まずは昨日のグラデーション撮影の画像をUPですが、さぁどうしたモノか、気付いてみればまたしても膨大なインスピレーション量となっており、どう削除しどう残してどう説明するか頭を抱えるばかりです。
んー、重い。どう撃てばいいんだ。何とかやってみるつもりですが…(祈)†
皇族などと自称する明仁、文仁、徳仁、悠仁は「処刑遊び」と称して奴隷の女の子を四肢切断、強姦殺人しまくっています。死刑にしましょう(祈)†
まずは昨日のグラデーション撮影の画像をUPですが、さぁどうしたモノか、気付いてみればまたしても膨大なインスピレーション量となっており、どう削除しどう残してどう説明するか頭を抱えるばかりです。
んー、重い。どう撃てばいいんだ。何とかやってみるつもりですが…(祈)†
月さんも星さんもバッチリ見える、スタート地点は無風。通常で行けば問題なく撮影できる状況ですが、案の定標高を上げると風に撃たれます。しかし今日の風なら三脚転倒を防止できると判断し、ようやく、今日こそグラデーション撮影を断行しました。
やっとグラデーション撮影ができました、本当にこの数週間はキビシカッタ。これが現時点の僕にできる最大限の撮影、これ以上の撮影はできません。そしてマイナス3℃でもほぼ厳冬期仕様のレイヤーを装着していましたので低温にやられる事もありませんでした。
そろそろ標高を上げられなくなりそうです(雪が降るため、軽アイゼンはあまり好きではないので)スノーシューアタックが開始されるまで一旦標高を下げての撮影となりそうです。もう1週くらい行けるかな、どうかな。
で、霊団に言われている事を脳内で反芻しつつ、帰りの車の運転中にシルバーバーチの霊訓のMP3を身を乗り出すようにして集中して聞いていたのですが「アリ?チョトマテよ…」と思う事がひとつ浮かび上がってきてます。明日それについてテキストを撃つ事になるのか、それともこれから霊団がピーチクパーチク言ってきてまた翻弄される事になるのか。
今日のグラデーション撮影の画像は明日UPさせて頂きます。山の、イヤ、ロングドライブのダメージをしっかり抜く事に集中中、明日のテキスト撃ちに集中中(祈)†
残念、今日はアイテムの追加はできませんでした、書籍のスキャンをおこないました。僕は霊団に対する怒り憎しみの念がもう尋常ではないレベルだという事がひとつ、もうひとつはサークルメンバーの問題があって、僕はやはり霊媒として機能する事は不可能だと思っていますので「絶版状態の霊関連書籍復刊に向けたテキスト化」この作業はやらねばなりません。
自分の人生なのになぜこれほどまで自分の思い通りにならないのか(イヤ、だからもうキミの人生じゃないんだよ、という100の光の霊団メンバーの声が聞こえてきそうですが)どれだけ考えても納得できる回答を見出せませんが「感情と手は別レイヤー」ですから作業だけはどんな複雑な感情に揺れていても続行せねばなりません。
僕はどうやったら脱出できるんだ。それを考えつつフラー26新規デザインにそろそろ着手してしまいそうな空気感。まぁ絵は描きましょう、必要だと思いますので。明日の山の準備ですのでまずはココまで(祈)†
サウロはユダヤ人として割礼(神とアブラハムとの間の契約の印として出生直後の男子に行われる包皮切開手術)を受け、モーセの律法によって教育された。少年時代はローマに住んでいたが、青年になってからイスラエルの律法や信仰を学ぶため親族を頼ってユダヤにやって来た。
サウロはとても烈しい気性で、反対されると烈火のごとく怒り、彼の記憶に焼き付けられてしまうのである。彼は確固たる自覚を持ち、恩師ガマリエルから聴いたヨハネの言葉を何度もこね回しているうちに、ついに迫害を加える意志を固めた。
彼の怒りは絶頂に達し、まだ名も無い若者でありながら長老たちの前で、イスラエルの主なる神やモーセの律法を思う熱意を示し、地位と権力を獲得したのである。
土の下に植えられている種は見えなくても、時期が来ると地上に成長し実を実らせるものである。ヨハネの言葉も例外ではなかった。ガマリエルと話し合ったことは、ヨハネにとって悲しむべき結末であったように見えたが、実はそうではなく、ひとつの実をみのらせることになったのである。
