人間の死にまつわる儀式とタブーには民族によって色々とあって、見様によっては実に興味ぶかい。

たとえばタイのカレン族は葬儀の最中は子供たちを家の片隅に縛りつけておく。これは子供の魂が死者の肉体の中に入るといけないという信仰から来ているのであるが、そのためには特殊な紐で特定の場所に縛る必要がある。

オーストラリア東方のロイアルティ諸島の住民は死者が生者の魂を盗むという信仰がある。そこで、病人の死期が近づくと住民は埋葬予定地へ行っていっせいに口笛を鳴らし、病人の家まで列を作って口笛を鳴らしながら戻ってくる。これは、死ぬということはその人間の魂が死の世界へ誘惑されるということだから、口笛で呼び戻すことも出来るはずだという信仰から来ている。

中国ではいよいよ棺の蓋が閉められる時はまわりにいる人々が2、3歩棺から離れる。別の部屋に逃げ込む者もいる。これは、影が棺の中に入ると、この人も遠からず死ぬという信仰があるからである。葬儀屋は自分の影が墓穴の中に入らない位置に立つ。墓掘り人と棺をかつぐ人は、影が身体から離れないように、腰のまわりに特殊な布を巻きつける。

ベーリング海峡周辺のエスキモーは、死者の出た日はすべての仕事を休む。親戚縁者は3日間休む。その間はナイフのような刃物類は一切使用してはいけない。死者の魂を傷つけるという信仰から来ている。大声を出してもいけない。霊魂がびっくりするといけないからである。

ルーマニアにも似たようなタブーがある。死者が出たあとは鋭いナイフを使ってはいけないし、刃をむき出しのまま放っておいてもいけない。中国でも同じ信仰があり、ハシも使わない。7日間は手で食べることになる。

バルト海に臨むリトアニアの住民は死後3日目と6日目と9日目と40日目に死者に食事を用意し、入口のところに立って死者を呼び戻す。そして12分に食べ存分に飲んだと思う頃に帰ってもらう。その近くのプロイセン(プロシャ)にも似たような風習がある。

南インドのバタガス族には死者の罪を水牛の仔牛にのり移らせるという奇習がある。部族の長または長老の1人が死者の頭のそばに立って、その人間の犯した(と思われる)罪の数々を並べ立てる。

次にその死者の手を仔牛に当てがうとその罪のすべてが仔牛にのり移る。仔牛はその村から遠く離れたところに死ぬまで隔離される。その牛にはむやみに近づくことを禁じられる。ある意味では“神聖”と考えられるのである。

古代エジプト人の信仰は実に混み入っていた。彼らは“蘇生”ということを信じた。が、もともとは死を司る神オシリスの蘇生だった。つまりエジプト人はオシリスが蘇生することが自分たちの死後の存続の約束となると考え、神々がオシリスにしたのと同じことを死者にしてあげれば死者も永遠の生命を授かると信じたのである。

そこでオシリスの子アヌビスやホラスなどがオシリスにした葬儀と同じことを人間にもした。その結果がミイラの作製となった。ナイルの渓谷から発掘される無数の墓から蘇生のための秘法を記したものが出ている。

当時は1人1人の死者に同じことを行っていたことが明らかとなっている。彼らはオシリスが蘇生したように自分たちも蘇生し永遠の生命を得るのだと信じたのだった。

ひるがえって、われわれ英国人の葬儀はどうだろうか。私の手もとに『国教会祈祷書』というのがある。教会の儀式の文句や聖書からの抜粋をまとめたもので、一般の書店でも手に入るが、最も読まれていない本の部類に入るのではなかろうか。

それはともかくとして、その中に「死者埋葬次第」という項目がある。まず冒頭に「牧師心得」があって、本書の祈祷は「洗礼を受けざりし者、除名されし者、並びにこれに不自然なる行為をせし者(自殺者)には使用するべからず」とある。

いまその全てを紹介するわけにはいかない。非常に混みいっていて、しかも長い。ぜひ知りたい方は直接お読みいただくことにして、ここではその全体の主旨だけを述べておこう。といっても、それは私が改めて説くまでもなかろう。

死者の霊を安らかに眠りにつかせ、主イエス・キリストの仲介によって“復活の日”に無事永遠の生命を授かり神のみもとに行けるように、ということである。儀式には数曲の似通った讃美歌が伴う。祈祷も讃美歌も古めかしい言葉で表現されているが、言わんとしていることは明白である。

それは2種類に分類できる。1つは死者へのはなむけの言葉だ。この者は本当は悪い人間ではなかった。だから“われらの1人”として真摯に待遇してやるべきだ、と。“われらの1人”とは要するに“神の恩寵を受け永遠の生命を拾いし者”のことである。もう1つは直接神へ向かっての願いごとである。

儀式は死者が“選ばれし者”の1人として復活の日に神に見落されることのないようにとの配慮が見られる。これで大丈夫、といった感じである。すべてが規定どおりに行われると、教会の名簿の氏名の頭に印がつけられる。

もしもあなたが教会の会員でなかったら、つまり洗礼を受けていなかったら、あるいは、かつては会員だったが脱会していたら、その儀式は受けられない。自殺しても受けられない。他の宗派の会員でもいけない。この永遠の生命を給わるチャンスは“選ばれし少数”の者にしか与えられないのである。

さて、こうしたことは面白いと言えば面白いが、的はずれなことばかりである。死後への恐怖心と迷信から生まれることばかりである。水牛の仔牛へ人間の罪をのり移らせることなど出来るわけがないのと同様に、教会の手で洗礼を受け埋葬されたからといって永遠の生命を授かるわけがない。

すでに今日ではその理不尽さに気がついて教会に背を向ける風潮が出てきつつある。今どき永遠の断罪をまともに信じる人はほとんどいない。そして霊的な真理を求める人が増えている。霊的成熟のしるしである。そのうち全ての迷信が理性と置きかえられ、恐怖心が愛と置きかえられ、イエス・キリストの説いた本当の意味が理解される日が来よう。

これからは死者が出た時は葬儀屋を呼んでこう言えばよい。「この者の霊はいま身体だけを残してあの世へ逝った。このからだはよくこの者に尽くしたのだから手厚く葬ってほしい。儀式は何もしなくてよい。ただ、ていねいに焼却してくれればよい」と。

そう述べてから親族及び友人知人で簡単なパーティを開き、故人の生涯の労をねぎらい、最後にみんなで別れの挨拶をする。“さようなら”ではなく「ではまたね」の挨拶だ。出来ることなら霊能者を呼んで故人の霊が霊界で歓迎される様子を見届けてもらうのもいいだろう。喪服など着てはいけない。黒は禁物だ。あなたは今すばらしい第2の人生に旅立つ人を見送っているのだから。

