私はよく本を読む。これまでも随分読んできた。少年の頃は学校のカバンにたいてい1冊は冒険物語を忍ばせていたものだ。最近は旅行することが多いが、近代的な乗り物は確かに快適かも知れないが面白味がない。だから乗り物の中では読書が多くなる。

英国人というのは概してはにかみ屋が多い。私もその1人で、その性格の延長で私は自分の読んでいるものを人からのぞき見されるのが大嫌いである。そこで、対策として一計を案じた。専用のカバーを2枚用意したのである。

1枚は「核代数の2元方式」と題してあり、もう1枚は「誰にでもわかる神経外科」と題してある。何を読む際にも、どちらか大きさの合うほうを使うことにしたのである。

その反応を見るのもまた一興だった。代数のカバーをしていると、それを見た人の反応はたいてい同じで、まず溜め息をもらし、よくもこんな難しい本を…といった感心の表情をみせる。神経外科の方だと、驚きと同時に不審そうな表情をみせる。「面白いですか」と聞いてみる人すらいなかった。

はにかみ、遠慮、無ロ – こうした一連の性向は英国民の特質である。英国人は何でも自分の中に仕舞い込んでおこうとする傾向がある。つまり内向的なのだ。これは健全な精神とは言い難い。といって私は今日から外向的になれと言うつもりはない。

奥さんを撲りとばしたり、大酒を呑んで暴れまわるのが健全な発散方法だなどとは、さらさら思わない。そんなものよりもっと健全な発散方法、自然が用意してくれた安全弁がある。それを活用すれば英国人はもっと健康になれるのではないかと思う。ではその安全弁とは何か。

その1つは、素直に涙を流すということである。キッと歯を食いしばって強情を張るのがしっかりしているという考えはもう古い。頑(かたく)なに意地を張っていると、その意地で自分を損ねてしまう。

風に柳がなびくように、自然な情の流れに身をまかせることも時には必要である。英国人は泣かなすぎる。もっと涙を流すべきである。素直に泣いてみるとよい。緊張がほぐれて身も心もすっきりするはずである。

次に、怒りの発散が時として心の衛生になることがある。何かと腹を立てる、というのとは意味が違う。それはキリスト教でいうところの7つの大罪の1つであって、他人へ向けての敵意に満ちた怒りのことである。私のいう怒りは、過った心の姿勢から積もり積もった欲求不満を思い切って爆発させるという意味の怒りである。

あなたもイライラが堪まらなくなったら、どこか人気(ひとけ)のないところへ行き、上着を脱ぎ、ネクタイをゆるめてから、大股で歩きながら10分間ほど大声で怒鳴ってみるとよい。

気持ちがすっきりし、同時に、自分をイライラさせていたことが実はいたって他愛ないことだったことが分かって、バカバカしささえ覚えるであろう。それは、うっ積していた感情の発散によって心の姿勢が変わり、前とはまったく違った角度から物を見るようになったからである。

自分の悩みごとを心おきなく語れる相手をもつことも大切である。カトリックの教会には“告白室”というのがある。過去の罪を告白して神の許しを乞う部屋であるが、心理学的に言ってもこれは精神衛生上よい慣習である。

昨今は精神分析学の発達によってお株を奪われた恰好であるが、私に言わせれば、そういう“いかめしい”ものの世話にならなくても、心の中を曝け出せる人をもつことで十分目的は達せられる。

が、問題はどこまで自分に正直になれるかということである。私のもとに来る患者の大半が私から聞かなくても症状をいろいろと訴えてくれる。が、そのいちばん奥の本当の原因をつかむのにかなりの時間を要する。

たとえば偏頭痛を訴える人が実は性的不能者で、それが原因で奥さんに気兼ねし、それが偏頭痛を生んでいることが、3度目にやっと分かったというケースがある。ところが4度目に更にその奥の別の要因を発見した。

また、肥満に悩む女性が股関節の痛風を訴える。が問い質してみると何1つ心配することのない正常なわが子のことでアレコレと思い悩み、それが痛風を悪化させている。そのイライラが衝動食いをさせ、それが肥満を助長させている。

このように、次々と訪れる私の患者でさえ表面的な痛みや悩みは訴えても、心の奥まではなかなか曝け出してくれない。その心の奥をのぞいてみると、そこには内向した感情、挫折感、疑念、無知、等々が巣くっている。それがみな内側を向いていて本当の姿を見せようとしない。

ために実際とは無関係の想像上の過ち、悩み、取越苦労が渦巻くのである。人間が遠慮なく自由に手に入れることの出来る援助には3つある。霊的知識と、背後霊の指導と、他人からの好意である。

まず霊的知識であるが、人間は教育を受け理性が発達するにつれて、幼少時代に読んだ寓話やおとぎ話をばかばかしく思うようになる。それは一応当然の成り行きといえる。

が残念なことに、そうした一見他愛なく思える話の中に埋もれた貴重な真理まで捨て去ってはいないだろうか。世界のいずこの宗教も必ず黄金の真理というものが含まれているものである。みな霊界という同じ源に発しているからである。

あなたがいずこの国のどなたかは知る由もないが、あなたの手もとに何らかの宗教書、経典の類いの1冊や2冊はあるはずである。私はあなたの宗教を変えさせる立場にはないが、その宗教書や経典に盛り込まれている迷信やタブーの類いは無視し、基本的な霊的真理だけを求めるようにしてほしい。きっとあるはずである。

次に背後霊の指導がある。自分にも背後霊がいるのだろうか – そう思われるのかも知れない。その通り、ちゃんといるのである。これについては後章で詳しく述べることにして、ここではその指導の受け方だけを簡単に述べておこう。

今夜、床に着く前に“魂の静寂”の時をもってみよう。まず寝間着に着替えるか、あるいはそのままの服でベルトとネクタイをゆるめる。女性であれば肌をしめつけるようなものは取る。もちろん靴も脱ぐ。

次に部屋を薄暗くする。明りは音と同じく神経を刺激する。それから、ラクに座れるイスに腰かけ、両足首を軽く交叉させ、両手を軽く組む。その姿勢で目を閉じる。目に力を入れてはいけない。眼球は動くにまかせる。そして頭の中を空っぽにする。

始めのうちは考えまいとする意思が邪魔をして、色々と雑念が湧いてくる。が、それにこだわってはいけない。1つの方法として、日常生活に関係のない単純なもの、たとえば花を思いうかべて、それに意念を集中するのもよい。

そうやっているうちに心身ともにリラックスしてくる。そこで親友にでも話しかける気分で、今あなたが抱えている問題を口に出して述べる。問題を述べるだけである。こうしてほしいと勝手な要求を出してはいけない。特に欲の絡んだ手前勝手な欲求を持ち出してはいけない。

問題を述べて、どうしたらよいかをご指導ねがいますと言う。言ったあと静かにしていると、ふっと軽い無意識状態に入ることもある。目が覚めるとスッキリした気分になっている。

これを毎晩くり返す。大切なのはその日その日を新たな気分で始めることで、慣れっこになって形どおりのことを機械的に繰り返すようになってはいけない。場所や時間は特にきめる必要はない。いつでもどこでもよい。車の中でもよい。大切なのは静寂の時をもつということである。

それを続けているうちに、ある朝ふと、いい解決策が浮かぶ。あるいは問題そのものが問題でなくなっている時もある。もしかしたら、思いがけない人がひょっこり訪ねて来て、それが問題解決の糸口になったりするかも知れない。どういう形で成果が現われるかは予断できない。

援助の3つ目は他人からの好意である。人間は困った時にはとかく遠慮と羞恥心から家族や友人、知人等に相談することをためらうものである。が実際には、思い切って打ち開けてみると、一見気むずかしそうな人が思いのほか積極的によろこんで援助の手を差しのべてくれるものである。

もっともっと人間はお互いに援助し合えるように心の中を遠慮なく打ち開け合うべきである。1人で悩みをかこっていてはいけない。旧約聖書の箴言集の中に次のような言葉がある。「友をもつ者はみずからよき友であるべく心がけねばならない。身内以上に親身になってくれる友がいるものだ」と。

私は最近例の2枚のニセのカバーがいらなくなったことを自分でよろこんでいる。このことに関連して考えさせられる治療例を紹介してみよう。

電話でヒステリックな女性の声が往診を依頼してきた。実はこの女性は看護婦なのだが、ご主人の危篤で気が動転してしまっている。肺の疾患で総合病院へ運び込まれて酸素テントの中に入れられているが、重態だという。

心霊治療家にとって病院は苦手である。英国の登録医のすべてを監督する立場にある英国医療審議会は、心霊治療を公認していないだけでなく、心霊治療家に協力する行為をした医師は登録抹消という懲戒処分に出る。私は医学界の独善的態度と、そこから生まれる不幸な結果についてはすでに言及した。

病院では運営委員会が許可した患者についてのみ心霊治療が許されるが、それる、患者側からの要請と担当医の許可を必要とする。担当医はたいていの場合患者が死にかかっていて手の施せない状態になるまで許可しない。その態度は牧師に最後の別れの祈りを許すのと少しも変わらない。

さて奥さんの強い要請と、しぶしぶながらも担当医の許可を得て私が病院へ行ってみると、ご主人はものものしくスクリーンで被われたベッドの中で、酸素吸入装置につながれて、文字どおり生きんが為の呼吸に必死になっていた。

その呼吸も一定していない。1つ1つの呼吸が最後かと思われるほどだった。その目はちょうどワナにかかった動物が見せる、恐怖におののいた目だった。私はベッドのわきに腰かけ、手を取った。まるで完全に電池の切れたバッテリーに充電するみたいだ。反応がまるでない。が、間に合ったと私は感じた。

翌週は奥さんから毎日のように電話で容態を連絡してもらって遠隔治療を施した。そして翌々週の月曜日に、平常どおりの治療を終えたあと病院へ行ってみた。まだベッドはスクリーンで被われていたが、患者はそのベッドの上で起き上がっていた。酸素テントはもう取り払われている。

1本のチューブが左の鼻の穴から差し込まれ、テープで留めてある。それが酸素吸入装置につながれている。顔色はまだ血色はないが、異常さは消えている。話をすることも出来た。それから1週間後にスクリーンも取り払われた。血色も出て来た。

異常事態に備えて酸素マスクがそばに置いてあるが、用はなかった。それから1週間にも満たないうちに退院できた。退院後2、3度治療に見えた。まだ元気とまではいかず、すぐ疲れ易かったが、なんとか平常どおりの生活に戻ることが出来た。