それは結果として外国にイエス・キリストの教えを広めることとなったからである。サウロによって計画された迫害は、多くのユダヤ人クリスチャンを国外に追い出してしまった。
彼らはあちこちで土地を耕し、種をまき、12使徒のようになって活躍し、暗黒のうちに苦しんでいる人々にキリストの教えを聞かせ、光明を与えることになったのである。このように、使徒たちの背後には、見えない神の御手が働いていて、彼らのつき進む道を導いて行ったのである。
最初のうちは、イエスの教えを外国にすむユダヤ人に伝えていたが、次第に地の果てにまでイエスの言葉を伝えるためには、先祖から伝えられた習慣をかなぐり捨てなければならなかった。
さて、サウロは数人の金持ちや長老たちとクリスチャンの動きについて話し合った。彼は毒がイスラエル全土に広がらないうちに雑草のようなクリスチャンを除いてしまうことを提案した。
サウロは又どんどん増えている信者のなかに、ステパノという若者が言いふらしていることを耳にした。なんでも、キリストを十字架で殺してしまった報復として、近いうちにエルサレムを滅ぼしてしまうように信者に命じているとのことである。
どんな努力をしても、人間の語る言葉というものは、悪い尾ひれがつくものである。サウロの耳に入った時には、かなりねじまげられていた。それでサウロは、余りにも烈しい性格だったので、無意識のうちにクリスチャンを絶滅させようと逆上してしまったのである。
サウロは金持ちや長老たちに向かって言った。「この人達は、灼熱の太陽のようにエルサレムを焼き払おうとしているのです。その火は砂漠の熱気のように家を焼き払い、神殿をも滅ぼしてしまうでしょう」
彼は声を低くしてささやくように語りだした。彼らの背後には、ローマ帝国がひそかに手をかしていて弟子たちに金を渡していること、そしてエルサレムを滅ぼしたら、もっと大金を支払うとの約束ができていること、更に、反動分子をとっつかまえて奴隷に売りとばし、その金をローマに運んでいるなどと語った。
サウロはローマから最近やってきて、ユダヤの高官たちと親しくしているということで、多くの者はサウロの言うことを信じた。密室でささやかれることは千里も走るのたとえのように、この話はエレサレム中の噂となって広がった。
しかも、この話は誰が最初に吹き込んだのかを知っている者は殆どいなかった。しかしこれはローマ人の耳には入らなかった。それはユダヤ人の中でしか語られず、お互いに不信感を持っているローマとユダヤとの間に心の障壁があったからである。
更に、“誇り”という悪霊がサウロを虜にしてしまった。彼がガマリエル門下たちと別れをつげた後、ある会堂(ユダヤ教の礼拝所)に入ってみると、1人の若者がキリストの教えを説いていた。この若者はステパノといって、キリストの光に浴し、日々熱心にキリストの教えを説いていた。
サウロがガマリエルの言葉に刺激されていなければ、おそらくステパノなどには目もくれなかったであろう。しかし、悪霊に手引きされ、更にガマリエルの言葉が耳にこびりついていたことも手伝って、サウロはこの髭なしの若者を見据えていた。
そこでサウロは聴衆のど真ん中に割って入り、ステパノをにらみつけながら、彼の説いている教えはモーセの律法と矛盾する説であると言い出した。ステパノは、むかし神殿でモーセの律法を本格的に学び、キリストの教えに接するまでは、神殿に仕える祭司になろうと準備をしていたので、誰よりも詳しくそれを知っていた。
それで彼はサウロに対して堂々と反論を加え、むしろキリストの教えこそ、神から与えられた古い信仰(モーセの律法)の上にかぶせられた王冠のようなものであると説明した。
サウロはエルサレム在住のユダヤ言葉や、荒々しい気質のことを余り知らなかった。おまけに彼らは、ローマ人が競技場でのスポーツに血をわかせるのと同じように論戦を楽しむ習慣を持っていた。それで聴衆はサウロが早口でステパノを罵倒し感情的になっているサウロには好感を持たなかった。
