『シルバーバーチの霊訓』
人生において、自分が役に立つという事ほど大きな喜びはありません。どこを見ても闇ばかりで、数え切れないほどの人々が道を見失い、悩み、苦しみ、悲しみに打ちひしがれ、朝目を覚ます度に今日はどうなるのだろうかという不安と恐怖に慄きながら生きている世の中にあって―
『シルバーバーチの霊訓①』
―たった一人でも心の平静を見出し、自分が決して一人ぽっちの見捨てられた存在ではなく、無限の愛の手に囲まれているという霊的事実に目覚めさせる事ができたら、これはもう立派な仕事というべきです。他のいかなる仕事にも優る大切な仕事を成し遂げた事になります。
『シルバーバーチの霊訓①』
地上生活のそもそもの目的は、居眠りをしている魂がその存在の実相に目覚める事です。あなた方の世界は毎日を夢の中で過ごしているいわば“生ける夢遊病者”で一杯です。彼らは本当に目覚めてはいないのです。霊的実相については死んだ人間も同然です。
『シルバーバーチの霊訓①』
そういう人たちの中のたった一人でもよろしい、その魂の琴線に触れ、小さく燻る残り火に息を吹きかけて炎と燃え上がらせる事ができたら、それに勝る行為はありません。
『シルバーバーチの霊訓①』
どう理屈をこねてみたところで結局は神の創造物―人間、動物、その他なんでもよろしい―の為になる事をする事によって神に奉仕する事が何にも勝る光栄であり、これに勝る宗教はありません。
『シルバーバーチの霊訓①』
こうした仕事のために神の使節として遣わされている私たちは幸せと思わなくてはいけません。もっとも、絶え間なく続く悲劇を目の当りにしていると、それだけの事で嬉しい気分に浸れるものではありません。
『シルバーバーチの霊訓①』
現実に何かの役に立った時、例えば無知を駆逐し、迷信を打破し、残酷を親切に置き替え、虐待を憐憫に置き替える事ができた時、あるいは協調と親善の生き方を身をもって示す事ができた時、その時はじめて地上のすべての存在の間に真の平和が訪れます。
『シルバーバーチの霊訓①』
真の平和は一部の者のみが味わうべきものではないからです。そこには霊の力の働きかけがあります。それを是非とも地上に招来しなくてはならないのです。教会が何を説こうと、学者先生がどう批判しようと、霊力はそんな事にはお構いなく働きます。そしてきっと成就します。
『シルバーバーチの霊訓①』
その霊力が道に迷ってあなた方の元を訪ねて来る人々に安堵、健康、苦痛の緩和、慰め、指導、援助のいずれかを授けてあげるその道具となる事ほど偉大な仕事はありません。無味乾燥な教義ばかりで霊力の一かけらもない教会、礼拝堂、寺院よりもはるかに意義ある存在です。
シルバーバーチ霊が多大な犠牲を払って地上人類にもたらしてくれた“ダイヤモンドの輝き”に譬えられる珠玉の霊的真理。僕たちはその美しい霊言の数々に触れる事で、大切な知識を得るチャンスを与えて頂いたのです。人類の宝とも言える霊界通信の書籍は、すぐ手の届くところにあるのです☆(祈)
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『シルバーバーチの霊訓①』
病める人、苦痛を抱えた人、身も心も霊も悶え苦しむ人、希望を失った人、寄るべない人、人生に疲れ切った人、迷える人、こうした人々にお説教は要りません。説く人自らが信仰に自信を失っている事すらよくあるのです。
『シルバーバーチの霊訓①』
説く人にも説き聞かされる人にも意味を持たない紋切り型の説教をおうむのように繰り返しても、誰も耳を傾ける気にはならないでしょう。欲しいのは霊的真理が真実であるとの証です。
『シルバーバーチの霊訓①』
あなた方が真に奉仕の精神に燃え霊的能力を人のために役立てたいと望めば、その霊力があなた方を通してその人たちに流れ込み、苦痛を和らげ、調和を回復させ、麻痺した関節ならばこれを自由に動かせるようにし、そうする事によって霊的真実に目覚めさせる事になるでしょう
『シルバーバーチの霊訓①』
ただ、この道には往々にして挫折があります。私どもの仕事は人間を扱う仕事です。残念ながら人間は数々の脆さと弱み、高慢と見栄、偏見と頑迷さで塗り固められております。自分の事よりまず人のためと考える人は稀です。大義のために一身上の事を忘れる人は殆どいません。
『シルバーバーチの霊訓①』
しかし、振り返ってご覧になれば、そうした条件の中にありながらも、霊的な導きによって着実に使命に沿った道を歩み、これから先の歩むべき方角への道しるべがちゃんと示されている事を明確に認識されるはずです。
『シルバーバーチの霊訓①』
これまで一点の疑念も疑問の余地もないほどその威力を証してきた力は、前途に横たわる苦難の日々を正しく導いてくれます。
『シルバーバーチの霊訓①』
