理不尽の究極形、憎しみの極致、これを受け入れられる心の境地などというものがあってたまるものか、こんな事がまかり通ってなるものか、もしこんな事になろうものなら、僕は永遠に霊団を許さない、そういうテキストを撃っているところです。
死んでもこんな事があってたまるか。間もなくプロセス実行。間もなくプロセス実行(祈)†
「皇族は強姦殺人魔」山を愛する霊覚者・たきざわ彰人です(祈)†
皇族などと自称する明仁、文仁、徳仁、悠仁は「処刑遊び」と称して奴隷の女の子を四肢切断、強姦殺人しまくっています。死刑にしましょう(祈)†
理不尽の究極形、憎しみの極致、これを受け入れられる心の境地などというものがあってたまるものか、こんな事がまかり通ってなるものか、もしこんな事になろうものなら、僕は永遠に霊団を許さない、そういうテキストを撃っているところです。
死んでもこんな事があってたまるか。間もなくプロセス実行。間もなくプロセス実行(祈)†
まずは昨日のマイナス20℃のグラデーション撮影の画像群をUPですが、先ほど霊団が見せてきた幽体離脱時映像は全く意味が分からなかったので(クロッキーにメモもできずもう脳内に記憶もほとんどありません)それは書けないとして、今週霊団が降らせてきたインスピレーションの意味を説明するテキストを(苦しみながら)何とか撃ってみましょう。
ふぅぅ、本当にこの人生そろそろいい加減にして欲しい、それどころかさらにヒドイ状態にさせられると言われているのです。本当に僕はイエス様の磔刑(はりつけ)と同じ状況になるのかも知れません(祈)†
山というのはたいていそうなのですが、スタート時に「お、今日は風がない、これは上で(標高を上げたら)イイ撮影ができそうだ」と張り切って稜線上に出るとたちまち冷たい風に撃たれたりするのです。稜線上は天気予報とは違うのです。
三脚を風で倒されないように腐心したり、気温が低い時は全身を震わせながらの撮影となったりするのですが、今回はそれほど強風ではなかったものの日の出1時間前でマイナス20℃、身体の保温はギリ大丈夫なのですが手指だけはちぎれそうなほど冷えまくり、悲鳴を上げつつ何とか最低限の撮影だけをおこなって速攻で標高を下げたのでした。
先週グローブのテストに失敗し、従来通りのグローブ装着法でアタックしていますが、マイナス15℃オーバーで風を浴びたりすると、もう手指がどうしようもない状態になってしまいます。しかし太陽さんが顔を出して標高を下げると現在のグローブで全く保温力に問題はないのです。日の出前、もっとも気温の低い時間帯に標高を上げた時のグローブの保温力を何とか考えないといけないかも知れません。
明日の長文ブログは何とか撃てそうですが、本当に苦しみながら撃たなければならない内容であり、気が重く、そんなヒドイ人生をやらされている原因を作った霊団に対する怒り憎しみが増幅するばかりで、一体いつまでこの苦しみを続けさせられるのかと思うと途方もない絶望感が心に充満します。チョト足回りにダメージが残ってますのでまずは回復に集中させて下さい(祈)†
↑コチラ「主なブログ トップページ」内に2023年のリンクを新規作成しました。山のアタック帰還後のブログから2023年のページにガンガンUPしていく事になります。僕は使命遂行やる気満々なのですが、霊団がインスピレーション降らせてこなければブログも書き続ける事ができませんので(とにかく僕は殺されると強調されまくってますので)今後どうなるかは未知数です。
そして「シルバーバーチのスピリチュアルな法則 – 宇宙と生命のメカニズム」スキャン開始、「ホワイトイーグル霊言集」全ページOCR変換完了中。フラー24汎用モード線画85%完成中。作業は何が何でも続行中です。
まずはWordPress「霊関連書籍」固定ページ内にテキストをガンガンUPしまくってビッグコンテンツにします。そこからさらに書籍表紙用のフルカラーの絵をガンガン描きまくって、1冊丸々pdf化してWordPress上でダウンロード可能状態にする、Amazonの校正刷りまで制作しておいていつでも販売開始できる状態までもっていく、さらにテキストを字幕として利用してムービーを作りまくる、等々の作業を進めて徹底的に霊的知識の拡散をおこないます。メチャクチャ時間がかかりますがそれでもやるのです。