「ゾウです」永遠の視点では勝者だが物質界生活中は最悪をやらされるという意味です(祈)†■2023年3月22日UP■
「ゾウです」永遠の視点では勝者だが物質界生活中は最悪をやらされるという意味です(祈)†
聖書には真実でない事がたくさん書かれています。人類史上最大の汚辱と言っても過言ではない「ニケーア会議」の時に様々なウソが聖書に書き加えられ、そのウソが世界中に広まっていき、イエス様の2000年の苦悩へとつながっていったのです。キリスト者はイエス様の御名を悪用して私腹を肥やす事を2000年にわたって続けてきました。特に中世ヨーロッパの暗黒時代が最悪で、キリスト教の要職についていた人間たちは、自分たちの地位、生活を守るために真実を公言する人間を徹底的に処刑してきました。キリスト教の人間が「主よ、主よ」とイエス様の御名を連呼する時、それはイエス様に対する最大級の侮辱であり、イエス様の悲しみをさらに増幅させ、積年の誤謬(ごびゅう)を払拭するどころかさらに加速させ続ける、イエス様をさらに十字架にかけ続ける許されざる呪いの行為となります。僕、たきざわ彰人からお願いしたい事としましては、間違いだらけの聖書を読むのはやめましょう。「シルバーバーチの霊訓」を筆頭とした正真正銘の霊関連書籍に目を通すようにしましょう。そして教会に足を運ぶのもやめた方がイイでしょう…続きを読む→
「メッセージだけを見て欲しい」霊団が物質界の邪悪に目をつぶろうとしているのです(祈)†■2023年3月15日UP■
「メッセージだけを見て欲しい」霊団が物質界の邪悪に目をつぶろうとしているのです(祈)†
しかしそれは「順番が逆だろ」まず奴隷の女の子たちを助けてあげて、それから交霊会だろ、と僕は思うのです。というのも、奴隷の女の子たちを完全に見殺しにした状態で僕という霊媒を霊団が使用して霊言を降らせたとしましょう。その降ってきた内容がさながら「シルバーバーチの霊訓」を彷彿とさせるような高尚な内容だったとしましょう。その霊団が降らせてきた内容が、人類を救うとか、世界を救うとか、人間は国家も肌の色も関係なく全員が神から神性の火花を賜って個的存在を与えられた、神を共通の親とした霊的兄弟、霊的大家族であり、戦争で敵国の兵士を撃ち殺す事は自分の家族を殺す事と同義であり愚かな事であり、したがって全世界が助け合っていかなければならないとか、そういう心を撃つ美しい内容だったとしましょう…続きを読む→
「我々の言葉を信じなさい」帰幽後に全ての埋め合わせがおこなわれるという意味です(祈)†■2023年3月8日UP■
「我々の言葉を信じなさい」帰幽後に全ての埋め合わせがおこなわれるという意味です(祈)†
2000年前のイエス様が物質界に降下しておこなった仕事はもちろん「霊的知識普及」であり「神のご意志遂行」であり、それが現在も「スピリチュアリズム普及」というカタチで継続しているのです。このスピリチュアリズム普及の霊界での総指揮官はイエス様です。どうか霊関連書籍でお勉強して頂きたいです。そのイエス様が、一体何がどうなっているのか僕などというよく分からない画家に「怒涛の連続顕現」で霊的仕事を猛烈にお願いしてきたのです。僕は激しく拒絶しましたが1週間近くイエス様に何とも言えない表情で怒涛にお願いされ続けて僕は根負けしてしまい、この使命遂行をやる“ハメに”なってしまったのです。それから10年(霊性発現が2012年6月、隔離フィールド発動(事実上の使命遂行開始合図)が2014年7月ですから正確にはほぼ9年という事になるでしょうか)僕はずっとそのイエス様と約束した仕事を続けてきたのです…続きを読む→

僕が撃つコメント(文章)をインペレーター霊の霊言と並べて書籍に掲載するのがどうにも気が引けるものの(僕のテキストがペライため)書かない訳にもいきませんのでその作業をおこなっています。「インペレーターの霊訓」書籍データほぼ完成しています。

霊団がまた気になる事を言ってきてますが詳細はのちほど、時間がありませんので。復刊させずにココで作業が止まっちゃったりなんかして。霊団が言っている事を見るとそういう予測もあったりなかったり。イヤ、やる。まずはココまで。作業続行中、ほとんど終了中(祈)†

そのボツった方のカラーリングはお見せできないのですが、かなりヤヴァイ空気感が漂っていたのです。僕の目にはそれはまるで「新興宗教の小冊子の表紙」のように見えたのです。コイツァーマズイ、胡散臭ささえにじみ出ている、何としても雰囲気を変えなければ、という事で思い切った事をやってみました。

ちなみにすでに描き上げていた1枚目の仮の表紙、こちらはもう使用する事はなくなりましたのでUPしてみましょう。

インペレーターの霊訓表紙テストmini

スキャン画像のドアップですのでどうもインペレーター霊の顔がボケた感じになってしまっていますよね、これは宜しくないという事で新たに線画を描き起こしたという事なのです。見る人によって感じ方はそれぞれだと思いますが、一応「インペレーター霊の重厚感」をイメージして描きました。

完成させた方の表紙は実際に復刊書籍に使用しますのでココでUPせず、書籍復刊の際に皆さまにお見せするカタチを取ります。つまり何が何でも復刊させるという意思表示となります。復刊できなかったりして。その時は画像のみWordPressにUPする事になるかも知れません考えたくないですが。

あと書籍本文中に少し変更点がありますのでそちらの作業をおこなったのち、テスト刷りをおこないつつ電子書籍用データの作成にも入りつつ、いよいよスーパーメンドクサイ「オーファンワークス」の事務作業に入るつもりです。ヤダ、本気でやりたくないけどもうしょうがない。

本気で外注したい。僕はデザインの作業、書籍制作の作業に集中したい。テキスト撃たなきゃいけない、フラーも描かなきゃいけない。本来の自分ではない作業に翻弄されたくない。フゥゥ、とにかく目の前の作業をガンガンこなしていきましょう(祈)†
「エゴイスト」そういうセリフは明仁、文仁、徳仁、悠仁を倒してから言ってくれよ(祈)†■2023年1月11日UP■
「エゴイスト」そういうセリフは明仁、文仁、徳仁、悠仁を倒してから言ってくれよ(祈)†
「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁は全く滅亡させようとせず放置している。奴隷の女の子はひとりたりとも救出しようとせず完全に見殺しにしている。僕の人生を完全に破壊したが、使命遂行は全く前進させない。最低最悪のところに何が何でも閉じ込め続けようとしてくる。誰だって怒るに決まってるだろ。反逆するに決まってるだろ。人の心を一体何だと思ってるんだよ。人の人生を一体何だと思ってるんだよ。一体あんたたちの頭の中は何がどうなってるんだよ。これだけヒドイ状態にさせられても僕がエゴイストだと非難されなければならないのか。それはよかったですね…続きを読む→
「ポリーチェ POLICE に命令」ポリーチェは強姦殺人魔の命令に忠実に従う子分です(祈)†■2023年2月1日UP■
「ポリーチェ POLICE に命令」ポリーチェは強姦殺人魔の命令に忠実に従う子分です(祈)†
皆さまの心は真実を知っているのです。それを「洗脳」で分からなくさせられているのです。ゴマかされているのです、曇らされているのです。そのモヤを振り払えばたちまち真実が見えてきます。ベールはたった1枚です「洗脳」という名のベールです。それさえめくればすぐ目の前に真実が顔を出します。「ポリーチェ POLICE に命令」という「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の思念のインスピレーションを霊団が降らせてきましたが、これがいかにふざけた意味であるか、どうか想像力を働かせて頂きたいと思います。大量強姦殺人魔、人類最大の犯罪者がポリーチェ POLICE に命令する、ポリーチェがその大犯罪者の命令に忠実に従い、スナイパーチームとなって僕のように真実を公言する人間を暗殺する。【神】が経綸するこの全宇宙に、これ以上のふざけた事があるでしょうかイヤない…続きを読む→

