「スピリチュアリズムの真髄」より→「そもそも私が神の存在を云々する時は宇宙という相対世界を支配する中枢すなわち宇宙の脳髄の事を言っているのである。そして神にもし個性的意識が無いとしたら、存在というものを意識する事は不可能なはずである」

「スピリチュアリズムの真髄」より→「我々人間が自分の存在を認識できるのは他の存在との対比と相違があるからである。あなたが自分の個性的存在を意識できるのは自分というものを自分を取りまく無数の個的存在と比較できるからである」

「スピリチュアリズムの真髄」より→「神も同じである。無限絶対の神でもそれだけでは存在は意識できない。相対的存在の世界があってこそ絶対的存在が意識され体験されるのである。従って神は顕幽両界のあらゆる存在に内在している」

「スピリチュアリズムの真髄」より→「それはちょうど人間の霊が全ての骨、筋肉、神経、粘膜、繊維、体液等々ありとあらゆるものに染み渡っているのと同じである。がしかし、どこに一番自我意識を意識するかといえば、手でもない、足でもない、やはり頭である。神も同じである」

「スピリチュアリズムの真髄」より→「神は宇宙のすみずみまで行き渡っている。植物にも動物にも人間にも、そして日、月、星辰にも存在する。が神自身も自意識を一番強く意識する場所がある。それが宇宙の脳髄に相当する部分だというのである」

「スピリチュアリズムの真髄」より→「神にも有限性と人間性があるという概念は、当然、神というものが人間生活と無縁の存在ではなく何らかの形で結ばれているのだという理論を生む。そしてそこから神は“天にましますわれらが父”であり宇宙の支配者であるという思想が出てくる」

「スピリチュアリズムの真髄」より→「スピリチュアリズムでは人間は神の分霊を受けて生まれ、従って全ての人間には神性が宿されていると主張する。その意味で人間は実に神そのものであり、ただそれが肉体という限りある器官を通じて顕現しているに過ぎないのだという」

「スピリチュアリズムの真髄」より→「その神性、その偉大さを人間が悟り得ないのは肉体という物的器官によって感覚が鈍化されているからである。その肉体という被いが取り除かれた時、はじめて人間は自己の神性を悟り体験する事ができるのだというのである」

「スピリチュアリズムの真髄」より→「スピリチュアリズムではその神性において人間に一切の差異を認めない。全ての人間が神の分霊を宿しており、その原理においてみな平等であると主張する。全ては神の子であり“特に選ばれた神の子”というのは絶対にないのである」

「スピリチュアリズムの真髄」より→「むろん、ある者が他の者より神性を多く発揮するという事は有得るが神性を宿しているという事実においては全ての人間は平等である。またその神性に高いも低いもなく、その他一切の差異差別はない」

「スピリチュアリズムの真髄」より→「“人間は生まれながらにして平等である”という言葉はよく誤解されるが、人間は真実生まれながらにして平等なのである。気質や知識、知恵、財産等においては各人みな差はあるが、神性の原理においては人類はみな平等なのである」

「スピリチュアリズムの真髄」より→「スピリチュアリズムでも例えばイエスが神性を宿していた事を認めるが、我々一般の人間も神性を宿すのと同じ意味でそう認めるのである。現にイエス自身は自分が特別な神の生まれ変わりであるとは言っていないし自分でもそう信じていた訳ではない」

「スピリチュアリズムの真髄」より→「イエスは全ての人間が神の子であると教え人類は兄弟であると説いた。「いずれ諸君も私以上の業をなす日が来るであろう」と言ったその言葉の中にイエスが全ての人間に偉大さと神性が潜在している事を認めていたと理解する事ができる」

「スピリチュアリズムの真髄」より→「キリスト教は人類を罪悪視する事でイエスの神性を高揚せんとするが、イエス自身の真の喜びとする事ではなかろう。むしろ人類全体に神性を認め賛美し、イエスとの同質性に喜びを見出す方が真理を知る者の取るべき正しい道だと信じるのである」

「スピリチュアリズムの真髄」より→「スピリチュアリズムは来世の存在を説き地上生活を終えると人間は一段高い世界へ行きそこで地上と同じように個体として生活を続ける。死後の存続はスピリチュアリズムの中核をなす思想であり既に主観客観の両面、現象的、哲学的にも十分な根拠を備えた」

「スピリチュアリズムの真髄」より→「スピリチュアリズムの説は何と美しく合理的であろう。死は肉体という衣服を脱ぎ捨てる事であり、人間は一人の例外もなく地上時代の体験と記憶と性格を携えて霊体という新しい身体で新しい次元の生活を始めるというのである」

