『シルバーバーチの霊訓⑧』
【思考とは別に物質界には客観的存在物があります。丘のように誰にでも見えるものがあります。霊界にも各自の思考とは別に客観的存在物があるのでしょうか。私たちは今この部屋に座っています。そしてその事をみんな同じように認識しています―】―

『シルバーバーチの霊訓⑧』
―でもその認識の仕方は一人一人違います。私たちの世界の生活にはさまざまな存在のレベルがあります。といってそれが一つ一つ孤立しているのではなくてお互いに融合しております。

『シルバーバーチの霊訓⑧』
各レベルにおいてあなたのおっしゃる客観的存在物がそこに住む人にとって同じように映ります。丘があり川があり、小鳥がさえずり、花が咲き、樹木が茂っております。その全てに実感があります。

『シルバーバーチの霊訓⑧』
それとは別に、思念によって実在物を作り出す力も各自に具わっております。成形力のある思念性の素材によって、自分に必要なものをこしらえる事ができます。それが、程度問題ですが、それなりの個体性のある実体を具えているのです。

『シルバーバーチの霊訓』
【という事はあなたの世界も“物的”と言える訳ですね?―】言えます。物的という用語をどう解釈するかが問題ですが…【私の肉体と同じように物質でできているかという事です。つまり私が死んでからまとう身体も物質であって原子の回転速度が一段と速いというだけですか―】

『シルバーバーチの霊訓⑧』
それもこれもただの用語にすぎません。“物的”とか“物質”とかを用いる時はその意味を明確にしておかないといけません。ある意味では霊の世界は“霊化された物質”で出来ているという事ができます。しかしその“物質”という用語はあなたが理解しているものとは違います

『シルバーバーチの霊訓⑧』
また“物的身体”というのも今あなたがおっしゃった通り原子で出来ているのです。原子はさらに細かく分析できますが、そのうち計量器では分析できない段階に至ります。

『シルバーバーチの霊訓⑧』
するとその原動力は物的なもの、形あるものではない事になります。つまり物質が形あるものというのは“そう見える”というだけの事という事になります。“固い”と思うのは錯覚なのです。

『シルバーバーチの霊訓⑧』
人間にはいろいろな身体があってそれぞれ発達程度が異なります。その肉体から抜け出ると、それとそっくりの幽質の身体をまといますが、それは地上時代からずっと使用し自我を表現していたものです。バイブレーションが地上生活に相応しい高さだからです。

『シルバーバーチの霊訓⑧』
その幽体は地上で肉体が実感があったように、他界直後の生活においては立派に実感があります。全ては意識している“場”の問題です。船に乗っている夢を見れば、寝ている間はそれが現実です。“夢だった”と思うのは目が覚めた時です。そして船は幻だった事になります。

『シルバーバーチの霊訓⑧』
もし永遠に夢を見続けるとしたら、その夢の生活が現実となる事でしょう。目が覚めている間は地上生活に実感があるように、その夢の状態が実感があるように思い続ける事でしょう。今のあなたは夢を見ているのではないという確証はどこにあるのでしょう?

『シルバーバーチの霊訓⑧』
もしかしたらここにいる人たちと一緒に同じ夢を見ているのかも知れないという事も考えられるのです。こんな事を申上げるのは、地上には霊的実在に目覚めていないという意味で“地上生活という夢”を見続けている人間が無数にいるからです。

『シルバーバーチの霊訓⑧』
その夢から覚めて、ようやく自分は肉体ではないという自覚を得るのです。何度も申上げているように、あなた方は肉体を携えた霊であって、霊を携えた肉体ではないのです。これは大変な違いです。

『シルバーバーチの霊訓⑧』
【それに加えて我々にはもともとパーソナリティ(確定した人物像)というものは無いという事も大切な事ですね―】パーソナリティというのは地上にいる間だけのものです。地上生活のために便宜上つけているマスクのようなものです。地上生活が終ればマスクは捨て去ります。

『シルバーバーチの霊訓⑧』
【私は、霊は異なる“種”の物的形体を通じて顕現しつつ完全へ向けて進化し最後に人間に至るという説を立てているのですが―】あなたがおっしゃるのは人間という頂点に達するまで“一個の霊”があらゆる生命形体を通して表現されてきたという意味でしょうか【そうです―】

『シルバーバーチの霊訓⑧』
あらゆる生命体というのであれば、それは私がインディビジュアリティ(霊的統一体)と呼んでいる場合の“個霊として”とは限りません。犬とか猫に生命を与えている霊はそれぞれに個別性はありますが、花に生命を与えている霊の個別性とはまた別です。

