詳細説明は別の機会に、まずはその女性の線画を描き起こしました。新スタートレックに登場するロー少尉に雰囲気が似てなくもない感じでした。いや、あまりにも守護霊様と雰囲気が違い過ぎるような…どういう事なんだろう。そしてやはり帰幽のメセが含まれていました。やはり僕は暗殺されるのか。霊団、ちゃんと説明しろ(祈)†

2020年7月4日

2012年6月に霊性発現を果たして以降、イエス様ならびに守護霊様のお姿の顕現に何度も何度も浴させて頂きながらここまで苦難の使命遂行を続けてきました。イエス様の顕現の代表はもちろん「怒涛の連続顕現」です。(2013年4月でした。1週間以上イエス様のお顔が顕現され、何とも言えない表情で果てしなくお願いされてしまって泣く泣く帰幽をあきらめて地上に残る事になってしまったのです)そして守護霊様の顕現では「私の息子ウェスリー」というお言葉を賜った事が代表と言えるでしょう。(ウェスリー・クラッシャー → 新スタートレックに登場する天才少年。僕の事をウェスリーになぞらえて表現して下さった、守護霊様から僕に向けられた愛の表現だった訳です)他にも数え切れないほどありますがとても説明しきれませんので省略させて頂き、今回幽体離脱時に拝した守護霊様のお姿の顕現の様子、そしてその意味するところについてブログを書き残しておこうと思います。まずは僕が拝した守護霊様のお姿をそのままアナログ絵276として描いてみました。コチラです↓

はい、本当に全くこの絵そのままの顕現という感じで、僕が描く絵のイメージに似せて顕現して下さった訳ですが、動きはありませんでした。立ち姿のみで、守護霊様と一緒に6つないし7つのシンボル、モチーフとも言えるものも顕現したのですが、その全てを反芻する事はできませんでした。ただ絵にも描きましたようにかろうじて「太陽」と「葉っぱ」のシンボルだけは少し反芻できたのでした。はい、では僕なりに考え解釈したこの「守護霊様の顕現」の意味について説明してみます。まず大大大前提として、霊界全土に轟きわたる絶対不変の常識として「イエス様」のお姿を「悪いメッセージ」を伝えるために使用するはずがありません。そして僕限定で言えば「守護霊様」のお姿を「悪いメッセージ」を伝えるために使用するはずもありません。そんな事をしてごらんなさい。導きのシステムが根底から崩れてしまいます。守護霊様から使命遂行をマイナスにもって行くメッセージばかり降ってきたら僕はどう思いますか。守護霊様の事を信じなくなってしまいますよね。それは守護霊様にとっても僕を導けなくなってしまいますので困るはずです。守護霊様みずから信頼関係を壊すようなメッセージを降らせる訳がないのです。

さらにわざわざ僕の描く絵に似せて顕現して下さったのにももちろん意味があって、これは守護霊様から僕に向けられた「愛の表現」に他なりません。アナログ絵149にも描きましたように、守護霊様との幽体離脱時の2回目の面会の時のお姿を僕はずっと描き続けている訳ですが、そのお姿はもちろん守護霊様の本当のお姿ではありません。こんな背の低い成人女性がいる訳がありません。この背の低いお姿は「奴隷の女の子」の姿をまとっての顕現だったのだと、現在はそのように理解しています。つまり「アキト、これからあなたはこういう女の子を救出するのよ」という2014年9月時点での守護霊様から僕に向けられた「自分の姿」を利用しての使命遂行の方向性に関するメッセージだったという事です。はい、まずは守護霊様が自分の姿を顕現させてまでマイナスのメッセージを僕に届ける訳がないという事がお分かり頂けたでしょうか。そして次は守護霊様と一緒に降ってきたシンボル、モチーフについてですが、これは確定的な事は何も説明できません。何しろ全然反芻できませんでしたので。とはいえごく常識的一般的に意味を考えてみましょう。「太陽」は光の中心(光とは善の事ですよ。悪はその光が欠如した状態という事です)そして「葉っぱ」は平和の象徴みたいな感じに意味を捉えてもいいのではないでしょうか。

