【9/13】モーゼスの「霊訓」(下)第26節 新局面の展開

アナログ絵379_2

[1874年1月16日。この日までの相当期間ずっと通信が途絶え、新しい局面に入りつつあるようでもあり、また、私が例の身元確認の問題について猜疑心を棄て切れずにいるために、霊団側がいっさい手を引いたようにも思えた。この猜疑心が何かにつけて障害となり、この自動書記通信だけでなく、サークルによる交霊会にも支障を来していた。

それが突如、この日になって様子が一変して、新たな指示とともに、一種の回顧のようなものが綴られた。その中から、私的な問題に関わらない部分を紹介する。]

これまでの回顧

ここで、これまでわれわれがそなたを正しい方向へ導こうとして努力してきた跡を振り返ってみるのも無駄ではないでしょう。少なくともわれわれが述べてきたことを詳細に検討し直し、われわれがそなたのために計画している広大な真理の視界を見渡してみるよう勧めるのは許されるでしょう。

それによって、そなたがこれまで抱き続けてきたものよりはるかに崇高な神の概念が説かれていることを知ってもらえるでしょう。

そなたが重ねて証拠や実験を求めてきた反論に対しても、われわれは無益と思いつつもひとつひとつ応対してきた。それでもなおかつ、そなたの心に巣くう猜疑心を拭(ぬぐ)い去ることができなかったのは、そなたの猜疑的な姿勢がもはやひとつの習性となり、その猜疑心の靄(もや)を突き抜ける機会を滅多に見出しえなかったからにほかなりません。

そなたは、突き抜けることのできない帷(とばり)でみずからを包み込んでいます。その帷が上がるのは時たまでしかありません。

われわれはむしろ、そうしたそなたとわれわれとの関わり合いをつぶさに見てきたサークルの同志の扱いにおいては、成功したと言えます。それを究極における成功を暗示する証と見なし、感謝しているところです。

つまり、そなたのその、他を寄せつけない猜疑に満ちた精神状態をも、最後に解きほぐすことができるということです。いくら真剣な気持からとはいえ、われわれが大義名分としているものを受けつけようとしないそなたの心を得心させる証拠は、われわれは持ち合わせません。

そのことが、われわれの仕事の最大の障害となっています。ことに、そなたがわれわれの障害となる条件を頭から無視して執拗に要求する特別の実験は、応じようにもまずもって応じられないだけに、なおさら大きな障害となっています。

これはぜひともよく理解し、心しておいてほしいことです。猜疑心から実験を計画し、われわれを罠にはめんとするような魂胆は、その計画自体を破壊してしまいます。もしもわれわれがそなたが怪しむようないかがわしい存在であるならば、そのような悪魔の使者とはこれ以上関わり合わぬがよろしい。

が、もしもそういうつもりはないと言うのであれば、いさぎよくその不信の念を棄て去り、率直さと受容性に満ちた雰囲気を出してほしく思う。たとえわずかの間であっても素直な心で交わるほうが、今のそなたの頑固な猜疑に満ちた心で何年もの長きにわたって交わるよりは、はるかに有益な成果を生み出すことでしょう。

われわれはそなたの要求に“応じたくない”のではない、“応じられない”のです。サークルの同志からの筋の通った要求は大事に取ってある。かりに要求どおりの対応ができなくても、又の機会に何とか致しましょう。これまでのそなたとの関わり合いを振り返れば、われわれが常にそうしてきていることがわかるであろう。それが交霊の一般的原理のひとつなのです。

身元の証拠の段階性

さらに、そなたがしつこくこだわっているところの、そなたの指図にもとづく実験を、かりに特別な証拠的情報を提供するという形で催した場合、たとえそなたの思惑どおりに運んだとしても、その情報は十中八九、そなたの意志とサークルの意志との混同によって、不完全で信頼のおけないものとなるでしょう。

そして結局は、そなたの目的は挫折することになるでしょう。が、証拠ならば、すでにわれわれに可能なかぎりのものを提供してあります。そなたのこだわっている問題、すなわち霊の身元確認の問題も、最近1度ならずその証拠となるものを提供しており、そなたもその価値をしぶしぶながらも認めております。

