くの人々の心に叩き込む事であったのだ。確かにこのような形のものが本書の中に見られるとしても、これが本書の価値を損なうと反対する者がいれば、それは非常に人間臭い、時として非キリスト教的感情の露出がかえって心理的裏付けや→
『イエスの弟子達』→歴史的価値を持っている事を知らないからであろう。本書は正典として認められているものではなく、その価値を計測する事はできないかも知れない。しかし編纂者が本書を新約聖書と同じレベルにおいて判断していると考える事は、余りにも軽率である誹(そしり)を免れない。
『イエスの弟子達』初期のキリスト教文書は新約聖書よりも遥かに確かな基準を示している。最も伯仲している文書は、アポクリファ(※)使徒行伝(経外典)とか、紀元2世紀頃までの伝奇小説的なものであろう。(※ギリシャ語のアポクリュフォスからきたもので、「隠されたもの」という意味である)→
『イエスの弟子達』→(正典として聖書に入れられなかった経外文書をさし、旧約聖書からもれたものである。「旧約外典」は14巻、新約外典は約20巻がある)銘記すべき事は、使徒時代のキリスト教でさえ、異教の考え方や信仰と混合する事は避けられなかった事実である。
『イエスの弟子達』新約聖書には、迷信や冷淡な策略が無数にのせられている。ある意味で歴史的ではないとされているアポクリファ(経外典)は、初代教会のキリスト教社会の内情を知る上で非常に有効な手掛りを提供してくれる。一例をあげれば、本書が非常に有名な初期キリスト教伝記小説→
『イエスの弟子達』→『クレメンスの書』(※)と酷似している事である。(※ペテロの弟子、クレメンス(ローマの初代司教)が、コリントの信者にあてた書簡)ここでは残念ながら、宗教哲学、道徳律、教会組織などについて両者の類似点に詳しく触れる事はできない。
『イエスの弟子達』また、全体の調子から推測して、どちらが先に記されたのか、あるいはどちらが複製なのかを判断する事は不可能である。魔術、妖術への信仰、魔力を行使する事、使徒たちに与えられ行使されていた顕著な魔術的パワーは、両者にも等しく取り上げられ、しかも、→
『イエスの弟子達』→それらは教会が否応なしに直面させられた社会的情況であったと言っている。原始宗教に関する最近の研究によると、世界のどの宗教形態も魔術的信仰を抱いていた事がより明らかになっている。いかなる外観を呈しているにせよ、かかる基本的な信仰形態は教会が対決し論駁→
『イエスの弟子達』→しなければならなかったものである。従って本書において華々しく展開される魔術の記述があっても、真実性を損なう論拠とみなす必要はない。それよりもどんな作者でも迷信とか詭弁とか非難される事なく、初代教会を黄金時代として自然のままに表現できた事を多とすべきであろう。
『イエスの弟子達』更に本書と、真正なものとして知られている初期キリスト教の小説が、“様式の上でも酷似している”事に驚かされる。クレオパス霊は、文学的に生き生きと表現する事に並々ならぬ努力を払っている。読者がどれだけ汲み取る事に成功するかは別として、彼は意図的にロマンチックな、→
『イエスの弟子達』→情緒的な物語をふんだんにもりこんでいる。物語を活気づけるために1度ならず、ほんのりとした興味をそそるものを導入しようとしている。第3巻1章に描かれている1750文字で綴られた文章などは、まさに美麗そのものであり、中には誇張や冗長なところもある。
『イエスの弟子達』彼は人物描写を好む。怒り狂ったり、狼狽するピリピリの首長などを至極ユーモラスに描いており、対話の術にも長けている。彼は又エピソード(挿話)単位に本書を組み立てて読者の興味を先へ先へと引っ張っていく。本書に関して非常に興味をそそられる事は、通信のために→
『イエスの弟子達』→選び抜かれた霊媒が小説家であり、使者は彼女(カミンズ女史)の心に浮かぶイメージを最大限に利用しなければならないので、勢い彼の語る事が多くの小説を読んで洗練された表現法を身につけた女史の形態をとる事になる。それで物語全体は、終始変わらない現代的表現形式と→
『イエスの弟子達』→なっている事に着目して頂きたい。例外として欽定訳聖書(1611年刊行された英訳聖書)や古語が用いられる事がある。従って本書の大部分は現代用語に変えられている訳である。しかし個々の物語の様式は、いわゆる使者の人格を通して伝えられたものである。
