人生というのは何がキッカケになるか分からぬものである。私が心霊治療家として知られるに至るいきさつもその1つだった。
ヘルニアが全治したあと移り住んでいる現在のヘイワーズヒースというところは避暑地ブライトンに近い住み良い土地で、どこから訪ねるにしても、さほど来にくい場所ではない。
心霊治療家として本腰を入れることを決意した私は、治療日と営業時間を書いた広告を事務所で何枚かコピーさせた。妻は駅前のタクシー会社に出向いて、ウチへ来る客から料金を取らないよう、月毎にウチがまとめて支払うから、という約束を取り決めた。
治療日はひとまず月曜日とし、時間は午後2時から6時までとした。その最初の月曜日、私はピアノ用の椅子を患者用に使うために応接室に運んだ。そしてレコードプレーヤーには「くるみ割り人形」を用意し、さらにドアのすぐ外に手洗い水とタオルをのせたワゴンを置いた。
さあ、これで患者がいつ来てもいいという体勢だけは整った。はたして来てくれるだろうか。それが、思わぬことがキッカケで大挙して押し寄せることになったのである。
すでに述べた通り私は検査官が本職である。商品や事業用の資産の管理を指導する仕事で、仕事は地味なのだが、英国中を手広くやっているせいもあって、いささか名前は知られていた。
よほどのことでもないかぎり人目を引くようなことはないのだが、新聞ダネになることはままあった。その“ままある”ことがたまたまその頃に起きた。フィナンシャルタイムズという有名な経済新聞が毎号掲載している「ひと」の欄で私を紹介してくれることになったのである。
人に知られる – これは願ってもないことだ。といっても、こちらから売り込むわけではない。記者が私にインタービューしてそれを記事にするだけで、ああ書け、こう書けとは言えない。
が、せいぜい好い印象を与えようと、私は担当記者のロバート・ヘラー氏を「ミラベル」という英国で、いやヨーロッパでも指折りのレストランへ招待した。私は食通ではないので、本当にその名に相応しい料理を出すところかどうかは知らない。知っているのは英国一高い店、ということだけだ。
2人は豪華な食事に舌鼓をうちながら色々とおしゃべりをした。ヘラー記者は話のしやすい人だった。職業柄かも知れないが、こちらの話に一心に耳を傾けてくれるのは嬉しいものだ。もっともそれは1つには豪華な食事のせいかも知れないが、いずれにしても雰囲気はきわめて良好だった。
食事も終りに近づき、コーヒーが出た。するとヘラー記者が「お仕事のことは十分お聞きしました。ところでお仕事のほかにはどんなことをなさってますか」と聞いた。私は正直に心霊治療が施せると言った。そのことが「ひと」の欄の最後に書き添えられた。図らずもそれが最大の広告となったのである。
さらに、そのことが他の新聞社の目にとまったらしい。翌週さっそく私の土地の地方新聞のミッド・サセックス・タイムズが私に関する記事を載せ、それにも心霊治療家として紹介してあった。それを見たのであろう。ブライトンの夕刊紙アーガスの記者がその週の土曜日にカメラマンを連れてやって来た。
翌週その夕刊はほぼ1ページを使って私を紹介し、妻と私が並び子供たちがプールで遊んでいる写真が載っていた。さらにその翌週には英国全土に購読者をもつ日曜新聞ピープルが半ページにわたって私の紹介記事を載せた。さらに雑誌イングリッシュダイジェストが紹介してくれた。米国の雑誌にも載った。
かくして心霊治療家M・H・テスターの名が英国全土に知れわたった。治療日の月曜日になると患者が続々とやってくる。次第に1日ではさばき切れなくなってきた。
待合室はすぐに1ぱいになる。外の車の中で待っている人もいる仕末だ。果たして満足のいく治療がしてあげられるか – 月曜日は心霊治療家としての私にとって試練の1日である。
