【12/6】コナン・ドイルの心霊学 序 – 知られざる、ドイルのスピリチュアリズム研究 近藤千雄

シャーロック・ホームズ”の人気のさなかで

サー・アーサー・コナン・ドイルといえば誰しも思い出すのが、名探偵シャーロック・ホームズである。そのシリーズは1887年の『緋色(ひいろ)の研究』を皮切りに長短60編にも及んでおり、世界100か国語に翻訳されているという。これを読み解き、新発見をして楽しむ愛好家を“シャーロッキアン”と呼ぶ。

「シャーロック・ホームズ協会」というのがロンドンにあり、1987年にはそこの主催で“シャーロック・ホームズ生誕100周年”の記念行事が大々的に催された。ホームズの“誕生日”とされる1月6日には国会議事堂で記念晩餐会が開かれ、4月から5月にかけて主役のホームズや友人で医者のワトソンなどの“仮装行列”が行なわれ、BBC放送も特別記念番組を組んだほどだった。

日本にも「日本シャーロック・ホームズクラブ」というのがある。最初の日本語訳は1894年(明治27)で、今でも小・中学校の図書館の貸し出しベストテンに必ず入っているという。

その原作者であるコナン・ドイルが医学部(エジンバラ大学)出身の医師で、眼科を専門にしていたことを知る人は意外に少ない。実を言えばシャーロック・ホームズ・シリーズは医者としての仕事の暇つぶしに書いた『緋色の研究』が思わぬ好評を博したので、やむを得ず次から次へと書く羽目になってしまったというのが真相らしく、シャーロッキアンには悪いが、ドイル自身はあまり乗り気ではなかったという。

それは本書をお読みいただけば納得がいかれるであろう。1882年に医科を出たころは、米・国で勃発したスピリチュアリズムの波が英国でも第一級の知識人を巻き込んで、一種の社会問題にまで発展し、その事実は当然ドイルの耳にも入っていた。そして、ちょうど『緋色の研究』を執筆中と思われるころに、ニューヨーク州の最高裁判事 J.W.エドマンズの霊的体験記を読んでいる。

しかし、その時はまだまだ懐疑的で、それを読みながら、人間界のドロドロとしたいがみ合いを毎日のように裁いている人はこんなものに興味をもってしまうものかと、むしろ哀れにさえ思ったという。

驚異の現象を目のあたりにして

しかし、次から次へと出版されるスピリチュアリズム関係の書物の著者が、いずれも当時の第一級の知識人で世界的に名声を博している人たちであることを知るに及んで、もしかしたら頭がおかしいのは自分の方かも知れないと思いはじめ、そこからスピリチュアリズムへの取り組み方が変っていった。

そして間もなく、グリニッジ海軍学校の数学の教授でドイルが主治医をしていたドレイスン将軍の自宅での実験会に出席し、驚異的なアポーツ現象(閉め切った部屋へ外部から物品を引き寄せる)を目(ま)のあたりにして、深く考えさせられた。

それがきっかけとなって、知人の中でスピリチュアリズムに関心をもつ2人と自分の3人で、自宅で交霊会を催すようになった。霊的原理を知らないままの、言わば手探りの状態で続けられたその交霊会で、ドイルは頭からバカにできない何かがあるという感触を得ながらも、どちらかというと失望・不審・不快の繰り返しを体験し、相変らず懐疑的態度を崩しきれなかった。

本文でも述べていることだが、ドイルがのちに、異常現象をすぐに摩訶不思議に捉えてはいけない – あくまでも常識的な解釈を優先させ、それで解釈が不可能な時にのみ霊的に考えるべきである、という態度を強く打ち出すようになった背景には、そうした初期の苦い体験がある。

こうしてスピリチュアリズムに関心を寄せていく一方では、シャーロック・ホームズ・シリーズは売れに売れて、アーサー・コナン・ドイルの名は英国はもとより、世界中に広まっていった。

