今日の幽体離脱時にだいぶ特殊な映像を霊団が降らせてきてますので、ブログを書かねばなりませんのでムービーキャプチャはやはり中止します。明日アナログ絵270をUPして止まらずブログも書きます(祈)†

色塗りは完了してます、あとはシャドウハイライトの作業を経て完成となります。間もなくキャプチャムービー撮ります…撮らなくてもいいのかなぁ、やめちゃおっかなぁ。プライオリティ低いと思うなぁ。で、ブログネタはまだあり、追加でブログ書く必要があります。フラー13のアイデアも固まりました(祈)†

僕的には正直この作業を恒例にしたくないんですよね、とはいえ使命遂行ですからやらねばなりません。フラー12を塗ってる作業をキャプチャしたムービー、間もなく撮影開始できそうです。そしてそのまま作業続行させてアナログ絵270のUPまで一気にもって行きます(祈)†

霊団に推されている事もあり急ピッチで色を塗ってます。思いもよらないカラーリングに僕自身苦笑いですが一気に行きましょう(祈)†

2020年7月8日

昨日のアタック中、間もなくゴールという時に霊団が僕の霊聴に「ドクターストップ」と響かせてきました。そして瞬間的にふたつの意味を感じ取りましたので今回その説明をすると共に、強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の死刑、滅亡を1日でも早め、奴隷の女の子たちの救出を絶対に実現させるべく渾身の祈りを込めてブログを書かせて頂きます。まずこの「ドクターストップ」には、明仁、文仁、徳仁、悠仁が「入院」という言い訳をして自身の邪悪の正体に関する説明から逃げてすっとぼけ、自身の逮捕、死刑を回避する策略、という意味、そしてもうひとつは僕、たきざわ彰人の事を「精神異常者」扱いにして使命遂行をストップさせるたくらみ、というふたつの意味があると思います。ひとつずつ行きましょう。

まず前者ですが、これは強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁に限らず政治家等もよく使用する責任逃れの常套手段ですよね。困った事態になって国民に説明できない時「過労でダウン」とか都合のいい理由をこじつけて「入院」という形をとる事で説明責任を回避します。あと皇族と名乗るこのバカヤロウどもがずっと使い続けている「ダマしの手口」である、自分を病気療養中という扱いにして国民の同情を引く超古典的手法がありますが(雅子がずぅぅぅ~っと!ずぅぅぅ~っと!これをやり続けていますね、本当に皆さまダマされ続けるのもいい加減にしましょうね)入院する事で国民に「あぁ大変なんだ、かわいそう」と思わせ同情を引き、自分の邪悪の正体に注目が集まらないようにする「視点外し」の効果もあります。自分たちが人類史上最悪の強姦殺人魔である事が徹底的に国民周知の事実になっている状況で、明仁、文仁、徳仁、悠仁がこの「入院」という古典的手段を用いて逃亡を図る可能性があると霊団は仰っている訳ですが、とはいえ永遠に入院し続ける訳にはいかないでしょうから、これは一時的逃亡でしかなく、いつかは責任に対峙させられます。

このひとつめの逃亡すっとぼけ手段「入院」を明仁、文仁、徳仁、悠仁がやってくる可能性は確かにありそうです。実際にそういう状況になった時、ニュースが流してくる情報、国民の同情を引くためのウソで塗り固められた言い訳情報を絶対に鵜呑みにしないで下さい。真実はひとつ。入院は自分たちが強姦殺人魔であるという説明責任を回避してすっとぼけ続けるためにやっているものであって、ニュースが言っている事は全て視点外しであるという事、そこを絶対に忘れないで下さい。僕たち日本国民はプライドにかけてアイデンティティにかけて、強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を必ず逮捕、死刑に追い込まねばなりません。この「宇宙一のバカ」どもを許すという選択肢はありません。もしそのような怠惰な感情を心に宿している方がおられましたら、その怠惰も「無関心という名の大罪」であるという事をしかと心に銘記して下さい。これは決して後回しにできない緊急課題です。なぜなら明治維新以降の日本の歴史は全てウソで塗り固められているからです。このウソまみれの歴史に完全にピリオドを撃ち、日本を正常なレールに乗せ直さねばならないでしょう。そうでしょう皆さま。

