【8/5】モーゼスの「霊訓」(上)第3節 “試練”の境涯と“無”の境涯

[前節の通信が書かれた時の勢いは、これまでになく激しいものだった。1ページ1ページにきちんと余白を取り、段落をつけ、実に細かい文字で書き、God(神)の文字だけはかならず大文字で書いた。書き上がったものを見ると、まさに書き方の手本のようだった。

が、書き綴っている間は手がヒリヒリし、腕がガクガクして、強烈なエネルギーが身体を流れるのを感じた。書き終えた時はぐったりとして横になるほど疲れ果て、頭の奥に激しい痛みを覚えた。そこで、翌日さっそくその頭痛の原因を尋ねた。前回と打って変ってひじょうに穏やかな筆致で、こう綴られた – ]

不幸のタネを蒔(ま)く人間的愚行

あの時の頭痛はエネルギーそのものの強さと、それをそなたから引き出す時の速さの度が過ぎたためです。あのような重大な問題については、熱烈さを伴わずしては書けません。

われわれが地上へ派遣されたそもそもの目的が、その種の問題と当事者たちの関心を向けさせることにあるからです。われわれは神の定められた不変の摂理にしたがうことの重大性を何としても強く印象づけておきたく思う。それを犯すことは、おのれを危くすることになるからです。

戦争は、人間の欲望と野心、怒りと驕(おご)りと復讐心の産物にほかなりません。そして、その戦争のあとに残されるものは何であろうか。神の美(うる)わしき自然が破壊され、踏みにじられる。

人間の素晴らしい平和な勤勉の産物が、無残にも破壊される。いたるところが血の海となる。そうして、未熟で無知で未浄化の霊が、むりやり肉体から離されて、洪水(こうずい)のごとく霊界へと送り込まれる。

ああ、何たる愚行!何たる蛮行でしょう!地上みずから悪を生み、そして、つねに悲劇に終わる。その愚かさに目覚めぬかぎり、人類の進歩は遅々(ちち)として進まないでしょう。しかるに人間は、絶え間なく悪のタネを蒔きつづけ、それがわれわれの仕事の障害ともなっているのです。

地上の社会制度と機構には、改めねばならぬことが数多くあります。取り入れねばならぬものが数多く存在します。たとえば大衆のための法律とはいいつつ、その実、犯罪人を懲(こ)らしめるための法律でしかありません。もとより法律には懲罰(ちょうばつ)的要素もなくてはなりません。が同時に、厚生的要素も持たねばなりません。

しかるに当事者たちは、異常者とみたらすぐに逮捕し、他の者へ危害を及ぼさぬようにと、隔離します。数年前に大規模にそれを行ない、拷問にかけ、精神病棟をぎゅうぎゅう詰めにしました。

彼らのどこに罪があるというのであろうか。何のことはない、その口にすることが一般の常識と異なるというに過ぎません。あるいは – 古来、狂人とされた者の多くがそうであり、今なおよくあることですが – 単に未熟な霊にそそのかされたに過ぎないのです。

いつの日かその真相を知って後悔することでしょうが、常識の道から外(はず)れることが、かならずしも狂える証拠とはかぎりません。霊の教えの道具となることが精神に異常をきたすことにはならないはずです。

しかし現実は、為政者の愚行によって多くの神の使徒が公然とその使命を遂行する自由を奪われ、さらに、われらこそ精神病棟をあふれさせ霊媒を発狂させた元凶であるという、誤った認識が行なわれています。盲目にして無知な為政者が、われら霊の世界とその教えと関わりをもつ者すべてを精神病者と決めつけたからにほかなりません。

愚かにも彼らは、霊の世界と関わりをもつことそれ自体を狂気の証(あかし)と決めつけ、したがって霊的真理を口にする者はことごとく狂人であり、ゆえに精神病院に隔離せねばならぬと決定しました。そして偽りの供述書を作成することによって霊媒に狂人の汚名を着せ幽閉することに成功すると、こんどは、霊媒を狂わせたのは霊であるとの口実のもとに、その罪をわれらに押しつけたのでした。

堕落の道へ誘う悪霊・邪霊の存在

もしこれを無知の産物というのでなければ、神への冒瀆といわねばならないでしょう。われわれは神の恵み以外の何ものもお持ちしておりません。地上の同胞にとって、われらは神の真理の担い手にほかなりません。