『シルバーバーチの霊訓⑧』
生命あるものには必ず霊があります。霊は生命であり生命は霊です。霊としてのあなたは無始無終に存在しております。それが現段階において受胎の瞬間から“個性ある霊”となった訳です。

シルバーバーチ以外で僕が好きな書籍の紹介です。「私の霊界紀行 驚異の幽体離脱体験記」です☆著者が離脱にて訪れた様々な界層について紹介されてます。著者の指導霊が離脱中の著者にイタズラするシーンなどが紹介されている部分もあって、単純に読み物としてもおもしろいと思います☆(祈)
—–

『シルバーバーチの霊訓⑧』
個霊としてのあなたの進化は今後さまざまな身体を通して続けられます。そして進化すればするほど個性が発現されます。がその場合の個性は地上で見せていた人物像とは意味が違います。これはとても理解の難しい問題です。

『シルバーバーチの霊訓⑧』
進化の目的は完全性を成就する事です。がその成就の過程は無限に続くのです。進化して不完全なところを一つ取除くごとにまた新たに取除かねばならない不完全さに気づき、かくしてこの過程が永遠に続けられるのです。

『シルバーバーチの霊訓⑧』
ここで是非とも認識して頂かねばならないのは、パーソナリティとインディビジュアリティとは大きな違いがあるという事です。パーソナリティとはインディビジュアリティが物的身体を通して表現している小さな側面の事です。

『シルバーバーチの霊訓⑧』
インディビジュアリティがその個性を発揮するために使用する数々の側面のうちの一つで、地上にいる間に見せる人物像です。インディビジュアリティの側面は地上で見せる人物像だけとは限らず他にもたくさんあります。

『シルバーバーチの霊訓⑧』
それを、地上を去ってより高い存在の場で進化しながら顕現し続けていくのです。個性が発現すればするほど地上で見せた人物像は消えていきます。霊格が高くなればなるほど、あなた方が容姿から連想して画くところの人物像が消えていくのです。

『シルバーバーチの霊訓⑧』
とても説明が困難です。その真相をうまく表現する用語が見当らないのです。こちらの世界はそちらからやってくる人たちによって構成されております。

『シルバーバーチの霊訓⑧』
そちらから未発達霊を送り込んでこなければ何一つ問題は起きないのですが、現実には何の準備もできていない適合性に欠ける無知な霊を次々と送り込んでおります。小学校で学ぶべきだった大人になって教えるのは中々難しいものです。

『シルバーバーチの霊訓⑧』
(いつまでたっても物分りの悪い霊がいるその結果として)あなた方地上の人間は最低から最高に至る、ありとあらゆる霊的影響力に晒される事になります。が実際に引寄せるのは自分と同じ霊格をもった霊だけです。

『シルバーバーチの霊訓⑧』
邪悪な人間は邪悪な霊を引寄せ、心清き人間は心清き霊のみを引寄せます。それが自然の摂理なのです。

シルバーバーチ以外で僕が好きな書籍の紹介です。「迷える霊との対話」です。この本は分厚いです(汗)しかし最高に考えさせられる内容です。霊的知識を持たず自分が地縛霊になっている事に気づいていない数多くの下層界のスピリットが登場します。僕たちはこうなってはいけないのです(祈)

僕は心は常に「見てろ絶対にやってやるぞ」であり心は折れないのですがここ数日のムービー制作の負荷の高さはウソをつきません、今日は目覚ましが鳴っても起き上がれませんでした。ちょっと一旦落ち着きましょう。それに今のところムービーをUPしてもYoutube、WordPress共に全然アクセス数に反映されていません。そこを挫けずUPを続けて初めてアクセスにつながるのですがそんな急にはうまくいきませんので今週のムービーはここまでにしましょう。山のアタック帰還後にもうひとつ作る感じで行きます。

で、今日の幽体離脱時の映像で「真実のパンチを撃ち続けて悪を追い出す」というものがありました。つまり強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の邪悪の正体を拡散しまくってコイツらをブッ潰すという意味ですが、霊団、それは僕がずっとやり続けている事でしょ、今さら何を言ってるの、という感じだったのですが、まさかムービーの伏せ字、モザイクをやめてダイレクト攻撃しろって言ってるんですか。だからそういうムービーは作れますけどそんなものをYoutubeにUPしたら速攻でアカウントをやられちゃうでしょ。そういうリアルムービーを僕だって作りたいですよ、今のバキュンバキュンは僕だってやってて歯がゆいんですよ。ただそういうムービーを制作しても事実上WordPressにしかUPできないでしょう。まぁそれでもいいって言えばいいのかも知れませんが。

