明日の山の準備でもう時間がありませんのでまずはMP3のUPのみ。「タイヤチェーン装着テスト」やってなかったら完全にパニクるところだったのです(祈)†
【12/16】2012~2013年ごろに撃った霊関連書籍の内容の抜粋です(祈)†
『シルバーバーチの霊訓⑤』
【例えば悪を憎むためには当人が憎しみという要素を持っている事が必要となるのでは、我々は憎む事を学ぶべきだという事にならないか、といった主旨の事を述べた。すると―】私はそのような考え方はしません。
『シルバーバーチの霊訓⑤』
私は悪とは同じエネルギーの用途を誤っている事だから許すべきではないという考え方をとります。あなた方が悪い奴らと思っている人間は未熟な人間という事です。その人たちが表現しているエネルギーは成長と改善のためにも使用できるのです。
『シルバーバーチの霊訓⑤』
自分から“悪人になってやろう”“利己主義者になってやろう”と思って悪人や利己主義者になる人間は滅多にいるものではありません。“悪い人間”というのは霊的成長における幼児なのです。聞き分けのない子供みたいなものです。
『シルバーバーチの霊訓⑤』
目に見え手に触れるものだけが全てだと考え、従って物的世界が提供するものを全て所有する事によってしか自分の存在を主張できない人間なのです。利己主義とは、利他主義が方角を間違えたにすぎません。
『シルバーバーチの霊訓⑤』
善なるもの、聖なるもの、美なるもの、愛、叡智、その他人生の明るい側面だけに神が宿っているかに考える旧式の思想は棄てなければいけません。
『シルバーバーチの霊訓⑤』
神の表現をそのように限定すれば、もはや絶対神が絶対でなくなります。それは条件付の神、限定された霊となります。絶対神の本質は無限、全智、全能、不可変、不易であり、それが法則となって絶え間なく機能しているのです。
『シルバーバーチの霊訓⑤』
神を、右手にナザレのイエスを従えて玉座に坐している立派な王様のように想像するのはそろそろやめなければなりません。それはもはや過去の幼稚な概念です。宇宙全体―雄大な千変万化の諸相の一つ一つに至るまで絶対的な法則が支配しているのです。神とは法則の事です。
『シルバーバーチの霊訓⑤』
【この問答がサイキックニューズ紙に掲載されるとすぐに反響があった(交霊会はいつも週末に催され、その記事はすぐ翌週に掲載された―訳者)読者からの批判的な手紙が読上げられるのを聞き終ったシルバーバーチはこう答えた―】困りました。
『シルバーバーチの霊訓⑤』
そうした方たちは永い間神とは善なるものにのみ存在すると教え込まれてきているからです。神とは一個の人間、誇張された人間であるかに想像し、人間から見て良くないもの、親切とは言えないもの、賢明でないものは所有して欲しくないというにすぎません。
『シルバーバーチの霊訓⑤』
しかし神は人間的存在ではありません。法則なのです。それが全生命を支配しているのです。法則なくしては生命は存在しません。法則がすなわち霊であり、霊がすなわち法則なのです。それは変えようにも変えられません。
『シルバーバーチの霊訓⑤』
そこが理解できない人にとっては色々と疑問が生じるでしょうが、成長とともに理解力も芽生えてきます。神が善なるものを与え悪魔が邪なるものを与えるという論法ではラチがあきません。ではその悪魔は誰が拵えたのかという古くからのジレンマにまたぞろ陥ってしまいます。
『シルバーバーチの霊訓⑤』
【悪魔はキリスト教が生み出したのでしょう?―】そうです。自分たちから見て悪と思えるものを何とか片付けるためにはそういうものを発明しなければならなかったのです。悪も進化の過程の一翼を担っております。改善と成長、絶え間なく向上せんとする過程の一つなのです。
『シルバーバーチの霊訓⑤』