はい、ではふたつめの説明に入りますが、これは本当に皆さまに理性的、常識的視点を持って物事を見るようにして頂きたいのですが、強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁が僕、たきざわ彰人の事を「精神異常扱い」にして強制的に入院させ、使命遂行をストップさせようと画策しているようなのですが、皆さま、強姦殺人魔がテレビで何か一言二言しゃべって、それをあっさり信じてしまうという愚劣の極致の事を絶対にしないで頂きたいと思います。僕のブログが全ての証明となりますのでまずはご覧頂きたいと思うのです。まずブログの内容以前にその更新頻度、膨大な情報量をご覧下さい。皆さま単純に、まずこれほど高頻度でブログを書き続けられるってどういう事だと思いますか。これほど長い年月にわたってほぼ毎日のようにブログを書き続けられるのは、イエス様と交わした約束を絶対に果たし切るという揺るぎない「決意、覚悟」の表れであるという事、そして何より「精神力、根性の賜物」であるという事です。

そして霊団が降らせてくるインスピレーションを情報源にしてここまでブログを書き続ける事ができるのは、画家の試練Dreamwork、山での修行、霊団の「教化と強化」さらに「愛の試練(霊障イペルマルシェ)によって僕の精神力が徹底的に鍛えられているからに他なりません。皆さま、もし僕が「精神異常」だというなら、心に弱い、脆い部分があるという事ですよね。そのような貧弱な精神の持ち主がこれほどの「根性」を出す事ができますか。僕は山で鍛えまくってスタミナに絶対の自信があります。その自信が使命遂行をやり切る根性へとつながっているのです。そしてその精神力は「絵画表現」についても同様の事が言えます。えー僕は「具象」を好み「抽象」は正直好きな表現手法ではありません。画家時代の作品ももちろん具象表現で描いていますし、さらに「ストーリー」も付随しています。それは作者の僕に、ご覧の皆さまに向けて伝えたいメッセージがあるからそのような表現になっているのです。抽象表現では、作者に伝えたいメッセージがあっても見る人によって様々な捉え方をされてしまい作者のメッセージが正しく伝わりません。

が、具象であれば作者の意図するメッセージがダイレクトに見る人に伝わる事になります。そしてもうひとつ「ピカソ」でしたよね。ピカソは確か抽象画で有名ですが、そのピカソは実は具象がスゴイのです。具象をしっかり描ける確かな画力があるから、抽象の中に深み、メッセージ性、芸術性を織り込めるのです。もし僕が精神的に弱い人間だったとしましょう、ならあのような画家作品は絶対に描けなかったはずです。あの画家作品たちは大変な描画負荷を自分にかけて描いていたのです。壮絶な作業量を自分に課しての描画だったのです。画家作品 wp.me/Pa9cvW-15V Dreamwork wp.me/Pa9cvW-u7 参照。僕が精神が弱い人間ならあのような高負荷の作品は描けず抽象作品を描いていたかも知れません。現在アナログ絵で描いている「フラー」などは具象の究極形と言ってもいいでしょう。宜しいですか皆さま、あのフラーは「差し替え無しの完全変形」にてデザインしています。ここが可動してここがパカッて開いてここが格納されて、といった感じにギミックまで全部自分で考えてデザインしているのです。

それは大変な作業負荷であり、フラー1機描き切るのには大変なパワーが要求されます。僕が弱い精神の持ち主であったなら「フラー」のギミックを考えられますか。高負荷な作業を耐え切る精神力があるからフラーを描き続ける事ができているのです。僕に精神力がなかったら描くのが辛くて苦しくて途中で描くのをやめてもっと簡単な絵を描いているはずです。フラー wp.me/Pa9cvW-1s3 参照。皆さま、理性的に、常識的にお考え下さい。今回霊団が「ドクターストップ」という明仁、文仁、徳仁、悠仁の陳腐極まる思念を降らせてきましたが、もしコイツらがテレビで僕、たきざわ彰人の精神性、人間性、アイデンティティを侮辱する発言をしたとして、皆さまはその強姦殺人魔どもの言葉をバ〇のひとつおぼえみたいにあっさり信じてしまう事のないように最大級の警告を投げさせて頂きます。僕のブログを見て下さい、画家作品をご覧下さい、アナログ絵をご覧下さい、フラーも見て下さい。これ以上説明する必要がありますか。ピーチピチ(佳子)の協力を得て絶対に強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を「死刑」にします(祈)†

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www.youtube.com/watch?v=QqJPejYHS_I&t=56s

