—–八章
『シルバーバーチの霊訓⑦』
【ジャーナリストであり作家でもあるP・ミラー氏の二人のお子さん、ルースとポールは、ごく自然な環境の中で両親から死後の存続を事実として教わっている。今はもう少年期に入っているが姉のルースが八歳、弟のポールが六歳の幼少期から(六年間)―】

『シルバーバーチの霊訓⑦』
【毎年のようにクリスマスが近づくと交霊会に招かれてシルバーバーチとお話をしている。従ってシルバーバーチとはまるで家族のような親しい間柄となっている。二人が出席する時は大抵幾つかの質問を用意しているが、その質問内容は―】

『シルバーバーチの霊訓⑦』
【“子供らしさ”あるいは“少年らしさ”を尊重して両親をはじめとしてサークルの大人のメンバーの誰からも干渉されていない。交霊会そのものも大人のメンバーは出席する事は許されても口出しは許されない。言わば“子供のための交霊会”なのである。―】

『シルバーバーチの霊訓⑦』
【(訳者注―口出しは許されないとは言っても大人にとっても大切な問題になると補足的な質問をしている。なおこのルースとポールの幼少時代の交霊会の様子は日本語版シリーズ第五巻で「二人の幼児と語る」と題して紹介されている。)―】

『シルバーバーチの霊訓⑦』
【(それから六年たっている。原書では本章は冒頭に子供時代の宗教教育の大切さについてのシルバーバーチの講話が載っているが、これは第四巻で「宗教の本質と子供の宗教教育のあり方」と題して紹介されているので本章ではカットした)―】

『シルバーバーチの霊訓⑦』
【当日の交霊会の様子については父親のミラー氏の記事があるので、それをそのまま紹介するのが一番良いように思われる。次がその全文である―】【ハンネン・スワッハー交霊会の支配霊であるシルバーバーチのそばに二人の少年が立っていた。―】

『シルバーバーチの霊訓⑦』
【そして二人が代るがわるクリスマスタイム(十二月二四日~一月六日)の暫しの別れの挨拶をするとシルバーバーチはまず姉のルースに「上品さとたくましさ、愛と叡智を身につけるようにね」と言い、続いてポールに「たくましくなりなさい。」―】

『シルバーバーチの霊訓⑦』
【「そして自分の背後には霊の力が控えているのだという確信を忘れないようにね」と言い、最後に二人に「私はいつでも私の存在の全てをかけ、愛と心と霊の力を傾けてお二人のために尽しますよ」と述べた。―】

悪魔は人間が発明したものであり、存在しません。良い事は神のもので悪い事は悪魔のもの、ではなく良い事も悪い事も神のものなんです。悲哀、苦悩、試練が降ってきてもそれは罰ではなく神から与えられたものなんです。それを乗越えてこそ霊界で素敵な境涯に辿り着く資格を得る事ができるのです(祈)
—–

『シルバーバーチの霊訓⑦』
【確かに“そう述べた”のであるが、こうして活字にしてしまうと二人の子供が質問しシルバーバーチが答えるという形で、年一回、六年間も続けられてきた三人の間の情愛の温かさは、その片鱗すら伝えられない。―】

『シルバーバーチの霊訓⑦』
【一時間二十分、二人は真剣そのもので質問し自分の意見を述べた。若いとはいえ、はやスピリチュアリズムの真理が二人の生活の一部となり切っているようだ。二人は質問すべき問題を二人だけで話し合って決め、大人のサゼスチョンを一切断った。その問答が始まった―】

『シルバーバーチの霊訓⑦』
【“死に方”は死後にどう影響するか】【ルース「人間が死ぬ時の“死に方”というのが霊界へ行ってから影響するのかどうかが知りたいのです。つまり自然な死に方の方が霊界へ行きやすいのかという事です」―】もちろんです。大きな違いがあります。

『シルバーバーチの霊訓⑦』
もし地上のみんなが正しい知識をもち自然な生き方をすれば―もしもですよ―そうすれば死に方があっさりしていて、少しも苦痛を伴わなくなります。そしてまた死後の霊の身体を調節する必要もないでしょう。ところが残念な事に実際はそんなにうまい具合に行っておりません。

『シルバーバーチの霊訓⑦』
地上を去って霊界へ来る人の殆どが自分がこれからどうなるのか、自分というのは一体どのように出来あがっているのか、霊的な実在とはどんなものなのかについて恐ろしいほど無知なのです。その上、地上で十分な成長をしないうちに霊界へ来る人がそれはそれは多いのです。

『シルバーバーチの霊訓⑦』
そういう人は、私がたびたび言っておりますように、熟さないうちにもぎ取られた果実のようなものです。ルースちゃんも知っているように、そんなくだものはおいしくありませんね。果実は熟せば自然に落ちるものなのです。霊が十分に成長すると自然に肉体から離れるのです。

『シルバーバーチの霊訓⑦』
今私の世界へ“渋い”くだものや“酸っぱい”くだものが続々とやってきております。そのため、そういう人たちをこちらで面倒を見たり、監視したり、手当をしたり、看護したりして霊界に適応させてあげないといけないのです。

