過去ブログ「みなさまへ。」でも書きましたが、僕は幼少の頃から現在に至るまで、ずっとひとつの衝動に突き動かされてきました。それは“自分の作品を描きたい”という、魂の深奥から湧き上がる根源的なメッセージでした。
デザインの職場を転々としながら、僕は仕事に追われて一向に自分の作品が描けない事に猛烈なフラストレーションを感じて日々を過していました。しかし、自分の作品ばかり描いて仕事をせずにいては生活が成り立ちません。デザイン系の仕事は大抵都内で、通勤時間がどうしても往復3~4時間掛ってしまいます。さらにこの手の仕事は残業がとても多く、帰宅した時は疲れ切っていて、そこから「よし!自分の作品を描くぞ!」とはどうしてもならず、明日のためにお酒を飲んで寝る…こんな生活サイクルなのでどうしても自分の作品を描く時間を捻出できないのでした。
しかし魂の深奥から湧き上がる“自分の作品が描きたい”というメッセージをどうやっても拭い去る事ができず、いつしか僕は、自分の作品を描くために仕事、生活、その他のあらゆるものを犠牲にして作品制作に没入する、という夢を抱き始めたのです。その夢の事を僕は「Dreamwork(ドリームワーク)」と呼んでいました。
僕はこのブログにて、自分が日々浴させて頂いている霊的現象について徹底的に公言しまくっていますが、今回は視点を変えて、僕の霊性発現前の生活の様子について書いてみようと思います。僕のブログ、ツイッターを見て下さっている方々の中に「どうやったら霊性発現できるのだろう?どうやったらインスピレーションを受取ったり霊の声を聞けるようになるのだろう?」という疑問を抱いている方がおられるかも知れません。僕が霊性発現に至った直接の原因であるこのドリームワークについて知る事で、そのヒントを得られるかも知れません。
上記に書いた通り、僕は自分の内部からの声に次第にあらがえなくなっていき、その頃得ていた幾ばくかの霊的知識に照らし合わせて「僕は自分の作品を描くために地上に降下したんだ、だからこんな描きたい衝動が続くんだ、これこそ僕の道なんだ」次第にそう思うようになっていったのです。しかし自分の作品を描くためには“制作時間”を生み出さねばなりません。デザインの仕事を続ける限り制作時間を生み出す事が不可能であるのは上記に説明した通りで、僕は何とか他の方法がないものかずっと考えていました。
仕事もちゃんとやって生活の糧を得つつ自分の作品を描く時間も確保する…これは相当に高いハードルでした。この時期、現実の生活とドリームワークとの間で心が揺れまくりながら、あらゆる職場に面接に行きました。しかし仕事は一向に決まりませんでした。が不思議な事に、面接に落ちるたびに僕は心のどこかでホッとしているのでした。「ここに就職してもまた以前のように自分の作品が描けないフラストレーションに苛まれる」という考えがあったからだと思います。
そして考えに考えた結果、僕は一大決心をしました。仕事もして生活資金を得つつ、作品の制作時間も確保する方法はもうこれしかないと思ったのです。それは地元の、通勤時間の掛らない、しかも残業が発生しない仕事を選び、勤務時間は生活が成り立つギリギリの短さにして、それ以外の時間を全て作品の制作に当てる…という決断でした。僕の地元に、こういうデザインの仕事はありません。つまり、僕は自分の作品を描くためにデザインの仕事を捨てたのです。これはずっとデザインの世界で生きてきた僕にとって、まさに“崖からダイブする”に等しい破天荒極まる決断だったのです。
仕事を選ぶにあたり僕が考慮した点はただふたつ。家から近い事と残業せずにすむ事。そういう視点で探してたどり着いた仕事は、デザインの要素が1ミリたりとも無い、クリエイティビティを発揮する要素が1ミリたりとも無い、今まで僕が果てしなく学び続けてきたPhotoshop、Illustrator等のデザインのスキルを全く必要としない、僕にとって究極に“無意味”な仕事でした。
こんな事を書くのはどうかとも思いますが、僕は過去、ある職場で「グッドデザイン賞」を受賞した事もあります。グッドデザイン賞とは、日本のデザイン界で最高の賞、そんな認識でいいと思います。そんな、グッドデザイン賞をとった僕が、こんな場所でこんなデザインと何の関係もない仕事をしている…。この時、僕の心にわずかに残されていたプライドが音を立てて崩れ去っていったのでした。
その、ドリームワークのためにやむなく選択した、デザインと何の関係もない仕事、その職場で着る白い服の事を僕はずっと「囚人服」と呼んでいました。そしてその職場で働く時間の事を僕はずっと「刑期」と呼んでいました。そう呼んでしまうくらい、その職場での仕事がイヤでイヤで仕方ありませんでした。正直に書きますが、デザインの職場にいた時と比べて、収入はほぼ半減しました。その職場で働き始めた当初は、僕にその仕事に対する愛着がゼロだった事、デザインの仕事への未練等もあってミスの連続で、叱られてばかりいました。
しかし僕はグッと…グッとこらえてひたすら低姿勢を貫きました。全てはドリームワークのため、自分の作品を心のまま思いっきり描くため。僕はデザインの仕事を捨ててこんなデザインと何の関係もない仕事に移ってまでも、どうしても!どうしても!!どうしても!!!自分の作品が描きたかったのです。来る日も来る日も僕は心の中で唱え続けました「何としても自分の作品を描くんだ、そのためには何が何でもこらえろ」と…。
そんな収入不足の厳しい生活が続く中、何とかその時使用していた“旧PC”よりも高性能のPCを購入し、そのPCでいよいよ自分の作品、1作目を描き始めたいともがいていたのですが、描く時間を減らして勤務時間を増やす事がどうしてもイヤで、僕は待ち切れず遂に性能の劣る“旧PC”でドリームワークを強行スタートする決断を下したのでした。そしてこの時と時期を同じくして“山を愛する画家・たきざわ彰人”としてのブログとツイッターを開設したのでした。
こうしてかなり強引に作品制作をスタートさせましたが、それ以前から果てしなく行っていた“山へのアタック”が、自分の作品のクオリティ向上に大いに意味を持つようになっていきました。作品数を増やすためには“アイデアストック”が必要です。そのアイデアは全て山にアタック中に撮ったデジカメの画像や、苦しさの中で考えた事、また、この時期も少し読んでいた「シルバーバーチの霊訓」の内容が深く関わっていたのです。僕の絵には“ストーリー”が付随しています。そのストーリーは霊訓の内容を僕なりに咀嚼して考えたものがとても多かったのです。
僕は自分の作品を描くにあたって、絶対に“手抜き”をしませんでした。旧PCの性能の限界、そして自分のその時点での想像力、表現力の限界の限界までしぼり出して絵を描くと固く心に誓っていました。それはそうです。自分の心の声に従うためにあらゆるものを犠牲にしてドリームワークに突入したのに、ここで横着して適当な絵でも描こうものならドリームワークの“意味”そのものが吹き飛んでしまいます。なので1枚描きあげるのにとても時間がかかりました。
でも僕はようやく自分の作品を心のまま、思うままに描ける事に大きな喜びを感じていたのです。デザインの職場でどんなに頑張って仕事をしても、仕事での制作物は全て会社のものであり、最終的には全て手放さねばなりません。僕はそれで過去、大いに悔しい思いをした事があり、そんな経験も手伝って、苦しい生活を送りながらも、自分の作品に没頭できる事に幸せを感じていたのです。そして1作、1作と描きあげるほどに僕の絵のクオリティも確実に上がっていくのが実感でき(あくまで個人的所感ですが)ますます僕は燃えるように絵に没頭していったのでした。
“絵”と比例して、山へのアタックも加速度的に過酷さを増していきました。何しろ毎週必ず山に行って限界まで身体をしぼり続けていましたので当然体力がつく訳です。とにかく一度も休みませんでした。1年は52週間ですので年52回アタックしていた訳です。僕のスタミナ、そして足まわりはどんどん強化されていきました。
