僕を霊媒とした交霊会を開催するために“スピリチュアリズム普及会”のお二人に向けて何と4回もサークルメンバーへのお誘いのカードを切っている現状ですが、僕の予測では普及会以外の“ある方々”のご意思によって僕のお誘いがスルーされているものと思われるのです。普及会のお二人はきっと僕の訴えかけ、その真意を正しく理解して下さってます。しかしそれでも首をタテに振れない“ある事情”がおありのようなのです。
よって、4回目のカード、YouTubeにUPした“闇のムービー”もスルーされるであろうと僕は残念ながら予測するのです。(見てもいないかも知れません)となれば今度こそ、今度こそ僕の帰幽が実行に移される訳ですが、帰幽前に「これだけはWeb上にデータとして書き残しておくべきでは」と思われる、僕が過去に霊聴にて受取らせて頂いた“ある波長”があるのです。僕はその波長について今まで一度もツイートしてません。ずっと心の中にしまっておいたのです。その理由は、僕が永遠発動している「勘違いモード禁止令」に引っかかるからです。「勘違いモード禁止令」とはこういうものです↓
-----
現在僕は『勘違いモード』禁止令を永遠発動中です。この意味は、現在僕が浴させて頂いている霊的状況があまりにも僕の身に余る光栄な事ばかりなので、それにのぼせ上がり自惚れて『勘違いモード』に突入しないようにしよう、常に最大級に謙虚の姿勢を貫こう、そういう意味が込められてます(祈)
-----
はい、そういう事なのですが、もう交霊会開催の可能性がほぼ絶たれている状況という事もあり、その“ある波長”についてブログを書いてもいいのでは?と思い、今回、最大級の謙虚を貫きつつ細心の注意を払ってその“ある波長”について書いてみようと思います。
4月初旬でした。何度も帰幽メッセージを受取りながら一向に帰幽させてもらえず、僕はガッカリしながら山へのアタックを続けていました。その日も何事もなく無事にゴールし、帰りの車を運転していたんです。僕はこの時点で、僕を道具(霊媒)として使用し、語って下さる高級霊の方々の中にイエス様もいらっしゃって、僕を通して日本の方々に直接語って下さる可能性が十分にある事を得心していました。
僕は毎週交霊会を開催するつもりでしたが、さすがにイエス様が毎週語って下さる事は無いだろう。しかし、イースター前やクリスマス前など“節目”の時に僕を通して語って下さるのではないか…僕は車を運転しながらそんな事を考えていたのでした。※過去受取ったインスピレーションにて「椎名正子さん」という女性が日本語通訳として霊団に加わっており、イエス様の語る言葉を現代風の日本語に訳し、それをバーバネル氏に伝え、そしてバーバネル氏が僕の肉の口を使って語って下さる、という流れで霊言が語られる事が分っています。
そして、もし本当にイエス様がバーバネル氏、および僕を道具として使用し語って下さるとしたら、どんな風に登場して下さるだろうと運転しながら想像を膨らませていたのでした。そしてきっとこんな感じになるだろうと僕は思ったのです。まずPCの前に座ってヘッドセットを装着した僕がトランスに突入します。そして僕の口から「ゴォォォ」みたいな声が響き、うつむきます。そして再び顔を上げた時、それは既に僕ではなくイエス様で、第一声でこうおっしゃるのでは?と思う言葉を、僕は信号待ちの車内で実際に声に出して言ったのでした。
「日本の皆さん初めまして、イエスと申します」…と。
すると次の瞬間!ピィィィン!!!って、いつも受取らせて頂いてるものすごく高い波長が霊聴に響いたのです!僕は車内で「えぇぇぇぇっ!!?」ってものすごくビックリしてしまったのでした。この波長…このタイミング…これはイエス様ご本人からの波長である可能性が極めて高い、というかそれ以外考えられない…僕は瞬間的にそう思ったのでした。僕はこの波長を受取らせて頂いた事で、イエス様が僕を道具と使用して現代の日本の方々に直接霊言を語って下さるという事を完全に理解したのでした。