「スピリチュアリズムの真髄」より→「この説が哲学的科学的に納得できれば人類にとってこれ以上の福音はない。人類は死の恐怖から完全に解放され死を不幸と見なくなる。身内や友人の死を嘆き悲しまなくなる。冷静に死を見つめ表面上の惨さ哀れさに捉われる事も無くなるであろう」

「スピリチュアリズムの真髄」より→「死ぬのは肉体だけなのだ。その人自身、その人の魂は、より自由でより明るい世界へ旅立ったのだ。そう理解すれば、悲しむよりむしろ喜ぶのが正しいのだと悟れる」

「スピリチュアリズムの真髄」より→「スピリチュアリズムでは死後に存続するのは地上生活を送っていたその人そのものであり善性も邪性も全部そのまま携帯して行くと説く。死はその人の真の個性をいささかも変える事なく、肉体という外形が変化して霊体になるだけである」

「スピリチュアリズムの真髄」より→「その人自身、霊も精神も霊体も欠点も特性も個性も死の直前までと変わらない。この事からこの世における行為に対する因果応報は自然の因果律に則してその人の個性及び精神構造の中に留められているものについて行われるという事になる」

「スピリチュアリズムの真髄」より→「善行はその当然の報いとして地上時代と同様、霊性の向上という結果を生み、悪行は霊性の低さ不完全さの当然の結果として不幸あるいは苦痛という形での報いを受ける。「自分で蒔いた種は自分で刈り取る」この言葉は地上生活、死後の生活、ともに当てはまる」

「スピリチュアリズムの真髄」より→「そこには怒り狂った神が人間を待ち受け、裁きそして体罰を与えるといった子供だましの思想は微塵もない。罪を裁くのは他ならぬ自分自身の道義心であり、その裁きの結果が自動的に苦痛なり幸福感となって意識されるのである」

「スピリチュアリズムの真髄」より→「道義心及び性格に刻み込まれた悪徳ほど人を裁くのに効果的なものはない。罪の意識とその罪に歪められた精神構造は必然的に善と幸福に満ちた霊達との接触を妨げ、似たような精神構造をした霊との交際を余儀なくさせる」

「スピリチュアリズムの真髄」より→「その状態は罪を悔い精神構造がより高いものを求めるようになるまで続く事になる。それが“界”の意味なのである。そこに固定した境界がある訳ではなく、似たような精神構造と霊格を具えた者が集まって、そこに一つの生活の場を構成する訳である」

「スピリチュアリズムの真髄」より→「その一番高い界を天国と呼び、最下層を地獄と呼んでも差し支えないが、それはあくまでも霊的発達程度の両極端を示しているのであって、下層界は努力と反省と高級霊の援助によって、いつでも抜け出せる流動的な一つの“状態”にすぎないのである」

「スピリチュアリズムの真髄」より→「下層界にいつまでも留まっている者は少ない。炎の中から燃えさしを引き出す様に地獄の中から次々と霊が引き上げられ代って地上から送られてきた新入の霊と入れ替わる。いつまでたっても救われぬほど程度の低い霊というのは決していないのである」

「スピリチュアリズムの真髄」より→「“悪”というものは単なる“未完成”“不完全”の別名であり、その意味で宇宙には本質的に悪なるもの、罪なる者は存在しない。いわゆる悪も究極においては善の中に融合されていく。根っからの悪人がいないように、根っからの罪人もいない」

「スピリチュアリズムの真髄」より→「人間は過ちを犯す。神の法則に違反したという意味では罪だが決してその人の罪深き本性、悪の本性がそうさせたのではない。人間的未熟さと無知の結果である。修行と知識によってその原因が取り除かれれば必然的に悪も罪も取り除かれる訳である」

「スピリチュアリズムの真髄」より→「キリストを救世主と信じる事によって自分の悪事に対する懲罰から免れて天国へ行けるなどという説はスピリチュアリズムからみれば全く意味のないドグマにすぎない。何を信じようが人間は全て霊界へ行くのである。それが自然の法則なのである」

現在3ページ目を描いてます。明日には線画完了、スキャンしてフォトショ上での作業に移ります。とにかくボケっとしているヒマなど1ミリたりともありません。強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を許すという選択肢はこの全宇宙に存在しません。なんとしても死刑にしなければならないのです(祈)†

今回はフラーのストーリーじゃないのにメチャ時間かかってます。こういう事ではいけません、ペース上げて一気に行きます。強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を死刑、滅亡させるためにやらねばならない作業がまだまだ鬼のようにあります。絶対に決着をつけるのです、このままでは済まさない(祈)†

