【8/15】シルバー・バーチの霊訓 1巻 8章 愛の力

人生とは生命そのものの活動であり、霊的であるが故に死後も永遠に続く事は立証可能な事実です。かくして人間は地上にあっても霊的存在であり物質的存在ではない事、すなわち身体を具えた霊であって、霊を具えた身体ではないという事を自覚する事ができます。物質界への誕生は測り知れない価値ある遺産の一部を享(う)ける事です。霊であるからこそ物質と結合し、活動と生命を賦与する事ができるのです。その霊は宇宙の大霊の一部であり本質的には神性を具え、性質的には同種のものであり、ただ程度において異なるのみです。
我欲を棄て他人のために自分を犠牲にすればするほど内部の神性がより大きく発揮され、あなたの存在の目的を成就しはじめることになります。家族的情愛や恋愛が間違っていると言っているのではありません。外へ向けてのより広い愛の方が上だと言っているのです。排他性の内向的愛よりも発展性の外向的愛の方が上です。いかなる資質にも上等のものと下等のもの、明るい面と暗い面があるものです。
家庭的な愛は往々にして排他性を帯びます。いわゆる血のつながりによる結びつきです。それは進化の過程における動物的段階の名残りである防衛本能によって支配されている事がよくあります。が、愛の最高の表現は己れを思わず、報酬を求めず、温かさすら伴わずに、全てのものを愛する事ができる事です。その段階に至った時は神の働きと同じです。なぜなら自我を完全に滅却しているからです。愛は人のために尽くし、人を支え、人を慰めんと欲します。愛は慈悲、同情、親切、優しさとなって表現されます。愛はまた、滅私と犠牲の行為となって表れます。
霊の世界へ来た者がなぜ地上へ舞い戻ってくるかご存じですか。大多数の人間にとって死は有難い事であり、自由になる事であり、牢からの開放であるのに、なぜ戻って来るのでしょうか。霊の世界の恩寵に存分に浸っておればよいはずです。地上の住民を脅(おびや)かす老いと病と数々の煩悩に別れを告げたのです。なのに、地上との間に横たわる測りしれない困難を克服してまで自ら志願して帰って来るのは、あなた方への愛があるからです。彼らは愛の赴くところへ赴くのです。愛のあるところに存在するのです。愛あればこそ役に立ちたいと思うのです。霊界において如何なる敵対行為が私たちへ向けられても、妨げんとする邪霊集団の勢力がいかに強力であろうと、それが最後には効を奏する事ができないのは、そうした愛に燃えた霊たちの働きがあればこそです。
これまでに得させて頂いたものを喜ぶべきです。浴し得た恩寵に感謝すべきです。愛は死よりも強いこと、立ちはだかる障害も愛によってきっと克服されるという認識を得た事を有難く思うべきです。あなた方を包む愛によって存分に慰められ、支えられ、励まされるがよろしい。その愛の豊かさはとても私には表現し尽くせません。時には何とか伝えてみようと努力することもあるのですが、あなた方の心臓の鼓動よりもなお身近にあるその愛の深さは到底人間の言語では表現できません。
あなた方はこれまで、愛に発する利他的行為、英雄的行為、奉仕的行為、滅私的行為による目覚ましい成果を見て参りましたが、霊界の高級霊が生命力そのものを集結してあなた方を温く包む、その愛の底知れぬ潜在力は到底推し測る事はできません。最も、それを受け入れる器がなければ授かりません。それが摂理なのです。理屈は分かってみれば簡単です。資格ある者が授かるというだけの事です。霊力は無尽蔵です。それに制限を加えるのは人間の受容能力です。人間が少しでもその受容能力を増せば、その分だけ授ける用意がこちらにはいつでも出来ております。が、それ以上のものは絶対に授ける事は出来ません。

「あなたは私の誇りよ」この守護霊様の言葉だけがかろうじて良い意味となりますが…(祈)†
霊性発現(2012年6月)した時点で守護霊様の計画は達成されていたという事なのかも知れない、それで守護霊様がいったん僕の守護の任から外れて、僕を計画外の(より高度な)領域へ到達させるための新たな霊団が組織された。つまり僕が現在やらされている霊的使命遂行は完全に計画外の「サービス残業」なんだから、うまく遂行できなくてもムリもない、元々そんな器の人間ではなかったのだから。といった感じで、僕という人間の程度を知り尽くしている守護霊様ならではの言葉なのではないか…なんて予測したりもするのです。この守護霊様の言葉の中にはもちろん「よくガンバりました」というお褒めの意味も含まれていますが、もちろん「もっとガンバれば今のあなたには想像もつかない高い境涯まで到達できたのに残念でした、しかしそれが現在のあなたという人間の限界点である事を私は十分理解しているので十分合格点」という意味も含まれていると僕は思ったのでした。守護霊様の期待に完全なカタチで答える事ができない自分を情けなく思いますが…続きを読む→

「やや足りない荷物」僕の向上度合いが足りなくて帰幽後に苦しむという意味です(祈)†
イエス様が僕にくれる贈り物というのが、インペレーター霊のおっしゃる特別の美しい境涯という事ですよ。で、それは最高に有り難い事であり、ぜひその美しい境涯に到達したいと思うのですが、ちょっと試練の度が過ぎやしませんか、ともフツーに思うのです。ココまでヒドイ目に遭わされなければならないのか。ココまで理不尽を耐え忍ばねばならないのか。イヤでどうしようもないところに徹底的に閉じ込められる、どれだけ脱出の手段を講じても成功率0%で全く脱出できない。度が過ぎるだろ。そしてあげくの果ては「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を守り通そうとするかのような姿勢。奴隷の女の子を助ける気が全くないという、人間とは思えないその姿勢。僕が未熟で向上しきれないのはまぁ了解としても、強姦殺人魔を擁護しようとする地球圏霊界の常識とかけ離れた動きに僕はただひたすら首を傾げる事になります。どうしても納得できない…続きを読む→
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