伏せ字モザイクなしの15秒プロモムービーみたいのを作ってWordPressのトップに張っておくとかできませんかね。まぁ考えてみましょう。とにかくチープなムービー編集ソフトは買ってよかったです、Photoshopに並ぶど真ん中使命遂行ソフトになりそうです。えー体力回復でフラー15のデザインを少しやっています。ハンドライトソードの格納場所がムズかしいですが何とかなりそうです。んんんんんんんんー…まぁ伏せ字モザイクなしのムービー…ピーピーバキュンバキュンアーンアーンよりはいいのかも知れません。WordPressに作った「固定ページ動画」もう一度復活させておきましょうか、やっぱり使うかも知れませんので(祈)†

2020年7月4日

「信じるのは順番が決まってる」霊団によると信じるプロセス、メカニズムのようなものがあるそうです(祈)†
WordPress
wp.me/pa9cvW-33o 
↑こちらのブログをムービー化しました。
Youtube

youtu.be/WhyIWW4B6Zw

何としても軽くしなければいけない、そのためには時間を短くしなければいけない、それでとにかく早口でお話させて頂いています。今回は根性で10分以内でブログひとつを朗読完了させましたがさすがに聞き取りにくさは否めません、さぁどうしたものでしょうか。昨日の今日で急に素晴らしムービーが作れるようにはなりません。「もっとああすればよかったなぁ」と思える問題点は次のムービーで解決させ、問題、次、問題、次と回数をこなす中で成長していきましょう。僕は完璧な人間ではありませんので問題点も多いですが何とかクオリティを高めさらに軽く作れるように工夫していきます。とにかく僕、たきざわ彰人はイエス様と交わした男と男の鉄の約束を完璧に果たし切るまで1歩たりとも退く気はありません。最後の1秒まで全力前進を続けます(祈)†

※現在UP中。10:30頃から観られるかも知れません(祈)†

※UP完了しました。

『シルバーバーチの霊訓⑧』
【なぜそちらの世界へ行ってからも身体が必要なのでしょうか―】霊はその個性に応じて自我を発揮するためには何らかの形体が必要なのです。霊それ自体には個的形体はありません。

『シルバーバーチの霊訓⑧』
霊とは生命です。がその生命が顕現するには人間なり動物なり植物なり花なり、その他ありとあらゆる形体をとる必要があります。霊は何らかの形体をとらない事には存在が認識されません。【その形体を永遠に維持するのでしょうか―】そうです。

『シルバーバーチの霊訓⑧』
【霊界では自分より発達段階の高い者とは接触がないとおっしゃったように思いますが、そうなるとあなたご自身が“光り輝く存在”と直々にお会いになる時は何か特別な配慮をしてもらう訳ですか―】いいえ。

『シルバーバーチの霊訓⑧』
決して自惚れて申上げる訳ではありませんが、わたしがそうする時は私本来の霊格に戻るというに過ぎません。私はこの地上での仕事への参加の要請を受け、そしてお引受けしたのです。そのためには当然、本来の私の属性を一時的にお預けにしなければなりませんでした。

『シルバーバーチの霊訓⑧』
しかし、そうする事によって、あなた方と同じく、私がよく言及している“正反対の体験”を得る事になります。それによって、一層の向上が得られる事を願っております。霊界の生活の全体像をお伝えする事はとても困難です。言語と次元の差が障壁となるからです。

『シルバーバーチの霊訓⑧』
霊界には地上のいかなる楽器にも出せない音色があります。絵画でもあなた方には想像もつかない色彩と美があります。それが感識できる人も描写できる人も地上にはいません。地上の人にとって大インスピレーションと思えるものでも実際はごくごく小さなかけらにすぎません。

『シルバーバーチの霊訓⑧』
【我々人間にとって霊界の本当の姿を理解する事が容易でない事は理解できます―】とても難しいのです。しかしその理解のための準備が睡眠中に行われております。睡眠中は肉体を離れて一時的に“死ぬ”訳です。そうする事によって徐々に霊界生活に慣れていきます。

『シルバーバーチの霊訓⑧』
そうしないといよいよ本当の死が訪れた時に何の事か理解できず、新しい環境に順応するのに長い時間を要する事になります。地上にいる間の夜の霊界旅行での体験は全部潜在意識の中に収められています。それがいつか意識に上ってきて霊界があまり不思議に思えなくなります。