「スピリチュアリズムの真髄」より→「宇宙の原初は燃えさかる火の海であった。そしてその中から無数の太陽や太陽系の星が誕生し、あるものは今なお燃えさかりあるものは冷却していった。スピリチュアリズムでは全過程を通じて神の意志が働き、今なお宇宙を支えていると説く」

「スピリチュアリズムの真髄」より→「神は無限、永遠であり時間と空間を超越する。時間も空間も神の内側、神のふところの中での存在形式であって神そのものを測る尺度ではない。あくまでも創造されたもの即ち現象界にのみ適用されるものであり創造主である神そのものにとって時空は実在ではない」

「スピリチュアリズムの真髄」より→「実在ではないという事は存在しないという事ではない。存在はするがそれに支配されないという意味である。つまり時空を超越しているという事である」

「スピリチュアリズムの真髄」より→「神を無時間、無空間と考えてはいけない。それは神を虚無としてしまう事である。神は内部に現象的条件を設ける事によって時間と空間を抱えつつ、なおそれを超越した存在なのである」

「スピリチュアリズムの真髄」より→「物的宇宙という現象との関係において、つまりその根源的創造力としては神にも有限の要素が出てくる。それはちょうど無限性を持つスピリットも人間の肉体に宿る事によって有限の要素が出てくるのと同じであろう」

「スピリチュアリズムの真髄」より→「スピリチュアリズムでは物的宇宙は有限であり太陽系と同じく一定の限界と境界がありそれがいわば神の身体に相当すると説く。そうなると神も有限という事になる」

「スピリチュアリズムの真髄」より→「そうなると、同じく神と言っても不変絶対の「無の神」Divine Spiritと、宇宙という現象界に顕現している「顕の神」Divine Mindとを区別して考えねばならなくなる」

「スピリチュアリズムの真髄」より→「無の神は宇宙の背後、内面に遍在する実在そのものをさし、顕の神は無の神が静から動へ転じたもので時間と空間の要素の中で物的宇宙を支える法則として顕現している。時間と空間の条件下では神の働きも相対的となり無限でなくなる」

「スピリチュアリズムの真髄」より→「この事は人間を例にとれば明瞭となる。即ち神の分霊である人間は本質において無限の可能性を持っているが、これが肉体という物質器官に宿れば当然その活動は有限となる」

「スピリチュアリズムの真髄」より→「つまり無限絶対の静の神が宇宙という動の世界へ活動の中枢を無数に設けた、その一番小さいのが人間であり、一番大きく崇高なのが宇宙神で、これが宇宙を支えているからである」

【過去コメ】「スピリチュアリズムの真髄」の“神”についての項目に目を通してる時、僕の脳に強烈に霊力がキィィンって降ってくるのです「そこ重要!そこ正しく理解して!」みたいな感じだったのかも知れません。はい、もちろん正しく理解したいです。和訳された書籍の中でこの本はある意味最強かも

「スピリチュアリズムの真髄」より→「その宇宙が有限でどこかに中心があると考えるのは決して行き過ぎではない。というのは太陽系の組織構成を見ると宇宙もどこかに中心がある事を想像させるのである。何事も中心がなくては秩序ある活動は保てない」

「スピリチュアリズムの真髄」より→「宇宙のあの秩序整然たる活動はどこかにある中心から指揮されているに相違ない。デービスも霊視能力による観察記録の中でハッキリと宇宙には中心があり、それは大太陽ともいえる巨大な物的太陽で、内奥に霊的な太陽即ち宇宙神の意識の中枢があると述べている」

「スピリチュアリズムの真髄」より→「さらにその霊的太陽から物的大太陽が誕生し、その大太陽から他の全ての太陽系が誕生した。大太陽からの放射物が凝結してできたのであるが、数にして6個、それが大太陽を中心にして同心円を画いて回転しているという」

「スピリチュアリズムの真髄」より→「わが太陽はその中の5番目の集団に属し、そのホンの一部が天の川として認められる。従って我々は物的大宇宙の外側近くに位置する事になる。6番目つまり一番外側の集団はまだ完全に凝結しきっておらず巨大な彗星状の星雲として虚空を回転しているという」

「スピリチュアリズムの真髄」より→「推論の原則に従って考察すれば神とは何ぞや、そして又いずこに如何なる形で存在するかを理解する事は決して難しくない。神とはあらゆる物質、エッセンス、要素、原素が極限まで昇華された完全な統一体である」

「スピリチュアリズムの真髄」より→「すなわち、あくまで清浄あくまで純粋、永遠にして無限、言語に絶する神々しさと不滅の輝きを具え、雄大でありながらしかも完全に調和がとれている。その中枢は果てしなき大宇宙の脳髄にも相当する、大宇宙の渦巻きの中心である」

