『シルバーバーチの霊訓③』
【次に教会中心の信仰者に対して講演するとしたらどう説かれるかと聞かれて―】まず私は教会という所が本来宗教についての真実を学ぶために存在するものである事を説きます。目に見えない高い世界の影響力に集団で波長を合わせるための場です。
『シルバーバーチの霊訓③』
暫しの間、俗世的心配ごとやストレスから離れ、雑念や悩み事を忘れて霊的実在に目を向ける場です。私はまた人のために自分を役立てる事こそ真の宗教であると説きます。礼拝に出席したら欠席した人より立派になるという訳ではありません。
『シルバーバーチの霊訓③』
肌の色が白いから、茶色や黒い肌の人より優れている訳ではありません。大切なのは霊の進化、魂の成長です。教会はそのための永遠の旅に備える場であるべきです。いかにして霊を修練するかを教える場であるべきです。
『シルバーバーチの霊訓③』
儀式、信条の事で惑わされてはいけません。建物を必要以上に有難がってはいけません。宇宙の大霊は無限の存在です。いかに神聖に思える建物でもその大霊を閉じ込める事はできません。四つの壁では“永遠なるもの”は包めません。
『シルバーバーチの霊訓③』
書物も、その言葉がいかに美しくても、いかに内容が立派でも、いかに霊的でも、、それ一冊に無限なる霊すなわち神に関する真理の全てが記される訳がありません。いかなる人間でも、たとえ地上で最高の聖職にある人でも、あなたと神との関係に干渉する事は許されません。
『シルバーバーチの霊訓③』
あなた方の存在にとって必要なものは、あなた方自身が無限の啓示の宝庫から引き出す事ができるのです。あなた方が神と呼び、私が大霊と呼ぶところのもの即ち全生命の背後の普遍的摂理は、永遠にあなた方と切っても切れない絆で結ばれております。
『シルバーバーチの霊訓③』
内部に宿された神性を発揮しさえすれば―高級界から受ける霊力とインスピレーションを活用する霊的法則さえ身につければ、神が意図された通りの生き方ができるようになります。
『シルバーバーチの霊訓③』
自己を棄て、世間に目を向け、身体の不自由な人を癒し、苦しむ人に手を差しのべ、飢えた人に食を与え、渇えた人に水を与え、道を見失える人に勇気と指示を与え、優しさと思いやりと愛情を、それを必要とする人の全てに与えてあげるようになるでしょう。
『シルバーバーチの霊訓③』
そうなった時こそ自分を役立てている事になります。それが唯一の宗教なのです。それ以外の宗教を私は知りません。
『シルバーバーチの霊訓③』
【スピリチュアリズムが世界的宗教となる日が来るのでしょうか―】あなた方がスピリチュアリズムと呼んでいるものは大自然の一部―その作用、その意義に対して付けられた名称にすぎません。
『シルバーバーチの霊訓③』
私にとって宗教とは自分なりの人生を生きる事であり、特定の宗派の信仰を受入れる事ではありません。人生を支配している摂理は普遍的なものです。という事は普遍的な理解力が世界中に行きわたれば、お互いが扶け合う事が普遍的な宗教という事になります。
『シルバーバーチの霊訓③』
それをスピリチュアリズムと呼ぶかどうかはどうでもよい事です。大切なのは真理が普及し、無知の壁が崩れ、迷信が人間の精神から一掃されて、霊的叡智が花開く事です。
『シルバーバーチの霊訓③』
ラベルには用心しなければなりません。なぜかと言えば、そのうちそのラベルに象徴されていた中身に代ってそのラベルそのものが大切にされるようになり、ついにはラベルだけを崇拝して真理を忘れてしまうからです。大切なのは真理です。ラベルはどうでもよろしい。
『シルバーバーチの霊訓③』
皆さんはある現象が話題になるとそれをスピリチュアリズムだと言います。が、全ては自然法則の働きで起きているのであって、それをどう呼ぶかは重要ではありません。同じ意味で“宗教”という用語もその本来の意義を失ってしまいました。
『シルバーバーチの霊訓③』
今では宗教といえば“神聖”のラベルをはられた特殊の行事や慣習、儀式、祭礼などの事を連想します。しかし教会や礼拝堂が普通の建物に比べていささかも神聖である訳ではありません。
『シルバーバーチの霊訓③』
石はあくまで石です。普通の家の一部となろうと大聖堂の一部となろうと石は石でしかありません。神を崇拝する場として作られた建物は確かに美しいかも知れませんが、その美しさが神聖さを生む訳ではありません。美しいと思うのは美意識の反応にすぎません。
『シルバーバーチの霊訓③』
宗教そのものは教会とは何の関係もありません。霊感のある人―本当の意味での聖職者つまり霊的能力を具えた人が民衆の要請に応えて神との取次ぎをしてあげる事と言ってもよいでしょう。勿体ぶった神学的言説に基づく行事をしたり信仰を告白したりする事ではありません。
