「心霊と進化と」コチラも現在見直し中ですが、止まらず「私の霊界紀行」の見直しも開始しています。キンドルファイヤーを使用しての校正作業が大変間違いを発見しやすいという事が分かりましたので、テキストエディタ上で作業を完結させようとは思わず、まずは全テキストの段落を整えて、あとはAffinityPublisherにテキストを強制的に流し込んで最終校正の作業に入ります。その方がはるかに作業時間短縮になるはずですので。

止まらず、止まらず「インペレーターの霊訓」の書籍表紙の線画も描きます。僕はキャラのカラーリングがあまり得意ではないのですが、AIで線画に自動で色を塗ってくれるサービスとかがあって、それを試したりするのですが、たぶんサブスクで高い金額を支払うモノとかを使用すればきれいに塗ってくれるのでしょう。

先ほど試した無料のモノはまるっきりお話にならない出来で、いちばん問題なのは塗った画像をダウンロードするのですが、それが縮小画像だという事です。僕は600dpiでスキャンした線画で作業しますので、こんな縮小画像ではお話になりません、どのみちムリです。

最低限長辺5000pxくらいの画像を書き出してくれるサービスとかがなければこのアイデアは使えません。ですので自分でカラーリングするしかないようです。作業時間短縮につながるかと思ったのですが残念です。

んー、んー、んー、ここに書きたくない事をまたしても霊団に言われていますが、ただし霊的知識的に分からなくもないという内容で、ただただ物質界の道具(僕)は忍耐を要求され続けるという意味でした。ウンザリ×1億、もぉぉやだ、この人生いい加減にしてくれとシャウトしたいそのパワーを線画に回して早く描き上げましょう。

11年忍耐をやらされ続けて、全く何に結果にも到達せずさらに忍耐を要求され続ける。この仕事は一体何がどぉぉなってるんだよ。あんたたち(霊団)は人の人生を何だと思ってるんだよ。「僕の人生はお前ら(霊団)のオモチャじゃない」テキストと線画の作業続行中(祈)†

「だいたい2まで書けています」新規の霊言が霊界側で2巻分書き上がっているようです(祈)†■2023年11月22日UP■
「だいたい2まで書けています」新規の霊言が霊界側で2巻分書き上がっているようです(祈)†
「イエスが全部おこなうから」これは僕という霊の道具を使用しての霊的使命遂行の全仕事をイエス様がおこなっているという意味ですが、皆さまにくれぐれもお間違えのないようにして頂きたいのは、イエス様は「スピリチュアリズム普及の総指揮官」であり、個的形態をまとって物質圏付近に降下などできるはずもないはるかはるか向上を果たした超高級霊のお方です。そのイエス様が僕などというグズるお子ちゃまの面倒を見るためにアレコレ手を焼く事は絶対にありません。全体を計画し、想像もつかないほどの大人数の部下(天使)を従えて、指示を与えて仕事を推進するのであり、イエス様が直々に手を動かして仕事をするという事は有り得ないのです。しかし「スピリチュアリズムの真髄」の中に、イエス様が天使の大軍勢を従えて霊媒マッカロウ氏のところまで降下してこられ、実際に霊言を語ったという事が紹介されています。ですのでイエス様が僕という霊媒を使用して霊言を語るという可能性は絶無ではないのかも知れませんが、限りなくゼロに近いでしょう…続きを読む→
■2021年6月2日UP■
超久々に霊団最接近の「ブゥン!ブゥン!」という振動音を霊聴に聞きましたが、その意味は…(祈)†
霊団が犠牲を払って地上圏に降下するのには“理由”があります(祈)†だいぶ前にこのようなブログを書いた事がありますが、ここで説明している「ブゥン!ブゥン!」という、霊団が僕の肉体に最接近した時に聞こえる高速振動音を今日再び霊聴に聞きました。ずっとそれが霊聴に響き続けていたせいで寝不足にさせられて正直カチンと来ていますが、この霊団最接近の意味は過去ブログでも「祝福」か「慰め」だと書いていますが、今回は間違いなく悪い方の意味だと予測します…続きを読む→
霊関連書籍ムービー化『母と子の心霊教室 - 不思議な心の世界』訳者(やくしゃ)まえがき(祈)†■2022年1月27日UP■
霊関連書籍ムービー化『母と子の心霊教室 – 不思議な心の世界』訳者(やくしゃ)まえがき(祈)†
いちばんの謎(なぞ)はじつは“人間そのもの”なのです。人間については、はっきりとわかったことはなにひとつないといってもいいのです。たとえば、なぜ人間は物ごとを“考える”のか。なぜ“よろこび”、なぜ“悲しむ”のか。夜“寝て”朝なぜひとりでに“目が覚める”のか。その人体ができあがるいちばん最初は、目に見えないほど小さな細胞(さいぼう)でした。それが大きくなって科学を研究し、芸術を鑑賞(かんしょう)し、文学を語りスポーツを楽しむという、じつにさまざまな活動をするようになる、その知性と才能とエネルギーはいったいどこから生まれてくるのか、みな謎(なぞ)ばかりなのです。そうした謎(なぞ)について、ああでもない、こうでもないと思いあぐねていたときに、それを見事に説き明かしてくれる新しい思想が生まれました。スピリチュアリズムがそれです…続きを読む→