『イエスの弟子達』一般的に言えば、あたかも家族関係のように、本書と聖書に付属する外典や偽書との間には極めて緊密な興味ある類似性がある。最近その事に貴重な注意を向けた研究が、英国のチャルス博士及びドイツのカウチェ教授によって進められている。
『イエスの弟子達』それなのにこの文献が教会の権威によって承認された諸文書に付随した重要性がある事を主張しようとしない。これらはキリスト教の教義よりも、むしろ初期の教会歴史を研究する資料である。たいていは口伝によるもので、信頼すべき口伝の内容が急速に通俗化していった。
『イエスの弟子達』しかし、これは当時の一般大衆の宗教を知る上で重要な手掛りと証拠を提供してくれる。もしも、クレオパスの書と他の諸文書との比較研究が始められるならば、かなりの驚くべき暗示に富む類似性が発見されるであろう。
『イエスの弟子達』しかもエズラ書(旧約聖書)やユダヤ人キリスト教徒によって記された福音書やグノーシス文書(※)など及びもつかぬ程詳細に、価値ある研究がなされるであろう。(※初期キリスト教時代の神秘主義的宗教思想、即ち霊界の神秘を重視するグループによって記された文書)
『イエスの弟子達』奇跡的要素の流行については既に触れたように、キリスト教そのものが奇跡から出発している事を既に弁明しておりながら、最高の現代的論評では、奇跡がイエス自身によって行われたという疑う余地のない事実を放置している始末である。
『イエスの弟子達』更にその上に純粋なユダヤ教やキリスト教の宗教的要素が徐々に薄らいできて、世俗的思想が強く浸透してきた。これらの傾向は本書の中にも見られる事は既に指摘してきた通りである。粗末で懲罰的色彩の濃い異教的要素や主情主義的基調は、あらゆる種類の外典にも共通しており、→
『イエスの弟子達』→その必然的結果として、キリスト教も世俗化していくのである。クレオパスの書について考察を加えていると、ちょうど外典の研究をしている篤信家が壁にぶつかるのと同様に編纂者は、霊感とは一体何を意味するものであるかという難問にぶつかる。
『イエスの弟子達』そしてこの文書の持っている重要性とは、初期のキリスト教が何であったかという事よりも、初期の主唱者たちがキリスト教をどのように見ていたかを明らかにする事ではないかと確信している。注意深い読者ならば、迷信や誤った熱情の背景及び使徒や後継者を悩ませていた無知に→
『イエスの弟子達』→強い印象を抱かれるであろう。本書に出てくる初期の改宗者で、教会の首脳や教師になった者は、教化するために過度な行為を発揮してはいない。彼らは、ある程度の理解力を持っており、識者としての証しを持っている。それは地上の容器(肉体)に蓄えられた宝である。
『イエスの弟子達』最後に編纂者一同は、この記録を努めて公平な形で公開する。即ち立証を申し立てたり、個人的動機やくだらないもくろみをもって出版するのではない。印刷の原稿を用意するに当たって、全体的に変更を加えたり、組み替えたりしていない。
『イエスの弟子達』この短い序文の中で、読者に対して率直に事実の説明を加え、偏見の余地を与えないように努めた。本書によって提起される諸問題にある程度当惑するであろうが、我々は、わざと憶測や説明をほのめかす事を差し控えた。本書は、注目や調査に値する作品であり、→
『イエスの弟子達』→初期キリスト教の歴史及び文学において、思想的変遷あるいは高次元からの通信に関する専門家の調査を受ける事に躊躇しないであろう。 1927年12月21日 編纂者一同
『イエスの弟子達』【編纂者一覧】モード博士(ロンドン、ケンシングトン教区主教) エスタレー博士(キングス・カレッジ、ロンドン大学、名誉教授/ヘブル語、旧約聖書学の権威者) パーシー・ディアマー神学博士(司祭) ジョン・ラモンド神学博士(司祭)→
『イエスの弟子達』→ビカステス・オットレイ(カンタベリー大聖堂参事、司祭) フリーマン(ブリッスル大聖堂参事、司祭) A・H・リー(司祭) ドレイトン・トーマス(司祭) フィールディング・オールド(司祭) アルフレッド・リトルヘール(司祭) プリンス博士(元心霊科学協会、会長)→
