今日の幽体離脱時に「大岡越前」に関する映像が降ってきました。「正義が悪を滅ぼす」という意味で霊団が降らせてきたものと信じますが何しろ古ぼけたボロボロの映画のセットのような建物で、役者たちがただルーティンの演技をしてるだけなのが気になりましたが。さぁフラー12のカラーリング、今回はカラーコンセプトをあえて設定せず塗り始めてます。ヤマカガシちゃんのカラーに縛られない方がいいと思ったからです。描かねばならないストーリーもたくさんあります、そしてもちろんブログが最優先ですので作業を急ぎましょう(祈)†
「あとは勇気」ピーチピチ(佳子)が奴隷の女の子たちの救出に動くまであと1歩という意味でしょう(祈)†
2014年7月「隔離フィールドの発動」と共にスタートした「イエス様ハンドリング」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を死刑、滅亡させる使命遂行ですが、その間、大勢の方々にブログをご覧頂きました。現在も手を変え品を変え拡散の作業を続けており、さらに新たな人々に僕のブログの存在を認知して頂いています。しかし残念ながら僕の正直な所感は「ブログを見て頂く事はできても僕の使命遂行の真の意味は理解されていない」という事です。ある青年と同じレベルで僕の使命遂行の内容を把握、理解して下さっている方はごくごく少数で、ほとんどの方が霊的内容で埋め尽くされた僕のブログの意味を理解できず、そのためごく表層だけを見て深いレイヤーにまでは入って行かず(ブログ量が膨大すぎてとても追いかけて読む事ができない、という事もあるでしょうが)あとは僕を小バカにして曲解している、そう予測します。
で、僕の事を理解できず小バカにしてくるのは一向に構いません。僕は物質界で理解者を探そうとは思っていません。理解者なら霊界にたくさんいます、僕の人生の視点は霊界を見ています、帰幽後の霊界生活が僕の人生目標です。物質界にはイエス様に仕事をお願いされてしまって仕方なく残されているだけです。霊性発現を果たした僕は軽蔑、嘲笑、誤解、嫉妬、侮蔑、罵倒の嵐を浴びながらの生活を宿命づけられています、これから逃れる術はありません。僕はそれで全然構わないのです。物的栄光、地上的肩書など霊的褒章の前にはクズ同然です。僕の地上での評価などどうでもいいのです、そんな事より奴隷の女の子たちを助けてあげなければならないのです。僕は画家の試練Dreamwork、山での激しい修行、愛の試練(霊障イペルマルシェ)によって徹底的に精神力が鍛えられていますので、僕はどんなに誤解を受けようと耐える事ができます。しかし幼い奴隷の女の子たちはそうはいきません。女の子たちは本当の母親から引き離され邸内地下に閉じ込められているため、守ってくれる親がいません。
強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を筆頭に、女の子の回りの人間は誰ひとりとして女の子たちを助けてあげるつもりがない奴らです。全員が強姦殺人ほう助であり人類最大級の大罪を犯している奴らなのです。たとえば奴隷の女の子のすぐ近くに、いつも優しくしてくれる人がいたとしましょう。女の子たちはその人間を信頼して好きになるかも知れません。しかしその女の子の純粋な気持ちは100%裏切られて強姦殺人されるのです。もし奴隷の女の子にいつも優しくしている男がいたとしましょう。そいつは人類最大級の偽善者であり強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁と同じく「宇宙一のバカ」という事になります。邸内にいる人間全員が、そして日本国民全員が、幼い奴隷の女の子を殺し続けているのです。誰ひとりとして奴隷の女の子たちを助けてあげようとして立ち上がる者が現れないのです。しかし僕は違います。僕は「イエス様の怒涛の連続顕現」を受けて使命遂行者となりました。そして僕はイエス様の御名を連呼しまくっています。それは僕が背負う事になった責任の重大さを理解した上でわざと行っているものなのです。つまり自身の退路を断っているのです。
奴隷の女の子たちを救出せずに僕の残された地上人生はありません。イエス様はじめ霊界上層界の方々の積年の悲願を成就させる霊の道具として機能しなければ僕の存在理由が吹き飛んでしまいます。僕はどんなに罵詈雑言を浴びせられ屈辱を味わわされても一向に構いませんが、しかし奴隷の女の子たちの救出だけは完了させねばならないのです。これは僕の地上的生命の生き死にに関係なくです。そして霊団は使命遂行初期の頃からピーチピチ(佳子)の思念を降らせ続けています。それはピーチピチ(佳子)がイエス様の悲願成就、奴隷の女の子たちの救出に欠かせない存在だからでしょう。ピーチピチも奴隷の女の子たちと全く同じ手法で、文仁が美人の母親から盗んで自分の娘という事にした女の子です。ピーチピチ(佳子)は文仁、紀子と1ミリも血がつながっていない完全なる「赤の他人」です。ピーチピチはこの表現を嫌がるでしょうが要するに「強姦殺人(殺処分)されずにオトナになる事ができた奴隷の女の子」という事になります。幼い時のピーチピチは文仁から奴隷の女の子たちと全く同じ扱いを受けました。