『シルバーバーチの霊訓⑧』
【(サークルメンバーの中で一番背の高い人が質問する)背丈の事をお尋ねします。例えば六フィートの人間はそちらでもやはり六フィートでしょうか―】どうやらこの質問には個人的興味が混ざっているようですね。答えは“イエス”です。―

『シルバーバーチの霊訓⑧』
―物的身体は霊的身体の写しだからです。ただしそのサイズは霊的発達程度とは関係ありません。身体は巨人でも霊的には小人である場合があります。

『シルバーバーチの霊訓⑧』
【他界直後には言語上の問題がありますか―】あります。いわゆる“幽界”つまり地球に最も近い界層においてはあります。そこには霊的自覚が殆ど芽生えていない者が住んでおります。まだ言葉が必要だと思い込んでいるので言葉を用いております。

『シルバーバーチの霊訓⑧』
【一方が英語で話し相手がフランス語でも、実際は思念で通じ合っている訳でしょうか―】もちろんです。もともと思念には言語はないのです。―

『シルバーバーチの霊訓⑧』
―言語というのは思念を単語に移しかえるための道具にすぎません。私たちの世界では思念に実体があり、物質は影のようにしか見えない事をよく理解してくださらないといけません。

【過去コメ】僕が頻繁に浴させて頂いてる霊的現象のひとつ『法悦状態』これはものすんごいのです。高レベルの法悦の霊力に全身が包まれてる時に、八ヶ岳をスピードハイクしてた時があったのですが、はっきり言って身体が半分浮いてるような感じでした。鼻がキィィンって!身体がフワァァって!なるんです(祈)
—–

『シルバーバーチの霊訓⑧』
【非物質的世界であれば、その世界はそこに住む者全てにとって同じものですか、それとも一人一人の思念によって拵えるのでしょうか。もし私が今あなたの世界へ行ったら、私の目に同じ世界が映るのでしょうか。それとも違う世界でしょうか―】―

『シルバーバーチの霊訓⑧』
―それはあなたが地上でどの発達段階にあったかによります。【もしあなたと一緒になったら、そこは私の精神によって拵えられた世界でしょうか―】そうとも言い切れません。

『シルバーバーチの霊訓⑧』
もしあなたが今の私と同じ位置、つまり同じ発達レベルにあると仮定すれば、あなたは私に見えるものを見、私が体験するものを体験します。が今私が住んでいる世界―あなたと一緒になると仮定している世界が何で構成されているかはまた別の問題です。―

『シルバーバーチの霊訓⑧』
―これは言語で説明するのは困難です。言語というのはその裏側にある実在を幾らかでも表現しようとして絵画や概念やシンボルなどをそれでくるんでみているに過ぎません。

『シルバーバーチの霊訓⑧』
私たちは“生命とは霊である”というところから出発いたします。私たちの世界はあなた方の世界と同じく霊というものがあってはじめて存在しているのです。その霊は無限です。従って無限の顕現をしています。ところで、思念とはいったい何でしょうか。―

『シルバーバーチの霊訓⑧』
―【思念とは私の精神が生み出すものです。精神が何であるかはともかくとして…】それには実体がありますか。【多分思念は実体のあるものになれる性質をもったものだと思います。初めから実体があるのではないと思います―】―

『シルバーバーチの霊訓⑧』
―でもあなたは思考しながら自分が思考している事が分ってますね?【ええ。思考によって物事を明確にする事ができると思います―】あなたは自分が思考している事を自覚していらっしゃる。が思念は見える事も聞く事も、重さや大きさを計る事もできない。―

『シルバーバーチの霊訓⑧』
―物理的な計量方法がない訳です。なのにあなたの行為の全てに思念が責任を負っています。思念の方が行為に先行しているからです。思念なくして行為は生まれません。あなた方の世界では考えた事が行為として具体化します。

『シルバーバーチの霊訓⑧』
私たちの世界では考えた事が霊的実在として具現化し、それにはあなた方にとって物質の世界が実感があるように、私たちにとって実感があります。要は相対上の問題です。あなた方にとって物質に実感があるように、私たちにとっては思念に実感があるという事です。

明日速攻で録音(今度は自撮りムービーにするつもり、できるかなぁ)を完了させ一気に書き出してYoutubeへのUPまで最短時間で行ってみます。フラー15のデザイン作業が完全に止まってしまっていますがこうなった以上やるしかないのです。1歩も退く気はない(祈)†

さっそく試してみました、これは便利ですね。前回のムービー制作時はプリントスクリーンを8回行ってフォトショ上で合体させて1枚の長い画像を作成したのです。その作業がChrome拡張機能「FireShot」によってキャンセルできる事が分かりました。こういった感じで作業負荷簡略、時間短縮の手法をガンガン開発していく必要があります。ブログのムービー化、少しやりやすくなったかも知れません(祈)†