人間がその罪深い心と邪悪な生活によって同類の邪霊を引き寄せてその邪性を倍加すれば、その罪は人間みずから背負わねばなりません。邪霊たちは人間の蒔いたタネを刈り取っているにすぎないのです。

邪霊を咎(とが)める前に、まず人間みずからがその過ちを知らねばなりません。魂と身体の管理をおろそかにしたために邪道に迷い込んだのです。言い換えれば、神聖な霊の影響力から遠ざかったという意味において迷っているのです。

しかし、われわれはその種の人間には取り合いません。彼らはまだしも良いのです。彼らよりはるかに道を外しているのは、あなたたちが道を外している者とは思えない、飲んだくれの肉欲集団です。

彼らは快感に浸っておのれを忘れ、汚れた肉体の官能を飽くことなく刺激し、堕落者、不道徳者と交わり、あげくには、もう1度肉体的快楽を求めてうろつきまわる邪霊・悪霊の餌食(えじき)となっていくのです。

われわれの目から見れば、こうした邪心と不純の巣窟ほど恐ろしいものはありません。この上なく卑(いや)しく、この上なく恐ろしい堕落の巣窟です。言うなれば、人類の文明の汚点であり、知性の恥辱(ちじょく)です。

– もう1度肉体的快楽を求めるとは、どういう意味ですか。

こうした地縛の霊(1)は、地上時代の肉体的欲望と性向とを多分に残しています。それを直接的に感取する器官はすでにありませんが、欲求だけは消えていません。飲んだくれは相変らず酒色の味が忘れられません。いや、むしろ一段と強く求めます。いくら耽っても満足が得られないためです。

魂の中で欲念が炎のごとく燃えさかります。その欲念に駆られて、かつて通いつめた悪徳の巣窟へ引き寄せられ、そこで快楽に耽る人間に取り憑(つ)き、その者の堕落をいっそう深めていきます。

かくして再び地上生活を味わい、同時に、その人間が次第に深みにはまっていくのを見て、悪魔のごとく、してやったりと、ほくそえみます。こうして悪徳が引きつがれ、罪悪と悲しみを生みつづけます。

魂を奪われたその哀れな人間は、目に見えぬ悪の使者に駆り立てられ、泥沼に深く、深く、沈んで行くのです。家では妻と子が飢えと悲しみに言葉もなく打ち暮れています。そのまわりを、打つべき手をすべて失った守護霊(2)が、為すすべもなく徘徊(はいかい)しています。

こうした例を持ち出すのは、地縛霊が酒色に耽(ふけ)る人間をとりこにして、今1度、地上的快楽を味わっている現実を知っていただきたいからです。1度酒色に溺(おぼ)れた者の更生が困難であるのは、このように、悪徳の悪循環が行われているためなのです。

その悪循環を断ち切るには、人類全体の道徳的意識の高揚と、物的生活の質の向上にまつほかはありません。それにはまず、よりあか抜けのした、真実の霊的知識の普及が必要です。つまり幅広い、真の意味での高等教育が要請されるのです。

– そうすることによって、今お述べになったような憑依が防げるということでしょうか。

さよう、最後には防げます。人間の側からエサをまくような愚行を続ける現状が維持されるかぎりは、それ以外に方法はありますまい。

貴重な地上的体験

– 幼くして他界した子供は、一気に高い世界へ行くのでしょうか。

そういうことは有りえません。地上生活ならではの体験はけっして免除されることはありません。確かに、汚れを知らないという利点のおかげで“浄化のための境涯”はすみやかに通過できましょう。

が、体験と知識の不足は、それを補いそして鍛練することを仕事とする霊による指導を仰がねばなりません。ゆえに、地上生活を中途で打ち切られることは、このままでは魂の成長を遅らせて損失を招くのみ、と判断された場合を唯一の例外として、けっして得(プラス)にはなりません。

与えられた宿命に甘んじ、おのれの成長と同胞の福祉のために精を出し、神を崇(あが)め、神に奉仕し、背後霊の指導に素直にしたがう者こそ、地上生活を最大限に活用している人といえましょう。

そうした地上生活を送った者には改めて学び直すものはなく、したがって霊界での向上もすみやかです。魂の向上を妨げるのは、あらゆる種類のうぬぼれと利己心、無精(ぶしょう)と怠慢(たいまん)、そして、わがままです。公然たる罪悪と悪徳、それに偏見から真理の受け入れを拒否する頑迷固陋(ころう)の態度 – こうしたものは申すまでもありません。