寿命が尽き、いよいよ死期が近づくと、一種の緊張の強みを感じる。永遠なる生命の書の第1巻を閉じつつあることが分ってくる。

心霊治療家となって以来、私は大勢の人が死を迎えるのを手伝ってきた。安らかに死を迎えさせてあげるのも心霊治療家の重要な任務の1つと心得ているからである。

その一生は苦労と不愉快なことの連続だったのかも知れない。が、死期が近づくと誰しも安らかさと落着きを覚え、完全な無痛状態と快く運命に身をゆだねる心境になるもののようだ。

無論そうとはいえない死に方もある。戦場で死ぬ兵士がいる。自動車事故や飛行機事故で死ぬ人がいる。殺されて死ぬ人もいる。死刑によって死ぬ者もいる。また同じく死ぬ人でも、霊的に目覚めて死ぬ人と、目覚めないまま死ぬ人とがいる。

死にたくないと必死に抵抗しながら死んでいく人もいる。こういう人は死の自覚の芽生えが遅い。死んでから尚も自覚が芽生えずに、霊界の指導者による看護と再教育を要する人がいる。が数から言えばそういう人はそう多くはない。

大体において死を迎える直前には静寂が訪れる。やっと終った、地上での勉強が終った、これで試練と苦痛から解放される、という認識が、安らぎと受容の心境を生む。何となく身が軽くなってくる。

肉体感覚が薄らぎ、自分のものでないように思えてくる。やがてふわっと上昇しはじめる。アドバルーンのように浮いてくる感じがする。見下ろすと、1人の人間がベッドに横になっている。自分だ。自分のからだだ。

そのからだと本当の自分とが銀色をした細い紐のようなものでつながっている。その紐が光線を発しながら息づいているのが見える。これがいわゆる“生命の糸”(玉の緒)だ。自分が上昇するにつれてその紐が細く長く伸びている。次第に輝きが薄らぎ、やがて消える。と同時に紐も無くなっている。その時あなたは“死んだ”のである。

地上と縁の切れたあなたは、なおもしばらく生命の灯の消えた異様な姿の“なきがら”を見下ろしながら、その辺りを漂っている。すっかり寛ぎ、気分が爽快だ。からだが軽い。ちょうどぐっすりと寝て起きた時のあの気分だ。何やらいい夢を見ていたらしい。その1つ1つは思い出せないが、とにかく気分がいい。あなたは、しばし、その陶酔に身をまかせる。

やがてその気分のまま銀白色のモヤの中を上昇しはじめる。その動きはゆっくりとしていて、しかも快適である。上へ昇るというよりは、外へ出て行くと言ったほうが当っているかも知れない。

そのうち指導霊が姿を見せる。ニッコリと笑顔で迎えてくれる。その指導霊といっしょになおも上昇していく。いっしょに上昇しながら指導霊との再会のよろこびをしみじみと味わう。地上の苦労の数々も今では楽しい思い出だ。

やがてモヤが晴れる。気がつくと、そこには先立った肉親縁者や友人、知人がいる。みんなニコニコして労をねぎらうように温かく迎えてくれる。そこが霊界である。あなたはようやく故郷へ帰ってきたのだ。

みんなはつらつとして幸せそうだ。そしてそれぞれが最盛期の容姿をしている。1人1人みな違う。40代の働き盛りの姿をした者もいれば、20代の魅力あふれる女性もいる。死後彼らは老齢と病を象徴するあのみすぼらしい痛々しい特徴をかなぐり捨て、それぞれが最高の容姿に変わっていく。

老人は腰が真っすぐになり、顔のシワも消え、働き盛りの元気はつらつとした男性となる。そしてその相をその後もずっと維持する。変化するのは霊的成長とともにオーラの輝きが増すことである。

子供は霊界でも徐々に成長する。徐々にと言っても、その度合いは地上の時間的観念と同一ではない。だから、その子の幼少時代しか知らない肉身や友人は現在の成長した姿ではもう認識できないまでになっている。そこで一時的にかつての他界した当時の容姿をまとい、新参者がすっかり落着いてから、本来の容姿に戻していく。

こうして愛と輝きの雰囲気の中で、あなたは旧知を温め、友情を確かめ、再会のよろこびを心ゆくまで味わう。時の経過と共に、代ってこんどはあなたが新参者を迎え、新たな環境への適応を手助けしてあげることになる。

さらに時が経つ。どのくらいかは分らない。地球の長い歴史の観念をもってすれば、われわれにとって長いと思われる時間も、永遠の時を大海に譬えればその1滴にも相当しないであろう。

が、ともかく幾ばくかの時が経ち、あなたはすっかり新しい環境に馴染み、そろそろ地上生活のおさらいをしてもいい時期が来る。そこで指導霊といっしょに1つ1つ点検し反省する。

その結果さらに1段高い次元の世界へ進む資格があると判断するかも知れないし、まだまだ経験が足らないと判断するかも知れない。他人への思いやり、謙虚さ、奉仕の精神等が不足しているかも知れない。そうなると再び地上へ戻ったほうがよいという結論になるであろう。そしてその機の熟するのを待ちながら準備にかかる。

こんどの人生ではあなたは身障者としての生涯を選ぶかも知れない。れん性麻痺患者として生きることになるかも知れない。聾唖者となるかも知れない。あるいは億万長者となるかも知れないし、天才に生まれ変わるかも知れない。みんなそうやって自分で選んで生まれてくるのだ。

私の父は87歳で他界した。その日私は、ダブルベッドでようやく起き上がっている父のわきに腰かけ、妻のジーンが片手を握っていた。白髪の老紳士である。2週間前から病気が出て、私は直接と間接(遠隔)両方の治療を施した。がやはり寿命だった。死ぬ間際には痛みも消え、安らかに寝入ったまま静かに他界した。

父は自分でも死期が近づいていることを自覚していた。そして私と長々と最後の話をした。父はいい生涯だったと言い、何も思い残すことはないと言った。ただ、自分の葬儀について、人様に迷惑を掛けたくないから余計な儀式は一切やめにして密葬にし、死体は火葬にしてほしいと言った。自分の死を悲しんでほしくないとも言った。最後まで陽気で寛いだ雰囲気だった。

父はあまり口やかましい人間ではなかった。教育も普通教育だけだった。子供の頃から正統派のキリスト教で育てられ、その他のことは本で読むこともあまりしなかった。人生哲学などについては1冊も読んだことがないのではないかと思う。

しかし静かに物思いに耽るタイプで、時おりパイプを口にし、一言居士的なところもあったようだ。スピリチュアリズムには関心がなかった。1、2度誘ってみたが、どの宗教でも似たようなことを言ってるよ、といって取り合ってくれなかった。

その“宗教”に関しても、父は本を読んだわけでもなく、誰かと議論したわけでもなく、挑発されたわけでもなく、思い知らされるような体験をしたわけでもないのに、すでに40年以上も前からすべての伝統的教義をかなぐり捨てていた。

固苦しい掟やタブー、儀式、迷信の類いから完全に解脱していた。そして1日わずか2、3シリングで事足りる実に質素な生活に甘んじていた。心は優しくて思いやりがあり、他人の弱点に対して寛大だった。まさに「汝の人にせられんと思うところを人に施せ」というキリストの黄金律が父の唯一の人生哲学だったようだ。