ところが、それから3年後にその人は別の病気で他界した。そのことを私は妻とその奥さんとの偶然の出会いから知った。が奥さんの話では、その3年間は2人の生涯でいちばん幸せな時期だったという。その思い出を宝物のように大切にしているというのである。

人生というのはピクチャーパズルのようなものだ。バラバラにされた断片をあれこれと組み合わせて全体の絵を完成させようとするのだが、悲しいかな、人間にはその断片のすべてを手にすることが出来ない。わずかばかりの体験から人生の全体像をつかまなくてはならない。

だから、往々にしてその全体像が見当違いのものになってしまうことがある。ある人が静かな田園風景の中に足を踏み入れて心の安らぎを得ている。がそのはるか彼方では血なまぐさい殺戮が行われているということだってあるのだ。

同じ地上にありながら、その体験が個人によってあまりに違いすぎる。そのわずかばかりの体験から、この複雑な人生の全体像を勝手に描きながら生きている。それが現実だ。

19世紀半ば頃、1人のフランスの少女に治病能力があることがわかった。家族や友人に治療を施していたが、世間一般から中傷と嘲笑と疑惑を浴びせられた。その治癒能力と善意が高い評価を受けるようになったのは後世のことである。その少女の名はベルナデット。ピレネー山脈の麓のルルドに住んでいた。いわゆる“ルルドの奇蹟”のヒロインである。

ベルナデットがもしも霊的真理の普及した時代に生を享けていたら、頭初からその能力と功績は高く評価されていたであろう。が不幸にして彼女が生きた時代はカトリック的ドグマへの忠誠が最高の敬虔の表われと見なされた時代だった。

今では彼女が聖母マリヤを見たという洞窟の周辺はまるでサーカスの興行にも似た狂騒の場と化している。みやげ店、ホテル、彫像が立ち並び、商売根性むき出しの呼び込みをやる。そこへ観光客が群がる。

そしておしまいはカトリックによる病気平癒の祈禱(ミサ)がヒステリックな雰囲気の中で行われる。が、これまでの100年余りで本当に治った人の数は、私のような個人の治療家が1か月で治している数にも及ばない。

このように霊的事象の正しい解釈はなかなか容易でない。体験した当人にしてみれば、まさかと思っていたことが現実に起きたのであるから、その興奮は抑え難いものがある。が、この場合のいちばんの正解はまずその体験を神の啓示として感謝し、啓示を授かった身の上を有難き幸せと思い、その上でその体験が自分の人生でいかなる意義をもつか、その片鱗でも理解しようと努めることである。

啓示を授かるということは真理の花園への扉が開かれたということである。それだけは間違いない。自分を取り囲んでいた高い塀に扉があることをこれまで知らずにいた。それを誰かが教えてくれた。

扉を開けると素晴らしい花園が見える。やがてそこへ誰かがやって来て手を取って案内してくれる。別に「ガイド」の腕章はつけていない。が、あなたには直感的にそれとわかる。

花園は素晴らしい。心が安まり和(なご)ませてくれる。と同時にカラフルで生きる意欲をかき立ててくれる。しかしその花園にもまた迷路がある。わき道へそれる危険性がある。人類が長年にわたって拵えてきた迷路でありわき道である。そこへ足を踏み込むともう行き詰まりだ。

間違った信仰、ドグマ、戒律のために人類はがんじがらめにされている。「立入禁止」「芝生に入るべからず」「無断侵入者は告発されます」こうした掲示はみな人間が勝手に立てたものだ。そんなものは無視してかまわない。神の言葉ではないのだ。

あなたの歩む道はあなたの背後霊(ガイド)が教えてくれる。それは1人1人違う。万人に一律のガイドブックというものはない。あなたにはあなたのガイドブックがある。それはあなたの背後霊がもっている。しかも、過ちは赦されるのだ。永遠に罰せられる罪などこの世にはないのだ。

「誰もいないカラッポ」帰幽後の僕が閉じ込められるところです、これはおもしろい(祈)†■2022年2月16日UP■
「誰もいないカラッポ」帰幽後の僕が閉じ込められるところです、これはおもしろい(祈)†
僕が閉じ込められる境涯に幽体離脱時に霊体にて訪れています。まぁまぁ明るい境涯でしたのでそんなに下層界という感じではなかったものの、ある団地の5階から7階へ引っ越しするのですが、その団地全体にひとりの人間もいません。7階の部屋の中ももぬけのから。そこが僕と2羽の住む部屋です。部屋のベランダから外の景色を見ます。どれだけ見まわしてもひとりの人間の姿も見えません。僕とユキ、ピー以外は全く誰もいない、そういうところに僕は帰幽後閉じ込められて生活する事になるのだそうです霊団によると。離脱中の霊体の僕は鼻で笑いました。「フフッ、10年の努力の結果がこれですか。コイツァーおもしろい。3人で仲良く楽しく暮らしていきますよ」と思念を抱くと…続きを読む→
「神、よくぞ耐え抜きました」物質界の苦難の存在理由、という意味かも(祈)†■2022年2月9日UP■
「神、よくぞ耐え抜きました」物質界の苦難の存在理由、という意味かも(祈)†
物質界は僕たち人間の「生活、人生の場」ではありません。シルバーバーチ霊いわく「トレーニングセンター」であり、心を、魂を鍛えて霊界で従事する予定の仕事を遂行するに足る人格、性格、忍耐力等を身に付けるために降下させられる場所、お勉強の場所です。【神】は子等(つまり僕たち)に【神性の火花】を賦与して下さり、それによって僕たちは個的存在を獲得しました。(もう類魂に埋没する事がないという事)これ以降はこの個性を永遠に失う事がなく、果てしない向上の人生を歩む事になります。そして神によって個的存在を賜った僕たち人間は、真っ先にこの物質界に降下してお勉強をさせられます。あえてこういう表現を用いましょう【神】が子供(僕たち人間)に「お勉強の旅に出てらっしゃい。そして十分にオトナになって私のところに帰ってらっしゃい」と言って僕たちを物質界に送られた。こんな感じではないでしょうか。単純に子供の成長を願う親の心境だと僕は思うのですが…続きを読む→
「もっと早くコナンドイル氏がいるうちに始めていれば」拡散力という意味では?(祈)†■2022年2月23日UP■
「もっと早くコナンドイル氏がいるうちに始めていれば」拡散力という意味では?(祈)†
ご覧の皆さまには、作品シャーロック・ホームズを今後ご覧になる時、原作者アーサー・コナン・ドイル氏が「スピリチュアリズムのパウロ」と呼ばれるほど霊的知識の普及に尽力、貢献した人物であった事、作品ホームズはドイル氏の人物像の1側面であって全体像ではないという事を頭に入れた状態で作品をご覧頂きたいと思います。そして願わくばドイル氏執筆の霊関連書籍にも目を通して頂きたいと切に願うものです…続きを読む→

WordPress霊関連書籍ヘッダー個人的存在の彼方

こちらの書籍が値段が下がるのをずっと待ち続けて全然下がらなくて泣く泣く入手した「個人的存在の彼方」となります。霊性発現初期の頃、たいじゅさんという若者に霊関連書籍50冊をプレゼントして、その時にこの書籍も手放してしまって、それ以来10年ぶりの入手となります。

何としてもテキスト化を完了させて、復刊はムリでしょうがWordPressにUPするところまではやりきるつもりです。

そして霊団から火山大爆発的にムカつく事を言われて、完全に無視して一切クロッキーにメモしませんでした。もう何て言われたか忘れてしまいました。しかし次回長文ブログネタとなるインスピレーションが極端に枯渇しています。ま、それならそれで反逆の内容を撃つつもりです、言いたい事は恐ろしいほどたくさんありますので。

フラー26キャラ線画、インペレーターの霊訓の表紙、書籍スキャンとOCR変換、忙しい、忙しすぎる。この人生は一体いつになったら終わるんだ、いつまでこの最悪状態をやらされなければならないんだ。Dreamwork(画家活動)を続ける事が、一体何がいけなかったのか、なぜ絵を描く事をやめさせられなければならなかったのか。まるっきり意味不明。

努力しても努力しても状況が一向に改善されない、悪化の一途をたどる、霊性発現以降、決して大げさな表現ではなく1度たりとも状況が好転した事がない。もうイヤだ、この人生もうイヤだ。って言いながら作業続行中(祈)†

「物質界に無数の光を照らしております」この言葉の通りなら僕も嬉しいのですが(祈)†■2022年1月19日UP■
「物質界に無数の光を照らしております」この言葉の通りなら僕も嬉しいのですが(祈)†
「神のご意志を物質界に送り届ける仕事」となりますから、その重大性は言語に絶するレベルとなります。霊団の「もう身勝手は許されません」の警告は、僕がこれまで何度となく幼稚、小我から反逆を繰り返してきた事に対する「アキトくん、これからはもうそのようなワガママは許されなくなる、重大性が桁違いだからだ」という意味となり、それは僕も激しく了解するところです。もし霊団が言っている通りになるのだとしたら、現在物質界に存在する霊界通信よりさらに進んだ内容の霊言を霊団が降らせてくる事になり、その霊言を物質界全土に広める事は「神のご意志を遂行する大中心の中の大中心の仕事」という事になり…続きを読む→
「僕、たきざわ彰人はもう小我で先行してはいけません」交霊会の事を言っているのです(祈)†■2022年1月26日UP■
「僕、たきざわ彰人はもう小我で先行してはいけません」交霊会の事を言っているのです(祈)†
自分という存在の根源についての疑問を心のホンの片隅にでも入れておく事で、いつかそのタネが花開くキッカケを掴みやすくなると思うのです。霊的なモノをお勉強すればするほど物質界にはびこる数々の邪悪な諸問題の根本原因が「霊的知識の無知」にある事がことごとく理解できるようになります。肉体の死後も霊的身体をまとって霊界で永遠に存在し続ける、物質界生活時の行為、思念が帰幽後の自分の生活環境を決定する、物質界の金銭は一時的預かりモノであって自分のモノではなく、帰幽と共に全てを物質界に残して心ひとつで霊界に出発する、つまり物的金銭を蓄積しても自分の未来に何のプラスにもならない、こういう事を理解していない人間が利己的動機で同胞を虐げて自分だけ物的利益を得ようとしている、それが邪悪の根本原因だと考えます…続きを読む→