「スピリチュアリズムの真髄」より→「従って宇宙と宇宙神との関係は、人体と霊との関係と完全に一致する。霊が肉体という限られた器官の中で機能している如く、神は宇宙という広大無辺の器官を通じて機能しているのである」

「スピリチュアリズムの真髄」より→「人間の感情や愛情、情緒、意志、知性などが脳髄によってその活動を意識される如く、神的属性、神的原理、全知全能の威力は、渦巻く大宇宙の感覚中枢脳に秘められているのである」

「スピリチュアリズムの真髄」より→「全存在の根源であり宇宙に偏在する絶対的存在は、物的宇宙を外郭としてその中央に中枢を置き、そこを中心として星辰が荘厳と調和のうちに回転している」

「スピリチュアリズムの真髄」より→「それこそがわれわれが神と呼ぶものであり、その属性は愛と叡智、それが人間界では男性と女性、積極性と消極性、創造性と持続性となって表現されているのである」

「スピリチュアリズムの真髄」より→「様々な天体、太陽系、星雲等の見事な調和はそのまま神の表現である。大太陽はその内側にある霊的大太陽の表現であり、霊的大太陽は神の御心即ち愛の表現なのである。かくして霊的大太陽は全ての物的存在の中心であり根源なのである」

「スピリチュアリズムの真髄」より→「物的宇宙は霊的宇宙の完璧な再現である。言い換えれば物的宇宙は創造的大霊の身体であり、その霊的要素が開闢して物的天体ともなったのである。その形体は正に神の秩序と叡智の表現である」

「スピリチュアリズムの真髄」より→「霊的太陽の最初は光と愛として顕現した。人間の想像する光と愛を遥かに超える。それが空間そのものとなった。とは言え空間には限界がない。そしてそれは霊的大太陽の照明の拡張力を超えるものではない。宇宙が顕現を完了した時秩序と形式が絶対的に支配した」

「スピリチュアリズムの真髄」より→「これぞ霊的太陽の荘厳にして限りを知らぬ威力。それが物的太陽を生みそして宇宙を生んだ。故に無数の星辰の遥か彼方の何処かで生命と活動の心臓部が脈打っているのだ。その脈拍が全ての惑星的存在にまで届く。その心臓部こそ神であり、全存在の中心なのだ」

「スピリチュアリズムの真髄」より→「神は無論全てに宿り給う。が宇宙の霊的大太陽により強く顕現し給う。そこはいわば神の身体であり、そこに完全に神が表現されているのだ。それは人体が内部の魂の完全なる表現体であるのと軌を一にする」

「スピリチュアリズムの真髄」より→「かくして宇宙神が宇宙の霊魂であり、その宇宙に時間と空間という制限があるとなれば、既に述べたように宇宙神として顕現している神にも、宇宙という物的条件によってその活動におのずと制約が生じる事になる」

「スピリチュアリズムの真髄」より→「むろん宇宙の内奥には宇宙を超越した絶対無の神が存在する。その意味での神はむろん無限であり無始無終である。がそれが宇宙として顕現しその大中心を中枢脳として創造と進化の活動に入った瞬間から有限になったのである」

今回の短いストーリーは「フラーデッキ」 wp.me/pa9cvW-1Sz が舞台です。フラーデッキは絵として描く時、一言「混沌」です笑。植物園でありお花畑であり動物園でありフラー格納庫でもあります、全部入りのグチャグチャなんですね。とはいえそこまで詳細には描きませんが、そういうストーリーではありませんので。とにかく急ぎましょう、フラー13の新規デザイン、そしてまだ皆さまにお話していない新たなデザインをやります。以前からアイデアにはあったものでついにデザインに着手します。全ての作業が強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を死刑、滅亡させるための作業である事をご理解頂けると幸いです(祈)†

2020年7月5日

何度もしつこくて申し訳ありませんが、アナログ絵123をご覧頂きたいと思うのです。この絵は僕が想像で適当に描いた絵ではなく、守護霊様の導きの威力によって得る事ができた「霊的知識」に基いて描いたものです。イエス様、守護霊様はじめ霊界上層界の高級霊の方々には僕たち地上人の心の中が丸見えでありプライバシーは存在しないという事、これはシルバーバーチ霊も書籍の中で何度も語っている事です。つまり物質界の人間は肉体という鈍重な牢獄に閉じ込められているために霊の能力を全くと言っていいほど認識できず自ら行使する事もできないために、悪の洗脳にあっさりコロッとやられてしまう訳ですが、霊界の方々の目にはその悪人どもの心の中のたくらみが全部見えている訳ですから、その邪悪を滅ぼすための作戦を簡単に作成する事ができるのです。

