※最新ムービーを先頭に固定表示しています(祈)†
「フラー固定ページ」更新しています。結構なボリュームになってきましたね(祈)†
「フラー固定ページ」 wp.me/Pa9cvW-1s3 ↓何しろフラーの新規デザインを続けていますので「フラー固定ページ」さらに巨大化していくものと思われます。ストーリー wp.me/Pa9cvW-2MG ↓こちらにはフラーのストーリーもまとめてありますので宜しければどうぞ、ももちゃん、シルキーがメインキャラです。あとはフラーの「コンセプトムービー」を何とか作りたいですが何とか雰囲気のイイものを考えたいです。フラー16の新規デザインにもさっそく入りましょう。ココのところ霊団が降らせるインスピレーションをブログという形に落とし込んでご紹介する事が全然できない状況になってしまっていますが、それは使命遂行的に大変宜しくありませんので何とかしましょう(祈)†
■アナログ絵291「フラー15カラーリング」UP。カラーコンセプトは「スカイブルー」です(祈)†
ムービー制作によって作業負荷が目に見えて増大しメチャクチャグチャグチャの状況の中、何とかフラー15「クモちゃんフラー」を完成までもってくる事ができました。フラー12と13が連続で黒いフラーになってしまった事を受け、14と15は明るいカラーのフラーにする事を決めていましたが、今回はクモちゃんの「パラセーリング」にちなんでスカイブルーのフラーとしました。とはいえ実際のスカイブルーとは違うブルーですが彩度の高いブルーで塗ってみました。彩度を落とすとだいたい雰囲気が落ち着いてイイ感じのカラーに仕上がりますが、彩度を上げて塗るのは結構難しくて、今回はそれをあえてやってみました。何とかまとまったかなぁ。
んー、このクモちゃんのフラー、霊団に推されてなければ絶対に描かなかったキャラでしたがこうして描いてみるとストーリーにも色々使えそうな機体に仕上がりました。シルキーに搭乗させてもおもしろそうですがどうでしょう。
「ムービー」と「長文ブログ」の作業は共存不可能である事が判明しました、というお話を少し(祈)† |
こちらでも少しお話しましたがまずはフラー17までデザインを続けます。17が完成したタイミングで新規フラーのデザインを一旦止めてストーリーをいくつか描くかも知れません。そろそろ全く新しい変形ギミックのフラーを描きたいところなのですが、これがまたハードルが高くてまだ脳内3Dモデルでのギミックの完成に至りません。何とか脳内ウニュウニュを続けてみましょう。
そして覚えている方は間違いなくいらっしゃらない事と思いますが、以前ブログで「フラーの系譜ではあるが既存のフラーとは全く違うフラー」をデザインしている最中と書いた事がありました。しかし実はそのフラーが霊団に思いっきり「ボツ」を喰らってしまってお蔵入りになってしまったのです。これには僕もビックリしましたが(もちろん霊的意味があっての事なんですよ)逆に「幻(まぼろし)のフラー」としてブログ内で皆さまにご紹介するのもおもしろいのではないかなどと考えたりもしてます。もっともムービーに相当のパワーを取られている現状ではそこまで手が回りそうにありませんが。霊団にボツを喰らった幻のフラー、描けたら描きましょう、マストではありませんのでスルーする可能性がありますが。
さぁフラー16の新規デザインに突入しますが実は現状16はノーアイデアです。17はどういう風に描くか決まっています。フラー02をバージョン2.0にしたい衝動にも駆られていますがチョト考えましょう。使命遂行の中で突如誕生した「フラー」がどんどんひとり歩きを始めて霊団に「フラーを全面的に認める」と言われるまでになっていますが、そう言われるからにはフラーに「宇宙一のバカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を死刑、滅亡させる実際的パワーがあると信じずにはいられません。セブン時代に霊団に「ミラクルな女の子を描け描け」と言われて描き始めたアナログ絵がいよいよ300にまで到達しようとしています。「継続は力なり」僕が描き続けているこの絵が、強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を撃ち滅ぼす「ハンドライトソード」になってくれる事を願わずにはいられません。フラーは元々「ハンドライトクロス」のバリエーションとしてデザインしたものですからね。
