アナログ絵を次から次へと見て回ろうとするとドンドン新たなタブが開いていってしまうという大問題があり、ずっと修正しなきゃと思っていたのですが億劫でできずにいました。ようやくその「target="_blank"」を外し終えました。これで絵を見やすくなったのではないかと思います。

今日は「イエスの少年時代」の表紙のカラーリングが全くできませんでした。明日完成させるつもりです。あと「霊は実在する、しかし」のテキスト見直しも開始しています。何が何でもテキストを揃えていかないといけません。

シルバーバーチは1巻2巻はテキスト化完了させてありますが3巻の見直し中に欠落部分が多くて手撃ちする状況が多数発生し、手撃ちが時間がかかってしょうがないので、3巻~12巻の欠落部分の再スキャンをおこなう事にします。つまりさらに時間がかかるという事です。本当にウンザリ、しかしやるしかない。

今週のブログネタとなるインスピレーションは今のところほとんど降っていませんが、先ほど霊団が死んでも永遠に許せない事を言ってきました。それだけは永遠に拒否する。死んでも認めない。作業続行中。その状況にさせられるのだけは全力で拒否する。宇宙最大級の脅迫だ。コイツら(霊団)は卑怯者だ(祈)†

「我々の言葉を信じなさい」帰幽後に全ての埋め合わせがおこなわれるという意味です(祈)†■2023年3月8日UP■
「我々の言葉を信じなさい」帰幽後に全ての埋め合わせがおこなわれるという意味です(祈)†
2000年前のイエス様が物質界に降下しておこなった仕事はもちろん「霊的知識普及」であり「神のご意志遂行」であり、それが現在も「スピリチュアリズム普及」というカタチで継続しているのです。このスピリチュアリズム普及の霊界での総指揮官はイエス様です。どうか霊関連書籍でお勉強して頂きたいです。そのイエス様が、一体何がどうなっているのか僕などというよく分からない画家に「怒涛の連続顕現」で霊的仕事を猛烈にお願いしてきたのです。僕は激しく拒絶しましたが1週間近くイエス様に何とも言えない表情で怒涛にお願いされ続けて僕は根負けしてしまい、この使命遂行をやる“ハメに”なってしまったのです。それから10年(霊性発現が2012年6月、隔離フィールド発動(事実上の使命遂行開始合図)が2014年7月ですから正確にはほぼ9年という事になるでしょうか)僕はずっとそのイエス様と約束した仕事を続けてきたのです…続きを読む→
「メッセージだけを見て欲しい」霊団が物質界の邪悪に目をつぶろうとしているのです(祈)†■2023年3月15日UP■
「メッセージだけを見て欲しい」霊団が物質界の邪悪に目をつぶろうとしているのです(祈)†
しかしそれは「順番が逆だろ」まず奴隷の女の子たちを助けてあげて、それから交霊会だろ、と僕は思うのです。というのも、奴隷の女の子たちを完全に見殺しにした状態で僕という霊媒を霊団が使用して霊言を降らせたとしましょう。その降ってきた内容がさながら「シルバーバーチの霊訓」を彷彿とさせるような高尚な内容だったとしましょう。その霊団が降らせてきた内容が、人類を救うとか、世界を救うとか、人間は国家も肌の色も関係なく全員が神から神性の火花を賜って個的存在を与えられた、神を共通の親とした霊的兄弟、霊的大家族であり、戦争で敵国の兵士を撃ち殺す事は自分の家族を殺す事と同義であり愚かな事であり、したがって全世界が助け合っていかなければならないとか、そういう心を撃つ美しい内容だったとしましょう…続きを読む→

OCR変換テキストの見直しが終わった状態のまま放置してあった「私の霊界紀行」を固定ページにUPさせました。WordPressにUPするためにはタグを挿入しなければならない、しかしAffinityPublisherへテキストを流し込む時はタグはいらない、なのでタグありとタグなし、テキストファイルをふたつ用意して同時編集するのです。今後修正が入った時もふたつ同時に修正するのです。ツライ作業ですがやるしかない。

僕はこの書籍には霊性発現初期の頃にだいぶ助けられた経験があるのです。僕は霊的なモノなど全く縁のないデザインの世界で生きてきた人間ですので、初期の頃、2012年6月~12月あたりは毎日が未知の霊現象、来る日も来る日も「一体僕の身に何が起こってるんだ???」という感じで、ずっと頭に「はてなマーク」が浮かんだ状態で生活していました。

しかしこの書籍のおかげで少なくとも幽体離脱に関してはまぁまぁの理解に到達する事ができ、自分の身に起こっている出来事の謎が解けたりしてだいぶ精神的に助けられたのです。それ抜きにしてもこの書籍はサクサク読みやすいのでお気に入りでした。