しかし、しかし、その作戦(ブループリント)を実行に移すための「霊の道具」を物質界に見出すのが、これが本当に至難の業なのです。この部分に関しては「シルバーバーチの霊訓」等をどうしても熟読して頂きたいと願うばかりですが、「ホント長くて、長かったよ」 wp.me/pa9cvW-1Zk の霊団の言葉にもありますように、霊界側は強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を死刑、滅亡させるブループリントを簡単に作成できますが、それを物質界において実行させる事ができずにここまで長い時間がかかってしまっていたという事です。えー今ブログのタイトルに冠しました「完全を実行しています」は、霊団が「我々の導きは完全だ」と仰っているという事になり、明仁、文仁、徳仁、悠仁の死刑、滅亡の実現に絶対の自信を持っているという言葉と言えますが、僕から霊団に絶対的に念押しせねばならないのは「発言に責任をもて」という事です。そう言うからには物的結果を出せ、奴隷の女の子たちの救出を完全に完了させることろまで仕事をやり切れ、この「宇宙一のバカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を完全に死刑、消滅させることろまで責任を果たし切れ、そうシャウトせずにはいられないのです。

「完全を実行しています」この霊団のメセが、強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を死刑、滅亡させるための完全なる計画が実行中で、しかもほぼ導きは終了し9割方ゴールに到達しているという事を皆さまにご理解頂きたい事しきりです。とにかく明仁、文仁、徳仁、悠仁がメディアを駆使して長年にわたり自分たちが善人であると国民を洗脳し続けてきた事、その裏で女の子の赤ちゃんを盗み続け邸内地下に閉じ込めてレイプの限りを尽くし「処刑遊び」 wp.me/Pa9cvW-tV 「切断死体の撮影」 wp.me/Pa9cvW-qD にありますように、奴隷の女の子たちがオトナになる前に四肢切断、強姦殺人して死肉を食べまくって遊んでいるイルミナティのトップであり「地球ワースト1」この物質界で最も邪悪な人間であるという真実の正体を、日々メディアから流されてくる視点外しの雑多なニュースに断じて翻弄される事なくご理解頂かねばなりません。皆さまはいつまで洗脳にコロっとダマされ続けますか。ピーチピチ(佳子)の背中を押すのは今です。「宇宙一のバカ」明仁、文仁、徳仁、悠仁を確実に血祭りにあげ奴隷の女の子たちを救出してあげましょう(祈)†

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www.youtube.com/watch?v=QqJPejYHS_I&t=56s

ピーチピチ(佳子)(ピーチピチは文仁、紀子と全く血が繋がっていない赤の他人です)
wp.me/Pa9cvW-1uK
神(強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の死刑、滅亡を“神”に祈ります)
wp.me/Pa9cvW-1Ri
切断死体の撮影(明仁、文仁、徳仁、悠仁が奴隷の女の子を遊び殺す様子です)
wp.me/Pa9cvW-qD
僕(ちょっとした自己紹介です)
wp.me/Pa9cvW-qH
暗殺(徳仁はポリーチェPOLICEに命令して僕の暗殺を何度も画策しているのです)
wp.me/Pa9cvW-1vQ
コイツら死刑(明仁、文仁、徳仁、悠仁の未来は死刑以外に有り得ないのです)
wp.me/Pa9cvW-2
放火(徳仁は僕の放火暗殺を何度も画策しているのです)
wp.me/Pa9cvW-1WG
処刑遊び(明仁、文仁、徳仁、悠仁は奴隷の女の子を遊びで強姦殺人するのです)
wp.me/Pa9cvW-tV
Dreamwork(僕の生涯の夢のお話です)
wp.me/Pa9cvW-u7
画家作品(こういう絵を描いてたんです)
wp.me/Pa9cvW-15V
葛飾北斎の墓(画家時代の決意表明の様子です)
wp.me/Pa9cvW-16v
山駆けるヒカリ(画家時代に書こうとしていた小説です)
wp.me/Pa9cvW-18V
フラー(お花ちゃんが宇宙を飛んでロボに変形します)
wp.me/Pa9cvW-1s3
アナログ絵(現在271まで完成中)
wp.me/Pa9cvW-1Nu
霊関連書籍(人類の宝、珠玉の書籍群をぜひお手元に)
wp.me/Pa9cvW-1P1

「シルバーバーチの霊訓」より→「今もしナザレのイエスが地上へ戻ってきて自分の名のもとに説かれている教えを聞いたら一体何の事だか理解できないでしょう。その多くはイエスが説いたものではないからです。後世の聖職者達がでっち上げたものだからです」