あまりの作業負荷の高さに比喩ではなくリアルで目が回りそうな状況ですが僕は山で鍛えまくっていますのでスタミナには自信があります。ムービー、アナログ絵、ともに全開で制作していきましょう。全ての作業は「イエス様ハンドリング」イエス様と交わした男と男の鉄の約束を完璧に果たし切るため。強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を間違いなく完全に死刑にして滅ぼし切るため。僕、たきざわ彰人はイエス様の御名を連呼している責任にかけて絶対に!「1歩も退く気はない」(祈)†
【1/9】2012~2013年ごろに撃った霊関連書籍の内容の抜粋です(祈)†
—–四章
『シルバーバーチの霊訓①』
その日その日の煩わしい雑事に追いまくられ心配事や悩み事を抱えた生活を送っていると、時としてあなた方は何故こんな目に遭わなければならないのかと思ったり、またこれもよくある事ですが気持の通じ合った仲だと思っていた人から冷たい態度に出られたりして、―
『シルバーバーチの霊訓①』
―理想を求める旅路で初めて光を見た時の感激をつい忘れてしまいがちです。その感激的体験の純粋無垢の美しさは時の経過とともにある程度その輝きを失いがちなものであり、体験当初のあの喜悦を今一度味わう事は必ずしも可能ではありません。
『シルバーバーチの霊訓①』
しかし今私たちが携わっている仕事は、それぞれの持ち場において測り知れない重大性をもっております。肉体という物質の牢に閉じ込められ意識を制限された状態で物的生活を送っているあなた方には、霊と心と身体の関係について明確な理解をもつ事は不可能です。
『シルバーバーチの霊訓①』
気苦労の絶え間がありません。身体の要求を満たしてやらなくてはなりません。金銭の問題にも関わらなくてはなりません。そうした息つく暇もない生活の中であなた方はつい意識の焦点をはずし、支援しようとして待機している背後霊の存在を忘れがちです。
『シルバーバーチの霊訓①』
この交霊会での私の嬉しい役目の一つは、そうした状況下に置かれているあなた方が、初期の聖なる目的に向けて導かんとする愛の力によって、意識するしないにお構いなく見守られているという事を思い出させてあげる事です。
『シルバーバーチの霊訓①』
その愛の光の証をお見せしたり、あなた方を取り巻いているところの霊の世界の美しさを披露する事は、たとえ要求されてもなかなか叶えられるものではありません。しかし事実、間違いなく存在するのです。
『シルバーバーチの霊訓①』
霧が視野をさえぎる事があるかも知れません。しかし所詮は霧です。私どもの世界から光を射し込む事ができるし、現にこうして射し込んでおります。
『シルバーバーチの霊訓①』
これまで何年もの準備期を経て、こうしてあなた方を奉仕の仕事に導いてきたように、これからもその光と力とがあなた方が道を迷わぬよう導き続ける事でしょう。そして万一迷ってもすぐ元の道に立ち戻らせ、神への道を歩み続けさせるよう配慮する事でしょう。
シルバーバーチ以外で僕が好きな書籍の紹介です。「スピリチュアル・ストーリーズ」これは霊界の存在を当り前のものとして書かれた初めての児童向け童話です。僕はこの本、最高に大好きです。美しすぎるのです。この本を読むたび、センナちゃんもきっとこんな幼少期だったのだろうと思うのです(祈)
—–
『シルバーバーチの霊訓①』
あなた方は本当の意味で祝福を受けられた方たちです。なぜならあなた方は地上のいかなる富も影が薄くなるほど高価な霊的知識の所有者だからです。こう申上げるのは、あなた方もぜひ私どもと同じ視野から人生を理解して頂きたいからです。
『シルバーバーチの霊訓①』
私どもは地上生活を物的視野でなく、価値観も異なれば判断の規準も異なる霊的世界から眺めております。その視野からの判断の方が遥かに真実に近いと信じています。人間は物質の中に埋れた生活をしているためにバイブレーションが低くなっております。
『シルバーバーチの霊訓①』
朝、目を覚まし、まだ意識が完全に働かないうちからあれやこれやと煩わしい事や心配事の波にのみ込まれていきます。大きい悩み、小さい悩み、真実の悩み、取越苦労に過ぎぬもの等々いろいろあります。―