ドイルがその後もスピリチュアリズムへの関心を持ち続けて、最後には“スピリチュアリズムのパウロ”とまで言われるほど、この新しい霊的思想の普及のために太平洋と大西洋をまたにかけて講演旅行をするようになった最大の原因は、そうした推理作家としての人気を背景にして、著名霊媒やその研究者たちと直接(じか)に接することができたからだった。

そして、その研究成果を旺盛に吸収していくと同時に、世界スピリチュアリスト連盟の総会の議長をつとめるなど、目覚ましい活躍をしている。

2つの時代的背景

本書に収められた2編(『新しき啓示』『重大なるメッセージ』)は、40年近いスピリチュアリズムとの関わり合いによって得た“死後の世界の実在”への揺るぎない確信をもとに、それが有する時代的意義と人類全体にとっての宗教的意義とを世に問うたものである。

その2つの意義については本文をお読みいただくことにして、それを正しく理解する上で念頭に置かねばならない時代的背景を2つ指摘しておきたい。

1つは、第1次世界大戦に象徴される、当時のヨーロッパにおける帝国主義的植民地支配の趨勢である。その中心的勢力となっていたのが、ほかならぬドイルの母国イギリスで、手段を選ばぬ策謀によって他国から利権を奪い巨利を搾取していく母国の資本主義者たちに、ドイルは激しい憤りを覚えていた。

良識的観点からも許せないことであるのみならず、当時すでに“確信”の域に達していた死後の存続の事実に照らしても、愚かしい人間的煩悩の極みを見る思いがしていた。

もう1つは、それと表裏一体の関係にあるという見方もできるが、その第1次大戦の戦場となったヨーロッパは、ローマ帝国によるキリスト教の国教化以来、実に2000年近くもキリスト教的道徳観によって支配されてきた世界だったという事実である。

つまりドイルは、あの血なまぐさい暗黒時代を生み出すまでに人心を牛耳ったはずのキリスト教が、なぜ戦争の歯止めにならなかったのかと問いかけるのである。そしてその最大の原因は、キリスト教の教義がバイブルにいう“しるしと不思議”を無視した、言わば“人工の”教義であり、天国を説いても地獄を説いても、その裏付けとなるものを持ち合わせていないことにある、と主張する。

心霊現象は“電話のベル”

その主張の根拠となっているのは、言うまでもなく現代の“しるしと不思議”ともいうべき実験室内での心霊現象である。その心霊現象をドイルは電話のベルに譬(たと)える。

つまりベルが鳴る仕掛けは単純きわまりないものだが、そのベルが重大な知らせの到来を告げてくれることがあることに譬えて、テーブルが浮いたり楽器がひとりで演奏したりする現象は確かにそれだけでは何の意味もないが、その他愛ない現象は目に見えない知的存在、いわゆるスピリットの実在を物語るものであり、その意味では(そしてその意味においてのみ)大切なものである、というのである。

しかし、その段階にとどまって好事家(こうずか)的趣味で終ってはならない、とも主張する。こんどは自動書記や霊言によって入手された霊界通信に目を向けて、遅かれ早かれわれわれも赴くことになっている、その見えざる世界について学ぶべきである、というのである。

夫人と共に海外講演旅行へ

さて、本書に収めた2編を執筆しているころから、ドイルはスピリチュアリズム思想の普及のための世界旅行を計画していた。そして手始めに1918年と翌年の2年間を英国内での講演に費している。

そして翌年の1920年からの2年間を、夫人同伴でオーストラリアとニュージーランドでの講演旅行に費している。さらに1922年には北米に渡って東海岸の主要都市を回り、その翌年には西海岸のカリフォルニアまで足を運んでいる。

そのあと、どういう事情があったのか、4年間ほど講演旅行に出た形跡はない。が、1928年、すなわち他界する2年前には、北ヨーロッパの主要都市を回っている。

こうした講演旅行を計画し手配したのは“ドイルの右腕”といわれたアーネスト・オーテンで、のちに英国スピリチュアリスト連盟を設立し、その初代会長をつとめている。そのオーテンの語ったところによると、その講演旅行の経費は20万ポンドにのぼったという。