施しを受けるより施しを授ける方が幸せです。証拠を目に見ず耳に聞く事もなく、それでもなおこの道に勤しむ事ができる人は幸せです。あなた方の周りにはあなた方より幸せの少ない人々に愛の手を差しのべる事を唯一の目的とする高級霊の温かみと輝きと好意と愛があります。
『シルバーバーチの霊訓①』
地上へ誕生してくる時、魂そのものは地上でどのような人生を辿るかをあらかじめ承知しております。潜在的大我の発達にとって必要な資質を身につける上でそのコースが一番効果的である事を得心して、その大我の自由意志によって選択するのです。
『シルバーバーチの霊訓①』
その意味であなた方は自分がどんな人生を生きるかを承知の上で生まれて来ているのです。その人生を生き抜き困難を克服する事が内在する資質を開発し、真の自我―より大きな自分に、新たな神性を付加していくのです。
『シルバーバーチの霊訓①』
その意味では“お気の毒に”などと同情する必要もなく、地上の不公平や不正に対して憤慨する事もない訳です。こちらの世界はこの不公平や不正がきちんと償われる世界です。あなた方の世界は準備をする世界です。
『シルバーバーチの霊訓①』
私が“魂は知っている”と言う時、それは細かい出来事の一つ一つまで知り尽くしているという意味ではありません。どういうコースを辿るかを理解しているという事です。
『シルバーバーチの霊訓①』
その道程における体験を通して自我が目覚め悟りを開くという事は、時間的要素と各種のエネルギーの相互作用の絡まった問題です。
『シルバーバーチの霊訓①』
例えば予期していた悟りの段階まで到達しない事があります。するとその埋め合わせに再び地上へ戻ってくる事になります。それを何度も繰り返す事があります。そうしているうちにようやく必要な資質を身につけて大我の一部として融合していきます。
『シルバーバーチの霊訓①』
自分が果たしてどの程度の人間か、どの程度進化しているかを自分で判断する事は今のあなた方には無理な事です。判断を下す手段を持ち合わせないからです。人間は霊的視野で物を見る事ができず四六時中物的視角で物事を考えるために判断がことごとく歪んでおります。
『シルバーバーチの霊訓①』
魂への影響を推し量る事ができない。そこが実は一番大切な点です。肉体が体験する事は魂に及ぼす影響次第でその価値が決まります。魂に何の影響も及ぼさない体験は価値がありません。
『シルバーバーチの霊訓①』
神を人間の都合の良い方向へ向けさせようとしても無駄です。神の摂理は計画通りに絶え間なく作用しています。賢明なる人間―叡智を身につけたという意味で賢明な人間は、摂理に文句を言う前に自分から神の無限の愛と叡智に合わせていくようになります。
『シルバーバーチの霊訓①』
そうした叡智を身につける事は容易な事ではありません。身体的、精神的、霊的苦難が伴います。この三つの要素のうちの二つが絡む事もあれば三つが全部絡む事もあります。霊性の開発は茨の道です。苦難の道を歩みつつ後に自分だけの懐かしい想い出の標識を残していきます。
『シルバーバーチの霊訓』
魂の巡礼の旅は孤独です。進むほど孤独さを増していきます。しかし利己的生活や無慈悲な生活にそれ相当の償いがあるように、その霊性開発の孤独な道にもそれなりの埋め合わせがあります。悟りが深まるにつれて内的な生命、輝き、喜び、確信が一層その強さを増していくのです
『シルバーバーチの霊訓①』
生命現象の全てが拠り所とする内的実在界の実相を味わい、神の愛の温もりをひしひしと実感するようになります。それが容易に成就されるとは私は一度も言っておりません。
『シルバーバーチの霊訓①』
最高の宝、最も豊かな宝は、最も手に入れ難いものです。しかもそれは自らの努力によって自分一人で獲得していかねばならないのです。
『シルバーバーチの霊訓①』
私はかつて地上で何年も生活し、こちらへ来てからも(三次元の世界の数え方で言えば)何千年もの歳月を過ごしてきましたが、向上すればするほど宇宙の全機構を包括し大小あらゆる出来事を支配する大自然の摂理の見事さに驚嘆するばかりです。
『シルバーバーチの霊訓①』
その結果しみじみと思い知らされている事は、知識を獲得し魂が目覚め霊的実相を悟るという事は最後はみな一人でやらねばならない―自らの力で“ゲッセマネの園”に踏み入り、そして“変容の丘”に登らねばならないのだという事です。
【過去コメ】僕は自分に出来る限りタネを蒔きまくりました。絵をガマンして。僕にできるのはここまで、あとは皆さんの自己責任、タネを受取るも受取らないも、霊的知識に目が開くも開かないも、全て個人の自由意志です。一人でも多くの方が僕のタネをキッカケに大切な事に気づいてくれるなら嬉しいです(祈)
【過去コメ】僕の体験をどれだけ力説しても皆さんには分かって頂けないと思います。本を読んで知識は得られるでしょうが実際に霊的体験をするには日常生活において艱難辛苦を克服し霊性発現させるしかないのです。どうかそれぞれの生活の場において困難に真正面から立ち向かう勇気をもって欲しいのです