『シルバーバーチの霊訓③』
教会でワインを飲んだからといって他の場所でワインを飲むよりも“宗教的”である訳ではありません。宗教的である事は宇宙の大霊の一部である自分を少しでもその大霊の御心に近づける事です。内部の神性を発揮する上でプラスになる事をする事が宗教です。
『シルバーバーチの霊訓③』
その神性は人のために役立つ行為、愛他心、親切心、日々新たになろうとする心掛け―どこにいても倒れている人を起こしてあげ、弱った人を元気づけ、無力な人の力になってあげ、病の人を癒し、真理と叡智を広め、不正を無くする行為となって表れます。それが宗教です。
『シルバーバーチの霊訓③』
人間にはその人なりの宗教を実践する上で必要なものは全て授かっております。そのためにはまず、宗教とは名僧知識が説く事を体系的にまとめる事であるかのように考える、その誤った概念を捨て去る事です。
シルバーバーチ以外で僕が好きな書籍の紹介です。「スピリチュアル・ストーリーズ」これは霊界の存在を当り前のものとして書かれた初めての児童向け童話です。僕はこの本、最高に大好きです。美しすぎるのです。この本を読むたび、センナちゃんもきっとこんな幼少期だったのだろうと思うのです(祈)
■2022年7月6日UP■「イエスからの贈り物」これは帰幽後のお話で物質界人生は最悪という意味なのです(祈)†これはまるでイエス様からの、アキトくん、ここまでよくやった、おつかれさま、という終了宣言のように聞こえます。そんな事でいいんですか、あなたたちのやる気はそんなもんですか、しょせんあなたたちは霊界上層界の人間であり、最低界である物質界がどうなろうと知った事ではないという事ですか。物質界と霊界上層界はつながっていて、物質界の無知が霊界に反映されるようになってしまって「このままでは大変な事になる、何としても大胆な手段を講じて物質界に霊的知識を普及しなければ」という事になってスピリチュアリズムを勃興させたのではないのですか…続きを読む→ ■2022年6月29日UP■「どっちが勝つ?」このような近視眼の判断をしないよう神の因果律を正しく理解しましょう(祈)†神を侮るべからず。己の蒔きしものは己が刈り取るべし(ガラテア6・7)神の摂理は絶対にごまかされません。傍若無人の人生を送った人間が死に際の改心でいっぺんに立派な霊になれるとお思いですか。魂の奥深くまで染込んだ汚れが、それくらいの事で一度に洗い落とせると思われますか。無欲と滅私の奉仕的生活を送ってきた人間と、わがままで心の修養を一切おろそかにしてきた人間とを同列に並べて論じられるとお考えですか。“すみませんでした”の一言で全てが赦されるとしたら果たして神は公正であると言えるでしょうか…続きを読む→ ■2021年9月15日UP■「いよいよ存在価値がなくなっていく」お分かりですね、明仁、文仁、徳仁、悠仁の事ですよ(祈)†日航ジャンボ機を墜落させて自分たちの邪悪の正体を公言しようとした人間を一気に殺したのも、その他いくらでもある事と思いますが、それらの行動には全て「動機」があるという事になります。その動機こそ霊団が言ってきた「人生イコールS〇X」この言葉ひとつに集約されるのです。コイツらの人生の目的、行動の動機は「S〇X1本」です。幼い奴隷の女の子を「処刑遊び」で四肢切断、強姦殺人し続けるために全てのウソをついているのです。抵抗する術を知らない盗んできた(パレットから買ってきた)女の子たちをレイプし続けるために生まれてから死ぬまで自分の人生の全てをウソで塗り固めるのです。コイツらは何もかも全てがウソなのです。そこまでしてウソをつき続ける理由が「S〇Xを守るため」という事なのです…続きを読む→ ■2021年7月21日UP■「最終的判断は我々が下す」霊団が僕の人生を最後までいじくりまわすという意味です好きにしてくれよ(祈)†ほとんどの日本国民の方々がメディアを駆使しての「視点外し」および「洗脳」に完全にやられてしまっている状態です。皆さま宜しいですか、僕たちの国、日本は世界トップクラスの「洗脳大国」です。残念ながら99%以上の日本国民の方々は完璧に洗脳にやられてしまっており、洗脳されてしまっている自分に疑問さえ抱きません。あげくの果てに真実を公言する者(僕)にヒドイ軽蔑、嘲笑、誤解、嫉妬、侮蔑、罵倒を浴びせてくる始末です。自分が恥ずかしい行いをしているという事にも全く気づきません。洗脳にやられ続けているその姿が、真実を理解した者が見た時にいかにみっともない姿に映じるかという事を、そろそろ皆さまにも理解して頂かねばなりません。想像力を働かせて頂かねばなりません…続きを読む→