彼らはサウロのことをあざ笑った。それでサウロは逆上し、手を振りあげてステパノの頭をたたいた。聴衆は大声をあげてサウロは論争のおきてを破ったとわめき、サウロをつかまえて、彼の着ている紫色の衣服を引き裂き、地上に投げ捨てた。サウロはあわてて逃げ出し、通りかかった友人に助けられて難を逃れることができた。
この時からステパノに対する憎悪の念は大きくなり、いつかエルサレムの人々の目の前で、彼をやっつける計画を虎視たんたんと狙うようになったのである。
チョト一言では説明できない事を言われています。行かせないようにしていたところに僕を行かせる準備が整ったと意味を受け取れそうな事を言ってきてまして、イヤ確かに僕は反逆の限りを尽くし何が何でも現状から脱出するつもりでいるけど、その場所(日本の中心)に僕を赴かせたら100%殺されるんじゃないのかよ。なんだ、もう使命遂行終了か。
僕は帰幽カモンだから別にそれでもかまわないけど、あんたたちはそれでいいのか。えーこのタイミングで全ての説明はできませんが、要するに霊団も八方塞がりなのでしょう。僕の残された物質界人生はどっちに進んでも最悪という事、それだけは決定中です。だからトリカブトちゃんのタネを入手したのです。
新規の霊言が降ってきてそれを書籍化できればまだ許せる気にもなったけど、それも全くない。じゃあ僕にどうしろというのか。ただ無目的にダラダラ最悪のところに残り続けて何もせずボケーッとしてろっていうのか。そんな人生を受け入れる訳がネィだろ。神経を疑うよ。スイマセン説明できないので一旦切ります(祈)†
もうホントにヤダ、残されている限りいつまでもどこまでもヒドイ目に遭わされる。詳細は長文ブログのタイミングで書く事になるのか、それともさらにヒドイインスピレーションが降ってきてそちらをメインにテキスト撃つ事になって今日言われた事は削除になるのか、それは分かりませんが、とにかく「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁が僕をヒドイ目に遭わせる準備がほぼ整っているそうです。霊団はそれを防御しないつもりか。そりゃーめでたいな。
とにかく物質界にできるだけ長く僕を残して徹底的にヒドイ目に遭わせるつもりなんですよコイツら(霊団)は。何の恨みがあるって言うんだ。まぁ要するに誰(霊能者)に頼んでもやってくれなかったヨゴレの仕事を僕に全部押し付けてほくそ笑むつもりなんでしょう。やらされるコッチはたまったものではないのです最悪中の最悪。
脱出(反逆)はどれだけ努力してもまず実現しないでしょう、そして「宇宙一のバカ」大量強姦殺人魔、明仁、文仁、徳仁、悠仁を滅亡させられない、奴隷の女の子たちを助けてあげられないどころか、僕はこの強姦殺人魔どもに徹底的にヒドイ目に遭わされてから殺されるのだそうです。
ローマ帝国がユダヤを支配していた頃は、一般的にギリシアのアテネに留学し、ギリシアの知恵を習得する者が少なくなかった。なぜならば、ギリシアは彼らにとって異教文化ではあっても、理性に関する鋭い学問が進んでいたからであった。
ガマリエルの切れ味はことに鋭く、モーセの律法に関して話す時などは、彼の右に出るものはいないと言われる程、ギリシア仕込みの実力を発揮した。
ペテロが彼の師イエスの教えについて語った時、ガマリエルは、霊についての考え方がまるでギリシアで学んだ学者が語っているように思った。だからこそこの分野に無知であった長老たちを混乱させてしまったのである。
ペテロは、人間について、闇と光とか、霊と肉というたとえで説明した。彼の話がまだ終わらないうちに、どうやらこの12使徒は、モーセの律法に背いていないことが分かってきた。だから彼らを迫害することが、全く焼け石に水のように思えてならなかった。
ガマリエルは、サドカイ派とパリサイ派の間に解釈上の争点になっているモーセの律法について多角的な説明をした。彼はキリストの教えにかなり魅力を感じ始めていた。しかしヨハネと話した時、自分はとてもついていけないと言った。
みんながイエス・キリストのようになれればクリスチャンになってもよいが、それは夢物語であると言った。彼はヨハネに言った。