…はい。という訳で、僕を霊媒とした交霊会がもし開催されていたら、イエス様が、日本語で、直接、僕たち日本人に向けて霊言を語って下さる…という事だったのですが、残念ながら、大変残念ながら、普及会のお二人はどうしても、どうしてもサークルメンバーとなってご協力はして頂けないもようですので(僕は普及会以外の方をサークルメンバーに誘う事はもう一切考えていませんので)本当に究極に残念なのですが、僕たち日本人はイエス様が直接日本語で霊言を語って下さるという“最大級の霊的ビッグチャンス”を逃す事となりそうな状況です。
日本の皆様、本当に残念でした。もちろん僕も残念です。しかしダメなものはどうしようもありません。僕にできる限りの最大限の努力をしてきたつもりです。それでもどうしても普及会のお二人からレスポンスが頂けないのであれば、2012年12月16日で既に帰幽していたはずの僕の帰幽が今度こそ実行に移され、日本人の皆様は最新の霊言、しかもイエス様が直接語って下さる霊言を受取り損ねる事となります。本当に、本当に残念でした。
■2014年6月26日にUPしたブログ「ずっと心にしまっておいた“ある波長”」
■2014年5月14日にUPしたブログ「イエス様の悲しみ」
僕がスピリチュアリズム普及会の方々に向けて投げた“最後のカード”のレスポンスが全く、全く、ありません。どうやら普及会のお二人に向けて僕が投げたカードが“スルー”される可能性が濃厚になってきた中、交霊会開催を切望しておられるイエス様のご意思を遂行するため、既に全弾放出して手持ちのカードが無いなりに何とかブログを書いてみる事にしました。まずはこのツイートをご覧下さい↓
-----
まだ分りませんが僕が切った最後のカードはまたしても空を切り、交霊会開催の為のサークルメンバーはついに集まらず、日本人は最新の霊言が日本語で降ってくるという最大級の霊的ビッグチャンスを逃し、僕の帰幽が実行に移されるという可能性がでてきました。僕は寝袋の中で目を閉じてトランスを維持→
→しながら、どれだけ語りまくっても誰からも背を向けられる事を思い「イエス様も地上時代に民衆に語りかけて背を向けられた時はこんな気持だったのですか」と思念を抱いた次の瞬間、イエス様の横顔が僕の眼前に顕現され、小さく頷いたのでした。こんな悲しみを二千年以上抱いておられるのですか(祈)
-----
はい。ほんの短い時間でしたが、トランス時にまたしてもイエス様にインスピレーションという形で顕現して頂いたのでした。ただその内容は…あまりにも悲しすぎるものでした。僕がイエス様の地上時代の様子を詳しく知ったのは霊性発現(2012年6月頃)以降、守護霊様の導きに従い、絵を描く事を我慢して読書に没頭していた時でした。参考までにその書籍を紹介させて頂きます↓
-----
■霊界通信 イエスの少年時代 貧窮の中の小さな王者
G.カミンズ著 山本貞彰訳
■霊界通信 イエスの成年時代 神と人間のはざまで
G.カミンズ著 山本貞彰訳
■霊界通信 イエスの弟子達 パウロ回心の前後
G.カミンズ著 山本貞彰訳
-----
これらの書籍は人類の宝なのです。ぜひ一人でも多くの方々にお読み頂き、イエス様にまつわる事象を正しく理解して頂きたいと思います。僕もこの書籍を何度も何度も繰り返し読み、イエス様の地上時代の苦悩を未熟な僕なりにある程度理解するに至ったのでした。そのイエス様と全く同じ、などとは断じて言いませんが、上記ツイートの通り現在の僕も“まあまあ似た状況”に突入しているという訳です。
どれだけ絵を描く事を我慢してテキストを撃って撃って撃ちまくっても、どこからも、誰からも“サークルメンバーへのお誘い”の快いレスポンスが帰ってきません。僕などという男が皆さんに拒絶されるのは一向に構わないのですが、僕を道具として使用し、地上に新時代の霊言を降らせようと決死の思いで待機しておられるイエス様および高級霊の方々までもが地上の人々に拒絶され、背を向けられる、その無念を思うと…何とも、何とも言えぬ悲しみに包まれてしまうのです。