表紙も既に完成しているのですが、インペレーター霊を僕が描くとキャラキャラするので宜しくないと言っていましたがやはり描くだけ描いてみようかなという事で、クロッキーに向かってインペレーター霊の設定資料を描いています。

そして完全に書籍データが完成したらテスト印刷しつつ、いよいよ殺人的にメンドクサイ復刊に向けた作業をやる…かどうかまだ考え中ですがやるしかないでしょう。ウンザリ感がタダ事ではないですが、もうここまできたんだからメンドクサイとこに飛び込め。

そしてキンドルファイヤーを使用しての校正が大変間違いを発見しやすい、早いという事が分かりましたので、今後はキンドルファイヤーを多用してスピードアップを図りましょう。OCR変換テキストの見直しの段階からいきなりAffinityPublisherにテキストを流し込んでpdfに書き出してしまうのです。

そしてそれをキンドルファイヤーで見ながらテキスト修正をおこなえば、校正と書籍データ作成を同時進行でおこなえますので相当の時間短縮になるはずです。何しろテキスト化を完了させないといけない書籍がまだまだ鬼のように地獄のようにありますので、少しでもスピードを上げられるアイデアを採用しないといけません。

霊団にかなり強烈な脅しを受けています。僕は何が何でも脱出しようとしている、霊団は何が何でも閉じ込めようとしている、その闘いで(闘いと思っているのは僕だけですが)閉じ込められる事をあきらめさせようとして脅しているのですが、閉じ込められる事を受け入れる訳がネィだろ、それだけは死んでも有り得ネィんだよ。

もっともどれだけ反逆しても霊団の意図の通りの最悪人生をやらされる事になるのでしょうが、僕は最後の最後まで脱出に全力を尽くします、死んでも受け入れるつもりはありません。

書籍を復刊させてみたところで間違いなく脱出にはつながらないでしょう。出版社設立しても同じ。しかし脱出の可能性のあるモノに賭けるしかないのです。そうしないと本当に一生閉じ込められる事が決定してしまうからです。とにかく全力、全力、全力で反逆します。脅しなんかクソ喰らえ。ただし最強レベルの脅し文句を言われています。長文ブログのタイミングで書けるようなら書きます。

いま自分にできる事を全力でやる、それ以外に脱出実現の方法はない。なぜこんな人生をやらされねばならないのかが永遠に理解不能。書籍表紙とフラー26、両方描きましょう(祈)†
「みんな心の底ではイヤがってるんですよ」天皇一族に対する皆さまの本心です(祈)†■2021年12月1日UP■
「みんな心の底ではイヤがってるんですよ」天皇一族に対する皆さまの本心です(祈)†
コイツらは普段一体何をして生活してやがるんだ?というシンプルな疑問が湧いてくる事と思います。皆さま宜しいですか「公務」は仕事ではありません「自演乙(じえんおつ)」の偽装工作です。自分たちが何か特別に選ばれた偉い人間であるかに思わせるための洗脳工作です。断じて公務は仕事ではありません洗脳です。つまり「宇宙一のバカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁は生涯で1度も仕事をした事がないという事になります「では、コイツらは仕事もせずに普段は一体何をして生活しているんですか?」その疑問に対する回答がこうです。1日中奴隷の女の子をレイプして遊んでいるんですよ…続きを読む→
使命遂行初期「あとは私にそっくりだ」のインスピレーションが心に突き刺さります(祈)†■2021年12月8日UP■
使命遂行初期「あとは私にそっくりだ」のインスピレーションが心に突き刺さります(祈)†
だから最初にキミに言ったはずだ、そういう風になるって。それをキミも了承したから我々はココまでやっているのだ。「あとは私にそっくりだ」のインスピレーションの意味の通り、キミには破滅してもらう、それが当初からの我々の目的なのだから。霊団は、イヤ、イエス様は最初から僕を磔刑にするつもりでこの10年メチャクチャの導きをやってきたという事もあるかも知れないと思い始めてきました。確かにそう考えればこの10年の霊団の導きに一貫性があるとも言えます。本当に、本当に、最後の最後まで最悪をやらせるつもりなのか。僕は帰幽カモンだから必要以上に物質界に残されようとは思わないけど、こんな事がまかり通っていいのか…続きを読む→
「主なブログ」年度別ページ切り出し完了中。自分を助けるための作業となります(祈)†■2021年12月16日UP■
「主なブログ」年度別ページ切り出し完了中。自分を助けるための作業となります(祈)†
この作業、ずっとやらなきゃやらなきゃと思っていて全然着手できなかったもので(スンゴイ億劫だったため)ようやくこのようにまとめる事ができました。アナログ絵の固定ページを分割したのと基本的に仕組みは一緒です。トップページを設けてそこから個別ページに飛ばすようにする事によって更新作業を簡略化させて使命遂行の殺人的忙しさから自分を守るのが目的です…続きを読む→

たいていの親は自分に出来なかったことを子供に叶えさせてやりたいと思うものである。より立派な教育を受けさせてやりたいと生活費を切りつめ節約する。大学へ行かせてやろうと、何かと心を砕き努力する。

卒業と同時にこんどはいい職業に就かせようと、あの手この手の策をめぐらす。いよいよ一人前の社会人になると、こんどは“わが子に相応(ふさわ)しい”結婚相手を探し求める。そして晩年は全ての財産を子供に譲って自分たちは質素でつつましい生活に甘んじる。

私の治療室にはこの種の親が大勢やって来る。訴える病気は関節炎、動脈硬化、不眠症、潰瘍、偏頭痛、背痛。ちょっと拾っただけでもこんなにある。このうちのどれかをかかえた人を毎日のように治療している。一見したところ、そんな病気で苦しんでいるとはとても見えない。

ローザ夫人の例をみてみよう。年齢は38歳。きちんとした身なりで、なかなか魅力ある婦人である。自分が素敵なご主人と快適な家に恵まれていることを自ら認める。経済的には何の苦労もないことを認める。そして3人の子供も健康であるという。なのに自分は重症の病気をかかえている。なぜか。

夫人としては3人の子供にぜひ大学まで行ってもらいたい。ところが長男は女の子に、娘はドレスのことで夢中である。そのことがまず夫人の頭痛のタネである。しっかり勉強してくれないと大学へ行っても奨学資金が貰えないかも知れないのです、と言う。

それがなぜ悩みなのだろう。何が何でも大学へ行ってくれなくては、と思うこと自体がおかしい。大学を出なくても立派に成功した人は幾らでもいる。息子が女の子ばかり追っかけているというが、それがなぜいけないのだろうか。

男の子が女の子を好きになるのは当たり前ではないか。息子に好きな男が出来たというなら、これは大変である。親は大いに心配していい。娘がドレスにあれこれやかましくなったと言う。

着るものに夢中というのであれば、あのココ・シャネルだって服装に夢中になっていたではないか。(ココ・シャネル – フランスの世界的な女性服飾デザイナー。香水でも有名)

親は子供の人生にまで関与してはならない。自分に叶えられなかったことを子供にさせようとする考えも許されない。子供には子供の人生がある。その人生には成功もあれば失敗もある。がそれも子供にとって大切である。伸び行く人間には苦痛も必要である。よろこびと挫折、勝利と敗北、成功と失敗、こうした体験が養分となって子供は成熟していくのである。

もう1人紹介しよう。スミザスン夫人は肩の結合組織炎を患い、激しい痛みに苦しめられている。始終イライラし、カッとなり易く、たまらなくなるとベッドに横になる。それほどの激痛を伴う病気が実は心因性だった。

その原因というのは2人の息子を父親の出身校のパブリックスクールに行かせるための学費のやりくりだった。(英国のパブリックスクールは莫大な学費がかかる。パブリックといっても公立ではない)

そこで私は尋ねてみた。「息子さん自身は次のどっちをよろこぶと思いますか。いつも金がない金がないとグチをこぼす病気の親のもとでストレスを背負いながら名門のパブリックスクールに通うほうがいいか、それとも、いつも笑顔の絶えない両親のもとで金銭の苦労もなく気楽に近くの公立へ通うほうがいいか」答えは明白である。

では親は子供に何をしてやればよいのだろうか。親の責任とは何だろうか。親はまず物質的に適当な充足感を与えてやらねばなるまい。まず家がいる。冬は暖房設備もいるだろう。食べものを用意してやらねばならない。身体をいつも清潔に保ってやらねばならない。人並みの衣服がいる。そして大切なのは、家の中に家族の一体感を味わわせる雰囲気が漂うことである。

が、これだけではまだ十分ではない。愛情がいる。問題児が生まれる最大の原因は愛情の欠如である。最近では医学的にも子供の成長にとって愛情が最大の、そして唯一の刺激となっていることがわかってきた。

赤ん坊は抱っこされ、頬ずりをされ、あやされることによって成長を促進されている。スキンシップの重要性が見直されているわけである。その因果関係はまだ十分には解明されていないが、人間は、互いに合わずにいるより日に何回も顔を見合わせる間柄のほうが人間関係に親しみが増すということは紛れもない事実である。

疑問に思われる方は実際に試してみられるとよい。身近な人の誰かの肩でもどこでもよいから、顔を見合わせるごとに軽く手を触れてみることである。触れずにいる時よりはずっと親しみを覚えるはずである。

そのほかにも愛情の表現方法はいくらでもある。子供の悩みごとに理解を示し、同情し、親身になって一緒に考えてやるのも愛情だ。さらに親は子に教育の機会を与えてやらねばならない。だから学校へ行かせる。

それはいいのだが、学校へ行ったからといって全てを学んで帰るわけではない。親から学ばねばならないことも沢山ある。人を思いやり親切を施すこと、人の欠点を見ずに善い面だけを見るようにすること、妬みや怒り、憎しみ、怨み等は相手だけでなく自分も傷つけること等々を教えてやらねばならない。

人間はどこからこの世にやって来たのか。何のために生まれて来たのか。そして死んだらどうなるのか。こうしたことも教えてやらねばならない。正しい霊的真理を教えてやらねばならない。背後霊の存在、心霊治療、健康の本質、それに清く正しい生き方とその価値を教えてやらねばならない。

善悪のけじめも教えてやらねばならない。自分が人からして貰いたいと思うように人にしてあげることの大切さも教えてやらねばならない。動物と人間との密接なつながりを教え、生命や愛情や笑いのほうが物質的財産よりはるかに価値があることを教えてやる必要がある。