そして僕は常に、日の出3時間くらい前に登山道入口を出発して、真っ暗闇、暗黒の森の中をヘッドライト、ハンドライトで照らしながら単独でガンガン上り(僕は常に単独行です)日の出前、最も気温が低い時間帯に、その日のコースの中で最も標高の高いポイントに到達して、朝日と共に稜線上を駆け回り、ほぼノンストップで8~10時間登下降を繰返してゴールする…こういうアタックの手法だったのです。現在ももちろん続けています。
スタートから最初の3時間の暗黒の時間帯、ナイトアタックと僕は呼んでいますが、シルバーバーチ霊も言っています「光と闇は表裏一体」と。闇を知らずして光にはたどり着けない、そんな考えから闇の中を進み始めたのですが、もちろん最初は恐怖感でいっぱいで、毎週ふるえながらのアタックでした。しかし、しかし、自分でも驚いたのですが、果てしなく繰返すほどに僕の心の中から“恐怖心”がどんどん消えていき、しまいには“闇がないと退屈”と思えるほどになったのです。
この“恐怖心”が心の中から消えた事で、絵の描き方も変わっていきました。普通ならやらないような作業負荷の高い描画法、それに挑戦する勇気みたいなものが沸いてきて、僕の作品の描き方はさらにさらに細かく、徹底的に細部にまでこだわった表現へと変わっていったのでした。「そんなめんどくさい大変な描き方なんかしなくても、もっと簡単な方法があるでしょ?」僕がしていた描き方は、まさにこういう風に突っ込まれそうな描き方だったのです。
しかし、ナイトアタックにより恐怖心を克服し、作業負荷の高い描画法で描く勇気を得たおかげで、作品のクオリティはさらにさらに上がっていき、苦しい生活と苦しい作業負荷にもだえつつも、心は「僕はここまで描けるようになっている!」と喜びに打ち震えたのでした。
ちなみに僕は山で数回“ひらめき”とも言えるような体験をしています。その時はもちろん現在のように霊性発現していませんので、詳しくは理解できなかったのですが、今にして考えれば、それは間違いなく守護霊様からのインスピレーションであったと理解できるのです。その“ひらめき”のうちのひとつを過去ブログ「幼稚な反逆の果てに」でも紹介しています。もしよければ読み返してみて頂きたいと思います。
ナイトアタックと同じく僕が重要視しているものが“雪山アタック”です。ドリームワーク突入前、2009~2010シーズンに人生初の雪山アタックをスノーシューにて敢行しました。そしてここで僕の霊的知識の理解に大きな助けとなる“習慣”が生れました。アタック前日の夕方頃に登山道入口に到着して、車内で寝袋に入りながら3時間ぐらい「シルバーバーチの霊訓」をじっくりしっかり読み、その後眠り、日の出3時間前にスタートする、という“車中泊”です。
この車中泊を毎週行った事で、普段は仕事に追われてなかなか読み進められない「シルバーバーチの霊訓」を、週に1回必ず“どっぷり”読む時間を作れるようになったのです。この車中泊の習慣は本当に大きかったと思います。前日の夜に読んだ内容を反芻しながら山の中をハイスピードで息あがりまくりでアタックしていたのです。苦しみの中でシルバーバーチ霊の言葉に何度背中を押された事か。特に僕が気に入っていた言葉は『真一文字に突き進みなさい』でした。この言葉はドリームワーク突入後の作品制作の苦しさからも何度も僕を救ってくれました。
※ちなみに、この雪山アタックで1度遭難しかけた事があります。過去のmixiアカウントでその時の様子を日記に書きました。そのテキストを保管してありますので、せっかくですのでここに原文のまま紹介してみたいと思います。これをお読み頂ければ、僕がどんなアタックをしていたのか、その雰囲気を感じて頂けるのではと思います↓
-----
ヘブン↑ヘル↓ヘブン↑ 2010年01月18日15:12
※まず、最初にご報告します。今回(日曜日)のアタックで、危うく遭難しかけました。。。日記は長文になってます、スミマセン…m( _ _ )m
家庭内の事情で、殆ど仮眠できずに向かった今回(日曜日)のアタック。いつものようにロープウェイ山麓駅でスタート前の仮眠をしようとしたのですが、なんという超低温((( ;゚Д゚)))車内にも関わらず震えが止まらない。あまりの寒さに「今日はこのまま帰ろうか」という考えまでよぎる始末(苦)結局睡眠不足のままスタート…しようとしたら、イキナリハイドレーションが凍ってる!!(本気驚)車内は一体何℃だったんだ!! (´д`)急遽ヒーターでチューブを温め、ムリヤリスタート☆
ただ、いざスタートしてみれば今日の天候がモチベーションをトコトン上げてくれました( ゚д゚)♪美しい、本当に美しい朝焼け…(麗)今シーズン一番の画像が撮れるかも知れないと、寒さを無視して上り続け、山頂駅を越え、北横岳に向かう。(画像01→画像ではなかなか伝わらないかもしれませんが、今回の朝焼けの美しさは感動モノでした( ;∀;)☆)
木の枝に積もったパウダースノーがダイヤモンドダスト気味にサラサラ舞い落ちる中、北横岳山頂に到着。ココに至るまでの道のりも、山頂での光も本当に美しい…(画像02→雲ひとつないドピーカン☆寒さに負けて帰らなくて良かったヽ(´ー`)ノ)しばし山頂の景観を堪能♪「何コノ美しい惑星♪」などと思いながらさらにその先を目指します。
しかし、ココからでした。北横岳以降、踏み跡が一切無くなり、新雪を切り裂いてラッセル気味に下るトレイルが延々と続く事になります。今週末はずっと天気が良かったので、土曜のうちにハイカーの方々によって踏み跡が付けられて、安心して進めるのではとの思いから今回日曜スタートにしたのですが、出会う人なし、踏み跡一切なし、ズブズブの新雪で、時々見つけるリボンのみがルート確認手段という状態がずっと続きます。。。「ヤヴァイかなぁ、切り込みすぎかなぁ、引き返すなら今かなぁ…考」などと自問自答(゚Д゚;)
そうやって悩んでるうちに岩場へ突入。何度か足が岩と岩の間に“ズボッ”と入る。雪の下の岩の状況は全く分からない。岩の隙間に体ごと入ってしまうかもという恐怖を抱えつつ、「モチツケ!!」と自分に言い聞かせてハイドレーションで給水しようとしたら、チューブ全体が凍ってコンクリートみたいになっている。・゚・(ノд`)・゚・。ココまで凍ってしまってはもう修復不可能。凍結防止のあらゆる手段を講じても、それを越える低温が襲いかかって来る。もうどうしようもないのだろうか。性能の限界なのだろうかと、アレコレ考えつつ給水無しのまま先へ進む。。。
今まで何とかリボンを頼りに進んできたものの、あるポイントでついにルートがわからなくなってしまう。地図によれば、ココから小屋まで距離は僅かのはず。高台から林の向こうを覗くと、拓けた双子池と小屋が僅かに確認できる。道は発見できない、でももう目と鼻の先に小屋がある。何とか先に進みたかったのですが、道がわからないんじゃしょうがない。コレは引き返し時だなと判断し、今まで自分が付けてきた踏み跡を辿って戻ると決めました。
しかし、新雪の急斜面を上ろうとした途端状況が一変。。。足を上げても上げても雪が崩れて体が下に落とされてしまう。しばらく格闘しましたが、全く上れない。「上って帰るのは不可能」…コノ事実を突き付けられ、次第に私は冷静さを失っていきます。「あとちょっとなんだ、もう下るしかない!」とコンパスを取り出し、高台から小屋の方向を確認、眼前に広がる林を一直線に下る事を決断しました。
誰もいない、何も頼るものもない、360度の白の中に異質なオレンジがひとつ。「ドクッ、ドクッ」と、自分の心臓の音が聞こえる。コレカラ道なき林の中を突っ切る、上っては帰れない、ココを下るしかないと、思考がどんどん狭められていきます。これが「パニック」というものなのだろうか?人々はこういう状況に陥ってケガをしたり遭難したりするのだろうか?