『シルバーバーチの霊訓⑦』
みんながちゃんとした知識をもってくれれば、私のように地上の人間の面倒を見ている者はとても手間が省けて有難いのですけどね。ルースちゃんの言う通り、、死に方によって大変な違いが生じます。以上のような答でいいですか。【ルース「ええ、とてもよく分りました」―】

現在抜粋中のルースちゃんとポール君のように幼少の頃から正しい霊的知識に触れられる環境が整う時代が早く来ると良いですね。その時は「母と子の心霊教室」や「スピリチュアル・ストーリーズ」のような書籍が当り前のように子供たちに提供され、親子で読みながら霊的知識の理解を深められるはず(祈)
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『シルバーバーチの霊訓⑦』
(訳者注―ルースが“死に方”と言った時多分自然死でない死に方、即ち事故死、病死、戦死、自殺といったものが念頭にあったはずでシルバーバーチも一応その事を念頭においていた事は“霊の身体を調節する必要もないでしょう”という言葉から窺われるが、―)

『シルバーバーチの霊訓⑦』
(―もう少し具体的な事を述べて欲しいところである。そこで最近入手したスカルソープという人のいわゆる“体外離脱体験”の書物から霊界の病院を訪れた時の模様を紹介しておく―)霊界の妻との関係と思われるが私は妻の勤める霊界の病院へたびたび連れて行かれる。

『シルバーバーチの霊訓⑦』
病院と言っても地上から霊界入りしたばかりの人を解放する施設である。ある時その施設を妻の案内で見学したのであるが、そこは若い女性ばかりの患者を介抱する施設だった。そこの“食堂”へ行ってみるとちょうど“食事中”で私も妙な食欲を覚えた。

『シルバーバーチの霊訓⑦』
テーブルの間を通り抜けながら患者のオーラとコンタクトしてみたが、死因となった事故のショックや恐怖、病床での苦しみや不安の念が根強く残っていた。中には地上の病院での消毒液の臭いが漂っている者もいた。

『シルバーバーチの霊訓⑦』
事故死した者の腕や首や顔の傷当ての赤い絆創膏の跡がうっすら残っている人もいた。精神に焼きついた映像がまだ消えていないのである。しかしホール全体に穏やかな雰囲気が漂っていて一人として病人くささは見せていない。

『シルバーバーチの霊訓⑦』
これは高級界から間断なく送られてくる生命力のせいで、こうした特殊な患者にはそれが必要なのである。

「ペットは死後も生きている」この書籍で是非「肉食」という食習慣について考えて頂きたいのです。食肉用に屠殺された動物たちの霊界での様子を知って頂きたいのです。僕たちの肉体は肉を食べなくても植物食のみで全然健康に生きて行けるのです。僕が生き証人です。野菜中心食でメチャ元気です☆(祈)

これも現状ちっとも良くありませんねぇ。さらに考えていきましょう(祈)†

トレイルムービー制作で最も大変な作業が完了、これで70%完成中といったところです。あとは山で撮影してきた動画素材をチープソフトに取り込んでアレしてコレすれば完成です。この土日を有効活用したいですがさぁどうしましょう。霊団がブログを書かなくていいみたいな事を波長で言ってきてますのでアナログ絵を描きたいですがどうしようかなぁ、描きたい絵はたくさんあります。とにかく幽体離脱時の映像が意味性のないものばかりになっていて本当に困っています。霊団、僕にブログ書かせた方がいいんじゃないのか。このままって訳にはいかないんじゃないのか。押しが弱くないか。「宇宙一のバカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を許せない気持ちは僕よりあんたたちの方が上のはずでしょ。こんな事でいいのか。もっと本気出して導け。

ちなみに「人気投票プラグイン」のようなものをテストしたのですが現状全く良くありません。使命遂行と直接関係ないものと思われるのですがしかしアクションは様々に行うべきと思いますので「フラー人気投票」や「使命遂行キャラクター人気投票」のようなものが構築できるならしてみたいと考えていますが現状難しいようです。画像を使用した視覚的な投票でなければ使う気になれません。今日はインスピレーションさえありませんでした。霊団サボるな全力で仕事しろ(祈)†

これから録音に入ります。「字幕.srtファイル」の完成まで一気に作業を進めます。1歩も退く気はない(祈)†

—–二章2
『ベールの彼方の生活①』
【色彩の館 一九一三年十月一日 水曜日】昨晩の“音楽の里”について述べた事は私たちが見聞きした事のホンの概略を述べたものです。それに私たちはその里のごく一部しか見学していないのです。聞くところによりますと実際はその時想像していたよりも遥かに広いもので―

『ベールの彼方の生活①』
―湖を中心として遠く山岳地方まで広がっております。その山の地方にも研究所があり、一種の無線装置によって他の研究所と連絡を取りながら全体としての共同研究が休みなく続けられております。見学を終えて帰り道で脇へ目をやると、また目新しいものが目に入りました。