ピーチピチが日本で1番、奴隷の女の子たちの苦しみ、悲しみを理解してあげられる女性だと思うのです。つまり(あくまで僕の個人的所感ですが)ピーチピチには奴隷の女の子たちを助けてあげる義務のようなものがあると思うのです。日本のどの女性よりピーチピチが奴隷の女の子たちを助けてあげなければならないはずだと僕は思います。「助けてあげられたらいいよね」では断してなく「このタイミングで救出完了させねばならない」という事を僕から皆さまに最大級に明記させて頂きます。その救出実現のために、えー男としてあまり宜しくない行為だと分かっていながらどうしても使命遂行を立ち止まらせる訳にはいきませんので、先日このようなWordPressヘッダー画像を作りました。ピーチピチ(佳子)の彼氏が邸内入りしたら、その男も「強姦殺人魔仲間」になります。その男には強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁と真正面から闘う精神力は間違いなくないでしょうから、脅しに屈してお仲間になり、この宇宙一のバカどもと一緒になって女の子を強姦殺人して遊ぶ事になります。そのような事は絶対に僕が許しません(本気怒)
ピーチピチ(佳子)には大変申し訳ないのですが、ピーチピチの彼氏がメディアに登場して「邸内入りする」と発表されたら、僕は残念ながらその男の画像を一番右のシルエットの中に張り付ける事になります。霊団が降らせてくるピーチピチ(佳子)の思念を思う時、もうピーチピチの心は決まっていると見て取れるのですが、明仁、文仁、徳仁、悠仁に徹底的に脅されて自分の人生を歪まされているようです。ピーチピチ、まず赤ちゃんの時に盗まれた時点でキミは人生を奪われているのよ。そのうえ成人してからも強姦殺人魔の命令を聞かねばならない理由は一切どこにもないと思うわよ。これは当たり前の一般常識だと思うわよ。今ブログのタイトルに冠しました「あとは勇気」この思念が、ピーチピチ(佳子)が自分の人生を自分で決める事、強姦殺人魔の脅しを振り切る事、奴隷の女の子たちの救出に協力してくれる事、その実現の「あと1歩」のところまで来ている、ピーチピチが勇気を振り絞って「イエス様ハンドリング」の協力者となり、奴隷の女の子たちの救出に立ち上がってくれる、そういう意味の「あとは勇気」だと信じたくてたまりません。
はい、理性、良心に基づいて思考できる常識的皆さまなら僕がブログで公言し続けている内容にもちろんご納得頂けるはずですね。信じられない人数の幼い女の子を遊びで四肢切断、強姦殺人しまくっている明仁、文仁、徳仁、悠仁を死刑にするのは人として当然の行為であり、その当たり前の事がこうも実現できないのは明仁、文仁、徳仁、悠仁が国民に暗殺をチラつかせて脅し続けているからであり「国民に親しまれる天皇」などという自演乙の寝言を2度と言えないように完全に滅ぼさねばならないという事。この人類の恥、宇宙一のバカはただ生きているだけで僕たちに迷惑をかける人間のクズであり、即刻消滅させねばなりません。それは待ったなしの緊急命題であり、もたもたしていればそれだけ奴隷の女の子たちが殺され続け、皆さまの苦しみが累積し続け、ピーチピチ(佳子)の人生も狂わされてしまう事になります。なぜ強姦殺人魔に僕たちが翻弄されなければならないのでしょうか。強姦殺人魔の未来はただひとつ「死刑」だけのはずです。これ以上当たり前の事が他にあるでしょうか。さぁピーチピチ(佳子)の背中を押してあげて奴隷の女の子たちを助けてあげましょう(祈)†
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www.youtube.com/watch?v=QqJPejYHS_I&t=56s
ピーチピチ(佳子)(ピーチピチは文仁、紀子と全く血が繋がっていない赤の他人です)
wp.me/Pa9cvW-1uK
神(強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の死刑、滅亡を“神”に祈ります)
wp.me/Pa9cvW-1Ri
切断死体の撮影(明仁、文仁、徳仁、悠仁が奴隷の女の子を遊び殺す様子です)
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僕(ちょっとした自己紹介です)
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暗殺(徳仁はポリーチェPOLICEに命令して僕の暗殺を何度も画策しているのです)
wp.me/Pa9cvW-1vQ
コイツら死刑(明仁、文仁、徳仁、悠仁の未来は死刑以外に有り得ないのです)
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放火(徳仁は僕の放火暗殺を何度も画策しているのです)
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処刑遊び(明仁、文仁、徳仁、悠仁は奴隷の女の子を遊びで強姦殺人するのです)
