まず霊団にユーチューブユーチューブ言われまくっている事を受けて今シーズンのスノーシューアタックはムービー素材を撮りまくる事に決め、今回は7つ撮りました。これを使ってムービーを作ってみましょう。そして今回僕が感動したのは「ナイトアタック時の撮影画像」です。今までのデジカメでは絶対にこういう画像は撮れませんでした。ヘッドライトハンドライト以外に全く光源がない真っ暗闇の世界でここまで明るく撮影ができる事を知って本当にビックリしています。ハッキリ言って超気に入りましたコレ。今後ナイトアタック時の撮影をもっとテテイテキに行う必要があるでしょう。とにかくこのナイトアタック画像には感動しました。もうこうなったらガンガン撮って行きましょう(祈)†

んー現状ないですね。僕がいつも霊聴に聞いている「ピィィィン」という波長の効果音はぜひ欲しいですね。慣れ親しんだAdobeではAuditionというオーディオ編集ソフトがあります、大昔に少しだけ触った事がありますが、ムービーのチープ編集ソフトのようなものがあればそれも選択肢のひとつでしょうがとにかくアタック帰還後の作業になります(祈)†

ペテンノウ氏ブログ bit.ly/2teUmlM ↓明日からスノーシューアタック開始です。今年のテーマは「ムービー素材の撮影」です。明日は晴れ、何が何でも撮って帰ってきてYoutubeにUPするムービーとして昇華させなければなりません。インスピレーションも降ってます、詳細はアタック帰還後。とにかく撮影に全力(祈)†

—–二章
『シルバーバーチの霊訓⑦』
【シルバーバーチの交霊会には時おりレギュラーメンバーの他に新参者が招かれる。その日も一人の招待客が出席していた。その客の質問に対するシルバーバーチの答えは、さながらスピリチュアリズムの要約の観があるので紹介しよう―】

『シルバーバーチの霊訓⑦』
私達霊団の仕事の一つは地上へ霊的真理をもたらす事です。これは大変な使命です。霊界から見る地上は無知の程度が酷すぎます。その無知が生出す悪弊は見るに耐えかねます。それが地上の悲劇に反映しておりますが、実はそれがひいては霊界の悲劇にも反映しているのです。

『シルバーバーチの霊訓⑦』
地上の宗教家は、死の関門をくぐった信者は魔法のように突如として言葉では尽くせない程の喜悦に満ちた輝ける存在となって一切の悩みと不安から解放されるかに説いていますが、それは間違いです。真相とは程遠い話です。

『シルバーバーチの霊訓⑦』
死んで霊界へ来た人は―初期の段階においては―地上にいた時と少しも変りません。肉体を棄てた―ただそれだけの事です。個性は少しも変りません。性格は全く一緒です。習性も特性も性癖も個性も地上時代そのままです。

『シルバーバーチの霊訓⑦』
利己的な人は相変らず利己的です。貪欲な人は相変らず貪欲です。無知な人は相変らず無知のままです。悩みを抱いていた人は相変らず悩んでいます。少なくとも霊的覚醒が起きるまではそうです。

『シルバーバーチの霊訓⑦』
こうした事があまりに多すぎる事から、霊的実在についてある程度の知識を地上に普及させるべしとの決断が下されたのです。そこで私のような者が永年にわたって霊的生命についての真理を説く仕事に携わってきた訳です。霊的というとこれまではどこか神秘的な―

『シルバーバーチの霊訓⑦』
―受取られ方をされてきましたがそういう曖昧なものでなしに実在としての霊の真相を説くという事です。そのためには何世紀にもわたって受継がれてきた誤解、無知、偏見、虚偽、欺瞞、迷信―人類を暗闇の中に閉じ込めてきた勢力の全てと闘わねばなりませんでした。