このシンボルについては詳細説明できませんが、とにかく守護霊様と対での顕現だった訳ですから「良い意味」に決まっているのです。でなけれなイエス様、守護霊様ならびに霊団メンバーは僕という霊の道具を物質界に残して機能させている意味そのものが吹き飛んでしまう訳ですから。ですのでこの6~7個のシンボルの意味ももちろん強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を死刑にして滅ぼす事ができるという「プラスのメッセージ」として降らせたものであるはずです。ちゃんと反芻して意味をもっと深く理解したかったですが、このシンボル、モチーフに関してはここまでの説明で止めましょう。で、さっきからさんざん「プラスのメッセージ」だと言っているにもかかわらず、霊的知識に基いたこのような説明もしてみましょう。それは霊関連書籍「母と子の心霊教室」に詳しく説明が載っていますように、僕たち人間は1度見たモノ、聞いたモノは「潜在意識」と呼ばれる部分に完全に記憶され、決して忘れる事はありません。皆さまは「日々の小さな出来事など忘れるに決まってるだろう」と思われる事でしょうが、それは物的脳髄のお話であり(物的脳髄には忘却機能というものがありますので)潜在意識の中にはちゃんと人生の中で出会った全ての情報がメモリーされているのです。

そして帰幽して肉体を脱ぎ霊的身体(霊体、幽体)に着替えると、その潜在意識内の記憶がありありとよみがえり反芻できるようになります。※もっとも霊格低き者は粗雑な幽体をまとって考える能力を神からはく奪されますから潜在意識内の情報にアクセスできません。霊格がある一定以上高い者(要するに善意ある常識的一般人なら問題ないでしょう)なら潜在意識内の全情報にアクセスでき「あぁ、あの時はそういう事だったのか」と思い出す事ができるのです。つまり今回の幽体離脱時に僕が反芻できなかったシンボルおよびそれの意味するところも帰幽すれば思い出す事ができるという事なのです。という事は守護霊様は僕の物的脳髄には反芻させず帰幽後に反芻させるつもりで僕の潜在意識に向けてメッセージを降らせたのでしょうか。という事は今回の守護霊様のお姿の顕現は「帰幽」のメッセージだったのでは?…とまぁ、これは話が飛びすぎでしょういくらなんでも。僕は使命遂行者として、そして霊的知識普及の使命を帯びて地上に残されていますので「潜在意識」について少し書かせて頂きました。帰幽のメッセージという事ではないでしょう、これは飛躍しすぎですね。

はい、今回守護霊様が再びお姿のイメージを降らせて下さった事についてブログを書かせて頂きました。僕は守護霊様に「永遠の恭順」を誓っていますので、守護霊様の顕現についてはブログを書かない訳にはいかないんですね。で、守護霊様に念押しせねばならない事としましては「ピーチピチ(佳子)ケコーン」 wp.me/pa9cvW-2DO wp.me/pa9cvW-2DV ここまでのメセを降らせたからにはその通りに実現させてもらわねば困るという事です。僕は酔狂で物質界に残されているのではありません。「イエス様ハンドリング」イエス様のご意志を遂行するためだけに地上に残されている訳ですから、強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を確実に死刑にして滅亡させ、奴隷の女の子たちを確実に救出完了させねばなりません。その実現のためにはピーチピチ(佳子)の協力がどうしても必要なのです。霊団、イエス様、そして僕の真実の母、守護霊様、ピーチピチ(佳子)が明仁、文仁、徳仁、悠仁の脅しに屈して道を踏み外さないようにちゃんと背中を押してあげて下さい。「もうヤダこんなバカの相手したくない」 wp.me/pa9cvW-2s3 このようなブログを僕に書かせた事もありますからもちろん実現されると信じていますよ。霊的仕事は霊界の方々と地上人との信頼関係が絶対的キーとなります。僕のイエス様への信頼、そして守護霊様への恭順を破壊するような無責任な導きは許しませんよ。本当に使命遂行を前進させて下さい、たのみます守護霊様(祈)†

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※そろそろ奴隷の女の子たちが四肢切断、強姦殺人される絵をリニューアルしてもいいかも知れません。何しろ守護霊様の背の低いお姿は「奴隷の女の子たち」を意味していると僕は思っていますので。アナログ絵ストーリーで守護霊様をももちゃん、シルキーと同じ身長で描いているのも「奴隷の女の子」という意味でそうしているのです。守護霊様のお姿の顕現をトコトン前向きに捉えて新たな絵を描くのもアリかも知れません(祈)†