さぁもう山のアタック準備ですので今日の作業はココまで。グラデーション撮影に集中しましょう。帰還後のテキスト撃ちが憂鬱ですがやるしかありません(祈)†
『ベールの彼方の生活①』
大天使はしばらく黙ってじっと立っておられましたが、やがて右手を高々と上げられました。すると一本の光の柱が見え、それがその右手に乗りました。それは一種の通路だったのです。その光の柱の上を別の天使の一団が降りて来るのが見え、―
『ベールの彼方の生活①』
―手のところまで来ると一たん立止まり、それぞれに両手を胸に当てて頭を垂れ、拝むような恰好でじっとしています。すると大天使の手が大きく弧を画いて一回転し、その指先を平地へ向けられました。
『ベールの彼方の生活①』
するとその光の柱が私たちの方向へ延びて来て、山の頂上と平地との間のかけ橋となり、その一番端がそこに集結していた私たちの上に掛りました。
『ベールの彼方の生活①』
見るとその光のかけ橋を通って先程の天使の一団が降りて来て、私たちの真上まで来ました。そこで両手を広げ、一斉に大天使のおられる山頂へ向きました。すると語るとも歌うともつかない大天使への賛歌が聞こえてまいりました。
『ベールの彼方の生活①』
その光景の美しさ、崇高さと言ったらありません。私たちは初めのうちはただただ畏れ多くて黙するのみでした。が、やがて私たちも一緒に歌いました。と言うよりは詠唱しました。それを教えるのが天使様たちの来られた目的だったのです。
『ベールの彼方の生活①』
詠唱していると、私たちとその山との間に青っぽいピンクの靄が発生し、それが不思議な働きをしたのです。まるで天体望遠鏡のレンズのように大天使の姿が大写しになり、そのお顔の表情まで見えるようになったのです。
『ベールの彼方の生活①』
同時に、すぐ下に立並ぶ天使の一段の姿も同じように大きく映って見えました。が私たちにはその優雅なお顔とお姿が見えるだけで、その真の霊格を読取る力はありませんでした。その表情はとても私には述べる事は出来ません。
『ベールの彼方の生活①』
言葉では言い尽せない様々な要素が渾然一体となっておりました。愛と慈悲と喜びと威厳とが混じり合っておりました。その時に私が感じたのは、こうして神と私たちとが一体となった時、生命というものが実に聖なる尊さに溢れたものであるという事です。
『ベールの彼方の生活①』
仲間の者も同じものを感じ取ったと思いますが、その時はお互いに語り合うどころではなく、大天使様の御姿にただ魅入られておりました。やがてその靄が大気の中へ融け入ってしまいました。
『ベールの彼方の生活①』
山頂の十字架と大天使のお姿は同じ位置にありましたが前より鮮明度が薄れ、私たちの真上におられた天使の一団も今は去って大天使の上方に見えました。そして次第に全体が薄れて行き、やがて消滅しました。しかし大天使の存在感はその後も強烈に残っております。
『ベールの彼方の生活①』
多分今回のシーンを見せた目的はその存在感を印象づける事にあったのでしょう。私たちのように少しでもこちらにいる者に比べて、地上から来たばかりの者にはその見え方は鮮明ではなかったでしょうけど、それでも魂を鼓舞し安らぎを与えるには十分であったと思われます。
『ベールの彼方の生活①』
私たちはそれから少しの間その辺りを散策してから静かな足どりで家路につきました。誰もあまりしゃべりません。今見たシーンがあまりに印象的だったからです。そして又こうした顕現にはいろいろと考えさせられるものがあるのです。
『ベールの彼方の生活①』
その場にいる時はあまりの荘厳さに圧倒されて全部の意味を考えている余裕が無いのです。なので後になって段々に考えさせられる事になります。私たちは一緒に語り合い、印象を述べ合い、それを総合してそれまであまり理解していなかった事が啓示されている事を発見します。
『ベールの彼方の生活①』
今回の顕現で私たちが最も強い印象を受けた事は大天使様の“沈黙のうちに語る”その威力でした。一言も語られなかったにも拘らず、その動き一つ一つが声となって私たちに語りかけてくるように思えたのです。
『ベールの彼方の生活①』
それが何を語っているかは、実際に声に出しておられないのに、よく理解できました。今日はこれ位にしておきましょう。では、さようなら。求める者に主が何を用意されているか、そのうちあなたにも判る日が来る事を祈ります。