スピリチュアリズム普及会のお二人、そして僕のブログ、ツイッターをご覧の日本の方々、上記の書籍にあった出来事から何年経ちましたか。まだ、まだ、イエス様に背を向け続けますか。まだ、まだ、イエス様を悲しませ続けますか。あと何千年経てば皆さんはイエス様のお顔を直視できますか。僕たち地上人はもう十分、十分、イエス様を悲しませてきたではないですか。もうそろそろ、イエス様の方を向き、イエス様のお顔を拝し、イエス様のお言葉に耳を傾けても良いのではないでしょうか。断じて、断じて僕などというしょぼい画家の語る言葉などではなく、僕を道具として使用し、語って下さるイエス様のお言葉を、です。
普及会のお二人、霊媒として仕事をするのは僕、および僕の背後霊団であり、サークルメンバーになって頂く皆さんは、ただ静かな落着きのある受身の心で椅子に座って下さればそれでよいのです。たったそれだけの事でイエス様のご意思を遂行する事につながるというのに何故そこまで拒絶する必要があるのでしょうか。日本のスピリチュアリズムの最前線を歩んでおられるお二人が、僕という道具を通して最新の霊言が降ってくるという最大級の霊的ビッグチャンスを無に帰すとは一体何事なのでしょうか。普及会のお二人に関するツイートもあります。こちらをご覧下さい↓
-----
僕は今回切った最後のカードが好感触であるメッセージを複数受取ってますが、今日の幽体離脱で期待を裏切る正反対のメッセージを受取ってしまいました。僕は道に迷いつつ進んでいました。が、歩けど歩けど目的地に辿り着けません。そして僕が持ってたハンドライトの電池がついに切れて消えてしまい→
→ようやく分岐のような場所に着いたと思ったら“行止まり”だったのです。僕はガッカリしつつ肉体に帰還し、トランスを維持してると頭がキィィンって霊力に包まれ、次の瞬間、僕の口を優しく手で塞ぐような霊力がフワッて降ってきたのです。僕はこの霊力を普及会のお二人からのものであると確信→
→しました。僕の霊団がこのようなご意思を示された事は過去一度たりとも無いからです。イエス様および霊団の方々は僕にもっと撃って出て欲しい、そういうご意思を果てしなく示されてますので、今回のまるで「あまりしゃべるな」とでも言わんばかりの霊力は僕の霊団からのものではないと分るのです→
→ここでひとつ誤解の無いよう説明させて頂きます。僕は過去、低級霊の憑依攻撃を浴びまくった事があり、その感触をはっきり覚えてます。湿ってじめじめした冷たい手が僕の顔にピタッ、ピタッ、て触れて何とも心地悪いのですが今回僕の口を塞いだ霊力はそれとは全く違う、法悦の霊力に似た柔らかな→
→フワッとした心地よい感触だったのです。なのでお二人からの霊力は決して“攻撃”ではない事をここに公言させて頂きます。しかしお二人に苦言を呈させて頂くならば、イエス様が僕という道具を見出して僕の口を使って地上(日本)に語りかける準備が完全に整っている、その僕の口を塞ぐという事が→
→どういう意味を含んでるかをお考え頂きたいのです。イエス様が僕に怒涛の連続顕現をして下さったのは、僕が“撃って出る”と称して始めた霊的知識および霊的体験談を公言しまくるこの活動を、地上に残って続けて欲しいというご意思の現われだったのです。そこで僕はスピリチュアリストでないのに→
→何とかそのイエス様のご意思を遂行しようと苦悶の地上生活を続けてる訳です。伺いますがスピリチュアリズム活動の霊界における総指揮官がどなたであるか勿論ご存知ですよね。そうイエス様です。スピリチュアリストを自認しておられるお二人が総指揮官のイエス様が道具として使用する僕の口を塞ぐ→
→という事は、イエス様のご意思と正反対の事をしたという事になるのですよ。まさか、あなた方までもが、イエス様に背を向けるのですか?僕がお声をかけた方々のどなたより霊格が高いお二人までもが、スピリチュアリズム普及会を名乗っておられるお二人までもが、イエス様に背を向けるのですか?(祈)
-----
普及会のお二人、一体何がどうなっちゃってるのですか。スピリチュアリズム活動の霊界における総指揮官のイエス様のご意思を地上において遂行できなくて、それのどこが“スピリチュアリズム普及会”なのですか。もはや完全に、完全に理解不能です。あなた方ほどの霊格をお持ちの方が、まさか、まさか霊的事象より物的事象を優先なさるおつもりではないでしょうね。