「イエスの教えは完璧であるが、誰もそれを完全に守れる者はいない。人間はとかく転び安く、キリストが歩んだ道から遠く離れ、迷い出るものです。私はイエスの教えを学びましたが、あれは天使のための教えであって、人間のためのものではありません。見えざる王国の教えであり、人間の目に映る王国のものではありません」
霊視家のヨハネは答えて言った。「イスラエルの大指導者であられるガマリエル様、太陽は光を放ちますが、私達の目にその光線が見えないのと同じです。あなたは、彼の教えが目に見えない王国のためとおっしゃいました。まさに、その通りであります。
師が教えて下さった天の王国とは、肉眼には映らないものであります。でも私達はそれを何とか地上に実現させようと努力しているのです。それは確かに目には見えませんが、それは眠りから目を覚ました時に、思い出せない夢のようなものです。
でもその夢は大切なものであり、実現させねばならないのです。私達は神の子にはなれないかもしれません。しかし神の似姿を形作る努力はできると思います」
ガマリエルは首をふって悲しそうに言った。「あなたはまだ若く、希望にあふれておられる。しかし間もなく私のように年をとるでしょう。しおれた草のように体もいうことをきかなくなります。その時に自分がいだいた夢は空しいものであり、厳しい現実だけが残ることを知るようになるでしょう」
ヨハネは笑いながら言った。「もしあなたが、ほんのしばらくの間、私達と一緒に暮らしになれば、私達の師が示された未来像をお見せできるのですが。すべての異邦人がキリストを拝み、もろもろの国の人々が彼を崇め、彼の教えを学ぼうとすることがお分かりになることでしょう。私が霊視したことは、必ず実現するのです」
「あなたに示された幻を疑うわけではありませんが、私には、とてもついていけないのです、若い予言者さん。もし、そうなったとしても、いずれ多くの人々が、天使は別として、彼の教えについていけなくなるでしょう。
さて、私はこうしていられないのです。サウロという若者が私を待っていますので。私は彼に話してやらねばならないんですよ。真の知恵とは、我らの父祖の律法の中に見いだすことができることをね。彼はどうやら、それに気付いたらしいのです」
ヨハネは内心悲しい思いをしながら聖賢の前から立ち去った。ヨハネは、ガマリエル程の偉大な聖賢が味方になって、キリストの教会が大きく飛躍することを願っていたからである。
さて、心身共に強壮な若者、サウロ(後のパウロ)が、ローマからやってきて聖賢ガマリエルの門下に入り、モーセの律法や神殿の密儀について学ぶこととなった。ガマリエルの心の中は、ヨハネのことやキリストの言葉で溢れていた。それで彼は若者サウロにこのことを語って聞かせた。
ついに、若きユダヤ人に啓示が与えられた、という意味のことを語ったという。ガマリエルは、キリストのことを弁護し、サウロに対して、キリストの教えの美しいこと、そしてそれらは教会という建築物を建てる石材となるであろうと語った。
若者サウロは、当時、自分自身の考えから、キリストの弟子たちは神殿やモーセの律法に刃向かうふとどきな連中であると思っていた。ガマリエルは物静かにヨハネの語った言葉を用いながらキリストの事を語り弁護したので、かえってサウロの心を硬化させ、聖賢ガマリエルヘの反感を募らせる結果となった。
そんな訳で、サウロのクリスチャンに対する憎しみは強まるばかりで、誰からやっつけたらよいかを真剣に考えるようになった。そしてついに、ユダヤ全土をひっくりかえすような迫害を加えて、キリストの教会を亡きものにしてしまおうと決意するに至った。
ガマリエルは、弁証法に長けていたので、とても議論を好んだ。それで彼は、若者サウロが余りにも議論が下手なことを自覚させようとした。ガマリエルは、一方では心情的にキリストを信じ、他方、理性では彼の教えを否定していた。
彼は若者サウロが怒り狂っているのを知ってからは、2度とキリストのことは口にしなかった。つとめて、モーセの律法に関する話を続け、彼の理性を養おうとした。