円がケタ違いに強くなった現在のレートで換算してもおよそ5000万円になるが、当時のレートでいけば億の単位となるであろう。たぶん、シャーロック・ホームズ・シリーズで得た印税収入のすべてを注(つ)ぎ込んだのであろう。そして、わずか2年後の1930年に71歳で他界している。ドイルが“スピリチュアリズムのパウロ”と呼ばれるゆえんである。

心霊現象の科学的研究

ドイルが生きた時代、すなわち19世紀後半から20世紀初頭にかけての数10年間は、心霊現象が最も華やかで、それだけにニセモノも横行したが、科学界の1線級の学者を中心とする多くの知識人が真剣にその真偽を確かめようとした時代だった。

頭から毛嫌いして、調査も研究もせずに“そんなものがあるはずがない”と一方的に否定論をぶつ学者もいたが、非難を覚悟で思い切って手を染めた学者は、“1人の例外もなく”、その真実性を確信する声明を発表している。これは特筆大書すべきことで、それがやがて“霊魂説”へと発展していくのである。

ドイルは、そうした研究者たちの成果を持ち前の推理力を駆使して点検する一方、直接の面会や交流を通じてその真実性の確信を深めていった。その経過をたどりながらスピリチュアリズムの起原と思想を平たく解説したのが、本書に収められた2編である。

その後は自然界の精霊の存在を扱った『妖精物語』(1922)や、講演旅行をまとめた『2人のアメリカ冒険旅行』(1923)およびその続編(1923)、そして1926年には大著『スピリチュアリズムの歴史』を著している。これは、1、2を併せて700ページにのぼる厖大なもので、ドイルのスピリチュアリズム研究の集大成であると同時に、スピリチュアリズムの貴重な文献となっている。

物理的なものから精神的なものへ

私は今、ドイルが生きた時代は心霊現象の最も華やかな時代だったと述べたが、それは主として物理的現象のことで、それが少しずつ下火になっていくにつれて逆に精神的なもの、あるいは思想的なものが多く出はじめ、霊言現象や自動書記現象によって、人類史上かつて類をみない高等な人間観や宇宙観が啓示されるようになった。

そうした側面になると、ドイルの時代以降に輩出したものの方が組織的かつ学問的で、そこに明らかに進歩のあとが窺える。そういう波動(オクターブ)の高いものが受けられる霊媒が多く輩出したということである。本書ではそうしたドイル以降のものについては“訳註”で補足する形で、あまり深入りしない程度に解説しておいた。

深入りしないのは、たぶん本書の読者の大半の方、もっと言えば日本人の大半の人にとって、思想的にややこしい問題はどうでもよいこうして現実に生きているわれわれ人間とは何なのか、何のために生きているのか、死んだらどうなるのかといったことの方が切実な問題であろうと察せられるからである。

もとより、ドイルが本書で目標としているのもそこにあるのであるが、正直言って本書で披露されているものだけでは、やや隔靴掻痒の感を拭い切れない点が見うけられる。そこで私はその不足分をドイルのその後の著書からの引用で補ったり、“訳註”の形で解説させてもらった。が、それも所詮は西洋的なものばかりで、読者によってはそのバタ臭さに抵抗を感じられる向きも無きにしもあらずであろう。

そこで私は、日本で発掘された資料の中でも“第1級”の折紙がつけられているものを巻末で紹介して、参考に供したいと思っている。しかしそれも、ドイルが解説してくれているスピリチュアリズムという普遍的な霊的原理の理解があってはじめて納得のいくものであることを承知されたい。

“スピリチュアリズム”の語原

このたびの翻訳に使用したのは、サイキックプレス社発行の『新しき啓示』と『重大なるメッセージ』の合本で、1981年に復刻されたものである。前者の初版は1918年、後者はその翌年であるから、ほぼ60年後の再出版ということになる。