このところわれわれは、これまで以上の働きかけは手控えています。が、これまでに行なってきたところを振り返ってみられれば、同志とのサークル活動においても、こうしたそなただけとの交霊においても、あくまでも完全な受容的態度を維持するよう努め、理性的判断に基づいて受け入れるべきは受け入れ、拒否すべきは拒否し、最終的判断は又の機会までお預けにするようにとのわれわれの助言が、当を得ていたことが納得してもらえるものと信じます。

証拠にも段階があることを忘れてはなりません。そして、それ自体は無意味と思われるものでも、それ以前の、あるいはそれ以後の事実または言説によって大幅にその価値を増すことも有り得ることを心してほしい。

今のそなたにはいかに曖昧に思えることも、これよりずっと後になって明確になることも有り得ます。そして、長期間にわたって積み重ねられた数々の証拠が日を追ってその価値を増すことにもなります。

平凡な成果にせよ特殊な成果にせよ、こうしてそなたに語りかけるわれわ
れの誠意が一定不変であることが、何よりも雄弁にその事実を物語っていよう。少なくともそなたは、われわれがそなたを誑(たぶら)かしているとは言い得ないであろう。

われわれは断じて邪悪な影響を及ぼしてはいません。われわれの言葉には真実味と厳粛さとが籠っています。われわれこそ神の福音を説く者であり、そなたの必要性に合わせて、そなたの啓発を意図しつつ説いているのです。

それゆえ、そのわれわれが、果たして致命的かつ永遠の重要性をもつ問題について、そなたを誑かさんとする者であるか否かは、そなたみずからが責任をもって判断をすべきことであり、われわれの関与し得るところではありません。

これほどの証拠と論理的帰結を前にしながら、あえてを邪霊の類と断ずる者は、よほど精神の倒錯した理性に欠ける人間であり、およそ、そなたのようにわれわれを知り尽くした人間のすることではありません。われわれの言葉を、とくと吟味することです。

全能なる神の導きのあらんことを。

†インペレーター

霊視能力の発現と幽体離脱の体験

[この頃を境に、死後の存続を納得させる証拠が次々と届けられた。それについては、細かく述べていると霊訓の流れが逸(そ)れる恐れがあるので、控える。あるものは筆記の形できた。

筆跡、綴り方、用語などが生前そのままに再現されていった。私の指導霊によって口頭で伝えられたものもある。ラップで送られてきたものもある。また私の霊視で確認したものもある。

このように手段はさまざまであったが、ひとつだけ一致する特徴があった。述べられた事実が正確そのもので、間違いが何ひとつ見出せなかったことである。その大部分はわれわれサークルのメンバーには名前しか知られていない人物、時には名前すら知られていない人物であった。

友人や知人の場合もあった。かなりの長期間にわたって続けられたが、それと並行して、私の霊視能力が急速に発達しはじめ、他界した友人と以心伝心で長々と話を交わすことができるようになった。

私の潜在能力が開発されたらしく、情報が与えられたあと、それを霊視によって確認させてくれたりした。その霊視力はますます威力を増していき、ついには霊的身体が肉体から離脱して行動しながら、実に鮮明な映像を見るようになった。

その中には地上の出来事でないシーンの中で意識的に生活し行動する場面もあり、またドラマチックな劇画のようなものが私の目の前で展開することもあった。

その内容は明らかに何らかの霊的真理ないしは教訓を伝えようとするものだったが、そうした映像と関連した証拠によってその真実性を得心することができたのは、わずかにふたつだけだった。

というのも、映像を見る時の私は必ず入神しており、自分が目撃しているものが果たして実際にそこに存在しているのか、それとも私の主観にすぎないのかの判断ができなかったからで、そのふたつだけは後で具体的証拠によって実在を確認することができたということである。そのふたつの場合の光景は本物だったわけであるが、他のすべての映像も本物であったと信じている。

が、ここではそうした問題を検索すべきではない。思うにそうした映像は、私の霊的教育の一環だったと認めざるを得ない。霊側は私の霊視したものが実在であることを示そうとしたのであり、潜在的能力が開発されたのは、肉眼で見えないものの存在を教え確信させようとする意図があったということである。

この1月(1874年)にはスピーア博士のご子息のまわりに発生していた霊現象に関連した通信の幾つかが活字となって発表された。ご子息の音楽的才能を発達させるためであることは知らされていた。

通信は前年の4月14日と9月12日に書かれたものだった。そして2月1日に、私から出した質問がきっかけとなって、さらに情報が届けられられた。プライベートな事柄を述べたあと次のように綴られた – ]