さて、私にはヨハネやガマリエルについての幻が多く与えられている。後になって若者サウロは、キリストに関して語ったガマリエルの言葉によって、自分が大人げなく感情的になったことを思い出し、反省したことを付け加えておこう。つまり、以上のような次第で、彼がクリスチャンを迫害したのである。
このアイテム追加の作業、メチャクチャつらいです。心はくじけまくってますが一気に進めようとせず日々少しずつ登録していくという感じで虫の息で続けるという手法で行きましょう。なぜ僕はここまでやらなければいけないんだ。ただただ首をかしげるばかり。
ハァァ肉体的、精神的、ともに疲労感がスゴイですが書籍のスキャンもやらないといけません。友人がテキストの見直しをしてくれたのは「スピリチュアリズムの真髄」と「心霊と進化と」の2冊です。コチラも何とかWordPressにUPさせたいです。手が回らない。
何なんだこの絶望感は、一体いつになったら僕の人生は展望が開けるんだ。物質界生活中には開きませんよ、帰幽してからですよ、あぁそぉですか、そいつぁーおめでたいこって「感情と手は別レイヤー」手だけは作業続行中(祈)†
アイテム追加の作業をしつつも今日は「さすがにやらないとまずいだろう」という事で久々に書籍のスキャンをやりました。「絶版状態の霊関連書籍復刊に向けたテキスト化」この作業は使命遂行ど真ん中の作業ですのでこれ以上止める訳にはいきません「霊的人類史は夜明けを迎える」のスキャンを再開しています。複数作業を同時進行させるのは精神的にこたえますがやるしかありません。
霊団に閉じ込められているイヤでイヤでどうしようもないところから全力で脱出しようとしていますが、何をどうあがいても脱出できません、ここまでくるともう呪いです。オンデマンドのアイテム追加は続行させますが、これをいくらやってみたところで脱出は不可能でしょう。テキストの作業に戻るしかなさそうです。が、反逆そのものは続行させます絶対やめません。
集会所がきれいに掃除されてから、長老たちは静かに着席した。ガマリエルは1人1人にペテロとヤコブの話しについて感想を聞いた。1人づつ立ち上がっては弁解をはじめた。彼らは異口同音に12使徒を責め、彼らの教えは邪悪で、毒麦のようであると主張した。
ガマリエルは1人1人の意見に耳を傾けていた。しかし誰1人としてガマリエルの心中を読み取れる者はいなかった。彼の額は滑らかでシワがなく、彼の瞳は澄んでいた。
大祭司は心ひそかに聖賢ガマリエルがきっと長老たちの意見に賛成してくれるものと勝手に想像し、最後に立ち上がって堂々と自分も長老に同意する発言をした。
「諸君たちもご存じのとおり、彼らの犯罪行為は尋常なものではない。ひそかに国家の転覆をはかり、我々の座をくつがえそうと狙っているのである。何といっても許せんことは、イエスの肉体が生き返ったなどとぬかした上、キリスト(救世主)であると吹き込んでいることである」
大祭司の話が終わってから、ガマリエルは立ち上がった。「ここにおられる兄弟、長老の方々よ、彼らがキリストと称している男は死にました。私には、そんな人間とは関係ありません。それよりも私達が判断を下さねばならぬことは、その人の教えがどんな結果を生むかにあるのです。
まず始めにヤコブの話に触れてみましょう。彼は、この救世主が人間性についてとても賢い理解を持っていたことを示してくれました。即ち、人間とは半ば動物的であり、半ば霊的存在であると。
人間が動物的に生きて自分の食物だけを追い求め、親族や他人のことには一切おかまいなく生き続けていくならば、現体制下では必ず貧乏人が飢え、大飢きんが発生いたします。
キリストと称する男は、このことを見通していたようです。もし霊の力によって動物的生き方を止めて、霊的に生きるようになれば、秩序を回復して、すべての所有を分配し、余剰分は倉に蓄えて、飢饉の時に備えると言っているのです。皆さん、これはユダヤにとって大なる救済でありますぞ!彼らはこのような組合を作ろうとしているのです」
長老の1人が言った。「あなたは、あのナザレ人の弟子のようだ!」他の長老たちが彼をあざけって言った。「あなたは、あいつらの仲間になったのですか」