『ベールの彼方の生活①』
とても大きな樹木の植林地で、その中にも高い建物が聳えております。前のようなただの塔ではなく、色とりどりの大小の尖塔やドームが付いており、その中に大小のホールが幾つもありました。それが一つの建物で、とても高くまた広々としております。

『ベールの彼方の生活①』
私たちが訪ねると住人の一人がとても丁寧に優しく迎えて中へ案内して下さいました。そしてまずその壁の不思議さに驚かされました。外側から見ると不透明なのに内側から見ると透明なのです。

『ベールの彼方の生活①』
そして大小のホールを次から次へと回って気がついたのは、各々のホールの照明の色調が多少ずつ隣のホールと違っている事でした。元の色彩は同じなのです。ですから別の色という感じはしないのですが、その深みとか明るさとかが少しずつ違っておりました。

『ベールの彼方の生活①』
小さいホールは殆ど同じ色調をしておりました。その数多い小ホールを通過して行くと幾つか目に大ホールがあり、そこに、それに連なる小ホールの色彩の全てが集められております。

『ベールの彼方の生活①』
小ホールの一つ一つが一個の色調を滲出していると断言する自信はありませんが思い出す限りではそんな印象でした。見たものがあまりに多くて一つ一つを細かく憶えていないのです。それに、それがはじめての訪問でした。ですから大ざっぱな説明と受止めてください。

喪服を捨てました。必要ないからです。何の意味もないからです。黒い服を着て故人を悼み、線香に火をつけてすすり泣く、これは断じて間違いです。故人は肉体の苦しみから解放され、より精妙な身体をまとって自由を満喫してるのです。むしろ祝ってあげるべきです。この古い習慣を考え直しましょう(祈)
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『ベールの彼方の生活①』
大ホールの一つは“オレンジホール”と呼ばれ、そこには原色のオレンジの有りとあらゆる色調―ほんのりとした明るい黄金色から最も深いオレンジ色までありました。さらにもう一つの大ホールは“レッドホール”と呼ばれ、ピンクのバラの花びらのうっすらとした色調から―

『ベールの彼方の生活①』
―深紅のバラかダリヤの濃い色調までがホールいっぱいに漂っていました。さらには“バイオレットホール”というのがあり、ヘリオトロープあるいはアメジストのあの微妙な紫の色調からパンジーのあの濃い暗い色調まで輝いております。

『ベールの彼方の生活①』
このような具合にしてその他の色彩にもそれぞれのホールがあるのですが言い落してならないのは、これ以外にあなたの知らない色―七色以外の言わば紫外色と赤外色もある事で、それはそれは素敵な色です。

『ベールの彼方の生活①』
そうした色調は一つに融合してしまう事なく、それぞれが独自の色調を発散しながら、それでいて全体が素敵に美事に調和しているのです。そうした透明な建物が一体何のためにあるのかと思っておられるようですね。

『ベールの彼方の生活①』
それは各種の生命―動物、植物、それに鉱物、このうち特に前二者へ及ぼす色彩の研究をするところなのです。これに衣服も含まれます。私たちの衣服の生地と色調は着る人の霊格と性格を反映するからです。自分を取巻く環境は言わば自分の一部です。

『ベールの彼方の生活①』
それはあなた方人間も同じです。中でも光が一つの要素、重要な要素となっています。私たちがホールで見たとおり、各種の条件下で実験する上でも重要な働きをしているのです。聞くところによりますと、―

『ベールの彼方の生活①』
―こうした研究の成果が地球及び他の惑星の植物を担当しているグループへ手渡されるそうです。しかし全てが採用される訳ではありません。繊細すぎて地球や他の惑星のような鈍重な世界に応用できないものがあり、結局ほんの一部だけが地球へ向けられる事になるそうです。

霊界には地上に存在しない色彩(紫外色・赤外色)がたくさん存在します。地上には4つの音域しかありませんが霊界にはたくさんの音域があります。地上で制作される絵画や音楽はことごとく霊界が始源です。僕たちは良かれ悪しかれインスピレーションを受取って絵画や音楽を制作する受信器なのです(祈)
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『ベールの彼方の生活①』
残念ですがこれ以上の事は私には述べられません。一つには今述べた環境上の制約がありますし、また一つには内容が科学的で私には不向きという事でもあります。ただ一つだけそこでお尋ねした事を付加えておきましょう。

『ベールの彼方の生活①』
そこでは原色の全てを一つのホールに一緒に集める事はしません。なぜだかは知りません。もしかしたら私よりその方向に通じている仲間の人たちが考えているように、一緒にした時に出るエネルギーがあまりに強烈なので、特別に設計した建物を、―

『ベールの彼方の生活①』
―それも多分どこか高い山の中にでも建てなくてはならないのかも知れません。仲間の人たちが言うには、その場合は周辺のかなりの距離の範囲で植物が生育しないだろうという事です。

『ベールの彼方の生活①』
さらに私たちがお会いした人々が果たしてそうした莫大なエネルギーを処理できるか疑問だと言っております。もっと高い霊格と技術が必要であろうと考える訳です。しかしもしかしたら高い界へ行けば既にそうした研究所があって、―