「シルバーバーチの霊訓」より→「地上生活の目的は人間の霊性の発現を促す事です」

「シルバーバーチの霊訓」より→「地球という天体上に住む人間の一人一人に生きる目的があります。なのに大半の人間がその生活の基盤となっている霊的実在に気づいていないのは悲しい事です。まるで穴居人のように、ガランとした暗がりの中で暮らしております」

「シルバーバーチの霊訓」より→「視角がズレているのです。焦点が狂っているのです。ビジョンが間違っているのです。人生がもたらしてくれる莫大な豊かさを全く知らずにいます。霊的真理に気がつけば自分がいま何をしなければならないかを自覚して、そこに人間革命が生じます」

「シルバーバーチの霊訓」より→「我々はみんな人間的存在です。という事は内部に不完全であるが故の欠点を宿しているという事です。もし完全であれば、あなた方は地上に存在せず私は霊界に存在しないでしょう。宇宙における唯一の完全な存在である大霊に帰一してしまっている事でしょう」

「シルバーバーチの霊訓」より→「私には皆さんの人間であるが故の弱点がよく理解できます。しかし一つ一つの問題を自分への挑戦として平然と受止めると同時に、内部の霊性を強化し、開発し、発展させて霊性を高めるための触媒として、それを克服していかねばなりません」

「シルバーバーチの霊訓」より→「地上的環境の中に置かれている以上あなた方は、地上ならではのさまざまな条件が生み出す幸福の絶頂と不幸のドン底、いわゆる人生の浮き沈みというものに直面しない訳には参りません」

「シルバーバーチの霊訓」より→「しかし、そこにこそ皆さんが地上に生を享けた意味があるのです。つまりそうしたさまざまな浮き沈みの体験が皆さんの霊、真実の自我に潜在する資質を顕現させる事になるのです。困難と逆境とに遭遇してはじめて発揮されるものなのです」

「シルバーバーチの霊訓」より→「魂が真の自我に目覚めるのは太陽が光り輝いている時ではありません。バラ色の人生の中では霊性は発揮されません。危機、挑戦、困難、障害、妨害の中にあってこそ発揮されるのです。それが魂に潜在する神性を自覚する唯一の触媒を提供してくれるのです」

「シルバーバーチの霊訓」より→「これは霊的叡智を求める求道者の全てに言える事です。断腸の思い、悲痛、苦痛を体験しない事には、その後に訪れる恩寵の有難さが十分に理解できません。人のために役立とうとする人間は試練を覚悟しなければなりません。時には力の限界までしごかれる事もあります」

「シルバーバーチの霊訓」より→「人間の一人一人に神の計画があるのです。偶然の事故、チャンス、一致というものはありません。全てが大自然の摂理によって動いており、そこには奇跡も摂理への干渉も有得ません。摂理そのものが完璧に出来ているのです。完全な叡智によって生み出されているからです」

「シルバーバーチの霊訓」より→「神の法則に例外というものはありません。存在するものの全て―地上の森羅万象だけでなく、無辺の大宇宙のあらゆるもの―が神の配剤にあずかっているのです。どちらへ目をやっても、そこに神の法則の働きがあります」

「シルバーバーチの霊訓」より→「小さすぎて見落されたり大きすぎて法則の枠からはみ出たりする事は有得ません。それと同じ法則があなたにも働いているのです。もちろん私にもそして他の全ての人にも働いております。これで作用と反作用が正反対であると同時に相等しいものであるとお分りでしょう」

「シルバーバーチの霊訓」より→「幸福の絶頂に至るにはドン底の苦しみを味わわねばならない事もお分りでしょう。そして又、皆さんが自分ではドン底を味わったつもりでいてもまだまだ絶頂を極めてはいらっしゃらない事もお分りでしょう。その証拠に心の奥にまだ死後の世界についての疑念をお持ちです」

「シルバーバーチの霊訓」より→「しかし人間は生き続けます。地上で永遠に、という意味ではありません。地上的存在には不滅という事は有得ないのです。物的なものにはその役割を終えるべき時期というものが定められております。分解して元の成分に戻っていきます」

「シルバーバーチの霊訓」より→「大自然の摂理の一環として物的身体はそのパターンに従います。が、“あなた”そのものは存在し続けます。生き続けたくないと思っても生き続けます。自然の摂理で、あなたという霊的存在は生き続けるのです」