それだけ教えたら、あとは好きに生きさせることだ。余計な口を出さず、求められた時だけ援助の手を差しのべればよい。それが親としての責任の限界である。それ以上のものを押しつけてはいけない。余計なおせっかいは却って障害となる。これであなたの家庭の平和は盤石のものとなるはずである。

■2021年9月8日UP■
「丸10年だよ」僕の人生を完全に破壊した霊団の言葉です。軽々しく言いやがって人の気も知らずに(祈)†
丸10年だよ、皆さまどうかこの言葉を簡単にサラッと流し読まないで頂きたいのですが、これは僕の人生が霊団主導で10年間破壊され続けたという意味で、僕がこの10年に味わわされてきた最低最悪の出来事の数々を霊団が一言でコロッと片付けてきた、という意味になるのです。この僕の10年にわたる積年の恨み、どうやったら皆さまに理解して頂けるでしょう。そして、奮闘を忘れていません、これも「アキトくんの10年間のガンバリは我々は忘れていない、しっかり心に刻み付けているよ」という霊団の言葉なのですが、僕は霊団の事をいつも何と言っていますか「口だけ霊団」ですね。これぞ口だけの上っ面の軽薄発言そのものであり、さも同情的な事を言っておいて実質僕に現状の苦しい状態を続けさせようという霊団のごまかしの言葉となります。ムカムカ×1億 さらに…続きを読む→
■2021年9月29日UP■
「もう表に出る事はありません」明仁、文仁、徳仁、悠仁が消滅、という意味だと信じたいですが(祈)†
とにかく「脅し」と「洗脳」このふたつを撃ち破る事が僕たち日本国民が突破しなければならない壁だと僕は考えます。「宇宙一のバカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁、コイツらの事を「陛下」だの「殿下」だのと死んでも呼ばない事。コイツらがメディアに流してくる自分を善人だとするニュースが100%ウソだと完璧に理解する事。コイツらの人生の目的がただひとつ「人生イコールS〇X」であり「処刑遊び」と称して「パレット」から買った幼い女の子を信じられない人数、四肢切断、強姦殺人して死肉を食べまくっている人類史上最悪の大犯罪者であり、どんな言い訳もゴマかしも通用しないという事を正しく理解する事。自分の事を天皇だの皇族だのと自称する明仁、文仁、徳仁、悠仁は「大量強姦殺人魔」です…続きを読む→
それが自然の摂理です■2021年10月27日UP■
「それが自然の摂理です」天皇一族が滅びるのは自然、必然という意味です(祈)†
他人の宝物を盗み続けて神の公平な分配を妨げて自分たちだけ資源を欲しいまま捨て放題の生活を送り、仕事もせず毎日女の子をレイプしながら遊び呆けて、国民に対しては「自分たちが善人で国民に親しまれている」とウソニュースを流し続けてふんぞり返って生活を続けています。みんなそれが「大偽善」のウソだという事などとっくに分かっています。ただ脅されて言えずにいるだけで心の中では「宇宙一のバカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁に対する怒りがドンドン蓄積されていきます。どこかのブログで「ダム決壊」という事を書いたと思うのですが、その人々の怒りが蓄積して必ずダムが決壊する時がきます。これは自動的にそうなります…続きを読む→

まず「インペレーターの霊訓」最終校正95%完成中。あとは「復刊者コメント」を清書すれば書籍データ完成となります。絵の1枚でも挿入しようかな、なんて思ったりもしますが、復刊できるあてが今のところ全くありませんし特に〆切も設定されていませんのでそれくらいの作業時間はあります。

先ほど書いた内容に霊団がダメ出ししてきました。まぁ言っている事は了解ですが、とにかく最悪の度合いがあまりにもヒドすぎるので脱出だけは霊団に何を言われようと達成させます、これだけは死んでも譲らない。長文ブログのタイミングで少しお話したい事もありますので詳細はのちほど。

ボロボロのグチャグチャ、やぶれまくっているザックをさすがに新調するつもりだったのですが、苦渋の選択でもう少し引っ張って使う事とし、そのぶん書籍を入手する事にしました。値段が下がるのを1年以上待っていたのですがどうやっても安くなりそうにないのであきらめて注文しました。明日到着予定です。

残された物質界生活も最悪を極める、状況が改善される事はなくこのまま帰幽まで最悪をやらされ続ける。さらに帰幽後に僕は物質界と完全に縁を切るつもりなのですが、その僕の意思は完全に無視されて降下の仕事を延々とやらされる、物質界生活中も帰幽後も徹底的にこき使われる事になるのは間違いないでしょう。ウンザリの究極形。まずは書籍データを完全な状態に仕上げましょう(祈)†

■2021年7月14日UP■
「うまくできなかった」支配霊バーバネル氏の言葉ですが、正直僕はもう信用してません(祈)†
全く何も起きなかった「大失敗」だった訳ですが、皆さまには信じて頂けないかも知れませんが、実は僕の「両腕」はすんごい状態だったのです。あれは何と表現したらいいのでしょう。トランスを維持している時の僕の両腕は、これまで生きてきて1度も味わった事のない感覚、まるで両腕が別の生き物になったみたいな、両腕に自分とは別の心臓があるような、両腕だけ別の次元に存在するような、両腕だけ別の空間にプカプカ浮いているような、そんな感じだったのです。痛いとか苦しいとかそういう事は一切ありませんでした。つまり支配霊バーバネル氏は、一応僕の腕を操作するつもりでいたが、結局「うまくできなかった」という事を言いたいのだろうと思います。うまくいかなかった原因は主にこのふたつ…続きを読む→
■2021年7月21日UP■
「最終的判断は我々が下す」霊団が僕の人生を最後までいじくりまわすという意味です好きにしてくれよ(祈)†
ほとんどの日本国民の方々がメディアを駆使しての「視点外し」および「洗脳」に完全にやられてしまっている状態です。皆さま宜しいですか、僕たちの国、日本は世界トップクラスの「洗脳大国」です。残念ながら99%以上の日本国民の方々は完璧に洗脳にやられてしまっており、洗脳されてしまっている自分に疑問さえ抱きません。あげくの果てに真実を公言する者(僕)にヒドイ軽蔑、嘲笑、誤解、嫉妬、侮蔑、罵倒を浴びせてくる始末です。自分が恥ずかしい行いをしているという事にも全く気づきません。洗脳にやられ続けているその姿が、真実を理解した者が見た時にいかにみっともない姿に映じるかという事を、そろそろ皆さまにも理解して頂かねばなりません。想像力を働かせて頂かねばなりません…続きを読む→
■2021年7月28日UP■
「これほどバカな事はないよ」明仁、文仁、徳仁、悠仁に国民の皆さまが呆れ返っているという意味です(祈)†
こういう人間たちは「証拠、証拠」と言ってきます。が、常識でお考え下さい。こんなトップシークレットの情報なんて一般ピーポー(People)の僕が入手できる訳がないでしょう。もし明仁、文仁、徳仁、悠仁の邪悪の正体がググって簡単に入手できるなら僕よりみんなが大騒ぎしているはずです。国を挙げて隠し通そうとして国民を洗脳しまくっているのです。だから僕は別の情報源で霊的に仕事しているんでしょう。「アナログ絵287」こちらのブログでも同じ事を書かせて頂いています。僕がここまで自分の人生を捨てて1円にもならない使命遂行を続けている「理由、動機」を説明して下さい。僕はポリーチェ(POLICE)に脅迫罪の訴えを反故(ほご)にされました。Twitter時代に「不敬罪(ふけいざい)」で激しく通報されました。それでも僕は全く使命遂行をやめません。なぜですか。理由、動機を説明して下さい。理由はただひとつ…続きを読む→

「インペレーターの霊訓」間もなく最終校正を完了中、いつでも印刷できる状態になりますが復刊できないというおかしな状況ですが、読み進める中で「交霊会の心得」のような部分があり、そこを読むほどに、霊団が僕を何が何でも閉じ込め続ける事に疑問を抱かずにはいられません。

霊媒として機能する人間の精神状態についていろいろ説明が書かれているのですが、僕の精神状態は到底霊媒として機能するに適したものとは言えない状態で、イヤでどうしようもないところに延々閉じ込められて僕の心は怒りで満たされており、それにとどまらず霊団に対して激しい憎しみの念を抱いています。

こんな精神状態の人間が霊媒として機能して高尚な霊言が降ってくる訳がない事が、書籍を読むと良く分かります。つまり霊団が本当に僕という霊媒を使用して新規の霊言を降らせるつもりなら、怒りの大原因であるその場所から一刻も早く僕を撤退させるべきはずです。

しかし霊団は僕をそこに閉じ込める事にのみ全パワーを傾けているといっても過言ではないほど、異常なまでに僕を閉じ込め続けようとしてきます。事実全くそこから脱出できません。これは霊性発現初期の頃から「交霊会やるやる」言い続けてきた霊団の姿勢と正反対という事になります。

交霊会をやるために僕を閉じ込めているのではなくて、交霊会をできなくさせるために(僕の心が怒りで満たされて霊媒として機能できないように)閉じ込め続けていると考えるのがもっともスマートではないでしょうか。

僕は霊団に対して本気の本気で怒りまくっていますが、交霊会やるやる言い続けて1ミリもやろうとしない、自動書記テストもずっと続けていますが全く僕の手を使おうともしない。「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を滅ぼすつもりが全くない、イヤむしろ邪悪を存続させようとしてるんじゃないのかと勘ぐってしまうほど何もするつもりがない。

奴隷の女の子の存在を僕に教えてきたのは他でもない霊団です、教えてきておいてまるで助けようというそぶりさえない、完全に見殺しにする姿勢を貫いている。よくよく考えれば何もかも正反対の事ばかりしているという事が「インペレーターの霊訓」を読み進めていく中で改めて分かった気がするのです。僕が霊団に怒りを爆発させるのは当然中の当然と言えるのではないでしょうか。

こんな最低最悪の状態に留め置かれて、誰が霊媒として理想的な平静な精神状態になれるというのでしょう。僕の心は怒り憎しみでイッパイです。もう僕の霊媒発動はないと断言していいでしょう。バーバネル氏らしきインスピレーションが降ってきてももう完全に無視しましょう。関わり合いになってはいけません。

書籍復刊に向けて努力する、これが霊的知識普及の最善ルートという事でイイのではないでしょうか。コイツら(霊団)の言ってる事はいよいよおかしい。距離を置いた方がイイかも知れない。獲得した霊的知識に基づいて自分レベルで霊的知識普及に役立つ事を考えて行動した方がよほど良い結果に到達するかも知れない。

