霊団がかなり決定的なダメ出しを降らせてきていますが、それは脱出が完了してから聞くとして、まずは眼前の作業に集中しないといけません。何とかして表紙のクオリティを上げたい、どうするかを考えまくって今できる限りの事をやっています。

資料はだいぶ揃いましたのでこれらを駆使してまず線画を描いてみるつもりです。イヤ画家時代にもココまでやらなかったというところまで踏み込んだ描き方をしようとしています。もっとも大切なのは絵そのもののクオリティよりも見た目のアイデアとかインパクトとか、そこから感じられる裏の意味とか、そういうモノなんですけど。

霊関連書籍のテキスト化が止まっている事が僕的には痛くて、しかし複数作業を同時進行はできませんので、こうなった以上は自伝原稿を一刻も早く撃ち切るしかありません。本当に何て苦しい作業を始めてしまったんだろう。しかし遅かれ早かれやらなければならなかった作業です。とにかく急ぎます。

まずは全テキストを撃ち切る事に集中し、そこから猛烈に全文見直しをおこなって徹底的に読みやすくし、前後の整合性が取れていないところに追加テキストを入れたりして完成度を高めます。本当は「校正ソフト」みたいなものを使用したいんですけど、高くて導入できないんですよ。

霊団のダメ出しの内容については「そんなモノ書きたくネィ」というのが本音ですけど、もしかしたら次回長文ブログのタイミングで書かされるハメになるかも知れません、おーイヤだイヤだ。撃っても撃っても描いても描いても終わりが見えてこない。しかし本は作るぞ(祈)†

「考えたらダメです厳禁」これは「小知を働かせてはならぬ」と同じ意味と思われます(祈)†■2024年10月2日UP■
「考えたらダメです厳禁」これは「小知を働かせてはならぬ」と同じ意味と思われます(祈)†
僕は何しろ霊団に本気の全力で反逆していますので、時々霊団をあからさまに軽蔑、侮蔑するような思念を心に燃やしたりします。それが宜しくない事は霊的知識的にも、これまでの経験上からも十分承知しているのですが、とにかく閉じ込められるのが頭にきて頭にきてどうしようもなくてそういう宜しくない事を考えたりするのです。(その僕の思念はもちろん霊団に伝わっているという事ですよ)で、霊団が「もっと我々を軽蔑しなさい」といった趣旨の事を言ってきていますが、これはもちろんその言葉の通りの意味ではなく逆説的な意味で言っているのでしょう。えっと、例えばですが、僕が帰幽後に向上したい一心で霊団におべっかを使うとしましょう。しかし霊界に“ウソ”というモノは存在しません。霊団には僕が本心ではないおべっかを言っている事が一目瞭然であり、僕はそれを知識として知っていますので、無意味なウソをつく事はせず、宜しくないと分かっていながらも霊団に対し罵詈雑言の思念をぶつける事があるのです。ウソの思念を並べ立てるよりその方がよほど正直だと思うからです…続きを読む→
「味わいなさい」今の場所よりもっとヒドイ目を味わいなさいという意味、だからなぜ(祈)†■2024年11月6日UP■
「味わいなさい」今の場所よりもっとヒドイ目を味わいなさいという意味、だからなぜ(祈)†
僕は霊的知識が頭に入っていますからエリヤ氏、モーセ氏の偉大さも知っていますし、このふたりに使われるという事がどれほどの霊的栄光であるかも理解しています。しかしあの最悪の場所にいる方々がそれを理解出来る訳がないじゃないですか、そもそも霊的知識が頭に入っていないのですから。つまりサークルメンバーにはなり得ないという事です。なのに全力で僕を閉じ込めようとしてくる、そこが矛盾しているので僕は「これはイジメだ」と公言するまでになっているのです。エリヤ氏、モーセ氏という大偉人が僕という霊の道具を介して霊言を降らせようとしている、それが実現したらもちろん素晴らしい事であり僕もそうなったら嬉しいのですが「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の事はやはりホッポラカシか。物質界の邪悪には一切手を触れず、強姦殺人され続けている奴隷の女の子はひとりたりとも助けようとせず、僕という霊媒を介して人類を救う霊言を語る。幼い女の子ひとり救おうともしない人間が人類を救うと豪語する、皆さま、何かがおかしいと思いませんか。僕がこの霊団の話を信じない根本にはこういう想いがあるのです…続きを読む→