2020年5月1日

はい、昨日のムービーの作業のダメージがまだだいぶ残ってますので長文ブログまでは書けませんが(※長文になってしまいましたね汗)霊団のインスピレーションは止まりませんので順次その意味について説明をしていかねばなりません。説明をせずに僕の心の中にしまっておいたら、僕が物質界に残されて霊の道具として機能している意味そのものが吹き飛んでしまいます。霊団が降らせるインスピレーションをブログで紹介する事はもはや僕の仕事であり責任と言えるでしょう。まずは今回紹介するインスピレーションを羅列してみましょうコチラです。

  • 「信じるのは順番が決まってる」
  • 「花の絵でみんなとお別れ」
  • 「最大級の悲願」
  • 「言いたくて」
  • 「自殺ボタン」
  • 「さっそくですが」

はいフラー15本体デザインもやらねばなりませんので時間節約サクサク行きましょう。まずコチラ「信じるのは順番が決まってる」ですが、この意味を理解する手助けとなるのが、事ある毎に紹介させて頂いてますアナログ絵123となります。

日本の天皇一族、明仁、文仁、徳仁、悠仁は【強姦殺人魔】です。「死刑」にしましょう(祈)†この123にありますように(霊関連書籍、特に「ベールの彼方の生活」でお勉強して頂きたいですが)「霊関連書籍」 wp.me/Pa9cvW-1P1 ↓霊界上層界の方々には僕たち物質界に身を置いている地上人の心の中が完全に丸見えです。「霊界にプライバシーはありません」とシルバーバーチ霊も仰っていますし僕もしょっちゅうそのように公言してきました(※今霊団がピィィィィンって波長を降らせてきました、そうだという事です)つまり僕のブログを見た人が最初は「えぇぇそんなの信じられなーい」と言っていたのが「アリ?そんな事もあるのかなぁ」そして「これって本当なんだ…」とだんだん信じる事ができるようになっていく、その心の動きの一部始終を霊団が把握しているという事になります。

要するに「信じるパターン、プロセス、メカニズム」のようなものが霊界においてはとっくに確立されており、そのパターンに従って霊団は僕に段階的にインスピレーションを降らせてブログを書かせ、徐々にしかし確実に人々に「宇宙一のバカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の邪悪の真実について信じさせていった、という事だと思われます。心の中が丸見えなのですから信じていくプロセスも丸見えだという事ですね。僕がこれまで怒涛に書き続けてきたブログは霊界側に存在する「信じていく順番」に従って導きを降らせて書かせたという事です。つまり現在僕のブログの内容を信じて下さりご覧頂いている方々は「霊団の導きによって信じる方向に心境変化した」という事になるのです。えー皆さまにはこれはぜひ「嬉しい情報」として受け取って頂きたいですね。霊団の霊力によって正しい認識を獲得させて頂く事ができたのだ、そういう風に感じて頂けるとすごくうれしいです。まぁ素直な方ばかりではありませんので現在をもってしても僕のブログを小バカにする御仁がいる事でしょう、僕はそういう人間は放っておきます、一切相手にしません、何とでも言っていて下さい。真実に目が開いた聡明な方々に向けて今後も情報発信させて頂きます。

続いてコチラ「花の絵でみんなとお別れ」こちらは幽体離脱時に拝した鮮明映像となりますが、僕の人生の中のあらゆる時代のあらゆる知人が登場します(本人ではなく霊団の演出ですよ)その知人たちと学校のような場所で集まっていて、あの知人はああいう花の絵、この知人はこういう花の絵、といった感じで僕に「花の絵」をプレゼントしてくれるのです。「フラーFleur」という意味ですよ。その花の絵それぞれが、僕の作風をマネている描き方をしていて僕に向けられた好意の感情表現だったのです。僕はその絵を受け取りながらみんなに感謝しつつ、みんなとお別れする…そういう美しい映像でした。

