アナログ絵379、1ページ線画完成中スキャン終了中AffinityPhoto上のゴミ取りに入ってます(祈)†

一旦テキストの作業から離れて線画に集中しています。圧倒的絶対的に時間が足りない。霊団はそうは思っていないでしょうが僕的にはどうしても作業時間を増やしたい。そのためには脱出が不可欠となり、それを何としても実現させための手段として節約を開始しました。

生活のありとあらゆる部分を徹底的に見直して少しでも数字を減らせるところはすぐ実行して実際に浪費を抑えられているか経過を見てその節約アイデアが有効かどうかを見る、という事をやっています。間もなく複数の節約アイデアの結果が数字として表れてくると思うので、それをもって脱出アイデアを実行に移すつもりでいますが、まだ脱出できる保証はどこにもありません。

これまでといちばん変わったところは、普段の買いもので生鮮食料品しか買わなくなった、それ以外のモノはほとんどお店で買わなくなったという事です。お買いもの時の数字の消費が以前と比べて明らかに減りました。そのぶん別のところでまとめ買いをして、長期的に消費を抑えようとしています。買う前に必ず計算機でシミュレーションをして、数字を減らせる事を確認してから買うようにしています。

そこまでしなくても、というくらい徹底的に細かいところまでそれを実行しています。全ては脱出を実現させるためです。本気中の本気だからココまでやっているという事なのですが、霊団は何が何でも僕を最悪に閉じ込めようとしてきます。どうしてもその導きに従う事ができません。

こんなお話はともかくとしてまずはストーリーを完成させましょう。作業時間を増やしてみせる、そしてできれば移住も決行したい。もちろんこんなモノは霊団の導きの中に一切含まれていません僕の小我の独断です。地名には旧地名というモノがあって、その意味を調べるとその土地の危険性を知る事ができるという事もあります。一応その方向でも調べています。移住するつもりでいるからこういう事も調べているのです。

さぁ作業続行中、イヤでどうしようもないところに延々閉じ込められるのはどうやっても認められない。死んでも受け入れられない。必ず脱出してみせる。もうこれに関しては霊団が何を言ってこようと僕の意思を書き換えるのは不可能だと思います(祈)†
「地球上でもっとも寂しい」僕が突入させられる悲劇です。試練にも限度がある(祈)†■2022年12月7日UP■
「地球上でもっとも寂しい」僕が突入させられる悲劇です。試練にも限度がある(祈)†
心臓が鼓動しているのが、血液が全身を循環しているのが、脳髄でアレコレ思索を巡らせる事ができるのが霊のチカラのおかげだというこの単純な真理が理解されるのにあと何千年かかるというのか。2000年前にイエス様が同じ事を言っていたじゃないか、まだ分からないのか。「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の邪悪の正体にも、自分が霊的存在であるという事実にも、一体人々はいつになったら気が付くというのか。この狂った腐った物質界は、あと何千年、正しいおこないをする者を磔刑(はりつけ)にし続けるというのか。そんなに洗脳が好きなのか、そんなに帰幽後に地獄に落ちたいのか。ステキな境涯に案内してあげようと大切な事を教えるために物質圏に犠牲的降下をして下さっている高級霊の方々の愛を、あと何千年裏切り続ければ気が済むのか…続きを読む→
「我々の言葉を信じなさい」帰幽後に全ての埋め合わせがおこなわれるという意味です(祈)†■2023年3月8日UP■
「我々の言葉を信じなさい」帰幽後に全ての埋め合わせがおこなわれるという意味です(祈)†
2000年前のイエス様が物質界に降下しておこなった仕事はもちろん「霊的知識普及」であり「神のご意志遂行」であり、それが現在も「スピリチュアリズム普及」というカタチで継続しているのです。このスピリチュアリズム普及の霊界での総指揮官はイエス様です。どうか霊関連書籍でお勉強して頂きたいです。そのイエス様が、一体何がどうなっているのか僕などというよく分からない画家に「怒涛の連続顕現」で霊的仕事を猛烈にお願いしてきたのです。僕は激しく拒絶しましたが1週間近くイエス様に何とも言えない表情で怒涛にお願いされ続けて僕は根負けしてしまい、この使命遂行をやる“ハメに”なってしまったのです。それから10年(霊性発現が2012年6月、隔離フィールド発動(事実上の使命遂行開始合図)が2014年7月ですから正確にはほぼ9年という事になるでしょうか)僕はずっとそのイエス様と約束した仕事を続けてきたのです…続きを読む→
「行為のひとつひとつに責任を取らされます」僕の人生はやはりカルマの解消なのでは(祈)†■2023年5月3日UP■
「行為のひとつひとつに責任を取らされます」僕の人生はやはりカルマの解消なのでは(祈)†
イエスは死を超越した真一文字の使命を遂行していたのであり、磔刑(はりつけ)はその使命の中における1つの出来事に過ぎない。それが生み出す悲しみは地上の人間が理解しているような“喜び”の対照としての悲しみではなく、むしろ喜びの一要素でもある。なぜならテコの原理と同じで、その悲しみをテコ台として正しく活用すれば禍転じて福となし、神の計画を推進する事になるという事でした。悲劇をただの不幸と受止める事がいかに狭い量見であるかは、そうした悲しみの真の“価値”を理解して初めて判る事です。さてイエスは今まさに未曾有の悲劇を弟子たちにもたらさんとしておりました。もし弟子たちがその真意を理解してくれなければ、この世的なただの悲劇として終わり、弟子たちに託す使命が成就されません。そこでイエスは言いました「汝らの悲しみもやがて喜びと変わらん」と。そして遂にそうなりました…続きを読む→

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Posted by たきざわ彰人(霊覚者)祈†