まぁインペレーター霊は僕に向けて語ったのではなく、大昔に別の人間に向かって語ったのであり、その内容をまんま僕に当てはめる必要はないのかも知れませんが、しかし明らかに現在の自分が置かれている状況がおかしいという事だけは再認識できる。霊団の言っている事やっている事は何をどう頭をひっくり返してもおかしい、それだけは間違いない。

最終校正続行中、フラー26キャラ線画描画続行中。とにかく僕はどんな手段に訴えてでも脱出を完了させます。あの場所を離れない事には僕の霊媒発動はありません。あの場所に残る事が交霊会開催の唯一の道だ、などという寝言は死んでも認めない。とにかく死んでも絶対に脱出する(祈)†

■2021年5月21日UP■
「カスタム地獄」「法律突破」「ポリーチェ(POLICE)逮捕したい」全て同じ意味と思われます(祈)†
「宇宙一のバカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁に命令されて僕を大犯罪者に仕立て上げるウソストーリーを書いた弁護士だか何だかの人間が、僕の人間性を侮辱し、僕の公言内容が全てウソであるとメディアで語ったとして、皆さまお考え下さい。その強姦殺人魔に命令されてウソストーリーを書いた男は、僕に会った事もなければ一言も話をした事もありません。僕の普段の生活態度、仕事の勤務態度といったものを見た事もありません。僕という人間がどういう人間なのか全く知らない男が「たきざわ彰人はこういう人間である」と言うのです。皆さまは、僕本人が自分について長い長い年月にわたって書きまくっているブログテキストよりも、僕という人間を全く知らない人間が書いたホンの2~3行のテキストを信じるとおっしゃいますか。それは笑かしてくれますね…続きを読む→

毎週火曜日はロンドンの私の会社の事務所で治療する日である。主にロンドン市内で働くビジネスマンが多い。1週のうちわずか1日だけであるから予約が多く、私はそれを30分刻みで片づけていく。その中へ急患の飛び込みもある。そうなると治療時間が15分しかない時もあるが、それでも結構みな顕著な効果をみせている。

実は心霊治療家に腕のいいも悪いもない。患者の側に治る人と治らない人がいるだけである。ある時期、私は治療成績の因果関係を分析してみたことがあるが、病気にまつわる要素があまりに多くて全てに通じることが出来ず、また治癒エネルギーの働きに人間の理解を超えた部分が多すぎて諦めた。

しかし、その調査をしていくうちに1つだけ顕著な事実が浮かび上がってきた。それは私の治療で奇蹟的に全治した人、そしてその後2度とぶり返さない人というのは、10人中9人までが長期間にわたって苦しみ抜いた、つまり絶望の寸前にやっとの思いで私のもとに辿り着いた人だということである。

私は誰かれの区別なく、全ての人に治療を施してあげる。がこの治療がどの程度効くかは患者によって違ってくる。1回の治療で奇蹟的に治る人もおれば、何回か治療を重ねて少しずつ治っていく人もいる。

治療した時は効果が見えず、それきり来なくなった人が実は治療後2、3日して突如全快していたというケースもある。が、長い長い闘病生活で疲れ果て、身も心も荒廃しきった人ほど目を見張るような効果を見せるというのが、偽らざる事実なのである。

譬えてみれば、すっかり飲みほされたグラスほどたっぷり注ぐことが出来るということかも知れない。つまり病気で苦労しただけ、それだけ真理を受け入れやすくなっているのかも知れない。

というのは、前章で述べた通り、心霊治療は目的ではなく人間的成長のための手段なのである。肉体的病気も長期間続くと精神まで荒廃させる。仕事は失う。能力は衰える。再就職の道は閉ざされる。医者からは“生涯このからだで生きる方法をお考えになったほうがよろしい”と、死刑にも似た宣告をうける。

この絶望の淵から、ワラをもつかむ思いで心霊治療家を訪れる。治療家がその病に傷めつけられた身体にそっと手を当てる。すーっと痛みが消える。曲っていた腰がしゃんとする。一瞬のうちに、そして完全に、その人は治る。

その時、患者の魂が目を覚ます。霊性が開発される。生まれて始めて、見つめるべき方向へ目が向く。神の啓示にふれたのである。人生に大革命が起きる。そして2度と後戻りしない。心霊治療はその道案内の手段なのだ。

ここで私は声を大にして言いたい – 苦しみと病に疲れ果てた人たち、人生に迷い生きる勇気を失った人たち、そのからだで生涯を送れと宣告された人たち、人生の歯車を狂わされてしまった人たちに言いたい。

どうか希望を失わないでほしい。落ちるところまで落ちたら、あとは道は1つしかない – 上昇するのだ。あなたのグラスには1滴もなくなった。さ、これで、こんどはなみなみと注がれる準備が整ったのだ。

現代の人間はどこかが悪いと10人中9人までがまず薬にたよる。マスコミを通じて莫大な種類と量の薬が宣伝されているから無理もない。製薬業界は笑いが止まらない。

しかしいったん薬の習慣がついてしまうと、人体の自然治癒力が機能しなくなる。私のもとに来た時はもう身も心もすっかり貧しくなっている。中には見るからに裕福さを物語る服装をした人もいるが、霊的にはまさに貧困の極みにある。

が私は、はなから法を説くことはしない。まずは病気を治療してあげなくてはならない。そのために来られたのだ。そして治るべき人が治る。治った人がなぜこう簡単に治ったのかと聞いてくれたら、しめたものだ。私は、待ってましたとばかりに道を説く。

が、こうして大勢の人を治せば治すほど、人間の病気というのは心の姿勢さえ正せば自分で治せるものだということを痛感させられるのである。そのことを私は声を大にして強調したい。

自分の健康は自分で管理できる。それが実は昔からの健康管理の常道なのだ。心理学者のウィリアム・ジェームズは「現代の最大の発見は心の姿勢1つで人生を変えることができるということだ」と述べているが、現代だけではない、いつの時代にもそうだったのであり、あなたにもそれが出来るのである。

言葉だけでは納得できないであろうから、実際に自分で試してみることだ。その方法はあとで述べることにして、その前に、特に西洋人にありがちな悪い生き方のパターンを実例で紹介してみよう。

サム・スローン氏は中年の男性である。が、ずいぶん老けて見える。髪の毛に白いものが目立つ。身体が前かがみで、目に元気がなく、態度が遠慮がちである。そのからだはまるで病気の問屋である。

潰瘍に背痛に偏頭痛に心臓病ときている。常にからだ中のどこかが痛む。それに加えて不眠症である。痛みも不眠も現実の事実であるが、いずれも心身症つまり精神的ストレスから生まれたものばかりなのである。

病歴を辿っていくと、きっかけは事業の失敗にあった。そして、失敗したあと就職した仕事がイヤでイヤでたまらなかった。が8年間やめる勇気もなく勤務した。そこに不幸の根があった。本人は家族のためと思って我慢して働くのだが、本人が発散する不満と陰気さが逆に家族に不幸の雰囲気を撒き散らすだけだった。

もちろん私は治療を施してあげた。がスローン氏にとって本当に必要なのは病気治療よりも心の教育なのだ。私のもとに来る人には同じような人が多い。そういう人は人生を金儲けとしか考えない。心にゆとりというものがない。真も善も美もない。金と物と地位のことしか頭になく、愛も、よろこびも、しあわせもない。

西洋人の健康を蝕む最大の要因はそこにある。金を稼ぎ、老後の年金を得ようと、少々の病気や痛みや異常を我慢してでも金儲けに奔走する。そして寿命を縮めていく。自分1人ならそれでもいい。が妻がいる。子供がいる。休む暇もない生存競争のために家族みんなが犠牲になっていく。

が、人生とはそんな息苦しいものではない。心の持ち方1つで楽しい充実した人生が送れる。あなたの宗教や思想まで変えろとは言わない。それはそれでいい。西洋人の大半はキリスト教という立派な宗教をもっている。それなのになぜこうも不幸や悲劇が多いのか。

それは、いかに宗教は立派でも、いかに人生哲学が高尚でも、それが日常生活に反映しなくては何にもならないということである。要は日頃の心の持ち方を正しくすることだ。

私が治療する病気は頭痛からガンに至る内科的なもの、骨の異常から先天的不自由といった整形外科的なものなど、実に広範囲にわたる。そして患者はありとあらゆる階層の人たちである。

お金持ちもいれば貧しい人もいる。教養人もいれば小学校しか出ていない人もいる。宗教心のある人もいればゼロの人もいる。しかし、そうした違いがあるにもかかわらず病気の型はいつも1つなのである。つまり心の姿勢の歪みから来ている。

その1つのパターンにも2種類の人間がいる。生き甲斐を求めようとする心のゆとりのある人と、そのゆとりをすっかり失ってしまった人。前者は大てい良くなるが、後者は私の説教が効を奏さないかぎりは治らない。

もっとも、治療に当たる私にも、その人が良くなるか否かは実際に治療してみないと分からない。だから私としては治療効果が最大限に発揮されるよう条件を整える必要がある。その1つをこれから披露してみようと思う。披露するといっても、すでに“どこかの誰か”によって“いつの時代か”に説かれているに違いない。が私は私なりに長い体験の中で発見したものである。

すでに述べたように、人間のからだの調節機能はその人の心の姿勢に反応する。たとえば腹を立てたり恐怖心を抱いたりすると、血圧が上がり脈拍が増え凝血度が高まり筋肉が緊張し、時には発声器管の筋肉が麻痺して声が出なくなることさえある。

肉体的には、そんな生理状態を必要とすることは何も起きていない。その状態を惹き起こしたのは怒りや恐怖心という“心の状態”であり、その怒りや恐怖心が消えると生理状態も正常に戻る。こうして、調節機能にまったく余計な仕事をさせているのは、肉体的なものではなくて心の姿勢なのである。

そこで私の持論になる。心の姿勢を“意識的”に変えることによって、その調節機能を正常に戻すことが出来るということである。怒りと恐怖心が緊張と病的状態を惹き起こすように、その反対のよろこびと呑気さが健康と冷静を呼ぶ。

これくらいの理屈なら誰にでもわかるが、私の持論は、そのよろこびや呑気さは本ものでなくてもいい。見せかけであってもいい。自分にそう言って聞かせればいい。つまり自分はしあわせなのだ、心配事は何1つない、全てうまくいくのだと言って聞かせ、意識的に自己暗示にかけるのである。