はい、この「お別れ」ですが、僕がピーチピチ(佳子)の協力を得て奴隷の女の子たちを救出する、つまり日本の中心に体当たり突入するという意味と、僕がやはり暗殺されて帰幽するというふたつの意味があるでしょう。僕はずっとずっと「帰幽カモン」を公言し続けていますので暗殺でも一向に構わないのですが「イエス様ハンドリング」を公言しイエス様と交わした約束を完璧に果たし切らねばならない責任を思えばやはり前者の意味の「お別れ」であって欲しいですね。つい先ほどこのブログを書き始めた時に「さっそくですが」と霊団が言ってきました。さっそくですがスナイパーチーム(徳仁の命令を受けて僕を暗殺するポリーチェPOLICEの事ですよ)をあなたの元に派遣してあなたを消させて頂きます、という意味にも聞こえますがどうでしょう。しかし僕はたとえスナイパーチーム(POLICE)に撃たれてもタダでは死にません。絶対に傷口の画像付でブログを書き残してそれから死にます。そのブログが「イエス様ハンドリング」の真実性の完全証明となるはずですから、絶対に撃たれても止血しながらブログを書き残してみせます。「止血しながらブログ書く」参照 wp.me/pa9cvW-1v0 ↓

サクサク行きますコチラ「最大級の悲願」これはイエス様はじめ霊界上層界の高級霊の方々の積年の悲願という意味です、その悲願とはもちろん「宇宙一のバカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の死刑、滅亡です。「止めたかった」 wp.me/pa9cvW-1UX ↓こちらのブログと同義の意味となります。21世紀の現代においては明仁、文仁、徳仁、悠仁が、そしてそれ以前の時代においては自分の事を王だの慈善家だのと名乗る奴らに幼い奴隷の女の子たちがひたすらにひたすらに強姦殺人され続けてここまでやって来てしまいました。イエス様はじめ霊界の方々はその蛮行を何が何でもやめさせたかったのです。特にイエス様は自分の名前を2000年の長きに亘りキリスト者に悪用され、神父共はイエス様を神に祭り上げ、ある事ない事でっち上げて幼い女の子をレイプし続け殺し続けてきたのです。イエス様の心を思うほどに、僕の陳腐な小我などどうでもよくなり、僕の全てを投げ撃ってでもイエス様の2000年の冒涜に終止符を撃たねばならないと毎日のように考えています。

僕は守護霊様の導きの威力のおかげで得る事ができた霊的知識に基き、地上的肩書に何の興味も抱いていません、そんなモノは子供のオモチャであり帰幽後に霊界で賜る霊的褒章こそが真実の宝であると心の底から得心していますので、僕が物質界でどのような誤解と改ざんを受け人格を捻じ曲げられようとも、そんなモノ知った事ではありません。僕の真実の姿をイエス様、守護霊様はとっくにご存じです。それだけが唯一無二の真実であり物的評価など何の関心もありません。僕の事などどうなろうとイエス様との約束だけは絶対に果たし切り、奴隷の女の子たちを間違いなく助けてあげてイエス様の2000年の冒涜に終止符を撃たねばならないと考えています。「最大級の悲願」これが達成されるという意味で霊団がインスピレーションを降らせてきたと信じるしかありません。

さらにサクサク行きます「言いたくて」これは先ほどコチラのブログ「言いたくて」 wp.me/pa9cvW-2gh ↓をツイートした時に霊団がピィィィンと波長を降らせてきたのです。波長は肯定の意味です。つまりピーチピチ(佳子)が自分の真実(赤の他人)について、文仁はじめ明仁、徳仁、悠仁の邪悪の正体について、そしてもしかしたら僕、たきざわ彰人について「言いたくてしょうがない」という意味かも知れません。えー、ピーチピチ、言っちゃて下さい。ってか国民をナメすぎだと思うわよ。もうみんな分かってるのにいつまでもウソ笑いが通用すると思ったら大間違いよ。

今後も洗脳情報を流し続け国民をダマし続け、強姦殺人魔、文仁を擁護するつもりなら、残念ながらキミはだいぶ「アチャー」「アイタタタ」な感じになると思うわよ。こういう事を言ってはアレだけどピーチピチ、キミはバイトすらした事がない、全然社会経験がありません。僕たち国民が心の中に潜在的に宿している「怒りの念」というものはキミの想像をはるかはるか超える超絶大なモノなのよ。搾取される側の怒りはキミには永遠に理解できないでしょう。本当にスゴイんだよ。自分の未来をよく考えて最善の選択をしましょうね。「言いたくて」言っちゃって下さい。そして奴隷の女の子たちの救出に協力してちょうだいね。女の子を殺す手伝いをした先に自分の未来がない事はもちろん分かるわね。僕に言われて仕方なくやるんじゃなくて自分の幸せのために奴隷の女の子たちを助けなきゃいけないのよ、分かるわねピーチピチ。たのむわよホントにもぅ♪

