■2013年3月19日にUPしたブログ「何とも言えない表情のイエス様」

僕は去年7月頃に「あのお方(軽々しく名を呼んではいけません)」のお顔を拝させて頂くという光栄な状況に浴させて頂いています。その時の詳しい状況は過去ブログ「具体的な解説をしちゃいます。」の中の「■05 お優しそうな満面の笑顔の男性」の項で紹介していますので、ぜひそちらをご覧頂くとして、数日前に何と再びあのお方、もうお名前を書かせて頂きますがイエス様のお顔を拝させて頂いたのでした。
前回、去年7月の時は「満面の笑顔」にて登場してくださったのですが、今回のお顔の顕現はその時とは全く状況が違いました。それは今僕を取り巻く“帰幽”にまつわる状況をかんがみての事だと思われるのです。
初期の帰幽のメッセージを受取ってから何ともう9ヵ月半が過ぎています。帰幽を今か今かと心待ちにしている僕にとっては、これはもう絶望的な待ち期間で、正直心が折れる寸前、忍耐の限界値をはるかはるか超えた苦しい状態な訳です。背後霊団側ももちろんその僕の心を理解しているので「あるある!あるよ!」みたいな感じで僕に様々なメッセージ、さらには「ジャック・ウェバーの霊現象」と同一の「寝袋離脱現象」まで演出して頂き(詳しくはブログ「“たきざわ彰人”版 ジャック・ウェバーの霊現象」をご覧下さい)いよいよ帰幽が近づいている事をひしひしと感じつつ、何とか絶望的待ち期間を耐え続けていた訳です。
そして僕はこの“待ち期間”の間に「撃って出る」と称して、僕が今まで果てしなく読んで勉強してきたたくさんの書籍の内容をツイッター内で“抜粋”しまくるという無謀な行為に出ました。この撃って出る行為が僕にどういう影響を及ぼすのかはあらかじめ知っていました。シルバーバーチ霊が書籍の中で何度も言っているからです「霊能者、霊覚者は苦しみにおいてほぼ同じ人生を辿る」と言った感じに。
しかし、僕は間もなく帰幽する、そう思っていたので、攻撃を身に浴びるのも覚悟の上であえて撃って出た訳です。帰幽前の、地上における最後の仕事にしよう、そう決意しての事だったのです。そして僕は自分が「霊覚者」であるとツイッター、ブログ等のプロフィールでわざと公表し、霊的知識のタネをこれでもかこれでもかと蒔きまくり始めたのです。そして僕の周りを取り巻く状況もタネ蒔きに比例して変化していったのです。
それは全て予想範囲内の事でした。そうなる事は分っていたのです。僕の言う事が理解できない人々からのあからさまな軽蔑と嘲笑が次第に僕に浴びせられ始めたのです。ついに頭がおかしくなったとか、薬をやってるとか、カゲでそういう事を言われ始めたのです。それはそれは悲しかったです。今まで僕に好意的な態度で接してくれていた女性が180度回転して正反対の言葉を僕に浴びせ始めた事も本当に悲しい出来事でした。でも僕の周りの人々のそういう反応も全て想定範囲内、こうなる事は百も承知、はなから覚悟の上で撃って出たのです。
僕が今の理解レベルに到達するまで、それは長く苦しい道のりでした。何年もかかって書籍を読み続け、果てしなく山にアタックを繰り返して心身を鍛えまくり、作品制作においても徹底的に描きまくっていたのです。説明しても分ってもらえないでしょうが「何もここまで描かなくても、もっと簡単に描けるでしょ」と突っ込まれそうな部分まで、僕は徹底的に描きまくり、自分に対して高い作業負荷をかけ、それこそ連日連夜「フルパワー発動」をかけて描いて描いて描きまくっていたのです。どうしても!どうしても!自分の作品が描きたかったからです。
そんな高負荷な作業が流星のように降って来る生活を繰り返しているうち、ある日「霊性の発現」となった訳です。僕が現在の霊的知識の理解、及び霊的現象の体験に至るまで、大ざっぱな説明ですがこういう経緯があった訳です。それを、よう分らん僕のような男に二言三言ああですよこうですよと言われたからといって周りの人がすぐ「ああそうですね、よく分ります」とはならないのは容易に想像して頂けると思います。まさにシルバーバーチ霊の言う通り、霊的知識の理解は魂に受け入れ準備が整わなければできない、その言葉の通りなのです。
しかし、僕は抜粋をやめませんでした。撃って出る行為をひたすら続けました。僕に向けられる軽蔑と嘲笑もエスカレートし、針のむしろに立たされていきましたが、それでもなお僕はタネを蒔いて蒔いて蒔きまくりました。もうすぐ帰幽できる、あとちょっとの辛抱だ、耐えてこのまま進むんだ、僕は自分にそう言い聞かせて何とか苦しい状況をこらえていました。たきざわ彰人としての作品を描きまくっていた時から僕は何度もこう公言してきました「一歩も退く気はない」と。今こそそれを実践する時だ、そう言って自分で自分を鼓舞していたのです。