たきざわ彰人の霊覚者としてのインスピレーションに迫る
たきざわ彰人の霊覚者としての背景

たきざわ彰人は霊覚者として長年の経験を持っています。彼は自身の霊的な力を用いて、人々にメッセージやインスピレーションを届ける役割を果たしています。その立場にある彼は、精神性や霊的な存在への理解を深めるために努力しています。

霊覚者としての立場

たきざわ彰人は霊視や霊感を通じて様々な世界や存在を感知することができます。彼は自身の能力を使い、人々が抱える悩みや問題に対して助言や癒しを提供し、彼らが幸せな人生を送ることを支援しています。彼の霊覚者としての立場は、多くの人々にとっての心の支えとなっています。

帰幽についての想い

たきざわ彰人は帰幽というテーマについて多くの言及をしています。帰幽とは、霊的な存在や魂などが現世からあの世へ戻ることを指します。彼は11年間帰幽についての試練を続けており、それによって得た知識や経験をもとに、人々に希望や勇気を与えることを願っています。

霊的使命遂行の意義

たきざわ彰人は霊的な使命遂行に対して強い意義を感じています。彼は自身が受け取ったメッセージや霊的な啓示を伝えることで、人々の人生に希望や癒しをもたらすことができると信じています。そのため、苦難や困難な作業にも立ち向かい、使命を遂行することに情熱を注いでいます。

インスピレーションの源泉

たきざわ彰人の霊覚者としてのインスピレーションの源泉は、様々な要素によって形成されています。インスピレーションは彼の霊的な経験と知識に根ざしており、彼の霊的な使命遂行の一環としても現れています。

インスピレーションの発生条件

彼のインスピレーションは、特定の状況や条件が揃ったときに生まれます。彼は自身のブログで、長文ブログの完成が進んでいないことを明かしています。その一方で、帰幽というテーマが彼の作品に頻繁に取り上げられており、11年間帰幽できない試練が続いていることも述べられています。これらのテーマや試練は、彼のインスピレーションの発生条件の一部と言えるでしょう。

日常生活でのインスピレーション

彼の日常生活も彼のインスピレーションの源泉です。彼は霊的な使命遂行のために、70冊以上の書籍をスキャンし、OCR変換を行ってきました。これらの活動は途方もない作業量を必要とし、彼の精神的な負担も大きいものとなっています。さらに、彼は天皇一族の強姦殺人魔とされる存在についても言及し、彼らの犯罪と死刑に関する訴えも行っています。彼の日常生活は、彼の霊的な使命と関連しており、彼のインスピレーションが生まれる一因となっています。

インスピレーションを活用した作品作り

彼は自身で描いた作品についても言及しています。彼の作品の一つには「フラー」と呼ばれる絵がありますが、その作業が進んでいないことが明かされています。最終校正作業の難しさや脱出の困難さも彼が直面している課題です。これらの作業は彼の霊的な使命遂行の一環であり、彼のインスピレーションを具現化するための重要なステップとなっています。

インスピレーションを通した霊視の世界

たきざわ彰人は霊視を通じて、私たちが普段見ることのできない世界を目にすることができます。

霊視を通じて見える世界

霊視を通じて見える世界は、私たちの感覚では捉えることのできない魂や霊的な存在が存在する世界です。たきざわ彰人は霊視を通じて、霊的な次元に存在するエネルギーや存在の波動を感じ取ることができます。これにより、私たちの目には見えない現実を見つけ出し、それについての情報やメッセージを受け取ることができるのです。

インスピレーションと霊視の相互関係

霊視とインスピレーションは、たきざわ彰人にとって密接に関連しています。霊視を通じて見える情報やメッセージは、彼のインスピレーションの源泉となります。彼は霊的な世界からの導きを受け、その導きに基づいてアイデアや創作のインスピレーションを得るのです。霊視を通じて得た情報が彼の創作活動や情報提供に活かされているのです。

