書籍スキャン再開中、作業なら死んでも終わらないほどある、止まっているヒマはない(祈)†

まず未スキャン書籍が手元に3冊あります。「Spiritual Unfoldment One」スキャン& OCR変換80%完成中。「Jesus Teacher And Healer」スキャン& OCR変換5%完成中。「Walking With The Angels」スキャン& OCR変換10%完成中。そして最難関書籍「Paul In Athens」英文見直し35%完成中。恐ろしほど時間がかかる。

そしてストーリーを描き終えましたのでそろそろフラー26の本体デザインに着手したいと考えていますが、現在やるべき物的雑務があり、脱出に向けた作業も複数ありましてなかなかクロッキーに向かってデザインを進めるところまでいきません。しかし僕はやる、絶対あきらめない。あきらめないポイントが違うだろ、と霊団に突っ込まれるのでしょうが。

“ある脱出アイデア”を実行に移すために猛烈に節約をおこなってきましたが、それでアイデアを実行できるとはまだ決まっていません、もっと言うとそのアイデアを実行してみたところで脱出が実現するとは決まっていません。しかしそのアイデアが上手く行くと作業時間を捻出できるというスバラシイ副産物が生まれます。僕はそこに賭けたいのです。

で、昨日の長文ブログで書いた「考えたらダメです厳禁(小知を働かせてはならぬ)」が引っかかってくるのです。使命遂行を滞りなく進めたいなら我々の導きに身を委ねなさい、物的脳髄をこねくり回すんじゃない、霊団にそう言われているのですが僕は物的脳髄でアレコレやろうとしているのです。ですのでこの道の先に宜しくないモノが待ち受けている可能性が大変高いのです(霊団の手によって宜しくなくさせられるという意味)

何もせずただボケっと最悪のところに閉じ込められる事を選択する人生なんて絶対に有り得ない、それは考える能力のないア〇ォのやる事だ、僕は考える、僕は動く、ただ待つなんてできる訳ネィだろ。霊団のこの12年の動きを見れば、ただ待つ、待つ、待つ、アレアレ、気付いてみれば30年経過していたよ、もう帰幽目前のジイサンだよ、絶対にそういうストーリーになるはずです。

まずは物的雑務を片付けないといけません、オーイヤだイヤだ。そして僕は「出版社設立」をあきらめていません。作業時間を増やす事ができたら設立の道を模索するつもりでいるのです。脱出は必ずしてみせる。霊団の考えている事が全く意味不明。しかし霊的知識的に考えると僕が間違っている。イヤ納得いかない(祈)†
「考えたらダメです厳禁」これは「小知を働かせてはならぬ」と同じ意味と思われます(祈)†■2024年10月2日UP■
「考えたらダメです厳禁」これは「小知を働かせてはならぬ」と同じ意味と思われます(祈)†
僕は何しろ霊団に本気の全力で反逆していますので、時々霊団をあからさまに軽蔑、侮蔑するような思念を心に燃やしたりします。それが宜しくない事は霊的知識的にも、これまでの経験上からも十分承知しているのですが、とにかく閉じ込められるのが頭にきて頭にきてどうしようもなくてそういう宜しくない事を考えたりするのです。(その僕の思念はもちろん霊団に伝わっているという事ですよ)で、霊団が「もっと我々を軽蔑しなさい」といった趣旨の事を言ってきていますが、これはもちろんその言葉の通りの意味ではなく逆説的な意味で言っているのでしょう。えっと、例えばですが、僕が帰幽後に向上したい一心で霊団におべっかを使うとしましょう。しかし霊界に“ウソ”というモノは存在しません。霊団には僕が本心ではないおべっかを言っている事が一目瞭然であり、僕はそれを知識として知っていますので、無意味なウソをつく事はせず、宜しくないと分かっていながらも霊団に対し罵詈雑言の思念をぶつける事があるのです。ウソの思念を並べ立てるよりその方がよほど正直だと思うからです…続きを読む→
「デビルストッピング」強姦殺人魔(悪魔)が停止中という意味か?分からないなぁ(祈)†■2024年4月10日UP■
「デビルストッピング」強姦殺人魔(悪魔)が停止中という意味か?分からないなぁ(祈)†
物質界生活中に邪悪な人間の手によって苦しめられ、大いに試練を味わわされた僕たち善良な国民は帰幽後、明るい境涯に赴き、大いに自由を堪能する事になります。そして物質界生活中に奴隷の女の子を強姦殺人し続けた明仁、文仁、徳仁、悠仁は、魂も凍る暗黒の底の底に落ちて千年万年にわたる正真正銘の地獄を味わわされる事になります。そういう意味では「神の公正」がこの宇宙に厳然と働いており、それに身を委ねている限り何も恐れる事も心配する事もないという理屈になるのですが、結局物質界が最悪の場所である事は変えようとしないという事ですか、その部分だけがどうにも納得いかない。確かに霊的知識によれば真の安寧(あんねい)は霊界にこそあり、物質界生活中に幸福を求める事自体が本末転倒であり、物質界でどれだけ頑張るかによって帰幽後の霊界での幸福度が決定するという意味では、霊界での幸せを求めて物質界人生を耐え抜く事が重要と言えるのですが…続きを読む→

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Posted by たきざわ彰人(霊覚者)祈†