しかし…明けても暮れても帰幽しないのです。僕は地上に取り残され、その間も撃って出る行為はひたすら続けたので、僕の周りの状況は当然さらに悪化の一途を辿って行く訳です。帰幽すると思ったからこそ僕は撃って出たのに、延々と帰幽が延期され、そしてついに僕は耐え難き総攻撃を身に浴びる事となり、居場所を失い孤立の極致を迎えたのでした。
僕は忍耐の限界に達し、逃げるように八ヶ岳に向かっていました。もう山しか行く場所がなかったのです。そしてひとり暗黒の森をヘッドライトでトボトボ進み続け、その後拓けた笹原のような場所で日の出となり、太陽に向かって「もう僕は地上に居場所がありません。お願いです、早く帰幽させてください。そちらに行かせてください」と切望するのでした。こんな事を書くのは恥ずかしいですが、僕は八ヶ岳を歩きながら、心の中で子供のように叫んで泣いていました。
しかし森の中を進みながら、あきらかに「戻りなさい」と言われてる感覚が何度も走るのでした。僕は呼吸を荒げながらも、いつでもメッセージを受取れるように精神を集中し続けていました。法悦に近い霊力も何度か弱く降ってきました。そして「守護霊様は僕がこういう形で帰幽する事を望んではいないのではないか…」次第にそういう思いが僕の心を駆け巡り、拭い去る事ができなくなっていくのでした。
帰りの運転中もメッセージらしきものがあり、やはり守護霊様は「戻りなさい」と言っていると改めて感じるのでした。しかしやはり、僕はどうしても総攻撃を身に浴びて身の置き場所を失った所に再び戻る気がせず、弱い心、小我を優先してしまい「僕はもう戻りません」と守護霊様に対して心の中で宣言してしまうのでした。
そしてその夜です。睡眠中に、守護霊様からと思われる超鮮明映像のメッセージを受取ったのでした。その内容の詳細説明は省略させて頂きます。要点だけ述べると、僕はずっと「交通事故で帰幽する」というメッセージを受取り続けてきましたが、その夜のメッセージでは帰幽方法が「交通事故」から「山」に変更されていて、しかも電光石火でいとも簡単に帰幽完了する…そんな内容だったのです。
今までどれだけ願っても望んでも、どうしても帰幽できなかったのに、その夜のメッセージの内容が拍子抜けするほど簡単に帰幽できるかのようなものだったので「あれ?こんな簡単に変更、実行できるならなぜ今までしてくれなかったの?」というシンプルな疑問が浮かぶのでした。そして一つの仮説が僕の中に浮かんでくるのでした。「交通事故」という帰幽方法をあくまで言い続けたのは、僕に地上で頑張らせるためだと。もし簡単な帰幽方法を告げていたら僕は努力をやめてただぼーっと待ち続けていたかも知れない…と。
そしてもう一つ、そのメッセージの裏側に、守護霊様の僕に対する“あきらめ”の感情が混じっているような気がしたのです。今までの壮絶かつ絶望的な帰幽待ちの状況があまりにも軽々しく一変するのを見て、まるで「あなたの頑張りもここまでのようだから、もうやめにしましょう…」守護霊様にそんなふうに言われた気がしたのでした。
僕は守護霊様の期待を裏切ってしまったのかも知れないという思いと、でも帰幽できるならその方がいいという二つの思いのはざまで揺れていました。どうしても帰幽したくてたまらない僕は、出発できるならもう何でもいい…そこまで考えていたのです。そんな気持ちが心に渦巻きながらも僕は寝袋の中で目を閉じ続け、必死にどうすべきか考えを巡らせていました。そしてその時、ついにあのお方、そう、イエス様のお顔が再び僕の前に顕現してくださったのです。
ゆっくり、そしてハッキリお顔のイメージが僕の眼前で整えられ、広がっていきました。(もちろんこの時目は閉じてます)そのお顔を見て僕はすぐにイエス様だと分りました。しかし、その表情に「笑顔」はありませんでした…。本当に何と言えばいいのでしょう、そのイエス様のお顔は「何とも言えない表情」まるで、何かを訴えかけんとするような、そんな表情だったのです…。
僕はその後起床し、再びテキストを打ち始めました。本の内容をカタカタ打ちながら、今までのありとあらゆる出来事を頭の中でひたすら反芻し続けていました。そしてしばらくして一つの考えが頭を支配していくのでした。僕が帰幽するのは間違いない。でも僕がこうして“撃って出た”事が、僕が想像している以上に効果をあげていて、僕の蒔いたタネを受取って書籍を手にした人が結構いるのではないか…と。事実そう思える兆候がいくつかあったのです。