魂の肥やしは、愛と知識です。子供には愛はあるかも知れませんが、知識は教育されないかぎり、身につくものではありません。これは、霊媒の背後霊の1人となって生活を共にすることによって獲得されることがよくあります。

しかし、夭折(ようせつ)する子の中には、もしもそのまま地上生活を続けていれば、いたずらに悪徳と苦しみにさらされるであろうと見なされた子が少なくありません。そうした子は、知識の上での損失を純粋性で補ったことになります。

が、不利な環境の中で闘い、そして克服した者の方が、はるかに気高いものです。試練によって一段と清められていますから、そうした魂のために用意された境涯へと進むことができます。

地上的体験は貴重なのです。その体験を得るために大ぜいの霊が地上に戻り、霊媒の背後霊となって自分に必要な体験を積もうと努力しているのです。それは、ある者にとっては情愛の開発であり、ある者にとっては苦しみと悲しみの体験であり、またある者にとっては知性の開発であり、感情のコントロール、つまり心の平静の涵養(かんよう)であったりします。

このように、地上に戻ってくる霊には、われらのように特殊な使命を帯びた者を除いては、自分自身にとっての何らかの目的があるものです。つまり、われわれ並びにそなたとの接触を通じて向上進化を遂げんとしているのです。それは魂の自然の欲求です。より高き向上!より多くの知識!より深き愛!かくして不純物が一掃され、神に向かって高く、より高く向上して行くのです。

– 地上に戻ることだけが、進歩のための唯一の手段ではないと思いますが…

もちろんです。しかも、それが普通一般ということでもありません。こちらの世界には幾多の教育施設が用意されています。また、1度失敗した方法は、2度と採用しないものです。

霊の救済団によって救われる者・救われぬ者

[このあと、霊の世界の住居と仕事についての通信が続いたが、私には今ひとつ理解がいかないので、その霊(インペレーター)は自分の境涯以外のこと、というよりは、“その上の界”の事情にも通じているのかどうか、また、地上よりもっと低い境涯への誕生もあるのかどうかを尋ねてみた。

すると、霊にも霊界のすべてに通暁(つうぎょう)する能力はないこと、また魂が向上発達し完成されていく“試練”もしくは“浄化”の境涯と、そのあとにくる超越界 – いったん突入したら、よくよくの場合を除いて、2度と戻ることのない“無”の世界 – との間には大きな懸隔(けんかく)があるということだった。そして続けてこう綴られた – ]

7つ(3)の試練界の最高界から超越界の最低界への突入は、人間界の死にも似ていましょう。が、その超越界については、われわれもほとんど聞かされていません。ただ、われわれがこうしてそなたたちを見守っているごとく、その世界の至聖なる霊もわれわれを援助し、そして導いてくださっていることだけは承知しています。が、それ以外の客観的な事実については何も知りません。

わかっているのは、その世界の霊はいよいよ神的属性が完成に近づき、宇宙の根源にも通じて、神を身近に拝することができるらしい、ということのみです。(4)われらとて、まだまだその至福の境涯からはほど遠く、まだまだ為さねばならぬことがあります。その遂行の中に喜びを見出しているところです。

霊といえども、自分が得た経験と知識にもとずいて語っていることを承知しておく必要があります。奥深い問題についても、それまでに知り得たかぎりの知識で回答を出します。となれば、真実から外れたことを述べることも有りうるわけですから、そうした霊を咎め立てするのは感心しません。

霊の世界について間違いなく言えることは、そなたたちの住む地球が7つの下層界のうちの最高界であり、その上に7つの活動の世界があり、さらにそのあとに7つの超越界が存在するということです。(5)ただし、その7つの各界には数多くの“境涯”が存在します。

みずから好んで堕落の道を選んだ者が、ついに後戻りできない境涯にまで落ち込んでいく理由については、すでに少しばかり述べました。絶え間なく悪を求め善を拒絶していくことは、必然的に純粋なるもの・善なるものへの嫌悪(けんお)感をはぐくみ、邪悪なるものを求めさせることになります。