ぜひ多くの方にこちらの書籍をお読み頂きたいですが、復刊が実現したらぜひ「紙の書籍」つまりAmazonですから「ペーパーバック」を1冊手元に持っておいて頂きたいのです。

それは単純に「買ってほしい」という意味だけではなく、電気的データなどというモノは一瞬で消滅するモノですが(WordPress、電子書籍等)紙の本というカタチになっていれば未来に残りやすいと思うからです。

意識的に捨てたりしない限り、部屋の片隅に残されてそのまま忘れ去られて何十年も本は人目に付かず眠り続けますが、まだ物質界に降下していない未来の子供たちが、僕たちの帰幽後にその書籍を手に取ってくれるかも知れないじゃないですか、読んでくれるかも知れないじゃないですか。僕の狙いは“そこ”なのです。

本当は僕という霊媒が機能して新規の霊言が降ってきて、それを書籍化するのがベストですが、降ってこないものはしょうがない、現存する正真正銘の霊関連書籍を何が何でも未来の子供たちに残さねばならないと僕は考えているのです。脱出脱出と騒いでいますが、僕の「復刊の動機」の中にはこういう想いもあるのです。

さぁこれからこのテキストデータをAffinityPublisherに流し込んでPDFに書き出し、それをキンドルファイヤーに入れて最終校正をおこないます。が、その前に「イエスの少年時代」の表紙を今日中に完成させるつもりができませんでしたので、そちらを先にやりましょう。殺人的忙しさですが、コレをやる以外に脱出の道はない。死んでも脱出だけは完了させる(祈)†

アナログ絵363

ハイ、こちらはアナログ絵358としてすでにUPした絵となりますが、電子書籍データを作成するにあたり「このままでは宜しくないかも」と思い(書籍表紙として描いた1発目の絵だった事もあり、カラーリングが若干甘いところもありました)線画はそのままでカラーリングのみやり直しました。

インペレーター霊の霊視スケッチを元にして僕なりに描いた絵とはいえ、このインペレーター霊はほぼ僕の創作となります。実際とは違うという事を改めて強調させて頂きます。詳細についてはアナログ絵358の時に説明していますのでそちらをご覧下さい(復刊者コメントもUPしてあります)↓
■アナログ絵358「インペレーターの霊訓」復刊書籍表紙UP。インペレーター霊、想像図です(祈)†■2024年1月27日UP■
■アナログ絵358「インペレーターの霊訓」復刊書籍表紙UP。インペレーター霊、想像図です(祈)†
永遠の安寧が存在する光り輝く上層界で生活していればいいものを、なぜわざわざ物質界に向けて犠牲の降下をしなければならないのですか。それは「愛」の一言に尽きるのではないでしょうか。他でもない【神】の意図が「進化」にあり、神の子等である僕たちを高揚し向上させる事が宇宙の仕事といっても過言ではない、僕はそのようにお勉強しています。その愛に背を向けて霊的な事を軽んじて生きるもよし、霊的知識を獲得してすみやかに進歩向上するもよし、それは当人の自由ですが、いま自分が生命活動をおこなう事ができているのは霊の賦活作用のおかげだという基本中の基本さえ理解せず、自分の生命および存在の根源について全くの無知で生きるというのは到底賢い人間のする事とは言えません。自分の生命の根源を愚弄するなら霊なしで1秒でも生きてみろ、肉体のみで1秒でも生きてみろ、と言いたいです。物質とは腐食性のモノであり、それ自体に存在はありません。霊によって形態を維持されているだけであって、霊が離れればたちまち崩壊、腐食して地球を構成する成分に帰っていきます。その腐食物が自分の本体だと信じて疑わないのであれば、あなたはその肉体と一緒に腐って土に返って下さい。肉体は腐ったが最後、2度と元のカタチには戻りません。しかし自分の本体が霊だと理解しておられる方は、帰幽後、永遠の若さを保つ霊体をまとって速やかに霊界生活に順応できるでしょう。これら霊的知識を理解する重要性に比べれば、インペレーター霊がモーゼス氏を介して語った年月が最近だろうが昔だろうが、それに何の意味があるというのでしょう…続きを読む→

せっかくこのように塗り直しましたので電子書籍のみ、などと言わずペーパーバックでもこちらの表紙を使用しましょう。で、この「インペレーターの霊訓」は副題「続・霊訓」とありますように、この書籍の前に本編ともいうべき「霊訓」があります。もちろんそちらも復刊させるつもりでいるのですが「霊訓」はまた別のハードルがありまして、復刊実現はさらに難しい事が予測されます。