「遭難」という言葉が頭に浮かんだ瞬間、全身に電気が走って雪の上にしりもちをついてしまう。
でももう行くしかない。今まで感じた事のない恐怖を無視し、コンパスを片手に林の中にアタックしていきます。今自分が下っているルートは、間違いなく普段人が通るルートではないとわかる景観。雪に埋まり、つんのめりながら双子池と小屋のある方向へ一直線に下って行きますが、途中コンパスを新雪の中に落として見失ってしまう。「ハァ、ハァ…」しかし何故か雪をほじくってコンパスを探そうとしない自分。「距離は大した事ない、大丈夫だ、コッチに下るんだ」と、そのまま下り始める。頭の片隅で「ヤッパリ自分はパニック状態に陥っている」と再認識。
途中何度も腰や胸まで埋まり、スノーシューが枝か何かに引っかかって抜けなくなり、無理に引き抜こうとしてふくらはぎが攣りそうになる。こんなとこで足にダメージを負う訳にはいかない。距離は短い、時間もまだ午前中でたっぷりある、なにより好天で無風。道こそ見失っているものの、そんなに慌てる必要はない。頭では分かっているんです。なのに息アガリマクリでバタバタと下ってしまう。
セルフコントロールができないままもがくように下って行くうち、林の隙間から僅かに雪原のような双子池のシルエットが見え隠れ。「落ち着け、慌てるなオレ!!」呪文のように自分に言い聞かせながら、何とか林を下りきり、無事双子池に脱出できました。。・゚・(ノД`)・゚・。短い距離と時間ではあったものの、白の世界でひとり道を見失う恐怖がどれほどのものなのか、そして山でのパニックというものも人生で初めて知る事となりました。その後、ヘロヘロの体でやっと林道につながる分岐に到着…これでもう道迷いの心配はない (((´・ω・`) (画像03→林道分岐にて「ダメー!」のポーズ泣)
その後、雪崩の跡が残る林道を進みながら、モウヒタスラ大反省会。。。今回は本当にこの天候に助けられたなぁと。。。もし先週のようなホワイトアウト状態で道を見失っていたら、違う結末だったかも知れない…(´Д`ノ)ノ怖 せっかくの美しい白と青の間を、コンナ気持ちで通らなければいけないなんて。。。もっと楽しい気持ちで今日を送るつもりだったのに。。。北横岳以降の判断の甘さをタダタダ反省しきりでした。
そんな時、たまたま出会ったスノーシューのハイカーの方に「どちらまでですか?」と何の気なしに声をかけたら、その男性は口をパクパクさせながら手を振っている。ん?コレはもしや?と思い「聾の方ですか?」と手話で返すと、その男性はびっくりした様子で「手話できるんですか?」と返してきてくれて、そこからものすごい久しぶりに手話を使って会話する事に☆
手話を使わなくなって久しいのでかなり忘れてる部分がありましたが(;´∀`)車で日帰りで来てますとか、今日は上の方で最高の写真が撮れますよとか、そんな事を話しマシター(〃▽〃)キャー♪ヤッパ手話は楽しいなぁと、以前勉強していた時の気持ちが蘇り「手話技能検定3級」を取った事も無駄ではなかったと改めて思う事が出来ました☆別れ際に、聾の男性が何度も「手話ありがとう」と言ってくれて、さっきまでの沈んだ気持ちが少し晴れたような気がしました♪こちらこそホントにありがとうございました!!ノ(´д`*)♪イヤシカシ、スノーシューと手話がリンクするとは夢にも思わなかった(照考)
偶然の聾の男性との出会いのおかげでやっと気持ちも元気になってきて、山頂駅からの下りで少し走ったりして、美しいトレイルを堪能する心の余裕も生まれ、1日の間に数日分の経験をしたような気だるさに包まれつつ、無事に、ホントに無事に(汗)山麓駅にゴールしました。。。ノ(´д`*)マイッタ
ハァ…もう、何とも一言では言いきれませんし、ホントは自重すべきなのでしょうが、それでもやっぱりまた行くと思います。。。モチロン今まで以上に細心の注意を払って(-Д-) コレに勝る「学び」はないと思うから…(祈)
長々と読んで下さった方、ありがとうございました☆(゚∀゚)☆
長文失礼致しました(*_ _)/
-----
…はい。現在の僕とかなり文章の書き方が違いますが(照汗)僕はこんな無謀なアタックを果てしなく×100繰返していたのです。車中泊にて「シルバーバーチの霊訓」を毎週読みながら。それにしてもこの時の僕は、未来の自分がこんな霊的状況に突入するとは夢にも思っていなかったのです。ただがむしゃらに山へのアタックを繰返して自分の心と身体を鍛え、ドリームワークに突入する方法を日々模索していたのでした。
さて話はドリームワーク突入後に戻ります。果てしない山へのアタックと、高負荷の作品描画によって、僕の日常生活における苦悩は加速度的に上昇していきます。しかし上記にも書きました『真一文字に突き進みなさい』僕はこの言葉をそのまま実行していたのです。何が何でも!何が何でも!徹底的に!自分の作品をクオリティにこだわって描きまくっていたのです。デザインの職場にはもう戻らない、自分の作品を何としても描き続ける、と。そしていつしか、僕の心の中に新たな“夢”が生れたのです。
それは、長野県民になって北・南アルプスを攻めまくりながら画家として生涯を送る、そして100歳ぐらいまで生きて生涯1000作品を描く…というものでした。イヤでイヤで仕方ない、デザインと何の関係もないあの職場の囚人服を脱ぎ捨て、刑期を満了して、山の麓で画家として作品のクオリティを日々追求しながら暮らす…きっと最高に苦しい日々だろうけど、でもこんな風になれたらどんなに素晴しいだろう…こんな事を考えながら来る日も来る日も旧PCに向って描きまくっていたのでした。
車中泊を含んだ山へのアタックはさらにさらに続きました。身体の面ではスタミナ及び足まわりが以前の自分では考えられないほど強靭になり、どんな急斜面でもガンガン上れるようになっていきました。そしてどれだけ激しくアタックしても翌日に足が全く筋肉痛にならず、ヒザも全くノーダメージでした。2012年7月頃が僕の身体のピークだったと思います。現在はそのピークからだいぶ落ちてしまってはいますが。
そして心の面でも強靭さが増していき、高負荷の作業を恐れる事なくさらにさらに高精細な作品制作へと突入していったのです。そしてこの時さらに、僕の作品は01~37作までは“A4”サイズなのですが、思い切って作品サイズを“A2”まで上げる計画も立てていました。A2はA4の4倍の大きさです。描画の負荷も4倍になります。A4のキャンバスで描いている現在でさえこれほど厳しい状況なのに、僕はさらなる壮絶な作業負荷を自分にかけようとしていたのでした。
そしてそして、自分の絵を描くので精一杯の状況の中でも“車中泊”のおかげで毎週「シルバーバーチの霊訓」を読み続ける事ができた僕の霊的知識の理解度は段階的に上昇していき、読み始めた当初の「ふぅん、そんな事もあるんだ」ぐらいの理解から「霊が本来の自分で肉体は自分ではない」という霊的真理の初期的段階の理解に到達しつつありました。1冊ずつ、少しずつ買い足していった「シルバーバーチの霊訓」の書籍が、この頃ようやく1~11巻まで揃い(12巻はこの時は買うつもりはありませんでしたが霊性発現後に購入しました)霊的知識の理解がさらにさらに進んでいったのでした。
しかし、生活は一向に改善しません、苦しみは増すばかり。それはそうです。絵を描く時間を確保するために勤務時間を最小限に抑えていましたので、収入が増えるはずがないのです。作品制作においても、僕は一切妥協せずに自分に対して高い作業負荷をかけ続けていましたので、1作品仕上げるのにもとても時間が掛るようになってしまいました。そこで、これ以上作品のリリーススピードを落とさないために、日常生活のあらゆるものを“切り捨てる”事で強引に絵を描く時間を確保し始めたのです。
例えば、日常生活のあらゆる事象に“プライオリティ”をつけ、これは生活に絶対必要(食事等)これはなくても生活は可能(テレビを見る等)といった具合に分け、プライオリティの低いものは一切やらない、いわば“切り捨てる”訳です。すると切り捨てた分の時間が捻出できますのでそれを作品制作にあてる、といった感じで、生活全体を見直して切り捨てられるファクターは徹底的にやらない、そしてそのぶん描く、という事までやっていたのです。
33~37作を描いていたあたりは、A4からA2キャンバスに移行したくて悶々としながら旧PCで作業していました。A4キャンバスで作品を描いている現状で既に旧PCの性能の限界値にきており、どう考えても旧PCでA2作品を描く事は不可能でした。しかしA2作品を描くための、より高性能の新仕事PC「シルキー」を購入するためには絵を描く時間を犠牲にして、あのイヤでイヤで仕方ない仕事の勤務時間を増やさねばなりません。その完全に板ばさみの状況に、ある日、僕は職場で思いっきり“キレた”のでした。
…と言っても暴れたとか大声を張り上げたとかではなく、あくまでも“心の中”でのお話です。僕はこの時点ではもちろん霊性発現していなかったので自分の背後霊団の事を全く認識していませんでした。しかし車中泊によって「シルバーバーチの霊訓」の知識がかなり頭に入っていましたので、きっと自分にもいるんだろう、ぐらいには思っていたのです。そしてその背後霊団に向って僕は心の中で思いっきり叫んだのでした「もうパワー(霊力)だけ送ってくれ!使い方はコッチで決める!」って感じで。