僕は宗教臭の漂うモノが大キライのデザインの人間ですので、その手の書籍に手を出す気に全くなれないのですが、しかしインペレーター霊が「マヌ」について言及している部分があって以前から気になってはいたのです。

で、Amazonでありとあらゆる書籍を見て回っている時に「マヌ法典」という書籍を発見しました。インペレーター霊が仰っていたのはコレかぁ、と思ってサンプルを少し読んでみるのですが、猛烈に読みにくい、とても読み続けられない。

イヤ、いつか入手してしっかり読む事になるのではないかと思うのですが「読みやすい」という事がいかに素晴らしい事かと改めて思うのです。どんなに重要な事が書いてあったとしても、読みにくくてその先を読んでもらえなかったら何の意味もないという事になってしまいます。

シルバーバーチ霊の語り口、そして近藤千雄先生の翻訳がいかに素晴らしいかという事を改めて感じます。そのレベルには到達できないとしても目指す事はできるはずです。現在執筆中の自伝も今の自分に考え得る限り分かりやすく読みやすくしたいと考えています。それが表現できるスキルが僕になければそれまでなのですが。

で、僕はデザインの人間ですのでどうしても表紙の事を考えてしまいます。クオリティを上げるためにいま自分に何ができるか、それを考えてさらに新たなアクション実行中です。現時点の僕のスキルでできる事は全部やる。何としてもインパクトを上げる。

現在猛烈節約実行中ですので書籍入手はチョト待ちましょう。んーこの「マヌ法典」読み切る自信ないなぁ。やめとこうかなぁ。とか考えながらも手だけは止めるな。先ほど雨の中ロードランしてきました。間もなく自伝に挿入する絵、11枚目完成中(祈)†
「コッチの方が幸せだった」そう言われてもなお僕は閉じ込められるのを拒絶します(祈)†■2024年11月20日UP■
「コッチの方が幸せだった」そう言われてもなお僕は閉じ込められるのを拒絶します(祈)†
物質界で赤ちゃんが生まれた時、家族の方々は大喜びしますが、その赤ちゃん(として物質界に降下した人間)の縁故の方々は霊界で泣いて別れを惜しんでいるのです。「あぁ、あの人も陰鬱極まる物質界に降下してしまった」と嘆いているのです。そしてその赤ちゃんが成長し、物質界人生を全うして死ぬ時、家族、友人の方々は泣いて別れを惜しみますが、霊界の縁故の方々は大喜びでその人間を霊界に迎え入れます。「やっと最低界(物質界)の試練を終えましたね、さぁ我々とともに美しい世界(霊界)で共に生活を送りましょう」と、その死者を大歓迎します。(もっともこれは人によってだいぶ差があるようですが)物質界の誕生日を祝うというのは「私は霊的知識を理解していない」と公言しているようなものであり、このような習慣は即刻やめるべきなのですが、残念ながら物質界は無知がはびこっていますのでいまだに霊的な事が全く理解されず、誕生日に「ハッピバースデートゥーユー♪」と歌ってはしゃいでいるのが現状です。物質界に残される事は断じてハッピーなどではなく、帰幽して霊界生活に帰る事が真のハッピーであり、その霊的知識を多くの方が理解し、物質界の誕生日を祝うという間違った習慣を改め、むしろ物質界を去る事になった人間(つまり死んだ人間)を祝うという習慣が根付く日が1日も早く来る事を僕は願わずにいられないのです…続きを読む→
「ペナルティ」霊団が僕に課すペナルティの意味が大体分かりましたがスゴイ理不尽感(祈)†■2024年7月31日UP■
「ペナルティ」霊団が僕に課すペナルティの意味が大体分かりましたがスゴイ理不尽感(祈)†
僕は「ホワイトイーグル霊の英語書籍の翻訳」をやろうかと考えているのです。ホワイトイーグル霊の書籍はたった数冊しか日本語に翻訳されていませんが、英語の原書がスゴクいっぱいある事を知ったからです。それら原書のほとんどが日本語に翻訳されていませんので、残りの物質界人生をその翻訳に集中しようかなと考え始めているのです。できもしない僕という霊媒の発動を目指すよりよほど現実的な霊的知識普及方法だと思うのです。僕は英語の能力がありませんので「Google翻訳」で日本語に翻訳するつもりですが、僕のこの作業がきっかけで英語のプロの方が僕の帰幽後にホワイトイーグル霊の書籍の日本語版を復刊してくれるかも知れないじゃないですか。この方が霊媒ナンチャラカンチャラと騒ぐよりよほど堅実な使命遂行だと思うのです。もう霊団が僕という霊媒を使うだの使わないだの、そんなモノに関わり合いになるのはウンザリなんですよ。このテキストを撃っている最中も霊団が「ヤメレ」言ってきました。僕の反逆(脱出)の意思が固い事を受けてそう言ってきているのですよ…続きを読む→