父はどうやってそこまで辿り着いたのだろうか。心霊能力は何1つなかった。物が見えたとか声が聞こえたとかの体験もなかった。私の知るかぎりでは霊媒や心霊治療家のところへ行ったこともない。交友関係にも霊能者はいなかった。

多分どこかでうまく背後霊と連絡が取れていたに違いない。自分では自覚していなくても、外部から見る者には、父が人間的に成熟した人間であることは明白に読み取れた。

同じく霊的真実に目覚めるのにも、私のように心霊治療を施したり、私から治療を受けたり、交霊会で霊と会話を交わしたり、霊の姿を見たり手で物質化霊に触わったり、写真に撮ったりといった、いわゆる心霊的体験を通して目覚める人と、そうした体験を何1つせずに自然に目覚めている人とがいる。

前者にとってそれは当然の帰結といってよいが、後者にとっては余ほどの魂の純粋さを必要とすることではないかと思われるのである。

死の2時間前から父は軽い昏睡状態に陥った。その瞬間から生命力が次第に抜け始めた。と同時に、霊魂が身体から脱け出て、生命の系でつながったまま漂っていた。糸は霊が遠ざかるにつれて細くなっていった。が、まだ息づいている。

父がわれわれを見下ろしているのがわかる。妻は父の片手を握りしめ、私はそばで静かに腰かけている。安らかな死を迎えさせてあげるために、力と平静さとを与えたのである。

その間にも父の身体は急速に変化を見せていた。頰は落ち込み、目は無限の彼方を凝視しているかのようだった。そこにはもはや父の面影はなかった。やがて生命の糸の息づきが止まり分解しはじめた。父の霊魂は急速に上昇しはじめた。そして多分、大勢の縁者と再会することだろう。父はついに死んだ。

翌日、私は例の『死とは何か – 悩める人へのガイドブック』をもう1度始めから読み直してみた。20ページ余りの薄い本なので読み通すのに時間はかからなかった。読み終えた時、妻のジーンが「どこか書き直さなくてはいけない箇所がありますか」と尋ねた。

どこにも書き直すべきところはなかった。実は本書の第10章からはその小冊子を敷衍しながら書いている。言わんとしていることはまったく同じである。若い頃の私は父を“悩める人”と見ていた。確かにそういう時期もあったに違いない。

が大事な時期に多分父の背後霊が、“知識”によってではなく、霊的に悟らせる形でうまく指導したのだろう。その後私は交霊会で父と何度か話を交わし、今でも助言を求める時がある。新たな環境への適応の一時期を経て、今では背後から私を援助してくれている。

その雰囲気は地上時代と同じく優しさと純粋さにあふれている。私も父に見習わなくてはと思っている。私が地上を去って霊界で父と再会した時、父が誇りをもって私を迎えることが出来るように。

「感謝の念は消えません」だからそれは帰幽後の話だろ、物質界の邪悪を滅ぼせよ(祈)†■2022年11月2日UP■
「感謝の念は消えません」だからそれは帰幽後の話だろ、物質界の邪悪を滅ぼせよ(祈)†
僕は「物質界は地球圏霊界の刑務所」と公言していますが、霊団の動きを見るほどに僕のこの言葉は本当に正解なんじゃないか?という気がしてなりません。つまり刑務所が住み心地良くなってしまったら刑務所としての機能が果たせなくなってしまうので邪悪を(今のところは)滅ぼすつもりがない。未熟霊の矯正に刑務所を活用し続けなければならないからだが、矯正する未熟者がすっかりいなくなった、つまり地球圏霊界全体がある程度のレベルまで向上を果たし、下層界にうごめく低級霊たちもほとんど向上を果たし姿を消し、下層界が空っぽになるくらいのところまで到達した暁には、刑務所である物質界の利用目的が消滅する事になるので、そうなって初めて物質界の邪悪を消滅させるとか、そういうアフォみたいに気の長い事を考えているのではないか、などと思ったりもするのです…続きを読む→
「強制的に合体」これは支配霊バーバネル氏が強制的に僕という霊媒を使用するつもりという意味です(祈)†■2022年11月9日UP■
「強制的に合体」これは支配霊バーバネル氏が強制的に僕という霊媒を使用するつもりという意味です(祈)†
皆さまは「死ぬのが怖い」ですか。それは間違いです。僕たち人間に「死」はありません。僕たち人間は【神】から神性の火花つまり個的存在を賜って永遠に個性を失わない存在となりました。それ以前は類魂に埋没する存在だったのですが、人間となった僕たちは物質界を離れて以降も霊界にて霊的表現媒体をまとって永遠の進歩向上の生活を続けるのです。霊界で生活している方々は、よほどどうしようもない理由でもない限り物質圏付近に降下しようとは思いません。霊界とは(もちろん上層界と下層界とでは天と地の差がありますが)よほどの極悪人、未熟霊でない限りは大抵の場合幸福な境涯に赴き、物質界生活時には想像もしなかった喜びにあふれた生活を味わって激しく心を撃たれます…続きを読む→
「霊界にはたどり着く」当たり前だろ、霊団がもう使命遂行やる気ゼロという意味です(祈)†■2022年12月14日UP■
「霊界にはたどり着く」当たり前だろ、霊団がもう使命遂行やる気ゼロという意味です(祈)†
僕は間違いなく「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁に殺される→霊団はその危機を回避させようとして明仁、文仁、徳仁、悠仁および奴隷の女の子の情報を僕に降らせないようになっている(イヤ少しは降らせてきていますが)→僕の使命遂行の力点を明仁、文仁、徳仁、悠仁の滅亡および奴隷の女の子の救出から交霊会開催へと転換させようとしている→しかしサークルメンバー問題が解決しないので僕の霊媒発動はない→邪悪は滅ぼそうとしない、奴隷の女の子は助けようとしない、交霊会はできない、全く目標に到達せずただ苦難ばかりを延々とやらされる状況に突入しているために、僕の霊団への怒りが制御不能に達する→交霊会ができない不足分を「絶版書籍の復刊」の作業で補いつつ、霊団に破壊された生活を何とか少しでも改善させようと僕は「反逆」を開始するが、一向に反逆は完成しない…続きを読む→

んーこれは宜しくないかなぁ、モチョト塗り進めてみてどうしても軽薄さが拭い切れないようであれば思い切って方向転換しましょう。先日入手したアドオン「distress(ディストレス)」を使用してもう少し重厚感が感じられるような表紙にします。現時点の雰囲気を脱し切れなければNGケテイ。

霊団から意味不明の幽体離脱時映像が降ってます、あんなもの一切説明できません、何のつもりでああいう事をしてくるというのか。ただただ首をかしげるばかりですが表紙カラーリングのNG回避をもう少しやってみます。続行中続行中続行中(祈)†

以前インスタをやっていましたがなぜやめたのか。アカウントを凍結された事も理由のひとつですが、インスタのためだけに新規の作業をやらないといけない、それが苦しくて続けられないと判断しての事だったのです。で、PCからの投稿もできるようになって多少使いやすくなっているようですが、基本的には以前とほぼ変わらないですね。

ま、気張らずにぬるくゆるく行きましょう。気合を入れて使いだすとたちまちアカウントをやられます。SNSとはそういうモノですYAMAPもそうでした。あくまでもメインはWordPress、そのWordPressにできるだけ流入してもらうための1ツールというポジションでいきます。消されると分かっているものをメインになどできませんので。これはTwitterと同じ。