イエス様および背後霊団側は僕に“撃って出て”欲しいからこそ、帰幽の約束を反故にしてまで僕を地上に残し続け、苦悶の中に身を置かせているのです。もっと撃て、公言の限りを尽せ、霊的知識のタネを蒔きまくれ、そう言われている僕の口をお二人は塞ごうとしました。上記ツイートにもありますが、それがどういう意味を含んでいるかをもう一度お考え頂きたいのです。
僕はこの“撃って出る”行為を絶対にやめませんよ、僕はずっと“一歩も退く気はない”と公言し続けています。僕が普及会のお二人のおっしゃる事と、イエス様のおっしゃる事、どちらを重要視するか、もちろんお分りですよね。ですので僕の口を塞ごうとしてもそれは無駄です。ただ、僕も一人の人間として責任感のある内容を書き続ける、決して道徳的に反する内容は書かない、という事をここに宣言させて頂きます。
普及会のお二人、何度も言っている通り、これが僕が切る“最後のカード”です。このカードがお二人の心に届かなければ僕の帰幽が実行に移され、イエス様および高級霊の方々の永年の悲願が、過去の歴史が繰返してきた如くにまたしても無に帰してしまうのです。その、イエス様の無念、誰からも背を向けられる悲しみの深さ、どうかそれを想像して頂きたいのです。僕を霊媒とした交霊会のサークルメンバーになる事を、今一度、今一度、熟考して頂きたいと思います。
僕の事が気に入らないのであればどうぞいくらでも普及会のサイトで糾弾して頂いて構いません。ウソ、インチキ、ニセモノ呼ばわり、何でも結構です。僕の事など、もうどうでもよいのです。僕は単なる道具であり、その道具を通して地上に伝えられる霊言こそ重要視すべきものであり、僕の個人的事情などこの“霊的知識普及の使命”の重大性の前に、既に吹き飛んでいるのです。悲しいですよ。これほどまでに本来の自分を捨て続け、殺し続けねばならない現状が。しかし僕はイエス様と約束してしまったんです。もう少し地上に残って使命を遂行すると。だからこうして絵を描くのを我慢してテキストを撃ちまくっているのではないですか。
僕の本心の願望はただひとつ“帰幽カモン”これだけなのです。つまり地上的願望がもう無いという事です。地上的成功、地上的名声、地上的金銭に既に何の興味も無くなっています。僕は一刻も早く帰幽して思念描画に突入して紫外色、赤外色に触れたい、ただそれだけの男なのです。僕を霊媒とした交霊会を開催する活動の中で売名行為や金銭の獲得を画策するつもりも毛頭ありません。僕は“影の男”ですので一切“オモテ”に出るつもりはありませんし、金銭を得たいのなら画家時代の作品の原寸画像をWeb上に放出する訳がありません。
普及会のお二人、もう一度言わせて頂きますよ。これが僕が切る“最後のカード”です。このカードが空を切れば、つまり普及会の方々がサークルメンバーとなって下さらなければ、僕の帰幽が実行に移され、交霊会は開催されず、イエス様および高級霊の方々が必死に準備して下さった霊言の数々が地上にもたらされずに終ってしまうのです。その時のイエス様の無念、そして悲しみにどうか思いを馳せて頂きたいのです。
スピリチュアリズム普及会という看板を掲げ、スピリチュアリストを自認しておられるお二人が、総指揮官のイエス様のご意思を遂行できないとは、これは一体どういう事なのですか。宗教的なものとは全く関係のないしょぼい画家の僕でさえこうして何とか導きに従おうと苦悶を味わっているというのに…。僕などという男の事は不安や猜疑の目で見て頂いて構いませんので、どうか、イエス様に背を向けるのだけはやめて下さい。イエス様に更なる追加の悲しみを降らせるのだけはやめて下さい。どうか、サークルメンバーとなってイエス様のご意思を遂行して頂きたいと思います。
これが正真正銘“最後のカード”ですので、あえて、あえて、ここまで言わせて頂きますよ。スピリチュアリズム活動の総指揮官であるイエス様のご意思を遂行できないのであれば、あなた方に“スピリチュアリズム普及会”を名乗る資格はないものと思われますが、いかがでしょうか。僕などという若造が、人生の諸先輩方であるお二人に無礼を承知でここまで言っているのです。その意味をどうか汲んで下さい。イエス様のご意思を遂行する“正しい霊的選択”をお二人が為される事を、僕の帰幽が実行に移される最後の1秒まで信じ続けます…(祈)