はい、では最後にコチラ「自殺ボタン」ですが、「宇宙一のバカ」スカポンタン徳仁が自殺というインスピレーションはこれまで霊団が幾度となく降らせてきています。「兄は自殺します」参照 wp.me/pa9cvW-2ko ↓これ以外にもだいぶ前の削除させられてしまった過去ブログでも徳仁の自殺については書いていました。そんな大昔から霊団が何度も徳仁の自殺について降らせていたという事は、つまり徳仁には精神力が全くないという証明だと僕は感じます。自分の事をMAXに嫌っている幼い女の子を日常的に脅して暴力をふるってレイプする事しかできないキチ〇イであり、何でもかんでも宮内庁職員にお膳立て、お世話してもらって自分では何ひとつ努力というものをした経験がありません。「徳仁銀婚」 wp.me/pa9cvW-1yA ↓コチラにもスカポンタン徳仁がいかにコミュニケーション能力ゼロの究極のバカヤロウであるかについてトコトン解説をさせて頂いてます。

えーちなみにひとつ、これは現時点で断言できなのですが、もし状況的に有り得るのであれば、強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁をいよいよ死刑執行に処すという段階になった時、もし許されるのであれば(たぶんピーチピチ(佳子)のプッシュがあって初めて実現できるのでしょうが)明仁、文仁、徳仁、悠仁、コイツらの死刑を実行する時、電気イスのスイッチは「僕」が押すつもりでいます。もしできるなら僕はスイッチを押す役目を完全に引き受けるつもりです。そして「電気イスのスイッチ」を僕が押すそのタイミングで「クーマ作戦」を発動します。クーマ作戦の詳細は当日のお楽しみにという事にしておきます。まぁ霊団はこんな事言ってきませんのでプライオリティは低いですが、僕としてはこれくらいやらなければ気が済まないという事なのです。僕の怒りのレベルをこのひとつのエピソードからご想像頂けると有り難いです。僕が「宇宙一のバカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁に対して抱いている怒りのレベルは完全に!完全に!宇宙レベルであるという事です。が、霊団の導きに従いましょう、落ち着きましょう。ふぅ、ここで一旦切りましょう(祈)†

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—–四章
『シルバーバーチの霊訓⑧』
私たち霊の世界の生活がどうなっているか、その本当の様子をお伝えする事はとても困難です。霊界の無限の豊かさについてあなた方は何もご存知ありません。その壮大さ、無限の様相は、地上のどの景色、どこの壮大な景観を引合いに出されてもそれに匹敵するものはありません

『シルバーバーチの霊訓⑧』
【本章は死後の生活を主題とした質問と応答の様子を紹介するが、来世の明るい第一印象を伝える上で前項のシルバーバーチの言葉が一番適切であろう。】

『シルバーバーチの霊訓⑧』
【シルバーバーチはまた霊界を“完全な計画が完全な形で実施されている現実の例です”と言い、“そこに偶然の入る余地が全くない事がお分りになるでしょう”と述べている。以下、それを細かく質して説明してもらう事にしよう―】

『シルバーバーチの霊訓⑧』
【死後の世界ではお互いのコミュニケーションはどのように行うのですか―】こちらへお出でになればもはや肉体はありません。肉体そっくりの身体はありますが言葉は話しません。

『シルバーバーチの霊訓⑧』
言語というのはいたってお粗末な思念の代用品でして、地上に近い下層界を除けば、そういうお粗末な媒体を用いなくても以心伝心の素晴らしい交信方法があります。思念は言語を超えたものです。

『シルバーバーチの霊訓⑧』
同じように、食べる事も飲む事もいたしません。そうやって養わねばならない物的身体が無いからです。身体を大きくする必要がありませんから、蛋白質なんかは必要ではありません。霊的身体がありますが、その養分は置かれた環境から摂取します。

『シルバーバーチの霊訓⑧』
永遠の太陽ともいうべき光源があり、暗闇がありませんから寝るという事もしません。霊的性質が何一つ隠せないという意味において、みんな霊的に素っ裸という事になります。あるがままの姿が知られ、見せかけも代用もカムフラージュもできません。

『シルバーバーチの霊訓⑧』
あなたの交信レベルは霊的に同じレベルの者との間でしかできず、自分より上のレベルの者とはできません。そのレベルまで霊的に成長するまではそのレベルのものが受入れられないからです。自分より下のレベルまで下りる事はできます。自分の方が霊的に優れているからです。

『シルバーバーチの霊訓⑧』
いずれにしても交信は直接的に行われます。あなたが心に抱いた事がそのまま相手に知られ、相手の考える事がそのままあなたに知れます。面倒な事は何も生じません。