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Dreamwork(僕の生涯の夢のお話です)
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画家作品(こういう絵を描いてたんです)
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葛飾北斎の墓(画家時代の決意表明の様子です)
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山駆けるヒカリ(画家時代に書こうとしていた小説です)
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フラー(お花ちゃんが飛んでロボに変形します)
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アナログ絵(現在269まで完成中)
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霊関連書籍(人類の宝、珠玉の書籍群をぜひお手元に)
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【7/21】2012~2013年ごろに撃った霊関連書籍の内容の抜粋です(祈)†
「レッドマンのこころ」より→「偉大な指導者といわれる人はみな超能力を持っていた。スー族の酋長シティング・ブルなどはその典型である。いつでも入神(トランス)状態に入り様々な映像を霊視する事ができたという。そのために彼は祈りと断食と寝ずの行による鍛錬を怠らなかった」
「レッドマンのこころ」より→「インディアンは超能力が発達している事は事実です。最近はいい加減な事をやるペテン師も多いようですが人間の煩悩や多様性を考えれば昔においても少しはペテン師もいたに相違ありません。ただ驚異的な能力で予言したり不思議な現象を起こす者がいたのは事実です」
「レッドマンのこころ」より→「心を清めて大霊の心を体得したければ二日間、体力のある者はそれ以上、断食をする事です。肉体が清められ霊が肉体を完全に支配するようになります。祈りと断食に加えて目的意識を鮮明に維持すれば自分自身のみならず周囲の人達にも威力を行使できるようになります」
「レッドマンのこころ」より→「インディアンの思想には肉体は魂が物質化したものでありその肉体に宿ってのこの世の生活において来るべき世界で使用する魂と身体を構成しつつあるのだという。魂の質を向上させ霊視力、霊聴力を発揮させ、神についての正しい知識を携えて霊界へ旅立つという」
「レッドマンのこころ」より→「アメリカ大陸に最初に居住したインディアンには誇りと同時に稀にみる謙虚さがありました。万物の霊長であるなどという思い上がった考えは本性的にも、また教えの中にも存在しませんでした」
「レッドマンのこころ」より→「寂滅とは何かと問えば霊覚者は「それは偉大なる神秘即ち神である。聖なる寂滅こそ神の声である」と。では寂滅の行によって何が得られるかと問えば「克己心、真実の勇気または忍耐力、我慢、尊厳、敬虔―寂滅こそ人格の礎である」と答えるでしょう」
「レッドマンのこころ」より→「東の空に向かって直立不動の姿勢を取り、地平線上に登りくる太陽に向かって無言の祈りを捧げます。自分一人で、朝の太陽と、新しい大地と、偉大なる静寂すなわち神と出会うのです」
「レッドマンのこころ」より→「朝起きた時は朝の光に感謝しなさい。生命と力に感謝しなさい。その日の糧に感謝しなさい。そして生きる喜びに感謝しなさい。もしも感謝する理由がわからない時は、それは自分の何かが間違っているからだと考えなさい」
「レッドマンのこころ」より→インディアンの祈り「大霊よ。ここに謹んで私の祈りを捧げます。私に憎しみを抱く者に対しても公正であるようにお導きください。そして、いついかなる時も思いやりの心を忘れる事のないよう、導き給わんことを」
僕は果てしなくナイトアタック(深夜の山行)を繰り返し、闇の恐怖を克服してかなりのレベルの勇気に到達したと思ってました。日本においてはそうだったかも知れませんがインディアンの方々の勇気には到底及ばないと理解しました。視線を上に向けられるって素敵です☆僕はまだまだなのです(祈)
「レッドマンのこころ」より→「ホワイトマンの文明は完全な失敗だった。今その崩壊の過程を身のまわりにいくらでも見出す事ができる。あらゆる査定に“不合格”の評価を下す事ができる。その事に異論をはさむ人はいないであろう」
「レッドマンのこころ」より→「その原因をたどれば“拝金主義”に行き着く。かつてのインディアンにとっては、まったく縁のないものだった。インディアンにとって最大の脅威は、食べるものが無くなる事であって、それに備えて彼らなりの貯蔵法を考えていた」