世界心霊宝典、全5巻【霊訓】【不滅への道(永遠の大道)】【スピリチュアリズムの真髄】【ジャック・ウェバーの霊現象】【人間個性を超えて(個人的存在の彼方)】これらも超オススメです☆が悲しいかな、絶版が多いです(涙)でも僕は古書で全巻揃え全部読みました☆人類の宝なのです(祈)
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『シルバーバーチの霊訓⑦』
私たちはそうした囚れの状態に置かれ続けている人類に霊的解放をもたらすという目的をもって一大軍団を組織しました。お伝えする真理はいたって単純なものなのですが、それにはまず証拠になるものをお見せする事から始めなければなりません。

『シルバーバーチの霊訓⑦』
即ち偏見を捨てて真摯な目的、真実を知ろうとする欲求をもって臨む者なら誰にでも得心がいくものである事を明らかにしなければなりません。

『シルバーバーチの霊訓⑦』
あなた方の愛する人々はそちら側からチャンスを与えてくれれば、然るべき通路(霊媒)を用意してくれれば、死後もなお生き続けている事を証明してくれます。これは空想の産物ではありません。何千回も何万回も繰返し証明されてきている事実を有のままに述べているのです。

『シルバーバーチの霊訓⑦』
もはや議論や論争の枠を超えた問題です。最も見ようとしない盲目者、事実を目の前にしてもなお認める事ができなくなってしまった歪んだ心の持ち主は論外ですが。以上が第一の目的です。

『シルバーバーチの霊訓⑦』
“事実ならばその証拠を見せて頂こう。我々はもはや信じるというだけでは済まされなくなっている。あまりに永い間気まぐれな不合理極まる教義を信じ込まされてきて我々は今そうしたものにほとほと愛想をつかしてしまった。”―

『シルバーバーチの霊訓⑦』
―“我々が欲しいのは我々自身で評価し、判断し、測定し、考察し、分析し、調査できるものだ”―そうおっしゃる物質界からの挑戦にお応えして、霊的事実の証拠を提供するという事です。それはもう十分に提供されているのです。既に地上にもたらされております。

『シルバーバーチの霊訓⑦』
欲しい人は自分で手にする事ができます。それこそが私がこれまであらゆる攻撃を耐え忍び、これからもその砦となってくれる“確定的事実”というスピリチュアリズムの基礎なのです。

『シルバーバーチの霊訓⑦』
もはや“私は信じます。私には信仰というものがあります。私には希望があります”といった事では済まされる問題ではなくなったのです。“事実なのだからどうしようもありません。立証されたのです”と断言できる人が数え切れないほどいる時代です。

シルバーバーチ以外で僕が好きな書籍の紹介です。「レッドマンのこころ」です。これを読んでインディアンの方々が超トレイルランナーだと知りました☆超人的体力で山野を爆走、馬も追いつけないほど足が強靭☆しょぼいトレイルランナーの僕にとってインディアンの方々は憧れの的なのです☆(祈)
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『シルバーバーチの霊訓⑦』
人類史上初めて宗教が実証的事実を基盤とする事になりました。神学上のドグマは証明しようのないものであり、当然議論や論争がありましょう。が死後の存続という事実はまともな理性をもつ者なら必ず得心するだけの証拠が揃っております。

『シルバーバーチの霊訓⑦』
しかし証明された時点から本当の仕事が始まるのです。それでおしまいとなるのではありません。まだその事実を知らない人が無数にいます。その人たちのために証拠を見せてあげなくてはなりません。

『シルバーバーチの霊訓⑦』
少なくとも死後にも生命があるという基本的真理は間違いないのだという確証を植えつけてあげる必要があります。墓の向うにも生活があるのです。あなた方が“死んだ”と思っている人たちは今もずっと生き続けているのです。

『シルバーバーチの霊訓⑦』
しかも地上へ戻ってくる事もできるのです。現に戻ってきているのです。しかしそれだけで終ってはいけません。死後にも生活があるとはどういう事を意味するのか。どういう具合に生き続けるのか。その死後の生活は地上生活によってどういう影響を受けるのか。―