苦しみが増すばかりで一向に改善しない描画環境に、僕はこんな感じで幼稚にキレてしまったのでした。そしてその日の仕事が終って帰宅し、旧PCの電源を入れたら…モニタはずっとブラックアウト…旧PCは一向に立ち上がりません。その後もいろいろ試しましたが結局“旧PC”は2度と立ち上がる事はありませんでした。
このクラッシュのタイミング…僕は背筋がゾクゾクしていました。旧PCは自分の背後霊団の手によって起動不能にされたのではないか?その考えを心から拭う事ができませんでした。車中泊のおかげで、霊の力でこの程度の物理現象を起こす事などたやすい、という事も知識として知っていましたので、旧PCは霊団の霊力によってクラッシュしたのでは…そう感じたのでした。
眠りについた旧PCを見つめながら、僕はこれからどう動くべきか考えていました。すると次々とアイデアが浮かんできて、僕はネット用ミニノートPCを引っ張り出してあれこれ調べ始めました。僕が旧PCクラッシュを受けてとった次の行動とは…新仕事PC「シルキー」をローン購入するために現在の週5日の勤務を週6日として、1日の休みにも必ず山にアタックする…というものだったのです。あんな幼稚に“キレて”しまうほど過酷極まる現状なのに、僕はさらなるさらなる激しい試練を自分に課す事を決断したのでした。
この決断をした事によって僕の生活は完全に休みなしの過酷の極致の状況に突入したのです。しかし僕はドリームワークに突入して以降、ツイッターでいつもいつもこう書いていました。「1歩も退く気はない」と。なのでこの時も「何としても自分の作品を描き続ける」という心の底からの願望を曲げる事はしなかったのです。それ以降の生活は、もう…目も回る状況、毎日が火の車、といった感じで、作品制作と仕事と雑務に追われまくって1秒たりともじっとしていない、まさに記憶も飛ぶような生活を送っていたのでした。
この「シルキー」を購入する計画を決めた週の奥多摩山塊アタックの時、僕は初めて自分の背後霊団に向って、真っ暗な空を見上げながら声に出して「旧PCクラッシュ、むしろありがとうございました」と宣言したのでした。この時が初めて自分の背後霊団をありありと認識した瞬間でした。といってもまだ霊力を感識するまでには至っていませんでしたが。
そして今にして思えば、この旧PCクラッシュを受けてどの方向に動くかという“分岐”が、僕の背後霊団が仕掛けた霊性発現に向けての“最終選択肢”であったのだと認識するに至ったのでした。そしてその選択肢で僕は正しい選択をした…という事なのでした。
そしてそして、週6で仕事して1日の休みに山にアタックし、描画ペースも落とさないという生活を怒涛のように送っていたこの時期から、僕の体質が明らかに以前と変わり始めるのが分りました。それ以前から肉はあまり食べない生活だったのですが、かろうじて鶏ムネ肉だけは食べていたのです。しかしある時、その鶏肉を口に入れた時、何とも表現しようのない“不快な味”を感じたのです。それがきっかけで肉類が完全に食べられなくなったのでした。魚についても同様の“不快な味”の体験をして食べられなくなり、僕は何て言うか、自動的といった感じで野菜中心の食事に変化していったのでした。
ホワイト・イーグル霊の霊言、M・H・テスター氏やM・バーバネル氏の書籍の中にもこの“食事”について言及している部分があります。僕は意図せずホワイト・イーグル霊の語る食生活に突入していった…という事なのです。ドリームワークを開始して果てしなく山へアタックし、自分の作品を描きまくるという生活を送る事によって、僕の霊体が次第に変化していった結果なのだと思います。
そしてある時ぶっ倒れました。ま、当然ですね。完全に休みなしでしたから。仕事を早退させてもらって、ごはんも食べず丸1日ぐっすりたっぷり眠りました。それでケロッと全快しました。そして週5日に戻しました。そして新仕事PC「シルキー」を購入し、ついにA2作品の描画に突入していったのです。ちなみに、シルキーを購入するまでの、PCが無かった期間にアナログ絵の38、39作を描きました。描くのを中断したくなかったんですね。
さあ、そしてついにココからです。A2作品の描画に突入してからが凄かったのです。まずA2の最初の作品、40作は失敗作でした。それはA2キャンバスの上でA4の作品と同じ描き方をしてしまったからです。つまりA4の絵を拡大してキメが粗くなったような、全体が薄まったような、そんな描き方をしてしまったのです。要するにA2の広大なキャンバスに“恐れ”をなして、負荷の少ない手抜きな描き方をしてしまったのです。これではA2キャンバスに突入した意味が無い、A4の4倍の作業負荷を恐れる事なく広大なキャンバスを細かく描き進めなければならない事を思い知らされたのでした。
そしてついに描き始めた41作。過去ブログでも少し書きましたが、この41作、そして42作、この2作品は僕のアイデアストックに一切なかった作品で、ほぼ全てインスピレーションに従って描いたのです。A4の4倍の作業負荷に身を浸しながら描き続けている時、突然「あ、こういう風に塗ったらいいんじゃないか」って急にひらめいたり、突然ペンツールの新しい使い方を発見したり、朝、目覚める直前にイメージが降ってきて「あ、そう描けばいいのか」と理解したり、ストーリーの内容が自然と頭に浮かんだり…41作42作描画時はひたすらこんな感じだったのです。
今にして思えばあの時既に守護霊様からのインスピレーションを複数受取らせて頂いていたのだと、霊性発現後になって改めて理解したのです。そして実は41作42作の“ストーリー”も、守護霊様から僕にあてて送られたメッセージであった事が後になって分ったのでした。要約すると、41作は「間もなく帰幽しますよ」42作は「霊団の導きに謙虚な心で応えなさい」というメッセージだったのです。
そんな、インスピレーションを浴びまくる状況の中で描き上げたこの2作品は、今までのA4作品とは完全に次元の違う作品として仕上がったのでした。広大なA2キャンバスのどの部分を見ても決して1色でベタ塗りしたような手抜きな場所はない、僕は細かいところまで徹底的に!徹底的に!描き進めたのでした。この2作品を描き上げた時の僕の疲労感及び満足感は人生最大のものでした。「1歩も退く気はない」この言葉を常に心に唱えつつ、僕はさらに作品数を増やすべく猛烈に43作の作業に没頭するのでした。
そして2012年7月頃からです。「シルバーバーチの霊訓」1巻~11巻を車中泊にてかなり読み進み、そろそろ「ベールの彼方の生活」に突入してもよいのでは?と思い始め、そして「ベールの彼方の生活」1巻を購入して車内で読み始めたあたりから、不思議な事が複数起こりました。朝焼けの森林限界の岩場を進んでいる時、野鳥が逃げずにまっすぐ僕の方を向いてさえずってくる、という事が2回あり、僕が以前飼っていた白文鳥のユキが超鮮明映像で何度も夢に登場するようになり、そして2012年7月のブログ「小鳥に見つめられて」にて書いた出来事が起こったのです。
その「小鳥に見つめられて」のなかで出会ったのは“ノビタキ”という野鳥の若いオスで、羽毛のカラーリングが、僕が山へアタックする時に着ているウェアのカラーリングとピタリ一致するのです(オレンジ&ブラックです)つまり、僕も間もなくそのノビタキちゃんと同じ状況になりますよ、つまり“帰幽”を告げるメッセージであったと理解するに至ったのでした。そして過去ブログ「みなさまへ。」さらに「こうなったからには…書いちゃいます。」と続いていく訳です。
…はい。僕の“ドリームワーク”と称した生活の様子、いかがだったでしょうか。僕はこんな感じで自分の心の底からの声に従い、猛烈に山にアタックを繰返して心身を鍛えながら、自分の絵を描いて描いて描きまくっていたのです。その結果「霊性の発現」となった訳です。「皆さんも僕と同じようにしてみては?」とはもちろん言いませんが、誰にも地上に降下した“目的”が必ずあって、それを遂行するための“才能”が賦与されています。なので皆さんにもぜひ自分の心の底、魂の深奥から湧き上がる“声”に耳を傾けて頂きたいと思うのです。誰の中にもきっとなにかあるはずです。
今回のブログ、過去に例を見ないほどの超超超長文となってしまいましたが、僕の本心としてはこれでもまだ書き足りない、僕がドリームワークに懸けた“想い”を全然伝え切れていない、まだまだ書きたい事がいっぱいある…そんな心境です。でもさすがにここまでにします(滝汗)
それにしても僕は上記に紹介したように、とにかく“描いて描いて描きまくりたい”男なのですが、それが現在は全く絵を描かせてもらえずに本来の自分と違う事を延々しなければならないという、最高に矛盾した状況に突入しちゃってる訳です。最高に描きたいのに1ミリも描けない…この気持を皆さんにホンの少しでも理解して頂けたら、僕はすごく嬉しいです(祈)

※超長文テキスト、不思議で難解な内容となっておりますが、勇気を持って最後まで読んでくださる方がもしいたとしたら、ここに最大級の感謝の念をささげます。
ここ数ヶ月の間、僕は本当に様々な経験をさせてもらえました。驚きと同時に光栄であり、読書にふけって知識を得るほどに、僕の中でおぼろげだったものが次々と確信へ変わっていくのが分かりました。
前回ブログの通り、僕は現在「カウントダウン中」ですが、こんなロングカウントダウンだとは思っていなかったものですから(汗笑)もうブログ更新はないだろうなと思い、書くのを途中でやめていたんです。