皆さん、何よりも大切な霊的知識を得ましょう。因果律の働きを理解しましょう。こういう地上生活を送ったら霊界に行ってこういう状況になる、という事を得心していれば…自分勝手・無責任な生活を送っていると下層界へ落ちて悲惨な状況になると知っていれば、絶対に日常生活を律するはずなんです(祈)
まず「シルバーバーチ 最後の啓示」全ページスキャン完了中、止まらず「シルバーバーチのスピリチュアルな法則 – 宇宙と生命のメカニズム」のスキャンに入りますが、インスピレーション量は少ないですが全く降っていない訳ではありませんのでネタとしてはあります。しかしホントに、これをどう撃てというんだと言いたいです。
とにかくコイツら(霊団)はもう何もやる気がありません、最後の最後まで僕を最悪の状況に閉じ込める事だけを考えているとしか思えません。(そうではないと思える霊団の思念も降ってはいるのですが…)僕が置かれた状況が改善する事は本当に、本当に全くないようで、僕はずっと反逆と言い続けていますが、コレも霊団に相当激しく脅しをかけられて事実上凍結のような状態にさせられているのです、動けなくさせられているという事です。
長文ブログのタイミングでできるだけ撃ってみましょう、それを喜んで読んで下さる方はいらっしゃらない事と思いますが書くしかありません。今日の45分ノートの時間もフラー24設定資料の線画を描きます。まずはココまで(祈)†
まずは「シルバーバーチ 最後の啓示」スキャン中、間もなく全ページスキャン完了予定、そして「ホワイトイーグル霊言集」OCR変換開始中。とにかく何が何でもテキスト化の作業をおこないます。僕は断じて遊びでやっているのではありません、霊的知識普及の使命遂行としてやっているのです。
そして次回長文ブログでまたしても撃ちたくないテキストを撃たされる事になりそうです。自分があんなヒドイ状態にさせられる、こんなヒドイ目に遭わされるといった内容を、一体誰が喜んでカタカタ撃ちますか。本当に最低最悪の気分なんですよ。そういうインスピレーションを霊団が先ほど降らせてきて、それをブログで説明しなきゃいけないという事ですよ。霊団を憎むに決まってるだろ、反逆するに決まってるだろ、そう全力でシャウトしたいです。
昨日紹介させて頂きましたブログの管理者の方にメールを出そうかと思っていたのですが、んー、一旦待ちましょう。安易に出すと間違いなく不愉快な結末になると思いますのでメール出すとしてもじっくり煮込みましょう。んー出さないかも知れません。何しろ霊性発現してからのこの10年間は不愉快の連続でしたからね。思い出してしまうんですよ。
フラー24設定資料、汎用モード線画80%完成中。あと航行モードとオマケカットをひとつ描いたらアナログ絵350としてUPできます。止まらずカラーリングにも突入します。ふぅぅ、残された物質界人生はもうため息しか出ません。
ただ絵が描きたかっただけの人間がなぜこれほど長い年月にわたってヒドイ目に遭わされ続けなければならないのか。物質界とは一体何のための場なのか。神のご意志を遂行するとは一体どういう事なのか。自分が置かれている最悪の状況を思うほどに、こういった事を考えずにはいられません(祈)†
『ベールの彼方の生活①』
【キリスト神の“顕現” 一九一三年 九月二七日 土曜日】【もう少し鮮明に感応できないものですか―】これまで以上に鮮明にする必要はありません。私たちからのメッセージは一応意図したとおりに通じております。
『ベールの彼方の生活①』
つまりこちらでの私たちの生活ぶりや環境は一応理解して頂けております。ただ、こちらへ来たばかりの私たちはまだ霊としての本来の能力を発揮しておらず、あなた方が実感を得ている環境が私たちには漠然としか映らず、その状態で最善を尽さねばならないという事です。
『ベールの彼方の生活①』
【私がこうして書いている姿が見えますか―】見えますとも。ただし肉眼とは別のもので見ております。私たちの眼は地上の明りには慣れておりません。こちらの世界の明りは種類が異なり内部まで貫通する作用があります。
『ベールの彼方の生活①』