ウソだと決めつける前に、今すぐ試してみることだ。これから1時間、幸福な人間の1人を演じてみることだ。笑顔を作り、声に出して笑い、鼻歌をうたう。誰に会っても明るく挨拶し、今日がとてもいい日で、気分も爽快で快調であることを口に出して言う。

ウソでもいい。たとえ調子が悪くても明るく振舞うのである。すると、からだの調節機能がその暗示にかかる。警戒警報が解除される。調節機能は血圧を上げる必要も余分なアドレナリンも酸も緊急の防御体制も必要なしと判断し、自動的にスイッチを切り換える。

1時間もしないうちに、あなたはきっと何か変化を自覚するはずである。健康の兆候がどこかに何らかの形で出てくるはずである。オヤ、と思うことが出てくるはずである。

繰り返して言おう。あなたの健康を支配しているのは心の姿勢である。だから心の姿勢を健全な状態になおせば、からだも健全な状態に戻る。その心の姿勢はニセモノでもいい。見せかけだけでもいい。その姿勢を持続するのである。

すると、からだの調節機能がそれに反応するようになる。人間のからだの仕組みがそうなるように出来ているのである。私はそれを長年の治療体験から発見したのである。

■2021年1月17日UP■
■アナログ絵316UP、ピーチピチ(佳子)の真実の母親「吉井園(よしいその)さん」です(祈)†
皆さまお分かりの事と思いますがピーチピチ(佳子)は文仁、紀子の娘ではありません「吉井園さんの娘」です。吉井園さんとピーチピチがあまりにもそっくりだったため(母娘なんだから似てて当然なのに)文仁が自分の赤ちゃんドロボーが国民に露呈するのを恐れて吉井園さんを強姦殺人したのです。文仁がピーチピチ(佳子)を盗んだ理由は「S〇X」です。この文仁こそ三千余年の人類創世の歴史始まって以来の究極無二のバカであり、天皇一族の滅亡の直接原因は他でもないコイツなのです。正真正銘のS〇Xバカなのです。はい、まずは絵の中に説明テキストを掲載しましたように、吉井園(よしいその)さんはピーチピチ(佳子)の真実の母親です。現在の「イエス様ハンドリング」霊的使命遂行ごく初期の頃に吉井園さんについて触れた事がありますが…続きを読む→
■2021年3月24日UP■
「分かりません」これは間違いなく文仁の法廷での「すっとぼけ」発言という意味でしょう(祈)†
日本人は強姦殺人魔が大好きで強姦殺人魔に血税をプレゼントし続け強姦殺人ライフを守ってあげて、強姦殺人魔の事を陛下だの殿下だのと呼んでおだて上げ続けている、強姦殺人魔に笑顔で手を振ってキャーキャー言ってはしゃいでいる、犯罪者にとってこれほど住みやすい国が他にあるだろうか、いやない。明治維新から一体何年の月日が経ったのか、日本人はまだ目が覚めない、洗脳にやられ続けている、何とダマしやすい人間たちなのだ、大変優しい民族性なのは尊敬に値するが、邪悪に目を閉じ続ける様子は残念としか表現のしようがない。僕たち日本国民はおおざっぱに世界の方々からこのように思われているものと予測します。特に韓国の方々は僕たちの事を内心呆れ返って見ている事は間違いないでしょう「洗脳にやられっぱなしのお花畑民族」といった感じに…続きを読む→
■2021年3月31日UP■
「返して頂く」2000年の冒涜から「私の名誉を返して頂く」というイエス様のご意志ではないでしょうか(祈)†
僕はキリスト教と全く無縁の人生を送ってきた、仏教だの新興宗教だのと言ったものにも全く関わりを持った事もなく、むしろ最高に胡散臭いと思っている。教会に足を運んだ事も1度もなく聖書も1度も読んだ事がない、今後も一切読むつもりはない。イエス様という人物にも何の興味も関心も持った事がなくデザインの世界で生きてきた、霊性発現を果たすまではイエス様の事など全く考えない人生でした。つまり脳内および心がキリスト教の「ドグマ」に全く侵されていない、僕という人間はイエス様にとって良い意味で「何も分かってない頭カラッポの人間」で、仕事をお願いするにあたりいろいろ都合がよかったのではないか。「シルバーバーチの霊訓」を筆頭とした、日本一のスピリチュアリスト近藤千雄先生翻訳の霊関連書籍は、宗教大キライの僕でも読み進める事ができた、現在でも「人生のバイブル」と思えるほどにスンゴイ気に入っている…続きを読む→

復刊させるにあたって複数の厄介な、ただ事ではないレベルのメンドクサイ事情があって復刊実現までは行きませんが、とにかく書籍データは完成させて保持しておくのです。あとは印刷するだけ、の状態にしておいて、状況が整い次第秒速でGoかけられるようにしておくのです。

フラー26キャラのすでに描き上がっているカットのスキャン完了中、AffinityPhoto上でのゴミ取りに入ってます。とにかく絶対に手を止めない、アウトプット命。死んでも止まらないぞ。

霊団が何も言ってきません。そして幽体離脱時映像がまるっきり意味不明のモノばかりになっています。あんなものどう解釈しろというのか。作業続行中、まずはココまで(祈)†

「キンドルファイヤー」でpdfを表示させて読み進めながら間違いを発見し、「全文テキストファイル」と「書籍データAffinityPublisher」を同時に修正、さらに怪しい部分を発見した時は「紙の書籍」も参照する、この4つを駆使しての校正作業は大変キツイですが、これをやり切れば書籍として出すに申し分ない状態まで精度を高められるでしょう。

このキツイ作業をやり切っても全く脱出につながらない、復刊には別のハードル(出費)がある、出版社設立もぜひやりたいけど現状はとてもムリ、等々、モチベーションが下がる要素のオンパレードですが、そこを振り払って書籍データだけは完全版として仕上げます。

あとは印刷するだけの状態で持っておくのです。状況がちょっとでも好転するようなら即印刷、即復刊できるように外堀を完全に固めておくのです。「インペレーターの霊訓」の書籍データを完成させたら次の書籍のデータ化も始めてしまいましょう。

どんどん作っておくのです。絶対止まらない、脱出をあきらめない、最後の1秒まで脱出できると信じる。僕本人がこれほど心の底から嫌がっているのに一生閉じ込められるなんて事があってたまるか。絶対に脱出できる。信じて作り続けるんだ。

そしてフラー26キャラ線画55%完成中。コチラも急ぎましょう。アナログ絵357「キャラ設定資料」をUPさせて止まらずフラー26本体デザインに着手します。フラーはどれだけ描いても脱出につながりませんが、しかしこれも続行しましょう。

霊団は完全にダンマリを続けています。かと思うとアニソンをずっと霊聴に流してきます。何がどうなっているのか「未来ロボ ダルタニアス」のOP曲をずっと流してきます。フラーが未来ロボ、フラー描け、って言ってるのか。描いてるだろ。フラーを描かせる事そのものに意味はなくて要するにスピードダウンさせようとしてるんですよ。

苦しくても何が何でも作業続行中。一生閉じ込められる事は絶対にない、絶対に脱出できる。そんな人生は有り得ない。信じて進むんだ(祈)†

■2019年8月4日UP■
「ヒゲのオッサン、ハッキリ言って動くんじゃねぇ」これは強姦殺人魔、文仁が僕に怒っている思念です(祈)†
「どーすりゃいーんだよー」と思っているという事でいいでしょう。つまり明仁、文仁、徳仁、悠仁は3千余年の人類創世の歴史始まって以来の究極無二のバカとして登録される、今後未来永劫、人間の中で最もバカだったのは強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁であると日本及び世界の歴史に完全に登録され未来の人類に正しく語り継がれていく事になる…続きを読む→
■2019年9月13日UP■
幽体離脱時、思いっきり「宇宙人」と遭遇する映像を拝しましたが、文仁、紀子、悠仁の思念のようです(祈)†
結局地上人を支配して命令を聞かせようとしていると分かるのでした。これは要するに「我々は異星人」と意味は同じで、その液体大理石の3人とコミュニケートする中で霊体の僕はコイツらが文仁、紀子、悠仁だと見抜くのでした。荒唐無稽な方法で支配を続けようとしている、そういう思念をこのような映像で霊団が表現したのかも知れません。そして液体大理石の文仁、紀子、悠仁はとにかく「ネコちゃん」と殺そうとしています…続きを読む→
■2019年10月9日UP■
「どうやら本当のようなのです」皆さまがようやく強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁の邪悪の正体に目が覚めたという霊団からのメセです(祈)†
皇室典範をはじめとした様々な「国民を脅して黙らせる法」を作り上げ、自分たちを神格化し続けようとしてきました。生まれた瞬間から天才で何ひとつ苦労する事なく全てを万能にこなす事ができ、人格が最高レベルに精錬されて高潔を極めており全ての人々から慕われ尊敬されている…皆さま、こんなキチ〇イ人間が存在する訳がありませんね…続きを読む→

奇怪なうめき声しか出せない患者が来た。目がしきりに何かを訴えるのだが言葉が出ない。まるで動物のような声を出すだけだ。年の頃40。身なりはきちんとして、一見健康そうである。通訳として付き添って来た女性から話を聞いた。

この人には子供がなかった。だから生活のすべてがご主人に向けられていた。家の中をピカピカに掃除し、おいしい料理を工夫し、きちんとアイロンがけをし、そのほか夫がよろこんでくれそうなことを色々と工夫しながら楽しい毎日を送っていた。彼女にとっては夫がすなわち生きがいであった。

その夫が急死した。この世から消えて失くなった。彼女は悲しみのドン底に突き落された。全身から力が抜けてしまった。そして、ようやく元気を取り戻した時は物が言えなくなっていた。

病院へ行ってみたが発声器官には何の異常もなかった。夫がいなくなった以上しゃべる必要はなくなったとでも決め込んでいるかのようだった。診断は「ヒステリー性失語症」だった。いつも紙と鉛筆を持ち歩き、ジェスチャーを交えながら用を足すという生活が始まった。

患者の中には同じような心身症的要因、とくに悲しみが原因で病気になった人が非常に多い。症状はいろいろである。潰瘍や関節炎をはじめ、部分的麻痺、大腸炎、不眠、偏頭痛、背痛、静脈洞炎、結合組織炎、乾癬等々。