『ベールの彼方の生活①』
―それが今紹介した研究所と連絡が取れているのかも知れません。こちらの整然とした秩序から判断すれば、その想像はまず間違いないでしょう。私がそのコロニー、あるいは総合研究所と呼んでも良いかも知れませんが、―

『ベールの彼方の生活①』
―そこを出て中央のドームが見上げられる少し離れた場所まで来た時、私たちのこの度の見学旅行を滞りなく進めるために同伴していた指導霊が私たちの足を止めて、出発の時から約束していたお別れのプレゼントをお見せしましょうとおっしゃるのです。

『ベールの彼方の生活①』
何だろうと思って見つめたのですが何も見えません。少し間を置いてからみんな怪訝な顔で指導霊を見つめました。すると指導霊はにっこり笑っておられます。私たちはもう一度よく見ました。やがて仲間の一人が言いました。

肉体が太陽光線や食物によって形成されるように、地上生活における行為、言葉、思念が一定の波長の幽体を形成し、死後その波長に合った境涯へと自然に引かれて行きます。その境涯にいるのはあなたと同じレベルの霊性の者ばかりです。自分の未来を良くするも悪くするも自分次第、全て自己責任です(祈)
—–

『ベールの彼方の生活①』
「さっきここで足を止めて見上げた時、あのドームは何色だったかしら」するともう一人が「赤色だったと思うけど」と言いますが誰一人確実に憶えている者はいませんでした。ともかくその時の色は黄金色をしておりました。

『ベールの彼方の生活①』
そこで「暫く見ていましょうよ」と言ってみんなで見つめておりますと、なるほど、やがてそれが緑色に変りました。ところがいつどの辺りから緑色に変色し始めるのかが見分けられないのです。その調子で次から次へと一様に色彩が変化していくのです。

『ベールの彼方の生活①』
それが暫くの間続きましたが、何とも言えない美しさでした。やがてドームが完全に見えなくなりました。指導霊の話ではドームはちゃんと同じ場所にあるのだそうです。それが各ホールからある種の光の要素を集めて組合わせる事によって、そのように姿が見えなくなる―

『ベールの彼方の生活①』
―それがその建物で仕事をしている人が工夫した成果の一つだという事です。そう見ているとドームと林の上空に―ドームは見えないままです―巨大なピンクのバラが出現しました。それがゆっくりと色調を深めて深紅に変り、―

『ベールの彼方の生活①』
―その大きな花びらの間で美しい容姿をした子供たちが遊び戯れていたり、大人の男女が立ち話をしていたり、歩きながら話に興じたりしています。みんな素敵で美しい、そして幸せそうな姿をしております。

『ベールの彼方の生活①』
一方では小鹿や親鹿、小鳥などが走り回ったり飛び回ったり寝そべったりしています。

『ベールの彼方の生活①』
花びらが膨張して丘陵地や小山等の自然の風景の舞台と化し、その上を子供たちが動物と楽しそうに可憐な姿で遊び戯れているのです。それがやがてゆっくりと薄れて行き、そのうちただの虚空に戻りました。私はその場に立ったまま、そうした光景を幾つか見せて頂いたのです。

現在「ベールの彼方の生活」も抜粋してますが、シルバーバーチは何巻から読み始めても全く問題ない書籍ですが、ベールの彼方の生活については「続き物」的なところがありますので、1巻から順に読み進めて知識を得つつ4巻に到達するという読み方が良いと思います。最高にオススメなのです☆(祈)
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『ベールの彼方の生活①』
もう一つ見せて頂いたのは光の円柱で、ちょうどドームのある辺りから垂直に伸び、そのまま天空に直立しておりました。純白の光で、その安定した形を見ていると、まるで固形物のように見えました。

『ベールの彼方の生活①』
そのうち先ほどのホールの一つから一条の色彩を帯びた光が斜めに放たれて光の円柱に当りました。すると各々のホールからさまざまな色彩の光が放たれました。

『ベールの彼方の生活①』
赤、青、緑、紫、オレンジ―淡いものから中間のもの、そして濃いものまで―いろいろで、あなたの知っているものはもちろん、ご存知でない色彩も幾つかありました。それらの全てが純白の光の柱の中間部に斜めにつながりました。

『ベールの彼方の生活①』
見ているとそれが形を整えはじめました一本一本が道となり、沿道にビルや住居、城、森、寺院、その他が建ち並んでおります。そしてその傾斜した道を大勢の人が上がって行きます。一つの道は全部同じ色をしておりますが、色調は多彩でした。

『ベールの彼方の生活①』
それはそれは素敵な光景でした。円柱まで近づくと、少し手前のところでそれを取囲むような形で立止まりました。すると円柱の頂上が美しい白ゆりの花のように、ゆっくりと開きました。

『ベールの彼方の生活①』
そしてその花びらがうねりながら反り返って下へ下へと垂れて行き、立止まっている群集と円柱との間に広がりました。すると今度は円柱の底辺が同じように開き、円い踊り場のような形で、群集が立止まっている場所との空間を埋めました。