こうした性癖をもった霊は、ふつう、獣欲に支配された肉体に宿ることが多いものです。成長とともに獣欲の誘惑に負け、あげくの果てにその奴隷となっていきます。

高尚なものへの憧憬も、神への崇拝心も、聖なるものへの望みもすべて消え失せ、霊に代って肉体が完全に支配し、自分の思うがままに行動し、道徳的規範も知的判断基準も持ち合わせません。かくして魂は邪臭ふんぷんたる雰囲気に包まれていきます。

ここまで至った者は、危険この上ない状態にあると言わねばなりません。もはや背後霊は恐怖におののいて、その場を逃れます。その雰囲気に息が詰まるのです。すると代って別の霊たちが群がり寄ります。

かつて地上で同じ悪癖に身を亡ぼした者たちです。彼らは今1度官能の快楽を味わい、その人間を罪深い生活へと追い込んでは、快哉(かいさい)を叫びます。

こうした肉体的罪悪をふたたび繰り返したくなる性向は、自然の摂理を意識的に犯した報いの中でも、取りわけ恐ろしいもののひとつです。彼はついに肉体的快感のとりこになり果ててしまったのです。そして、見るがよい。その肉体が滅んだあとも彼は相変わらずかつての快楽を求めて、行きつけの場をうろつきまわります。

そうして、そこにたむろする同類の飲んだくれに憑依して、ふたたび酒色に耽ります。都会に軒をつらねる酒場、哀れな道楽者のたむろする悪徳の巣窟には、かつて地上で同じように酒色と悪徳に耽っていた霊がうろつきまわっております。

彼らは地上で飲んだくれの生活を送りました。今またそれを繰り返し、あまつさえ、そこに通いつめる人間を深みに引きずり込んでは、してやったりと、ほくそえむのです。

その邪霊の群がる場をひと目見れば、そなたも、悪のはびこる謎の一端を知ることができるでしょう。悪の道にはまった人間の更生を困難にし、地獄への堕落を容易にし、光明への帰還を妨げるのは、実にこれら邪霊たちなのです。地獄への坂道には、狂ったような勢いで破滅への道を急ぐ邪霊が、そこかしこにたむろしています。

その1人ひとりが邪霊集団の拠点であり、人間を次々と破滅へ追いやっては、彼らと同じ惨(みじ)めな境遇にまで引きずり下ろすことに、一種の快感を味わっているのです。

引きずり下ろされた者は、肉体から離れるとすぐさま、地上よりさらに下層の、同種の境涯に引き寄せられていきます。そして、誘惑者と暮らしつつ、肉体を失ったのちもなお消えやらぬ、激しい情念と酒色に耽るのです。

こうした境涯にある霊たちの更生は、神の救済団による必死の働きかけにより、魂の奥に善への欲求が芽生えるのを待つほかはありません。首尾よくその欲求の芽生えた時が、更生への第一歩となります。

地上にも、みずからを犠牲にして悪徳の世界へ飛び込み、数多くの堕落者を見事に更生させている気高い人物がいるように、こちらの世界にも、そうした奈落の底に沈んだ霊の救済に身を投じている霊がいます。

そうした霊の努力によって善性が目覚め、堕落の生活から救済され、浄化の境涯における長く辛い試練をへて、ついに悪の影響と断絶し、清らかにして善なる霊の保護のもとに置かれた霊は、決して少なくありません。

かくして聖なるものへの欲求が鼓舞(こぶ)され、悪性が純化されていきます。それよりさらに深く沈んだ境涯については、われわれも多くのことは知りません。漠然とではあるが知り得たところによれば、悪徳の種類と程度によって、さまざまな区別がなされているようです。

中には、善なるものへの欲求をすべて失い、不純と悪徳に浸りきり、奈落の底へと深く深く沈んでいく者がいます。そして遂には意識的自我を失い、事実上、個的存在が消滅していく – 少なくともわれわれはそう信じております。

ああ、何と悲しいことでしょう。が、有り難いことに、そうした霊は稀(まれ)にしか存在せず、よくよくの事情によって善と聖へ背を向けた者に限られます。これがイエスが弟子たちに語った“死にいたる罪”です。聖書にいう“聖霊に対する罪”です。

すなわち聖なる神の使徒の声に背を向け、聖と純と愛の生活を棄てて、悪徳と不純の生活を選んだ罪です。動物性が霊性を駆逐し、身体までも蝕(むしば)み、情欲を刺激し、もっとも下賤な感情をさらに汚し、人間性を最下等の獣性にまで引き下ろしてしまう罪です。