しかし「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁は滅亡させるつもりはない、奴隷の女の子たちはひとりたりとも助けてあげるつもりがない、僕という霊媒から新規の霊言を降らせるつもりも全く無い(自動書記テスト、現在も続行中なのですが全く霊言が綴られる事はありません)この状況であと僕がやれる事は、もう「絶版状態の霊関連書籍の復刊」これしかないのです。

ですので、復刊のハードルが高いのは承知の上で何が何でもそのハードルを突破して復刊を実現させようとしているのです。書籍データをガンガン作りまくっています。霊団に何と言われようと止まるつもりはない(実は止まれと言われているのです)(祈)†

「急がば回れ」回り道して結果に到達するのはもちろん帰幽後、物質界生活中ではありません(祈)†■2023年8月30日UP■
「急がば回れ」回り道して結果に到達するのはもちろん帰幽後、物質界生活中ではありません(祈)†
我々(霊団)はもちろん物質界の邪悪をこのまま放置するつもりはないが、過去2000年の長きにわたり、真実を公言してきた霊覚者たちは、ことごとく殉教の死を遂げさせられてきた。(※100の光の霊団の構成メンバーは、この殉教の死を遂げた人間が多数含まれていると聞かされています)そして現代の物質界に至っては霊力に感応する人間がほぼ皆無という絶望的状態に至っている、その中にあってアキトくんという霊の道具は、我々の悲願を成就させるための貴重な霊的チャンネルという位置付けとなる。そのアキトくんという道具を我々はみすみす失う訳にはいかないのだ。キミだけの問題ではない、100の光の霊団のメンバーとして仕事をしている、過去キミと同じような仕事をして道半ばで殺された多くの同志の積年の悲願も込められているのだ。アキトくんの怒りも分からないではないが、我々はキミの肉眼では見通せない全体像を見た上で導いている。最終的には全て佳きように計らわれる事は霊的知識としてキミは理解しているはずだ…続きを読む→

1913年12月19日 金曜日

「神はあなたがたの信念に応じてお授けになる – このイエスの言葉は当時と同じく今もなお生きている。絶対的保証をもってそう断言できる。まず必要なのは信念なのである。信念があれば事は必ず成就される。成就の方法はさまざまであろう。が、寸分の狂いもない因果律の結果であることに変わりはない。

さて、これは地上世界にかぎられたことではない。死後の向上した界層、そしてこれ以後も果てしなく向上して行く界層においても同じである。吾々が成就すべく鋭意努力しているのは、実際の行為の中において確信を得ることである。

確信を得れば他を援助するだけの霊力を身につけ、その霊力の行使を自ら愉しむこともできる。イエスも述べたように、“施される”ことは喜びであるが、“施す”ことの方がより大きな喜びであり愉しみだからである。

が、信念を行使するに当たり、その信念なるものの本質の理解を誤ってはならない。地上においては大方の人間はそれを至って曖昧に – 真実についての正しい認識と信頼心の中間に位置する、何やら得体の知れないものと受けとめているようである。

が、何事につけ本質を探る吾々の界層においては、信念とはそれ以上のものであると理解している。すなわち信念も科学的分析の可能な実質あるエネルギーであり、各自の進化の程度に応じた尺度によって測られる。その意味をより一層明確にするために、こちらでの私の体験を述べてみよう。

あるとき私は命を受けて幾つかの施設(ホーム)を訪ね、各施設での生活の様子を調べ、必要なときは助言を与え、その結果を報告することになった。さて1つ1つ訪ねていくうちに、森の外れの小じんまりとしたホームに来た。

そこには2人の保護者のもとで大勢の子供が生活している。お2人は地上で夫婦だった者で、死後もなお手を取り合って向上の道を歩みつつある。彼らが預っているのは死産児、つまり生まれた時すでに死亡していたか、あるいは生後間もなく死亡した子供たちである。

こうした子供たちは原則として下層界にある“子供の園”には行かず、彼ら特有の成長条件を考慮して、この高い界層へ連れて来られる。これは彼らの本性に地臭が無いからであるが、同時に、少しでも地上体験を経た者、あるいは苦難を味わった子供に比べて体質が脆弱であるために、特殊な看護を必要とするからでもある。

お2人の挨拶があり、さらにお2人の合図で子供たちが集まって来て、歓迎の挨拶をした。が、子供たちは一様に恥ずかしがり屋で、初めのうちは容易に私の語りかけに応じてくれなかった。