でも、当初の予想をはるかに上回って時間が余っているので(汗)…思い切って僕が経験した様々な現象の中から主なものをピックアップして、可能な限り詳細に解説しちゃおうかなって思います。
この、物質に骨の髄までどっぷり浸りきっている現代の日本において、僕のような体験をする人は相当稀なのではないかと思うんです。でも、僕だけではなくみなさんのすぐ近くにも存在するのです。以下の内容はほとんどの方に理解してもらえないでしょうが、こうして書き残すことによって誰かの何らかのきっかけにさえなってくれれば…僕はもうそれでいいです。
-----僕が体験した主な現象たち-----
■01 超喜悦超恍惚状態
■02 霊聴によるメッセージ
■03 車中泊で見たイメージたち
■04 目覚めたら体が180度回転していた
■05 お優しそうな満面の笑顔の男性
※上記以外の細々とした現象も軽く紹介しています
----------
■01 超喜悦超恍惚状態
旧PCがクラッシュして、新仕事PC「シルキー」を購入するにあたり、僕はそれまでも生活、作品制作両面において十分苦しい状況でしたが、逃げることなく更なる試練の道を自ら選択し、想像を絶する困苦の中に突入して連日連夜フルパワー発動を続け、41作を描きまくっていました。
そんな時、ついにこの数ヶ月体験することになる一連の事象が顕現され始めたのです。「…あれ?」机に向かっている時、僕は何かを感じました。何かはわからないのですが、何となくフレンドリーな感覚に包まれているような気がしたのです。
僕はその時点で多少なりとも本を読み、ある程度の知識を得ていたので、今僕のまわりに数人の方が来てくださっているのかも知れないと思い始めました。と、次の瞬間、今までの苦しかった出来事が1秒もしないうちに一気に心に駆け巡り、どっと涙が溢れ出ました。本当に一瞬でした。心に直接、優しく触れられたような、そんな感覚でした。
その後も作業を続けていると、突然体が地震のようにガクガク震えだしました。そして急に手先足先が冷たくなり、体のあちこちでカチッ、カチッとコードを接続するような感覚が走りました。痛みはまったくありません。きっと指導霊の方々が僕の体に対して何らかの作業をしてくれていたのだと思います。
事実それ以降は、僕がtwitterで何度も書いている通り、毎日のように法悦、喜悦状態に包まれるようになりました。もちろん最初は恐れや戸惑いもありました。でもそれ以上に、ずっと孤独の真っ只中で作品を描き続けていた僕にとっては、こんな状態にしてもらえて嬉しいという感情の方が強かったんだと思います。
そして数日後、僕は守護霊、指導霊の方々に対する信頼を示す意味を込めて、心の中で「僕のチャンネルはフルオープンです!」と宣言しました。すると僕の全身は今まで感じたことのない超喜悦超恍惚状態に包まれました!それは言葉で何と表現すればいいでしょう。無重力状態、そして無限の貯蔵庫との連絡路が開通した状態…とでも言えばいいのでしょうか。
鼻が「キィィィィン!」って、全身が「フワァァァァ!」ってなるんです。そんな、言語を絶するとてつもない状態にさせてもらえるようになったのです。
その超喜悦超恍惚状態があまりにもすごすぎるので、こんなすごい状態が何ヶ月も続く訳がない、だから僕の旅立ちはすぐ目の前に迫っている…当時はそう思っていました。しかし、現実に数ヶ月が経過し、波が強まったり弱まったりはしましたが、現在に至るまでずっと包んでもらっている状況です。(現在は以前よりだいぶ弱まりました。僕の辛抱が足りず、物質から抜けきれていないからかも知れません)
ちなみにその喜悦状態の時、ある部屋で数人が地デジテレビを見ている前を通り過ぎた事があるのですが、僕が近づくとテレビがプツッと消え真っ黒になり、僕が通り過ぎて遠くなると再び映像が流れ出した…という事がありました。
また、喜悦状態のまま車を運転している時、工事中で片側交互通行の場所に差し掛かり、僕の車は作業員に止められました。と次の瞬間、作業員が無線機を手にしながら「あれ?無線おかしいよ、聞こえないよ、おーい!どうなってんの?」と叫び出し、ちょっとした騒ぎになりました。
この、テレビと無線の件、きっと僕の状況と関係があったんだと思います。何か目に見えない力が電波を遮断していたのではないか…そんな気がします。
またある時、その日も僕はものすんごいふわっふわの状態だったのですが、知人がペットボトルの水を飲みながら僕のすぐ横に来たら、急にびっくりした表情になって「おぉぉ!何か、ふわふわする…」って言ったこともありました。僕はその様子を苦笑いで見つめ、心の中で「守護霊様、ふわふわするそうですよ笑」と思ったものでした。
■02 霊聴によるメッセージ
僕は既に7月下旬あたりで、夢やインスピレーションやノビタキちゃんの一件などから、僕に示されていたひとつのメッセージの意味を理解していました。そして僕にはどういうシチュエーションが考えられるかを予測し、自分らしい最後として「山で滑落する」と勝手に思い込んでいたのです。そして滑落の危険がある山域をわざと選んでアタックしたりしていたのです。
岩場や崖を進みながら「ここで滑るのかなぁ、今日なのかなぁ」などと思いながら、まさか故意に滑る訳にもいかないので(汗笑)注意して危険ゾーンを突破し、結局何もなく無事にゴールしてしまいました。そして翌週もさらに、わざと危険な山域にアタックしたのですが、そこでも結局滑落することはなく、ガッカリしながら樹林帯を下って帰る途中でした。
突然右耳に違和感を感じ、しばらくして「…カチッ☆」と右耳に何らかのスイッチが入ったのが分かりました。それから、明らかに右方向から人の声が聞こえてくるのです。大きな部屋に大勢の人がいて、あちこちから話し声が聞こえる…そんな聞こえ方でした。
もちろん僕は何度も右を振り向く訳です。でもそこは誰もいない樹林帯、シングルトラックの前にも後にも誰もいません。でも明らかに右から人の声がするのです。「これはくるな、何かくるな、お待ちしております…(祈)」僕はそんな受身の気持ちでその声に耳を済ませつつ、結局メッセージらしきものがないままゴール。帰りの車を運転していた時でした。
ある場所で信号待ちをしていると、右から思いっきり会話が聞こえたのです。
「(女性)…やっぱり交通事故よねぇ…」
「(男性)…そうだねぇ…」
…と。
首が折れそうな勢いで右に振り向きました!(笑)車の窓を開けて走っていたので、外の人の声かと思ったのです。でもそこには誰もいません。遠くにシャッターの閉まった店があるだけです。その瞬間、これはメッセージだと理解し「滑落じゃないんだ…交通事故なんだ…はい、了解しました(祈)」と心の中で納得したのでした。と次の瞬間、右耳はフッと通常の状態に戻りました。
■03 車中泊で見たイメージたち
7月下旬、僕はすっかり滑落と思い込んでいて、危険な岩場がある山域にアタックするため、前日夜から車の中で眠っていました。
車内で6時間くらい眠ったでしょうか、間もなく目覚ましのアラームが鳴るのではないか、そんな予感の中、僕は睡眠と覚醒の中間のような状態を意識的に保って、イメージが降ってくるのに備えていました。そして間もなく、期待を大幅に上回る様々なイメージを見ることになりました。
まず白く輝く光の十字架が無数に現れ、夜空の星の瞬きのように光輝を放っては消えるという状態が続きました。「こんなにいっぱい…僕にこんな…いいんですか?(心の中でのセリフです、目は閉じてます)」なにしろ僕は完全無宗教。今まで生きてきて“そういう本”を読んだこともなければ“そういう場所”に行ったこともないのです。
光栄な気持ちでその全天の瞬きを見続けていると、今度は無数の十字架に混じって、羽ばたく鳥のイメージがいくつも浮かび、飛んでは消えていきました。「おぉ!鳥チャン、ステキ☆」などと思っているとさらに、今度は「数字(1、2、3)」が浮かんでは消えていきました。実は僕は数字が大嫌いなのです(ここで言う数字は「お金」のことです、ずっと悩まされてきましたから(汗)僕はお金のことを比喩的に数字と呼んでいたのです)。その大嫌いな数字が現れては次々消えていくのです。
「数字が消えていく!もう数字に悩まされずにすむってことですよねコレ!うおぉぉ感動的~!」その間も光の十字架は無数に現れては消え、しばらくその状態が続き、うっとりと眺めていました。そしてついに決定的なイメージが降ってきました。
突然画面が切り替わり、束ねた「電源コード」を手で持っている、その手がアップで写された映像になりました。次の瞬間、その電源コードを「ポイッ!」と捨てたのです。僕はその映像が意味するところを、何ていうか、瞬間的に判断する事ができたんです。
僕の絵画作品はデジタルです。作品のデータは複数のメディアで厳重に保存しています。当然のことです。しかし、どう保存しようと電気がなければデータなんて「無」です。僕の作品なんて一瞬で無に帰す訳です。
でも向こうでは、地上で起こるすべての事象が詳細に記録、保存されていて、しかも紛失することも、古くなってほこりをかぶることも、劣化することもない、僕はそのように勉強していました。
つまり、あの「電源コード、ポイッ!」の映像は「物質に魂を囚われるな」というシンプルかつ根源的、そして重大な意味を持つメッセージだったのではないか…そう思ったのです。「君の作品はこっちにすべてあるし、こっちにくれば今の君では想像もつかない作品が描けるんだから何も心配ないんだよ…」僕はそう言われたような気がしたのでした。