守護霊様による、あきらかに帰幽を先送りしていると思われるその動き。そして八ヶ岳での「戻りなさい」というメッセージ。それは、「ここで抜粋をやめるのは惜しい、もう少し続ければさらに霊的知識の入口に立つ人が増える、あなたはその手助けができるのですよ…」そういう事なのではないか…と。
そしてこの考えを決定づけたのが、やはりイエス様のあの「何ともいえない表情」だったのです。お顔の顕現の時、お言葉は発せられませんでした。しかし、「キミがもう少し地上で頑張ったら、もっとたくさんの人が霊的知識に目覚め、その人達を救う事になるんだよ…ここでやめてしまっていいのかい…」そんなふうに言われたような、何となくそんな気がしたのでした。
そしてもうひとつ、前回、去年7月の顕現の時、イエス様のお顔に“ヒゲ”はありませんでした。ブログ内でも2回ほどイエス様のお顔の線画をUPさせて頂いてますが、それを見て頂ければ良く分かると思います。しかし今回の顕現ではお顔に“ヒゲ”を生やしておられました。その時はその意味が分らず「あれ?」としか感じられなかったのですが、今にして思えばそれはイエス様の「地上時代のお顔」なのだと理解しました。つまり「もう少し地上で頑張りなさい」という事を暗示していたのではないか、そんな気もしたのでした。
…と、こういう理解に到達してからもしばらく悩み続けました。僕は本当に帰幽したくて×100 たまらなかったからです。テキストを打ち続けながら僕はひたすら悶々と考え続けました。 僕がもう少し地上に残って“撃って出る”行為を続ける事が、イエス様及び守護霊様の“ご意志”なのだとしたら…しかしそのご意志に従う事は、僕が最高に望み続けている帰幽をさらに遅らせるという、僕にとって痛恨の選択でもある。悩みました。しばらくの間、最高レベルに悩みました…。そしてこの間、ずっと僕に法悦の霊力が降り続けていたのでした。
そして、考えに考え抜いて、ようやく、本当にようやく、心を決める事ができたのです。イエス様、そして守護霊様のご意志に従い、イヤでイヤでしょうがないけど(涙)もう少し地上に残って撃って出ると。霊的知識のタネをあともう少し、蒔いて蒔いて蒔きまくってやると。(って、今でも本心では迷い続けてますが滝汗)
…ってな訳で、僕は帰幽したくて×1億 たまらないのに、イエス様と守護霊様のご意志に従い、もう少し地上に残るというまるっきり正反対の選択をしてしまった訳です(滝汗)正直まだ心は揺れてますが、永遠の時に比べてたかだか数ヶ月の辛抱ならしなければいけないと、今まで勉強してきた知識に照らし合わせて無理やり自分を納得させてる状況です(悲)
でもこうするしかありません。考えるほどにそう思います。守護霊様、背後霊団の方々、そしてイエス様が、このしょぼい画家の僕に、ここまで!ここまで!!ここまで!!!してくださっているのです!!!究極!究極!!究極!!!光栄な事なのです☆この皆さんの心、“愛”を、僕のアホな小我の判断でむげになどできる訳がないんです。今は苦しくても導きに従う事が最終的に僕のためになる、そう思うからこそ僕にこれほど強烈にメッセージを届けてくださっているのです(祈)
おまけに…過去ブログ「あのお方(軽々しく名を呼んではいけません)」でも紹介していますが、イエス様の地上時代の生涯を克明に紹介した霊界通信「クレオファスの書」を僕は何度も読み返しました。そこには少年時代、青年時代を通しての様々な苦悩の体験談が綴られているのです。その内容と比較すれば、今僕が味わっている苦悩など蚊が刺したようなものだ…そう思えるようでなければいけません。ちなみに「クレオファスの書」は日本語訳では以下の3冊があります↓
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■霊界通信 イエスの少年時代 貧窮の中の小さな王者
 G.カミンズ著 山本貞彰訳
■霊界通信 イエスの成年時代 神と人間のはざまで
 G.カミンズ著 山本貞彰訳
■霊界通信 イエスの弟子達 パウロ回心の前後
 G.カミンズ著 山本貞彰訳
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しかし、あぁぁ何で“撃って出ちゃった”んだろうなぁ、って。こんな事しなければとっくに帰幽できてたはずなのに(汗笑)って、後悔はしてませんけど。苦しい事ばかりでしたが短い間に貴重な経験をさせて頂きましたから。今回は地上にもう少し残るという選択をしましたが、このまま延々と延期っていうのは本当にやめてくださいね!イエス様、守護霊様、僕は帰幽したくて×1兆 仕方ないんです(滝汗)これは本当にお願いします!(本気祈)

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