読者の中には“なぜ今になってそんなに古いものを”と思われる方がおられるであろう。もしかしたら“スピリチュアリズムはもう古い”という考えを抱いている方がいらっしゃるかも知れない。が、それは大変な見当違いの認識であると申し上げたい。

なぜそう言えるのかを解説することがスピリチュアリズムの本質を解説することにもなるので、最後にひと通り述べさせていただきたい。それには“スピリチュアリズム”という用語の由来を述べるのがいちばん手っ取り早いように思う。

人間の自我の根源を西洋ではプシュケーとかサイケ、あるいはスピリットと呼んできた。日本語の“霊”に相当すると考えてよいであろう。それが物的身体と結合して出来あがるのが自我意識である。

譬え話で説明すれば、地上生活は潜水服という肉体をまとって海中(大気)にもぐっているようなもので、1日1回、酸素の補給のために海面上にあがってくるのが睡眠である。が、そのうち潜水服を脱ぎ捨てて陸(おか)へあがってしまう。

それが“死”である。それで“本来の自分”に戻るのである。つまり人間はもともとがスピリット、つまり“霊”なのであって、肉体は殻であり道具にすぎない。

したがって、地上生活にあってもそのこと、つまり本来は霊的存在で当然死後も生き続ける、ということがスピリチュアリズムの基本的認識である。ところが、物質文明の発達はその霊性の自覚をマヒさせ、“物欲”によるさまざまな闘争を生んできた。

人類の歴史は闘争の歴史といってもよいほど、血なまぐさい殺戮と虐待の繰り返しである。それは現代に至るも、少しも変っていない。兵器が発達して殺し方の効率が上がったというだけのことであって、本質的には少しも変っていない。つい先ごろの湾岸戦争で、世界の人がそれをテレビで目のあたりにしたばかりである。

霊性の回復のための霊界からの働きかけ

スピリチュアリズムというのは、そのマヒした霊性の自覚を回復させることを目標とした霊界からの、地球規模の働きかけである。つまり人類をスピリチュアライズすることであり、そこからスピリチュアリズムという用語ができた。

したがってこれに“心霊主義”とか“神霊主義”とかの訳語を当てるのは間違いなのである。主義・主張の類いではなく自然発生的に生まれてきたものであるから、本来なら名称を付すのはおかしいのであるが、その存在を明示するために取りあえずそう呼んでいるまでのことである。

これでお分かりいただけたことと思うが、霊性の自覚は地上人類にとって平和共存のための必須の条件であり、過去においても必要だったし、現在においても必要であるし、また未来にわたっても要請され続ける性質のものである。

ニュートンが発見する以前から万有引力は働いていたし、今なお働いている。コペルニクスが『天体の回転について』を著す前から地球は太陽のまわりを回っていたのであり、今なお変らぬ速度で回っている。

それと同じく、人間の霊性は今も昔も同じであり、未来永劫にわたって人間は霊的存在であり続けるのである。そのことを科学的に裏付けされた実証的事実を基盤として説いたものを“近代スピリチュアリズム”と呼んでいるまでのことで、本質的には新しいものでも古いものでもない – 永遠不変の原理なのである。

その原理を教えてくれる書物なら、古いもの、新しいものを入れると厖大な数にのぼる。私の手もとにも、優に100冊を超える原書が揃っている。

その中からあえてこのドイルのものを訳出したのは、ドイルの知名度もさることながら、世界中のシャーロック・ホームズ・ファンを楽しませたコナン・ドイルが、ひそかに生き甲斐を求めて探求しつづけたのがスピリチュアリズムだったという事実を知っていただくと同時に、その探求のあとをドイルといっしょにたどっていただくことが、“人類にとって最も重大”とまでドイルが断言するスピリチュアリズムの概略を知っていただくきっかけになると考えたからである。