『シルバーバーチの霊訓⑦』
―二つの世界の間にはいかなる因果関係があるのか。死の関門を通過した後どういう体験をしているのか。地上時代に口にしたり行ったり心に思った事が役に立っているのか障害になっているのか、こうした事を知らなくてはいけません。

『シルバーバーチの霊訓⑦』
また死後、地上に伝えるべき教訓としていかなる事を学んでいるのか。物的所有物の全てを残していった後に一体何が残っているのか。死後の存続という事実は宗教、科学、政治、経済、芸術、国際関係、人種差別問題にいかなる影響を及ぼすのか、―

『シルバーバーチの霊訓⑦』
―といった事も考えなくてはいけません。そうなのです。そうした分野の全てに影響を及ぼす事なのです。なぜなら新しい知識は永い間人類を悩ませてきた古い問題に新たな照明を当ててくれるからです。もう一つ申し上げたい事があります。―

『シルバーバーチの霊訓⑦』
―そうした問題と取組んでいく上において私たちは暗黒の勢力と反抗勢力、そしてそうした勢力に加担する事で利益を確保している者たちに対して間断なき闘いを続けていかねばなりませんが、同時に不安、取越苦労といった“恐怖心”との闘いも強いられているという事です。

www.youtube.com/watch?v=Xe-4Hm0iVlE

抑えきれずにすぐ近所の小さなホームセンターに行って「お花ちゃんのムービー」を撮ってきました。モチョト煮込む必要があると思いますが「フラーのコンセプトムービー」作れそうな感じになってきました。フラー15のカラーリングを進めつつ、ブログを書きつつ、コンセプトムービーも作ってもいいかも知れません。Youtubeの「チャンネル紹介ムービー」にするのもアリかも、というのも僕の活動内容ではチャンネル紹介などできませんのでフラーに頼るしかない、なんて事もありつつ。2分半くらいで作るつもりです、まずは1発目という事で。とにかくイエス様のご意志「強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の死刑、滅亡」完全遂行(祈)†


幽体離脱時の映像で霊団に推されてなかったら絶対に描かなかったキャラ…フラー15は「クモちゃん」のフラーになりました。描いた僕もビックリ☆ ただ実は霊団のメセにもちゃんと伏線があって、僕が山でクモちゃんを手のひらに乗せてじっくり観察した、その経験をふまえてのクモちゃん推しだった訳です。

当初フラー15のキャラは「イチゴちゃん」という相当ブッ飛んだキャラにするつもりだったのですが、どう描いてもカワイくならなくて残念ながらボツにしたのです…ただ今回のクモちゃんもイチゴちゃんに負けないくらいブッ飛んでますよね笑。

クモちゃんと言えば「気味ワルイみたいなイメージがつきまといますが、霊的知識の見地から言えば、どの生きものにも【神】が仕事を与えており、クモちゃんも立派に神から賜った仕事をこなしているのです。そういう視点で生きものたちを見てあげられるようになって頂けると僕も嬉しいのですが(祈)†

※ハンドライトソードは両ひざに1本ずつ格納されてます。

フラーのブランドロゴ、んーあまり気に入ってませんがココにばかりパワーをかけられませんのでしばらくこのロゴで行きます(祈)†

霊団は「フラーを全面的に認める」※「兄(徳仁)は自殺します」 wp.me/pa9cvW-2ko この中で少し触れています。↓とまで仰いました。フラーに「宇宙一のバカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を「死刑」にする実際的なチカラがあると信じましょう(祈)†