『ベールの彼方の生活①』
これで群集は上へ上がる事ができます。今や全体が―馬も乗り物も―それぞれの色調を留めながら渾然となっております。その様子はまるで祝宴か祭礼にでも臨むかのように、多彩な色調をした一つの巨大なパビリオンに集まり行く素敵で楽しい大群衆を見ているという感じでした。

『ベールの彼方の生活①』
その群集の色調が天井と床つまり舗道に反映し、その全体から発する光輝は何とも言いようのないほど素晴らしいものでした。やがて群集は幾つかのグループに分れました。すると中央の光の円柱が巨大なオルガンのような音を鳴響かせました。

『ベールの彼方の生活①』
何が始まろうとしているかはすぐに判りました。間もなく声楽と器楽による“グロリア・イン・エクセルシス・デオ”(※)の大音楽が始まりました。高き光の中にまします神―全ての子等に生命を与え、その栄光を子等が耐え得るだけの光の中に反映され給う全知全能なる神よ―

『ベールの彼方の生活①』
―と、大体そういう意味の讃歌が歌われ、そしてこのシーンも次第に消えて行きました。多分この後その大群衆は光の道を後戻りして帰って行ったのでしょうが、それは見せて頂けませんでした。確かに、その必要もなかったのです。

『ベールの彼方の生活①』
さ、時間が来ました。残念ですがこれにて終りにしなければなりませんね。では神の御加護のあらん事を。(※Gloria in Excelsis Deo “天なる神に栄光あれ”の意のラテン語で、キリスト教の大頌栄の最初の句。ルカ2・14―訳者)

【過去コメ】イエス様の御意志に従い、霊的知識普及の使命を遂行中。明けても暮れてもテキストを撃ちまくり、霊的知識のタネを蒔いて蒔いて蒔きまくってます。地上のどんな事象より大切な霊的真理の光が人々に広まる事を、イエス様は僕という小さなチャンネルを通して痛烈に訴え、願っておられるのです(祈)

今日ブログにも書きましたように霊団はとにかく「トレイルムービー作れ作れ」と推しまくっていますので土曜を待たずに字幕の作業に突入していますが、今回ついに100ブロックの壁を突破してしまいました。とはいえいつかは作らねばならないものです早いか遅いかの違いだけです、作るしかないのですやるしかないのです。止まらずMP3録音、チープソフトのタイムラインにMP3を配置、さらにキャプチャムービーもUPしましたが、タイムインデックス取得、数値手入力の作業まで一気に終わらせましょう。幽体離脱時にブログネタとなる映像は相変わらず降らせてきませんでしたがインスピレーションとしては十分にブログネタになり得るメッセージが降っています。パワー的に許せばそれについても短く説明する必要があるでしょう。そして僕的には何とかアナログ絵297を描きたいですがどうにも困っています。何とかガンバってみましょう(祈)†

まずは23~25日に霊団が降らせたインスピレーションを軽く羅列してみましょう↓

  • トレイルありがとう
  • 拍手喝采
  • 人生最大の失敗
  • 意外な活動を始めます
  • 日本国民から絶対的徹底的に嫌われる事になる
  • いい加減にしろよ
  • この通りじゃ
  • ヤベーな

えー今回はタイトルに冠しました「トレイルありがとう」こちらの意味について書かせて頂こうと思います。※それ以外のインスピレーションの説明は書けたら書かせて頂きます、何しろトレイルムービーが「週間連載」の状態で多大なパワーを要求されますので。(とはいえ説明はした方がいいでしょう、何とかブログが書けるようにしたいです)で、霊団が「トレイルありがとう」と僕の霊聴に響かせてきた瞬間、僕はふたつの意味を感じ取りました。それはこうです。

【山での修行、精神力の鍛練】

まずひとつは「精神力の鍛錬」という意味で、僕は霊性発現(2012年6月)以前から現在に至るまで1週間の休みもなく果てしなく山へのアタック、いわば修行、山行を続けているのですが、現在霊団の導きに従って行っている使命遂行の生活は滅私、自己犠牲の究極形とも言える過酷極まりないものであり、その使命遂行「イエス様ハンドリング」を続け事ができているのは山で鍛えた精神力の賜物だと思うのです。しかし山での修行はあくまでも「物的修行」です。霊性発現以降の僕は、皆さまにどれだけ説明してもご理解頂けない「霊的試練」を果てしなく浴びせられながらの生活です。それが過去ブログで何度か書いてきました「愛の試練(霊障イペルマルシェ)」です。
愛の試練(霊障イペルマルシェ)について、僕にできる精一杯の説明をさせて頂きます(祈)† wp.me/pa9cvW-1ip ↓愛の試練(霊障イペルマルシェ)の追加説明をさせて頂きます(祈)† wp.me/pa9cvW-1iu ↓愛の試練(霊障イペルマルシェ)について、本当に許せない、こんな事もありました(祈)† wp.me/pa9cvW-1ix ↓はい、この過去ブログは愛の試練(霊障イペルマルシェ)その壮絶極まる霊的試練の中のひとつのエピソードにすぎません。実際は1日の休みもなく様々な霊的精神的鍛練を浴びせられてここまでやってきたのです。とにかく何をどう説明しても皆さまにはご理解頂けない性質のものです。
「無視してもインスピレーション止まらない」僕の使命遂行を止める物的手段がない事を説明してみます(祈)† wp.me/pa9cvW-2ng ↓このブログの中で「ホワイトガソリン」と説明していますように、霊団に対して激しい怒りの念を抱いてしまうくらい厳しすぎる試練を僕は常時浴びせられて日常生活を送っているのです。簡単に言えば「ムカつかされながら」使命遂行している訳です。現在の僕の精神力が培われたのは「愛の試練(霊障イペルマルシェ)」が70%「山での修行(特にナイトアタック)」が30%といったところでしょう。今回霊団が降らせたインスピレーション「トレイルありがとう」は、その僕の精神力を鍛えてくれた山に対する感謝の気持ちを表したもので、僕は「山は先生」とずっと公言していますが、その僕の山への感謝の気持ちを霊団が代弁した言葉と言えるでしょう。