音楽と霊性

昨夜の雰囲気は音楽には良くありませんでした。貴殿はまだ、良い音楽の出る条件をご存知ないようです。霊界の音楽を聞くまでは、音のもつ本当の美しさはわからないでしょう。

音楽も、地上の賢人が考えるよりはるかに、われわれがよく口にする霊的条件の影響を受けているものです。地上なりの最高の音楽を生み出すためにも、霊的要素がうまく調和しないといけません。調和した時にはじめてインスピレーションが閃きます。

スピーア少年が師匠の指導を受けていた部屋は雰囲気が乱れておりました。それで、成果は良くなかったと言ったのです。音楽家も演説家と同じです。演説家の口から言葉が出るに先だって、聴衆との霊的調和ができていないといけません。

それを演説家は直感的に感じ取るのですが、往々にしてそのつながりが出来ていなくて、インスピレーションが演説家と聴衆との間の磁気的連絡網を伝わらないために音楽が死んでしまい、まるで訴える力をもっていないことに気づいていません。

最高の成果が得られるのは、音楽家なり演説家なりが背後霊団に囲まれて、本人の思念または本人に送られてくる思念がその影響で純化され、調和し、霊性を賦与された時です。

言葉でも、冷たくぞんざいに発せられたものと、心を込めて発せられたものとでは大いに違うように、音楽もまったく同じことが言えます。音はあっても魂がこもっていない。

聞いていると、わけはわからないが、何となく心に訴えるものがないことに気づきます。冷ややかで、平凡で、薄っぺらで、ただの音でしかない。物足らなさを感じさせます。

一方、魂のこもったメロディーは、地上よりはるかに美しい純粋な霊界の思念を物語っていて、豊かな充実感を覚えさせる。霊の叫びが直接、霊へと響くのです。魂がみなぎり、いかに反応の鈍い人間にも訴える無形の言葉を有しています。

その言葉が魂に伝わり、魂はそれによって身体的感覚を鎮められ、乱れた心に調和をもたらします。生命のない音が音楽の魂を吹き込まれて鼓動を始める。聞く者は心の充実を覚える。それはまさに地上の肉体と天国へ舞い上がる霊との差です。

物質的・地上的なものと、天上的・霊的なものとの差です。大聴衆を前にした音楽会において、真の音楽の聞かれる条件が滅多に整わないのは、そのためです。聞き取りにくい霊の声を明確に述べさせたいのであれば、もっと調和のある雰囲気を作り出すことです。

[この通信にはふたりの世界的作曲家(1)と、他に数名の私の知人の署名が(生前そのままに)記してあった。]

[注釈]

(1)Mary Evans Picture Library に依頼して写真撮影してもらったモーゼスの自動書記ノート数ページの中に、たまたまこの2月1日の問答の部分が入っていたので、訳文を添えて紹介しておく。

≪訳文≫
「昨夜チャーリーに付き添っていたのはどなたですか」
指導霊です。が、霊的にいちばん強く働きかけたのはベンジャミン・クックです。チャーリーに格別の関心をもっているのです。そのほかにもいました。
「誰ですか」
ご披露しましょう。
(フェリックス)
「どなたですか。フェリックスという名は初めてですが。」(メンデルスゾーン)

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<訳文>
「えっ!これはその方の自筆ですか」
いかにも – われわれが手を貸しましたが。今もここに来ております。それに、もうひとり –
(ベートーベン)
「ベートーベン!昨夜もいらしたのですか」
いました。そろって出席しておりました。そして今もここに来ております。スピーア少年の音楽教育を手伝い、愉しみと喜びを感じておられます。

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≪訳文≫
「うれしいですね。メンデルスゾーンはご自分の曲をお聞きになったわけですね」
そういうことです。自分でも気に入っている曲が大勢の人の前で演奏される場に立ち合ったわけです。ですが、良い演奏にとっては状態が思わしくありませんでした。本当の音楽を鑑賞するための条件について、貴殿はまだまだ勉強が必要です。霊界の音楽を聞くまでは、響きというものの真髄はわかりません。