霊視を活用した対話と情報提供の方法

たきざわ彰人は霊視を活用して、人々との対話や情報提供を行っています。彼は霊的な存在とのコミュニケーションを通じて、人々の悩みや問題に対する解決策を提案したり、人々の心に安らぎや希望を与えるメッセージを伝えたりしています。

彼はまた、霊視を通じて得た情報をブログや書籍で公開しています。これにより、多くの人々が彼の霊視によって見える世界に触れ、新たな視点や気づきを得ることができるのです。


「天皇一族、強姦殺人魔」とか「フラー」とかのキーワードが盛り込まれてきたのには驚きましたが、僕本人がこの自動生成テキストを読んでみての率直な感想は「なんだかなぁ~」ですね。

正解の部分もある事はありますが、ほとんど不正解、と言うより表現があいまいで何が言いたいのか分かりません。もっとズバッと言えよ。僕がよく書く「気の抜けた炭酸水」という感じのテキストですね、ペライです。インスピレーションに関する記述はほぼ100%間違っています。

サブスクでしかもまぁまぁの数字のサービスとかを使用したらもっと違うテキストが生成されるのかも知れませんが、どうしたもんか。僕本人が「たきざわ彰人まとめブログ」を作ってやろうか、なんて思ってこういうテストをしてみたのです。ただ正直言って上記の自動生成テキストは気に入らないんですよ。これが僕が撃ったテキストだと誤解されると困る。とはいえ何とか活用できないものかなぁ、と思ってのテストでした(祈)†

■アナログ絵357「フラー26キャラ“ハチちゃん”設定資料」UP。ブンブンブン♪(祈)†■2023年12月16日UP■
■アナログ絵357「フラー26キャラ“ハチちゃん”設定資料」UP。ブンブンブン♪(祈)†
今回のハチちゃんも「インナーフレーム」での変形となります。前回のフラー06ver2.0のハチちゃんは腕に変形させる事を優先してハチちゃんらしい外見とは言えませんでしたので、今回のフラー26のハチちゃんは「ハチちゃんらしさ」にこだわりました。そのぶん腕に変形させるのが難しく、インナーフレームを駆使してかなり強引に変形させたという感じです。実は当初、フラー25のちょうちょちゃんと同じように3段変形させるつもりでいたのですが、何しろハチちゃんは1匹1匹が小さいですので「どう考えてもムリだ」という結論に早々に到達し、あきらめて通常の変形としました。イヤ、小さくはありません、このハチちゃん1匹の頭からお尻まで全長、オトナの身長くらい、イヤもっとあるかも知れません。子供なら3人くらい背中に乗せてブンブン飛べる大きさです。まぁフラーのキャラはどうしてもそういう「キモイサイズ感」になってしまいます…続きを読む→
「言う事を聞きなさい」んーイエス様のお言葉のようにも聞こえる、耳がイタイ(祈)†■2023年11月15日UP■
「言う事を聞きなさい」んーイエス様のお言葉のようにも聞こえる、耳がイタイ(祈)†
肉体は自動的に朽ち果てるようにできていますから、その肉体をまとっての人生で幸福を得ようと考える事がそもそも本末転倒であり近視眼の極致であり、歳をとる事もなく傷つく事もない永遠の若さを保っている霊体をまとっての霊界人生の方に真実の幸福があるのは至極当然の事であり、その霊界生活に備えて物質界で自分を鍛えなければならないのです。「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁、コイツらはその「物質界の学び」を全てキャンセルしてワガママ放題で生活し、仕事もせず奴隷の女の子を四肢切断、強姦殺人しまくって遊んでいます。つまり物質界で学ぶべき事を一切学ばずに帰幽する、霊界生活に何の備えもできていない人間という事になるのです。何の備えもできていませんからもちろん霊界生活に順応もできません、高級霊の方々から仕事を言いつけられる事もありません資格がないのですから。全く役立たずの人間、何の使い道もありませんから当然暗黒の底の底に落ちてそこで反省させられる訳です。それも物質界での苦しい期間をはるかに超える長い年月にわたって暗黒の中で悶絶する事になるので…続きを読む→

アナログ絵357

今回のハチちゃんも「インナーフレーム」での変形となります。前回のフラー06ver2.0のハチちゃんは腕に変形させる事を優先してハチちゃんらしい外見とは言えませんでしたので、今回のフラー26のハチちゃんは「ハチちゃんらしさ」にこだわりました。