「インペレーターの霊訓」書籍表紙のカラーリングを急ピッチで進めています。霊団の様子を見るに、この復刊の作業は続行できないような気もしなくもない、ましてやこの復刊から脱出につなげるのはまず不可能と思われますが、しかし僕レベルで一応「年5、6冊を復刊」という目標で作業を進めようと思います。

インペレーターの霊訓を無事復刊させる事ができたら、その勢いで一気に2冊目3冊目の作業にも取り掛かります。僕はやる気ですが霊団はまるっきりやる気なし、ただボケっと見てるだけ。霊界の仕事とは何てお気楽なんだ。(帰幽して僕がそのポジションに立ったら愕然とさせられるのでしょうが)

んんん、オーファンワークス関連の事務作業を本気で外注したい(法律関連の人間に依頼するのが通常の手順で、自力でやる人間はあまりいないとサイト上に書いてあります)しかし僕には外注費などありませんので自力でやるより他にどうしようもないのです。究極にメンドクサイ事務作業に翻弄される事になります、本気でヤダけどしょうがない。

とにかくまずは表紙の完成を急ぎます。作業全力続行中(祈)†

「科学のヒントがパズルのように含まれる」霊団はまだ交霊会の事をしつこく言ってきます(祈)†■2022年9月21日UP■
「科学のヒントがパズルのように含まれる」霊団はまだ交霊会の事をしつこく言ってきます(祈)†
今こうしている間も奴隷の女の子たちは明仁、文仁、徳仁、悠仁に「処刑遊び」と称して強姦殺人され続けている事を知っていながら、その女の子たちを助ける事を一切せず、女の子たちに背を向けながら霊団の要求を泣く泣く呑んで交霊会をおこない、新時代の霊言を降らせる人生を送ったとして、その僕の心境をどうか皆さまにご想像頂きたいと思います。奴隷の女の子の存在を知らない状態だったなら、ノリノリで交霊会をやっていたかも知れません。しかし霊媒として機能し、霊言を拡散する作業を日々おこないながらも「コイツら(霊団)は奴隷の女の子たちを全く助けるつもりがないんだ」と思いながら苦虫をかみつぶして一生を送る、それがどういう心境かをご想像頂きたいのです。僕の目には、霊団のこの態度は「偽善の極致」として映ります。口だけ動かしてどれだけ高尚な事を言ってきても結局女の子ひとり助けようともしない奴らなんだ、そういう結論に達します…続きを読む→

あなたにも指導霊がついている。人間のすべてに例外なくついている。たった1人でなく2人以上、5人も10人もついている人もいる。かつてはこれを守護の天使(ガーディアンエンゼル)と呼んでいた。知識と体験を積んだ霊で、地上生活を送る人間を背後から指導援助してくれる。

その中には地上時代にあなたを可愛がっていた親戚の人とか、数世紀も前に他界した霊が特殊な才能を生かして指導に当ることになったケースもある。この場合はあなたが今回の地上生活を選ぶに当ってその相談相手になった人であることが多い。地上生活中ずっと面倒を見て、あなたが地上を去った時は真っ先に出迎えてくれる。

そうした背後霊とあなたとは色んな形で連絡が取れているが、普通の言語による通信は出来ない。肉体に宿ったことによって、それだけ連絡網が決められているのである。

そこで背後霊は、たとえばあなたの脳裏にある考えを吹き込んだり、あなたの悩みを解決してくれそうな人のところへ案内したり、そのほかいろんな手段を講じて援助しようとする。どこでどういう援助があってこうなった、といったことは霊能のある人なら分るが、普通の人間には分らない。

その霊能者 – 時には霊媒と呼ぶべきケースもあるが – これはスピリットと直接交信する能力を具えた人のことである。霊界のスピリットにとって人間に意思を言語で伝えるのは至難のワザである。どうしてもそうしようと思えば、人間の耳に聞こえるレベルまで波長を変える(ラジオのように)だけでなく、それを“音波”に変えなくてはいけない。

このためには人間の発声器官に似たものが必要となる。交霊会では実際にボイスボックスという人間の発声器官と同じものをエクトプラズムという物質で拵えてしゃべるという現象(直接談話現象)があるが、いちばん手っ取り早いのは人間の生(なま)の発生器官つまり霊媒を使うことである(入神談話現象)。

入神というのは深い睡りの状態 – 昏睡とか人事不省の状態 – と同じと思えばよい。その状態の霊媒の身体にスピリットが一時的に宿ってしゃべるわけである。入神の深さにも程度がある。私のように治療しながらでもスピリットと一体関係になれる状態もある。暗闇または薄暗い部屋のほうが調子がいいという人もいる。反対に明るい照明のある部屋、あるいは日光の射し込むような部屋がいいという人もいる。

霊媒能力というのは一種の遺伝である。が、どの才能でも同じであるが、霊能も努力して養成しないといけない。その養成中にいきなりスピリットに身体を占領されてびっくりする人がいる。

いずれにせよ、1人前の霊能者になるには時間と忍耐力と鍛練と厳しい精神修養を必要とする。ある一流の霊媒が私に、自分の生涯は過去10年間の霊媒としての仕事のための修行だったように思う、と語っていたのを思い出す。

私はよく交霊会に出席して背後霊と会話を交わす。2、3か月毎にどこかの霊媒の交霊会に出席することにしている。どの霊媒という特定の人はいない。経験豊かな霊媒とみたら行ってみる。するとたいてい向うから話しかけてくる。背後霊の中にも私と話したがっているのがいて、それが真っ先に出てくる。

他の背後霊は簡単な挨拶程度だけで、あとはそばにいて会話を聞いているだけである。その様子はちょうど身内の者から久しぶりで電話が掛かってきて、家族全員が電話のそばに集まっても、実際に受話器を手にするのはその中の1人か2人で、あとはそばで話の内容に聞き耳を立てているというのと同じである。

入神している霊媒の口を使う場合もあれば、ボイスボックスを使って直接話しかけてくる場合もある。言うまでもなく霊媒にも背後霊がいる。その中に門番のような役をする霊がいて、スピリットが話に出る順番を整理して混乱が生じないようにしている。これは大切な役目なのである。

というのは、入神談話にせよ直接談話にせよ、霊媒自身は完全な無意識状態にあって、自分の身体の自由がきかないからである。交霊会はたいてい1時間近くかかる。もちろんそれをはるかにオーバーすることもある。通信にはたいへんなエネルギーを要するので、スピリットによっては長時間続けられないことがある。

全部話が終らないうちにエネルギーが切れて打ち切りになったことが何度かあった。ところがそれから2か月して別の霊媒のところへ行ったら同じ霊が出て来て、このあいだは途中で話が切れて申しわけない、と言って続きを話してくれた。ちょうど公衆電話で話をしていて、時間が来て途中で切れてしまったので、あとでもう1度掛け直すのと似ている。

“霊を呼び寄せる”(口寄せ)などということをやる人がいるが、交信は本来スピリットのほうの意思で行われるもので、人間としては時おり霊媒のところへ行って向うからの連絡を待つよりほかはない。

治療家として私は、肉身の死による悲しみのために病気になった人を数多く治療しているが、これほど野蛮な話はないと、いつも思う。悲哀を味わうということは、私に言わせれば一種の罰である。

無知だからそれほど悲しく思うわけである。自己憐憫も、悔恨も、自責の念も、あまりに大げさすぎるのだ。必要以上に自分を哀れに思い、悔み、そして責めたてるその余剰の念が身体を蝕むのである。