『シルバーバーチの霊訓⑧』
皆さんは英国に住んでいて英語をしゃべっています。英語のしゃべれない外国人と会えば言語が違うために意志の疎通ができません。が、以心伝心の交信には言語は不要です。迅速です。厄介な事は何一つ生じません。

『シルバーバーチの霊訓⑧』
私がこうして霊媒を支配している間は、思念や画像や映像やシンボルを私に供給してくれる係がいます。供給という用語が適切かどうかは知りませんが…私はそれをあなた方の言語に翻訳する訓練ができております。それにはずいぶん長い年月を要しました。

『シルバーバーチの霊訓⑧』
支配中は霊媒の語彙の中から適切な用語を見つけ出さねばなりません。時には霊媒自身が忘れているものもありますが、記憶の層にはちゃんと残っております。

『シルバーバーチの霊訓⑧』
が、霊媒から離れてしまえば地上の各種の文献を調べる事もできます。必要とあらば地上の大家の書いたものを見つけ出してイザという時に備えてメモしておきます。この霊媒から離れている限りは思念を言葉に翻訳する面倒な手間は要りません。

『シルバーバーチの霊訓⑧』
【どうやってお互いを認識し合うのですか―】霊的な眼がありますから一人一人が認識できます。私たちは盲目ではありません。【私たちの視力は物的なものなのですか―】あなた方はその二つの眼で見ているのではなく、またその二つの耳で聞いているのではないのですよ。

『シルバーバーチの霊訓⑧』
見たり聞いたりは脳を経由して精神で行っているのです。もし脳が働かず精神に反応が生じなければ、その肉眼に映る光線は何の意味もなく、その肉耳に届く波動も全く無意味なのです。脳がレシーバーとしての働きをしてくれれば、後はその情報を理解するのは精神なのです。

『シルバーバーチの霊訓⑧』
肉眼そのものには“見る”能力はないのです。ただ光線を感知するための媒体にすぎないのです。カメラのレンズと同じです。自分ではどういう役目をしているのか知らないまま自動的に機能しているのです。

『シルバーバーチの霊訓⑧』
“見えた”という認識は、精神がその印象を脳から受取った時に生じるのです。脳を傷めるとその認識が生じませんから、肉眼だけでは何も見えない事になります。

『シルバーバーチの霊訓⑧』
【霊界で相手を認識する時その人の何を見るのですか―】人間と同じ形体です。頭もあり胴体もあります。【身体はないとおっしゃいましたが…】物的身体はないと申上げたのです。霊的身体はあります。

『シルバーバーチの霊訓⑧』
【という事は相手を認識する時は霊体を見ている訳ですか―】もちろんです。みんな同じに見える訳ではありません。一人一人違います。【書物を読む事があるとおっしゃいましたが、それも思念でできているのですか―】全ての物体に霊的複製品があります。

『シルバーバーチの霊訓⑧』
地上で書かれたものが複製されて納めてある図書館があります。必要が生じるとそこへ行って調べものをして知識を得ます。音楽も絵画もあります。地上にあるものは全てこちらにもあります。

『シルバーバーチの霊訓⑧』
【地上的成長のどの段階で人間の霊体がそちらから見えるようになるのでしょうか―】それはその段階での霊的覚醒のレベルによって違ってきます。地上と霊界の違いは、地上では様々な発達段階の人が一緒に生活できる事です。霊界では同じレベルまで達した者としか会えません

『シルバーバーチの霊訓⑧』
霊的身体は霊格が高くなるほど成熟していきます。霊界での成長は(老化に向う事ではなく)成熟するという事です。ですから年老いて他界した人はこちらへ来て若返り、若くして他界した人は霊的成熟度に似合った顔つきとなります。

『シルバーバーチの霊訓⑧』
【やはり顔で分るのでしょうか―】もちろん私たちにも顔があります。【人間にはなぜ顔があるのでしょうか―】それは個性というものがそれぞれの魂の刻印だからです。全く同じ人は二人といません。双子でも霊的には同じではありません。

『シルバーバーチの霊訓⑧』
完全への過程―本質的には無限の過程ですが―は顔や形体が無くなる事ではありません。個性が崇高さを増し霊的成熟度が増し一段と強烈な光輝を発するようになります。その過程を続けていくうち上層界には目も眩まんばかりの光輝を発する存在がいる事を知るようになります。

『シルバーバーチの霊訓⑧』
私が地上を離れて内的上層界へ帰ると“神庁”に所属する存在と出会う事がある話をした事がありますが、そうした霊もみな個性を具えた存在です。個体性を失ってはいません。不完全の要素が少なくなり完全無欠の要素の占める部分が多くなった段階にまで進化しているのです。

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