「シルバーバーチの霊訓」より→「地上世界の問題の大半が物質中心の考え方に起因しております。物的欲望は地上界を毒する悪性のガンです。これはぜひとも人生の基盤が霊であり物質ではないという知識、理解、悟りによって駆逐しないといけません」

「シルバーバーチの霊訓」より→「神は人間に“疑う心”を植えつけております。真実性を確かめる為の批判的精神です。正直な批判は少しも悪いものでなく、真実を知りたいがために疑ってかかる人を私達は大いに歓迎しますが、口先だけの議論や用語の詮索ばかりする人はご免こうむります」

「シルバーバーチの霊訓」より→「物的世界は他の全ての世界と同じく絶対不変の摂理によって支配されております。その摂理は無限の過去から存在していましたしこれからも無窮の未来まで存在し続けます。予期しなかった事情が生じて改めざるを得なくなる事はありません」

「シルバーバーチの霊訓」より→「これまでの摂理では間に合わない新たな事態が生じるという事も絶対にありません。その作用は完璧であり、停止する事も無効になる事もありません。無限の知性によって考案されたものだからです」

「シルバーバーチの霊訓」より→「生命の存在する所には必ず摂理が働いており、原因には必ず結果が生じます。タネ蒔きには刈り取りが付随します。その因果関係に干渉して生じるべき結果を変える力を持つ存在はありません。地上世界のどこで何が起きようと、それも摂理のもとに生じています」

「シルバーバーチの霊訓」より→「死の床での牧師による最後の儀式も、自然の摂理の働きを変える事はできません。いくら誠心誠意の祈りであってもそれだけで摂理が変えられるものではありません。いかなる教義を忠実に受け入れても、摂理を変える事はできません」

「シルバーバーチの霊訓」より→「あなたの行為が招いた結果を代りに背負ってあげられる人はいません。あなたのする事考える事の一つ一つにあなた自身が責任を取らねばなりません。聖人と罪人とが同じ霊格を具えるような事は有得ません。霊格をごまかしたり偽ったりする事はできません」

「シルバーバーチの霊訓」より→「摂理によって原因と結果とがきちんと定められております。神はあなたの中に存在し、受胎の瞬間から神性の種子が植えつけられているのです。それに芽を出させ花を開かせ豊かな実りをもたらすためのチャンスは、日常生活の中でいくらでも用意されております」

「シルバーバーチの霊訓」より→問「全てが神のふところの中で行われている、という言い方は正しいでしょうか」シルバーバーチ霊「結構です。神はあらゆる場所に存在します。神のいない場所というものは存在しません」

「シルバーバーチの霊訓」より→「イエスはよく寓話を用いましたが、言わんとしている事は極めて明瞭です。もしあなたが霊力の存在を自覚していらっしゃるのなら、もし霊的真理を確信していらっしゃるのなら、それと食い違う教説は一切説いてはなりません。ただそれだけの事です」

「シルバーバーチの霊訓」より→「大霊は個的存在ではありません。大霊は個人が神格化されたものではありません。大霊は個性を超越した存在です。摂理・愛・叡智・真理のエッセンスです。巨大な宇宙で休みなく作用している無限の知性です」

「シルバーバーチの霊訓」より→「それは数限りない自然現象の中に見る事ができます。その子等が英雄的行為、滅私の行為、慈悲の行為を通じて、自分より恵まれない人のために尽くす時の、その愛の表現の中にも見る事ができます」

「シルバーバーチの霊訓」より→「あなたは大霊であり、大霊はあなたなのです。その違いは種類でも本質でもなく顕現の度合いに過ぎません。大霊は完全の極致です。あなたはそれに向かっての努力を限りなく続ける訳です。したがって大霊は内部と外部の双方に存在する訳です」

「シルバーバーチの霊訓」より→「あなたが愛・寛容心・慈悲・哀れみ・仁といった神性を発揮すれば、その時あなたは大霊と通じ合っている事になります。なぜならあなたを通じて大霊が表現されているからです」

「シルバーバーチの霊訓」より→「喜んでください。皆さんはバイブル(マタイ6・19)に言う“虫が食いサビがつく”事のない宝を手にされたのです。清澄で光輝にあふれ、永久に曇る事がなく、決してあなた方の手から離れる事はありません。なぜなら苦難の末に手にされたものだからです」

「シルバーバーチの霊訓」より→「今日の米国を広く支配している暗黒を霊の光によって駆逐し、黄金の仔牛(富の象徴)に代って霊的真理を崇拝の対象とするように導く事が是非とも必要です。無数の魂がいずこへ向かうべきかも分からずに絶望の淵をさ迷っているからです」