憂慮すべき日本の心霊界の現状

今、日本の現状に目をやってみると、あまりにいい加減な心霊書が出回り、しかもよく売れている。“いい加減”という意味は、科学的ないし理性的チェックがなされていないということである。あろうはずもない神々からの霊言やら“世紀末”という、何やら意味ありげな用語で不安を煽る、不健全きわまる予言書が氾濫している。

チャネリングとかいって、分かるはずもない、また分かっても何の意味もない前世のことを、さも分かったように口にする、商売根性まる見えの自称霊能者が横行している。

そうした実情にかんがみても、19世紀半ばに勃興して以来この方、世界的学者や知識人による徹底的な検証を受けた心霊現象の科学的研究から生まれたスピリチュアリズム思想は、霊的なものを判断する上で欠かすことのできない、大切な尺度であると考える。

と言って、科学者による研究書では煩雑で退屈で、かえって興味が殺(そ)がれてしまう。そうかといって、いきなり霊界通信をまるごと読んでも、これまた、疑念百出で、こんがらがってしまうであろう。

その点ドイルは学者でもなければ霊能者でもない – われわれ一般人と同じ真理探求者という立場で、その双方を適当にないまぜにしながら、概略的にまとめてくれている。本書との出会いが、1人でも多くの読者にとって、人生観のコペルニクス的転回のきっかけとなれば幸いである。


コナン・ドイル

献辞

この上なく重大な事実の真実性を証言するために、1848年のハイズビル事件以来70年にわたって嘲笑と世間的不遇を物ともしなかった、道義的勇気にあふれる人々に本書を捧げる。

1918年3月
A.C.ドイル

「背後霊の言う事を聞く」もちろんその通り、それは重々承知しているのですが(祈)†■2023年7月5日UP■
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物質界の評価に1ミリも興味はありませんので僕が物質界レベルで軽蔑嘲笑を受ける事になろうと知った事ではないのですが、ただ悲しいのは「僕が自分の人生を犠牲にしてこれほどの活動をしても、それでも皆さまの眼は開かれないのか」という事です。僕が殺されたあと、僕という人間を侮辱する、僕の人格を全く別物に書き換えるインチキ書籍が「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の手により複数出回ったとして、それをアッサリコロッと皆さまは信じてしまうというのでしょうか。物質界に興味がないと言っている僕でさえ悲しくなる眼の閉じっぷりです。僕の事は何とでも思って頂いて構わないとして、少なくとも「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の洗脳だけは撃ち破ってもらわないと皆さまが帰幽後に恥ずかしくて居たたまれなくなると思うのですがいかがでしょう。帰幽後の霊界人生が人間の本当の人生です。そちらに照準を合わせて日々の生活を送らないといけないんですよ…続きを読む→
「おかげでだいぶ助かりました」殉教の死を遂げた方々が僕を使用して仕事しているのです(祈)†■2023年12月27日UP■
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霊的知識を獲得した人は、宜しくないおこないをして帰幽した先にどれだけの地獄が待ち受けているかを知っているので自動的に悪行にブレーキがかかるのです。シルバーバーチ霊も仰っていますように、邪悪な人間というのは霊的成長における「幼児」であり、霊的知識が全く頭に入っていないワガママのお子ちゃまであり、物的金銭を人より多く所有する事でしか自己表現ができない原初的人間という事になるのです。金銭など帰幽後、1円も霊界に持って行けません。そして霊界生活にお金など必要ありません。必要なものは全て思念で拵える事ができます。物質界生活中にお金をため込んでも自分の未来にとって全く無意味という事を悟れていない人間という事なのです。人間は本来が霊であり、その霊が修行のために一時的にトレーニングセンターである物質界に肉体という鈍重な衣服をまとって降下しているのであり、そのトレーニングセンターでのおこないが帰幽後の生活環境、霊界にて赴く境涯を高くしたり低くしたりするという霊的知識の基本中の基本さえ知らない人間が、その無知から邪悪なおこないをするのです…続きを読む→

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Posted by たきざわ彰人(霊覚者)祈†