カラダは小さいけど足が異常に長いクモちゃんを、フラー15航行モード時の細いボディに4体乗せるのはどう考えてもムリでした…。ですので今回の15はプラットフォームの概念を捨てて、航行モード移動時は、クモちゃんは「クモの糸」でパラセーリングみたいにフラー本体に追従させる事にしました(祈)†
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はい、壮絶の極致の作業負荷を超えてようやくUPにこぎつけました「フラー15設定資料」ですが、フラーのロットナンバーが増えていくに伴ってフラーのデザインが複雑にムズカシクなっていくのは仕方ない事として、今回は1枚の画像の中に情報てんこ盛りといった感じで、とにかく作業負荷の高さに参ってしまっています。これからさらにカラーリングを行わなければならないのです。イヤーまぁ画家時代の作品描画の方がはるかに作業負荷は高かったですから別に大丈夫なのですが(画家時代は完全に別次元の作業をしてましたので)使命遂行の作業が他にも鬼のように地獄のようにありますのでそちらがストップしてしまうのが僕的に痛く、正直頭を抱えてしまいます。

で、今回の画像のように女性を攻撃するのは僕のポリシーに反する部分がありますし何より霊団はこれらの情報をほとんど降らせていませんでしたので、僕としてもどうしたものかといった部分があるのですが、とにかく強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を1分1秒でも早く死刑にしなければならない、絶対に実現させなければならないという思いから、もう細かい事は言っていられないと今回のような画像をやはり作る事としました。

皆さま、アナログ絵290をご覧になっていかがでしょうか「類は友を呼ぶ」という言葉が真っ先に浮かびませんか。女の子を「処刑遊び」で殺しまくっている「宇宙一のバカ」と「くっ付こう」と考えるのはやはり同じように心に邪悪を宿した人間なのだ、同じ邪悪な属性にひかれあうからこそコイツらは一緒にいるのだ、お互いに秘密を守り合うのにも都合がいいのでしょう、もし片方が善なる人間であるなら自分の邪悪の正体をバクロされてしまいますからね。

まぁ女性陣、美智子、雅子、紀子については霊団は殆ど情報を降らせてきませんのでここで切りましょう。とにかく「総殺害数487」信じられない天文学的人数の幼い奴隷の女の子を笑いながら四肢切断、強姦殺人して死肉を食べまくる「人類の恥」「人間のクズ」「宇宙一のバカ」明仁、文仁、徳仁、悠仁を何が何でも死刑にして滅亡させるために僕にできる事は何でもやらねばなりません。

僕は幾度となくブログで「僕は既に物的願望がない」と公言しています、この言葉の意味を理解できる人間は間違いなくこの物質界に皆無と思われますが、僕はこの物質界で「ああなりたい、こうなりたい」という願望を既に超越した精神的段階に到達しているのですが、ただ唯一、僕がこの物質界でやらねばならない仕事があります。それが「怒涛の連続顕現」を受けてイエス様と交わした約束「強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を死刑にする」使命遂行で、それを「イエス様ハンドリング(霊の導きに従う)」とネーミングしているのです。僕の残された人生は僕のモノではありません、イエス様のモノです。僕は自分の全存在をかけて、そしてイエス様の御名を連呼している責任にかけて、確実に強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を死刑にして葬り去ります(祈)†

※予測通りですが…ピーチピチ(佳子)の誕生日のニュース、もちろんピーチピチ本人が書いた文章ではないのですが、恐ろしく中身がないスッカスカの内容ですね。まさかピーチピチ(佳子)がこのまま真実を語らずにすっとぼけ続け、自分が文仁、紀子と1ミリも血がつながっていない事も一言も語らず、強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を擁護し続け、奴隷の女の子たちを殺す手伝いをしながら生きて行くつもりじゃないだろうな、と少し心配になってしまいます。もう完全に国民周知の事実になっているのに今後もウソ笑いを続けて生きるつもりなのか。ピーチピチの性格はそれを許さないと僕は思っています、ただやはり文仁にひたすら脅されているようで未だに心が揺れている様子を霊団が複数降らせています。