そうした哀れむべき人を治療する時、私はまず死についての再教育から始める。ある婦人が私に尋ねた。「夫はなぜ私に話しかけて来ないのでしょうか。あなたの言うように、もしもあの世に生き続けているのなら、なぜそうと教えてくれないのでしょうか」と。

夫の死で悲しみのドン底に落ち、自分1人の暗い世界に閉じ込もってしまったことが、まわりからの全ての援助の手をさえぎっていることに気づかない。自宅に電話を取り付けずにおいて、誰も電話を掛けてくれないと文句を言っているようなものだ。

霊媒を通じての直接の交信(コミュニケーション)が出来なければ、前に紹介した背後霊との触れ合い(コミューン)が出来る。これには“静寂の時”さえ確保できれば1人でも出来る。10分間あるいは15分間ほどやって何の変化も感じられなくてもよい。

うっかり寝入ってしまってもよい。それを折にふれて実行していくのである。いつでもどこでもよい。完全にリラックスして白日夢を見る状態でよい。ただ肝心なのは、煩わしい日常の雑念に邪魔されないようにすることである。

そのうち、ふと体が軽くなったような気分がしだす。心身ともに軽くなってくる。そんなに張りつめていたのかと思うほど気分が和らぎ、さっぱりとしてくる。と同時に、悩みのタネであったことが大したことではないような気分になったり、解決のためのいい方法が思い当ったりする。あなたは背後霊の援助を受けたのである。

「愛の表現、怒るな」霊団の軽薄極まる言葉です。とにかくこの人生の責任取れ(祈)†■2022年4月27日UP■
「愛の表現、怒るな」霊団の軽薄極まる言葉です。とにかくこの人生の責任取れ(祈)†
「宇宙一のバカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁は、自身の大犯罪を隠し通さなければ本当に逮捕になってしまうため、いつまでもどこまでもウソ洗脳ニュースをメディアに流し続けて国民をダマし続けなければならない。つまり「明仁、文仁、徳仁、悠仁にはウソをつき続けなければならない理由、動機、必要性がある」僕、たきざわ彰人には、これほど長い年月にわたって画家の夢Dreamworkを捨てさせられてブログでウソの内容を書き続けるなどという行為をしなければならない必要性が全くない。そもそも僕の人生の目的は全く別のところにある。「僕にはウソを公言する理由、動機、必要性がない」そんな事しても別に何にもならない…続きを読む→
「片手落ちというものがありません」あくまでも霊界側の視点でのお話です(祈)†■2022年6月1日UP■
「片手落ちというものがありません」あくまでも霊界側の視点でのお話です(祈)†
僕の物質界生活中に結果が出るとは言っていない、僕の帰幽後に霊界側が計画した通りの結果に到達する。「宇宙一のバカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の滅亡も、僕の物質界生活中には達成できないとしても、僕の帰幽後にそのようになる。奴隷の女の子たちの救出も、僕の物質界生活中には実現できない、しかし女の子たちは強姦殺人されて以降に霊界で十分すぎる埋め合わせがあるのだから何も心配する必要はない。だいたいこういう意味でいいでしょう。大俯瞰的視点で永遠という時間の尺度で全体を眺めれば「素晴らしい結果に到達した」と言えるのでしょうが…続きを読む→
「イエスからの贈り物」これは帰幽後のお話で物質界人生は最悪という意味なのです(祈)†■2022年7月6日UP■
「イエスからの贈り物」これは帰幽後のお話で物質界人生は最悪という意味なのです(祈)†
これはまるでイエス様からの、アキトくん、ここまでよくやった、おつかれさま、という終了宣言のように聞こえます。そんな事でいいんですか、あなたたちのやる気はそんなもんですか、しょせんあなたたちは霊界上層界の人間であり、最低界である物質界がどうなろうと知った事ではないという事ですか。物質界と霊界上層界はつながっていて、物質界の無知が霊界に反映されるようになってしまって「このままでは大変な事になる、何としても大胆な手段を講じて物質界に霊的知識を普及しなければ」という事になってスピリチュアリズムを勃興させたのではないのですか…続きを読む→

とにかくアカウントだけは作りました。もっとも使命遂行ど真ん中の内容は投稿できませんし、ど真ん中で使用したらまた以前のようにアカウントをやられるはずですから副次的な使用しかできないでしょうが、それでも活用するしかありません。

ちなみに現在使用中のSNSをまとめると↓

といったところでしょうか。これだけやっても拡散が全然足りない感覚です。って言いつつ手だけは動かし続けます。書籍表紙のカラーリングをガンガン進めます(祈)†

■2021年4月28日UP■
文仁が「ヒゲ」を剃ったとして、それが一体何だって言うんですか。皆さま絶対ダマされないように(祈)†
ここは惑星レイパーキングダム。ここでは男性のヒゲに特別な意味が付与されている文化が根付いており、ヒゲを剃り落とすとその男性の悪行がたちまち無罪放免になるという。レイパーキングダムに生息する男、文仁はいつものように幼い女の子を誘拐してきて強姦殺人しました。そして通報を受けてポリーチェ(POLICE)が文仁のところへ急行します。すると文仁は、ついさっき強姦殺人した女の子の死体が横たわる前で、ヒゲを剃り落とした顔で平然と立っているのです。その姿を見たポリーチェは「あぁヒゲを剃ったんですね、ではあなたの行いは帳消しとなりました。あなたは無罪です」と言って文仁を逮捕せず立ち去ってしまいます。文仁はニヤリとしながら再び2週間くらいかけてヒゲを生やします。そして十分に生え揃った頃合いを見計らって再び近所に住む幼い女の子を誘拐して強姦殺人します。そして再びヒゲを剃り落とします。またポリーチェPOLICEがやってきますが、文仁がヒゲを剃り落としているのを見て「あぁヒゲを剃ったんですね、ではあなたは無罪です。我々はこれにて失礼します」と言ってポリーチェはまたしても文仁を逮捕せずに立ち去ってしまいます…続きを読む→
■2021年10月6日UP■
「イエス様、間違っているが気に入って活用している」この意味について説明してみましょう(祈)†
キリスト教は「ひとりの人間を超人的ポジションに祭り上げて肝心の霊的知識をなおざりにする」という人類最大の愚行を犯しました。その間違いを僕たち人類は2度と繰り返してはならない、今回霊団が降らせてきたイエス様に関する幽体離脱時映像には、そういうイエス様、もっと言えば霊界全体の積年の悲願が込められているのではないかと思ったりもするのでした。イエス様は【神】ではありません。イエス様はずば抜けて霊格の高いひとりの霊能者だったという事です。【神】とはこの全宇宙を経綸する自然法則の事であり、断じてひとりの人間ではありません。ましてや「宇宙一のバカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁が【神が人間になった】などという事は天地がひっくり返っても全宇宙が爆発して滅んでも死んでも絶対に有り得ません…続きを読む→
「キビシイ試練をやらせる上司です」知識としては理解しているのですが、心は…(祈)†■2021年12月29日UP■
「キビシイ試練をやらせる上司です」知識としては理解しているのですが、心は…(祈)†
「イヤ、奴隷の女の子を強姦殺人し続ける事で日本の平和と安定が保たれているのだから、女の子は強姦殺人し続けるべきだ」とあなたは仰いますか。あなたのような人間の事を霊界、物質界問わず【神】が経綸するこの全宇宙で何と呼ぶか知っていますか「偽善者」というのです。自分の考えの正当性を主張なさるのであれば、あなたは目に入れても痛くないほどかわいがっている愛する自分の娘を笑いながら強姦殺人して下さい。近所に住む笑顔のカワイイ女の子を誘拐して強姦殺人して下さい。そうすればあなたは逮捕されますが、あなた以上に信じられない人数の女の子を殺しまくっている「宇宙一のバカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁が一向に逮捕されない事を全ての日本国民にどうやって納得させますか…続きを読む→