がそういう症状が誘発されるパターンはだいたいきまっている。身近にいた人が死ぬ。悲しみの極に落とされる。葬儀、喪中と続いて全身の力が抜けてしまう。それがなかなか回復しない。よく眠れない。食欲が出ない。そうしているうちに右に列記したような症状が出はじめる。

こうした患者は同情と理解をもって胸のうちを聞いてあげる。すると不思議なほど似たようなケースが多いのに気づく。共通していることは、心の奥底に罪悪感にも似た後悔の念と自己隣憫の情が巣くっていることだ。

自分がもっと注意しておれば…もっと優しくしてあげておけば…もっと気持を理解してあげておれば…しかし、もう遅い。そう思っては自分を哀れに思い、悲しみがまた湧いてくる。その罪の償いのつもりで楽しみを控えようとする。こういう人には心霊治療よりもむしろ心霊知識のほうが必要である。

死んだ人はこの宇宙から消滅したのではない。次の世界へ旅立ったのである。その人にとってはこの地上での勉強が終り、次の勉強の世界へと進級して行ったのである。中には学生生活から社会生活へと入るのを恐れる者がいる。

学校は住み慣れていて気楽だが社会は未知の世界だ。行くのが怖いと思うのも無理はない。が、だからといって、いつまでも学校にいるわけにはいかない。いずれは卒業しなければならない。

この世は決して安楽ばかりの世界ではないが、住み慣れた世界であることは確かだ。勝手のわかった世界だ。この世がいちばん安心しておれる。死後の世界は知らないことばかりだ。だから怖い。おまけに子供の頃から誤った来世観を叩き込まれている。

地獄、永遠の刑罰、火あぶり、悪魔等々の観念が脳裏をかすめる。聖人君子のような生活でも送らないかぎり、そうした恐しいものが自分を待ちうけていると思い込んでいる。だから死ぬのが怖い。

もしもこうしたことが事実だったら、確かに死ぬのは怖い。私も怖いと思うだろう。が事実はそうではないのである。死後の世界は光と生命と幸福感にあふれた実に快適な世界なのだ。

死んであの世へ行った人は、よほどの事情でもないかぎり、この世へ戻ってきたいとは思わない。それは、あなたが2度と小学校へ戻りたいと思わないのといっしょである。

向うへ行くとあなたはこの世の人生のおさらいをさせられる。犯した過ちがある。やるべきでありながらやらずに終ったことがある。もちろん良いこともした。が言い難いことを人に言ったりもした。そうした体験からいろいろと学ぶことがある。そこであなたの人間性が問われる。

が判断するのはあなた自身である。自分で自分を裁くのである。気まぐれな神様から罰を受けたり、子供だましのせっかんを受けたりするのではない。霊界は責任と義務の世界であり、いわば大人の世界である。まわりには知人や友人、肉身がいる。痛みも苦しみもない。精神的にも安らかで幸福感にあふれている。

ふと地上を見ると、そこには喪服に身を包んだ家族や親戚縁者が自分の死を嘆き悲しんでいる。後悔と懺悔の念に胸を痛めている。自分の死を理由によろこびを控えている。何たる無知、何たる見当違いであろう。

その無知、その原始さながらの迷信、その愚かさにあなたは哀れさえ覚える。が、いずれ彼らもそれに気づく日も来るだろう – そう思って自らを慰める。

さて、その哀れな犠牲者の1人となったその物言わぬ女性を私はスツールに掛けさせ、ロッシーニの曲を流す。私はまず両手を夫人の頭部に当て、それから肩、そしてノドへと移動させる。曲の流れにのって私の手が激しく振動する。

やがて振動がストップする。気がつくと夫人は肩をゆするようにしながら激しく泣いている。涙が頬を伝って落ちていく。緊張がほぐれるとともに、抑えられていた情がせきを切って流れ出たのだ。

やがて平静を取り戻して涙を拭いた。私は夫人のアゴに手をもっていき、そっと持ち上げて私の目を真っすぐに直視させてから「何か歌をうたってごらんなさい」と言った。「話すのではなく歌うのです。さ、歌ってごらんなさい。ひと節でいいから歌ってごらんなさい。」

彼女は歌った。本当に歌った。立派に歌った。治ったのである。心の歪みが矯正されると同時に物が言えるようになったのである。

この例は確かに奇蹟的治癒と言えるかも知れない。が、瞬間的に治るものばかりが奇蹟ではない。時間はかかっても、心霊治療でしか治らないものがある。医学では絶対に治せないものがある。心霊治療は魂(こころ)を癒すからだ。そこに奇蹟の秘密がある。

政府の事務官の例がある。そう聞いただけで余り楽しい仕事ではなさそうな感じがする。おまけに彼は完璧主義者だ。いい加減なことが嫌いである。得てしてこうした完璧主義者は不幸になるケースが多い。どこかに無理があるからだ。

所詮人間生活に完璧は望めない。大自然の神の業と比べてみるがよい。人間のすることなどいい加減なものばかりである。いかなる名画も、本ものの夕焼空の美しさとは比べものにならない。無私無欲などと言っても、雪の如き純白な心は望むべくもない。

どんな見事な工学機械も、人体の構造に比べればオモチャのようなものだ。だから人間はいい加減なところでの妥協ということが大切になってくる。それが出来ない人間は不幸である。

その事務官にとっての唯一の気晴らしは社交ダンスである。ダンスの世界には身分階級がない。そこでは肩書きを忘れて仲間とダンスに興じることが出来る。奥さんとよく通った。

が心労が重なって、いい加減なことの出来ない彼はついに体調を崩しはじめた。やがて胃潰瘍と診断された。さっそく入院して手術を受けた。そして、ベッド数が足らないことを理由に予定より早く退院させられた。経済的に余裕のない彼は間もなく仕事に復帰した。

しかし、そこに少し無理があった。2、3日して石の階段を下りる途中で目まいがして転倒し、足首を骨折した。X線写真で重症と診断され、数週間、石膏で固められた状態で入院生活を送った。

そしていったん退院したのであるが、2週間後の定期検診で骨が正しくつながっていないことが分かり、再手術となった。そして今度は骨が鋼鉄製のクギで留められた。

数週間の療養生活ののちに仕事に再復帰したが、まだ痛みが残っていて、びっこを引いて歩いた。仕事がのろく、ほとんど毎日のように夜おそくまで残業せざるを得なかった。足首がいつまでも痛む。びっこがひどくなってきた。

杖を使って身体をよじるようにして歩く。1か月もしないうちに脚の坐骨神経と背中に激しい痛みを覚えるようになった。病院へ行ってX線検査をしてもらったところ、腰椎のヘルニアと診断されコルセットをはめられた。

足首が腫れ上がり熱をもっている。胸からヒップまでコルセットがはめられている。背中と脚に激しい痛みが走る。必死にこらえるのだが、それだけ仕事に支障を来す。一向に渉らない。気分がすぐれず、食事が進まなくなってきた。そしてついに激しく吐いた。診察の結果は恐れていた通りだった。再び胃潰瘍になっていた。

もう死んだほうがましだと思うようになった。痛みと不快感と生涯治るまいという絶望感もそろそろ限界がきた。そんな時1人の友人から私の話を耳にし、ロンドンの事務所を訪ねて来た。

病歴を全部聞くのにかなりの時間を要した。が私は親身になって聞いてあげた。大体呑み込めた私は両手を肩に当てて精神を統一した。これだけ込み入った病状がある時は、どこから始めようという考えなしに精神を統一する。すると右手がひとりでに動いて胃の上に来て、そこで激しく震動しはじめた。やがて肩に戻り、そこから脊椎へと移行した。体力の消耗が著しい。

治癒エネルギーの回路には自動バルブ装置のようなものがある。つまり患者に必要なだけ注入すると自動的にストップする。この人は生命力をほとんど消耗していたらしく、私の身体を通してエネルギーがふんだんに流れ込むのがわかった。が、それでも通常の体力に戻るまで3回の治療を要した。局部の本格的な治療に入ったのはそれからである。

まず胃潰瘍、次にくるぶし、それから腰椎、そして坐骨神経という順序だった。日を追うごとに目に見えて回復していき、3か月後には潰瘍が消え、食欲も旺盛になった。

坐骨神経のほうも夜分に時おり憧れんすることはあったが、痛みは消えた。くるぶしの腫れも退いた。時おりぎこちなさを感じることはあったがビッコをひかなくなり、杖も捨てた。ヘルニアも正常に復し、自由な動きが出来るようになった。

この段階まで来て私は人生哲学の話を持ち出して魂の再教育を始めた。人生の意義と目的、死後の存在、心の持ち方等々を語って聞かせ、書物を貸してあげた。今日かぎり取越苦労をやめて、のびのびと生きるよう論(さと)した。

私が奇蹟的治癒の1ケースとしてこの患者を紹介したのは、奇蹟というと一般に瞬間的に治った場合を想像する傾向があるからである。確かにそういうケースも私は数多く体験している。自分で歩けずに人に運んで貰って治療室まで来た人が、10分後には1人で歩いて帰ったなどとということも珍しいことではない。

がこの例のように、ゆっくりと時間をかけて1つ1つ病状を取り除いていく場合もよくある。それには治療家と患者の双方が自然の流れに根気よく順応していく努力を必要とする。つまり治癒というのはあくまでも“自然の摂理”であって、個々の条件次第でそれが早い場合と遅い場合とがあるということである。治療家はそこを読み取って、それに順応して行かねばならない。

この患者の場合、もしも私が魔法の杖でも使って一瞬のうちに全快させてあげれば、本人はもとより私にとっても読者にとっても魂をゆさぶる感激的な話になっていたかも知れない。が3か月も4か月もかかった治療の末に、ある日、「実は昨晩家内とダンスに行ってワルツを2度踊ったんですよ」と聞かされた時、私は言うに言われぬ感激を覚えたものである。

病気というものには患者1人1人にその人だけの特殊な背景がある。従って“不治の病”とされているものにも色んな症状がある。その症状と背景との関係を全部探り出すことは私には到底むりである。

そこには宗教的先入観、学校教育、個人的対人関係、環境等が複雑に絡み合っている。その全てに通じようとすれば何か月も調査と分析が必要であろう。実地に治療に携わっている私にはそのような時間も経験もない。

が幸いなことに、心霊治療家にはそんなことをしなくてもいい立場にあることも事実である。というのは、全ての治療に共通したパターンがあって、それが2つの段階で進行する。