ピーチピチ(佳子)にはいい加減に、死刑になって「宇宙一のバカ」として人類の歴史に登録される人間に気を遣うのをやめて、自分の幸せを第一に考えて行動を起こしてほしいと思っています。そのピーチピチ(佳子)の幸せは奴隷の女の子たちを救出した先にあります。女の子を殺した先にはありません。僕の「イエス様ハンドリング」にどうしても協力してもらって、奴隷の女の子たちを一緒に助けてあげなければなりません。助けるのに理由は必要ありません。助けるのが人間として唯一無二の道です。どうしてピーチピチ(佳子)は女の子たちを助けるためにアクションを起こさないのでしょう。それ以外の道などないのに。こんな簡単な人生の問いがあるでしょうか。とにかくピーチピチ(佳子)には常識でモノを考えて行動を起こしてもらいたいと思います。

ピーチピチ、奴隷の女の子たちを一緒に助けてあげるわよ♪それ以外の道はないわよ♪たのむわよホントにもぅ♪(祈)†

『シルバーバーチの霊訓⑩』
光を見出すのは闇の中においてこそです。知識を有難く思うのは無知の不自由を味わってこそです。人生は両極です。相対性といってもよろしい。要するに作用と反作用とが同等であると同時に正反対である状態の事です。

『シルバーバーチの霊訓⑩』
魂はその琴線に触れる体験を経るまで目覚めないものです。その体験の中にあってはあたかもこの世から希望が消え失せ光明も導きも無くなったかに思えるものです。絶望の淵にいる思いがします。ドン底に突き落とされ、這い上がる可能性がないかに思える恐怖を味わいます。

『シルバーバーチの霊訓⑩』
そこに至ってはじめて魂が目を覚ますのです。ですから私たち霊界の者は魂にその受入れ準備ができるまで根気よく待つ他ないのです。馬を水辺へ連れて行く事はできても水を飲ませる事はできない、という諺があります。本人がその気にならなければどうしようもないのです。

『シルバーバーチの霊訓⑩』
私には皆さんのどなたより長い経験があります。そのおかげで我々の全てを包摂し全存在に配剤した自然法則の完璧さについて皆さんよりも深く理解しております。時おり私は地上の同志のもとを訪ねてみる事がありますが、―

『シルバーバーチの霊訓⑩』
―霊的知識を携えているはずの人が悩み、そして心配しているのを見て不可解でならない事があります。霊的知識は永遠の霊にはいかなる危害も及ばない事を保証する基盤であるはずです。霊的知識を手にした者は常に光の中に生き、明日を思い煩う事があってはなりません。

『シルバーバーチの霊訓⑩』
地上には人間が思い煩う必要のある事は何一つありません。あなたの内部には霊的兵器―悲常事態や危機に際して活用できる霊的資質が宿されているのです。その潜在力を呼び起こし、待機している霊に訴えれば、解決できない問題は何一つありません。

シルバーバーチの霊訓、全12巻の他に【古代霊は語る シルバーバーチ霊訓より】【シルバーバーチのスピリチュアルな法則】【シルバーバーチのスピリチュアル・メッセージ】【シルバーバーチの新たなる啓示】【シルバーバーチ 最後の啓示】【シルバーバーチ 今日のことば】等もあります(祈)

まずはアナログ絵290「フラー15設定資料」ゴールが見えてきました、明日にはUPできるでしょう。そして今日の幽体離脱時にちょっと無視できない内容を霊団が降らせてきています。それはだいぶ昔に書いたこちらのブログ「文仁、言い訳文章」 wp.me/pa9cvW-aa ↓これとほぼ同一の内容と言えそうな映像で、霊力を感じ取る能力がなく霊的なものを見た事も聞いた事もない人間が霊的なものに警告を発するという「おバカの極致」のメッセージを降らせています。何とかブログが書けるようにがんばってみましょう、まずは過去ブログをご覧頂きたいと思います。だいぶ昔に書いたものですので現在の状況と違う部分が多々ありますがそれはご了承下さい(祈)†

根性でスピードアップしました。スキャン&フォトショの作業に入ります。急げ、作業はこれで終わりじゃない。ちなみに「フラーのコンセプトムービー」の構想が脳内でだいぶ固まってきました。近々に作るかも知れません(祈)†

止まるな、何としても描け(祈)†