そこまで至った者はもはや神性は消え失せ、野獣性が異常に助長され、強化され、発達し、すべてを支配し、霊の光を消し、向上心の息の根を止めます。悪徳の念のみが燃えさかり、魂を向上の道から遠くへ遠くへと押しやり、ついに動物性を病的なものにしてしまいます。もはや霊の声は届きません。魂は、一路、奈落の底へ深く深く沈んで行き、ついに底知れぬ暗闇の中へ消滅してしまいます。

罪そのものが罰を生み出す

これが聖書に言うところの“赦(ゆる)し難き罪”です。赦し難いとは、神が赦さないという意味ではありません。みずからその道を選んでいるという意味です。その道が性分に合い、いささかの悔い改めの念も感じないためです。

罰は、つねに罪そのものが生み出すのです。それが罰の本質であり、けっして第三者によって割り当てられるものではありません。摂理を犯したことによる不可避の結果なのです。

その報いから免れることは絶対にできません。もっとも、悔い改めによってその苦痛が和らぐことはあり、その結果として罪悪への嫌悪(けんお)感と善への志向をつちかうことにもなります。これが誤った方向から引き戻し、過ちを償わせ、その結果として、魂に新たなる希望をはぐくんでいく、その第1歩といえましょう。

彼を包む霊的雰囲気はすっかり変わり、天使も気持よく近づき、援助の手を差し述べることができます。悪の影響から完全に隔離されます。そのうち悔恨と無念の情が湧(わ)いてきます。

性格は優しく温順となり、善の影響に感応しやすくなります。かつての、かたくなで冷酷で反抗的態度は消え失せ、魂が進化しはじめます。過去の罪の償いも終わり、良心の呵責(かしゃく)もすっかり和らいでいます。こうした過程はいつの時代でも同じなのです。

さきに、地上の法の違反者の取り扱いの愚かさを指摘したのは、こうした観点にもとづいてのことでした。万一われわれが同じ要領で過ちを犯した霊を扱ったならば、真の救済は有り得ず、堕落霊の境涯は、すっかり身を滅ぼした霊でひしめき合うことでしょう。

が、神はそうはさせません。そして、われわれはその神の命を受けて参った者なのです。

[注釈]

(1)earth-bound spirits 文字通り“地球に縛りつけられた霊”で、地上的雰囲気から脱け切れずにいる霊を総称する。いわゆる因縁霊も地上生活との業(ごう)が断ち切れない地縛霊といえる。

(2)Guardian 又は Guardian angel 地上に生を受けた霊(人間)と同じ霊系に属する類魂の1人で、誕 生時、あるいはそれ以前から付き添い、他界したのちも、事実上永遠に、切っても切れない絆で結ばれている。

英語もそうであるが、守護霊(ガーディアン)という文字に“守る(ガード)”という意味があるために、とかく、守護霊とは何ごとにつけ守ってくれる霊と想像されがちであるが、本来の使命は、本人の地上での使命の達成と罪障消滅、つまり因果律を効果的に成就させることであって、それを挫折または阻止せんとする勢力からは守ってくれることはあっても、ぜひとも体験せざるを得ない不幸や病気などの“魂の試練”まで免れさせることはしない。

ただ、人間の家庭でも親によって躾(しつけ)の仕方が違うように、守護霊によって考え方や方針が異なる。したがって守護霊とはこういう働きかけをするものと一概に論ずることはできない。

(3)死後の世界はビルの階のように段々に仕切られているものではなく、波動の原理による“次元”の問題なので、何を基準にするかによって、分け方が違ってくる。したがって他の通信の説と数字の上だけで比較するのは適当でない。

(4)このように、知らないことは知らないと正直に言えるところに、インペレーター霊とモーゼスの霊格の高さがうかがえる。最高界ないし究極の世界は、そこへ行ってみないことには分るはずがないのであるから、人間界とコンタクトできる範囲にいる霊にそれが知れる道理がない。

なのに、いかにもそれを知り尽くしているかの言語を吐く霊がいるが、その事実そのものが、その霊が、本人は大まじめでも、実際にはおめでたい低級霊であることを物語っている。

それは同時に、それを受ける霊媒も同質・同等の霊格しかないことを物語っている。神々のお告げと称するものを平気で語る霊媒は、霊能も人格もお粗末であることを、みずから証言しているようなものである。