まず手を当てがうことによって痛みそのものが大幅に、時には完全に、消える。これが第1段階である。次の第2段階では患者に心身の調和状態をもたらす。この心身の調和というのは説明が実に難しい。そこで具体的な譬え話で説明してみよう。

あなたが真夜中にふと目を覚ましたとする。カーテンを通して入ってくるかすかな月明りで時計を見ると3時である。もうひと寝入りしようと思いながら目を部屋の隅にやると、そこにピストルを手にした人影が立っている。

一瞬、電気仕掛けにあったようにギクッとする。心臓が早鐘のように打つ。ノドが乾く。助けを呼ぼうとするが声が出ない。こんな時あなたの血液中にはアドレナリンというホルモンがどんどん流れ込む。血圧が上がる。血がのぼって頭が破裂しそうだ。身体の防御機能に警戒警報が鳴りわたる。出血した時に備えて血液の凝固力が増す。全身が汗でびっしょりになる。

あなたは賊に気づかれないように、そっと手を伸ばして電灯のスイッチを入れる。パッと部屋が明るくなった。見るとその人影があったと思われるところに見えるのは椅子だけである。その椅子に無雑作に黒のコートが掛けてある。

そのコートの腕のあたりに傘が置いてあり、その置き方がちょうど銃身をこっちへ向けているような恰好に見える。あなたは苦笑とともにホッと安堵の溜め息をもらす。水を1杯飲んでから枕の位置をなおし、やがて深い睡りに入る。

その間何分とたっていない。ふと目が覚めて危険を感じ、恐怖心で全身が汗びっしょりになり、それが目の錯覚とわかって安心し、そして再び眠りに入った。その間あなたはずっとベッドの上にいて何1つ行動らしい行動はしていない。動いたのは心だけだった。

なのに1マイルもジョギングしてきたか、ボクシングでもしてきたかと思うほどの汗をかき、ぐったりと疲労を覚えた。全身の防御機能に「警戒警報」を発令したのも「警戒警報解除」を出したのも、あなた自身の心である。あなたの“心の姿勢”がそういう反応を生んだのである。

そうした人体の機能は意識的にコントロールすることが出来ない。カッとなって人を撲ろうとした時、自制心さえあれば振り上げた手を下ろすことも出来る。が人体のいわゆる自律神経だけは、いけないと思っても抑えることが出来ない。

アドレナリンの分泌を止めたり血液の凝固力を下げたり脈拍や血圧をコントロールすることは出来ない。意識的に操作することは出来ないのである。それは“心の姿勢”の反応だからである。

つまり、前の晩ベッドに入る前に“意識して”椅子にコートと傘を置いていたら、真夜中に目が覚めてそっちへ目が行っても、何の動揺もなくすぐまた寝入ったはずである。それがなぜあれほどの動揺を生んだか。それはあなたの心が早合点から危険を感じ恐怖心を抱いたからである。ただそれだけのことである。

人体は間断なく化学物質と分泌物を製造している。そしてそれをバランスよく各器官に送って健康を保っている。しかも、事態の変化に応じて多く出したり止めたりする。

問題はその調節機能が間違った心の姿勢によって過労ぎみになったり混乱したり酷使されたりすることである。病気の大半はそれが原因となっている。つまり間違った感情によって調節機能が傷めつけられたその結果が病気という形で表われているわけである。

一般の病院を訪れる患者の半数以上がそうした悪感情によって病気を誘発されているという調査結果が出ている。医学生が使うテキストには1000を数える病名が記載されているが、その大半が感情が原因となっているというわけである。

首すじの痛み、ノドの腫瘍、潰瘍、胆のう炎、げっぷ、めまい、便秘、疲労感、神経痛、頭痛、背痛、坐骨神経痛、視覚異常、結合組織炎、食欲不振、肥満、こうしたものがその代表的なものといえる。

感情によって誘発されたからといって、実在しないものを病気と錯覚しているという意味ではない。現実に痛むのである。立派に病気なのである。決して想像上のものではないのである。

ではその調節機能を正常に保つにはどうすればいいかということになるが、それは、生きる姿勢を正すことに尽きる。感情を無理やり抑えつけようとしてもダメである。日常生活における心の持ち方を根本から改めることである。

それには先ず何のために生きているのかという人生の原点に立ち帰らなくてはいけない。それについては後章で改めて説くことにしよう。私は患者が痛みや不自由さから解放されると、かならず人生の霊的真理の話をする。そして生きる姿勢を根本から改めさせる。そうすることによって、さきに述べた“心身の調和”が成就される。これで本本の健康が得られることになる。

霊的真理を知ることによって、あなたは健康といっしょに人生まで建て直すことが出来る。ドロドロしたこの世的な問題に対してまったく新たな視点から対処できるようになる。いわば達観できるようになる。

取越苦労、怒り、恨み、物欲、色欲、強情、こうしたものが消えて、愛とよろこびと理解と霊的価値を求めるようになる。つまりあなたの心の姿勢が冷静、平穏、人のため、という姿勢になる。

すると身体機能もそれに呼応する。そこには病気の入る余地がなくなり、いつの間にか病気をしなくなる。同じ人生を、かつてのあなたは下ばかり向いて歩いていたのが、今や上を向いて歩くことになる。

ところで心霊治療に信仰心というものがどの程度必要かという問題がある。これは大切な問題である。多くの患者が私のところへ来てまっ先に言いたがるのが、私の治癒力を信じてやってまいりました、ということである。

これには言葉どおりに受け取れない要素がありそうである。というのは、何が何でも治してもらいたいという願望から、その時だけ私を信じる場合と、大して期待はしていないが私の前では大げさに表現する場合とがあるように見受けられるのである。

そこで私は「無理して私を信じなくてもいいんですよ」と言い、こうして不自由なからだでわざわざ私を頼って来られたという事実だけで私には十分ですと説明してあげる。そして、私の治癒エネルギーを誤解も偏見もなく素直に受け入れて下さいとお願いする。

同じ治癒エネルギーを注入してあげても、その受け入れ方の度合は患者によってまちまちである。霊的進化の程度の違い、症状の違い、環境の違い等が関わっているからである。

霊的真理を理解している人は素直な心で治療を受けてくれる。そういう人は病院でも間に合うような単純な異常でも私のところに来る。そして素早く直ってしまう。

これと対照的なのが、心霊治療の何たるかを知らずに、それまで続けてきた一連の医学的治療行為の1つのつもりで、興味本位で来る人である。こういう人は物の考え方が異常で、従って生活も異常なことが多い。

病気もその異常な生活の反映にすぎないのだが、本人は“何でも1度試してみるに限る”といった態度でやってくるから、霊的な反省はとても望むべくもない。要するに私を祈禱師か妖術師かまじない師程度にしか見ていないのである。もっともこの種の人は例外に属するが。

私が心霊治療家であることを強調するのは、病気が縁で私のもとを訪ねる人は“霊的体験”をしに来るのだという認識があるからである。といっても、真から健康を求めてやって来る人はなかなかいないものだ。いろんな魂胆でやってくる。

心霊治療とはどんなものかを試してやろうといった好奇心から来る人もいる。が私はそれも縁だと思って、それを機会にその人の誤った考えを正してあげたり、2度とこんなマネはしないようにと諭してあげたりする。

要するに心霊治療は治すこと自体が目的ではなく手段なのである。病気をかかえて私を訪ねて来た人が、病気の回復といっしょに霊的自我に目覚める。あの医者この病院とさんざん迷い歩いて、やっと今、これまで思いもよらなかった道があることを知る。その自覚と霊的知識はこの地上生活を導くだけでなく、死の彼方に待ち受けている次の生活へも自信をもって案内してくれる。

あなたもいずれ“死”という大きな関門にさしかかる時が来る。私はこれまで自分自身の奇蹟的体験を紹介し、さらに治療家となってからの、私を訪れる人について参考になると思われる話をした。

さ、こんどはあなたの番である。あなたは霊的真理にどれだけ目覚めておられるだろうか。死をどう認識しておられるだろうか。それをこれから見ていこう。それが本書のいちばん大切なところでもあるのである。

「全て自分の成長のためなんだよ」霊団が僕をある場所に閉じ込めるという意味です(祈)†■2023年9月20日UP■
「全て自分の成長のためなんだよ」霊団が僕をある場所に閉じ込めるという意味です(祈)†
友人の守護霊は今ごろほくそ笑んでいるはずです。僕の守護霊様は今ごろ僕の霊団への反逆を見て困っている事と思われますが。人間とは霊界で永遠に生き続ける存在です。人間に死はありません。物質界とは修行のためにホンの一時期だけ降下させられるトレーニングセンターです。肉体は神の摂理で自動的に朽ち果てるようになっており、僕たちの本体(霊)はそれを脱いですみやかに霊的表現媒体に着替えて(幽体、霊体)霊界生活に突入します。この事実からも物質界が僕たちの永遠の住処でない事は明白です。そのホンの一時の束の間の場所についてお勉強する事と、永遠の住処である霊界についてお勉強する事と、どちらがプライオリティが上でしょうか。どちらが賢明かつ自分の霊的進歩向上に役立つでしょうか。そういう視点で自分の人生を考えられる人間こそ賢者と言えるのではないでしょうか…続きを読む→
■2019年6月14日UP■
「本当にあわててる」昨日UPした「宇宙一のバ〇」の画像に強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁が慌てているのだそうです(祈)†
「もうこのバ〇ども死刑でいいんじゃないか?」皆さまにそう納得して頂ける日がそう遠からずやってきます。ってかもうご理解頂いていると信じます。今まで僕たちは強姦殺人魔を許し続け洗脳にやられ続けてきた恥辱の過去がありますが、それももう終わります。シルバーバーチ霊が確か「あなたに侮蔑を浴びせ離れて行った人たちもいずれはあなたを理解して近づいてきます」みたいな事を仰っていました。正しい行いをする者が必ず人々に理解されます。悪の行いをする者は必ず地獄に落ちます…続きを読む→
■2019年1月21日UP■
※だいぶ前に書いたブログです。 “こんなにうまく行ったのは過去例がない”これはイエス様ハンドリングがうまく行ったという霊団からのメッセージなのです祈†
“過去例がない”つまり、霊界に記録が残されている、地上に降下して霊的使命を遂行し、一死奉公をした過去三千余年の霊覚者たち、その誰も到達し得なかったエリアにまで僕は到達する事ができた、そういう意味のようなのです。以前「100%霊界新記録」ともインスピレーションを受け取らせて頂いていますし…続きを読む→