まぁたこの手の事を言ってきやがったよ、だったらなぜ僕にこの仕事をやらせたんだよ(祈)†

アナログ絵304_2

ハァァ、もうホントにウンザリの究極形、それを言い出したら使命遂行の根本が崩れるだろと言いたくなるような事を霊団がインスピレーションで降らせてきています。この霊界の人間とかいう奴らは自分たちの責任についての認識が欠落しているのではないだろうか。

それを言い出すという事はそれを僕にやらせたあんたたちがそもそもおかしかったって事になるはずだろ、その部分の言及が全く無くてなぜ僕だけがブースカパースカ言われなきゃならないんだよ、そういう感じの事を言われているのです。理不尽感が宇宙最大級レベル。

えーっとー、つまりまた書きたくもない内容について長文を撃たされるハメになるという意味で、この人生ホントにいい加減にしてくれよ、イジメイヤガラセにもほどがあるぞ。霊界の人間というのはそんなチャランポランな仕事で進歩向上できるのか、ハァ、実に公正だ。納得できる。

とにかくやるべき事をやってくれよ、何もしないつもりなんだよコイツらは。仕方ありませんので僕は僕レベルでできる事を続行しますが、物質界の邪悪を滅ぼすつもりが全くない霊団の仕事姿勢が頭にきてどうしようもありません。いつまでこんな気持ちで生活せねばならないというんだ。だったらもう終わりにしてくれ(祈)†

「行為のひとつひとつに責任を取らされます」僕の人生はやはりカルマの解消なのでは(祈)†■2023年5月3日UP■
「行為のひとつひとつに責任を取らされます」僕の人生はやはりカルマの解消なのでは(祈)†
イエスは死を超越した真一文字の使命を遂行していたのであり、磔刑(はりつけ)はその使命の中における1つの出来事に過ぎない。それが生み出す悲しみは地上の人間が理解しているような“喜び”の対照としての悲しみではなく、むしろ喜びの一要素でもある。なぜならテコの原理と同じで、その悲しみをテコ台として正しく活用すれば禍転じて福となし、神の計画を推進する事になるという事でした。悲劇をただの不幸と受止める事がいかに狭い量見であるかは、そうした悲しみの真の“価値”を理解して初めて判る事です。さてイエスは今まさに未曾有の悲劇を弟子たちにもたらさんとしておりました。もし弟子たちがその真意を理解してくれなければ、この世的なただの悲劇として終わり、弟子たちに託す使命が成就されません。そこでイエスは言いました「汝らの悲しみもやがて喜びと変わらん」と。そして遂にそうなりました…続きを読む→
「我が身を疑うな」僕という霊媒が機能する事を疑うなという意味、もうウンザリだよ(祈)†■2023年8月23日UP■
「我が身を疑うな」僕という霊媒が機能する事を疑うなという意味、もうウンザリだよ(祈)†
僕の正直な所感としては、その大キライで全力で離れようとしている場所に留まる事が僕の霊媒発動につながるとは全く思えません。まるっきり関連性がないと思っています。もしその場所に留まる事で僕という霊媒が機能して新規の霊言が降ってくるというのなら、あんたたち(霊団)はこの11年間なにをすっとぼけて見てやがったんだよ、という事になるからです。僕が全力で脱出しようとして霊団に最大級に反逆しているその場所が、霊的仕事に適した場所だというのなら、この11年、なぜオメィラは1度たりとも僕という霊媒を使おうとしなかったんだよ、僕を脅してずっとそこに閉じ込める事に成功してただろ、いくらでもチャンスがあったはずだろ、なぜ今をもってしても交霊会をやろうとしないんだよ、そこがどう考えてもおかしいのです。どうやっても納得できません。あげくの果てに「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を滅亡させるつもりがない、奴隷の女の子たちは完全に見殺しにするつもり…続きを読む→

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Posted by たきざわ彰人(霊覚者)祈†