そして、再び全天の十字架の瞬きの映像に切り替わり、徐々にそのシーンがフェードアウトして、タイミングぴったりに目覚ましのアラームが聞こえ始め、さっきまでの映像と現実との線引きがないような、滑らかで自然な移行で目を覚ましました。まるで「さぁ、アタックに行ってらっしゃい…」そう言われたかのような目覚め方でした。
■04 目覚めたら体が180度回転していた
電源コード、ポイッ!のイメージを見た次の日でした。僕はいつもどおり部屋で眠り、目覚ましのアラーム音で目を覚ましました。僕はいつも左耳付近に携帯を置いていて、そこからアラームが流れるのですが、その日はアラームが足元から聞こえてきたのです。
「…ありゃ?」と思って上体を起こすと、布団の上で僕の体が180度回転していたのです。つまり枕と携帯が足元にあった訳です。これはもしや、と思い、早速状況を見回しました。見ると布団にはねじれたしわなど一切なくきれいな状態で、かけ布団もきれいにおなかにかかっていました。
その状況を見て僕は瞬間的に理解しました。これは自分で寝返りをして反対になったのではなく、指導霊の方が僕に憑依して、立ち上がって回れ右をしてもう一回寝たのだと。しかも、本当なら枕のない状態で寝ていたので首が痛くなるはずなのに、起きた時は全く首に痛みがなかった、つまり、僕が目覚める寸前にそれらの現象が展開された…僕はそう予測しました。
この時点で僕は既に、様々な現象を体験済みだったので、この憑依しての180度反転にも特に驚きはありませんでした。もうなんでもありの心境だったのです。全然驚かなかった自分にむしろ驚きましたが(笑)
そしてこの現象の意味するところも、瞬間的に何となく理解できました。「電源コード、ポイッ!」と似たような意味を感じ取りました。きっと「間もなく正反対の生活に突入しますよ。心の準備をしなさい…」と、そんな意味が込められていたのではないか…そう思っています。
■05 お優しそうな満面の笑顔の男性
7月中旬、ノビタキちゃんの件で泣きまくっていた時のことです。泣きすぎて顔全体がしょっぱい状態の中、それまで描いていた43作をボツにして、ノビタキちゃんをモチーフにした新たな43作を描くべく準備に追われ、僕は疲れきって机に突っ伏していました。
ちょうど睡眠と覚醒の中間のようなふわふわ浮いた状態の時でした。一瞬見えたんです。超お優しそうな満面の笑顔の男性…。くせのある長髪をまんなか分けして、肩に小鳥がとまってそうな、森の守護者のような雰囲気を醸し出した、時代や民族を超越したようなお顔立ちの方でした。
僕の心に一瞬ある方の名前が浮かびましたが、まさか、そんな事あるはずが…地上において顕現なさるなんて、しかも僕なんかに…等々考えをめぐらし、その時は「きっと守護霊様のお顔だ」と思ったのです。(こんな言い方したら守護霊様に失礼になっちゃうかも…スイマセン謝)
さらにその数日後にも、睡眠と覚醒の中間で再びお顔を拝する機会を得ました。その時も“ものすんごい”笑顔で登場してくれました。そんな事があってから、僕はすっかり親しみや気安さを覚えるようになり、失礼ながらも「また見たいなぁ」などと考えていたのです。
しかしさらにその数日後、3回目のお顔の顕現の時、なんと邪魔が入ってきたのです。お顔のイメージが浮かんできたことに僕が喜んでいると、明らかに外部からと思われる力によってお顔のイメージがグニャっと歪まされ、それに対抗するように再びお顔のイメージを整えようとするのですが、再びグニャリとさせられてしまうのです。
結局3回目のお顔はハッキリと見ることができませんでした。さらにその後、僕の中にステンドグラスのイメージが降ってきたのです。そのイメージを見て、瞬間的に「旧宗教的雰囲気」を感じ取ったのです。「これは明らかに妨害、攻撃だ」と直感しました。
ただ、その攻撃が逆説的に僕にある理解をもたらしました。つまり“ステンドグラスで飾られた建物にいたであろう地縛霊”に妨害を受けてお顔が歪まされてしまうということは、やはり“あのお方”であるという証拠なのではないか…と。これがもし僕の知人の顔だったらわざわざこんな妨害をする必要はありません。そこに“妬み”のような動機を何となく感じ取ったのでした。
んな訳で、予測でしかありませんが、僕が見させていただいたあの“超お優しそうな満面の笑顔の男性”は、きっと、みなさんも良くご存知の“あのお方”なのではないかと思うんです。そう思うと本当に光栄の極みです(感謝祈)
※そのお顔のイメージがあまりにも鮮烈だったので、思わず線画を描いちゃいました(照)こんな感じの方でした。。。(謝)
face.jpg
-----
また上記の体験以外にも、明らかに離脱して向こうで見聞きしたであろうものを超鮮明な夢として見て、その中に様々なメッセージやイメージを感じ取ったこともありました。僕の夢に数回登場している地上では面識のない女性に「旅に出なきゃいかんのですよ!」と説教されたり(笑)その2ヵ月後にはその女性と「よろしく!」って言ってガッチリ握手もしました(照)
さらに「○○○くん(僕の本名)」と僕を少年時代のあだ名で呼ぶ鮮明でやわらかな女性の声が聞こえたり、(あの人かなぁと思いつつも確認できず悲)地縛霊からの陳腐かつ拗ねたような嫌がらせ、時には悪意を感じる極めて不快な夢を見させられたり等々…本当にいろいろありました。
僕が旅立ちのメッセージを理解するまで、何度も夢を見たりインスピレーションが降ってきたりしました。そして僕が理解するとそれまでの夢がピタリとやみました。また、滑落と思い込んでいた時も、霊聴によってメッセージを受け取り、僕が間違いに気付き納得すると、それ以降霊聴がピタリとやみました。そして現在、旅立ちを一切疑わず信じきっているからなのでしょう、なにも降ってこなくなりました。法悦状態は弱いながらも続いていますが。
今回の経験で僕は、守護霊からのインスピレーションは常に降ってきているが、それを受け取れるかどうかはその人の霊的成長しだい。さらに受け取れるようになったとしても、それをどう解釈するかは本人の心の持ちようしだい、ということを知りました。あくまでも本人が気付き、考えて答を見出していかなければならないんです。導きは常にあります。でもそれを正しく判断するのは僕たちの努力と理解力、そしてなによりも“向上心”しだいなのです。
降ってきたイメージについてもうひとつ。地縛霊からのものか高級霊からのものかを見分ける“基準”を僕なりに記述しますと、地縛霊からのイメージは陳腐でこの世的で美しさに欠けるものがほとんど、物質を脱していない、という印象が強かったです。反面、高級霊からのイメージはシルクのようで幻想的で美麗、地上のどんな高性能ディスプレイでも表現できない高精細な美しさがあるのです。
ある時、白い紙に青い文字が書かれた手紙のようなものを見た事があるのですが、たった一枚の紙なのになめらかで内側から白く発光しているようで何とも言えない美しさがあり、しかも高精細なのです。皆様がもしこのような体験をする事がありましたら、こういう判断基準で上から降ってきたのか下から降ってきたのかを考えてみてはいかがでしょうか(祈)
…と、ここまで読んでくださったみなさまに、僕がまもなく旅立つことを信じきるに至った経緯を少しでも理解してもらえたらうれしいです。僕の文章力が足りなくて理解してもらえなかったとしても、僕たちの身の回りには物質を超えたこれらの現象が常に存在している、それだけでも得心していただきたいと願っています。
-----
9月30日(日)長野電鉄長野駅搬出にあたって再び高速道路を走ります。今の僕には、もう旅立ちのタイミングはこの時以外考えられません(懇願)もし作品を携えて帰りたくもない家に帰ってきちゃったら、10月からどう生きればいいのか、正直途方にくれちゃいます(笑)思わず44作描き始めちゃうかも知れません(滝汗)ま、そんなことにはならないと思いますが(笑)
僕は既に向こうで自分が描くであろう作品の脳内シミュレーションも始めています。向こうではきっと、あんな不可能も、こんな不可能も克服して、今の僕では想像もできない作品がきっと描けるはず…自分の到達した境涯の表現範囲内において…。その前提の下にアイデアを出しては楽しんでいます。
A1なんてサイズをぶっ飛ばして、超巨大キャンバス、自在可変キャンバスで描けるはず。1秒たりとも同じ色彩を留めない、躍動した極彩色の羽毛を全身にまとった鳥が描けるはず。フォトショでは1ピクセル以下の描画はできませんが、向こうではもちろんそれより細かく描画できるはず、そして鑑賞者の霊眼もその微細表現を0.0001ピクセルであっても正確に見る事ができるはず。
鑑賞者が絵に近づくと、どこからともなく心地良い音楽が流れ、絵の中の鳥が目をぱちくりさせ、鑑賞者の心に直接あいさつできるはず。鑑賞者の心象に感応して、絵の中の様々なオブジェクト(花、木、山等)が千変万化の色彩表現を展開できるはず。さらにBGMが切り替わってエキストラキャラ(小動物、妖精等)が登場し、歌ったり踊ったりケンカしたりできるはず。そして遠くの山の稜線には、スピードハイク中の作者がごく微小な影として見えるはず(照笑)