著者の観るかぎりでは、哲学は“見えざる世界”の存在を哲学的思索の対象としているとは言い難い。というのは、なるほど深遠な抽象的命題を扱ってはいるが、死後の世界の観念はその範疇には属さないからである。

ある若い哲学者が“哲学とは組織的ナンセンスだ”と断定した話があるが、あるいはそうかも知れない。哲学には哲学の世界にしか通用しない難解な用語が多く、一般の者には容易に理解できない。正直言って、哲学者自身も本当に解っているのだろうかと疑いたくなる。

が哲学することは必要である。われわれは大いに思索しなくてはならない。ただ、初期のスピリチュアリストたちは霊視的観察から得た実際の事実を思索の材料とした。

が、その観察事実そのものが科学者や哲学者、神学者に受け入れられなかった。しかし霊視能力の存在は今や疑う余地のない事実であり、われわれは初期の霊視家たちの行なった見えざる世界の観察に絶対的信頼を置く。

そういう立場から見た時、地上という物質の世界にのみ視点を置いた思索はあまりに近視眼的であり、かえって物質界の理解まで限定してしまうことがわかる。われわれは見えざる世界との関連において物質界を眺め、そうすることによって結局は可視不可視の区別なく“生命はひとつ”であることを知るのである。

一方、信仰心に頼っている宗教は、たとえばキリスト教を例にとってみると、宇宙は神の命令によって6日間で出来あがったという聖書の教えをそのまま鵜呑みにして何ら疑問を生じない。

つまり神が“宇宙よ生(あ)れ”と言ったら現在の如き森羅万象が生まれたのだと信じているのであるが、現代の進化論によれば宇宙間の万物は今なお進化の過程にあり、何ひとつとして完成されたものは存在しない。

また現在の段階に至るまでには何億、何十億という長い歳月を要しているのであって、聖書の言うように、神の命令によってわずか6日間で出来上がったなどというのは飛んでもない話である。みな最初は単細胞から発して多細胞動物へと進化し、しかも今なおその途上にあるのである。

しかし実は、この進化論を説く科学者も大きな誤りを犯している。それは、人間を万物の霊長と考えていることである。つまり五感を具えた人類を宇宙で最も進化した存在としているのであるが、これは、さきに指摘した通り、五感に頼って視野を物質界に限ることから生じる他愛ない謬見である。

A・J・デービス(注5)やハドソン・タトル(注6)などは、人間はもとより天体そのものも今なお進化の途上にあり、進化しつつ常に自己のエーテル体及び霊界を構成しつつあるのだと説いている。言いかえれば、人間も天体もいつかは現在の物質的段階から霊的段階へと進化していく宿命を背負っているというのである。