それというのも、ここの子供たちは今のべた事情のもとでそこへ連れてこられているだけに性格がデリケートであり、私もそうした神の子羊に対して同情を禁じ得なかった。そこであれこれと誘いをかけているうちに、ようやくその態度に気さくさが見られるようになってきた。

そのうち可愛らしい男の子が近づいてきて腰のベルトに手を触れた。その輝きが珍らしかったのであろう。もの珍らしげに、しげしげと見入っている。そこで私は芝生に腰を下ろし、その子を膝に抱き、そのベルトから何か出してみせようかと言ってみた。

すると初めその意味がよく判らない様子であった。そして次に、ほんとにそんなことが出来るのだろうかという表情を見せた。が、私がさらに何が欲しいかと尋ねると、「もしよかったらハトをお願いします」と言う。

なかなか丁寧な言い方をしたので私はまずそのことを褒めてやり、さらに、子供が素直に信じてお願いすれば、神様が良いことだとお許しになったことは必ず思いどおりになるものであることを話して聞かせた。

そう話してからその子を前に立たせておき、私は1羽のハトを念じた。やがて腰のベルトを留めている金属のプレートの中にハトの姿が見えはじめた。それが次第に姿を整え、ついにプレートからはみ出るほどになった。それを私が取り出した。

それは生きたハトで、私の手のひらでクークーと鳴きながら私の方へ目をやり、次にその子の方へ目をやり、どちらが自分の親であろうかと言わんばかりの表情を見せた。その子に手渡してやると、それを胸のところに抱いて、他の子供たちのところへ見せに走って行った。

これは実は子供たちを誘(おび)き寄せるための一計に過ぎなかった。案の定それを見て1人2人と近づいて来て、やがて私の前に一団の子供たちが集まった。そして何かお願いしたいがその勇気が出せずにいる表情で、私の顔に見入っていた。が、私はわざと黙って子供から言い出すのを待ち、ただニコニコとしていた。

と言うのは、私は今その子たちに信念の力を教えようとしているのであり、そのためには子供の方から要求してくることが絶対必要だったのである。最初に勇気を出して皆んなの望みを述べたのは女の子であった。

私の前へ進み出ると、その可愛らしいくぼみのある手で私のチュニックの縁を手に取り、私の顔を見上げて少し臆しながら「あの、できたら…」と言いかけて、そこで当惑して言いそびれた。そこで私はその子を肩のところまで抱き上げ、さあ言ってごらん、と促した。

その子が望んだのは子羊であった。私は言った。今お願いしてあるからそのうち届けられるであろう。何しろ子羊はハトに較べてとても大きいので手間が掛かる。ところで、本当にこの私に子羊が作れると信じてくれるであろうか、と。

彼女の返事は至ってあどけなかった。こう答えたのである。「あのー、皆んなで信じてます。」私は思わず声を出して笑った。そして皆んなを呼び寄せた。すると、翼のついたハトが作れたのだから毛の生えた子羊も作れると思う、と口々に言うのである。

(もっとも子供たちは毛のことを毛皮と言っていたが)それから私は腰を下ろして子供たちに話しかけた。まず“吾らが父”なる神を愛しているかと尋ねた。すると皆んな、もちろん大好きです、この美しい国をこしらえ、それを大切にすることを教えて下さったのは父だからです、と答えた。

そこで私がこう述べた。父を愛する者こそ真の父の子である。子供たちが父の生命と力とを信じ、賢くそして善いものを要求すれば、父はその望みどおりのものを得るための意念の使い方を教えて下さる。

動物も皆んなで作れるであろうから私がこしらえてあげる必要はない。ただし初めてにしては子羊は大きすぎるから今回はお手伝いしてあげよう、と。そう述べてから、子供たちに心の中で子羊のことを思い浮かべ、それが自分たちのところへやって来るように念じるように言った。

ところが見たところ何も現われそうにない。実は私は故意に力を抑え目にしておいたのである。しばらく試みたあと一息入れさせた。そしてこう説明した。どうやら皆さんの力はまだ十分でないようであるが、大きくなればこれ位のことは出来るようになる。ただし祈りと愛をもって一心に信念を発達させ続ければのことである、と。そしてこう続けた。

「あなたたちにも力はちゃんとあるのです。ただ、まだまだ十分でなく、小さいものしか作れないということです。では私がこれから実際にやってみせてあげましょう。あとはあなた方の先生から教わりなさい。あなたたちにはまだ生きた動物をこしらえる力はありませんが、生きている動物を呼び寄せる力はあります。このあたりに子羊はおりますか?」

この問いに皆んな、このあたりにはいないけど、ずっと遠くへ行けば何頭かいる。つい先ごろそこへ行ってきたばかりだという。そこで私は言った。「おや、あなたたちの信念と力によって、もう、そのうちの1頭が呼び寄せられましたよ。」