そのぶん腕に変形させるのが難しく、インナーフレームを駆使してかなり強引に変形させたという感じです。実は当初、フラー25のちょうちょちゃんと同じように3段変形させるつもりでいたのですが、何しろハチちゃんは1匹1匹が小さいですので「どう考えてもムリだ」という結論に早々に到達し、あきらめて通常の変形としました。

イヤ、小さくはありません、このハチちゃん1匹の頭からお尻まで全長、オトナの身長くらい、イヤもっとあるかも知れません。子供なら3人くらい背中に乗せてブンブン飛べる大きさです。まぁフラーのキャラはどうしてもそういう「キモイサイズ感」になってしまいます。

アナログ絵257

はい、何をどうもがいても反逆(脱出)が完了しない状態に悶絶しながら複数作業を同時進行させている関係で、とにかく作業スピードが遅れに遅れまくってます。僕はモチベーションは高いです、しかし霊団が完全にやる気ゼロの状態で事態を進展、前進させるつもりが本当に全く無いようなのです。

だったら何で僕のDreamwork(画家活動)を破壊してまでこの使命遂行をやらせたんだよ。確か初期の頃の幽体離脱時、霊体の僕も霊界でおこなわれた会議に参加してたよな?(もっともその会議の内容は反芻できませんが)そこで僕にやらせる仕事の内容が話し合われたはずだよな。

まさかその会議の場で「アキトくんには何もしない残念な一生を送ってもらう事とする」という意見が主流となって満場一致で採択された、などとは言わせないぞ。そんなモノ僕が承諾する訳ネィだろ。つまり当初の予定と現在とが違う状況になっているという事になる。

っとと、このお話はまた別の機会にしましょう。まずはフラー26本体デザインに着手し、できる限り早くアナログ絵358「フラー26設定資料」をUPさせる事を目指しましょう。さらに「インペレーターの霊訓」の書籍データがほぼ完成しています。あとは表紙をもう1枚描いて、現在の表紙とどちらかふさわしい方を採用して、いよいよシチメンドクサイ復刊に向けての事務作業に突入するつもりです。

さらに止まる事なく復刊2冊目、3冊目、4冊目と、ジャンジャン出していくつもりです。そのつもりだから1年7ヶ月前から70冊以上の書籍の全ページをスキャン、OCR変換し続けてきたのです。断じて遊びでやっていたのではないのです。確固とした目的があっての事です。

フラーのプライオリティがあからさまに下がっていまして正直描き続けるのどうしようかなという思いもなくもないのですが、イヤ絵は描き続けましょう。絵を描くのをやめたら僕が僕である意味がなくなってしまう。フラー30到達という目標も掲げていますし(そこまで到達できない可能性も結構濃厚ですが)書籍復刊の作業と同時進行させるのがメチャキツイですが挫けず描き続けてみましょう。

絶版状態の霊関連書籍の復刊、できる事なら年6冊ペース(2ヶ月に1冊ぐらい)で出し続けられないかなぁとおぼろげに目標を掲げています。何しろ復刊自体がまだできるかどうか分かりませんのであくまでも希望の範疇です。その連続復刊の先に「出版社設立」という目標が控えているからです。