「シルバーバーチの霊訓」より→「霊的光明は障害を突破して今や地上に根づいており今後も増えていく人間的チャンネル(霊媒・霊能者・心霊治療家)を通じて霊力が流入し続ける事でしょう。神の証人は今の時代にも大勢いる事、全ての人間が神の恩恵に浴する事ができる事を証明していく事でしょう」

「シルバーバーチの霊訓」より→「神学上の教義やドグマの解釈について討論し合う事に生き甲斐を覚えるような人種を相手に、あなたの貴重な時間を浪費してはいけません。何の価値も無い事ですし霊性をひとかけらたりとも伸ばす事にはなりません。不毛で無意味です」

「スピリチュアリズムの真髄」より→スピリチュアリズムの宗教的教義を箇条書きにすると次のようになる「1.スピリチュアリズムは神の存在を信じ、それを普遍的知性であると定義する」

「スピリチュアリズムの真髄」より→「2.スピリチュアリズムは全ての人間はその神の分霊を受けて生まれ、従ってその根源において神性を具えていると信じる。その意味で“人間はみな平等”なのである」

「スピリチュアリズムの真髄」より→「3.スピリチュアリズムは人間の死後の生命の存在を信じ地上生活を終えると一段高い世界へ行き、そこで地上と同じ個的存在としての生活を続ける」

「スピリチュアリズムの真髄」より→「4.スピリチュアリズムは人間は世界が変わっても個性は変わらない、つまり地上を去った時と全く同じ性格を持って死後の生活を始める、と説く」

「スピリチュアリズムの真髄」より→「5.スピリチュアリズムは宇宙にも道徳律があると信じる。それは神の法則であり原則であって、人間はこれを道義心による善悪の判断の中で体験する」

「スピリチュアリズムの真髄」より→「6.スピリチュアリズムは悪も罪も所詮は“未熟”の代名詞に過ぎない、と説く。言い換えれば宇宙には絶対的な悪や罪は存在しないというのである」

「スピリチュアリズムの真髄」より→「7.スピリチュアリズムは宇宙には進化の法則が存在すると信じる。それは全ての人間は例外なく無限に向上進化する事を約束するものである。従ってその過程において人間はいつかは内在する神的属性を開発し完成の喜びを味わえると約束するものである」

アナログ絵272、3ページストーリーも描かねばなりません、他にも作業が鬼のように地獄のように待っています。休んでいるヒマなどありません。間もなくプロセス実行。間もなくプロセス実行(祈)†

8月に突入してますが僕は森林限界突破のナイトアタックです。気温が低いのです。レイヤリングがとってもムズカシイのです。とはいえ今日は納得のいく撮影ができたと思います。撮影に使用している光の十字架は200円で新規作成したチープな十字架ですよ。さぁ明日書くブログネタがいくつかあります。霊団が霊的知識普及に関するメセを降らせてます。それは素晴らしい、フラーよりプライオリティ上位です。まずはダメージ回復、明日作業しましょう(祈)†

2020年7月5日

実はWordPress固定ページ内に霊関連書籍の抜粋テキストをUPする事を考えているのですが、その僕の思念に合わせたように霊聴に「19」と降らせてきました。もう山のアタックに集中せねばなりませんので詳細説明はあと。まずはWordPressに再UPさえしていない大昔に書いたブログ「青いグミと赤いグミ」の内容だけご紹介致します。霊団の意図、ご意志については深いものがあり簡単に説明できませんのでここでは割愛させて頂きます。まずはアナログ絵19と共にご覧下さい(祈)†

■2013年7月26日に書いたブログ「青いグミと赤いグミ」

僕は2012年6月頃から「霊性発現」して以降、睡眠と覚醒の中間状態(いわゆるトランス状態)において守護霊様より数々のインスピレーションを受取らせて頂いていますが、その中に一つ、去年11月頃でしたが、他のインスピレーションとは明らかに違う「寓話的映像インスピレーション」を受取らせて頂いた事がありました。

その寓話の内容が、僕のみならずこのブログをご覧の皆さんにとっても霊的真理を悟る上で大いに役に立つのでは?と常々そう思っていたのですが、今回使命遂行の一環という意味も込めて(書籍の抜粋テキストを撃つので日々イッパイ×2なのですが…滝汗)その「寓話的映像インスピレーション」のお話をここに紹介させて頂こうと思います。

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寓話的映像インスピレーション『青いグミと赤いグミ(仮題)』