「インペレーターの霊訓」書籍表紙を制作中ですが、描いてみたら「ヤパーリ僕がインペレーター霊を描くとキャラキャラしてしまって重厚感が損なわれてしまう」と判断してボツにする可能性もあります。その時は書籍巻末に「これボツった表紙です」みたいな感じで掲載しましょう。せっかく描くんですからどういうカタチであれ使いましょう。

ちなみに先ほどUPしました「私は霊力の証(あかし)を見た 奇跡の心霊治療 第13章 自殺者や夭折した子はどうなるか」の中にあります「あなたの人生の長さ – 寿命 – は、あなたが地上へ再生する時点においてすでにわかっている。教育と同じで、学校を選んだ時点で、その学校の入学と卒業の時期があらかじめ定まっている。」の部分ですが、僕ももちろん物質界卒業時期が決まっていました。

僕の場合は霊性発現を果たした時点(2012年6月)で物質界終了だったのです、そのままおとなしくしていれば帰幽できたのかも知れませんが、怒涛にインスピレーションを受ける生活の中で、触発されたからなのか思わず霊的知識の怒涛ツイートを始めてしまい、それがきっかけで帰幽が消滅してしまったのです。

ちなみに僕の帰幽予定は2012年12月16日(日)でした。しかし「霊的知識の拡散をやってくれているのに帰幽させるのはもったいない」と霊界側が思ったのかどうかは知りませんが決定していたはずの帰幽が延期されてしまい、良いんだか悪いんだか「イエス様の怒涛の連続顕現」を受けてイエス様に果てしなく仕事をお願いされてしまい、僕は1週間近くグズッて拒否したのですがイエス様が1歩も退かなかったので根負けしてしまい首をタテに振ってしまったのです。

そして今現在もこうして最悪の状況に閉じ込められるハメになっているという訳です。ヨケーな事してなければ今ごろフツーに霊界生活していたはずなのです。まぁ2012年で帰幽するより使命遂行をやり切って帰幽した方がより高い境涯に赴く事ができますから、その部分は向上させて頂いた事に感謝しなければならないのですが、あまりにも自分の心と正反対の状況に閉じ込められているために感謝するはずが怒り憎しみに包まれてしまっているのです。

書籍表紙に集中していますのでフラー26本体デザインが完全にストップしています。とはいえ今後書籍をガンガン復刊させるつもりでいますので(オーファンワークスのハードルを突破できればの話ですが…)書籍データは次々と制作するつもりでいるのです。そうなるとますますフラーを描く時間が無くなります。いよいよフラーのプライオリティが下がってきました、暗雲が立ち込めていますが、まぁ仕方ないのかも知れません。

書籍表紙の線画のゴミ取りは終了中、カラーリングに入ってますがチョト自信がありません。やるだけはやってみましょう(祈)†

■2020年5月14日UP■
「ムズカシイですね病気、国民の同情を引こうとしてる」徳仁が雅子の作戦をマネしようとしているようです(祈)†
「宇宙一のバカ」「強姦殺人魔」「おっぱいを食べる」「スカポンタン」恐ろしいまでのレベルで頭がカラッポの徳仁の妻「雅子」ですが、この雅子はもう何十年になりますか、ず~っと!ず~っと!ずうぅぅぅぅぅぅ~っと!「あたしは病気、あたしは病気」と言い続けていますよね。これが「国民の同情を引く作戦」である事は…続きを読む→
■2020年5月13日UP■
TrailMovie 2015年11月、僕の事を「不敬罪」で通報した多くの方々へ(祈)†
この天皇一族は、美人の母親から女の子の赤ちゃんを盗み続け、その奴隷の女の子を幼いうちからレイプしまくり、あげくの果てにオトナになる前に四肢切断して強姦殺人し、その死肉を食べる事を幾世紀にわたって至上の喜びとして続けている邪悪の大中心の一族なのです。"悪魔"はキリスト教が生み出したモノで実在しませんが、この天皇一族を言い表す言葉としては、この"悪魔"という表現が一番ピッタリくるのではないでしょうか…続きを読む→
■2020年5月11日UP■
■アナログ絵298「フラー02ver2.0カラーリング」UP。ヨハネ氏搭乗機となります(祈)†
脳内3Dモデルをウニュウニュ動かしクロッキーにスケッチを繰り返しながら悩みに悩み、今までにない葉っぱウイングの形状とする事でようやく腕を格納する事ができたのでした。えー描いた僕本人の個人的所感ですが今回の「フラー02ver2.0」の航行モードはまぁまぁお気に入りですね笑…続きを読む→

あなたの人生の長さ – 寿命 – は、あなたが地上へ再生する時点においてすでにわかっている。教育と同じで、学校を選んだ時点で、その学校の入学と卒業の時期があらかじめ定まっている。もしも寿命が来ないうちに切り上げたら、その分の埋め合わせにもう1度戻って来ないといけない。

教育のたとえで言えば、健康か何かの理由で長期欠席したとしよう。学ばねばならないことがたくさん残っている。そのままでは卒業させてもらえない。そこで欠席した分だけの期間を改めて学校へ通わなければならない。

自殺するのに勇気はいらない。自殺は実は臆病者の取る手段である。挫けず生き通すことこそ勇気がいるのである。しかも自殺は何の解決にもならない。霊界へ戻ってみると、地上でやることにしていた仕事が残っていることを知る。多分あなたが選んだコースは少しあなたには負担が大きすぎたのかも知れない。

が、それをあなたが自分で選んだのである。選んだ以上、あくまでやり通すべきだった。あなたはそれから逃避した。そのままでは霊的進化は達成されない。達成するには残して来た仕事をやり遂げねばならない。といって肉体はすでに無い。埋葬されて腐敗したかも知れないし焼却されたかも知れない。

あなたは指導霊と相談する。その結果もうあと2、3年で必要な体験が得られると判断する。そこでこんどは夭折する運命のコースを選ぶ。

これで死が罰でもなく、また全てを解決するものでもないことがおわかりであろう。もう1つ次元の違う世界へ行くだけの話である。学校を卒業して大人の世界へ入る、その卒業式のようなもので、あなたもいずれは死という卒業式を迎えて、より大きな人生へと進まねばならない。

今の例でもわかるように、ほんの短い地上生活しか必要でないスピリットがいる。それは、今の例のように完全に終了しなかった人生を完成するための場合もあれば、すでにかなり霊的進化を達成し、地上での勉強をあまり必要としないというケースもある。

とくに高級霊が幼児のうちに他界するというケースが多い。そういう運命を選んだ子供にあなたも会ったことがあるはずである。幼いうちからしっかりしており、しかも美しさと上品さが輝いてみえる。