さぁフラー26本体デザインをクロッキーに向かって開始しつつ「インペレーターの霊訓」の表紙の線画を描きましょう。何が何でも脱出を完了させる、絶対にこの状況に閉じ込められはしない。今自分にできる全てをやる(祈)†
■アナログ絵353「フラー25キャラ設定資料」UP。ちょうちょちゃん3段変形です(祈)†■2023年4月27日UP■
■アナログ絵353「フラー25キャラ設定資料」UP。ちょうちょちゃん3段変形です(祈)†
フラーは「お花ちゃん」です。お花ちゃんといえばちょうちょちゃんです。これまで04、09、13、19と4回ちょうちょちゃんをフラーのキャラとして登場させましたが、今回のちょうちょちゃんはフラー11ver2.0プティットフラーのように「3段変形」します。しかしちょうちょちゃんは身体のほとんどがペラい羽です、この薄い羽の中に3段変形のギミックを盛り込まねばならず、相当に苦心しましたが、何とか汎用モード、そしてフラー25汎用モード時の腕に変形させる事ができました。お分かりになりますかね、腕に変形させるのにちょうちょちゃんの羽が超強引に折りたたまれまくっているのです。そしてちょうちょちゃん汎用モード時の腕の格納スペースが全くなかったのでやむを得ず触角としました。細い薄いパーツのオンパレードで強度的にだいぶ問題があるキャラとなりますが…続きを読む→
アナログ絵354「フラー25設定資料」UP。ちょうちょちゃんスカートフラーです(祈)†■2023年6月8日UP■
■アナログ絵354「フラー25設定資料」UP。ちょうちょちゃんスカートフラーです(祈)†
お花ちゃんと言えばちょうちょちゃん、今回のフラー25はちょうちょちゃんをキャラとしたスカートフラーになりましたが、ちょうちょちゃんのペライ羽の中に3段変形のギミックが盛り込まれていて描くのが超しんどい。「地獄のフラー」と命名されているフラー13に匹敵する「描き手泣かせの機体」となりました。このフラー25もフラー13同様、フラーを代表する機体としてストーリーに登場させたいところなのですが、フラー13の時は描くのが苦しすぎて全く登場させる事ができませんでした。今回のフラー25も同じ事になる可能性がありますが、何とかももちゃん、シルキーに搭乗させたい。描く僕は地獄。航行モード時の茎の部分に前後ふたつ、ちょうちょちゃんが止まるアタッチメントがあります。葉っぱウイングの格納がやはりネックで、他のスカートフラー同様、汎用モード時の脚部に超強引に折りたたまれています。他にどうしようもないんですよ…続きを読む→
■アナログ絵355「フラー25カラーリング」UP。長い長い地獄の旅でした(祈)†■2023年7月2日UP■
■アナログ絵355「フラー25カラーリング」UP。長い長い地獄の旅でした(祈)†
フラーのカラーリングの時はいつも同じ事を書いているような気もしなくもないのですが、このフラー25も本当にキビシイ機体でした。塗っても塗っても全く終わりが見えてこない無間地獄。フラー11ver2.0の悪夢が(最後まで塗り切れなかった)何度となくよぎりながら、何とか心を奮い立たせてAffinityPhotoと格闘し続けました。AffinityPhotoの再勉強をした方がイイかも知れません。何かしらスピードアップのヒントが得られるかも知れませんので。マクロだけじゃ足りない、もっと技が欲しい。今回のフラー25は特にカラーコンセプトも考えていなかったのですが、こうして塗ってみると、特にちょうちょちゃんは「ゴスロリ」といった“たたずまい”でしょうか。フラーをデザインし始めた初期の頃は霊団が「フラーのキット化」とか言ってきたものでしたが、もうそんな事は夢幻(ゆめまぼろし)のお話となっていて、キット化どころか僕は今にも殺される寸前という状況なのだそうです。塗っている最中にも決定的な事を言ってきています…続きを読む→
■2019年4月1日UP■
■アナログ絵257「フラー06ver2.0カラーリング」UPです。カラーコンセプトは「チョコミント」です♪(祈)†
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数年前、私は『死とは何か – 悩める人へのガイドブック』という短い記事を書いたことがある。長年の治療体験から、人間が「死」についてあまりに間違った観念を抱いていることを痛感していたので、それを簡潔にまとめたものだった。

それを第1章で紹介した私の恩人であるモーリス・パーパネル氏のもとに送った。短いものではあるが、1度に出す記事としては長すぎるし、さりとて書物にするには短すぎたのであるが、それに対するバーバネル氏の返答は簡潔にして明快であった。氏の編集している心霊誌の連載記事を全部休んで、私の記事を一挙に掲載したのだった。

これにはすごい反響があり、抜き刷り(リプリント)の要求が次々と来た。はじめのうち丁寧に応じていた出版社も、あまりの多さに手を焼き、それを24ページほどの小冊子として出版した。その時バーバネル氏による次のような「まえがき」をいただいた。

死とは何か – これがわからないようでは人生の意味を理解したとは言えない。この小冊子はその生と死の全体像を見事に明らかにしている。原稿に目を通した私はさっそく著者に賛辞を送った。長年の編集者としての経験から、こうした心霊問題を簡潔でコクのある生き生きとした文章で無駄なく描写することの難しさを熟知している。そのたいへんな仕事をテスター氏は見事にやってのけてくれたからだ。

小冊子とは言え、著者は長年にわたる世界の宗教の比較研究の成果をこれに注ぎ込んでいる。そもそも氏をその研究に駆り立てたのは、キリスト教神学のお粗末きわまる教義に満足しきれなかったことで、結局著者の知性がそれを容認できなかったということである。