作:守護霊様ならびに霊界の方々  テキスト撃ち:たきざわ彰人

雲ひとつない澄み切った青い上空(大気圏内)に「国際宇宙ステーション」のようなものがフワフワ、プカプカ浮いていました。そのステーションのドックにはシャトルがこれまたプカプカ係留されていて(まぁ外観はスペースシャトルのようなものを想像して頂ければいいと思います)シャトル本体の左右にロケットブースターが装備されています。

巨大なエンピツみたいなロケットブースターの上には、たくさんのコビトみたいな、頭も腕も足もある、4頭身ぐらいの透明感のあるプニュプニュした外観の「青いグミ」がワサワサと忙しなく動き回っていました。それこそ何万人という数です。

すると間もなく、国際宇宙ステーション全体を揺さぶるような「大風」が吹き荒れ始めたのです。青いグミたちはその強烈な風にあおられ、ロケットブースター後部、噴射ノズルの方へ押され、ロケットブースター後部は満員電車のように青いグミでギュウギュウ詰めになってしまいました。

しかし風はやみません。青いグミたちはさらにブースター後部に押されて行きます。ロケットブースターは円筒形、当然端の方にいる青いグミは他の青いグミに押し出される形でポロポロと空に落ちていきます。風は一向にやまず、青いグミが一人、また一人とロケットブースターの上から脱落していくのでした。

が、そんな中、数人、本当に数人ですが、グミの身体を「青色」から「赤色」に変色させて、プニュプニュした腕を小鳥みたいに一生懸命パタパタと羽ばたかせ、風に立ち向かうように少しずつ少しずつロケットブースターから上昇して行く者たち、数人の「赤いグミ」たちがいました。

必死に羽ばたく「赤いグミ」たちの顔は遥か上空を見つめています。下の青いグミの方を振り返りません。そんな赤いグミたちとは対照的に、青いグミたちは次から次へとロケットブースターからポロポロ落ちていきます。そしてついに、何万人もいた青いグミたちは一人残らずロケットブースターの上からいなくなってしまったのでした。

大風の試練に撃ち勝って上昇を続けたホンの数人の赤いグミたちは、風のエリアを突破してさらにさらに青い空を上昇し続けました。しばらくすると国際宇宙ステーションよりもさらに上空(まだ大気圏内)に、国際宇宙ステーションよりさらに巨大な母艦(スタートレックのエンタープライズ号みたいなものを想像して頂ければいいと思います)がこれまたプカプカ浮いているのでした。

そしてその巨大な母艦の甲板上に二人の人影が見えます。一人はキラキラと光をちりばめたような美しい純白の衣装を身にまとって、赤いグミたちを迎え入れるように両手を広げて立つ、女性の天使様。もう一人はその女性の天使様の右やや後方の位置で、胸に手を当ててひざまずく、これまた光をちりばめた衣装を身にまとった男性の天使様。

ほどなくして、数人の「赤いグミ」たちは母艦の甲板に辿り着き、光り輝く二人の天使様の祝福を受けたのでした…。

END

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…はい。僕が守護霊様に見させて頂いた映像インスピレーション、こんな感じだったのです。いかがだったでしょうか。このお話は、まさに僕たちの「地上生活」そのものだと思うんです。国際宇宙ステーションに吹き荒れた『大風』これは要するに、地上生活中に人類全員が例外なく浴びる事になる『試練』そのものだと思うんです。

その試練、艱難辛苦にほとんどの青いグミ(地上人類)は耐えられず、立ち向かう事ができず、地上生活の目的を果たせないままポロポロと脱落して行った…という訳です。そんな中、ホンの一握りの「赤いグミ」がその艱難辛苦に敢然と立ち向かい、苦難の末に青色から赤色に変色(霊性発現)して上層界へ羽ばたいて行った…僕はそんな守護霊様からのメッセージを感じました。みなさんはどんな風に感じられたでしょうか?

※ちなにみ、この女性の天使と男性の天使の「配置」にも意味があるのです。霊界の上層界は地上のような「男性支配型」ではなく、より進化した「女性主導型」なのです。詳しくは「ベールの彼方の生活」第4巻をお読み頂ければ理解して頂けると思います。が、1巻から読み進めて4巻に到達するという読み方をオススメします。その読み方でないと意味が理解できない可能性が高いからです。

僕が見させて頂いたこのストーリーが、皆さんの霊的知識の理解の助けになる事を切に切に願っています。艱難辛苦に真正面から立ち向かい「赤いグミ」のように素敵な境涯へ到達できるよう、地上生活を闘い抜きましょう。ここで僕、たきざわ彰人から皆さんへ向けて…応援の気持を込めた「シャウト」をさせて頂きます、行きます!(汗謝)

「艱難辛苦カモン!!!」

「霊性発現カモン!!!」

…以上、失礼しました(祈)