そんな「絵画」を超えた「作品」をきっと織り成せるはず…。そして向こうの実情を知るほど、ここに記述した内容が赤面するほど陳腐だったと反省する日がくるはず…。いや、きっと来てほしい…。
きっと、きっと僕はもっと描ける。そんな想像を膨らませながらエックスデーを待っている、今の僕の状況です。
超長文ブログ、ここまで読んでくださったみなさま、心から…ありがとうございました(感謝祈)
たきざわ彰人、発進(…できますように祈)☆☆☆

僕のブログ、ツイートを見てくださってる方はもう理解しておられると思いますが、僕は現在「カウントダウン」中です♪(嬉笑)カウントダウン開始以降、僕の体はすんごい事になっております。今日も最高にふわっふわに包んでもらっているような状況、鼻は常にしょっぱく、この数ヶ月で、熱くて柔らかいキスを数え切れないほどして頂きました(照照照)※比喩ではなく事実です。
そして最近は、本を読めば文字が二重に見え、明らかに肉眼以外の眼が発動している感覚があり、いよいよな雰囲気が漂っております。とはいえ中々こないものですから、ひたすら読書を続けるのも忍耐が必要になっておりますが(汗笑)
さて、せっかくですので、僕が今まで事ある毎に読んでいた本、ならびにここ一ヶ月ほどで新たに購入して読んだ本などを紹介してみようと思います。これらの本を読んでいる事を公表するのはある意味では勇気が必要です。しかしタイトルの通り…こうなったからには…書いちゃいます。僕のこの行動によって、誰かの心に「きっかけ」ができれば、僕はもうそれでいいんです(祈)
-----僕が読んできた本たち-----
■シルバー・バーチの霊訓 1巻~11巻
■霊界通信 ベールの彼方の生活 1巻「天界の低地」篇・2巻「天界の高地」篇・3巻「天界の政庁」篇・4巻「天界の大軍」篇
■ホワイト・イーグル霊言集
■霊性進化の道 ホワイト・イーグルの霊示
■天使と妖精 ホワイト・イーグルの霊示
■インペレーターの霊訓 続「霊訓」
■母と子の心霊教室 不思議な心の世界
■霊性を開く あなたを支えるもの
■背後霊の不思議 あなたの運勢を開く
■霊界通信 小桜姫物語
■永遠の大道 付・個人的存在の彼方
■霊訓
-----
-----簡単な解説-----
■シルバー・バーチの霊訓 1巻~11巻
部屋で、そして果てしなく繰り返した山への単独アタックの車中泊の時に、何度となく、本当に何度となく繰り返し読んだ本たちです。読みすぎて本の角がすり減ってます。どれだけ読み返したか知れません。どれだけ読んでも全く飽きません。最高にお勧めです☆
■霊界通信 ベールの彼方の生活 1巻「天界の低地」篇・2巻「天界の高地」篇・3巻「天界の政庁」篇・4巻「天界の大軍」篇
これも全巻何度となく読み返しています。壮大、圧巻の一語に尽きます。誰もが暮らす次の場所について人間が理解できる限界までとことん描写されてます。その意味を理解しようとして集中して読み込むほど、言葉の奥に隠されたものがあると気付かされます。
■ホワイト・イーグル霊言集
■霊性進化の道 ホワイト・イーグルの霊示
■天使と妖精 ホワイト・イーグルの霊示
■インペレーターの霊訓 続「霊訓」
この4冊は最近新規購入して読んだものです。全巻3回読みました。大変勉強になると同時に実生活において応用できる事柄(食事、呼吸法等)が具体的に書いてある箇所もあります。ホワイト・イーグル霊のやさしさが全体からにじみ出ています。どの本もすばらしいの一語に尽きます。
■母と子の心霊教室 不思議な心の世界
これは子供たちに向けて書かれたとても親切で分かりやすい入門書です。文字数も少なくとても読みやすいです。僕はこの本は小学校の教科書にすべきだと思います。
■霊性を開く あなたを支えるもの
物質界で顕現する様々な現象を科学的に検証した、地上時代に知っておくべき内容を紹介した解説書、といった内容です。
■背後霊の不思議 あなたの運勢を開く
これも地上での生活中に成功を誘引する心構えなどを中心に記述された本で、
大いに参考になる内容です。
■霊界通信 小桜姫物語
■永遠の大道 付・個人的存在の彼方
■霊訓
この3冊は古文で書かれており、読むのが相当厳しいです。。。僕は結局読めませんでした…(悲)
-----
※番外編
※かもめのジョナサン
僕はこの小説を小学校低学年時代からずっと心のどこかで意識していたんです。そして大人になってからその時の記憶をたどって購入し、以来ずっと手元に置いてありました。そして43作を描いてる時、なぜか突然手にとって読み始め、その内容に驚愕したのです。ジョナサンのパート1は、まさに今の僕の生き写しだったからです。
違いといえばジョナサンは「飛ぶ事」、僕は「描く事」を追求していた部分だけでした。ジョナサンの飛行練習風景、孤独に突入してからの生活、すべて僕が描く事を追求する中で味わってきた苦難とピタリ一致するのです。つまり、僕が幼少の時から「いつかこれを読んで理解するんだよ」と導かれていたと知りました。なんという叡智…そして愛…(祈)
ちなみにこの小説のストーリー、読む人が読めば、上記の本たちと全く同じ内容であることが分かると思います。ただキャラクターがカモメになってるだけなんですよね(考)
※(DVD)伝説巨人イデオン
この作品の内容は上記の本と全然違うもののようですが、割と近いエッセンスは入ってるストーリーだと思います。このDVDを手に入れた経緯がとても不思議、不自然で、全然話した事もない知人がいきなり譲ってくれたのです。「え?何で?」って感じでした。
それ以後なぜかずっと持っていて、事ある毎に急に観たくなったりするのでした。僕がロボット好きの少年だった事もあり「いつかこれを観て理解するんだよ」と導かれていたのだと思います。僕に気付かせるためにこんな事までして頂いて…そう思わずにはいられません(祈)
こんな感じで、今になって過去の出来事を振り返ると、いくつかの場面に「導き」の痕跡がありありと伺えるのです。
僕にとって絵はもちろん大切なものですが、僕の地上における最大の目的は絵で成功する事ではなく、この絵の才能を最高に発揮し、限界の限界まで奮闘努力し、その先にある光に到達する事だったんです。絵はそのための手段だったんだ、という事を心底理解しました。
ちなみに山についても書きたい事はいろいろあるのですが(特に僕が好きだった雪山等)、今回のテーマに一番適しているものとして「ナイトアタック(自分で勝手に考えた名前です)」について少しお話します。
僕のアタックスタイルは、アタック前日に登山道入口に到着し、読書にふけりながら車中泊し、翌日未明、日の出2、3時間前にヘッドライトとハンドライトを装着して、暗黒の森の中を単独で登り(この部分がナイトアタック)日の出と共に稜線上を駆け巡り、ほぼ無休憩で8~10時間登下降を繰り返してゴールする…というものでした。
明るい時間にハイカーと出会う事は良くありました。しかしナイトアタック中にハイカーと出会った事は、数え切れないほどアタックを繰り返していますが、ただの一度もありません。(シカちゃんには無数に遭遇してますが笑。シカちゃんの眼は光るんですよ、群れに出会うと無数の光る眼に囲まれるんです。でもぜんぜん怖くありませんよ)それほど僕のしている事が特殊だったのでしょう。
しかし、A2を超えてA1キャンバスに突入するつもりだった僕には、どうしてもその想像を絶する作業負荷に耐えられる勇気とか根性とか忍耐が必要だったんです。クオリティの高い作品を描き続けるために、僕にとってナイトアタックという修行はある意味必須のものでした。
そんな尋常ならざるアタックを果てしなく繰り返すうちに、僕の中から恐怖心がどんどん消えていき、しまいには「暗闇がないと退屈」と感じるようにさえなりました。さらにはスタートタイムを早め、ライトの予備電池をザックに入れて、ナイトアタックの行動時間を増やす事さえありました。そんな訳で、闇の恐怖を克服するほど、日常生活においても恐怖心がなくなり、過酷な作業負荷を恐れず突き進めたのだと思うんです。
そして山についてもうひとつ、健康という側面でも大いに意味がありました。僕はたぶん同年齢の他の男性と比較にならないほど健康だったと思います。病気とは完全に無縁、脚力が増すほどに体はどんどん軽くなり、持久力が増すほどにいつまでも激しく動き続ける事ができました。連日連夜のフルパワー発動に耐えられたのも山のおかげだと思っています(祈)
僕は地上で縁を築く事はありませんでした。なので地上になにひとつ縛られるものはなく、今まで僕を導き、支えてくださった方々の所へ安心して行く事ができます。みなさんは地上での縁を大切にしてくださいね。でもそれ以上に僕たちひとりひとりを支え、守ってくださっている素敵な方々にぜひ意識を向けて頂きたいと思うのです。
…ここから先は、みなさん自身で考えください。みなさんもきっと気が付く時がきます。僕はそう固く信じています。
このブログをUPする事で、僕はひょっとしたらダメージを受けるかもしれません。しかし、今まで僕を導いてくれた光り輝く方々への全幅の信頼を「行動」によって表明する…そういう意味を込めてあえてUPに踏み切りました。それほど僕は感謝しているんです(祈)
最後にひとつ、予言をしちゃいます☆(笑)僕が所属していた旧血族(要するに家族です)は、間違いなく、僕の生命保険を使って全員揃って高い寿司を食べに行きます。高笑いしながら。この予言は100%的中します!絶対の自信があります!