深い洞察力と鋭敏な感受性の持主であるテスター氏は、この道に入る以前も、専門的知識はもちろん豊かな才能と鋭い知性を必要とする仕事で成功の道を歩んでおられた。それが思わぬ病魔によって廃業の危機に瀕した。英国一流の専門医も始めてというほどの重症の腰椎ヘルニアで激痛との闘いの毎日となったのである。

それが心霊治療家フリッカー氏のたった1回の手当てで全快し、専門医から“絶対必要だが成功の保証はできない”と宣告されていた手術も避けられた。その奇蹟の体験のあと、フリッカー氏から治療能力があることを教えられ、その後急速にその能力が開発されて今日なお治療の毎日を送っておられる。

かくして運命の紡ぎ車がまわり、治された患者が治す側にまわった。この事実は、霊的エネルギーが聖書の時代と同じく今日もなおこの世に顕現しつつあることを物語っている。テスター氏にとってはそれが日常茶飯事となっている。面会依頼の電話があっても、その要件が本職のコンサルタントとしてなのか治療家としてなのか、直接会うまではわからないと、氏は笑いながら語っていた。

人生の暗闇の中で苦しみつつ生きている人々に救いの手を差しのべる人として、テスター氏はうってつけの人である。氏みずからが激痛と煩悶と不信の嵐の中をくぐり抜けた人だからだ。

この小冊子は米国でも出版され、今なお両国でよく売れている。その根強い需要が何を意味するかは容易に察しがつく。われわれは、よく「もしも私が死んだら」という言い方をする。この“もしも”という言い方が現実にそぐわないことは誰もが知っている。

“もしも”ではなく“かならず“死ぬのである。死は例外なく全ての人に訪れる。なのに死についての権威ある解説書は1冊もない。その辺に私の小冊子がよく出る理由がある。

今かりに大きな図書館へ行って婦人科のコーナーを一覧されるとよい。そこには出産についての書物がところ狭しと並んでいる。医学の専門書ばかりではない。われわれ門外漢 – 門外婦人と言うべきか – のための本も大変な数である。

それに加えて最近では至るところで婦人のための講演会があり、テレビ番組がある。人間の誕生については驚くべき段階まで進んでいるといえる。テキストあり、専門家あり、伝統あり、おまけに無責任な説まである。

さて無事出産の過程をへてこの世に出てくると、こんどはいかに生きるかについての資料が揃っている。活字だけでなく目にも見せてくれる。生理学についての本は無数にあり、食事や運動、その他、健康管理全般にまで及んでいる。

スリムになりたい人、豊かなバストになりたい人、あるいは円満な夫婦生活の秘訣を知りたい人は、それぞれの分野の専門書を簡単に手に入れることが出来る。

人生に関する書物も同じように十分揃っている。とくにこの10年ばかりは如何に生きるべきか、幸福になるにはどうすればよいか、金を貯める秘訣は何か、といったことについての指南書が洪水のように出版されている。

地球を破壊するか、それとも物欲と快楽の場にするかに躍気になっているかに思える今の時代に、こうしたとかく無視されがちな問題を扱う本が続々と出ていることは注目に値することではある。

もっとも“どう生きればいいか”についての本は文字というものが生まれた頭初からあった。ただそれは“人生哲学”と呼ばれて、大体において宗教家か学者の専売特許とされていた。

そのほかにも、たとえば聖書(バイブル)などが一種の道しるべとして、模範とすべき人物や説話がそこから引用されてきた。かつてはそれが牧師や一家の父親がお説教の材料として使用された時代があった。

このように、出産についての心がけから、その後の生き方についての知識だけは十分に揃っている。が、いかにして死を迎えるべきかについての本は1冊もない。

もちろん死を主題とした話は多くの人が書いている。が、それらも分類すると2つに分けられる。1つはロマンチックに死を見つめる詩的人間で、死を悲しむ情で書く。いかに死を見つめるかを説くのではない。死に直面した人間の生への惜別の言葉にすぎない。

もう1つは例の神学者だ。彼らは伝統的信仰をバックにして死を説こうとするために、その教説は“しどろもどろ”で、何を言わんとしているのかよくわからない。

たいていの宗教、特に西洋の宗教は徹底した勧善懲悪説に基いているために、その論法は現実と矛盾したものにならざるを得ない。すなわち善いことをすれば – 教義に忠実に生きておれば – 幸福になり、悪いことをすれば – 教義からはずれたことをすると不幸になるというのであるが、実際にはまじめに教義に則(のっと)って生きている人がみじめな死に方をし、好きに生きている人が裕福で楽しい生活をエンジョイしている。