【トレイルムービー作れ作れ】

そしてもうひとつの意味ですが、これは「トレイルムービー作ってくれてありがとう」という霊団から僕に向けられた感謝の言葉という意味で間違いないでしょう、コチラの意味を霊団は意図して降らせたのでしょう、こちらがメインでしょう。つまりこれまでも何度も書いていますようにとにかく霊団が「ユーチューブユーチューブ」「ムービー作れ作れ」と僕にたたみかけてきて、僕はムカつかされ翻弄されながらも何とか精神力で耐えながら導きの通りにムービーを作り続けて現在に至っている訳ですが、それのさらなる強調メッセージという事なのです。

で、実はこれはあまり皆さまにご報告したくないのですが、ここ2週間くらいでしょうか、幽体離脱時に霊団が降らせてくる映像がことごとくメッセージ性のないものばかりになっていまして、要するに霊団が意図的に「ブログネタ」を降らせて来ないのです(今ピィィィィンと霊団が波長を響かせてきましたよ…そうだという意味です)つまり「アキトくん、今はブログは書けなくても構わないからムービーの制作に集中してくれ」という霊団側のご意志の顕現という事になるのです。で、僕は苦しみながらも霊団の導きの通りにトレイルムービーを作り続けいています、その僕に対する霊団側の「ありがとう」という言葉なんですね。(ここでまたピィィィィンって波長を降らせてきましたよ…霊団が「トレイルムービー作り続けてくれてありがとう」って言ってるんですよ…)

今回霊団が降らせてきたインスピレーション「トレイルありがとう」も例外なく「ムービー作れ作れ」というご意志の顕現であり、本当に圧倒されるばかりなのですが、ただブログは書かなくても構わないが「フラー」は描けと言ってくるんですよ、ムービーと同じくらいにフラーも推してくるんですよ、そこが分からないんですよ。まぁイエス様との約束ですから描きますけども、やりますけども。もちろん霊団が僕を導く目的はただひとつ「宇宙一のバカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を死刑、滅亡させる事、奴隷の女の子を強姦殺人し続ける人類史上最悪の蛮行に終止符を撃つ事です。その霊界サイドの積年の悲願を成就させるための霊の道具として僕を物質界に残して機能させている訳ですから、トレイルムービーを徹底的に作り続ける事、そしてフラーをデザインし続ける事が明仁、文仁、徳仁、悠仁を死刑にし、奴隷の女の子たちを救出する最短最速ルートという事なのでしょう。

WordPress固定ページ「フラー」 wp.me/Pa9cvW-1s3 ↓WordPress固定ページ「ストーリー」 wp.me/Pa9cvW-2MG ↓僕の残された地上人生はもう僕のモノではありませんから霊団にここまで言われてしまってはもうやるしかないのです。僕の陳腐な小我を振り回してイエス様の2000年の冒涜、積年の悲願を無に帰す訳にはいきません。イエス様の御名を連呼する僕の肩には最大級の霊的責任がのしかかっています。それを達成してみせるという決意、覚悟の意味を込めて僕は「イエス様ハンドリング」と公言し続けているのです。絶対にやめるつもりはない、死んでも奴隷の女の子たちを救出する、僕がどんな誤解を受け人格を捻じ曲げられようとも明仁、文仁、徳仁、悠仁だけは死刑にして滅亡させる、イエス様の御名を公言し続けるのはその決意、覚悟の表現なのです。

願わくばピーチピチ(佳子)が「宇宙一のバカ」強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁に協力し続け、奴隷の女の子たちを殺す手伝いをし続けながら国民に向けてウソ笑いを浮かべ続けすっとぼけ続け、真実を一言も語らずフェードアウトつまり「逃げる」事のないよう、正直に国民に向けて真実をお話し、僕と協力体制を取って奴隷の女の子たちの救出を実現させるべくアクションを起こしてくれる事を、物質界に残された最後の1秒まで信じ切らずにはいられません。イエス様がお膳立てして下さった「光射す善のルート」をピーチピチが選択し歩んでくれる事を、僕、たきざわ彰人は切に切に祈ります(祈)†