(5)この“7つの界”についてインペレーターは何の説明もしていない。どこかで具体的に述べているはずなのであるが、モーゼスが本書で紹介してくれていない。

が、私の推察では、インペレーターのいう超越界というのは、日本で一般的となっている物質界・幽界・霊界・神界の分け方でいけば神界に当たり、それも地球圏内での話であって、かりに太陽圏へもって行けば、その霊界あたりに相当するのではないかと考えている。

太陽圏の神界となると、インペレーターも言うように知る手掛かりさえないが、それとても銀河系全体の規模の神界に較べれば、その霊界ていどに過ぎないはずで、こうして究極を求めてたどっていくうちに、人間の脳味噌の限界ゆえに、茫然自失してしまう。

■2021年1月27日UP■
「コリャ相当マズいぞ」明仁、文仁、徳仁、悠仁を守り通してきた強姦殺人ほう助の人間たちの思念です(祈)†
宮内庁職員が「宇宙一のバカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の逮捕、死刑に伴って「仕事を完全に失う」イコール「組織としての存在意義が消滅する(今ピィィィンと霊団が波長を降らせてきました、強調の意味があります)」この幽体離脱時映像はその事を言っているのではないかと僕は感じました、たった今霊団も強調してきましたのでそうなのでしょう。宮内庁の人間が何の仕事もなくなって毎日ボケーっとしているだけで国民の血税から給料をもらっている状態になり、それが大問題になる、こういう意味に間違いないでしょう。そもそも宮内庁などという組織は「国民に永遠にウソをつき通しダマし通すために作られた洗脳目的の組織」ですから、こんなものは消滅して当然なのです。宮内庁が発布する「宇宙一のバカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁に関する自演乙ウソ洗脳ニュースを見させられる事ほど頭にくる事はありません。これ以上国民を愚弄する行為はないと言って間違いないでしょう…続きを読む→
「言う事聞かないと危ないよ」霊団は僕を危機から保護しているという事なのですが(祈)†■2022年10月26日UP■
「言う事聞かないと危ないよ」霊団は僕を危機から保護しているという事なのですが(祈)†
守護霊様の導きがウマすぎて霊界側の予定に全く入っていなかった少年が霊性発現に到達してしまった。予定外の霊の道具が物質界に出現して霊界側はアラアラ、どぉしましょう、この道具に何の仕事をさせましょう、となって霊界側で緊急会議まで行われた(僕は幽体離脱にてその会議に出席しています、もっともその内容は全く反芻できませんでしたが)そして「イエス様ハンドリング」と題した霊的使命遂行が開始され「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の邪悪の正体、奴隷の女の子たちの悲劇の惨状について霊団が果てしなく教えてきて僕は現在の理解に到達する事になる。SNS等で徹底的にヒドイ目に遭わされながらも僕は情報拡散を続け、現時点では「天皇一族が強姦殺人魔」という認識はゴマかし切れないレベルまで日本全土に浸透するに至っている…続きを読む→
「死んだ人間にできるだけ真実を教えようとします」僕が霊界の仕事をしているという意味です(祈)†■2023年10月4日UP■
「死んだ人間にできるだけ真実を教えようとします」僕が霊界の仕事をしているという意味です(祈)†
【神】が経綸するこの全宇宙には目的があり、それは「進化」の一語に尽きると思います。全天体、全存在(生命)が進化を目的として永遠とも思える霊的向上の旅を続けています。霊的進化のゴールと言える至福の境涯ニルバーナは存在せず、神の御胸に向けての永遠の進化の旅が続くのですが、僕たちが現在在籍している地球圏は神が経綸する全宇宙の中のほぼ最低ランクの存在の場であり全く進化が足りません。イエス様を最高指揮官とした地球圏経綸の任に当たる天使の方々は、物質界の知的暗黒時代(特に中世ヨーロッパ)を打破して霊的知識を普及させるべく「スピリチュアリズム」を勃興させました。これまでの地球圏霊界でこれほど大々的な計画が実行に移された事はないそうです。イエス様がそこまでしなければならなかった理由は、物質界で学ぶべき事を何も学ばずに無知のまま帰幽して下層界にたむろする、シルバーバーチ霊の言葉を借りれば「難破貨物」ともいうべき低級霊があふれかえってそれがいよいよ上層界にまで悪影響を及ぼし始めてきた事が一因だそうです…続きを読む→

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Posted by たきざわ彰人(霊覚者)祈†