では、カウントダウン中のたきざわ彰人でした~m(_ _)m☆☆☆

間もなく長野電鉄長野駅構内にて作品展示開始です。(9/2~9/30)41作・42作・43作(A2)と、A4最新4作のダイジェスト版、計4枚を展示予定です。
僕の作品を心待ちにしている方がもし居るとしたら、ここに最大級の感謝の気持ちを捧げます。ただ、申し訳ありません。僕は今、44作を描いていません。どうしても勉強しなければならない事があり、それに向けて知識を吸収すべく読書に没頭している最中です。
正確な日程は不明ですが、僕は間もなく旅に出ます。あるひとつのメッセージが、あらゆる方法で今まで何度も僕に届けられていました。ノビタキちゃんのあのまっすぐなまなざしも、そのメッセージのひとつの顕現だった事を知るに至りました。
僕の作品を見て、僕のツイートを読んで、ほんの少しでも何か心に引っかかるものを感じてくれた方がいたとしたら、その方々に僕はこう言いたいです。「困難に立ち向かいましょう」と…(祈)
僕はこの人生において、幼少期から現在に至るまで、ずっとひとつの衝動に突き動かされてきました。それは「自分の作品を描きたい」という根源的な欲求でした。何をどうやっても消せない魂の深奥からのメッセージでした。
どの職場にいても、どんなデザインワークをしていても、僕の心の中からその思いが消える事はありませんでした。そしてその欲求を抑える事ができずに、僕はついにDreamwork(ドリームワーク・たきざわ彰人としての作品発布)へと突き動かされて行きました。
たきざわ彰人としての作品を描けば描くほど、僕の心は未知の世界へと近付いて行くようでした。そして作品描画の負荷も増大の一途をたどり、雑務が流星の様に降り掛かり、僕の日常生活は耐えがたき困苦の真っ只中に置かれていきました。さらに僕の周囲に理解者は一切なく、誰に話しても僕の決意、真意は理解される事はなく、僕は孤独の極地に立たされました。
それでも、僕は逃げませんでした。一歩も退きませんでした。目の前に立ちはだかる壁を越えるために猛烈に描き続けました。何が何でも描き続けました。どうしても、どうしても、どうしても描きたかったからです。A2サイズの作品に突入してからはもう、目も回る状況でした。
■041「境界のプレリュード」は、僕の心にとって一大転換の作品になりました。この41作、僕のアイデアストックには一切無かったもので、ほぼすべてインスピレーションに従って描いた作品です。連日連夜フルパワー発動を繰り返し、ギリギリの精神状態でようやく描き上げた時、僕はうっすら理解しました。僕は自分の力で作品を描いていたのではない、描かせてもらっていたのだと…。
■042「銀河樹」これも僕のアイデアストックには一切ありませんでした。ある朝目覚めた時、木が宇宙になっているイメージが浮かび、それに従って描き、ストーリーも自然に構築した、そんな作品でした。巨木の枝の選択範囲を切る作業は、過去経験した事のない壮絶な負荷となりましたが、それだけ完成した時の充実感も大きいものでした。
■043「小さな瞳」これを描く前に別の43作を描いていたのですが、ノビタキちゃんの一件があって急きょ前43作をボツにして描き始めた作品です。描かずにはいられなかったのです。ストーリーも本当にごく自然に沸いてきました。そして43作描画時に、鳥の羽毛のグラデーションの秘密の衣の縁に触れたような出来事があり、気が付いたらフォトショ標準搭載ブラシツール1本のみで鳥を描いているという、信じられないシンプル作業に突入していました。
今になってこの3作を振り返ると、そこにひとつのテーマが浮かんでいるように思いました。■041「境界のプレリュード」は「悟り」、■042「銀河樹」は「謙虚」、■043「小さな瞳」は「愛」…こんな感じに思えてなりません。
僕はA2を超えてA1キャンバスに突入し、100歳くらいまで作品を描きまくって、生涯1000作品という影の目標さえ掲げていました。でも、旅に出るのですから仕方ありません。僕はインスピレーションに従います。何の知識も環境もない僕がこんな境涯に浸れたのは、まさに光栄としか言いようがありません。この無限なる愛、言語に絶します。ただただ感謝、それしかありません。今まで僕を導いてくれた存在に全幅の信頼を置き、笑顔で旅立ちます。
みなさん、今置かれている状況がどんなに厳しくても、今ある物で事足れりとし、その中で最善を尽くしましょう。必ず越えられます。努力です。忍耐です。前進です。怠惰連合軍の一員になってはなりません。怠惰殲滅(たいだせんめつ)です。みなさんにもきっとわかってもらえる日がくる事を僕は固く信じています。
最後にもう一回だけ…僕は、どうしても、どうしても、どうしても自分の作品を描きたかったんです。
では☆☆☆(祈)

今回も例によって山にアタックしてきましたが、そこで一言では言い表せない出来事に遭遇しました。
僕はいつもトレイルを進みながら、野鳥の美しい鳴き声が近くから聞こえると「鳥チャン、ステキ♪」などとつぶやきつつ進むのですが(僕のアタック中のデフォルト風景です恥)そんな中、いきなり地面に小鳥がいるのを発見。えー♪こんな近くで野鳥を見られるなんてラッキー☆などと思い、逃げられないようにそーっと見ていると…逃げる様子が全くなく、よたよたしながら羽を膨らませている…あれ?様子がおかしいぞ…何か、明らかに苦しそうだぞ!!
よく観察してみると、さっきから全く鳴いていない。くちばしに何らかのダメージがあるもよう。これではエサも食べられないのでは…。そんな事を考える僕を、小鳥は目を細めながらじっと見てくるんです。小鳥に見つめられて、僕はドキッとしました。実はこの件には伏線があるのです。
ここ1ヶ月ほどの間に、実は2回「野鳥が逃げずにまっすぐ僕の方を見つめて鳴いてくる」という出来事が起きています。あまりに不自然だったのでよくおぼえているんです。さらに、僕の以前の飼い鳥だった白文鳥の「ユキ」も、若い時の艶のある羽で、真っ赤なくちばしを輝かせながら、ものすごく鮮明な映像で数回夢に登場しています。単なる夢と言ってしまえばそれまでですが。
今回もそれなのか?などと思っていると、何と小鳥の方から僕の手に乗らんばかりの勢いで近付いてきたのです。「野鳥」が自分に危害を加えるかも知れない人間に自ら近付いてくるなんて、よっぽどの事だったに違いありません。その苦しそうな表情を見て、よっぽど痛くて心細くて寂しかったから近付いてきたのではないか…そんな考えが瞬間的に頭をよぎり、僕は一気に…もう…(涙)
っと、そこにハイカーの鈴の音。僕は反射的に小鳥と距離を置き、道の反対側に移動して荷物をチェックする真似をしてハイカーの注意を自分に向けさせました。どうやらその作戦は成功したようで、ハイカーは小鳥のいる方を見向きもせず通り過ぎていきました。
ここは鳥獣保護区。野生動物に手出しは厳禁です。でもこのまま放っておいたらこの小鳥はどうなってしまうのか。せめて人の目に付かない場所に移動させてあげたい。僕はそう思い、ハイカーが遠くに行ったのを確認してから、両手で小鳥をそっと包み込むようにして、ルートを外れ森の中へ入っていき、緑が深くて目立たないポイントまで来たのを確認してからゆっくり小鳥を放しました。
「何もしてあげられなくてごめんなさい…」
そう言って僕が立ち去ろうとした時、小鳥はじっと、ただじっと僕をまっすぐに見つめ続けていました。
こんなに…こんなに見つめられたら…僕は…(涙考)
小動物が傷つく、こんな事は自然界で当たり前に行われている営みです。別に感傷に浸る必要などないんです。頭では解っています。でも、伏線絡みでこうも続くと、そこに潜む意味を考えずにはいられません。
小鳥の、あの傷ついた様子では、たぶん今夜は…(悲)この、駆け巡る感情は何なのでしょうか…(考)ただひとつ、これだけはハッキリ言えます。あの時、小鳥が僕をまっすぐに、本当にまっすぐに見つめてきたあの眼差しを…僕はこれからも忘れる事はないと思います…(祈)