『シルバーバーチの霊訓⑤』
【ポール「ウソをついても知られないようにする事ができますか」―】ウソというのが存在できないのです。神さまの摂理をごまかす事はできないからです。あるがままの姿が映し出されるのです。見せかけもごまかしも全部剥ぎ取られ、そのままの姿がみんなに見られるのです。

『シルバーバーチの霊訓⑤』
でも、それを怖がるのは自分の事しか考えない人たちだけです。【ルース「今イエスさまが話そうと思えば霊媒を通じて話す事ができますか」―】いいえ。イエスさまは王様が家来の者を使うように私たちを使っていらっしゃいます。私たちはイエスさまの使節団なのです。

『シルバーバーチの霊訓⑤』
イエスさまのお考えを地上の人たちに伝え、地上の人たちの考えをイエスさまにお伝えするのです。でもイエスさまの霊はいつも私たちとともにあります。決して遠くにいらっしゃるのではありません。

『シルバーバーチの霊訓⑤』
前にもお話した事がありますが、私がイエスさまのところに行く時は―もうすぐ参りますが―ルースとポールという名前の二人の良い子の考えと言葉と愛とを携えて参ります。ご存知のようにイエスさまは子供が大好きなのです。

『シルバーバーチの霊訓⑤』
【二人がこの言葉の意味を考えている少しの間沈黙が続いた。やがてルースが言った。ルース「霊や妖精がいる事を信じる事が出来て嬉しいです。いつまでも信じていたいと思います」―】そうですとも。その信仰を忘れてはいけませんよ。人に笑われても気にしてはいけません。

『シルバーバーチの霊訓⑤』
こんな素敵な信仰がもてて幸せだなぁと、それだけを思っていればよろしい。それを笑う人は何も知らないのです。【こう述べてからシルバーバーチはサークルメンバーに「この子は心の中で妖精を見たいという念をしきりに抱いているので、」―】

『シルバーバーチの霊訓⑤』
【―「今見せてあげようとしているところです」と述べ、妖精はバイブレーションが高いので普通の人間の目には見えないけど、いつか皆さんにも(物質化して)お見せできるでしょうと言った。ここで私(ミラー)が誰か私の友人が来ていますかと尋ねるとシルバーバーチは―】

皆さん、地上のどんな高価なものより何より大切な霊的知識を得ましょう☆人類の宝とも言える書籍は沢山あります(ブログ“「霊」関連書籍の総括”参照)地上は修行場です。僕たちはそれぞれ越えるべき課題を携えて地上に降下して来てるのです。それを知って暮すのと知らずに暮すのでは大違いです(祈)
—–

『シルバーバーチの霊訓⑤』
人間というのは面白いですね。よくそういう質問をなさいますが愛のつながりのある人はいつもそばにいてくれるのです。決して遠くへ行ってしまうのではありません。皆さんは肉体という牢に閉じ込められているからそれに気づかないだけです。

『シルバーバーチの霊訓⑤』
霊の世界には時間もありませんし距離もありません。意識の焦点を合わせさえすればいいのです。私はこれから遠くへ参りますが、相変らずここにいると言ってもいいのです。この問題はここでは深入りしないでおきましょう。二人の子供が混乱しますから。

『シルバーバーチの霊訓⑤』
【ポール「ぼくたちはどのようにして物事を思い出すのでしょうか」―】一つの事を知ると、それは“記憶の部屋”にしまわれます。そしてその知識が必要になると知りたいという欲求がテコになって(タイプライターのキーのように)その知識を引出します。

『シルバーバーチの霊訓⑤』
すると記憶が蘇ってきて使用されるのを待ちます。使用されるとまた記憶の部屋へ戻っていきます。一度学んだ事は決して失われません。一たん憶えた事は決して忘れません。【ルース「じゃ、あたしたちが考えている事が全部そちらで分るのですか」―】

『シルバーバーチの霊訓⑤』
親しい間柄の霊には分ります。人間の心の中は開いた本のようなものです。親しい人にはみな読取れます。親しくない人には分りません。近づけないからです。【ルース「あたしはシルバーバーチさんが大好きです。どう説明してよいか分らないくらい好きです」―】

『シルバーバーチの霊訓⑤』
【―と言ってポールと一緒に霊媒の顔をじっと見つめた―】私だってルースちゃんとポール君が大好きですよ。この気持は愛の大中心から来る愛、世界全体を支配している愛、宇宙全体を動かしている愛、全部の生命を優しく抱きしめ、たった一人の子供も、―

『シルバーバーチの霊訓⑤』
―どこにいようと何をしようと絶対に見放す事のない愛と同じものなのです。それが、宇宙が始まる前から、そして宇宙が終った後も、永遠に霊を一つに結びつけるのです。