それであなたの心の中を見て取り、また心に直接話しかける―あなたそのものに語りかけるのであって、もちろんあなたのその左右の耳ではありません。同じように私たちがあなたを見る時はあなたそのものを見ており、その肉体ではありません。肉体は外郭に過ぎません。
『ベールの彼方の生活①』
ですから仮に私があなたに触れた場合、あなたはそれを肉体的に感じるのではなく霊的に感じる訳です。私たちの感応の具合を理解するにはその点を念頭において身体や脳といった器官の奥を見なければいけません。
『ベールの彼方の生活①』
あなたはこちらでの私たちの働きぶりや暮しの環境についてもっと知りたがっておいでのようですね。こちらへ来てからの進歩にとってぜひ理解しておく必要のある基本的な真理の一つは、神というものは地上と同じくこちらでも直接そのお姿を拝する事はできないという事です。
『ベールの彼方の生活①』
これは必ずしもこちらの世界へやって来る人間の全てが得心してくれるとは限らないのです。みんなこちらへ来たらすぐに神々しいお姿を拝せるものと期待します。そこでその信仰が間違っており神とはそういうものではないと言い聞かされて非常にがっかりします。
『ベールの彼方の生活①』
神の生命力と崇高さは別にこちらへ来なくても地上において、大自然の内奥を洞察する力をもつ者には明瞭に感得できるものです。こちらでも同じ事です。ただ異なるのは生命力により実感があり、その本性を知った者にはその活用が容易にできる事―
『ベールの彼方の生活①』
―辺りに脈動しており、より鋭敏な感覚を身につけた私たちには、それを地上にいた時よりも強く感得できるという事です。
『ベールの彼方の生活①』
以上は一般的な話として述べたのですが、これにもう一つ付け加えておく必要があるのは時おり“神の存在”を実感させる現象が特別の目的のために顕現される事がある事です。ではその一つをお話してみましょう。
『ベールの彼方の生活①』
ある時、私たちは田園地帯のある場所に召集されました。そこには地上時代の宗教も信仰も国籍も異なる人々が大勢集まる事になっておりました。到着すると一団の霊が地上との境界付近の一地域における救済活動の任期を終えて帰ってくるところでした。
『ベールの彼方の生活①』
地上を去って霊界入りしながら自分が死んだ事が自覚できずにいる霊を指導する仕事に携わっていた霊の一団です。その方たちに連れられて首尾よく死を自覚した霊が大勢まいりました。それぞれの落着くべき界へ行く前にそこで私たちと共に感謝の祈りを捧げるためです。
『ベールの彼方の生活①』
年齢は様々です。年ばかり取って若さも元気もない者、若くてまだ未熟な者など色々です。みんな一様に何か嬉しい事を期待している表情です。そして新しい仲間が次々と連れて来られるのを見て、―
『ベールの彼方の生活①』
―民族による顔かたちの違い、地位や財産の違いから来る色とりどりの服装などを不思議そうにじろじろ見つめ合っておりました。やがて全員が到着しました。
『ベールの彼方の生活①』
すると突如として音楽が押寄せる波の如く鳴響いて、その大集団を家族的一体感で包み込みました。その時私たちの目に大きな光の十字架が見えました。その平野と接する大きな山の背に乗っているように見え、見ているとそれが砕けて細かい光の小片になり始めました。
『ベールの彼方の生活①』
だんだん判ってみると、それは高級界の天使の大集団で、それが山の上に十字架状に集結していたのでした。そのあたり一面が金色に輝き、遠くに位置する私たちにも暖かい愛の息吹となって伝わって来ます。
『ベールの彼方の生活①』
天使の集団がこの低い環境(その天使達から見て低いという事ですが)に馴染むにつれて、その御姿が次第の私たちの視界に明瞭になってまいりました。するとです。ちょうど十字が交叉する辺りの上方にさらにもう一つの、一段と大きい天使の御姿が現れました。
『ベールの彼方の生活①』
それがどなたであるかは、そこに居合せた者には直感的に判りました。それはあなたにはもう察しがつくと思いますが、具象体(※)としてのキリスト神の一表現でした。
『ベールの彼方の生活①』
(※本来は形体をもたない存在が一時的にその存在を示すためにとる形態。それを見る者の理解度・宗教的信仰・先入観等によりさまざまな形態をとる。キリスト神とは地球神界の最高神つまり地球の守護神である。詳しくは第三巻で明かされる。―訳者)