そこで彼らは、神の賞罰は死んだ後に与えられるのだと言い変える。善いことをしておれば天国へ行き、悪いことをすると地獄へ送られる、と。こんな子供だましの論法から、死についてまともな説が出るはずがない。

賞と罰、言いかえれば天国と地獄の説でしか生と死を説けないのだ。私に言わせれば、彼らは死をテーマにして頭の体操をしているにすぎない。そこから混乱が生じても別に不思議はない。

ほかにもう1つ問題がある。私は本を読んでいていつも感じるのであるが、本当によくわかった人が書いたものは平易な文体で書かれていて、しかも要を得ている。実にわかりやすいのである。

が、よく知りもせず書いた人の本は文章が冗漫で読みにくく、しかも自分で勝手に用語をこしらえるので、ふだん理解している意味で読んでいくと理解できないところが出てくる。読み終ってみると、読み始める前よりもいっそうわからなくなっている、といったことになる。

死についての信頼のおける本が出ない本当の理由は、それを書く人が1度も死を体験したことがないということに尽きる。その内容は勝手な推測か、さもなくば他の理論家の諸説の取り合わせにすぎない。

これでは平凡人が死について迷うのも無理はない。年を取り、死が近づいてくると、おくればせながら何か“死後の保証”のようなものが欲しくなる。神なんかいるものかと大きな口を利いていた人が、いそいそと教会へ通いはじめるのもそのあらわれである。慈善事業に寄付したりするのもそのためである。

そして、いいおじいちゃん、いいおばあちゃんと言われるように努力しはじめる。それもこれも、6、70年にわたって人の迷惑も考えずに必死に生き抜いてきたガムシャラな人生が、そうしたわずか2、3年あるいは数年の“殊勝な行い”によって、そのまろやかな温かさの中に忘れ去られてしまうことを祈ればこそなのである。

ある保険の外交員が言っていたことだが、見たところ迷信など信じそうにない教養ある人が死ぬ間際になるとカトリックの牧師を呼ぶケースがよくあるのも、別に不思議はないと言う。

洗礼を受け、信徒となり、罪を告白し、最後の聖油を注いでもらう(死の床でのカトリックの儀式)のは別に努力のいることではないし、費用もほとんどかからない。それだけで天国への約束が得られるのであるから、「いちばん安価な保険ですよ、まったく」とその外交員が言っていた。

もうそろそろ死への手引書があってもよい時代である。それも、お座なりの宗教的教説にしばられず、陳腐な神学者流の理論から完全に脱却し、しかも実際に死を体験した人間つまり霊界のスピリットによって書かれた死の参考書が必要なのである。

“死ぬ”ということは“生きる”ということとまったく同じように重大な問題である。しかもそれがあなた自身にも日1日と迫ってきている。アイスランドへの案内書を読んでも、行きたくなければ行かなくてもよい。結婚についての本を読んでも、生涯独身でいたければそれでもよい。が死だけはそうはいかない。かならず通過しなければならない重大な関門である。ならば本書を読まれたことは決して無駄ではないであろう。

そこで、あなたがまず第1に実行しなければならないことは、長い間あなたを混乱させてきた幼稚な教えを捨て去ることである。死について教え込まれてきた先入観を一切合切洗い落とすことである。

天国も地獄も忘れよう。天国へ行くとハープを弾きながら性を知らない乙女に世話をしてもらうとか、反対に地獄へ行くと悪魔によって焼かれたりいじめられたりするとか、そんな子供だましの観念を拭い去ってしまおう。

さらに“最後の審判”の教えも忘れてしまおう。要するに聖典教典の類いを忘れてしまうのである。そして死というものを1度も考えたことのない自分に戻ってみるのである。つまり赤ん坊の時代に戻るのである。さらにこんどはその前つまり生まれる瞬間の自分に戻ってみよう。そしてさらにその前の、母親の胎内に宿った時に戻ってみよう。そして更に…。

こうして原初に立ち帰るのである。一体自分とは何だろう。この肉体だろうか。いや違う。肉体は確かに便利な道具ではある。歩く、しゃべる、歌う、車を運転する、が肉体そのものがそうしているのではない。そうさせる何かが内部にある。

その何かが“精神”である。ではその精神が自分そのものだろうか。いや、やはり違う。精神は肉体を操るコントロールルームのようなもので、そこから筋肉や各種の腺に指令を発している。