『シルバーバーチの霊訓⑤』
それは永遠に変る事のない神さまの愛であり、愛の神さまです。その愛の心をお二人が出すたびに神さまの心が発揮され、宇宙の創造の仕事が続けられるのを助ける事になるのです。【この対話にサークルの全員が涙を流した。―】

皆さん、自分の日常生活に疑問を抱きましょう。なぜ私はこんな所でこんな事してるの?その答はこれらの書籍にあります(ブログ“「霊」関連書籍の総括”参照)地上生活中に霊的知識に触れず全くの無知で他界すると霊界で大変な苦労を味わいます。僕たちは何としても霊的知識を理解すべきなのです(祈)
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『シルバーバーチの霊訓⑤』
【続いて話題がシルバーバーチのインディアンとしての地上時代の生活に移った。まず山のふところでの“水”に左右された生活の様子を語った。その生活は素朴で、現代文明にありがちな問題やせかせかしたところがなかった事、―】

『シルバーバーチの霊訓⑤』
【日が暮れると子供の霊がやって来て、良い子はもう寝る時間ですよと告げてくれた事、寝入ると霊の世界へ遊びに行った事などを話して聞かせた。そして最後にこう述べた―】ではもう一つだけお話してお別れする事にいたしましょう。

『シルバーバーチの霊訓⑤』
私は間もなく地上を離れ、いくつもの界を通過して私の本当の住処のある境涯へ行き、そこで何千年もの間知り合っている人たちとお会いします。地上のために働いている人たちばかりです。しかもたびたび苦しい思いをさせられています。

『シルバーバーチの霊訓⑤』
私はこれからそこへ行って、かつて身につけた霊力を取戻してきます。そこへ行って私はこれから先の計画を教えて頂き、これまでに私が仰せつかった仕事をやり遂げているかどうか、どこまで成功しどこが失敗したか、それを次の機会にやり直せるかどうかをお聞きします。

『シルバーバーチの霊訓⑤』
それからみんなで揃って大集会に出席して、そこであなたたちがイエスさまと呼んでいる方とお会いします。するとイエスさまは美しさと優しさと理解と同情にあふれたお言葉を掛けて下さいます。その時私たちは神さまのマントで包まれます。愛の衣で包まれます。

『シルバーバーチの霊訓⑤』
そして神さまの尊い力で身を固めて一人一人に授けられた新しい使命に向かって出発します。お二人のような子供から“シルバーバーチさんが大好き”と言われるごとに私は“ああ良かった”と思います。

『シルバーバーチの霊訓⑤』
なぜなら私たちの仕事は愛を得てはじめて成遂げられるものであり、愛の反応を見出してはじめて仕事がうまく行っている事を知るからです。どうかその天界の光が皆さんの毎日の生活に反映される事を祈ります。神の恵みがいつも皆さんとともにある事を祈ります。

『シルバーバーチの霊訓⑤』
ここにおいでの皆さんは今まさに神が託した霊団の保護の下にいらっしゃいます。【かくして二人の子供にとってその年で最高の一日が終った。霊媒が意識を取戻して普段のバーバネルに戻り、二人に語りかけると、二人は驚いた様子で見つめていた。―】

『シルバーバーチの霊訓⑤』
【そして娘のルースは私に抱きつき、涙を流しながら言った―“シルバーバーチさんとお友だちになれて、あたし、ほんとにしあわせよ”と。】

僕たち地上人類は「死は恐ろしい事、悲しい事」という誤った概念を何としても払拭し正しい霊的知識に照らして判断できるようにならねばならないんです。僕たちは7、80年の地上生活を食べて飲んで寝て死んだら終りなんて存在ではありません。墓場の先に永遠に続く美しい向上の生活があるのです(祈)

超時間かかりました。で結局ブログ書けませんでしたがバックアップしながらひたすらググって調べてました。ナイトアタック時の撮影は手書きフリップが一番視認性が良い事は分かるのですが何かやりたいですよね。それでホワイトボードとか言い出して白飛びして全然文字が見えなくて失敗しちゃったりしてるんですが、黒キャンバスに白文字の方が視認性が良いので黒板とかググるのですが、ザックの中がチョークの粉だらけのグチャグチャになるでしょう。ダストレスチョークとかいうのがあるそうですが普通に粉が出るそうです。

昔使っていたブギーボードとか、あとデジタルフォトフレームでムービーを流すとかありますが山に持って行ったら100%壊れます速攻で。キビシイ環境下に置かれる山ではデジタルは信用できません。電光掲示板とかも調べましたが高いモノなんですね。イヤァァァ…トレイルムービーは毎週の事ですから何か考えたいですよね自分の首を絞めずかつ使命遂行を前進させるアイデアを。まぁ結局壊れなくて軽いアナログツールに帰着すると思います。バックアップとググりまくりで全然作業できませんでした、参りました(祈)†

※ひとつアイデアを思いつきました、これまでと全く切り口が違う全然異なるイメージのアイデアです。来週のアタックまでまだ時間がありますのでその実現性についても調べておきましょう。何かやらないといけないんですよとにかく(祈)†