患者は大半が医学から見放された人たちである。医薬品ですぐ治るような病気でやってくる人は皆無とはいわないが、ほとんど無いと言ってよい。ほとんど全部の人が“慢性的不治”の病人である。闘病生活で疲れ切っている。衰弱し、やつれ切った表情をしている。
腰は曲り、まともに歩けない。私の治療室まで辿り着くのがやっとという状態の人が多い。が、その治療室から、ある人は希望に目を輝やかせながら帰っていく。ある人は霊的真理に目覚めて帰っていく。そして奇蹟的に全快して帰っていく人がいるのだ。
■2023年6月14日UP■「誰のせいでもない」そいつぁーおかしいだろう、あんたたち(霊団)が主原因だろう(祈)†現在の苦難を耐え抜かなければその罪障消滅が達成されず、キミはまた物質界に再降下しなければならなくなるんだよ。我々はキミのためを思ってキミをその苦しみの中に閉じ込めているんだよ。罪障消滅が達成されなかったらキミがまた苦しい思いをする事になるんだよ。これで終わりにするためにその苦しみに耐えるんだ。という意味で霊団が僕を脅し続けているのかも知れません。イヤ、僕のこれまでの人生をよくよく振り返ってみた時に、僕はそういう理由で物質界に降下した人間じゃないと思う。幼少の頃から絵を描き続け、マンガ家も経験し、Dreamworkに突入して死ぬまで絵を描き続ける事を固く固く決断していた。僕はそういう罪障消滅目的の人間ではないと思う、そうだったら絵の才能を賦与されていないと思う。僕に関してはそれはちょっと違うと思う。現在の僕の状況は霊性発現によって「後説」で賜ってしまった追加試練だと思う。守護霊様の管轄内で生活していた時はこんな状況には全くならなかった。「100の光の霊団」の管轄に切り替わってから僕の人生が一気におかしくなった…続きを読む→ ■2023年6月7日UP■「これから闇の中へ出発します」明仁、文仁、徳仁、悠仁が地獄に赴くという意味です(祈)†実情はそれどころではない。人間は霊界へ来たからとて地上時代といささかも変わるものではない。その好み、その偏執、その習性、その嫌悪をそのまま携えてくるのである。変わるのは肉体を棄てたということのみである。低俗なる趣味と不純なる習性をもつ魂は、肉体を棄てたからとて、その本性が変わるものではない。それは誠実にして純真なる向上心に燃える魂が死とともに俗悪なる魂に一変することがあり得ぬのと同じである。汝らがその事実を知らぬことこそわれらにとって驚異というべきである。考えてもみるがよい。純粋にして高潔なる魂が汝らの視界から消えるとともに一気に堕落することが想像できようか。しかるに汝らは、神を憎み善に背を向けて肉欲に溺れた罪深き魂も、懺悔1つにて清められて天国へ召されると説く。前者があり得ぬごとく後者も絶対にあり得ぬ。魂の成長は1日1日、一刻一刻の歩みによって築かれていくのである…続きを読む→ ■2023年5月31日UP■「愛の試練・霊障イペルマルシェ」再び。まだやってくるか、超頭にくるんですよ(祈)†眠気防止対策でポテチを食べたりするのですが、今回に関しては全く効果がなく、とにかく運転中に目が閉じまくり何度も反対車線に飛び出しそうになります。僕は上半身を激しく前後にガクガク動かしながら(ハンドルに近付けたり遠ざけたりして)運転を続けますが、何をどうやっても目が閉じ続けます。駐車場に続く林道セクションに入ってからも全く目が開く事はなく、180度カーブを曲がり切れなくて何度も岩の壁にぶつかりそうになりながら、頭を振って上半身を徹底的にゆさゆさ動かし続けて強引に目を開けながら運転を続け、かろうじて駐車場に到着したのでした。そして車内で着替えを始めると、さっきまでの運転時の目を閉じられていた状態がウソみたいにまるっきり普通に着替えているのです。猛烈に眠いのであれば着替え中も眠いはずです。その瞬間に「これは完全におかしい、超久々にバーバネル氏がやりやがったんだな」と理解したのでした…続きを読む→