「シルバーバーチの霊訓」より→「ある種の教義や信条を信じた者だけが永遠の生命を与えられると説いている宗教がありますが、永遠の生命は宗教や信仰や憧れや願い事とは無関係です。生き続けるという事は変えようにも変えられない摂理であり、自動的にそうなっているのです」

「シルバーバーチの霊訓」より→「そもそも人間は死んでから霊となるのではなく、もともと霊であるものが地上へ肉体をまとって誕生し、その束の間の生活のためではなく、霊界という本来の住処へ戻ってからの生活のために備えた発達と開発をするのですから、死後も生き続けて当り前なのです」

「シルバーバーチの霊訓」より→「元の出発点へ帰るという事であり、地上のものは地上に残して、宇宙の大機構の中であなたなりの役目を果たすために、霊界でそのまま生き続けるのです」

「シルバーバーチの霊訓」より→「無限の宇宙機構の中にあって神の子は一人の例外もなく必ず何らかの役目があり、それを果たそうとすると色々困難が生じます。がそれは正面から迎え撃って克服すべき挑戦と心得るべきです。困難と障害は霊性を発達、進化させる上において必要不可欠の要素なのです」

「シルバーバーチの霊訓」より→「地上というところはバイブレーションが重く鈍く不活発で退屈な世界です。それに引きかえ霊の世界は精妙で繊細で鋭敏です。その霊妙なエネルギーを地上に顕現させるには、各自に触媒となる体験が必要です」

「シルバーバーチの霊訓」より→「太陽がさんさんと輝いている時、つまり富と財産に囲まれた生活を送っているようでは霊的真理は見出せません。何一つ難問が無いようでは霊的真理は理解できません。困苦の真っ只中に置かれてはじめて触媒が働くのです」

「シルバーバーチの霊訓」より→「霊性の開発には晴天よりも嵐の方がためになる事があるものです。鋼が鍛えられるのは火の中においてこそです。黄金が磨かれてそのまばゆいばかりの輝きを見せるようになるのは、破砕の過程を経てこそです。人間の霊性も同じです」

「シルバーバーチの霊訓」より→「何度も何度も鍛えられてはじめて、かつて発揮された事のない、より大きな霊性が発現するのです。黄金はそこに存在しているのです。しかしその純金が姿を見せるには原鉱を破砕して磨かねばなりません。同じ事が皆さん方すべてに言えるのです」

「シルバーバーチの霊訓」より→「霊に関わるもの、あなたの永遠の財産であり、唯一の不変の実在である霊に関するものに興味を抱くようになるには、それを受入れるだけの用意ができなくてはなりません。そこで鋼や黄金と同じように試練を受ける事が必要となるのです」

「シルバーバーチの霊訓」より→「苦を味わわねばならないという事です。不自由を忍ばねばなりません。それは病気である場合もあり、何らかの危機である場合もあります。それがあなたの魂、神の火花に点火し、美しい炎と燃え上がりはじめます。それ以外に方法はありません」

「シルバーバーチの霊訓」より→「光を見出すのは闇の中においてこそです。知識を有難く思うのは無知の不自由を味わってこそです。人生は両極です。相対性といってもよろしい。要するに作用と反作用とが同等であると同時に正反対である状態の事です」

「シルバーバーチの霊訓」より→「魂はその琴線に触れる体験を経るまでは目覚めないものです。その体験の中にあっては、あたかもこの世から希望が消え失せ光明も導きも無くなったかに思えるものです。絶望の淵にいる思いがします」

「シルバーバーチの霊訓」より→「ドン底に突き落とされ、もはや這い上がる可能性がないかに思える恐怖を味わいます。そこに至ってはじめて魂が目を覚ますのです」

「シルバーバーチの霊訓」より→「ですから私たち霊界の者は魂にその受入れ準備ができるまで根気よく待つほかないのです。“馬を水辺へ連れて行く事はできても水を飲ませる事はできない”ということわざがあります。本人がその気にならなければどうしようもないのです」

シルバーバーチ霊が多大な犠牲を払って地上人類にもたらしてくれた“ダイヤモンドの輝き”に譬えられる珠玉の霊的真理。僕たちはその美しい霊言の数々に触れる事で、大切な知識を得るチャンスを与えて頂いたのです。人類の宝とも言える霊界通信の書籍は、すぐ手の届くところにあるのです☆(祈)