「レッドマンのこころ」より→「ところで“文明”とは一体何なのであろうか。理屈っぽく言えば、人間が一人であるいは一家族だけで生きるのをやめて、大きなグループをこしらえて共同で生活し、共同体の恩恵を享受しながら、同時に共同体の弊害をこうむらないようにするシステムの事であろう」
「レッドマンのこころ」より→「今の西欧的物質文明では、一人の億万長者が出る一方で億の単位の貧困者を生み出すばかりである。そんな荒廃のもとでは幸福はあり得ない」
「レッドマンのこころ」より→「世界史に類を見ない勇壮な民族だったレッドマン、肉体的にも完璧の域を極めていたレッドマン、最も霊性豊かな文明を生み出したレッドマン―このレッドマンになり代って私は、古き良き時代からのメッセージをお届けした次第である」
「シルバーバーチの霊訓」より→「物的身体構造すなわち肉体は霊が成長するための地上的体験を得る上で無くてはならないものです。霊と肉体は一体不離です。そして地上生活の期間、いわゆる寿命が切れる時期は大方の場合あらかじめ分かっております」
「シルバーバーチの霊訓」より→「肉体を霊から切り離して考える事はできません。肉体は霊に制約を与え、霊は肉体に生命を与えるという具合に両者は切っても切れない関係にあります。一個の存在を構成している二つの要素を分離して考えてはいけません」
「シルバーバーチの霊訓」より→「地上の科学者がいかなる説を立てようといつかは必ず肉体に死が訪れます。それは霊を解放するという役目を果たす事になるのです。つまり肉体の死は肉体の誕生と同じです。前者は霊の“退場”であり後者は“入場”です」
「シルバーバーチの霊訓」より→「地上では死を悲劇と考えますが私たち霊の立場からすれば悲劇ではありません。解放です。なぜなら魂の霊的誕生を意味するからです。地上のあらゆる悩み事からの解放です。よくよくの場合を除いて死は苦労への褒章であって罰ではありません」
「シルバーバーチの霊訓」より→「死は何を犠牲にしてでも避けるべきものという考え方は改めなくてはいけません。生命現象に不可欠の要素であり、魂が自我を見出すための手段と見なすべきです」
【過去コメ】僕の体験をどれだけ力説しても皆さんには分かって頂けないと思います。本を読んで知識は得られるでしょうが実際に霊的体験をするには日常生活において艱難辛苦を克服し霊性発現させるしかないのです。どうかそれぞれの生活の場において困難に真正面から立ち向かう勇気をもって欲しいのです
「シルバーバーチの霊訓」より→「大部分の人にとって死は牢からの解放です。新しく発見した自由の中で潜在する霊的資質を発揮する手段を見出します。無知の暗闇ではなく知識の陽光の中で生きる事ができるようになるのです」
「シルバーバーチの霊訓」より→「過ぎ去った日々の中に悲しい命日を設けて故人を思い出すとおっしゃいますが、一体何のために思い出すのでしょう。そんな事をしてその霊にとってどんな良い事があるというのでしょうか。何一つありません!過ぎ去った事をくどくど思い起こすのは良くありません」
「シルバーバーチの霊訓」より→「私達はひたすら力になってあげたいと願っているだけに尚の事嘆かわしく思えるのですが、地上の人間が無知と偏見と自ら拵えた迷信という壁に取り囲まれているためにそれが目覚めを阻害して容易に破壊できないのです。その厚い壁は真理も突き通せないのです」
「シルバーバーチの霊訓」より→「私の世界へやってきた人は死が階段を一つ昇った事を意味する事、大きな解放を得た事を理解します。潜在的能力を発揮するチャンス、地上で為し得なかった仕事をするチャンス、かつては考えられなかったほど生気はつらつとした生活ができるチャンスを得ます」
「シルバーバーチの霊訓」より→「地上というのはほんの一時的な生活の場に過ぎません。肉体に不老不死はあり得ません。ですからいずれは地上を去る時が来るのであれば、いよいよその時(死期)が近づいた人を祝ってあげるのが本当なのです」
「シルバーバーチの霊訓」より→「あくまでも霊が上位で肉体は下位です。そうした観点からお手持ちの知識に照らして正しい判断を下さないといけません。何事も価値あるものは困難がつきまとうものです。霊的褒章が簡単に手に入るとしたらそれは手に入れる価値は無い事になりましょう」
「シルバーバーチの霊訓」より→「何故あなたは死を禍いの様にお考えになるのでしょうか。赤ん坊が生まれると地上ではめでたい事として喜びますが私達の方では泣いて別れを惜しむ事もしばしばなのです。地上を去ってこちらの世界へ来る人を私達は喜んで迎えますがあなた方は泣いて悲しみます」
「シルバーバーチの霊訓」より→「死は大部分の人にとって悲劇ではありません。しばらく調整の期間が必要な場合がありますが、ともかくも死は解放をもたらします。死は地上生活が霊に課していた束縛の終わりを意味します」
「シルバーバーチの霊訓」より→「あなた方がどうしても地上的時間感覚で物事を見つめてしまうのはやむを得ない事として私も理解しますが、あなた方も無限に生き続けるのです。たとえ地上で六十、七十、もしかして一〇〇歳まで生きたとしても無限の時の中での一〇〇年など一瞬の間に過ぎません」