ピーチピチ(佳子)(ピーチピチは文仁、紀子と全く血が繋がっていない赤の他人です)
wp.me/Pa9cvW-1uK
神(強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の死刑、滅亡を“神”に祈ります)
wp.me/Pa9cvW-1Ri
切断死体の撮影(明仁、文仁、徳仁、悠仁が奴隷の女の子を遊び殺す様子です)
wp.me/Pa9cvW-qD
僕(ちょっとした自己紹介です)
wp.me/Pa9cvW-qH
暗殺(徳仁はポリーチェPOLICEに命令して僕の暗殺を何度も画策しているのです)
wp.me/Pa9cvW-1vQ
コイツら死刑(明仁、文仁、徳仁、悠仁の未来は死刑以外に有り得ないのです)
wp.me/Pa9cvW-2
放火(徳仁は僕の放火暗殺を何度も画策しているのです)
wp.me/Pa9cvW-1WG
処刑遊び(明仁、文仁、徳仁、悠仁は奴隷の女の子を遊びで強姦殺人するのです)
wp.me/Pa9cvW-tV
Dreamwork(僕の生涯の夢のお話です)
wp.me/Pa9cvW-u7
画家作品(こういう絵を描いてたんです)
wp.me/Pa9cvW-15V
葛飾北斎の墓(画家時代の決意表明の様子です)
wp.me/Pa9cvW-16v
山駆けるヒカリ(画家時代に書こうとしていた小説です)
wp.me/Pa9cvW-18V
フラー(お花ちゃんが宇宙を飛んでロボに変形します)
wp.me/Pa9cvW-1s3
アナログ絵(現在269まで完成中)
wp.me/Pa9cvW-1Nu
霊関連書籍(人類の宝、珠玉の書籍群をぜひお手元に)
wp.me/Pa9cvW-1P1

 

「天使と妖精」より→「我らは皆さんを愛する。愛するが故に我らは皆さんの課題や困苦を取り除いてはあげません。そうする事は皆さんに親切でも良い事でもないからです。我らはただ皆さんのそばに立ち、力と愛を与えます、皆さんが徐々に試行錯誤で学習をしていくその間にです」

「天使と妖精」より→「もし皆さんが光の道を踏んで、霊の教えに耳を傾けて、うまく苦難の処理ができれば、その結果として皆さんの魂は喜びを受け取りましょう。もし我らが皆さんの課題や困苦を取り除いてあげたら、得られようのなかったその喜びをです」

「天使と妖精」より→「直感も心も常に世俗的な思いにとらえられないようになさい。霊的な精神が低俗な精神を支配するようにしなさい。生活も生活上の出来事もそういうふうでありなされ。それは「世間ばなれする」そういう意味とはまったく違う」

「天使と妖精」より→「祈りとは自己を博大な愛の精神と一つに完全に同調させる事です。その愛の上にありなされ。そこに生き、それを思い、自分の事などまた世俗の思いなどはもちなさるな。我は空しいものです。我からは永続する力も、叡智も、愛も生まれる事はありません」

「天使と妖精」より→「後ろを振り返りなさるな。過ちをくよくよ嘆きなさるな。どんなにそれが痛いものでも一つ一つの経験に感謝をお持ちなされ。そのおかげで貴方は物事が一つ分かるようになったのだから」

「天使と妖精」より→「目も心も物質世界の上方に据えて置きなされ。我らは止むを得ずこういう言い方をする、しかしながら同時に我らは霊と物質が一つである事をしかと心得ております。皆さんはまだそこまでいっておりません。人間は霊を発揮して生きねばならぬものです」

「天使と妖精」より→「人間とは形をとった霊なのです。しかもその形とは霊から構成されているものです。従って人間の外的な生活とは本人の霊性発揮の程度いかんの表現なのです。いやまたその生活の姿、肉体が表現するすべては、純潔完全な創造主の生命と光の表現でもあるのです」

「天使と妖精」より→「もし皆さんが鍛錬をして、つまらぬ事は捨て置いて、大事な霊の観点を守って生きられれば、必要とする真正の援助と指導が得られましょう。あまり物的些事に首を突っ込まぬ事です。でないと無限供給の源から切り離されます」

「天使と妖精」より→「低級な心、俗界の考え方、それに引き込まれないように毅然とする度に、自らの高我の光にしっかり応える度に、貴方は霊性を強化しつつあります。さらにはまた地上の光明の力を増大させつつあります」

「天使と妖精」より→「病気、孤独、苦難、これらは自分の魂が招き寄せたものです。人には中々この事は理解しがたい事ですが、それはその通りなのです。自分の苦難を人のせいにしなさるな。常に内部に目を向けて、自分の心の内に神の愛を求めなさい」

「天使と妖精」より→「勇気を持ちなさい。いつもそばに守護天使と守護霊がおられる事を忘れなさるな。たえず平和と交流を得させんと貴方を助けておられるのです。貴方が霊的に向上する努力をすれば、守護霊は大変喜ばれます」

「レッドマンのこころ」より→「法的制度、雄弁さ、堅固さ、戦術においてイロコワ族の右に出る人種はいない。彼らの社会制度のもとでは犯罪とか違反とかいうものが極端に少ないので、これまで“刑法”などというものを持つに至らなかったと言われる」