『シルバーバーチの霊訓①』
―が、いずれにせよ全ては一時的なものにすぎないのですが、そういうものに心を奪われてしまうと背後で霊が働いてくれている事実を忘れ、あなた方の思考の流れの中から霊的要素を閉め出してしまい、霊的流入を遮断する一種の壁をこしらえてしまいます。
『シルバーバーチの霊訓①』
これは真理普及の仕事に携わる人にも“よくある話”なのです。奉仕の情熱、落胆、試練、そして悟り、このパターンの繰返しです。これは魂が自我に目覚め、内在する神性を開発せんとして必死にあがく一種のシーソーゲームのようなものです。
『シルバーバーチの霊訓①』
神の使徒の一人一人が、先覚者の一人一人が、予言者の一人一人が、その他霊感鋭き男女の一人一人が辿った道なのです。悟りの道にも満ち潮と引き潮にも似た盛衰があるという事です。
『シルバーバーチの霊訓①』
しかし大勢の方に申上げてきた事ですが、一人一人の人生にはあらかじめ定められたパターンがあります。静かに振り返ってみれば何者かによって一つの道に導かれている事を知るはずです。あなた方には分らなくてもちゃんと神の計画が出来ているのです。
【過去コメ】本の内容を撃てば撃つほど僕がする事になってしまった霊的知識普及の使命の「重大性」を認識せずにいられません。霊的知識が地上に根づく事がいかに急務かつ重要である事か。イエス様の怒涛の連続顕現の意味、そしてご意志をひしひしと感じるのです。僕はこんな器じゃないけどやるしかないんです(祈)
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『シルバーバーチの霊訓①』
定められた仕事を成就すべく、そのパターンが絶え間なく進行しています。人生の真っ只中で時としてあなた方は、一体なぜこうなるのかとか、いつになったらとか、どういう具合にとか、何がどうなるのかといった疑問を抱くことがある事でしょう。無理もない事です。
『シルバーバーチの霊訓①』
しかし私には、全てはちゃんとした計画があっての事です、としか言いようがありません。天体の一分一厘の狂いのない運行を見れば分るように、宇宙には偶然の巡り会わせとか偶然の一致とか、ひょんな出来事といったものは決して起きません。
『シルバーバーチの霊訓①』
全ての魂がそうであるようにあなたの魂も地上でいかなる人生を辿るかを誕生前から承知していたのです。その人生で遭遇する困難、障害、失敗の全てがあなたの魂を目覚めさせる上での意味をもっているのです。価値ある賞ほど手に入れるのが困難なのです。
『シルバーバーチの霊訓①』
容易にもらえるものはもらう価値はない事になります。簡単に達成したものほど忘れやすいものです。内部の神性の開発は達成困難なものの中でも最も困難なものです。人生は全て比較対照の中で展開しております。光も闇もともに神を理解する上での大切な要素です。
『シルバーバーチの霊訓①』
もし光と闇とが存在しなければ光は光でなくなり闇は闇でなくなります。つまり光があるから闇があり闇があるから光があるのです。同じく昼と夜がなければ昼は昼でなくなり夜は夜でなくなります。愛と憎しみがなければ愛は愛でなくなり憎しみが憎しみでなくなります。
『シルバーバーチの霊訓①』
その違いが分るのは相対的だからです。しかし実は両者は一本の棒の両端にすぎないのです。元は一つなのです。しかしその一つを理解するには両端を見なければならないのです。それが人生です。光と闇の両方がなければなりません。温かさと寒さの両方がなければなりません。
『シルバーバーチの霊訓①』
喜びと悲しみの両方がなければなりません。自我を悟るにはこうしたさまざまな経験が必要です。“完全”は絶対に成就できません。なぜならそれには“永遠”の時が必要だからです。私は謎めいた事を言っているのではありません。
『シルバーバーチの霊訓①』
要するに完成へ向けての絶え間ない過程において、一歩前進すればそのまた一歩先が見えてくるという事です。知識と同じで知れば知るほど知らなければならないことがある事を自覚するものです。
『シルバーバーチの霊訓①』
知識にはこれでおしまいというものはありません。叡智にも真理にも霊的悟りにも、おしまいというものはありません。なぜならそれらは全て無限なる神の一部だからです。