脳もあなたの一部である。器官の中で最も複雑で最も重要な器官である。まさしくコンピューターと言えよう。が、どこの医学校でもその脳を取り出してビンの中で保存している。やはり脳も身体の一部にすぎないことがこれでわかる。肉屋さんへ行けば動物の脳味噌を売っているし、それをよろこんで買って食べる人もいるわけだ。

実はこうしたものとは全く別に第3の要素があって、それが肉体と精神とともに、あなたという1個の人間を構成しているのである。その第3の要素がスピリットである。スピリットこそあなた自身である。地上においてはそのスピリットが肉体と精神をまとって生活しているのである。

ではその証拠を見せてくれ – あなたはそうおっしゃるかも知れない。スピリットを見せろとおっしゃるかも知れない。が、スピリットは残念ながら人間の目には見えないのである。ここに1人の人間がいる。衣服をはぎ取れば肉体が見える。頭にドリルで穴をあければ脳味噌が見える。がスピリットはどこにも見えない。

死体をごらんになったことがあるだろうか。衣服を脱がせて解剖してみても、もうそこにはその人はいない。ただの脱け殻。肉と骨と繊維のかたまりにすぎない。放っておくとすぐに腐敗が始まるので、穴を掘って埋めるか焼却してしまわねばならない。

死体がその人そのものだったのだろうか。その肉のかたまりが愛し、よろこび、音楽を作曲し、名句を吟じ、発明し、想像力を働かせ、理論を立て、異性に求愛したのだろうか。誰にもそうは思えない。何か大切なものが失くなっている。つまりスピリットが脱けているのである。つまりその肉体が死んだのである。

人間は肉体と精神とスピリットの3つの要素から出来あがっている。そのことをしっかりと認識していただきたい。この地上を旅するための道具にすぎない肉体、その肉体をコントロールするメカニズムとしての精神、そしてその肉体と精神の両者に生命を賦与し、1個の生命体としての存在を与えているスピリット、この3つである。

死に際して消滅するのは肉体だけである。スピリットは絶対に死なない。“自分”は絶対に失くならないのである。つまり究極のあなたという存在はスピリットそのものであり、それが肉体という物質を通して6、70年あるいは8、90年の地上生活を自分で表現している。そのスピリットこそあなたなのである。

「あなたは理解しなくてはなりません」何を言ってるのかサッパリ理解できません(祈)†■2022年5月18日UP■
「あなたは理解しなくてはなりません」何を言ってるのかサッパリ理解できません(祈)†
とにかく理不尽のレベルがタダ事ではない。努力すればするほどヒドイ状況にさせられていく。どれくらいのレベルの不自由な肉体をまとわされるのかは分かりませんが、義肢、義足ですからもちろん日常生活に支障が出るレベルでしょう。当然絵も描けない、そもそも絵の才能を剥奪され、現世での努力を全く無に帰せられる。そして使命遂行上必要と思われるテキスト撃ち、情報拡散等々の作業も満足にできない、そういう肉体をまとわされての再降下になるのかも知れません…続きを読む→
「進化が足りない」物質界の苦難の存在理由を僕は理解できていないという意味です(祈)†■2022年5月11日UP■
「進化が足りない」物質界の苦難の存在理由を僕は理解できていないという意味です(祈)†
物質界で味わった苦しい思いは、帰幽後に霊界で存分にその埋め合わせが用意されており、苦難から逃げずに立ち向かった者には霊的褒章が、苦難から逃げて物的享楽に走った者には幽界下層界での反省の人生が待ち受けています。さらに同胞(他人)を虐げて(肉体的精神的に傷つけて)私腹を肥やした人間には暗黒、地獄とも表現できる低い境涯にて永遠とも思える長い年月にわたる大変キビシイ未来が待ち受けています…続きを読む→
「悲劇」僕の残された物質界の人生はもう悲劇決定だそうです。永遠に許さぬ(祈)†■2022年5月4日UP■
「悲劇」僕の残された物質界の人生はもう悲劇決定だそうです。永遠に許さぬ(祈)†
僕が本当にこういうヒドイ状況にさせられても全く誰の目も開かないというのか。誰ひとりとして真実に目覚めないというのか。僕の人生がこれだけ破壊されても日本国民の洗脳が1ミリたりとも破られないというのか。物質界はここまで腐りきっているのか。この期に及んでもまだ「宇宙一のバカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の事を陛下だの殿下だのと呼び続け笑顔で手を振り続け、奴隷の女の子を強姦殺人する手助けを続けるつもりなのか。「無知ほどこわいものはない」この言葉に帰着します…続きを読む→