ガマリエルは答えて言った。「そうではない!私がどうして仲間なのですか。私は結果をもって判断しなさいと言っているだけです。この人たちは、師イエスが模範を示したように動物的側面をくつがえすことができないかもしれません。
師が与えた知恵に従おうと努力し少しでも真理に近づこうとしても途中で挫折してしまうかもしれません。あの連中はたしかにイエスの教えを繰り返し語り告げるでありましょう。
しかし自分たちの予言者を殺してしまった責任を大祭司になすりつけ、自分たちの教師を木に吊した人々への復讐をはかるかもしれません。更に多くの人々を扇動して、かの師が教えたこと、『敵を愛しなさい』とか、『あなたがたを憎む者を祝福しなさい』という言葉に反するようなことを始めるかもしれません」
ガマリエルは学識のあるギリシャ人について学んだので、非常に理性的な人物であった。それで反対者も賛成者も彼の説得によってみんな黙ってしまった。ガマリエルが言いたかったことは、キリストの教えは霊的なものではあるが、その弟子たちは師のように振る舞えないであろうということであった。
ガマリエルはみんなに向かって言った。「私は決してキリストの弟子ではありません。今ここで、私は弟子たちのことにふれ、彼らをどうしたらよいかを考えているところです。まさか彼ら12人をローマ総督にお願いして、木に吊してもらうことはできないでしょう。彼らはすでに多くの奇跡を起こしています。
殊にローマ人の娘の病気を治したことは、総督の耳に入っています。ペテロと称する者が、その娘の病気を治し、ベッドから立ち上がらせたことを。だからこそ、この12人は、普通の人と全く同じように考えてはなりません。霊力を内にひそめている人たちなのです。
もしかしたら彼らも人間の動物的側面に打ち勝って、ついに神の子として真理を語ることができるようになっているかもしれません。イスラエルの諸君!この連中に対する言動にはよくよく注意を払って貰いたいのです」大祭司ハナンが言った。
「あいつらが我々を潰そうとしているのだ。どうしてあなたは、こんな連中を神などと言うのですか、判断を誤ってはなりませんぞ!」ガマリエルは答えて言った。
「私はただ、あの12人をしばらくの間、見守っていたいと申しているのです。時がたてば、彼らが神からのものか、人からのものかが分かります。昔、チュウダという男が現れた時、人々は彼を予言者だと申しました。そして多くの者が彼に従っていきました。しかし間もなく彼は見放されてしまいました。
彼は向こう見ずで自分の名誉だけを求めていることが分かったからです。更に、ユダスという男が現れました。重税に苦しんでいた民衆に訴え、ローマに刃向かうように扇動しました。ユダスも神の名によって彼らに語り、何の恐れもいだく必要がないと言いました。しかし、彼に従った者は散らされ、彼は殺されてしまいました」
ガマリエルが演説している最中に、外で群衆の大きな叫び声が上がった。彼らは声を揃えて、使徒たちを釈放し、我々の手に返せと叫んでいた。彼らは12人の使徒に自由を与え、民衆のためにもっと奇跡を起こしてもらいたいと強く要求した。
彼らの叫び声は長老たちの心を脅かした。長老たちは、お互いに顔を見合わせながら群衆の怒りを恐れた。群衆の叫びが止んでから、ガマリエルが再び語った。
「12人の弟子たちを直ちに解いてあげなさい!そうして彼らを自由に泳がせておくのです。彼らが単に人からの者であれば必ず散らされるでしょう。しかし神からつかわされた者であるときは、あなたがたの方が吹き飛ばされてしまうでしょう。
なぜなら、神に対して逆らうことになるからです。しばらく見守ることです。だから平和のうちにここから出してあげるのです。それが神の御心に沿うものであるかどうかを見届けることです」
大祭司ハナンと長老たちは、何の罰も与えずに釈放したくなかった。なぜなら、民衆は弟子の勝利をたたえ、イエスが本当にメシアであると言わせたくなかったからである。そこで12使徒は、鞭打ちの刑だけで釈放された。弟子たちは、刑罰に処せられるほど神に認められたことを喜びあい、自由の身になった。