『シルバーバーチの霊訓①』
病める人、苦痛を抱えた人、身も心も霊も悶え苦しむ人、希望を失った人、寄るべない人、人生に疲れ切った人、迷える人、こうした人々にお説教は要りません。説く人自らが信仰に自信を失っている事すらよくあるのです。
『シルバーバーチの霊訓①』
説く人にも説き聞かされる人にも意味を持たない紋切り型の説教をおうむのように繰り返しても、誰も耳を傾ける気にはならないでしょう。欲しいのは霊的真理が真実であるとの証です。
『シルバーバーチの霊訓①』
あなた方が真に奉仕の精神に燃え霊的能力を人のために役立てたいと望めば、その霊力があなた方を通してその人たちに流れ込み、苦痛を和らげ、調和を回復させ、麻痺した関節ならばこれを自由に動かせるようにし、そうする事によって霊的真実に目覚めさせる事になるでしょう
『シルバーバーチの霊訓①』
ただ、この道には往々にして挫折があります。私どもの仕事は人間を扱う仕事です。残念ながら人間は数々の脆さと弱み、高慢と見栄、偏見と頑迷さで塗り固められております。自分の事よりまず人のためと考える人は稀です。大義のために一身上の事を忘れる人は殆どいません。
『シルバーバーチの霊訓①』
しかし、振り返ってご覧になれば、そうした条件の中にありながらも、霊的な導きによって着実に使命に沿った道を歩み、これから先の歩むべき方角への道しるべがちゃんと示されている事を明確に認識されるはずです。
『シルバーバーチの霊訓①』
これまで一点の疑念も疑問の余地もないほどその威力を証してきた力は、前途に横たわる苦難の日々を正しく導いてくれます。
『シルバーバーチの霊訓①』
施しを受けるより施しを授ける方が幸せです。証拠を目に見ず耳に聞く事もなく、それでもなおこの道に勤しむ事ができる人は幸せです。あなた方の周りにはあなた方より幸せの少ない人々に愛の手を差しのべる事を唯一の目的とする高級霊の温かみと輝きと好意と愛があります。
『シルバーバーチの霊訓①』
地上へ誕生してくる時、魂そのものは地上でどのような人生を辿るかをあらかじめ承知しております。潜在的大我の発達にとって必要な資質を身につける上でそのコースが一番効果的である事を得心して、その大我の自由意志によって選択するのです。
『シルバーバーチの霊訓①』
その意味であなた方は自分がどんな人生を生きるかを承知の上で生まれて来ているのです。その人生を生き抜き困難を克服する事が内在する資質を開発し、真の自我―より大きな自分に、新たな神性を付加していくのです。
『シルバーバーチの霊訓①』
その意味では“お気の毒に”などと同情する必要もなく、地上の不公平や不正に対して憤慨する事もない訳です。こちらの世界はこの不公平や不正がきちんと償われる世界です。あなた方の世界は準備をする世界です。
『シルバーバーチの霊訓①』
私が“魂は知っている”と言う時、それは細かい出来事の一つ一つまで知り尽くしているという意味ではありません。どういうコースを辿るかを理解しているという事です。
『シルバーバーチの霊訓①』
その道程における体験を通して自我が目覚め悟りを開くという事は、時間的要素と各種のエネルギーの相互作用の絡まった問題です。
『シルバーバーチの霊訓①』
例えば予期していた悟りの段階まで到達しない事があります。するとその埋め合わせに再び地上へ戻ってくる事になります。それを何度も繰り返す事があります。そうしているうちにようやく必要な資質を身につけて大我の一部として融合していきます。
『シルバーバーチの霊訓①』
自分が果たしてどの程度の人間か、どの程度進化しているかを自分で判断する事は今のあなた方には無理な事です。判断を下す手段を持ち合わせないからです。人間は霊的視野で物を見る事ができず四六時中物的視角で物事を考えるために判断がことごとく歪んでおります。
『シルバーバーチの霊訓①』
魂への影響を推し量る事ができない。そこが実は一番大切な点です。肉体が体験する事は魂に及ぼす影響次第でその価値が決まります。魂に何の影響も及ぼさない体験は価値がありません。
『シルバーバーチの霊訓①』
神を人間の都合の良い方向へ向けさせようとしても無駄です。神の摂理は計画通りに絶え間なく作用しています。賢明なる人間―叡智を身につけたという意味で賢明な人間は、摂理に文句を言う前に自分から神の無限の愛と叡智に合わせていくようになります。
『シルバーバーチの霊訓①』
そうした叡智を身につける事は容易な事ではありません。身体的、精神的、霊的苦難が伴います。この三つの要素のうちの二つが絡む事もあれば三つが全部絡む事もあります。霊性の開発は茨の道です。苦難の道を歩みつつ後に自分だけの懐かしい想い出の標識を残していきます。
『シルバーバーチの霊訓』