■アナログ絵379、ストーリー前半UP。「反逆」を題材にしたストーリーです(祈)†■2024年9月12日UP■
■アナログ絵379、ストーリー前半UP。「反逆」を題材にしたストーリーです(祈)†
クレス、ブリッジ内 守護霊様「ハァ…」僕「守護霊様が悩んでいる…守護霊様のこんな姿を見るなんて信じられない…上(上層界)から何か言われたのかな?」守護霊様「アキト、あなたの事よ」僕「ぐっ!…それって、もしかして…」やな予感… 守護霊様「そう、あなたの“反逆”の件で私も注意を受けているのよ」僕「イヤ、それは“100の光の霊団”に対する反逆であって守護霊様には何の責任もないと思うんですけど…」僕「守護霊様の管轄下で生活していた霊性発現前は何の問題もなかったじゃないですか。霊性発現後に100の光の霊団の管轄に切り替わって全てが狂ったんですよ。何でそれで守護霊様が注意されなきゃならないんですか?」守護霊様「私より叡智に富んだ方々の導きにあなたが従えずにいるという事は、私の教育が宜しくないという事になるのよ…」僕「守護霊様の指導方針は完璧です、それはちょっと納得いかないんですけど…」守護霊様「フゥ、とにかく今、フラーデッキにお客様がいらしてますから、これからその方に会いに行ってちょうだい」僕「り…了解…(お、怒られに行くのか…)」トリプルプルプル「……苦笑」あなたも大変ね 同情するわ…続きを読む→
「いま目の前にある観念と混同してはいけません」霊的視点で物事を見ろという事です(祈)†■2024年5月1日UP■
「いま目の前にある観念と混同してはいけません」霊的視点で物事を見ろという事です(祈)†
そしてイエス様ですが、実の母を含めた家族全員からつまはじきにされ、ついにエルサレムにひとりで出稼ぎに出される寸前まで行きますが、そこでヘリが3年後にやってくるという約束を前倒しして2年でイエス様のもとにやってきて間一髪のところで助けてくれます。少年イエス様は家族から完全に離れてヘリとともに砂漠の流浪民族のもとに赴き、そこで成人します。このヘリとの生活の中で心霊治療能力等の霊能が完全の域を極めていきます。幼少期から成人するまでひたすら苦難、嫉妬、迫害の連続という事です。僕は霊能とは全く関係ない漫画家の人生を何の迷いもなく選び、そこから挫折と苦悩が始まりますが、僕が漫画界で味わった苦しみなどはイエス様が幼少期から受け続けた苦悩の1万分の1にも満たないでしょう。そして成人してからのイエス様は行く先々で病人を治しまくって「メシヤだ」と噂されて大騒ぎになりますが、慕ってくる人も多かったですが敵も多く、最後は皆さまご存じの通り嫉妬に駆られたバカども(律法学者、ローマの権力者等)によって磔刑(はりつけ)にされて殺されます…続きを読む→
「他人のために」僕という霊媒から新規の霊言が降れば人々のお役にも立てると思いますが(祈)†■2024年2月14日UP■
「他人のために」僕という霊媒から新規の霊言が降れば人々のお役にも立てると思いますが(祈)†
これまで物質界で犠牲の使命遂行をおこなってきた無数の霊覚者たちも、全体から見た時に無限分の1といえる極小の活動をしていたと言えます。ひとりの人間が永遠の中の一瞬である物質界生活中にできる仕事量など、宇宙の永遠の営みの中のホンの些細な出来事でしかありませんが、それをひとりひとりがおこなって積み重ねていく以外に地球圏全体を霊的に向上させる方法はないのかも知れません。恐ろしく気の遠くなる話ですが。で、霊団が僕にやらせようとしているのが「霊媒として機能して新規の霊言を物質界にもたらす事」のようなのですが(「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を滅亡させる事、奴隷の女の子を救出する事じゃネィのかよ、だったら霊性発現以降のこの11年は一体何だったんだよ、と言いたくて仕方ありませんが)確かに霊言を降らせてそれを拡散させる事ができれば、多くの方々のお役に立つ事ができるのでしょう。僕もぜひその状況になって欲しいと思っています。拡散の準備ならすっかり整っています。書籍復刊のための作業を経てAffinityPublisherへの苦手意識もだいぶ克服されており、書籍をガンガン作るスキルがかなり身に付いてきていますので、霊言さえ降れば、それを余す事なく書籍化して皆さまにお読み頂ける状態にする事ができます…続きを読む→

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Posted by たきざわ彰人(霊覚者)祈†