「レッドマンのこころ」より→「いかなる場合でも、またいかなる犠牲を払ってでも、イロコワ族は恐れる事なく、そして躊躇する事なく本当の事をしゃべる」

「レッドマンのこころ」より→「インディアンほどケチ臭さを見せない人種を私は知りません。宗教的儀式、戦闘的儀式、祝宴、祭り、葬儀において、貧しい者や困っている者、未亡人や孤児の事を優先的に考慮するのみならず、その貧しさや困窮の状態をいくらかでも軽減してあげようとします」

「レッドマンのこころ」より→「のびのびと自由闊達に飛ぶワシのごとく生まれついている北米インディアンは抑圧というものが我慢ならず、不正を黙って見過ごす事ができない。彼らはウソつきを軽蔑する。あれほど太っ腹な人種を私は知らない。ダンス、祭りの際にも必ず未亡人と孤児を最優先させる」

「レッドマンのこころ」より→「私は何度も遠征隊を率いてインディアンと闘ったが、そのたびにわが身を恥じ、わが政府を恥じ、わが軍の旗に恥ずかしい思いをしたものです。正しいのはいつも彼らインディアンであり、間違っているのはいつも我々アメリカ軍だったからです」

「レッドマンのこころ」より→「彼ら(インディアン)が協約を破った事は一度もありません。我々(アメリカ軍)が協約をきちんと履行した事も一度もなかったのです」

「レッドマンのこころ」より→「レッドマンが我々の文明よりも高度なものを生み出していた事に疑いの余地はない。唯一の弱点をあげるとすれば金属を活用する技術をもたなかった事である。美的感覚、倫理、道徳、社会文化においてインディアンはその征服者たちを凌駕していた」

「レッドマンのこころ」より→「ヨーロッパとはまったく異なる、しかもより効率のよい政治形体を発達させていた事は、アメリカ・インディアンの誇りとすべき事である。その政治は民衆の福祉の向上を至上目的としていた」

「シルバーバーチの霊訓」より→「肉眼そのものに“見る”能力はなく、光線を感知する媒体にすぎないのです。カメラのレンズと同じで、自分ではどういう役目をしているのか知らないまま自動的に機能しているのです。“見えた”という認識は精神がその印象を脳から受け取った時に生じるのです」

「シルバーバーチの霊訓」より→「全ての物体に霊的複製品があります。地上で書かれたものが複製されて納めてある図書館があります。必要が生じるとそこへ行って調べものをして知識を得ます。音楽も絵画もあります地上にあるものは全てこちらにもあります」

「シルバーバーチの霊訓」より→「地上と霊界の違いは、地上では様々な発達段階の人が一緒に生活できる事です。こちらでは同じレベルまで発達した者としか会えません。霊的身体は霊格が高くなるほど成熟していきます。霊界での成長は(老化に向かう事ではなく)成熟するという事です」

「シルバーバーチの霊訓」より→「私が地上を離れて上層界へ帰ると“神庁”に所属する存在と出会う事がある話をした事がありますが、そうした霊もみな個性を具えた存在です。個体性を失ってはいません。不完全の要素が減り完全無欠の要素の占める部分が多くなった段階にまで進化しているのです」

「シルバーバーチの霊訓」より→「霊はその個性に応じて自我を発揮するための何らかの形体が必要です。霊それ自体には個的形体はありません。霊とは生命ですがその生命が顕現するには人間なり動物なりの形体をとる必要があります。霊は何らかの形体をとらない事には存在が認識されません」

「シルバーバーチの霊訓」より→「霊界には地上のいかなる楽器にも出せない音色があり、絵画でもあなた方には想像もつかない色彩と美があります。それが感識、描写できる人は地上にはいません。地上の人にとって大インスピレーションと思えるものでも実際はごくごく小さなかけらにすぎません」

「シルバーバーチの霊訓」より→「睡眠中は肉体を離れて一時的に“死ぬ”訳です。そうする事によって徐々に霊界生活に慣れていきます。そうしないといよいよ本当の死が訪れた時に何の事か理解できず、新しい生活環境に順応するのに長い時間を要する事になります」

「シルバーバーチの霊訓」より→「思念は見る事も聞く事も重さや大きさを計る事もできない。物理的な計量方法がないわけです。なのにあなたの行為の全てに思念が責任を負っています。思念の方が行為に先行しているからです。思念なくして行為は生まれません」

「シルバーバーチの霊訓」より→「私たちの世界では考えた事が霊的実在として具現化し、それにはあなた方にとって物質の世界が実感があるように私たちにとって実感があります。要は相対上の問題で、あなた方にとって物質に実感があるように私たちにとっては思念に実感があるという事です」

まずはロードランで汗を流してきます。まだまだやるべき作業があります。止まっているヒマなどないのです(祈)†