そう言って彼らの背後を指さした。振り向くと、少し離れた林の中の小道で一頭の小羊が草を食んでいるのが目に入った。その時の子供たちの驚きようはひと通りでなかった。唖(あ)然として見つめるのみであった。

が、そのうち年長の何人かが我に帰って、歓喜の声を上げながら一目散に子羊めがけて走って行った。子羊も子供たちを見て、あたかも遊び友だちが出来たのを喜ぶかのように、ピョンピョンと飛び跳ねながら、これ又走り寄って来た。

「わぁ、生きてるぞ!」先に走り寄った子供たちはそう叫んで、あとからやって来る者に早く早くという合図をした。そして間もなくその小羊はまるで子供たちがこしらえたもののように、もみくちゃにされたのであった。自分たちがこしらえたものだ、だから自分たちのものだ、という気持をよほど強く感じたものと察せられる。

さて、以上の話は読む者の見方次第で大して意味はないように思えるかも知れない。が、重要なのはその核心である。私は自信をもって言うが、こうして得られる子供たちのささやかな教訓は、これから幾星霜を重ねたのちには、どこかの宇宙の創造にまで発展するその源泉となるものである。

いま宇宙を支配している大天使も小天使も、その原初はこうした形で巨大な創造への鍛錬を始めたのである。私が子供たちに見せたのが実に“創造”の1つの行為であった。

そして私の援助のもとに彼らが自ら行ったことはその創造的行為の端緒であり、それがやがて私がやってみせたのと同じ創造的行為へと発展し、かくして信念の増加と共に、1歩1歩、吾々と同じくより威力あるエネルギーの行使へ向けて向上進化して行くのである。

そこに信念の核心がある。人間の目に見えず、また判然と理解できなくても、その信念こそが祈りと正しい動機に裏打ちされて、みずからの成就を確実なものとするのである。貴殿も信念に生きよ。

ただし要心と用意周到さと大いなる崇敬の念も身につけねばならない。信念こそ主イエスが人間に委ねられた、そして吾々には更に大規模に委ねられた、大いなる信託の1つだからであり、それこそ並々ならぬイエスの愛のしるしだからである。そのイエスの名に祝福あれ。アーメン†

■2020年6月17日UP■
TrailMovie あっという間に帰幽してしまった子猫「ミーシャ」について(祈)†
休憩室の自動販売機の下に「子猫」が入っていて出てこない、と聞かされます。僕は「え?それはそのままにはしておけない」と真っ先に休憩室に走り、うつぶせになって自販機の下をのぞき込み、うずくまっている子猫(生後1ヶ月以内ぐらいかなぁ)に向かって「ネーコちゃん♪コッチいらっしゃい♪そんなトコいてもおもしろくないでしょ?ホラ、こっち来ればお水もあるわよ♪ネーコちゃん♪出てらーっしゃい♪」と話しかけながら何とか子猫を自販機の下から出そうとしました。しかし子猫はミャーミャー言うだけで出てこようとしません。そんな僕の様子を聞きつけて同僚女性が休憩室にやって来ました…続きを読む→
■2020年8月26日UP■
TrailMovie ■アナログ絵287UP。奴隷の女の子たちがどれだけヒドイ目に遭わされているか、何としても理解して頂かねばなりません(祈)†
強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を絶対に死刑にして消滅させてみせるという僕のモチベーションは上記に説明したような理由もあって決して落ちる事がありません。本当に自分でもビックリするくらい怒りの炎は消えません。そして自分では奴隷の女の子たちを助けてあげるために指1本動かした事もなく自撮りも晒さず名前も公表しないが、Webの影にコソコソ隠れて僕に文句だけは言ってくる奴らに対して、僕は本当に尋常ならざる怒りの気持ちを持っています…動画を見る→
■2020年9月9日UP■
TrailMovie「ゴミにしか見えない」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁に対する皆さまの思念です(祈)†
「ゴミにしか見えない」何としても皆さまにこのインスピレーションのような理解に到達して頂かねばなりません。僕たち日本国民はあまりにも長い年月にわたって洗脳され続けてしまいました。これは最大級に反省せねばならないポイントであり「黒歴史まとめ」と僕も公言し続けていますように、この邪悪の歴史そして僕たち国民にとっては恥辱の歴史とも言えるものを未来の人類、後世に正しく伝える作業をせねばなりません。強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁、このような人類史上最大級の邪悪が未来永劫物質界に登場する事のないよう、チリの一粒も残さず完膚なきまでに滅ぼし切らねばなりません…動画を見る→