『イエスの弟子達』→エドワード・ラッセル氏 R・カミング博士 J・G・ミラー博士 G・R・S・ミード氏 クレスピニー女史(作家) セント・クレア・ストバード夫人 バーバラ・マッケンジー夫人 マーシー・フィルモア嬢 エドワード・アリソン夫人(元米国心霊科学協会秘書)→
『イエスの弟子達』→スザンナ・デイ嬢 N・トムギャロン嬢 アンダーヒル嬢
『イエスの弟子達』【編纂者一同へ】編纂者の1人、故W・O・E・エスタレー博士の見解が序文の中で非常に良くとりこまれている。英国の新聞、ザ・タイムスに掲載された同氏の死亡記事欄に、同博士は“知識の無限の貯蔵庫”の持ち主と述べられている。
『イエスの弟子達』彼は英国における代表的なヘブル学者と言われている。1925年12月にエスタレー博士は、キングスカレッジのヘブル語及び旧約聖書注解の名誉教授としてロンドンのグロトリアン・ホールにて『クレオパスの書』に関する公開講座を開催した。そこで次のように言った。
『イエスの弟子達』「比較的新しい称号であった「アルコン」という言葉を使っている事は、記録を書く側に極めて正確な知識を持っている事の片鱗をのぞかせるもので、この記録作成者は実に驚くべき人物である。私が今選んだほんのわずかな例証は、諸君にこの文書が持っている真実性が」→
『イエスの弟子達』→「全く偶然ではない事を示すためである。しかしどうか信じて頂きたい事は、もし私が今、この種の例を文書の中から10分の1だけでもよいから列挙しようとするなら、諸君を夜中まで止どめておかねばならないだろう」
『イエスの弟子達』エスタレー博士が最後にこの講座を閉じる言葉は、次のようであった。「初期の教会が、この新しい宗教を前進させるためには、特徴ある信仰を明確に述べ伝える必要があった。今やクレオパスの記録の中に、私は、我々の手元に伝えられた総ての初期キリスト教文献と共通な性格を」→
『イエスの弟子達』→「見いだしているばかりではなく、当時教えられていた教理も一致している事を発見している」 神学博士 W・P・パターソン主教 ダビッド・モリソン教授 及び有志一同
-----
02/09のツイートまとめ
- ar7_akito
アタック帰還。今日は吹雪かれて風に撃たれ急激に体温を奪われる厳しいアタックとなりました。樹林帯で風を避けながらスノーシューの重みに足を取られつつ登攀を繰返す…謙虚を維持するのにこれ以上優れた場所があるでしょうか。ただ霊団が僕に「雪山やめなさい」と言ってる感覚が拭い去れない…(祈)
02-09 15:51インスピレーション「死ぬの死なぬの大騒ぎ(日本の皆さま、僕はKにません。Kぬのは父親の方です)」「サイレントニュース(僕に関するニュースが密かに広まってるという事)」「白旗4人赤旗2人(邸内の様子)」「ブーメランが折れてる(因果律の働きを変えられる訳ないだろ、諦めろ)」
02-09 14:41インスピレーション「その前にカウンターサークルってのもあったんですけど(21ピーチピチの女性及びお母さまが僕の方へ来て交霊会を行う計画もあった、という事かも)」「16億年も前の話です(これは一体なんでしょう?あまりに荘厳すぎて僕には理解できないメセのようです)」
02-09 14:41インスピレーション「書くためのブツは揃えます(自動書記に必要な紙とペンの事)」「お前なんかと生活できるか(21ピーチピチの父親の思念。なら京都へ行け)」「キミが勝つに決まってるんだから(霊団から僕へのお言葉です。体力、精神力ともに守護霊様の導きのおかげで強くなったのです)」
02-09 14:41インスピレーション「速攻で、もしよかったら(21ピーチピチの女性が僕に、って事?もちろんいいわ♪)」「入れた、あ、結構です!(僕があっさり邸内に入れた)」「完全に掌握した(全て霊団の導きのおかげです)」「兄確認(霊団が兄にターゲットロックオンという事)」
02-09 14:41インスピレーション「可能な限り勝つ事だ(霊団了解、とっくに勝ってますよね)」「公言の限りを尽す、ただそれだけ言えば(事態は完全に収集がついてるという事です)」「Kの意味(切る、ですよ。着る、ですよ)」「もう忘れたよぅ(僕の過去ブログの内容の事。新たに書く事になるのかも)」
02-09 14:40