【4/27】これが死後の世界だ (5)天界の療養所

「しばらくするうちに、また地上からの帰幽霊の一団が運ばれてきた。が今度のは不具の子供ばかりだ。精神薄弱児、白痴、聾唖者、盲目 – 可哀そうにこれらの子供たちは物事を合理的に思考することを知らない。
健全な五体をもったためしがない。愛のよろこびを覚えたことがない。慰めの言葉さえ聞いたことがない。光と自然の美しさを見たことがない。心に思うことを言葉で表現したことがない。要するに半分しか生を体験していないのだ。
見よ、そうした薄幸の子供たちが次々とこの常夏の国へ運ばれてくる。ここはまさに天界の療養所なのだ。美わしき慈悲心、惜しみなき博愛、同情、心を癒やす優しさ – こうした美徳がこの常夏の国に一点の曇りもなく光り輝いているのだ。
「この国はあらゆる天体からの光 – 星の光からも太陽の光からも独立した自己発光の地域だ。どの湖も、どの小川も銀色の光輝を発し、どの山を見ても、どの景色を見ても、常に心地よい新緑に映えて衰えることがない。それ自らが光輝を発しているのだ。
天上を見上げると無数の太陽と惑星とが幾つもの集団を成して光り輝き、その星団がまた幾つか集まって更に大きな星団を構成している。その広大さ、その無辺さは人智の想像の域を超え、それを表現する言葉に窮するのである。」
読者の中にはこれを読んでいささか物的すぎる、あるいは地上的すぎるという印象を抱く方がおられるであろう。が、さきに述べたように、地上も死後の世界も“物”と“心”の二元的生活である点には変わりないのである。問題はその“物”に対する“心”の態度である。右のデービスの言葉にも“物的生活にかぶれた者”という言葉が見える。
大体“物”というのは使い方ひとつで害ともなれば益ともなる。たとえば原子力などは利用の仕方ひとつで地球全体を破滅に導くことも出来るし、無尽蔵のエネルギー源ともなる。
霊的能力も同じことである。人生の意義とか生命の本質などの解明にこれを利用しているのがわれわれスピリチュアリストであるが、魔法だとか魔術だとか占術といった、単なる興行や金儲けのために利用している者もいる。
要は理解力の差である。デービスの言う物的生活にかぶれた者というのは、要するに物的生活の意義を理解しないで五感の満足のみに耽った人という意味である。
物的生活そのものが悪いのではない。霊界の生活は立派に物的生活である。宇宙間に物的生活をしていない者はひとりもいない。あらゆる生命が物的生活を営んでいる。その物的生活のありようが問題なのである。単なる物的感覚に終始するか、それを超えて魂の修養を心がけるか、ということである。
再びデービスの観察に戻ろう。

「死刑台確定」これ以上最悪のインスピレーションがあるでしょうか、永遠に許さぬ(祈)†
あなたは自分の心を偽っています。霊界には「ウソ」というものが存在しません。ありのままの自分の姿が衆目に晒され、その人の霊体、オーラを見ればその人がどういう人物なのかが一目瞭然で分かるのだそうです。物質界でウソをつき通して偽善者のフリをし続ける事ができたとしても、その物質界生活時のウソを帰幽後の霊界人生で恥辱という名のもとに存分に清算させられるのです。そしてたぶん物質界に再降下させられる事になるでしょう。物質界人生を正直に生きる事と、物質界での失敗の清算で何度もやり直しをさせられるのと、どっちが効率的進歩向上の道だと思いますか。正直に生きた者が最後は必ず勝利者となります。なぜならこの全宇宙が【神の絶対的公平、公正】によって経綸されているからです。ですので僕はたとえこの使命遂行の先に死刑台が待ち受けているとしても、僕が画家時代から大好きだったシルバーバーチ霊の言葉の通り「真一文字に突き進みます」そして帰幽します。皆さまはその時「正直者がバカを見る」とお思いになる事でしょうが、それは永遠の人生の中のホンの一瞬である物質界の事しか見つめる事ができない近視眼的視点から導き出される回答です…続きを読む→

「目に見えぬ者によって動かされている、その事実を知る事です」僕もそうありたいと思ってますよ(祈)†
この間部詮敦氏という霊能者が時代を抜きん出たずば抜けた人格者だったという事が分かるのです。近藤先生がこれから物質界生活中になされる仕事の重大さをいち早く見抜き、大学在学中に何と毎週近藤先生のもと(キャンパス内)に足を運んであれこれ教えておられたそうなのです。実の子でもないのにまるで自分の息子のように面倒を見ていたという事です。そして近藤先生が書籍の中で予測で書いていた事ですが、間部詮敦氏は若き日の近藤先生の守護霊および指導霊の存在が当然霊視で見えていたはずですが、それを結局一言も言わず帰幽したのだそうです。どういう事かと言いますと、近藤先生にはその仕事の重大性からとてつもない高級霊団が付いていた事が容易に想像できるのですが、それを若き日の近藤先生に伝えてしまったら近藤先生がのぼせ上ってしまう(霊団に言わないようにクギを刺されていたという事もあるかも知れませんが)ので間部詮敦氏は近藤先生の霊団の事を一言も言わなかった。これはとてつもない事だと思うのです。見えてるんだからフツー言うだろう。隠し通したって本当にスゴイ…続きを読む→

「復刊事実上消滅」「霊媒として機能する条件」について説明させて頂きます(祈)†
「シルバーバーチ愛の摂理」より抜粋 ある日の交霊会で菜食主義の是非について問われて こんなことを言うとまたわたしは不評を買うことになるでしょうが、真実は真実として申し上げねばなりますまい。理想的な霊媒のあり方としては、アルコールや肉類、タバコ、その他、人体の質を低下させるものは極力控える方が霊媒の進化にとって良いに決まっています。地上にあっては霊は肉体を通して自我を表現するしかありません。となれば、その肉体の質が高ければ高いほど霊媒の表現力も大きくなる道理です。したがってその肉体を汚すもの、間違った刺激を与えるものは、いかなるものであっても霊にとっては障害であり良いものではありません。肉体は霊の宿なのですから。これでもうわたしの答えはお判りでしょう。動物の肉、タバコやアルコールによる刺激があなたの心霊的(サイキック)ないし霊的(スピリチュアル)な能力の開発に益があるでしょうか。もちろん無いに決まっています。適度に摂取するのであれば害は少ないというのは当たり前の理屈ですが、理想を言うならば、霊媒は大地からの産物のみに限るのが好ましいと言えます…続きを読む→
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