人間にとって悪に思え苦痛に思えるものも進化の計画に組み込まれた要素なのです。痛みがなければ健康に注意させる警告がない事になります。
『シルバーバーチの霊訓⑤』
暗闇が無ければ光もありません。悪が無ければ善もありません。地上にもし悪が存在しなければ、何を基準に善を判断するのでしょうか。改めるべき間違い、闘うべき不正が存在しなければ、人間の霊はどうやって成長するのでしょう。
シルバーバーチ以外で僕が好きな書籍の紹介です。「スピリチュアリズムの真髄」です。この本は超超超上級者向けです。シルバーバーチ等を相当読み込んで基本レベルを突破してからでないと何が書いてあるのかさっぱり理解できないかも知れません。霊的知識に精通した自信のある方向けの本です(祈)
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『シルバーバーチの霊訓⑤』
【いつの世にもその時点での人類の進化の段階から見て不正と思えるものが存在するという事でしょうか―】そういう事です。進化の階段を登れば登るほど改めるべきものを意識するようになるものだからです。
『シルバーバーチの霊訓⑤』
私が進化は永遠ですと言い、宇宙には始まりも終りもありませんと申上げるのはそのためです。向上の道に終点はありません。無限に続くのです。それぞれの段階がそれまでの低い段階への勝利の指標にすぎません。が低いものが無ければ高いものも有得ない事になります。
『シルバーバーチの霊訓⑤』
人生は一本調子ではありません。光と蔭、晴天と嵐、喜びと悲しみ、愛と憎しみ、美と醜、善と悪の双方が揃わなくてはなりません。人生はそうした比較対照を通じてのみ理解できるものだからです。
『シルバーバーチの霊訓』
闘争、奮闘、逆境の克服を通してはじめて神性を宿した人間の霊が芽を出し、潜在する様々な可能性が発揮されるのです。そういう摂理になっているのです。私がそう定めたのではありません。私はただそれを自ら身に修める努力をしてきて今それを皆さんにお教えしているだけです
『シルバーバーチの霊訓⑤』
人間的存在としての神は人間がこしらえた概念以外には存在しません。人間的存在としての悪魔も人間が発明した概念以外には存在しません。黄金色に輝く天国も火焔もうもうたる地獄も存在しません。そうしたものは全て視野を限られた人間の想像的産物にすぎません。
『シルバーバーチの霊訓⑤』
神は法則なのです。それさえ理解すれば人生の最大の秘密を学んだ事になります。なぜなら世の中が不変にして不可変、全智全能の法則によって治められている事を知れば、絶対的公正が間違いなく存在し宇宙の創造活動の大機構の中で一人として忘れ去られないと知るからです。
『シルバーバーチの霊訓⑤』
だからこそ全てが知れるのです。だからこそ何一つ手落ちというものがないのです。だからこそ人生のあらゆる側面が宇宙の大機構の中にあって然るべき位置を占めているのです。だから何一つ見逃される事がないのです。いかに些細な事でも、いかに巨大な事でも。
『シルバーバーチの霊訓⑤』
全てが法則の枠内の収められているからです。全てが法則だからです。存在を可能ならしめている法則なくしては何一つ存在できないのが道理です。法則が絶対的に支配しているのです。
『シルバーバーチの霊訓⑤』
人間に与えられている自由意志が混乱を引起こし法則の働きを正しく見えなくする事はあっても法則は厳然と存在しますし、また機能してもらわなくては困ります。私はキリスト教の神学は人類にとって大きな呪いであったと思っていますが、その呪われた時代も事実上終りました。
シルバーバーチ霊が多大な犠牲を払って地上人類にもたらしてくれた“ダイヤモンドの輝き”に譬えられる珠玉の霊的真理。僕たちはその美しい霊言の数々に触れる事で、大切な知識を得るチャンスを与えて頂いたのです。人類の宝とも言える霊界通信の書籍は、すぐ手の届くところにあるのです☆(祈)