魂の巡礼の旅は孤独です。進むほど孤独さを増していきます。しかし利己的生活や無慈悲な生活にそれ相当の償いがあるように、その霊性開発の孤独な道にもそれなりの埋め合わせがあります。悟りが深まるにつれて内的な生命、輝き、喜び、確信が一層その強さを増していくのです
『シルバーバーチの霊訓①』
生命現象の全てが拠り所とする内的実在界の実相を味わい、神の愛の温もりをひしひしと実感するようになります。それが容易に成就されるとは私は一度も言っておりません。
『シルバーバーチの霊訓①』
最高の宝、最も豊かな宝は、最も手に入れ難いものです。しかもそれは自らの努力によって自分一人で獲得していかねばならないのです。
『シルバーバーチの霊訓①』
私はかつて地上で何年も生活し、こちらへ来てからも(三次元の世界の数え方で言えば)何千年もの歳月を過ごしてきましたが、向上すればするほど宇宙の全機構を包括し大小あらゆる出来事を支配する大自然の摂理の見事さに驚嘆するばかりです。
『シルバーバーチの霊訓①』
その結果しみじみと思い知らされている事は、知識を獲得し魂が目覚め霊的実相を悟るという事は最後はみな一人でやらねばならない―自らの力で“ゲッセマネの園”に踏み入り、そして“変容の丘”に登らねばならないのだという事です。
■2021年9月11日UP■「イエス様を最大の信奉とせず」これはスピリチュアリズム底流の大原則です(祈)†これまで人類はイエス様はじめ世界中の宗教の創始者等を超人的ポジションに祭り上げおかしなラベル、呼び名を付けてその人物やラベルばかりを崇めて肝心の霊的知識つまり中身をなおざりにしてきました「キリスト教の2000年の長きに亘る人類の呪い」がまさにその典型であり、その失敗を2度と繰り返さないために霊界側は「スピリチュアリズム」を勃興させ、人々の関心の対象を「人物やラベル」から「霊的知識そのもの」へとシフトさせたという事。もし霊団側が僕という霊の道具を使用して霊的知識普及の仕事をする事があるのであれば、僕という霊媒から降る霊言は今回のインスピレーション「イエス様を最大の信奉とせず」にありますようにイエス様に注目を集めさせるのではなく霊的知識そのものに関心を集めさせるという意味…続きを読む→ ■2021年11月24日UP■「何であたしがこんな重荷を背負わなきゃいけないの?」シルキーが悪用されるという意味です(祈)†僕を殺して口を利けないようにしてからシルキーを盗む、という意味で間違いないものと思われます。この「家族の一員に」というのは「デ〇〇ニー」の事を言っているような気がしてなりませんが。つまりデ〇〇ニーが僕の反論がない状態でシルキーのキャラクターを完全に書き換え霊的意味を完全に抜け落ちさせ、シルキーが我々のキャラであると世界中を洗脳する作品を発表する事によって僕、たきざわ彰人の存在を世界中の人間の脳内から消させる、という意味ではないかと思われます。そしてトランス時に霊団が見せてきた映像で、シルキーが「何であたしがこんな重荷を背負わなきゃいけないの?」とすごいイヤそうにしていたのです…続きを読む→ ■2021年12月15日UP■「間違いなく殺されるから」とにかく僕は何が何でも100%殺されるのだそうです(祈)†とにかく何が何でも100%殺されるのだそうです。僕が赴くかも知れなかったその場所は、僕を殺したい人間(つまり「宇宙一のバカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を何が何でも守り通そうとしている人間)であふれかえっていますから、みんなで一致協力して僕を完全に殺しにかかってくるのだそうです霊団によると。これは以前からずっと言われ続けていました。毒殺だのうしろから銃で撃って来るだの日本刀で切りつけてくるだの、これまでありとあらゆる映像を見させられてきています。何しろその敷地内の全員が僕を殺そうとしていますから霊団も到底かばいきれないという事のようなのです。もちろんその僕を殺そうとしているメンバーの中にピーチピチ(佳子)も含まれているという事になります…続きを読む→ ■2022年3月9日UP■「簡単に推し測ってはいけません」僕が殺されるのはほぼ決定的、問題はその先です(祈)†僕の物的肉眼では全体像が見えませんので、ごく一部だけを見ている僕の意見より全体を俯瞰で眺める事のできる霊団の判断の方が最終的に正しいという事を知識として理解していますので、現在の僕には使命遂行が成功していないように映るとしても、より長いスパンで見た時に、アキトくんの使命遂行によって、あの当時は動きがなかったが、あの活動によって十分に“タネ”が蒔かれ、そのタネがアキトくんの帰幽後に芽を出し花を咲かせ、結果的に「宇宙一のバカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の滅亡、物質界の邪悪の消滅、奴隷の女の子の強姦殺人容認システムの破壊へとつながったのだ。という風になるのかも知れません…続きを読む→