ではその説をA・J・デービスの「偉大なる調和」から抜萃してみよう。

「小さな思い出」この苦しみも帰幽後に笑って懐かしむようになるという意味です(祈)†■2024年1月10日UP■
「小さな思い出」この苦しみも帰幽後に笑って懐かしむようになるという意味です(祈)†
僕は物的情報は専門外ですので詳細説明は控えますが、あの大震災もこの大震災もコイツらがやった事であり、罪もない大勢の国民を無差別殺害しているのです。(地球深部探査船ちきゅう号という船を使って人工地震を引き起こしているのです、詳細はぜひググって頂きたいです。第2次世界大戦時の関東大震災も、アメリカの手による人工地震です)「行動には動機がある」明仁、文仁、徳仁、悠仁が人工地震を引き起こして無関係の国民を大量殺害している理由は、使命遂行開始ごく初期の頃に霊団が降らせてきたインスピレーション「人生イコールS〇X」これに帰着します。全ては「処刑遊び」と称して奴隷の女の子を強姦殺人する遊びを続けるためにおこなっている事なのです。イヤ他にもっと理由がある事と思いますが、物事というのは突き詰めていくとシンプルに行き着くというのが僕の持論です。コイツらの行動の動機の根源を辿るとS〇Xに行き着く、自分の日々のS〇Xを守るために国民を殺しまくっているという事になるのです。…続きを読む→
「私を裁くがいい」まさかイエス様の思念では?イヤそれはいくらなんでも違うだろう(祈)†■2022年9月7日UP■
「私を裁くがいい」まさかイエス様の思念では?イヤそれはいくらなんでも違うだろう(祈)†
僕はイエス様を裁きません。僕が地球圏霊界を離れます。僕は果てしなく霊的知識をお勉強していますが、地球圏以外の惑星についての記述がほとんどないため、地球圏霊界を離れると言っても具体的にどういう風にすればいいのかがまだ分かっていません。もっともその資格アリと判断されなければそのようにさせてもらえないのでしょうが。しかし、僕の物質界での苦悩が事実イエス様が原因だったとしても、僕は霊的知識が十分に頭に入っており、その苦悩が帰幽後の自分の未来を明るくする事につながると理解していますから、現在は物質界に残されて延々とヒドイ目に遭わされていますのでどうしても許せない気持ちが沸き上がってきますが、帰幽して苦悩から解放されれば霊団に対する怒り憎しみの気持ちもだいぶ和らぐでしょう。イエス様に怒りの矛先を向けるのも筋違いであり逆に感謝しなければならないと思い知らされる事でしょう…続きを読む→
「飴(あめ)ちゃん投げつける」僕の反逆に対して霊団が猛烈に不快感を示しています(祈)†■2023年9月13日UP■
「飴(あめ)ちゃん投げつける」僕の反逆に対して霊団が猛烈に不快感を示しています(祈)†
認めたくありませんが、まぁ脱出は結局実現しないでしょう。最後の最後まで閉じ込められる事になるでしょう。しかしそう思ってあきらめながら暮らすのは僕的には絶対に有り得ないのです。僕はいつでも全力です。自分にできる事を全力でやるのです。とにかく当分は絵を描き続けます。死んだ魚の眼をしながら無目的でただ物質界に残り続けるなんて死んでもガマンできない。何かに燃えなければ生きられない。霊団が使命遂行やる気なしの態度をこれほどハッキリ撃ち出しているんだから僕は僕本来の燃えるモノを追いかける以外にないだろう。いつかは反逆から手を引かざるを得なくさせられるだろうと容易に予測できますが、その「下を向きながら生きる」姿勢が許せないんだよ。最後の1秒まで全力でやるべき事をやれよ。人の人生これだけブチ壊してるんだから責任を果たせよ…続きを読む→