だから、幼い子供を失った親は決して悲しむことはない。そういう子はその純粋さ故に、大人が大人であるが故にもつ数々の不純さを避けていると思われるふしもある。事実、死後地上と交信する上で子供のほうが大人より有利なのである。その子の死を悲しみ嘆くことは、その子にとってもあなた自信にとっても、何の益にもならない。

涙を拭って自分にこう言って聞かせることだ – わが子はいつも身近にいてくれている、と。きっとあなたの来るのを待っているはずである。『ピーターパン』の著者ジェームズ・バリーが「死ぬということは素晴らしい冒険である」と述べているが、まさにその通りだ。どんな楽しいことが待っているかわからないからである。

妊娠中の母親はいろいろと考える。かならずしも食べ物のことばかりではない。もっとも、食べることに関しては異常になるようだ。私の妻などは真夜中に起きてフライを山ほど揚げる。そしてイザ食べる段階になって気分が悪くなり、せっかく揚げたものを全部捨ててしまうといったことを何回かやった。

お腹に子供がいると母親はその子に夢を託し、いろいろと将来を思う。が予定日が近づくと考えが変わってくる。男の子でもいい。女の子でもいい。目は青でも茶色でもいい。背は高くても低くてもいい。色は白くても黒くてもいい。どうか五体満足の子であってほしいと思うようになるものだ。

その願いが必ずしも叶えられるとは限らないようだ。不具の子が生まれることが現実にあるからだ。この事実をどう受けとめるべきか。親はまず罪の意識にとらわれる。何がいけなかったのだろうか。

自分たち親に何か欠陥があるのだろうか。こうした意識を生涯抱き続けている親がいる。そしてその生涯は聞くも涙の物語となる。悔恨と過剰な罪の意識がそうさせるのである。

生命の誕生は実に驚異というべき現象である。私がそれを“驚異”という時、私の心にあるのは、よくも五体満足で次々と生まれてくるものだという感慨である。が中に五体満足でない子供がいる。次に紹介するのはその不幸な例である。

数年前、知人の家に女の子が生まれた。2人目の子である。最初の子は男で、頑健そのものだった。女の子も五体は満足で、青い目のブロンドだったが、脳に欠陥があった。出産の途中でほんのわずかな時間だったが酸素が不足し、それが原因で脳細胞の一部が死んだのである。

どうも反応の仕方がおかしいと気づいた親は小児科へ連れていった。小児科医は徹底した診察と検査を行い、さらに脳の専門家の意見も聞いた上で次のような気の毒な診断を下した。この子は身体的には正常に成育するが知能的にはこれ以上発達せず、恐らく植物人間としての生涯を余儀なくされるであろうと。

親にとってこれほど惨(むご)い話があるだろうか。その夫婦はその子を連れて私のところへ来た。さっそく霊的な診察に入ったが、とたんに私は「この子を大事にしなさい」と口走った。無意識のうちに出た言葉だったが、私には指導霊が言わせたものであることは分っていた。続けて私はこう言った。

「この子に愛情を注ぎなさい。存分に注いでやりなさい。心霊治療も定期的に受けさせてやって下さい。どの程度よくなるかは今の段階では言えませんが、知能をもった子になります。大切に、愛情をもって育てなさい。」

その子は名前をサラと言う。今では6歳になった。障害児施設に通っているが、愉快で愛らしい子である。その後もう1人の健康な男児を出産した母親は、3人のうちでサラがいちばん愛情を覚えるようですと語った。

母と娘の間に普通以上の縁が出来あがっているのである。恐らくサラはまともな成人にはなれないであろう。が、サラはサラなりに1個の立派な人格の持主なのだ。

もっとも、ここまで来るまでには、その子が深刻な悩みのタネとなった時期があった。サラが4歳を迎える頃には母親は心身ともに疲労の極にあった。痛々しいほど痩せ細り、食事がまともにノドを通らない。

確実に病身になりつつあった。医者の診察ではどこにも異常はなかった。ありとあらゆるテストと検査をしてもらったが、全てマイナスの反応だった。が、ついに入院のやむなきに至った。

その段階ではじめて私はご主人から奥さんの窮状を知らされた。依頼を受けて私はすぐさま病院へかけつけた。見ると痛々しいほど痩せて、気味悪ささえ感じるほどだった。まだ30代であったが、見た目にはまさに老婆だった。

が私の心霊治療を受けてから急速に快方に向かい1週間後には退院し、1か月後にはすっかり元気で明るくなり、食事も進み、体重も増えてきた。ここにも1つの人生がある。まだその全ては分らない。これからどうなるか分らない。が、そういう子にも、その子なりの人生があるのだ。意義ある人生が。

不具の子、障害をもった子にも例外なく完全なる霊が宿っている。ただ、宿った身体が不完全だったにすぎない。その子は、そういう不完全な身体に宿った人生を自ら選んだのである。自らこしらえた牢獄といえるかも知れない。そういう人生でないと得られない教訓があるのだ。

またその両親を始めとして兄弟、姉妹、その他その子と縁のある人々にとっては、そういう子との接触が必要だったのかも知れない。あるいは、高級霊がさらにいっそうの進化のために敢えて障害者としての人生という過酷な試練の道を選んだのかも知れない。

いずれにせよ、すべてに目的がある。時としてそれがわれわれ人間には分らないことがある。が、それでも全ての人生にそれなりの意義があるのだ。

「地上とのつながりがすでに無くなっていた」これは僕への最大級の脅し文句です(祈)†■2023年12月20日UP■
「地上とのつながりがすでに無くなっていた」これは僕への最大級の脅し文句です(祈)†
僕の予測ですが(これが正解だと思ってます、最悪の正解ですが)霊界側はもう何もしない、このまま僕を閉じ込め続ける事だけを考えている、交霊会も実は全然やる気がないのではないか、という気さえしています。事実全然やってないじゃないですか。インスピレーションだけを徹底的に降らせて、あとは僕にテキスト撃たせて拡散させる、それが霊界側としてはいちばんカンタン、ラク、消費パワーが少なくて済む、物質圏付近に降下する犠牲的作業をせずに済む、その霊界側にとって犠牲の少ない方法(インスピレーションのテキスト化)で十分に成果を上げているので、それで霊団は「ラクだから大好き大好き♪」とムカつく事を言ってくるのではないか、などと思ったりもするのです。霊界高級霊の方々が犠牲的降下をせずにインスピレーションという霊にとってのごく自然かつ通常の通信方法で仕事をおこなえる僕という「霊の道具」をできるだけ長く物質界に閉じ込めておケツひっぱたいてこき使うつもり、これが霊団側の真相なのではないか…続きを読む→
「みんな心の底ではイヤがってるんですよ」天皇一族に対する皆さまの本心です(祈)†■2021年12月1日UP■
「みんな心の底ではイヤがってるんですよ」天皇一族に対する皆さまの本心です(祈)†
コイツらは普段一体何をして生活してやがるんだ?というシンプルな疑問が湧いてくる事と思います。皆さま宜しいですか「公務」は仕事ではありません「自演乙(じえんおつ)」の偽装工作です。自分たちが何か特別に選ばれた偉い人間であるかに思わせるための洗脳工作です。断じて公務は仕事ではありません洗脳です。つまり「宇宙一のバカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁は生涯で1度も仕事をした事がないという事になります「では、コイツらは仕事もせずに普段は一体何をして生活しているんですか?」その疑問に対する回答がこうです。1日中奴隷の女の子をレイプして遊んでいるんですよ…続きを読む→